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2009年11月 7日 (土)

保健医療経営大学英語講座           hのないジョン、hのあるジョン

午前十時から、英語の授業に出席しました。
たからさん(まりさん)が車に乗せて行ってくれました。
これまで月に二回、水曜日の夜七時から八時半までのクラスに参加していたのですが、仕事が七時までになってからはそれができなくなりました。
ちょうどそのころ土曜のクラスが始まり、だれでも参加できるというのです。
こないだの学園祭で、佐藤教授ともばったり会いまして、予習しなくても大丈夫だといわれたので、安心して参加した次第です。笑

内容は英検二級程度。
長文を読んでいますと、一つ二つ単語がわかりません。
でもほかの意味はわかるので、意味を推測してよみます。
間違っていたら先生が助け舟を出してくださいます。
内容が現在のアメリカを語るものですので興味深いです。

たとえば、こないだのは、グラマラス・キャンプという題のコラムでした。
なに、それ。グラマーなおねえさんにあえるキャンプ?
ちがいます。グラマラスってのは、ぜいたくな。って意味です。
ぜいたくなキャンプとは、自分でテント張ったり地べたに寝ないで、ホテルなどでお金を使ってキャンプすることらしい。だったよね?はたしてこれでキャンプといえるかどうかは疑問ながら、だんだんぜいたくになって自分の体を動かさないようになる、その結果野性的とは反対になっていく・・・というの、わかる気がしますがそれじゃキャンプじゃないっちゃない。

今日の話で面白かったのが、レンタルペットの話“Part-time Pets”。
犬や猫のペットをレンタルでデリバリー(配達)する会社があるそうです。
数日間レンタカーのように貸し出し、気に入れば買ってもらう、合わねば戻してもらう。というシステム。ですので、残酷ではなく、却って動物にやさしい。最初から買い取れば、その犬と合わなかった場合、犬は捨てられる運命にあるけど、レンタルならそれは避けられるからです。なるほど合理的ねーと感心しました。

さて今日出合った英文のなかに、人名のジョンがありました。

つづりは、JON。私ははじめてみました、このつづり。
知っていたのは、JOHN、聖ヨハネから来た名前ですよね。
それで、佐藤先生に尋ねました。
先生はこっちのつづりのジョンもあります、誤字ではありません。とおっしゃいました。
聖書のヨナ、とかジョナサンからきた名前だとのこと。
そこで手持ちの辞書でひくと、たしかにこう出ています。

JONAH ヨナ、[聖]ヨナ〈ヘブライの預言者〉旧約のヨナ書、不幸をもたらす人

JONATHAN ジョナサン、典型的なアメリカ人、[聖]ヨナタン

面白いことに、今日の授業参加者六名のなかに、牧師さまがいらっしゃいました!
私の素朴な質問のせいでそのことがわかりました。先生がついでに紹介なさいました。
こんどから楽しみです。牧師さまに聖書のことをいろいろと聞けると思うと。笑

2009年10月27日 (火)

お茶席でお茶をいただく

保健医療経営大学祭で茶道部のお茶を飲みましたいただきました。

たたみが五枚ほど。その上でジーンズの今風のおにいさんが点ててくれたお抹茶をいただいたのですが、おいしかった。
「お抹茶の上手な点てかた」プリントがありがたかった。
写真つきで、必要な道具とうまく点てるコツがかいてありました。お抹茶はだまになりやすいので、お湯を注ぐ前に最初に少しの水をいれて茶筅で練っておくといい。のですって。

ふつうは茶道の精神性ばかりが書いてあるはずなのに、そういうのいっさい抜きにしてお茶をたてる方法をすごく簡潔にまとめてあったのが、新鮮だった。

こんなのありかよ。

アリ!http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_b40f.html

2009年8月29日 (土)

芭蕉の櫻  英語俳句 5

保健医療経営大学での英語講座

さまざまの事おもひ出す櫻かな   はせを*

かささぎ迷訳

the  cherry  blossoms 
make me remember 
so sweet regretful things     (kyoko)

佐藤哲三教授の訳

The  cherry blossoms  here  in  bloom

Remind  me  of  things  of  joy and gloom.   
 
