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2014年10月20日 (月)

久留米の印鑰神社と八女の是善社は似ている

久留米の印鑰神社と八女の是善社は似ている

八女市上陽町下横山のおぼろ大橋の上です

久留米の印鑰神社と八女の是善社は似ている

久留米の印鑰神社と八女の是善社は似ている

久留米の印鑰神社と八女の是善社は似ている

去年受験前にたずねていった記録;
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-3aca.html

ふと、お礼参りに行っていなかったことに気づき、やってきた。

うどさんまいりはああ、はるさんがあああつよ、まいる、はらせ
まいるそのひが、あああ、ごえんにち

(民謡がさいきん頻繁にでてくる。シャンシャン馬道中うた。)

白い帯状の雲が神社のうえをはしっていた。

手をあわせて去ろうとしたとき、ここはどこかに似ているなと。

御井町の印鑰神社の雰囲気とよく似ている。

まつられているのが父子だからというのも理由として成り立つが、ほかにもあるような。

久留米市御井町 印鑰神社(いんやくじんじゃ):
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-3.html

久留米市御井町 印鑰神社の由緒書き
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-4.html

菊のご紋章、はんぶんにわれていますね。鳥居の紋章
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-5.html

是善社の案内板、けさ、じっくりと読む、拡大して。
キリシタンの賊徒が肥前の南たかぎぐん(高木という苗字、そういえば星野に多いよね。ともだちにも二人いたっけが)の原の城うんぬんとあるの、あらあ、島原の乱のことだ!といまごろきづく。http://www16.ocn.ne.jp/~sironoki/200fukuokaigai-no-shiro/248hara/hara0.htm

2014年7月16日 (水)

聖方紀州風土記の謎が高良山十景歌の謎と繋がる!

きょうこちゃん。

 

今日のお昼過ぎに、資料のコピーをいただきに、国武先生のお宅にお邪魔したら、ちょうどまだ先生がいらして、ひじりかた風土記のコピーし損ねた分について確認することができました。

コピーし損ねたわけじゃなかったよ。

先生の資料自体が7ページ目が欠損していた。

6ページから8ページになってた。

それを確認させていただいたので、預かってはこなかったけど、いいよね?

 

水月さんにもその旨を補記してくださればありがたい。

よろしく。

 

せーこ

というメールが来ていた。
そうだったのか!七ページ目は元々なかったんだ。
それなら明日はすいげつさんに送りますか。 


まちかねとんしゃるみたいやし。

人にあげる書類、先に読んでおかねば、と
工場で残業前のおやつタイムに読んだ。
というかぱっと目についたとこがここだった。
10とナンバーが振られているページ。
それ、そのまんま書き写す。
出ない漢字もありますが、なるべく忠実に。
このページだけでも、値千金。

聖方紀州風土記 より

第二世、    ○阿上人 (○は朱の下に皿の字)

(ブランク)

 講坊建立記畧

 紀州高野山千手院谷光○院講坊門内十二院、
後鳥羽院御宇建久年中ニ河原大○侍従造立之寺
也。彼女、○ハ筑後國高良山庄主履中天皇末孫
隆慶庄主ヨリ二十三代権僧都永弁之女子也。
 
 高倉院御宇采女官女、世ニ待宵小侍従ト云フ

写真は前の記事で出しましたが、これです。

小侍従の正体

(クリックして大きくしてごらんください)

ね。

誰だってここまで読んだら、ええーっ!とのけぞるに違いない。

なんなん。こんなところで高良山だよ、もう。

あなたはだれ?

履中天皇!!

ひえ~~~九州王朝じゃないか!

紀伊高野山。ここ。

http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/tou_koyasan.htm

りちゅうてんのう。ここ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%A5%E4%B8%AD%E5%A4%A9%E7%9A%87

あなたはだれ?こうらさんのひみこ?

