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2016年5月14日 (土)

もりもり森山さんがアジる句集


句集 無私の法を以て衆生にそそぐ

森山光章著 より

2016年5月13日 (金)

石積みの棚田を六月降りてくる   中山宙虫さんの一句

コメント

草刈りをしたくなくてねえ

草刈り機は使えません おそろし。

このところすげえ勢いで伸びてくる、竹をちょんぎるのみ。

草刈機、慣れないと怖いよ。
用心しないと大きな事故につながると思ってます。
草の勢いがはんぱない。

棚田って、下から作るでしょう?
違うの?

あたしは上から水を落としてくのだと思っていた。
高いところから低いところへ移動するのが水だから。

石積みの棚田を六月降りてくる 中山宙虫

いまかくにん。これ、いい句ですね、。
棚田はみんな石積みじゃろ。なんていわない、いわない。
棚田から水がこぼれ落ちて六月の梅雨入りとなるみたいな。

2015年12月28日 (月)

祝上梓 句集『陶器の馬』 舛田傜子・著

祝上梓  句集『陶器の馬』

母よ秋
陶器の馬の
足折れて     舛田傜子

祝上梓  句集『陶器の馬』

祝上梓  句集『陶器の馬』

2015年7月31日 (金)

うだるよなあつさのなかのまことの忌

まこと忌や緑ふかまりゆく歌仙  

貞永まこと句集ひもとく七月尽

貞永まこと句集より不肖かささぎの旗の選句

 

嫁姑双璧として緑濃し

 

山ざくら産めと云い張る岩のこえ

 

労農の血をまたぎゆくつばくらめ

 

下萌えや祖は足軽のふくらはぎ

その森の深さとなりしもずの眼の

子は転び再び転び草若葉

汽車一輌一輌づつの枯野くる

耳を殺ぎ目も閉じ他郷に春ななめ

孤絶して新芽に埋めし里心

 

春あらし人になつかぬ海のいろ

 

寒風や京嵐山の詩集売り

 

新兵は雪の匂いで訛りけり

 

鰯雲いきてかえらぬ羽をつけ

 

海添いに海の訛りや夏来たる

 

雪ふるや少しすき間のあるからだ

 

白椿ひとは其の死をさらしけり

 

古井戸や三井三池の草いきれ

 

のびる摘む水子に放屁させてから

 

ゆく秋の墨色うすき隷書体

 

万緑や十一枚目の診察券

 

肉親や月夜の蓋をうごかして

 

茄子の紺われ等の水子ありしこと

 

 梅雨ながしブルーカラーの昼の酒 

夕焼や親なき赤胴鈴之助

 

男にも旧姓やあり鰯雲

 

子を叱る我を見ている扇風機

 

暮遅し旅の子役の声がわり

 

ふゆざれよやまとことばよメルトダウン

 

石投げて落ちてこぬまま秋のそら

あかどうすずのすけ:http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/akadousuzunosuke.html

2014年9月 8日 (月)

句集 『実には在れども滅すと言ふ』

題名、法華経の如来寿量品からって。

モリモリ森山さんの八冊目句集、そのタイトルに注目!

『句集 実には在れども滅すと言ふ』  森山光章

法華経如来寿量品第十六

自我偈 真読

為凡夫顛倒 実在而言滅

訓 読

狂子を治せんが為の故に 実には在れども而も死すというに 

(引用元:http://www.kujhoji.or.jp/noframe/sub14_2.htm)

ほかに参照;http://www.geocities.jp/kokoronoshikumi/hokekyo.016.html

寿量品』は、法華経の中において、もっとも肝要な一品であるとともに仏教全体の眼目となるのです。
・・・・と書かれています。

水月さんに講義してもらいたいものです。この「実在而言滅」について。

2014年5月 2日 (金)

薔薇の門と男のこころざし

薔薇の門と男のこころざし

渡り鳥わたしひとりの晩ごはん   澤 好摩

子の茶碗つぼめ西日をきりかへす   石橋秀野

裏窓の雪富士男のこころざし    澤 好摩

風花やかなしびふるき山の形(なり)  石橋秀野

薔薇の門と男のこころざし

我つねに我を置き去る薔薇の門     澤 好摩

たとい 一生を盡くしてでも
遇わなければならぬ
一人の人がいる
それは 我が身自身である     ー藤代聡麿ー

  澤 好摩句は、句集 『光源』より引用しました。
  石橋秀野句は、創元社『句文集 櫻濃く』初版本からの引用です。
  藤代としまろ師のことばは、我が家の菩提寺、安楽山浄徳寺師の三月のお彼岸のご案内に書かれていたことばで、「藤代聡麿先生法語集」からとあります。