   (Tetsuzo Sato)

かささぎ推敲句  

Cherry  blossoms  remind  me   

So  many  sweet  and  bitter things

ーー  All  at  once

韻を踏むことは難しい。
イメージと合致する英単語を並べ、リズムを整え、なんとか意味を通し。
でも韻なんて踏めない。先生の英訳をみて、あっしまった、思い出させるはちゃんとリマインドって単語があったんだ!ときづき、もう一度工夫する。でもやっぱりいまいちいまに。
さらに難しいのは、冠詞。つけるか省くか、いっつも逡巡する。
で、もう、適当にやっている。先生、ごめんなさい。(おーまいがっ・・・)

* まつおばしょうの仮名表記、なんで「はせを」なんでありましょうや。
「はせう」ならばわかるけど、「はせを」だなんて、だれが思うでしょう。
・・・まちがえた。 もういやんなる!

ごまかしのために、英訳問題の中で出てきた、ぜんぜん有名じゃない(検索してもでません)
Todd Stevenという作家の名前のスティーヴンは、有名な小説家のStephen King のスティーヴンとはつづりが違いますねえ。
なんていいました。
すると佐藤教授は、ステファンとかいてにごらないつづりなのは、きっとフランス系かなんかでしょう。とおっしゃいました。

スティーヴン・キング:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

  追伸:

みつけてきました。名前の由来。聖ステファンっていたんだ。ギリシャ系って。

stephen:http://www.behindthename.com/name/stephen

最初の殉教者とあって、気になったので、ウィキでも検索。(しつこい?)
なにしろかささぎは連句人ですんで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8E

もう一件、そのまま引用、おゆるしを。
 聖ステファン St.Stephen

原始キリスト教会最初の殉教者。日本語では聖ステパノ、聖スティーブンとも表記されます。議論に長けた彼は、妬みを買ってしまい、偽証による裁判を受けることになりましたが、そこでもユダヤ教の指導者を非難したため、怒り狂った人々によって、石を撃たれ殉教しました。アイルランドでは、12月26日を聖スティーブン(ステファン)の日として、お祝いをするそうです。
――「こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、『主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい』。そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、『主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい』。こう言って、彼は眠りについた。」(使徒行伝7章 59-60節)

   

2009年7月31日 (金)

詩 『蕪村の俳諧』 鈴木漠


  
『蕪村の俳諧』

   鈴木 漠

蓮の香や水をはなるる茎二寸 蕪村

蕪村七部集の一「此(この)ほとり一夜四歌仙」
  秋雨の一日 篤い病に臥せる門人嵐山の元へ
  蕪村、樗良、几菫の三人が見舞いに携える詩箋
病人にせがまれ枕頭での歌仙行は幽界と紙一重
  同時進行の連句四巻こそは文字通り
  嵐山今生の名残となる 無常の喩え
夜半三更までに満尾した四巻八枚の折
  ただちに版元橘仙堂で板行にかかった
  嵐山は上梓を待たずに身罷るア・ポステリオリ
白菊に梅雨置き得たり とは嵐山の発句だった
  俳諧は言語遊戯というより命懸けの方程式
  必死の文芸だったと知り感銘が深かった
明治期に蕪村俳諧を称揚したのは正岡子規
  蕪村の号は陶淵明「帰去来兮辞」がポイント
  帰りなんいざ田園将に蕪(あ)れんとす を意識
然るに 蕪村とは天王寺蕪(かぶら)の村の意ならんと
  これは子規の珍解釈 蕪村は陶淵明に傾倒済み
  菜の花や月は東に日は西に の蕪村発句も何と
陶淵明「雑詩」の 白日は西の阿(おか)に淪(しず)み
  素月は東嶺に出づ の捩りらしい
  東嶺を東山に見立てる文人画の青墨(あおずみ)
晩婚の蕪村はひとり娘が無性に愛おしい
  にも拘らず足繁く伏見の茶屋通い
  若い芸妓いとに入れ揚げたとは悩ましい
見兼ねた年嵩の門人道立(どうりゅう)に諌められた心迷い
  今日限り青楼の件は断念 その代わり
  妹(いも)が垣根三味線草の花咲きぬ の佳吟に余意
泥中で玉(ぎょく)を拾うたる心地に候(そろ) と断り
  自画自賛した蕪村書簡の熱いセンテンス
  芭蕉に帰れと蕉風を慕った蕪村のこだわり
その理念はいうなれば俳諧の文芸復興(ルネッサンス)
  不惑に至る愛弟子几董に呼び掛けたプロパガンダ
  推敲重ねた「俳諧もゝすもゝ」は師弟の交感(コレスポンダンス)
芭蕉の不易流行説を敷衍した連句作品だ

