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2009年11月15日 (日)

政権交代と医療(61)  乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

行政刷新会議ワーキンググループ(WG)の診療報酬に関する11日の事業仕分けの際、評決結果は中央社会保険医療協議会(中医協)へ伝えられることになっていました。

中医協が13日に開催され、そこで報告されたのですが、委員から激しい反応があったようです。

<診療報酬が伸びたから下げよう、という議論はあまりにも乱暴である>

<中医協は専門家が毎週2回、3時間以上、計数百時間にわたって膨大な資料を見ながら議論を重ねて結論を生み出そうとしているが、医療関係者なしで短時間、資料もほとんどない中で決められたものに拘束されるのはおかしい>

<政権公約の中に医療費のある程度の引き上げは必要だろうという考えがあったはずだが、事業仕分けの結果は政権公約と乖離しているのでは>

これらがちゃんと説明されない限り、診療報酬の行方は迷走することでしょう。

「学長のひとりごと」11月15日 日曜日

▼ かささぎのひとりごと

新聞が旧聞となる明暮に紅葉且つ散る高牟礼の宮
             (かささぎの詠める)

新聞は新聞ではなく旧聞になりさがった。とは言いえて妙。
あべしげさんの最近のブログコメントであります。

日々乙四郎日記を読んでから新聞を読みますと、最近は既視感を感じるようになってきました。

では新聞の役割は。なんでありましょう。
広告をはさむ紙。てんぷらを揚げたときのあぶら切り紙。
雨ぶりのとき濡れた靴の下に敷く湿気とり。

ああそれで連句的に思い出した。「黒木物語」の扉に猫尾城山とその左後ろに高牟礼山城が描かれています。あれ?高牟礼山って高良山のことだけど、黒木の後ろだったとは!!と、あの絵をみて、とっても驚いてしまいました。つまり、かささぎのあたまは、今現在の道路地図風の方位感覚しかなかったわけです。久留米高良山へは三号線を通って・・と思い込んでいるため、実際の方位がまったくつかめていませんでした。山と山、谷と谷。県境も町境もなにもそんなよぶんなものはない。人の意識などという余分なものには一切しばられていない。まっすぐじぶんをみてほしい。と、やまによびかけられた気がしました。

ついでに仕入れた知識で、「不濡山」ぬれせぬやま=高良山、これは樹木が鬱蒼と茂っているので雨が降っても濡れないという意味だと勝手に思い込んでいましたが、そうではなくて、世の汚濁に濡れない染まないという高尚な意味があったそうです。
いやあ、そうだったのですね。さすが筑後一の宮です。

きのうのつづき欄外コメント:

沖縄にはずいぶんと痛みを、戦後の痛みを諾ってもらいました。基地を県外へ、という切実な声も良く理解できます。佐賀空港はひろびろとした平野の中にある赤字空港なので、候補地にあがったと聞いてもそう驚きません。が、現実のものとして考えると国内のどこにも移転できないだろうと思うのです。あの爆音がわたしたちの身近にひがな聞こえる状況を思い浮かべてごらんなさい。諾えますか?現実問題として。さりとて、基地をなくすこともできない。なぜなら、日本の平和はアメリカの軍事力に頼らねば自力では保持できないからです。言うまでも無いことですが。

アメリカよ、日本よ。さあ、力を結集して、人工島をつくりましょう。アクセス道路をこさえて、海の中に基地をつくるのです。移転費用は高くつきます。しかし、これしかないでしょう。

 空港についてチョコッと調べていたら、国が管理する空港で、昨年一番赤字を出したのは福岡空港だとさ。こりゃ意外だった、と感じたついでに思い出したのが、そういや糸島あたりに新福岡空港を作るという話はどげんなったと?最近、全く話題にのぼらんし。seikoさんの意見を取り入れると、これを米軍・日本民間の共同空港にすれば万事解決ではないか。板付にはまだ米軍基地が残っているらしいから、それもふくめてそちらに移転し、板付にあり交通の便もいい現福岡空港は拡大によって更なる国際化を目指すのもいい。やがて九州独立国を目指す~後者は半分冗談だが。とにかく今回多少わかったことは、日本にいかに無駄な空港が多いかということ(関空と伊丹、羽田と成田の併存も無駄)と、ハブ空港は原則1ヵ国1つでいいということ。ただし中国や米国みたいに面積の広い国は別。

2009年11月 2日 (月)

くるめの床屋の倅、ろいりーさんと世間話をしようよ。

ねえ、鈴木先生ってまんが読んだ。
こんな話よ。
班でむかいあって給食をたべている。ある男子が突如カレーをたべているときに、くそとか、げろとか女子の前で大声でさけび、ごはんをまずくしてしまう。女子は怒り、鈴木先生に相談する。それには実は裏にひめられた事情があった。その事情とは・・・
食事中に言ってはいけないことを叫んでめしをまずくした男子は、とてもしつけの厳格な家に育ったまじめ少年である。それなのに、なぜ。という疑問。その理由を考えていた先生は、給食時間中の観察を通して、ある事実にきづく。
さあ、こっから、おもしろいよお!!
展開はおしえないどこ。笑
行儀というものはじつにさりげないものだから、それを当然として育ったかどうかで許容範囲が狭まりも広がりもする。その男子は向かいの席の女子のひじつき食事が許せなかった。断固。それをずうっと抑圧していたけど、あるときついに我慢できなくなって食事のとき決して言ってはいけないことばをまきちらして復讐した、ってわけです。
これ、だれが悪いとか、いいとかの問題とはまったく次元のちがう話でしょう。これ、とってもよくわかる。

こどものころ。いちばんうるさくしつけられたのは、音をたてるな。ということだった。口をあけてたべたらいけない。でもともだちにはぺちゃぺちゃと音をたててものをたべる子が必ず一人はいた。それ、いやでいやで。でもいえない。いえないということが、小さな子どもごころにもなぜかわかった。
そういうことを漫画にしたてるなんて、すごかろ?

nightこんばんわ
遅くなったので、今日の夕ご飯は刺身のある定食屋にしました。
わが家の終わりかけごろ作業着の若者が入ってきて4人だと伝え靴を脱ぎました。
彼は普通に上がったあと屈んで靴を前向きにきれいにそろえました。
eye「ほぉ~☆すばらし~☆」
あとの3人は上がりながら初めから前向きに脱いであがりました。
家庭の躾とはそれぞれに特徴を作りますね^^

