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2009年12月21日 (月)

時代と感染症と法律   乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2009 年 12 月 21 日 月曜日 

<感染症対策>

有史以前から抗生物質の普及(1929年にペニシリン登場)まで、ヒトの病気の大部分は感染症でした。

今日でも、世界の死因の約4分の1は感染症(マラリア・結核・AIDS・腸管感染症など)で、途上国の開発上の大きな課題です。

先進国においても、新興感染症・再興感染症、多剤耐性菌の蔓延、バイオテロの脅威、免疫抑制状態の患者の日和見感染など、課題山積です。

日本では、「伝染病予防法」、「性病予防法」、「エイズ予防法」が統合され、1999年度から「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症法)が施行されています。

感染症には多様な分類方法があります。

(感染様式からの分類)

内因感染:宿主の免疫力低下により、常在微生物により症状を起こす場合。

・・・日和見感染、異所性感染

外因感染 :生体外から進入した微生物による感染。さらに感染経路により分類。

(病原微生物の種類による分類)

寄生虫、細菌、真菌、ウイルス、異常プリオン等

(病態からの分類)

一次感染と二次感染 

局所感染と全身感染 

持続感染

不顕性感染、潜伏感染 

(法律上の分類)

感染症法では以下のような分類がなされています。

一類感染症 :危険性が極めて高い。建物の立入制限・封鎖、交通の制限

二類感染症 :危険性が高い。入院の勧告・措置

三類感染症 :集団発生のリスク。受診勧告、就業制限、生活用水の使用制限

四類感染症 :動物、飲食物を介して感染。消毒、駆除、動物の輸入禁止・輸入検疫

五類感染症 :発生動向調査により拡大を防止。

新型インフルエンザ等感染症 

指定感染症 

新感染症 

分類ごとに、届出などのルールが異なります。

感染源を早く発見し、感染ルートを断ち切ることが感染症対策の基本ですが、差別・偏見との闘いも同時に求められています。

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』を転載)

▼かささぎのひとりごと

感染症について、この「学長のひとりごと」ファイルのカテゴリー分類を探しましたが、みつけることができませんでした。六月ころに何本か乙四郎先生は書いておられるはずです。インフルエンザ関連。そのなかの二本はかささぎも保存しておりますが、日付が入っていないのでアップしません。

それは別途置きます。

連句的な話をつけますか。
二日返却予定日を過ぎてしまった本を今から戻しにいく前に、気になる箇所を引用しておきたい。まったく関係ない疎句的話題。でもちょっと気になるので。

北村薫『鷺と雪』より

「そうそう。世の偶然とは面白いもんだ。この本(※黒死館殺人事件を指します、姫野注)の初めには、どきりとするような言葉遊びがある。探偵達が、犯罪の舞台となる館を訪れると、富貴と信仰を表す旗が逆の位置に置かれているというんだ。弥撒旗(ミサばた)、そして英町旗(エーカーばた)とね」
「それがどうしたの?」
「Massミサからacreエーカーと置かれることにより、祝福の旗がたちまち、Massacre、つまり≪虐殺≫にばけてしまうというんだ

「まあ・・・・」

中略

「それがな。今日の新聞を見たら、本と現実が、ちょっぴり重なったよ」
「新聞がどうしたの?」
「≪マッサカー≫の本を読んでいたら、ちょうどそこに≪マッカーサー≫が来たってさ」

もうひとつ、つけます。

かささぎがずっとかぶりつきで見ていた「仁」が終わってしまいました。えっというような、まだ終わっていないじゃんというよな終わり方でしたが、それでも本当に久々に楽しめるドラマでした。全部の役者さんたちにお花を投げたいかんじのドラマ。感動をありがとう!
このドラマには昔の感染症がいろいろ出てきました。
感染にひるむことなく立ち向かう医師みなかたじん先生の姿に感動しました。はい、かささぎは単純なのであります。時代はかわっても、あんこはおなじだ。ということばにも、かんどうした。アンコじゃなかったけど。