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-9a58.html

2010年12月17日 (金)

学長からキャンドルナイトのご案内&調うたまるさんからのご案内

保健医療経営大学学長
 橋爪 章
2010 年 12 月 17 日 キャンドルナイト

今冬も、保健医療経営大学を会場に第8回木ろうの里みやま市40000人のキャンドルナイト」が開催されます。

12月18日(土)18:30~21:00です。

入場料は300円(小学生以下無料)です。

今回のイベントは、

第2回エコライブ in みやま

和ろうそくで楽しむ かな書&絵てがみ展

です。

ゲストにギター製作者の中山修さん(八女市立花町の工房でバンブーギターを製作されています)とバンブーギタリストの石橋正一さんをお迎えします。

和ろうそくのみでのキャンドルナイトと煌びやかなバンブーギターの音色をお楽しみください。

(保健医療経営大学<学長のひとりごと〉転載)

▽八女星野の調一族である調うたまるさんからのお便り

こんばんは。

今年はめまぐるしく1年が過ぎました。
来年こそは、連句にも少し力を注ごうかなと密かに想いを
誓っている今日この頃です。

私は現在以下の雅楽団体に
所属しています。※熊本の神主さんも稽古にみえてらっしゃいます。


http://www2.ocn.ne.jp/~heiryu/heiangakusha.htm

ここは日本ではとても珍しく平安時代の古雅楽を中心に行っています。
師匠は演奏家でもあり現在の古雅楽研究では抜きんでています。
で、今年のテーマはずばり「平家物語」。。
※CDもリリースされました。
ちょっと因縁めいたものも感じます。

来年も引き続きこの「平家物語の雅楽」をテーマに活動を行っていくのですが、ふと考えたのが、地方の地域的文化遺産とのコラボを行っても良いのかなと。。
そうした時には、九州にはとても有形・無形文化遺産が多いではないかと。
例えば平家とゆかりの深い久留米水天宮とか、幸若舞とか。もちろん
連句もふくまれますよ。
こうした有形・無形文化遺産と連携して共に少々活動の域を広げてみるのも面白いかなとちょっと考えています。

確か今年めでたくご結婚された音彦さんは、そのような文化遺産に
携わっておられるお仕事だったような。。

まだ、思いつきでしかありませんが、機会がありましたら音彦さんと
お話してみたいなと考えています。

姫野さん。ご興味ありましたら少々考えて見ませんか?
ではまた連絡いたします。   

             
     しらべ

▽かささぎのひとりごと

あした、冬至のキャンドルナイトなんですね。
かささぎが今年参加したのは、夏至のです。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-20.html
ゲストがバンブーギター製作者とそのギタリストと書かれていたので、ふっと思いついて、ちょうど届いてたうたまるさんのお便りをくっつけます。
(うたまるさん、そういう運命なので、ごめんなさい。)
いろいろ、シンクロしているな。と思っています。
音彦さんのお仕事は文化財なので。
こないだ、神津呂伊利さんが帰省されて、そのとき行ったとコメントをいれてくださった、坂本繁二郎生家、そのお茶の接待も音彦さん、なさっていたようですよ。これは奥様からじかにきいたことだから間違いありません。笑

やがて、未来になれば、どらえもんのどこでもドアーみたいな方法で、行きたいところへすぐ行ける。そうなれば、こんどの八女の楽園での忘年会にもしらべさんやろいりさんやさくらさんや京都のりかさん〈わお、ヴァイオリニスト!〉や、ヴァイオリニストで思い出す、ザ・ヴァイオリンの著者のお医者さま・香川宜子先生、はるばるいきたいが一度もいけてない、はこだてのすぎさくせんせいや、えーとどこかしらないのですが、東京のはずれみたいな希望さん、いきてるかくたばったかさっぱりわからん、たぶんいきてるぜってえいきてる、だってかささぎのともだちだもの、の、ギフのいなかもん〈笑・そういうわしはなんやねん)オノダ、山口の市職員のさかごクラブ仲間のまったく結婚後連絡ひとつしない木戸ようぞう、おなじく山口は周南市のパティシエ山本かぐやさん、それから前・亜の会仲間の沢都や天野おとめや小梅わこ、天真実、ほかにも忘れちゃいけない福岡の博徒ばどさんなどなど、あったことのあるひとも、ない人も、一堂に会して、いっしょにごはんをたべようよ。

