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2009年11月 5日 (木)

政権交代と医療(54)  乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

新政権下での国会論戦が始まりました。

閣僚が具体的な質問へ答弁します。

国会は「国権の最高機関」(日本国憲法第41条)ですので、国会答弁には重みがあります。

そのため、一字一句を間違いなく記録する速記職員も配置されています。

答弁したことを、後になって、「あの答弁は間違いでした」とうやむやにすることは許されません。

答弁ひとつで市場が動いたり、企業が計画を変更したりします。

国会質疑で自殺者が出たこともありました。

答弁してしまったことは、国権の最高機関における閣僚の発言として永久に記録され、取り消しはできません。

国会答弁を官僚たちが徹夜で作成していたゆえんです。

長妻厚生労働大臣は、11月2日の衆院予算委員会で、段階的に後期高齢者医療制度を廃止する方針を明らかにしました。

制度廃止はマニフェストに記載してあり、段階的廃止の方針も大臣記者会見等で旧聞ですが、国会答弁として記録されたことにより、正規の方針であることが確定しました。

国会答弁では、後期高齢者医療制度の問題点を改善するとして、たとえば次の事項が述べられています。

○75歳以上の人を原則、「被保険者資格証明書」の交付対象としないこと

○自治体による健康診断の対象にすること

被保険者資格証明書というのは、特別な理由がないのに保険料を1年間以上滞納している人に対して保険者証の代わりに交付されるものです。

保険者証と違い、診察を受けたときには診療費の全額を病院窓口で支払い、後日、滞納している保険料を納めてから、保険支払い分の払い戻しを受けます。

健康保険は、病気とは縁が薄い時に保険料を納める社会保障の仕組みです。

保険料を納めようが納めまいが保険診療が受けられるのであれば、保険料を正直に納めている圧倒的多数の人が馬鹿を見てしまいます。

病気になった時だけ保険料を納める、という人が増えれば制度維持が困難なのですが、現実問題、滞納者であっても高額支払いを理由として必要な医療からシャットアウトさせるわけにはいきません。

被保険者資格証明書の交付は、そのような滞納者救済の苦肉の策として行われているものです。

「被保険者資格証明書」の交付対象としない、と答弁してしまった以上、大臣はこれに代わる名案を出さなければ、保険料滞納者が増えて、廃止するまでもなく制度が崩壊してしまいます。

「学長のひとりごと」11月5日 木曜日

コメント

皆様、大変ご無沙汰しております。

黒木では大変お世話になりました。<(_ _))>
そして先週も懲りずに(笑)、東京の「俳諧みなと座」に出席させて頂きました。
当初、句の世界に興味本位で触れるだけ。。
とも思っていたのですが、どうやら少しずつ深みに入りそうな気配がしています。改めて貴重な出会いを頂きありがとうございました。

ところで、かささぎさんからのご連絡でこちらに久しぶりに訪れたのですが。。。なんと、とても政治色の濃いものになっていて、どこにコメント入れてよいものやら。。少々迷いました。(笑

今の混沌とした世の中、自分を含め周りを見ても希望や期待、喪失感と虚無感が激しくぶつかり様々な感情が激しく入り乱れてますね。。ただ、表に出てくるのは大抵苛立ちと怒り。。。

今日はマルタに在住している方と会食したのですが、稼ぎは少ないが常に喜怒哀楽、明らかに現在の日本人の生み出している感情とは違い、より人間味のある生活を楽しんでいるようでした。

表現が難しいのですが、受け継がれてきた無常の寂びを感じ取れるようにしたいものです。

では、また訪れます。

2009年10月28日 (水)

ふうちげ(風狂)の仲間たち

ありあけ連句興行の三回目は開かれた場で巻きました。
人が自由にのぞいていけました。
じつはかささぎは強度の「つらつっこみ型にんげん」でありまして、人前にでるのが苦痛でありました。こどものときは赤面症でした。
年をとるのは有難いもので、中年の図太さが身についてきた今はかなり楽です。というか、
捌いていたら、そういうことはどこかへいってしまいます。連句をまくスピードのことばかり考えていたからかもしれません。はやくあげたかった。

俳句の総人口が十万人近いとすると連句は千人、超マイナーな世界。
その風狂な文芸に興味をもち、やってやろうじゃないのといってくださる人は、滅多におられません。

ですから。

あの日しばらくの時をわたしたちと分かち合い、強い印象をのこしていった和久光陰氏は、まごうことなき「ふうちげ」でありましたよねえ。
このかささぎめが名誉あるふうちげの烙印を押してさしあげまする。ぺたぺた
(風狂者、漢字ですとこう。)

これは最大のほめことば、芭蕉の夏炉冬扇におなじです。

乙四郎大学のとある先生の奥様でいらっしゃる三枝凛さまの登場も爽やかでした。
颯颯(さつさつ)とした一陣の風。そんな感じでございました。
入ってみえて、乙四郎学長に「かくかくしかじかの情景を句に仕立てたいのですが」とおっしゃいました。
名残おもての一句目がおわったばかりでした。
青い鳥が川にまいおりて、なにかを捕獲したらしく水紋ができていた、それをよみたいのです。と。
鳥の推測、まずは水辺の鳥ということで、鷺、それも青といわれるので青鷺(青みがかった灰色の大きな鷺)かとおもいましたが、ちがうとのこと、では翡翠だろうか。かわせみ。
時間がないとのことで、夏の短句の位置にそれを仕立て置き、去られました。
そんなふうにイメージが明確に形を結べば、連句への入り口は無数にひらかれます。
どうかまたおいでくださいませ。それにしても、超かっこいい俳号。さえぐさ・りん。
水紋つくる翡翠の嘴(はし)。格別の風韻がある毅然とした短句です。
一巻のなかでもっとも目をひく句、これが政権交代句のあとにおさまった不思議。

月の句をいただきました龍ハルさま。
ドラゴンであります、水神であります。
久留米や三潴に多い姓の一つが龍と笠ふたつの「りゅう」です。
きっと千歳川=筑後川にちなむ姓であろうかとおもうものです。
俳号におもいついたハルは、『2001年宇宙の旅』にでてくるコンピュータのなまえ。
春であり、カンダハル、ハルマゲドンなどのハル(何語よ)、原田(はるだ)など九州訛りの原のハルであります。
英語が得意でとっても流暢な英語を話されるとか、どうかまたおいでください。

匂いの花(名残折の花、挙句のひとつ前の)を出してくださった中島倶(とも)さま。
堂々とした風格の花、りっぱでございました。
そしてみんなにコサージュをわけてくださいました。
とても器用な方で、連衆の中ではもっとも裁縫が得意なぼんにもクラフトバッグを教えてくださってます。(紙の丈夫な紐を竹かわりにかごを編む。)
連句は手芸ともどこか通じるものがあると思います。
ひとり黙々の世界を時に抜け出し、どうぞ又おつきあいください。

挙句をだしてくださった、結城登さま。
山形出身で仙台在住でいらっしゃるのですね。
どちらも芭蕉のあしあとがぺたぺたついているところ。
山形は尾花沢の裕福な紅花商人・鈴木清風の家でわらじを脱ぎ歌仙をのこしています。

すずしさを我やどにしてねまる也  芭蕉*

仙台での芭蕉の足跡はhttp://www.bashouan.com/pjPhoto8.htm

この日、記念講演をなさった結城登美雄氏のふるさと山形では、おじいさんが村にのこる前句付け連句(農作業が一段落したころに行われた)で、

春が過ぎ(これが前句だったのでしょう)
夏の浴衣を縫う娘(とつけられたのでしょう)

とつけられ、拍手喝采をうけられた記憶を今も大事になさっていると話されました。
そこで、それをそのまま挙句にいただきました。
前句づけというのは、いまも連句協会報などで行われている連句の一形式です。

短句には長句をつけ、長句には短句をつけます。

仙台にはれぎおんでもおなじみの連句人、狩野康子さんがおられます。
(宮藤宮九郎のおばさんだそうです)。とっても上手なかたです。

結城先生、機会がございましたら、今度は連句の座でお会いしましょう。

* この句について書いたれぎおんの文章がありました。:
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_6d1f.html

2009年10月25日 (日)

歌仙『籾殻山』

  歌仙 『籾殻山』

      姫野恭子 捌

放擲の籾殻山の大噴火           竹橋乙四郎
  一たきの灰のこる有明          姫野恭子
秋うららサーキュラスカート輝きて     山下整子
  リズムに合はせ口笛を吹く       青翠えめ
水のある村には村の昼時間        中山宙虫
  紙石鹸を透かし鬼灯(ほほづき)    東妙寺らん


逆縁の父は蚊さへも生かしをり        八山呆夢
  求人広告白き看板              整子
履歴書のアダムが笑ふ副都心         宙虫
  豆腐くづれる真夜中の餐            恭子
マティーニのオリーブ噛みて恋苦(にが)し  えめ
  仰ぐ額に初雪を知り             乙四郎
月凍てて少年ひとりを乗せたバス      澄たから
  電池の切れた携帯電話           呆夢
音のなき二十五階を彷徨(さすら)ひぬ    宙虫
  大聖堂にひかりあふれて          和久光陰
生き様のありて散り様花惜しむ        澄たから
  穴ぽつぽつと馬刀貝の浜          呆夢


名残表
かげろふに碧き瞳のバイカル湖        光陰
  新妻の新とれて久しき            恭子
夢語る細い鎖骨のいとほしき          らん
  大いなるもの麾(さしまね)く日々      整子
政権を変へて迎ふる世を眺め         呆夢
  水紋つくる翡翠の嘴(はし)         三枝 凛
どこまでが本当の嘘木下闇           たから
  工場の窓錆びついてをり           宙虫
間をとっていっせいに掃く人々よ        呆夢
  群舞で終はるインド映画は         たから
高原の雲間を迅(はし)る望の月        龍 ハル
  参勤道の草ももみぢに           宙虫


名残裏 
爽やかに刃物祭りの啖呵売り          えめ
  嬶いっぴき徒党は組まぬ         整子
減反に反旗唱へる農のあり          恭子
  たふとき皺に二日灸据ゆ         乙四郎
花吹雪おぼろに見ゆる由布の里       中島 倶
  夏も近づき浴衣縫ふころ          結城 登

平成21年10月25日 
保健医療経営大学中講義室3にて

客人(登場順)

和久光陰(わく・こういん)
三枝 凛 (さえぐさ・りん)
龍 ハル (りゅう・はる)
中島 倶 (なかしま・とも)
結城 登 (ゆうき・のぼる)

連衆

澄 たから  (すみ・たから)
青翠えめ   (せいすい・えめ)
竹橋乙四郎 (たけばし・おつしろう)
中山宙虫  (なかやま・そらん)
八山呆夢  (はちやま・ぼん)
東妙寺らん (とうみょうじ・らん)
山下整子  (やました・せいこ)

捌  姫野恭子

もみがらやま:http://yagu.jp/mainitikotukotu/2006/0323kirikaesi/index.html

サーキュラスカート:バイアス断ちの全円スカート。http://kw.allabout.co.jp/glossary/g_fashion/w006597.htm

翡翠(かわせみ):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%BB%E3%83%9F

大聖堂:ケルンの大聖堂が25階建てとのこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%B3%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82

刃物祭り
▼ 第三回ありあけ連句興行のリンク記事はこちらでございます。

2009年10月15日 (木)

みやま「食の祭典」とありあけ連句興行のご案内 

保健医療経営大学の広大なグランドでみやま市の食のおまつりがあります。

地元企業のタカ食品ー学校給食でのいちごジャムで有名です。かつてイチゴ農家だったわが家でもその昔シーズンになるとここへジャム用の豊の香いちごを出荷していました。ゆえにとーってもなつかしいーのジャムづくり体験とか、マルヱ醤油の味噌づくり体験とか、瀬高でもっとも名高い高菜漬けをつかった料理ですとか、このブログでもいつぞや出てきた「いげのはまんじゅう」作り、みかん狩り体験、うどん打ち体験、そしてみやまの味の「てんこもりバイキング」などなど盛り沢山です。
どうぞご家族そろってピクニック気分でお出かけくださいませ。
なお、たべたあとはからだを整えるフィットネスクラブも大学のジムに一日限りのオープン。
さすが保健医療経営大学ですね。
写真のポスターはクリックで大きくなります。(鮮明でなくてごめんなさい)。

※体験メニュー(うどん打ち・みやまてんこ盛りバイキング・こんにゃくづくり・、みそづくり・ジャムづくり・みかん狩り)は、予約受付中でございます。
第一回みやま「食の祭典」実行委員会事務局:
0944-64-1504 (みやま市役所企画調整課)

さて当日は大学祭も催されますが、連句会亜の会では教室をお借りして第三回ありあけ連句興行を催させていただきます。(連衆のなかに同大学の理事長と生徒がふたりいることの縁に深く感謝いたします。)

室町の雅(みやび)への誘(いざな)い - 連句興行

連句とは俳諧の伝統的な一形式(俳諧連歌)です。和歌の連歌から分岐して遊戯性を高めた集団文芸で、五七五の句の後に七七の句を交互に付けていきます。古来からの「式目」(ルール)に従って句を付けてゆくところに知的な遊戯性があり、連句の醍醐味となっています。
室町時代の山崎宗鑑(1465-1553)、荒木田守武(1473-1549)が俳諧の祖です。荒木田守武は伊勢内宮の長官でもあったことから、俳諧は伊勢のセレブの嗜みでした。九州では戦国武将の橋爪鑑実(1535-1588)が1571年に俳諧興行を行った記録があります。松尾芭蕉(1644-1694)以降、冒頭の発句(五七五)のみを鑑賞するなど発句の独立性が高まり、俳句の源流となりました。
今回の連句興行は、筑後の連句結社「亜の会」が、式目の解説を加えながら、三十六句の「歌仙」を巻く予定です。見学に徹されてもよし、飛び入りで句を付けられてもよし、室町の雅の世界にどっぷりと浸かっていただきたく思います。

俳句や短歌や詩などがすきな方はぜひ覗いていかれませんか。
ことばを五七五と七七の韻律にのせ、自然の深い哲理にふれ、また人生の機微にふれ、ときに笑いながらときに苦吟しながら、どこをとっても「今現在」という巻物時間のやさしい流れに身をゆだねます。
ぜひあなたの一句をだしていただきたいと思います。
俳人のかた、川柳家のかた、歌人の方、詩人の方。
またちっともそういった文芸に関心も興味もない理系のあなた。
そういう人がじつは一番向いている。
どうぞどうぞ。きたれきたれ。笑
連句はたくさんのきまりがございますが、ちーっともむずかしくはありません。
たった一つです。
「前句のこころを受けて自分の句をつけ、前前句から転じる。」

これだけです。つけて、転じる。それだけのことであります。

※過去のありあけ連句興行の作品をつけておきます。(クリックで出ます)。

第一回http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-819c.html 

第二回http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-2.html

「31文字倉庫」の案内状、リンクしておきます。
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8c7d.html

「こんにゃくばかりのこる名月     芭蕉」

整骨院の先生がこんな話を患者さんとしておられた。
「ひいじいさんが骨継ぎの名人で、ずいぶん遠方からも尋ねて見えたらしい。
むかしは何も道具がなかったんで、いまで言うホットパックみたいなかんじで、こんにゃくをゆがいて熱くしたのを患部にあてがっていました。」
へーえ。
ってことは、この句はそういう付けだったんだ。
前句は、

「よもすがら尼の持病を押へける   野坡」

ついでのことに、炭俵のこの巻きからその句のあたりを拾ってみました。
本当にすばらしい。以下、初折裏1からの12句。

御頭へ菊もらはるゝめいわくさ  野坡 (秋・恋前)
 娘を堅う人にあはせぬ  芭蕉  (恋)
奈良がよひおなじつらなる細基手  野坡(恋離れ)
 ことしは雨のふらぬ六月  芭蕉 (夏)
預けたるみそとりにやる向河岸  野坡(雑)
 ひたといひ出すお袋の事  芭蕉 (雑)
終宵(夜もすがら)尼の持病を押へける  野坡(雑・釈教)
 こんにやくばかりのこる名月  芭蕉(秋・月)
はつ雁に乗懸下地敷て見る  野坡(秋)
 露を相手に居合ひとぬき  芭蕉(秋*)
町衆のつらりと酔て花の陰  野坡(春・しおりの花の座)
 門(かど)で押るゝ壬生の念仏  芭蕉(春)

おかしらへ菊もらわるるめいわくさ。
菊は実際の菊でありつつ、むすめごの名前でもあるわけで、ということは初折りに入ってすぐ恋前句を出しています。
それをうけた芭蕉の
「娘をかとう人にあわせぬ」ってにくいよこんちくしょうってな付句、ほんまに芭蕉は恋がお上手です。
背景がぜんぶみえるような。わずか七七音の句なのに。
つぎのやば句の
奈良がよい、「ほそもとで」は零細商人だとわかりますが、なんで奈良?
なじみの面々が奈良へ何かを売りに行く。
前句とあわせてよみますと、硬いおやじさんが丹精こめて育てた箱入り娘を、これとおぼしき仕事仲間の男にさりげなくあわせている様子がうかびます。

ほんっとに連句ってすごい文芸だなあ。
芭蕉ってすばらしい俳諧師だなあ。

*

露は本来秋の季語ですが、芭蕉さばきの座でいくつか露を軸にそれを春の露として転じている付け合いが見受けられます。秋と春の句のあいだに一句の雑句もはさまないで。

2009年9月13日 (日)

黒木の旭  歌仙『ときにヘレナは』

黒木の旭

亜の会歌仙  『ときにヘレナは』

    捌・前田 圭衛子

満月や黒木に平家物語           姫野恭子
   紅葉且つ散る矢部のせゝらぎ    前田圭衛子
秋惜しむ歩道橋より手を振りて       山下整子
   手柄話と柚餅子みやげに       東妙寺らん
さりげなく百歳になるめでたさよ      澄 たから
   遠く近くに息寒々と           調 うたまる

いづこより跳ねて来しやら雪兎       竹橋乙四郎
   見える見えないそこが狙ひ目     八山呆夢
まったりと重く背を押し添ひ遂げな        呆夢
   恋しかるらんむかし翁も           乙四郎
釣忍・・・愛の終りを告げてゐた       古賀音彦
   軍艦島に降る夏の霜             たから
錫杖の影落したり峡の道              うたまる
   病も酒の肴ともなり               たから
急げども辿りつけない夢なりし           呆夢
   おほみたからと百姓を呼ぶ          恭子
いつの世も布に包みし花の魂           うたまる
  つちふるもよし雨降るもよし          整子


ままごとの皿に糸遊・わらべ唄        青翠えめ
   猫の品格天下とるなり             らん
哀しきを畳む新聞紙のゆがみ           整子
   ときにヘレナは元気でゐるかい?      整子
共寝して地平かなたの的を射る          乙四郎
   君のぬくもりこの腕の中            えめ
流れゆくものの速さと数へ日と           恭子
   初鶏出づる伊勢の玉垣            呆夢
しんしんとうすむらさきに山明けて         恭子
   孫に教はる鉄道模型              えめ
東京の映画館(シネマ)で知ったペーパームーン  
                              丸山消挙
   裂(きれ)縫ふ夜は鳥渡るころ         たから


新ちぢり落つる音する寓居なり          呆夢
  万屋で買ふマイルドセブン           恭子
いつみても二分遅れの水時計          整子
  潮騒聞くや砂のはまぐり            うたまる
花ふゞきお国の為に散りぬるを          えめ
   親展とどくてふてふの里            らん
   
      

平成21年9月12日~13日
於・八女郡黒木町・グリーンピア八女
   研修室「蹴洞(けほぎ)の間」

捌: 前田圭衛子師(神戸市在住)

連衆:

調 うたまる
丸山消挙(投句)
古賀音彦
竹橋乙四郎
青翠えめ
澄 たから
東妙寺らん
八山呆夢
山下整子
姫野恭子

「楽しくて充実した山の二日間、有り難うございました。満尾しました『ときにヘレナは』の巻、加筆はほんの少し、・・・皆様の御力のたまもので実に素晴らしい歌仙一巻となりました(「兵六玉」を超えたかも)。心からなる感謝を捧げます。また会いましょう!」
       前田圭衛子    

2009年9月 9日 (水)

水神への接近  談話(えーどこが?)

pencilこんにちは。
句会の件で質問があります。
当日の為に、いくつか作っていくものですか?
それとも即興でその場で作るのですか?
流れの様子で作るのですよね?
今まで作っているものを引用するために持っていってもかまいませんか?
国語辞書や漢和辞典も必要でしょうか?
歳時記は用意しました^^tulipyachtmaplebottle

エメさん。
本当は流れに沿ってその場でつくるのがベストなんでしょうが、わたしたちは素人の域を出得ませんので、前もっていくつか句をつくっていくことをオススメします。
これを「孕み句」といいます。
575の句や、77の句。あるいはキーワードでもけっこうです。歳時記は不可欠ですが、国語辞典は自由です。あるいはお気に入りの小説でもいいかな?ことばをチョイスするために。これはけっこう助け舟をだしてくれます。
恋の句、たくさんつくっていきましょう。
わたしも、これから孕み句をつくるつもりです。

pencilseikoさんありがとうございます。
なかなかすぐには浮かばなくて、当日が心配ですが、、なるほど~、、小説ですか。
book今は寺山修司氏を読んでいますので、それを持っていこうかな。。ただし、湯船読書なので、かなり膨らんでおりますがspasweat01

slate東京日和>>好きな映画です。
叙情的でゆったりとした時の流れで、、。
アラーキー氏の名作だと思います。
竹中氏はこんな感じが普段に近いのではないでしょうか。そんな気がします。
美穂さんもいいですね。 
彼女出演>>岩井俊二監督の「Love Letter」は見られましたか?
こちらもなかなかいいですよshine

月の句を、と課題をだすときに、月そのものを詠んでくださいという一言を書き忘れてしまいました。
音彦さんの月の句をみていて、しまった!と思いました。
月々の引かれもの多し。という月句だったから。笑

これはこれですごい俳諧。
でも、月の座の句にはなれない。

えめさん。
ろいりさんもきてくださるとよかったんですが。
映画の話をもっとしたかったでしょう。こないだのオフ会のときに。そんな気がした。
マラソン大会が来月あるので、そうそう帰省もできないでしょうしね。
そのうち縁があれば連句へもきて下さるでしょう。

詩をかくとき、歌詞をかくとき、なにかひとつのことば、核になるもの、起爆剤としての、たくさんのイメージをわかせる、をみつけてきて、それを中心にふくらませていく。という書き方。普段からなにかを読んでいるときなどに、気になったことばを蔵っておく癖をつけるといいですよね。歌詞をかいたことはありませんが。むかし、杏子さんがなにかにそう書いていたのを立ち読みしたことがある。

sunおはようございます。
ろいりさんはお元気でしょうか。 マラソン頑張ってくださいmotorsports
今度は映画のお話をしていただきましょうね☆

bookなるほど、気になった言葉ですか。。
いいなと思ってもその場かぎりな場合が多かったです。反省。。
杏子さん>>土曜日のベストヒットサタデーはお気に入りです。 ヒロシ君もなかなかいい♪
10年ほど前に、杏子さん、山崎まさよしさん出演のFM公開ライブが当たって、見に行きました(ZEPP)
スガさんがいれば福耳だ~とか思いながら楽しみました。
杏子さんは、バリ!素敵なお姉さんでしたheart
ZEEPは舞台真下から並ぶので(立ち見)5列目だともうまん前です。
パワーがあってほんとにかっこよかったdiamondもち山崎さんも^^
先月の放送で、清志郎氏のことにふれてありましたが、聞いていて涙がでましたclover・・朝から関係ない話になってしまった・・すみません・・。

club↑ZEEPじゃなくてZEPPです。訂正sweat01

音彦句。傑作です。
笑っちゃいかんち思うばってん、爆笑した。

 ご無沙汰してますのでたまにはコメントを。
日曜朝刊の図書広告欄に帚木蓬生氏の『水神』という作品が出ていました。
江戸時代前期、筑後川の水利工事に貢献した五庄屋の物語とか。
この話は小学生の時に学校で何回か聞かされ、うろ覚えしていたものだと思うけど、御存じでしょうか。筑後川は日吉校の(そして篠山校や、たぶん金丸校でも)遠足の定番コースだったので、その時聞いたような気もするし。そして遠足の目的地だった「放水路」とはどの辺だったのか?郷土史には弱いけど、何となく気になっていた「五庄屋物語」について、以下のようなことだけ読んでみました。

ろいりさん、久しぶりですね。
仰せの通り金丸小でも、歓迎とお別れの遠足は必ず放水路でした。
うろおぼえですが、神社の横を通った記憶がありますので、JRの前の日吉神社かとおもいます。だから医大を過ぎたあたりの河川敷ではなかったかと思うのですが、小一年生でも歩けるでしょうか。かなりの距離なので、違っている可能性が高い。12回も行っているのに覚えていませんね。不思議です。

よみました。
高邁な精神です。
高邁な精神が庄屋さんに宿っていたというお話。
こういうはなしがあるのなら、やはり八女の吉田の中島庄屋さんの人柱伝説も実際にあったことなんだろうか?うたぐってもうしわけない。同郷人なのに。
今日連句の付け句で、こんなんだしました。

遠賀川から海までの距離  (雑・裏六句目)

前句は、
お隣の午後のピアノが鳴り始め

すると、句はすきだけど、意味がわからない。といわれました。わたしもなにがいいたいのかわからなかった。川から海までったって、川のどこらへんから?河口からとしたらすぐそこが海じゃろうが。
まあ、だけども、おんががわということばのひびきがとてもきれいで、その川の名をいれたかったわけで、意味はどうでもよかった。
山頭火が浮かんでいた。山頭火が遠賀川を通っていった日の天気とか季節とか。

その句は結局取ってもらえませんでしたが、ここに連句的に書くことができたので、いいか。
以上、ろいりーさん、投稿さんきゅ。
わすれてた。『砦に拠る』は借りてきて冒頭と巻末だけ目をとおして返却期限がきて返しました。方言がそのまんまに採録されていて、それがとても新鮮だった。じぶんたちが使っていることばとさほど変わらぬことばがそのまんま。ああ、堂々としたことばだなあ!と、感動した。

2009年8月 9日 (日)

小男鹿の得ざる妻  (八女戦国百首) 

「小男鹿の得ざる妻」

  竹橋乙四郎

橋爪鑑実がこんな歌を詠んでいます。

四十三     鹿     鑑実
さをしかの妻こふ野路の朝な/\
咲ける小萩の露こぼるらん

そして、鑑実はもう一度「萩」「露」を詠み、「秋風」で受けています。

四十五     露      鑑實
をく露は萩の上葉にとヽまらで
つれなく残る秋風のこゑ

「秋風」は33番から39番までひとつ飛びに吹いていました。

三十三  泉   宗房
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空
三十五  立龝    嵐竹
昨日までふくとも見えぬ秋風の
簾にさはる初秋の空
三十七    萩     覚元
ほのめかす軒端の萩を来てみれば
露うちなびく秋の初風
三十九   薄       鑑栄
花すヽき音信わたる秋風に
あだにやなびくゆふ暮の空

「萩」と「露」は、37番、41番、43番、45番と、これも奇数番で続いていました。

四十一   萩    鑑述
龝の野や千草の色にひきかへて
錦をかざす萩の白露

このように、八女天文百首には、いくつかの語彙の組み合わせの集中が見られます。
1番、2番、3番と、81番、82番、83番の6首もそうです。

一    立春      鑑述
君が代のためしにすめる千年川
かはらぬたねに春や立つらむ
二     子日        鑑教
さゝれ石の庭に小松を引き植ゑて
苔のむすまで友とこそ見め
三    霞         鑑實
朝夕に霞たなびく小松原
きみがちとせの春ぞ久しき
八十一  松   弘智
得てうへし松にならへる君が宿を
猶すみよしの神や守らぬ
八十二   竹    宗房
きみが代を久しかれとて植へをきし
たけの臺のかげ越しぞ思
八十三   苔    鑑栄
千代をかね松の下蔭苔むして
雨にいづれも色ぞまされる

「秋風」をリードした宗房という人物が気になります。
それなりの立場の人でなければ、後がこんなに続くことはないでしょう。
やんごとなき、遠来の客人ではないかと思います。
そして宗房の「秋風」を受けた「嵐竹」は随行の学識者ではないか。

四十六    槿(あさがほ)  嵐竹
あだなりと見しは残らじ槿は
世にはてしなき秋ごとの花
七十三  来不逢恋  嵐竹
とひきてもねぬときなれやくやしくて
おもひわすれじ庚申かな

他の人と違い、嵐竹は本名ではなく、ペンネームくさい。
あさがほといい、嵐(=荒木)といい、竹(=武)といい、庚申といい、守武を意識せざるを得ない。
最近亡くなった守武を偲んで臨時に命名したのではないか。*
宗房も、81番の 神や「守」らむ に82番を「竹」で継いでいる。

当時、松木宗房(まつきむねふさ)という人物がいました。公卿。藤原氏。権大納言飛島井雅教の男。権中納言宗藤の嗣子。
1537年生まれなので天文24年には、まだ18歳。しかし、この方、天文13年、7歳にして従五位下の位が与えられています。
82番の「たけの台」は、京都御所の清涼殿の東庭にある呉竹の台と河竹の台の通称です。

松木宗房と一字違いの松尾宗房は一世紀後の芭蕉のこと。
松木宗房にあやかって命名した、なんてことはなかったろうか。
そして、松木宗房の近くにいた嵐竹にあやかって、蕉門の1人に嵐竹の号を与えたのではないか。
芭蕉も守武も同郷(三重県)。

*

▼かささぎの旗ひめののコメント

守武は天文18年没、なのでまだ死んではいない。
ただ、戦国百首の干支が正しいとすると天文12年、
その場合はいえるかもしれない。

八女戦国百首和歌『夏日侍(なつひまち)』
      : 天文二十四年
癸卯四月二十五日

荒木田守武:1573(文明5年)-1549(天文18年8月8日没)

吉田兼好:1283(弘安6年)-1352(文和元年/正平七年ころ没)

松尾芭蕉(芭蕉庵桃青):1644(寛永21年)
- 1694年(元禄七年)10月12日没
嵐竹は存在感がある。
当時の文化人はどのくらいの歌を読んでいただろう。
図書館なんてなかったろうし。**
戦国時代ですからね。でも、だからこそ、という何かがあったにちがいない。
吉田兼好の歌集などは当然頭に入っていたろう。
じゃないと、こんな歌がこのような席でさらっとできるわけがない。
先日押入れ片付けをした結果、こんどは「荒木田守武」が行方不明。
その荒木田守武はだれかの歌集をまるごと写していたっけな。年譜をよんだ。

その手がある。
いや、その手しかないんだ!

