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2009年11月30日 (月)

俳諧がもたらす「人和」2~支考俳論の魅力を探る~岩倉さやか

芭蕉が見つめた「虚」へ自他共に還りゆく感動

  岩倉さやか:文章

 支考を始祖とする俳系である美濃派(獅子門)は、芭蕉時代からの伝統を今に至るまで守り伝えている。彼らにあって、複数の作者が句を連ねてゆく「連句」という形式が重視されていることは、支考が俳諧を通して人の和を説いたことと無関係ではあるまい。では、そこでの「人和」とは、どのような意味を持つのであろうか。それを解く鍵が、支考俳論の看板ともいうべき、「虚実論」に隠されている。

    ◇

 支考は俳諧の本質を、「虚実の自在より、言語に遊ぶもの」であるとする。ここに「虚」とは、物・事が形成される以前の、万物の根拠を意味し、「実」とは、この世界に現れたあらゆる事象を指し示す言葉である。
 少し難しいようだが、これは「美しいもの」と「美」そのものの関係を思い起こせば理解しやすい。人はたとえば、萌(もえ)出る若葉や崇高な芸術作品に、さまざまな「美しいもの」を見る。が、「美」そのものは、それら「美しいもの」の存在を根底で支えつつ、われわれの目からは隠されているのだ。
 そして、支考の論の眼目は、そうした無限なるもの・「虚」が、この世に「実」として現れてくる「媒(なかだち)」を、「心」と「言葉」に見いだしたところにある。支考はいう、「もとより虚実は心より出て、おこなふ所は言語ならんをや」。つまり、人は日々、一瞬一瞬、「虚」の働きを何らかの形で心に受けているのだが、その驚きは言葉となって外に現れる。そして、この世にぼんやりとしてあったもろもろの事象は、言葉によって区切られ、はっきりとした形をとって、「実」として現れてくるのだ。

    ◇

 人は「虚」の働きをいっぱいに受けてその表れとしてのさまざまな「よい表現」を、そしていきていくことの証しを生み出そうとする。だが、「実」は限定を負った「実」である以上、決して完全なものではあり得ない。だからこそ、われわれは「虚」に向かって心披(ひら)き、日々新しい言葉を紡いでゆくのだ。こうして、支考は、表現するということの難しさと面白さとを、まことに的確に捉えてみせたのである。
 そして、「虚」に対して心が披かれたとき、己れの心が和らいだとき、そこに自ずから「人と人との和」も生じる、と支考は考えていた。われわれが一輪の花・一人の人を言葉によって捉えようとするとき、それをはじめから固定された、自分の外にある存在だと見るならば、そこには真の交わり・和は存在しない。だが、眼前にあるものを、まさに今、「虚」の働きによって新たに生れてきたものとして、驚きを以て受けとめたとき、わたしと他者とは、「虚」へと共に還りゆくという形で、一つの「和」を形成することができるのではなかろうか。美濃派の人々が連句を尊重したのも、句に句を「付ける」という営みが、「虚」への共なる眼差しと信を持って初めて成り立つことを知っていたからなのだろう。

    ◇

 支考の俳論はこれまで、衒学的な文章で、芭蕉の説を歪曲したとして、敬遠される傾向にあった。だが、支考の右のような俳諧観は、ほかでもない、芭蕉という偉大な師の姿を見つめていたからこそ生まれたものではなかったか。
 ものの生命を、その一瞬の煌(きら)めきを捉えようとした芭蕉は、なおざりの和など入る隙間もない、孤独で険しい道を歩んだ。しかし、だからこそ、われわれは彼の見つめた「虚」に自らも立ち合い、そこに連なってゆく感動を覚えるのだ。これが、すぐれた「人和」でなくてなんだろう。
 翻って今、個性尊重の時代である。だが、いたずらに自らを閉じ、他者との差異ばかりを強調する世界とは、案外に寒々しいものなのではあるまいか。支考の俳論は、個我を超えたより深い世界を、そしてそこに自他ともに与(あずか)りゆく可能性を、われわれに披いてくれているのである。

(西日本新聞2002年6・12(水)朝刊文化面より引用)

▼いわくら・さやか
1977生まれ。九州大学大学院人文学科学府博士課程1年。
国文学専攻。福岡市在住。(紹介文は新聞紙面掲載当時のもの。)

かささぎはこれを新聞で読んだときの感動をいまだに忘れずにいます。

絶望的な俳壇の状況のなか、こんなに若い人がものごとの本質を的確に据えた文章を書いておられることに胸の高鳴りを感じ、また文中の「媒(なかだち)」という特殊な用語に、十年前日本青年館で講演なさった光田和伸氏の『芭蕉俳諧の真価』のなかで聞いた、平安時代の連歌師二条良基の連歌式目のカテゴリーを連想せざるをえませんでした。それを詳しく引用した文章がかささぎの『暦論』にあるのですが、九州俳句のカテゴリーにひょっとしたら打ち込んでいたかもしれず、あとで暇なときに探してみます。それを覚えるとほぼ物・事の分類ができるようになる。いちばん古い式目の原型みたいです。

