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2009年5月 4日 (月)

封じ込め失敗事例

 保健医療経営大学長  橋爪 章

はしか(麻疹)も予防接種が対策の決め手となる感染症です。

アメリカでは予防接種の徹底により、2000年以降は海外からの輸入症例がほとんどで医学部の臨床実習症例が見つからないほどまでに患者数が激減しました。

かたや日本では、いまだに毎年推定十万人規模の患者発生があり、死亡例も毎年あります。

途上国も含め、ほとんどの国が着実に麻疹制圧に近づいている中、日本の麻疹の現状には目を覆いたくなります。

日本の失敗の原因は、予防接種率の低さと接種回数の少なさです。

2001年の大流行(患者数28万人)を契機として、2002年にはキャンペーンで1歳児の接種率が向上し、2006年からは接種回数を増やし、2008年からは接種機会も増やしていますが、いまだに日本は、麻疹の最大の輸出国との汚名を返上できずにいます。

2007年には麻疹の流行のため83の大学が休校しました。

2008年も相変わらずです。

http://idsc.nih.go.jp/disease/measles/2008pdf/meas08-52-01.pdf

保健医療経営大学学長ブログより引用

▼かささぎの連句的

去年、連句を文音(ぶんいん、ファクスやはがきやネットなどの通信媒体を通して連句をまくことをいう。二十年前までは郵便が普通だったが、最近はファクスや電子メールでの文音がさかんになってくる。テレパシーまでもう一歩!)で巻いていた、杉浦兼坊ブログ日記で、その話題を発見したことがあります。
かささぎはコメントを残していました。(先生、断わりもなく、失礼します。)

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/view/200804?.begin=11

連句の話題とスクランブル。
4・16コメントhttp://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/comment/20080416/1208336735#comment

もう一つ。http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kiyoshi0302/comment/20080408/1207646842#comment

2009年5月 2日 (土)

封じ込め成功事例(2)  乙四郎文書

封じ込め成功事例(2)

  保健医療経営大学長  橋爪 章

天然痘は伊達政宗の右目を失明させたり、幼い夏目漱石を襲ったりと、世界中に流行していた疾患ですが、1977年のソマリアの患者を最後に根絶しました。

(厳密には1978年のイギリスでの実験室感染死亡事例が最後です。)

天然痘は感染力が強く、潜伏期間が2週間前後あります。

天然痘封じ込めに絶対的な威力を持ったのがワクチン(種痘)でした。

ジェンナーが牛痘種痘法で天然痘ワクチンを開発した1798年以降、天然痘は予防可能な疾患になりました。

(厳密には人痘種痘法がそれ以前に開発されており、日本でも福岡県の秋月藩の藩医である緒方春朔が、ジェンナー以前に秋月の子供たちに人痘種痘法を施し成功させています。しかし、人痘種痘法は死亡率が2%もある安全とはいえない予防接種法でした。)

WHOは、予防接種の普及によって患者総数が激減したあと、発見した天然痘患者のひとりひとりについて、発病直前に患者に接触した人々に種痘を行いました。

感染力が強くても、周辺を免疫の壁で包囲すれば、ウィルスは孤立しやがて死滅します。

天然痘は感染後でも早期であればワクチンが有効であることも幸いでした。

天然痘が発見しやすい病状を示すことも幸いでした。

幸いがいくつか重なると、人類の叡智は長い苦しみに打ち克つことができます。

保健医療経営大学「学長ブログ」より引用

  「封じ込め事例その1」はここです。↓
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/?p=281

▼かささぎの連句的

こないだ、かささぎの旗でつけた漫画資料。
もういちど添付
http://sj.shueisha.co.jp/contents/jin/index.html

学長橋爪章の心友、竹橋乙四郎ですが。

連休なので東京方面へ帰郷したとのことです。
愛車の軽乗用車に乗って。わお。
次の文章の下を流れる水。わお。

幸いがいくつか重なると、人類の叡智は長い苦しみに打ち克つことができます。」

これ。

乙四郎はやっぱり宗教家たい。

ち、かささぎの旗は思うた。

へい。がばすんまっしぇん。ぺこぺこり。
本人がいないのを幸いに。
このブログのやくめは、かたいものをぐにゅぐにゅに。
また、ぐにゅんぐにゅんはかたくする。
それだけでして。そこに高邁なもんはなーもなかとです。
笑。

入れ違いに神津兵六の神津呂伊利が70ccバイクで東京からこちらへ帰郷するってんで、地域学かささぎの旗はその準備をしなくちゃ。

具体的には、「おかいりー」ののぼり旗を一本。
いんにやそげなことより。
ろゐりさんが紹介した本の一冊でもよまにゃんこて。
洋物の新しめの本は筑後くんだりの図書館のどこにもあらねど、松下竜一『砦に拠る』は探したら久留米○島の図書館の閉架に一冊だけ、ある。
へいかにある。ってこた、だーれもよまんのよ。

硬派のかささぎ、おもうことがある。
ばってん、そりは『砦に拠る』ば読んでからたい。

引用文、字の大きさが制御できませんでした。
謹んでおわびもうしあげます。

2009年4月30日 (木)

フェーズ5!