  〈詩誌『びーぐる』2号からの転載〉

* 自由律によるテルツァ・リーマ(三韻詩)。
* テルツァ・リーマは中世イタリアに起源を持つ脚韻定型詩。
  三の倍数行プラス一行で構成される。
 十四世紀初頭の壮大な叙事詩、ダンテの『神曲』はその代表。
 『地獄篇』『煉獄篇』『天堂篇』の全百曲がこの形式で書かれている。
 形式はaba/bcb/cdc/ded/efe/fgf/ghg/hih/iji/jkj/klk/l 

引用は、『連句誌 OTAKSA』 XX (20号)終刊号
2009.7.31
   おたくさの会 NHK神戸文化センター

かささぎの旗、ひめのの感想

鈴木漠先生、おたくさ、毎号お送りくださって、まことに有難うございました。
号を重ねるごとに、誌面から迸るものが段々熱くなっていきました。
日本にうまれたことの至福をしみじみと実感する次第です。
さまざまな韻のかたちを駆使した実験的な連句作品の数々。
わたしが最初に連句の毒にやられたのが、窪田薫師による尻取りや頭韻冠字などの言語遊戯における「偶然性」だったこともあり、鈴木漠ほどのおかたが、なぜ今またこんな遊びにより戻ったのか。といぶかしむ気には全くならず、ひたすら、芭蕉へ帰るための遊び、かみさまにお委ねスタイルに戻られたのだな、と思ってみておりました。マンネリを打破する力をもっていると思います、こういう試みは。
最初のころの号で、先生が取り上げておられた九鬼周造の『偶然性の問題』は私も読みました、すごい本でした。人との出会いもですが、連句をやっておりますと、常に選択を強いられる場に立たされる、常に岐路に立つ羽目になります。そうすると、自然とおもうことではあります、いつもおもっています、ぐうぜんというもののおおきさを。

『遊びといのち』という対談集を書いたのは、山本健吉でした。
真剣に遊ぶ。
いのちをかけてあそぶ。
俳とはそむくことである。
健吉は連句については何も書いてはいませんが、「俳とはそむくことである」といった時点で、俳句にそれが望めそうもない今、おのずと俳諧の連歌こと連句にそれを求めるしかないのでは・・・。と思うようになりました。

とりあえず、ネット上でお礼まで。
(英語講座でちょうどのときに蕪村の句をとりあげていたこともすごい偶然でした)。

英語俳句 その4 蕪村の琵琶

七月の英語の授業は月初めと月末でした。
私は父の入院があって行けなかったのですが、まりさんがプリントを届けてくれました。
ありがとう!

英語俳句

逝く春や重たき琵琶の抱きごころ   蕪村

拙訳

spring passing by
when I’m holding you
like a heavy biwa

佐藤哲三教授の訳

With my love for you,spring is going,
Placed over the heavy biwa I am playing.

古典学者の先生がみたら目をむくに違いないのですが、かささぎのへたくそな英語訳は飛躍しすぎ連句的すぎ。
蕪村がだきしめているのは、まぎれもなく琵琶であり、同時に晩春の憂愁なんですよね。
だけども、かささぎはこの句をよんですぐ、そういったことを連想した。

萩原朔太郎に『郷愁の詩人与謝蕪村』がある。
高橋睦郎の『百人一句』のなかの蕪村には、やはりこの句が採られていて、表記は、

ゆく春やおもたき琵琶の抱心  蕪村

でした。(わたしがひいたのはネットから、出所不明。すみませぬ。)
あと、中山宙虫の俳句がやや蕪村に似ているところがあると以前から思っていて、それを追求したい気も少しあるんですが、それほど宙虫俳句を読んでいるわけでもないので、そっちは放棄して、ちょうど数日前に届いた詩人鈴木漠発行の連句誌『OTAKSA』から、蕪村についての連句独吟をいっちょう引きたいのですが、結構ややこしいので、時間がかかりますんで、後回しにします。おたのしみに。

で、追伸。
まりさんの連絡プリントからそのまんま引きます。

お知らせ:

8月22日より毎週土曜日13:00~15:00英語勉強会開始。
上級クラスの吉住君*が準一級に合格したそうです。
大学としても大変喜ばしいことで、これからももっと英語教育をすすめていきたいとか。
私たちも参加していいそうですよ。
ちなみに受講料は無し。根性さえあればOKだそうです。
用意が必要なので、参加したいときは電話してくださいとのこと。

*吉住君とは・・・とてもさわやかできれいな保健医療経営大学の学生。

2009年7月18日 (土)

折り紙ランタン(ろうそく立て)

ランタン立て

  手の出演:山下整子(親指、なが!)