俳諧がもたらす「人和」1~支考俳論の魅力を探る~岩倉さやか

 岩倉 さやか

人は、なぜ遥か過去に詠まれたはずの一つの句、一編の詩に強く心を揺さぶられるのだろうか。そして、われわれの発する言の葉は、なぜ人と人の心を結びつけ、通わせあう力を持つのだろうか。

 美濃の俳人で、芭蕉晩年の弟子・各務支考(かがみ・しこう1665-1731)は、言葉の持つそうした力の謎を、俳諧という文芸を通して、どこまでも見つめぬいた人であった。彼は、主著『俳諧十論』をはじめとする多くの俳論を著し、蕉風俳諧の理念の確立に大きく貢献した。その彼が最も強調したのが、俳諧と「人の和」との繋(つな)がりなのである。

   あしたにつづく。長文なので、数回にわけて掲載いたします。
  ( 「通りすがり」のかたのコメントでふっとこの文章を思い出しました。)

   西日本新聞2002年6月12日付朝刊掲載

2009年11月23日 (月)

山は雪ー昔の友とくそばばあどち

高校の同級生、丸山消挙からの連句忘年会返信メール。

お招き、有難うございます。
でも、大変残念ながら当日は飲み会が重なっております。
酒者選択 暴飲暴色 満心遊意
ということで、申し訳ないけどその席には出席できません。

どうしよう飲み会二つ身は一つ昔の友とチャームガールズ
学割で「卒業」を観たあの頃はラストシーンだけが強烈に残った
放課後の廊下に君の背中見て僕は小走りに君と並んでみる
三色の毛糸で編んだマフラーくれた君暖ったかな気持ちも一緒に編んだ?

    丸山消挙

それは残念です。
おとこだけの飲み会を邪魔するつもりはありません。
歌を添えてくれてありがとう。
では批評。(苦笑)

一首目。
チャームガールズってだれ。もしやwe? げー。
「くそばばあどち」のほうがまだ許せる。
大家の俳句には「どち」ということばがよく使われます。
どちは「達(複数形)」という意味の古語、

上品でゆかしいです。
てことはつまりくさいことば=雅語なんだけど、それを打ち消す力がくそばばあってことばにはあり、等分で相殺される。この複雑な感性。

二首目。
これをもっとも支持します。
学割、卒業、ラストシーン。もうこれだけで強烈にわいてくるものがある。
そうだね、ほんとにあのころはそんな時代だった。
。。。と半分としよりのじぶんがあいづちをうつ。

三首目。
これはすこしだけやっかい。
作者は少年か少女なのかわからない。
この歌のなかの「君」は少年のようだ。
なぜかな。「小走りに君と並んでみる」という描写のせいか。
少年は少女の背中など詠まぬと思う。
これはかささぎの固定観念であり美学です。

四首目。
577773
字余りもいいところ。ぞろびく長さの36音。
「?」 


これら一連の歌には過ぎ去った青春への望郷の念がある。
短歌や俳句でも恋は詠めますが、もっとも自然なのは連句の中です。
おやじさん。どうぞ連句の座へおいでください。
日常はたいくつです。
けれども、韻文のなかではそうじゃありません。
堂々と自己を解放できます。
しかも、だれからも後ろ指をさされません。
時空をこえて、いにしえのひとたちとつながることもできます。

てことで。

かささぎ、連句的に過ぎ去った青春へよめる恋句、三句。

日矢さしてマフラーにある編み始め

マフラーの記憶の端が解け始む

いたいほど恋情抱へ山は雪    

※参照「どち」俳句二句

春塵にたかぶり人とけものどち   石橋秀野東京時代昭和16年

天上に何用あってひばりどち    斉藤康子平成21年*

*原句は「天上へ」、澤好摩が「天上に」と一字差し替えた。

『円錐』43号。

2009年11月17日 (火)

八千草秋号より英語俳句ふたつ

「敬天愛人」 西郷隆盛・書 (シール跡背比べ跡柱美し)

唐紙を開けば月の真葛原   有馬朗人(天為主宰)

Opening  the  karakami-door

just you  will  find  there

a   moonlit   kudzu   field       Arima  Akito

英訳:magpie

源氏絵よむ身巾にあけし白障子  山元志津香(八千草主宰)

Opening  a  white  shoji

just  enough  to  read

the  Genji  picture  scroll   Yamamoto  Shizuka

Translated  into English by
   Richard,Kuniko’ Jambor(国際俳句交流協会)

季刊・俳句・連句誌『八千草』より引用しました。
有馬氏の英訳のはかささぎが山元氏の俳句に連句的に付けたものです。
どうなんでしょう。外国人になったことがないので、わかりません。
お粗末さま。

かささぎの連句的:

