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2009年10月27日 (火)

ありあけ連句興行課題句「放」ミニ句集 

八山呆夢
  満ちみちて匂い放てり金木犀
  降り立って芒の原に放つ声
  賑やかに放つ方言新酒酌む
  銀婚を迎えし夜長の放屁かな
古賀音彦
  柿熟れて放物線の空がある
竹橋乙四郎
  放擲の籾殻山の大噴火
  流星の刹那に放つ秘密夢
  放蕩の旅の宿にも吊し柿
青翠えめ
  放し飼い卵おちこち今朝の秋
  手放しの自転車少年稲田落つ
  孫帰りヨーヨーころがる放生会
調 うたまる
  秋晴れに着の身着のまま放浪記
東妙寺らん
  放射線治療を埋めて帽子草   (帽子草は露草の別名なりき)
澄たから
  開け放つ天窓に来し望の月
  放心はワインの酔いや夜長人
  バスハイク放って配る青蜜柑
山下整子
  放たるる焔(ほむら)が描く大文字
  漁港町野塘萵(あれちのぎく)は放胆に
  放鳥や十字架祭の鎮魂歌
  放免ののちの薮入りつつがなし
中山宙虫
  夕暮れて放送室の青檸檬
  村のまま放置している鉄道草
丸山消挙
  屁を放いて暖気感じるズボンかな 
  沈みゆく夕陽は秋のつるべかな  
 放るもん時は移ろいホルモンと
姫野恭子
  身に入むや何処(いづこ)のダムも放棄され
  もどかしき恋解き放つ二日月

選評:

同時開催の大会のテーマは「みやまの食と農」でした。

地域の農をどう考えてゆくか。という視点で展開された祭り。

竹橋乙四郎の「放擲の籾殻山の大噴火」は漢字だらけの硬い句ながら迫力があり諧謔があり、深層には現状の政治への怒りがあります。幾重にもよめる句です。

もみがらやまはどんな山、どこにある山。
それはいなかにいけばまだあります。ちいさなちいさなおやまです。
そのやまが、ある日ほっぽられて怒って大噴火しました。
まんなかのえんとつから煙が出ています。
火事になったのではありません。もえているのでもありません。
あれはいぶしているのです。
ドラム缶みたいながんがんに穴をたくさん開けたのを煙突かわりにして籾殻をいぶし、くんたんという肥やしをつくっているのです。
燻炭はいろんな作物をつくるときの有機肥料となりました。

これは過去形でかたるおはなしです。もうどこの米作り農家でもやってはいないからです。
テレビドラマ『仁』では最後にみなかた先生が崖にきて、帰れない過去(ほんとは未来である現在)を恋しがって涙をぼろぼろこぼすのでありますが、あれとおなじ思いであります、籾の殻をおもう心は。

俳人たちはとおに籾殻山を忘れ去ったというのに、竹橋乙四郎が思い出させてくれました。
目がさめるようなきぶんをあじわいました。乙四郎のヒットであります。

ほかに、どうぞごらんください、なんと多彩で奔放な放の句の数々。

調うたまるさんの

秋晴れに着の身着のまま放浪記

きまっていました。スカッとした青春性の一句、やはりこのおかたは只者ではありません。

熊本の九州俳句賞受賞俳人・中山宙虫さんの

夕暮れて放送室の青檸檬

これもまた青春性の叙情的な優れた一句であります。
なかやまそらんらしい句です。

みなさま、ありがとうございました。
当日は時間がなくて句会形式をとれませんでしたので、プリント配布とさせていただきました。ご了承くださいませ。

2009年10月18日 (日)

課題句「放」ー丸山消挙かく語りき。

来る25日のありあけ連句興行での発句に、「放」をいれた秋の句を詠んでください。
しめきりは20日です。
と、広川町の丸山消挙にも送信した。友達だから。するともう返信がきた。
あーらら。・・・こりゃあんまりじゃろ。
でもあまりにもおかしいので、このまま闇に葬り去るのはしのびない。
せめてみんなで笑いものにしてからにしましょう。あしからず。
しょうきょどん。これにコリントまたつくってくださんし。
以下、引用文。

聞くもの見るもの、話半分しか聞かんし理解も半分。
要するに自分勝手な性格は直らない、ということでしょうか。

「のうさい」はNOSAIとも言いますが、先行き寂しい私の職場です。
おかげで楽して過ごし取りますけど・・・

 窓際に背を向け座るこの席は何をしてても覗く者なし

「放」の字をいれて、秋の季語 って難しくない?
しかも ~やではじまる、切れ(断層)のある句
    一行ものでしたら、最後を「かな」でとめるか「けり」 なんだよね。

 屁を放いて暖気感じるズボンかな ・・・ 傑作!
 沈みゆく夕陽は秋のつるべかな  ・・・ 臭い?
 放るもん時は移ろいホルモンと

これでご勘弁!

    (丸山消挙)

丸山しょうきょ3句、かささぎよみ。

1 へをこいてだんきかんじるずぼんかな

だんき。という漢語表現と、ほうひを「屁を放いて」とやさしい中にも凝った表現(笑)にしたところに、この人の密かなる矜持を感じてあげてください。季語は「暖気」。

2 秋の夕日はつるべおとし。いくえにも屋上屋を重ねている。
秋、沈む、夕日、さいごにつるべ(おとし)。fall が四の字固めのうざい句。

3 句を放るホルモン鍋へ放るもん。

発句らしい発句をだしてください。
そのためには、
①~や。としてあとの七五はまったく上半分とはきれたものにする。
②一本の棒のようなまっすぐの句でいいから、最後は「かな」どめにするか「けり」をつける。

今日みつけた例をひいておきます。

「飯田蛇笏」http://www.jinmei.info/data/20050504000.htmlにつけられていた。

「句集 清夏」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_690a.html

放念の月あげてゐる櫟山  吉津清子

(ほうねんのつきあげているくぬぎやま)

放念とは・・・

なにとぞご放念くださいますように。→Don’t worry about it please.

執心をほどくこと。諦念というのとはまた少しちがいます。
凝り固まったおもいを手放す、とかくと重すぎますか。

放心と諦念のあいだに放念がある。そんなかんじです。

この句には明確な切れ字はありません。でも、切れはあります。
あげてゐる/
櫟山

放念しているのは作者。だけど「月」が放念していると見立て、クヌギ山の上にその月をそっと配した。こういう句の場合、下五に何をとりあわせるかで上半身が生きも死にもする。
これがたとえば緊張を強いる針葉樹林のヒノキ山とかであれば
、あんまり放念したくはないだろう。雑木のお山のくぬぎだからこそ。字面に楽しいという字が入っていることにも注目されたし。うまいなあ、この人は。

どんぐりもくぬぎのこどもでした:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA

(ちなみに古賀の音彦さんが真っ先に句をおくって来られた。
出してください、と送信して一分後には返ってきました。
それなりにできた句でした。おとひこさん、忙しいのにありがとうございました。)

連句会はどなたでも参加できます。
遠方の方はどうぞ発句だけでもご参加ください。
イメージを想像し句を創造するのは楽しいです。自己解放できる。

「放」の一字をいれて、秋の季語もいれ、575の発句をください。

発句とは俳句ですが、ふうたぬるい今時のゆるふん句ではなく、筋を通す古武士のような、格の高いひびきのよい句をもとめていますー自分が下品だから。(高望みというなかれ。)

▼ありあけ連句興行のご案内

10月25日(日)九時から四時まで
みやま市の保健医療経営大学の教室にて

くわしいことは、http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8.html

2009年10月16日 (金)

「こんにゃくばかりのこる名月」 連句へのご招待

「こんにゃくばかりのこる名月     芭蕉」

整骨院の先生がこんな話を患者さんとしておられた。
「ひいじいさんが骨継ぎの名人で、ずいぶん遠方からも尋ねて見えたらしい。
むかしは何も道具がなかったんで、いまで言うホットパックみたいなかんじで、こんにゃくをゆがいて熱くしたのを患部にあてがっていました。」
へーえ。
ってことは、この句はそういう付けだったんだ。
前句は、

「よもすがら尼の持病を押へける   野坡」

ついでのことに、芭蕉七部集『炭俵』のこの巻(『梅が香に』のまき)からその句のあたりを拾ってみました。
本当にすばらしい。以下、初折裏1からの12句。

御頭へ菊もらはるゝめいわくさ  野坡 (秋・恋前)
 娘を堅う人にあはせぬ  芭蕉  (恋)
奈良がよひおなじつらなる細基手  野坡(恋)
 ことしは雨のふらぬ六月  芭蕉 (夏・恋離れ)
預けたるみそとりにやる向河岸  野坡(雑)
 ひたといひ出すお袋の事  芭蕉 (雑)
終宵(夜もすがら)尼の持病を押へける  野坡(雑・釈教)
 こんにやくばかりのこる名月  芭蕉(秋・月)
はつ雁に乗懸下地敷て見る  野坡(秋)
 露を相手に居合ひとぬき  芭蕉(秋*)
町衆のつらりと酔て花の陰  野坡(春・しおりの花の座)
 門(かど)で押るゝ壬生の念仏  芭蕉(春)

おかしらへ菊もらわるるめいわくさ。
菊は実際の菊でありつつ、むすめごの名前でもあるわけで、ということは初折りに入ってすぐ恋前句を出しています。
それをうけた芭蕉の
「娘をかとう人にあわせぬ」ってにくいよこんちくしょうってな付句、ほんまに芭蕉は恋がお上手です。
背景がぜんぶみえるような。わずか七七音の句なのに。
つぎのやば句の
奈良がよい、「ほそもとで」は零細商人だとわかりますが、なんで奈良?
なじみの面々が奈良へ何かをさばきに行く。
ついでに娘もさばけますように。
前句とあわせてよみますと、硬いおやじさんが丹精こめて育てた箱入り娘を、これとおぼしき仕事仲間の男にさりげなくあわせている様子がうかびます。
奈良通いは、かよっていくんだね、奈良にいる娘のところに。
そうかそうか。いくえにもかけているんだ。

ほんっとに連句ってすごい文芸だなあ。
芭蕉ってすばらしい俳諧師だなあ。

*

露は本来秋の季語ですが、芭蕉さばきの座でいくつか露を軸にそれを春の露として転じている付け合いが見受けられます。秋と春の句のあいだに一句の雑句もはさまないで。

「六月」(つきなみの月)と「名月」と三句はさんでありますが、今の連句界はこれを嫌います。それだけ狭量になっている。つまりそれだけ式目にがんじがらめになって動脈硬化をおこしている。ご苦労なこっですね。

この文章は「みやま市食の祭典とありあけ連句興行のご案内」に付け足して今朝かいたものですが、こんにゃくの句の解釈がこれまでにないもののようで、といいますのは、これまでの連句のよみを網羅してさらに渾身の自分のよみを加えて書かれたあんつぐさんの「連句の読み方」(思潮社刊)にこの読みは載っていないってことに気づいたからです。
ここは一つきっちりとかいて、おとしまえをつけておかねばなるまい。
と思って、あらためてここにアップいたしました。
先日はじまったばかりのテレビドラマ『仁』で、麻酔なしの手術場面が出ました。
そんなふうに昔はなにも道具がなかったんですよね。
でもそれにかわるものがちゃんとあった。(ドラマではこどもが枕元でいってくれた呪文)

2009年10月 4日 (日)

黒木での句会  「箱」と「布」

先のグリーンピア八女(八女郡黒木町)での連句会には、前田圭衛子先生を師としてお迎えしましたが、歌仙の前後に句会を二つやりました。

そのときの記録をとどめておきます。
まず最初に兼題「箱」の即興吟から。
竹橋乙四郎と澄たからの両氏は多忙でこの句会は欠席でしたが、そのかわり、やまなみ短歌会所属の黒木在住歌人である仁田原陽子、月足いつ子の両氏が参加してくださいました。整子さん、お声かけありがとうございました。陽子さん、いつ子さん、お忙しい中をよくおいでくださいました。そして見事な句をささっと作ってくださって、本当にありがとうございました。さすがやまなみ短歌会の歌人だと感心しました。かささぎの口の悪さはつとに有名ですが、さすがにそのおっしょさんである前田師はその上をいかれますでしょ。笑。忌憚ない声を聞けるという意味で句会はとっても勉強になります。情け容赦ないですものね。

手品師の箱はからっぽ暮の秋   前田圭衛子

 (えめ、らん、陽子、いつ子、整子、恭子、選)
 
天空に秋の小箱が吊られけり   山下整子

 (圭衛子、えめ、らん、陽子、恭子)

重箱につめて栗飯母好み  東妙寺らん

 (呆夢特選、うたまる、陽子)

菊の香を漏らさず紙の箱の黙(もだ)   姫野恭子

 (陽子、らん、うたまる、呆夢)

星月夜積りてままに朽ちる箱   調 うたまる

 (圭衛子、呆夢、恭子)

鈴虫の音を箱につめ子に送る   月足いつ子

 (うたまる、整子、圭衛子)

台風に箱入り娘の気になりて   仁田原陽子

 (えめ、いつ子)

萩の柄裁縫箱に仕舞ひけり    青翠えめ

  (整子)

立佞武多箱庭の様な街を見る   八山呆夢 

▼事前投句兼題「布」

虫の音を布に織り込み纏いたし   八山呆夢

(圭衛子、乙四郎特選、らん特選、うたまる)

瀑布あり秋には秋の顔をして    山下整子

(圭衛子、乙四郎、音彦、恭子特選)

晩夏このさびしさゆえに布洗う    前田圭衛子

(音彦、整子、恭子)

秋桜白布置かれし顔とゐる      姫野恭子

(圭衛子、整子特選)

余り布ささやかに縫うそぞろ寒    澄 たから

(らん、呆夢)

布製の女が消えし泡立草       中山宙虫

(整子、恭子)

布当ての学生服にオナモミの実   竹橋乙四郎

(うたまる)

布袋さん柿をかかえて帰られぬ    古賀音彦

(乙四郎)

いつの世も布(ふ)に置いたるは心内    調 うたまる

(恭子)

参照

立佞武多(たちねぶた):http://www.tachineputa.jp/festival/index.html


オナモミの実:http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2007/10/post_746.html

2009年9月29日 (火)

山本健吉『虚構の衰頽』 4

 4

 最後に一つ蛇足ながら附加えることをお許し下さい。

  病み呆けて泣けば卯の花腐しかな
  卯の花腐し根嵩うすれてゆくばかり
  緑なす松や金欲し命欲し
  夏ちかし髪膚の寝汗拭ひ得ず
  がゝんぼに熱の手をのべ埒もなし
   
かく衰へて
  梳る必死の指に梅雨晴間
  裸子をひとり得しのみ礼拝す
  西日照りいのち無惨にありにけり
   
七月二十一日入院
  蝉時雨子は担送車に追ひつけず

 これは御承知のように秀野の病中吟です。
如何にも命死にゆく者の予感にあふれた作品と言えましょう。これらの作品を見ても、肉親の欲目からと言おうか、どうせ俳句はこしらえ物だと思って強いて安心しようと致しました。本人も直るつもりでいたし医者も、死病とは言わなかった、だが看病人の希望よりも、近代科学の判断よりも、病人自身の気なぐさめの言葉よりも、何よりも作品自身が「死」の面前をはっきり語っているのではないでしょうか。この作品に現れている予感を何故僕は最高の病気診断書としなかったか、今になって悔やまれるのです。本人が生の希望を棄てなかった時、俳句が死を覚悟している。実生活よりも作品の方がいっそう真実を貫いている。生活は俳句に追いつけないのです。
 『蝉時雨』の句から永眠までの二ヶ月間彼女には作品がありません。作るよりも直す方が大事だといって、一途に病気の平癒を心がけました。俳句のことを思ったり、会話に波郷とか友二とか出たりするだけでも、彼女の心臓は動悸がして苦しくなるのでした。死の数日前珍しく今日は運座をやろうと言い出したことがありますが、もはや作る気力はなく、どういう句が彼女の胸に思い浮かんだのか想像するよすがもありません。だがあの「蝉時雨」の句は、今にして思えば彼女の絶筆として相応しく、その句生涯に見事に終止符を打っています。あのような句を作ったら、そのあとさらに作品が続く必要はないのです。洛西宇多野療養所に入院の日、僕たち親子三人はハイヤーで療養所に着き、僕が受付で手続きをすませている間に、看護婦たちはすばやく彼女を担送車に乗せて、長い廊下を病室へと運び去りました。そばに父親の姿も見えず、母親も何処かへ運び去られてしまうのに青くなった六つの安見子が、必死になって担送車のあとを追いかけました。担送車の上から母親はしきりにオイデオイデをします。あとで病室で彼女は僕にこのことを言い出し「私のような者も親だと思えばこそ追いかけてくる」と涙ぐみました。
 死にゆく者には誰も追いつけないのであります。
 僕にはこの句の担送車が葬送車とも、否幽明と現世をつないで天空を駆けゆく幻想の車ともきこえるのであります。そして木立の多い鳴瀧の病院の蝉時雨はあくまでも現実のものではありますが、同時に葬送曲めいた天上の言葉ともきこえるのであります。あまりに現実的な句でありますが、そのままで同時に荘厳なる虚構を現じ出しているのではありますまいか。それともこれは永遠に追いつけざる者の恣意なる幻想に過ぎないのでありましょうか。
 処女時代に虚子翁の手ほどきを受けた彼女は、始めから写生道の実行者であります。彼女は他の誰よりも虚子翁の大と抱擁力とに尊敬と感謝とを捧げていたのであります。唯彼女の生来の豊かさが、虚子翁を尊敬して低調な平明写生に至る道を選ばしめなかっただけなのです。波郷、友二君等「鶴」の連衆との出会いが、彼女の文学の可能性に実現の機会を与えます。彼女はそれまで馬酔木調や、新興俳句や、難解俳句の洗礼を一度も受けたことなく、その意味では「鶴」同人の中で一人違った句歴を持っています。彼女は「鶴」の生活者的鍛錬道の中に、古典と競わんとするささやかな同好の中に、ホトトギス的写生の実行者が投ぜられた時如何なる作品を生み出すかの実験を供します。手段がここでは高次の目標と理想とに結合します。波郷君の傍らに在って、彼女も「純粋俳句」の使徒たる光栄を担います。追悼句会の席上で三鬼君が言った「生きながら俳諧の鬼女と化した」という言葉をこの世からのこの上ない袂別言葉として、彼女も俳諧古典の系列の居並ぶ末座にささやかな座を占めます。それは友二君が「ひとつ余りけり」と嘆いた「くれなゐの座布団」でもありましょう。俳諧史上「くれなゐの座」は寥々として少いのであります。
 俳諧とはひっきょうつきあいであり、「伴侶芸術」(川口松太郎氏の言葉、万太郎氏からききました)であり、デイアレクテイクであるとすれば、俳句つくりの伴侶を失った俳句を作らぬ僕に、俳句とのつながりは切れたようなものです。俳句論をやる実生活的基礎を失ったも同然です。それはもはや相手のない独語のつぶやきに過ぎません。従って僕にとって、俳句は芭蕉に始まって秀野に終ったというのが偽らぬ実感であります。しめっぽい話になりました。これも虚構俳句結構論にとって何かの示唆になるでしょうか。実体のない俳句論に終ったことをおそれます。
(1947・12・4)

 『虚構の衰頽』 山本健吉 
  『現代俳句』昭和23年1月号掲載

2009年9月28日 (月)

山本健吉『虚構の衰頽』 3

 「曙や白魚白きこと一寸」「猶見たし花に明けゆく神の顔」の句解においても氏は事実を重視することによって同じ混乱に到達していますが、ここではくだくだしく申しますまい。とにかく芸術というものは作為の世界、虚構の世界、において成立するものであります。俳句には前書を句そのものと不可分の関係において成立しているものもありますが、それでもその作品の価値は一句として成じているかいないか、いわば如何にそれが実生活と袂別した場所に虚構の世界を現実しているか否かにかかっています。虚構とは事実に対する言葉であって、真実に対するものは虚偽です。虚構の中に真実を貫くのが芸術であります。こう言えば僕の言うのが、必ずしも「ミヤコ・ホテル」流のフィクション俳句ではないことがお判りでしょう。あれは新婚初夜の男女としてありそうなことを詠んだまでなのです。「おや、草城氏は最近結婚されたのですか?」とあわて者の俳人たちが目を丸くすればするほど、作者はにやりにやりと満足の笑みを浮かべるといった他愛ないいたずらなのです。誰にでもありそうなことと言うのは、取りも直さず特殊性を持たぬ無性格の作品ということで、言わば作者の真実は毫も貫かれていないということです。
 波郷君がよく「俳句は私小説だ」と言いますが、この言葉も誤解しないで頂きたいものです。氏は何も俳句は身辺雑誌だとも、事実を詠めとも言っているわけではありません。氏の言葉の裏には、少なくとも葛飾善蔵とか嘉村儀多とか、私小説に命を賭けた、倫理的とも言うべき激しい生き方をした作家たちが思い浮かべられています。だとすればこれも氏の俳句に打込もうとする覚悟が吐かせた言葉です。もちろん此処には生活と芸術との対立を一つの生き方で統一しようという意図が見えます。「俳句は文学じゃない」という言葉なぞも、極力作為と虚構とを排したはてに一つの倫理的な世界として俳句を打樹てようとする欲求が見えます。芸の世界、即ち虚構の世界を、生活とすっかりかぶさり合うような地点に打樹てようとしています。そしてそれは作品の世界が実生活とつながることによって存在を主張しようとするのとは全然別のことであります。それも生活とは別の高次の世界の実現であることに違いはありません。四十以後の芭蕉の行き方に、そのような世界の範例を見ているようです。それは一種の「絶対の要求」に外なりません。真摯な芸術家は、常に実現しがたい夢を胸に抱き己れの実現した芸術境地のはたてに「知られざる傑作」を思い描いているものであります。
 僕はこれは波郷君の覚悟であると共に、俳句という文学様式の固有の方法に対する洞察を含んでいると信ずるのであります。氏は誰よりも「純粋俳句」を打樹てようとする熱意に燃えているのです。かつて茅舎・たかし・草田男三氏の鼎談会をやり、編集子はそれを「純粋俳句について」と題しました。これも俳句が和歌でも散文でも絵画でもないその固有の方法を探究することを志したものなのでした。僕がフィクション俳句結構じゃないかなぞと放言するのも言わば波郷君のような「純粋俳句」の使徒がはっきり存在しているから安心して言えるわけなのです。芭蕉だって「冬の日」までは談林的俳諧とフィクション体の世界を長いことうろついていたのだ。否「冬の日」以後といえども連句においてフィクションの花やかな世界を現出しているではないか、現代にも一つぐらい「新談林派」を以って任ずる俳人のグループがあってもいいではないか、と思うのです。そして、俳諧とは自由体であるという本義から言っても、俳諧的世界を拡充しそれを現代に生かす上から言ってもそのことは望ましいと言うのです。

 Sさん、これで「フィクション俳句結構説」という御注文に満足の行くものとなったでしょうか、往年のフィクション俳句のチャンピオン西東三鬼を論ぜずして何のフィクション俳句論ぞやと言われるのですか。御尤もです。だが氏の近作にはいわゆるフィクション体はないようです。とは言っても

 穀象の群を天より見る如く
 雑炊や猫に孤独といふものなし
 限りなく降る雪何をもたらすや

これらの句の言葉の持つ金属的な響きは往年のフィクション体から脱化したものです。これらは作者の生活に取材されたものですが、作者の凝視する世界は生活を離れて、否、作者の体温すらも離れて、色彩のない冷い硬い感触を持った一つの虚構世界を現出しています。本当すらもフィクションめくところ、まさに波郷世界と対照をなします。これくらい情緒や陰翳を殺して言葉の物質性のみによって立っている俳句は外にありません。だから作者の実生活からこれほど袂別した場所に俳句の世界が組立てられていれば、それは完璧なフィクション世界と言ってもよいし、まずその典型的なサンプルと言うに躊躇しません。このことは作者が米の虫をふるいわけたり雑炊をすすったりしている私生活に形而下的にはつながると言うものの、そのような生活感慨をいささかも含まぬあるいは含まぬことを志していることを意味します。(あしたにつづく)。

山本健吉『虚構の衰頽』

『現代俳句』昭和23年1月号より引用

2009年9月27日 (日)

山本健吉『虚構の衰頽』 2

 蝶が実際に飛んで来たから蝶の句を作ったということは、作者にとって少なくともこの句において嘘はいわれていないという安心を与えるものであります。だがこれが飛んでもない錯誤の基です。一体蝶の句に対して、その時実際に蝶が飛んで来たという事実が一体どのような価値を付与するものでしょうか。作品として十七字に定着せしめられた以上、それは一応作者を離れた存在であって、それが如何に作者の経験や見聞に基いていようとも、それはその句の価値に取って無縁であります。
「顔出せば鵙迸る野分かな」(波郷)という句の価値批判にとって、一体その時作者は本当に窓から顔を出したのだろうかと事実のせんさくをすることが無意味なことはわかり切っています。もっとも俳人たちといえども、時と場合に応じては飛んで来もしなかった蝶を一句の中に詠みこむことはざらにあるので、それで一句に成っていれば問題はないわけですが、その場合といえども、この句の中には嘘があるという心やましさを多かれ少なかれ感ずることでしょう。その心やましさを感ずることが写生道の影響なのです。だから写生道とは作品の事実性の尊重なのです。ところで先に挙げた波郷君の句にしても、句の価値は作者が本当に顔を出したかどうか、その時本当に野分が吹いたかどうかという事実に
毫も関係せぬとすれば、作品の事実性とは一体何の意味があるのか。と言うことは、作品のレアリテを支えるものは、外象がありのまま写されていることに在るのではない、そのようなことは痴呆の願望だということです。それは作者の真実を貫こうとする決意と実践とにかかわることです。作品の事実性とは作品の真実性とはまるで違ったものなのだ。だから蝶が飛んで来たから蝶の句が出来たということは、作品の真実性には無縁であるばかりか、かえって虚偽であることすら多いのです。あの「着ぶくれて」の無名子の作は、吉屋女史のその時の事実につながって存在を主張しているだけであって、そのことはこの作品の真実性の保証には絶対にならないばかりか、むしろこの句はその時の事実にしか保証を持たないという意味で真実からは遠いとさえ言えるのであります。

 ホトトギス流の写生論が嘱目俳句や吟行俳句の氾濫を来し、手段と目的との救うべからざる混乱に陥ったことは事実ですが、そのような弊は何もホトトギス派の人たちに限ったことでなく、ホトトギス流の低俗写生を断じて許容しようとしなかった志田素琴博士などの見解にもはっきり現れています。氏は『芭蕉俳句の解釈と鑑賞』の中で『卯辰紀行』の中に詠まれた日時・場所をあいまいにしたまま置かれてある「くたびれて宿かる頃や藤の花」の句を取上げ、この句が大和の八木で四月十一日頃に詠まれたものであることを考証し、従ってこれは初夏の句であり、初案は「ほととぎす宿かる頃の藤の花」とはっきり夏の季物を詠みこんであったのが、改作の結果春の句となり、紀行の中でもあいまいな書き方をするに至ったのだと言っています。そして、
「・・・事実の方から、時が藤の花の盛りの暮春ではなくて咲きすがれようとする初夏十一日頃であることが知られるので、これを頭に置いて句に対すると、眼前に現れた藤の花は、盛り頃のそれとは違って、花がもう余程散ってしまって花房がむらむらに痩せたものになって居り、そのためにそれの暮色をこめた様が一層たどたどしげなおぼつかなげな感を与え、けだるさを誘うことの一層強いことを感ぜしめるので、句の感味が一層強まって来るのである。」と句解をほどこしています。
 この時の藤の花が、よほど散ってしまった花房が痩せていただろうという推測のためには、卯辰紀行の時の陰暦四月十一日が、立夏後幾日目に相当するかを検べてみる必要がありますが、それはさて措き、僕等がこの句を理解するには「くたびれて宿かる頃や藤の花」という十七音をたよりとする外ないのであって、この句の背景をなす作者の経験した事実は差当り不必要なのであります。芭蕉はこの句ではただ「藤の花」とだけ言っており、藤の花の衰えは言っておりません。僕らはこの藤の花という言葉の重量感を受取り、動かないその語の位置を検分すれば充分なのであって、その藤の花が盛りであるか散り方であるか、どちらが事実に合うか、またはどちらが句の感味が強いかなどということは、解釈者の余計なおせっかいと言うものです。ここで芭蕉は十七音を完璧な表現として、一字一句の註釈も必要ないものとして、どうでもしてくれと投出しているのです。いわばそれは芭蕉という一個の生活者を離れて、独自の存在として結晶しているのです。その句は作者の生活とは別の作られた高次の世界を形作っているのであって、文学とは言葉によるそのような一つの虚構の実現であるということが言えるのです。従って素琴博士の、作品を一応作者の経験した事実に還元しなければその意味すら捕捉できないとする態度は、芸術の真義を誤ったものと言う外ありません。ゲーテが何かの折に、多分『親和力』についてだったと思いますが、自分は体験しなかったことは一つも書かなかったが、体験そのままのことも一度も書いていないと言ったのは、この場合も当てはまります。芭蕉の俳句が体験のままを描いてないからと言って、その句の真実性をうたがう必要がありましょうか。いわんやそれが「旅人芭蕉特に俳諧革新者たる芭蕉として意外に思われること」だなぞと言えましょうか。芭蕉の俳諧革新は、あくまでも忠実に事実によって作句することであったと誰も言う者はありますまい。(あしたにつづきます)。

『現代俳句』昭和23年1月号より山本健吉『虚構の衰頽』

2009年9月26日 (土)

山本健吉『虚構の衰頽』 1 

生国は大和くんなか秀野の忌  恭子

はたときづく、今日は俳人、石橋秀野の忌日でした。
昭和二十二年の今日午前十一時、肺結核と腎臓病のため、京都の宇多野療養所にて永眠。享年三十八歳。

なにかをやりたいとふとおもいました。
なんにもやってこなかったから。
資料をたくさん集めていたのですが、本をまとめてからは読むこともなくなっていました。

ネットをみまわしてみてもみあたらない文章で、でもかなり重要な、俳句評論家で秀野の夫でもあった山本健吉の文章をうちこみたいとふとおもいました。
なぜなら、妻に死なれたからこそ、健吉の文章にたましいが入ったともいえるからです。
山本健吉が今日の山本健吉として立つためには、妻の死がなくてはならなかった、ともいえるからです。その契機となった文章であると、かささぎは認識しています。
数日かけて全文を打ち込みます。

『虚構の衰頽』 

 山本健吉

 Sさん、「フィクション俳句結構説」なんて課題を僕のところに持って来るなんて、貴方もずいぶん人が悪いと思います。今でも時々俳人の口のはたに上る例の日野草城氏の「ミヤコ・ホテル」の連作以来、主として新興俳人の間に試みられたいわゆるフィクション俳句というものを、僕は面白いと思ったことがほとんどないのです。その僕にフィクション俳句の片棒を担がせようというような御注文は、いささか的外れの感がしないでもありません。だがそれも言ってみれば何時ぞや新興俳人はもっとフィクション体を試みたらどうかと言った言葉のたたりで、この言葉に責任を取れということでしょうから、顧みて自戒とするより仕方はないのですが、あのときの気持をもう一度言ってみれば、俳句も糞リアリズムの愚直な句ばかりを作っていないで、もっと様々の可能的な境地をさぐってもいいではないかと考えたまでなのです。
例えば東京三さんの獄中五十句、あの一句毎に「ゴク」という言葉がはいった連作を読んで、京三さんには気の毒だが実際の話うんざり致しました。何もそう「ゴク・ゴク・ゴク」と酔いざめの水じゃあるまいし、と皮肉の一つも言いたくなる気持でした。獄にいたのだという事実をあれほど一句一句の中に強調しなければならない作者の気持は、僕の到底理解しがたいところなのです。

 この間虚子翁が吉屋信子女史などを従えて琵琶湖上で大俳句会をやった折のこと、これは出席した人からきいたのですが、虚子翁の選句の中にたしか「見たかりし吉屋信子は着ぶくれて」というのがあったそうです。なるほどその場の情景を即興的に捕えてそのまま十七字に仕立てたところ、写生の本義に叶うのかどうか知りませんが、清濁賢愚あわせ呑む翁のことですから、挨拶として、一座の興として採ったのかもしれません。事実披講されるありきたりの句の前には何等の感興をも示さなかった参会者も、この句の前にはどっと吹き出し、オーバーなど厚く着込んで出ていた女史もてれ臭そうに笑ったそうです。即興をたっとび一座の興を眼目とする句会の席上で、どうせ低調なつまらない句ばかり多いとすれば、少しでも人を笑わせるような句が勝なわけですが、それにしてもこの句の滑稽は句自身にあるというよりも、こんな句をシャアシャアとして出句する作者自身の愚かさに在るといえましょう。ホトトギスの写生の道というのは、大多数の作者を愚にすることによって二三の傑出した作者を生み出す道なのでしょうか。何もこんな句などをことごとしく取立てて論ずる値打はないのですが、ただこんな句すらも、いわゆる写生道を忠実に実践することによって生まれたものであることが大切なのです。いつぞや風生氏の「退屈なガソリンガール柳の芽」その他ホトトギス流の俳句十句ばかりを挙げて、三好達治氏が疎懶風流であると断じていましたが、このような大家たちの低調な作品も、無名俳人の愚句も、根底は一つであるということなのです。高野素十・松本たかし・阿波野青畝などホトトギスの中で名人上手といわれる人たちの句も、その特異性をホトトギス的低調さがおおいかくす時があり、そういう時僕は写生道の愚劣な反面を見せられるような気がするのです。

 赤彦・茂吉等のアララギの写生道が作家の鍛錬道として成立しているのに対し、ホトトギスの写生道は大衆の易行道として成立するに到っているのではないかと思われます。子規の写生論自身にそのような萌芽は存在するのであって、言ってみれば「理想」に立脚するよりも「写生」に立脚する方が大衆は間違いがないということなのです。写生とは言わば創作にさいして事実の裏付けを要求する心です。「もの」に触れねば思想というものは結実するものではありませんし、僕は手ばなしで瞑想することの愚を痛感しているものであり、その意味で写生の方法を是認する者でありますが、その場合も言って置かねばならないのは、写生はあくまで手段であって目的ではないことなのです。目的たる思想を結実せしめない写生は、あだ花に過ぎません。ところで今日大多数の俳人たちは写生そのものが目的となってしまって、句帳をたずさえては吟行なんぞに出掛け、「思想のない風景」をやたらに描きちらします。蝶が目の前に飛んで来なければ蝶の句を作ろうとしないし、菫が目の前に咲いていなければ菫の句を作ろうとしません。写生のお説教もここまで愚直な創作態度を生み出すに至れば何もいうことはありません。そこから見て見て見抜くという態度が生れてくればそれは一種の鍛錬道となりますが、単に嘱目の風物と無造作な創作態度とが手軽に結びついたまでなのです。(あしたにつづく)。
(昭和23年1月号『現代俳句』)

※おことわり

時間の関係上、現代表記に改めています。
本来は旧漢字旧仮名表記でやりたいのですが。

2009年8月29日 (土)

芭蕉の櫻  英語俳句 5

保健医療経営大学での英語講座

さまざまの事おもひ出す櫻かな   はせを*

かささぎ迷訳

the  cherry  blossoms 
make me remember 
so sweet regretful things     (kyoko)

佐藤哲三教授の訳

The  cherry blossoms  here  in  bloom

Remind  me  of  things  of  joy and gloom.   
 
