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2015年3月10日 (火)

水無瀬三吟 百韻のおもて八句を写す

水無瀬三吟「賦何人連歌」~
     後鳥羽院二百五十回忌を修して

発句  雪ながら山本霞む夕べかな  宗祇

 脇      行く水遠く梅匂ふ里    肖柏

第三  川風に一群(ひとむら)柳春見えて  宗長

 四      舟差す音もしるき明け方   宗祇

 五  月は猶(なほ)霧り渡る夜に残るらん 肖

 六      霜置く野原秋は暮れけり    宗長

 七  鳴く虫の心ともなく草枯れて   宗祇

 八      垣根を訪へば露(あら)はなる道 肖

長享ニ 年 (1488)正月二十二日
於・京都

宗祇(応永21年、1421)はこのころ六十八歳。
肖柏は嘉吉三年生まれ(1443)夢庵肖柏ともよばれる。46歳。
(夢庵。。。筑紫広門とおなじだ、広門のは法名だけど)
宗長1448年文安5年) - 1532年4月11日天文元年3月6日))は室町時代後期の連歌師。41歳。

どこでまいたのかな。みなせ宮?
しらべると、「応仁の乱の後の荒廃した京の都で作られた」。↓。
とてもくわしい。http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/minase2.html#a

かささぎの写した作品は『次世代の俳句と連句』大畑健治著(おうふう)所収のものです。

まいあさ写していた学長ブログ、お休みです。
心配です。

2015年2月19日 (木)

長すぎたのに、載せてくださった

長すぎたのに、載せてくださった
長すぎたのに、載せてくださった

2014年12月22日 (月)

東京昆虫記・中山宙虫と原田浩佑の俳句にあるリリシズム

第二回霏霏賞準賞

東京昆虫記  中山宙虫

標本となって夕凪ぐ街にいる

渋谷色の蛾が落ちているカフェテラス

神宮へ虫とり網が追って行く

ビル壁を蟻たちがゆく錦糸町

夏霧のなかに東京昆虫記

打水や路地で売られる割れせんべい

音のない機影送っている八月

とうきょうの虫籠きれぎれ鳴いている

立体交差のかげでこおろぎ胃を満たす

俯いても仰いでも秋御苑ゆく

(中山宙虫ブログ「おじさん日記」より転載)

▽かささぎの独り言

保健医療経営大学の学園祭・たかやな祭での連句興行のとき、谷口慎也先生にたずねられた。
なかやまそらんさんはどこの所属ですか。
ええっと、たしかあれは『麦』でしたよ。
とこたえたが、しまった。ヒヒにも所属してたんだ。
と、まず、これをみておもった。
つぎに、連作として最高によいできだな。と感じる。

連作は正岡子規の短歌に始まる。
ちょうどいまよんでいる、島木赤彦の文章にある。
おなじテーマのをよむことで、重層的な効果をうむ。
また、それ一個としても鑑賞できる。


ふつうなら挙句におくだろう句をトップに据えた意外性。
地名がどれもきれいにきまってはっきりとした像をむすぶ。
三句目虫取り網、六句目割れせんべい、九句目のこおろぎの胃袋。
このリアルさが全体を内側から支える核となっている。

時節柄川柳家なら代々木公園をだしたいだろな。ということも考え、デングにも蚊にもいっさい手をださなかったことが俳人の志だとかんじた。

啓蟄や手塚治虫はベレー帽  原田浩佑(20代)

 『青年よ!内燃せよ!』山田耕司の文章から引用(円錐63号)

かたつむり町の小さな映画館  原田浩佑

耳掻きは銀河に最も近きもの  原田浩佑
相槌の少し遅れる春の闇
大きめの靴で夏野を歩きけり
満月は象の受胎を告げに来る
ギター掻く第六弦は父である
暮秋とは二重まぶたのことですか

父の句、すきだ。

ふたえまぶた。
これ、ミヤザキー博多への高速バス・フェニックス号の車中でみた映画『横道世之助』の大学入学の冒頭場面を唐突に連想。
ひじょうにせつなく、秀逸だったから。

以上の原田浩佑作品は、味元昭次『円錐以前の原田浩佑君』(円錐63号)

耳鳴りをつららと分かちまどろみぬ  原田浩佑
陣痛のぶどう一粒転びけり         同

いじょうは、円錐63号作品『文鎮』より。

2014年11月 7日 (金)

地域医療構想策定ガイドライン(6)第2回検討会における主な意見

地域医療構想策定ガイドライン(6)