コメント

八女市横町町屋交流館の企画展「上妻歳時記」に母と行ってきました。
企画された橋本長年(平田在住)氏が丁寧に解説くださいました。
たまたま松田久彦氏もおられたので、お話することができました。
高橋昇氏関連展示の前に長くいたのを観察しておられたらしく、松田氏曰く、
「高橋昇博士だけでも企画展を開く価値がある」
寺田天満宮の広田弘毅の揮毫の写真もありました。
橋本「いろんな人に訊ねたのですが、なぜ広田弘毅がここに揮毫しているのか謎なのです」
母「渡辺鉄工所の重役だった室園さんが口利きして依頼したんでしょ?」
橋本「ありがとうございます。調べてみます」
お礼にカレンダーをくださいました。
母は生き字引です。

上妻歳時記の企画展にさりげなく置いてあった文献ファイルをぱらぱら捲っていたら、福岡県の「庚申講」について書いてあるページが飛び込んできました。
琵琶法師を招いて庚申を通夜で過ごすような風習が福岡の各地にあったらしい。
室町時代頃から。
庚申塔、というのもあるらしい。「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることが多いとか。
いろんなものが連句的に繋がってきました。

企画展は24日までです。

さっきバイト先から大むすこがケーキを二個もって帰ってきました。四千円分も買わされて。雪のおうちみたいなケーキ、二切れできもちわるくなった。クリーム多すぎ。これでクリスマスには何もないぞ・・。ひ~

土曜のキャンドルナイトはいかがでしたか。
こちら、朝は母たちを院へ送迎し、昼は三者面談、院の忘年会が夕方からでした。大むすこはバイト、小も用事があり、とうとう参加できませんでした。
ぼんやせいこさんやえめさんまりさんたちと、来年こそは参加したいです。

ひるに乙四郎母上のお顔がふっと浮かびました。
去年は何度か姫野農園の野菜を届けましたが、今年はなんにも届けていません。乙四郎には連句会場を何回もただで使わせてもらうなど大変お世話になっており、心苦しい限りですが、すみません。よろしくお伝えください。そうですか、寺田村のむかしのこともご存知なのですね。長生きしてもらわないと。

甲四郎先生にもずいぶんご無沙汰してます。
ひとつ聞きたいこともあるのです農学博士高橋昇のことで。蝶の学者の話。
以前ブログで紹介した乙骨一族の江崎悌三博士のことで、さる方からお尋ねがあり、また聞きの又聞きみたいなお話でしたので、どうしたものかと気にかけながら、そのままにしていました。が、昨夜と今日と再び依頼の電話があり、お話をよく整理しますと、こういうことでございました。
戦時中、江崎悌三博士はシンガポールの植物園か博物館におられたことがあったらしい。そのとき、懇意になられたのがイギリス人のコーナーさんとおっしゃるかたで、その方は回想録をのこしておられる。その父上のことを伝記に書きたい息子さんがいらして、その方は、オーストラリア在住のイギリス人、ジョン・コーナーさんとおっしゃいます。
コーナーさんは名古屋の明石陽至とおっしゃる先生を通じて、悌三博士のご家族にお話をお聞きになりたいそうです。
かささぎはこのことをふせていようかとも思いましたが、ちょうど高橋昇博士と同じ時代のことだし、なにかつながっていそうでもあり、ここにも書きます。
かささぎにご連絡くださったのは、明石氏の教え子さんでございました。(かささぎは明石氏を全くぞんじあげませんし、ジョン・コーナーさんも知りません。しかし、君が代を国歌にした乙骨太郎乙の直系の子孫である、九大の昆虫学者・江崎悌三博士のことをもっと知りたいとおっしゃる方、それも外国の方がおられますなら、できるだけ力になりたいと思いました。あまりにも茫漠とした話でしたので、最初戸惑って、さくらさんへも相談しました。さくらさんは、このような返信をくださいました。ありがとうございました。

姫野様

こんばんは
メールありがとうございました。
下記の内容ですが、姫野さんの文章にしてはぜんぜん意味がわかりません。
誰が誰のことを知りたいのか理解できないのです。

昆虫学者江崎悌三博士の遺族のかたから
名古屋の方から
・・・・とおぼしき方の教え子さん(筑紫野在住)から

書きながら件名を見て、知りたいのは「明石陽至さん」のことだとわかりました。
軍人なのか学者なのか?
当時その方面に行っていた日本人は無数にいますので、その名前は知りません。
今中国にどんどん支店や工場を移して、中国駐在員としてたくさんの日本人が行ってるのと
同じ状況だと思います。
今中国に行っている誰々さんを知っていますか?と聞くのと同じよなもの。 