インフルエンザの封じ込め

 保健医療経営大学長   橋爪章

インフルエンザは咳やくしゃみとともに空気中を漂って感染するタイプの感染症なので、接触感染や血液感染の感染症とは違い、封じ込めは困難です。

また、インフルエンザのように潜伏期がある疾患は、水際作戦で完璧を期することにも無理があります。

WHOもCDCも、これだけ流行が拡散した段階での封じ込めは現実的ではないという見解を当初から示していますが、わが国では封じ込めにエネルギーの大半を注いでいます。

封じ込めが可能な疾患であれば、季節性インフルエンザ対策に応用すれば、毎年数千、数万の命が奪われるのを未然に防ぐことができるはずですが、それができないのが現実です。

インフルエンザ対策の基本は、地域への侵入を前提に、具合の悪い時の外出控えや、手洗いやマスクなどの個々の拡散防止策を積み上げてゆくことです。

予防接種ワクチンがあれば、免疫を持った人の集団が流行の防波堤になり、終息へと導くことができます。

人類は、ワクチン登場以前は、感染症と共存してきました。

毒性の強い感染症が人類を滅ぼす勢いで大流行していても、自然感染で免疫を持つ人が増え、やがて終息します。

豚インフルエンザの毒性が強いのか弱いのかの見極めが判断の決め手になっています。

仮に毒性が弱いものであったとしても、メキシコの状況から、やがて強い毒性のものに変異して大流行する可能性は大きいと思われます。

もし、毒性が無視できるほど弱いものであれば、封じ込めに失敗して大流行した地域ほど自然免疫を持つ人の数が増え、来るべき強毒性インフルエンザの流行に強い地域となる可能性もあります。

(保健医療経営大学学長ブログより引用)

▼かささぎの連句的資料添付

医療漫画『仁』村上もとか著
『仁』公式ホームページ
http://sj.shueisha.co.jp/contents/jin/index.html

2009年2月21日 (土)

『安楽病棟』を読む  松永伸夫

 『安楽病棟』 を読む

       松永 伸夫
       

1 はじめに

開業医であり作家でもある帚木蓬生さん*の作品(四六判、1999年4月15日新潮社発行)である。全462頁は30の話から成っている。装丁は、目次に続いてそのまま第一話が始まり、第30話のすぐ後には奥付が来ている。(このような構成は、聖書が全部で66の話=旧約聖書39話と新約聖書27話*から編集されていて、前言もあとがきも著者紹介もないのと似ている。)

この本『安楽病棟』 は、介護老人保健施設で働く医師と看護婦との目を通して、老人医療・福祉・介護のあり方について鋭く問いかけている。全30話は1話ごとに完結しているが、全体を通してこの本の底を流れているのは、現在の日本が直面し将来にむけて善処すべき課題の、老人医療対策である。
特に高齢者医療・看護の問題に関係する話をとりあげて、自分の思うところを記してみたい。

2 本文から

「(略) もう亡くなられた高名な陶芸家の残された言葉があるので、みなさんにも紹介しておきましょう」
先生はそう言って、黒板に大きく四つの漢字を書きました。
〈手考足思〉という言葉でした。
「手で考え、足で思う。これは看護の精神そのものなのです。机の上ばかりでひねくりまわさない。何はともあれ、患者さんの傍に駆けつけ、手で触れ、そして見守るのです。机の前に坐って手も動かさず、考えるだけでは看護とは言えません」
(略)

そこで強調されたのは、痴呆といっても個人によって千差万別だということでした。その人の病前の性格、学歴、職業、家族の状況によって、何十通り、何百通りの呆け方がある。(略) それぞれの特色に応じた看護が要求されるのです。ーそんな言い方で、その日の講義は終わりました。
(略)
先生はスライドを百枚近く持ってきていました。痴呆病棟でのお年寄りの暮らしぶりと、看護婦の働きぶりを、余すところなく撮ったという印象でした。食事、入浴、歯磨き、身体の運動、おむつ替え、排尿誘導、散歩、そして雛祭の行事など、人間の生活の隅々までよくもこんな風に援助できるものだと感心しました。〈手と目で護る〉看護、〈手考足思〉だと先生が言ったことは、全く本当だったのです*。
(略)
「これから先、痴呆の患者さんはどんどん増えていきます。こんなにお年寄りの多い国は他にありません。日本が世界に先駆けて、老人国に突入していくのです。これまでの歴史で、どの国も体験しなかった状況にわたしたちの国が立ち向かって行きます。人類史上初めての大きな実験といえます」*
(略)「老人をかかえる経済的な負担も、国としては相当なものでしょう。それに看護についても、まだまだ模索状態です。有効な薬物もないし、各個人の実情に合わせた看護や介護も確立されていません。みなさんが現場で働いてみたら、多くの矛盾を感じるでしょう。無力感を味わうでしょう。あるいは絶望を感じるかもしれません。
しかし、(略)この老人問題にこそ、日本の進む道があるような気がします。本当に困難な事業ではありますが、今の時代こそ、日本が世界に先駆けてよその国にお手本を示す絶好の機会なのです。(略) ここで本当の知恵を出して、歩むべき道を見出すチャンスでもあるのです。どうか、老いから眼をそむけないように。老いや痴呆に接する機会があったら、そこに何か、人の生きる道、いやこの国が生きる道のヒントが隠されていると思って下さい。(略)
」*