   (Tetsuzo Sato)

かささぎ推敲句  

Cherry  blossoms  remind  me   

So  many  sweet  and  bitter things

ーー  All  at  once

韻を踏むことは難しい。
イメージと合致する英単語を並べ、リズムを整え、なんとか意味を通し。
でも韻なんて踏めない。先生の英訳をみて、あっしまった、思い出させるはちゃんとリマインドって単語があったんだ!ときづき、もう一度工夫する。でもやっぱりいまいちいまに。
さらに難しいのは、冠詞。つけるか省くか、いっつも逡巡する。
で、もう、適当にやっている。先生、ごめんなさい。(おーまいがっ・・・)

* まつおばしょうの仮名表記、なんで「はせを」なんでありましょうや。
「はせう」ならばわかるけど、「はせを」だなんて、だれが思うでしょう。
・・・まちがえた。 もういやんなる!

ごまかしのために、英訳問題の中で出てきた、ぜんぜん有名じゃない(検索してもでません)
Todd Stevenという作家の名前のスティーヴンは、有名な小説家のStephen King のスティーヴンとはつづりが違いますねえ。
なんていいました。
すると佐藤教授は、ステファンとかいてにごらないつづりなのは、きっとフランス系かなんかでしょう。とおっしゃいました。

スティーヴン・キング:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

  追伸:

みつけてきました。名前の由来。聖ステファンっていたんだ。ギリシャ系って。

stephen:http://www.behindthename.com/name/stephen

最初の殉教者とあって、気になったので、ウィキでも検索。(しつこい?)
なにしろかささぎは連句人ですんで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8E

もう一件、そのまま引用、おゆるしを。
 聖ステファン St.Stephen

原始キリスト教会最初の殉教者。日本語では聖ステパノ、聖スティーブンとも表記されます。議論に長けた彼は、妬みを買ってしまい、偽証による裁判を受けることになりましたが、そこでもユダヤ教の指導者を非難したため、怒り狂った人々によって、石を撃たれ殉教しました。アイルランドでは、12月26日を聖スティーブン(ステファン)の日として、お祝いをするそうです。
――「こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、『主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい』。そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、『主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい』。こう言って、彼は眠りについた。」(使徒行伝7章 59-60節)

   

2009年8月15日 (土)

終戦記念日ミニ句集

第56回長崎原爆忌平和祈念俳句大会への奉納句
この夏も思い出すのは祭りの場   丸山消挙
近所では民を飢えさせ核実験
祝い膳ややこめでたや豆ごはん   青翠えめ
散りゆきてふたたびの幽花の川
散りぬれどプラハ便りに青葉吹く   竹橋乙四郎
幻の玄孫(やしゃご)賑わう盆踊り
歪めてはならぬことあり原爆忌    山下整子
ああここは被爆歌人が生きる街
銃弾を引く身受ける身哀しかり    東妙寺らん
万物に親愛の礼明日草
朝涼の腕の淋しさ天の風
雨の中光を放つ花樒  
雪に焚く牡丹の如き業火かな     姫野恭子
ナガサキ忌もっと遠くへもっと遠くへ
夏の朝貴女が置いた月見草     林 ばど
逆縁の父は蚊さえも生かしおり   八山呆夢 
賑わいの通りを抜けて地蔵盆

2009年8月 8日 (土)

朝顔忌はまだですが。

朝顔がさいてると荒木田守武を連想する。

旧暦の八月八日が守武忌。(新暦だと9月初旬)

八女百首の嵐竹の歌を竹橋乙四郎が論じてくれたことを思い出した。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-04da.html

その件について、最近きづいたことをかく。

嵐竹の恋の歌、「来て逢はざる恋」。

とひきてもねぬときなれやくやしくて
おもひわすれじ庚申かな   嵐竹

庚申の夜には信仰上、一晩中おきていたことがこの俳諧歌の背景にあるのだが、そのことに付け加えて、つぎの吉田兼好の歌にみられるような掛詞的な連想(かの、得ざる)もあったのではなかろうか。いや、たぶんそうに違いない。歌に余裕のようなものが感じられるのは、きっとそのせいだ。すごい歌の知識があった人だったんじゃなかろうか、この嵐竹って人は。

 たまたまネットでみつけた、秦恒平の兼好のうたの読み。
出色ですので、そのまま冒頭を丸ごと引用させていただきます。

兼好の思い妻
     
  
秦 恒平

久しぶりに『兼好法師自撰家集』を読みかえしていて、前半、それもわりに早い部分に、前後を「恋」の歌に埋められ、なにげなくこんな歌の織り込んであったのに気がついた。

  つらからば思ひ絶えなでさをし
かの
     えざる
妻をも強ひて恋ふらむ

 たんに「かのえさる」と題してあるのは、「庚申」の歳に詠んだ述懐歌なのだろう、歌のなかに、きちんと題が詠みこんである。「小男鹿の得ざる妻」に重ねて、どうやら「かの、得ざる妻」という痛嘆があらわれている。
 つらくなると、あきらめきれずに、それ、山の小男鹿がまだ逢えぬ女鹿を、あんなに恋いこがれて啼いているよ──というのが表むきの意味だろう。
 だがほんとうは、そんな小男鹿と同じように、あの、とうとう得られなかった思い妻、心の妻のことを、今も恋しく思い出しては泣けてしまうよ──と作者は詠んでいるらしい。
 兼好法師が、名高い『徒然草』を著した人であることはまちがいない。彼が俗名を卜部兼好といったこともまちがいない。官位は従五位上左兵衛佐にまで至ったらしいから、けっして身分の低い存在ではなかった。吉田神道の家に生まれ、異腹と思われるが兄弟に比叡山の大僧正になった者もいる。五位をかりに山の五合目と下から眺めれば、まずは文字どおり雲上人にちがいない。兵隊の位でいえば堂々たる聯隊長格、麓はおろか地下の衆庶からは仰ぎ見るほどの、末流ながら貴族の一人であった。
 兼好は生涯に二度関東へ旅しているが、そうして地方へ出て来られると、彼ていどでも地元ではもてなすのに重荷だったふしが見える。
 だが、都では、ことに宮廷をめぐる貴族社会のなかでは、五位やまして六位蔵人ていどの兼好は結局は「高貴」に仕える「従者」の地位を脱け出せないさだめを負うていた。卜部兼好は年少の頃から大臣堀川(源氏)の諸大夫であった。内大臣まですすんだ堀川具守の家司であった。わかりよくいえば家来、側近の一人として官途にも推挙された末輩の一公家にすぎなかった。
 それがいつか出家をして『徒然草』を書いた。のちに和歌四天王の一人に挙げられる歌詠みとして知られ、晩年に兼好法師家集を自撰した。ただし、とくに他に業績らしいものもない。著述も伝わらない。バサラ大名高師直の人妻への横恋慕を手伝って、艶書を代筆したといった醜聞も脚色されているが、真っ赤なウソで、取るに足りない。
 『徒然草』があっての兼好──というに結局尽きている。それでまた十分、十二分なほど『徒然草』の価値は高い。
 『古事記』『万葉集』『源氏物語』『平家物語』の四冊で、ある時代までの「日本」はほぼ代弁できるだろう。『今昔物語集』や『梁塵秘抄』を加えてもいい。中世に入ると思想的に内容が拡大するので簡単にはいかないが、その中でも『徒然草』を落とすことはけっしてできぬとだけは言いたい。『徒然草』にまったく学ぶことなしに「日本」は語れない。

続きが読みたい方は、:

http://umi-no-hon.officeblue.jp/emag/data/hata-kouhei16%8C%93%8DD%82%CC%8Ev%82%A2%8D%C8.html

2009年7月31日 (金)

詩 『蕪村の俳諧』 鈴木漠


  
『蕪村の俳諧』

   鈴木 漠

蓮の香や水をはなるる茎二寸 蕪村

蕪村七部集の一「此(この)ほとり一夜四歌仙」
  秋雨の一日 篤い病に臥せる門人嵐山の元へ
  蕪村、樗良、几菫の三人が見舞いに携える詩箋
病人にせがまれ枕頭での歌仙行は幽界と紙一重
  同時進行の連句四巻こそは文字通り
  嵐山今生の名残となる 無常の喩え
夜半三更までに満尾した四巻八枚の折
  ただちに版元橘仙堂で板行にかかった
  嵐山は上梓を待たずに身罷るア・ポステリオリ
白菊に梅雨置き得たり とは嵐山の発句だった
  俳諧は言語遊戯というより命懸けの方程式
  必死の文芸だったと知り感銘が深かった
明治期に蕪村俳諧を称揚したのは正岡子規
  蕪村の号は陶淵明「帰去来兮辞」がポイント
  帰りなんいざ田園将に蕪(あ)れんとす を意識
然るに 蕪村とは天王寺蕪(かぶら)の村の意ならんと
  これは子規の珍解釈 蕪村は陶淵明に傾倒済み
  菜の花や月は東に日は西に の蕪村発句も何と
陶淵明「雑詩」の 白日は西の阿(おか)に淪(しず)み
  素月は東嶺に出づ の捩りらしい
  東嶺を東山に見立てる文人画の青墨(あおずみ)
晩婚の蕪村はひとり娘が無性に愛おしい
  にも拘らず足繁く伏見の茶屋通い
  若い芸妓いとに入れ揚げたとは悩ましい
見兼ねた年嵩の門人道立(どうりゅう)に諌められた心迷い
  今日限り青楼の件は断念 その代わり
  妹(いも)が垣根三味線草の花咲きぬ の佳吟に余意
泥中で玉(ぎょく)を拾うたる心地に候(そろ) と断り
  自画自賛した蕪村書簡の熱いセンテンス
  芭蕉に帰れと蕉風を慕った蕪村のこだわり
その理念はいうなれば俳諧の文芸復興(ルネッサンス)
  不惑に至る愛弟子几董に呼び掛けたプロパガンダ
  推敲重ねた「俳諧もゝすもゝ」は師弟の交感(コレスポンダンス)
芭蕉の不易流行説を敷衍した連句作品だ

  〈詩誌『びーぐる』2号からの転載〉

* 自由律によるテルツァ・リーマ(三韻詩)。
* テルツァ・リーマは中世イタリアに起源を持つ脚韻定型詩。
  三の倍数行プラス一行で構成される。
 十四世紀初頭の壮大な叙事詩、ダンテの『神曲』はその代表。
 『地獄篇』『煉獄篇』『天堂篇』の全百曲がこの形式で書かれている。
 形式はaba/bcb/cdc/ded/efe/fgf/ghg/hih/iji/jkj/klk/l 

引用は、『連句誌 OTAKSA』 XX (20号)終刊号
2009.7.31
   おたくさの会 NHK神戸文化センター

かささぎの旗、ひめのの感想

鈴木漠先生、おたくさ、毎号お送りくださって、まことに有難うございました。
号を重ねるごとに、誌面から迸るものが段々熱くなっていきました。
日本にうまれたことの至福をしみじみと実感する次第です。
さまざまな韻のかたちを駆使した実験的な連句作品の数々。
わたしが最初に連句の毒にやられたのが、窪田薫師による尻取りや頭韻冠字などの言語遊戯における「偶然性」だったこともあり、鈴木漠ほどのおかたが、なぜ今またこんな遊びにより戻ったのか。といぶかしむ気には全くならず、ひたすら、芭蕉へ帰るための遊び、かみさまにお委ねスタイルに戻られたのだな、と思ってみておりました。マンネリを打破する力をもっていると思います、こういう試みは。
最初のころの号で、先生が取り上げておられた九鬼周造の『偶然性の問題』は私も読みました、すごい本でした。人との出会いもですが、連句をやっておりますと、常に選択を強いられる場に立たされる、常に岐路に立つ羽目になります。そうすると、自然とおもうことではあります、いつもおもっています、ぐうぜんというもののおおきさを。

『遊びといのち』という対談集を書いたのは、山本健吉でした。
真剣に遊ぶ。
いのちをかけてあそぶ。
俳とはそむくことである。
健吉は連句については何も書いてはいませんが、「俳とはそむくことである」といった時点で、俳句にそれが望めそうもない今、おのずと俳諧の連歌こと連句にそれを求めるしかないのでは・・・。と思うようになりました。

とりあえず、ネット上でお礼まで。
(英語講座でちょうどのときに蕪村の句をとりあげていたこともすごい偶然でした)。

2009年7月 7日 (火)

ドヌーヴ映画と六つ門とつくしの地名とハイカイ談義

sunこんにちは
ろいりさんこんにちは。
sprinkleシェルブールの雨傘と昼顔は見たことがあります。
映画談義をこれからもちょくちょくお願いします^^slate

筑波・筑紫・筑豊・筑後・・・ルン♪

下記でちょっと見てきた。
ドヌーブの美しさ、ヘヤーリボンにシンプルな赤いセーターに部屋の赤い壁紙、おっかさんの服も赤いスーツスタイル、おお、これがパリって風景がふんだん。
ちょうどビビットな色に挽かれる今日この頃なので、タイミングよくこの映画を話題にしてくだすった。

http://www.youtube.com/watch?v=LH2s0Uur0nM&feature=related

割と最近、深夜番組で見ました。
何度目かでした。
こんな調子だからファッション本位でしか見れなかったけど、やっぱり印象に残っているシーンは、好き同士で結婚できないでお互い子供持って再会する最後の大雪の場面だけだった。
何度見てもジンとくるわ。

 「連歌」「連句」「俳諧」「俳句」の違い、私的には一応わかっとるつもりです~この中で「連句」という言葉だけがこのブログで初めて知った、何しろ学校で習っとらんし、日本史用語でもないけんね。連歌とヤマトタケル(古事記では倭建命、『日本書紀』では日本武尊と書くが後者はいかにも後世の当て字っぽい)の関係も日本史用語辞典に載っていて、だから連歌集には『莵玖波集』新撰莵玖波集』『犬筑波集』と、やたら「つくば」がついているのだそうです。ちなみに「筑紫」を九州では普通「ちくし」と読むが、関東人は「つくし」と読み、地図帳でも「筑紫平野」のルビを「つくしへいや」と書いてある。こら、ほんなら筑後川は「つくごがわ」か!筑前煮は「つくぜんに」か!と、急に筑後国・筑紫国ナショナリストになってしまう。
 日本史と映画のこつになったら、これまたきりがないけど、カトリーヌ・ドヌーブについて、そうそう巨匠ルイス・ブニュエルの『昼顔』も忘れちゃいかん、あとロマン・ポランスキー監督の『反撥』も。どっちも女の恐さを描いた…と言ったら女性陣に怒られるだろうか。あと中年時代?の『終電車』、初老期の『インドシナ』、アラ還時代の『8人の女たち』『輝ける女たち』も良かったし。男も女も、50代はまだまだこれから、若いもんに負けちゃおられん。

笑。

えめさん、筑前ばわすれとる。
と書こうとしたら、ろいりさんが筑前煮(がめ煮)をだしてくれらしゃった。

ちくしへいやはちくしへいや。ろいりさん。六つ門の名の由来。
久留米の文化財担当のおかたにたずねてみたら、六つ門には門があったからだそうです。むつの鐘が鳴るとしまる門。六角堂とは関係ないそうです。(桜島へいったとき、古賀音彦さんにどさくさまぎれにたずねたらそうこたえてくださりました)

 「六ツ門」の由来については、なぜか1年ぐらい前にうちの父親がそう言ってました。
久留米藩領内の中心部に入るための門だったのでしょうか、ちなみに池町川は久留米城(これが篠山城の正式名)の外堀の名残というのも昔誰からか聞いた覚えがある。
「六角堂」はあけぼの通りと明治通りの間に、まさに六角形の広場(放射状に広がる小路の中心)に御堂があったからだけど、いつ頃どういう事情で作られたものか、その由来は調べたことありません。一帯はアーケードのようになっていて天井があり、夜の電気も暗かった記憶がある。
 筑紫平野は「ちくしへいや」私もそう主張したい、しかし現に地図帳では「つくしへいや」となっている=共通語になっている。
私はたぶん、「筑紫」「筑後」と「筑波」はもともと無関係だと思います。
たまたまヤマト言葉、ならぬチクシ言葉に「チクシ」という地名があり、ケヌ(毛野)言葉に「ツクバ」という地名がもともとあり、後からこれにヤマト人が、それぞれ「筑紫」「筑波」という漢字を当て字したのではないだろうか、なお前者の当て字はチクシ人自らがやったのかもしれない~漢字文化はかなり早く入ってきてるはずだから。以上が私の推量で、学問的裏付けは全くありません。
 確認ですが、連句=俳諧連歌と思っていいのでしょうか(辞書にはそう書いてある)?あと、数日前に病身の野坂昭如が一人連句を巻き上げたという新聞記事を見たけど、そういうのもあり?それと、井原西鶴は一昼夜に2万3500句の「矢数俳諧」を詠んだと言われるが、この場合の俳諧は今で言う俳句のことなんでしょうね。

ろいりさん。ありがとうございます。
連句は、「俳諧の連歌」です。連歌と連句は雰囲気も使われることばもうんとちがいます。
それはたとえはあんまり適切ではありませんが、伝統俳句と現代俳句くらいの違いがあります。

その前に、さくらさん。きのう書き込みで「シェルブールの雨傘」の一場面を出してくださって、ありがとうございました。お礼をいってなかった。あれをみて、どうして女は男をまたずに結婚したのかが少し予想がつきました。それにしても、どぴんくとあか。どひゃーな色彩。一番ピンクがにあわなさげな女優さんなので驚きます。母親役の人より雰囲気がずっとオトナに感じられますので、むりくりピンク着せたってかんじです。ドヌーヴさん。

野坂昭如、連句、独吟。
井原西鶴は、れぎおんでも研究者が何人かいらっしゃいました。あさぬま・はくさんとか、まえだ・あやさんとか。私は前田亜弥さんが調べて書かれていた妻の命日に詠んだ作品群というものに心うたれたことがある。さがせばどこかにある。いくつか句をひきたいくらい、まことのこころのこもった句たちでした。
あと、矢数俳諧については大野鵠士さんの研究書がかなりへんでおもしろい。へんといういいかたはへんなんですが霊的というのかな。33間堂。
かささぎはきになっていてですね。
33間堂棟木の由来。松延かんらん。いつきひろゆきの祖先の一人かもしれない人物ですが。八女福島の灯篭人形の祖。
あれ。話が別方向へいってしまう。
ぜんぶつながっている。わたしのなかでは。

俳諧と普通にいったら、俳句もふくめた連句のことですけど、矢数俳諧は即興の数でかぶく句のことなんだとおもう、きっと連句的な句だったんじゃなかろうか。

安西均の詩につくし恋しやつくつくほうし。みたいなんがあったなあ。このひとのふるさとは、筑紫字筑紫。

2009年6月20日 (土)

病気がウツルというときの漢字は?

うつす【移す】(他五)物事の位置・状態を、他の位置・状態に変える。「病気を-[=伝染させる](新解さん)

ちなみに、伝染る、は吉田戦車による当て字。北にも南にも、日本語の乱れた用法が世間へじわじわと移るのを苦々しく思う文士がいます。

   以上、乙四郎コメント

きのう、お昼休み、この乙四郎のコメントを読んで、どひゃ。
杉作さんから句をいただいた次元ですぐ辞書にあたることをせず、じぶんのなかにあった「伝染る」(うつる)
の字とちがうというだけで「字がちがう」ときめつけるなんてあさはかなことをやってしまいました。杉浦先生へお詫びすると同時に、ここに正式におわびいたします。

お昼休みがおわり事務所のみなが定席につくころ、尋ねてみました。
「病気が人にうつるというときウツルって字はどう書くかな?」
「それはですね、染めるという字ですよ」・・・35歳係長
マイボス・・・ただちに辞書をひき「移すという字になっているみたいね」

かささぎは係長にいった。
「吉田戦車のまんがにあった?のせいで誤字が蔓延したらしいよ」

「あーそういえば、『伝染るんです』っていうようなんがあったなあ!」

おつしろう、ありがとう。

指摘がなければ、きづかず恥さらしのままでいくところでした。

帰宅後すぐ訂正おわびしようと思ってたのですが、連日のよふかしがたたり、夕食後らんちゃんに付け句依頼メール打った時点でひっくりかえって眠っていました。あれ?これではどこかの隊員さんみたいではないか・・と思いつつ。
やさしいむすこがふとんをだしてくれました。ありがとうね。

2009年6月19日 (金)

杉作さんの恋句。

恋文一つ渡せぬままに     杉作
インフルエンザ君に移され
不倫がばれて免職となり

真夜中に笑うのは、かなりぶきみですね。
いんふるえんざは季語でしょうか。
おつしろう先生、どうですか。
風邪は冬の季語ですから、それに準じるとすれば。
でも今回のは季節をえらばないようですが。

不倫がばれて免職となり。

不倫はほんとに免職理由になるんだろうか?
あと、インフルエンザ君に移され。うつされの字がちがう。
おわらいの一席でした。

歌仙『ややこ生る』

1目に青葉やま時鳥ややこ生る      恭子  
2  夏霧はれて現(あ)るる玉石     ぼん  
3蚤の市自転車こいでTシャツで     さくら 
4  学生街の行きつけのカフェ   乙四郎  
5望の夜の甍に波のさやぐらん     らん  
6  田畦豆(たのくろまめ)を小筵に入れ  整子

裏 

1秋扇追ひ払ふものと救ふもの   ぼん
2 鳥栖に栄えし久光製薬      恭子
3切れっぱしばかり溢れる抽斗に  さくら
4 心の宝こはしてごめん       乙四郎
5なみだ雨素知らぬふりの六地蔵   たから
6  寒月ゆれて刹那きらめく   えめ
7モスリンのジャケツが脱げぬ昼日向  整子 
8  グランドゴルフ赤白黄色    ぼん
9俳諧は卑俗で俳句は高尚で     恭
10 ゆったり下る野辺の春川      らん
11花の雲流れ流れてどこの空   彦山
12  陽炎の芯犯しだす午後    bud

ナオ

静まらぬ鼓動に百千鳥響む    整子
2   恋文一つ渡せぬままに    すぎさく

(あと、たからさんとらんちゃんがだしてないけど。あ。ばどさんもそらんさんもね。
そらんさんへは日曜に桜島へ行ってたのんでくるとして。ばどさんはいきているだろうか。)

選句します。

   追っているのか逃げているのか  おつしろう
   方言ばかりで伝わらぬ恋      ぼん
   改札口でさよならを言ふ       えめ
   おとなになればきっとわかると   きょうこ

おつしろうの「追っているのか逃げているのか」は前句の緊迫感を知らず感知してそれにひびきづけしたものだと想うのですが、一番雰囲気的にびしっとはまる気がします。
ですが。
かささぎはきになるのです。裏たてくの、追い払うものと救うもの。

すぎさくさんの恋文句。
これは前句のもつ生一本な清潔さにつけたものです。
これをとらずばなるまいて。杉作さん渾身の一句。

みなさま。ありがとうございました。
なんだか、だんだんしりあがりことぶきです。

むねがじいんとしてきました。うううれしい。笑

次も恋。長句、季語なし。
きちんと恋をよんでくださいね。また連衆の競作。
理想の恋は、心と体がひとつになったものだろうとおもいます。
(天文歌人の恋歌を読んでいてきづいた。庚申の恋のところです。)

2009年5月28日 (木)

夜もすがら、ソラの一句。

夜もすがら秋風きくや裏の山   河合曾良

句が思い出せなかった。
ゴーゴーとなる風の音で目が覚めると、裏山に風の音が鳴ってるだけのソラの句はなんだったかとかんがえた。

曾良、裏の山。
これで検索をしたら、出てくれた。
http://blogs.yahoo.co.jp/t3814102/42070223.html

この句のなんでもないたたずまいを絶賛した人がいる。
俳句評論で有名な山本健吉だ。
健吉はこう書いていた。
島根に疎開をしていたころ、寺の間借りでの侘び住まいで、裏山をわたる風の音が終夜して、この句とおなじ気分を味わったことがある。
そのとき、初めてこの句のよさが確かな実感を伴って身に蘇ったのだ、と。

2009年5月21日 (木)

let's俳句を英語に  保健医療経営大学英語公開講座にて

きのうはみやま市の保健医療経営大学での第二期一回目の英語講座の日だった。
一回目は全員出席!(と、てぃーちゃーせっど)。
中級クラス、十数人でちょうどまとまりがいい。
連句の座が三つほど組める。
あ、すみません。つい連句的思考が身についてて。


佐藤教授に言い渡されていた詩の英訳、自分のへたな句をいくつかと芭蕉句と蕪村句を一句ずつやってみた。
どれにしたらいいかなと迷う。
んがしかし、今、当季ということで麦秋句をやろうとハラをきめ、「これにします」と先生に頼んだら、先生はほかの句も書いていた下書きプリントを一枚まるまるコピーして(うっわー・・・)、140問の復習初歩英作文をせっせと書き込む肉体労働のような作業がおわったあとで、みなさんに配られてしまいました。
とほ~杜甫徒歩。カッコ悪。まったく自信ない。
だけど、まちがいがあるからまなぶんですし。
ところで。
自分でも迷訳だと思う↓

逝く春や重たき琵琶の抱きごころ  蕪村

spirng passing by

when I am holding you
like a heavy biwa

この句、ずしっと下腹部にくるのは恋句(そう思った)だからかな。
これと有井諸九(筑後の俳人、大坂の俳人と駆け落ち、死なれて尼)の次の句が、かささぎの中では連句的に響きあっている。

朧夜の底をゆくなり雁の声  諸九尼

諸九という女流俳人について、もっとよく調べようと思いつつ、まだ果たせていない。
高良山の中腹にある桃青霊神社も、そういう筑後出身の俳人のつながりがあってこそ、祀られているのだろうから。

この諸九の印象深い一句にどこで出会ったかといえば、久留米図書館で、北村薫のノベルででした。題はわすれた。あっ、と思うほど、すごい句。なにも知らない自分を恥じた。

2009年4月20日 (月)

花はいろ

花はいろ。

人はこころ。

どこかから拾ってきた言葉です。
いい言葉だなあ。

花は色。
人は心。

それでは今週もいってきます。

追伸

きのう、ぼんとせいこさんとらんちゃんが、うちの母が育てたカンパネルラの花(釣鐘水仙)を少しづつもらっていってくれました。それぞれの庭で増えて、きれいなあおい花をさかせてくれますように。

ぼんがくれたたけのこ、ずいぶんたくさんあった。大鍋にいっぱいくらい。
竹橋乙四郎にもわけてあげればよかった。

釣鐘水仙http://araraoasys.web.infoseek.co.jp/niwa11.htm

2009年3月31日 (火)

縺糸闇と遊糸

四月号の『樹』より、東妙寺らんの五句。
おお。りっぱだ!俳句始めて二年ほどとはとても思えぬ。
熱心に俳句歳時記を読み、勉強をしているのだろう。

おみくじの大吉結ぶ春心
隠国の千手を拝し春の闇
縺糸闇の中にもあたたかし
芹の香やゆるりと水を愉しみぬ
芹の葉を辿れば白根したたかに

高卒後夢見る少女は、生き馬の目をぬく銀行業界に就職。
やわらかくて美しい窓口係はどんどん偉くなっていった。
あれよあれよと歳月は矢の様に過ぎ、でも夢見る少女はそのまんま。
高校時代、わたしたちは、いつもいっしょにいた。
なぜかしら気があった。でも大人になってからは疎遠になっていた。
体調を壊し職を辞していなければ、俳句は勧めなかっただろう。
縁が、あったのよね。
最初に出してくれた句を、ちゃんと覚えてる。


朝涼の腕の淋しさ天の風  東妙寺らん

ああ。このためにであっていたのか。
と、そう思った。

俳号は彼女の亡き愛猫の名。

ところで、三句目。
最初、「縺糸闇れんしやみ」というのがあるのかと思った。
普通の歳時記にはでてこないし、かささぎがもってる角川古語辞典と新明解国語辞典第五版と健吉の季寄せにもない。
けれど、もつれた細い糸が闇に浮かぶ様は、わたしに以前読んだある本を思い出させた。鏡五郎*の飛行蜘蛛の研究書である。

英語でゴッサマー。遊糸=ちいさな蜘蛛の糸。有名な追跡調査の本、まだ山下整子が広川図書館で司書をしていたころ、偶然見つけ、借りてきて読んだ。れぎおんにも書いたっけ。とても面白い本だった。蟲好きなひとはよまれてください。感動します。ただ題を忘れました。空飛ぶ蜘蛛。だったかも。

* あれ。鏡五郎。で今検索したら、ど演歌歌手の名だった!
ってこた、まちがえた。間違いの天災かささぎのやりそうなこと。
鏡がついたとおもったのですが・・。山形の人。
何年もかかって遊糸の正体をつきとめるのです。すごいです。
うーん。鏡リュウジじゃないしなあ・・・だれか知ってない。
最初は山本健吉の『遊糸繚乱』の資料で知った本。
追ううちにその鏡さんの本にであった。別名、雪迎え。
かささぎは恋句で一度出したことがある。

雪迎へ垣間見しより繋がれて  恭子

ここで、仕事より帰還。さっそく調べる。
雪迎え。で調べたら、出てきました!
なんと鏡ではなくて、錦でした。とほほ。
ほんとに失礼いたしました。
錦三郎。資料くっつけておきます。齋藤茂吉文化賞受賞の頁。


http://www.pref.yamagata.jp/ou/bunkakankyo/050001/bunkasinko/21-30.html

思えば、かささぎが連句に誘った人たちは、みながみな、本当にすばらしい。
ぼんもせいこさんもたからさんも都さんも乙四郎もばどさんもおとめさんもまことくんもわこちゃんもかぐやさんもさくらさんも木戸さんもらんちゃんも・・ここにあげてない人たちもみんなとってもうまいです。
この有難き縁に、こころからの感謝をもうしあげます。ぺこぺこり。

追伸:

だいじなこと、書き忘れていた。

縺糸闇の正体。

東妙寺らんに「縺糸闇って何。季語?」ときいた。
するってえと、「あれは、もつれいと。闇の中にもあたたかし。
」と言ったあと、「きょうこちゃんたちのことを詠んだとよ」。
やはり天然。

資料紹介:『空をとぶクモ』 錦三郎(学習研究社)
  (八女郡広川町の図書館においてあります)

錦 三郎(にしき・さぶろう)