 同じ久留米の、歩いて20分ぐらいの距離の所に生まれ育ち、しかも親の職業はどちらもいわゆる商売人、それなのになぜこんなに生活習慣が違うのだろう~と結婚で思い知らされた。うちは比較的自由、それなのに相方は、あ~だこ~だとうるさくて。特にここで話題になっている食べる時のマナーです。いっそ、外国人みたいに異文化関係だったら、お互妥協しあえるかなと思いました。いやはや、今でも「しぇからしかね」と思いつつ、口には出さず、ただ忍耐の日々。
 かささぎさん気になる、中学校での給食の件、私は以下の2つのどちらか、あるいは両方が原因かなと推測しました。正しいかどうかはわからんよ。
①久留米(の中心部)は大規模校が多く、体育館または講堂らしきものさえなく、本来室内でやる運動部も外でだし、剣道・柔道などは近くの公的施設を使ってやり、あまつさえ、入学式・卒業式でさえ、当時近くにあった久商の講堂借りてやった記憶がある。つまり、給食関連設備を作る場所がなかった。同じ久留米市立中なのに、あそこにはあるけどあそこにはない、というわけにもいかなかった。
②給食がなければパン販売が必要になるが、八女では全中学校に販売業者を配置するのが難しかった。

えめさんところのおまごさんをみて感じました。
小さいときからさりげなく仕込まれておられるのだと。お茶にしましても、あんなに小さなときから自然に触れ合わせておけば、お茶独特の異空間ポケットがあたまにできますよね。連句もそうですよ、前田先生のお孫さん、あかちゃんのときから連句にふれておられた。ゆきちゃん、あかんぼのころ、八女の堺屋でのぼんぼり連句にきてくれた。お母さんの前田亜弥さん(西鶴研究家、連句もさすがにうまい。とても美人であります)次に久留米耳納連山のふもとのスパリゾートでの合宿にも来てくださったのですが、そのときゆきちゃんはちょうどえめさんちのお孫ちゃんくらいで、おかあさんのおひざから連衆のおひざにきて、お絵かきをしていました。大人が必死で句をつくっているとき。こういうのが無言の教育だろうとおもった。その座のくうきにふれていた、ってことが。

ろいりーさん。商売人の子ってそうなんでしょうね。
奥様との食事のときの場面が浮かぶようです。
と同時に、山本健吉の妻だった石橋秀野の昭和二十三年に出た句文集の随筆を連想しました。新婚のころの妻の心理。お料理学校でならった最新の自信作を必死で作ってたべさせても夫がよろこぶとは限らない。味噌汁も辛いとかいわれ口をつけよううとしない。新妻はこまってしまって、泣きたくなり、手持ち無沙汰でいつしか新聞をひろげたりするようになった。というようなことが書いてありました。

mapleそろそろ色づき始めましたね♪

食事>>わが家は自営だったので、家族揃って食べるのは元旦だけで、ほかの日のほとんどは祖父母と食事をしていました。
明治生まれの二人はやはり食事中のマナーには厳しかったです。
姿勢、ひじ、お茶碗の抱え方、箸使いの色々、、でもそれができていれば特にうるさいわけではなかったです。嫌いなものもなかったしね。
叔母はハンバーグの時、私と弟を相手にナイフとフォークの使い方をよく特訓したがりました。その時は鬼軍曹の叔母でした(爆)

給食>>学校をお休みしたきお友達にパンだけを届けていなかった?
プリント用の紙に包んで。
今も届けるのかな?

ゑ目さん、届けないと思う、今は。ぱんのゆくえやいかに・・。あのそっけない色気のないぱんがすきだった。で、今も食ぱんはやかないのがいい。なにもつけないの、禁欲的なあじがするから。だんだんそうなってきた。これはなんだろ、って自分がふしぎ。
そりゃそうと。
うちのちびと今夜this is itをみにいってきます。ミッドナイト上映。なかよし友達もつれて。わたしもみるけど、おかあさんは離れて座ってって。苦笑。
どっちかというと、沈まぬ太陽のほうがみたいけど、

いってきました。深夜なのに350席ほどのスタジオ1がほぼ満杯でした。
むすこの友人の少年たち5人もいっしょ、言われたとおりうんと離れて座った。
しごとにきびしく、完全主義のマイケル。
こどものころのかおとまったくちがうおとなのマイケル。でもどっちもマイケルなんだよね。じぶんのもとめるものがはっきりしていた。えられるまで妥協はしなかった。
イントロダクションのバックダンサーズオーデションから一気でしたね。少年たちも面白かった、と言ってた。

chair評判のいい映画だと聞いています。満席でしたか☆
高校生のころ持ってたモータウン全集にマイケル少年の顔がありました。
きれいな伸びやかな声でした☆彡

 「味噌汁も辛いとかいわれ口をつけようとしない」、
そんな大それたことは1回も言ったことないでございます。
自分が作ったものを、「これおいしかね」とも言わず食っているので不満言われる。
そんなこと一々言わずただバリバリと完食するのが食事に対する満足の表現だったので、一言言えば良いとわかっていながら、却ってわざとらしくて言いきらん、でもしょんなかけん、時々言うちゃる。
新聞読みながらどころか、テレビ見ながらでさえ許してもらえん。
 子どもの頃は、わが家もほとんど祖父母と食事をしていました。明治生まれの2人は全然厳しくなかった~やはり人それぞれですね。

明治生まれのばあちゃんと子ども時代を過ごしました。食事のしつけはばあちゃんよりも、母の方が厳しかった。でも、洗濯に関してはばあちゃんはことのほかうるさかった。洗濯機がわが家に来てから、タオルや下着がいっしょに洗われるのが、それはそれは許されなかったみたいで、小学生のころから、風呂場で自分の下着と靴下を洗わされ、タオルはタオルだけ洗濯していました。そんなばあちゃんの影響なのでしょうね、いまもって、タオルはタオルだけしか洗濯しない(できない?)わたしです。

えめさん、マイケルさんはほんとにきれいですみきって少しビブラートがかった声でした。踊りもまったく静かでスムーズ、ほかのきんにくもりもりの人たちとはまったく違っていた。一人特別な存在でした。孤独だったろう。スーパースターは早く死ぬのですね。

ろいりーさんのおよめさん、かっこいい。普通の家庭は、すでに堕落している。うち、ながら食事を厳しく言っていたのに、当のおとうちゃんおかあちゃんがテレビみながら食べている。だから、そんだけ厳しく言えるってことは、当然自分もそのおきてをいまだに厳守しているってことで、とてもうつくしいです。
えっとかささぎは、ひとりでたべるときには、本をひろげたまま食べたりもします。最低です。笑
しかも、通勤の運転中に片手でりんごやジャムぱんをたべるので、とってもあぶないしきたないです。これはよいこのみんなはけっしてまねしないでね。(するか!