3 私見

1 「後期高齢者医療制度」について

健康保険の仕組みが大きく変わって、2008年4月1日から、「後期高齢者医療制度」なる公的な医療保険が、新しくスタートした。
従来の医療保険から、高齢者だけを分離して管理していこうとする新制度である。
具体的には、75歳以上の人は、医療機関での発生医療費の一部を自分達で負担しあい、その保険料は各県ごとに設けられた広域連合が運営する。
高齢になれば多くの人は、体のあちこちにがたが来て、病院にお世話になる機会がふえる。そのための支払医療費も多くなる。その医療保険料を、若い人たちの支払う保険料だけにのっかっていくのではなく、高齢者だけの別会計で管理しようという仕組みである。
だから、今までは息子らの扶養家族になっていて保険料負担がなかった人にも、新制度では負担を平準化させる。すなわち高齢者全員に、医療費応分の負担(一律月額6000円)が発生する。この新制度のもとでは、夫婦の一方が後期高齢者である所帯では、実質的な保険料が増額負担となるケースが発生している。
2年前小泉内閣の時に行財政改革の一環として、この「後期高齢者医療制度」が国会で可決されて今回スタートした。内容面では、保健・医療・福祉・介護の方法を、これまでの症状別に専門病院での治療・看護・介護という方式から、かかりつけ医による治療、在宅介護という方式に変更している。

今回の制度改正は、医療費削減の視点からだけで、せっせと在宅治療へと促す厚生行政の思惑がある。医療費の発生総額を抑えるためにだけ、机上で編み出した制度であるので、医療の現場・市町村の窓口ではすでに混乱が生じていることを、マスメディアは伝えている。

また、この政府による「診療報酬」の抑え込み策によって、閉鎖に追い込まれた医療機関が多く発生している。このような現実に直面して、まさしく医療・看護・福祉に関わる教育機関には、「昨今の福祉切り捨ての中で、社会の中の弱者とされる高齢者や障害者の方々とともに生きていくすべを考え、実践する役割が課されている」* のである。

2 地域医療の衰退の現実とその対応策

小泉内閣のもとで、行財政改革の一として全国で市町村の大合併が推し進められた。複数の行政機関の合併により業務の合理化を図ろうとしたのである。
この医療制度改革の大きいうねりの中で、医療機関についていえば、次のような現実がある。例えば、長崎半島の最南端にある長崎市野母崎町(旧・長崎県西彼杵郡野母崎町)は、合併前は町立病院を常勤の医師5名体制で運営していた。しかし、合併後は市民病院の分院として、常勤医師は3名になった。これまでは町立病院で診てもらえた診療科目だったのに、現在ではバスを50分ばかり乗り継いで都心部にある市民病院の当該診療科まで出向かなければならなくなった。
このような地域医療衰退の実態に対しての善後策は何なのだろうか。
30余年前、高齢者の死亡数が全国でも上位にあった長野県では、鎌田實医師らが旗振りをして、その時から地域全体で地道に生活習慣の改善など予防医学への取り組みを進めてきた。その結果、現在では高齢者の死亡数は減少し、必然的に地域での医療費の発生額も日本で際立って少ない地域へと成果を勝ち得ている。*
為政者はこのような事例を研究しながら、中長期スパンでの医療行政・厚生行政へと、舵取りを見直すことが緊要だと思う。

4 おわりに

この『安楽病棟』 は、10年前に出版された本である。
帚木蓬生さんの視点のすごさに敬服させられる。
著者は、今回の「後期高齢者医療」にどのような意見をもっておられるのだろうか。
保健医療と経営とを学ぶ本学の学生達にとって、大変参考になる本だと思う。

* 帚木蓬生:小郡市生まれ、本名は森山成彰。
東京大学文学部卒業後、民放勤務を経て、九州大学医学部に学び精神科医になる。現在は中間市でメンタルクリニック開業医師として診察をしながら、作家としてヒューマニズムに満ちた作品を発表している。最新刊は『インターセックス』(2008.8月)がある。
* カトリック教会ではこのほかに、旧約聖書続編13話を第二正典としている。
* 帚木蓬生『安楽病棟』p141-142「起床」
*     p142
*           p144
*  井手信「聖マリアグループの福祉のこころの行方を問う」
  『ルルドの聖母』2008・8月巻頭言
*国民健康保険中央会は、このたび(9月4日)、後期高齢者医療の4月分医療費を発表したが、加入者一人当たりの平均額は7万350円で、最低の長野県は5万6697円、また、最高の福岡県は8万7396円であった。
同じく一人当たりの入院費は、最低の長野県が2万5861円、最高の高知県が5万1475円であった。(『毎日新聞』ホームページ2008・9・4)