映画「二人日和」を三潴図書館でみつけ、借りてきたものを昨日みました。
三年前でしたか、小倉のムーブでみたときには気づかなかったことをいくつも気づきました。

装束師の老夫婦が暮らしている古い京都の町家、その薄暗い家の中に真っ白な障子を通して光がさします。その白障子の色が、一列だけ色がより白い、そこまで細かく作りこんでいる。生活感がある。「砂の器」で障子の獄(ひとや)を車椅子にのったらい病の父が看護婦に車椅子をおされて登場する有名な場面をふっと思い出してしまいました。

きたやまおさむが友情出演していて、じきに死ぬちえさん(藤村志保)と心通わす青年が学んでいる研究室の教授役でした。一カットだけの出演。もろへたくそ。

アストロリコのりかさん。元気でしょうか。
ふっと気になります。宝塚のスターでアストロリコ史にも共演者としてお名前をみかけた大浦みずきさんがなくなったそうで、きになります。

元気だしてください。

追伸:

麻場利華さんブログの追悼文:http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-181.html

アストロリコ関連かささぎの旗記事:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_63ed.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-4718.html

二人日和関連:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_16ea.html
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/

『天使のミロンガ』http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_0b60.html

2009年11月16日 (月)

医療保険給付のいろいろ   乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2009 年 11 月 16 日 月曜日

<公費負担医療について>

医療に要する経費の大部分は医療保険制度によって支払われ、それ以外は自己負担が原則ですが、社会福祉や公衆衛生の観点から、国又は地方公共団体が特定の対象者に対して、公費によって次のような医療給付を行なっています。

1.(戦傷病者や原爆被爆者に対する医療など)国家補償的意味を持つ場合

2.(結核や一類・ニ類感染症に対する医療など)社会防疫的意味を持つ場合

3.(身体障害者への医療など)社会福祉的意味を持つ場合

4.企業活動に基づく公害病の場合

5.難病の治療、研究を目的とする場合

(主な公費負担医療制度)

子供の医療

養育医療:入院を要する未熟児に必要な医療

療育の給付:18歳未満の結核児童に入院治療

自立支援医療(育成医療):18歳未満の身体障害児に対する医療

小児慢性特定疾患の医療費助成:小児慢性疾患のうち治療が長時間にわたるもの(がん、ぜんそく、膠原病、血友病など)

身体障害者の医療

自立支援医療(更生医療):障害者の社会復帰のために必要な医療

結核の医療

適正医療:結核の一般患者の医療

命令入所:結核を伝染させるおそれが著しい患者の医療

精神障害の医療

自立支援医療(精神通院医療):精神障害者の通院医療

措置入院:自身または他人を傷つけるおそれのある患者の医療

感染症の医療

新感染症:都道府県知事が厚生労働大臣の指導・助言を得て個別に応急対応する感染症

一類感染症:ペスト、エボラ出血熱等の医療

二類感染症:コレラ、細菌性赤痢等の医療

特定疾患の医療:いわゆる「難病」のうち、原因不明、治療法未確立かつ後遺症を残す疾患(ベーチェット病、クローン病など)の医療、日常生活に著しい支障のある重症患者(スモン、劇症肝炎、重症急性膵炎、プリオン病など)の医療

予防接種被害の医療

救済措置:認定された健康被害者への医療

医薬品被害の医療:医薬品・生物由来製品が適正に使用されたにもかかわらず、有害な副作用により疾病となった者への医療

生活保護

医療扶助:生活困窮者の傷病への医療

戦傷病者の医療

療養の給付:軍人軍属などの公務上の傷病への医療

更生医療:戦傷病による障害者の社会復帰のために必要な医療

原爆被爆者の医療

認定疾病医療:原爆症の医療

一般疾病医療:被爆者の傷病に必要な医療

石綿による健康被害の救済

救済給付(医療費の支給):石綿による健康被害で指定疾病(中皮腫、肺がん)にかかった者で、労災補償等の対象にならない者

その他

麻薬中毒入院措置

中国残留邦人

心神喪失

肝炎治療特別促進事業

重度心身障害者医療費助成

ひとり親家庭医療

こども医療費助成

このほか、公費負担医療ではありませんが、自己負担がない医療として、公害病の医療があります。著しい大気汚染、水質汚濁の影響で指定疾病にかかった者への医療で、全額汚染原因者が負担します。

交通事故医療も、自動車保険でカバーされなければ、全額、加害者負担です。

「学長のひとりごと」より転載しています。
「社会保障制度概論」をすべてよむ:http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/category/%e7%a4%be%e4%bc%9a%e4%bf%9d%e9%9a%9c%e5%88%b6%e5%ba%a6%e6%a6%82%e8%ab%96

▼かささぎのひとりごと

この全体像を一度みたかったので、非常にありがたし。

水俣病の保険証をさいきん拝見しました。
熊本県、と請求先が書かれていました。
患者さんがおっしゃるには、医療機関が県にレセプトを提出するのではなく患者さん本人がレシートで自己申告して請求、県は限度額の範囲内で払い戻す方式であるようでした。

