時代と感染症と法律 乙四郎元官僚語録
保健医療経営大学学長
橋爪 章
2009 年 12 月 21 日 月曜日
<感染症対策>
有史以前から抗生物質の普及(1929年にペニシリン登場)まで、ヒトの病気の大部分は感染症でした。
今日でも、世界の死因の約4分の1は感染症(マラリア・結核・AIDS・腸管感染症など)で、途上国の開発上の大きな課題です。
先進国においても、新興感染症・再興感染症、多剤耐性菌の蔓延、バイオテロの脅威、免疫抑制状態の患者の日和見感染など、課題山積です。
日本では、「伝染病予防法」、「性病予防法」、「エイズ予防法」が統合され、1999年度から「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症法)が施行されています。
感染症には多様な分類方法があります。
(感染様式からの分類)
内因感染:宿主の免疫力低下により、常在微生物により症状を起こす場合。
・・・日和見感染、異所性感染
外因感染 :生体外から進入した微生物による感染。さらに感染経路により分類。
(病原微生物の種類による分類)
寄生虫、細菌、真菌、ウイルス、異常プリオン等
(病態からの分類)
一次感染と二次感染
局所感染と全身感染
持続感染
不顕性感染、潜伏感染
(法律上の分類)
感染症法では以下のような分類がなされています。
一類感染症 :危険性が極めて高い。建物の立入制限・封鎖、交通の制限
二類感染症 :危険性が高い。入院の勧告・措置
三類感染症 :集団発生のリスク。受診勧告、就業制限、生活用水の使用制限
四類感染症 :動物、飲食物を介して感染。消毒、駆除、動物の輸入禁止・輸入検疫
五類感染症 :発生動向調査により拡大を防止。
新型インフルエンザ等感染症
指定感染症
新感染症
分類ごとに、届出などのルールが異なります。
感染源を早く発見し、感染ルートを断ち切ることが感染症対策の基本ですが、差別・偏見との闘いも同時に求められています。
(保健医療経営大学『学長のひとりごと』を転載)
▼かささぎのひとりごと
感染症について、この「学長のひとりごと」ファイルのカテゴリー分類を探しましたが、みつけることができませんでした。六月ころに何本か乙四郎先生は書いておられるはずです。インフルエンザ関連。そのなかの二本はかささぎも保存しておりますが、日付が入っていないのでアップしません。
それは別途置きます。
連句的な話をつけますか。
二日返却予定日を過ぎてしまった本を今から戻しにいく前に、気になる箇所を引用しておきたい。まったく関係ない疎句的話題。でもちょっと気になるので。
北村薫『鷺と雪』より
「そうそう。世の偶然とは面白いもんだ。この本(※黒死館殺人事件を指します、姫野注)の初めには、どきりとするような言葉遊びがある。探偵達が、犯罪の舞台となる館を訪れると、富貴と信仰を表す旗が逆の位置に置かれているというんだ。弥撒旗(ミサばた)、そして英町旗(エーカーばた)とね」
「それがどうしたの?」
「Massミサからacreエーカーと置かれることにより、祝福の旗がたちまち、Massacre、つまり≪虐殺≫にばけてしまうというんだ」
「まあ・・・・」
中略
「それがな。今日の新聞を見たら、本と現実が、ちょっぴり重なったよ」
「新聞がどうしたの?」
「≪マッサカー≫の本を読んでいたら、ちょうどそこに≪マッカーサー≫が来たってさ」
もうひとつ、つけます。
かささぎがずっとかぶりつきで見ていた「仁」が終わってしまいました。えっというような、まだ終わっていないじゃんというよな終わり方でしたが、それでも本当に久々に楽しめるドラマでした。全部の役者さんたちにお花を投げたいかんじのドラマ。感動をありがとう!