>当時日本の委託統治領であった南洋諸島にも・・・・・
占領政策というとよっぽど悪いことのように教育されていますが国際条約です。
第一次世界大戦では日本は戦勝国ですから、そのときの国際条約で
日本が統治するように決まったのです。
第二次大戦でに日本は負けたので、条約によりアメリカ軍がいるのと同じなんですよ。
またそれらの国(南方の)の人たちは日本人をとても尊敬して好きでいてくれる人が多いのですよ。
今も日本を占領してる(ようなもの)アメリカを、日本人はみな嫌いかというとそうじゃないのと同じです。
嫌いな人も好きな人もいるのに嫌いな人ばかりのように教育・報道するのを偏向教育・報道といいます。

この前長崎カステラの話をちょっとしましたが、おじいさんの戦死について調べ、それを題材にして
小説を書いた青年に今日会ってきました。
小説フリマーというのがあるんですね。
http://bunfree.net/
なかなか奥が深く今日の私はちょっと感傷的になっています。
日本中からたくさんの表現者が集まって盛況でした。
訴えたい、聞いてほしい、自己表現したい・・・・生きていくのは大変だ。
かける人はまだ幸せかも知れないが。

その青年の小説は帰りの駅のカフェで一気に読んでしまいました。
おじいさんが海軍で、1年に1回船が佐世保に入港すると、南洋からバナナをいっぱい持ってくるの
が子供にとってものすごく楽しみだった場面が生き生きと書かれていました。
バナナと一緒にデパートからカステラも買ってきた。
バナナとカステラを楽しみに待っていた女の子は、今日会った青年のお母さんなわけです。
病床のお母さんにその思い出を忘れないために、姉妹から今も定期的にカステラが届けられる
ことに疑問を持ったことから、この青年は「知ろう」と思ったそうです。

姫野さんのこのメールがそのバナナが豊富な南洋の島に関係してるのがとても不思議です。

では、    神崎さくら

蝶といえば、上妻小学校の小川先生を思い出します。
ご存命でしたら、何か手掛かりをご存知だったかも。

おっとっと、ここで2度読んでやっと人脈がわかりました。
小さな(これから大きくなるかもしれない)国際交流のひとつとして尽力するのもいいことですね。
上の理由ならば、永井菊枝さんにお尋ねするのは大いに理由がありますね。
ところで最近利華さんは永井先生に三鷹で会われたようですね。
そのコンサートのことは見逃して知りませんでした。
知ってれば私も永井先生に会えたのに。

高橋博士のことといい、いろいろとつながりますね。

2009年12月 7日 (月)

乙四郎先生に学ぶ救急医療体制  乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2009 年 12 月 7 日 月曜日

<救急医療体制>

救急医療の3要素

1.応急処置 ・・・ 市民

  気道確保、人工呼吸、心臓マッサージ

  AED(自動体外式除細動器)

  通報

2.搬送   ・・・ 消防

   受入先探索

   トリアージ

   救命処置 ・・・ 救急救命士

輸液ルート確保、

食道閉鎖式チューブ等による気道確保

電気的除細動

気管挿管(気管挿管認定救急救命士)

強心剤(アドレナリン)の薬剤投与(薬剤投与認定救急救命士)

3.診療   ・・・ 医療機関

初期救急医療(外来で対処しうる患者への対応)・・・市町村が整備

在宅当番医制(休日)

休日歯科診療所

休日夜間急患センター(人口5万人以上の市に1つ) 

小児初期救急センター 

二次救急医療(入院治療を必要とする重症患者への対応)・・・都道府県が整備

中規模救急病院 

病院群輪番制

センター方式/共同利用型病院 

小児救急医療支援事業 

小児救急医療拠点病院 

地域周産期母子医療センター 

三次救急医療(高度な処置を必要とする重篤な患者への対応)

救命救急センター(人口100万人に1か所/各県1か所)