恋句

恋句

恋句

句集『光源』 澤好摩・著

2014年5月 1日 (木)

みだりがはしき三句

みだりがはしき三句

想ふとき故人はありぬ遠白波   澤 好摩

 想太き、とは何ぞ。
想念が人より太いのだろうか。
だから死してなおオーラが強く、いまもその人を思うと、まるで思いに応えるかのように、ほら。むこうの沖に白波がたったよ。

(と、最初はこんなアホな読みをしていた。あながち、間違いではないだろう。)

  
みだりがはしき三句

裏町のみだりがはしき芙蓉かな    澤 好摩

 先日から本願寺派の僧、水月師とああでもないこうでもないと論じている、そして論じれば論じるほど、なぜかなつかしい、親鸞が御上(後鳥羽院か)に書き送った奏状にあった、「みだりがはしき(猥)」が強烈に残像として生きているため、これがまっすぐ目に飛び込んできた。
裏町を歩いていると、庭先の芙蓉が目にとまった。どぎつい桃色であった、しどけない娼婦のように思えた。。。という読みが一つ浮かぶ。
連想句として、摂津幸彦の次の句が浮かんだ。

露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな   攝津幸彦

みだりがはしき三句

凭るるは柱がよけれ妹よ    澤 好摩

この柱は俳句の詩形をさすだろう。
どんなどでかい妹でも倒れんめや。
(※この「~めや」、今でもヤメでは生きている、方言として。)

ほかに、印象にのこった句に、追悼句があります。
ここに紹介したいのですが、あいにく句集を工場に忘れてきました。
影まで酔ひて駅の戒壇に消えてゆく、というような句でした。すみません。
石橋秀野に、雪の銀座の一句あり。
宴が果てれば論も果てたり雪の銀座
だったっけ。ああいいかげんだなあ。わすれてしまった。
さけものまんのに、こまったことだ。

そうそう。煙草吸う、という句がありましたよね。場は機だというよな一瞬の隙をつく。
そうそう。ここらへんでは、たばこは「のむ」というのです。
(たばこは飲んだらいかんでしょう。)

2013年11月 8日 (金)

平成26年度診療報酬改定の動向(73) 小規模病院の再評価

保健医療経営大学学長

橋爪章

2013 年 11 月 8 日 平成26年度診療報酬改定の動向(73)

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確定した「方向性」は次の通りです。(前回のつづき)
3. 医療提供体制が十分ではないものの、地域において自己完結する医療を提供している医療機関に配慮した評価の検討
(ア) 平成24年度診療報酬改定における評価については、平成26年診療報酬改定後も引き続き利用状況を検証していくことを前提に、現行の評価を継続していくことが妥当である。
(イ) 一方、対象地域の医療機関は、①急性期病床からの患者の受け入れ、②在宅等にいる患者の緊急時の受け入れ、③在宅への復帰支援等の機能を持ち、多様な病態の患者に対し、医療を提供していると想定され、かつ、医療機関も急性期から長期療養の中の複数の機能や亜急性期の機能を担っていこうと考えていることから、当該地域における医療機関の評価については、平成24年度診療報酬改定での評価項目とは別に、亜急性期入院医療の今後の評価体系に準じた評価を導入することも必要である。
(ウ) その際、こうした地域であっても、地域の拠点となる大規模な医療機関については、院内での病床の機能分化は可能であることから、対象とする医療機関は、一定病床数以下の医療機関とすることが必要である。
4. 特殊疾患病棟や障害者施設等から療養病棟に転換した場合に対する経過措置
(ア) 各種の経過措置については、利用実績がほとんどないため廃止することが妥当である。
(イ) なお、特殊疾患病棟入院料や障害者施設等入院基本料を算定する病棟に入院している患者像が療養病棟の患者像と類似していたことから、障害者手帳の交付を受けた患者や難病認定を受けた患者に対する適切な医療を継続することを前提に、当該病棟等の対象とする患者像や病床の機能について見直すことが必要である。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