▼執筆者

松永伸夫:保健医療経営大学(みやま市瀬高町)
       学務課 参与

『保健医療経営大学 紀要』
    
創刊号 平成21年1月刊より引用

  

  

2008年7月22日 (火)

山鹿温泉

山鹿温泉
山鹿温泉

先々週は星野村の温泉きらら、先週は山鹿温泉に母と叔母二人を連れてゆきました。(八女から星野村までは三十分、山鹿までは五十分くらいです。)
写真の温泉は八千代座がある中央通りのすこし高台にあります。ラジウム温泉、混んでいなくて広々として気持ちのよいところで、お湯がとてもいいです。わたくしてきには、由布院の庄屋の館のお湯(水色でした)の次に好きなお湯です。人気の黒川温泉にはまだ行ったことがないのです。

※八月十五、六日の山鹿燈篭祭りのポスターが貼られていました。
予約がそろそろいっぱいだそうです。

2008年3月24日 (月)

連句的 1

 

連句的  

  連載 (1)

             姫野恭子

 お風呂場にボヨヨングモのたこをどり  

あれは学名なんという蜘蛛だろう。身丈五ミリくらいの頭部というか上半身に、三段階で折れ曲がる全長四センチほどの脚部を有する極小サイズの蛸(たこ)のような蜘蛛。図鑑で調べるのは気乗りせぬので、仮にボヨヨングモと名付ける。このボヨヨンがわが家の浴室の四隅に長らく居座っておるのだ。その営む巣は、おんぼろで緻密で、何ともいえない味わいがある。一般的なクモの巣は、中心を意識して張り巡らされる楕円形をとる。が、ボヨヨンの巣は複雑というのも憚られるほどめちゃくちゃで、遠目には大きな埃が垂れているような感じなのだ。中心点など、どこにもない。それでいて近づいてみると結構手が込んでいるのである。粋なやつである。

はじめは見つけ次第、スポンジで巣をふき取っていたのだが、その瞬間に奴がパニックになってちっちゃな体をボヨヨンボヨヨンと震わせるのが感動的で、それが見たくて、殺生には至っていない。

            ◇

九鬼周造はボヨヨングモの巣を「いき」と評するだろうか。
「いき」を現すには無関心性、無目的性が視角上にあらわれていなければならぬ。放射状の縞は中心点に集まって目的を達してしまっている。それ故に「いき」とは感じられない。ーと、彼は言う。

            ◇

野暮なはなしだが、十三になった次男が夏休みに包茎の手術をした。私は男の子を二人持ちながら、今まで全く気づかなかった。本人が気にして、手術を受けたいと言い出さねば、めんどうな事になるところだった。久留米の聖マリア病院の小児外科医・赤石先生が診られ、手術すべきとの診断で、塾が盆休みとなる週に一泊入院で手術を受ける。夫はさすがに気づいていたようだが、もっと先でいいと思っていたようだ。先生がおっしゃった。「ほうけいは、小さいときに切ったほうがいいんです。大きくなるほど、大変になるから。白人男性は百パーセント切ります」。

まだ声変わりもせぬ次男なのに、中学に入ったとたん、性的な事柄に対して耳ざとくなってきた。サッカー部のみんなと、着替えするときにちんこの見せっこをしたりするのだそうだ。想像するとおかしい。術後数日は、鉄人28号のような歩き方をしていた。

            ◇

  看護婦と娼婦のしぐさ似て寒し  星野石雀

次男の手術には若い男性の看護師がついていてくれた。手術の前日に、手術が怖くなってもう止めようと言い出した息子の心をなだめ、勇気づけてくれた。若い女の子じゃなくてよかった。
知人に清純な看護婦さんがいる。彼女はむかし、医師に患者の性器を持っておくよう指示されたとき困ってしまって、ピンセットで挟み持ったら、医師に激怒されたという。ちゃんと手で持ちなさいと。そりゃ当然だ。ひどい話だ。でも、職業的無関心って、なかなか装着できるものじゃないのだと、おもった。年季がいる。

 連句誌れぎおん(前田圭衛子編集)51号より  

2007年12月20日 (木)

漏斗胸 

あのう。

非公開のトラックバックがついてました。「天上の乳房」に漏斗胸の記事。ありがとうございました。公開させていただきました。

読んで、はじめてくわしくじぶんの畸形をしりました。

小学生のころ、校医さんが胸をみて、いつもこう書き込まれました。「ロウトキョウね」。

ろうときょう。ロート、ろーとろーと。目薬の会社かとおもいきや、じょうごのことでした。中央部から右にかけて、まるで隕石が堕ちたようにへこんでいます。お風呂からあがると水がたまるほど。でもくらしに影響はないからそのままでいい。といわれ、その気でずっと過ごしてきました。成長するとわからなくなるよ。ということでしたが、娘が評していうには「ひどい・・」だそうです。