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先週末(10月31日)、第3回地域医療構想策定ガイドライン等に関する検討会が開催されました。
第2回検討会における主な意見は次のように整理されています。
<1.構想区域の設定の考え方について>
○平成24年の医療計画作成指針で示されながら2次医療圏の見直しを行わなかった県について、理由を分析した上で、本ガイドラインで見直しを行うよう記載することが必要ではないか。
○様々な圏域があると住民が混乱する。厚労省は今後、圏域を統合していくつもりか。
○総務省の定住自立圏構想の取組のように、市町村単位をベースとした区域設定の方が2次医療圏より良いのではないか。
○2次医療圏内で入院医療をまかなうという考え方がおかしいのではないか。
2次医療圏で、ある医療機能が足りないからといって、本当にダメかというとそうでもなく、隣の医療圏にその機能があって、それをうまく活用できているということもあるのではないか。
○そうはいっても、2次医療圏に代わるものもないので、2次医療圏を原則とすることはやむを得ないのではないか。
○2次医療圏を中心に考えるということであれば、今の2次医療圏の患者流出入の計算式では役に立たないと思う。今後、病床を機能別に分けていくのであるから、流出入についても、病床機能別で出すべき。例えば、急性期は流出しているが、慢性期は流入しているということもある。
○前回の2次医療圏を見直す際に、2次医療圏ごとに協力・協調しなさいという指示を厚労省から都道府県に出しているはずだが、現実にはうまくいっていないと思う。原因は、そこに行政区域というのがあるからだと思う。
解決のためには、データをきちんと示していく必要がある。どういう病態の患者どこへ移動しているのか、きめ細かなデータが是非欲しい。
○2次医療圏は病床規制の単位でもある。構想区域が2次医療圏とずれた場合に、基準病床数と病床の必要量との関係はどう整合させるのか。
○必要量は2025年の推計であるから、基準病床数とは別という説明は理解しにくい。2次医療圏と基準病床数と必要量とはしっかり関係する。ある医療機関が増床又は新規開設するときに、構想区域と2次医療圏がずれていると、一方の2次医療圏ではオーバーベッドだが、片方はアンダーベッドだということがあり得る。この関係をどのように整理整頓するのかをきちんと説明しないといけない。
○平成30年度からの第7次医療計画では、2次医療圏を構想区域にあわせろということか。第7次医療計画においては2次医療圏を構想区域に合わせるようメッセージを出すべきではないか。
○総合確保区域、構想区域、2次医療圏と圏域がいくつもあるので、言葉を正確に使って、議論を進めていただきたい。
○県に任せていると、県庁所在地にインフラ等が集まりがちになる。
○尾張中部医療圏は、公的病院がほぼなくて、民間医療機関が中心でやっている。流出入は大きいが、介護との連携もよく、うまくいっている医療圏であると聞いている。