▼かささぎのひとりごと

医療提供体制が十分ではないものの、地域において自己完結する医療を提供している医療機関に配慮した評価の検討

火事におうた病院。それ以降、有床診療所の問題が浮上しました。
地域で赤字を出しながらも頑張っている病院へもっと思いやりのある評価を。
ということがいわれていますよね。
くわしいことはわからないのですが、ほんとうにそう思います。

さて、一水まぎるの源義さんの句、まだあります。

あれは飯田蛇笏の弔問へいって山廬後山を逍遥した折、得た句だとのこと。

「私が飯田蛇笏翁の高風を慕ったのは、近代俳句の立句の最後の人と思ったからである。」

この続きはまたあした。

2013年10月 6日 (日)

歌仙『海の底』の巻   捌・沢 都

亜の会歌仙

『海の底』の巻

  ー 天 真実句集『光』上梓祝筵ー

          捌・沢  都

海の底今なお呻くさとうきび       天 真実
  鳥の渡りへ響く鐘の音        沢  都
月まどかかすかに桔梗揺らぎいて   天野おとめ
  置き忘れたる友の自転車       姫野恭子
鍵かけぬ村の戸口のひろびろと    鍬塚聰子
  消し炭の香で朝をはじめる     貞永まこと

振りむけば雪より白き尾のありて   前田圭衛子
  境界線にあたる坂道         都
今宵逢う心ふたつが羽ばたきぬ    真実
  あやしきまでの水の色文字     恭子
純潔など今さらですとしづ子詠み    聰子
  麦藁帽の牧師先生          おとめ
百名山岸壁を噛む暑い月        まこと
  祝いの酒はゆるりゆるりと      小梅 わこ
審判にボークとられてしまうとは    恭子
  ワゴンに並ぶ経済効果        都
花万朶そのひとひらを受けし地球   聰子
  なむあみだぶつ蛙生まるる     おとめ

名残表

永き日になくしたはずの高音階     まこと
  芸亭(うんてい)という最古図書館  恭子
踏切のむこうは風が吹いている     都
  しずかなる時冬もきれいね     わこ
乾鮭を魔除けのごとく吊り下げて   おとめ
  いつも難癖つけてくる父       恭子
一目見て足裏(あうら)に走る微電流  まこと
  急流抜けて追いかけて来よ     圭衛子
さよならのかけらも全て埋めたる   おとめ
  世田谷公園猫のたまり場      聰子
月光に銀杏降る夜の更けてゆく    恭子
  そぞろに寒き網棚の下        都

名残裏

遠近の虫の声澄む旅の宿        聰子
  はじめて混ぜた絵の具いろいろ   わこ
仲買いは河岸をななめに飛ぶそうな  まこと
  浄き名水校庭に湧く          真実
さく花もちる花も花新世紀        おとめ
  夢の中まで駆ける春雷        執筆

文音

平成12年9月24日起首
同年11月15日満尾

▼留書

蛙生まるる

     文章・沢 都

沖縄のハイビスカスは泡になる
学校へ戻る日泣いたあまがえる
俺だって参加したいぜひな祭り
折鶴が羽ばたいて行く春の空
河童色子ども遊べり水溜まり

   天 真実(てんまこと)句集『光』より

「答えは探し求めるものではない。創り出すものだ。」
刺繍糸できっちりと綴じられたその句集を手にしたとき、あるジャズマンのそんな言葉が頭をよぎった。八女和紙を使った表紙を飾る写真もすべてが手作りである。
それは一見、経本のようにしずかに息づいていた。
作者の天真実と出会ったのは、彼がまだ十二歳の頃のことである。形のよい大きな頭に似合った丸い瞳を持つ少年は、ときどき突拍子もないことをやってしまう。周囲の大人達はそれに振り回され、母親であるおとめさんの胃は痛み続けてきた。騒動の結果として「真実」だけが浮き上がってくる。不思議なことにいつもそうであった。
常識という言葉に隠され、大人達がたやすく忘れてしまった「真実」を彼は何食わぬ顔でやってしまう。天真実にとって、それはただ当たり前のこと些細なことなのである。
無邪気にスイングしているかのように七十一の句が並ぶ。
虚栄も偽りもないからだろうか。句が軽やかに動きだす。
自分に向かうことが苦しくてたまらなかった私の目の前で、十八歳の彼はいとも簡単に自分の答えを創り出したのである。またもや私は、天真実にやられてしまった。
十八になった蛙はこの春、大海に乗り出す。大海を知って蛙は今度何に変身するのだろう。私などに予測ができるはずはないのである。