2010年9月28日 (火)

久々の高良山十景歌、寂源の蛍

  これは漢詩に出てきた字です。(あの日始めてみた字。)

高良山十景歌の寂源の漢詩

前回、まちがえていましたので、訂正いたします。

千古の霊神垂降の日 渓流手洗小橋の名

丹良今昏衢の燭を秉て 山僧に分与し夜を照て行しむ

と、ネットから拾った読み下しではこうなっていました。
しかし、御井町誌にかかれていた漢文表記ではこうです。

丹良今秉昏衢燭  分与山僧照夜行

にら、こんこん、ちまたのしょくをすて。とよんでいたかささぎ。

ちがっていました。ほたる(たんりょう)今、暗いちまたの燭をとりて
山僧にわけ与え夜道を照らそう。・・・でもこれでは意味が通じそうで通じない。
これもまちがいなのだか。
下の大きな字はネット辞書からひろったものです。
それによると、熟語がひとつあり、それは(へいしょく)、夕方という意味です。
んで、これがもし、ひとつの熟語なら並びが違います、その上、昏(くらい)という字までありますから、くどいことこの上なし。これもどうもちがう。

そこで別角度から、。
御井町誌のこれが正しい語順として、昏衢ということばがあるか?

ありました。くらいちまた。で、「こんく」と読むようです。http://moon.ap.teacup.com/nanpu/321.html

すると、これは釈教の漢詩ということになります。
意味は、だいたいこんな意味でありましょう。

ほたるが今、この苦しい巷にほの明るい燭をかかげてくれる。
山僧たちにも分け与え、夜道をあかるく照らして行こう。

寂源の蛍は、法灯の暗喩でありました。

【秉】 8画 (3) 1級

[音]

ヘイ

[訓]
まも
いねたば


《意味》

  1. とる。手に持つ。しっかり持って守る。
  2. 心にかたく守る。

【秉る】とる

手に持つ。しっかりつかんで守る。転じて、心に固く守る。

(

くわ

)

を秉る」

【秉へいい

天から与えられた正しい道を守ること。

【秉へいしょく 

灯火を手に持つこと。転じて、灯火を

(

とも

)

す頃。

(

よい

)

。夕方。

【秉夜遊】へいしょくやゆう 

灯火を

(

とも

)

して夜まで遊ぶ。短い人生であるから夜まで遊んで大いに楽しむこと。

(

ともしび

)

(

)

りて夜遊ぶ」が書き下し文。


【国秉】こくへい

国家を統治する権力。国権。
「国柄」とも書く。


《字源》

(か)+(ゆう)

(

いね

)

を束ねて手に持つ形。その一束をいう。
一本の

(

いね

)

を持つのは、二本なら「兼((けん)
「秝(れき)+(ゆう)で二本の

(

いね

)

を持つ象形。


2010年5月16日 (日)

御井寺

御井寺

ありました、探していた御井寺。
参道がはじまってすぐのところ、磐井の清水よりも手前左側に。
早めに登った甲斐がありました。

2010年5月 5日 (水)

高良山十景歌のつづき。

一月近くも放っていました。

片心に常に気にかけていたのですけど、あまりの漢文の嫌さにやる気が起きずすみませんでした。

さあ、ぼちぼちやりますか。まちがっててもいいから。がんばれ!自分。

(つづきです。)高良山からみはらせる景色を列挙しています。見晴らせる景色、すなわち、自分の立ち位置の確認でもある。政治状況から生活全般、なにからなにまで。教えてもらえます。なにも知らないかささぎは、目を白黒して、すなおに話をきくことにします。