○介護施設との連携の視点も持って、構想区域を設定すべきではないか。
○病院は、特に田舎では、今後増えない。だから、どこにどの病院があるのか決定している。介護も、居宅サービスは増えるかもしれないが、施設は増えない。そうすると、県のレベルでは、この病院はここに入れようと考えて、区域を設定することができる。医療介護総合確保区域であるのだから、2次医療圏とは合わせないと意味が無い。都道府県は、基本的に、全部2次医療圏と合わせていくということを当たり前とすべき。
○構想区域を定める際に勘案すべきとされている①から④の要素について、そのデータや勘案の方法を示してほしい。
<2.2025年の医療需要と各医療機能の病床の必要量の推計方法について>
○本資料は、3年前の推計であると、ひとり歩きしないように明確に言っていただきたい。
○一体改革の推計の問題点は、まず、全国一律の入院受療率と外来受療率を用いていること。次に、「DPC及びDPC準備病院を急性期の代表と仮定」というのが重大な問題。我が国の急性期医療がDPCでいくのだといつ、どこで決まったのか。それから、改革シナリオで、平均在院日数を2-3割短縮と書いてあるが、平均在院日数を短縮することが改革なのか。平均在院日数の短縮はもう限界を通り越していると思っている。平均在院日数を短縮することが改革だという間違った風潮は是非直していただきたい。
○一般急性期の平均在院日数を3割短縮する根拠も分からない。実際に、現場では、平均在院日数の短縮はかなり限界に来ていて、逆に、高齢者が増えるとともに平均在院日数が延びている。これから伸びる可能性があるのに、短縮するというのは、3年前の考え方は過去のものにしないといけないのではないか。DPCデータを用いて高齢者の本当の平均在院日数の現状を出していただきたい。
○現在の医療提供体制は絶妙なバランスで限られた医療資源で見事に医療を提供しているところがほとんど。一体改革の推計方法を用いて、全国の医療機関の全部をこの算定式で改革しなければならないのだと聞こえる。
○23年の一体改革の推計の時とは時代が非常に大きく変わっている。今は、ある程度、各地域で医療体制は保たれているが、財政審議会等では、医療費がこのまま上がっていったら、どうしようもないだろうと言われており、財務省からのプレッシャーもあって、効率化を図らなければならないというのがベースにあるのだろうと思う。患者に迷惑がかからなければ、効率化にも協力するが、23年とは事情が違っている。もう少しフレキシブルに考えていただけたらと思う。
○また、今回の診療報酬改定で、DPC病院は全てデータを出せとなったが、これは、保険局、医政局、厚労省どこの意見か。また、レセプト(NDB)を用いても、慢性期は包括算定のため、細かいデータは出てこない。どのようなデータを取るべきか、厚労省内で整理をしてほしい。
○新しいデータを使うのは良いが、使い方は今後議論が必要。
○一体改革推計は、急性期の平均在院日数が9日というのに皆、反発したが、平均在院日数の短縮という効率化と、医療従事者数を増加させるという充実がセットであった。医療従事者は1.6倍にする、高度急性期は2倍にすると書いてあった。こういう全体像を見せていただき、もうちょっと考えていくべきだと思う。
○一体改革推計で医療従事者増加が書かれていることは承知しているが、あれは現実的な人員配置ではないではないか。そういうことも含めて言っている。一体改革の資料の再提出は不要。
○推計の考え方が、医療提供者寄りであるように見える。市町村には介護保険のデータがあって、要介護度なども分かる。医療サービス利用者側のデータの活用に留意すべきでないか。
○一体改革推計で、高度急性期・急性期の病床稼働率70%は低く見積もり過ぎではないか。
○一体改革の改革シナリオのポイントは2つあって、1つは、急性期医療を確立すること、もう1つは居住系を中心とした在宅ケアを拡充すること、この両方をやっていこうということ。それから、急性期について、在院日数を短縮するが、従来では医療費適正化という路線だったと思うが、ここでは、むしろ、診療単価が上がったり、在宅ケアが拡充されて、全体としてのコストは上がるということだった。
○色々とご意見はあると思うが、改革シナリオというのはそれなりに合理性があると思うので、これをベースに議論することは賛成である。ただし、一体改革の推計については、ほとんど国民には知られていない。生活に関わる重要な問題であり、国民への説明をしっかり分かりやすくして、知ってもらうことも大切だ。
○一体改革推計をする基本的なモデルとしては、これをまず重視して、ただ、本日のメンバーの意見にもあったように、パラメーターというか、将来どういう値になるかというのは、DPCデータやレセプトデータに基づいて実態把握をきちんとやると。そして、地域差の要因分析をきちんと行うという方向で良いのではないか。
将来の医療需要を、一体改革の推計の骨格と違う枠組みで計算するというのはなかなか想像ができない。ほかの方法がなかなか容易に見つからないのではないかと思う。
○DPCデータやレセプトデータから、地域別の受療率は求められる。そういうものをまず明らかにする。また地域差があるので、その要因をきちんと分析する。一体改革推計の時から少し年月が経っているので、その分、アップデートを重ねながら、今後の必要な病床数のあり方を意識しながら、改めるところは改める。こういう方向で良いのではないかと思う。
○一体改革推計は参考にして、資料4にある方向性に基づき必要量を推計していくという方向に賛成。一体改革推計がひとり歩きしないようにした方が良いとは思う。現状追認では改革は正直難しい。患者の病態に応じた病床できちんと医療が受けられるようにというのが改革の方向性であろうと思うので、データを見ながら議論するということでどうか。
○NDBでは、2次医療圏ごとのデータが限界。できれば市町村ごとに分析したい。レセプトに郵便番号を入れてほしい。
○在宅医療の推計方法が難しい。訪問看護では、NICU退院後の患者や障害者もたくさん診ている。一体改革の推計と現在のデータの乖離を示してほしい。
○歯科の入院患者は入っているか。歯科のデータもできれば別立てで示してほしい。
○訪問看護も歯科もNDBにデータが十分に入っておらず、推計は難しい。ぜひNDBにデータを提供するよう協力してほしい。
○町村の立場で申し上げると、医療従事者の確保が困難。ぜひ議論してほしい。

(保健医療経営大学 学長ブログ転載)

▽かささぎ日誌

谷口しんや先生に発句をおねがいします。とメールしたいのですが、どうもうまくいきません。

発句、わたしは景気の句がいいとおもいます。
けいきの句とは、叙景句のことで、連句では人情なしの句、場の句ともいいます。

谷口先生をおむかえするにあたり、いくらなんでも、「ようら」はいかんやろう。
とかささぎは神妙におもい、いまさらながらの連句辞典。
これは巻末に近世の連句作品と俳諧宗匠が紹介されているんです。