**

『ヒストリエ』をよむと、大昔の欧州にはすでに図書館があるんだよ。
ヒストリエ、岩明均。

2009年8月 1日 (土)

連句合宿がしたい。

連句合宿がしたい。それも一番暑いときにしたい。
とずっとこのふた月ほどいい続けているのですが、だーれものってくれません。

えーなんでやねん!

(あんたら自分の用事ではあちこちようけ行ってるやんか。
そんなら連句のために一日半くらい、あけてくれてもいいやろ。)

これ、かささぎのこころの声。

なんだか段々あったまにきた。
十年以上若かったときから連句合宿をしてきた。
おなじ目的だけのためにおなじ釜のめしをくうってことがとても大事なんだ。
剣道部や裁縫部や空手部野球部サッカー部ソフトボール部といっしょ。
これをやりたいのです。っていうか、前田師を通じて、連句道みたいなものをからだに各自流しこんでもらいたい。それがかささぎのねらい。

前田師をずっとみていますと、その生き方がみごとです。
連句のためならすべて手弁当で必死でなさいます、決して人さまに負担をかけさせないようにそれはそれは心を配られます。
連句を通じて、人とのつきあい方を学ぶ。
つきあいとは、句のつけあいに通じます。
連句人は連句の座が済めば、あとはさっさとはいさいなら。の世界です。
その切り替えが実にみごと。

かささぎの決意はかたい。

2009年7月15日 (水)

スポーツ新聞に長渕剛の書と句

スポーツ新聞に長淵の書と句

ボスはながぶちの書展にも行ったらしい、作品集も買ったらしい。

で。

かささぎはこれをみせてもらって、初めてこういうこともしてるんだな、と知りました。
「蝉が泣く チクショウと    剛」
「四畳半 引くに引けない 畜生  bud」

2009年7月13日 (月)

ヌーとしまうま

本日夕方のRKB番組「世界遺産」でヌー大移動が放送されてた。
つい先日まで、ヌーの群れを横切って歩いていた自分が夢みたいです。
7月はアフリカのヌーが一斉に走り出す時期。
ヌーの暴走といえば、ライオンキングでシンバの父ムファサの死因。
幸い、まだヌーは走っていませんでしたが、シマウマの群れは乙の直前を横切ってゆきました。
自然と一体化したひとときでした。
日本ではなかなか経験できないことです。

ぬうは知らないけど、縞馬はしってます。さすがに。
ちょうど前田師から付け句で縞馬の印象的な句をいただいたのでつけたばっかり。

  ここから先は標識もなく     有杜
縞馬の縞はジュラ紀の神業か  圭衛子
  胸が苦しいときの葉たばこ   恭子

つけすじがみえません、自分でつけていながら。

乙さん。ご無事にお帰りになったようですね。
以前、テレビでヌーの大移動の壮絶なドキュメンタリー番組を見たことがあります。母親とはぐれた子どものヌーの姿が印象的でした。

壮大な大地を走るシマウマの群れ。
画像でしか知りません。
強烈な印象なのでしょうね。
アフリカの大地はどんな匂いがするのだろう。

ヌー大移動としまうま資料:

http://www.kenyarep-jp.com/newsletter/070711_letter.html

http://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/~sun/marahp/mara05.htm

前田師の縞馬句は感覚的で、みょうに残ります。
胸が苦しいときの葉たばこ、これは今にしておもえば、

らんちゃんが蘇州にいったとき、「アヘンのへや」があったよ。
といっていたのをふとおもいだしたから。
それはおかねもち階級のひとたちが、愉しみのために用意したもの。
ものの価値は時代によってかわる。

2009年7月 6日 (月)

カトリーヌ・ドヌーヴと連句、連歌、俳諧、和歌。

  元久留米人・梶原呂伊利(神津呂伊利)

 はい、また1週間のご無沙汰でした。「シェルブールの雨傘」とカトリーヌ・ドヌーブについてですね。
 
 最初に見たのは大学生時代、京都の祇園会館という3本立ての名画座で~作られて10年後ぐらい。当時はまだ人生経験も恋愛経験も浅かったので、何で女は男を待てなかったのだろうか?と思ったけど、1964年という時代背景を考えず、ついでにいうとアルジェ独立戦争についてもよく知らなかった。 
 
 2回目見たのが10年以上前、最初のシーンから感銘を受け、なぜ1回目見た時たいして良い映画と思わなかったのかと、自分の鑑賞力のなさをしみじみと感じました。実は私、大学時代は月に30本前後見ていたほどの映画ファン(を通り越してマニア、今ならおたくと呼ばれるところ)で、ここ数年は月に4本ぐらいしか見ていないけど、神津島に行く前は最低10本以上(しかもほとんど映画館で)見ていたぐらいです。だから映画関係の仕事につきたいと思ったこともあり、でも、この名画を見抜く才能のなさを考えたら、仕事にしないで良かったのかも。カトリーヌ・ドヌーブは若い時もいいけど、中年以降の、いや60過ぎてからの映画もいいですね。特に大ファンというほどではないけど。
 
 最近見た映画で良かったものね~、映画ファンと言うと、よく聞かれて困る質問です。なんせあれもこれもと浮かんでくるので。でもこの1年間ぐらいに見たもので、みんなが知っていそうなものを除くと、次のような映画かな。
 
  「闇の子供たち」…今話題になってる臓器移植問題もふくむ、梁石日(ヤン・ソギル)の原作に迫る力作。梁石日作品の映画化にはなぜか傑作ばかり。
 「ミリキタニの猫」…路上(ホームレス)画家だった、強制収容所体験もある日系人を主人公とするドキュメンタリー。
  

 とりあえずこの2本だけにしときます。映画について語り出したらきりがないのでこのへんで。
 ここで余計なおせっかいかもしれないし、素人判断になるけど、連句と俳句(俳諧)の違いとは、駅伝とマラソンの違いみたいなもんではないでしょうか。私はマラソンやるけど、マラソン仲間に駅伝に誘われてもあまり乗り気にはなれない、そういう人もいる、それは性格・個性の問題です。

 さっき「俳句(俳諧)」と表現したけど、正しくは「俳句(俳諧の発句の独立化したもの)」ですね。「俳句」とは明治以降に出来た言葉だから、日本史用語では江戸時代の俳句を「俳諧」と表現するので、つい先ほどのような書き方をしたけど、紛らわしい。個人的にはある程度理解しているつもりだけど、「連歌」「連句」「俳諧」「俳句」という用語を誰か一度整理していただけるといいのではと思います~たぶん誤解している人もいるだろうから。

2009年7月 5日 (日)

「ややこ生る」満尾御礼

歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色      ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で      恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud
ナオ

1静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから
4   激情愛情そして平常       ぼん
5地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   昔の蔵の賑はひいづこ   乙四郎
9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子

12  提灯燈り盆踊り舞ふ       えめ
ナウ

1稲架くぐる黄色い帽子田に転び     bud
2  秘密の基地にみんな埋めた     恭
3レクイエム開いたままの大蛇腹     らん
4  戊(つちのえ)の日のつばくろの羽  整
5君はなぜかくも美し花へ問ふ       乙四郎
6  穀雨の糸が夢を縫ふ窓    中山宙虫

起首:21年5月9日
満尾:〃  7月5日

▼中山宙虫挙句案

自由の旗が揺れる末黒野

穀雨の糸で夢を縫う午後

すぐろのは、戊、稲架、田、基地に近い。
穀雨は四月二十一日ころ。菜種梅雨のころ。
穀物をそだてる雨。
これをいただきますが、裏の折端のばどさん句に午後は出ていましたので、とりあえず窓に一直しておきます。作者のほうで代案あればください。

そらんさんにはとびきり忙しくて連句はできないと言われるのを無理にお願いして一句つきあっていただきました。
友情に感謝申し上げる次第です。ありがとうございました。
中山ソランさん。
このたびめでたく九州俳句賞を受賞され、ご活躍をお祈り申し上げます。
(受賞作品は掲載号が出てのちにご紹介いたします。)

満尾しました。
おわってみれば、ふしぎな歌仙でした。
みなさまのご協力に感謝申し上げます。
ここにはさわりがあり使えませんでしたが、梶原呂伊利さんのおいわい句も、有難うございました。
あれ、ふしぎでした。
竹田の子守唄まで動員して一句をよんでおられたとは。
(ぼんへのごあいさつ、ぼん→盆、もりもいやがる盆から先にゃ)

以下、連句的。

葵。
あおい あおい まもる
葵祭り。

しもがもじんじゃ。
かみかもじんじゃ。
はつがらす。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1e67.html
あさばりかさん。
http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-126.html#trackback1
あらきぐうじ。
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/guuji/index.html

よしだけんこう。
すぎうらこてんけんきゅうしつ。
かものちょうめい。
長命。
こうらさん。
へこかきまつり。
あおい。
みずのと。
癸卯。
きぼう。

葵くんの健やかな成長をお祈りもうしあげ、この一巻をささげます。

追記)

この歌仙は『連句誌れぎおん』秋号に掲載予定です。
九月にうまれた整子さんの長男さんのお子の名が「陽葵(ひなた)」であったことも、まるで韻を踏むようなかんじで、これもまたふしぎな暗合でございましたね。

2009年7月 2日 (木)

花前句

歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色      ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で      恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud
ナオ

1静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから
4   激情愛情そして平常       ぼん
5地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   昔の蔵の賑はひいづこ   乙四郎
9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  
提灯燈り盆踊り舞ふ       えめ
ナウ

1稲架くぐる黄色い帽子田に転び     bud
2  秘密の基地にみんな埋めた     恭
3レクイエム開いたままの大蛇腹     らん
4  戊(つちのえ)の日のつばくろの羽  整

選句

☆ 蜂の巣つつき童かけだす  えめ

☆ 貝湧き出でて干潟賑わふ  〃

1、春挽糸が描く地上絵          整子
2、戊(つちのえ)の日のつばくろの羽   〃
3、お社日さんに赤飯そなふ        〃

選句します。

えめさん出してくださってありがとうございました。
蜂の巣つつき童かけだす。
情景が目に浮かぶ。動きがあり生き生きとしてます。
が。
ナオ1のbud句に小学生か園児の黄色い帽子があります。
はざをくぐって、刈田を倒れ転びしながら駆けてくる子。
そこへもどってしまいそう。
童のことばこそ出ていませんが、ばどさんの句に出ています。
貝掘りの句もうちこしにあたる2に基地、埋めたとあり、語感が近いか。
整子句は、はるびき糸=おかいこさんの春蚕(はるご)の糸の句も明るくて、前句の移りもよかったのですが、春ということばが出ているのと、戊の句のつばくろの羽があまりにもよかった。
といいますのは、素材がめずらしいのと、社日という日をきめるのは、春分にもっとも近い戊の日だそうで、ということは、このつばくろは今着いたばかりのつばめ。
レクイエム句とあわせると、大蛇腹がつばめの羽を思わせます。
これはすばらしい句だと感心しました。
こういう句がでると、さばき冥利につきます。
戊は己と同じく土にからむことばですが、打越の基地とは差し合わない。
ありがとうございました。

なお、ぼんの申し出どおり、グランドゴルフの句を黄色が二箇所にあるからとという理由で差し替えてみましたが、リズムが最初の句におよばなかった。
かようにダダダダと連打する感じで、色ではない何かほかのものがありますれば、さらに差し替えたい。
なんの屈託もなく、自然にあふれ出ることば。
それはあとでさしかえようとしても、うまくいかないものですね。

それでは、においの花をお願いいたします。
いよいよあと二句。

ろいりさんに出してほしいのですけど。
どなたでも、どうぞ。
場の句が続いてくれましたので、思い切り人情のこもった花を出してくださってかまいません。ってか、そっちのほうがいいとおもう。



2009年7月 1日 (水)

budさんの歌仙名残裏1

きのうはココログのメンテナンスがあっていたようです。

朝送信した写真三枚も届かなくて、ブログにも接続できなかった。
こういう場合、(あとで接続が回復した場合)送信した写真を待つべきか?
一週間で到着したこともあるのです。
なにを送信したかといえば、さくらさんのミニ本の写真です。
アコーディオンプリーツに折られた小さな絵本。
写真でみせる絵本。「かるがも物語」。

さて、bud さんの句が届いていました。

ばどさん、気もそぞろのときに、どうもありがとうございました。
ばどさんをご存知ない方々へご紹介をいたします。
「のんだくれ博徒」「輪のぼやき」というブログの主です。
こういう文章をかかれます。

1「発した言葉がある」一年間のつぶやき句集
http://622.dtiblog.com/blog-entry-237.html
2「忍び寄る危機」政治へのぼやき
http://622.dtiblog.com/blog-entry-236.html

歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud
ナオ

1静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから
4   激情愛情そして平常       ぼん
5地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   昔の蔵の賑はひいづこ   乙四郎
9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  
提灯燈り盆踊り舞ふ       えめ

ナウ
1稲架くぐる黄色い帽子田に転び   bud
2  丸い石置くポチのはかどこ    恭子  
3雑
4春
5花
6挙句

ばどさん。いい味わいの句をありがとうございました。
とてもいい句です。
気もそぞろのときに句をだしてもらうこの親心、老婆心がわかりますか。笑

『パーマネント野バラ』という西原理恵子の新潮文庫の漫画。
娘が好きでいらんいうのに私に押し付けるのですが、そんな味わいがある世界。
なさけがたっぷりしみている。
わたしはつい泣きたくなる。なんだか無性になつかしくなる。
たかむらの真っ青な歯茎がぶつかりあってカーンカーンと鳴るような。
たかむら。高村ではなく、竹冠に皇帝のこう一字の。
ポチを埋めた裏のたかむら。と最初はつけたかった。
だけど花句がもうすぐ来るので。

つぎをまた雑でおねがいいたします。
と、ここは同級生の丸山消挙におねがいしてみるか。

この人もなにかつくりたいのではないかと思う。
原爆忌の句をよんで、そうかんじた。

ほかにも連句へお誘いしたいひとがいる。いっぱいいる。全部おとこ。
それはかささぎが女だからで他意はありません。笑。すみません。
あべしげさんとか、長崎の前川さんとか、中津の横山康夫さん、それから大牟田の連衆誌主宰の谷口慎也さん、あと大江希望さん、fuakiの日記のあるじ、久坂夕爾って人、片岡元雄って人、それから太宰府のことまちブログのあるじのテルさん、。詩人の大岡信さんや高橋睦郎さん今村冬三さんも興味があるけど、プロはお金がかかるのが難点。貧乏だからお金のやりとりなしでやりたい。(手前勝手なことをよくもしゃあしゃあと)。

ろいりさんには花をだしてもらいたい。あおい、葵について、もう少し調べてみてください。
わたしは暇がないので調べられないのですが。

ということで。
これはぼんのお孫さんへのお祝い歌仙ですから、ぼんが「しんたん」と呼んでいたらしい幼馴染へ一句たのんでみるのがスジでしょう。
かささぎと東妙寺らんとぼんと丸山消挙とは高校で二年間同級でした。
いま、老いはじめた親をかかえて苦労しているようです。
元気だせやとはげましたい。親より自分がふけてどうする、と。

なにかだしてくれるでしょうか。頼んでみないとわからん。
かささぎも頼みますが、ぼんも頼んでください。
幼馴染の一人せいこさんも言ってくれるとありがたい。(苦笑)

2009年6月29日 (月)

季戻り、てえげまんげ。

連句の季戻りのことで考えすぎてあたまが痛くなった。
ごくろうよね。

じぶんでもつくづくいやになった。
もうてえげまんげにしようよ。
そげーん悩まんちゃ。
いろいろあるし、杓子定規、やめた。

これを年の功というのかも。

9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  
提灯燈り盆踊り舞ふ       えめ

えめさんのつけごころ:

なんで盆踊りが浮かんだかといいますと、
ケニアつながりです♪
マリンバ、筒の太鼓、木の笛、、じゃらんじゃらんの音楽の中でみんなで輪ぁ~になって踊るでしょう。
日本の踊りも昔は太鼓や三味線、木笛などなど、、なんか似てますよね。
そして大勢で踊るおどりはなぜか輪になって踊ります。炭坑節だって♪
で、盆踊りはの季語だと思ってしまったのでした(^_^;)

だそうです。

ところで。コメントにうもれてしまいましたが、確かにきのう、「ろいり」さんが一瞬よぎった。
それ、文書に保存しとこう。
乙四郎のケニヤ滞在記がほしいが、最近無口。
むずかしい仕事なんだろうかとかささぎは案じています。
去年も評価の仕事をしにいってたように記憶します。
評価。覚えていますか。英語で「evaluation」だったよね。
(威張るええション評価する、とおぼえよう。)
それはどういうことをするのでしょう。想像もつかない世界。

で、。

つぎは秋のたて句。ばどさんがだしてくださるといいけど。
パソコンがうまくいかないようですが。
匂いの花はろいりさん、出してくださいませんか。
なあに、花をいれればなんとかなりますから。

らんさんの白い稜線描く風。の上五ですが、
きのう朝、本人は「あなたなる」ということばを出してくれた。
ところが、うちこしに「むこうに」がある。
同じ意味ですものね。あなたなる。やまのあなあなあな。

ほつほつと。というオノマトペのあまり意味が鮮明ではないところが、いいのでは。とかささぎは思います。ほつほつ。
時々風が渡ると稜線がくっきりとシャープになる。そんなかんじです。

2009年6月28日 (日)

歌仙『ややこ生る』ナオ折端句再々々

9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  
提灯燈り盆踊り舞ふ    えめ・・・季戻りゆえ、ボツ。

seiko
少年ケニヤ。
かささぎはケニヤときいて、それしか思い出さない。笑
だけどとても大切なことかもしれない。テレビ草創期の懐かしい記憶。
ケニヤときいてまず浮かぶのが、まっくろな肌のどじんと、とらやライオンやらの猛獣と、探検隊であることは。こどもごころに、「ぼうけん」をゆめみた。

えめさん。付句なんどもありがとうございます。
十六夜の月につけて、

☆ わたあめヨーヨー八朔の夜

☆ 提灯燈り盆踊り舞ふ

さあここで、季語の問題がまたでました。

れぎおんの人気随想家だった調布市の町医者・川野蓼そう先生がお元気なころ、そういうときには月はでていないよ。と、科学的な理論で現実にはありえないらしい俳句の作品を糾弾なさったことが何度かあった。
で、かささぎもそういうふうに、季語でのいざよいとは陰暦8月16日の月のことで、また、八朔とは、陰暦8月朔日つまり1日のこと。ゆえに季戻りとなるため、これはいただけない。と、かたづけなければいけない。

以前、ベテラン俳人の横山康夫氏に請うて八女の連句文音に入って戴いたことがある。
そのとき、はじめて連句にふれた氏が最初にもらされたことは、季語をそんなに細かくいうのか。という慨嘆のことばでした。
おおまかに、秋だの冬だのではいけないのか。と。
しかし、連句式目での禁忌に季戻りというのが確かにある。
それは、秋を三句ばかりよんだあと、雑をはさんで夏にもどるのが悪いというのではさらさらない。それは季戻りとはいわない。そうではなくて、秋なら秋、春なら春が数句つづくなかでの季節の逆行、それを指すのです。

健吉の歳時記は四つの区分けを季節に設けている。初秋・中秋・晩秋。そして三秋。
そのとき横山康夫氏がおっしゃりたかったことは、日本はたてながの国で、よむ場所によっても旬がいろいろにあるのに、それでも歳時記に登録されている季節感を信じてそれをよむしかないのか。というようなことだったように思います。
もう忘れてしまったけど、まだ私も未熟で(いまも未熟者ですが、さらに未熟で)額面どおりに連句辞典まるのみで受け答えをしていたような。
それからでさえ十年ちかくたつのかな。
あんまりこまかなことをなるべくいうまい。
といつもおもうのに、やはり、伝えなければいけないことは伝えなければいけないのだろう。

盆踊り。
季語「盆」、「盆踊り」。
俳諧で単に「踊り」といったらこれのことですが、むかしは秋の扱いだったのに、いまは陽暦歳時記が出て、夏の季語に登録されている。以来、ひどく混在している。
だけども本来は陰暦7月15日の夜でありますので、陽暦だと8月15日ころは初秋、季節がもどります。
新暦だけで処理したという意味ではがさつな、だけどおもしろいウイキペディアをはりつけ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%86%E8%B8%8A%E3%82%8A

えめさん。勉強になるまちがいをしてくださって、感謝いたします。

さ、それでは、またもういちど。笑

2009年6月27日 (土)

十六夜の月

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊(シサン訂正申し出あり)
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから
4   激情愛情そして平常       ぼん
5地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   昔の蔵の賑はひいづこ   乙四郎(シサンですがこのまま)
9ほつほつと白き稜線描く風      らん
10  ポーズつくりし父の写真よ    ぼん
11十六夜の向ふにケニアありにけり  整子
12  秋

山下整子の選句と付句(秋の月)

ポーズつくりし父の写真よ    ぼん

付け句案(秋月)
1、てらてらと輝く湖(うみ)に上る月
2、十六夜の向こふにケニアありにけり
3、ディスカバリー号から月はだう見える

旧仮名、むづかしい。

だう、はたしか、どう、でよくはなかったかな。
調べて確認しておいてください。旧仮名は一つひとつ確認してゆく以外ない。
そう、は、さう。なのですが、どうはだうではなかったような記憶がある。

乙四郎句で選句ミスをしていました。
外国人をとらず、場の句で懐旧の句をとるべきでした。
やりかえます。
昔の写真の賑わいいずこ   (乙四郎元句)
むかしの写真には展示会に関係するものが華やかに写っている。
というのです。
これをとるべきでした。
あとさきになってしまい、写真がぼんのところで出、つかえなくなりました。
そこで、何をここに置けばと考えましたが、。
乙四郎。蔵はもし他にあれば差し替えますので申し出てください。
べたつきがなくなり、らんさんの景気の句も、生きてくる気がします。

どうでしょうか。名さばきだとこうはいかんです。
へたっぴだからこそ、選句をまちがい、まちがうことで、違いがみえる。

えっへん。

せいこからきっちりとつっこまれましたが、月の前では高いものや光りものは避けるように、と、普通、さばきは助言します。月のうちこしであるここでは、気をつかわなければならないとされるからですが、そこへ世界最高クラスの名峰をだしてました。笑。いくらなんでもそれは控えるとして、。

稜線ということばに山のかたちが既にこめられています。
それをおりおりに吹く風が描くというのです。

東妙寺らんは、ただものではない。あれは「大家」です。
(おおやではない。たいか。)

らんさんにはあとで、上五になにをおけばこの句が完成するか、たずねるとして。

せいこさんの出してくださった月.

1は湖上の月。
2はいざよひ月にケニヤ。前句とあわせよむと、父の面影句になります。
3は月がここに上るための必須要件をこぼしてしまうような按配で宇宙船がでている(ような気がする)。月をディスカバリーがころしている。

月を中心にして、ほかをおもうってことなんですが。
まぎれもなく、この面のいちばん重心はこの月ですから。

前句にある、父の写真。

どこまでもなつかしい記憶のなかの父と、写真にいる緊張してぎこちない笑みを浮かべる父。

いざよひの月がこの中で確かな位置をしめている。
ケニヤは、私たちがひと世代ふるかったら、マニラとかビルマとかが出るのだろうとおもう。
たまたま連衆にジャイカの仕事でケニヤに派遣された友達がいたおかげでケニヤがでましたが、これは私たちの世代には、ずいぶん郷愁をもたらす国名です。じっさいの国をよく知らないのですが、こういう偶然をだいじにしたいとおもいます。

おお。やっと折端までたどりつきました。

秋の季語入りでおねがいします。
どうかみなさまだしてください。

追伸:せいこさん。ケニヤの句ですが。
ありにけり。とするのと、あるといふ。とするのではどっちがよくひびくか。
目からの効果と音としての効果。
それをにらみあわせて、だいぶ考えました。
いざよひに、むかふがあるし。
ケニアもケニヤとどっちがいいだろう。


2009年6月25日 (木)

「ややこ」歌仙 ナオ8雑

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊(シサン訂正申し出あり)
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから

4   激情愛情そして平常       ぼん
地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8   外へ出づれば我は外人    乙四郎
9雑
10秋
11 秋の月
12  秋

ドバイの乙四郎投句

1 昔の写真の賑わいいずこ
2 よく食う人は何する人ぞ→うちこしに食べ物。うざいのでボツ。
3 外へ出ずれば我外国人

宇宙からきたえめさんの投句

☆ 夜のテツタビスリーナインで

☆ 銀河鉄道切符を二枚→大打越の5に地球がある。
  地球と銀河が同素材なのでボツ。

選句

1外へ出ずれば我外国人    乙四郎
2夜のテツタビスリーナインで  えめ

どちらの句も旅句。
えめさんのは、カタカナが多い現代語の略語が生きている。
スリーナインが銀河鉄道を連想させ、シュールな気分をいざなう。
さばきによってカタカナの打越を嫌いますが、かささぎもそうです。
よほどの必然性がない限り、カタカナの観音開きは避けたい。
ポテサラ=ポテトサラダ。このような略語は一巻一つにとどめたい。
乙四郎の「外へ」をいただきます。
細い糸でどことなくついている。
つぎも雑。景気の句いわゆる写生句を。雑の写生句。できるか。
うちこしに月、月周辺のものや光りものはさける。

蝶の句三句、春。

高々と蝶こゆる谷の深さかな  原石鼎(はらせきてい)
山国の蝶を荒しと思はずや   高濱虚子
常闇の蝶の高さを迷子札    貞永まこと

せっかく乙四郎がケニヤ出張していることだし、ここで課題を。
「はねつるべ」でみんな一句を出してくださいませんか。
季語はいりません。
はねつるべとは。こんなものです。

http://ww4.enjoy.ne.jp/~aqua98/school/Sinpei/n_haneturube.htm童謡
http://homepage2.nifty.com/APO1/hanetsurube07.htm昔の写真
http://www.toenji.com/kindergarten/osanago/h19_10_3.html荘子のはなし
http://minka-en.com/shisetu/17hane.html福島の民家の

かささぎは、とつぜんひらめくのだ。
はねつるべ。
ついほんの四十五年前まで、ふつうに日本にもあったとおもう。




 

2009年6月24日 (水)

『ややこ』歌仙ナオ3の差し替え

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せないまま     兼坊(シサン訂正申し出あり)
3やさしさの沁みこまぬよに拳分    たから

4   激情愛情そして平常       ぼん
地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6   キュウリの方が多いポテサラ  えめ   
7展示会臨時雇ひも客にされ      恭子
8雑
9雑
10秋
11 秋の月
12  秋

きのう帰宅すると、本が二冊届いていました。
一冊はメアリ・ウエストマコットの『春にして君を離れ』、もう一冊は『「秋風の記」をゆく』海鳥社刊行、平島愛子著です。

諸九尼のことがずっと気になっていたものの、評伝を読んだことがありませんでした。
ざっと目を通してみた。
なぜ「駆け落ち出奔」したのか。
まずこれが気になることでした。

考えていたよりずっと複雑な婚家の事情があったようです。
もっともいたましい事実は、
三年子無きは去る。といわれた時代に結婚後十年余、三十歳になっても子がなせなかったことへの風圧。

そのことを、「前置き」文で著者の平島愛子氏は、このように書かれていました。

以下引用文です。

「後日、妹はなに送った切々と血を吐く思いを綴った手紙の文面からは、何の言い訳も許されずに「欠落(かけおち)」の汚名を着せられ故郷を捨てざるを得なくなるまでの背景には、相当深刻な家庭環境があったものと推察されます。なみ(諸九尼の俗名)の人柄は、筑後を去って一年ほど経つと中原村からの客が次々に彼女の許を訪れていることからも推し量られます。」

なにも知らず、出奔の小見出しのように句を詠んだ自分を恥じる。

恋句、澄たからさんの思いの深い「拳分(こぶしぶん)」の句に差し替えます。

以下、たから句のよみです。

(「温もり」が冬めく。やさしさの、でいいかもしれない。
微妙に複雑な心理の恋句。コブシ一個分のすきまをあけておく、というのです。
それはあまえない意思であり、遠慮であり、恥らいであるのでしょう。・・・というふうな読みでいいのでしょうか。「拳分」がむずかしい。)句を貰った最初の時点での読み。

2この「拳分」というぶっきらぼうな一語のもつ、なんともいえないあじわい。
気をゆるせば一気になだれこんでしまうじぶんがいる。
それがこわくて、じぶんでじぶんの感情を必死でおさえている。・・・っていうことなんだよね。
これボツにするのにしのびない。


3(ヤマシタセイコ)の深い読みのコメント。

まりさんの拳分の解釈。
ふたりのあいだを拳分空けておく。まさにそのような状況をイメージした。これは実に奥深い句だと思った。実はこの句に、もうひとつ意味がある。それは、よく指先なんかの皸や傷に湯が沁みて痛むとき、しみないようにぎゅっと拳つくってお湯につかってなかった?生きるためにわたしたちはいっつも拳を握ってるんですよ、そんなメッセージを受けた気がしたよ。

優れた句は、まず問いかけとして目の前に立ち現れる。
これがまさにそんな一句でしたね。
たからさん。おそらくは体験から得た貴重な一句、どうもありがとう!

さて、ここからふしぎなはなしを。
えめさんてふしぎな人です。

かささぎがたまたま訪れた日の彼女のブログで、こういうフレーズに出会い、一句つけておりました。それをそのまま、ここへ放り込みます。

夏が一句、それも短句きりになりますが、発句脇に夏ですし、これでいいのではと思います。

http://hatue62.seesaa.net/article/121862291.html#comment

時事ネタの川柳に属する句ですね。かささぎのは。
よく聞かされることなので、いつか句によみたかった。笑

ここまで一気にすすめました。
途中停滞してたのを挽回しました。

つぎも雑です。短句を、いろいろとおねがいいたしまする。

2009年6月22日 (月)

ナオ3~5 恋~恋離れ

12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    すぎさく

ナオ3恋

ぼん

1  夢を見るあなたの顔をじっと見る

2  寝たままで煙草くゆらす悪い癖

3  激情愛情そして平常

えめ

☆授業中 君のいる席そっと見て

☆ 言えないわ ミキの彼氏に横恋慕

☆ 夜が明けて 君のぬくもり腕の中

さくら

☆内気でも恋心多し若きとき

☆銀行にプロポーズに来た同級生

☆初恋は社会科の先生地理好きに

↓は、何年か前の保険会社の川柳コンテスト一位
★プロポーズあの日に返ってことわりたい

整子

1、カンタータ媚薬のやうに麝香嗅ぐ
2、挿げ替える下駄の鼻緒の豆絞り

東妙寺らん

1目も鼻も口も苔むす道祖神
2毒虫めしろき柔肌蚯蚓腫れ
3待ち人はもうすぐ来るとおみくじに

恭子

1諸九尼の我をつらぬく恋羨し
2伝統のおもさ切なし皇太子
3真横から見れば消えてる土星の輪

乙四郎

1 地球よりおおきなものの居座りて
2 丑三つにメール送りて四つを待つ
3 教えない知っているのはふたりだけ

ぼん追加

銭湯と言いつつ走る安下宿
首すじのあざを隠して月曜日

整子追加

1、臍の緒でつながるやうに君とゐる
2、お前さまの膝貸してくんろ つつつつつ

澄 たから

1. 君居りし幾多の四季は風の中
2. 温もりの沁み込まぬよに拳分
3. 霞みても君は君なり桜島(恋句?)