午後から大川市であった家具と絵本のカーニバルに行ってきました。

ここです。

鬼古賀の広松木工http://www.hiromatsu.org/
日記の広場の鍬塚さとこさん(『樹』、『兄(あにはからんや、のあにが正しい、山の下に豆)』『九州俳句』所属)から突如お誘いがありまして、急遽、声かけられる範囲で声かけて、絵本読み聞かせ活動中のヤマシタセイコをゲットしました、きてくれた、ありがと!
若いちちおやははおや、あーんど・ちびっ子あかんぼがうじゃうじゃ。盛況でした。
えーと、絵本人気作家のサイン会とか、あってた。
魔女の扮装のおねえさんたちがいたり、。

ひさしぶりの鍬塚さとこさん。
三年前でしたか、『二人日和』を小倉で一緒に見て以来です。
どひゃーってくらい若いし、なんともいえずかわいく色っぽいひとなんです。
十歳年上なのに。
ほんとに自己嫌悪しますねこの人の横にいるのは。
せいこさんに和紙でランタンの折り方を教えてくださいました。
よみたい絵本が400冊!家具もとってもきもちのいいものでした。

わたしはくわつかさんに新聞の手提げをいただきました。
それには手作りのヤマモモじゃむがはいっておりました。
かささぎかんげき。

ややももさんのご紹介:
さとこの日記の広場:http://satokono.littlestar.jp/frame-bbs.htm

2009年7月 3日 (金)

英語俳句 その3

水曜日の保健医療経営大学での英語教室。
7月1日は末子の16歳の誕生日で、から揚げを二種類揚げていたら十分遅刻した。

そのあいだ、先生は「古英語」の説明をしてくださったらしい。
あとでまりさんからメールで教えてもらいました。
引用させてね。まりさん。

「恭子さんが来る前に、仮定法過去は何故主語が単数なのにwereになるかの説明があったよ。
古英語では、単数がwereで複数がwerenだった名残なんだって。
恭子さんは去年聞いた?
正確にはwのあとのeは古英語でつづりがちがうけど携帯では書けない。
私は今日いろいろためになった。復習しなくちゃ。」(澄たから)

へえ。そうなの。
去年は最初のころにシェークスピア時代の英語をちょこっと説明だけ聞いたような気がするけど、忘れちまいました。
特級講座の古英語クラス、夏に暇を作ってのぞきにいってみたい。
聞いてるだけでもためになりそう。
ってか、ほんとは高校時代の英語の先生が気になっている。
なんて不純な動機なんだ。笑

さて、英語俳句。

麦秋や少年海を見てゐたり    恭子

拙訳:

the  barley’s  autumn
a  boy  faces  the ocean
in  doom  and  gloom   
佐藤哲三教授の英訳:
On a barley autumnal day in the gloom
A boy is watching the sea with his doom
俳句のような短い詩でも、情報量はなんと多いのでしょう。
そして、接近の仕方、つまりよみかたもまた多岐にわたる。
詩人高橋睦郎先生が書いておられましたが、「読むことは詠むことである」ということば、まさにそうですよね。
佐藤先生の訳詩は、佐藤先生の作品であることだなあ。と、かささぎは感じます。
海ひとつとっても、シーとオウシャンと二つありますよね。
だいいち、麦秋をなんと表現すればいいだろう。
それさえ考えていたら闇鍋に手をつっこんでるかんじ。

2009年6月19日 (金)

英語俳句

保健医療経営大学での英語公開講座にて

焼きソバと桃の葉エキスと月半個    恭子

拙訳:

a  half  moon 
falling  on
the  chow mein
and  the  peach  leaf  extraction

さとうせんせいの訳:

A half light moon attempts to attract

the boy with chow mein and peach leaf extract

姫野の一句への想い:

この句は前田師の連句での付け句として得たものです。
夏の月の座の句。
料理の材料のように三つのものをぶっきらぼうに並べただけ。
だけども、自分としては、とっても感慨のある句。

夏、とびきり暑い日、長男の少年野球の合宿に同伴していた思い出。
場所は黒木のグリーンピア八女でした。

晩御飯はカレー、昼はバーベキューと鉄板での焼きソバ。
これが恒例で、蚊にさされながらの懐かしい記憶です。
深い森の上には半分の月があがっていて。
この句、俳句に作ろうとしてできたものではありません。
というか、俳句作成モードの思考パターンでは絶対にでてこない句。
連句がすばらしいのは、課題がきっちり与えられるところです。
前句からの流れでさまざまの制限を加えながら、句を出します。
そのときに偶然授かるのです。
高尚なことは何もなくて、日常の俗の世界の切り取り。
こどものような一句。(自画自賛)

佐藤教授の英訳で、少年をだしていただけて、うれしいです。
ムーンにつけられたライトが、こころにあかるい灯を灯してくれます。
きっちりと踏んだ韻がとってもきれい。
先生ありがとうございました。

(ほかのみなさまにもうしわけないとおもいました。
自分のしょうもない句ばかり訳していただいて。)



2009年6月 4日 (木)

君も魚われも魚なり   英語詩1

君も魚われも魚なり泣けぬなり    恭子
拙訳)
you're  a  fish
I’m  a  fish too
and  we  can’t  cry  aloud
佐藤哲三教授の英訳)
As well as you am Ⅰ a fish.
Alas!We cannot cry aloud.
  
ノート:
AもBも=A   as  well  as  B  (Aに重点)
  〃= not only A  but also B (Bに重点)
英詩の方法 1
Iambic  Tetrameter(あいんびっく てとみた
  強弱四歩格
Ⅰ as well as you am a fish.←ふつうの構文
As well as you am Ⅰ a fish.←強調構文
弱 強  弱  強  弱  強 弱 強
Alas!  We  cannot cry aloud.
弱強   弱 強弱  強 弱強
君も魚(うお)われも魚なり泣けぬなり  恭子
連句の座でボツとなった恋句捨てがたく。
胸奥で鳴り響いていた句は、これです。
行く春や鳥啼き魚の目は泪   芭蕉  

2009年6月 3日 (水)

保健医療経営大学で学ぼう! 秋入学願書受付中

保健医療経営大学の秋入学の出願受付が始まりました。

保健医療経営大学という大学の存在が知られていない壁。

存在は知られていても、その学問内容が知られていない壁。

学問内容が知られていても、その有望性が知られていない壁。

有望性は知られていても、秋入試を実施することが知られていない壁。

これらの壁を乗り越えて、どれだけが受験してくれるものか不安があります。

ひとりでも多く、本学で学んでほしく思います。

     

     橋爪 章学長

今という時代は、漠然とした空虚さ無目的さが世を覆っています。
なんのために生きるのか、わからなくなっている時代だといえます。
そんな中にあって、ここ保健医療経営大学は、医療経営が「大切なかけがえのない人々の生命をまもる」ため、きちんと自分の足でたつことができる、国や自治体などからの援助を一切受けずに地域に利益を還元していける「独立採算企業」であるべきとの認識のもと、地域に役立つ人的資財の育成、またさまざまな医療経営技術を、現在の医療制度にからむ煩雑な法体制から医療の実際、はてはグローバルな地球人としての在り様まで、四年をかけてていねいに教えることを命題として、雪の聖母会こと聖マリア病院が昨年開学した、全国でもここにしかないというユニークな大学であります。

どこの難関大学を出ても仕事を見つけるのは容易ではないこの大不況の時代に、卒業後の進路がきちんとしたかたちで用意されているのは、日本広しといえども、ここ保健医療経営大学だけではないでしょうか。
まだ知名度がなくて生徒数も少ないのですが、それがむしろこの大学の誇れる強みでもあるわけで、少人数精鋭クラスでの授業はサポタージュが出来ないというおそるべき利点がございます。また、生徒には医家の子弟も多く、ここを卒業することで得られるものには、医療機関との強い絆があると申せます。
大学の四年間で、なにを学ぶか。なにをはぐくむか。