よんでいたら、発句には、叙景句が多い。

あら。

こんなんがあった。えらい字余りやん。森山光章もまっさお。

松ところどころ雑木林の雪間かな   鵜沢四丁
 鳴きそこなうて去にし鶯        鷹居

山本健吉のおとっつぁん、石橋忍月の句とどっちが本歌取りだろ。

梅ところどころ段々畑かな   忍月

ところで。
根津ろじょう、という宗匠に記憶がある。
東明雅先生の師であられる。

その人の恋句、すばらしい。

根もなき恋に名は朽ちしまま  芦杖

かささぎ、ずっと、根をかんがえている。

まぼろしのいのちも、そのことの一環。

2014年8月 5日 (火)

筑後市内の広告をみて連句の短句連想。

筑後市内

信号停止で撮った写真。

こんなところにパン屋さんができていたんだな。へえ。

かがし屋。文具屋さんか。へえ。

かがし。

連句的に連句の短句がうかんだ。

徹夜で火コ焚く冷害(けがし)の田んぼで  神田かこ

すごい名句と感動した記憶があります。
二十年ほど前の記憶だけど。

うーん。。。おなまえ、神田かこ、で正解かなあ。
神田うのはタレントだけどね。

2014年1月20日 (月)

明智光秀の実像を追って

明智光秀の実像を追って

「本能寺の変 431年目の真実」  明智憲三郎・著

明智光秀子孫の憲三郎氏が暮れに出された本。

ずっとこの人の本のことを気にかけながらも忘れていました。
数年前、連歌についての鶴崎裕雄先生の専門的でありながらも大勢に開かれた視点の、岩波「文芸」誌に書かれていた論文を転載したことがあり、そのなかの愛宕百韻のくだりにコメントをくださって、ご挨拶いただきました。
それでわたしも、記憶の中に石橋秀野の明智灯篭という随想がありましたので、それを転載することで、あいさつをお返しした次第。
地元にながく住んでいる百姓には、その地をおさめた殿さんのことが連綿と語り継がれていることを、このやりとりで直に知ることができました。

石橋秀野は、戦後の俳壇を完全掌握していた文芸評論家山本健吉の最初の妻で、在所は奈良、やまとくんなか。祖先の記憶をたどり、明智光秀の実像に触れている、優れたエッセイがあります。ここで読めます。

「明智燈籠」:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-0a40.html

引用:

明智燈籠といふのは、惟任日向守光秀を供養する高燈籠のことである。老人の話では光秀は百姓を愛すること強くそのためどの位このあたりの在所は恩恵をかうむつたか分らない。近畿の要地でありながら天産に乏しく恐らく奈良の都をのぞいては平和のなかつた地である。飢饉と過酷な年貢になれて来た。歴史に暗い私はこの地が光秀の所領であつたのかどうかさへ調べてゐない。多分彼が領してゐた日のあつたものであらう。祖母等の言によると光秀は武運つたなく秀吉に亡されてしまつた。信長は仏敵故非業の最後は当然だが、光秀はんこそは前世の約束とでも云ふべきで、いたはしい限りである。その霊魂を慰め、嘗て施された恩義を忘れないため盆の間燈火を捧げるのだと云ふ。女大学しか読まない祖母は彼女の幼時聞かされた通り私達にそれを伝へる。太功記十段目を好んだ彼女は同時に光秀を愛することに変りなかつた。それは彼女の命の中にしみこんでゐることであつた。人情こまやかで内にこもる光秀と、当時としては珍しいスケールの情熱家の信長が相反目し殺し合ふことに少しの不思議もない。私は長じて好きな英雄は信長である。世々連綿とさゝやかな燈籠を捧げられる光秀もなつかしいが、敢てとむらはれない信長も潔い。」(文章・石橋秀野)



官兵衛が始まるというんで、ふっと思い出したら、本が出たばかりでした。
「アヴェ・マリアのヴァイオリン」を求めにいったとき、目に飛び込んできた。

同名の本が最初に出たのはプレジデント社から、2009年だそうです。
そこへさらに4年間の研究をあわせて加筆したのがこの文芸社文庫版。
2013年12月15日初版第一刷、12月30日第2刷。

大河ドラマと連動して読まれるに違いない。

歴史は、常に過去も未来もうごめいている。

2013年12月29日 (日)

愛宕百韻のおもて6句目は秋だとおもう。

愛宕百韻

(以下はすべて「本能寺研究室」からの引用記事です。)