せいこさん。
お姑さんがすこし心配ですね。
うちの場合、わたしが炊事洗濯をすべてやっていたころ、そうなりかけました。(馬場先生にアルツなりかけ、といわれた)。その後、くすり服用で、食い止めている。一時期は、自分の妹より年をわかくいったり、ものわすれがひどかった。それを救ったのは、わたしの再就職で再びの家事担当となったことではないかとおもいます。

ひめどん。
あなたが言うとおり。
わたしが意地になってなんでも、自分でやりすぎたんだと思う。自分でも可愛げがない嫁だなあと思うけれど、「これ以上、このひとに借りをつくりたくない」という一念で、仕事前に掃除も洗濯も炊事もこなして、残業のときは夕食を準備して仕事に行ってた。勝気といえば、勝気。根性もんといえば根性もん。笑
いまはね、おばあちゃんに食器を洗ってもらってる。自分が食べた分だけね。あとから洗いなおしたくなる状況だけど、ま、よかたいと思って。早くにこんな大らかな気持ちになってたらよかったのにね。

やっぱりなあ。同居の嫁ってそうなるのでしょうね。
母と祖母の関係をずうっと見て育ちました。いえることは、嫁と姑って、愛情ではないけど義務感でびちっとつながっているんだなということです。愛情を無理してもたなくてもしてあげていることが愛情の行為なのだから。母も必死でつくしていました、姑に。
せいこはとってもりっぱです。
おかあさんもあなたを頼ってらっしゃる。
年をとることは、なんとこころぼそいことだろうか。
夫を独り暮らしの母のもとへ返してよかったと思う。

2009年10月27日 (火)

では気骨の人ろいりーさんと給食談義

 「底意地」の意味がわからんで辞書ひいてしもた。
八女が未開の地やら思とらんですよ。久留米よりちょっと田畑が多いかと…(おなじことやないか!!)まあ久留米も広かけんね。
シラミについて言えば、今流行の新インフルエンザだって、東京の隣同士の区・市なのに流行ってるところとそうでもないところがあるから、それと似たようなもんでしょ。

 DDTは、敗戦直後にGHQが持ち込んで、引揚者などに使ってたというのは知ってたが、これを機会にWikipediaで調べてみたら、何とのちのチバガイギー社(ほら、スモン病という薬害問題覚えてないでしょうか)の技師がその殺菌効果を発見してノーベル賞受賞したのだとか、その後農薬としても使われて、でも土壌汚染がどうたらこうたらと書いてあった。いや、底意地のおかげで?また少し賢くなった。「農薬土に苦し」というわけか。

 で、給食の有無に関していうと、これも市町村の教育委員会の方針次第。だから給食も、センター方式がほとんど?になった今でも、自校方式を貫いているところもあるというわけですが、今の久留米や八女はどうなんでしょう?しつこく言うけど、教育委員会というのは戦後、教育の民主化、地方分権化、地方自治のために作られた組織なので、文科省の下請機関みたいなことやるんだったら無駄な存在なのです。

中学校の学校給食がないのは、べつに久留米市だけじゃなかよ。福岡市内だって、北九州だって、弁当ばい、かーちゃんべんとう。
福岡市在住、広川出身の後輩が、中学生に給食がある子ども時代を過ごしていたので、中学には当然、学校給食があると思っていたのに、毎日弁当をつくらなくてはならないのでびっくりしたと話してくれた。広川の保護者はいかに自分たちが恵まれているか考えやんと説教されたことがあるもん。
感謝はせんじゃったけど、中学生になったこどもたちに弁当をつくらなくてよかったのは、正直言って助かったよね。

学校給食が始まったのは、貧困のため弁当を持ってくることができない子供がいたからと聞きました。農村部に学校給食が根強いのは貧困層が多かったからでしょうね。
自校方式をセンター方式に切り替えるためには、生徒数が少ないといろいろリスクもあるのです。予算的にね。生徒数の多い都市部はセンター方式が主流です。費用対効果が高いからできることという見方もできます。一番のハードルは現行の調理員を首にするわけにはいかないってこと。それがネックで、自校方式のまま、現在にいたってるところも多いのです。
ちなみ、広川町は段階的に外部委託に切り替える準備段階にはいっていて、調理員のかたが数ヶ月ずつ事務職体験をされているようです。

ろいりーさん、せーこさん。
いろいろとくわしいおはなしをありがとう。
チバガイギー、ひゃあひさしぶり。なつかしい。
かささぎは個人的にチバガイギーとアストラゼネカがなつかしかとです。
けっきょくさ。ひとってじぶんのかんけいしたことしかよくしらないよね。そんでもっていろんな文句いったりしますよね。その逆もね。そんなもんだろね。

で、つかれたのでもうねます。
バッテリー残量ぜろっす。

breadapple給食室の匂いって独特で、永遠に覚えていると思います☆
この頃は食品アレルギーの子供とかいなかったように思うけど、環境汚染もあるのでしょうね。
それにしてもDDTをふりかけられてもいまだに元気な私達でよかったです@@
あの時DDTの言った容器を覚えていますか。
左手で抱えて右手で平行にシュッシュッと押すと先端から噴射するしくみのやつ・・☆
昨日は風呂敷頭を実演しようと風呂敷まで持参していましたが、披露できませんでした。
またいづれ(爆)

学校給食の思い出
一つはわさびいりのポテトサラダ。この味が忘れられなくて何度も挑戦するのだけれど、これだ!と言えるものはまだできていない。
二つ目はグループで食卓を囲むスタイル。
入学前年に火災が起きて、何もかもが新しくなっていく時期に入学した。当時の最先端だったろうから見学者も多かった。
肉が食べられなかった私はグループで(5~6人ぐらい)食べる給食に助けられた。太田君やゆりちゃんが肉好きで沢山食べてくれたから。見学者があるときはいかに見つからずに肉をどけるかで苦心した。一度指摘された事があったように思うが見学者の方の指導だったので、おおごとにはならなかった。

変なことを思い出してしまった。(笑)
三潴も弁当持参組。パンの日もあり、子供は多めに金額をいい、それでお小遣いを浮かせたとあとできいた。給食でも弁当でも食べられたらそれでいい。

2009年10月25日 (日)

底意地の人呂伊利さんと白い粉談義

nightこんばんわ。
化粧>>仕事を持ってるとせざるをえませんが、同居の叔母が熱心にお手入れをしていたので、大人になったらそういうものかなと思っていました。
牛乳を飲んだあとは必ず手のひらに瓶の底の残りを出して顔に塗っていましたeye
初めてお化粧をしたのは19歳の時からでした。
当時のほうが今より高いものをつけていました。
最近はちふれや生協のものです^^♪

コーナー違うけど話を変えていい?
、、最近子供たちにシラミが流行ってるでしょう。
で、「runろいりさん」に質問です。
小学生の当時、私達は白い粉をかけられる日があって、頭にかむる風呂敷をもっていったりしました。
夫はろいりさんと同じ久留米市出身ですが、「自分達は町やったけん白い粉(DDT?)とかかけとらん」とか言います。
ろいりさんは白い粉をかけられた経験がありますか?
ひめさん達はどうでしたか?