医療事務員はたくさんの医療保険種別と公費助成の負担割合、これを間違いなく処理しなければなりません。すべて番号(と文字)ですから、見間違わないように打ち込みます。ミスがひとつでもあれば、請求用紙(レセプト)は戻ってきますので、もともと二~三ヶ月のずれがある振込みがさらに遅れます。仕事が暇な折々に違う目でなんども見直します。

これは整骨院だけのことなのか、レセプトに患者さんご自身のサインをいただきます。記名は被保険者本人のもの、ときに家族であるのに間違ってご自分の名前を書かれることがあり、それを常に確認する必要があります。

公費助成がある保険証だと、二枚書いてもらう。提出先が二箇所という意味です。
丁度のときに乙四郎先生からこのような講義を習おうとは。

▼コラム風コメント
「板付基地の返還」

我々が小さい頃は、福岡にも「基地の街」がありました。
板付基地です。
昭和19年に旧陸軍が建設した席田(むしろだ)飛行場が、1945年に米軍に接収され板付基地となり、朝鮮戦争時には前線出撃基地となっていました。
昭和43年、ファントム偵察機が九州大学に墜落炎上しました。
昭和45年のよど号事件の頃も、空港名は板付空港でした。
返還されたのは昭和47年4月で一部占有地域(西側の格納庫周辺)を除き返還されました。

場内誘導路、滑走路は日米共同使用で、米軍佐世保基地への軍用物資輸送の中継基地になっていますが、日米地位協定により、米軍機は、日本政府管轄下の飛行場であればどこでも着陸1時間前に管制塔に通知すれば利用できますので福岡空港だけのことではありません。

なお、敷地の一角には航空自衛隊春日基地板付地区、海上保安庁第七管区海上保安本部福岡航空基地、福岡県警察航空隊、福岡市消防局航空隊があるので、「基地」の雰囲気はいまだ漂っています。

さて、なぜ板付基地については「返還」が実現できたのでしょうか?

経緯は、国家総動員法による強制収用を理由に、旧地主から返還要求があったため。
軍に小作権放棄を僅かな離作料で迫られて離農させられた耕作者組合も小作権存在確認の訴訟を起こしました。最高裁判所の判決要旨は、軍の離作補償が1年分の農作物価格であり、補償金としては低額で補償としては認め難いというものでした。
空港告示面積353haのうち、116ha(109haが民有地、7haが福岡市の所有)は空港が借り受け、借地料が歳出の3分の1を占めています。また、住宅防音対策工事・テレビ受信障害対策などの環境対策費も他の空港より格段に多いようです。
福岡空港が利用度の割に採算が悪いのはこれらのせいです。

普天間飛行場も、本土の飛行場と同様の理由で「返還」されるべきところ、本土との扱いが違うようです。

では、いつごろ福岡空港という名前になったのでしょう。よど号事件のときはまだ板付空港だったのですか。へえー。覚えていません。が、じぶんがあの空港に就職した昭和五十年には福岡空港でした。
福岡空港は一般住宅地の上を旋回しての離発着がありますので、あぶないものがあります。
ひさしぶりに席田と書いてむしろだ、という地名をみました。むしろだしょうがっこうってあった。長男はその隣のつきぐま小学校に三年生になるまで通いました。一年生にあがる前のプレお遊戯会は弥生小学校で、板付小学校の隣でした。あのあたりは日本最古の稲作跡の遺跡が残っているところで、だからこその弥生というなまえなのですが、水田地帯だったところを埋め立ててできた街ですから、土地が低く、雨がふればすぐに道路が冠水していました。
事故がありましたよね。ガルーダ航空機のだったか。
あのとき、ともだちの家まで破片がおちてきたといいます。
市街地の空港はおそろしいです。

地域学:
福岡市立弥生小学校名前の由来
http://www.fuku-c.ed.jp/schoolhp/elyayoi/
福岡市立月隈小学校名前の由来
http://www.fuku-c.ed.jp/schoolhp/eltukigm/tukigumanoyurai/tukigumanoyurai.html

寛治元年1091年。中秋の名月の夜。源経信。
琵琶をかき鳴らし。つき()の木。
校庭にはちゃんとこの月隈のいわれを書いた説明板があります。

伊丹空港にまつわる記憶。
石橋秀野を調べていたことがあります。
秀野が松江疎開時代に旧制松江高校で俳句指導をしており、高校生だった世古諏訪氏がいた。その世古氏と旧ねこみの主宰・東明雅師夫人の郁子氏とが俳句での師弟関係にあられたことを、かささぎは八女戦国百首和歌の解読作業をやっていたころ、ぐうぜん教えてもらいました。
とてもおどろきました。あちらもそのようでした。
さらに驚くべきことに、世古氏の奥様は伊丹柿衛文庫の主、岡田家の出でした。伊丹空港の広大な敷地は旧伊丹市長も務めた酒造家の岡田家が所有していた。それをりべえさんは全部手放した。すべて俳諧史料を買うために・・。
屈指の俳諧コレクションとして名高い柿衛文庫にかささぎは二回もいきましたが、それはこんな俳縁が下にあったからなのでしょうか。(姫野恭子)