選句

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
臍の緒でつながるやうに君とゐる  せいこ
(鼓動。へその緒。リンクするか。)

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
言えないわミキの彼氏に横恋慕  えめ

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
温もりの沁み込まぬよに拳分   たから
(「温もり」が冬めく。やさしさの、でいいかもしれない。
微妙に複雑な心理の恋句。コブシ一個分のすきまをあけておく、というのです。
それはあまえない意思であり、遠慮であり、恥らいであるのでしょう。・・・というふうな読みでいいのでしょうか。「拳分」がむずかしい。)

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
夢を見るあなたの顔をじっと見る  ぼん

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3
毒虫めしろき柔肌蚯蚓腫れ     らん
毒虫が秋かも。うちこしに鳥。(異生類だけどね)

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    杉作
3銀行にプロポーズに来る同級生  さくら

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せぬままに     杉作
3
諸九尼の我をつらぬく恋羨し     きょう

こうしてみますと、どれもそれぞれ捨てがたい。

いがいとよかったのは、乙四郎の句、たからさんの句でした。
おつしろう句は、場の句でありながら、とっても愛情の深い句であること。
たから句は、よく読まないと読み取れないかもしれないかそけさが、よい。

と迷いましたが。いろんなさわりを考慮しますと、、

静まらぬ鼓動に百千鳥響む     整子
2   恋文一つ渡せぬままに     杉作
3
諸九尼の我をつらぬく恋羨し     きょう
4   
激情愛情そして平常       ぼん
地球よりおおきなものの居座りて 乙四郎
6夏
7夏
8雑
9雑
10雑
11 秋の月
12  秋

かささぎの旗では、いずれ「有井諸九」をきっちりと詰めたいと考えています。
この人は筑後出身の江戸時代中期の有名な女流俳人です。
浮風という大坂の俳人と出奔し、大坂や京都に住んで俳句をかきました。
資料をまとめた研究書が、海鳥社から平島愛子著『「秋風の記」をゆく』として出ていますが未だ手に入っていません。

田主丸の人で、晩年は故郷に帰ったようです。
かささぎがふっと思うのは、高良山の松尾桃青霊神社を勧請してきた岡良山という俳人なども、その周辺の俳人だったのではなかろうか。ということです。浮風は志田野ばの門下、志田やばは八女にも来た事のある有名な俳人で、芭蕉の七部集にも作品を残しています。ということで、これは地域学に属する領域になります。八女の灯篭人形をおこした松延貫嵐とはどうつながっていくのか、そこのところも知りたい。

一人で勝手に駒を三つ進めてしまいました。

つぎは、夏の短句をおねがいします。

じつは、えめさんのブログに偶然夏のタンクで、

きゅうりのほうが多いポテサラ

という句をみました。(ここにはつきませんが。)
そんなふうにもうまるきり関係のない話題をもってきてください。

おつしろう句が恋離れです。地球よりおおきなもの。
それはなんでありましょうか。

かささぎは、この句を恋と愛とのちがい句として認識いたしました。
だから、いろけがない。と感じた。
おおきくて包容力があって安らいでなんでもかんでも包んでしまうようなモノは、恋という概念の対極に位置します。


朧夜の底をゆくなり雁の声  諸九

この句を諸九尼がいつ詠んだのかをまだ知りませんが、その出奔の日を茫茫と回想しているかのようなイメージがわいてくる句です。
恋と旅。
これらは一所定住の封建的なおんなの生と性とに真っ向から解体をせまる、抗いがたい魔力をもったモノでありました。

  


2009年6月18日 (木)

名残おもてニ句目

1  見上ぐる空はきょうも和らぎ  ぼん

彦山の花句に空、既出。

2  方言ばかりで伝わらぬ恋

この句、おもしろいと思います。
ただ、恋が伝わらない。
とストレートに書くより、「方言ばかりで恋を伝へて」とするにとどめては。

3  アルバム出して写真選んで

これは状況を考えさせる句ですね。ワンクッションおいた句。
前句のもつ、ぎりぎり感をはぐらかしたようなかんじ。

☆ 改札口でさよならをいふ  えめ(恋離れみたいです) 

☆ 煙草の匂いえりあしのコロン 夏

☆ 小粋な柄のハンカチあげる  夏

さいしょのころ、句にしたてる素材のなかに季語がまぎれこんでいないかと、びくびくしていました。というのも、たいがいの名詞に「えーこれも季語!これも!」と、ことごとく季節があるからです。わたしにとって、連句をまなぶということは、そういう感性をしることでありました。むかしのひとらの繊細な季節感覚を知り、自然のものを知るということ。

それによってひらけて来るものがたくさんあります。それが何よりありがたかったです。
学校では学び得なかった自然の叡智みたいなものに触れているような気になってくるからです。

1 日記の記憶滲みしとこほど  おつしろう

「滲みしとこほど」、このいいかたが珍しい。
まるでにじみ模様のよう、内容と表現が一致。
いいすぎてないところ、つきすぎていないところがいいなと思います。
でもややぎこちない感じもどうじに受ける。それはなぜだろう。

2 追っているのか逃げているのか

前句の持つ高揚感をぴしっと受けている。
これいいね。印象的。

3 山のあなたに行ってみやうか

しおりの花句にある旅情にもどる。

☆ 午睡から醒め夢で会ふひと  えめ (午睡が夏)

☆ 別れの手紙燃して目に滲む  (恋離れ)

☆ 熱い砂から駆けだす二人 (夏の季感あり) えめさんってば。笑。

1おとなになればきっとわかると  ひめの
2ギターの弦を押さえかねつる
3時間旅行をするような恋 

 歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2  追っているのか逃げているのか おつしろう
   方言ばかりで恋を伝へて   ぼん
   改札口でさよならを言ふ     えめ
   おとなになればきっとわかると きょうこ

一晩考えました。
せいこ句の「百千鳥」。歴史のある古典的季語です。
おつしろうが昨日いみじくも指摘したように、姫野の一直で

静まらぬ鼓動に百千鳥響む

と句またがりで「ももち・どりとよむ」とやってしまうと、語呂がわるいというのは確かにそうです。
そこで考えるのは、全体のなかで句をながめてみるという視点。
bud句がおびき出すものは街の喧騒である気が姫野にはします。
それにどことなく疲れているひとの姿が背後にうかぶ。
東京には緑のたっぷりとした森があちこちにあります。
それは意外な発見で街路樹一本にさえちいさな森がある。
そういうところに棲む小鳥たち。
そのさえずりの群鳴はまるで恋してる人の鼓動に共鳴してるかのように思える。

「とよむ」辞書検索http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=2&p=%A4%C8%A4%E8%A4%E0


それぞれ出してくださった付句案から一つずつ。
函館の教授にもたのんでますので、もう少し待ってください。

ではいってきます。

(けさ、いま。めったにかかってこない友人からでんわ。選挙がちかいのだなあ。

2009年6月17日 (水)

『ややこ生る』 名残オモテ起句

山下整子、名残折たて句春の長句案

 1、ひこばゆるわれかと思ふ背なに稚児
 2、野遊びの児らにつばさが生えてゐる
 3、静まらぬ鼓動に森の百千鳥

 歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

静まらぬ鼓動に百千鳥響(とよ)む  整子

選句

どれも一句としてみた場合すばらしく詩的な句です。
せいこは今とびきり多忙で、それなのに捌きはいささか不親切だった。
前の展開がどこにあるのか、わかりにくかった。ごめん。
ネットでやるときのネックがそれかもしれないですね。
「連句・連歌」カテゴリーを開けばこれまでのが出るようにしてます。
ということで。
森とか野原とか木々とか、そういったものから切れたい。
さばきは三句がらみ、四句がらみをおそれている。
bud前句は、かげろうのようなゆらゆらしているものにも芯があるのだ。
という強い主張がどこかにある。
だけど、読み方次第で、「陽炎の」の「の」は主格として働きそう。
かげろうが自分の心を犯しだしている。とも。

そこで、折がかわる。
序破急の急にさしかかる。

名詞止が三句続いているのが気になるので、動詞でとめます。
名詞どめはそこで終わる場合は余韻をのこすけど、ずっと続くと安定したかんじをもたらすから。
森を消します。
百千鳥は春の野原や森などに来るたくさんの小鳥。
場所を限定すれば、初折裏10句からの流れに戻る。

とよむ。ということばをハタと思いつく。雅語か。
どよむともいいますが、にごらないトヨム。きれい。

一句が暗喩として働き出す。
胸のなかに百千鳥がいる。

で、つぎです。

まちがいなく、恋句でしょう。

短句、季語はいらないです。

全員にだしてもらいたい。
いそがしい人ほど傑作がかける。かいてね。

2009年6月12日 (金)

歌仙『一月の』  澁谷道・捌

新・読む読む  その一

  作品管見(連句誌れぎおん2002、冬号36号より)

      姫野恭子

日々生み出される連句作品の批評を、誰かすべきだと思った。
たとえそれが印象や感想を述べる程度のものであったとしても、なにもないよりはましだ。漫然とそう考え、この頁をそのヨミの欄にと願ったものの、まだ充分に機が熟していないと思い続けてきた。それは、どんな作品が連句作品として優れているのかをきちんと自分の言葉で定義できないからにほかならない。
たとえば歌仙ひとつとっても、式目に叶っていて尚かつ変化に富み、付け味の点でも申し分のない一巻こそが「優れた作品」には違いない。けれども、そうじゃなくても、妙にこころ惹かれる一部分、それもただ二句のみの付合があるがゆえに、その他は式目違反はあるは、多少退屈であるはしても、すべてがよく思える巻だって中にはある。

▼歌仙『一月の』の巻  澁谷 道・捌

一月の手紙まっすぐ来たりけり   加田 由美
  藁盒子ある蜑の門門       茨木 和生
錆の音なりぶらんこはたそがれて  岩城 久治
  箪笥の上に光る猫の目      西野 文代
旅立ちの気配はやくもさとられし   澁谷 道
  合鍵かくす棘のサボテン          美
          (『紫薇14号』より)

これはオモテ六句だが、ぱっと見て、一句おきの短句にそれぞれ家に関連した用語が使われていることに目を剥く。いわば、長句で転じを計ろうとするたび、短句のやつがそうはさせぬとばかりに、元に引き戻しているような感じの付合である。加えて厳密に言えば、発句は冬で脇は新年なのだが、このニ句の何と見事な響き合いだろう。一月の便りが届いたというだけの発句を受け、それを新年を祝(ほ)ぐ年賀状と見立てた上、海べりの家の門松に結わえ付けて息災を祈る藁盒子に受けさせている。私は自分の村にもまだ残る素朴な信仰行事と重ね胸が熱くなった。ただニ句の付合が、大きな時間や背景の生活臭をも切り取ることができるなんて、他の疵など構わない、座布団あげとくれ!というような印象的な巻だった。

  *

おなじく今年読んだ歌仙で、一箇所の感動が全ての疵をちゃらにして、なおかつお釣りをくれる巻をおそれながらもう一巻。

▼歌仙『鞍馬天狗』の巻  三吟膝送り


五 白樺のひと木きはだちたそがるる  岡野 乙三
六   相も変らぬ正論の癖        丸谷 玩亭
七 この人は淋しがりやとささやかれ   大岡 信

これまで連載した「読む・詠む」欄をリメイクして、今号から「新・読む読む」として、「今」の自分がひたすら読む修行の場としてみたい。今回は本誌前号(35号れぎおん)の歌仙について、記してみよう。未熟者が失礼を申しますがどうぞご寛恕願います。

以下略。

  

 

捌きという権力  転じとは?

ばどさんの句に勝手に手をいれた揚句、ばどさんの名前を冠して何もはじない。
そう思われても仕方ありません。

乙四郎にいま、真正面から問われたことを、実はわたし自身も今日一日中考えておりました。
いくらなんでも、「乱暴な」。
いくらなんでもめちゃくちゃな裁断、そして貼り付け。
できあがった句はまるで元句とは異なる。
たとえ使われている言葉がばどさんの句にあったものだとしても、です。
ことに、説明書きのところで、まるでその痛みに配慮を払わず、さもことばを機械の部品であるかのように、切り取ったり、貼り付けたりしたことを、とっても不愉快に、自分でも、おもいました。あとで「吐き気」がしてきたほどにです。

ばどさん。ごめんなさい。そのときは、その作業をしているときには、なんの思いもなく、無心でした。ところが、あとで文章をなんども読み返すうち、ことばがこころを裏切り始めるような気がしてきました。
それは、ばどさんの、こころのいたみのように、かささぎのこころに突き刺さり、仕事中も運転中もずうっと「ひどいことをしてしまった」と内側にくいこむ釘となって、ちくちくと刺しました。

かささぎはこれまで、たいした疑問もなく、さばきというリーダーの指し示すほうへことばもからだも預けてきた。連句とは衆の文芸とはそういうものだと思っていました。
自分に鑑識眼や批評眼ができるまでは、それは当然だと思っていた。

私は、前田圭衛子師について連句を学んできたのですが、先生は一直なさるとき、必ず丁寧な説明をなさいました。そして、ほぼ、その作品は手をいれる前よりもいい作品になった。
たとえば、何度かここでも書いたことですが、最初の座で前田師はわたしの出した百韻の匂いの花(最後の折の花、揚句の前の)二句を、今日わたしがやったように二つの句から部品だけを取り出してはり合せ、そして新しい花句として提供するという荒業をなさいました。

記憶では、かささぎの元句は、

花の下みな一斉に咀嚼音
二町分の花一斉にはららいで

というような、ごくふつうの句でした。
それが、

ニ町分の花一斉に咀嚼音

と一直、というよりパッチワークされ、驚くような新鮮な句になった。

けれども、わたしは前田師ではなく、ごくふつうのかささぎです。
何の魔力もないし、年齢もばどさんより下だし、あるいは、みんなと同じだし、ましてや前田師のように確固とした道がみえるわけではない。
それなのに、こんな横暴は決してやってはいけないのです。

ですが、かささぎは、あえてそうしたいとおもった。
じぶんのいいように進めたいとおもった。
それは、自分のさばきとしての未熟さを露呈しつつ、前にすすめば、(前にすすむというより、何度も戻っては進み、という作業になる)、さばきが、一体何を気にして、何を重んじ、なにを嫌がっているのか、何の躊躇もない立派な捌きより、むきだしで見えて判りやすいのではなかろうか。と思ったからにほかならない。

わたしは、乙四郎や、せいこさんやぼんや、たからさん、ばどさん、らんちゃん、そらんさん。みんなにさばきのできる人になってほしいと思います。
そうして、いつの日か、若い人たちに連句を伝えることができるようになってほしいと思った。

絵の教室があるとします。
ひとりの先生の指導のもと、ある一つの美意識が支配します。
それとおなじだとおもいます。

かささぎはこれまでに連句誌れぎおんで連句作品の「読み」を試みたことがあります。
そのとき、いちばん最初にとりあげた作品をいまも懐かしく、わすれることができないでいます。それは、紫薇の会(澁谷道主宰)の『一月の』という作品でした。

いま、手元にその原稿があればここに引用したいです。
それほど、その作品は、転じとは。ということについて、「?」を私に投げつけてくれたし、(というのも、おもて六句の三句ほどがずっとおなじ場所を詠んでいたから。おや。転じとは場所の移動ではないのか。と思ったことも含めて。)、作品から漂う気配がひどく私のたましいに作用して、「これはいったい、なんだろう」と思ったからです。

ばどさん。お辛いときに、まったく乱暴なことをして、いやな思いをさせてごめんなさい。

だけども、ことばは乱暴だったかもしれませんが、こころてきには、あながち的外れだったとは思わないのです。

ばどさんから昼にメールが届きました。
パソコンが使えないだけだ。心配いらない。
と書かれていました。
さては、またもや質入れか。と思ったのですが、ばどさんのことですから、また一発逆転で買戻しされるのでしょう。・・・そうねがっております。

さいいごに、乙四郎。
みんながいいづらいことを言ってくれて、ありがとう。
あなたが聞いてくれなければ、わたしは不眠症になるところでした。



ばどさんの折り端

ばどさんから、昨夜9時前に届いていました。
かささぎは眠ってしまい、早朝三時すぎまで気づきませんでした。
すみませんでした。

以下、ばどさんのメール全文。

「こんばんは。
私は消息不明や。
気が乗らんけど付句を

歩みを止めて風車吹く

稚魚踊る陽炎の影

たんぽぽ摘んで仏二度見る」

以上。

ばどさん。消息不明。

それはどういうことなんでしょう。

こっからかささぎの勝手な想像。

(取り立てにあって、居場所がなくなったんだろうか?
隊員さんにもそういう人はいる。
ことに仕事がすくない今の時期は。
自業自得。とはいえど。
ばどさんにここ二ヶ月の(有)裏紙警備保障の収支決算書と隊員さんたちの給与明細をみせてあげたい気分。
乏しいあがりのなかから、節約に節約を重ねてやりくりをし、なんとかみんなを飢えさせまいと必死でがんばっているマイボスの姿もみせてあげたいよ。)

かささぎは、なんでここで働いているのかと自分に問う。
ボスはかささぎよりもずうっとくるしい立場にいる。
でも、がんばっている。ひとりきりで。
ぎりぎりのところでがんばっている。
なにが彼女を支えているのか。
わからない。
でも、どんなときにも家に帰って毎日欠かさず墨をすって書を書くのだそう。
それが、彼女を支えているような気がします。
かな書道がボスを支えている。

さて、付句です。

連句人にとってはどんなときにも付句を出すことが一番大事。
つけてなんぼの連句道です。
どういうときにも句を出す。

って、だけど、なかなかできることではないです。
それなのに、出してくださった。
budさん。ありがとうございました。ふして御礼もうしあげます。

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    ばど

ばどさん。ばどさんはまだ「転じ」がよくつかめてないかと思います。
三句つけてくださった句の、三句ともが野原とか小川とか散歩とかのイメージ世界から出てきたものでした。
それですと、らんさんの春川から彦山の花の雲、と合わせて「三句がらみ」になってしまいます。おなじ世界を三つ続けることは連句ではタブーです。ですから、ここで転じます。転じかたはむずかしかったかもしれない。

転じ方。
場所をかえる。
きぶんをかえる。
調子をかえる。
リズムをかえる。
なりきりのその人物像をかえる。
・・・いろいろあるけど、とにかく、一面的にならないで、スイッチを色々と切り替えてみる。ということです。
これがだめなら、あれがあり、あれがだめなら、べつのものがある。
いくらでもたくさんアナザーワールドがある。それを考えて様々に試してみる。
執着したらどつぼにはまります。
ということで、かささぎはこの三句にさっさと見切りをつけ、ばどさんブログにいきました。http://622.dtiblog.com/blog-date-20090604.html

およ。セイコかえってきたんだね!おかいり。
ありがとう。ありがとう。
ばどさん。

ある午後に汝の心犯しだす bud

これをください。
くみかえますよ。
そして、出してくださった三句に使われている季語のうち、そびきものに分類されるかげろうを入れます。
天と地をつなぐものに二つあり、ひとつは降り物、雨とか雪とか。
あと、そびきもの。
けむりとかくもとかかげろうとかかすみとか。
連句ではとてもだいじなものとされる。

汝の心犯しだす午後  bud

と、まずかえてみる。
雑の句ならこれでばしっと決まるのですが、春。季語がいる。
たんぽぽも風車も前ニ句の世界をひきずる。
ではなにが。陽炎がある。
陽炎の心犯しだす午後
陽炎の芯犯しだす午後

これ、つかわせてください。
ばどさん。
ばどさんのくるしみってなんなの。
みえないよ。かげろうのしんにあるものがみえない。

久留米競輪、中野浩一杯が始まっているみたいですね。
だけど、とっても客の入りが少ないっていってた。
せっかく、ばどさんの意見を反映してもらったのにね。
(これはばどさんが久留米競輪へいったけど、酒も出さないようなとこ、もう二度と行くか!ってブログに書いていたので、それを営業の人に話して、営業はそれをだれかに伝えたのか、また酒類を限定的に扱えるようになったことを指します。・・・酒類が入ると、警備員はたいへんなのです。警備日誌をよめばわかりますが、トラブルが増えるからです。)

十年連続トップの座を守った伝説の人、中野浩一選手が、明日あさってとゲストでみえるらしいです。森高千里*や侍戦隊シンケンジャーとかといっしょに。
かささぎは競輪も競馬もぱちんこもあんまり興味はないのですが、ただ、去年『クライマーズ・ハイ』を見に行って、その映画のなかで、中野浩一の伝説の走りというものが語りとして背後をちらっとよぎっていくのを見て、あらためて競輪文化というものを見直した次第です。

ということで、やっと初折が巻き終わりました。
ニの折りに入ります。
春の起句(たてく)。どなたにたのもうか。
ろいりさんはかてかてまんじゅうですねえ。
やってみませんか。案ずるよりうむがやすし。です。
じぶんでつくっているようにおもいますが、そうではないです。
なにか、とくべつなもののはからいごころがつねにはたらいている。
そうかんじます。いつもそうかんじています。

* まちがえました!
  森高千里は『わたしがオバさんになっても』とか『渡良瀬橋』のヒットで有名な熊本出身の歌手でソングライター、あしたのゲストは、森下千里です。(こっちのむすめさんは、れーすくぃーんだった人だそうです。

2009年6月11日 (木)

「ややこ」歌仙 彦山の花の句

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  春、短句77

ひこさんから再びだしていただいた春の正花です。

1  花の宴舞うその姿心有る
2  花の雲流れ流れてどこの空

1は、花咲く下、舞台で舞をまっている人をみて、こころがこもっているなあと打ち震えながら見守っている、お囃子の人。(想像では。)
日本舞踊の舞をはじめて至近距離でみたとき、たいへん感動したことがあります。
直径一メートルほどの円が床にかかれているかのような舞。
その円のなかでそのひとは扇を手に、とっても動きのある舞をまわれました。
ぞくぞくするような色香をかんじました。これはなんなんだ。と。

「心有る」という表現がひこさんなのだと思います。実感が伝わります。

2.(らんさんの春川、そのまま使います。
春川といったときと、せせらぎでは、ゆったり感が全く違います。
せせらぎは夏の季節感がありますものね。
季節をさすことばがいくつも出ていますが、しかたない。
六地蔵も必然、そのままおきます。)

この花の座にどっちがいいか。
前句の心情に合致した句、それは花の雲のほうだと思います。
流れ流れて・・・これ、歌の文句みたいです。ちょっと思い出すだけでも、

東京流れ者:http://8.health-life.net/~susa26/natumero/36-40/tokyonagaremono.html

くちずさめる歌、なつかしい歌。そんな自然なてらいのない句。
「どこの空」がまたいいんです。まるで浪花節みたいで。

花は川のそばにたくさん咲き誇っている。
けっして流れたりはしないし、できない。
けれども、その花は川の水に影だけを映して、影だけを人のこころに残して、どこまでも飛んでいける。
こころにしみる句をありがとうございました。

で、ようやく、おりはしまでたどりつけました。笑

春の季語をいれて七七。

ばどさんにつくってもらいたいのですが、連絡できませんでしょうか。

2009年6月10日 (水)

「花も紅葉も」  定家の否定の花

花句でおろおろしていたおかげで、めぐりあいました。

これと。

見渡せば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮       藤原定家

初裏の花の定座に春の正花がない巻をさがしていました。
そうしたら『炭俵』に二つありました。
あとのほうの一巻がこの歌に関係しています。
函館の杉浦古典研究室ブログにすこし書きました。

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/comment/20090604/1244126999#comment

で、かささぎはちょうど、数日前あべしげさんのブログで定家を読んでいました。

定家の 「国宝 熊野御幸記」(三井記念美術館・明月記研究会共編、八木書店 8500円+税)の熊本日日新聞書評。
http://facta.co.jp/blog/archives/20090526000866.html

この時代、後鳥羽院の時代です。
定家がいて、法然がいて親鸞がいて小侍従がいて行空がいて。
よみたいなあ!高いけど。以前の自分なら迷わず買っていた。

見渡せば花ももみぢもなかりけり。

こう書かれたら、すぐにまなうらに春爛漫の花がうかび、秋湖に映る真っ赤な紅葉が浮かぶ。
「なかりけり」と否定される事で現前する不思議。
このことを、塚本邦雄はこのように書きました。

以下、『新古今新考ー断崖の美学』(花曜社刊・塚本邦雄著)より引用。

藤原定家という人はそんな単純な歌人ではありません。
恐ろしいたくらみに満ちた、老獪を通り越して狡くいやらしいといってもいいくらいの技巧を持った歌人です。
余談になりますけれども、彼がそういう点でいかに老獪であるか、『近代秀歌』や『詠歌大概』を読めば一目瞭然です。
『近代秀歌』は、源実朝が十七、八歳の時に頼まれておくった、歌を詠むための秘訣の本ですが、これにはこういう歌は作ってはいけない、こういう言葉を使ってはいけないといったことが書かれています。
『新古今和歌集』には、「秋の夕暮」と言うかわりに「夕暮の秋」であるとか、「空の横雲」と言うかわりに「横雲の空」という倒置法ー後にいうべき言葉を先に言って、特に注意を喚起する、と言う詠み方がいくつもでてきます。

定家はそうした倒置法を盛んに用いています。
ところが、定家の歌論書では、「秋の夕暮」と言えばいいのにわざわざ「夕暮の秋」と言うのは、邪道であって馬鹿々々しいというようなことを、とうとうと述べています。
しかも、その舌の根の乾かぬうちに、自分ではとくとくとそれをやっています。
自分でやっておきながら、人には止めさせている。逆に言いますと、私のような名人以上の者はやってもいいけれど、お前のような初心者はやってはいけないのだということの裏返しです。それくらいの深読みをした上で、この「見渡せば・・」も読まなくてはならない。

「花も紅葉もなかりけり」というのは、華やかなものは何もない、艶なるものは何もないという否定です。
でも、どうでしょうか。
「花も紅葉も」という言葉が口から出たら、それを受けとめた読者は、「なかりけり」と打ち消されたところで、絶対にもとの虚無の世界には帰れない。
打ち消されたことによって、白々と咲きかすんだ桜の花と、血のような紅葉の色は、打ち消さなかった以前よりも、言わなかった以前よりも、遥かに鮮やかに目に立つではありませんか。
花が咲いている、紅葉が映えていると言った時には、さして印象に残らない事物が、「なかりけり」と打ち消したことによって、鮮やかにひき立ってくる。

これは少し違いますが、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という在原業平の歌を、私は非常にたくらみのある面白い歌であると思います。
貫之は『古今和歌集』の序で、業平のことを漫罵に近い言葉で、言葉が足りないというふうに言っていますが、「世の中に絶えて桜のなかりせば・・・」という傑作を読んでいますと、逆だと思うのです。
もしもこの世の中に桜というものがなかったら、どんなに春はのどかであろうという、これは勿論逆説です。
逆説ですけれども、明らかに無いものねだりです。
恐らく定家は無いものねだりの打ち消しの例のあまたを心に置いて、打ち消すことによってなくならずに、打ち消さなかった前よりも更に激しく濃く心に甦ってくる効果を十二分に計算して、こういう歌を詠んだ。
だからこそ、「なかりけり」という三句切れに一応の断絶をみる効果も、他の三句切れとは遥かに意味のあるものになっている。
しかも、「浦の
苫屋の秋の夕暮」という何の変哲もない、決まり文句=常套手段と言ってもいいような下の句をおいたのも、効果を充分計算に入れての上だと分ります。

2009年6月 9日 (火)

連句の花。

簡単そうで難しい。

歌仙「ややこ生る」の栞(しおり・初折)の花。

彦山からと呂伊利さんからと出していただいた。

いずれも初めて「句」を作られたもので、とっても思いのこもった作品です。

彦山句

1さみだれのかおりもいづるはなしょうぶ
2里の池ひっそりいきづくはなしょうぶ
3桜木の青葉の色もここちいい

呂伊利句(花一句、月一句)

1花散りしのちにめでたや葵っ子
2孫といて守りも楽しやルナ(月)の盆

* 1 葵・・・ややこの名前を織り込んでいます。
      (葵、アオイは夏。この名前、だれもマモルとは読めない)
* 2
  孫といて・・・頭韻は「ま」
  守も楽しや・・・頭韻は「も」
  ルナの盆・・・頭韻は「る」、と三句で「まもる」の名前をおりこみ、
 ぼんへの挨拶がルナ(月)の「盆」で尽くされています。
(一見なんでもない句に見えて、実はすごい凝った句。)

ここに二人の句が5句。
うち、連句人のつかう「慣用的なことばの意味」で花の句といえるのは、呂伊利さんの花散りしの夏の花句のみ。夏というのは葵が入っているからですが。
それは作品の出来いかんではなく、花とは何かという定義が連句の場合独特だからです。

花ということばを入れていなければ花ではない。
花しょうぶは花ですが、連句の花にはなれないのです。
桃も梅もチューリップも「さくら」でさえ、正花(しょうか)にはなれない。
花は花であって花でなく、なによりも花でなければならない。
イメージとしては桜がさいているすがたを描きつつ、花ということばで花をよむ。
と、はじめての人には説明されます。それでなんとかそのようにして入っていきますが、では「花」がみえるのかといいますと、なかなかむずかしいです。
第一自分でもさっぱり言ってる意味がみえてきません。

そういうふうに書いています。そういうふうに書かれています。
これまでいろいろと連句辞典や連句の本をひもといて、説明をよみましたが、これという説明に出合った事がありません。

けれども、そういうものが「花」です。

連句では美の象徴が花であり、月でありするのですが、月より花、ことに揚句の一句前に置かれる匂いの花(ニ折の花)へ向けて、一巻が収斂されていく。

そこで、ここの花になにをおくか。

まだ見えてきません。
発句が夏ではなかったら、たとえば春でしたら、ここの花は夏の花でもよかったかもしれません。けれども、夏は発句です。どう考えてみても、ここに置くのは、春の正花です。

花便り、花の宴、花の雲、花の山、花吹雪、花の冷え、花冷え、花衣、花疲れ、花の客、花筏などなどなど。
こういう言葉を入れて花をよんでください。

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの地蔵様    たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺のせせらぎ  らん
11
12 