立花飛騨守居焉 西北去山四十余里實満岳*縹渺天表其南去此八九十里肥之雲嶽如一片雲俯瞰山下平地千里村々煙接山々碁布可以視国政之豊効焉、筑川如帯縈(えい、めぐる)廻入南海囘睇四隣嘉木葱鬱和気抽緑、暖靄蒸紅、尤宜春望、故以春望命題尭恕親王製詩妙法院二品法親王藤僕射凞公詠和歌近衛左大臣藤原基凞公其吉見者、在竹楼西北、孤峯崒嵂(こほうしゅつりつ)、絶壁百仞、天正中、博陸秀吉公征西之日、壘其峯巓四邊櫻華、繚乱爛漫眩耀心目、故以満花為題。

意訳)
立花飛騨守*の居はどこだろうか。四十里ほど西北には宝満岳が縹渺とそのすがたを見せている。八九十里その南には肥の雲嶽(雲仙岳)が一片の雲のように山の下を俯瞰している。平地千里の村村の煙は国のまつりごとの豊かなみのりを見ることができぬほどに碁布(散在)する山山に接している。筑後川は帯のように南の海の・・ううわからん!
かいてい、ってのを調べる。回るのできそこないみたいな字と、目に弟。
一つヒット。そのまんまひっぱってくると。
漢詩のスタイル分類みたいなサイトだと思うのですが、全部漢文なので想像するだけです。http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/index.php?%E5%BD%8A%E6%9D%91%E5%8F%A2%E6%9B%B8%2F%E5%BC%B5%E5%AD%90%E9%87%8E%E8%A9%9E

かいていって、たぶん、目をぐるっとめぐらすってことじゃないかな。

仙呂調案天仙子前卷入中呂宮醉桃源前卷入大石調俟攷

河傳

花暮春去都門東路嘶馬將行江南江北十里五里郵亭幾程程   高城望遠看囘睇煙細一作高城漸遠重凝睇煙容細晚碧空無際今夜上一有不知二字何處冷落衾幃欲眠時

かぼくねぎうつ。嘉木=りっぱな木。葱鬱ってなに。ねぎうつじゃないよね。
しらべると、うわ愕いた。たくさんの鬱。これをみよ。鬱の拓本ベース。
http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/djvuchar?9B31

どれがすき?
ってそういう問題じゃないだろうが・・・。葱ほどの憂いってどれほどの憂い。
はい、これほどのうれひです。

http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/djvuchar?8471,9B31

日本語がよみたい。わからない。
日本語のヒットするサイト
http://www.shimin-kyodo.sakura.ne.jp/bungei/aichikogan/tokaido149.htm

「此処ヨリ二三谷ト云ヲ経テ雑樹葱鬱タリ漸ク攀登リテ
  家老ケ平、小姓ケ平ト云地アリ、巽位ニ熊尾山聳タリ
  北ハ此処ニ処リテ小岐須山の界ナリ」

 この御所谷から御所平に登る道、これはいま相当荒れている。
二三谷は御所谷のどれかの枝谷だが、比定することは困難である。
ここを過ぎると、ようやく二次林の雑木も
矮小となり、登り終えたところが平坦な御所平、そののなかで家老ヶ平、小姓ヶ平と云うところである。これはいまも同じ場所を指して呼ばれている。
 ここから巽の方角すなわち南東に熊尾山が聳えている。北にはここから峰続きの小岐須山(小岐須峠)がある。

以上、引用文です。わかりました。矮小となる。という意味が葱鬱です。

では続けます。筑後川は南海へ帯のように流れ込み、目をぐるっと四囲へめぐらせば、立派な大木や矮小な木がそろって和やかな気をかもし出している。暖かな靄が花の紅にかかり、もっとも美しい春の眺めだ。