《南陽市》

 大正3年生まれ
<南陽市赤湯、高畠地区において晩秋の青空を飛ぶ奇現象の解明>
 通称「雪迎え」について、昭和13年より関心を持ち、昭和30年東亜蜘蛛学会に入会、追手門学院大学教授八木沼博士に師事し、専門的に研究し、日本において未開拓の蜘蛛の空中分散について継続的な研究を行い、クモの種類、生態を観察記録し生態学的な解明を果した。蜘蛛の空中分散についての研究では日本で唯一の権威者であり、外国の研究者にもよく知られている。
<山形県内の蜘蛛採集と研究>
 昭和26年より県内の蜘蛛を採集し、リストを作り現在約160種を確認している。その中には新種として発表された「ニシキサラグモ」を始め、数種類の新種を発見している。
<山形県指定天然記念物「白竜湖泥炭形成植物群落」の研究>
 昭和31年から白竜湖湿原植物の調査を行い植物相の推移の記録、スライド作製を続けるほか、昭和33年から同湖周辺の野鳥の観察と記録(映画、スライド製作)を行い、自然保護や野鳥保護に対する貴重な資料を提出し、その重要性を啓発する等、その対象は蜘蛛のみではなく各分野にわたり積極的な活動を続けている。
 主な著書
  昭和39年 「蜘蛛百態」
  昭和47年 「飛行蜘蛛」
  昭和49年 「空をとぶクモ」
  昭和50年 「雪迎え」

2009年3月30日 (月)

連句的。山村暮鳥と吉田渭城

やなせたかしの『だれでも詩人になれる本』(かまくら春秋社)。
山村暮鳥のつぎの詩をよんで、あっとおもった。

  手

    山村暮鳥

しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた

ひらいてみたが
なんにも
なかつた

しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである

それをまた
ひらかせたのも
さびしさである

  花百句より

    吉田渭城

花にきてなつかしく手を開きけり

2009年3月28日 (土)

菊と蓬

さくらさんの写真はとっても素敵だ。
最近のヒットは白い花ばかりを束ねて写したもの。

http://blog.goo.ne.jp/cameragurasi/e/7d88dce5bbdb3c9be338423f52f60ca5

花束の右下、特徴のある葉っぱをアレンジしてある。
それがなければ、小さな菊の蕾には気付かぬままだった。
セイコさんのコメントでそれを知る。
なんと心憎いことか。

菊の葉はほんとうに特徴的だ。
以前れぎおんで、故・水沢周さんが随想に書いておられたことなんだけど、菊の葉っぱ一枚でも盗ってきてさしておけば芽が出るので、容易に盗めるものの一つなんだそうだ。(いちごも似てる。こっちで十何年かけて苦労の末編み出した新品種でも、簡単に大陸へ渡ってこっちで出た翌年くらいにはもう出回ってしまうのはそれ。)

揺るること音立つることなき蓬   中山宙虫

菊の葉っぱとよく似たものに、ヨモギがある。
よもぎ、筑後ではフツとよび、フツ餅とかフツ団子にする。
上記、中山宙虫の一句。
異次元ででもあるかのように超然とした蓬が心眼で捉えられ、心に残る。
菊科の植物の葉っぱの特徴なのかもしれない、ぎざぎざの縁。
裏と表の微妙な色のかえし、葉の付け根にひそかに生まれる新たな芽。
しーんとした印象を人の目には与えつつも、心には旺盛な生命力を秘めたいきものとしての風格を染め付ける。

どこかで絵としてのこのような蓬をみたことがある。
あれはなんだったろう。
そうだ。伊藤若冲。
たしかに彼が描いた絵のなかに、あった。

俳句引用:

中山宙虫ブログhttp://musinandanikki.at.webry.info/200803/article_10.html

関連:

き坊の棲みかhttp://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo0903.htm#saisin

(3・25付)

きぼうさん・かささぎがむしろ驚いたのは、希望さんがそれをご存じなかったことです。
博学な方でも、そういうことがあるんだな。とふしぎ。ニガヨモギ=チェルノブイリ=ヨハネの黙示録。は原発事故のあくる年だったか、朝日新聞かなにかに連載されていた藤原新也のエッセイでとりあげられていたのを読んだ記憶があります。

これがニガヨモギ↓

http://kitola.hp.infoseek.co.jp/dokusou/nigayomo.html

2009年3月18日 (水)

新明解国語辞典 (辞書にある人格)

うめちゃんと言う有名な25歳女性写真家がいます。

http://tenjin.keizai.biz/headline/photo/1605/

彼女の写真は田舎に帰って撮ったじいちゃんばあちゃん、小学生男子のふざけてる写真ばかりです。

カメラや写真についてのうんちくが全て吹き飛ぶ面白くてたまらない写真ばかりです。

「うめめ」(梅ちゃんの目で撮った写真)と言う写真集が爆発的に売れています。

うめちゃん。おもしろい写真ですね。かかかってわらえる。

うめかよさんは「男子」で話題になった時に知りました。歌手になって積もった雪に顔面からとびこむ夢をもつ女児も撮ってほしいところ。
梅佳代(本名)さんは、高校の進路相談で「イチローと結婚したい」と夢を語り、スポーツカメラマンとしてイチローに近づくために写真の専門学校に進学したとか。「写真を撮っていればおじいちゃんは死なない」とも言っているとか。
写真集「うめ版 新明解国語辞典×梅佳代」(三省堂)というのを発刊しているらしい。明解国語辞典(復刻版)以降のすべての版の新明解国語辞典を揃えている乙としては、うめかよさんも新解さんファンらしいことがわかって嬉しい。さん付けで呼ばれる国語辞典はこれくらいでしょう。
(学研の国語辞典)
ざせき【座席】すわる所。席。
(新解さん)
ざせき【座席】その人が腰かけて何かを見たり、ずっとすわって乗って行けたりする席。
(うめ版)
ベンチに二匹の猫の写真入り。

こい【恋】、よのなか【世の中】も
   ↓

世の中の解説がふかいですね。
世の中は・・というときの場面設定からまず入ってるかんじ。
ねこがずっしりすわってるベンチの写真、すごくいいね。座席ということば、解説のことば、ほどよい距離とあそびがある。

恋と恋愛の変遷

明解國語辭典(昭和18年)
こい【戀】愛情をよせること。戀愛。
れんあい【戀愛】男女間のこひ慕ふ愛情。こひ。
新明解国語辞典(昭和47年)
こい【恋】[男女の間で]好きで、一緒になりたいと思う強い気持ち(を持つこと)。
れんあい【恋愛】一組の男女が相互に相手にひかれ、ほかの異性をさしおいて最高の存在としてとらえ、毎日会わないではいられなくなること。
新明解国語辞典第二版(昭和49年)
初版と同じ。
新明解国語辞典第三版(昭和56年)
こい【恋】①恋愛。②その土地に(もう)一度遊んで見たい、その物に(もう)一度接して見たいという強い気持ちに駆られて、抑えることが出来ない心の状態。
れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。
新明解国語辞典第四版(平成元年)
第三版と同じ。
新明解国語辞典第五版(平成9年)
こい【恋】①特定の異性に深い愛情を抱き、その存在を身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が昂揚する一方、破局を恐れての不安と焦躁に駆られる心的状態。②その土地に(もう)一度遊んで見たい、その物に(もう)一度接して見たいという強い気持ちに駆られて、抑えることが出来ない心の状態。
れんあい【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。
新明解国語辞典第六版(平成17年)
こい【恋】特定の異性に深い愛情を抱き、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦躁に駆られる心的状態。
れんあい【恋愛】特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

世の中の変遷

明解國語辭典(昭和18年)
よのなか【世の中】①世間。社會。②現世。③人情。④よごころ。
新明解国語辞典(昭和47年)
よのなか【世の中】①人びとが互いにかかわりあいを持って住んでいる所。世間。社会。②時代。
新明解国語辞典第二版(昭和49年)
初版と同じ。
新明解国語辞典第三版(昭和56年)
よのなか【世の中】①同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。②時代。
新明解国語辞典第四版(平成元年)
よのなか【世の中】①同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。②現在の時点・環境を、これまで経験してきた環境となんらかの意味で比べて批評して言う語。時代。時節。
新明解国語辞典第五版(平成9年)
よのなか【世の中】①同時代に属する社会を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。②現在の時点・環境を、これまで経験してきた環境となんらかの意味で比べて批評して言う語。時代。時節。
新明解国語辞典第六版(平成17年)
よのなか【世の中】①社会人として生きる個個の人間が、だれしもそこから逃げることのできない宿命を負わされているこの世。一般に、そこには複雑な人間関係がもたらす矛盾とか政治・経済の動きによる変化とかが見られ、許容しうる面と怒り・失望を抱かせる面とが混在するととらえられる。②現在の時点・環境を、これまで経験してきた環境となんらかの意味で比べて批評して言う語。時代。時節。

「世の中」の解説、ほほう!そうかい。
と感心します。

「恋」「恋愛」も前にどっかで読みました。
どうしても最後のほうで爆笑となります。
誰が書くのやら、書いてる人の顔を見たいです。
度の強いめがねをかけて、腕カバーをつけたがっちがっちのおじさんだったら?

さくらさん、そ。そんなかんじがしますよね。

ところで乙四郎。おごくろでござった。
きっちりと比較してもらってなるほどでした。
以前新明解が話題になったとき、有名な恋の項(合体がどうのこうの)を立ち読みした記憶がありますが、こうしてまとめていただけると、違いがくっきりします。編者はどこにこだわったかまで。
あたしは山田みづえ(石橋秀野論を書いた俳人、いま九十台とおもうけど。八女に見えたとき講演を聴きました)氏のお話をきいたことがあって、父上が高名な辞書学者の山田孝雄博士で・・・と知っていましたが、新明解の山田忠雄さんがみづえさんの兄にあたるのか弟さんかはよく存じません。でも兄弟なのですよね。なにしろ、兄弟がほぼ辞書を編む人ばかり。みづえさんはこうおっしゃっていました。
わたしは父の辞書を繰る音を子守唄がわりに育ちました。
ひえ~っとおもいました。でも、ユーモアセンスのある方で、そのおかたの兄さんならさもありなん。とおもって。
初詣一度もせずに老いにけり
なんて句を教えて下さった、ご自分の。
以前みづえ句集についてはこのブログでも紹介してるので興味があるかたはどうぞお読みください。俳人として立派なかたがたはどんなにつらい目にあってこられたのか。というのがよくわかる。↓

国語学者の山田孝雄(やまだよしお)は尋常中学校を中退後、独学で小、中学校教員検定試験に合格。小、中学校教員をへて、ついには東北帝国大学教授となっている。退官後は1940年に神宮皇學館大學学長、1941年神祇院参与、1945年愛宕神社名誉宮司。戦後公職追放され、国語辞典の編修に専念。
子供は9人。男子は、山田忠雄(国語学)・山田英雄 (日本史学)・山田俊雄(国語学)・山田春雄、女子は山田さくら・山田みづえ・山田さなえ・山田ちあき・山田かおる。

2009年3月10日 (火)

石橋秀野と石田波郷

濹堤

櫻濃くジンタかするゝ夜空あり   昭和16年石橋秀野

冬日宙少女鼓隊に母となる日   石田波郷製作年不明

この二句を並べたい。
なぜ、おなじものをかんじたのだろうか。
内容はまったくちがうのに。
そして、山本健吉は亡き妻で同志だった秀野の唯一つの句集名に、なぜこの「櫻濃く」の句を選んだのだろう。

2009年3月 8日 (日)

弥生連句興行於保健医療経営大学

弥生連句興行於保健医療経営大学

歌仙 『海へ拓ける』

      捌  姫野恭子

有明の海へ拓ける春意かな       姫野恭子
  青きカンバス跨ぐ燕(つばくろ)   竹橋乙四郎
雨近し樹々に辛夷のふくらみて     山下整子
  土筆のはかま取りし爪なる      中山宙虫
えんぴつを包丁で研ぐ母のあり     八山呆夢
  色なき風に揺れる電線        東妙寺らん
 
意地張りて遊ぶふりする螽蟖(きりぎりす)  乙
  二人にされてはじかみを噛み      恭
好きすきと月をまはって来るメール     虫
  穴を覗けばみえる魚籠底        夢
この不況侍ジャパン救へるか        らん
  カンパリソーダはいつも饒舌      整
石炭を拾って帰る野川守          恭
  雑巾しぼるしもやけのゆび       乙
八幡の古き鳥居にゐる鳥よ        整
  新幹線の固い槌音           虫
紅白の配置見事に花の庭         夢
  余る寒さも隠国(こもりく)の里    らん


名残表

代々の手を借り吊るす雛飾り     夢
  ぶらんこ漕いだ長ぐつ脱げた   恭
イ短調横一列の四分音符      らん
  小石ころがり山がこはれる    虫
沸点をたやすくこえし罵詈雑言   整
  夕立となる魂ごひの果て       恭
くちづけは長し緑陰深くなる      宙
  猫のぬくもり膝枕にし       乙
藍瓶を守る老爺の庵あり       夢
  何だか自由になれた気がした   整
洋灯宿(ランプやど)余白を埋める二日月  らん
  夜長に閉ぢる読みかけの書(ふみ) 乙

名残裏

小売店皮茸(こうたけ)もある舞茸も   整
  朽ちたるものを潮が引き去る     恭
初御空北に向かひて祈りをり       夢
  これからの季(とき)それぞれの時  らん
あまたある花の蕾のほころびて     乙
  学び舎がある陽炎のさき       宙  

平成二十一年三月七日(土) 10時~4時
於・保健医療経営大学連句の部屋

資料:

キリギリス http://www.insects.jp/kon-kirigikirikirisu.htm

はじかみ http://www.recipe.nestle.co.jp/from1/cook/word/ha/hajikami.htm

魂ごひ  http://protophilosophy.noblog.net/blog/r/10573488.writeback

魚籠  http://www.kousyu.net/dougu-biku.html

石炭拾い  http://www.justmystage.com/home/yagisan/semro.html

イ短調の名曲  http://niseaibon.at.infoseek.co.jp/am-1.htm

皮茸  http://www.ztv.ne.jp/grdymvo1/kinoko/kotake.htm

舞茸  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E%E8%8C%B8


   

2009年3月 7日 (土)

芭蕉のすいぜんじの付句

この間から気になっている水前寺海苔の芭蕉の一句を解説した安東次男の『連句の読み方』が、連句辞典を探していたらひょこっと出てきました。忘れぬうちに引用メモしておきます。肝腎の連句辞典は出てきませんでした。
あまり時間がないので、その部分だけ。長いですが。
わたしは、こういう執念の調べ物が大好きです。
とことんまで調べなければ腑に落ちない、というアンツグさんの執念!
なんてすばらしいのでしょうか。

『連句の読み方』 安東次男著よりー

  芙蓉のはなのはらはらとちる  
吸物は先(まづ)出来(でか)されしすいぜんじ  芭蕉

供養に飲食(おんじき)は付物と見込んだ付だが、見どころは、雑の作りを以て季の実(じつ)を引出した手際にある。蓮をして蓮たらしめているのは、浄土を庭前の眺に奪った芭蕉の工夫で、史邦ではない。仮にここを二句観相気味に継げば史邦の句は有季とも治定しがたくなるから、さしづめ、衆目一致の夏の句を付けて「芙蓉のはな」の根締(夏二句)にでも仕立てるのが妥当なはこび方だろう。史邦が、秋の筈はないがさりとて直に夏の季語とも云えぬことばをわざわざ持出して云回したのは、師の継ぎぶりをしかと見たかったからか。
「吸物」は会席料理の汁椀だろう。
飲食は「先」汁からで、菜の賞味は後である。
一汁一菜(膾なますの向付むこうづけ)を以て膳組の基本とし、煮物(ニ菜)・焼物(三菜)の順に加える。もっとも、献立を二汁五菜・三汁七菜などと考えれば、「吸物」は料理を一往出し終わったことを客に告げる湯吸物のことだ。少量、ごく淡味の清汁(すまし)で、いわゆる汁とは別である。そう読んでもよいが、この場の供養後の飲食を窮屈に考える理由もとくに見当らぬ。「すいぜんじ」は水前寺、水前寺苔(のり)のことである。「水」は蓮(水芙蓉)の縁、「寺」は供養の読取。海苔は法(のり)に通い、法事のつきものである。スイモノ、スイゼンジの語呂もよい。
句は、汁椀の蓋をとっただけで篤志の程がわかった、と凡兆・史邦の息の合った付合(つけあい)ぶりを賞めそやしているらしく読める。芭蕉は水前寺苔の名をどこで知ったのだろう。食用のりは一般にはアマノリを云い、これは近海産の紅藻だが、緑藻類に属するカワノリもある。太平洋にそそぐ山間諸川の岩に生じ、菊池川苔(熊本)・芝川苔(富士川苔、静岡)・大谷川苔(日光苔・栃木)など古くから知られている。スイゼンジノリはカワノリとも違う淡水藻で、藍藻類に属する。湧水の池底に生じ、九州の一部にしか発見されていない。形状は、寒天質につつまれた暗緑色の細胞群体である。命名の由来は、寛永九年1632小倉から熊本に移封された細川忠利(忠興の三男)が豊後羅漢寺の僧玄宅に開かせ、後に藩主別荘とした水前寺成趣園に因む。園池の湧水は出て加勢川となり、中流で江津湖をつくるが、最初に寺前の池から見つかったと言われる。大正十三年、上江津湖の天然記念物に指定され、養殖も別に行われている。
そのスイゼンジノリについての文献の初出は、貝原益軒の『大和本草』(宝永五年・1708成)
だろう。去来の父向井元升の『庖厨備用和名本草』(寛文十二年、1672成)にも、人見必大の『本朝食鑑』(元禄八年、1695成)にも見えない。
続いては、寺島良安の『和漢三才図絵』(正徳三年、1713成)か。
益軒は
「川苔」の項に富士・日光・菊池苔と共に入れ、「肥後水前寺苔は水前寺村の川に生ず。乾して厚き紙の如くなるを、切て水に浸し用ゆ。此類諸州にあり」と記している。
良安の方は、「紫菜(あまのり)」の項に「富士苔」「水善寺苔(ママ)」を付記し、前者は・・・(引用者かささぎは、勝手ながら中略致します)

地元のことはわからぬが、元禄頃、水前寺苔はまだ世に知られていなかった。
そう考えるしかなさそうである。
「あさくさ千里がもとにて
苔汁の手ぎは見せけり浅黄椀」。
これは貞享元年1684芭蕉が詠んだ甘海苔の句である。
「吸物は先出来されしすいぜんじ」も、甘い香りが鼻先にただようように作られているが、じつは印象の騙しで、俳諧師は物の実際を知らず、ただ呼名の興のみで句に作ったらしい、と思うとそこにも亦滑稽の一趣向が現れる。味ったと告げることと、味ってみたいということとは、違うだろう。いやいや思切ったことをやるものだが、これは次句の作り(解釈)の決手になるやもしれぬ。とすれば、珍しい苔の名を芭蕉に教えたのは去来に違いない。その去来の知識も、益軒それとも父元升あたりに負うものだったろう。因に益軒は向井家と親交があり、元升の墓誌も撰している。(元升は延宝五年六十九歳で歿、墓は京都真如堂にある)。

「肥後は川苔を産すること多き国にて、菊池郡菊池川の菊池苔、詫摩郡川中島の清水苔、上益城郡大臣川の内大臣苔、皆名あり。なかんづく水前寺苔の名、世に鳴りて響き、滋味ありとにはあらねど、人其の清美を称す」(露伴)。『大和本草』宝永六年に先立つこと十九年、芭蕉が初て世に知らせた名だ、と気付かなければせっかくの名産調べも無駄骨になる。たべものの句を説いてたべものの起りに興味を示した評家などは皆無だ、というのも考えてみれば不思議な話である。
諸注は、農家の庭先や路傍から寺などに、蓮池の場所を例によって見替えて、鑑賞会としゃれこんだ付(つけ)と状況を読んでいる。これもおかしい。蓮見は早朝、花の開くときを楽しむものだろう。供養の席でもなければ、「はらはらとちる」さまを賞翫のたねになどしない。

脚注:肥後細川藩が江津湖産のノリを「清水苔」として幕府に献上した記録の初見は享和二年1802、水前寺池に御苔場を公設したのは文化四年1807である。

 戦後詩論選『連句の読み方』安東次男著
  2000年7月7日思潮社発行

参照記事:

今からでも間に合う。大学とすいぜんじ海苔。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-9ddf.html

2009年3月 3日 (火)

『八千草』 2009如月号

 季刊 俳句・連句誌『八千草』

幼日の漁港を映しシャボン玉   有馬朗人
                     
『天為』主宰
石鹸玉江戸の匂ひを背負ひ飛ぶ  有馬ひろこ

 源氏絵よむ   

     山元志津香

抱くやうに贖ひし聖護院かぶらかな
稲掛の雨餓ゑし昭和の径にほふ
その先は風の領域草かげろふ
秋彼岸帰路の双手のさみしくて
八千草の風得手勝手されど美し
ネイルアートせし娘も囲むきぬかつぎ
海晩秋こころに余るものは捨つ
真ごころは母の口ぐせ豆名月
歌女鳴くや伐れば祟(たた)るといふ雄松
焼いも抱く秘密のメールなどもたず
聖域につづく戦さや冬燕
金婚や当り障りもなく冬至
源氏絵よむ身巾にあけし白障子

参照

季語「歌女鳴く」http://blogs.yahoo.co.jp/fayhaiku/folder/494286.html

又引きの又引きですが山本健吉の言葉を引きます。
(出典者のかた、ありがとございます。)

どうして蚯蚓はあのように声がよくて、それでまた盲であるかとは、古くからなぜ話の一つで、その作者は座頭だった。今では、あれは螻蛄であって、蚯蚓は鳴くものでないと言ったりしているが、以前は、夕方庭のあたりで、何処からともなく清い音がきこえてくると、蚯蚓が鳴いているといって、かならずこの話が出たものであった。昔、蛇は歌が巧みで目を持たなかった。その蛇のところへ蚯蚓が歌を教えてもらいに行くと、その目となら取替えようと答えたので、声と目を交換したというのである。音曲の手を休めると、座頭がこういう他愛ない話をして、座を取持つこともあったのであり、自分の身によそえて、昔は蚯蚓も今の蛇のように美しい目を持っていったと言ったところに、ユーモアとペーソスがある。こういう昔話が出来たので、蚯蚓は声の薬だなどといって、煎じて飲む者が今でもある。中国で、蚯蚓を歌女ということから、蚯蚓鳴くとは中国伝来のように言っているが、そうではない。

もっと読みたくなってきます。
八千草主宰は山元志津香さんですが、トップにはいつも天為主宰の句を据えられています。
今回は「シャボン玉」の句です。
わたしは連句で初めてしゃぼん玉が春の季語だと知りました。
ブランコも春。
なぜなのかは・・・どうぞお調べください。

有馬朗人さんの俳句は、漢語調で堅く緊(しま)って心地いい。
情に流されそうな内容をきりりとまとめてあります。

今回の志津香主宰の句でことに印象深いのは、

歌女鳴くや伐れば祟(たた)るといふ雄松
真ごころは母の口ぐせ豆名月
聖域につづく戦さや冬燕

過去の「八千草」記事から:

「魚の吐く虹」

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_0ca7.html

「備中鍬と馬唐黍」

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/48-3f22.html

宇佐八幡と俳句」

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_8c26_1.html

「季刊 八千草2008如月号」 

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_d38d.html

2009年2月28日 (土)

波郷の門、秀野の門、かささぎの門、希望の門。

きぼうさん
ひとつお尋ねしてもよろしいですか
石田波郷の
綿蟲やここは屍の出でゆく門
この最後の門は、やはりモンとよむのでありましょうか
ずっとトとよんできたため、モンのルビにとまどっています
お考えをいつか日記にでも書いていただけませんか
   
      そこつもののひめの
ひめの さま

こんにちは。
メールありがとうございます。


波郷の句のなかでも、有名なもののひとつだと思いますが、

 綿虫やそこは屍の出でゆく門

をわたしは、「モン」と読んでおりました。字余りのモンを句尻におくのがこの場合、落ちつきがよいように長年(そう
意識せずに)思っておりました。
ひめのさんに問われて、あらためて自省してみますと、わたしは病床の波郷が落葉して寒々とした雑木林をすかして、療養所の門を見ている、という具体的なイメージを強固につくっておりまして、その中で「屍の出でゆく門」が詠まれていると思っております。
おそらくその背景には、わたしが少年時代から自転車で石神井・田無・清瀬あたりの雑木林や麦畑の間を走り回って、具体的によく知っているという個人的な事情があると思います(今はすっかり都市近郊宅地に変貌しましたが)。
わたしの解する波郷に即して言えば、「屍の出でゆく門」の響きの奥には、“地獄門”とか“肉体の門”(田村泰次郎は近すぎるかな)などの、人間苦や世界苦の象徴としての「門」があるように感じられます。

この後は蛇足の憶測です。
ひめのさんの、


 綿蟲やここは屍の出でゆく門

は、もし、単純なタイプミスではなかったとして、「ここは」とご記憶されておられたのだとすれば、わたしのイメージする「門」とは、作者にとって距離感がまるで違っているように思います。より強い切迫感をおぼえます。「ト」はそういうことと関連があるかな、と考えたりしている次第です。

大江希望
大江希望さま
拝復。
丁寧な返信をいただきまして、ありがとうございました。
そこは!そこはでしたね。はあ~・・・脱力してしまいました。
なんとまあせっかちに生きていることでしょう。
確認してみました。たしかにそうです。
みごとなフォローまでしていただいて、赤面のほかありません。
もん。肉体の門、は読んでいません。こんど気に掛けてみてみます。
石橋秀野の秀句ではない句に、
菖蒲湯へ罹りし留守のかどの錠  昭和十六年
というのがあります。この句の「かど」は、門だとおもうのですが、
カドといういいかたをきっちりとひらかなでしてみせる秀野に、
なにか強いこだわりをもっていたのだろうかと思ってしまう。
希望さん、このかど、どう思われますか。
また暇なときにお返事くださいませんか。
ありがとうございました。
冬日宙少女鼓隊に母となる日
ふゆひそら・ふゆひちゅう。ふゆひそら。とおもっていた。みづえさんは、ちゅうでしたね。
それと、
寒椿つひに一日の懐手
これはヒトヒとおもっていた。イチニチでしたね、みづえさんは。
あと、
日盛のシャワー痩躯を荘厳す
ソウゴンとよみたかった。ショウゴンでしたね、みづえさんは。笑
捕蟲網踏みぬ夜更けの子の部屋に
ホチュウアミと読みたいがホチュウモウと読んだみづえさん。
ただ、これは意見が一致しました。
創痛や春の山鳩応えつつ
こたえじゃなく、いらへつつ。いらえる。大和言葉ではございませんでしょうか。
でも、やわらかい。秀野もいらえるということばをつかっていた。
       姫野恭子
ひめの さま

わたしは、石橋秀野の名は知っているのですが、稀に歳時記などで目にしたことがあるという程度で、まとめて読んだことはありません。山本健吉の奥さんだった人、ということは知ってましたが。
彼女は奈良生まれなんですね。出雲にいたことがあることは知っていましたので、「かど」について、山陰方言と関係ないかな、とまず思ったのですが、それはわたしのハヤトチリでした(ひめのさんが昭和16年と付けておいて下さった)。


  菖蒲湯へ罷りし留守のかどの錠
の「かど」についての感想を ひめのさんから尋ねられて、わたしは子供のころ鳥取県日野郡で育ちましたので、その山村でいう「かど」をすぐ思いました。農家の作業場にもなる「庭」のことです。その山村では「門」のある家といえば白壁の門長屋のある村長さんの家などで、わたしの育った家もそうでしたが「門」というべきものはありませんでした。村長さんところでも、「門を閉じる」というべき「門」はなかったです。
でも、村の道とそれぞれの家の「かど」との境界は明瞭で、わたしの家の場合は、3,4段の石段でした。村を流れる小川を跨ぐ小さな土の橋が境界となる家もありました。もっと漠然と、石がいくつか地面にはめ込んであるだけという家もありました。
「かどの錠」ですから、この「かど」は門を閉ざすなんらかの装置(簡単な木片を落とし込むようなものであっても)がついている門であって、戦前の都会の小さな板塀の家などをわたしは想像します。「かどの錠」というひらがな表記については、「門の錠」では、いかにも厳重な外世界と内世界を遮断する“近代的なキー”になってしまうことを秀野は避けたのではないでしょうか。おそらく、その彼女の語感の背後には、わたしが「かど」という語に「庭」と「門」の両方を思い浮かべるのと同じ、大和言葉の世界があるように思います。
わたしの感想は、こんなものです。石橋秀野を検索していてAmazonに姫野恭子さんのご著書があるので驚きました。なお、「罹りし」では意味がとれないので「罷りし」としております。
大江希望

2009年2月27日 (金)

今からでも間に合う。大学とすいぜんじ海苔。

こないだ息子が新聞をみながらこんなことをボソッとつぶやいた。

「あー保健医療経営大学がのっとらん!!」

「今からでも間に合う大学一覧」の中に入ってなかったらしい。
なんでじゃろう。ひどいね。いくら「下流大学」でも、そんな継子いじめはひどかね。
こないだの報道のしかたといい、この仕打ちといい、なんでじゃろう。
大学の背後にある政治家がついてると思われているからだろか。
かささぎも最初そう思っていたから人のことはいえないが。

子は、去年の今頃、ばたばたとここの受験を決めた。
のほほんとして、核がさだまっていなかった。
中流大学の環境学科に入って二年目。突然やめるという。
ここらのことばでいうところの「ふーたぬるい」生活を中断し、半年派遣社員として岐阜へも行き、世の厳しさを知ったばかりのころ。
なにか芸ができねば世の中は渡れぬことを身をもって知り、岐阜から戻ってきた。
一年たち、やはりここ有明の下流大学に入学してよかった、と子を見ていて、思う。
本人が落ち着いた。
大学について何一つ知らず親のカンだけで受験させたけど、本当に良かったと思う。
生き方の問題。これからの世の中を渡る学問だと思う。
だから、なにか応援の文章を書いてあげたいけれど、悲しいかな、おばさんは書き方がわからないのよね。
親御さんや先生がたで、こどもや生徒の進路について、とくに就職難の今、迷われていらっしゃるのであれば、考えて見られたらいかがでしょう。
その際、大学へ請求なさるものは、「保健医療経営大学紀要」がよろしいかと存じます。

ところで関係ないけど、昨日から今朝の西日本新聞一面に大きく水前寺海苔の件が出ていた。
どこか黄金川あたりを開発する?のに伴い、絶滅のおそれがある。
そこで開発をやめる。とか、そういうことなのかな。(ちらっとしかみてない)

書いたことがあったから気になって。↓

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_ad72.html

検索したら、http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA/

これ。なにか腑に落ちなくない?