このドラマには昔の感染症がいろいろ出てきました。
感染にひるむことなく立ち向かう医師みなかたじん先生の姿に感動しました。はい、かささぎは単純なのであります。時代はかわっても、あんこはおなじだ。ということばにも、かんどうした。アンコじゃなかったけど。




八女市横町町屋交流館の企画展「上妻歳時記」に母と行ってきました。
企画された橋本長年(平田在住)氏が丁寧に解説くださいました。
たまたま松田久彦氏もおられたので、お話することができました。
高橋昇氏関連展示の前に長くいたのを観察しておられたらしく、松田氏曰く、
「高橋昇博士だけでも企画展を開く価値がある」
寺田天満宮の広田弘毅の揮毫の写真もありました。
橋本「いろんな人に訊ねたのですが、なぜ広田弘毅がここに揮毫しているのか謎なのです」
母「渡辺鉄工所の重役だった室園さんが口利きして依頼したんでしょ?」
橋本「ありがとうございます。調べてみます」
お礼にカレンダーをくださいました。
母は生き字引です。
投稿: 乙四郎 | 2009年12月20日 (日) 16時02分
上妻歳時記の企画展にさりげなく置いてあった文献ファイルをぱらぱら捲っていたら、福岡県の「庚申講」について書いてあるページが飛び込んできました。
琵琶法師を招いて庚申を通夜で過ごすような風習が福岡の各地にあったらしい。
室町時代頃から。
庚申塔、というのもあるらしい。「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることが多いとか。
いろんなものが連句的に繋がってきました。
企画展は24日までです。
投稿: 乙四郎 | 2009年12月20日 (日) 16時31分
さっきバイト先から大むすこがケーキを二個もって帰ってきました。四千円分も買わされて。雪のおうちみたいなケーキ、二切れできもちわるくなった。クリーム多すぎ。これでクリスマスには何もないぞ・・。ひ~
土曜のキャンドルナイトはいかがでしたか。
こちら、朝は母たちを院へ送迎し、昼は三者面談、院の忘年会が夕方からでした。大むすこはバイト、小も用事があり、とうとう参加できませんでした。
ぼんやせいこさんやえめさんまりさんたちと、来年こそは参加したいです。
ひるに乙四郎母上のお顔がふっと浮かびました。
去年は何度か姫野農園の野菜を届けましたが、今年はなんにも届けていません。乙四郎には連句会場を何回もただで使わせてもらうなど大変お世話になっており、心苦しい限りですが、すみません。よろしくお伝えください。そうですか、寺田村のむかしのこともご存知なのですね。長生きしてもらわないと。
甲四郎先生にもずいぶんご無沙汰してます。
ひとつ聞きたいこともあるのです農学博士高橋昇のことで。蝶の学者の話。
以前ブログで紹介した乙骨一族の江崎悌三博士のことで、さる方からお尋ねがあり、また聞きの又聞きみたいなお話でしたので、どうしたものかと気にかけながら、そのままにしていました。が、昨夜と今日と再び依頼の電話があり、お話をよく整理しますと、こういうことでございました。
戦時中、江崎悌三博士はシンガポールの植物園か博物館におられたことがあったらしい。そのとき、懇意になられたのがイギリス人のコーナーさんとおっしゃるかたで、その方は回想録をのこしておられる。その父上のことを伝記に書きたい息子さんがいらして、その方は、オーストラリア在住のイギリス人、ジョン・コーナーさんとおっしゃいます。
コーナーさんは名古屋の明石陽至とおっしゃる先生を通じて、悌三博士のご家族にお話をお聞きになりたいそうです。
かささぎはこのことをふせていようかとも思いましたが、ちょうど高橋昇博士と同じ時代のことだし、なにかつながっていそうでもあり、ここにも書きます。
かささぎにご連絡くださったのは、明石氏の教え子さんでございました。(かささぎは明石氏を全くぞんじあげませんし、ジョン・コーナーさんも知りません。しかし、君が代を国歌にした乙骨太郎乙の直系の子孫である、九大の昆虫学者・江崎悌三博士のことをもっと知りたいとおっしゃる方、それも外国の方がおられますなら、できるだけ力になりたいと思いました。あまりにも茫漠とした話でしたので、最初戸惑って、さくらさんへも相談しました。さくらさんは、このような返信をくださいました。ありがとうございました。
姫野様
こんばんは
メールありがとうございました。
下記の内容ですが、姫野さんの文章にしてはぜんぜん意味がわかりません。
誰が誰のことを知りたいのか理解できないのです。
昆虫学者江崎悌三博士の遺族のかたから
名古屋の方から
・・・・とおぼしき方の教え子さん(筑紫野在住)から
書きながら件名を見て、知りたいのは「明石陽至さん」のことだとわかりました。
軍人なのか学者なのか?