低学年のころ、たしか一年か二年生だったと思います。DDTをあたまにぱたぱたされました。回転焼きみたいに、「ハイ次、ハイ次」って並んでいる順に。じぶんの番がきたら、どきどきして目をつむって息をとめました。ふろしきは記憶にありません。

博多時代、こどもが小学生のころ、しらみがはやり始めました。でも白い粉はふってもらわなかった。笑
どうやって退治したのかいなね

 私らは頭髪検査のようなのがあって、シラミのいる子だけDDTがかけられてました、それは小4ぐらいの時?
クラスに数名だけで、それで不潔な子という烙印をおされた。
全員が、というのはありません。

小学校・中学校は市町村の教育委員会が管轄しているので、それによる違いでしょう。
それか、八女でシラミが流行っていたからか?(こらいこらいそげなこつがあろうかい。八女で流行っとるなら久留米でも太刀洗でも流行っとろたい。さも八女だけが未開の地、どいなかみたいな烙印ばおしちゃいかんばい。←うちの茂平じっちゃんがエクトプラズムになって底意地の人ろいりさんに文句ゆうてる)。

とにかく教育委員会というのは本来、教育の地方分権化、地方自治のために作られた組織なので、今みたいに文科省の言うとおりでは、無意味な存在だと、つい避けてるはずの政治・思想的なことを言いたくなった。

 かささぎさんの言う「こどもが小学校のころ」は、DDTの人体に及ぼす有害性が指摘されて、使用禁止されていたからです、たぶん。

広川でも、しらみが復活した時期がありました。
いま30歳の子どもが幼稚園児のころ。

わたし自身の記憶も、ひめどんと同じで、小学校の低学年のころにDDt散布があったような気がする。

それで久留米ってふしぎなんだよ。中学に給食がなかったんだって。どこの中学も。(八女はどこの中学も給食がありました。)
これはどうしてなのでしょうね?予算がなかったからだろうか、そんなことないよね、八女より久留米のほうがおかねもちだし。日本一のぶりぢすとんさんがあるし。
八月いっぱいで首をきられた警備会社がさいごのほうで請け負っていたのが、中学校の改造工事の警備でした。厨房ができるとかで、こんどから給食がはじまるんだといっていた。こんだけアレルギーがふえている時代の給食、大変だろうな。

nightろいりさんありがとうございました。
そうでしたか☆彡 検査があってのことでしたか。
あの頃の小学生は全員させられたのだと思っていました。
風呂敷で頭を包む>>普通はタオルでだったかもだけど、うちの学校はきっと当時の先生のアイデアでしょう。
風呂敷のほうが生地の目が詰まっていて体には悪い粉を通しません。
包み方は明日実演してさしあげましょう。粉を吸うことも無く、息も止めなくてよい方法を^^club

今シラミが幼稚園や保育園で流行ってるみたいですね。
今日は耳寄りな撃退法を聞きました。
方法は、シャンプーのあとお酢をつけると良いとか。
お酢の効果は夫の水虫で実証済みですshinefootshine

えっ、絵目さんのコメント、ショック。
当時からだにわるいものってわかっていたの。
そんならなんでおしえてくれんのよね。
使いまわしの注射針も、あのせいで肝炎が潜在的にまんえんしたといいます。
でも、まだ、そういう時代だったんですね。
酢ですか。そういや付け句で出したことあります。
竹酢で治る夫の水虫 
 (空想句。夫の名誉のためいいわけ)

2009年10月23日 (金)

追悼 加藤和彦 6 フォークソングとロマンポルノと

sunさとえりじゃなくてさりえりね^^(さとえりファン♪)
アマデウス>>よい映画でした。
この映画はサリエリがいたからこその映画だと思いました。 ぴったりの役者さんでした☆

サトエリなら知ってますが、サリエリってなにもの?とうきぺでぃあ君にたずねたら、教えてもらいましたが、知りませんでした。笑

坂崎さんが骨董収集家であって骨董市でカメラを売ってたのに遭遇したさくらさんといい、渡邉けんさんが、新聞に投稿していたのを見たかささぎどんといいい、へえ~っと感心させられるばかりです。

坂崎さんのすごいところは若い世代のアーティストと往年のフォーク時代のスターの架け橋になってくれているところ。坂崎さんがいなかったら、吉田拓郎がキンキキッズとタッグを組む番組なんて実現しなかったんじゃないかと思います。

坂崎さんの骨董品の本出てるよ。
明治大正時代のガラスのお皿とか素敵なものばかり。

歴史の道具ということで、靖国神社のミュージアムでも売っています。

子供のころから回りに音楽やものづくりなどが好きな兄弟や親戚のおじさんとかいっぱいいたから・・・・と言ってましたよね。

 高田恭子が加藤和彦の恋人だったかどうかは、単なる噂話ですよ、関西フォーク関係者の。どっちみち「恋は短い夢のようなものだから…」。

で、「ど」がつくという意味はわからんけど、「竹田の子守唄」がフォークソング化したのはちっとも変ではありませぬ(この歌はアマチュア時代の高田恭子らの自主製作LPにも入ってた)。

そもそもFolk songのルーツは米国白人の民謡で、だから日本にもこんないいFolk song=民謡がありまっせ、というわけで、フォークルも「ソーラン節」や「こきりこ節」をフォークソング風にアレンジして歌ってたし、五つの赤い風船は「貝殻節」を、山田パンダやイルカの夫らがメンバーだったシュリークスは「からめ節」を(ちなみに森繁節の「知床旅情」を最初にレコード化したのもこのグループ)…と、数え上げれば結構ある。

で、拓郎・陽水・かぐや姫あたりから、日本のフォークソング・シーンは売れ線狙いが増えて、こんなのフォークじゃないという反発もあって、ユーミンの別にフォークソングじゃなくてもいいよなんて発言もあり、いつしかニュー・ミュージックなる言葉がそれに替わっていって、というのが1970年代の流れ。(かささぎのことば:きゃーなつかし!ニューミュージック、なんて古いことばなんだ)

 神代辰巳が、そして日活ロマンポルノが初めてキネマ旬報ベストテンに現れたのが「一条さゆり 濡れた欲情」、その後、「四畳半襖の裏張り」(かの谷崎潤一郎が書いたのではないかと言われている「…下張り」が原作)など続々と傑作・佳作が出てきたが、ちょっとタイトルがね。(かささぎの声:うんうん。題名きいただけで、ひきますもんね。でも巨乳なんとか爆乳かんとかという類の題名よりは救いがあるよ)。
「青春の蹉跌」も良かったけどこれは一般映画だし。

私が個人的に好きなのは「赫い髪の女」、これがいいのでは?