芭蕉の連句にすでに出ている。すいぜんじ。という名前で。
なのに、それ以降の食用決定では、はなしがおかしかろうもん。
って風に、情報は錯綜する。

膨大な情報の中から、何が真実で何が誤りであるのかを判断するのは至難のわざ。
だが、縁があれば、真実への道は常に用意されている。

2009年2月18日 (水)

前田圭衛子の薔薇

一千一日薔薇ぶっちぎる海鳴り    圭衛子

     前田圭衛子句集『ニッポニア・ニッポン』より

この句。
わが師・前田圭衛子の俳諧へは、ここから入りたい。
読んでみる。
口の中で何度もつぶやいてみる。

いっせんいちにち・ばらぶっちぎる・うみなり。

季語は薔薇。初夏。
なぜ一千一日なのか。この数字は何なのか。
そういうことはいっさい問わず、ひたすらこの跳ねるような一句のもつリズムに全身全霊をゆだねてみる。
やがて、見えてくる。
断崖の薔薇。
少し桃色がかった白い薔薇が潮風に揺れている。
薔薇は風とともに潮鳴りを激しく身に浴びる。
いっせんいちにち、しなやかな助走。
バラ、ぶっちぎる、ターンと弾みをつけて跳び箱をとぶように、飛び乗り、消える、消える・・・海の中へ、空の青さへ。
いま、すべてのものの影は消え、なにも見えない聴こえない。
バラぶっちぎる。薔薇ぶっちぎる。ばらぶっちぎる。
海鳴りを海鳴りを海鳴りを。薔薇のはなびらを。花びらを。花びらの香りを。ささやきを。ぶっちぎるほどに強い風。潮の音。潮騒。潮騒。海鳴り。潮鳴り。

この句をよんだとき、わたしはすぐ、芭蕉の佐渡を詠んだ大景の天の川の一句を思った。

荒海や佐渡によこたふ天の河  芭蕉

読み下した胸にひろがるのは、深い沈黙だから。
前田圭衛子は、かくも鮮らしい前衛的な句を詠む俳人であった。
この句を読めば、それがよくわかるとおもう。
説明はなにもいらない。
心が潮風にひりひりと
灼けつく、残像と残響の一句。

2009年2月17日 (火)

波郷の薔薇

あえかなる薔薇撰りをれば春の雷  波郷

昨夜、連句的に出てきたこの一句。

えりおればのえるという字を、選とかいていた。
朝、確認。(この字でしたので訂正しました。)

思春期のなやましさ、なまめかしさが匂うような句。
あえか。なる。えり。おれ。はる。らい。
このゆたかな母音とラ行音のなか、「ばら」が燦然と輝く。
ばらとぼいん群、らぎょう音を束ねる「ば」の一音。
わずか十七音のシンフォニー。
目に見え、耳で聞き、鼻で嗅ぐことができる、一瞬の無意識が統べるしんふぉにー。


2009年2月 9日 (月)

牛耳捌・歌仙 『冬がれ』

 歌仙『冬がれ』

   第一回俳諧時雨忌

     捌・野村牛耳

オモテ

冬がれや世は一色の波のおと 翁
  凍つる汀に黙す老漁夫     牛耳
練上げの盌を灯りに透し見て   南方子
  二言三言胸につぶやく     圭草
山深き鄙のたよりは月のこと   空花
  白曼珠沙華燃えるすがたも 
 恭子
ウラ

百舌招く甘柿甘く熟れてゐて   健治
  湖に臨める阿弥陀千躰      南
宵々に板橋わたりゆくは誰ぞ    南
  二階の窓にいつも顔あり    恭
紅皿のべにをこぼさばひろがらむ 草
  曝書の山をくづしつつ読み   恭
イエテイの影雪渓の月に消え   耳
  襖隣りにキイ叩く音        花
決断の裏目に出たる先議権    南
  方向オンチ耄けし番犬      治
嵯峨祇園醍醐清滝花の中     南
  春眠浅き興亡のあと       治

ナオモテ

遠足の黄なる帽子の列つづき    恭
  ウーマン・リブと幼な子のいひ  草
スラックスぴったりしすぎ前うしろ   耳
  四十を越えて知りあへるひと   花
地球儀をまはし眺むる松の内    恭
  水吸ひ上げる肥後の水仙    南
町角の石油スタンド人気なく    徒司
  救急患者長く待たされ      恭
繰上げの議員左にバッジして    治
  それやこれやで話す最中    南
雑草の新駅かこみ月と虫      草
  手漉きの秋に楮切りだす    治

ナウラ

ながながと皮をたらして林檎むき  恭
  インターホンの訪ひの声     恭
アルヌーの水濁りたるフロレンス  南
  飯を啖ふは事のなきとき     南
花に会ふわれわが魂を見つめつつ  耳
  蝶のやすらふ紹興の甕      花

昭和四十六年十月十日首尾 於青山『いろは』

捌:野村牛耳

連衆:林 空花(東京義仲寺連句会)
    高島南方子(〃)
    石田圭草(〃)
    杉内徒司(〃)
    大畑健治(都心連句会)
    金子恭子(〃)

引用は 俳諧俳論集『行々子』 林 富士馬・著
昭和53年7月15日・東京義仲寺連句会発行
 

同作品はもう一冊の連句集にも収録されている。
こちらのほうが初出ということになる。
『野村牛耳連句集 摩天樓』 昭和50年7月6日
    東京義仲寺連句会編・発行
 

         
▼かささぎよみ:

山深き鄙のたよりは月のこと   空花

この単純にして余情ふかき一編の詩。すばらしい。
月の座は、三個ともすべて「月」という表現です。
二個目の他季の月は雪渓。夏。


ウラ折立で、すぐ恋を誘うような句がでたけれど、すぐに恋を詠むのは待ちかねの恋といって、下品なこととされる。さいきんは、でも、そうでもないようですが。

湖に臨める阿弥陀千躰      南

このじらし。ほとんど感動。しかもきれい。
恋がはじまるというところで、釈教句。それも無常のような。
へえーってかんじ。恋前に釈教句、ですよ。
なんと珍しいではありませんか。フツウは恋後にきますものね。
・・・どうでもいいことに見えるけど、連句人はここでおおっと思う。思わないといけない。

ーところが、よくみわたすと。
ほかにこれという恋がない。(とかささぎの目にはみえた)。
そうか。そうだったんだ。
この折立の句と阿弥陀千体の句のあいだに、あるんだ。
とても激しい恋が。

・・・つらい、いたい、ふかい。
失恋だったのですね。
たましひのくるしみを千躰もの仏像にして鎮めねばならぬほどの。

ふと、夫がおいていってた板に彫られた仏像を思う。
それはなぜか私のたましひに無言でせまってくる。
まるで失恋したのはじぶんだったかのように、むねがくるしくなる。
しかし。これはたぶんかささぎだけのふかよみ。邪道よみ。
ふつうの読みではただの叙景句。湖に面して阿弥陀仏が沢山。
そして、この句を前句として、つぎにでている小板橋の句。
明治でしたか大正でしたか、女流歌人がうたっていた。
その小板橋のうたを連想させるすぐれた恋句。
石上露子。この句を詠んだひとがこの詩をご存知かはしらないが。
ということは、ほんとうの恋句は、この板橋句からですね。
でもそうだとすると、とてもさびしい。
まあ、感じ方読み方は個人の自由ですから。

一巻の句の出方、流れ方。
自然です。

曝書から時事句へとうつってゆく、その移り方。
そして時事。時事は簡単にみえて、とても難しい。
なぜなら政界ニュース一つとっても、すぐ古くなる。

なにをとるか。なにをすてるか。取捨選択は至難のわざ。
しかし、さばきの野村牛耳はさすがにわきまえている。

決断の裏目に出たる先議権   南

その前句が、

襖隣りにキイ叩く音        花

ね。うまいなあ。
さりげない遣り句が上手な人をベテランというのです。

この南ってひとは、つぎの句もはっとするほどの諧謔。

飯を啖(くら)ふは事のなきとき     南

語彙のゆたかさ、イメージを伝えるけざやかさ。
そして人生を深く生きてきた人の視線の確かさ。

俳句がうしなってしまったものが、ここに、ある。
俗談平語を正す。
って、こういうことだったんだ。





2009年1月16日 (金)

初からす

▼初からす

(下鴨神社宮司日記より引用させていただきます。)

御生山(みやれやま) はねずの空に 初からす   
 と詠んだのが「初句」です。「初釜」の茶碗を昨年の秋に焼き「端碗」(はつわん)と付けて筥書をしました。この「端」も「初」「はじめ」などと一緒の意味です。
ただし、何にもかもが「初」ではなく、なにかをなしとげ、その上に一段、飛やくしようとする「はじめ」の時を意味しています。
 句の「御生山」は、東山三十六峰の2番目の山のことです。
葵祭の2日前の御蔭祭がおこなわれるところです。「はねず」は、夜明け前、空一面があかね色に染まる直前の一瞬の色合のことです。出現の意味を表わします。「からす」は、下鴨神社の神様の別のお名前です。『古事記』や『日本書紀』に「やたがらす」と記されている神様のことで、生命、誕生の瞬間を云い表わしました。
  
     宮司       新木直人

 

http://www.shimogamo-jinja.or.jp/guuji/index.html

参照:はねず色(朱華色)http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/color/hanezu.html

詩とは国の記憶であるというメキシコの詩人「億旅をパス」のことばが蘇る。
国のからだにしみこんでいる詩歌のちからをまざまざと感受する。

以前書いた文章から。

詩は、ひとつの国の記憶といってもいい。
       オクタヴィオ・パス(メキシコの詩人)

民族の生命の光というものの起源を詩と呼ぶならば、当然その源は〈国の記憶〉の中にしかないわけです。〈国=くに〉とは、文明以前、あるいは文明以外と言い直してもいい。文明によって覆われて見えなくなってしまっている基層の中にしか宿っていないもの、それが〈国の記憶〉です。 
         
      宗 左近のことば
 
    『宮沢賢治の謎』 (新潮選書)より

かささぎはふっと石橋秀野の初からすの句を思い出します。

昭和19年

いさゝかの水仕のこすや初鴉  秀野

あらいものを仕残してしまった、というのです。
からだが丈夫ではない母親にとって戦時中の子育ては大変な労働だったろう。
毎日が戦いのようなもの。
俳諧は、こういう卑俗ともいえる毎日のスケッチを聖なるものに高める営為であろうとおもいます。けっして和歌の世界では詠まれなかった世界です。

2009年1月12日 (月)

堺屋の連句会

堺屋の連句会
黒柿の床柱、黒い壁、黒い床の間の「櫨」の書。

八女市堺屋記事と写真と連句

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_a64e.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_abb1.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_160d.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-e683.html

今年はじめての連句会。
うれしい飛び入り参加者も得て、胡蝶一巻あがりました。

平成21年正月11日(日)

参加者(敬称略)

甲斐麻莉子
菊元萌子
堺屋舟美
竹橋乙四郎
東妙寺らん
八山呆夢
山下整子
姫野恭子

 胡蝶  『父の訓』

オモテ三句

父の訓聴く膝小僧初座敷      山下整子
  千両の実のいやあらたまる   姫野恭子
砂に描く円と線との定まりて    堺屋舟美

参加者名簿の上から二人はうら若き乙女であります。
堺屋の水琴窟を見にこられた観光客のお嬢さんがたでした。
かささぎはなにかふしぎな想いがしました。
「時の縁に感謝します」
と書いてくださったお二人さん、ありがとうございました。

それから堺屋舟美さん、二回目です。
ゆったりとした鷹揚なふんいきの舟美さん。
なぜか埼玉見沼のきれいな夕日が映った湖?の携帯写真を見せてくださいました。
ちょうど氷川女体神社のこと(ずっと気になっている)を調べていたかささぎは、これもまたふしぎな暗合を感じました。
堺屋の黒柿の床柱一本で家一軒建つ価値があるというような話をしてくださいました。

古い和風住宅はとても寒かった。
小雪まじりの日で、電気ストーブを三台も出して。
ところが途中、煙が出てきて。(理由は書けません)
あやうく大事にはいたりませんでした。

ナカ五句目、恋離れでなかなかいい句が出ず、以前ネットでアンティーク歌仙をまいたとき出して下さったのに捨てた、ばどさん畢竟の名句を使わせていただきました。
これです。

四畳半引くに引けない畜生   bud

ありがとうございました。
次回はご参加のほどよろしくお願いいたします。

三時半ころウラのニ句目が出たあたりで、縁側のほうからだれか入ってきました。
あれま、竹橋乙四郎!関東へ帰省して家に帰る途中、立ち寄ってくれた。
無言の圧力が効いてたのかも。花の句を出してくれました。

どなたさんもありがとうございました。

(四時おきかささぎは帰宅後ごはんを作って洗物したら眠っていた。)

つぎは3月初旬と思っていましたが、3月はお雛様で堺屋は使えないそうで、4月にするかどうするか思案中。

2008年12月30日 (火)

乙四郎語録 対話篇3

八女戦国百首和歌『夏日侍』をよむ

      竹橋乙四郎

▼  荒木田守晨(もりあさ、もりとき)の手掛かり


伊勢内務長。守秀の五男。守武の兄。宗祇門人。詠歌が守武とともに『新撰菟玖波集』に入集。永正13年(1516)歿、51才。「永正記」作者。

木村徳宏(専門分野 神道学 神道史 神道思想史 神道祭祀 神社祭式)
論文、 学術論文
荒木田守晨について-その生涯・学統を中心として- 平成15年10月01日 中世後期の内宮祠官・荒木田守晨の生涯について考察し、従来学説の分かれていた名のりを「モリアサ」であると確定した。また、彼に関係する年表を作成すると共に、彼が生涯注力した神道書の書写について現段階に於ける全容を解明して目録を作成した。また、これらの伝写と相承の過程を照射して彼とその前後の学統を明らかにし、彼が果たした神道史上に於ける役割と位置付けを試みた。(A5版、総45頁)
【単著】
『神道史研究』51巻3・4合併号
編者名及び共著者名:神道史学会
掲載頁:81-125頁
荒木田守晨について 平成16年03月31日 中世後期の内宮祠官・荒木田守晨の生涯について基礎的研究の成果を発表した。特に学説の分かれていた「守晨」の訓について考察を加えると共に、これまであまり知られていなかった彼の幼名を史料に拠って紹介した。また、彼の自害の理由についても基礎的な考察を加えた。(B5版、総2頁)
【単著】
「神道学会会報」
編者名及び共著者名:皇學館大学神道学会
掲載頁:10-11頁

かささぎの旗管理人:

検索では、なまえのよみは「もりとき」になっていました。
自死のその、理由が知りたい。
よみたいものです。

ブログ記事として、守武、兄の死。という題でさきほどから、年譜をうつしていますが、なんどやっても消えた。やめておけ。というサインですね。
この年、永正十三年十一月には六日前に違う兄(長官、一の禰宜だった)もなくしている。ということは、それに関連する死だったか。調べたわけではないが、年譜をみていると、十人のねぎに欠員が生じると新しい禰宜をいれるが、それに連られて一位づつ位があがる。年譜には書かれていないが、この長官だった兄の死でもりあさがトップになったのだろう。それはそんなに重大なことだったのだろうか。
『神官守護のために』みずからの尊い命を棄てる。それはどういう意味があったのだろうか。
また、母はこのふたりの愛する息子の死の四年後になくなっている。
この世の中百首は、ふたりの兄たちの死の年から九年後、九月の庚申の夜一夜で仕上げたものです。

九男だとする守武、九に縁を感じていたのか。

竹橋乙四郎:

 伊勢神宮禰宜の心的背景
永正9年(1512)11月19日に伊勢神宮で大火災。京都御所レベルで官民あげての大騒ぎとなり、その再発防止会議で、「皇太神宮の鬼門の方向に当たる篠島神戸の里に「火度見善光寺如来」を祀り祈願すれば後世難を逃れるであろう」という結論が出され、永正13年、知恩院に命じ、伊勢神宮の古材を使って篠島に西方寺が建立された。
神だのみなのか仏だのみなのかまったくもって良くわからない防止策(さすが、元寇対策に神楽を練習せいと命じた国に恥じない意思決定!)であるが、この間、禰宜たちがいわれのない誹謗中傷、屈辱に塗れたことであろうことは想像に難くない。

▽ かささぎの旗管理人:

竹橋乙四郎先生のおっしゃるとおりかもしれません。
今、嵐竹のすべての歌を拾っていたら、「春駒」「五月雨」「立秋」「槿(あさがほ)」、「来不逢恋(来て逢はざる恋)」の五首ありました。
そこで、「世」を荒木田守武のキーワードをすれば・・、という目で読み直しますとき、ハッと気づいたのは、守武の辞世の一句であります。守武忌は、朝顔忌というではありませんか!

朝顔にけふは見ゆらむ我が世かな  守武

祖(おや)を守り俳諧を守り守武忌   高濱虚子

何がいいたいのかといえば、嵐竹の俳号には、乙四郎が指摘したように、俳諧師としての匂があるということです。まだ何も資料はございませんが、これは確かな確信であります。

四十六    槿(あさがほ)  嵐竹

あだなりと見しは残らじ槿は
世にはてしなき秋ごとの花

この一首はどこかに荒木田守武を匂いづけしている。
直接の弟子ではなかったかもしれませんが、なにかの縁で守武の水が流れ込んでいる。そうでなければ、あのように生き生きとした恋の歌は書けなかったでしょう。あの一首だけが時代を突き抜けて、まっすぐこころに届きました。俳諧歌でした。

嵐竹の立秋の歌、いいよね。乙としては春駒の歌も好きです。
まぐれにたまたまいい歌を詠む人であれば無名のままでしょうが、いい歌をたくさん詠む人なら後世に名前が残ってもいいはず。ところが、「嵐竹」は乙式検索エンジンにまったくひっかからないのです。嵐竹はこの場限りのペンネームじゃなかろうか、というのが、とんでも思いつきの始まり。もし嵐竹=荒木田守武なら、「旅する太刀」の謎解きに夢が膨らみます。九州から宝刀を持ち帰れば、伊勢の禰宜の形勢も持ち直せましょうぞ。
八女百首のコペルニクス的転回。
コペルニクスが『天球の回転について』(地動説)を出版したのは1543年(天文12年癸卯)。

芭蕉と伊勢との関係に着目し、笈の小文の解説文を読んでいたら、この句が出てきた。

裸にはまだ衣更着(きさらぎ)の嵐哉  芭蕉

伊勢神宮に奉納された句だとか。
この句の解説文。
「嵐は「三十日月なし」句にも出てくるが、伊勢は「神風の伊勢」と言われるように、嵐に縁がある。」
と。
芭蕉の伊勢参り:http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/oinokobumi3.html  

▽ かささぎの旗管理人

伊勢は嵐に関係がある。そうですか。
大風(台風)や嵐を鎮める風の宮のことを言っているのですね。
その家のかたが何度かれぎおんに文章を書かれていましたが、・・・。

芭蕉が伊勢に詣でて外宮の外から遥拝するというのは、僧として当然として、一般的にも外宮へ先におまいりするもののようです。かささぎは未だ一度も詣でたことはないので、よく位置関係がわからないのですが、今朝しらべたところ、次のようなことが目につきました。

1 とゆけのおおかみを祀る外宮、その位置はもと丹波。
2 外宮の傍に四つの別院、多賀宮、土宮、月夜見宮、風宮。

かささぎが殊に注目するのは、多賀宮(たかみや)です。
このお宮は外宮の中でも地位が高いとかかれています。

伊勢宮ホームページ資料よりコピペで引きます。

一、宮名とご祭神
 多賀宮(たかのみや)
 
豊受大御神荒御魂(とようけおおみかみのあらみたま)

ニ、ご鎮座地
 豊受大神宮大前の御池にかけられている亀石を渡ると、右手に土宮、左手に風宮が見えて参ります。それを過ぎ、正面の98段の石階を上がると、檜尾山に南面して、外宮の第一別宮である多賀宮がご鎮座になっています。

三、ご鎮座の由来と沿革
 『延暦儀式帳』に「高宮一院 等由氣太神宮之荒御玉神也」とみえ、古来高宮とも称されております。恐らくは小高い丘の上にご鎮座になっていることからそう呼ばれたのでしょう。ところで、豊受大神宮別宮には多賀宮、土宮、月夜見宮、風宮の4宮がありますが、多賀宮だけは『止由気宮(とゆけのみや)儀式帳』および『延喜神名式』に記載がみえる別宮で、他の3宮が後年宮号宣下により別宮に列せられたことに比すれば、一際格式が高く、しかも皇大神宮の荒祭宮同様、外宮の第一別宮として古くより特別な待遇を受けて参りました古社です。
 さて、当宮の淵源を尋ねると、今から凡そ1500年前、第21代雄略天皇の御代22年に天照坐皇大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌(みけ)つ神として迎えられ、豊受大神宮が創立された際、多賀宮も同時に奉斎されたと伝えられています。
 14別宮のうちで荒祭宮同様殊に重きが置かれ、20年1度の大祭である式年遷宮でもこの2宮だけは正宮に引き続き真っ先に斎行されます。また、勅使参向の際は恒例祭と臨時祭とをとわず正宮の祭典終了後ただちに幣帛が奉られることからもその重要性が容易に推察頂けるでしょう。
 現在は、農事に携われる方はもちろんのこと、産業全般にわたって従事される方々の篤い崇敬を集めております。

引用をおわります。

ここで、また「荒」がちらつきます。

▽ おまけ記事

かささぎの旗のうけうり・とんでも説:

失われた十部族わんだりんぐ・じゅう古代イスラエルの民が遊動民スキタイとともに日本へ流れ落ちた。
「豊受大神」こそは古代イスラエルの神である。

元伊勢なる地が丹波に二箇所ある。
その一つの大江山麓のは後世つくられたもので、本来の元伊勢は籠神社(このじんじゃ)である。日本三景の一つ天の橋立を北から見下ろす位置にある。(参照・雪舟の国宝天橋立図)
以下、そのまま引用。なにから引いてるか、おしえない。

「伊勢神宮に祭られている天照大神は最初から今の伊勢にあったわけではない。それは25回も巡幸している。初めは倭国笠縫邑であり、次がこの元伊勢、籠神社であった。以後、吉備、大和、伊賀、淡海、美濃、尾張などを移動しつつ二十五番目についに伊勢の内宮となったのである。」

「籠神社で祭られていた豊受大神は古代イスラエルの神である」

「81代宮司は『原初の最高神と大和朝廷の元始』(桜楓社)という本を著し、「これら元初の神の信仰は、明らかに記紀編纂時代、和銅養老年中間以前に、我国に存在していたものであるが、これがその後一般大衆の信仰の上に根を張り、枝葉を生ずるに至らなかった理由の重要なものとして、和銅、養老の直後、いわゆる天平時代に仏教の信仰が急速に朝野上下、大衆の間に関心を持たれ、その最高仏の信仰がこれに代わって根を下ろすに至ったことにあるであろうことが看取せられねばならぬ」」
「すなわち我国の上古に、元初の神の信仰が既に存在していたことは、既述のように記紀によって明示せられるところであるが、奈良に東大寺が建立せられ・・・従前の信仰形態に相当の変貌がもたらされたであろうことが察せられなくはないであろう」

この本によると、伊勢神宮の二十年に一度の式年遷宮も古代イスラエルの移動式礼拝所(幕屋)が下敷きにあるという。

いろいろ書かれていますが、丁度取り上げたばかりの元寇のくだりを引きますね。

「元寇。二度に渡ってやってきた。
1274年文永の役のとき、元は遠征軍として兵士三万数千、軍船九百艘の大群を率いてやってきた。十月五日、元軍は対馬を蹂躙し、十月十四日壱岐に侵攻し、十月十八日には博多湾に侵入した。そして十月二十日に本格的な戦闘が行われ、午後には博多の町は焼かれて至る所で黒煙があがっていたという。が日本軍にとって幸いなことに、その夜元軍は不案内な地での野戦を避けるべく兵をまとめて引き揚げた。そしてその夜、大暴風雨が博多湾を襲った。たちまちのうちに元軍は海の藻屑となったのである。

「続いて弘安の役、1281年。元が宋を滅ぼして二年後、こんどはさらにパワーアップし、将兵合わせて14万、軍船はなんと四千四百艘だったという。日本は文永のときとは異なり準備万端にして待ち構えていた。しかし戦いは一進一退。そんな中、またもや七月30日の夜大暴風雨が襲ったのである。元軍はたちまち壊滅、日本軍は残れる兵を掃討するだけであった。」

おおげつひめ:http://www.dai3gen.net/ainu_yu11.htm

さまよえる倭姫:

 

2008年12月27日 (土)

はやぶさ

とつぜん、おもいだしました。
JAに小学校の同級生が勤めていて、その人を仮に北さんとする。
その人の長男とうちの次男は同級生でした。
かささぎは、その子の五年生のときの俳句を忘れない。
こんな句です。

はやぶさが北の空へと飛んでゆく 大樹

なぜ忘れられないのか。
まず、季語のはやぶさ。http://f4.aaa.livedoor.jp/~yanbird/b-hyabusa.html

隼は冬の季語です。連句などではよく使われる鷹匠も冬。
それを心の片隅におき又句を眺めますと、北という方角。
北は時空間が一致する陰暦で、根の方角、子(ね)です。
偶然は、とてもすばらしい。
悠々たる隼の飛翔が時の源への飛翔へ転じる瞬間を、この一句に見るかささぎでありました。

これを突然思い出したのは、料理教室で、その友達の近況を聞いたから。
いまはそうぎ場のトップになっておられるらしい。

シンクロのすごさに打たれるのは、翌日の朝訪ねたブログ「き坊の棲みか」。
最初にめくったページで「はやぶさ」に出会った。

「き坊の近況」の2008年1月4日付日記。http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo.htm#top

▼ 「はやぶさ物語」

すばらしい動画が見れます。
http://spaceinfo.jaxa.jp/hayabusa/movie/story01.html

これは正月にみてください。

2008年12月25日 (木)

守武翁と飛梅   乙四郎語録26

八女戦国百首和歌「夏日侍」をよむ

   
         竹橋乙四郎      

▼ 飛梅の発句ではじまる守武千句

飛梅といえば、書道用半紙に「飛梅」というのがあったような記憶が。今はミミズが這った跡のような(なんて言ったらミミズさんに失礼な)字しか書けないのだが、小学校の頃は、揮毫会で入賞して太宰府天満宮に張り出されたことがあった。その時に使った半紙。
かくも「飛梅」というのは筑紫人には特別の響きを持つ語彙。飛梅といえば天神様。
その飛梅が、俳祖荒木田守武の代表作の冒頭句で登場するとなると、守武と筑紫との結びつきを意識せざるを得ない。
守武千句の中にこんなのが。

そゞろには成もはる/\"太刀はきて
 天神さこそつらきみちのく

とんでも超訳:「みちのく」は青森ではなく、道の苦、あるいは未知の苦。
(本来の落ち着き場所ではないので)心が落ち着かない場所まではるばる七支刀がやってきた。いや、天神様のほうが辛い苦難を負っていらっしゃる。

守武千句 :

http://sasa.org/~sasa/library/moritake/moritakesenku.html
   

守武千句*の末尾句。

もゝだちをとりてこきやうへ帰りきて
 天文九年しぐれふるころ

やはり、守武は天文9年まで長旅に出ていたのでは。
ところで、先述のはるばる旅してきた「太刀」の句。気になります。
他に、太刀を用いた句にこんなのがあります。

きるといふこともいはぬはみやこ人
 旅と太刀とのゆくゑしられず

ヤマト朝廷による虐殺と七支刀の略奪か。伊勢神官は何でも知っている。
こんな句も。鷹が出ました。

鷹が音やあかつきをさしてかへるらん
 はげたる太刀のつぼめ鳴ころ

ほかに謎めいた句。

ぬれ/\も蘇民将来朽やらで
 なみのそこにも家つくる世

「蘇民将来」というのは、日本各地に伝わる説話。
旅の途中でスサノオが宿を乞いた際、裕福な弟は断り、貧しい兄は粗末ながらももてなした。後に弟一族は滅ぼされたというお話。朝廷に逆らった高ピー磐井が滅ぼされたことを、それみたことかと揶揄しているのかも。
とんでも解釈:ところがどっこい、筑紫に来てみたら、磐井の末裔はしぶとく生き残っており、矢部川の底みたいなところに築城しようとしているではないか。

少人のいにしへ今のひとりごと
 いつかほうしのうかび出まし

とんでも超訳:今は、立場上、守武はひとりごとを言うしかないが、いつか宗祇法師みたいな方が語り継いでくれましょうぞ。

* 俳諧独吟守武千句は天文五年に立願、その年の冬には草稿を作り、天文九年、守武68歳の初冬に「飛梅千句」として完成をみる。(年譜より)

かささぎの旗管理人による参照記事

▼ 高橋睦郎著 『百人一句 俳句とは何か』
       中公新書1455
   (後学のため無断引用をなにとぞお許し願います)

落花枝にかへると見れば胡蝶かな  守武

 エズラ・パウンドといえば、T・S・エリオットの長詩『荒地』を三分の二に添削し、アーネスト・ヘミングウェイに小説を書かせてその文体を鍛え、ウィリアム・バトラー・イエーツに能の台本を書かせ、ジェイムズ・ジョイスの大小説『ユリシーズ』執筆を支えたという二十世紀英米文学の大伯楽だが、詩人として彼が標榜したイマジズムのシンボルとして挙げたのが荒木田守武の掲句だった。
 爛漫の桜が散りはじめたさまを眩しい思いで見るともなく見ていると、散ったはずの花びらの一枚が枝に帰っていくではないか。まさかと思ってよく見ると、落花さなかの枝にまさに止まらんとする蝶だった。砕いて読めばこんなところだろうか。
 パウンドがこの句を推奨したもう一つの理由は俳句の五七五という短さにある、と思われる。詩の表現は簡潔であればあるほどよいとしたパウンドのことだから、五七五という短さで詩の定形が成立するという事実は奇蹟に思えたに違いない。パウンドにとって俳句五七五音律は、世界最短にして世界最高の詩だったのだ。
 守武は伊勢神宮内宮(ないくう)の神官を世襲した荒木田氏一門薗田(そのだ)家当主守秀(もりひで)と同門藤波家氏経(うじつね)の女(むすめ)の間に生まれ、父や兄たち(姫野註・守武は九男、但し通説)の死後、晩年になって正四位上、一禰宜(いちのねぎ)長官になった。荒木田家は外宮(げぐう、またとつみやとも言う)の度会(わたらい)氏とともに平安期以降文芸活動で知られ、守武の編んだ『荒木田集』に入った一族の連歌作者は、じつに五十五名を数える。とくにその中でも傑出した氏経を外祖父に、宗祇と同座したこともある守秀を父に持つ守武は、自分の本領を連歌に置いていたようだが、晩年の天文九年(1540)法楽のために完成した『守武千句』によって、宗鑑と並んで俳諧の鼻祖とされる。
 守武の発句、次のとおり。

 とび梅やかろがろしくも神の春
 撫子(なでしこ)や夏野の原の落し種
 かささぎやけふ久かたの雨(あま)の川(がは)
 茶の水に我とふたする氷かな

 天文十八年七十七歳で没。同じく俳諧の鼻祖とされる宗鑑とも交流があったようだが、宗鑑が十数歳以上年長だった

以上で引用おわり。

▽ かささぎのひとりごと

ももだちの一句。
守武450年忌連句大会入賞の副賞に桃の形の置物がありました。
守武は「桃神主」とよばれていた。家号が「薗田桃神主家」、桃が家の印だったから。・・・という注釈があります。ももだちは百太刀ですかね。たくさんの刀、それとも立派な刀?

かささぎの一句。
これは高橋睦郎先生にもお尋ねしたい。この時代もルビはつけたでしょうか。
雨の川と書いて、天の川。
なんのために。
俳句実作者としてのカンですが、実景にみせかけるために。
「久かた」は天にかかる枕ことば、それを久方ぶりの久方に転じ、天の川を雨の川に移している。
まるでかささぎを守武は知っているかのよう。

 

大内氏関連でみつけた落首一首

大内文化について 大内文化コラムより引用

都よりあきなひそうぎ下りけり
    言の葉めせといはぬばかりに

   

2008年11月24日 (月)

どっちが恥ずかしい。

両さんが浸かる菖蒲湯月低し  恭子

俳諧での夏月の句。
が、連衆に聞かれる。
「だれです両さんて」

えっご存じない!
一瞬絶句。
こりゃまたすつれいいたしました。

はあ~たいへんだ。
ドラ総理が踏襲をふしゅうってよんじまったことと、どっちがはずかしいかな?
チラリとおもってしまうかささぎであった。
(かささぎ的思考では、両さんを知らないほう)

比較級の英作文に仕立てよう。

両さんを知らないのと、踏襲を知らないのでは、どっちがより恥でありますか。

Which do you feel more ashamed for ,
unknowing 両さん or having forgotten how to read 踏襲? 