高度救命救急センター(広範囲熱傷や指肢切断、急性中毒等への対応)

新型救命救急センター

総合周産期母子医療センター

(参考:九州の救命救急センター)

[福岡県]久留米大学病院、北九州市立八幡病院、済生会福岡総合病院、飯塚病院、福岡大学病院、北九州総合病院、九州大学病院、聖マリア病院

[佐賀県]佐賀県立病院好生館、佐賀大学医学部附属病院、唐津赤十字病院

[長崎県]国立病院機構長崎医療センター

[熊本県]熊本赤十字病院、国立病院機構熊本医療センター

[大分県]大分市医師会立アルメイダ病院、大分大学医学部附属病院、大分県立病院、新別府病院 

[宮崎県]県立宮崎病院、県立延岡病院

[鹿児島県]鹿児島市立病院

[沖縄県]沖縄県立中部病院、浦添総合病院、沖縄県立南部医療センター・こども医療センター

(九州の高度救命救急センター)

久留米大学病院高度救命救急センター

久留米市(人口30万人)の救急医療体制は突出して充実しています。

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』の転載)

▼かささぎのひとりごと

昨夜は困ってしまった。見たいドラマ(「jin-仁」)を心待ちにしていたのに国民放送の「坂の上の雲」を見てたら時間を忘れ二十分以上も見逃した。んんん。どっちもとっても面白い。今度から録画しよう。といってもじきに仁は終わってしまうんだよね。サビシイー!
テレビドラマの感想かいて初めて若い人からコメントもらいました。うれしかったなあ!
さて、昨夜の「仁」にトリアージが出てきました。
いつだったか乙四郎先生(よびすて返上します)が書いてたコメントに出てきましたので、ああこれがトリアージだとすぐ気づきました。
場面はお江戸の大火事、次々と運び込まれる負傷者を見て瞬間的に治療の緊急度を判断し、腕に色違いのリボンを結んで峻別する。死者は黒。むかしのお医者さんもやっていたかどうかは存じ上げないことながら、リアルでとても緊迫感があった。
気道を火傷している火消しを「もうそいつは助からねえ」と見放す中村敦夫棟梁。手術をすれば助かるといいはる仁先生。そのやりとりも面白かった。おおっと、ここはドラマの感想をかくところではござんせん。

「久留米市の救急医療体制は突出して充実しています。」と書いた乙四郎先生。それは聖マリア病院があるからです・・と、そこまでは書かなかったところ、俳諧的ですね。ぜったいに急患を断らない病院があるということは市民にはとっても心強い。

ついでに「坂の上の雲」の話もやりまひょ。
きのうのに出てきた正岡子規の野球(のぼーる)。
上野に連句にいったとき、上野公園の端っこにその野球場がありました。文化会館の裏。写真もとった記憶があります、これです。ついでにごらんください。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_616d.html

▼以下は民俗学的連句的コメント(寺田天満宮のお座。例年十二月七日あたりの日曜の朝八時から)ってかあんまり関係ない話なので、
医療の地域密着性と連句的にひびきあうってことにしとこう。

お座、お疲れ様。あれから男衆と女5人だけが残って宴会があったのですよ。全く飲むつもりがなかったのに、うしじまさんが1mくらいの竹2本にお酒を入れて焚き火で熱燗にして持ってきたので、みんな珍しがって、紙コップで。朝っぱらから飲んだので今日は1日全く仕事になりません。

そうだったの。
お隣のおばさんの折詰を預かって、おみきだけいただいてささっと帰ったのだけど、そのとき焚き火をしていた数人のおじさんたちがカッポ酒のでかいやつをわかしてしまったとかぼやきながら、お宮にもって行ってたのとすれちがった。あんなにでかいカッポ酒、はじめてみた。すげ。まりさんてばやるなあ!!