日活ロマンポルノと言わずに、映画通のふりして神代辰巳監督の、と言えばいいし。
私が好きだった憂歌団が音楽やってるし。
おっと、今調べたら、原作は中上健次だったのか。
ま、レンタルとかで見つかるかどうかがまず問題ですね。
こないだ書いた元文部官僚もたぶん推薦すると思います。

おお。そうだったんですか。
いろいろと知らなかったことを教えて下さって、ろいりさんかたじけないです。
さすが底意地の人ろいりーさん。

映画の題名を教えてくださったのは有難いのですが、八女にはなかろう。
ドヌーヴのインドシナやシェルブールの雨傘さえなかったし、そんなマニアックなのが置いてあるとは思えません。
題名、赤い髪の女、赤赤ですね。中上健次原作。はいわかりました。
意識のすみにおいておきます。

ほかに長男に頼む、という手も考え付きました。
でも断られました。
「張形としての俳句」を書いていたころ、江戸の春画の本をどうしても読む必要に駆られ、買ってきてと長男に頼みましたときは、いやな顔もせず買ってきてくれましたが。
おんなが思うエロスと、おとこの思うエロスとはまるで違っている。よね?
かささぎは独身ですので、女である自意識を保つ必要性をかんじます。
このいいかたはとっても変かもしれませんが、意識しないと女になれない。
そのうえ、おんなでいることは、かささぎにとってはとっても苦しい。

先日むすめが帰省したとき、あのね、子供のころ、おかあさんが化粧をしていなかったのが私はとってもいやだった。と言うのを聞いて、へえそうだったの。と反省させられました。
だいたい、三人も子育てしているときに、化粧なんてしてた?
していなかったよね。
しょうこ。あんたも母親になったらわかるよ。(kasasagi)


2009年10月22日 (木)

追悼 加藤和彦 4

コメント

 しつこくてすんまへん。昨日忘れたこと、加藤和彦の最初の奥さんは、アマチュア時代の京都のフォーク・サークル仲間にいたミカさんという人、「帰ってきたヨッパライ」以前から交際してたんですね。ところがゴシップ的に言うと、「みんな夢の中」でプロデビューし唯一のヒット曲を出した高田恭子という歌手も、京都時代はそのフォーク・サークル仲間の1人で、加藤氏のその前の交際相手とか。そして高田恭子はその他の仲間たちと一緒に、フォークルよりも一足早く自主製作LPを発表していた。その中に「竹田の子守歌」も入っていました。私は大学時代に先輩が持っていたその実物LPを見たことがある。でも加藤和彦が一番愛した女性は、やはり安井かずみだったんでしょうね。
 松岡正剛については、いろんなことやってるような人なので私もよく知らんけど、初代六文銭が歌った「それから」という詩は好きだった。谷川俊太郎はみなさん御存じでしょうが、高石友也ファーストLPに入っている、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」は、さっきの「それから」とともに私の大事な弾き語りナンバー。
 昨日の夕刊で吉田拓郎が仕事に復帰と書いてあった。そういや彼も数年前肺ガンが見つかったんでしたね。いや、もっとやれるだけやってほしい。そして今彼に一番歌って欲しいのが「青春の詩」をパロディ化した「老人の詩」の2009年バージョン。昨日「吉田拓郎 老人の詩」で検索したら、こんな面白いのが出てきました。坂崎幸之助がやりそうな感じ。
 ↓

 あ、しつこいついでにもう1つ。日活ロマンポルノは1970年代日本映画に咲いた大輪の1つ、ここから多くの映画監督、桃井かおりなどの女優はもちろん、風間杜夫・奥田瑛二などの男優も成長していきました。「日活ロマンポルノ」ち言わんで、作品名を言うたらよかでしょうが。あ、それでも女性には言いにくいタイトルがちとあるけど。
 みなさんたぶんおきらいな元文部官僚寺脇研も、私にとっては同世代の、日活ロマンポルノをはじめとする当時の「青春映画」を愛したアマチュア投稿者から、プロ級になった映画評論家なのです。

night私、坂崎さんの大ファンです♪ 彼がいなかったら往年のフォークスター達の今はありません^^☆

冥福・加藤和彦氏>>今夜の夕刊に、北山修氏の追悼文が載っていました・・☆

カメラや骨董品収集家の坂崎さん、近くの阿佐ヶ谷の神社の骨董市でオールドカメラを売っているのに出会いました。
買っているんじゃなくて売っているんです。
確かひとことふたこと話したと思います。
自慢です。
彼の骨董品収集、半端じゃないですね。

へえー。へえー。へえー。笑
みんなよくいろんなことをごぞんじですね。
私はとし上のともだちを持てなかったので、同年代の話題しか知りません。年代が少しあがったりさがったりするだけで、だいぶ印象が違ってきます。
昨日、歌番組があっていて、昭和のヒット平成のヒット曲というのをやっていた。なんだったと思います平成一位。巣マップの世界に一つだけの花。だーれがえらんだよと思った。
選ぶ年代で違ってくるにちがいない。

ろいりさん。
高田恭子は加藤さんの恋人でしたか。へーえ。そんなことよりじぶんがへんだとおもうのは、フォークソングになぜ「ど」がつく「竹田の子守唄」が入り込んできたんでありましょうか。ってことです。
当時もね、なんかへんだなあ。と感じたのを覚えている。ちゃらちゃらした歌ばかり(あいだのこいだのの)の中でとっても異色でした。
「死んだ男の残したものは」「それから」がろいりさんのおはこ、では、機会がありましたらみんなにおきかせくださいませ。