またへんなんだろうな。前置詞かどっかが。笑
まあいいじゃごじゃんせんか。まちがいだらけでもさ。
だって、婦負恥部やめりかん*なんだし。

* ねいちぶやめりかんとは。

純八女産地土人。超いなかもん。
(びくっくりした。漢字変換、ねいが婦負。なんじゃろ)

2008年11月14日 (金)

舐める

おととい、貞永まこと句集が届いた。

ずうっと待っていた句集です。

五分しか時間がない。今日も現場だ。

でも一句ご紹介。

卒業の子を未だ舐めて居たりけり  まこと

まこと句の皮膚感覚。それをもっとも感じる慈愛の一句である。

2008年11月12日 (水)

備中鍬と馬唐黍

季刊 俳句・連句誌 『八千草』48号より

鵙の声備中鍬を深く打つ   有馬朗人
                  俳誌『天為』
主宰                     

 ペン胼胝 

    俳句・連句誌『八千草』主宰 山元志津香

青葦や残生にまだ担うもの
赤貧のあの日ぽろぽろ馬唐黍
刺青のばらの腕美し荒御輿
盛り塩をさけゆくうまさ祭足袋
草いきれ恋に不慣れのあの日かな
人恋へば鬼百合ゆらす渓こだま
毛虫焼くはったりの頬ひりひりと
残月の褪せはじめたり草ひばり

半生のペン胼胝ぬくし白露かな
押す風は返す風なり葛の花    

平成二十年霜月発行  

      (山元志津香主宰は川崎市在住)

鵙の声備中鍬を深く打つ   有馬朗人

備中鍬で畑の硬くなった土塊を壊している。振り下ろすと、地に刺さったままなかなか鍬が抜けぬ。力がなくて、思うように鍬が使えなくなってきた。そこへ空気を裂く様なけたたましい鵙の一声が響き渡る。もうそんな季節か。鵙よ、おまえはまるでおれをあざ笑っているみたいだな。天を仰ぐと、空は深くどこまでも澄み切っている。

備中鍬:

http://www.forest.minokamo.gifu.jp/data_box/dougu/4_08.html

赤貧のあの日ぽろぽろ馬唐黍   山元志津香

馬唐黍(うまとうきび):

検索すれど出ず。戦時中十代の少女だった母に尋ねた。
馬の餌用の大きくてまずい唐黍だったという。馬のたてがみのような毛を沢山つけていたろう。戦中戦後の赤貧洗うがごとき時代を経てきた世代は、飢えをからだで知っている。一句にある哀感が、胸にひたひたと迫ってくる。作者は唐黍を食べている。噛り付かずに指で実を落としながら。すると自然に昔のことが思い出される。ぽろぽろと唐黍がこぼれ、ぽろぽろと涙がこぼれる。作者の感傷を噛んで味わいたい。
ちなみに作者は戦中派ではなく、団塊の世代よりは少し前の世代。かささぎは連句作者の句だなと思います。
同じ頃に、さつまいもにも「沖縄百号」という名の芋があり、それも又大きくてびちょびちょとしてまずかったとは母の言。そんな母の戦時中の記憶を呼びさます句をついでにここにご紹介する。

兄弟の多かりし世のさつまいも   保坂加津夫
              (現代俳句精鋭選集Ⅳ収録)

参考記事

唐黍で検索中、こういう詩を見つけた。

 唐 黍    一葉糸枝

  ロシア兵のくれた唐黍
  一粒ひとつぶが恥辱(ちじょく)
  この恥辱が血となり
  女として転がっている
  そして生きている
  凍(い)てつく空に
  死にたいと洩らせば
  寡黙の間に
  他人になった夫の背が震えている
  この二つの生ける屍(しかばね)の狭間で
  二人の幼児が
  眠りの中で笑っている
  夢でない夢の隅で
  モンペ姿の女が
  ロシア兵の体臭を黍粥に炊いている

http://fieldworks-japan.com/2007/06/18/post_15.html
http://www002.upp.so-net.ne.jp/ayuta/kotoba/kotolog/tokibi.html

あるいは、また連想する。
石橋秀野の句文集『櫻濃く』の随想に、戦争未亡人のあるものたちは「やとな」と呼ばれる酌婦となって生き延びたと。

  

昭和二十一年

 五条キャバレー
石叩ひるの奏楽瀬にこたへ    石橋秀野

2008年10月24日 (金)

無常

歌仙 「孵化も間近か」

     首 平成二十年四月一日
          尾   〃    六月一日

筍のひとつ耶蘇墓また一つ    乙四郎
 くるす野淡きかぎろひの中   恭子
ふらここへもつと高くと声かけて 呆 夢
 公園の道車椅子行く      兼坊
濯ぎもの干さるる先の月の舟   整子
 蝉取り網で海を捕らへる     宙虫

ウラ
白い時壊れた扉こぢ開ける   たから
 こちらへどうぞ主待つ椅子 乙四郎
足枷のごときぬかるみなにぬねの 整子
 レスキュー隊員みんなイケメン ぼん
雪鳴らし獣が月を食ひに来る 虫
  天の体と人の体と  恭
活火山怒れ吐き出せ反抗期 たから
  びつくり水をかける頃合  乙
年賀状とつくに松の内過ぎて   坊
  晴れたる空を連凧がゆく  ぼん
花守の役を負はせて石の馬  整
  肥後街道に太る蜂の巣   虫

ナオ
チヌ釣りが中止になつたと留守電に 
           丸山消挙 
  喫茶店名繰り返し聴き  乙
一眸の荒野を隠す君の肩   恭
  優しくもあり激しくもあり bud
ゆらゆらと音なく影なくカンナ燃ゆ ぼん

    リストの譜面めくる夕凪  虫 
まほろばは楽天的に陽がのぼる 整
  禁煙ガムがやまんないです 恭
香を残す無口な父の文机  たから 
  龍卵震へ孵化も間近か  乙
月明かり電気灯らぬ避難所に 坊
    生者のこゑは野分のやうで 整

ナウ
ハンケチで林檎を磨く家系なり 宙虫
 新酒出揃ひ満ちるぐいのみ  ぼん
亀助け見返りなんぞ当てにせず 乙  
 あれやこれやと忘れるも良し たから 
天に向く花の哀れを言ひし人  挙 
 団子やありて雁帰るとか   坊

    無常

         竹橋 乙四郎

 二〇〇八年五月は数多くの命が失われた月である。五月二日にミャンマーを襲うサイクロンで十四万人、十二日には四川大地震で九万人もの死者・行方不明者が出た。また、ニュースにこそならないものの、地球上ではひと月あたり、結核で三十万人、エイズで二十万人、マラリアで十万人が亡くなっており、人知れず死んでゆく者の何と多いことか。
 日本でも、統計上、五月のひと月で十万人近くの日本人の命が旅立っている。死因は様々であるが、がんで三万人、脳と心臓で三万人、事故で三千人、自殺で二千五百人、他殺で四十人といったところか。報道によると日本では自分で命を断つ人が多い。日常的であるということがニュースになる不思議。

 人がひとり亡くなるということは、その人の未来がなくなるだけではなく、その人の過去もなくなってしまうということである。自分の過去は自分の記憶の中に存在する。嫌な出来事も、自分が忘れてしまったら、その出来事はなかったこととなる。自分の過去を他人が覚えているとしても、人というものは四六時中他人のことを気に掛けているものではないので、恨めしい過去を消し去るには、さっさと忘れるに限る。死ぬのは、自分の過去を消す手段のひとつではあるが、そうまでしなくてもいい。消したい過去だけを忘れればいい。

 災害や事故や他殺で死んでしまうのは無念である。何の準備もなく不本意に過去が消されてしまう。消したくない過去まで消えてしまう。残すべき過去は他人の記憶の中に留め置きたい。作品を通じて、あるいは出会いの縁を太くして、自分の生きてきた証を少しでも残したいと思う。

 人里離れた竹林に隠れキリシタンの墓がある。この方の人生がいかなるものであったのか、皆目わからない。この方を知る人がいなくなるとともに、この方の過去は消えてしまった。きっと壮絶な人生だったろう。夥しい数の過去がこの地球の地殻に埋め込まれてきた。過去はやがて未来へと転ずるのであれば、殻の下では未来が蠢き、孵化する日を待っているはずである。

  連句誌 「れぎおん」 63号 2008・10月 秋号

      編集発行・兵庫県神戸市
             前田圭衛子

2008年10月21日 (火)

玄奘幻想

  玄奘幻想

         前川 弘明

沙羅の花玄奘三蔵屈伸す
僧衣繕うおぼつかなくて蝶の昼
僧玄奘泉に落ちて目覚めけり
僧玄奘渋柿三個袖に入れ
玄奘法師石榴をもいで食らいけり
牛の背に揺れ玄奘と石榴籠
西日中流沙原ゆく蟲のように
牛を追い帰る少年雁わたる
葡萄汁喉に尊き読経かな
オアシスに僧衣を干して昼寝して
渉る河にごりにごりて木の葉髪
澄む水に僧衣濯げば母想う
寒月下渓流の魚歯で砕き
僧にも雪崑崙山脈哭くごとし
桃の実に頬ずりをして眠るべし

  沙羅の花 

ある日ふと、何の脈絡もなく玄奘三蔵のことを想った。
はるばる河を渉り砂漠を歩き山を越え、ひたすら歩く法師の姿を想った。
僧衣はよごれ、足は埃に破れ、血がにじんだであろうが、瞳は美しく輝いていたにちがいない。
その姿を想い、すなわち十五句。

    俳句誌「拓」第23号より引用

上記の俳句を読んだ日、ぐうぜん、新聞で「アフガン・バーミヤン大仏」「釈迦仏示す供養品」「修復中に発見 玄奘の記述裏づけ」 の見出しの記事を読みました。引用しておきます。以下、西日本新聞記事。

七世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵は著書『大唐西域記』で東大仏を「釈迦仏」 と記述したが、破壊前から損傷が激しく仏像の種類がはっきりしなかった。
専門家や仏陀の伝記など仏伝によると獅子は釈迦を表し、馬は釈迦の誕生を象徴するとされ、釈迦仏と裏付けられた。
供養品の解析が進めば、謎が多い大仏建立の経緯解明につながる第一級の成果になりそうだ。
東大仏の修復作業に当たる国連教育科学文化機関ユネスコの協力機関、国際記念物遺跡会議イコモス ドイツ調査隊の修復専門家プラクセンタラー氏が見つけた。
麻袋は長さ、幅ともに約五センチ。東大仏で、前に突き出していたとみられる右ひじの骨組みとなる木材を差し込んだ穴の奥で見つかった。小石と泥で目張りされた直径、深さともに約十センチの穴の中に、麻袋と香とみられる乾燥した植物があった。
麻袋の泥の封印は二箇所で、いずれも直径約一センチ。連珠の文様で獅子と馬らしい模様を囲んであった。
イコモス専門調査員でミュンヘン工科大のエミリング教授は「麻袋は胎内に納めるため、大仏建立を祝ってインドから贈られたものだろう」 と指摘。袋の中身の確認は封印の綿密な調査を終えてから行う予定。香木や動物の骨などが入っている可能性があるという。
同調査隊は2006年にも東大仏で、土砂の回収作業中に、建立当初6-7世紀の文字で書かれた胎内経とみられる経典の一部を発見している。

かささぎ解説:

上記文中に何度も出てくる「東大仏」ってのが、わかりません。
なんだか奈良の東大寺の仏像か?みたいに思ってしまう。そうじゃなく、アフガニスタンの首都カブールの西の山岳地帯の仏教遺跡がバーミヤンで、そこの世界遺産だった東西二体の大仏をタリバン政権が破壊した、その、東の大仏をさすようです。東大仏、高さ38メートルの右腕から、6世紀ころの大仏建立時に供養品として埋葬された麻袋が見つかった、というニュースでした。

前川弘明の連作、生きている玄奘が目の前にうかぶ。
これに「玄奘の恋」を書き加え、玄奘を実在させたい。
いつか、書こう。

玄奘の恋の行方や風浪や     かささぎ

2008年10月17日 (金)

消挙居士

いまごろ、連句会欠席の返信。

丸山消挙居士。
以下、その作品。

4字熟語はその日に思いついたのをメモして、結構な数になりました(駄作がほとんどですが)。
今日のできはどげなもんですやろか?
一心一体・・・心と体は一つのもの
一心孵卵・・・親の心は一心不乱
一責二懲・・・一罰百戒みたいなもん

四文字熟語で説教をくらうとは・・。
返すことばもない。

んが、ひとつだけ。

あんたは修身の先生か!

でも、これまでのなかで、いちばんよくできてるなあ。
敵にあたえるダメージ度、99㌫。

あと1㌫で、ふむばる、もちこたえる。
こののこり1㌫にあるものは。

2008年10月16日 (木)

拓人よ、連句に来たれ

 俳句誌 『拓』 第22号特別作品評

 ― 木村宜子「ときめき」 恋の座の復権 ―

 曲がる川ときめき欲しき黒揚羽   宜子
 夕映えに川面のきらら恋かしら    〃
 春尽きてゆらぐ灯明炎えたたす     〃
 蝶になる途中の窓や騙し絵や     〃
 翅わって天道虫もわたしもとぶの   〃
 透けてゆく時間の色に春ショール   〃

木村宜子(きむら・たかこ)。黒揚羽のようなひとだった。シニョンに結った黒髪が印象的な、しっとりとした風情の色気のある女性。
前川弘明編集長から特別作品評を書けと有難い指令を戴く。
「ときめき」と題された十二句の作品を眺めて、風水集の作品を眺める。それら十九句に淡々と浮きあがる景色は、妙齢の女性の薄紫の抒情である。暮春の日が没る間際に放つ一瞬の光芒。天道虫となって旅立つ日まで、まだ間がある。
「一片の鱗」と題した文章に、橋本多佳子や三橋鷹女の名を挙げて、一句を書くときの感慨を素直に綴っておられる。だが、その先人二人と比してみれば、印象は淡く控え目だ。

 蛍籠昏ければ揺り炎えたたす    多佳子
 春尽きてゆらぐ灯明炎えたたす   宜子

ニ句とも、うたう心は同じものをうたっているが、情念の起ち上がり方が、ホタルは生身である分、灯明に勝る。それでも橋本多佳子に一石を投じるような句を書いた宜子は、これが自分の詠み方だと小さな声で宣言しているのである。

 曲がる川ときめき欲しき黒揚羽    宜子

ごく平凡な人妻のごく真っ当な不倫願望。うっかり見過ごしてしまいそうである。が、この歌に私は立止る。この景に心ひかれる。なぜなら、余りにも慎ましげだからだ。

大曲(おおわだ)の川を眼下にし、女が夕暮れに立っている。
そこで川は身をくねらせ、大きく蛇行して遥か向うの地平へと溶け込む。川の傍にはセンダンの木があり、かすかによい香りがする。花が咲いているのだろう。その香をかげば、忘れていた想いが胸にあふれる。人を恋い初めたころの切ない想い。誰かを恋うている訳ではない。けれども今ここにないものへ、心は揺れたがる。もの狂おしい情感がたゆたう。
川は曲がる。自らの中に流れる水量の奔りに堪え切れず。
川は走る。奔流となって流れる水が出口を探しているから。
女は川である。川である限り、曲がるときめきを求める。

 春尽きてゆらぐ灯明炎たたす  木村宜子
 灯や明し独り浴後の枇杷剥けば 石川桂郎
 船室の明るさに枇杷の種のこす 横山白虹
 枇杷を吸ふをとめまぶしき顔をする 橋本多佳子

 聖五月涙の痕などぬぐうまい   木村宜子
 葦切や未来永劫ここは沼     三橋鷹女

 透けてゆく時間の色に春ショール  木村宜子
 蜻蛉の夢や幾度杭の先       夏目漱石
 生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣  橋本多佳子

 往きに帰りに薔薇の言葉に歩み寄る 木村宜子
 ひと来りひと去り竹の皮落つる   長谷川素逝
 老いしとおもふ老いじと思ふ緋のカンナ 三橋鷹女

 つばめツバメこころ澄む日の朝の空   木村宜子
 紫陽花に秋冷いたる信濃かな    杉田久女

連句的にどこか響き合う句たちを拾ってきた。
三橋も橋本も杉田久女に似て焦点のしぼり方に光がある。

俳句を読んでいて、恋の句に出遇うことは滅多にない。大方は年寄りくさい人生の感興を詠んでいたり、戦争の回想句や、季語をすげ替えたとて何ら差し障りはないような句ばかりが並んでいる。そういうものばかりで人は出来てない。ここに虚構の立ち上がる余地がある。新古今集の値打である。
私は木村宜子氏を連句に引き込めばどうなろうという誘惑に駆られている。なぜならば、「ときめき」は、恋の座におくべき作品だからである。連句こと俳諧の連歌は、恋と月と花を最大の魅せ場として展開してゆく。その点では、連句は俳句よりむしろ和歌に近い感覚が要求されるといえよう。和歌のはじまりが相聞にあったことを思えば、恋の座はゆるがない。一巻の花も花、花の座以上の魅せ場が恋だから。

堂々と恋句が詠めることは、何としてもすてきである。
枯れきってしまっては、大阿蘇の野焼で焼かれるだけだ。
拓人よ、連句に来たれ。光の中であらゆる恋を詠もう。

連句はこれからの世界を救う、「老の文藝」である。

木村宜子評が、どこでどう曲がってしまったか、連句の応援演説になってしまった事をお詫びして筆を措く。

  長崎市前川弘明編集発行『拓』23号より引用
        平成20・10・1発行

 

2008年10月14日 (火)

思草

思草

                  (鉢植えのおもいぐさ・堺屋)

貞永まこと七回忌追善歌仙興行

   歌仙『ななたびの』の巻

               捌・ 前田圭衛子

               平成二十年十月十二日
                於・八女市堺屋

ななたびの思惟のかたちや後の月  前田圭衛子
  まことの人を偲ぶ菊の香       姫野恭子
鉄塔を行くかりがねの棹なして     内田 美子
  そぞろに寒し裏のくぐり戸      沢 都
海苔玉子納豆古漬嬰(やや)が泣く  前田亜弥
  冬構へする里の山々        山本伽具耶

虫残る藁葺屋根の大庄屋       恭
  障子の穴よりみえるふらんす   木戸葉三
絹糸はもつれしままに放置せよ   山下整子
  水無川(みずなしがわ)ををんなで渡る 中山宙虫
捨てられて六百光年一夜鳥(ひとよどり) 東妙寺らん
  青簾なる初めての風        天野おとめ
月光に取り残されし浮輪あり     古賀 音彦
  骨あげ給ふ観音の指        天 真実
磯庭園船を動かす薩摩爺       八山呆夢
  笑ふ声にも福宿ります         〃
自販機に花の雨買ふ水を買ふ    整
  猫の肉丘ぷよぷよと春       らん

その頃はいっせいに母黄砂して    葉
  日畝に続くいっぽんの道       恭
俳諧のミッシングリンクはるかなり   整
  好きでもないし嫌ひでもなし   おとめ
寝転んで定紋ぶりの口説きとは    らん
  生まれ変はりて国愛すべし     葉
二枚舌三枚舌ありマントヒヒ      整
  天神さまの橋に雪積む       夢
産直の豆の湯葉にて屠蘇を酌み   真
  海の色ある都市計画課       虫
役満の人が購ふ望の月         恭
  頭痛腹痛歯痛落鮎         音

エピグラムさみしさみしと霜が降り   整
  梁に下がるは墨の縄にて      夢
粋に持つショートホープのけぶるとも  真実
  霞のなかに写真師が立つ       おとめ
散る花の真下でひらく相関図     虫
  大地を包む労働の歌        らん

「我らの仲間 貞永まこと氏を偲びつつ、無事満尾できましたことを心から御礼申し上げます。ありがとうございました。またいつの日か御拝眉を期して ー 前田圭衛子」

捌  

   前田圭衛子師
    俳諧師
   兵庫県神戸市在住

   『連句誌れぎおん』(季刊、現在62号)編集発行

連衆

   内田美子(連句人 神戸市在住)
      前田亜弥(西鶴研究家、連句人 神戸市在住)

   木戸葉三 (俳人 山口県在住)
   中山宙虫 (俳人 熊本県在住)
   古賀音彦 (歌人 福岡県在住)

   天野おとめ (連句人 八女市在住)
   天 真実   (連句人  同上)
   沢  都   (連句人   同上)
   山本伽具耶 (連句人  山口県在住)
   
山下整子  (歌人 八女郡在住)
   八山呆夢  (俳人 久留米市在住)
   東妙寺らん (俳人 八女市在住)
   姫野恭子  (ブロガー  八女市在住)

参照
  ミッシングリンク:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF

   

2008年10月10日 (金)

わがまま、連句的。

思い出二つ。

ひとつ。
中学三年の時。卒業記念のコメントを編集する係だった。
友が「さよならの言葉は出発(たびだち)の言葉」と書いていた。それを私は「さよならは出発の言葉」と一直してしまった。友は怒った。当然です。ハッとして反省、ポキッと折れたかささぎは、自分の残すことばに偏屈な字で「独立」と書いた。

ふたつめ。
初就職でつまづき、二年もしないうちにやめて八女に帰り、役場に臨時職員として勤めた。ある日上司の係長から、これを清書しておくように。と渡された書類の、文章の中の一行が流れず、勝手に手をいれた。横着にもほどがありますよね今想うと。パートの分際でこのやろう・・と彼はおもったはずだ。

とうぜん、係長は怒るわけです。ふだん冗談ばかりを言ってる人でしたので、眉を少し挙げる程度の平静なしかしあったまにきてるのが見える怒り方。それまですかれてたのがこれを境にぶちっときらわれた。そこをしのいだ。

まだ残っているところをみると、二つとも、苦い思い出だったのだ。

1、http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_6dc5.html

2、http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_d404.html

3、http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-bbe9.html

2008年10月 8日 (水)

善根宿

先日、『平成連句抄  月と花と恋と』(三省堂)から、花の句のいくつかをご紹介しました。

そのとき、次の句の善根宿が気になって(といいますのは、知らない言葉だったからです。かささぎの語彙は多いほうだと想いますが、知らないものは知りません)、これは意味からいっても「全根」の誤植ではなかろうか。と思い、自分で勝手に善根を全根に変えてみたりしました。

花一樹善根宿を蔽ひゐて    石田 京

知らないことばはどんな宝石よりも魅力的ななぞ、気になりだしたら頭から離れなくなります。

ちょうど、東京のほとけぶちさん(同著編集者の1人)に用事があり、ついでにその件を確かめてみたところ、「善根宿」で誤植ではない。とのこと。
へえー。そうだったのか!ではこの句は釈教句に分類されるんだなあ。

私のイメージはさくらの大樹の根が宿の下を隈なく蔽っている、その根が心眼にありありとレントゲン写真みたいに顕現するというものでした。だから、一本の樹の全根だと思ったわけです。

さらに、だめだしのように、けさ、トイレに置いているサンカの本*(著者のかたには大変失礼します)のぱっと開いたページに、この「善根宿」が出ているではありませんか!

なあんだ。ふつうにあるんだなあ。私が無知だっただけか。と思いました。一つ賢くなりました。↓(しかも、これ季語だわ)

国語辞書との一致 (1~1件目 / 1件) 検索辞書:大辞泉 提供:JapanKnowledge

  1. ぜんこん‐やど【善根宿】別ウィンドウで表示
    修行僧や遍路、貧しい旅人などを無料で宿泊させる宿。宿泊させることは、自ら巡礼を行うのと同じ功徳があるとされた。《 春》

* 『幻の漂泊民・サンカ』 沖浦和光・著(文藝春秋)の
     第二章 柳田國男のサンカ民俗誌 の
     広瀬寿太郎のサンカ情報  のところです。
     103ページ。
「彼らは、木賃宿や善根宿に泊って・・・」
 

(この本で、魚のギギともあいました。吉野川です。)
    

2008年9月30日 (火)

アンティーク歌仙、満尾。

歌仙 『むらたまの樞』

コンビニで本買はさるる梅雨の底   恭子
  賞味期限の長き紫陽花     兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ   千晴
良宵の雲流れつき山の里      都 
  循環バス*を降りるこほろぎ   宙虫

裏  

ハロウィンの仮装のままに整体師  かぐや
   バカボンママを理想の女と   恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず ぼん
   仕舞ひ忘れしむらたまの樞(くる)* 
 
東京を北京に重ね齢かさね    乙四郎
   汚染されたる雪が降りしく   坊
温室は破裂した月光(かげ)でいつぱい  朝世
   急ぐ余りに靴を片方     ぼん
妻子なきおじさんの買ふメロンパン  晴
      誰にもらひし匂袋よ        さくら
いたづらに移らせまいぞ花の色     乙  
   烏が鳴いて帰る出替り       晴

名残表    

春耕の島は真水の音がする  虫
   よかったですね、ところでなにが 整

熱弁の講演終はりぐったりと   兼
     参拝客のつづく杉並  さくら
外宮(とつみや)に
大宜都比売の祀られて  恭
  蜂の巣退治屋根裏を焼く   呆
潮風の波間に浮かぶハンモック   乙
  スプモーニから泡は生まれる  整
緋縅の裏までみせてのぼりつめ  虫
  戦場の空見送りし恋   さくら

月光のやはらかくして望の夜   千晴
  ネコが会議をひらくうそ寒    らん

名残裏

つゆ草に涙があるとうたふ友   ぼん
 空に掛かれる梯子は消えた  せいこ
少年の夢に降り込む午後の雨  そらん
 we are living on this earth  おつしろう 

アンティーク花と気息を合はせつつ    さくら    
 寝殿造り曲水の庭       兼

2008  6.26~9.30

*循環バス・・福祉政策の一環として町や市が独自に運営するもの。
*むらたまの

 むらたまの樞(くる)に釘さしかためとし
   
妹がこゝり(心)は動(あよ)くなめかも
           
        万葉集 刑部志加麻呂(をさかべのしかまろ)

 かささぎ意訳

 群玉のくる(男女の魂の緒の結び目)に釘をさし 
ほどけぬように
 固い契りを交し合った妻の 
 その貞操がどうかゆるがずにあるように。

2008年9月29日 (月)

黙契の文学

連句会亜の会は主宰を持たない。
前田圭衛子師が起こされた会で、命名も前田先生です。
でも、会則を決めてだれが会計をやって式目はこうで・・というようなことは一切やっていない。その暇もない。会員はすべてを自分で吸収しなければならない。俳諧は自得の文芸、そして黙契の文芸だと思うから。出入りは自由、座に出たいときに出たい人がでればよいので、お金も一切かからない。(座でやるとき、弁当代と場所代をみんなで割り勘するだけです。)

作品の扱いですが、。ここで時間切れ。会社に行ってくる。

2008年9月28日 (日)

俳諧での花

歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底   恭子
  賞味期限の長き紫陽花     兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ   千晴
良宵の雲流れつき山の里      都 
  循環バスを降りるこほろぎ   宙虫

裏  

ハロウィンの仮装のままに整体師  かぐや
   バカボンママを理想の女と   恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず ぼん
   仕舞ひ忘れしむらたまの樞(くる) 
 
東京を北京に重ね齢かさね    乙四郎
   汚染されたる雪が降りしく   坊
温室は破裂した月光(かげ)でいつぱい  朝世
   急ぐ余りに靴を片方     ぼん
妻子なきおじさんの買ふメロンパン  晴
      誰にもらひし匂袋よ        さくら
いたづらに移らせまいぞ花の色     乙  しおりの花
   烏が鳴いて帰る出替り       晴

名残表    

春耕の島は真水の音がする  虫
   よかったですね、ところでなにが 整

熱弁の講演終はりぐったりと   兼
     参拝客のつづく杉並  さくら
外宮(とつみや)に
大宜都比売の祀られて  恭
  蜂の巣退治屋根裏を焼く   呆
潮風の波間に浮かぶハンモック   乙
  スプモーニから泡は生まれる  整
緋縅の裏までみせてのぼりつめ  虫
  戦場の空見送りし恋   さくら

月光のやはらかくして望の夜   千晴
  ネコが会議をひらくうそ寒    らん

名残裏

つゆ草に涙があるとうたふ友   ぼん
 空に掛かれる梯子は消えた  せいこ
少年の夢に降り込む午後の雨  そらん
 we are living on this earth  おつしろう 
  花          さくら         においの花
  揚句              坊

花は歌仙で二つの定座がありますがイメージは桜、春の花です。
秋の花や夏の花、冬の花がこの位置に来ることはない。
私には現代俳句をかじってた期間が三年ありましたが、当時はまるきり季語をわかっていなかった。連句に出合ってはじめて季語とは何か、一から教えられた。同時に俳諧での「花」は普通の花ではない特別のものだということも。ふつうに俳句をしているだけでは、きっと何にもわからなかっただろう。俳諧を学ぶとものが時空軸のなかで垂直にみえてくるし、全体を視野に入れつつ細部へと接近できる。

所で。さくらさんは秋の花をだされました。
彼岸花。コスモス!!

まるで石橋秀野からよびかけられたような気がした。
忘れようとしたけど胸の奥で気になっていた。
九月二十六日が秀野忌で、例年ワンカップの月(安価な酒。名前と、ぶらないところが秀野に合っている)とコスモスやくじゃく草を抱いて墓参りをしていた。参道口には白のまんじゅしゃげが咲いた。ことしは文化講演会のあった15日にふと思いついて東妙寺らんと参拝した。早かったですね、彼岸花。ずうっと蒸し暑くて。

金曜くらいからようやく涼しい風が吹き始めました。

昭和16年
濹堤

櫻濃くジンタかするヽ夜空あり   石橋秀野

『櫻濃く』 この句集名。
福島町の堺屋の前にあった石橋秀野櫻濃く資料館で館長(平井朋吉氏)の娘さんから大事な原本コピーをお借りして、スーパーサニーのコピー機で複写を取らせてもらった日のことが、懐かしく思い出される。複写しながら、なぜかなみだがぽろぽろこぼれた。あのころはまだ42歳、下の子が五歳だった。もう十一年もたつのか・・と感慨深い。四年間も必死で書いたので、まちがいごとそっくり自分にはとても大事なもので、だから書き直すことができないのかもしれない。

2008年9月26日 (金)

花の座

あかつきの音せぬ時を花に聴く   玖實子

いずこより落花しきりの荒磯海    苗

海に向く低床電車花吹雪        孤太

いちまいの沼の記憶に花祀る      さかえ

億年の地層に抱かれ花の昼      於玉

花影婆娑と何かが渕をさして落ち     道

片岡に咲き残る花真向かいに     孤太

花の塵名刺で掬ふものぐさよ    健悟

管滑る臍帯血よ花燦燦         弓子

花一樹善根宿を蔽ひゐて        京

きらきらと瞳が燃えて花篝     魚乙

雲ひとつ河合瀬(かそせ)の花を尋ねけり  真紀

原発の是是非非よそに花筏    千加良

花便り母は達者でおはすらし    杏花

小窓より花の散り込む夕支度   富久女

小錦のダンスしきりに花散らす    あや

重箱の沢庵に花散りかかり    麦人

三頫図(さんちょうず)掲げ俳諧花の庵(いお)   良子

健やかに物を忘れて花の下(もと)  素之

刹那とは美の単位なれ花吹雪    将義

全身をピンクに染めし花の屑     直道

戦闘機乗りの過去持つ花守に   漠

物流を支える町の花の道      せう子

谷汲(たにぐみ)の花の盛りに間に合ふて  道

啖呵売たこ焼き売りも花の下     譲介

二町歩の花一斉に咀嚼音      恭子

花盈ちぬ良晨美景惜しまばや   玖實子

蝶か花か白い手紙がふうはりと    小箔

花おぼろ君もおぼろになってゆく   朱美子

魄求めひたすらに掘る花の下(もと)  蓉子

夕づきて花のうつろい段蔓     貴夫

花の夜悪妻たりし母負ひて       蓼艸

花宿りしてます白湯を吹いてます   丹

花の夜は花と他人の母ばかり    圭衛子

花守は林の如く徐(しず)かなり    漠

花に寝ん一畳あをき表がへ    芭蕉  

花に符を切る坊の酒蔵       芭蕉

花をふんですゞめは千の歩行(かち)の衆   芭蕉

はな咲ば又来てのぼる塚の上   芭蕉

暮なんとして花の香のたゞならず  蕪村

文机の花打払ふ維摩経     蕪村

餅好の大名通る花の山   蕪村

つつがなく花さきしまふ暮の月  一茶

花の木に火の用心の札はりて   一茶

青畳寝て見る花を植にけり   一茶*

* 寝るの字は旧字

『月と花と恋と』 (三省堂) より

参照:

谷汲(岐阜の地名)

http://www.ne.jp/asahi/greentea/nanisore/Waomoi/tanigumi.html

2008年9月25日 (木)

花の句

  

木造の郵便局の桜かな     小森清次

花にきてなつかしく手を開きけり  吉田 渭城

連句ではなく俳句。
新潟の俳人小森さんの花のなつかしさ。
大阪の俳人吉田さんの花のなつかしさ。

かささぎはこういう句にひかれる。かたづいた句。

2008年9月22日 (月)

シンクロ

mag・pie[ mpi ]
magpie」を新グローバル英和辞典でも検索する


[名]

1 《鳥》カササギ

chatter like a magpie
(カササギのように)ぺちゃくちゃしゃべりまくる.

2 ((略式))おしゃべりな人;がらくた[つまらない物]を集める人.

3 ((英))(標的の)外から二番目の圏;そこに命中した弾丸.