ここまでにします。以下、のこってしまいました。

故以春望命題尭恕親王製詩妙法院二品法親王藤僕射凞公詠和歌近衛左大臣藤原基凞公其吉見者、在竹楼西北、孤峯崒嵂(こほうしゅつりつ)、絶壁百仞、天正中、博陸秀吉公征西之日、壘其峯巓四邊櫻華、繚乱爛漫眩耀心目、故以満花為題

注記;

*立花飛騨の守ー立花忠茂か鑑虎か。http://homepage3.nifty.com/hyuuga/daimyou/tatibana.htm

*實満岳・・・宝満岳の間違いではないだろうか?とかささぎは思う。
つまり、三笠山。いやなんとなくの直感。

碁布ってなんだろう?「ごふ」と最初は読んでいた。碁盤の目みたいな布がみえるさまかな。なんのことかさっぱりわからん。辞書もない。ネットで一応検索。諏訪清陵高校の校歌がヒット!やったね。
http://www.nagano-c.ed.jp/seiryohs/uta/kouka2.html

あら。くるめじゃないんだな。長野。そうかー同じ地名は何処にもあるけど。

この4番の歌詞に。

※「鬱」について;この字のもともとの意味は「息苦しいほど木が群がって茂る」ということだそうです。 参照;http://kokurabaptistchurch.radilog.net/archives/200709.html

2010年4月 7日 (水)

高良山十景歌 筑後志の漢文の説明文の続き。

前回から又かなり経ちました。

妙なところで切ってしまっていました。

つづきをやります。

わからないところをごまかしながらやっていくうちに、ひょいと見えなかったことがみえるときがあるので、案外素人をばかにはできません。漢文のプロの方、わらわないでください。(たすけていただけると、ありがたし。)

校訂筑後志巻之五  高良山十景詩歌(295頁)より

佳気蒼々如蒸、国主有馬中務大輔源頼元朝臣居焉 転眸西南四十里許有肥州佐賀城聳乎霞外 鍋島丹後守居焉 南望三十里許柳川城竦(すくむ)於海中宛如蜃楼陰晴隠顕足観法無生 立花飛騨守居焉 西北去山四十余里實満岳縹渺天表其南去此八九十里肥之雲嶽如一片雲俯瞰山下平地千里村々煙接山々碁布可以視国政之豊効焉、筑川如帯縈(えい、めぐる)廻入南海囘睇四隣嘉木葱鬱和気抽緑、暖靄蒸紅、尤宜春望、故以春望命題尭恕親王製詩妙法院二品法親王藤僕射凞公詠和歌近衛左大臣藤原基凞公其吉見者、在竹楼西北、孤峯崒嵂(こほうしゅつりつ)、絶壁百仞、天正中、博陸秀吉公征西之日、壘其峯巓四邊櫻華、繚乱爛漫眩耀心目、故以満花為題。

かきはそうそうとしてむすがごとし  良い気が青青と満ちてむせ返るようだ。
こくしゅありまなかつかさだゆうみなもとのよりもとあそんのきょはいづくんぞ 
めをせいなんしじゅうりばかりてんずればひしゅうあり。
さがじょうはそうがいにそびゆるか。なべしまたんごのかみのきょはいずくんぞ。
みなみをのぞめばさんじゅうりばかり、やながわじょうはかいちゅうにすくむ。
しんろういんせいいんけんそっかんぽうむしょう。のごとし。・・・(?ここのところが、さっぱりわかりません。なぞです。かささぎの推理。柳川城は海の中にすくんでいるかのようにみえる、っていうか、ほんとはみえんちゃけど、いちお、漢文でかいたら、おおげさに詩的に書くから、そうかいたまで、。なにしろ、くもりは晴れに、隠れたものもたち現れる、これがかんぽうむしょうの方法だから。・・・足がわからんと、足が。観法無生もわからんばってんね。