2009年6月 5日 (金)

『ややこ生る』 花前

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川  らん
11  花  (五七五)        彦山

とうみょうじらん花前句案

1春光を浴びゆたりと流る
2 ゆったり下る野辺の春川

シュンコウ、ハルカワがこないだ言った理由で気になります。
一巻に直接季節の名をさす言葉は一つか二つに留める。
他に言葉を捜してみましょう。
野辺の春川、野辺の小流れ。また小川だと三音。
せせらぎがあったな、とおもいつく。

しらべてみる。こんなふつうのことば、しらべたこともなかった。
せせらぎ、古くはせせらきとも。=浅瀬などの川の流れる音、またはその流れ。
なのだそうです。かささぎはここでなぜか、あららぎ。ということばを思い出す。
ついでにひく。すると。

あららぎ=塔を表す。斎宮で言う忌み言葉。またはイチイ、ノビルの古名。ほかには伊藤左千夫などのいた短歌誌。 

以上、ラギつながりでした。
「せせ」はせまいという意味だろう。せせこましいってことばもあるくらいだし。
「あら」は新とか荒、粗削りに通じてる。
また、川でないのを出すとしたら、なにかあるだろうか。
せっかくゆったり下るのだから。別に川でなくてもいいなら。
あさじふ。ということばが唐突にひらめく。浅茅生。
前句をうければ、あさじふは雅な歌語であり面白い。んが、茅は秋だったか。

(ここで、じっさいにせせらぎと置いてみました。すると、季節感がなんとなく夏です。春川のもつゆったりしたかんじがせせらぎだと失われる。もとにもどします。6月9日追記

小川沿いの小道を作者はゆうるりと下っています。
名詞どめが続いていますが、花前もこれで。
つぎはいよいよ花です。
どなたか、出してくださいませんか。
せっかくですから、呂伊利さんにだしてほしいけど、最近みかけません。 

おーいろいりーさん。だしてください。まだ何も出してもらっていません。
花ということばを入れて、こころの映像にうかぶあなたのさくらのはなを、五七五にまとめてください。ここでの注意、名詞止はさけてください。あと、地名はいらない(鳥栖がでています)。

ろいりさんがここ、栞の花。
匂いの花は、ぼんのご主人、彦さんにだしてほしく思います。
彦さんは謡曲を学んでおられるので、きっと「心の花」があるでしょう。

ほかに、かささぎはわれらの同級生である丸山消挙にもせめて一句、出してほしいと願っています。原爆忌のところでワッとおどろくような迫力の句群を出してくれた。この人はきっとたくさんことばをもっている人だとおもう。かささぎのカン。
中山宙虫がいないけど、ま、しやなかたい。
そのうち、かえってくるよ。つれもどすよ。大切ななかまだから。

ばどさんには、ナウで恋をだしてもらいましょうね。
出番をもうけずにごめんなさい。ちょっとまっていてね。
恋句かんがえていてね。

2009年6月 3日 (水)

『ややこ生る』 裏花前まで。

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの地蔵様    たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭

10 花前句、77、春
   
ぼん付句案
1  向こう岸から我を呼ぶ声

2  グランドゴルフ赤白黄色・・・○

3  千円高速騒ぎいつまで

姫野、次の付句案
1 俳諧は卑俗で俳句は高尚で
2 天上の風ふく虔十公園林
3 ひっそりと橄欖石(かんらんせき)は息を吐き

選句1にかえます。
このことばは連句協会報の東京は遅刻坂連句会・大久保風子さんのエッセイに書かれていたものです。そっくりいただきますよ。
すんまへん、ふうこさん。
ことばはぬすむべし。それにしても、このことば、奥がふかいなあ。

つぎは花前句、さらりと七七。春でも雑でも。みんなだしてよ。
練習とおもって。

凝ったつくりの句じゃなく、さらりとしたさりげない句。
十一句目は花の座です。花はだれにだしてもらいましょうか。
ろいりさんはいらっしゃいますか。

2009年6月 2日 (火)

『ややこ生る』  裏6、7

1寒月ゆれて立ち止まる君

2 ふりむく君と冬の三日月

3 刹那煌めく冬の満月

             青翠えめ

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの地蔵様    たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ

えめさんは俳句も連句もはじめてなのだそうです。
ですが、どことなく句がサマになっているのは、歌をよく聞かれているからではないでしょうか。このかたの写真、麦畑の。打たれます。

選句最初ぱっとみたとき、3の刹那句にひかれた。
ところが、そのままおいてみると今ひとつしっくりせん。
いろいろやってみて、
ゆれる寒月+刹那をおいて、ひとまず着地。
冬という季節を直接指すことばをここではもう使いたくない(夏霧の夏、秋扇の秋、とニケも既出)のと、人を、ことに君ということばは出したくなかった、どうしてかというと安易な気がした。どうしてかというと、青臭い気がした。そうだと三句絡みになりそうで。
刹那がきらめく。これぞ、恋です。せつないなあ。
つぎは、もう一句冬を長い句でおねがいします。
575、なんでもいいですが恋からウンとはなれてください。もう一句恋でも悪くはないのですが。旅の句とか地名の入った句とか時事句とかじじい句とか。
変化変化変化。です。
わらいたいよね。


たから句の六地蔵は、六道輪廻をそれぞれ制する地蔵さんらしく、すこしおもいので、たんなるお地蔵さまにかえたいとのことです。地蔵尊にしようかとも思った(ぼん案)けど、かわいらしくてやわらかい、お地蔵様にしましょう。

それにしても、おじぞさんのもともとの意味、「大地の子宮」だった。

ちょっとまって。
「刹那」ってもしや、釈教?
なんかそんな気がしてきた。
だけど、みのがして。さばき、まぬけだし。いいよね。
うちこしじゃなく、すりつけです。(かささぎ)

冬の長句        (せいこ)
(じじい編で。ばばあ句ともいふ)
障りもべたつきも無視して、気の向くまま。笑

1、格子柄飛柄縦縞布団柄
2、モスリンのジャケツが脱げん昼日向
3、マグダラのマリア紙衣(かみこ)を纏ひたり

モスリンのジャケツをしらない人でも、イメージはわいてくる。
おかしい、うちの母みたい。

なんめでんきてから、しやなか。あつなったら、いちめにめちぬいで、そりばハウスの芯棒さんひっかけなさると。それがああた、ちょいとじゃなかとです。もたもたして、いもむしのごつして。みかねてこっちからひっぱってやっとです。・・・おお、なんとゆかしき八女のお国ことば。

前句のきらきらした句の世界へうしろからけりを入れる、俳諧性の一句。
乙四郎句の口語体「ごめん」と「脱げん」が少しきになるので、一字かえた。
句が死ぬかなとおもったけど、意外とだいじょぶだった。

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの地蔵様   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ    冬
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子  冬
8 雑
9  雑
10  雑
11  花
12  春

つぎは。時事でもなんでもいいですから、だしてください。
77、季語なし。ばどさんも、やってみませんか。
前句、おじいちゃんが四苦八苦してセーターを脱ぎよんなさる。
ぽかぽかのひだまりのなかで。
その人につけるか、まったく違うとこから句をだして。

だせないもの、恋、仏教、病、星

2009年6月 1日 (月)

『ややこ生る』裏、冬月で恋

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん(元句に戻します)
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5涙雨そ知らぬふりの六地蔵    たから

一句目、「不器用に繕う君の青い糸」
とてもいじらしい句、少女が繕い物をしているのを少年がみているようでもあり、関係修復を図ろうともたもたしてる図のようでもあり。
けれども、この句をここにおけない理由が二点。
一つは発句に青が出ていること。こんだけ離れているから構わないけど、青は結構めだつ。
つぎに、打越にあるきれっぱしというお裁縫用語と同じコードの言葉、糸が。これは見送ります。

2、涙雨そ知らぬふりの六地蔵

心の宝を壊すってどういうことをさすのだろう。
謝っている人は泣いている人とどういう関係だろう。
と考える時に、六地蔵が示唆するものは、なんでしょう。
べたつきなのですが、釈教をいれたことでふくらみが出たし、場の句にしたことで簡潔に情景だけがうかぶ。降りものもとてもいいですね。

3追って来る影重なりて風の道


ここで迷う。
恋句としてみた場合、3と2ではどちらが思いが強いだろうかと。
恋句の展開として、2がまずべたつきでつき、それに付ける恋句が3です。常套的には3のほうがほどほどの距離間あるいい付句なのですけど、ややあったり前だのクラッカーみたいな抱擁図です。ほうらね。むずかしかろ。恋句。下品にならず、かといって色気がなければならず、叙情性もいるものね。
だけど、恋句に六地蔵は珍しいですね。
チベット展ポタラ宮をみてきたばかりです。
これいただきます。
で、次はもう一句恋、冬月。涙雨を恋離れにしてしまうと恋があまりにも薄いのでもう一句作ってください。全員で考えよう。
↓六地蔵

penこんばんわ
恋句って季語はいらなかったですよね?

☆ 泪川 路上ライブの声響く
☆ 肩ならべ 箸からまりて ぐいの飲み
☆ ふりむけば 月照らしおり 夜の海

ではおやすみなさいnight

club↑2句目書き間違えました。

☆ 肩ならべ 箸からませて ぐいの飲み

<情景>
1中洲の出会い橋付近
2居酒屋のカウンターで親密な後姿
3ふと・・思っている人の声が聞こえた気がして

えめさん三つもありがと。
ここ77です。短句。
冬の月を涙雨のあとであげるのですが、

月の座がどのあたりでくるか、連衆は心得ていなければなりませんが、初折では裏六句目、七句目、八句目あたりが最も月の出没する穴場だと思ってください。月は引き上げたり押し下げたりすることができます。→面の中で移動可能という意味。大学で最初に巻いた一巻『海へ拓ける』は初裏の月がかなり変則的な位置にひきあげてありましたよね。あれは、さばきの姫野が歌仙一巻をぶっつけで巻いたので、季順をあたまで組み立てていなかったため、オモテで春の句を四つ、一つの雑をはさんで折端に秋、そのまま裏に入って秋となり、秋は必ず月を一個だすのがきまりですので、そうなった次第です。あれはあまりバランスのいいめぐりではありませんでした。なんでも失敗しないと見えないものです。

式目)月はオモテ五句までに一個。秋の場合は素秋(すあき・連句用語、月の句のない秋)を嫌う。ふつう、歌仙三つの月の座のうち、初折裏で一つ秋以外の月を出すことが多い。

月凍る、月寒し、月冴える・・・これは冬の月です。このどれかをどこかにいれてどういう場面で出すか考えてくださいまし。泪川とか泪壷とかだめですよ前に出てる、涙雨が。
三句目の何も付いてない「月」これは秋になります。

あ、それいいです。
3.
これをそのまま句にできないかな。
月冴え冴えときみの声して
月凍る夜は君の声する

(これはかささぎが勝手にやったもの。)
えめさん、自分のことばでやってみませんか。冬の月の季語をつかって。
きっといい付け句がでそう。

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5涙雨そ知らぬふりの六地蔵    たから
6                    えめ

7 冬長句

 

2009年5月30日 (土)

『ややこ生る』歌仙、初裏の恋

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現るる玉石       ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 

1秋扇追ひ払ふものと掬ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら

4 心の宝こはしてごめん       乙四郎

整子案

1、輪郭なぞる風の指先
2、キミはいつたいたれなんだらう
3、じぶんの過去を憎むひとたち
4、アールグレイは檸檬が似合ふ

乙四郎案

1 心の宝こわしてごめん
2 その一言をためらう意固地
3 素直になれず損してばかり
4 心背きてなぜに悪態

5 たいせつな人追い方知らず

選句

恋前としてのさくらさんの句は、さまざまな喩をはらんでいる。
せいこ、おつしろうどちらも沢山つけてくれて有難う。
いくつか惹かれる句がありますが、その中からどれか一つ取るとすれば、
せいこ句では、1かキミはいったいだれと自分に聞く句(かささぎ読みではそう、恋をしてまったくみたこともない自分になるのをまじまじと見ている少女の目)、
乙四郎句では1か5だと思いました。
そのうち、せいこ句の風の指先は句のもつリズムがこれまでと同じラインから出ているので、変化が感じられません。
そこへいくと、2の自問自答のような句(たとえていえば、大貫妙子の名作「みずうみ」http://www.youtube.com/watch?v=iWXrXfFcKw8っぽい)は、ものすごい変化球です。

少女。少年。みんな一度は通る初恋。
机の引き出しの中にはその人へつながるものがきれぎれに詰まっている。
キミはだれ?
あたしはだれ?エヴァンゲリオンのコピー、「ぼくは君に逢うために生まれてきた」。
そんなせりふを思い出させる青くさい思春期の恋。

これをとりたくてとりたくてどうしようもなかった。
しかし、これをとれば、次の句は結構むずかしいとおもった。

乙四郎句、1と5。
5はおりたて句の「おいはらう」にかぶさる部分がありました。そこまで気をつかわなければいかん世界なのです。
それで、ドラえもん風な単純な1をここにいただきます。
前句のもつ世界とおなじコードから出て、思春期の恋とも読める。

だけど、いい句だしてもらうとホンと、うれしいです。

つぎも恋。長句。季語なし。たからさん、恋だしてみませんか。

2009年5月29日 (金)

最近の連句文音で学んだこと

椿紀子と書いて、「つばき・みちこ」と読む。

能面を刻む仕事をなさっておられると以前、師に伺った。
そういえば、いつぞや留書で『裏の景色』と題する椿さんの文章を拝読した記憶が蘇る。
たしか、鬼女の面の裏は荒削りであり、それをつけると気が波打つ。
と、そんなことどもを綴っておられた。

前田圭衛子師の文音の座に加えていただき、この方と十年ぶりくらいでご一緒する機会を得た。
猫蓑のベテランの連句人であり、この世界では名のあるお方なのである。
緊張した。
五人での付回し歌仙、付回しとは、前の人の三句から一句を選句して、それに三句をつけて次の人へパス。という捌き不在の連句である。

何度か椿さんが私の句を選句なさるときがあったが、目のつけどころが非凡であった。
また、私が選した句を、差し替えされた箇所がある。
それを今、忘れぬうちに書いておきたい。

戦争はもうしませんと冷素麺  紀子
   疎開の子らの覗く節穴   安芸
望の月ただ青々と清清と     恭子

紀子さんのひやそうめんの句、深い諦念が隠されている。
それにつけるに、安芸さんの疎開のこどもたちの遊びの句。
横から、紀子さんがこうおっしゃっいました。

「戦争に疎開の句は付きすぎ感があります。
疎開体験者としても、四六時中覗かれることはあっても、覗いてまわる自由はなかった記憶があります。どうか他の句にさしかえてくださいませんか。(秋の「天竺まもり」などどうでしょう)。」

ハッとした。
そうだった。石橋秀野にも疎開中の苦しいわびしい暮らしを詠んだ句がたくさんあり、通りすがりの人たちに家の中を覗かれる辛さを詠んだ句が一つあったのを思い出した。

昭和21年、京都鳴滝時代

 戸障子さへととのはぬに
ひとの家のぞきこみゆく墓参  石橋秀野

そういうことを思っていると、なぜか次のような句が思い出された。

戦争を面白さうに泥鰌鍋  

はて。
これは一体、だれの句だったろう。
と思案するうち、はたと思い出す。
忘れもしない、あれは黛まどかの一句だった。
なまじ美しい女は軽くみられがちだが、かような俳諧的な一句が書ける俳人である。

   


2009年5月28日 (木)

「ややこ」 二案

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 


1秋扇追ひ払ふものと掬ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4恋、77

神崎さくら裏3案

鳥栖の人なら久光のはなしはいっぱいあります。
鳥栖高校から毎年どっと就職したので、親しい友人はほとんどあの会社へ就職してたし、隣近所にもいっぱいあの会社勤務の人がいたし、鳥栖の生活を支えていたことが今わかりました。


サロンパスにつなげてもいいのですか?
全然関係ないものを作るんですか?

下記適当
1シップ薬貼りて友は散策楽しむ
2切れ端のサロンパス引き出しにあふれ
3家々にサロンパスのにおい鼻をつき
4病院でもらうシップ薬、たぶん久光製

隣近所のサロンパス勤務のおじさんたちが切れ端をいっぱいもらってきてくれていました。
形が四角じゃなくいろいろな。
遠い昔ののんきな時代の話です。
以後禁止されたようです。(さくら)

さくらさん。

初めてきくお話と四つもつけ句をありがとうございました。
句の付け方は、べたつきでつけて、それからべたの部分を引き剥がせばいいと最初に習います。
これはその典型的な例だとおもいます。
どの句も、べたつきの部分、(ちょうどサロンパス)をはがしますと、とても面白い雑の句になります。

1貼れるだけ貼って散策楽しみぬ(商品名と誰がを消す)

3家々にただよふ匂ひ鼻をつき 
4苦笑。ユーモラス。モーラスっていうんでしたね。
むかしは、サロンパスの箱、右から左へ書かれていました。
スパンロサ。

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 

1鶏頭の種子くろぐろと掌にこぼる  せい
2  たった一人で守る灯台      きょう
3履歴書の趣味欄埋める軽い嘘   おつ
4  年端もいかぬ娘でありぬ    ぼん 
5琵琶法師

1 履歴書の趣味欄埋める軽い嘘
2 古家電エコの御旗でゴミとなる
3 筆跡をあたたかくせし肥後守 (乙四郎案)

履歴書の趣味欄埋める軽い嘘
  ブリッジに惚れた年端いかぬ娘

(ほりけんが結婚したと今TVで言っていたので)happy01
22歳、うちの子より若い。(ぼん)

2009年5月27日 (水)

『芭蕉七部集』にあるすりつけの例

では、実際の「すりつけ」(同属の物をすりつけ)の例をひきます。

出典 『芭蕉七部集』


花に植物をすりつけ例:または花前に雨とか花前に植物

▼一巻にふたつもある例

一里の炭売はいつ冬篭 一井(発句)
   中略
若者のさし矢射てお(を)る花の陰 一井         
  韮(にら)くらふ香に遠ざかりけり 鼠弾 
   中略
ぬくぬくと日足のしれぬ花曇  長虹
   見わたすほどはみなツツジ也  胡及 

これはすりつけじゃないけど、うちこしが植物同士のさしあい。
すごい生き生きとした歌仙。
いろいろの名もむつかしや春の草 珍碩(発句)
   中略
  また泣きいだす酒のさめぎは  人
ながめやる秋の夕(ゆふべ)ぞだだびろき かけい
  蕎麦真白に山の胴中(どうなか) 人
うどんうつ里のはずれの月の影  かけい
  すもももつ子のみな裸むし   人
    中略
  しきりに雨はうちあげてふる   人
花ざかり又百人の膳立(ぜんだて)に かけい
  春は旅とも思はざる旅    かけい


石橋秀野が随想に引用していた「四十は老のうつくしき」

看経(かんきん)の漱(せき)にまぎるる咳気声
  四十は老のうつくしき際(きは) 珍碩
髪くせに枕の跡を寝直して      乙州
  酔を細めにあけて吹(ふか)るる  野径
杉村の花は若葉に雨気づき     怒誰
  田の片隅に苗のとりさし     泥土



畦道や苗代時の角大師  正秀(発句)
  中略
 やしおの楓木の芽萌立(もえたつ)秀
散(ちる)花に雪踏(せった)挽(ひき)づる音ありて 碩
 北野の馬場にもゆるかげろふ   秀


有名な『鳶の羽も』(スイゼンジノリが出る巻)にも。

鳶の羽も刷(かひつくろひ)ぬはつしぐれ 去来
  中略
 芙蓉の花のはらはらとちる   邦
吸物はまづ出来されしすいぜんじ  芭蕉
 三里あまりの道かかえける  去来
この春も慮同(ろどう)が男居なりにて  邦
 さし木つきたる月の朧夜   凡兆
苔ながら花に並ぶる手水鉢  芭蕉
 ひとり直りし今朝の腹だち  去来
    中略
 たたらの雲のまだ赤き空  去来
一構(ひとかまへ)鞦(しりがい)つくる窓のはな 兆
 枇杷の古葉に木芽もえたつ  邦

これまた高名な『市中は』の巻にも。

市中はもののにほひや夏の月       凡兆
  あつしあつしと門門(かどかど)の声  芭蕉
二番草取りも果さず穂に出(いで)て    去来
  灰うちたたくうるめ一枚          兆
此筋は銀(かね)も見しらず不自由さよ   芭蕉
  ただとひやうしに(突拍子に)長き脇指 去来
草村(くさむら)に蛙こはがる夕まぐれ    兆
  蕗の芽とりに行燈(あんどん)ゆりけす  芭蕉
道心のおこりは花のつぼむ時        去来
  能登の七尾の冬は住うき         兆


灰汁桶(あくおけ)の巻


灰汁桶の雫やみけりきりぎりす 凡兆
  あぶらかすりて宵寝する秋 芭蕉
新畳(あらだたみ)敷きならしたる月かげに  野水
  中略
すさまじき女の智恵もはかなくて  去来
  何おもひ草狼のなく    水
夕月夜岡の萱ねの御廟守る  芭蕉
  人もわすれしあかそぶの水  兆
(思い草と萱は縁語のすりつけ)
(あかそぶの水はかなけみず)

実にたくさんありますね、すりつけ。
それに、作品がとっても面白いし、情がふかい。
じぶんたちのやっている今の連句の不自由さは、いったいナンなんだよ。
って半ば怒りすら感じてきた作業でした。
なにかわたしら、式目を大きく誤解してないだろうか。

と、ほんと、めちゃくちゃむかついて自己嫌悪する孤独な作業でした。

2009年5月26日 (火)

裏折立句と二句目「ややこ生る」

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 


1秋扇追ひ払ふものと掬ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄える久光製薬*     恭子

旧仮名遣いでは「栄える」は「栄ゑる」「栄へる」「栄ゆる」いずれでありましょうや?・・・古語辞典で確認、栄えるでした。

*

金美齢さんのお話の中で印象に残ったことの一つです。

「サロンパスで有名な久光製薬は昔とかわらず本社を鳥栖におき、地域に貢献している。今時とても立派である。」とのことでした。マラソン好きのらんちゃんもこう言っていた。久光の社長さんはマラソンに出てはサロンパスを配られている、と。
http://www.hisamitsu.co.jp/company/enkaku.html

前句との距離、ついているのかいないのかよくわからない。
こういうのは疎句(そく)といいます。べたつきは親句(しんく)。

(企業の回し者ではございませんのでご安心ください。)

つぎは、もう一句雑か、恋前句をおねがいします。
鳥栖出身のさくらさん、お願いします。
あるいは、マラソン好きなロイリさん、どうぞ。
どなたでも、なにかひらめいたら句をだしてくださんせ。

(しっかし、こっからどうやって恋にもっていけるだろう?)

2009年5月25日 (月)

チューニング中、「ややこ生る」

ぼん、助け舟さんきゅ!

圭衛子師はこういうときおっしゃるのです。

うまくいかないときには一つのことばに執着しない。
なんぼでも捨てるほど言葉はあるから、同じ意味になる他のことばをもってきたらええんです。転べば転ぶほど言葉は磨かれてどんどんよくなっていくよって。
こういうチューニング、座でなら一分もかからない。
それと、乙四郎のいう、だんだん崩れてきたという指摘は、第三、さくらさんのはねぶた囃子の風格が普段着で自転車ではあまりにもユルくなるってことだろうとおもう。しかし、七部集『炭俵』のなかに、こんなのがある。

百韻のおもて八句。

子は裸父はててれで早苗舟  利牛
  岸のいばらの真っ白に咲  野坡
雨あがり珠数懸鳩の鳴出して 孤屋
  与力町よりむかふ西かぜ  利牛
竿竹に茶色の紬たぐりよせ   野坡
  馬が離れてわめく人声    孤屋
暮の月干葉(ひば)の茹汁わるくさし  利牛
  掃(はけ)ば跡から檀(まゆみ)散る也 野坡
  
「ててれ」はふんどし。迫力の俳諧。なんの気取りもてらいもない。
ありのままの庶民の暮らしが生き生きと描かれている。

これがあたまにあったので、さくらさんのフリマー句も自転車乗ってTシャツでの句も、よかじゃんね。ってすぐ思ったんだけど、連句の常識としては、略語やあまりにもかっとんだ言葉はおもてには適さない。
だから、フリマーは蚤の市にかえる。
第三は以下の形にします。

蚤の市自転車こいでTシャツで(乙四郎案)

再再々やりなおし

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子 

1鶏頭の種子くろぐろと掌にこぼる  せいこ

2 ァ たった一人で守る灯台
  イ  妖怪辞典でさがすツチノコ
  ウ 上司が愚痴をこぼす口元


1秋扇追ひ払ふもの掬ふもの  ぼん

  ァ ツチノコ探しの旅に出たきり
  イ 鳥栖に栄える久光製薬 
  ウ 広告紙の裏に家計簿

適すると思う組み合わせを一つ選び、付句をお願いします。
選択の自由が与えられていることの不自由を味わって下さい。

次は雑または恋前。季語はいりません。




 

  

2009年5月24日 (日)

再々「ややこ生る」裏1

再々やりなおし

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  夏
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  夏
3自由市Tシャツを着て自転車で     さくら  雑
4  なじみの店のコーヒーの味     乙四郎  雑
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  秋月
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子   秋

1 秋扇追ひ払ふものと掬ふもの     ぼん

1 鶏頭の種子くろぐろと掌にこぼる  せいこ

候補はこの二作です。

あとは宗教句(祭り句など)とかさわりがある句でした。
服の句はシャツが出ているし、コーヒーが出てましたので、ぬたは出すまい。
鶏頭句は前句にあぜ豆、発句に青葉と植物が二つも出ているのですが、妙に印象に残るので、捨て切れなかった。

このいずれかにつけて、七七で雑か恋前句を。

2009年5月23日 (土)

おわわ、ねぶたは秋!

やりなおし

1目に青葉やま時鳥ややこ生る       恭子  夏
2  夏霧けぶる玉石の段(きだ)       ぼん  夏
3自由市Tシャツを着て自転車で      さくら  雑
4  行きつけ店のコーヒーの味     乙四郎  雑
5望の夜の甍の波の光るらん        らん  秋月
6  田畦豆(たのくろまめ)を包む小筵  整子   秋

はらほろひれはれな展開。いえ、ごめんなさい。
まさかねぶたが秋の季語とは。
暑いさかりの祭りで、立秋にはおわるのに。
なんてこったい!しかし歳時記には絶対服従です。
南のもんには東北の人たちのあつい想いはわからない。

おもて六句の禁忌。

神祇じんぎ・釈教しゃっきょう・恋・無常(死)・述懐・懐旧・妖怪・地名・人名・病態などは初折のおもてには出さない。

その視点から、脇の「いつか来た道」を変え、第三のねぶた句も変えました。
第三のねぶたは祭り、まつりは祀り、かみさんごとです。
連句をやっているとそういう分類に神経質になるし、同じようなもので、別のさわりない言葉を捜してくるのがうまくなる。
こうして沢山の語彙が集まります。
これは文芸に携わるものにとっては、武器が増えたことを意味します。
無駄ではありません。
今回この頁をかくために、芭蕉七部集のすべての歌仙のおもてに目を通した。発句には何を出してもいいので、伊勢参りがあったけど、ほかの位置にはなかった。あ、一つあったな。四句目くらいに角大師の句が。つのだいし。伝教大師、元三大師ともいいます。深大寺にも祀られてますし、久留米の宮の陣にもあります。関係ないか。

あとは五句目くらいにねのひのまつりのある巻きと、祝い餅を食べる句があるだけで、見事なまでに宗教色は表にはなかった。

もう一つ書きます。

それは第三のかたちといって、三句目はとめかたがきまっている

句のさいごを、「に・にて・て・もなし・らん」のいずれかで留める。
「で」これは「て」の変形だと思う。
「みてごらん」といって、第三で「て」、五句目で「らん」を使いました。
ちょうどらんちゃんのとこに「らん」がきた。

乙四郎句、いじったけど、あまりいいなおしではありません。
気になるのは、シサン*と上下が切れてたこと。
行きつけのカフェいつものコーヒー
シサンとは、下半身が四・三のリズムになることです。
いつもの=四音、コーヒー=三音に近い四音
シンプルな句なのにね。
発句がぶちぶち切れているので、流したい。
ほかにあったらさしかえますのでどうぞ。
さくらさんも、自由市のところにもっといい言葉があれば差し替えます。

フリマーでは連句の市民権はまだ得ていないようです。

ああややこしや。

歌仙『ややこ生る』 裏立句

5月9日起首

1目に青葉やま時鳥ややこ生る       恭子  夏
2  夏霧けぶる玉石の段(きだ)       ぼん  夏
3自由市ねぶた囃子の響くらん       さくら   夏
4  行きつけ店のコーヒーの味      乙四郎  雑
5望の夜の甍の波の照り映えて      らん  秋月
6  田畦豆(たのくろまめ)を包む小筵  整子   秋


1   秋の折立句。

折立句(おりたて句)というのは、歌仙の裏に入ってすぐの句で、立て句ですからしゃっきり立っていて、裏の始まりですので、変化への予兆をはらんでいなければならない。

「さまざまの」半歌仙での兼坊さんの折立、蛇の場の句を最初敬遠したのは、それが生臭かったから。前句の鞍上の風をまっすぐ受けて響き付けのように出ましたが、あれは生きていた。恋前のような句にぎょっとした。そういう生きた句を、なげてください。
しかし、まだ恋句や恋前句は出さないで下さい。

なんでもいいけど、秋の季語を入れて575。

これは夏が三句も出ています。
ふつうは夏や冬は二句までしか続けない。
一句で捨てることも多いです。
しかし三句まではいいと式目書にはあります。
滅多にないことです。

ぼん。長らくお待たせしました。

赤ちゃんの名は葵くん。まもるくんと読むそうです。

草冠にみずのと。癸はすなわち、きぼうのきです。
みずのとの中でももっとも運気がいいといわれる癸卯(きぼう)の癸。

第三、さくらさんの句の「フリマー」が今ひとつこなれません。
おもいきって、自由市と訳して置いてみる。
俳諧でのことばは、こうやって市民権を獲得していくのだと開き直るしかない。
だって、実際にはもう三十年近い歴史があるみたいだから。
蚤の市では表現できませんもの。フリーマーケットじゃないと。

脇起半歌仙『さまざまの』 満尾

起首5月6日 満尾5月21日

さまざまの事おもひ出す櫻かな   松尾芭蕉 
  花を見しこと花見ざる事     杉浦兼坊
春月が朱に染めあげる洋(わた)なかに 姫野恭子
  トランジスタのボリューム高く    山下整子
大襷大和撫子大舞台         竹橋乙四郎
  鞍上の風夏帽子飛ぶ      澄たから