[ プログレッシブ英和中辞典 提供:JapanKnowledge ]

連句会亜の会

あ【亜〔亞〕】
」を大辞林でも検索する

[音](漢) [訓]つぐ

上位や主たるものに次ぐ。次位の。準ずる。「亜将亜聖亜流亜熱帯

化合物中で酸化の程度の低いものを表す語。「亜硝酸亜硫酸

生物学で、生物分類上の基本単位である門・綱・目・科・属・種などの、それぞれの下位単位を表す語。「亜種亜門

アジア。「欧亜東亜

(「堊(あ)」の代用字)白い土。「白亜

[名のり]つぎ

[難読]亜細亜(アジア)・亜米利加(アメリカ)・亜刺比亜(アラビア)・亜爾然丁(アルゼンチン)

[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

2008年9月19日 (金)

おのだのことば

きのうの夜、おのだの吐いたひとことが、胸にしみた。

「添乳」なら私の名前を冠するのを拒否します。

かささぎは斧田の月光の句を、こう変えようとした。

十六夜のやはらかくなるまで添乳(そえぢ)

添乳とは赤ん坊が眠るまで寝ながら授乳することである。
前句を受けつつ、恋であり恋離れであり。

わたしはいつも感じていた。
おんなをいきるということは、ひとりのこされることだと。
おとこがいきていようが、しんでいようが、とりのこされる。
恋心はいつもおいてけぼりをくう。

だが、子をなした時点でその立場は微妙に回転する。
その刹那をいつか句にできたら・・とおもっていた。

2008年9月18日 (木)

月の座で恋離れで。

歌仙 『コンビニで』

なごりおもて

春耕の島は真水の音がする  虫
   よかったですね、ところでなにが 整

熱弁の講演終はりぐったりと   兼
     参拝客のつづく杉並  さくら
外宮(とつみや)に
大宜都比売の祀られて  恭
  蜂の巣退治屋根裏を焼く   呆
潮風の波間に浮かぶハンモック   乙
  スプモーニから泡は生まれる  整
緋縅の裏までみせてのぼりつめ  虫
  戦場の空見送りし恋   さくら

付案  (斧田千晴)

中秋の名月彼は誰と見し

2見上げては独りため息秋の月

3月光のやわらかくして秋の夜

※これまでに出た月の座

表五句目、秋の月(下線部は季語)

良宵の雲流れつき山の里      都 

裏七句目、冬の月

温室は破裂した月光(かげ)でいつぱい  朝世

名残表十一句目、秋の月

月光のやはらかくして秋の夜   千晴

月の座は三個ありますので、それぞれ趣を変えて詠むという鉄則があります。
月の言い方はさまざまにあり、同じ表現を避けます。

朝世さんの月光は季語としては扱われず温室という季語が優先される。
千晴さんの月光句はふたつの季語で屋上屋をかさねているきらいはありますが、でも却って素朴でやさしいかんじを受けました。
月光も月も秋、夜のものだからです。
とくに断わらぬ限り、月は秋、そして夜。
日本人の季語という概念は、そのものが最も美しいとき愛でるべきときを持つという「旬の思想」なのだと把握しています。

一直がきれいにきまる前田師はもとより別格です。
選句はやはらかい月、これ以外にありえない。
季語の重複と、読みは違えどあさよさんのところで出ている月光が気になる。
しかし。このままいこう。ただ秋は望のとかえたい。

月光のやはらかくして望の夜

緋縅の裏までみせてのぼりつめ  虫
  戦場の空見送りし恋   さくら
月光のやはらかくして望の夜  千晴

さくらさんの句ですが、月とべたつきにならぬよう「空」が入ってないほうが・・と思ってかえたのですが、元句にもどします。余情が深くなるようです。

千晴さん。ありがとうございました。いそがしいのに、出してくださってありがとう。

ほんじゃ、次はどなたに。秋の句です。
あ、そうだ!今朝韓国へ旅立った(台風でもひこーきはとんだ)東妙寺らんが送ってきた句をつけよう。独身きぞくはいいなあ。とおもって、こころで見送りました。空港から送ってきた句です。

ねこの会議の句!これとっても幻想的で気分がなごみます。

なごりおもて

春耕の島は真水の音がする  虫
   よかったですね、ところでなにが 整

熱弁の講演終はりぐったりと   兼
     参拝客のつづく杉並  さくら
外宮(とつみや)に
大宜都比売の祀られて  恭
  蜂の巣退治屋根裏を焼く   呆
潮風の波間に浮かぶハンモック   乙
  スプモーニから泡は生まれる  整
緋縅の裏までみせてのぼりつめ  虫
  戦場の空見送りし恋   さくら
月光のやはらかくして望の夜 千晴
  ネコが会議をひらくうそ寒   らん

名残裏

1 晩秋、長句。ぼん。

2  せいこさん、まだだめかな?

4  

5 花。さくらさん。

6  

じゃ、つぎ、ほんとはセイコさんだけど、パソコン壊れてるみたいだし、ぼん

お願いします。

人の句でも人のでない景色だけの客観写生句でもご自由に。物語はもういらない。

寝刃研ぐ

雪激し胸に月下の寝刃研ぐ   小原洋一
チエホフよ撃鉄(フリント)起こせ二月満月*  〃

刀師は仕上げに刀を北枕で一晩寝かすという。
地上に北向きに流れる霊脈の流れがあり、

刀の柾目をそれに合わせるかのように。

と言う安西均の詩を引用したいが、今、ない。

寝刃(ねたば)=a dull blade

*の句は私の記憶、完全ではないかもしれない。原本がない。
ただ、記憶にもはっきりルビがふられていた。撃鉄に、フリントと。

撃鉄=flint

2008年9月17日 (水)

俳諧研究誌『解纜』第21号より

句詩付合

         徳岡 久生

とんぼうや声なきものゝさはがしく*    大魯

   空に逝き
   地に果て
   海に朽ち
   おお 数知れぬ未祀の神々よ
   八月の真陽にかぎろい
   轟々と無音のうたをうたいたまえ

   この星に禍つ火の絶ゆる時まで 

*とんばうはとんぼうと表記されてます。岩戸山古墳を向井去来が詠んだ一句「稲妻や人形原の魂よばい」もよばひにはなっていなかったことを連想、原本もこうなんだろうとおもいます。
   

小原洋一氏追悼歌仙

   『つばくろは』  

          独吟   佛渕 健悟

つばくろは飛ばず五月の寒さかな     健悟
  青葉の街に毀たるる風
ドラム叩く黒縁眼鏡の男ゐて
  弥次郎兵衛に首を振らせる
有明を約して発ちし複葉機
  朝顔の種入れし封筒

泣き虫を笑はせてから銭湯に
  神田川には錦鯉群れ
紙で指切っていつものお呪ひ
  乾燥注意報に急く人
パソコンの中で育ってゐるティラノ
  雹のつぶつぶ拾はせる月
夏風邪に又わがままがぶり返し
  女優の未来猿が占ふ
葦舟においてけぼりの掛時計
  みどりごの夢水に溶けだす
花の降る虚をみてゐるモヂリアニ
  厨の声の朧おぼろに

名残の折

囀の消ゆる一瞬射合抜
  失くした腕の先の記憶も
巡礼に出る日に残すクレヨン画
  まなうらにある父ちゃんのポー
回らない寿司を食はせて呉れといふ
  みそかの雪のふはりふはりと
この人のために断ち切る血の系譜
  おぶふ男は丸太なりけり
大いなる意志もて進む宇宙船
  兎が消えた月の裏側
付句してゐて閉店のビアホール
  ピースと決めたタバコ変はらず

寝転んでみても霊峰不二の山
  泪穴てふものが背中に
ウォーキングシューズを結ぶ立夏なり
  暦につけた○は何の日
たはむれに隠るる君と花ふぶき
  喇叭を立ててありし弥生野

 

 留書    
           沸渕健悟

小原さんと会っていた三軒茶屋「馬仙坊」ではよく飲み連句した。酒がまずくなるような小うるさいことは言わない。とはいっても端折れぬことは端折らぬ。連句しながら飲むといくらでも入ってしまうのは頭の芯が冴えてしまうからだろうか。お蔭で小原さんは立派な痛風持ちとなり、僕も追随した。

思い出す光景がある。
解纜の例会に向かっていたある夏の日、炎天下杖つきながら泳ぐように踊るように神田川にかかる橋を渡ってくる人影を誰ならんと見れば、小原さん。大汗かいて追い付いて言う。「この絵は一句できるだろう。健悟さん」

三軒茶屋で居酒屋連句をするようになったのは詩人の故安西均氏を紹介されてから。三人の連句は三年程続いた。安西氏の詩集『銃と刃物』(花神社)の口絵に着物姿の安西氏が真剣を構えている写真がある。この大真面目な写真は居合・杖術をやる小原さんの振付である。安西氏の連句は全集には取り上げられてない。しかし三人の見たエルドラドへの道は今なお鮮明だ。

安西氏の一周忌(平成7年)に「馬仙坊」で両吟した時の小原さんの一句。

雪激し胸に月下の寝刃研ぐ   洋一

小原さんが亡くなったことを聞かされた五月十四日、仕事帰りの電車の中で追悼の独吟をした。あの愚かな懐かしい時代の一齣一齣が溢れでた。後は淋しい独り酒である。

小原洋一さん追悼   

       かささぎの旗 管理人

小原さんとの出会いがあった。
十年、いやもっと前。
そのころのかささぎは、今と同じように、いつもきょろきょろとして、ひもじいはらを満たそうとしていた。戸畑の穴井太師の天籟通信に三年ほどいたけれど、風穴は大きく育つばかり。そんなとき、天籟の若手(当時)がごそっと一揆かとおもうばかりの退会をした。十人くらい。あれ。あれれ。あのひとたちがいたから楽しかったのに・・と思ったかささぎは、義理もへったくれもなく追随した。早い話が会をやめたのである。

その中の太田鉄雄さんという俳人にファンレターを送ったところ、太田さんは「俳句ざうるす」(編集発行人は野間幸恵氏)という小さな同人誌を送ってくださった。そこに感想文を寄せるうち、仲間にとりこまれる。ここでかささぎは連句と運命的な出会いをしたのである。同人の若い人たちにまじって、なぜか一人だけロージンだった窪田薫師がいらっしゃったからだ。だけど、その話はここでは省く。

その何号かで、小原洋一氏が登場された。颯爽と。というよか、重かったなあ。智恵保父。じゃなかった。

チエホフよ撃鉄起こせ二月満月(記憶です)
     
確認したくても俳句ざうるすを紛失しました。  

記憶がはっきりでませんすみません。確かこんな字余りのブルースみたいな句でした。私は一読後、なぜかすぐ安西均先生を連想した。

そのころちょうど新聞の投稿詩の担当が安西先生で、私がもっとも熱心に書いてたころだった。どういう縁で俳句ざうるすに投稿なさってたのかなと今、思う。ここに健悟さんが書かれている「銃と刃物」は私も持っている。小原さんの名前が出てくるのでたいそう驚いた。

ほとけぶちさんとはその後れぎおんを通じて、前田先生の組まれたユニットで何度か連句をまかせていただいた。三度のめしより連句が好きという人種のひとりであられた。(と言ったら前田師がそりゃ飯のほうが大事と訂正されたが)。

小原洋一さん。

ごめんなさいまし。いつだったか、お便りの中でとはいえ「おはらしょうすけさんなんでしんしょうつぶした」って歌を歌ってしまって。いつも一言も二言も多い失言かささぎは赤面するほかない。※ そのころ、小原さんの楽譜の会社が倒産してしまったと聞いて。笑い飛ばそうとしたのです。よく知りもしないくせに。。でも、詫びをいれたことに逆にかなしい思いをなさったんじゃないかなとあとでおもいました。一度もお会いしなかったけれど、とてもなつかしい小原洋一さん。どうかあちらの世界でも連句をまかれてくださいね。お酒はほどほどに。

                         合掌

2008年9月15日 (月)

見送りし恋

歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底   恭子
  賞味期限の長き紫陽花     兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ   千晴
良宵の雲流れつき山の里      都 
  循環バスを降りるこほろぎ   宙虫

裏  

ハロウィンの仮装のままに整体師  かぐや
   バカボンママを理想の女と   恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず ぼん
   仕舞ひ忘れしむらたまの樞(くる) 
 
東京を北京に重ね齢かさね    乙四郎
   汚染されたる雪が降りしく   坊
温室は破裂した月光(かげ)でいつぱい  朝世
   急ぐ余りに靴を片方     ぼん
妻子なきおじさんの買ふメロンパン  晴
      誰にもらひし匂袋よ        さくら
いたづらに移らせまいぞ花の色     乙
   烏が鳴いて帰る出替り       晴

名残表    

春耕の島は真水の音がする  虫
   よかったですね、ところでなにが 整

熱弁の講演終はりぐったりと   兼
     参拝客のつづく杉並  さくら
外宮(とつみや)に
大宜都比売の祀られて  恭
  蜂の巣退治屋根裏を焼く   呆
潮風の波間に浮かぶハンモック   乙
  スプモーニから泡は生まれる  整
緋縅の裏までみせてのぼりつめ  虫
  出撃の朝見送りし恋   さくら

付案
1 出撃の朝 恋六十年
2 戦場の空見送りし恋

さくらさん。

恋を見送る。いい句がでました。
ありがとうございました。

そらん句が中世の武士の恋なら、さくら句は時間をワープ、戦闘機乗りの恋へシフトさせたものです。ことばはあっさりしてますが、おもいはふかい。
1の、恋六十年。恋人や夫が出撃した日の朝のことを、六十年たった今も、そのときとおなじ思いでこころに再現できるというのです。これも思いの深い句です。しかし、句のもつ雰囲気といいますか、立ち姿の美しさで2を。ただ、戦場の空を出撃の朝とかえます。

つぎは千晴さんに頼んでもいいでしょうか。

先週でしたか、朝ごはんをテレビをみながら食べていると、岐阜大垣の水害が映りました。長男が去年いたところで、しきりに懐かしがりました。大丈夫だったでしょうか。

月の句。もう一句恋の句をお願いします。秋の月で恋です。
恋を見送ったあとで、どんな恋句が可能なのでしょう。
前田先生から恋句は三句は続けるように。と助言されました。
続けているつもりでいたのですが、どこかに逃げがあったかもしれない。


2008年9月 9日 (火)

最後の恋

歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底   恭子
  賞味期限の長き紫陽花     兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ   千晴
良宵の雲流れつき山の里      都 
  循環バスを降りるこほろぎ   宙虫

裏  

ハロウィンの仮装のままに整体師  かぐや
   バカボンママを理想の女と   恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず ぼん
   仕舞ひ忘れしむらたまの樞(くる) 
 
東京を北京に重ね齢かさね    乙四郎
   汚染されたる雪が降りしく   坊
温室は破裂した月光(かげ)でいつぱい  朝世
   急ぐ余りに靴を片方     ぼん
妻子なきおじさんの買ふメロンパン  晴
      誰にもらひし匂袋よ        さくら
いたづらに移らせまいぞ花の色     乙
   烏が鳴いて帰る出替り       晴

名残表    

春耕の島は真水の音がする  虫
   よかったですね、ところでなにが 整

熱弁の講演終はりぐったりと   兼
     参拝客のつづく杉並  さくら
外宮(とつみや)に
大宜都比売の祀られて  恭
  蜂の巣退治屋根裏を焼く   呆
潮風の波間に浮かぶハンモック   乙
  スプモーニから泡は生まれる  整

付案
1 肩越しの鏡のなかにゐるけもの   虫

2  四畳半引くに引かれぬ畜生    ばど
3 真鍮のうらまでみせてのぼりつめ  そらん再考句
4  緋縅の裏までみせてのぼりつめ  捌一直句

整理します。

ここの打越には月がでる位置です。
朝、整子さん、ぼんさん、二人が声を揃えて絶賛したように、1のけものは生きて存在します。どこがすごいかといえば、自分で自分をけものと見ている目がすごい。ほんとに鏡のなかの自分と目があったような迫力がある。
一方、けちをつけるとすれば、かがみ。鏡は月と通う。
既視感があると私が思ったのは、前回巻いた歌仙で、「雪鳴らし獣が月を食いにくる」というそらんさんの名句が出たのをどこか思わせるからです。

ばどさんは又もや飛び入り。
無視しようと思いましたが、目がいってしまう何かがある。
上手へたをいえば、決して上手な人ではない。
たぶん本も読まない人だろうと思います。毎日酒かっくらって、ばくちを打ち放題、きっと借金で首がまわんない。女房こどもにゃ逃げられて。いくらいいわけをなさっても、それだけは見てきたように思い描けます。
だが言葉足らずに訴えかけてくる句には、生活の染みがある。
ひとことでいえば、よごれ。それがなければ、俳諧の意味もない。
ただプレーンな上品な句が延々と続いていくばかりで。

エロチシズムの句は、色っぽい句であると同時に、生の原点をみせてくれるものでなければならない。その生身感はどこにあるか。どこから来るか。生老病死の苦から。

私が鏡句に抵抗があったのは、昔の言葉でいうブルジョア的な退廃感があるからだ。
ここはもっと追い込まれた恋を置きたかった。だから戦場の恋か生活苦の恋を詠みたかった。
真鍮の句はわかります。つかみどころがない。つめたくて。よそよそしくて。そのような人がはだかになる安堵感。でもいまいちてざわりがない。

最終選択

1 潮風の波間に浮かぶハンモック   乙
    スプモーニから泡は生まれる  整
  四畳半引くに引かれぬ畜生    ばど

引くに引かれぬ。「退くに退かれぬ。畜生以下の動物だ」という読みと、大きな牛みたいな男を引こうとするけれど、びくともしない。この牛野郎め!出てけ!もうあんたの顔もみたくないんだから。という修羅場の恋と、二つのよみができる。(と思いませんか)。
意のままにならない恋の焦燥感。畜生は仏教用語、だからこれは釈教句です。

2 潮風の波間に浮かぶハンモック   乙
    スプモーニから泡は生まれる  整
  緋縅の裏までみせてのぼりつめ  宙 

この「のぼりつめ」という言い方が、前句の泡についていた。
だから最初のそらん句でもすぐ目に留まった。

のぼりつめても消えるだけのうたかた。
武士たちはどのように恋をしたのだろう。
明日をもしれぬ身であればこそ、恋が大事であったろう。
いまみたいに、デジタルネイティヴが増えてきて、セックスレスが当たり前の世の中になってくると、男が男であった戦場を背景にした恋が、うらやましくなってくる。

ということで。結論。

私は、この歌仙に初めてさくらさんを誘いました。
乙四郎とさくらさんとのふしぎな出会いは、戦争がキーワードとしてあります。
その出会いに立ち会えたかささぎとしては、2をいただいて、さくらさんに恋という言葉をいれた短句をそえてもらえたら・・と思うものです。あるいは恋の心情を短句にしてください。(その理由は、のぼりつめ、だけではやや弱いか・・と思ったからです。)

2008年9月 6日 (土)

親句、疎句

名残表    

春耕の島は真水の音がする  虫
   よかったですね、ところでなにが 整

熱弁の講演終わりぐったりと   兼
     参拝客のつづく杉並  さくら
外宮(とつみや)に
大宜都比売の祀られて  恭
  蜂の巣退治屋根裏を焼く   呆
潮風の波間に浮かぶハンモック   乙
  スプモーニから泡は生まれる  整

やっとパソコンを開けました。
ケイタイからだと「管見」ってかんじです。

おつしろう句をかえます。
見落とすところでした。
前句とよくついていた心太、でも親句が並びます。
しんく、そく。
前句と離れた疎句は、行間に断層を作り気分を変える。
この句は海のほうから岸を詠んでいる。

スプモーニ、泡立つカクテル。かささぎは酒をあまり知りません。
スプモーニという名前自体に泡立つという意味があるようです。

日本酒は秋だったりしますが、洋酒は季語ではない。
泡立つ酒には夏の季感があり、何かの予兆がありますね。

さて、最後の恋句がでます。
せいこ句は見事な恋の呼び出しです。
ここをだれに頼もうか。
そらんさん。
そらんさんは感覚的な句がとてもうまい俳人で、九州俳句での評価も高い。
あっと驚く句をだしてくれるにちがいない。
切ない恋をしてください。
人魚姫のような・・・
季語はいらない。

俳句をひとりで書いていく場合、私たちの年代ですと、もうほとんど恋句は詠みません。
ですけれども、潜在的な恋句への憧憬があって、それは年をとれば取るだけ、高まるように思います。恋をおもう気持ちと、死に近づくにつれ高まる奥深い叙情とは、重なり合うところがあるのかもしれない。この想いを解放してあげることが、最大の連句の使命ではなかろうか。と最近かささぎは妙に神妙に考えている。

欄外:

きのう選句した天草にからみ出てきたカイジンソウですが。
母たちがこどもだった戦前、虫下しの薬として、カイジンソウを先生から渡されて飲まねばならなかったそうです。小学三年生ころの思い出に、ある少年が、そのくすりがまずくて窓から投げ捨て、先生から叱られた。という母の思い出。かいじんそうは海神草とかく。

http://www.suntory.co.jp/cgi-bin/wnb/cktl.pl?ID=spumoni(スプモーニ)

http://www.rd.mmtr.or.jp/~radd/otsubo/ikimonotati2.htm(かいじんそう)

2008年9月 4日 (木)

目の位置

名残表    

春耕の島は真水の音がする  虫
   よかったですね、ところでなにが 整

熱弁の講演終わりぐったりと   兼
     参拝客のつづく杉並  さくら
外宮(とつみや)に
大宜都比売の祀られて  恭

ぼん。
おつしろうの句がまだ出ないのを幸い。
申し訳ありませんが、ここから巻きなおさせて下さい。

どうも人事句ばかりになってしまいます。
ってか、私が景色の句をだすべきところ人事句だしてしまったんだけど。
参拝客のつづく杉並   場
外宮にオオゲツヒメの祀られて
ここで又景を出せば、なんじゃらほいだな。
うーん。
視線が近くへ、遠くへ、内部へと変化する。
あるときは、もののなかにもはいりこむ。

○おおげつひめのかみ
 
古事記神話で、食物をつかさどる女神。伊弉諾尊(いざなきのみこと)の子。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原から追放される際、鼻・口・尻から食物を出して八百万神(やおよろずのかみ)に奉ったが素戔嗚尊に殺され、その死体から五穀が生じたという。(グー辞書)
 
○伊勢外宮 
http://www.isejingu.or.jp/gegu/gegu.htm   

2008年8月30日 (土)

歌仙 『コンビニで』

歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底(自・夏)   恭子
  賞味期限の長き紫陽花 (場・夏)      兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて(場・雑) さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ (自他半・雑)  千晴
良宵の雲流れつき山の里(場・秋)       都 
  循環バスを降りるこほろぎ(場・秋)     宙虫

裏  

ハロウィンの仮装のままに整体師(他・秋)  かぐや
   バカボンママを理想の女と(半・恋)    恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず(自・恋) ぼん
   仕舞ひ忘れしむらたまの
樞(くる)(自・恋)整
東京を北京に重ね齢かさね (自・雑)乙四郎
   汚染されたる雪が降りしく (場・冬) 坊
温室は破裂した月光(かげ)でいつぱい (場・冬) 朝世
   急ぐ余りに靴を片方    (自・雑) ぼん
妻子なきおじさんの買ふメロンパン (他・雑) 晴
      誰にもらひし匂袋よ (半・雑) さくら
いたづらに移らせまいぞ花の色 (自・花) 乙
   烏が鳴いて帰る出替(でがはり)(他・春)晴

名残表    

春耕の島は真水の音がする (自か場か・春) 虫
   よかったですね、ところでなにが(半・雑) 整

熱弁の講演終わりぐったりと (自・雑)  兼

さっきまで久留米にいました。
政治家の後援会。
さて、付け句。整子句の選句も兼坊さんです。

りくつをいえば、本当の場の句はないのかもしれない。
どの句も人情句。どこかに人間の匂いがしてる。

つぎはさくらさんですよ。雑で七七。
場の句をおねがいします。

かささぎはねむいのでもうねます。ははーっ。



2008年8月24日 (日)

伊藤白鳥氏死去

山口の俳人・山本伽具耶さんの所属する俳句誌『鴫(しぎ)』主宰・伊藤白鳥氏が、12日に突然亡くなったそうです。高齢でしたが、まだお元気でいらっしゃるから、伽具耶さんに頼んでいつかお会いして、石橋秀野の句集にある句の背景などをお聞きしたいものだと思っていました。
でも、それはもう、かなわなくなってしまいました。

伊藤白鳥句集「卍」について去年一月に書いてます。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_9c11.html

上記引用の一句、

豚小屋のにほひ切なし初社   伊藤白鳥

この句をもっと語りたい。
季語の「初社はつやしろ」は初詣とおなじですが、この一句の座五が「初詣」であれば、句のもつハリとコシみたいなものが一切なくなる。それほどまでに、初社の社が生きている。
豚小屋という人くさい家畜が、神社という聖なるものを据えることでいっそう身近に生き生きと脈打つ。そして、その匂いを「切なし」ととらえた俳人のこころに私も切なくなる。それは、日本がまだ貧しかった時代を思い出させるにおいでもあるからだ。

この一句の背後を、白鳥氏にたずねてみたかった。

かささぎは残念です。

       合掌

2008年8月23日 (土)

初裏端句

裏  

ハロウィンの仮装のままに整体師(他・秋)  かぐや
   バカボンママを理想の女と(半・恋)    恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず(自・恋) ぼん
   仕舞ひ忘れたむらたまの
樞(くる)(自・恋)整
東京を北京に重ね齢かさね (自・雑)乙四郎
   汚染されたる雪が降りしく (場・冬) 坊
温室は破裂した月光(かげ)でいつぱい (場・冬) 朝世
   急ぐ余りに靴を片方    (自・雑) ぼん
妻子なきおぢさんの買ふメロンパン (他・雑) 千晴
   誰にもらひし匂袋よ    (雑)さくら
いたづらに移らせまいぞ花の色   (花・自) 乙
                    (春)

こりゃあいかん。
間延びしたビールになりそう。

都さん都合が悪くてパス、そんならとそらんさんに頼めばずっとはじっこ。
そこでせいこさんにお願いいたします。

(ここ、むずかしい。ですが腕の見せ所でもある)

2008年8月18日 (月)

歌仙、裏九句目

歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底(自・夏)   恭子
  賞味期限の長き紫陽花 (場・夏)      兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて(場・雑) さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ (自他半・雑)  千晴
良宵の雲流れつき山の里(場・秋)       都 
  循環バスを降りるこほろぎ(場・秋)     宙虫

裏  

ハロウィンの仮装のままに整体師(他・秋)  かぐや
   バカボンママを理想の女と(半・恋)    恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず(自・恋) ぼん
   仕舞ひ忘れしむらたまの
樞(くる)(自・恋)整
東京を北京に重ね齢かさね (自・雑)乙四郎
   汚染されたる雪が降りしく (場・冬) 坊
温室は破裂した月光(かげ)でいつぱい (場・冬) 朝世
   急ぐ余りに靴を片方    (自・雑) ぼん
妻子なきおじさんの買ふメロンパン (他・雑) 千晴
                    (雑または春)さくら
                    (春花) 乙
                    (春)都
名残表

                    (春) そらん
                    (雑) かぐや  

付け案(オノダ・ちはる)
1禿頭を晒して歩く絹の道
2妻子なきおじさんの買うメロンパン
3六十を越えてためらふ再再婚

選句

とくとうをさらしてあるくきぬのみち

前句との距離はこれが一番遠いと感じた。
ちはるさんにたずねてみたかった。
どういう付筋なのと。でも聞く為の道具なくした。
しかたないので、想像してみます。
朝世さんのカゲが飛び散っているとする温室の句は、破裂という過激なことばのせいで、あまり平和なかんじはしませんよね。温室という言葉自体、人工的なひよわな感じだし、そこでは間接的な生命力しか育たないような思い込みが育ちます。でも、それを具象として捉えますと、温室ごしに月光が煌々と、というよりここは冬の月だから、冴え冴えと照っている景色になります。
それをうけて、ぼんは「急ぐ余りに靴を片方」 とつけました。
これもまた、感覚的な付で響き付けというやりかた。
前句のもつエキセントリックな感じを見逃さずにその切迫した感じにつけたわけです。
さて、斧田の付は。
1はシルクロードを旅するはげ男はむきだしのあたまを「さらして」いる。晒すという字は日に西と書きます。もう一つ、曝すという字もありますが、どちらもむき出しの恥部にスポットライトがあたってでもいるように、痛々しい。でも、そうすれば、癒えるものがありそうで。そんなかんじの旅の句。旅の句はここにほしいところだった。
2は、前句でなにかアクシデントが起きて、妻子をなくした。そんな風に物語風に読める。メロンパンってのは、ふつう大の男が買うものじゃない。でもそれを買ったというところに、男のなくしたものの大きさ寂しさを感じる。ひだまりの愛がなつかしい飢えを感じる。
3は恋句。恋は五句以上あけたいのでとりませんでしたが、つけ方としては、これが一番絶妙でしたねえ。わらいます。おっちょこちょいはなおんないでしょう。

ということで、つぎはさくらさん。
出番です。

季語をいれたいときは、早春の季語を入れてください。
季語なしでもかまいません。
なんでもいいのです。
前前句と前句をよく読んで、自分がつける句によって、前二句の関係を断ち切らねばなりません。宗教の句でもいいかも。タンクですから、七七です。ではお願いします。いろいろ楽しんでください。私は前田師からの駄目だしで、二十句くらい出したことあります。たくさん失敗するとたくさん拾うものですよね、なんでも。



2008年8月14日 (木)

『なつかしい呪文』

歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底(自・夏)   恭子
  賞味期限の長き紫陽花 (場・夏)      兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて(場・雑) さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ (自他半・雑)  千晴
良宵の雲流れつき山の里(場・秋)       都 
  循環バスを降りるこほろぎ(場・秋)     宙虫

裏  

ハロウィンの仮装のままに整体師(他・秋)  かぐや
   バカボンママを理想の女と(半・恋)    恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず(自・恋) ぼん
   仕舞ひ忘れしむらたまの
樞(くる)(自・恋)整
東京を北京に重ね齢かさね (自・述懐)乙四郎
   汚染されたる雪が降りしく (場・冬) 坊
温室は破裂した月光(かげ)でいつぱい (場・冬) 朝世
   

これは率直な感慨です。初心者との連句は人情句が多くひしめいたものになって後で反省しがちです。今回、それを避けるために、ねこみのなどの大結社ではふつうに用いられている句の自他場分類という方法をためします。慣れたらこんな手はつかいません。ご勘弁のほど

杉浦研究室古典、で検索しますと、杉浦兼坊さんの日記にたどり着きます。(先生という敬称つけるのもいらやしくなってきたのではぶかせてもらいます。)

「弘前は32度」 という見出しで書かれた昨日の日記。
ひろさきって青森じゃなかった。と地理音痴はすぐ思いました。
ぼんのむすめが今年青森へはるばる嫁いだことを思い出して。

気温で考えれば、九州と東北、北海道は近いじゃない。

昼、墓参りの戸畑から帰ると、大阪の川柳家倉本朝世さんから句集『なつかしい呪文』 (あざみエージェント刊)が届いていました。
あさよさん、ありがとう。
さっそく、祝意として、一句いただきます。
原句「影」を「月光」とし、冬の月としました。
ここに座るための句みたいでぴたっと嵌りました。
了解を得ないままではありますが、ありがとうございます。
(のち、本人の了解を得。)


月光に「かげ」というルビをうつ句は俳句には沢山あります。
ふしぎといえばふしぎです。
日光ではカゲとはよまず、月光をカゲと読ませる。

つぎはさくらさんですが、ちょっと待ってください。
ここに丸山消挙の二束三文のしょうもない句(と本人は謙遜して言ってたけど、面白いと思いましたので)をいれるから。

が、めんどくさがり病のため、メールを開く鍵がない。

以下予定。よろしくおねがいします。
さくらさん、せいこさん、千晴さん、ぼん。
都さんとかぐやさん。そらんさん。
みなお盆は忙しくてみてないかもしれないね。
みてたら一句でもいいので、考えて出してみてくださいね。
裏八(短句)に何をおきますか。
ばどさん。競輪句でもいいよ。
酒のめぬ久留米ケイリンうらめしや。とかですね。
おおっと次は短句であります。
ばどさんは倉本朝世さんのブログで知りました。

冬月    朝世 
雑、   人情句
雑    同上
雑    同上
しおりの花    乙四郎
春     

名残表

  

においの花・・・さくら  

2008年8月 9日 (土)

むらたまの樞

むらたまの樞(くる)に釘さしかためとし
    妹がこゝり(心)は揺(あよ)くなめかも
           
         刑部志加麻呂(をさかべのしかまろ)

先日、自己流の勝手な読みをつけた歌です。
折口信夫の解説を、引いておきます。
以下、引用。旧字を変えました。

「下総人の歌の中から採った。むらたまのぬばたまのと一つらしく思はれる。ここでは、くるにかかる枕詞。くるは所謂樞クルである。ここは樞戸クルドの事と思へばよい。扉の返らぬやうに戸に釘をさすのである。
「かためとし」は方言発音で、かためてしである。口がためによって、動かぬ誓約をしあったのである。「あよく」は以前は危くだといふことになっていた。だが、橋木進吉さんの説、あよくは動(あよ)くだとする考へによるべきだらう。「揺ぎなむかも」の意で、あれほど口がためはしたけれど、年月を経た遠人(とほびと)の心は、揺ぎそめて居るだらうと言ふのだ。
「危(あよ)く」説は「危く無めかも」危い気遣ひはなからうと言ふことで、全然反対になる。以前は私も、この考へであった。よい学説が出て見れば、間違った考へは霧散するものである。併し又、さうなれば、「あよぎなむかも」と言ふよりは、「あよぐらむかも」として、あよいでゐるだらうよ、すなはち揺いでゐるだらうと訓み解く方が、もっと正しいと思ふ。旅の久しさを歎いたのである。

(4390)樞戸に釘をさす其ではないが、かため誓った彼女の心が今は、ゆらいでるだろうよ。

『戀の座』  折口信夫・著
 昭和24・2・25発行
 日本出版配給株式会社・配給

追記:

http://www.juno.dti.ne.jp/~pure/manyou/manyou-20.htm

http://www4.ocn.ne.jp/~sakai-h/year/year1.htm

八月十一日、検索でみつけた読みと時代資料です。

ああ、この読みがいちばんですね。なるほどです。
この歌は防人歌だったようです。読みの中の三年という数字は任期でしょう。
いまは、そういう資料も豊富にありますが、昭和の敗戦直後にはまだ何もなかったのでしょう。原文を見てみたい。万葉仮名はどんな表記になっているのかな。

2008年8月 8日 (金)

万葉集から盗む

ハロウィンの仮装のままに整体師(他・秋)  かぐや
   バカボンママを理想の女と(半・恋)    恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず(自・恋) ぼん
   仕舞ひ忘れしむらたまの
樞(くる)(自・恋)整

むらたまの樞(くる)に釘さしかためとし
妹が去去里(ここり)は揺(あよ)くなめかも
                          万葉集

この歌には忘れられなくなるエロチシズムと激しさがあります。祈りの歌だろうと思います。こころをむかしはここりと言っていた。歌を検索にかけると、ただ一つだけヒットしました。それも下の句のみ。ということは、ポピュラーではないのかも。

よくわからないのですが、心はこう読みたがる。
「たましひのくるるに釘をさしてかためとすれば、恋人の心はゆらぐこともなかっただろうに、私を去ることもなかっただろうに」

過去形なのは、去去里(ここり)の表記のせいです。
表記には全霊がこめられている。

むかし「俳句ざうるす」という同人誌でごいっしょした、俳人永末恵子の歌集名が『くるる』 でしたっけ。漢字で樞です。くるるは、木戸の閂。へこみに棒をさしこむ。

整子さんが付けてくれた原句は

仕舞い忘れたむらきも一対

むらきも一対が何の喩として差し出されたのか、考えていましたら、ゴヤの裸のマハをふと思い出す。むらきも一対は太い詠みぶりの柔らかな女性性、くるるはやわらかな詠みぶりの男性性。この二つで一対、と言えるかもしれません。

結論。整子は性子で聖子です。

さて次はさっぱりと離れてなんでもどうぞ。
季語はなしでおねがいします。

一箇所とらえてクローズアップするような句でもなんでも。
前句からうんと離れて。時事句でもいいです。

丸山消挙じゃないが、できるしこだしてくだされ。

参照:http://fratello.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_212f.html

2008年8月 6日 (水)

日記を書いてたころ

ハロウィンの仮装のままに整体師(他・秋)  かぐや
   バカボンママを理想の女と(半・恋)    恭
言の葉のつなぎかたさへまだ知らず(自・恋) ぼん

一晩考えました。「言の葉のつなぎかた」 というのは、受け答えのしかたという意味だとおもいます。少年から少女が遠まわしの告白をされている。けれどもそれにどう答えていいかわからない。・・・そんなかんじです。

ぼんのこの句、見落とすところでした。
眠ってからも考えていた。

「言の葉をつなぐことなく波を聞き」

(これは演出家のとがきのことばでした。)

つぎはまだ恋を続けてもいいし、恋ばなれでもいいです。
場の句をだしてください。でもなんでも詠みたい句をどうぞ。きまりやらくそくらえだっていうこともかんげいされます。
たからさんはどうしてるかな。いそがしいのでしょうか。
乙四郎の大学の公開講座が始まるよ。
今夕から。いけたらいこうよ。
ばたばたして、声かけするのすっかりわすれた。
ごめん。らんちゃんにもきのういったら、いけんて。

追伸

丸山消挙さん、きのう、気まま歌と四文字熟語通信、ありがとう。
やっぱり私の目に狂いはない。日記を書いてた人(そうか。もしやこれが日記かも)はなんとなくわかります。乙四郎も書いてたんじゃないですか。ぼんもね。うちの父は六十年近く書いてるみたい。毎晩。

十円玉の歌。
だれにも経験ある青春の一こま。
郵便局前にあった店の公衆電話まで自転車で行ってたことをおもいだしました。はたちすぎでしたが。

2008年8月 4日 (月)

恋の座

   循環バスを降りるこほろぎ(場・秋)    虫

ハロウィンの仮装のままに整体師(他・秋)  かぐや
   バカボンママを理想の女と(半・恋)    恭

循環バスは、町の福祉の一環としてあるみたいですね。
そらん端句とかぐや立句は付いて離れる転じがあります。
循環バスを降りたのはこおろぎ一匹とおばあさんだけ。
おばあさんは整体師のところから帰ってきたばかり。
整体師はハロウィンでドラキュラ伯爵になりきっている。
吸血鬼が大好きなのだ。でもそんな彼を妻は白眼視するので、いつもこう思っている。ああ、バカボンのママみたいな女とけっこんすればよかった・・・。(勝手にはなしを創作してすんません)

ここにどんな一句をおけば、恋の座がきまるでしょうか。
おねがいします、いろいろ出してみてください。
けっこうむずかしい。まったくロマンチックじゃないところから叙情句をたちあげるのは。

2008年8月 2日 (土)

裏立句

歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底(自・夏)   恭子
  賞味期限の長き紫陽花 (場・夏)      兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて(場・雑) さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ (自他半・雑)  千晴
良宵の雲流れつき山の里(場・秋)       都 
  循環バスを降りるこほろぎ(場・秋)     宙虫

裏  
ハロウィンの仮装のままに整体師(他・秋)  伽具耶

山口の山本伽具耶さんに句を出してもらいました。
「今年また静御前の菊人形」と上記、脇句に紫陽花がでてますし、この面でも花がありますんで、ハロウィンをいただきます。調べますと、もとはケルト民族のお盆です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3

つぎは恋、あるいは恋前の短句です。

整子ぼんばどさん消挙乙四郎。
請ふご参加!