愛宕百韻 於:愛宕山威徳院                  
時:天正十年五月二十四日              
(『信長公記』には二十八日とあるが誤り。)

参考資料/島津忠夫校注【日本古典集成】33「連歌集」新潮社刊 

〔初表〕

001 ときは今天が下しる五月哉 光秀

002 水上まさる庭の夏山 行祐

003 花落つる池の流れをせきとめて 紹巴

004  風に霞を吹き送るくれ   宥源

005  春も猶鐘のひびきや冴えぬらん   昌叱

006  かたしく袖は有明の霜       心前

007  うらがれになりぬる草の枕して   兼如

008  聞きなれにたる野辺の松虫     行澄


〔初裏〕

009秋は只涼しき方に行きかへり 行祐

010 尾上の朝け夕ぐれの空 光秀

011立ちつづく松の梢やふかからん 宥源 

012 波のまがひの入海の里 紹巴      

013漕ぎかへる蜑の小舟の跡遠み 心前 

014  隔たりぬるも友千鳥啼く   昌叱

015  しばし只嵐の音もしづまりて 兼如

016  ただよふ雲はいづちなるらん 行祐 

017月は秋秋はもなかの夜はの月 光秀 018それとばかりの声ほのかなり  宥源

019たたく戸の答へ程ふる袖の露  紹巴

020  我よりさきにたれちぎるらん 心前

021いとけなきけはひならぬは妬まれて 
                       昌叱

022  といひかくいひそむくくるしさ 兼如


〔二表〕

  023  度々の化の情はなにかせん 行祐

024 たのみがたきは猶後の親 紹巴                  

025  泊瀬路やおもはぬ方にいざなわれ
                     心前
 

026 深く尋ぬる山ほととぎす 光秀

027谷の戸に草の庵をしめ置きて 宥源

028  薪も水も絶えやらぬ陰   昌叱

029松が枝の朽ちそひにたる岩伝い 兼如

030 あらためかこふ奥の古寺  心前

031 春日野やあたりも広き道にして 紹巴

032  うらめづらしき衣手の月 行祐

033葛のはのみだるる露や玉ならん 光秀 

034 たわわになびくいと萩の色 紹巴

035 秋風もしらぬ夕やぬる胡蝶  昌叱

036  みぎりも深く霧をこめたる  兼如


〔二裏〕

037呉竹の泡雪ながら片よりて 紹巴

038  岩ねをひたす波の薄氷   昌叱

039鴛鴨や下りゐて羽をかはすらん 心前

040みだれふしたる菖蒲菅原 光秀

041山風の吹きそふ音はたえやらで 紹巴 

042  とぢはてにたる住ゐ寂しも 宥源

043 とふ人もくれぬるままに立ちかへり 
                       兼如

044 心のうちに合ふやうらなひ 紹巴

045 はかなきも頼みかけたる夢語り 昌叱  

046 おもひに永き夜は明石がた 光秀 

047  舟は只月にぞ浮かぶ波の上  宥源 

048  所々にちる柳陰          心前

049 秋の色を花の春迄移しきて 光秀 

050  山は水無瀬の霞たつくれ  昌叱


〔三表〕

051下解くる雪の雫の音すなり     心前

052  猶も折りたく柴の屋の内    兼如

053しほれしを重ね侘びたる小夜衣 紹巴
054 おもひなれたる妻もへだつる 光秀 

055 浅からぬ文の数々よみぬらし 行祐

056  とけるも法は聞きうるにこそ 昌叱

057賢きは時を待ちつつ出づる世に 兼如

058 心ありけり釣のいとなみ 光秀

059行く行くも浜辺づたひの霧晴れて 宥源

060 一筋白し月の川水 紹巴

061紅葉ばを分くる龍田の峰颪   昌叱

062  夕さびしき小雄鹿の声    心前

063里遠き庵も哀に住み馴れて 紹巴

064  捨てしうき身もほだしこそあれ 行祐


〔三裏〕

065みどり子の生い立つ末を思ひやり 心前

066  猶永かれの命ならずや    昌叱

067  契り只かけつつ酌める盃に 宥源

068わかれてこそはあふ 紹巴

069旅なるをけふはあすはの神もしれ 光秀

070ひとりながむる浅茅生の月   兼如

071 爰かしこ流るる水の冷やかに 行祐

072  秋の螢やくれいそぐらん  心前

073 急雨の跡よりも猶霧降りて 紹巴

074  露はらひつつ人のかへるさ  宥源

075宿とする木陰も花の散り尽くし   昌叱

076 山より山にうつる鶯 紹巴

077 朝霞薄きがうへに重なりて 光秀

         (※本来ならここに春の短句があるべきところ。かささぎ注)