まあ、よかよか。つぎいこ。つぎ。

たちばなひだのかみがきょはいづくんぞ。せいほくにやまをさることよんじゅうり、ほうまんだけ(宝満山のことかなあ。實と宝は字がちがうのに、ついほうまんだけとよみたくなっちまうよね)はひょうびょうとしててんにそのみなみをあらわす。ここをさることはちきゅうじゅうり、ひのくもだけ(でいいのかな。肥後の雲仙岳のことだと思うけど、違うかな)はいっぺんのくもがやましたをふかんして、へいちせんりのむらむらのけむりはやまやまにせっす。うーん。漢文はどこできるのかがわからないよねえ。けむりがせっするのは山だろうか。それともやまやまのごふ。だろうか。ごふってなに?しらべなきゃ・・・

(ここまで。もう、ねむい。あしたまた続きをやろう。)

でも、一つどうしても気になることが。

それは、肥前かな、肥後かな。雲岳は。そもそも雲仙岳じゃなくて、普賢岳じゃなかったかな。
で、しらべる。ひや~!!どっちもだ。しらなかったなあ。
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-ytpprn&p=%E9%9B%B2%E4%BB%99%E5%B2%B3%E3%81%AF%E8%82%A5%E5%89%8D%E3%80%81%E8%82%A5%E5%BE%8C%EF%BC%9F&ei=UTF-8

2010年3月30日 (火)

高良山十景歌 のつづきをやりましょう。

ひょっとして、これまで、だれもやってこなかった?

高良山十景歌。

まさか。せめて一人くらい、いてもいいのに。
だけど、ネット上では、行き当たりません。
寂源がかわいそうだ。
かささぎが最初にこの歌を知ったのは警備会社で事務をしていたころです。
女ボス(実質社長)は久留米の古い家柄の娘で、江戸千家のお茶と、流派は忘れましたが、長らく書をなさっていて、それはそれは見事な「かな書」を書かれました。それにこの高良山十景歌があるとおっしゃっていました。
ところが、おかしいのですよ。
かなや難しそうな書をなさる方すべてが内容をわかって文字をかかれているかというと、それは又別みたいなのです。

毎日少しずつやって、らんさんたちの挙式までになんとか上げてしまいたい。
忘れているわけではありません。
つづきをやります。
漢文解読になります。漢文は苦手でして、へまをやると思います。
それでも、やります。おなじアジア人だし、書いた人は日本人ですものね。

先日からのつづきです。

1其の竹楼は山中の要所にして目を極める絶境の地なり。・・・よくわからん。
白文:其竹楼者、山中之要会、極目之絶境也、

2わたしは蓬藋を排きこれについて竹楼を架す。・・・よくわからん。
白文:吾排蓬藋、即此架竹楼、
例文:http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/ShikoTeiyo/0054202.html

3その楼にのぼりて、西を望めば、久留米は前に在り。・・・これはよくわかる!
白文:登斯楼西望久留米在前、

斯がthat, 此がthisですね。

4相隔てること六、七里、粉堞層々として畳出で・・・後半いまいちわからない。
だけど、なんとなく、こういうことだろうとおもうんだ。
六七里隔てた久留米の町は眼下に、ちいさく細かな粉状のひめがき*が折り重なって、たたみ状にみえる。
白文:相隔六七里、粉堞層々畳出、

「粉堞」が出てくる漢詩(が出てくる研究論文。なんと芭蕉の歌仙講釈じゃないか。地獄で仏。ありがたやありがたや)
http://hw001.gate01.com/suzuki-k/tobinoha%204.htm

さらにしらべる、ちょうの文字。訓読みですと、「ひめがき」。
ひめがきでしらべます。ここにつながる。中国の城の構造。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%95%E5%9F%8E

上記より、ひきます、

堞(ひめがき)とは。

甕城(おうじょう)は城門の両側に城壁を半円(四方)に配し、城門には城楼を設営する。
城壁の天面は兵員の往来が可能となっており、女墻(じょしょう、ひめがき)という低い防御壁で防備されている。