くちなわの肌ぬめぬめと砂を這ひ   兼
  そこから先はご法度である     整
瀬戸凪いで小舟のやうに思ふひと  青翠えめ
  ランデヴーせしアポロ・ソユーズ  乙
動名詞「~deny」と打ち消して     恭
  身を切る風の中の葬列         兼
漆黒の闇を知らぬ子月冴ゆる    たから
  草食獣も爪を研ぎます         整
古き良きレコード盤に傷が付き       八山呆夢
  自恃自照てふ雛の酒あり     恭
散りゆきてふたたびの幽花の川   えめ
  穀雨にめくる天金の辞書     たから

2009年5月20日 (水)

脇起半歌仙『さまざまの』 花句

脇起半歌仙『さまざまの』の巻

さまざまの事おもひ出す櫻かな   翁   
  花を見しこと花見ざる事     兼坊  
春月が朱に染めあげる洋(わた)なかに 恭子
  トランジスタのボリューム高く    整子
大襷大和撫子大舞台         乙四郎(雑)
  鞍上の風夏帽子飛ぶ      たから(夏)


くちなわの肌ぬめぬめと砂を這ひ 兼坊
  そこから先はご法度である  せいこ
瀬戸凪いで小舟のやうに思ふひと えめ
  ランデヴーせしアポロ・ソユーズ 乙
動名詞「~でない」と否定して   恭
  身を切る風の中の葬列   兼
漆黒の闇を知らぬ子月冴ゆる  たから
  草食獣も爪を研ぎます   整
古き良きレコード盤に傷が付き ぼん
  自恃自照てふ雛の酒あり  恭
散りゆきてふたたびの幽花の川 えめ

えめさん
たくさん作ってくださってありがとうございました。
どんどん句が締っていくのがみえる。
かささぎの巣篭もり句が一番の出来です。
しかし、これは俳句として鑑賞したい。
付としての花には上の句をいただきます。

ネックは、「ふたたびの幽」。
幽玄の幽です。川べりの花が散ってしまった。
これからはまた日常にもどる。とふつうはおもいます。
しかし、えめさんはそれを逆に表現しました。
そこが面白い。そういう手がある。
反対のことを書いてみるというやりかた。
するとそこにふわりとなにかがまいおりる。
直接事実をのべるときには降臨しない何か。

「ふたたびの幽」とは、再びなんかではなく、作者にとって初めて現前するものでありましょう。それは花が咲く前の、なにもなかったときの想いとは明らかに違う何かです。

花とはなんでしょう。幽とは、なんでしょう。
この句がでてきてくれたときから、それを思う人になるのです。

ガストでのオフ会で、うどん食べながらぼんのご主人さんが何かの拍子にいわれていたことをふっと思い出しています。(うどんじゃなかったかもしれません。)
彦さんは謡曲をなさる人ですので、花とはなにかが、わかる人なんだろうな。
と、てんこもりパフェをたべながら、かささぎは思った。
ああそうだ。久留米のスターの話をしていたんだ。
藤井フミヤはバンド時代のほうがずっとよかったよね。
って話とか。
そこで、出たんだ。花があるかないか。ってはなし。
なにしろバンドの話も専門的なことはわからず、ご近所の話もついていけませんで、あちこちしか聞いてなくて申し訳ないことでした。ろいりさんと山彦さん、ろいりさんとぼん。かささぎは縁をみまもる役でしたねえ。

ということで、揚句にきてしまいました。
なかなかしぶい一巻になりそうです。
揚句は、今日英語教室があるのです。
なんでしょう、↑の文章の脈絡のなさ。
つまりね、たからさんに会うのですよね。
ということは、こころが命じます、たからさんに頼みなさい、と。
これ、かささぎ流。「シンクロニシティ」。
迷いが消える。

エメさん。
かささぎとの縁は、「たらおさ」でした。

棒鱈をもどす匂ひもお盆かな  恭子

2009年5月18日 (月)

半歌仙 『蓑虫の』 満尾

  半歌仙 『蓑虫の』

蓑虫の音を聞きに来よ草の庵(いほ)  翁
  やや寒の身を入るる寝袋      乙四郎
海にある月の真顔をあらために      恭子
   ブロガーといふひたむきなもの  整子
鉄人のメンコが返る風暮れて      宙虫
   冬の泉の静かなる面(おも)   らん

この時を簀にちりばめて紙を漉く   乙四郎
   舌でしめらせ裂いて二つに    ぼん
油きりのへたな女と暮らしをり     虫
   迦楼羅捨て去る不動明王    整子
プラハから核廃絶の鬨の声      恭子
   畔の姫百合月光に濡れ     良一
真つ白なノートに夏の詩(うた)を書き seiko
  ひねくれるなと亡母(はは)が見てゐる  良一
残りもの福はあったかなかったか   ぼん
  浜豌豆の砂深き昼     そらん
震え猪口花の根酌すこぼれ酒  乙四郎
  蛇穴を出て旅打ちの棋士     執筆

   

旅打ち・・ 本来は博徒が賭け事をする旅。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E6%89%93%E3%81%A1

起首21年5月6日
満尾〃 5月18日

この半歌仙は乙四郎が宇佐で蓑虫に遭ったところから始まった。
ここです。http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-abb7.html
13日で巻き上がりました。
東妙寺らんの出番が一回きり、ごめんなさい。
半歌仙なのでここで終わりですが、名残の折をつけて歌仙に仕立てるかもしれない。

花の句。こんな花、みたことない。
情景がありありと目に浮かびます。
そらんさんの浜豌豆の句、簡潔にして秀逸なスケッチ句ですが、この花も人を出さずに人の姿を鮮やかに現前する「人の写生句」とでもいうもの、感心しました。

一巻に通底するトーンが、発句世界を拡幅した掌編小説の味わい。
これはもう一巻とともに奉納いたします。芭蕉祭献詠連句大会。
ありがとうございました。


 

2009年5月16日 (土)

『ややこ生る』 最初の月句

『ややこ生る』

  五月九日首

目に青葉やま時鳥ややこ生る  恭子
  夏霧けぶる産土の道       ぼん
フリマーにねぷた囃子の響くらん さくら
  行きつけ店のコーヒーの味  乙四郎
望の夜の甍の波の光るなり    らん

東妙寺らん 月

1玉の兎の甍(いらか)に光る話声
2玉の兎のこっちへおいでと誘う声
3玉の兎は光輝く宙の花

あいやー。みんな「玉の兎」でした。
目むくで。ぎょくのと。って読むしかないね。ぎこちないね。

ぎょくと。玉兎。
月の異名といわれるものには他に嫦娥(じょうが)、桂男(かつらお)などがあります。
嫦娥(じょうが)

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%AB%A6%E5%A8%A5/
月の異名は、同じ面に月次の月(三月四月とかの)など月の字が既にでている時につかいます。脇句の霧がひびいてしまってご苦労かけました。だけど、ここまで気をつかわなっくてもいいよ。

連句案内にある言葉を逐一守っていたら、にっちもさっちもいかなくなり立ち往生するときが必ず来ます。
他の人はともかく、粗忽者のかささぎはしょっちゅうある。
で、芭蕉七部集にあたる。
するとすっと気がかるくなる。だいじょぶ。心配いらない。
古典をよめば、自由になれる。

ほうれ、さがしてきましたよ。

おもて六句の例

日の出る前の赤き冬空(脇) 孤屋
身にあたる風もふはふは薄月夜(五句目) 桃隣
    炭俵『雪の松』歌仙より

ことに『振売の』の次のおもて六句。

振売の雁あはれなりゑびす講  芭蕉
 降てはやすみ時雨する軒  野坡
番匠が椴の小節を引かねて  孤屋
 片はげ山に月をみるかな 利牛
好物の餅を絶さぬあきの風  野坡
 割木の安き國の露霜   芭蕉
 

小さなさわりより、付け合いの味が大事だってわかるよね。

つぎ、やっと進める。はあ~よかった。
おりはし、せいこさん、出してください。


2009年5月10日 (日)

脇起半歌仙『さまざまの』

脇起半歌仙『さまざまの』の巻

さまざまの事おもひ出す櫻かな   翁   
  花を見しこと花見ざる事     兼坊  
春月が朱に染めあげる洋(わた)なかに 恭子
  トランジスタのボリューム高く    整子
大襷大和撫子大舞台         乙四郎(雑)
  鞍上の風夏帽子飛ぶ      たから(夏)
すぎさく先生。つぎは夏のおりたて句をおねがいいたします。
おつしろう句のやまとなでしこに、けちをつけるひとがいるでしょうか?
秋の季語だというて。(かささぎ)

くちなわの肌ぬらぬらと砂を這い  兼坊
時鳥聞くや翁は野を横に
滝壺に近づく頃は日が陰り

 大和撫子が夏か秋か、手元の歳時記・季寄せを見ると両方ありますね。けち付ける人はいるかもしれませんが、そういう時は自分の都合のよい方を主張すればいいのでしょう。
              (兼坊)

裏一
時鳥聞くや翁は野を横に  兼
選句。いやあ。びっくりした。
じつはぶっちゃけ、かささぎはこの学者(すぎさく先生)の句ははっきりいって、へたっぴだとおもっていた。ところが、ときどき、まじびびるような句がにゅうっと出る。
これ。
ほれぼれします。「や」が切れ字、そして、ほんとにきれてる。
だけどそげなこつがなんのさわりになるでっしょか。
リズムがうたうようで、しかも風格がある。
前句の格をうけてしゃきっと立っている。
よかなあ。
で、つぎ。
なんでもどうぞ。
競作とします。
七七。どなたでもなんでも。もちろん、姫野もつくります。

2009年5月 9日 (土)

脇起半歌仙『蓑虫の』の巻

 起首:21年5月7日

蓑虫の音を聞きに来よ草の庵(いほ)  翁(秋・人自他半)
  やや寒の身を入るる寝袋      乙四郎(秋・自)
海にある月の真顔をあらために      恭子(月・場に近い自)
   ブロガーといふひたむきなもの  整子(雑・他か自)かえました。雑句に。
鉄人の面子が返る風暮れて      宙虫(雑)
   冬の泉の静かなる面(おも)       らん(冬・場)

東妙寺らん6句目案

冬の泉や静かなるもの
冬の泉や揺らぎぬものよ

この「もの」はうちこしにあるじゃろう。
それと「や」という言葉は切字、連句では使わない。
二句目は、揺るがぬものよ。の間違いかも。
古典では発句以外でも「や」が出てきますが。

付け順、最初に戻ります。
乙四郎。長句。冬。
もうなんでもいいです。俳句みたいな感じの句がいいです。
名詞どめが続いていますので、そうじゃないほうがいい。
ねむたくなってくるから。

調子をかえてください。それがここではまず求められる。

なお、4句目は秋句でしたが、秋を四句続けると雑句が一つになり、せせこましくなりますので、雑にかえます。

せいこさん元句:ブロガーといふ厄介なもの(これだと自嘲)
あらため句   :ブロガーといふひたむきなもの(自賛)

おもてではマイナス思考よりプラスのほうがいいみたい。

おめでた歌仙『ややこ生る』

歌仙『ややこ生る』

 起首 21・5・9

目に青葉やま時鳥ややこ生(あ)る  恭子

ぼん、脇をつけてください。夏、三句。
上の句、本歌取りもいいとこだね。
(この歌仙に、ばどさんやエメさんやさくらさん、みーんな入ってもらいますからね。)
なにしろ、お祝いだから。

葵と書いて、まもる。
きっと誰もよめないよね。
葵祭りと関係あるのかな?

2009年5月 8日 (金)

脇起半歌仙を二つ

脇起半歌仙

1 『さま/ \゛の事おもひ出す櫻かな』

首 21・5・6

さまざまの事おもひ出す櫻かな      芭蕉翁 (植物・春・人自)
  花を見しこと花見ざる事         兼坊  (花・春・人自)
春月が朱に染めあげる洋(わた)なかに   恭子 ( 月・春・場 )
  トランジスタのボリューム高く        整子 (  雑 ・場 )
                           乙四郎(雑・人他)

解説:

最後の( )に句の分類をやっております。
植物(うえもの)、さくらは花とは呼ばず、うえものです。春の句です、そして、人情自の句です。にんじょうじの句っていうのは、自分の感慨などを述べたものです。これは述懐句になります。さくらをみていると、こどものころから今までの様々なことが思われることだ。

兼坊句ですが、やや特殊です。
しかしその意図する心は、さくらでは花にならないから、花という言葉をはっきり出して、前句に花をもたせたのです。持たせすぎかもしれませんけども。発句と併せてよめば、いろんな思い出がさくらにはある。花を見ないで慌しく過ぎた春もあったよ。というところでしょうか。

月の句は「場(ば)」の句です。場の句というのは、景気(けいき)の句ともいい、景色を詠んだ句をいいます。人のすがたも思いもありません。客観写生の句の場合と、暗喩のときとあります。
春が三つ、雑が二句。で、次の雑をお願いします。
季語なしの五七五です。
うちこしにある句をみてください。
春月句です。場ですし、天象の句になります。
そこでそういうのから切れた句を出します。
前句とは付き、前前句(うちこし句)とはさっぱりと切れる。
いま、そらんさんがもう一つの半歌仙の五句目をつけているので、ここは乙四郎がつけてくれますか。

2 『蓑虫の』のまき

  首21・5・7

蓑虫の音を聞きに来よ草の庵(いほ)  翁(秋・人自他半)
  やや寒の身を入るる寝袋      乙四郎(秋・自)
海にある月の真顔をあらために      恭子(月・場に近い自)
   刀豆(なたまめ)にある弓形のさや  整子(秋・場)
                          宙虫(雑)

人情句について

  自とは自分が主語の句です。
  他とは自分以外の人。
  自他半は両方。
  呼びかけの場合は半。
  うちこしに重ならないように心がけます。

2009年5月 7日 (木)

乙四郎、宇佐で蓑虫に会う。の巻き。

帰りました。
明日から通常勤務です。
今日は時間的にも心情的にも余裕があったので、
USAに立ち寄ってきました。
宇佐神宮。
広い。
数十年ぶりに蓑虫と再会しました。
通り道だったので、鯛生金山にも立ち寄り。
山菜うどん、おいしかった!
その昔、矢部村のさらに向こう側に、3000人もの人々の暮らしがあった。映画館もあった。
なんとイギリス人(技術指導)も住んでいたと。

その他、発見事項。
北九州空港は北九州市にはない。

訂正

北九州空港の北半分は北九州市でした。

え?北九州にあるんでしょ?
小倉にあるんじゃなかったですか?
ま、まさか、苅田町?

あ、半分が苅田町ってことですか。

そう、かんだ。たしかそうだよ。
おつしろう、おかえりなさい。
何時間かかるものなんだろう、関東から。
ところで。
おつしろう先生。
あした、たからさんと申し込みにいくことになりました。英語。ううう。わすれたふりしていたが・・・
佐藤先生、また不出来な生徒ですが、よろしくお願いいたします。たからさんは優秀でありますからね。
今日きいたはなしでは、すみ先生(ご主人ね)も独学で英語を学んでらして、それがもう二年目、今やドイツ語まで手をひろげておられるそうですよ。

みのむしの音をききにこよ草の庵 (芭蕉)

蓑虫が消えてしまった。
九州では絶滅かと思ってたら宇佐神宮の古木にぶら下がってた。
小ぶりだったので種が違うのかもしれない。

およ。ここで芭蕉をだしてくれるなんて、。
じゃやっぱ、あれです。
脇をつけてください。
おつしろうがつけてください。
かささぎは、芭蕉祭に半歌仙を奉納しようと長らくおもいながら、一回やっただけでした。今年は今からやれば間に合いそう。一つは、昨日杉浦けんぼうさんに脇を頼んで、今みたら付けてくださっています。
さまざまのこと思ひ出すさくらかな。これ。春です。
蓑虫は冬かな。
同時期、同場所の句をつけてみてください。三句。

あさがお忌のもりたけ忌のはやっているのかな。
芭蕉祭の応募要項は毎年おくられてきます。
連歌にしろ連句にしろ、法楽であるということは。

  貞享四年秋
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵

  貞享五年春
さまざまの事おもひ出す櫻かな

ぐうぜん、ほぼおなじころの句です。
芭蕉44~45歳。
岩波の「芭蕉俳句集」(中村俊定校注)で確認。

半歌仙は、文字通り歌仙の半分です。名残の折がついてないもの、ほかは歌仙と同じ。
付句はべつに芭蕉の生涯に寄り添わなくても、自分なりのよみで自分なりの脇をつければいいと思います。
なお、蓑虫については、かささぎも忘れがたい詩がある。
さぐりあてたその位置は正しい。
で始まる詩です。有名な人でなく無名の詩人の。
いわれてみて気づく。蓑虫、ながらくみてない。

みのむし:http://puh.web.infoseek.co.jp/aboutminomushi.htm

2009年4月23日 (木)

星野村高野堂(こうやんどう) 6

写真、クリックすれば大きくなりますのでお読みください。
祠の左横にあった解説板です。
もう一つ「行空上人廟所法会記念」と題する一文が彫られた碑も立っていて、それも写真に収めてきたのですけど、かなり縦長だったため、全容を写せませんでした。しかし、読める範囲をここに参考までに書き写しておきたいと思います。謎は謎のまま。

  行空上人廟所法会記念

 高野山別格本山本覚院は行空上人が黒木大蔵太夫と待宵小
侍従の請により 建久年間に建立された名刹である その縁
により上人この地方に行化すること屡々 終に文永年中星野
村に於て九十才を以て遷化せられた 因って廟所を構えて祀
り爾来篤信の有志これを護持し今日に至っている 昭和五十
九年三月十一日本覚院第三十八世住職稲葉義猛大和尚を導師
として 九州在住の本覚院法縁の住持諸徳この碑前に参じ
また村民挙げて此処に参詣し上人の第七百五十二回忌法会を
修し 上人の遺徳を追慕し菩提を祈念する 茲にその勝業を
記念して永く留むるものである

(後日、書き足しました。読みは正しいか疑問はございますが)

参照:

歌人伝 太皇太后宮小侍従 http://homepage2.nifty.com/H-Suga/koji01.html

リンク:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-80ea.html

2009年4月17日 (金)

非懐紙『恋とも知らで』  四吟

『蝉しぐれ』の巻     
          澁谷 道・捌

蝉しぐれ難解の書を濯ぐなり        澁谷 道
  押し上げ窓に絡む凌霄花(のうぜん) 佐藤千賀子
硝子工吹きし炎色にたゆたひて      狩野康子
  からだ起こして富士山を見る      中村孝史
貴腐ワイン霧にまかれて眠るとき        千
  紅葉の岸に王の隠れ家            道
二人して恋とも知らでひたあるく         史
  すり傷の足そっと口づけ            康
くやしいが碁盤囲めば妻が勝つ         史
  宝物秘め鎮もれる寺              千
雪原を笛嫋嫋と渡りくる              康
  鳥の残せし木守柿熟れ            史
語り継ぐ鷹山公の御世のこと           康
  どこか典雅な膳のしつらい          千
昏れなずむ潮の香りと縄暖簾          道
  テポドンの波この港まで            史
簒奪(さんだつ)の大事あらんか十字きる   千
  桜前線ときを違わず              道
孫連れて酢を買いに出る朧月          史
  楽しかりし日思い出す春           康

おこす:平成18年6月1日
みちる:同年7月18日

『非懐紙連句集 三千風乃旅』 (発行人・澁谷道)より引用。
すばらしいとおもいました。なにより、ポエジーがある。
題を勝手に改竄しましたことをお詫びするとともに、ありがとうございました。立派な連句集をいただきまして。感動しました。滅多にないことです。

佐藤千賀子さんのお名前は、故窪田薫師の連衆のなかで自然に覚えておりました。その女性らしいしなやかな達筆の字とともにです。中村孝史さんは連句誌れぎおんでエッセイを書かれているかたですが、これほど達者な方とは存じ上げませんでした。

狩野康子さんは仙台連句のリーダー。
クドカンのおばさんだそうで、本当にお上手です。
うわすべりせず本質をついた付けでなおかつ詩がある。

澁谷道さんはいわずとしれた現代俳句界の重鎮であられます。
調べますとおいしゃさまです。
知性と感性とゆうもあが黄金率を描いていて、すごい。
というよりしずかに感動します。

のうぜんかずらのいろいろ:

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/Nouzenkazura.html 
 

ようざんこうのみよ:↓のどこかにある

http://www.geocities.jp/abelinternational/Michi/SontokuIndex.htm  

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%B7%B9%E5%B1%B1 

2009年4月12日 (日)

前田圭衛子捌・歌仙 『兵六玉』  

 歌仙 『 兵六玉 』  
             前田圭衛子・捌
             於・保健医療経営大学

 
  有明の母の匂ひや涅槃西風     東妙寺らん
    あす来るひとを待つ望潮      姫野 恭子
  なだらかな稜線走る野火ありて    中山 宙虫
    散歩する道立ち止まる道     八山 呆夢 
  わが街の靴屋に靴の売られをり   山下 整子
    縁側に掛けはったい粉食む   竹橋乙四郎

 
  梅雨激し姉と妹のひらく傘         恭子
    ペットボトルは大河下れり        虫
  風さへも偲ぶふりして樟の森       整子
    兵六玉といふは哀しき         恭子
  河童橋果実のやうに落ちる恋     らん
    栞はさみて細目閉ぢつゝ        乙
  月寒し一滴に泣く角砂糖          夢
    切り裂きジャックのやうな流感     整
  けもの等よ土足でここに棲まないか   虫
    砦を築くロックガーデン         らん
  花の字は人立ち座る枝の下        乙
    年金通知と小鳥来るなり        恭

名残の折

 春昼の眩しき中を労働歌        夢
   あみだを引いて当るロボット    虫
 乳母車押してノンノを買ひにゆく   神崎さくら 
   ふるさとの山ただ青くあり     整子
 筆洗ふ濁り水なりそしてまた    乙 
   茨いりくむ先は短夜       整子
 感じてる感じてゐない丘と指     恭
   天然酵母を寝かせてみたし    整
 何事も運命(さだめ)のままにバス逃す 乙
   ええとこどりで星の占ひ       乙
 極東の空に放てり望の月       整
    羽が破れし精霊とんぼよ     恭

名残裏
  
  
秋高し背伸びしてゐる狛の獅子    らん
   技を磨きて余生に向かふ      虫 
 同窓の酒は過去へのタイムマシン  乙
   黄のくちばしが籾をつっつく    恭
 外科室を閉ぢてうしろは花万朶    虫
    希望の粒が渡る初虹      らん 

 捌  前田圭衛子
     兵庫県神戸市在住俳諧師
     連句連歌誌『れぎおん』編集発行人

 連衆
    神崎さくら (一句のみ)
    竹橋乙四郎
    中山宙虫
    山下整子
    八山呆夢
    東妙寺らん
    姫野恭子

資料

涅槃西風(ねはんにし):http://haiku.blog.livedoor.com/ichiran.php?kg=2361
望潮(しおまねき):http://ariakekai.ddo.jp/
野火:http://sendan.kaisya.co.jp/kensaku/ikku060302.html
はったい粉:八女人かささぎは「こうばし」といっていた。
季語、夏。
河童橋:http://shinshu-online.ne.jp/livecam/kamikochi/
切り裂きジャック:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E3%82%8A%E8%A3%82%E3%81%8D%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF
ロックガーデン:http://www.hiroshima-bot.jp/ennai/rock/index.htm
労働歌:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%AD%8C
ノンノ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%83%B3%E6%97%8F
極東:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1
精霊とんぼ:http://map.edb.miyakyo-u.ac.jp/akatombo/p07.html
狛の獅子:http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-ytpprn&p=%E7%8B%9B%E3%81%AE%E7%8D%85%E5%AD%90&ei=UTF-8
籾(もみ):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%BE(春)
外科室:http://homepage2.nifty.com/hituji/new_page_22.htm

希望の粒=希望は数えられる名詞。一粒二粒と数える。
     (新明解)

  

留書

  牧歌的な風景のなかで

        山下整子

 風の姿を直截的に見ることはできないが、風にあおられるものを媒体にして、風は姿を見せる。
 草原。木々。雲。そして、麦畑。

 麦畑がひろびろと広がる牧歌的な風景の中に、今回の連句会場となった保健医療経営大学の学び舎は建っていた。理事長室の大きなガラス窓から、その牧歌的な風景を眺めていると、一面の麦畑にさざなみのように走る風のカタチがあざやかに見えた。

 牧歌的な風景の中で暮すものが牧歌的な生活をおくっているかというと、決してそうとは限らない。農業はことさら厳しい環境にあり、また、昨春オープンしたばかりのこの学び舎も二年連続して定員割れを余儀なくされるという緊迫した状況でもあるのだが、緊張の日々を強いられているはずの学長は、そんな気配は微塵も見せず、小うるさい連衆をノビタ君のような笑顔で、こころよくお迎えくださった。

  風が第三者の力を借りてその姿を見せるように、学び舎というものも、誰かの力を借りてしか、その本来の価値を見せられない。そう、実績、あるいは成果という名の「学生が身につけたもの」こそが学び舎の価値として世間に受け入れられるものなのであろう。

 頑張れ、学長。いや、頑張れ、日本にたったひとつしかない保健医療経営大学に学ぶ一期生の学生たちよ。
 

    

2009年4月 6日 (月)

ソネット『箸』  連句誌OTAKSA

ソネット抱擁韻  『箸』

    捌・鈴木 漠

箸こけて草石蚕恥ぢらふ赤さ哉  三神あすか
  年酒の酔ひを隠す振袖     鈴木 漠
泣きべその新入部員下手くそで  安丸てつじ
  朝寝うかうか遅刻おつかな   山名 才

花の名も楊貴妃桜麗(うるは)しき 松本昌子
  比翼連理の契り愛(かな)しぶ  香山雅代
夏座敷縁談すすむ三分四分     在間洋子
  全山覆ふみどり一色(いっしき) 森本善信

埋もれて消えんと思ふこともあり   森本多衣
  骨髄に沁む墨絵秋景           てつじ
良夜にて不意に鳴り出す鳩時計      漠

  落穂耀(かがよ)ふかのサンクチュアリ あすか
読みさしの文庫本措きおやつとし      才
  雪晴れつづく学園の都市         昌子

草石蚕は正字の蚕でした。ちょろぎ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%AD%E3%82%AE

2009、1月首尾
NHK神戸文化センター
おたくさの会

ソネット抱擁韻:

押韻形式がabba/cddc/eff/egg   

今朝は余り時間がなく、短いのを紹介しました。
もっとすごい作品がたくさんぎっしり。
おたくさの会の「押韻実験室」みたいな作品の数々には、毎号刺戟をうけている。今号では杉をテーマの随想をはじめ、森本多衣さん発句の短歌行や二十八宿に目がいった。すばらしいとおもう。情熱を感じる。ありがとうございます。         

2009年3月13日 (金)

大根の花   安西均

 大根の花

     安西 均

  ― 宗治郎(そうじろ)に
  おかねが泣きて口説(くど)き居(を)り
  大根の花白きゆふぐれ

啄木の『一握の砂』にある、
わたしの好きな一首だ。
おかねは、お国訛で口説いてゐる。
  ― おらぁ、おめはんどこ、好ぎで好ぎで、
  わがね、宗治郎さ、
  おらどこ捨てるつもりだすか?