ロマンポルノ、えめさん借りれる。よう借りれん。
では、題名を教えてください。これだけは見といた方がいいというの、くましろかんとくのがいいです。
いつか借りてみれるときがあるかもしれないから。

sunおはようございます。
ろまんぽるの>>私みたことはありませんslateそれに私もきっと借りれないと思う^^
神代監督はテレビ時代のドラマで気に入ってました。

さくらさん、坂崎さんとお話されたのですか! いいですね~☆ 
あの方は色んな才能をお持ちですね。
彼は私達より年下ですが、フォーク界の生き字引きですよね。
すべての方の歌が弾けて歌えて、、またそれがそっくりに真似できるという才能は天才的でほんとにすばらしいです^^☆ 

えめさん。そのことば、さりえりを連想。子がおととい横であまでうすみてた。
さくらさん。都会はそういうことがひんぱんにあるんでしょね。すがおのすたあにでくわす。

ところで坂崎さんとお花作家の人と混同してしまいませんか。

2009年10月21日 (水)

追悼 加藤和彦 3

思い出しました。
あるきつかれてしまいました。で始まるものでしたね。
ばいばい、ばいばい、きょうのすべて、ばいばい。

 う~ん、聴いたことあるようなないような。「結婚しようよ」後の拓郎の歌で私が好きだったのは、「生きていくのは、あーみっともないさ、あいつが死んだ時も、おいらは飲んだくれてた…」というので、タイトルは忘れました。その頃既に坂口安吾の洗礼を受けていた私は、みっともなくとも「生きよ!堕ち延びよ!」(だったかな?)と思い、結局あまり堕落もできず、中途半端に生き延びている。
 あ、「落陽」も好きです。

あ、はい。落陽、わたしも大好きです。
この曲は吉田拓郎さんの数多い楽曲のなかでも、名曲の部類に入ると思ってます。

幸か不幸か、坂口安吾さんの堕落論に影響されなかったわたしは、このあと、健全な精神のまま、井上陽水にまっしぐらに傾倒していくのでした。笑

映画『イマジン』(ジョンレノン)をつい最近みたんです。三潴図書館から借りて。薬をやっていた時期があったんだね。かおみたらすぐわかる。それでしんだスターたち、おおいし。
ろいりさん、せいこさん。加藤和彦追悼なのに時代の追悼みたいになりますよね。
吉田拓郎、いつのまにかポップスターになってしまって。という呂いりーさん。ほんにほんにのう。そげなかんじ。「これこそはと信じれるものが、この世にあるだろか」ってころがいっちゃんよかった。からだもやせっぽちだったころ。
三回も結婚したー最初の妻、おけいさん。だったっけ。つぎがみよちゃんで、いまのひと。いまの人、かんじいい。なまえでてこなくてごめんなさい。おとといドラマにでていらした。
加藤和彦、最初の奥さんをよくしりません。安井かずみは知ってる。肺がんで55でなくなった。最近わかれた妻がオペラ歌手だった人ですか。オペラってなんであんなに高いの。ぼったくり。あら。またはなしがそれてゆく。ごめーん。

ひとつ呂いりさんに賛成。結婚は一回で十分っす。

 「自殺の詩」を調べたら、アルバム「人間なんて」に入ってる曲なんですね。拓郎でもう1曲好きな、マイ・カラオケ・レパートリーがあった~ただしモップス版の「たどりついたらいつも雨降り」、転勤するたびにこの心境になります、今年もそうだった。陽水って健全かな?あ、seikoさんが健全なのか。
 かささぎさん、「イメージの詩」知っとらしゃったね、そりゃうれしか。拓郎の最初の妻おけいさんは、第2次六文銭の2代目ボーカリストで、第2次六文銭の初代女性ボーカルは小室等の奥さんだったけど、子どもができて替わったのだったと覚えてます。初代六文銭は男性4人グループで、URC時代のLPを今でも持ってます。谷川俊太郎や松岡正剛の詩に曲をつけて歌ってました。拓郎の今の奥さんは元女優の森下愛子、「サード」「もっとしなやかに、もっとしたたかに」などに出演、後者には無名時代の奥田瑛二が主演しています。一応日活ロマンポルノ系作品じゃなかったかな?

2009年10月19日 (月)

追悼 加藤和彦 その2

コメント

diamond
十数年前、奥様の安井かずみさんを亡くされたときのとても憔悴されていたお顔が、今でも印象的に残っています。
お仕事も順調で忙しく、賑やかなまわりといらしていても、どこか孤独だったのでしょうか。。
偶然ですが、夫がここ1週間ほどやたらと[イムジン河]をyoutubeで聞いていました。
なので、この訃報を聞いた時不思議な感じがしました。
加藤氏のご冥福をお祈り致します☆

青春時代をフォークと過ごしたといっても過言ではない世代のわたしたちです。
同世代のだれもが多かれ少なかれ、加藤和彦さんの楽曲を口ずさんだ経験があるのではないでしょうか。

吉田拓郎をこの世にだした「結婚しようよ」だって、加藤さんの作曲だったと記憶しています。

早すぎる死ですね。
マイケルの死よりも、清志郎さんの死よりも、わたしにとってはショックです。こころからご冥福をお祈りいたします。

 こんな時に何ですが、「結婚しようよ」は吉田拓郎の自作です。
私はそれ以前の「イメージの詩」「青春の詩」「今日までそして明日から」「ともだち」が好きだった~特に「イメージの詩」は、歌詞の1節1節が当時の私の胸にしみ入る思いだった。
その後はポップ路線に走ってしまったようで…拓郎ファンの人ごめんなさい。
そう言えば2人とも3回結婚している、結婚って1回で懲りないのか、せめて2回までだよなと思っていたが、加藤和彦の3回目の結婚が妻からの別れ話で終わったというのをニュースで知って、彼らは誰かと暮らしをともにしないとやっていけない、(友達・恋人という関係だけでは物足りない)「寂しがり屋」なのかなと思いました。
 「あの素晴らしい愛をもう一度」は、加藤氏の最初の結婚の時、北山氏が贈った歌詞だったと記憶している。考えてみりゃ皮肉な歌だった。加藤和彦は常に「素晴らしい愛をもう一度」と求め続けたのでしょうか。

コンナトキニナンデスガ。笑
ろいりーさん。
吉田拓郎さんの「結婚しようよ」は確かに吉田拓郎さんの作曲でした。が、時期的にはデビュー当時ではなかったかも知れませんが、編曲という形で加藤和彦さんがバックアップしておられたのではなかったでしょうか。そんな話をテレビで聴いた記憶があるのですが。
それと、吉田拓郎さんの詩シリーズで、自殺の詩というのがなかったですか?「ばいばい、ばいばい」という歌詞のヤツ。唄いだしの歌詞が思い出せないのですが、わたしが17歳くらいのころに聴いた記憶があるのです。