以下、次号。

すげえ。どんどん話が大掛かりになっていく。

2010年3月22日 (月)

高良山十景歌 古賀音火子さんが送ってくださった資料より

かささぎには時間がない。そこでこういう手段をとります。
資料を打ちこみ、手で考える方式です。
せっかく写しを送って下さった古賀音彦さんの心を無にしないためにも。

『校訂筑後志巻之五』より引用いたします。
(S40    杉山正仲    小川正格 共著)
原著は伊藤常足、江戸時代http://www1.bbiq.jp/iwamiya/yu1/kemuri1_002.htm

  ○    歌枕名寄(實方)

おぼつかな我ことづてん杜鵑
 はやみの里にいかに啼くらん

●山本の里  山本郡にあり。耳納山の山麓にありて前に原野連って筑後川を遠望し、嶺巒松柏鬱蒼(れいらん・しょうはく・うっそう)として楓樹色を交へ、秋陽錦綉を織るが如くその風景賞観すべし。

  ○     万葉集 巻之三 高市連黒人
旅にしてもの恋しきに山本の
 あけのそぼ船沖にこぐ見ゆ

(上は高良山とは関係ないようでありますが、山本という地名は高良山の東北の麓の里ではあり、ついでに引用しました。途中からのコピーでありまして、前後の脈絡がいまひとつわかりません。すみません。いずれ図書館でさがしてみます。)

●不濡山 一名青山、或は高牟礼山、御井郡にあり。
これはすなわち高良山の一称なり。不濡山(ぬれせぬやま)の名義、先輩の説一ならず。けだしことごとく臆説に出で、信ずるに足らず。山形孤立して四方を眺望し、四時の佳景、列記すべからず。
元和中、座主寂源、当山の勝地十境を撰んで、十名所と号じ、帝都に至り、竹園公卿及び明師雅友の詩歌に名ある人に就いて、その詠題を請ひ、輯(あつ)めて巻帙(かんちつ)となす。そのことばにいわく。(ここから漢文、しかも超なが!てきとうにすっとばします。超意訳。)
高良山のあるじ、寂源僧正は天台宗の僧にして、当代きってのインテリなり。
子があったかどうか、かつて見たものもなく、一日叩き、奇行を隠し、喧凉を叙し、ついにこういう。わたしはこの良山に住んで二十年になるが、この山の形勝は筑州一にして、是に勝るところがほかにあろうか。けれどもここは僻遠の地で上都を隔てること千里、だれも詩人や行楽客は訪れてはくれず、詩賦歌頌(しふかじゅ=ほめる詩歌、称える詩歌)を胎すものもいない。われ、この山の霊のためにこれを惜しむ、ゆえに二三の莫逆(ばくぎゃく、親友)と山中の名所をえらび、西湖の十景にならって十の題を決めた。

竹楼の春望、吉見の満華、御手洗蛍、朝妻清泉、青天の秋月、中谷紅葉、不濡山の時雨(雨冠に衆の一字、変換不能)、鷹尾*の素雪、高隆の晩鐘*、玉垂の古松、すなわち躬(身、みず*)からこの十題を齎(もっ)て洛に趣き、王、公卿、太夫など詩歌の妙手二十名に吟詠を依頼し、これを得た。
(つかれたので、ここまで。この項つづきます)。