2009年10月27日 (火)

ありあけ連句興行課題句「放」ミニ句集 

八山呆夢
  満ちみちて匂い放てり金木犀
  降り立って芒の原に放つ声
  賑やかに放つ方言新酒酌む
  銀婚を迎えし夜長の放屁かな
古賀音彦
  柿熟れて放物線の空がある
竹橋乙四郎
  放擲の籾殻山の大噴火
  流星の刹那に放つ秘密夢
  放蕩の旅の宿にも吊し柿
青翠えめ
  放し飼い卵おちこち今朝の秋
  手放しの自転車少年稲田落つ
  孫帰りヨーヨーころがる放生会
調 うたまる
  秋晴れに着の身着のまま放浪記
東妙寺らん
  放射線治療を埋めて帽子草   (帽子草は露草の別名なりき)
澄たから
  開け放つ天窓に来し望の月
  放心はワインの酔いや夜長人
  バスハイク放って配る青蜜柑
山下整子
  放たるる焔(ほむら)が描く大文字
  漁港町野塘萵(あれちのぎく)は放胆に
  放鳥や十字架祭の鎮魂歌
  放免ののちの薮入りつつがなし
中山宙虫
  夕暮れて放送室の青檸檬
  村のまま放置している鉄道草
丸山消挙
  屁を放いて暖気感じるズボンかな 
  沈みゆく夕陽は秋のつるべかな  
 放るもん時は移ろいホルモンと
姫野恭子
  身に入むや何処(いづこ)のダムも放棄され
  もどかしき恋解き放つ二日月

選評:

同時開催の大会のテーマは「みやまの食と農」でした。

地域の農をどう考えてゆくか。という視点で展開された祭り。

竹橋乙四郎の「放擲の籾殻山の大噴火」は漢字だらけの硬い句ながら迫力があり諧謔があり、深層には現状の政治への怒りがあります。幾重にもよめる句です。

もみがらやまはどんな山、どこにある山。
それはいなかにいけばまだあります。ちいさなちいさなおやまです。
そのやまが、ある日ほっぽられて怒って大噴火しました。
まんなかのえんとつから煙が出ています。
火事になったのではありません。もえているのでもありません。
あれはいぶしているのです。
ドラム缶みたいながんがんに穴をたくさん開けたのを煙突かわりにして籾殻をいぶし、くんたんという肥やしをつくっているのです。
燻炭はいろんな作物をつくるときの有機肥料となりました。

これは過去形でかたるおはなしです。もうどこの米作り農家でもやってはいないからです。
テレビドラマ『仁』では最後にみなかた先生が崖にきて、帰れない過去(ほんとは未来である現在)を恋しがって涙をぼろぼろこぼすのでありますが、あれとおなじ思いであります、籾の殻をおもう心は。

俳人たちはとおに籾殻山を忘れ去ったというのに、竹橋乙四郎が思い出させてくれました。
目がさめるようなきぶんをあじわいました。乙四郎のヒットであります。

ほかに、どうぞごらんください、なんと多彩で奔放な放の句の数々。

調うたまるさんの

秋晴れに着の身着のまま放浪記

きまっていました。スカッとした青春性の一句、やはりこのおかたは只者ではありません。

熊本の九州俳句賞受賞俳人・中山宙虫さんの

夕暮れて放送室の青檸檬

これもまた青春性の叙情的な優れた一句であります。
なかやまそらんらしい句です。

みなさま、ありがとうございました。
当日は時間がなくて句会形式をとれませんでしたので、プリント配布とさせていただきました。ご了承くださいませ。

2009年10月18日 (日)

課題句「放」ー丸山消挙かく語りき。

来る25日のありあけ連句興行での発句に、「放」をいれた秋の句を詠んでください。
しめきりは20日です。
と、広川町の丸山消挙にも送信した。友達だから。するともう返信がきた。
あーらら。・・・こりゃあんまりじゃろ。
でもあまりにもおかしいので、このまま闇に葬り去るのはしのびない。
せめてみんなで笑いものにしてからにしましょう。あしからず。
しょうきょどん。これにコリントまたつくってくださんし。
以下、引用文。

聞くもの見るもの、話半分しか聞かんし理解も半分。
要するに自分勝手な性格は直らない、ということでしょうか。

「のうさい」はNOSAIとも言いますが、先行き寂しい私の職場です。
おかげで楽して過ごし取りますけど・・・

 窓際に背を向け座るこの席は何をしてても覗く者なし

「放」の字をいれて、秋の季語 って難しくない?
しかも ~やではじまる、切れ(断層)のある句
    一行ものでしたら、最後を「かな」でとめるか「けり」 なんだよね。

 屁を放いて暖気感じるズボンかな ・・・ 傑作!
 沈みゆく夕陽は秋のつるべかな  ・・・ 臭い?
 放るもん時は移ろいホルモンと

これでご勘弁!