〔名残表〕

078出でぬれど波風かはるとまり船 兼如

079  めぐる時雨の遠き浦々  昌叱

080むら蘆の葉隠れ寒き入日影  心前

081たちさはぎては鴫の羽がき 光秀

082行く人もあらぬ田の面の秋過ぎて 紹巴

083  かたぶくままの笘茨の露   宥源

084月みつつうちもやあかす麻衣  昌叱

085寝もせぬ袖のよはの休らい 行祐

086しづまらば更けてこんとの契りにて光秀

087  あまたの門を中の通ひ路   兼如

088埋みつる竹はかけ樋の水の音 紹巴

089  石間の苔はいづくなるらん  心前

090  みず垣は千代も経ぬべきとばかりに 

 行祐

091  翁さびたる袖の白木綿   昌叱


〔名残裏〕

092明くる迄霜よの神楽さやかにて 兼如

093 とりどりにしもうたふ声添ふ 紹巴

094はるばると里の前田の植ゑわたし

                 宥源

095 縄手の行衛ただちとはしれ 光秀 

096  いさむればいさむるままの馬の上 

                昌叱         

097  うちみえつつもつるる伴ひ 行祐

098  色も香も酔をすすむる花の本 心前

099 国々は猶のどかなるころ   光慶

続きを読む "愛宕百韻のおもて6句目は秋だとおもう。" »

2013年12月25日 (水)

働く切手10

働く切手10

春の日のかすがのほとけたちさわぐ

とよめる画讃。いい句だけど、だれのかな?
久留米の従姉のうちで。

働く切手10

ポケモン、のなかのピカチュー。と名前はすぐしれたけど、。
これをいつのどの切手かと同定するのは至難のわざ。

まず、平成17年のものを探してきたが、この中にない。http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2005/h170623_t.html
つぎに、2011の日本国際切手年のなかを探したが、似ているけど違う。
http://www.cinematoday.jp/page/N0028760

あったあった。これだわ!

http://livedoor.blogimg.jp/tomoti0817/imgs/5/9/5950ff43.jpg

ん?けっきょく、何だったのかな。わからん。

だけど、思わぬところで思わぬヒロイモノをした。

また、あけちみつひでにぶつかってしもうた。

なんなんだろうねえ、これは。

http://ameblo.jp/yorosikurairai/entry-10778201136.html#cbox

でも、おもしろいね!☟「光秀と信長」(偶然であった!

http://www.asahi-net.or.jp/~bh3h-smjy/zuiso/d251.htm

2013年10月 6日 (日)

歌仙『海の底』の巻   捌・沢 都

亜の会歌仙

『海の底』の巻

  ー 天 真実句集『光』上梓祝筵ー

          捌・沢  都

海の底今なお呻くさとうきび       天 真実
  鳥の渡りへ響く鐘の音        沢  都
月まどかかすかに桔梗揺らぎいて   天野おとめ
  置き忘れたる友の自転車       姫野恭子
鍵かけぬ村の戸口のひろびろと    鍬塚聰子
  消し炭の香で朝をはじめる     貞永まこと

振りむけば雪より白き尾のありて   前田圭衛子
  境界線にあたる坂道         都
今宵逢う心ふたつが羽ばたきぬ    真実
  あやしきまでの水の色文字     恭子
純潔など今さらですとしづ子詠み    聰子
  麦藁帽の牧師先生          おとめ
百名山岸壁を噛む暑い月        まこと
  祝いの酒はゆるりゆるりと      小梅 わこ
審判にボークとられてしまうとは    恭子
  ワゴンに並ぶ経済効果        都
花万朶そのひとひらを受けし地球   聰子
  なむあみだぶつ蛙生まるる     おとめ

名残表

永き日になくしたはずの高音階     まこと
  芸亭(うんてい)という最古図書館  恭子
踏切のむこうは風が吹いている     都
  しずかなる時冬もきれいね     わこ
乾鮭を魔除けのごとく吊り下げて   おとめ
  いつも難癖つけてくる父       恭子
一目見て足裏(あうら)に走る微電流  まこと
  急流抜けて追いかけて来よ     圭衛子
さよならのかけらも全て埋めたる   おとめ
  世田谷公園猫のたまり場      聰子
月光に銀杏降る夜の更けてゆく    恭子
  そぞろに寒き網棚の下        都

名残裏

遠近の虫の声澄む旅の宿        聰子
  はじめて混ぜた絵の具いろいろ   わこ
仲買いは河岸をななめに飛ぶそうな  まこと
  浄き名水校庭に湧く          真実
さく花もちる花も花新世紀        おとめ
  夢の中まで駆ける春雷        執筆