▼かささぎの旗の独り言:
いきなり高良山十景歌へ入ったのはまずかったと悔いる。
事前知識がなければ、よみは成り立ちません。無理してはしくじります。
さいわい、これがかささぎのもって生まれた幸運というやつでして、俳縁の友、東妙寺らんの婚約者の古賀音彦氏(やまなみ短歌会所属歌人であり、連句会亜の会に片足つっこんでいる連句人)は久留米市役所文化財課勤務(これでいいですか?なにしろ課のなまえは沢山あってわからないんで)です。ほしいときにグッタイミングでほしい資料をどさっとくれました。ありがたし、ありがたし。ほくほく。(にか~よりやや上品な笑)
ゆっくり進めますので、どうぞみなさま、お付き合いのほど。
今日のところ、一箇所めんどうですっとばした箇所あり。
「佚遊漂寓」あそびをのがれ、
あちこちさすらう。っておかしいなあ。あそびくらす、きままに浮遊する。ん。こっちのほうがぴたっときますね。これは、どこに入ったのかな。だれも詩人や行楽客、つまりきままに遊び暮らすようなやからはこない。と、ここに入るのだ。

今から350年ほどの昔、芭蕉の時代、そんな「行楽客」なんてことばはなく、王侯貴族か、お公家さんか太夫でもなければ、旅や娯楽は滅相もない時代だったんだね。ということがよくわかります。
それと大事なことがわかりました。
*鷹が峰って寂源が久留米の高良山から京都へ帰ったとき住みついた地名です。
徳川家康に仕えた本阿弥光悦が家康に拝領した地で有名です。
高良山にもおなじ嶺のなまえをつけたのは、寂源であったのでしょう。
なにか光悦によほどの思い入れがあったのでしょうか。いつか詳しくこのところを調べてみたいものです。

*晩鐘について。この時代の鐘の音には、かささぎもひとしおの思い入れがあります。
それは芭蕉の冬の日歌仙の鐘の音(杜国の句だったかな)から始まっています。一度、れぎおんにも書かせていただきました。昭和の天文学者で戦後すぐの山口誓子俳句との『星恋』という共著がある野尻抱影の解説文を読まねば、決してきづくことなど出来なかった、むかしの人々の晩鐘に寄せるあつい慕情が、いま、かささぎにはよくわかります。ですから、ここに寂源が挙げている晩鐘には、とっても共感できます。
野尻ほうえい:http://fkoktts.hp.infoseek.co.jp/NOJIRI.1.html

*躬(身、みず*)から、と勝手によみくだしましたが、自らは身づから、と書くのかもしれませんね。ただ、身という一字すら、むかしの人は、たくさんの漢字を使い分けたのかもしれなくて。わたしには、この「躬」は、浄瑠璃作家の若竹笛躬(わかたけてっきゅう。または、ふえみ。ふえみとよむ式は、杉山洋先生の文章で知りました。八女燈篭人形夜話で。竹が三つもある名)のなまえを連想させます。
石橋秀野の随想や俳句に出てくるからだという字は、骨が豊かと書きます。體。
それとおなじで、身ひとつにも、いろんな概念をこめた。それがよくわかります。

いただきまして有難う。ゴザリます。

いただきまして有難う。ゴザリます。

祝日ですが、今朝は、八時半から仕事でした。
八時前に到着、車中でむすこおすすめのバックストリートボーイズ『Straight Through My Heart』を三回聞いて時間調整をしました。
半ドンだったので、鮮度市場で買い物をしようと思ったら、市場はお休み。
バイパスのハローデイってところで三日分の食料をかって帰りました。
すると玄関口にらんちゃんから上記の資料が。
おお、おとひこさ~ん!!!ありがと産休縁まっち。
いそがしかとに、かささぎめのサインをきっちり受け止めてくださって、ほんなこて、がばうれしか。

そいばってん、むずかしかねえ。こいばどげんせえっていうとね。
べそをかいているかささぎである。(そーたい。またまたどっさり漢文が出ると。)
あーくそせからしか。てきとうにいこよ、てきとうに。よっぽど的外れじゃない限り、なんとかなるじゃろちおもわにゃ、やっていけんたい。

で、連鎖的におもいだした!!
25日に発売される『俳句界』4月号(文学の森)にかささぎは石橋秀野についてちょっと書いたのですが、じつに適当に書いている。どんなふうに適当かといえばね。・・・
まあ、買ってよんでくださんし。

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