落雷や仏は驚く我走る      天 真実

連句誌「れぎおん」32号2001年1月発行より引用
編集発行・前田圭衛子(甲子園網引町在住時代)
表紙・墨作二郎
印刷・㈱アドバンス

▼かささぎメモ

かささぎはがさつな鳥で、まだだれにも沢都の訃報を知らせていない。
きっとあとで恨まれる、ほとけのみやこさんにも悪い。とは思うものの。
携帯なくすこといくたび、登録アドレスを消失、できなかったのである。

れぎおんの歌仙から作品をと押入れをあけると、これがちょうどいい具合に落ちてきた。

恭子さん、これを紹介してね。と言っているようで、迷わず転載を決めた。
まことくんが18歳とあるから、今から13年前の作品になる。

四日の葬儀では高倉優子(八女市児童相談室長、俳号・天野おとめ、天真実の母)が弔辞をあげてくれた。

ここでもかささぎは、お花も忘れておったし、かんじんの弔辞は、とうとうなんにもいえず。

ーあのときもそうだった。

ぼんぼり祭り連句興行を催したとき。

開催にこぎつけるまでの諸事。
終わってからの記録誌の編集発行(右カテゴリーにスイッチ)、気の回らぬかささぎを都さんとおとめさんが万事補ってくれたなあ。

司会・天野おとめ、開会のことば・天真実、神戸からみえた前田圭衛子先生が俳諧の連歌こと連句についての紹介をなさり、当時の野田国義八女市長が立派な祝辞をくださった。

晴れがましい、素晴らしい記憶!
みやこさん。
もう一度やりたかったよ。

おとめさんの弔辞はみごとで簡潔、こころによく響いた。
みやこさんではなく、さわちゃんと呼びかけていたなあ。
出会ったとき、みやこさんは都さんでなくおとめさんはまだおとめさんではなかったものね。
私たちは澤田さんを介して澤田さんちで出会った。
あの頃、こどものことでなやむ専業主婦であった。
大分の俳句誌「樹(たちき)」(瀧春樹主宰)で俳句を学び、神戸の前田先生の「れぎおん」で連句を学んでいた私は、彼女たちも引っ張り込んだ。連句は一人ではできないから。
俳号をつけたときのことを鮮明に覚えている。
沢都は、澤田都紀子の姓名から本人が一字ずつを採ったのだが、タカラヅカみたいな名だったねと顔をクシャクシャにして笑っていた。
天野おとめ天真実親子は浮世離れしている俳号だが、ほんとにピッタリなので、まこと、号は天があたえたもうものなのだ。
夏には合宿をしたり、家族ぐるみの俳諧であった。
おとめさんの弔辞をききながら、原点を思い出した。

おしまいがはじめに続く今朝の秋  沢 都

数珠玉や掌にある風の跡   澤田都紀子

▼さらにさらに追い書き

今朝の朝刊の読書欄に、川上昌裕という音楽家と全盲のピアニスト辻井伸行のものがたりを書いた「辻井伸行 奇跡の音色」(神原一光・著)という本の紹介があります。辻井伸行くんのすごさはテレビでスマップの中居くんなどの紹介でおおっ!とひれ伏すほどにわかりましたが、その影にこの人のちからがあったことは、はじめて知りました。

川上さんの言葉。

生徒の才能は、最初「何か変だな」と感じさせるものがほとんどだという。
(聞き手:西日本新聞土屋孝浩)

何か変だな。

そういえば。


天真実。
かれも何か変、どころか、うんと変でした。

この字は読めないはずなのに、なぜ読めるの?
というようなことが何度もあった。
知的障害者というけど、その頭のなかはものすごく精妙で、川上さん風にいえば、まだ伸びしろが大きくあるように思える。

みやこさんもとっていますが。

落雷や仏は驚く我走る      天 真実

これは、まことくんにしか書けない。
爆笑したあと、なんで笑うんだろう?と自問せねばおかなくなる句。
古きよき日本人の原型がある。
したり顔の批評をチャラにする一句。

 

 

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