おもて六句

 歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底(自・夏)   恭子
  賞味期限の長き紫陽花 (場・夏)      兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて(場・雑) さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ (自他半・雑)  千晴
良宵の雲流れつき山の里(場・秋)       都 
  循環バスを降りるこほろぎ(場・秋)     宙虫 

※ 循環バスの例:http://www.town.kozaki.chiba.jp/junkan_bus/bus_main.htm

   「こほろぎ」
http://www.shigin.com/hakusyu/kohorogi.htm
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/animal/kohorogi.html

   

月の座で出ました「良宵」という季語について、ネット上にこれという解説がないものか探しておりますが、まだみつかりません。目下、天気のよい夜、というのがネット辞書の解説です。ざつというかそっけなし。

折口信夫は『戀の座』(昭和24年)で、月の季語のひとつ「二十三夜」につきまして、かようなことを述べておられます。おもしろいので長いのですがそっくり引用します。旧字は現代表記にかえます。

人が死んでゐるか、仮死の状態に陥って居るかこの二つが、昔の人にとって、実際には区別がつかなかったのである。ある期間は、だから同じ方法をもって、とり扱ってー鎮魂法を行ってー居た。その中、この山尋ねの方式などは、今も残って居る一つである。近代では、たとえば、二十三夜待ちなど言ふ行事は、その俤を存して居るものと見られる。死病に罹って、もう回春のおぼつかない病者のため、近親の者が、高い峠などへ二十三夜の月の出を迎へに行く。白装束に竹の杖など言ふ服装を、今に守ってゐる地方すらある。恐らく後代こそ、月の出を迎へるのだと考えてゐるのだらうが、これは疑ひなく山路へ入りこんだ魂を探し求めに行くのである。(「魂ごひ」の一節より)

月はあくまで精神やたましひにかかはるものです。

ところで、文芸評論家の山本健吉(父祖は八女出身)は慶応の学生時代に藪秀野と学生結婚をしたのですが、その出会いは折口信夫博士の源氏物語講義を聴講に行ってとされます。当時、折口信夫の講義がどんなに人気があったかといえば、立ち見が出るほどだった、といいます。文化学院の生徒だった秀野までが聴きに行ったくらいですから。全集のしおりには、國學院大學で講義中の写真が入っていましたが、熱気が伝わるような写真です。でも、ふしぎなきがしますね。かような精神性のつよい伝統的なものに惹かれつつ、一方ではやりものだったマルキシズムにひかれる。そして特高につかまって獄中経験後に転向、以後は左翼思想を見向きもしなくなる。ー健吉さん。逮捕はあなたにとってなんだったのでしょう。

2008年7月31日 (木)

良宵の月

お昼休みがおわるころ、沢都へおもて五句目の月をと携帯メール送信したら、二時過ぎに三句届きました。さすが早い!!

ちょっとみておくんなさい。
秋の月

1波際に何やら浮いて望の月

2潮騒の結び目ごとに望の夜

3良宵の雲流れつき山の里

どれも「場」の、「景」の句です。(人情なしの句ともいう。)

  歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底(自)    恭子
  賞味期限の長き紫陽花 (場)       兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて(場)   さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ (自他半)    千晴

さて選句。

1は、何か浮いてるが意味深で、パス。ここは俳諧臭より、うつくしい月であってほしい。

2をおいてみます。

コンビニで本買はさるる梅雨の底    恭子
  賞味期限の長き紫陽花     兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて   さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ     千晴
潮騒の結び目ごとに望の夜    都

これは前句のどこにどう付いているかというと、「潮騒の結び目」という抽象的な表現が、あたかも女性の年輪を象徴しているかのようで、節目節目で祝われるめでたさを満月とともに配したところに手柄があります。ということは、前句を景色でいいかえたら、こうなるのやでという見本みたいな句です。ひとつ気になることは、打越にリボンがある。それと結び目が微妙に響くかな・・。

で、「良宵りょうしょう」という耳慣れない季語の3をおく。
パソコン検索では天気のいい夜としか載っていないが、歳時記的な意味を加味すれば良夜とおなじく良宵は月の美しい宵と思われる。沢都は、いまから十二年前私が俳句と連句に誘ったとき、まず何をしたかというと、最高の歳時記を求めたんです。詳しくて、大きくて、例句も写真もたくさん載っているやつ。これが意外と大事なのかもしれない。歳時記は季語を調べるたび繰るんですが、なるべく上等のもの、それも新しいものだけに限らずうんと古いものも入った偏りのない歳時記が手元にあってほしいと思います。(似てるのが東妙寺らん。彼女もまず、歳時記のとってもいいものを求めた。)わたしですか。私はいちばん安い歳時記でした。笑

コンビニで本買はさるる梅雨の底    恭子
  賞味期限の長き紫陽花     兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて   さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ     千晴
良宵の雲流れつき山の里       都  

月の雲が掃き寄せられていく。風があるから。
風は祖母がうまれた山の里へ吹いているらしい。

これ、いいですね。なんのアクもなく、ただ景だけ。

ああ。こんな景の句がときどき無性に恋しい。
連句だけにしかでてこないなあ。
現代俳句では絶対出会えない。
自分の句もふくめ、人情自の句ばかりだから。
時にはくちをあんぐりあけて、雲や月や風をみていようよ。
そしてそれらと一体化しようよ。こどものころみたいに。

なぜか、中山そらんを思い出した。
次も秋、77です。

2008年7月29日 (火)

四句目ぶり

   歌仙 『コンビニで』

コンビニで本買はさるる梅雨の底(自)    恭子
  賞味期限の長き紫陽花 (場)       兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて(場)   さくら
  明治生まれの祖母を寿ぐ (自他半)      千晴

初折おもての四句目は軽くつけます。
オノダからすぐに届いた四句目はつぎの三句でした。

7月24日夜受信

ほどかるる手を待ち焦がれたり
長さ揃わぬ端の絹糸
切り揃えるに鋏はいらぬ

どれもつきすぎと思い、再度お願いしました。
で、翌25日夕方にいただいたのが

誕生日には特大ケーキ
ヴァーチャルガールはブロンドヘアー
ほんのり香る母の首すじ

ケーキの句、ケーキ特大としていただこうかと思いましたが、並べてみると前三句と同じ日常色に埋没しそう、加えてウチコシの脇句の紫陽花についてる賞味期限がケーキとかぶさり、これも捨てました。
ブロンド娘、母の首すじ、どちらもウラ向きの色気があり、これもパス。

26日夕方いただいた句です。

明治生まれの祖母は暑がり(他)
壁の蛙は保護色となる(場)
帽子の端に緑の汚れ(場)

おおっだんだん多彩さを増します。さすが小説家。
私がうっかり「雑(ぞう)」の句をと言い忘れたため、どれにも夏の季語が入ってます。ですが、軽く前句についたきもちのよいおもてぶりの句ばかり。

そこで、明治生まれの祖母をいただくことにして、暑がりをことほぐに一直します。りぼんが巻かれているのは、お祝いをしている図になりました。おもてに老はいけないとされますが、先日巻いた「たけのこ歌仙」のおもてで健康な車椅子を出しているのと同じ理由で、一向にかまわない。斧田さん、暑くて忙しいときにありがとう、何度も出してくれて。

つぎは秋の月をよみます。誰にお願いしましょう。
どなたでもどうぞ。

ここにぴたりとはまる、きれいな月の句を詠んで下さい。
勉強と思って、いろいろ作ってみませんか。

なお、たけのこ歌仙と初山河歌仙での反省=人情句が出過ぎ=を生かすため、一句を自他場分類します。
カッコ内の自は「じ」、主体は自分の人情句、他(た)は主語が自分以外の人情句、自他半、あるいは単に半ともいうのは、自分もひとも両方含む句、場は人は一切出ない句です。
ざっと三種類に分類するだけでも、大きな指針になります。
ウチコシにあたる句同士、ということは一句はさんで隣り合う句のことですが、おなじものをださない。とらわれるのはよくないのですが、連句はじめのころに、一度はこの自他場のしばりに触れてみるのも悪くないと思いますので、出してみました。

連句の本質は、変化。そのために式目があります。

2008年7月26日 (土)

『コンビニで』

発句がへたくそで格調もへったくれもなくて大変気がひけるんですが、函館の兼坊さんがいい脇をつけてくださいましたので、前からひきずりこもうと思っていた東京の写真家・さくらさんに第三句目をお願いいたしまして、なにかのんびりまこうとおもいます。四句目は、ちょうど柳人で俳人で小説家の斧田千晴から、「クライマーズ・ハイ」に久々のコメントをもらったので、渡りに船と頼んでつけてもらいます。オノダは本名を種田といいまして、種田山頭火の親戚です。どっちもお寺さんですし、たぶん。笑

  『コンビニで』

      起首 平成20・6・27

コンビニで本買はさるる梅雨の底    恭子
  賞味期限の長き紫陽花       兼坊
レンズ越しリボンとりどり巻かれゐて  さくら
                        千晴

さくらさんが、受賞されました!!なんでも、一番優秀な賞みたいです。
題は「お洗濯」。
さくらさんの全存在がこの一枚から匂い立ちます。
みなさま、どうぞみてください!おめでとうございます!!
以下、引用お許しください。
(無断で引用してもいいのかなあと思いつつ。ま、宣伝のためです)

「あなたのステキを、写真で残そう」フォトコンテスト第1回結果発表

6月30日で締め切りました「あなたのステキを、写真で残そう」フォトコンテスト第1回にたくさんのご応募ありがとうございました。応募総数305作品から選考委員会が選考した結果、受賞作品は以下の3作品となりました。おめでとうございます。
なお、「あなたのステキを、写真で残そう」フォトコンテストでは引き続き作品を募集中です。あなたの"ステキ"を撮影した作品のご応募をお待ちしております。

優秀賞

優秀賞受賞作品 大きな画像を見る
「お洗濯」
  • 作者:さくら
  • 都道府県:東京都
  • カメラ:ニコン D100
  • レンズ:タムロン AF28-200mm F/3.8-5.6 LD ASPHERICAL[IF] SuperII-Macro
書籍おうちで楽しく! リビングフォト
      著者 今道しげみ 先生
[選評]
ステキなコットンのワンピースが何枚も干されていて、夢のような光景です。育ちのよさそうな姉妹の笑顔が目に浮かびます。直射日光で撮りがちな光景ですが、やわらかい逆光をうまくとらえて、ふんわりした雰囲気に仕上がっています。

2008年6月29日 (日)

たちきの俳句から

笑ふてもよぎる想いや五月闇   久留米市 呆 夢

のどもとのいがら取り除く新茶かな  〃

電波時計よ狂ひたくはないか   〃

夏の雨掩体壕に苔立ちて    宇佐市 松本 茂

蜘蛛の巣のまるごと揺るる若楓  広川町 山下整子

青小梅はらひれほろと落ちてくる  〃

南天のさみしき花が咲きました   〃

南天の無口な花のかなしかり    〃

五月雨に皇太子妃の笑窪かな 日野市 依田しず子

母の手をとって蛍の宙に起つ  大分市  足立 攝

不如帰不眠不休の救助かな  川崎町  井塚 誠

人は前を蛍はうしろを照らすなり 北九州市 太田一明

麦秋の涯(きりぎし)へ割る握り飯 宇佐市 沖 隆史

腰太く足首太く五月の森  北九州市 鍬塚聰子

筍を食っちまった中年の輝き     〃

さなぼりや労り合いて老二人  玖珠町 合原正利

ホトトギス砲音の野に呼び交わす  〃

この村を抱くが如くに若葉かな  中津市 後藤愛子

犬ふぐりまだある余白をうめている 大分市 佐藤綾子

背なに陽をうけて苺箱洗い終え  九重町 佐藤いわお

見てごらんジャジャジャジャ雨降り芝が立つ 
                  日出町 佐藤 敏彦

風の少女葉っぱのような陰(ほと)をもち   
                  福岡市 鮫島康子

豪雨来る信号機みな魚のよう      〃

傷を舐めれば傷が癒えるか長崎忌   〃

皐咲く明日の愁いと今日の幸福   八女市 島 貞女

青嵐女の道は一本道   北九州市 末永晴海

ばば鶏の生みたる玉子春の月   中津市 宗 五朗

肉体を棒で支える豆に花  中津市 瀧 春樹

麦秋や鳥の棲む樹が高くなる  〃

昭和の日五徳七輪汀子兜太 北九州市 竹内卓二

初燕酒なみなみと馬上杯   〃

麦秋や一気に過ぎる無人駅   福岡市 田中 恵

名人と我(わが)で呼ぶなりらっきょ漬け 
                   八女市 東妙寺らん
雨蛙けふは何して過ごすやら   〃

ケロケロと話しかけらるかきつばた  〃

水無月や宮崎の空号泣す  〃  (宮崎にて)

日向夏通は醤油で頂きます  〃

照る月の峠黙々引揚列車   宮崎市  徳永義子

とかげさんあんたのお目々ちっちゃいね  
                    宮崎市 夏田風子
本をよむはえが一匹とびまわる  〃

あそぼうと空とぶ鳥に猫がいい   〃

一人身の満期退職夏の雲  北九州市 広重静澄

少年と老犬並ぶ夏の海   中津市  古永房代

三ヶ月、俳句を作っていない。
投句をはなれる。
よみに徹する。

気に入った句をひっぱった。
なかでも一番こころうばわれたのは、次の一句である。

蜘蛛の巣のまるごと揺るる若楓  山下整子

なんと動きのある、色彩感ゆたかな句であろう。
みなづきのみどりもの、みな勢いづき、うっそうと繁り始める、まさにその気息が一気に放出されたかのようで。
蜘蛛の巣がまるごと揺れる。それに配するに若楓の鮮やかなさみどり。一句に人の姿は何処にもないが、なにか濃いエネルギーの塊が下を通過していったのが見える。風とかではない何か。ひさしぶりに俳句らしい俳句に出偶った。山下整子、おそるべし。なんでこんなすごい句がさらさらっとできるのに、本職の歌ではいまひとつなんだろう。きっと俳句と短歌はちからのだしどころがちがふのね。世の中はそんな皮肉にみちている。

ひとつ、どうしても景がつかめぬ句がある。

デエーの室荷物の紐で金魚かな 川崎町 伊藤キクエ
夏風に転ぶ不覚を猫が見る      〃
翁草散歩のたびに銀髪み        〃

デエーの室というのは、デイケア施設のへやだろう。荷物の紐で金魚かな、ってのがわからん。紐で金魚を造るのかな?うん。きっとそうだ。そんな気がしてきた。おきなぐさの句も、さいごの「み」になんともいえない素朴なあじわいがある。いいなあ。

筍を食っちまった中年の輝き  鍬塚聰子

鍬塚聰子、本領発揮の一句。
エロスがある。うわエッチ!てなぜか思う、その文体。

伊丹三樹彦の俳句日記より抜粋

花に立ちん棒ながら あやしまれぬ齢

米寿には 米寿の桜があるような

花仰ぎ 花影踏んで立ち去りぬ

わが町もいま桜町 鳥影過ぐ

青木医師死す 最後の診察受けたとは

蒸せ返る花に囲まれ 主治医の家

それぞれに小花を捧げ 春の草

寝ね足りて 日の出の桜見盡して

おおとドライバァ 桜を擦過する度に

天覆う桜 地に沈む墓地

たんぽぽの絮を吹こうか吹こまいか

生き残る 梅を眺める 来年は

港都にも黄砂降る日の 風見鶏

晩年か最晩年か 福寿草

胃袋は薬曼荼羅 でも生きねば

垣間見を許す屋敷の 牡丹の緋

索道は一本きり 先細まりで見え

布引の滝ぬ 天女の眼以(も)て

芦屋奥池 憲吉句碑に見(まみ)えるとは

道行は 紅白交互の花水木

バイキングの卓を縫うのに 皿掲げ

スープにも落花一片 山のグリル

左右は池にて 黄泉への中道か

脚註:

掩体壕:http://album.nikon-image.com/nk/NK_AlbumPage.asp?key=1084778&un=14885

翁草:http://www5a.biglobe.ne.jp/~okina-ut/okinagusa1.html

索道=ロープウェイ。http://cable.cocolog-nifty.com/sakudo/憲吉=中村憲吉。http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/kanko/data_ono/l_yakata/nakamura.html

ありゃ。また、まちがえました。歌人じゃなく、俳人の楠本憲吉です。私の記憶にもちゃんのこっています。テレビに出られる人でしたから。

著名な俳人であるこの方(伊丹三樹彦氏)の句日記がだいぶ前から「樹」に掲載されるようになってた、毎回50句あまりがだーっと1ページに掲載される。それをいつも横目で見て通り過ぎてた、へえ元気のよいじいさんじゃねと思って。それが、なんだろう。無心なよみぶりに教えられるところがあり、写してみようと思った。写したら、知らないことばを教えてもらう。すごか。ほんなこてすごかとです。

「俳句通信 樹(たちき)」195号、2008・7より

バイキングの卓を縫うのに 皿掲げ   伊丹三樹彦

これ。たったこれだけのことばで、動きが見える。
こんなの報告句、あったりまえだと人はいうだろう。

港都にも黄砂降る日の 風見鶏    三樹彦

こうとにもこうさふるひのかざみどり。こうと、こうさ、このひびき。

垣間見を許す屋敷の 牡丹の緋   三樹彦

索道は一本きり 先細まりで見え    〃

どの句もどの句も、ごくまっとうなことをそのまま詠んでいるにすぎない。でありながら、思いがそこからあふれだす。いや、若い人の句みたいにことさらにはあふれない。でも、じわりとにじみだすものがある。じいさん、すげえな。やっぱ、俳句っていいよな。と、しみじみおもわせられるのであった。

2008年6月 2日 (月)

九州俳句の野生 その2

うららかやみんなが落ちる街の穴 中山宙虫 

銃身磨くべし白葱になるまで  池田守一

生きるとは影をもつこと青あらし 松下けん

飾られて雲を見て居り祭馬  池内和子

春光や柩に未来あるごとし  山下惠子

野生馬も風読む都井の野焼きかな 日高二男

揚げひばり地獄見てきし高さかな 河野輝暉

母里の桜蕊降る古道かな  南 瑛子

天孫の楽師たるべし揚雲雀  布施伊夜子

批評をそれぞれの県の代表のかたがなさった。
うららかや。みんなが落ちる街の穴。
一人が落ちるのではない。みんなが落ちる穴。
その諧謔性と批評性とを買う。街の穴とはなにか。
マンホールやあなぽこではない。明るくさえある歪。

銃身磨くべし。白葱になるまで。
倒置法の強い響き。
身のどこかに銃身を蔵していなければならぬ。
そしてそれを常に磨いておかねばならぬ。
撃つべき時に撃つために。
たとえこの身が老人に成り果てても。
(これ、かささぎよみです。)
評者は、銃身を白葱のように柔らかく甘く無力化しよう
と、句の底にある反戦思想を読まれます。



2008年6月 1日 (日)

九州俳句の野生 その1

五時、夫が起こしてくれた。しまった。五時に東妙寺らんを迎えに行く約束だった。
夫にだけ行先を告げ、八女インターから高速道に乗ったのが五時十八分。二回の休憩をはさみ、無事に宮崎に着いた。ときに八時。少し橘橋を渡ったあたりで迷った。迷わねば二時間半で目的地、プラザ宮崎ホテルに着いていた。狭いんだな九州島は。

朝ごはん、聳え立つホテルのパン屋でごぼうとえびのサラダがはさまったパンを買って食べる。会場に着いたのは九時半近く。会はすぐ始まった。今期限りで九州俳句誌の編集を退かれる中村重義氏にお礼の挨拶をせねば・・と思っていたのだが、とうとうできなかった。わがままな文章をずっと載せていただいていたことが、ありがたく、一言お礼をいいたかったのだが。一度も九州俳句大会に出席したことがなかった。自分の不義理を恥じていた。中村編集長から、これが最後になるとお聞きしていたので、今日行かねば、会わす顔がないと思ってたのだった。
連句につきあって下さった熊本の中山宙虫さんが九州俳句大会賞の宮崎県知事賞を取られたとブログで読んだので、これも行かねばという気にさせた。

講演がおもしろかった。
『九州の脊梁と椎葉の四季ー唄・芸能・食文化』と題して、宮崎公立大学教授・永松敦氏が熱のこもったおはなしをなさった。民俗学の話である。興味深い話だったので、メモをとった。

椎葉村の民謡のいくつかを村人が唄ったものを聞くことができたし、歌詞もきっちりとプリントされたのを配布なさったので、意味が読めた。それが驚いたことに、なんと恋の歌なわけです。わたしはほんとうにびっくりしてしまいました。そこに聴衆がいなければ、講師にかけよって、質問攻めにしているところでした。

たとえば、労働唄とばかり思っていた「茶摘み唄」。歌詞をつらつら読みますに、合コン風、出会い系風の口説き唄なのです。すごい。こんな生き生きとした卑猥な歌詞を、なぜか微妙に哀調を帯びたメロディーにのせて、アラ、コライショなんて合いの手入りでうたう。
わたしは、これを聞いたときに(もっとも講師の先生はそれを口にはなさらず、すっとばされた。恥ずかしかったのだとお察しもうしあげる)、すぐ、八女市の老連広報に山内の木附大子氏(80代後半ぐらいか。従姉の姑です)が書かれていた、むかしむかしの茶つみ風景の点描を連想してしまいました。

周知のように、椎葉も奥八女も九州の脊梁ともいえる山脈上にあります。山の人であるマタギやキジシ(民芸品のきじ車は木地師からきている)は山の脊梁を驚くべきタフさで驚くべき距離、移動していたという。四季の仕事の移ろいにつれて、あちこちの山々を猿のように移動するおとこたち、またおんなたち。女たちは木こりをするのではなく、茶摘などの季節労働者として移動していました。そこで自然と出会い唄がうまれたのです。つらい労働を唄でもてなしていたのです。なるほどなあ。いつか私の暦論でもとりあげた、中国の雲南省に残る男女の唄の掛け合いも、これに繋がっていく、と先生はおっしゃいました。私は聞きながら、わくわくし、山人の血がさわぐのを自覚しました。どこかにまだ眠っている血があるのです。

先生はまた、稗と粟と米の殻について教えてくださいました。脱穀に最も労力を要するのは、稗である。3.5斗ついても、1斗しか取れないのがヒエだそう。米は6から7割。山の民は飢えない。川には魚が泳ぎ、山地には雑穀を蒔くからだ。焼畑農業がなぜいいのか。それは焼くことで土のちからをきよめるから。循環型焼畑農法は自然な農法である。焼いた畠はヤボといったりカンノ(刈野?)といったりするが、西米良ではこばといった。山の下のほうから火を放つとすごい勢いで火が燃え移るので、よその山まで延焼の恐れがある。だから、野焼きをするときは、なるべく山頂部から下へむけて焼く。火は下から上へあがるからだ。こうしないと、命があぶない。壮大な野焼きはまさに命がけの作業である。

もうすぐ麦畑が刈り取りされるのですが、では、八女で「コンノ」と呼ぶ刈り取り作業は、カンノの転なんだろうか、と、初めて納得がいった次第です。

はあ~民俗学はおもしろいなあ。まだ書きたいのですけど、きついし、もうやめましょう。あしたに続きます。

2008年5月28日 (水)

なつかしき傷

     貞永まこと

月光にわづかに揺れる台秤
ゆく秋へ炊かれて尖るインディカ米
先端に犀をのせたる残暑かな
古井戸や三井三池の草いきれ
十二月八日横流れする兄の雲
初あかり人のむかしを絞めにくる
なつかしき傷をあつめて石榴かな
秋は風おろかな壁に糸をつけ
うすものや夜のみじかき指あそび
やわらかく喉より抜けば眉の月
春コート任地の島へ橋は無く
人体に替芯入れる夕焼けかな
昏睡の耳に吹きこむ花だより
病棟にある搬出口春の月
口吸えば鹿の声する津軽かな
戸のかげに骨がきている油照り
労働祭われ等あの日へ傘がない
屈まねば磨けぬ便器聖五月
銀の一兵卒に白兵戦
泣くまいと夜汽車はうごく四温かな

 第32回九州俳句賞受賞作
『九州俳句』誌 150号より転載

白兵戦

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%85%B5%E6%88%A6

2008年5月 2日 (金)

梅白しきのふや鶴を盗まれし

   高見 芳子

連句に関わるようになって、たまたま光田和伸氏(国際日本文化センター・助教授)が連句と芭蕉を講じておられる公開講座を知り、参加して数年になる。毎回、既出の注釈書にない独創的な見解を披瀝されるのと、膨大な文献のコピーを配られるのが通例だ。

 梅白しきのふや鶴を盗まれし  芭蕉

貞享二年二月、『野ざらし紀行』の途次、豪商三井秋風(みついしゅうふう)の京都鳴滝の別邸に招かれたときの挨拶の句である。「鶴を盗まれし」は宋の高士・林和靖が梅と鶴をこよなく愛した故事をふまえていることは、注釈に定着している。
この件の講義に当たって、秋風に関して配られた文献コピー(野村貴次著『北村季吟の人と仕事』)に「三井家中興家譜」の抜粋があった。その中に

貞享二年二月十三日亀月鶴峯童子死去

の記録があり、〈そこに「三井六右衛門子」とあるので、秋風の子と考えねばなるまい〉と著者の野村氏は書いている。芭蕉は奈良のお水取り(修二会しゅにえ)二月一日から十四日ーに参籠したあと、京にのぼりて、とあるから、ちょうど子を喪ってあまり日も経っていない家を訪れたことになるのか。ことに童子の戒名に「鶴」の字があるのにひっかかる。もしかして芭蕉がこの家で仏前に線香の一本も手向けたなら、真新しい位牌の戒名の「鶴」の文字を目にとめなかったろうか。「きのふや鶴を」には、従来の意味に加えて、この家の亡き童子への弔意の心が籠められていたのではないか?
ふと思いついて反芻し、こんな想像をめぐらせてみた。

連句誌「れぎおん」巻末の花づくしエッセイ連載をまとめた『花の小径』平成十年刊の「二月 うめ」から後半部分を引用いたしました。尼崎の高見芳子様、断りもなく引用いたしますが、なにとぞご容赦くださいませ。

竹橋乙四郎という自分に似ている知りたがりなともだちが、先日この俳句について聞いてくれたので、思い出したときに引用しました。
ほんとは、「大東亜戦争を見直そう」(名越二荒之助著、原書房だったか日本教文社かの刊行)という本を探していたのですが、行方不明で出てきません。この本には大石親子に似た母子のわかれの場面があります。また、おもいびととのわかれもあります。何度も読んだ本、もういちど気になっているところを読みたい。

2008年3月22日 (土)

源心 『鬼の本籍地』

 源心『鬼の本籍地』

白壁の影となるひと蝶生るる  中山 宙虫                                    

 遊糸蕩ける人形の里     姫野 恭子

野焼跡長き川辺に歌ありて   東妙寺らん 

 握手のぬくみそっと確かめ  山下 整子


 

麦打ちて月も打ちたり風の陣   整子

 ぶよ追ひ払ふ目の前五寸   整子

「ボンネット開いてます」と美青年  恭子

 旅のかたちに眠る女よ     宙虫 

音もなく降りみ降らずみ夢の奥  らん

 はふりのあとの葬式饅頭     恭子

筑後川大動脈のごと流れ     整子

 オリンピックに毒を持ちこむ   宙虫 

名を残す砥師の庭に石蕗の花    宙虫 

 道人の碑の仮名に小春日     恭子

ナオ

オルゴール雨だれの午後間延びして  宙虫 

 塩も砂糖も白くてきれい      らん

貝塚のやうに芥を積む漁港      整子

 膝で伸してる開襟のシャツ     恭子

夕立が来るらし鬼の本籍地      宙虫 

 あっけらかんと恋情を受け     整子

贓物(ぞうぶつ)は盗品のこと君返す  恭子

 腕が淋しい朝涼のころ      らん

望の月水底に魚動きをり     沢 都

 芒の原に母の手を引く     呆 夢

ナウ 

木製の風の切れ目に停まる汽車    宙虫 

 何を信じて 生きてきたのか   竹橋乙四郎

裾広き飛形山の花の宿      らん

 幼子の声遠く麗か       呆 夢

 