ほかの体になったことはなく、感覚的なことは比べようがありません。ただ、マラソンはみんなとおなじには走れなかった、胸が苦しくて。校内マラソンは棄権してました。とても胸が薄いのです。あるとき、きものの着付け師が補正のためタオルを六枚も胸の上部に置かれました。ガ~ンとなりながら笑ってしまいました。(着物はなぜかずんどうで鳩胸にしちゃいますね。)

弥勒菩薩半跏思惟像とか百済観音像のむねがちょっとにてまして、あれをみるたび、おお、わがともよ!!と駆け寄りたくなる。少女のままの夢見る胸。(ってそげんロマンティックなもんじゃじぇんじぇんなかばってん)

最近、訃報欄で校医の先生の訃を知りました。
慎んでお悔やみを申し上げます。下津浦先生。しょっちゅうおせわになっておりました。ありがとうございました。合掌。

追伸。

漏斗胸の女の子がいたら、ちいさいときに手術をしてあげてください。ずいぶんなやみます。授乳には差し支えませんでしたが、恋をする年頃になって、言い寄る人ができても、こころをひらけなかったし、お医者さまに胸をみられるのがいやで、病院はほとんど行きません。
原因を考えています、素人なりに、ですが、生まれてくるとき、さかごだったからか、あるいは、母が妊娠中に飲んでいたらしい粗悪なカルシウム剤のせいってことはないのか・・とか。まったくわかりません。)

天上の乳房:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c2bb.html

2007年11月13日 (火)

冬に入る

マンゴロを拾ふ男や冬に入る   恭子

職場、さいきんばたばたと人が倒れる。ただでさえ手が足りないのに、ますます人手不足。だからきょうは久し振りに私にもお声がかかった。うれしいようないやなような複雑なきもち。一人はがんで入院、一人は糖尿病から心臓をいためた。なぜかこの業界には糖尿の人が多く予備軍の人が数人いる。なんてこったい。しっかりせんね!といいたい。酒しかないのかよ。

仕事がいそがしいとクレームがふえる。最近のクレームから一つ。

隊員が現場監督の視野のなかで、マンゴロを拾っていた。(まんごろっていうのは煙草の吸いさしをさす俗語である。)彼は変人で、私たちにはそれがわかるけど、よその人にはちょっと刺激が強い。たちまち非難を浴びた。「みっともないから、やめてくれ」と。

で、思った。別に落ちているすいさしを拾って吸ったからって人の迷惑になるわけじゃなし、いいじゃない。あの人は野生の人で、私たちの感性では計り知れないから、それを長所として評価してあげればいいのに、と。

わたしは、彼がみんなからばかにされ、数段低くみられて、滅多に仕事にも出してもらえないのを気の毒だとおもう。たしかに普通じゃないけど、ちゃんと立って守っている。それに、いつもビルの階段を雑巾がけしたり、ごみ捨て場を片付けたりしているのは、彼だ。時々事務をとっているとやってきて見事なホラ話をするけど、それさえも楽しい。ニコチン中毒で指が黄色に染まっている。異常なほどとにかくタバコを吸う。口さびしいんだろう。ということは、さびしいんだろう。やめなさい、って言って止むほど、やわじゃない孤独だ。

ほらね。クローズにもエミネムにも通じる職場でしょ。

2007年1月 5日 (金)

松葉杖

十二月なかば、ずっと膝が痛いといってた次男が聖マリア病院で撮ったMRIの診断結果を、年末に子ども一人で受診させていたため、今日、あらためて次男を連れて先生にどういうものか説明を聞きに出かけた。息子は学校を、私は仕事を休んで。ああいう大病院になると担当の先生が見える日が曜日で決まっていて、それがほかならぬ今日だったからだ。

よく撮れた写真を明るい照明板の上に示しながら、「この左ひざの端の黒く写っているところが傷めているところです。正常なら白く写ります。」 と、若くて実直そうな女性の先生がおっしゃった。ふつうのホネを傷めているのであれば、わりと早く直りますけど、軟骨の場合は意外に時間がかかるのです。ともいわれた。サッカーをやっていることが原因だろうという。スポーツ選手に多い病気だとか。病名は、なんりせいこつなんこつしょう?だかなんだかとても覚えきれない病名だった。ちょっとまって、書いてもらったのを確認しますから。「離断性骨軟骨炎」 と書いてありました。・・なんだかこわそうな名前です。

治療はどうするのですか。膝に負担をかけないように、とりあえずは松葉杖を使ってもらいます、といわれる。おお、なんだか重病人みたいな雰囲気になってきた。本人は、普通にしていたら痛みはなく、少しでもスポーツをすればとても痛むという。とりあえず、毎日治療に通う必要があるので、自宅近くの整形外科に紹介状を書きますからと云われて、わが町の病院を紹介してくださった。いつも患者さんが多いところなので、できれば待たずにすむ別のとこをと言ってみたけど、別のとこにはMRIはないから紹介できないとにべもない。