思い出しました。
あるきつかれてしまいました。で始まるものでしたね。
ばいばい、ばいばい、きょうのすべて、ばいばい。

2009年10月18日 (日)

追悼 加藤和彦

コメント

なぜ諏訪中の校歌を覚えているかと言うと・・・
歌詞に中学校の名前が含まれていないからです。珍しいでしょ。
調べたら、
作詞  石井 孝
作曲  森脇憲三   でした。

雄大な筑後平野と高良山を直ぐ思い出せて、良いなあと思っていたからでもあります。

 さすがぼんさん、学校名が出てこないというところによく目をつけなさった。前にもこのブログに書いた気がするけど、昔、学校名を連呼したり、校名の前に「嗚呼」という詠嘆詞が入ってる校歌はあまりに平凡すぎるというのを読んだことがあります。その点から言うと諏訪中校歌はなかなかイケてたのか!しかし、諏訪中というと、よく長野県と間違えられるし、実際同名の中学校がある。東京都立久留米高校は数年前になくなり、四国のどこかにある明善高も名前が変わったらしい。福島高校というのも福島県にありそうな感じですね。
 ところで今ごろ気づいたが、わずかの間とはいえ、私が中3の時にぼんさんは1年生として同じ中学に通ってたんですね。すれ違いぐらいしとるかもしれん。姉同士は同い年のようだからもっとその可能性がある。

私は1年の1学期しか諏訪中には行ってませんから、すれ違ったかどうかは確率低いです。
それより陸上部でいつも走っていたからそっちの方を見るともなく見ていらしたかもしれませんね。
なにせ、152cm42kgという今では想像もできない体型でしたからね。3年生の走り高跳びの先輩(女性)の姿がかっこよくて、憧れていました。

すわ。すわ。すわ。諏訪大明神。
周防。すおう。すわ。
丸山豊先生の医院があった地、諏訪野町とはちがうのかな。
中一のころ。
161くらいあったかも。40キロになったのがうれしかった。ソフトボール部に入っていました。スポーツはさっぱりできませんが、いちおう。

 んん!私と同学年に走り高跳びのかっこいい女性?誰じゃろか?12クラスもあったからたぶん同じクラスにはなっとらん人じゃろ。そしてその時男子長距離部のスター選手だったのが、全市内陸上大会でほとんどいつも優勝していたO君。勉強もできて、あたしゃ中2の時担任から、「Oさんの爪の垢でも煎じて飲みなさい」と説教されたことを今でも執念深く覚えている。そのO君は同じ高校に進学したがなぜか陸上を止め、1浪して某国立大の哲学科に。そして25歳の頃お互い浪々の身で、彼は酒と女の世界に生きていた。その後年に1回ぐらい会って飲みに行く仲が続いているが、「良かったよ、お前の爪の垢飲んどかんで」「今じゃおいのほうが速かばい」などと言って笑い合ってます。ちなみについこないだまで、30年近く久留米図書館に勤めていたので、行ったことある方は顔知ってるかも。今でも割とイケ面だし。いやはや、人生わからん。
 丸山豊先生は日吉小の校歌の作詞者として知りました。東京の中高生の合唱祭とかでも、よく「筑後川」が歌われます。作曲の團伊玖磨は、血盟団事件で殺された團琢磨の孫です~日本史的トリビア。
 O君の話に戻って、彼に1度陸上止めた理由を訊いたら、円谷幸吉選手の自死の影響を受けたと冗談っぽく言ってたが、意外と本音だったのかも。確かに当時のスポーツ少年らがショックを受けた事件だったし、彼の遺書は三島由紀夫も野坂昭如も感銘受けたらしい。マイナーなフォークソングですが、次のような歌も15歳の頃深夜放送で聞きました。
 ↓

ろいりーさん。
この歌、わたしも覚えています。
円谷選手がなくなったのは、わたしが中学生のころではなかったでしょうか
この歌は、フォークギターを抱えた先輩がうたって聞かせてくれた曲のひとつです。高校一年生のときでした。そうそう、ピンクピクルスの曲でしたね。なつかしくて、涙が出そうになった。

runろいりさん完走おめでとうございます。 そしてお疲れ様でした。 よい記念になられましたね。
↑この歌印象が深いです。 
なぜかというと、当時友人達から私の歌う時の声と似ていると言われたからです。
自分でもそうかもと思ったことがありました^^☆彡
丸山豊先生は近隣の学校にすばらしい校歌を作られていますね☆

ろいりーさんが15歳のころといいますと、うちらは13~14歳のころになるのでしょうか。中学生のころです。くらい歌詞ですがちゃんとおぼえています。メロディも。
円谷選手の遺書、母上あてに、なになにがおいしゅうございました。とづらりとならぶ露のしずくのように、書き連ねてありましたね。まるで正岡子規の病床六尺日記みたいに。
わすれられないもののひとつです。
(とここで検索してみましたら、母上あてというものではなく、父上、母上あてであることを発見。あれ~なんで父をむいしきに排除してたんだろ。)

 へ~、この「一人の道」という歌はそうヒットしたわけじゃないし、フォークソング・マニアしか知らないと思っていたら、意外と皆さん御存じなんですね。私は首を振り振り苦しそうに走る君原選手のファンだったけど、彼がメキシコ五輪で銀メダル取った時、インタビューで「円谷さんのために頑張った」というようなことを言い、また数年前に読んだ君原氏の本にも、故円谷幸吉に対する思いが込められた部分があって、ジーンときた。その君原氏の言葉、「人生はマラソンというよりも駅伝だと思います」

ぼんが応援しているときに言ってたっけ。
お正月は家で箱根駅伝を毎年見ている。って。

人のしあわせと不幸と、どっちがより人様に影響をあたえるのだろうか。

加藤和彦さんが亡くなられました。
62歳。
マイケルよりショックです。

ひろーい荒野にぽつんといるよで
なみだが知らずにあふれてくるのさ
あのとき風が流れても変わらないといった二人の
こころとこころが今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