大根の花なんか、どこにでも咲く。
宗治郎もおかねも、
全国いたる所で恋をしてゐる。
肥後熊本だったら、
おかねはかう言ふ。
  ― あたきゃ、あんたに惚れとるばい。
わたしの生国・筑前博多近くの、
色の浅黒いおかねなら、
  ― うちゃ、ああたば、好いとうとよ。

わが友・三井葉子は、
近畿河内の生れ育ちだが、
どんなお国ことばで恋をしたやら?
  ― わたくしたちは、いつも
  標準語で恋をし、
  標準語で詩を書いてきた。
さうあっさり言ってゐた。
とりわけ詩人にとっては、
ひどく切なく、むづかしいことを。

大根の花だけだ。
標準語みたいに全国に分布しながら、
しかも方言みたいに懐かしいものは。

 詩集『晩夏光』1991・11・10花神社刊より

2009年3月 9日 (月)

自我の越境体験としての連句

I, my, me, mineを一切使わずに英語圏で半世紀を生き抜くことなんてできそうにないが、日本語圏だとそれができる。句や歌も、一人称代名詞がないほうが世界が広がる。
哲学としての「我思う故に我あり」思想には馴染めなかった。自我って、そんなに強固なものではない。「自分」は輪郭で明確に内と外とに区分できるものではなく、他人の心の中にも自分が入り込み、自分の心の中に他人が入ってくる、という感覚のほうが日常的。だからこそ文を書いて他人の心を動かそうとしたり、文を読んで他人の心が入ってきたりする。
君の元気は僕の元気さファイト!
   ↓

乙先生

本日はお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。歌仙巻き上がって良かったです。

はらみ句(前もって作っていく句)をどんなに数多く作っていても、自分が出す句は前に出る句によって変わってくるから、意味がないと言う事がわかった。でも、ゼロだとそれはそれで心もとない。
また恋句を出す事ができなかった。次への課題です。
それにしても今日はいい天気だった。矢部川もきらきらして、菜の花は満開で。風は冷たかったけど。
きょうこはん、お疲れ様でした。

いまごろこのコメントに気付きました。
連句が巻き上がって編集してるとき、座でまったく気付いていなかった障りに気がつくことがある。
座はいきものだから、押しとどめようない力が働いている。その力を御すのは「しき」式目でありさばきのちからなんだけど、そのさばきでさえ後でしか見えないものがある。
当日出たたくさんの短冊をもう一度とりだして見直しているとき、それが突如みえる。やれやれ。

2009年3月 8日 (日)

弥生連句興行於保健医療経営大学

弥生連句興行於保健医療経営大学

歌仙 『海へ拓ける』

      捌  姫野恭子

有明の海へ拓ける春意かな       姫野恭子
  青きカンバス跨ぐ燕(つばくろ)   竹橋乙四郎
雨近し樹々に辛夷のふくらみて     山下整子
  土筆のはかま取りし爪なる      中山宙虫
えんぴつを包丁で研ぐ母のあり     八山呆夢
  色なき風に揺れる電線        東妙寺らん
 
意地張りて遊ぶふりする螽蟖(きりぎりす)  乙
  二人にされてはじかみを噛み      恭
好きすきと月をまはって来るメール     虫
  穴を覗けばみえる魚籠底        夢
この不況侍ジャパン救へるか        らん
  カンパリソーダはいつも饒舌      整
石炭を拾って帰る野川守          恭
  雑巾しぼるしもやけのゆび       乙
八幡の古き鳥居にゐる鳥よ        整
  新幹線の固い槌音           虫
紅白の配置見事に花の庭         夢
  余る寒さも隠国(こもりく)の里    らん


名残表

代々の手を借り吊るす雛飾り     夢
  ぶらんこ漕いだ長ぐつ脱げた   恭
イ短調横一列の四分音符      らん
  小石ころがり山がこはれる    虫
沸点をたやすくこえし罵詈雑言   整
  夕立となる魂ごひの果て       恭
くちづけは長し緑陰深くなる      宙
  猫のぬくもり膝枕にし       乙
藍瓶を守る老爺の庵あり       夢
  何だか自由になれた気がした   整
洋灯宿(ランプやど)余白を埋める二日月  らん
  夜長に閉ぢる読みかけの書(ふみ) 乙

名残裏

小売店皮茸(こうたけ)もある舞茸も   整
  朽ちたるものを潮が引き去る     恭
初御空北に向かひて祈りをり       夢
  これからの季(とき)それぞれの時  らん
あまたある花の蕾のほころびて     乙
  学び舎がある陽炎のさき       宙  

平成二十一年三月七日(土) 10時~4時
於・保健医療経営大学連句の部屋

資料:

キリギリス http://www.insects.jp/kon-kirigikirikirisu.htm

はじかみ http://www.recipe.nestle.co.jp/from1/cook/word/ha/hajikami.htm

魂ごひ  http://protophilosophy.noblog.net/blog/r/10573488.writeback

魚籠  http://www.kousyu.net/dougu-biku.html

石炭拾い  http://www.justmystage.com/home/yagisan/semro.html

イ短調の名曲  http://niseaibon.at.infoseek.co.jp/am-1.htm

皮茸  http://www.ztv.ne.jp/grdymvo1/kinoko/kotake.htm

舞茸  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E%E8%8C%B8


   

2009年2月12日 (木)

武田晴信「倭漢聯句」のこと 2   村松定史

村松定史『武田晴信「倭漢聯句」のこと』を続けて引用します。
原文ではまず、四吉(よよし・44句)の一句ごとの解説が先に書かれ、最後に連句作品が紹介されてます。それをかささぎの旗ではまず作品を先に掲げ、あとで解説をつけることにします。筆者に断わりもなく順序を逆にしますのは、そのほうが分かりやすいと思ったからで、他意はありません。

 天文十五年七月廿六日於積翠寺

     倭漢聯句

初表

心もて染すはちらし小萩原    晴信
新霜有雁来             龍
搗衣空外力             鳳栖
かり寝の夢の覚るほとなき    蘭
月は猶残る雲間の影涼し     台運
暁雨はるるあとの山の端     其阿
水上もわかず落くる滝見えて   恵臨
龍門魚曝腮              湖月


初裏 
 

名に高き道をぞあふぐ家の風   長傳
末まで色のふかきことの葉     周誾(しゅうぎん)
写情春意緩              晴信
政質泰多回              鳳栖
八重咲くもひとへを花の初にて   龍
うすき霞に匂ふ梅の香        信常
假山含万象               蘭
巨海極三才               晴信
潮與佩聲漲              龍
泉令琴韵摧
              鳳栖
記晴歌月出              
星まつる夜の半天の雲       台運
稀にあふ露の契はうきちきり    其阿
不跡草無媒              龍


名残表

占隠人倫絶              湖月
ひとり伴ふ友鶴の声         蘭
盡欲縮湘景              晴信
漕ゆく船の遠きうら波        台運
仄にも見渡しかすむ朝朗      其阿
花の香ふかく月のこる雲      長傳
鶯舌啼春破              湖月
帰る山路は霧やむせなん     信常
就荒黄落宋              鳳栖
炊黍黒甜槐              龍
ゆく心千里隔つる波もなし     蘭
幾度緑徘徊              鳳栖
吟履為誰湿              湖月
詩篇教佛推              鳳栖
 
名残裏

法もたた謀をや道ならん     其阿
身を治てぞ世をおさめしる    周誾(しゅうぎん)
何事も心を種のわざなれや   長傳
わするる草の志げらずもがな  蘭
若盟兄弟好             湖月
ねくらの鳥の去さらぬこゑ     恵臨
野遭春日促             晴信
雪使韶光纔           
  龍

解説:村松定史

初折りのおもて

1 時は旧暦七月末。季は萩で秋。
勅使を迎える感動を萩に託した主人の発句。

2 「雁来タルコト有リ」季題の雁に寄せた客の挨拶。

3 「外力空シ」遠征の夫に砧の音も届かない。遠来の賓客への慰めか。

4 仮寝は前の雁にも掛け、旅寝の夢などすぐに消えます、と客が応じる。

5 月の座。

6 「腮(あぎと)ヲ曝(さら)ス」黄河上流の滝を龍に化そうと逞しく昇る魚の姿。

初折裏

1 前句の登竜門を受けて、家名を挙げるこころざし。

2 木の葉と言の葉を掛て、詩歌で後世に名を残すこと。

3 「情ヲ写シテ春意緩(ゆる)シ」ゆったりとした春情の表現の意か。

4 「政質泰クシテ多ク回ル」政治のやり方で平和が未来永劫めぐってくる。

5 花の座。

7 「仮山万象ヲ含ム」築山は万象の真理を内包している。

8 「巨海三才ヲ極ム」大海には天地人に通じる古今の摂理が極めつくされている。

9 「潮佩声(はいせい)ト漲ル」潮騒が帯の飾り玉の音(朝廷の高位高官の行列)を思わせる。

10 「泉琴韵(きんいん)ヲ摧(くだ)カ令(し)ム」泉流は琴の音に勝る。山水の風流が凌駕している。

11 月の座。

12 七夕の中空に浮かぶ雲。

14 「跡アラズ草ニ媒(ナカダチ)無シ」人の訪れに形跡もない草深い所なので、契りを取り持つ者もない。

名残表

1「隠ヲ占メテ人倫絶ユ」ひっそりと暮らし交際も絶え果てた。

2 つがいの鶴には、良き連れ合いの意も。

3 「盡(ことごと)ク湘景ヲ縮(ちぢ)メント欲ス」(洞庭湖に注ぐ湖水の名勝)の景色を縮めてすべてここに箱庭のように作りたい。

5 朝ぼらけ、あけぼのの景。

6 月花の同座。

7 「春ニ啼キテ破ル」鶯がとてもよく啼く。「破」は強意。

9 「荒ニ就ク黄葉ノ宋」荒れ果て落ちぶれた住まいよ。

10 邯鄲の黄梁一炊の夢の故事を踏まえる。

12 繰り返し緑の中を逍遥する。

13 吟履(ぱたぱた音のする草履)は「誰ガ為ニカ湿(うるお)フ」。

14 「仏ヲシテ推サ教(し)ム」拙作を仏が推敲してくれるの意。

名残裏

5 「兄弟ノ好キヲ盟(ちか)フガ若(ごと)シ」兄弟仲良く約束でもするかのようだ。

7 「野に春日ノ促スニ遭フ」山野をぶらついていると春の日があっという間に暮れてしまう。

8 「雪使韶光纔(ゆきはしょうこうをわずかならしむ)」雪が降って春景色もまだ浅い。

漢句はすべて五言句で総数二十二、和句の長句は十、短句は十二で、漢和の比はちょうど半々におさまり、理想的な構成である。和と漢の順序は、長・短・漢ないし漢・短・長が七組あり、全体の半分ほどは長・短・漢の三種の句のバランスよいリズムを作っている。漢句は一番多く並ぶ初裏7~11で漢が五句続いているが、「和漢ともに五句を以て限度とす。」(『増補はなひ草』)には適っている。
十五世紀の『漢和方式』(一条冬良)には「面八句は、漢四句和四句也。・・・和漢の時は八句め漢也。」とある。ここでは初表の八句も名残裏の八句も漢句は三句ずつで一句たりないが、八句目はいずれも漢句とする決まりは守っている。

平仄(ひょうそく)に関しては、最初に詠まれた偶数の漢句の脚韻に、以下に詠まれる偶数句の漢句は韻を合わせねばならないのだが、本巻では初めの漢句が脇句で「来(ライ)」で終わっている。これ以降の偶数漢句は、初表8「腮(サイ)」、初裏4「回カイ」、初裏8「才サイ」、初裏10「摧サイ」、初裏14「媒バイ」、名残表10「槐カイ」、名残表12「徊カイ」、名残表14「推スイ」、名残裏8「纔サイ」と、脚韻の平仄にも意を砕いている。

作者別に見ると、鳳栖と湖月は漢句のみで、台運、其阿、恵臨、長傳は長短合わせて和句のみ詠み、信常と周誾は短句がそれぞれニ句だけである。得手不得手、巧拙の差もあろうが、さすがに、晴信、龍、蘭は漢和とりまぜて五~六句を出しており、場所も各面にわたっていて均衡がよい。器量のほどがうかがえる。

一巻の内容としては、戦乱のなかで一国をおさめ、やがては西に上ろうとしている晴信の国政手腕や家運隆盛を暗に称揚する一方で、山河海洋、花鳥風月の逞しさ美しさを詠ってもいる。しかし、恋は淡く寂しげであり、隠棲や逍遥の場面に人の世のはかなさ、人生の空しさが託されているのは、乱世における諦観の思いが人々の心底に揺曳していた時代なのかもしれない。

いずれにせよ、後の武田信玄のすでにして天皇勅使を風雅と知性をもってもてなす度量を示す一巻であることに変わりはない。むろん僧侶を中心とする優れた知性集団の協力もあるが、後世にあっても、かくのごとく読みうる俳諧之連歌を残した名将をいまさらながら見事と感じ入るのは甲州人の身贔屓だろうか。

* 小文をなすに当たり元静岡大学菅野禮行教授、清泉女子大学今野真二助教授ほかのご教示および『連句辞典』(東京堂、東明雅ほか編)など参照させていただいた。記して謝するものである。なお、拙稿の不備の責はすべて筆者にある。諸氏のご高裁を乞うしだいである。(村松定史)

▼付録    出句表
左端は巻末に付されていた数。右端が実数。(かささぎ註)

晴信  6句   漢4 長1 短0 計5句
龍    6句  漢5  長1 短0 計6句
鳳栖  5句  漢6  長0 短0 計6句
蘭   6句   漢1  長1 短3 計5句
台運  四句  漢0  長1 短2 計3
其阿  4    漢0 長3 短1 計4
恵臨  2    漢0 長1 短1 計2
信常  2   漢0  長0 短2  計2
湖月  5   漢5         計5
長傳  3   漢0  長2 短1 計3
周誾  2   漢0  長0 短2 計2

無記名     漢1         計1

合計      漢22 長10 短12 計44

平成十五年『連句年鑑』連句協会編・巻頭評論を引用。

参照:連句連歌誌『れぎおん』64号
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/index.html

かささぎのひとりごと

これを打ち込んで、ハタと思い至った。
むかし、前田亜弥さんにも入っていただいて「ハリネズミなの」という短い作品を巻いたのです。そのとき、一炊の夢を一睡の夢と書いてしまったような記憶がある。邯鄲の夢のことだけど。あめりかのリップヴァンウインクルとおんなじのはなしで。今朝確認したら、一睡の夢じゃなくて、一炊の夢が正しいのですねえ。
連句は一炊の夢のようなものだなとつくづくおもった
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-066.htm


   

  

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2009年2月11日 (水)

武田晴信「倭漢聯句」のこと 1  村松定史

一月末ころ数日に亘って引用をした鶴崎裕雄の論文『連歌師ー政治的な、あまりにも政治的なひとたち』でも紹介されていた史料であります、甲斐の武田信玄の巻いた倭漢連句について、きっちりと調べ上げて書かれた文章を、本日ぐうぜん書架で見つけました。それはまるで、「わたしを読んで」と小声でささやきかけているかのようでした。ネット検索しますと、あまり引っかかってきません。おそらく、だれもまだ打ち込んではいないようです。ちょっと長いのではありますが、国民放送で妻夫木くん主演で大河ドラマもやってることではございますし、引用いたしたいと思います。この仕事はめんどうではありますが、天文年間の百首和歌を読み解く資料の一つになります。村松定史。連句界では有名な人です。きっちりとした仕事をなさいます。出典は『2003連句年鑑』(平成15年版・連句協会編)。全文引用。

武田晴信「倭漢聯句」のこと

     村松 定史

山梨県甲府市に万松山積翠寺という古刹がある。
甲府駅から北東へ四キロほど登ると、かつて武田信虎が山城を築いた要害山があり、寺はその麓にある。
奈良時代に臨済宗妙心寺派の行基が創建、境内の巨石からの湧水にちなんで石水寺と称されるが、後に積翠寺の字に改められた。麓にはまた温泉場があって、筆者は郷里の甲州に帰ると、時折ここに骨休めをする。

ところで、積翠寺には数百年前に武田信玄の巻いた連句一巻が保存されていると聞いていたので、いつも湯船につかりながらそれが気にかかっていた。寺の案内書や郷土史の一節に言及はあるものの、全容が知りえない。ある時、住職にご無理を言って直資料を拝見の上、複写のお許しをいただいた。詳細をつまびらかにするには力及ばないが、知りうる限りでつぎに紹介を試みたいと思う。

積翠寺はすでに鎌倉時代から武田家一族のゆかりの寺であったが、大永元年1521十一月三日に武田信玄はここで産声を上げている。戦国動乱のさなか、武田信虎は駿河の軍勢に攻められ、妻大井夫人を要害城に避難させる。臨月を迎えていた夫人は積翠寺にて信玄を出産する。今も本堂裏に産湯を汲んだ井戸が残されている。

武田信玄1521~73は、言うまでもなく甲斐国主にして、兵法、政治、宗教、学芸に通じ、「甲州法度之次第」1547の制定でも名を残した名将である。
幼名は勝千代、元服して晴信、出家して信玄の法名を名のった。

さて、くだんの連句だが「天文十五年七月廿六日於積翠寺/倭漢聯句」の詞書の後に、一行おいて晴信の立句ではじまる和句漢句あわせて四十四句が、天地十八・五センチ、左右五十二センチほどの雁皮紙に墨書されている。横長の和紙の下を折り目に二つ折りにしたものを二つ重ね、右端を紙縒(こより)でとじ、第一面に十四句、裏の第二面に十六句、二枚目の第三面に十四句、その裏面には連衆十一人の名と句数が記されている。

俗に半百韻とも呼ばれる四十四句の「世吉行よよしこう」は、いわば百韻の縮小型で、初表八句、初裏十四句、名残表十四句、名残裏八句で、二花三月。
慶事の機会などに催されるもので、この巻も京都からの公家二人が賓客として連座しているところから、歓迎と記念の奉納連句と思われる。

またこれが、和句と漢句を取り混ぜた和漢連句の張行であることから、晴信の意気込みと座の教養がうかがえよう。平安時代中期から中国の漢連句が日本でも試みられ、これが鎖連歌と結びついて室町時代ころから和漢連歌という新形式が徐々に流行し始めている。これには漢詩文の素養と俳諧の機知が要求されるから、なかなか高尚な文芸であったといえる。

天文十五年1546と言えば、晴信は二十六歳、この年に信州の内山城を、前年には信州の高遠城、竜ヶ崎城を落とし、着々と勢力を伸ばしつつある時だ。五年前に父信虎を駿府に追放して国主となり、信玄堤の築造や金山の開発など国政にも力を注いでいる。また後に跡継ぎとなる四男勝頼が同年に誕生している。西上の志を抱いて邁進し、五十三歳にして陣中に没する波乱の生涯のまさに半ばの年のことである。

晴信はこれに先立つ数年前には冷泉為和を招いて歌会を催しているし、『詠百首和歌』などみずから歌を多く残してもいる。また『甲陽軍鑑』には十九歳の晴信が昼夜を分かたず「詩を作遊す事」の記述があり、文芸への熱中ぶりはよく知られるところだ。ことに五山系の僧侶たちとの親密な知的交流は、この連句からも推察される。

原資料の懐紙には、三面に十四・十六・十四という句の配分で書かれているが、ここでは世吉の四折にのっとり句番号を補って、これに従って内容を概観してゆきたい。

まず連衆だが、晴信は繰り返すまでもなく武田信玄で座の主人。龍は三条西大納言実澄、蘭は四辻中納言季遠で、ともに後奈良天皇(在位1526~57)の勅使で客分。
鳳栖は東光寺前住職と注されており、東光寺は甲府にある臨済宗妙心寺派の古寺で、後年、晴信の長子義信の墓所が置かれる。
湖月も甲府の臨済宗妙心寺派法泉寺の前住職。
法泉寺は、信玄の世継ぎ勝頼の菩提寺に後になるところ。
其阿(ごあ)には武江日輪寺と添え書きがあり、武蔵国江戸は日輪寺住職。日輪寺は天台宗として開山し、後に時宗(日本浄土教の一派)となる。現在も台東区西浅草にあるが、当時は芝崎村(現、神田橋辺り)にあった。時宗では僧正をみな其阿の尊称で呼ぶ慣わしで、記録も消失しているため第何世かは不明。
他の連衆に注はない。

なお、懐紙裏に記された句数は晴信、蘭、台運のものが一句ずつ余分であり、鳳栖は一句不足して勘定されている。一方、初折裏十一句目は連衆名が空白になっている。句数表では一句余分の、晴信、蘭、台運のいずれかの作の可能性なしとはしない。月の座でもあり欠落が気になるが、ここでは不明のままとして、全体の正しい句数を付しておく。

連衆は初折裏の二句目までで十名が一巡しているが、信常のみ四句遅れで初折裏六句目で登場する。遅参したか、句柄から見るとまだ初心かもしれない。武田の一門であろうが、晴信との関係は明確には分からない。ただ、武田氏族の米倉丹後守昌尹(しょういん)の娘で「武田信常室」と注されている女性が米倉氏系図には見える。

2につづく。

2009年1月31日 (土)

連句誌れぎおん冬64号に答えがあった!

連句誌れぎおん。

初めて読んだのはいつだったろう。一目でひきつけられた。
まったく他の俳句誌とは違っていた。わたしは夢中になった。
その頃はまだ甲子園にいらした前田編集長に文章を送り、初めて載せて貰った時のことを鮮明に覚えている。
13号で『俗の細道』という連載随想を持たせてもらった時の晴れがましさも。

今、かささぎの旗では天文24年の八女戦国百首和歌『夏日侍』をよむことに集中しておりますが、主たる読み手である竹橋乙四郎がやむをえぬ窮状のため休場となり、かささぎは一人で光りものを集める作業を続けます。そのうち事情は好転すると信じて。かささぎは竹橋乙四郎を信じている。

れぎおん冬号が届き、やっと時間がとれたので読む。
今朝まで引用をさせていただいた『連歌師』の鶴崎裕雄先生の連歌の留書!
疑問だった「百首和歌」というジャンルへの答えが載っていました。
あっと思いました。これは引用しなければいけない。
氏への断わりもなくこんなことをしていいのだろうかと躊躇しつつ。
無礼の段は、おゆるしください。

『直江兼続と寄合の文芸』

      鶴崎裕雄  

今年(平成二十一年)もNHKの大河ドラマが新しく始まった。主人公は直江兼続、原作は火坂雅志(ひさかまさし)の小説『天地人』である。

直江兼続は越後の戦国大名上杉謙信に仕え、謙信没後、上杉景勝を助けて活躍し、名宰相と呼ばれた人物である。時は織田信長から豊臣秀吉・徳川家康と天下人がめまぐるしく交代する動乱の時代であった。上杉景勝は信長と相争ったが、秀吉とは友好関係にあった。秀吉が命じた無謀な朝鮮出兵にも参加した。
しかし慶長三年1598秀吉は上杉氏に会津百二十万石への国替えを命じた。
会津に移った後、まもなく秀吉が病死。
上杉景勝は、秀吉に代わって天下に睨みを効かす徳川家康とは対立する。
家康が会津の上杉氏を攻めんと出陣すると、京・大坂では石田三成が家康討伐の兵を挙げた。関が原の合戦である。結果は徳川方の勝利。三成と手を組んだ上杉氏は米沢三十万石に減封、百二十万石から三十万石、四分の三のリストラである。

連歌や俳諧・連句は複数の作者、いわゆる連衆で創作する文芸である。
この他、中世には継歌(つぎうた)が流行した。継歌は、複数の作者が歌題に従って百首とか五十首とかの歌を短冊に記し、読み上げ役の講師(こうじ)が題の順序で歌を披露する。
この歌の順序は、おおよそ春夏秋冬の四季・恋・雑である。
雑というのは、四季や恋以外の、海や山・松や芝・馬や鶏・旅や名所・神社仏閣など季節を表さない様々な物である。
参加した詠者は題に従って歌を詠み、講師が読み上げる参加者全員の歌を聞く。自分の感情や意志を捨てて歌の世界に没頭する。
それは前句に従って付句を詠み、創作と鑑賞を楽しむ連歌や俳諧・連句の世界と同じである。寄合の文芸である。

戦国時代、連歌や継歌を愛好する武将たちが多かった。
三好長慶や細川幽斎たちは連歌の名手であった。
『天地人』に登場する上杉景勝も直江兼続も連歌を詠んだ。
特に直江兼続は漢詩文の教養が深く、和句と漢句を交えた和漢聯句または漢和聯句の作品が多い。

昨年平成二十年十一月の下旬、誘われて山形県東置賜郡高畠町・川西町を訪ねた。高畠町では亀岡の文殊堂に奉納された『亀岡文殊堂奉納詩歌百首』を拝見した。これは関ヶ原合戦の結果、会津より米沢に減封されて移転した翌年慶長七年、米沢藩領にある亀岡の文殊堂に直江兼続ら二十一人の主立った上杉家家臣や有力寺院の僧侶たちが催した継歌百首である。歌題は兼続の実弟大国実頼が選んだとある。兼続主導の歌会であろう。四分の一のリストラという上杉家一大事の時、この続歌奉納は家臣の心を一つにし、揆を一にする精神を高めたことであろう。
寄合の文芸の一つの特徴である。

  鶴崎裕雄:帝塚山学院大学名誉教授。連歌師。

(連句誌『れぎおん』2009・冬・64号より引用しました。)

参照記事:

細川幽斎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%B9%BD%E6%96%8E

三好長慶http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E9%95%B7%E6%85%B6

直江兼続http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E5%85%BC%E7%B6%9A

上杉景勝http://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/uesugi/b-uesugi.html

連歌師5・紹巴  鶴崎裕雄

連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち

     鶴崎裕雄

紹巴の場合ーその3

本文の前半は高野山の武力放棄により安全と仏法相続の瑞相があること、後半は秀吉が「高野の木食ではなく、木食の高野である」と応其を高く評価したことが記されているが、果たしてどこまで秀吉の言葉か信じがたい内容である。
ただし会談の時、秀吉の傍に木食応其と聖護院道澄・昌叱・紹巴がいて、末座に高野山の使節がおり、次の間に諸大名が控えるというのは、多くの出席者がいて、でたらめは書けない事実であろう。
その後も秀吉は文化人や芸能者を交渉の場や会談の席に侍らせる。
また講和の使者として派遣することもあった。

天正十五年、秀吉は九州に攻め入って薩摩の島津勢をうち破った。
薩摩の国守島津義久は頭を丸めて上洛し、しばらく京都や大坂に滞在した。
その間、連歌会が催された。
連衆は玄旨(細川幽斉)・興山上人(応其)・白(聖護院道澄)・義久・紹巴・昌叱・心前・文閑・賢家・宗波・幸侃たちである。
このうち幸侃は義久の重臣伊集院忠棟である。
この連歌、かなり政治的な色合いの濃いものであったろう。
秀吉の命を受けた応其や紹巴たちが敗軍の将を慰めたり、説得したりする。
そんな一環として連歌が行われたのではあるまいか。

文禄二年1593秀吉の後継者、関白豊臣秀次は聚楽第で公家や門跡を招いて連歌会を催す。
紹巴も昌叱とともに連衆に加わった。
二年後、秀次は謀反の嫌疑で追放され、自害する。
秀次に連座して紹巴も三井寺に蟄居を命ぜられるが、その前にもう一つ、重大な晴れの連歌会に参加している。

文禄三年三月、秀吉の母大政所の三回忌に高野山青厳寺で行われた『高野参詣百韻』である。
発句は秀吉、脇は青厳寺住持興山上人(応其)、以下、連衆は聖護院道澄・右大臣今出川晴季・常真(織田信雄)・紹巴・徳川家康・玄旨(細川幽斉)・前田利家・伊達政宗ほか、いかにも秀吉好みの錚々たる顔ぶれである。
文禄四年、紹巴は秀次に連座して近江の三井寺門前に蟄居を命ぜられる。
与えられた百石の知行地も没収された。
帰洛を許されるのは二年後の慶長二年1597。
秀吉が亡くなるのはさらに二年後の慶長四年。
帰洛後も紹巴は連歌活動を続けたが、慶長七年、七十八歳(七十九歳とも)の生涯を閉じた。

紹巴の生涯、特に晩年を見ると、塞翁が馬を思い出す。
文禄四年、秀次に連座して近江に蟄居した二年間、それまで与えられていた富も名誉も消失した。
ところが秀吉没後、豊臣政権は崩壊し、徳川氏によって江戸幕府が樹立する。
紹巴と、いつも紹巴とともにあった昌叱の子孫たちは、幕府御連歌師里村北家・里村南家として、江戸時代三百年の連歌界に君臨する。
毎年正月十一日、江戸城で行われる柳営連歌のため、京都から江戸へ旅立つ。豊かな生活を保障された御連歌師。
晩年に紹巴が憂き目を見たことは子孫たちにとって塞翁が馬となったが、残された柳営連歌の作品にはさほど文芸の香は漂っていない。
御先祖様があまりにも政治的だったことが、連歌の生命力を削ぎ取ってしまったのであろうか。

        (了)

『連歌師』 鶴崎裕雄  

  『文学』(岩波)2002・9,10月号より全文引用。

2009年1月30日 (金)

連歌師5・紹巴  鶴崎裕雄

連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち

      鶴崎裕雄

紹巴の場合(その2)

この年、永禄七年、長慶が亡くなると、三好三人衆や松永久秀が覇権を競うが、永禄十一年には織田信長が入洛する。以後、紹巴は信長の家臣たち、細川藤孝(後に幽斉)や明智光秀の連歌会に名を連ねる。
天正六年1578、羽柴秀吉は西国攻めの出陣を前に紹巴宅で戦勝祈念の千句連歌を張行した。連中には秀吉・紹巴のほか、白をはじめ、紹巴が後見する昌叱や連歌師心前たちが一座した。白は近衛家出身の聖護院道澄の一字名、秀吉政権と関わりの深い門跡である。この頃、連歌会場によく紹巴宅が使われている。連歌師宅を連歌会場に使うことは連歌師の収入を増やすことになったのだろうか。

天正十年五月、本能寺の変を前にして明智光秀は有名な『愛宕百韻』を張行した。
例の「ときは今天が下しる」の発句に、土岐氏の流れを汲む光秀自身が天下を握ろうとしたといわれている。この連歌、最初の初折表八句は次の通りである。

 ときは今天が下しる五月哉  光秀(夏=五月)
 水上まさる庭の夏山      行祐(夏=夏山)
 花落つる池の流れをせきとめて 紹巴(春=花)
 風に霞を吹き送るくれ     宥源(春=霞)
 春も猶鐘のひびきや冴えぬらん 昌叱(春=春)
 かたしく袖は有明の霜     心前(冬=霜)
 うらがれになりぬる草の枕して 兼如(秋=末枯れ)
 聞きなれにたる野辺の松虫  行澄(秋=松虫)

作者名の下に季と季語を示したように、夏春冬秋と四季がすべて詠み込まれている。連歌は初折表と名残裏には八句、初折裏・二折表裏・名残折表には十四句詠むが、普通、一つの面に四季をすべて詠むことはまずない。表八句には季語のない雑の句を入れるゆとりがないので、すべて季移りという雑の句を挟まずに直接季節を変える手法を使っている。妙な百韻連歌である。この話をすると、研究仲間の一人が、やはり『愛宕百韻』には呪術的な要素があるのかといった。そんな講談調の話には乗りたくないが、『愛宕百韻』は不思議な連歌である。
紹巴はこの不思議な連歌に参加した。後日、光秀が敗死した後、紹巴は秀吉から光秀の発句について問責されたというが、七月には藤孝の主催する信長追善の懐旧百韻に出座している。

天正十二年、秀吉が仙洞御所の造営のため現地に赴いた時、紹巴が毛氈を敷き、金屏風を立て回して一盞を勧めた。『兼見卿記』同年十月四日条に、

筑州着座、公家各対座、菓子有一盞之儀、初献筑州、次徳大寺殿、其外次第不同、無正躰、次筑州発句云、

 冬なれとのとけき空のけしき哉   秀吉
 さかへん花の春をまつ比       紹巴
筑州一段褒美、依此儀百石紹巴ニ遣之、即折紙於当座遣之、天下之面目実儀也、次第三幽斉へ所望也、即云。
 あたらしき御庭に松を植そへて   玄旨 
筑州褒美、機嫌なり。

とある。紹巴が秀吉に取り入ろうとする具体例である。
秀吉から百石の知行を与えられたことに注目したい。
このように秀吉との接触を深め、紹巴は秀吉政権に参画するようになる。
天正十三年、紀州攻めの後、秀吉が高野山の使節と会見する時、紹巴はその場に立ち会うこととなった。一年後、木食応其の書いた覚書を見よう。応其は高野山側の使節として会見に臨み、以後、秀吉の知遇を得て、これまた秀吉政権に参画する人物である。

 太閤様御雑談之趣、木食記録之一札
   御座敷御人数之事
上様 
拙僧木食 昌叱 聖護院殿 紹巴
末座ニ為金剛峰寺使節衆徒両人、次の間ニ諸大名
    

御諚之意趣者、高野山之儀、二世之御願所ニ永代被召置上者、寺領等勿論不可有相違。所詮衆僧如法之行儀可為肝要。後代ニ雖為弱武士、其寺於令異見者、猶可相随。自然其砌対武具、少成其存分たてを仕候者、重而強武士出来候時、必可加退治。然者数珠のつかまてを取候事、山も安全ニして、仏法相続之瑞相也。又次ニ木食一人ニ対し高野を立をかせられ候間、高野の木食と不可存。木食が高野と可存旨、各衆僧ニ申聞之由、両度おしかへし、被成御諚候。先以、愚老悉奉存。誠日を経ても猶感涙難押。致帰山、御言葉を其のまゝ一字ももらさず一紙ニ記したてまつる。一代教主之御説法も、此外ニあるべからず。ありがたく覚え侍りける。

     木食興山上人

   (つづく。)

引用は岩波書店『文学』2002年9、10月号より。

2009年1月29日 (木)