2009年12月 4日 (金)

星野村黒木谷農道竣工式 7

祝詞が奏される前に、神主さまはお連れを二人伴っておみきと塩を東西南北に降り注ぎ、地の神さまにご挨拶されて、わざわいがおきぬよう鎮められました。(あ、これはかささぎが勝手にそう感じたのです)

そういえば、ついこの間もこれと同じものを見たっけ。

なんだったかな。・・・おもいだした!
星野川の治水のため人柱に立たれた中島内蔵之助翁への感謝祭でした。
おなじ笹竹、おなじ注連縄、・・・
宮司さまはどこの神社の方ですか、と聞けば、これもまた、「奥の方のかたです。」
との、ざざっとした返事でございましたが。苦笑。。。

2009年11月28日 (土)

八女福島のからくり人形と犬山祭りのからくり人形との接点 2

犬山のようなからくり人形を乗せた山車の祭りは現在でも愛知県と岐阜県にたくさんあります。山車の形はそれぞれ違いますが、からくり人形の形態や操作の仕方はほぼ同じです。岐阜羽島の近くの竹鼻という所にもそんな山車を曳き回す祭りがあります。関東や東北にあるという話は今まで聞いたことがありません。

八女福島のからくり人形は初めて知りました。どのようなものか一度観てみたいですね。九州にもそのようなからくり人形の祭りは他にあるのでしょうか?

ようこそいらっしゃいました。
どうぞ来年はおいでください。祭りの日は秋、数日あります。詳しいご案内はかささぎにはできませんが、いずれ調べてまいります。いらっしゃる場合は、ビジネスホテルもございますし、ほかにもいろいろ見るべきところがございますので、かささぎツアーかなんかをブログでいつか組んでみたいなあとおもっているところでした。冗談ですが。笑
と、そのまえにもう一度「日本のまつり」東海編(岐阜静岡愛知三重)をみて、確認します。なにしろぼけえと見てたので。犬山祭りははじめから二番目にでましたが、ユーチューブの紹介と少し違うものがあったとおもう。それ、確認します。
それと。
かささぎのひとりごとです。
十五年ほど前田圭衛子先生のところのれぎおんで俳諧を学んでいまして、いつのれぎおんで読んだか、本屋良子さんとおっしゃる美濃派の俳諧師のかたが書かれていた文章でこの祭りを読んでいたようにばくぜんと記憶します。この人形からくりの祭り。あっ、ここにもあったんだ。とそのときには思っただけで、深くは追求しませんでした。
その後、自分で暦論という随想を「九州俳句」という俳句誌に連載していた五~六年前、高良山に芭蕉をまつる神霊社があることを知りました。といいましても小さな小さな祠ですが。
それを追いかける過程で、芭蕉はこの地へはこれなかったけど、弟子である俳人が二人来ていることを知った。においづけまでいれればもっと多く。来た俳人の一人に美濃派の元祖、かがみしこうがいます。
各務支考。久留米、柳川、へ来ているし、句を詠んでもいる。
ああ、そうだ、さっき、書いた芭蕉をおいかける過程で、というのは、実はそうじゃなく、八女戦国百首和歌をおいかける過程で、というのが正しいかもしれません。どっちもです。美濃守、と書かれていましたので、さばき役の源鑑述さんには。だから美濃を追いかけていた。
八女の本では八女のあかりとちゃっぽんぽん祭りのからくり人形は江戸なかばじゃなかったかと思います、福島の庄屋の倅だった松延貫嵐が職をなげうち大坂へ出奔、そこで人形浄瑠璃にとりつかれて台本かきとして成功し、晩年に故郷へ帰ってきて広めた・・・というようなことだったとおもいます。ですが、犬山祭りをしってしまった今、ほんとうはもっとさかのぼるのかもしれない。とおもいはじめました。「犬山」という地名が八女にはあることも今おもいだしましたし。関係ないかもしれませんが。
もっと詳しく知りたいものです。つながっているのかもしれません。
この社団法人地域伝統芸能活用センターの「日本のまつり」東海編のdvd一本のなかにはまつりが13収められていますが、人形からくりは犬山祭りだけです。すごく立派な人形と装置でした。八女の者は、必見です。また、まつりの車山(やま)をかく場面が、麒麟麦酒のコマーシャルにつかわれ、イチローが出てるのを動画でみました。