 平成二十年三月二十日彼岸中日
  (八女福島の町は雛流し)

     於・ 八女サロン「虹」 

2008年3月13日 (木)

竹橋乙四郎、

雛まつり思い出せないことばかり  乙四郎

俳人・竹橋乙四郎の誕生を祝し、ここに一項を設ける。

竹橋の地名の由来を乙四郎が調べてくれたなかに、大奥への道には竹橋がかかっていた。というのがあった。それ、いきます。関係ないけど関係あるんだ。

夢通ふ道さへ絶えぬ呉竹の
  伏見の里の雪の下折れ   藤原有家

この新古今集のうたをフランス詩人が絶賛したそうで、フランス語への韻文翻訳を詳しく解説した文章が、先日『後鳥羽院』 で紹介した歌人の故・塚本邦雄の著にある。じつは私はこの歌人の短歌作品を読んだことがない。前衛的な歌詠みだと思っていたし、あまり読む気がしなかったんですね。(それなのに岡井隆を読むふしぎさよ。)

ところが後鳥羽院が気になりだしてから、ばったり出会ってしまう。

竹について。
塚本の文章を引用する。

植物の「竹」は同時に「伏見の里」の枕詞です。枕詞としての抽象的な「竹」と、現実に伏見に生えている「竹」とが微妙に重なり合うことをルーボーは分りながらも、フランス語訳にはその点を活かせない。「伏見の里」についても同様で、「伏」は固有名詞でありながら、竹が雪の重みで「伏す」ということにも懸けているのですが、フランス語にはこの微妙なニュアンスが移し切れていない。訳者はそのことを十分に識っているのですが、フランス語に移そうとすると、どうしようもない言語の障壁にぶつかってしまう訳です。
逆もまた同じで、たとえばボードレールの詩を、鈴木信太郎さんや堀口大學さんがいかに名訳されようとも、とうてい原詩の美しさには及び難く、とりわけ押韻を日本語に移すことは至難の技です。移しきれないということは、結局ボードレールの詩の三分の一も味わったことにはならないということです。

『新古今新考ー斷崖の美學』 塚本邦雄

※ カテゴリーは「君が代研究ノート」とも重なり合ってるかも。

いま、おもいだしました。笑。すみません。
呉竹寮のこと。永井友二郎先生の奥様、つまり乙骨太郎乙の直系の孫に当る永井菊枝さまは独身のころ、天皇家のおひめさまを養育する呉竹寮に出仕なさっておられたことをです。なぜ呉竹寮とよんだのか。私は呉竹といえば、筆ペンしか連想できなかったのですが。この解説にであって、また、乙四郎のうんちくをきいて、なるほどとやっと腑に落ちました。

すごいな。こんな繋がり方があったとはねえ。・・(ずずーっとお茶をすする)。

2008年2月18日 (月)

 季刊 八千草 如月号

果報は寝て待つてゐるもの牛日は   
               有馬朗人

車椅子一回転し初日観る 
               有馬ひろこ

有馬文部大臣のときにゆとり教育が始まったのだと思うと感慨深い。全てがこのかたのせいではなかろうに、教育荒廃の元凶のように責められて、肩身がさぞやお狭いことだろう。以前、北冥の魚の句でも初めて知る言葉に出会わせていただいたけれど、この正月の句でも「牛日」なることばに初めて出会わせてもらった。ぎゅうじつ、正月五日のことらしい。のどらかな季語、のどらかな句意。 

新たなる川

         山元志津香

わが丈をくきりと染めし初茜
若菜野や新たなる川流れだす
色変へぬ松が知ってる昭和の火
石鹸を洗ふ日もあり芋嵐
パヴァロッティのアリアをたたむ秋扇
付け文といふ昔日や葉鶏頭
栗名月くらしの音も減ってきし
をとこへし気概はいつも生半可
笑み損ねし柘榴に止まってゐる時間
沢胡桃しばらく聴かぬチャイコフスキー
少女らのジェラシーほどや茨の実
舞茸の舞いすぎて芯なくしたり
から松降る加齢の迅さ金ン色に
秋深しチェンバロ洩るる礼拝堂
おもかげの湧くよ積るよ解くセーター
 
会津
八一忌や散りちるもみぢ仮名のやう
海底の愚痴をきくかに喰む海鼠
短日の大きく使ふ草帚

先年の句で、

「夫郷にまだ知らぬことちょろぎ噛む」というのがあり、ちょろぎという九州人には珍しい季語とともに忘れられないのでありました。

2008年2月 2日 (土)

俗の細道 11

ミスター・ヤをしかりとばしてしまった。

ちょうどややこしい得意先からわけのわからんいちゃもんをつけられてくさっていたとこへ折悪しく、そのとりたての電話があった。

怒らせてしまい、やれ録音するの出るところへ出ようだの電話口でわめく。大のおとこが、みっともない。

月末は忙しいのだ。
鉛筆とボールペンと計算機持って、請求書書きに没頭してるときに、何度も電話で「天使のじじい*」に借金の督促。天使のじじいは今現場に出て、いないというのに、では取次ぎをという。こちらは今それどころではなく、取り込み中です、昼休みにかけてくださいとムカムカしながら言って電話を切ると、たちまち取立屋は激怒して、また電話を鳴らす。こうして押し問答の電話が五回も六回も鳴る。さいごは責任者を呼べ、と捨てゼリフ・・まったく。


ひよわなパートのおばたん(わてどす)に当り散らすより、天使のじじいをつけ回すなり張り倒すなり何なりとなさって、いくらか知らんが借金を踏み倒す覚悟のほどを、ちゃんと本人にお聞きになればよい。
一方、天使のじじいも天使のじじいだ。
ふにふにして雲を踏むよにいつまで生きてゆけるものか。

ここは一つはらをきめて、きっぱり金を払うか、命をかけても踏み倒すか、二つに一つだ。
やくざもじじいも、けなげな外野をまきこまんでくれ。
たのむ。

ここの職場に来てしばらくは、日に数回かかる借金取立ての電話におびえたものだが、いまや、なにもおそれるものはない。
くるならこい。遠慮はいらん。
余は明鏡止水のこころなり。

踏み倒す空の青さや梅真白   恭子

* 天使のじじいとは・・・

こころの赴くまま気の向くまま、今だけを生きる。
お金があれば、すべてばくちにそそぐ。
宵越の金は持たぬが江戸っ子ではない土着のおっさん。
仕事はするときはするしできる。
給料日の翌日から数日きえる。
魔の数日(たいがい四日)が過ぎれば、憑き物がおちて、ついでにツキもおちて、にこにこした顔で戻ってくる。おべんと代千円貸して、又仕事するからと言って。
天使のじじいは憎めない。
ド演歌が得意、私生活はなぞ。

2008年1月12日 (土)

俗の細道 10

「八女郡黒木町」の写真記事にお寄せいただいた、はるなるゆうさんの声に耳を澄ませていたら、ふっと思い出しました。1998年7月の『連句誌れぎおん』22号に書いたものです。詩人黒木瞳へ、そして黒木という原郷へのオマージュ、引用させてください。

▼特集・黛まどかを読む

俗の細道  10

 ー正直五両のブンガク論

           姫野 恭子

「爆発する無意味さ、闊達極まりない言葉の震えと語りの変奏、倦怠と迂回の果ての笑いの横溢。町田康のデビューは、唐突に文学の可能性を切り開いて見せた。だがまたその仕様もない、益体もない、甲斐性もない、身も蓋もなく遣る瀬無い世界は、岩野芳鳴、葛飾善造以来の正統に立つものでもある。十五年前、『メシ食うな』で日本にパンク・ロックを実在させた町田町蔵が、今作家町田康として、日本近代の言葉を清算し、破天荒な建設を始めて、新たな戦慄を蔓延させている。」

くーっ、なんてサマになる文章だろう!これは、町田康のデビュー作『くっすん大黒』の帯に付された文芸評論家福田和也の宣伝文である。帯を裏返したオモテには、「一生遊んで暮らしたいー賞賛と罵倒と二つながら浴びた戦慄のデビュー作!!」と赤文字で打たれ、本体のしごくあっさりとした装丁にとても品よく沿うている。
去年正月、朝日新聞「折々のうた」で、大岡信が「宝船日本からも一人乗り」(誹風柳多留)の解説に、七福神のうち日本出身は大黒天のみである、てなことを書いてらしたおかげで、私はずうっとなぜ信さんが大黒天とまちがえてしまったのか、その理由が気になって仕様がなかった。少しでも神道や仏教に親しんでいれば、七福神のうち国産神は恵比寿だけだと知ってるのが常識だとおもう。それで、意識の隅に大黒天がくすぶっていたため、タイトルのくっすん大黒に惹かれた。

どうしたらこんな見事なキャッチコピーが書けるのだろう。との想いが沸き立つよな帯につられたのも大きい。結局、買ってしまった。へんなマンガのような題だ。扉を開くと、うわっこれがまた、見るからに酷薄そうな(失礼)作者の写真。眼が全然笑っていない。きっとこんなオトコと一緒になった女は、彼の機嫌次第でボコボコに殴られたり蹴られたりするんだろうな。きっとひどい共依存のたちだったりしてね・・とまあ、そんな失敬なことを想像させられながら頁を繰る。そしたらこれが滅法面白いのだ。

    ◇

前田編集長は、黛まどかを読めと言った。ところが困ったことに八女の二つの本屋にまどか本は一冊もなかったのである。こんなときどうするか。ひとつ、図書館へ行く。ふたつ、本屋に発注する。よし、まず図書館だ。著者名目録で検索すると、一冊あるではないか!早速借り出す。『花ごろも』PHP研究所刊。文庫本サイズの乙女チックな本だ。平成八年六月に八女図書館に入庫し、これまでに五人もの市民が閲覧した印がある。これはすごい!山本健吉や金子兜太の本など、延々と置いてあるわりには1~2人しか印が入っていないもの。やっぱり若くてきれいでTV向きの俳人だとかくも違うのか。

さて、読もう。読むぞ。まずお終いの頁から読む。「この集を杉田久女に捧げます。黛まどか」・・・彼女は久女が好みらしい。

 花の冷指より細き魚を焼き
 花ごろも逢ひに行きたき人のあり
 花冷のくちびるをもて黙らさる

(とまあ、中年のリアルおばばにとっては「ゆるふん俳句」にしか思えぬ句が延々と続くのだが、じっとじっと我慢して、とにかく最後まで読み進む。すると)

 花屑をつけて鮪の糶(せ)られをり
 もう声の届かぬ船や春日傘
 下萌に立たされてゐる魔法瓶
 
草笛や父に勝れる人知らず
  ふるさとに付かず離れずサングラス
 戦争をおもしろさうに泥鰌鍋
 挨拶のあとの扇子の荒使ひ
 爆笑で終はる法話や百日紅
 まへがきもあとがきもなし曼珠沙華
 帰りにはなくなつてゐる豆筵
 秋風にトランクひとつ残りけり(寅さんへ)
 着ぶくれて嫌な女になりにけり
 サーフボード立て掛けてある襖かな
 ホットチョコ知らぬで通すまつりごと
 毛糸編む子を宿すとはどんなこと
 久女忌の空に瑕瑾のなかりけり

最後に置かれた久女忌の句にあるごとく、かきんのない句ばかりだ。彼女はとても温厚な感じの美人であるが、句もまた、その容貌に通じる印象を受ける。このひとは上野千鶴子などとは違って、あたまのいい女性と思う。利口な女というと嫌味だけど、自分の引き受ける場所をよく知っていて、けしてはみ出さない女性。だからこそ、私は俵万智に対して感じたような敵意も何も感じないし、人畜無害の砂糖菓子みたいに通りすぎたくなるのだ。人畜無害の文学なんて、何の役にたつ?それより町田康みたいに「仕様もない、益体もない、甲斐性もない、身も蓋もなく遣る瀬無い世界」に浸っているほうがよほどブンガクってものである。

  ◇

ところで先日、私には千円の苺売却代があった。去年の秋に農協市場で虫食いのためにはねられたものを民間の青果市場に持っていって売った五パック分の千円であり、私の労働の貴重な代価だった。これで本を買おうと本屋へ行った。まどか本はなかったので、代わりに「黒木瞳」の詩集を二冊買って帰る。似たようなものに思えたし、二冊でちょうど千円ほどだった。芸能人が書いた本なんてどうせゴーストライターが書いているんだろと普通は考えるのだが、黒木瞳の場合、地元の人ゆえ、本人が書いたものだと分る。二冊の詩集を一気に読んだ。感想はといえば、正直に言って、十中七、八編はつまらないのだけど、最後の芯のところにコツンとした手ごたえみたいなものがある。きっと、それは、私が彼女と同じ故郷を持っているからそう感じるのかもしれない。そしてまた、彼女に詩を書くよう促し続ける何かが、久留米出身の詩人、故・丸山豊先生の言葉だったということも、同じく西日本新聞への詩の投稿からこの世界へ入った私の共感を呼ぶところである。彼女は15~6歳で丸山豊先生と触れ合ったらしい。私はいくつだったろう。彼女より数年あとに違いない。黒木瞳が、「東京は私の憧憬のすべてです。そして生まれ育った田舎は、私の生命(いのち)のすべてです。」と後書きに記したその田舎に、私も幼い頃よく出かけた。なぜなら母の生家が八女郡黒木町の奥だったからである。言葉として抽象化するのを拒否する、懐かしい源郷というものの熱さに溢れた地である。

    ローリング・ムーン

             黒木 瞳

雲の障子を風であけると
ぽろりと月がころげ出た

それをめがけて
コンパスの針を突き刺し
ぐるりとまわすと月のまわりに
大きな地球が見えてきた

地球のまわりは地平線

僕は地平線を辿り
月の影を踏んで歩く
一周してもまるいので
僕は影からつるりと滑り落ちた
そこは秋のまんなか

君の心も転がってこい

これは『長袖の秋』所収の一編である。月そのものの彼女が、軽やかに転がってくる。
もう一編をひく。

  東京の病院

      黒木 瞳

過去の詰まった日記帳が
胸の谷間にひっかかっている

田舎色した僕のレントゲン写真
医者はへんな顔をする

過去を整理して整腸剤
未来を励ましてビタミン剤

僕の胸の尾根を削ってブルドーザー
僕の体はいきなり工事中

都会色になった僕のレントゲン写真
医者は東京弁で治療する

ほかにも「鮠(はや)を食べる日」や「僕の東京」などいい詩があって、俳人の句集よりもずっとずっと新鮮だ。黒木瞳は優れた詩人である。黛まどかにしろ、俵万智にしろ、それぞれの分野の広告塔になりえても、いまのままなら時代に使い捨てにされるのではないか。本気で人を愛したことがあるのだろうか。すべてをなくしても悔いないような恋をしたことがあるだろうか。ゆるふんというのは正直な感想だ。「正直五両、堪忍四両、思案三両、分別二両」とは、宮城谷昌光の随筆で知った江戸時代の格言なのだが、黒木瞳の詩作品から受ける印象はまさに正直五両のナイーヴさであり、俵万智の短歌からは幼稚な分別臭さを(本人はやっきになってその反対をうたっているのに)、そして黛まどかの句からは「古風な思案のすがた」を受けとるのはなぜなのだろうか。先人がもっとも高いところに置いた正直という価値は、ネイティヴであり、生のままということであり、はかりごとをせぬ自然の姿ということだ。黒木瞳の詩集は文庫本で出ているので、ぜひご一読をお勧めしたい。ジャンルは違うが、黒木、黛、俵と三つの宝石のような魂を、私はこの順番に並べる。

   ◇

時代は半世紀ほど遡る。黛まどか同様に杉田久女を好んだ俳人に、石橋秀野がいる。彼女が生きた時代は、戦争と激動の時であり、いまのこの弛緩しきった時代の私たちには、まぶしすぎる「不幸のちから」を背負った俳人である。その人が結核で倒れる年に書いた「無題」と題する文章を、ここに掲げる。現代仮名にあらためる野暮を、お許しください。

   無題

     石橋 秀野

(前四行略)
俳諧は風雅なりと観じていたが、近頃は俳諧は政党なりやと首をひねることがある。今に句会が反対派のあばれ込みでお流れになるなどと云うことになると、議会に於けるチャンバラ劇とかわりがない。左様に昨今の俳諧は隆昌を極め、宗匠と云い先生と呼ばれる程の馬鹿が氾濫している。口にのぼるのは俳諧の修行でなく、己が所属する××誌の仏様は真物で他誌の仏様はニセ物也と云う議論である。何句当選組という語は卑屈である。自分の作品を芭蕉、蕪村と比肩して云々するだけの自信を持とうとしない。俳句の隆昌は結果に於いて俳諧の餓鬼を生んだ。添削や選句を不必要というのではない。唯それのみに自分の修行を賭けることは危険である。世に頼もしき選者と云うのはそうざらにいるものではない。俳句は作るものでなく俳諧を行ずる精神の底から沸き上がる声なのだから、一言にして説明のできるものではない。過日、鶴と××誌の相違を論ぜよとせまられたことがあるが、私にとって波郷、友二両氏は仏でも偶像でもない。唯、血の通う手をとりあうに足る連衆の一人である。この道にして懈怠あれば波郷友二氏たりともようしゃなくムチ打ち、たおれればその上を踏み越えてゆく。
俳句などなんのためにつくるのか、飯の足しになる訳ではなし、色気のあるものでもなし、阿呆の一念やむにやまれずひたすらに行ずると云うより他に答えようのないものである。だから鶴は阿呆の一念だと答えておいたが怒る者もあるまい。我々の屍はあとよりつづく人々に踏まれなければならぬ。

 故人茅舎の句ひとつ

秋風の薄情にしてホ句つくる

 句文集『櫻濃く』所収「風」
 昭和22年4月号より引用。

   ◇

いまどき、これほどの気概をもって句作している俳人がいようか。おそらくどこにもいまい。こんなことをいおうものなら、くさい、ださいと言ってこきおろされるのがおちであろう。大虚子が俳句など第二芸術で結構、芸術と認識されただけでもたいしたものだと開き直ったようなずるさは歓迎されても、秀野のような気概は敬遠されるにちがいない。しかし。しかし思わずにはおれない。この真正面からの斬り込み、正直そのものの野暮さ。今の時代に欠けている最も大切なものが、ここにはある。
石橋秀野を思えば、胸があつくなるのである。

  連句誌「れぎおん」1998・冬・22号  

参照記事
「スサノヲ」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_c351.html
「八女郡黒木町」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_5d6b.html

2007年12月26日 (水)

連歌と連句と和歌と俳句と川柳

白石悌三先生への追悼文を引用しましたのは、私が最初に連句に出あったとき、平成六年か七年ころ、札幌の俳諧師・故窪田薫師のまわしておられた文音のなかに先生がいらっしゃったからです。えらい先生であるとしっていましたが、連句のなかでは同志でした。そういう連句の平等さがとても魅力で、リクツではなく、いろいろと実学でいろんなかたたちから学んできたことはありがたいことでした。そういう座を与えて下さった窪田薫先生にとても感謝しております。

山盛りのいちご一期一会かな  悌三

たしかこのような句だったと思います。最期の句。(新聞の追悼文で読んだ記憶があります)。ちがってたらごめんなさい。

窪田薫式の連句ルールは、超簡単で「一語一会」でありました。一巻のなかに一語は一回こっきり。おなじことばを出さない。というものでした。ごちゃごちゃと複雑な式目はなにもいわれなかった。(じっさいは山のようにごちゃごちゃとおっしゃってましたけどね。)そのことを思い出させる句であり、また肩のこらないスムーズな句で思いも深い句だとおもいます。

さて。

ぐうぜんとはすごいもので、たまたま知人からいただいた「円」誌のこの一文に、故白石先生のことと、平成十六年ごろにれぎおんの前田先生が伊丹でもたれた連歌興行で指揮をとられた連歌の大家・島津忠夫先生のお名前を見出したときは、とても懐かしく、しぜんに笑いがこみあげた。きっと、あの日あの連歌興行に連なった連句人、連歌びとたちはみな、この藤本氏の一文に、同じ感慨をもたれることだろう。連衆のみなさまとは一度しかお会いしなかったし、きっとこれからも会うことはない。けれどもあの日、たしかにあの席で、句を競って出し合って、しんぎんの末、わらったりくるしんだりよろこんだりした。そのことをずっとわすれないだろう。その席に連歌の大家と呼ばれる偉い先生がたが三人もいらした事とともに。

連句的に書くと、つながっている偶然がほかにもあって、でも、長くなるのでやめます。連歌と連句の歴然たる違い。実際にあの日やってみて、さばきの先生にばっさばっさ自分の句を切り捨てられ、身につまされた。忘れられない。発句は島津先生の句でした。脇は鶴崎裕雄先生、第三は光田和伸氏。自分の俗っぽさが骨身にしみたひとときでした。泣きたかった。出す句出す句がすべて没となる悲哀。でも、ふりかえれば、いまなら笑えます。こんなかんじでした。

初折おもて四句目で出した句。

大湯気(おおほけ)抜ける天上の穴

光田先生がおっしゃるには、「大湯気」と言う語は思い切り俗語です、と。文字通り、おおぼけであったわけで・・。会場・伊丹・柿衛文庫の開設者の生家を見学したばかりで、酒造家の造りを見て回った印象をそのまま句にしたもので、自分としては、会心の出来とおもったのに。つまづきはここから始まり、ずっと最後まで続いた。

雅語とはなにか。俗語を正す芭蕉の真意は。そんなことまでが、とても身近に思われた。それと、どんな偉いひとにも、私情があるんだということまでがみえた。人間、みな、おなじなんです。それがせつなくわかっただけでも、じっさいにたいけんできたことのすごみはあるわけで。

にんげん、意地をはりあうって、とてもこっけいだけど、とてもだいじなことですね。

連歌はそういうわけで、いまもなお、みやびと格調の王者として、古典芸能のなかに今も君臨しつづけている。

妥協しないことの気高さよ。

さて、川柳や俳句は、なにをめざせばいい。

2007年12月25日 (火)

白石悌三先生

(きのうのつづきです。)藤本静子氏「白石悌三先生」の全文引用です。

 これまで詩歌に詠まれたのは「天の香具山霞たなびく」といった歌枕でしたが、芭蕉は「名もなき山の薄霞」です。「菜畑に花見顔なる雀」であったり、「痩せながらわりなき菊のつぼみ」であったり、自然の小さな生命の営みに対する慈しみの眼差しであります。固定観念に捉われない、素人の目と耳で感じたままをそのまま詠むというのです。これが俳諧ですと申し上げました。

 御進講中、笑い声が起ったり、なごやかな雰囲気で成功裡に終りました。私共はお土産に菊の御紋の押されたどら焼の十枚宛をおし戴いて帰りましたが、帰福して一枚のどら焼を八片に切って八十枚にしました。その一片づつを皆様にさし上げて御進講の記念としました。
 

 私は万一の事故に備えて前日に飛行機で行って、その夜はホテル泊り、翌日は御所を退所してそのまま帰れば帰れないこともなかったのですが、先述の先生方と打ち上げをして成功を祝い合いましたので、又々ホテル泊りとなりました。」

 白石先生のエピソードを一つ紹介する。
昭和58年から60年にかけて先生はNHKの教育番組にご出演であった。58年度は芭蕉、蕪村、一茶について、そして『奥の細道』を、59年度は芭蕉の俳文『甲子吟行(かつしぎんこう)』『笈の小文(おいのこぶみ)』で素晴らしい講義であった。
当時私はさる結社の句会に籍をおいていたが、その句会に京大出身、福岡市役所の局長という某氏がいた。その席上で氏は「皆さん福岡大学の白石教授がテレビ出演しておられることを知っていますか。内容は芭蕉を中心として蕪村、一茶のお話ですが、その内容の深さ、新しさにいつも勉強させられます。三〇分の放送の間、原稿なしで一語の無駄もなく渋滞もなく、ゆるみもたわみもない、白石教授の言葉をそのまま活字にしたら名文となるでしょう。福岡大学も立派な教授を抱えこんだものですね。」

 白石先生はNHKの放送テキストの中で次のように自己紹介しておられる。
 「衣食住のようやく調いはじめた九大入学当初、奥手ながら、堀辰雄から万葉集へ、朔太郎から蕪村、芭蕉へと心ひらかれた。それも隣の芝生の青さに憧れたまでで、詩才の乏しさを省みるほど真剣なものではなかった。それが垣根を乗りこえる結果になろうとは・・・。かくて私は医学部コースから落ちこぼれた。」

 先生は四年前六十七歳にて逝去された。持病の肝炎悪化であられた。

    俳句雑誌『円』437号、平成15年11月1日
       福岡市、岡部六弥太 編集発行 
     

2007年12月24日 (月)

俳句雑誌『円』

西日本新聞の文化面と地方欄は毎日読むようにしている。俳句月評は大牟田の谷口慎也先生担当。先日の月評に、福岡の「円」(岡部六弥太主宰)が廃刊になるという知らせがあった。数冊の「円」誌をもっていて、それから以前「九州俳句」に引用して書いた。そのとき、一部引用じゃいけない、この文は全文引かなければ、と思った。今朝、思いついたので、なにはさておき、実行します。長いです。

  白石悌三先生 

          藤本 静子

 俳諧が皇室に初めてはいった時のことを福岡大学教授・故白石悌三先生のお口を借りて述べることにする。
 「私が俳諧の御進講を命じられた時は緊張しましたね。何しろそれまで皇室は短歌一辺倒でしたから。毎年新年のお歌会が催されることはあっても、俳句がどうのこうのということはありませんでしたからね。御進講の時日(じじつ)が決まった時は、万一の事故を思って一日早く東京に着きました。御進講の模様をお話ししましょう。」
 正方形の応接台を囲むかたちで、現天皇陛下と皇太子殿下がお庭を背にして掛けられ、その向かいが東宮職のお二人、両横が私どもです。(私どもというのは、大阪大学の島津忠夫先生、早稲田大学の堀切実先生と佐藤和夫先生、尾形仂(おがた・つとむ)先生、それに私、以上五名。因みに堀切実先生、尾形仂先生は度々テレビ御出演でした。)
 着席して一同しんと静まりましたら、突然大阪大学の島津先生が
 「今日は美智子さんはお見えにならないのですか。」
と言うより早く侍従が飛んで行って口をふさぎました。初めての民間御出身美智子皇后様には私共も大変親近感を抱いておりましたのでね。
御進講はトップバッターが島津先生で「連歌と俳諧」についてお話になりました。すると皇太子殿下が 「五七五に七七を付けるというのはどういうことですか。」 と御質問がありました。島津先生がお答えし、尾形先生が更に補うようなことをおっしゃると、皇太子殿下は「連歌と俳諧は形は同じなのですね。結局、どこが違うのでしょうか」 と御質問が出ました。そう改まって聞かれますと答えることの案外にむづかしい的を得た御質問でした。
 私は芭蕉の「古池や」の句を取り上げて、芭蕉の話を致しました。従来、蛙は「水に住む」というのが伝統的素材でした。蛙の鳴き声に詩情を感じたのです。芭蕉は蛙が池に飛びこんで音をたてるところに新しいポエジーを発見したのです。従来の詩歌の優雅に対して俳諧は卑俗であるとは言っていないのです。それまでは「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声」にしかポエジーがないのが優雅という動かしがたい伝統の上に詠まれてまいりました。
 もう一句、「鶯や餅に糞する縁の先」 と芭蕉は詠みました。花に来て鳴く鶯でなくて、庶民の家では、かびたお餅を縁先に干すのですが、その餅の上に鶯がひらりと飛んできて糞を落して飛び去った。その一瞬に興をもよおした印象の句です。鶯をこんなふうに詠んだ詩歌というものは芭蕉以前にはございません。「花に鳴く鶯」ではない、排泄をする生きた鶯です。「水に住む蛙」ではなくて跳躍して水音をたてる蛙です。従来の固定観念を破る新しい発想です。連歌と俳諧は形は同じですがどこが違うか。松永貞徳という、啓蒙家として大変すぐれた人がいましたが、彼は手っ取り早く、一句の中に「俳言(はいごん)」のあるのが俳諧、ないのが連歌だと教えました。俳言というのは、和歌、連歌に用いない言葉、つまり俗語、当世語(今風の流行語)外来語(具体的には漢語)の類です。

※ ながくなりましたので、明日またつづけます。
出典は『円』平成15年10月号(通巻437号)。
無断引用をお詫びいたします。
(看過するにはしのびないすぐれた文章であり、また、内容でありました。偶然戴いたのですが、まるで、この文をここに引くためにこの号をいただいたような気がするのです。)

2007年12月10日 (月)

五足の靴

西日本新聞文化面に先日高橋睦郎先生が近代の幕開けとして象徴的だった、「五足の靴」(与謝野鉄幹、北原白秋、太田正雄、とだれだっけな。あとふたりの文学者)の旅について的確な批評をなさっていた。本来は鹿児島までの旅だったとある。それを長崎までで解散となった理由の考察が、なるほど連句をなさるかたの現実的な意見だな・・とおもった。個性と個性のぶつかりがあって、それに我慢ができないとき、ひとははなれていく・・ということ。

俳句誌をひとさまから頂くと、スタイルがほぼおなじなのに気づく。そのなかで、沖縄の俳句誌「wa」(岸本マチ子編集発行)だけは少しちがっている。各人に一ページあて、上段に俳句作品、下段にはエッセイが平等に採録されている。これはこれまでなかったスタイルで、同人が増えている。かなり以前にいただいたとき、十数人だった同人は、いま百人を超えているんじゃないかな。これは何を意味するか。岸本マチ子先生のご人徳とともに、誌の体裁だ。みな、かきたいことがあり、よみたいことがある。その潜在意識を掘り起こしたんだなあとおもう。今後はこのスタイルが主流になるかもしれないと思った。

きのうみた映画二本、編集に配慮があった。
ずいぶん余白があった。
余韻が残ったのはそのせいだ。

(in her shoes で最もつよくきざまれているのが、一回しか出てこない姉妹の母の写真のまなざしだったということに、時間がたってきづく。映像による回想シーンは一度もない。ただ祖母の話の中と姉の話の中できれぎれに語られる思い出だけ。みるひとが心情やそだちをよみとる余白を、ここにのこしている。)

2007年11月23日 (金)

無季、有季

ひさしぶりの休みです。

遅ればせながらたんすの整理(男三人ぶんの)をしていますが、抽斗の敷き紙の新聞紙を新しいのと取替えるのに、引き出しは絶好の天気に外に干し・・で、今朝の新聞をなにげなくぱらぱらとめくってますと、おや、むかしなつかし吉岡禅寺洞のことが大きく文化面で取り上げられてます。その、紹介文のなかの、代表的無季俳句としてあげられている句をみて、あれ?と思いました。無季は一句だけ、ほかの三句は有季じゃないですか。こんな句です。

一握の花を蒼海にはなむけす   禅寺洞

水枕ガバリと寒い海がある     西東三鬼

吾子たのし涼風をけり母をけり   篠原鳳作

未亡人泣かぬと記者はまた書くか 佐々木巽

一句目、花は春です。
二句目、水枕は湯たんぽ(湯婆ともかく、冬)と違って夏の季語登録はありませんが、「寒い」だけみたら、これは冬だとリクツをこねられる。(笑)
三句目、涼風は夏の季語です。

これだけのことを書きたいがために、衣類整理をそっちのけでパソコンあけました。あほですねえ。新聞記事にケチつけてもね。

篠原鳳作の無季俳句の代表句は、

しんしんと肺蒼きまで海の旅 鳳作

です。ですが、この句の持つ季感は夏だとおもいます。

西東三鬼の無季の代表句は、

広島や卵食ふとき口ひらく   三鬼

これだとおもいます。すごい句です。こんな句、ほかのだれもかけない。無季俳句ではあるんですが、句のもつ時代的な季感というものがあって、それはやはり夏なんですよね。ふしぎなことに、これ、原爆投下ってのは、広島忌は夏、長崎忌は秋。わずか数日のことなのに、暦の分類ではそうなる。立秋をはさむから。でも、そんなリクツ的な意味より、わたしたちのいまの季節感では、原爆忌っていうのは秋なんかじゃなく、夏ですものね。それとおなじく、お盆も夏です。季語分類では初秋なのに。こういう細かいこと、俳人は言いませんが、連句人はいうんですよね。笑。むかしにつながっているから。で、三鬼の句にもどって、卵、あの時代の人にとって、滋養をとるものといえば、たまごからだった。それを原爆でやけただれた人が必死で痛みをこらえて口をひらく。生きるために。即物的で、無慈悲で、つよい句です。

ところで、私はこれまでいろいろ原爆句を読んできましたが、いちばん印象的なのは、三鬼句と、

エノラ・ゲイ夜の皮ジャン水しぶき 奥田艶子

ヒトに生(あ)れあふれし母乳原爆忌  松尾久美子

それに唱和する句を、今朝谷口慎也の俳句月評からひろいました。

仏陀にもイエスにも母原爆忌  鹿毛重成