    (丸山消挙)

丸山しょうきょ3句、かささぎよみ。

1 へをこいてだんきかんじるずぼんかな

だんき。という漢語表現と、ほうひを「屁を放いて」とやさしい中にも凝った表現(笑)にしたところに、この人の密かなる矜持を感じてあげてください。季語は「暖気」。

2 秋の夕日はつるべおとし。いくえにも屋上屋を重ねている。
秋、沈む、夕日、さいごにつるべ(おとし)。fall が四の字固めのうざい句。

3 句を放るホルモン鍋へ放るもん。

発句らしい発句をだしてください。
そのためには、
①~や。としてあとの七五はまったく上半分とはきれたものにする。
②一本の棒のようなまっすぐの句でいいから、最後は「かな」どめにするか「けり」をつける。

今日みつけた例をひいておきます。

「飯田蛇笏」http://www.jinmei.info/data/20050504000.htmlにつけられていた。

「句集 清夏」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_690a.html

放念の月あげてゐる櫟山  吉津清子

(ほうねんのつきあげているくぬぎやま)

放念とは・・・

なにとぞご放念くださいますように。→Don’t worry about it please.

執心をほどくこと。諦念というのとはまた少しちがいます。
凝り固まったおもいを手放す、とかくと重すぎますか。

放心と諦念のあいだに放念がある。そんなかんじです。

この句には明確な切れ字はありません。でも、切れはあります。
あげてゐる/
櫟山

放念しているのは作者。だけど「月」が放念していると見立て、クヌギ山の上にその月をそっと配した。こういう句の場合、下五に何をとりあわせるかで上半身が生きも死にもする。
これがたとえば緊張を強いる針葉樹林のヒノキ山とかであれば
、あんまり放念したくはないだろう。雑木のお山のくぬぎだからこそ。字面に楽しいという字が入っていることにも注目されたし。うまいなあ、この人は。

どんぐりもくぬぎのこどもでした:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA

(ちなみに古賀の音彦さんが真っ先に句をおくって来られた。
出してください、と送信して一分後には返ってきました。
それなりにできた句でした。おとひこさん、忙しいのにありがとうございました。)

連句会はどなたでも参加できます。
遠方の方はどうぞ発句だけでもご参加ください。
イメージを想像し句を創造するのは楽しいです。自己解放できる。

「放」の一字をいれて、秋の季語もいれ、575の発句をください。

発句とは俳句ですが、ふうたぬるい今時のゆるふん句ではなく、筋を通す古武士のような、格の高いひびきのよい句をもとめていますー自分が下品だから。(高望みというなかれ。)

▼ありあけ連句興行のご案内

10月25日(日)九時から四時まで
みやま市の保健医療経営大学の教室にて

くわしいことは、http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8.html

2009年10月16日 (金)

「こんにゃくばかりのこる名月」 連句へのご招待

「こんにゃくばかりのこる名月     芭蕉」

整骨院の先生がこんな話を患者さんとしておられた。
「ひいじいさんが骨継ぎの名人で、ずいぶん遠方からも尋ねて見えたらしい。
むかしは何も道具がなかったんで、いまで言うホットパックみたいなかんじで、こんにゃくをゆがいて熱くしたのを患部にあてがっていました。」
へーえ。
ってことは、この句はそういう付けだったんだ。
前句は、

「よもすがら尼の持病を押へける   野坡」

ついでのことに、芭蕉七部集『炭俵』のこの巻(『梅が香に』のまき)からその句のあたりを拾ってみました。
本当にすばらしい。以下、初折裏1からの12句。

御頭へ菊もらはるゝめいわくさ  野坡 (秋・恋前)
 娘を堅う人にあはせぬ  芭蕉  (恋)
奈良がよひおなじつらなる細基手  野坡(恋)
 ことしは雨のふらぬ六月  芭蕉 (夏・恋離れ)
預けたるみそとりにやる向河岸  野坡(雑)
 ひたといひ出すお袋の事  芭蕉 (雑)
終宵(夜もすがら)尼の持病を押へける  野坡(雑・釈教)
 こんにやくばかりのこる名月  芭蕉(秋・月)
はつ雁に乗懸下地敷て見る  野坡(秋)
 露を相手に居合ひとぬき  芭蕉(秋*)
町衆のつらりと酔て花の陰  野坡(春・しおりの花の座)
 門(かど)で押るゝ壬生の念仏  芭蕉(春)

おかしらへ菊もらわるるめいわくさ。
菊は実際の菊でありつつ、むすめごの名前でもあるわけで、ということは初折りに入ってすぐ恋前句を出しています。
それをうけた芭蕉の
「娘をかとう人にあわせぬ」ってにくいよこんちくしょうってな付句、ほんまに芭蕉は恋がお上手です。
背景がぜんぶみえるような。わずか七七音の句なのに。
つぎのやば句の
奈良がよい、「ほそもとで」は零細商人だとわかりますが、なんで奈良?
なじみの面々が奈良へ何かをさばきに行く。
ついでに娘もさばけますように。
前句とあわせてよみますと、硬いおやじさんが丹精こめて育てた箱入り娘を、これとおぼしき仕事仲間の男にさりげなくあわせている様子がうかびます。
奈良通いは、かよっていくんだね、奈良にいる娘のところに。
そうかそうか。いくえにもかけているんだ。