「九州にもそのようなからくり人形の祭りは他にあるのでしょうか?」
かささぎの知っているのは、ここだけですが。
どなたかご存知のかたがあれば、お教えください。

もう一度みてみました。祭りの車山にからくり人形がついていますが、宵になると提灯にろうそくのあかりがともされて、365個の提灯が山の上でゆれます。ときには火がついて燃え上がる提灯もある。どこの提灯祭りも電球になる中、ここはかたくなにろうそくの火を守り続けているとのこと。
365個の火!ということは、提灯一個は一日の太陽の暗喩ですね。戦国百首和歌の24人の連衆は天文24年の一年ごとの太陽の暗喩だったのだと思いたい。一世紀くらいしか離れていません。ずっとむかしはたいまつだったのかもしれない。八女も提灯の産地です。たぶん岐阜につぐんじゃないかな。
また、こういうことも出てきました。
金色のきものを着たこども(男児ばかり)を肩車して大人のおとこたちが車山につれてゆきます。そのとき、決して地に足をつかせないという決まりがある。こどもたちはやまの上に飾られる。(まつりに出演する)。
二年前だったと記憶するのですが、一度だけ祭り行列の警固をしたことがあります。わずか三時間半の仕事でしたが、二キロ近くの道を練り歩くんです、稚児風流の一連隊が。水田天満宮のお祭りでした。ブログ内を探せばあります、仕事中最後尾にいたからできたことですが。名前にはりつけ。五枚かそこらあります。ごらん下されば解りますが、稚児はみな、男児です。それも十歳以下、が多い。例外的に十一歳の子もいましたが。

名古屋弁と八女弁に共通の語尾があります。
にゃあという。ねこ族だったのかもしれません。

からくり人形とはちょっと違いますが、八女郡黒木町にいわゆる人形浄瑠璃というのがございます。たしか町の重要文化財指定であったと記憶しています。後継者育成ということで、地域の若者に継承するとりくみが行なわれていると聞きました。蛇足ながら、黒木町の文化財担当はオーシマ君というよかオトコです。

http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/detail.asp?id=69-1

あ、ごめんなさい。
県指定重要無形民俗文化財だそうです。

みてみました。ありがとう。例の鰐八のですね。
黒木の山奥のそのまた奥の・・というところでした。今年よばれたようにして行った六地蔵、その道中にありました、この建物がひっそりと。
なにかドラマがあるのではなかったですか。
もう放映されたのでしょうか?

かささぎ様、seiko様、とても興味深い話をありがとうございます。

ユーチューブで八女の燈籠人形を観ました。なるほど、動きなどは東海地方のからくり人形によく似ていますね。

九州は八女にしかからくり人形が無いとしたら、それがどのようにして発展したのか、遠く離れた愛知や岐阜とはたして繋がりがあるのかどうか、その辺を詳しく調べてみたいような気持ちになります。

九州は一度も訪れたことがありませんが、将来行く機会があれば是非八女に足を運ぼうと思います。

各務支考が久留米、柳川を訪ねたことがあるとは初めて知りました。因みに、尾張(愛知)地方のからくり人形山車を奨励し広めたのは芭蕉や支考が活躍していた頃の尾張徳川家の殿様です。そして、そのからくり人形を作ったのは大阪の浄瑠璃人形を作った人たちでした。

八女も提灯の産地ということは支考の出身地の岐阜と共通なものがありますね。

かささぎ様のおっしゃるように犬山では山車に乗って太鼓を叩くのは稚児の役目ですが、最近は少子化ということで女の子も許されています。(ああ、それも同じです。せいこさんのところの祭りでも同じことをいっていました。そして水田天満宮のご神幸祭でもおなじです。姫野・注)

>名古屋弁と八女弁に共通の語尾があります。にゃあという。

それは非常に興味深いですね。(笑)

愛知や岐阜のからくり人形がお知りになりたければ「尾張の山車まつり」というサイトが詳しいです。そのサイトの「地区別山車の詳細」というところをクリックしていただければ人形の全てをご覧になることができます。「尾張の山車まつり」で検索していただければ直ぐに判ると思います。

2009年11月25日 (水)