文音

平成12年9月24日起首
同年11月15日満尾

▼留書

蛙生まるる

     文章・沢 都

沖縄のハイビスカスは泡になる
学校へ戻る日泣いたあまがえる
俺だって参加したいぜひな祭り
折鶴が羽ばたいて行く春の空
河童色子ども遊べり水溜まり

   天 真実(てんまこと)句集『光』より

「答えは探し求めるものではない。創り出すものだ。」
刺繍糸できっちりと綴じられたその句集を手にしたとき、あるジャズマンのそんな言葉が頭をよぎった。八女和紙を使った表紙を飾る写真もすべてが手作りである。
それは一見、経本のようにしずかに息づいていた。
作者の天真実と出会ったのは、彼がまだ十二歳の頃のことである。形のよい大きな頭に似合った丸い瞳を持つ少年は、ときどき突拍子もないことをやってしまう。周囲の大人達はそれに振り回され、母親であるおとめさんの胃は痛み続けてきた。騒動の結果として「真実」だけが浮き上がってくる。不思議なことにいつもそうであった。
常識という言葉に隠され、大人達がたやすく忘れてしまった「真実」を彼は何食わぬ顔でやってしまう。天真実にとって、それはただ当たり前のこと些細なことなのである。
無邪気にスイングしているかのように七十一の句が並ぶ。
虚栄も偽りもないからだろうか。句が軽やかに動きだす。
自分に向かうことが苦しくてたまらなかった私の目の前で、十八歳の彼はいとも簡単に自分の答えを創り出したのである。またもや私は、天真実にやられてしまった。
十八になった蛙はこの春、大海に乗り出す。大海を知って蛙は今度何に変身するのだろう。私などに予測ができるはずはないのである。

落雷や仏は驚く我走る      天 真実

連句誌「れぎおん」32号2001年1月発行より引用
編集発行・前田圭衛子(甲子園網引町在住時代)
表紙・墨作二郎
印刷・㈱アドバンス

▼かささぎメモ

かささぎはがさつな鳥で、まだだれにも沢都の訃報を知らせていない。
きっとあとで恨まれる、ほとけのみやこさんにも悪い。とは思うものの。
携帯なくすこといくたび、登録アドレスを消失、できなかったのである。

れぎおんの歌仙から作品をと押入れをあけると、これがちょうどいい具合に落ちてきた。

恭子さん、これを紹介してね。と言っているようで、迷わず転載を決めた。
まことくんが18歳とあるから、今から13年前の作品になる。

四日の葬儀では高倉優子(八女市児童相談室長、俳号・天野おとめ、天真実の母)が弔辞をあげてくれた。

ここでもかささぎは、お花も忘れておったし、かんじんの弔辞は、とうとうなんにもいえず。

ーあのときもそうだった。

ぼんぼり祭り連句興行を催したとき。

開催にこぎつけるまでの諸事。
終わってからの記録誌の編集発行(右カテゴリーにスイッチ)、気の回らぬかささぎを都さんとおとめさんが万事補ってくれたなあ。

司会・天野おとめ、開会のことば・天真実、神戸からみえた前田圭衛子先生が俳諧の連歌こと連句についての紹介をなさり、当時の野田国義八女市長が立派な祝辞をくださった。

晴れがましい、素晴らしい記憶!
みやこさん。
もう一度やりたかったよ。

おとめさんの弔辞はみごとで簡潔、こころによく響いた。
みやこさんではなく、さわちゃんと呼びかけていたなあ。
出会ったとき、みやこさんは都さんでなくおとめさんはまだおとめさんではなかったものね。
私たちは澤田さんを介して澤田さんちで出会った。
あの頃、こどものことでなやむ専業主婦であった。
大分の俳句誌「樹(たちき)」(瀧春樹主宰)で俳句を学び、神戸の前田先生の「れぎおん」で連句を学んでいた私は、彼女たちも引っ張り込んだ。連句は一人ではできないから。
俳号をつけたときのことを鮮明に覚えている。
沢都は、澤田都紀子の姓名から本人が一字ずつを採ったのだが、タカラヅカみたいな名だったねと顔をクシャクシャにして笑っていた。
天野おとめ天真実親子は浮世離れしている俳号だが、ほんとにピッタリなので、まこと、号は天があたえたもうものなのだ。
夏には合宿をしたり、家族ぐるみの俳諧であった。
おとめさんの弔辞をききながら、原点を思い出した。