連歌師5・紹巴  鶴崎裕雄

 連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち

        鶴崎裕雄

紹巴の場合

連歌師の生涯で誰が一番面白いかと聞かれたら、紹巴と答えたい。
紹巴は同じ秀吉政権と深く関わりのあった千利休に匹敵する波瀾万丈の生涯を送った。
出生は奈良興福寺の小者の息子。周桂に連歌の手ほどきを受け、周桂没後、昌休に師事した。昌休没後は昌休の子昌叱の後見を勤めた。紹巴も連歌会を通して、宗祇・宗長・宗牧といった先輩の連歌師と同じように、時の権力者に取り入った。実隆以来、二代にわたって公家文化を代表する三条西公条の許に出入りし、天文二十二年1553には妻を亡くしたばかりの公条を吉野の花見に誘い出して奈良・高野山・吉野・信貴山・天王寺へ案内する。公条の紀行『吉野詣記』の冒頭に、

 紹巴とて筑波の道に心ざし深くて、このころ都に住まひし侍りて、夜昼来訪ひかり。しかも敷島の大和の国の人にて、道たどたどしからず、吉野の花見るべきよしいざなひけり。

とある。この旅行には、一 吉野の花見、二 亡妻の供養、三 父実隆の追善、
四 太子信仰の巡礼という四つの要素が考えられる。六十七歳の老躯に鞭打っての長旅、金剛山へは山伏姿になって登った。紹巴はこの老貴紳を助けて旅したのである。

弘治年間から永禄年間の前半1555-1564、三好長慶が畿内を支配した。長慶は連歌に熱心で、あの『猿の草子』の作者が「連衆、さて誰か有べきぞ。当時の先達なれば宗養召下さばやと思へども、河内の飯盛へ下向のよし聞及間、打置くぬ」と皮肉っぽく筆を走らせる通り、河内の飯盛城を居城とする長慶の許にはまず宗牧の子宗養がいた。永禄六年1563宗養が亡くなると、紹巴が長慶の連歌に相伴した。永禄五年、長慶と宗養が両吟百韻を詠んだ。永禄七年、長慶と紹巴が両吟百韻を詠んだ。宗養を偲んだ懐旧連歌とはいうものの、永禄六年の宗養の死を挟んで連歌界の主座が宗養から紹巴に移ったことを象徴するようである。

2009年1月28日 (水)

連歌師4・宗牧   鶴崎裕雄

連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち

     鶴崎裕雄

宗牧の場合

天文十三年1544宗牧は息子の無為(後の宗養)たちを伴って、白川堰など歌枕を尋ねる東国の旅に向かった。『東国紀行』の旅である。『東国紀行』の冒頭から前関白太政大臣近衛尚通の臨終の場面があって、

 八月廿六日早朝より大事にならせ給ひて、初夜巳前に薨じたまひぬ。此ほどいかにもたしかにましまして、御成の両度。右京兆毎日伺候。御門跡御所に集まり給ひ、いろいろの御遺言、来し方行く末の御物語こまやかなりとぞ、

と、あたかも宗牧自身がその場にいたかのように描かれている。宗牧のこの紀行、全体に自分がいかに高貴な人々と接しているか、いかに権力者たちと親しいかを書き連ねているように思われてならない。しかしそれらは事実であって、話の捏造はないであろう。ただし二、三箇所、連絡が付かなくて、土地の豪族が慌てて見参するといった場面があるが、これは物語の綾と云った程度であろう。

簡単に『東国紀行』の行程と訪ねた諸豪族を見ると、天文十三年九月二十日、京都を出発して近江の石山寺、十月、観音寺城の六角定頼、十一月、伊勢の員弁川流域の北方一揆の国人たち、桑名から尾張の那古野(名古屋市)の織田信秀、十一月晦日、伊勢に戻り、栗原や浜田(四日市市)の俵藤田の子孫という田原党の国人たち、閏十一月、伊勢湾を渡って知多半島から三河に入り、岡崎の松平広忠、西郡(蒲郡市)の鵜殿氏や松平氏たち、十二月、豊中から富永(新城市)を回って遠江を急ぎ、駿河の府中(静岡市)の今川義元の許で越年、翌天文十四年二月、伊豆の熱海の湯に湯治して、相模の小田原の北条氏康、三月、鎌倉を見物して、武蔵の神奈川(横浜市)から江戸に出て浅草の観音を拝み、隅田川を渡る所で紀行は途切れている。この後、宗牧一行は下総・下野を経て白川堰を一見し、下野の佐野まで帰って来るが、宗牧は病を得て客死する。

右に挙げた以外にも、宗牧が訪ねた豪族は六角氏被官の進藤氏や永田氏、知多半島の本庄氏・水野氏、東三河の牧野氏・菅沼氏、遠江の井伊氏、今川氏被官の朝比奈氏などまだまだあって、宗牧がいかにこれらの諸氏から歓迎され歓待されたか、どれほどの餞別を得たか書き連ねている。

まず、宗牧が『東国紀行』で最も書きたかったことの一つ、後奈良天皇の女房奉書を託されて、尾張那古野の織田信秀と三河岡崎の松平広忠に伝えたことを見よう。
伊勢の員弁川流域の北方一揆の面々と別れた後、次のように記す。

 是より参河渡海と定め侍りしを、其の年織田弾正禁裏御修理の儀仰せ下されるに依り、平手中務丞まかりのぼり、御料進物納む。其の後叡感(えいかん)の趣をおおせくだされたくは覚しめしながら、所々出陣など聞こしめしをよばれ、旁とかくをこたられしを、態勅使など下さるべき事は国の造作なれば、我等下国に女房奉書などことづてらるべきよし広橋殿より仰せ聞かせられたり。便路とは申しながらはゞかりおほくて、しんさくの趣、再三申しあげたれども、しゐて仰せなれば御請けを申したり。この次で参河へまかり仰せ下すべしとて、是は典侍殿の御局より三条右府へ仰せのむね伝へ上られて、御局さま御盃御服など頂戴の事なり。面目身にあまれる事なり。

京都を出発前、宗牧は織田信秀に女房奉書を伝えるよう依頼された。信秀が禁裏修理の費用を進上した感状である。さらに松平広忠にも女房奉書を伝えることとなった。宗牧は、再三の辞退に拘わらず、引き受けることとなったとはいうものの、女房奉書といい、頂戴した御盃御服といい、まさに「面目身にあまれる事」である。文中の平手中務丞は信秀の重臣平手政秀。広橋殿は武家伝奏の大納言三条公頼である。『東国紀行』に、宗牧の京都出発の直前、公頼も但馬へ下向したが、その折、宗牧は挨拶に参上したとある。

桑名から津島を経て那古野に着くと、宗牧は平手政秀の歓待を受ける。翌朝、織田信秀に会見するのであるが、その前、桑名から連絡すると、

 今度、濃州に於いて不慮の合戦、勝利をうしなひて弾正一人やうやう無事に帰宅。無興散々の折ふしながら早々まかり下るべきのよし返事あり。

とある。この年の秋、信秀は美濃に兵を進めたが、手痛い敗北を喫した直後であった。傷心の信秀にとって禁裏からの女房奉書は大きな励ましとなった。というより、権威の回復に大いに役立ったはずである。霜台こと、弾正信秀との会見は次のようにある。

 翌日、霜台に見参。朝食巳前、女房奉書・古今集など拝領。今度不慮の存命もこのためにとてぞ有りける。家の面目之に過るべからずなど、敗戦無興の気色も見えず。濃州之儀一度本意達す事侍らば、重ねて御修理の儀ども仰せ下され候やうにないない申し上ぐべき云々。武勇の心きはみえたる申されやう、御言伝めいわくも忘れて、老後満足也。

この後、例によって連歌会が催されるのであるが、敗軍の直後なので、織田邸を避けて平手政秀が催すこととなった。三河岡崎の松平広忠の場合は、出陣の最中で、宗牧の知人安部大蔵も到着した日は不在、翌日に会った。しかし「石川右近茶湯用意とてずいぶんのふるまひどもなり」と丁重にもてなされ、次いで、

 松平三郎かたへ去年三条西殿下向。いさゝか進納の事ありけむ。其の御礼として女房奉書達し侍り。

とある。先の織田信秀に較べるとかなり簡単な書きぶりである。禁裏の扱いに差があったのか、元々両者の上納額に差があったのか。

こうした名誉を伴った旅行である。
先々の豪族たちの送迎ぶりを見ておこう。まず伊勢湾では豪族の同名衆が警護に当たる。

 これより知多の大野のわたり七里となむ。舟の事かねがねいひつけられて、天気も大切の事にて急ぎ侍り。息彦次郎殿をはじめ、湊ちかき小庵にまちかまへられ、餞別の盃・・・この海にもふたがりとて賊難有りとか。警護の侍あまた、同名左馬允をのせたれば、おぼつかなからず。夕なぎして暮れはてぬほどにをしつけたり。

東三河の山中を越えて遠江の井伊谷(静岡県引佐町)へ向かう途中、富長の豪族、菅沼氏や今泉氏の送別の宴の後、井伊氏の迎えに会う。途中、井伊一族の出城からは引き留めることもできないといって酒肴が送られる。夜、宿所に着くと、早速、井伊氏の当主直盛が来て明日の連歌を懇望する。

 このわたりまでむかひくるらんなど申すもあへず、深山をこえて、侍の四五人、井伊殿同名彦三郎迎へとてさきへ案内あり。いそぎ行くほどに、かた岡かけたる小城あり。これも井伊一家の人。今日谷まで下着あひさだめたれば、抑留にをよばずとて、使僧して樽さかなをくらる。馬上盞の躰なり。初夜の過ぎに和泉守所へ落ち着きたり。次郎殿やがて光儀。明日一座の懇望。

第一節で見た『宗祇終焉記』とこの『東国紀行』を比較すると『東国紀行』の送迎の方がさかんで賑々しいことに気付く。およそ四十年の間に連歌師に対する世間の評価が変化したのである。

もう一つ、同時代の公家の駿河下向と比較してみよう。弘治二年1556中納言を辞退した山科言継は駿河に向かった。一例として『言継卿記』弘治二年九月二十一日条を挙げよう。

 今朝飡(さん)以後発足、過三里着引馬、人夫伝馬之事、飯尾着三郎に遣太刀雖申遣、三川へ出陣留守云々、母も三里計仏詣云々、太刀取て帰了、宿にて一盞受用、亭主に牛黄円一員遣之、次引馬川渡之、次天龍川舟渡有之、船ちんの儀及び喧嘩、但所之長馳出、先無事候了、移刻、次過三里着目付衙了、

朝食の後、引馬(浜松市)に着き、人や馬を頼みに今川氏の家臣飯尾氏を訪ねるが留守、土産に用意した太刀は渡さずに持って帰る。旅宿で酒を飲み、亭主に薬の牛黄円を遣わす。言継は医薬に詳しく、道中、何かと薬を贈り物にする。天龍川では船賃のことで喧嘩をし、土地の長老が仲裁に入る始末。三里過ぎて目付衙(磐田市)に着く。何ともはや、締まりのない道中である。豪族たちの送迎を受ける連歌師宗牧の旅とは雲泥の差といえよう。

(つづく。つぎは、連歌師じょうは。紹巴。)

引用:岩波書店『文学』2002年・9・10月号より。

2009年1月27日 (火)

連歌師3・宗長  鶴崎裕雄

連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち

       鶴崎裕雄

宗長その3

宗長の交渉を知るのに面白いのが尊経閣文庫蔵の『飯尾文書』である。
『飯尾文書』は室町幕府奉行人飯尾氏に伝わった文書で、飯尾氏の許に届いた書状の一部の収集である。
江戸時代、加賀の前田家に入り、尊経閣文庫に収められている。この中に遠江の羽鳥荘の年貢を巡って今川氏側からの十一通の書状がある。『飯尾文書』は飯尾氏の許に届いた書状だけが残されているので、飯尾氏が送った書状はない。案文のような写しでもあれば、応答がわかるのであるが、ここでは今川氏からの一方通行である。遠江の羽島荘は、現在の浜松市、天竜川の右岸、東名高速道路インターチェンジの北にあった。『飯尾文書』に残された今川氏の書状十一通は、今川氏奉公人福島範為の八通、宗長の二通、氏親の一通である。以下にその内容を紹介しよう。

①の書状は永正八年四月三日、飯尾貞運宛福島範為の返書。
これより以前、幕府奉行人飯尾貞運より今川氏の許へ羽島荘の年貢の催促の書状が送られたのであろう。
貞運の書状はすぐ氏親に申し届け、このことは相阿にも伝えたといい、今後も連絡してほしいと記す。
相阿は将軍の同朋衆で『君台観左右帳記』を著した水墨画家相阿弥真相ではなかろうか。

②は七か月後の永正八年十一月八日、相阿宛福島範為の書状。
関東での北条早雲の和談のこと、馬の進上が困難なことなど、種々細々と書き連ね、羽島荘については今川氏の使者堆持者を上洛させて申し上げると記す。

③は同日、十一月八日、飯尾貞運宛福島範為の書状。
羽島荘は交戦中の斯波氏との境の地のため年貢の徴収は遅れているが、氏親も等閑には思ってないと記す。
この時代の羽島荘の所領関係は不明であるが、今川氏の守護請けとなっていたのであろう。
今川氏が駿河より遠江へ進出しようとする時期で、幕府に対して遠江での今川氏の勢力をアピールする必要があった。

④は永正八年十一月十六日、宗長宛福島範為の書状。
範為が宗長に意見を求める書状で、はなはだ興味深い。
羽島荘の年貢分として来年、金十両を送ることに氏親も納得しているが、この方針で良いかと相談する。都の公家や幕府の武将たちの事情に通ずる宗長にとって外交問題の相談にあずかることも役割の一つであった。
それでは、なぜこの宗長宛の範為の書状が京都の飯尾貞運の許にあったのか、答えは⑥の貞運宛の宗長の書状にある。

⑤は永正八年十一月十八日、飯尾貞運宛福島範為の書状。
羽島荘の年貢を来年より送ることを伝える。

⑥は同日、十一月十八日、飯尾貞運宛宗長の書状。
宗長自身の近況を述べ、羽島荘について範為より相談を受けた④の宗長宛福島範為の書状を送ると記す。④の宗長宛の書状がなぜ飯尾文書に含まれているかこれでわかるのであるが、いかにも今川氏側の手の内を見せるような宗長の外交に目を見張る思いがする。

⑦は同日、十一月十八日、相阿宛福島範為の書状。
羽島荘の年貢として来年、金十両を送ること、斯波義達の井伊山出陣に対し、範為も出陣することなどを記す。

⑧は永正九年十月十一日、飯尾貞運宛今川氏親の書状(この書状は現在『武家手鑑』に入っているが、元は『飯尾文書』にあった)。いよいよ羽島荘の年貢金十両が送られた。

⑨は永正九年十月十三日、飯尾貞運宛福島範為の書状。
前の⑧の氏親の書状とともに金十両を今川氏の使用堆侍者に渡したと伝える。

⑩永正九年十月二十三日、飯尾貞運宛宗長の書状。
金十両を送ったこと、来年正月には伊勢山田まで行くが、山城の薪まで行きたいと記す。

⑪永正九年十一月二十六日、飯尾貞運宛福島範為の書状。
羽島荘の年貢金十両と公儀(幕府)へ二万疋の進上を伝える。

長い紹介になったが、『飯尾文書』は宗長が今川氏の政治に関与した具体例を示す史料である。宗長の場合、駿河の今川氏との関わりが強く、政治的行動も主に今川氏の範囲に留まっている。ところが、次の宗牧や紹巴の場合は、禁裏や天下人と関わって、さらに全国規模へと拡大する。

(次はいよいよ問題の“宗牧”。お楽しみに!)
八女戦国百首の「牧也」は「宗牧の弟子」かも知れない。
時代と名づけがそう言ってる。

2009年1月26日 (月)

連歌師3・宗長  鶴崎裕雄

連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち

      鶴崎裕雄

宗長その2

こうした縁で宗長は、実隆を通して禁裏御料所の年貢の催促を頼まれることもあった。実隆の日記『実隆公記』永正七年1510五月七日条に、実隆が宗長に返事を書き、武蔵国住人三田弾正が所望している書物も書き遣わしたと記した後、

 就中上総国畔蒜庄者御服御料所也、件在書摩利谷某当時押領也、彼者三田弾正知音也、内々可相語試之由申之、予奉書所望之由宗長申之間、調愚状下賜三田弾正了、

と記す。畔蒜荘は千葉県君津市・木更津市の小櫃川流域にあった禁裏御料所の荘園である。これが小櫃川上流の真利谷に本拠を持つ上総武田氏に押領された。武蔵の勝沼(東京都青梅市)の三田氏は上総の武田氏と親しいという。実隆は顔の利く宗長に三田氏を通して武田氏に働きかけてくれるよう頼むのである。そのため宗長の指示通り三田氏が所望している書物を書き遣わし、奉書を用意するのである。奉書は女房奉書だろうか。

このように宗長は仲介を得意とした。いや、仲介の労を執るのが好きであったのかもしれない。宗長が得意げに語る仲介の話、それは『宇津山記』に記された永正十四年春の出来事である。宗長は今川氏親より甲斐国の勝山城(甲府市)に包囲された駿河勢二千余人の解放を交渉するよう依頼された。
「貴命そむきがたくて」というように氏親の依頼どころか厳命である。武田氏の支配する甲斐国に内紛が生じた。氏親は甲斐の国人と言い合わせて二千人余の兵を甲斐国に投入した。ところが甲斐の国人が心変わりして、駿河勢が勝山城に包囲されてしまった。宗長は甲斐の知人の館に入って交渉に臨んだ。甲斐の知人とは武田信虎である。『宇津山記』には、

 廿八日知人の館にいたりぬ。一折の連歌興行。

 世は春とおもふや霞峰の雪

 五十日におよび敵味方にさまざま老心をつくし、まことにいつはりうちまぜて、三月二日、二千余人一人のつゝがもなくしりぞき・・・

とある。「真に偽り打ち混ぜて」とは交渉の様が彷彿とする。
「一人の恙もなく退き」こそ宗長の誇りであろう。
相手の館に着くや連歌を始めるところがいかにも連歌師である。
相手も宗長と連歌をすることを心待ちにしていた。
その瞬間をぬって交渉の糸口を捜す。

宗長が交渉に連歌会を使うのは『東路のつと』にも見える。永正六年1509のこと、宗長は関東一円の歌枕を求め、日光や草津を巡った。白川関にも脚を伸ばそうとしたが、生憎の合戦と洪水のため、断念を余儀なくされた。その途中、江戸で上杉建芳に会って建長寺天源庵のために領地の交渉をした。

 江戸の館に六七日におよべり。連歌三百韻あり。

 霜寒き松ゆく田鶴の朝日かな
 雪は今朝水に積れるみぞれかな
 遠山に心は雪の朝戸かな    建芳

 「心は雪の」といへるあたり、古めかしくてしかもまた珍しげ也。一日隔てて、面白かりし会席也。
即ち、かの天源庵領二か所、返しつけらるべきよし、厳重のことなり。顕方も一所あり、同じく返しつけ畢る。都鄙今の折ふしには、希有のことなるべし。

とある。建芳は上杉朝良の法名。朝良は扇谷上杉氏の一族の出身で、養子になり、扇谷上杉氏の家督を継いだ。扇谷上杉氏は山内上杉氏と争いを繰り返しており、永正元年には武蔵の立河原(立川市)で山内上杉勢を破ったものの、翌年には川越城で大敗し、家督を養子朝興に譲って江戸館に隠棲していた。隠棲生活の徒然、宗長との連歌に心を和ませた朝良は宗長の申し入れを聞き入れ、天源庵領の返還に応じた。しかも顕方の押領した天源庵領まで返されることになった。顕方は長尾顕方、山内上杉氏の重臣。これら天源庵領がどこにあったのか、朝良と顕方との交渉がどのようになされたのか、不明であるが、宗長が「都鄙今の折節には希有のこと」というように、押領された荘園が返還されることは、当時としては珍しいことであった。なお群書類従本や太宰府天満宮西高辻家本には顕芳のことは書かれていない。

(つづく。あと一回分あります、宗長。・・・かささぎ)

連歌師3・宗長  鶴崎裕雄

連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち

    鶴崎 裕雄

 宗長の場合

宗長七十歳の自叙伝『宇津山記』に、

 予つたなき下職のものゝ子ながら、十八にて法師になり、受戒加行灌頂などいふ事までとげ侍りし。はたちあまりより国のみだれいできて、六・七年、遠江国のあらそひ三ヵ年うちつゞき、陣屋のちりにまじはりしかども、口ばかりには精進ぐさきあざみやうの物までぞをくりし。

とある。宗長は出家した十八歳のころから駿河守護今川義忠に仕え、戦陣の塵にも交じった。義忠は文明八年1476遠江出陣の帰途、敵の残党の夜襲にあって戦死した。宗長が都に出て、宗祇の許で連歌師の道を歩み始めるのは、この義忠戦死の前後である。

宗長の上洛が義忠戦死の前であるならば、国守の許可を得た京都留学でなかったかと思われる。当時、すでに戦国大名的要素を内在する守護たちは、領国の権威を高めるため、さかんに都の文化を摂取しようとした。『朝倉高景条々』に、

 一、四座の猿楽さいさい呼び下し、見物好まられまじく候。其の値を以て国の猿楽の器用ならんを上洛せさせ、仕舞を習はせ候はば、後代まで然べからん。

とある。文芸の才能を認められた宗長が京都留学を命じられたのかもしれない。

その後二十年、明応五年1496宗長は駿河に帰り、義忠の子氏親の庇護を受ける、というよりも氏親に仕える。以後、宗長は上洛はするものの、居所は駿河に構えた。『宇津山記』に、

 匠作近き居をかまへ、春の草木、秋の木草を求め植ゑ池ひろく水ゆたかにして夏冬経べき八木の恵みしげく、朝夕の煙絶えず。

と記すのも、匠作こと、修理大夫氏親から豊かな生活が保障されていたことが窺われる。
二十年の京都での修行時代、宗長は宗祇に随行して、公家や幕府の武将たちの許に出入りし、越後の上杉氏や周防の大内氏をはじめ畿内の国人領主たちと交渉を持った。特に公家の三条西実隆、管領の細川高国と親しんだことは宗長の大きな財産となった。東海道を往復するうちに親しくなった豪族もいる。伊勢の関氏・尾張の織田氏・水野氏・三河の松平氏・牧野氏たちである。

連歌師2・肖柏   鶴崎裕雄

連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち

    鶴崎 裕雄

(1からのつづきです。)

肖柏は他の連歌師とは一線を画している。
正室の子ではないとはいえ、准大臣中院通敦の子であり、内大臣中院通秀の弟であって、歴とした公家の出身である。肖柏自身、他の公卿たち同様、歌人であって連歌師という意識はなかったのではないかと思われる。とにかく、後土御門天皇や後柏原天皇の許に昇って連歌に参加することができた。『実隆公記』明応元年1492十一月二十五日条には、

 御連歌如例、
 親王御方・按察大納言・中御門大納言・下官・・・
 肖柏等候之、一座遅々入夜終功、退出、

 御発句
 月やけさわれてものこるうす氷
 水うちかふる霜さむき山     肖柏
 風しほる松のひまより瀧見えて 中御門大納言

と記す。親王御方は後の後柏原天皇、按察大納言は庭田雅行、中御門大納言は中御門宣胤、下官は実隆。こうした貴人や高位高官の連衆の中で天皇の発句に脇を付けるとは、後で話を聞いた連歌師たちは肖柏の栄誉に耳をそばだてたことであろう。

肖柏は文明十四年1482ごろから摂津の池田に住み、池田・京都間を行き来する。池田では国人領主池田が勢力を持って、周辺の荘園を押領、特に現在の豊中市や箕面市に広がる興福寺領に侵出した。『蔭涼軒日記』文正元年1466閏二月十日条に、京都相国寺蔭涼軒の季瓊真蘂が有馬の湯治に出かけた時、葉山三郎という者から聞いた池田氏の噂を記している。

 当国池田筑後守、其子曰民部丞、云尤富貴無双也、

裕福な池田氏が話題になる。京都より比較的近距離にある摂津の池田には、公家をはじめ、歌僧や連歌師が池田氏の無双の富貴に引き付けられるようにして訪問し、居住する者まであった。肖柏もその一人であり、歌僧招月庵正弘も池田に晴雲庵という草庵を持った。肖柏も永正十五年1518より以前、堺に移住する。

肖柏には『春夢草』という歌集と句集があるが、両集とも部立になっていて、詞書きにはほとんど年月日や詠草事情は記されていない。幸い正弘の歌集『松下集』の詞書きを使って池田と堺における詠草事情を比較してみると、池田においては、池田若狭守正種、同名彦次郎正誠、池田兵庫助正盛という人名が並ぶように、池田氏のための歌会や追悼歌となっている。
これに較べ、堺はバラエティに富んでいる。
堺における歌会の場所や人名を拾ってみよう。
引接寺、永昌院、藤原家定、海会寺、季弘和尚、宗椿、小林寺、隆珍、清賀、藤原忠誠、常楽寺の鎮守天神、金光寺住持、通玄庵・・・とまだまだ続くが、堺にはこのように幾つもの歌会があり、幾人もの主催者がいた。応仁の乱で疲弊した都の人々を魅了する池田や堺であるが、池田氏だけが富を独占する池田と、遣明貿易で希代の有徳人となった湯川宣阿やその余慶にあずかる人々の住む堺とでは自ずから相違がある。やはり堺は自由都市というにふさわしい中世都市といえよう。

永正五年、管領細川氏に内紛が生じ、室町幕府にも、細川氏が守護を勤める攝津の国人にも大混乱が起こった。池田氏も二派に分かれて争った。こうした混乱を避けるかのように、肖柏は池田より堺へと移住した。そうした意味で、肖柏は本稿の副題「政治的な、あまりにも政治的な人たち」にそぐわない人物といえよう。

2009年1月25日 (日)

連歌師1・宗祇   鶴崎裕雄

「連歌張行の建物・部屋」を引用中ですが、その前に「連歌師」のほうを先に入力いたします。大至急!

走り読みしてたら、「宗牧」という連歌人の名が目に留まりました。
天文年間の越後の連歌師みたいです。では、では、八女戦国百首の牧也はこの連歌師の弟子でしたでしょうか。わかりませんが、「宗」の名を冠する者はみな、宗祇の名から派生した一派だったとみたい欲求に駆られます。こういう知りたい欲望に駆られての勉強は身につきます。それにしても、この本を神田の古書店の通信販売でもとめたのは数年前の暮だったと思いますが、何年も放っていたのに、今になってちょうど欲しい内容が載っていることに気づき、すごいことだったと心打たれる。

連歌師ー政治的な、あまりにも政治的な人たち

    鶴崎 裕雄

一 宗祇と肖柏の場合

文亀二年・1502宗祇は弟子の宗長や宗碩たちと越後より関東を経て駿河に向かった。宗長の記す『宗祇終焉記』の旅である。七月下旬、鎌倉近きところで千句連歌を行い、二日間の休息の後、

 廿九日に駿河国へと出立侍るに、其日の午刻ばかりの道の空にて、寸白と云虫おこりあひて、いかにともやる方なく、薬を用うれど露験もなければ、いかゞはせむ。国府津と云所に旅宿を求めて、一夜を明し侍しに、駿河の迎への馬、人、輿なども見え、素純馬を馳て来向はれしかば・・・

とあり、一行は力を得て、箱根山を越えようと湯本まで行くが、その夜、七月三十日、弟子たちに看取られて宗祇は亡くなった。

鎌倉近き所とは相模守護代上田館である。後述のように宗牧たちの旅には滞在先の豪族たちが送迎の人々を遣わすのであるが、この文章からは上田氏がさほど送りの人を付けたとは思えない。国府津まで来てやっと駿河からの迎えが来て、素純も駆けつけた。駿河の国守今川氏親が宗祇の来訪を心待ちにしていたことは、後日、十五夜の連歌の脇句でわかるのだが、この駿河からの迎えは宗長の依頼が大きいのではないかと思う。素純の場合も、氏親の命というより、古今伝授を受けようとする素純の個人的な行動と考えてよい。

宗祇の生涯を見ると、公家や幕府の武将、地方の有力大名の歌会や連歌会に出座し、さかんに交渉を重ねている。寛正五年1465ごろ、細川勝元の家臣安富盛長主催の『熊野千句』では管領細川勝元たちと同座。文明十年1478越後の上杉房定の許に滞在し、帰途、越前の朝倉孝景、若狭の武田国信を訪問。この後も越後には四度下向している。文明十二年、大内政弘の招きで周防から北九州を歴訪、大内氏の有力被官陶弘詮、杉弘相らと交わって『筑紫道記』を著述。
文明十四年、前将軍足利義政主催の百韻連歌で聖護院道興・実相院増運ら門跡と同座。文明十八年、『細川千句』で細川政元・同政春・薬師寺元長らと同座。このほか『源氏物語』や『伊勢物語』ほかの古典を講義し、そこには公家の子弟だけでなく、細川氏一族の者も顔を出している。こうした権力者との交渉はまだまだ続くので、列挙は打ち留めにするが、こうした交渉が、宗牧や紹巴のように政治絡みに進展することはなかった。宗祇の行動が政治を動かす、明確に政治に関与することはなかったといえよう。(「肖柏」の項につづく)

宗牧:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E7%89%A7

引用:『文学』2002・9、10月号より。

なお、かささぎは鶴崎裕雄先生とはれぎおん企画の「連句人による連歌興行」という催しで、一度同座した経験がございます。
きっちりといつであったかを思い出せないのですが、平成16年11月23日ころであった、と思うものです。あのとき前田編集長が招かれた連歌師は、日本を代表するお三方、島津忠夫氏、光田和伸氏、そして、この鶴崎氏でした。かささぎの印象では、三人のなかで、もっとも温和な先生でございました。あのときの座の、なんともいえない緊張感を、まだ鮮明に覚えております。出す句すべてが、光田氏によって「連句的!」と弾かれた屈辱も。かささぎ、全面敗戦の図でした。わすれられないなあ。

(そのときは、かれらがどれほど偉いひとたちであったのかを、かささぎは知る由もありませんでした。)こんな得がたい座を体験させてくださった、れぎおん、前田圭衛子師には感謝のほかはありません。

2009年1月23日 (金)

連歌張行のシチュエーション 2

1・19第一回http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-efc8.htmlからの続きです。なるべくそのままの引用をこころがけます。 

連歌張行の建物・部屋

     廣木一人

連歌張行にふさわしい建物、部屋を考える時、単に部屋自体の形態だけを問題にすればよいのではないことも注意すべきである。
部屋には室礼が必要であるし、その部屋がどのような庭に面しているか、どのような景に接しているかも重要である。『連理秘抄』には次のようにある。