八女福島のからくり人形と犬山祭りのからくり人形との接点

先日三潴図書館から借りてきたdvdの「日本の祭り」に犬山祭りという犬山城下の祭りが入っていました。からくり人形が福島の灯篭人形にそっくりでした。と、この言い方はおかしいです、私の地方の人形があちらの祭りの人形ににている、といわねばなりません。八女地方にも江戸時代から始まったとされるからくり人形がありまして、それは秋のあかりとちゃっぽんぽん祭りで興行されます。
八女福島のまつりはささやかな祭りですが、犬山祭りはキリンビールのコマーシャルにも撮られるほど賑やかな盛大な祭りです。(といっても、かささぎはこのdvdをみるまで知りませんでした、はずかしながら。)

ことし10月17日の中島くらのすけ翁〔八女地方を流れる星野川の治水のため人柱となられた庄屋さんの名前〕の感謝祭で、その直系子孫のかたからお話を伺い、中島一族は岐阜の中島豊後守とつながっていくことをおしえてもらいました。
でもかささぎはそれを聞いてもへえと思うばかりで、なにも感慨なく単なる知識として聞いていたのですが、二人日和といっしょに借りてきたお祭りのdvdのなかで偶然みた犬山祭りの場面に大河を二つみて、あっとおもいだしました。

長男が一昨年行っていた土地。
岐阜羽島(ぎふはしま)からその地へいくのに、大きな川を二本越えました。
あとで調べたら木曽川、長良川でした。
治水の苦労は身をもってしっていた・・・とおっしゃる理由がここでやっとみえた気がします。
大阪夏の陣で敗れて落ちてきた武士が八女にも住み着き、そこで生活をした。

ふたつのまつりが連句的にひびきあうのは、そんな古い時代の遺伝子みたいなものがつながっているからなのでしょうか。(それとも全国にこのようなからくり人形の祭りはたくさんあるのでしょうか。)

犬山祭り:http://japanfestival.web.fc2.com/8/inuyama/inuyama.html
動画:http://www.youtube.com/watch?v=1iU7zdU6J3c

2009年11月18日 (水)

一服のお茶

ことし参列した葬儀での風景。

ひとつは故人が信仰していた宗教団体のとりしきる葬儀。
葬祭場にはセルフサービスの飲み物コーナーがあり、コーヒーを飲めるようになっていて、お茶はふるまわれなかった。

もうひとつは先月なくなった同じ隣組の長老の葬儀。
一軒から二人出なければならないので父と二人参列する。
自宅葬だった時代には、隣組のなすべき仕事はきっちりと決まっていて、まずは弔問客にお茶をふるまうのが一番になすべきことだった。(弔いのお膳もこさえていた。おおごとだった。祖母がなくなったころまではそうでした。)
が、葬祭場での葬儀は、やはりここでもセルフの飲み物コーナーに取って代わっていて、お茶をお出しするような場はどこにもなかった。
古い時代を知る古だぬきの私たちには、さびしいことのように思われた。

来て下さった一人一人にお茶をふるまった記憶。
となりのおじさんがなくなったお通夜のことが思い出される。
いまごろだった。月がうつくしい夜だった。

いまにしておもえば、お茶をふるまうというのは、単に飲み物をふるまう以上のなにかがあったような気がする。それがコーヒーであってはいけないようななにか。

2009年11月10日 (火)

亥の子行事のことー愛媛に残る亥の子歌       澄たから便り

れぎおんをありがとう。
歴史漫筆の亥の子行事の話*は、この前の連句会の時「亥の子」の句を出そうかとしてたので、目にとまり読んでみましたら、私が覚えているのと歌が全く違うのですね。
小学生の子供たちが夜家々を回り、わらで作ったバットのようなもので地面を力任せに打ちつけながら(ストレス発散にもなる)歌ってたのは、

亥の子、亥の子、お亥の子さんという人は、
一で家作って
二でにっこり笑ろうて
三で酒造って
四で世の中良いように
五ついつものごとくなり
六つ無病息災に
七つ何事ないように
八つ屋敷を建て広げ
九つ小倉を建て並べ
十でとうとうおさめた
この家繁盛せい!

そして家ごとにお菓子をもらって帰るという、子供にはうれしくてたまらない行事でしたね。もう今はしてないみたい。
九州でも亥の子行事はありましたか?