それは大学側が与えるものであると同時に、あなたがたがみずから選んで、掴みとってゆくものであります。

今年度から秋の入学試験制度もとりいれました。
ただいま願書受付中です。
進学はしたものの迷いの中にいるあなた、また、就職はしたもののどこか違和感を感じたまま迷っているあなた、そしてまだ進むべき路をみいだせないでいるあなた。

あなたの未来への第一歩をここ「卑弥呼の里」みやま市の保健医療経営大学でスタートしませんか。

生徒たちの顔は光り輝いています。

大学ホームページ案内:http://www.healthcare-m.ac.jp/

  

     

2009年5月21日 (木)

let's俳句を英語に  保健医療経営大学英語公開講座にて

きのうはみやま市の保健医療経営大学での第二期一回目の英語講座の日だった。
一回目は全員出席!(と、てぃーちゃーせっど)。
中級クラス、十数人でちょうどまとまりがいい。
連句の座が三つほど組める。
あ、すみません。つい連句的思考が身についてて。


佐藤教授に言い渡されていた詩の英訳、自分のへたな句をいくつかと芭蕉句と蕪村句を一句ずつやってみた。
どれにしたらいいかなと迷う。
んがしかし、今、当季ということで麦秋句をやろうとハラをきめ、「これにします」と先生に頼んだら、先生はほかの句も書いていた下書きプリントを一枚まるまるコピーして(うっわー・・・)、140問の復習初歩英作文をせっせと書き込む肉体労働のような作業がおわったあとで、みなさんに配られてしまいました。
とほ~杜甫徒歩。カッコ悪。まったく自信ない。
だけど、まちがいがあるからまなぶんですし。
ところで。
自分でも迷訳だと思う↓

逝く春や重たき琵琶の抱きごころ  蕪村

spirng passing by

when I am holding you
like a heavy biwa

この句、ずしっと下腹部にくるのは恋句(そう思った)だからかな。
これと有井諸九(筑後の俳人、大坂の俳人と駆け落ち、死なれて尼)の次の句が、かささぎの中では連句的に響きあっている。

朧夜の底をゆくなり雁の声  諸九尼

諸九という女流俳人について、もっとよく調べようと思いつつ、まだ果たせていない。
高良山の中腹にある桃青霊神社も、そういう筑後出身の俳人のつながりがあってこそ、祀られているのだろうから。

この諸九の印象深い一句にどこで出会ったかといえば、久留米図書館で、北村薫のノベルででした。題はわすれた。あっ、と思うほど、すごい句。なにも知らない自分を恥じた。

2009年5月13日 (水)

保健医療経営大学・英語の公開講座にて

今期開校式がきのうみやま市の保健医療経営大学であった。

角真理子(俳号・澄たから)さんといっしょに出席する。
どし(同志)のあるとはこころづよかことですね。
橋爪学長も出席されて、冒頭流暢な英語で自己紹介された。

前回見知った顔の方々もみえる、新しい人たちも多い。
その中に若い人たちがちらほら。
保健医療経営大学の生徒さん数人と久留米高専の生徒さんも。ひえー!
今回は初級中級上級特級と四段階に設定されている。
おしえられる先生の熱意が、それだけでも伝わってくる。

ところでとってもびっくりした。

受講者の中に高校時代英語を習った懐かしき恩師のお顔を発見したからだ。
もとぞのひろき先生!!

うっわあ!こんなことってあるんだな。
次男が通う学校の講師のなかに先生のお名前を発見して驚いたばかりだった。

受講者全員の自己紹介で本園先生はこうおっしゃった。

「ずっと古英語を学びたかったのです」

と。こんどの講座ではそれが学べる特級講座が組まれている。
佐藤哲三教授はざっとこのような説明をなさった。

私の恩師は山川喜久男といいまして、英和大辞典の編集をやった英文学者です。
この師から私は古英語をまなびました。
古英語を学ぶと今かかえている現代英語のいろんなことが、面白いように根本からみえてくるんですねえ。
古英語をおしえてくれるところは実はあまりないんです。
わたしは鹿児島でもこのような講座を長い間やっていまして、今でもその霧島英友会のために毎週末かごしま往復しています・・・

単細胞のわたしはすぐ鼓舞される。
古英語をまなびたい。
だけれども、一歩ずつ。
前回あまり勉強しなかったかささぎも、今回は真剣にならざるを得ない。
「すきな詩を英訳してくるように」と有難い課題をいただいてしまったから。

リンク:

保健医療経営大学学長ブログ:http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/?p=380

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