いつのまにか医学はこんなふうに進んでいて、まずは検査機器の揃っているところが重宝がられる。じっさい、今日、朝から昼までかかった聖マリアでの受診のあと、町内の外科病院に紹介状を持参して、先生(とてもやさしい女の先生)から病気のより詳しい説明を聞きました。「知りたい情報がこれではわからないから」 と、ひざのおさらの写真をレントゲンですぐ撮られて(おさらが大きい場合、圧迫して軟骨に負担がかかるという)、すぐに見せて説明してくださったのですが(この点が町の病院はいいです。大病院は写真でも検査でも済んでから解析までに一ヶ月二ヶ月優に待たされる)、これではなんの異常もないようにみえますとおっしゃった。MRIになると、ホネのなかまでがくわしくわかるそうです。ということで、聖マリアで撮影したMRIは半月以上前のものなので、それから変化しているかもしれないと、九日にまた撮影する予約をいれる。

松葉杖はどうしましょうか。
使わずに痛くないなら、使う必要もないでしょう。でも、直るまでサッカーはできないし、膝はかばう必要があるので、当分は重病人という表示のため持っていったほうがいいでしょう。・・なあるほど。それにしても、松葉杖って重たいし、これで歩くの、疲れますね。

検索で見つけた病気の説明:http://www.tahara-seikei.com/1066.htm

十歳から十五歳の少年に多いとあります。次男はホネを傷めやすく、サッカーを始めて、一年に一、二回は足のどこかの部位を痛め、病院通いをしています。こんどもたいしたことはなかろうとたかをくくっていました。でも、知ればこわい病気です。放っておくとホネが壊死すると書かれている。先生はそこまでおっしゃらなかったのですが・・・きちんと治療しなきゃなりません。これでは当分できませんね、サッカーも運動も。

2006年9月16日 (土)

ヨガをはじめて

誘ってくださる人がいて、先月からヨガというものを習いはじめました。

公民館で中高年向けに週二回開かれています。

先生は七十歳で、菊の文字がはいった姓の男性です。じつにゆっくり、話されます。生徒は五十代以上八十代までの女性35人ほど。

畳半畳くらいのスペースに自分のマットを敷き、そこに座って足裏を指圧するところから始まります。最初にからだの末端をほぐして、それから徐々にきついポーズになり、もっともきつい動作のあと、サバーサナという短い昼寝をして、又、歌仙でいうなら名残の折みたいな流れの動作をして静かに終わります。この間、先生のつれづれなる世間話もふくめて一時間半です。

はじめて自分のからだとまともに向き合いました。膝を伸ばし閉脚ですわり、額を膝につけ爪先を握ることは、できました。でも、先生のように、百八十度開脚ができません。百十度くらいしか開かない。(分度器ではかってないけど、たぶんそれぐらい)。完全な開脚のまま上半身を前にペタリとおりたたむなんて、しんじられないことです。それを先生はやすやすとなさいます。骨盤がひらくと、こころがひらくんだと助手の先生がおっしゃったことがあります、ひとりごとのように。「きっと阿頼耶識はこのこととつながっているんだと思いますよ」・・・と。

阿頼耶識:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98

〃:http://www.plinst.jp/musouan/yuishiki08.html

2006年6月23日 (金)

博多ーアトピー治療

博多

  ドーム球場の前。九州医療センター前。

博多

  昼食時、ラーメン屋さんの前でサラリーマンの行列ができていた。

博多

    築港の李さん恋し夏つばめ

九州医療センターでのアトピー治療その2回目。生後三ヶ月の乳児から大人まで二十人ほどの患者とその家族を前に、九州一のアトピーのお医師今山修平先生がアトピー性皮膚炎の講義をなさった。えっと、テレビのお笑いで時にコメントなさる天然ぼけ風の紳士がいらっしゃるでしょう。おかっぱ頭でふおっふぉっふぉって笑い方をされる中年の。彼に似た風貌のどこか浮世ばなれした先生で、話がなんともいえず面白かったです。こんなかんじ。「ぼくはかゆみがわからないから、患者さんに頼んでかゆい皮膚を少し分けてもらうんです。そうやってたくさんの皮膚を集めて、いろいろと研究してぼくはちょっとだけ有名にならしてもらう。そうするとまた、おもしろいことがわかってくるんです。」「末端と中枢という考え方があるでしょう。こういうことです。たとえばクマに襲われたとする。まず、ふつうは命からがら逃げます。逃げる時あちこちを怪我して血が出ていても、そんな時は気づきません。で、助かったらがくがく震えが来て、まあこんなとこを怪我してるといって、急に痛みも出てくる。でもかゆみなんてのは、一番最後でしょ。そういう選択を無意識のうちにひとはやってます。」「アトピーのかゆみがうさんくさいのは、ゲームをしていたり、何かに夢中になっているときにはかいていないからです。はしかのときや熱が四十度もあったりしたら、まずかゆみは出ません。おかしいな、なぜだろう、と思うゆとりもない。ゆとりがなきゃかゆくならないし、また手の届く範囲しかかゆくないのがこの病気のへんなとこです。」「アトピーは免疫過剰であるわけですから、いろいろなことを人類に教えてくれます。風呂に入る、熱い四十度の湯に肩までつかるなんてことやってるのは、日本人と韓国人と中国人のごく一部だけで、世界の半分のにんげんは風呂なんてはいらない。アトピーの人の皮膚は傷がたくさんついている布みたいなもんですから、穴がいっぱい開いていて、そこから水分が蒸発します。だからかさかさになり、よけいかゆい。熱い湯は皮膚の脂肪分を溶かします。35度くらいの低い湯に入り、首、脇、股、足の裏をちゃんとあらうだけにします。シャンプーはいけない。」「食事ですが、ノートを作って、毎回何を食べたか、書きます。そうするうちに、なにをどのくらい食べた時にかゆみがひどかったかが見えてくる。なんでも書いて、僕に教えてください。ふつうは、唐辛子やカレーでは汗が出るからかゆくなる。砂糖もよくない。アイスなんて冷たいからうまいけど、あれが溶けてごらんよ、めちゃくちゃ甘いし、くえたもんじゃない。あぶらべっとりはいけません。油はいい油を少し。マーガリンはひどい。使うならバターを少し。」「下着とパジャマ。絹のがよろしい。メリヤスなんてとんでもないことです。薄い皮膚を一枚足してあげる感じで、絹がいいです。中国で上下百円のを買ってくるのがいいけど、そうもいかんでしょうから、探せば四千円ほどで買えるから。」「それと、爪とぎ。やすりの一番上等のを買ってきて、ていねいに爪を手入れしておくこと。寝ていてかゆいとこをかいても絹ごしなら、また、爪があらくなければ、ダメージは少ないです」。等々。