おお、たからさま。さすがに愛媛、子規の国です、俳句の国です。むかしからの行事がそのまま残っているのですね。ありがとう、そういう民俗行事の記憶はだいじに残さなければ。
なんだか、亥の子のその行事、ハロウィーンににていますね。
たからさんが暇があるときにでも、前田先生へそういうお手紙を送られたら、きっと喜ばれますよ。いまでこそ、かささぎは忙しくて何にもお便りを書きませんが、ずうっと感想文を逐一書き送っておりました。
ちなみに、亥の子の行事の記憶はありません。あした母たちへもきいてみます。きっとなにかあったはずなんです。もぐらうちとはちがうよね?→しらべました。おんなじです!!やった、あった!きおくのそこにある、かすかに。うたはおぼえていません。

ほかに、十日夜。
連句でときに目にとまりますが、現代俳句では全く出会わない季語です。行事の句すくないよね。
まりさんはよく歌詞をおぼえていますねえ。

四で世の中良いように
五ついつものごとくなり
六つ無病息災に
七つ何事ないように


ここらへん、とってもいい歌詞よね。いつものごとくなり。とか、なにごとないように。とか。じいん。

2009年8月 3日 (月)

夕観音さん

となりぐみちょうのいとこのおよめさんから、

「六日がゆうがんのんさんだけん、お参りにきてね」

といわれました。わすれそうなのでここにメモ。

夕観音さんとは:

夕方、女達だけでお宮の観音さまにお参りし、お接待をうける。

2009年6月 8日 (月)

おうたい三番

ぼんのご主人、彦山のことを思っていたら、お謡い三番を思い出しました。

おうたいさんばん。

私の結婚式やそれから、娘の初節句、長男の節句の宴で、一族の縁者が朗々とあげてくださったのを忘れません。

それが、きけば、もう今はやらないのだそうです。

お謡い三番。

「位の高い歌、例えば高砂みたいな曲から歌いはじめ、さいごは「雑」でおわる。」

と母がおしえてくれました。
最初に位の低いのをうたってしまったら、あとが続かないそうです。

三番、それぞれ別の人が歌ってくれた記憶があります。
位のたかい歌は長老にたのんでいたような。

振り返れば、それらのお謡いをあげてくださった人たちはみな、鬼門にはいられてしまいました。さびしいことです。

2009年6月 6日 (土)

六地蔵さんの前

六地蔵さんの前

午前中、隣人で連句仲間の澄たからさんを見舞いました。
たからさんは英語を休んでいたので気になっていたのです。
すぐ近くですが、そうそうは会えません。この時とばかり、話し込みました。
そのとき、六地蔵談義を少ししました。
たからさんのお里は愛媛ですが、ふるさとの墓地の隣に六地蔵さんが祀ってあり、いつも供え物が耐えないとのこと。
そういう話、座で連句を巻いていればきちんと聞けますが、ネット文音では一方的になってしまいます。きけてよかった。
お見舞いにはお古で申し訳ないけど、竹内まりやのアルバム「DENIM」をもっていきました。
若い頃からまりやさんの歌が好きだったそうで、喜んでもらってよかった。
「みんな一人」「返信」「シンクロニシティ」「君住む街角」「デニム」などなどいい曲ばかり入っているし、元気がでるのです。
たからさん、思っていたより元気そうでした。
かわりのきかない主婦、母親役、おからだ大事にしてくださいね。

帰宅後、うちの母に六地蔵の話をしたら、母がとつぜん、そういえば。
といって、自分の生まれ育った黒木・笠原の鰐八地区の六地蔵の話をしてくれました。
じぶんではいったことないといいます。小学校のころ、鰐八の六地蔵が来るぞといって、その地区から六人の生徒が通ってきていたのをガキ大将たちがからかっていたのを覚えている。というのでした。

それでは、今から行って見ようと思い立ち、すぐさま実行しました。
まさかこのように山の中とは思いもしませんでした。
母は途中で断念し、車の中で待っていました。
半ズボンにサンダルばきのかささぎは、足が傷だらけになりました。
でも、案内人・月足さまの温かいお心と、六地蔵さんの無言の励ましに勇気をもらって、元気に山を下りることができました。

ほんとうに、ありがたいご縁に感謝いたします。

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