おしまいがはじめに続く今朝の秋  沢 都

数珠玉や掌にある風の跡   澤田都紀子

▼さらにさらに追い書き

今朝の朝刊の読書欄に、川上昌裕という音楽家と全盲のピアニスト辻井伸行のものがたりを書いた「辻井伸行 奇跡の音色」(神原一光・著)という本の紹介があります。辻井伸行くんのすごさはテレビでスマップの中居くんなどの紹介でおおっ!とひれ伏すほどにわかりましたが、その影にこの人のちからがあったことは、はじめて知りました。

川上さんの言葉。

生徒の才能は、最初「何か変だな」と感じさせるものがほとんどだという。
(聞き手:西日本新聞土屋孝浩)

何か変だな。

そういえば。


天真実。
かれも何か変、どころか、うんと変でした。

この字は読めないはずなのに、なぜ読めるの?
というようなことが何度もあった。
知的障害者というけど、その頭のなかはものすごく精妙で、川上さん風にいえば、まだ伸びしろが大きくあるように思える。

みやこさんもとっていますが。

落雷や仏は驚く我走る      天 真実

これは、まことくんにしか書けない。
爆笑したあと、なんで笑うんだろう?と自問せねばおかなくなる句。
古きよき日本人の原型がある。
したり顔の批評をチャラにする一句。

 

 

2013年3月28日 (木)

幻の命(3)  各宗教における妊娠中絶

保健医療経営大学学長

橋爪章

2013 年 3 月 28 日 幻の命(3)

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人工妊娠中絶に臨む姿勢は宗教観に左右されます。
カトリック教会は、胎児は受胎の瞬間から生命であり、その生存する権利を侵すことはできないとする立場をとっています。
カトリック国の中には、人工妊娠中絶に殺人罪を適用する国もあります。
教会法には人工妊娠中絶を行う医療従事者の破門処分が明記されています。
カトリック系の上智大学では1991年に国際生命尊重会議が実施され、胎児の人権宣言が宣言されています。
プロテスタント教会は、人工妊娠中絶を殺人罪とみなす保守的な会派(福音主義神学、根本主義神学等)と、中絶を容認する会派(自由主義神学、フェミニスト神学等)とに分かれています。
ユダヤ教では、胎児は頭部形成の時点で人間となるとの解釈から、妊娠初期の中絶については女性の選択肢として容認されています。
イスラム教では、人間の過剰増加は神の意思に反するとの解釈もあり、母体の生命を救うための処置としては容認されています。
仏教では、人工妊娠中絶も殺生とみなされますが、動機に問題がなければ容認されます。
生命は輪廻の中の位置づけなので、やむを得ず中絶された生命も輪廻に組み込まれるという意味でこの世に生を受けた生命と同じです。
ヒンズー教は、インドの人口爆発問題が背景にある可能性がありますが、中絶を容認しています。
アジア諸国に多くみられる民間信仰では、胎児期・乳幼児期は人間界と神の住む世界との中間に漂う存在とされ、胎児や乳幼児の死そのものに寛容です。
日本では、人工妊娠中絶にとどまらず、生まれた子の「間引き」さえ行われていた時代がありました。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

▼かささぎの一人ごと

きのう、残業前の最後の休み時間に、つまり午後六時頃、アクセスを開くと、おお。
重たい話題が展開していました。
すっかり心奪われ追いかけてしまっているうち、ブックマークすら忘れはて。

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A6%8A%E5%A8%A0%E4%B8%AD%E6%9C%9F%E3%81%AE%E4%B8%AD%E7%B5%B6&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

かささぎ小説にもおいでくださったようで、ありがとうございます。

中絶を奨励していると感じた方もいらしたようです。

そうではありません。

吐き出さねばおれないくらい、重かった。ということ。

知らず負うている罪がたくさんこの世にはあります。

そもそも罪とは何。

生まれては困る場合が圧倒的に多かったりします。
それをおもうと、わからなくなる。

お医者さんたちは、どう、この気持ちに決着をつけられるんだろうか。

といつも考えてしまいます。産科医の先生方は。
なんどやっても、普通に気が重いに違いない。

一つ気づかされた。こないだの深夜の一時急増。
やはり誰かが号令かけているとかとは違う次元っぽい。

それならばすごいことだねえ。きれいに揃う足。

宙に浮くうきふね。

今朝の「幻の命」検索

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B9%BB%E3%81%AE%E5%91%BD&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

思考の部屋の間引きの話がベスト10上位に浮上してきました。
ブログ主の信濃大門さんも学長と同い年、このお方も学長とおなじくらい独特です。

(いったい何をなさっている方なんでしょう。)

http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/bcfe321e547130dcc205ff09904009b7

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