ほんっとに連句ってすごい文芸だなあ。
芭蕉ってすばらしい俳諧師だなあ。

*

露は本来秋の季語ですが、芭蕉さばきの座でいくつか露を軸にそれを春の露として転じている付け合いが見受けられます。秋と春の句のあいだに一句の雑句もはさまないで。

「六月」(つきなみの月)と「名月」と三句はさんでありますが、今の連句界はこれを嫌います。それだけ狭量になっている。つまりそれだけ式目にがんじがらめになって動脈硬化をおこしている。ご苦労なこっですね。

この文章は「みやま市食の祭典とありあけ連句興行のご案内」に付け足して今朝かいたものですが、こんにゃくの句の解釈がこれまでにないもののようで、といいますのは、これまでの連句のよみを網羅してさらに渾身の自分のよみを加えて書かれたあんつぐさんの「連句の読み方」(思潮社刊)にこの読みは載っていないってことに気づいたからです。
ここは一つきっちりとかいて、おとしまえをつけておかねばなるまい。
と思って、あらためてここにアップいたしました。
先日はじまったばかりのテレビドラマ『仁』で、麻酔なしの手術場面が出ました。
そんなふうに昔はなにも道具がなかったんですよね。
でもそれにかわるものがちゃんとあった。(ドラマではこどもが枕元でいってくれた呪文)

2009年10月 4日 (日)

黒木での句会  「箱」と「布」

先のグリーンピア八女(八女郡黒木町)での連句会には、前田圭衛子先生を師としてお迎えしましたが、歌仙の前後に句会を二つやりました。

そのときの記録をとどめておきます。
まず最初に兼題「箱」の即興吟から。
竹橋乙四郎と澄たからの両氏は多忙でこの句会は欠席でしたが、そのかわり、やまなみ短歌会所属の黒木在住歌人である仁田原陽子、月足いつ子の両氏が参加してくださいました。整子さん、お声かけありがとうございました。陽子さん、いつ子さん、お忙しい中をよくおいでくださいました。そして見事な句をささっと作ってくださって、本当にありがとうございました。さすがやまなみ短歌会の歌人だと感心しました。かささぎの口の悪さはつとに有名ですが、さすがにそのおっしょさんである前田師はその上をいかれますでしょ。笑。忌憚ない声を聞けるという意味で句会はとっても勉強になります。情け容赦ないですものね。

手品師の箱はからっぽ暮の秋   前田圭衛子

 (えめ、らん、陽子、いつ子、整子、恭子、選)
 
天空に秋の小箱が吊られけり   山下整子

 (圭衛子、えめ、らん、陽子、恭子)

重箱につめて栗飯母好み  東妙寺らん

 (呆夢特選、うたまる、陽子)

菊の香を漏らさず紙の箱の黙(もだ)   姫野恭子

 (陽子、らん、うたまる、呆夢)

星月夜積りてままに朽ちる箱   調 うたまる

 (圭衛子、呆夢、恭子)

鈴虫の音を箱につめ子に送る   月足いつ子

 (うたまる、整子、圭衛子)

台風に箱入り娘の気になりて   仁田原陽子

 (えめ、いつ子)

萩の柄裁縫箱に仕舞ひけり    青翠えめ

  (整子)

立佞武多箱庭の様な街を見る   八山呆夢 

▼事前投句兼題「布」

虫の音を布に織り込み纏いたし   八山呆夢

(圭衛子、乙四郎特選、らん特選、うたまる)

瀑布あり秋には秋の顔をして    山下整子

(圭衛子、乙四郎、音彦、恭子特選)

晩夏このさびしさゆえに布洗う    前田圭衛子

(音彦、整子、恭子)

秋桜白布置かれし顔とゐる      姫野恭子

(圭衛子、整子特選)

余り布ささやかに縫うそぞろ寒    澄 たから

(らん、呆夢)

布製の女が消えし泡立草       中山宙虫

(整子、恭子)

布当ての学生服にオナモミの実   竹橋乙四郎

(うたまる)

布袋さん柿をかかえて帰られぬ    古賀音彦

(乙四郎)

いつの世も布(ふ)に置いたるは心内    調 うたまる

(恭子)

参照

立佞武多(たちねぶた):http://www.tachineputa.jp/festival/index.html


オナモミの実:http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2007/10/post_746.html

2009年9月29日 (火)

山本健吉『虚構の衰頽』 4

 4

 最後に一つ蛇足ながら附加えることをお許し下さい。

  病み呆けて泣けば卯の花腐しかな
  卯の花腐し根嵩うすれてゆくばかり
  緑なす松や金欲し命欲し
  夏ちかし髪膚の寝汗拭ひ得ず
  がゝんぼに熱の手をのべ埒もなし
   