当時その方面に行っていた日本人は無数にいますので、その名前は知りません。
今中国にどんどん支店や工場を移して、中国駐在員としてたくさんの日本人が行ってるのと
同じ状況だと思います。
今中国に行っている誰々さんを知っていますか?と聞くのと同じよなもの。
>当時日本の委託統治領であった南洋諸島にも・・・・・
占領政策というとよっぽど悪いことのように教育されていますが国際条約です。
第一次世界大戦では日本は戦勝国ですから、そのときの国際条約で
日本が統治するように決まったのです。
第二次大戦でに日本は負けたので、条約によりアメリカ軍がいるのと同じなんですよ。
またそれらの国(南方の)の人たちは日本人をとても尊敬して好きでいてくれる人が多いのですよ。
今も日本を占領してる(ようなもの)アメリカを、日本人はみな嫌いかというとそうじゃないのと同じです。
嫌いな人も好きな人もいるのに嫌いな人ばかりのように教育・報道するのを偏向教育・報道といいます。
この前長崎カステラの話をちょっとしましたが、おじいさんの戦死について調べ、それを題材にして
小説を書いた青年に今日会ってきました。
小説フリマーというのがあるんですね。
http://bunfree.net/
なかなか奥が深く今日の私はちょっと感傷的になっています。
日本中からたくさんの表現者が集まって盛況でした。
訴えたい、聞いてほしい、自己表現したい・・・・生きていくのは大変だ。
かける人はまだ幸せかも知れないが。
その青年の小説は帰りの駅のカフェで一気に読んでしまいました。
おじいさんが海軍で、1年に1回船が佐世保に入港すると、南洋からバナナをいっぱい持ってくるの
が子供にとってものすごく楽しみだった場面が生き生きと書かれていました。
バナナと一緒にデパートからカステラも買ってきた。
バナナとカステラを楽しみに待っていた女の子は、今日会った青年のお母さんなわけです。
病床のお母さんにその思い出を忘れないために、姉妹から今も定期的にカステラが届けられる
ことに疑問を持ったことから、この青年は「知ろう」と思ったそうです。
姫野さんのこのメールがそのバナナが豊富な南洋の島に関係してるのがとても不思議です。
では、 神崎さくら
投稿: かささぎ | 2009年12月20日 (日) 19時47分
蝶といえば、上妻小学校の小川先生を思い出します。
ご存命でしたら、何か手掛かりをご存知だったかも。
投稿: 乙四郎 | 2009年12月20日 (日) 20時20分
おっとっと、ここで2度読んでやっと人脈がわかりました。
小さな(これから大きくなるかもしれない)国際交流のひとつとして尽力するのもいいことですね。
上の理由ならば、永井菊枝さんにお尋ねするのは大いに理由がありますね。
ところで最近利華さんは永井先生に三鷹で会われたようですね。
そのコンサートのことは見逃して知りませんでした。
知ってれば私も永井先生に会えたのに。
高橋博士のことといい、いろいろとつながりますね。
投稿: さくら | 2009年12月20日 (日) 21時43分