さて、上記の助言に従い、さっそく、絹の下着を買いにいく。あるとおもう?ないない、そんなの。女性用ならあるんですパジャマも。でも、男用はトランクスがあっただけ。さて、どうする。どこにあるだろうか。

こういうことをやってみて、はじめてハッとしました。長男の姉である娘がよく言ってたのですが、「お母さん、アトピーがあると貧相にみえるから、せめて着るものは上等の着せてあげてよ」って。私はつい、どうせ首周りがよれよれになって薬で変色するんだから安物がたくさんあったほうがいい式の考えをしてました。でも、それは間違った対処法だったようです。

さいごに、掃除の仕方ですが、むかしのように、ぬれぞうきんでふくのが一番いいそうです。ことに、たたみをお茶ガラをまいてふくのが、とてもいいそうです。ダニの害の抗体をお茶殻はもっているらしい。

先生がおっしゃったように、アトピー性皮膚炎ではすべてのことが、興味深い教えに導いてくれます。いくつも病院をかえることの意味までも。

参照:「アトピー性皮膚炎が治るということ」http://www5c.biglobe.ne.jp/~atopy/paperimayamakannatopy.htm

スキンケア:http://www.sunwhite.net/community/medical.html

今山修平先生:http://www.enkeidatsumou.net/doc10.html

2006年6月14日 (水)

アレルギー治療

月曜日、佐賀のお医者様のご紹介で九州医療センターという大病院の皮膚科を二十歳の長男が受診した。我が家の子達は三人ともアレルギー体質で、免疫グロブリンIgEが目が飛び出るほどの数値を示す。といっても、私にはそのグロブリンアイジーイーの意味や働きすらよくわかっていないのだが。赤ちゃん時代からどの子も病院通いから縁が切れない。ぜんそくで出たり、鼻炎で出たり、アトピー性皮膚炎で出たり、アレルギー性結膜炎といって目に出たり、病気の総合デパートみたいににぎやかだ。ことにどの子も持っているのがぜんそくで、秋や春の行楽日和にどこかへ行くと、決まって夜中、誰かがぜえぜえいいはじめ、そのまま救急外来へ直行ということが多かった。

夫が強いアレルギー体質で、その遺伝をもろに被っている。いまも夫はぜんそくが温存されていることを思うと、一生治らない病気らしい。特効薬が発明されるか、遺伝子治療などの療法が確立される以外、これといった治療がない。長男はぜんそくはひどくないかわり、アトピーが出てかゆみがひどい。思春期から出始めた。いろいろな病院や療法を試したが、うまくいかない。ステロイドも恐ろしい。そうこうするうち、本人も私も疲れてしまって、どこを頼ったらいいのか、何を信じたらいいのか、わからなくなった。

「もういい。自分でなおすから」

と、いったんは薬も塗り薬も拒否した長男だったが、昼夜逆転するほどかゆみがひどくなり、面相もかわり、これではいけないと漢方薬を飲みだす。少し、ほんの少し気分が上向く。そこへ、夫が九州一のアトピー医の紹介状を知り合いのお医者さんに頼んでくれ、それを持って先日、受診したのである。(紹介状がないとかかれない。)

初日は検査をしたばかりで、次回は23日の予約だが、病気の説明から始まるらしい。次男のぜんそく治療のとき、年配のかんごふさんから甘やかしを皮肉られたことがあったので、今度も親としてどこまでハタチの息子に付き添うべきか、遠慮もあり、医師にあうのを控えたら、次からは親も来るようにと言われた、とのこと。