 一座を張行せんと思はば、まず時分を選び眺望を尋
 ぬべし。
 雪月の時・花木の砌、時にしたがひて変はる姿を見
 れば、心も内に動き言葉も外にあらはるゝ也。おなじ
 くは、眺望ならびに地景あらん所を選ぶべし。山にも
 向かひ、水にも望み風情をこらす、尤も其の便りあり。

(ここで時間切れ。では行ってきます)

2009年1月19日 (月)

連歌張行のシチュエーション

以前紹介した連歌の本です。

2002年岩波書店『文学』9,10月号。

「連歌張行の建物・部屋」 

           廣木一人

連歌が座の文芸であるという時、その座の意味は多様である。
座という言葉は連衆の集まる場であると同時に、連衆の社会的結合をも意味する。後者の場合の座は公家・武家などの君臣の集まりでもあり、惣村・宮座などの地域的結合でもあり得る。さらには「花の下連歌師」などを想定する時、芸能者集団の座をも念頭にしなければならないかもしれない。このような座の存在を思い描いた時、それが中世社会の根底に関わるものであることに気づく。連歌はこの点でも正しく中世社会の申し子と言ってよいのであろう。(ざざっと略)

連歌が張行される場所、それは一般的には何かしらの建物の一室と考えてよいであろう。『吾妻鏡』寛喜二年1230、3月19日の条のように船中での会もあるし、「花の下連歌」や「笠置連歌」などというものが、連歌史上忘れてはならない形態であったということからすれば、野外という場も念頭にすべきであろうが、これらは特殊な例である。連歌はそのほとんどが部屋の中で行われてきたに違いないのである。
連歌会の行われた部屋を考える上で押さえておくべきことがある。それは、連歌が一般には七、八名から十数名程度の人々によって行われ、連衆のお互いのやり取りを基盤にした文芸であるということである。すぐれた連歌を目指すのであれば、連衆は平等な立場が確保できること、少なくとも部屋の形態に身分差を意識させるようなことがないことも必要であろう。また、心の寄り合えるような場所、あまり広くもなく狭くもない場所がよいはずである。
二条良基はその連歌論書『連理秘抄』の中で次のように述べている。

 稠人・広座・大飲・荒言の席、ゆめゆめ張行すべからず。
 すべて其の興なし。

「稠人・広座」は部屋の大きさと参加人数の関係で決まる。
部屋が広すぎることの欠点は、早く『明月記』においても、寛喜二年1230年8月3日の条に、

 尊卑父子各座遠而甚無興之間、

と記されている。連衆が離れすぎていてはお互い気持ちが通じ合わないというのであろう。また、部屋の規模はともかく、人数の多過ぎることについては、『筑波問答』に、お互いの心を掴み得ることが必要であることを前提としての言として、

 但、堪能に成りぬれば、人はいかに多けれども、句をよく配りて、すべて人を目にかけぬ事にてあれば、会衆の多少にもよるまじきにや。

と記されており、その不都合が暗示されている。これらを鑑みれば、連歌張行の部屋の理想的大きさは自ずと決定されてくるはずである。

さらに、連歌という文芸にとって連衆の気持ちの寄り合うことが大切であるならば、部屋の形態の適不適も定まってくる。当時の貴顕のための建物は身分差によって、座席の床の高さなどに相違があったからである。このことに関わっては、『満済准后日記』永享四年3月4日の条を引いての伊藤毅氏の次のような指摘がある。

 連歌が始まる以前は、身分差を反映した座が占められており、武家衆らは東落間(東庇)に祇候していたが、連歌が始まると、メンバーは全員六間に参入している。連歌はこのように貴賎同座が原則であって、少なくとも連歌が行われている間は平等性は保たれていた。

(ここに12行の漢文、省略。)

ただし、ここでも完全な平等が成就しているのではないらしいことは注意するべきである。

この論文は詳しく専門的なことを調べて書かれていますので、ぜひとも全文引用をしたく、また例によって数日かけて引いてゆきたいと思います。もちろん、戦国時代の座に関する言及もあります。今やらなければならないことは、当時、500年前、どういう部屋でどういう風にして座が営まれたか。ということの具体的なシチュエーションをあたまに描くヒントを沢山仕入れることです。

こういう時かささぎの光るものを見つける能力は侮れない。笑

なお、「八女戦国百首和歌」は、一般的には連歌ではないのですが、大雑把な括りかたをすれば、連歌の範疇に入れても何ら問題はないと思うものであります。

2008年12月13日 (土)

連歌の発生

連歌から俳諧へ

左・隔月刊『文学』2002年9、10月号(岩波書店)
右『荒木田守武』(俳祖守武翁顕彰会編・没後450年記念事業実行委員会刊)

「文学」

特集 連歌の動態

光田和伸先生は連句誌れぎおん巻頭で芭蕉の「冬の日」講釈をなさっていたプロの連歌師、高名な国文学者であります。かささぎは、連歌とはなにをもって連歌というのかがわからなくてうろうろしていたとき、この本が目に留まった次第。以下、ざざっと引用をお許し願います。

連歌の発生

あやにやし えをとこを あやにやし えをとめを 

ご存知、 いざなぎ、いざなみ二神のご唱和。55 55。
女神が先導するかたち。これが原初の連歌である。
ここから旋頭歌とよばれる577・577がうまれてくる。
独詠型と唱和型と並存する。この変化は大和政権に引き継がれる以前に出雲王国において起こっていたのであろうか。それとも継承以後に起こったのだろうか。スサノヲの神詠、

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに
八重垣作る その八重垣を 57577

これはもう完成された短歌形式で立っている。

万葉集の旋頭歌62首のうち、作者不明歌はじつに51首。このうち、柿本人麻呂作とするものが35首、巻7に23首、巻11に12首とまとまって収録されている。一方人麻呂個人名の作歌はない。旋頭歌という形式は民謡、ひなぶりであったか、民謡に仮託して歌われる一種の牧歌だったろうか?それは作家が勝負をかけるような形式ではなかった。短歌を晴(はれ)の文学、旋頭歌を褻(け)の文学とする意識がもう、この時代にはあった。八世紀には旋頭歌の命脈はつきた。

旋頭歌にかわるあたらしい連歌形式は、現在広く「短連歌」の名で呼ばれている、575・77形式である。その最古の記録は、万葉集巻8の尼と大伴家持の唱和。

佐保川の水をせき上げて植ゑし田を
刈る早稲はひとりなるべし

中略。

古今風に花をうばわれて、短歌の風下にたった連歌に、あたらしい動きがおこる。鎖連歌である。その嚆矢は「いろは連歌」のように各句の頭に決まった文字を配して、つぎつぎに歌をよむ「冠字連歌」であった。

うれしかるらむ 千秋万歳
ゐはこよひ あすは子日と かぞへつつ   小侍従 
                           『古今著聞集』

これはその現存最古文献、1165年、藤原定家はこの3年前に誕生している。
鎖連歌では続けるための動機付けに制約を設けるが、この制約を連歌用語で「ふしもの・賦物」という。「冠字」はそのもっとも早い時期に誕生した形式である。(さいしょの歌いだしのことばを
決めてから、詠む歌形式である。小侍従の上記の歌は、いろはの「うゐ」をあたまに冠している。札幌の故クボタカオル宗匠に、この冠字連句としりとり連句でずいぶん遊ばせてもらいました。ほんとうに有難いことでした。いまおもえば。かささぎ注)

ふしもの、賦物は、とても高度な知的ゲームであった。
藤原定家は賦物連歌に参加することで新しい風、新古今調を獲得したのだろうか。しかし、定家の時代の鎖連歌の実作はきわめてわずかしか残っていない。わたしたちの目にする鎖連歌のほとんどは、新古今和歌集成立以後のものである。

ふしもの連歌は定家死後さらに発展し、上賦下賦連歌は百句をつづけるようになる。
それからいろんなスタイル素材が生まれ、飽きられ、いろいろとくるうちにやがて、去嫌連歌が発生する。さりきらいれんが。誕生した時代、発生場所は正確にはわからない。その
最初のルール、「連歌本式」は1260年のなかば文永のころの誕生と伝えられる。以後、ほぼ十年ごとに「建治新式」「弘安新式」という改訂版が出る。賦物連歌勃興期を代表する作者は、藤原定家であった。去嫌連歌の勃興期を生きた作者は『徒然草』の著者、占部兼好である。兼好は歌人としての誇りを維持し、連歌には冷淡だったといわれるが、徒然草の段落配列には去嫌連歌の展開を踏んでいるところが多くある。

連歌新式。
兼好晩年のころ登場する二條良基によって、連歌は完成をみる。1372年、良基が救済の協力で完成した「連歌新式」がそれである。以後、わずかな改定をみながらほぼそのままのかたちで、こんにちまで去嫌連歌の式目の地位を保っている。

さいごに、その式目の説明にはいるのだが、これは連歌の世界観、哲学の具現である。
引きたいが、肝腎かなめの部分であり、それは読者が本を手にしてよまれんことを願うのみ。

▼光田和伸先生のご本二冊。
「芭蕉、めざめる」http://seisoushobou.com/book/nonfiction/aaiacioaae/
「恋の隠し方」

(けっきょく、百首和歌の位置づけはまだよくわかりません。)

2008年8月28日 (木)

アンソロジー『月と花と恋と』

おととい三省堂から本が届いた。

編集は連句用歳時記『十七季』でおなじみの丹下博之・佛淵健悟の両氏と、三省堂の阿部さんとおっしゃる編集者です。

七月九日夜。もう時間がないんだ、すぐにまとめ上げて出版する本に、あなたの句もいれるから、なにか出しなさい。と電話がありました。町田のほとけぶちさんからです。なんでも、連句誌れぎおんの読者である三省堂の阿部さんが私の名前を覚えていてくださったとのこと。事情はわかったのですが、忙しいのとめんどくさがりのため、出典すら確認せぬまま、いくつか覚えてる句を送信しました。あとで引用句の出典作品のコピーを送るよう言われたが、お送りしてない。駄目だろうとあきらめていたのですが。ちゃんと入れてくださってました。

きれいな本で、とてもうれしいです。
ほとけぶちさんと、三省堂の阿部さん。ありがとうございました。
連句をお教え下さった前田圭衛子師にも最大の感謝を捧げます。
ああ、こんなことなら、あの人の句もあの人の句も入れてあげたかった。

しかたない。自分の句でさえ選ぶ間もなかった。

Book 月と花と恋と―平成連句抄

販売元:三省堂
Amazon.co.jpで詳細を確認する

↑ 買うてね!これがはじめて付ける宣伝です。
  最近巻いた作品からの句も入れてくれてた。
  ベテランの付手たち(掲載されてる句数が多い)の句は、さすがに違います。
   勉強になります。
    

2008年7月19日 (土)

歌仙『四方の春』

  五吟付回し歌仙

    『四方の春』

四方の春はしごに登り遠会釈   永渕 丹
  門に飾りし対のゆづり葉    大久保 風子
石ころは詩集いくつも隠しゐて   姫野 恭子
  キャッチャーミット鈍く響ける  田中 安芸
月光を汲み上げてをり水砧     前田圭衛子
  円周上に透ける蜉蝣           丹
ウラ 
濁り酒捨てし家郷に吹く風よ        風子
  独り語りの物語よし            恭子
傷口を爪でむしるも武蔵振り        安芸
  スローなヴギに痩せて焦がれて    圭衛子
白茶けた兵舎の壁の反り返る       丹
  二十五時てふ時の記念日        風子
さんふらんしすこの月は暑くなか      恭子
  路面電車は海見ゆる丘         安芸
崖ひたす舫ひの綱の船員(かこ)結び   圭衛子
  陰暦なじむ暮し手に入れ        丹
朧夜を花は散りそむ標準木         風子
  みささぎのへに雉子(きぎす)まどろみ  恭子
ナオ
東帝の設計図あり夢わたる         安芸
  あの世この世と水漬(みづ)く蒟蒻    圭衛子
不足なら万能細胞当てにせよ        風子
  カキクキクキク錻力人形          丹
かじけ猫納戸の錠は錆びたまま       安芸
  雪の吉野の摩羅のさやけさ        恭子
引き金に触れてるやうな恋をして       圭衛子
  嘘の涙を出せる女に            風子
ほどきたる紐さまざまに多感なり       丹
  砂は知らずや幸せの跡          安芸
望過ぎて伽藍静かにうなづきぬ        〃
  新藁すこし取って置かうか         恭子 
ナウ
鬼の子と母御が住まふ奥丹波        圭衛子
  きのふの豆をけふもまた煮る       風子
落日に絵の具の乾く音を聴き         丹
  一閑張りは丸に十の字           安芸
花宿りしてます白湯を吹いてます       丹
  昭和館より引ける糸遊           恭子

 

平成19年12月12日起首
   20年1月21日満尾

   連句誌『れぎおん』2008・春・61号より引用   

前田圭衛子師より電話がありました。
この作品が三省堂からもうじき出るアンソロジーに載るそうです。
その本は連句作品から花、月、恋の句をシングルカットした選集だそうで、どんな編集なのでしょう。

電話をうけて、へえと思いながら読み返しますと、欠点もあります(妙に暦がらみの言葉が多い。無意識に時についてみんなで考えていたかのようにです)が、何よりとても自然な流れであることに気づきます。きっちり前句を受けて次の句が出ていますものね。

自分の句の留め書きを書いておきます。
この歌仙の終わりがけに突如として上京したんでした。
連衆の誰にも言っていません。前田先生にもです。
ブログには書いてますけども。
今おもうと、ふしぎなんですよねえ。
きっかけはあべしげさんをみにいった。
でもじっさいは、

霊によばれた。

そうとしか考えられない。
帰ってきたら、ちょうど永渕丹さんの白湯を吹いて冷ます、きれいな匂いの花の句が回ってきた。行ってきたばかりの昭和館で見た写真がこころに浮かび、挙句はすぐ浮かびました。

それと、初折ウラの夏月、

「さんふらんしすこの月は暑くなか」

これが九州弁なのは、前句に詩臭があるためでした。
詩臭には
うしろから近づいて膝コキってしたくなりませんか。わたしはなります。そういう場合の九州弁はすごい。すごすぎたかもしれない。かなり浮いていますね。
     

「雪の吉野の摩羅のさやけさ

摩羅というきわどいことばを、まったくいやらしさを感じさせずに出してみたかった。少年の朝立ちのように健やかで、イメージとしては中年から初老おやじの穢れなき純情。前句に安芸さんの骨董っぽい景の句が出、ちょうど手元に前登志夫の歌があってので失敬しました。その際、季語の雪は非常に効果的で山本健吉の『雪月花の時』という本を思い出したほどです。前田師はかねがね冬が出たら一句は雪を詠みなさいよっておっしゃってますが、こういうことかと実感。しかし、つぎの前田圭衛子句があってこその恋句への昇格ではありましたね。これだけでは恋にはなれなかった。

名残裏の完成度は非常に高いなあと感じます。

一閑張り:http://e-shibu.com/ikkanbari.html
前登志夫:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%99%BB%E5%BF%97%E5%A4%AB

上を読んで、前登志夫は四月五日に逝去されたことを知りました。
びっくりしました。知りませんでしたから。
私がこの特異な歌人を知ったのは、連句仲間だった小郡の俳人・森山光章氏から教えてもらったからです。森山光章氏はほんとうにすごい人で、わたしには彼の文学世界のほんのはじっこしかわからないんですが、でも、紹介していただいた山中智恵子と前登志夫は、以後注目して読んでおります。前さんの本は歌集ではなく『存在の秋(とき)』を持ってるきりですけども。
謹んで、前登志夫氏のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

連句的参照

山中智恵子論:http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/ChiekoYn/YamanakaChieko10.htm

2008年7月 6日 (日)

八女福島堺屋

八女福島堺屋

(2008・1・13・09・50撮影)

本日の連句興行参加者   敬称略 俳号

古賀音彦(やまなみ短歌会所属歌人)
中川ワタル(ぼんぼり連句以来二度目の参加)
堺 舟美(堺屋管理人) 
東妙寺らん(俳句誌『樹』所属俳人)
八山呆夢(同上)
山下整子(同上、やまなみ短歌会所属歌人)
沢 都 (連句誌「れぎおん」所属連句人)
姫野恭子

 胡蝶 『神さまのかかと』  
                 捌・ 姫野 恭子

オモテ       

風鈴がなってる一人いる       古賀音彦
  ねこがみているががんぼの肢  姫野恭子
遠き潮砂にまみれし道ありて    沢  都
  四輪駆動のシートなめらか    山下整子
月明かり娘と語らう日の続く     八山呆夢
  背伸びして吊る柿の簾よ     東妙寺らん

ナカ

古里の重箱岩の櫨もみじ      堺 舟美
   堰の水音くらやみに落つ     都
神さまのかかとくるぶし脇の下    整
   留守に済ませることの多さに   夢
君と会い君と別れる日をおそれ    彦
   一斑にして全豹を知る      恭
真も偽もチャイナウナギも札束で   らん
   返信はがき同封します      都
親心知らず知らせず冬の朝      夢
   八甲田山根雪抱きて       夢
残月のほのかに透ける大旦     整
   床に転がる鉄のダンベル    らん

ウラ

誕生日ろうそくなん本たてようか  中川ワタル
   鶏を追いたて老婆かしまし   音彦
朝霞石静かなる坂の塚        都
   往還端には焙炉場があり    恭
花ざかり身も心にもまんかいだ   舟
   夢ふわふわと白き初虹    らん

*

http://www16.ocn.ne.jp/~greenpal/kankou_02.htm
(黒木・山中渓谷の重箱岩)
http://www.flipclip.net/clips/akamikey/0020a05c2936964171cadf3e0d42e9df
(あっねこがががんぼをとった。)

捌メモ:

ゲストの古賀音彦さんは整子さんが連れて見えたやまなみ短歌会の歌人です。現代表記の口語表現をひさびさに新鮮に感じることが出来た。それを感じさせることができる魅力を、音彦さんはもっていた。みてください。この発句、こどものような、山頭火のような。とてもいいでしょう。ひきこまれます。
また、恋句も、とてもきよらでういういしい。そして逃げてない。
わたしはちょっと感動してしまいました。

発句にはつぎのような句がでました。

(しんどいので、この部分全略しますごめんなさい)

「往還端には焙炉場があり」
むかし「おーかん」という名の大通りがありました。
そのおうかんという名は、仏教の生き死にから来ている、
というはなしを管理人の堺さんがなさいました。
すぐ付句に仕立てました。
ほいろば=焙炉場=は、八女にはたくさんあります。
上妻小学校への道のそばにも二つくらいありました。
時季になると、すごいにおいがしたものです。
みどりそのものの強烈なかおりです。

※ 中川ワタル氏は音彦氏に用があって立ち寄ったところを無理やり連句に誘ったというか、そんな感じでした。ですので、一句のみの参加です。ありがとうございました。またおねがいしますね!

2008年6月30日 (月)

梅雨の底から

連句がまきあがるととてもさみしくない。
「あいみっしゅ」のこころです。
思春期のころみたいにです。

太い縄になってたものが一本の藁しべに戻る。
そうだったのか。
Ⅰ miss you のこころが、うたの起動力なのだなあ。
戦国時代の武士たちも、大石政則日記の時代の武士たちも。
サムライドライブってのは、この「うたのこころ」なんだなあ。

きのう、二通のメールがとどきました。

ひとつは、頼んでいた乙四郎からの留書。
さすがに乙四郎だなと思うような内容でした。
これ、役得。だれより先によめるっていうのは。

もうひとつは、丸山消挙の四文字熟語通信。
なに。つまとえいがにいくって書いてある。
中山宙虫も丸山消挙も、妻と一緒、妻と一緒。
・・・・・ようちえんかい。
おかあさんと一緒みたいじゃないか。

なんの映画をみたんだかしらんが、
つまんねえだろうがよ。つまとみたって。

えいがはひとりで、またはあいじんとみるものさ。
おれさまは~いつのひか~あいじんと~

いくんだじぇ。えいがもやまのぼりもね!
しぬまでになすべきこと。
その一つが、これどす。へえ。そうどす。
ぜってえ実現するぞあいじん。いいなあ。ほしいなあ。
世の中年諸君。きみたちのつまはぜってえそう思ってるて。
なぜって、そんなこたぜってえできない娑婆であるがゆゑに。

がきのせわとおとしよりのおともでおはるがさみし
    さみどりのなかのまみどりかささぎのあを
                         西野いりひ

参照
娑婆 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A8%91%E5%A9%86

天神で見上げる空は直線で仕切られていて何だか狭い

歳を取る足は上がらん目は見えんご飯はこぼす早よ目が覚める
バリウムを「一気に飲んで」と言われてもなかなか馴染めんあのドロッとした味
 「天下無縫」  水着はスピード社のシームレスに限る
 「高幻麗職」  「職業に貴賎なし」というが、みなさん望みは高いようで
 「食頻偽装」  食品偽装は頻繁に身近に起こってる 
以上は何時も職場で考えてるけど、なかなか「これっ」ていうのができません。(丸山消挙)
ほんとだね。
おおお。おもいだした。
おあずかりの俳句ふたつ。
福岡市職員のともだちから、赤ん坊誕生祝句を預かっていて、ずっと忘れていました。
ほんとにごめんなさい。ろくでもないことばかり考えてて、すっかり不義理をしてしまいました。
かばんから紙切れが出てき、思い出した次第です。赤面。
泣き顔も牡丹に見ゆる我子かな   勝本 秀
子を抱きてデジカメ片手春の縁    勝本 秀
このひとは、1月に女の子がうまれたのです。
なまえ、「桜子」。
さくらこ。すごいきれいな名まえ。
「うめこじゃなくてよかったな」。笑
子がハタチのとき、チチは七十三。
泣き顔も牡丹に見ゆる我子かな
吾子俳句や孫俳句はばかにされますが、ここまで堂々とよまれると、立派です。お産のときって痛みに集中していて父親のきもちなんてこれっぽちも思い及ばんのですが、そういや、男はどのように父親になっていったのだろう。かんがえたこともなかったな。この句をよんで、そんなことをおもった。
桜子に天から地から限りない祝福がありますように。
さいごに。
七月六日、連句会。かならずいこね。(いこね)

2008年6月18日 (水)

高貴高齢者

さいしょにきいたのは、長男の口から。

こうきこうれいしゃいりょう。
高貴な高齢者の医療だから高くつくのかと思った。

老いしものを如何やうに扱ふにしても後期高齢者などと束ねるな
   やまなみ  水落 博

やまなみ歌人せいこさんの短歌ブログでとりあげていた。
私も新聞でよんだ。破調はこんなときのためにあるんだな。

山下整子、31文字倉庫 http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_f06b.html 

2008年6月15日 (日)

天文歌人の難波津の歌

さいきんのニュースで歌木簡の発見があったでしょう。

そのニュースで特に眼をひいたのが、発見者のお名前(えーと)栄原永遠男(さかえはらとわお)・大阪市立大教授。さかえはら・とわお。と、歌の父母といわれる和歌が一本の木簡の裏とオモテに書かれていたことです。

<難波津の歌>

 難波津に咲くや(木こ)の花冬こもり今は春べと咲くや木の花

 (訳)難波津に梅の花が咲いています。今こそ春が来たとて梅の花が咲いています

 <安積山の歌>

 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに(安積香山 影副所見 山井之 浅心乎 吾念莫国)

 (訳)安積山の影までも見える澄んだ山の井のように浅い心でわたしは思っておりませぬ

(いずれも「新編日本古典文学全集」小学館より。「安積香山」で始まる表記は、万葉集の原文)

(上記は下のサイトからの引用です。)

http://mainichi.jp/select/today/news/20080523k0000m040062000c.html/.http://mainichi.jp/select/today/new

これをよみまして、はっと気付いたことがあります。

あれは二千一年でしたか、もう七年たちましたが、岩戸山古墳のある磐井の寿陵にある伊勢宮で新千年紀を祝う神事能『翁の舞』が演じられたとき、赤崎学芸員さんからいただいた史料に天文年間の百首和歌という重要文化財がありました。それを季刊の九州俳句誌に連載していた『暦論』(全12回)で99首全てよみとき紹介しましたが、春の部七番目に、忘れもしない難波津のこのような歌がありました。

   梅

心ある友としミばや難波津の
  花もさかりの香に匂ふころ  覚元

十六世紀の筑後武士たちの歌の教養。この中の「難波津の花」は「梅」の代名詞として扱われているのがわかります。

こう書いてるそばから、読みを助けて頂いた東明雅先生のお声が聞えてくるようです。

なにをしてるの。はやく本にまとめなさい。とおっしゃっているお声が。

2008年6月 3日 (火)

歌仙『筍の』上がりました。

歌仙「筍の」

    首 平成二十年四月一日
         尾   〃    六月一日

筍のひとつ耶蘇墓また一つ    乙四郎
 くるす野淡きかぎろひの中   恭子
ふらここへもつと高くと声かけて 呆 夢
 公園の道車椅子行く      兼坊
濯ぎもの干さるる先の月の舟   整子
 蝉取り網で海を捕らへる     宙虫

ウラ
白い時壊れた扉こぢ開ける   たから
 こちらへどうぞ主待つ椅子 乙四郎
足枷のごときぬかるみなにぬねの 整子
 レスキュー隊員みんなイケメン ぼん
雪鳴らし獣が月を食ひに来る 虫
  天の体と人の体と  恭
活火山怒れ吐き出せ反抗期 たから
  びつくり水をかける頃合  乙
年賀状とつくに松の内過ぎて   坊
  晴れたる空を連凧がゆく  ぼん
花守の役を負はせて石の馬  整
  肥後街道に太る蜂の巣   虫

ナオ
チヌ釣りが中止になつたと留守電に 
           丸山消挙 
  喫茶店名繰り返し聴き  乙
一眸の荒野を隠す君の肩   恭
  優しくもあり激しくもあり bud
ゆらゆらと音なく影なくカンナ燃ゆ ぼん

    リストの譜面めくる夕凪  虫 
まほろばは楽天的に陽がのぼる 整
  禁煙ガムがやまんないです 恭
香を残す無口な父の文机  たから 
  龍卵震え孵化も間近か  乙
月明かり電気灯らぬ避難所に 坊
    生者のこゑは野分のやうで 整

ナウ
ハンケチで林檎を磨く家系なり 宙虫
 新酒出揃ひ満ちるぐいのみ  ぼん
亀助け見返りなんぞ当てにせず 乙  
 あれやこれやと忘れるも良し たから 
天に向く花の哀れを言ひし人  挙 
 団子やありて雁帰るとか   坊

2008年5月30日 (金)

丸山消挙

あれやこれやと忘れるも良し 夏日を仰いで天に向く花
新酒出揃ひ満ちるぐいのみ 写る新月光る空の花
亀助け見返りなんぞあてにせず 背中の男気花と唐獅子  唐獅子牡丹ということで・・・)
よーわからんけど、とにかく引っ付けてみました。どーかこれでご勘弁を願います。
決まりごと規則常套好かんのよできることなら自由気ままに
意に違え薄れる記憶髪視力気力体力持久力
覚えとらん 気付いた
ときは家の中 確か中州で飲んでいたのに
                 丸山消挙
あれま。なんにも人のはなし読んでない。
それどころかあきらかによっぱらっている。
ものすごうあたまにきた。ああもうやめたやめた。
消挙は消去や。俳号がいかんかってんねや。
でも、。
間をおいて、ここで前田師なら
どうなさったろう。と考え直す。すると、どんな意に沿わない付け句でも、絶対に消去するような暴挙はなさらないだろう。と思えてきた。
そこまで思い至ったとき、しみじみ眺めると、このとんでもない付がわざわざ赤字で書かれていることに目が留まる。丸山しょうきょはこころからつけてくれようとしたんだ。(でも私の説明がうまく働かなかったのだ。)
なんとかせんと。
よっしゃあ、うりゃあいくぜええ。男気、みせたろやないかい。
(すいません。昨夜クローズzeroみたばかりなんです。)
待ってください。1日考えて見ます。



2008年5月18日 (日)

歌仙『筍の』つづき 2

歌仙「筍の」

    首 平成二十年四月一日

筍のひとつ耶蘇墓また一つ    乙四郎
 くるす野淡きかぎろひの中   恭子
ふらここへもつと高くと声かけて 呆 夢
 公園の道車椅子行く      兼坊
濯ぎもの干さるる先の月の舟   整子
 蝉取り網で海を捕らへる     宙虫

ウラ
白い時壊れた扉こぢ開ける   たから
 こちらへどうぞ主待つ椅子 乙四郎
足枷のごときぬかるみなにぬねの 整子
 レスキュー隊員みんなイケメン ぼん
雪鳴らし獣が月を食ひに来る 虫
  天の体と人の体と  恭
活火山怒れ吐き出せ反抗期 たから
  びつくり水をかける頃合  乙
年賀状とつくに松の内過ぎて   坊
  晴れたる空を連凧がゆく  ぼん
花守の役を負はせて石の馬  整
  肥後街道に太る蜂の巣   虫

ナオ
チヌ釣りが中止になつたと留守電に 
           丸山消挙 
  喫茶店名繰り返し聴き  乙
一眸の荒野を隠す君の肩   恭
  優しくもあり激しくもあり bud
ゆらゆらと音なく影なくカンナ燃ゆ ぼん

    リストの譜面めくる夕凪  虫 
まほろばは楽天的に陽がのぼる 整
  禁煙ガムがやまんないです 恭
香を残す無口な父の文机  たから 
  龍卵震え孵化も間近か  乙
月明かり電気灯らぬ避難所に 坊

函館の兼坊さんにつけていただきました。
被災地では水も食糧もなく、寒い事でしょう。
瓦礫の山を照らす月光。

一・一七の無音アーチのように煮え 圭衛子
  地の底ひからこみあげる雪    恭子

この付合を思い出します。阪神大震災。

本日、同窓会場入口に、中国大地震とミャンマー台風被害の募金箱を設置した友がいました。その迅速な機動力。感じることは同じだと熱くなった。

つぎは、秋の短句をしみじみとお願いします。整子さんぼんさんは同窓会がやっと済んで、ばててひっくりかえっているんじゃないかな。お世話をとにかくよくなさいました。御苦労さまでした。とってもきもちのいい同窓会でしたね。

だれに頼みましょう。そらんさんは、おっぱしばかり付けてる。だからまずいよね。まずいけど、整子&ぼんがばててるし、三度目のオッパシ、いってみる?たくさんよんでみてください。秋です。ほんとはここで整子さん、次の長句でそらんさんがいいのですが・・。

  

2008年5月12日 (月)

歌仙「筍の」つづき

  歌仙「筍の」

    首 平成二十年四月一日

筍のひとつ耶蘇墓また一つ    乙四郎
 くる