かく衰へて
  梳る必死の指に梅雨晴間
  裸子をひとり得しのみ礼拝す
  西日照りいのち無惨にありにけり
   
七月二十一日入院
  蝉時雨子は担送車に追ひつけず

 これは御承知のように秀野の病中吟です。
如何にも命死にゆく者の予感にあふれた作品と言えましょう。これらの作品を見ても、肉親の欲目からと言おうか、どうせ俳句はこしらえ物だと思って強いて安心しようと致しました。本人も直るつもりでいたし医者も、死病とは言わなかった、だが看病人の希望よりも、近代科学の判断よりも、病人自身の気なぐさめの言葉よりも、何よりも作品自身が「死」の面前をはっきり語っているのではないでしょうか。この作品に現れている予感を何故僕は最高の病気診断書としなかったか、今になって悔やまれるのです。本人が生の希望を棄てなかった時、俳句が死を覚悟している。実生活よりも作品の方がいっそう真実を貫いている。生活は俳句に追いつけないのです。
 『蝉時雨』の句から永眠までの二ヶ月間彼女には作品がありません。作るよりも直す方が大事だといって、一途に病気の平癒を心がけました。俳句のことを思ったり、会話に波郷とか友二とか出たりするだけでも、彼女の心臓は動悸がして苦しくなるのでした。死の数日前珍しく今日は運座をやろうと言い出したことがありますが、もはや作る気力はなく、どういう句が彼女の胸に思い浮かんだのか想像するよすがもありません。だがあの「蝉時雨」の句は、今にして思えば彼女の絶筆として相応しく、その句生涯に見事に終止符を打っています。あのような句を作ったら、そのあとさらに作品が続く必要はないのです。洛西宇多野療養所に入院の日、僕たち親子三人はハイヤーで療養所に着き、僕が受付で手続きをすませている間に、看護婦たちはすばやく彼女を担送車に乗せて、長い廊下を病室へと運び去りました。そばに父親の姿も見えず、母親も何処かへ運び去られてしまうのに青くなった六つの安見子が、必死になって担送車のあとを追いかけました。担送車の上から母親はしきりにオイデオイデをします。あとで病室で彼女は僕にこのことを言い出し「私のような者も親だと思えばこそ追いかけてくる」と涙ぐみました。
 死にゆく者には誰も追いつけないのであります。
 僕にはこの句の担送車が葬送車とも、否幽明と現世をつないで天空を駆けゆく幻想の車ともきこえるのであります。そして木立の多い鳴瀧の病院の蝉時雨はあくまでも現実のものではありますが、同時に葬送曲めいた天上の言葉ともきこえるのであります。あまりに現実的な句でありますが、そのままで同時に荘厳なる虚構を現じ出しているのではありますまいか。それともこれは永遠に追いつけざる者の恣意なる幻想に過ぎないのでありましょうか。
 処女時代に虚子翁の手ほどきを受けた彼女は、始めから写生道の実行者であります。彼女は他の誰よりも虚子翁の大と抱擁力とに尊敬と感謝とを捧げていたのであります。唯彼女の生来の豊かさが、虚子翁を尊敬して低調な平明写生に至る道を選ばしめなかっただけなのです。波郷、友二君等「鶴」の連衆との出会いが、彼女の文学の可能性に実現の機会を与えます。彼女はそれまで馬酔木調や、新興俳句や、難解俳句の洗礼を一度も受けたことなく、その意味では「鶴」同人の中で一人違った句歴を持っています。彼女は「鶴」の生活者的鍛錬道の中に、古典と競わんとするささやかな同好の中に、ホトトギス的写生の実行者が投ぜられた時如何なる作品を生み出すかの実験を供します。手段がここでは高次の目標と理想とに結合します。波郷君の傍らに在って、彼女も「純粋俳句」の使徒たる光栄を担います。追悼句会の席上で三鬼君が言った「生きながら俳諧の鬼女と化した」という言葉をこの世からのこの上ない袂別言葉として、彼女も俳諧古典の系列の居並ぶ末座にささやかな座を占めます。それは友二君が「ひとつ余りけり」と嘆いた「くれなゐの座布団」でもありましょう。俳諧史上「くれなゐの座」は寥々として少いのであります。
 俳諧とはひっきょうつきあいであり、「伴侶芸術」(川口松太郎氏の言葉、万太郎氏からききました)であり、デイアレクテイクであるとすれば、俳句つくりの伴侶を失った俳句を作らぬ僕に、俳句とのつながりは切れたようなものです。俳句論をやる実生活的基礎を失ったも同然です。それはもはや相手のない独語のつぶやきに過ぎません。従って僕にとって、俳句は芭蕉に始まって秀野に終ったというのが偽らぬ実感であります。しめっぽい話になりました。これも虚構俳句結構論にとって何かの示唆になるでしょうか。実体のない俳句論に終ったことをおそれます。
(1947・12・4)

 『虚構の衰頽』 山本健吉 
  『現代俳句』昭和23年1月号掲載

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