長女は今、博多の大きな病院で食事を作る仕事をしているが、長男を心配してメールをくれた。「苦しさは本人にしかわからないけど、大学だけはやめないでちゃんと行ったがいいよ。アトピーの子はいっぱいいるし、甘えるなっていっといて」と書いていた。笑った。いっちょまえの説教いえるようになったじゃない。いいお姉ちゃんだなあ。

ひと月、大学は休んでいる。自律と自立の問題でもあり、なにも言わず見守っている。一つ、ありがたいのは、あるコンビニで皮膚病の息子を使ってくださることだ。去年そこのコンビ二にパート募集の貼紙をみつけたとき、「アトピーが顔にあっても雇ってくださいますか」ときくと、「構いませんよ。逆に引っ込み思案が治りますから、ぜひ面接にやってください」と言う返事をもらってうれしかった。というのも、以前さるスーパーでアルバイトした息子は、この病を汚いとそれとなくいわれた(それは差別発言じゃなく、ほんとうにその通りなので仕方ないが)ことがあり、ほかの子はレジ打ちなのに、息子は掃除や商品補充役という体験があったからだ。それを思うと、このコンビニの人たちには頭が上がらない。そのかわり、クリスマスや連休など他のバイトの子たちが休みがちなときに、息子は代理でいやな顔せず入る。誰ともつきあわない孤独な生活は、こういうときに思いがけぬ役に立つんだなと、私はなんだかおかしくなる。まさかそういうことまで見越して人を雇っているのじゃないんだろうけど。しみじみと、ありがたいです。

2006年5月 8日 (月)

虹の橋

所属誌『九州俳句』編集長の中村重義氏が、大腸がんの手術と闘病の記録を句・歌集の私家版という形で上梓された。名付けて『虹の橋』、ちいさな美しい本である。(写真)

 ガン宣告 供花は野牡丹だけでよい  

 もしかしてもしかして死ぬ葛の花

 大腸ガンといふ鬼女がゐる紅葉山

 死に急ぐほどの名は無し凧(いかのぼり)

 麻酔は薔薇の香り頭蓋の真暗闇

 手術後の寒き身体の螺子ゆるむ

 白露や零るるはわが生命とも

 夕時雨肩を濡らして介護妻

 人工肛門(ストーマ)の朱き露頭に冬日染む

 三月や波のゆらぎは身のゆらぎ

 黄泉へ行く夢の続きの山ざくら

 血液を小瓶に三つ採られをり何の検査か知らされぬまま

 ガン告知遂にされたり覚悟してゐし妻あはれ声の震へて

 死刑執行待つ囚人の心もて大腸ガン手術の日を数へをり

 全身麻酔はすべての臓器眠るとふ臓器の睡り思へば愉し

 吻合の針残りたるわが腹部月光享けて輝く夜あらむ

 眠られぬ夜の幻に乱舞するWordsworthの黄金(きん)の水仙

 蛸の如き烏賊の如き雲流れをりおやおや今度は越前水母

 歳月は雲の形をとりながら西へ東へさだめもあらず

 何気なきバスの案内(あない)の声なども病み伏す耳に懐かしきもの

 注射痕、点滴洩れの残る腕ちりめん皺など刻めるあはれ

 臍の横にストーマ袋ぶら下げて大腸ガン手術後半年を過ぐ

 生と死の挟間を渡す虹の橋 If Winter comes,can Spring be far behind?

 

50句、50首のなかから、ことに印象深い作品を抽いた。

中村重義は1931年生まれ、北九州八幡在住の俳人であり歌人である。これはこの世界では異色であるといっていい。短詩型のなかでもっとも短い詩形をやってる俳人たちは往々にして短歌もたしなむ人を侮蔑的な表情で遇する傾向があるからだ。七七以下を切り捨てる覚悟を持たぬものに何が詠めるか、というのだ。いまだに連句が超マイナーな文芸であるのも同じ理由であろう。だが、すべての詩形で輝きを放つ仕事を残した寺山修司みたいな文学者もいる。私自身もすべての詩形それぞれのよさがあるから、いずれもすてがたいと思う者のひとりだ。

「虹の橋」という題は、だから、生と死に架け渡す橋であると同時に、俳句と短歌という二つの伝統詩形に渡す橋でもある。引用して改めて感じることだが、さすがに長年研鑽をつまれた方だけあって、ことばに無理がなく、とても自然なリズムでいのちが刻まれている。ことばあそびの余裕さえ感じられるほどだ。ワーズワースの一首などは昔学生だったころ、その名通りに言葉の値打ちをとことん敲いた詩人なんだなと思ったことまで思い出した。普通に平凡に見える歌であっても、ちょっとした言葉の処理に永いうたびととしてのキャリアがのぞく。一番すきな句と歌を引き筆をおく。(やはり作品として眺める自分がいる、おそろしいことだ。これは作者自身もその覚悟で出されたものだとおもう。)

  三月や波のゆらぎは身のゆらぎ 

  吻合の針残りたるわが腹部月光享けて輝く夜あらむ

 ワーズワース:http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/book-daffodils.htm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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