 昼飯食って一眠りしようと思ってた時に、1時のニュースで聞いた加藤和彦の死、しかも自死とは何と悲しい、それこそ悲しくてやりきれない。私はフォークルでフォークソングに目覚めたが、とりわけ加藤氏のファンだった。フォークル解散後にできた「クラブ・ジョン」というファン・クラブにも入った。ちょうど10年前に『プカプカ』という歌や矢沢永吉の歌の作詞者として知られる西岡恭蔵が、奥さんの後を追うように自死~その数日後、私と同い年で同じ1970年前後の日本のフォーク&ロックファンだった同僚が突然死したのを思い出したり、そういや、ブルーコメッツの井上大輔(忠夫)が自死したのはその後ぐらいだったか。
 みんなそれぞれ事情があろうし、月並みな言い方しかできないが、「死んで花実が咲くものか」、生きていたかったのに事故や病気で死んで人もいっぱいいる、私の義兄、その息子=私のもう1人の甥、そういえばかささぎさんの弟さんも若くして亡くなられたんでしたね。子どもを自殺で亡くした高史明、20年ぐらい前に私が親しくしていた同僚はこの人に師事して『歎異抄』の勉強会に参加していたが、1993年、たまたま帰省時に鹿児島竜ヶ水駅での大洪水で、3人目の子と水に流され亡くなってしまった。その死の直前に親鸞の教えが浮かんできたのだろうか。
 加藤和彦の死から、いろんなことを思い出してしまった。加藤氏の死を一番気にしている、悔やんでいるのは、精神科のドクター北山修でしょうか。

2009年10月15日 (木)

最近のドラマとか役者さんとか  ど中年談義

 佐藤栄作のノーベル賞受賞理由、ご明察のとおりで「非核三原則を堅持した」とか何とか。だから自民党は「持ち込んでいない」という虚構にすがらざるを得ないのか?寄港だけなら「持ち込ませず」に当たらずと、堂々と主張すれば良いのに。ちなみに簡単な事典には、「受賞には疑問も持たれた」とあって肝心の非核三原則との関係は書いてないのが多い。
 「私は栄ちゃんと呼ばれたい」と言ったが、当時横山ノックが国会でいきなりそう呼んだだけで、実際に「エーちゃん」と呼ばれたのは、その数年後の矢沢永吉だった(60過ぎても、いまだエーちゃんだ)。

そうでしたか。
ろいりさんのこの文章で、かささぎの連句的あたまは、寄港時にもちこまれどこかにつまれていた核弾道ミサイルのイメージがもくもくとわいてきました。そんな力をひめた文章でした。

10日、あの湾岸戦争のとき一躍有名となられた軍事評論家江畑謙介氏がなくなりました。
ファンでした。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

sunこんにちは
江畑>>そうでしたか。 私もファンでした。 後年はお顔立ちがおだやかでそれもなかなかよいと思っていました☆合掌

エーちゃん氏はいまだにスタイリッシュで舞台を軽やかなステップで走り回られますね。
きっと、ご自分に厳しいのでしょうね☆
キャロル当時、ジョニー大倉氏の歌う「ふたりだけ」が好みでしたmusic

えめさんのそのバタ臭い顔立ち(しらないひとのために:ギリシャ人風)と書かれることのヤンキーっぽさ、おもしろいです。
ふたりだけ、さあしらん。こんどさがしてみますね。
やっと昨日録画していたテレビ番組を二つみた。
一つは国民放送であってた白洲次郎のドラマ。最終回だけですが、みれてよかった。主役の俳優さんがかっこよかった。正子役もね。批評にはぜんぜんなっとらんばって。
もう一本は坂本冬美と忌野清志郎。
そのなかで聞いた「また君に恋してる」がとてもよかった。それと「夜桜お七」。お七の歌詞、俳人・歌人の林あまりだった。知らなかったなあ。作曲は故・三木たかし。(←かささぎは林あまりと大木あまりを混同している)
ビリーバンバンと坂本冬美の「また君に恋してる」
聴いてみてくださんし。↓

 エメさん、趣味渋いですね。私は「ルイジアンナ」と「ファンキー・モンキー・ベイビー」しか知らん。カラオケは後者のほうが得意です。ジョニー大倉、キャロル解散後『異邦人の河』という映画に、本名朴雲煥(パク・ウナン)、で主演したのは衝撃的だった。キャロル、そして私が20代後半~30代で一番よく聴いたジャパニーズ・ブルース・バンドの憂歌団、いずれもメンバー4人中数名?が在日コリアンだったらしいとは、変なところでつながっている。ところで三木たかしって、黛ジュンのお兄さんだったような~と、いま調べたらやはりそうだった。

 あ、ホントはこっちのコメントが本題だった。オバマのノーベル賞には賛否両論あるけれど、佐藤栄作の例もあれば、もっとひどいのはパレスチナ紛争の当事者、アラファトとラビン(当時のイスラエル首相)ともう1人(やはりイスラエルの政治家)。自分たちで戦争して、それで平和条約に調印したから平和賞なんて。しかもあれでパレスチナ問題が解決に向かっていればその価値あっただろうけど、現実は今のとおり。オバマさんも、結果良ければ何とやらで、ノーベル賞に値する(した)かどうか、最低10年は立たないとわからない~少なくともそれまで長生きしましょう!

おもしろーい。
のーべる賞、もともとダイナマイトこさえた人の賞ですからね。アインシュタインはもらっていないのですか?まだなかったのかな。

ジョニー大倉さんは在日コリアンだったのか。そうでしたか。弟がしんだころ、高史明(こ・さみよん)という在日の学校教師の息子さんがわずか12歳で自殺される事件があり、その高さんは浄土真宗の方で、筑後の大谷大学へも講演にみえました。母と父と三人で聴きに行った日のことをふと、思い出してしまいました。
とても感動しました。なにも死んだ子は書いていなかった、在日こりあんと父が世に打ち明けてからの子としての苦悩めいたこと、だけど、それがもしかしたらあったのではないでしょうか。その子の詩集を買って読んだ。「ぼくは十二歳」岡真史。りんごの詩が忘れられない。中に入っている蜜についての。

白州次郎は見ました。

白州次郎という人にではなくてあの俳優さんに感動しました。
いまどきの俳優さんとは思えない白熱の演技、見事な演じ方でした。
でも、あの奥さんはすかん。
ただの金持ちの道楽やないかーと思った。
ひがみ根性丸出しのわたくし。

nightこんばんわ
私はとくにキャロルファンではないですが、全盛当時、わが家にバイトにきてた高校生男子がめちゃファンで、よくLPを貸してもらいました。
[二人だけ]はmyカラオケナンバーでしたよ^^
当時のキャロルファンは私達より4、5歳位年下のみなさんじゃないでしょうか♪

ノーベル>>こどもの頃伝記を読みましたbook

そうですね、ちょっとばかり鼻につきましたね。かたちだけ、それも写真から、まねしてみました、ってかんじの演じ方でしたね。
でも、白洲正子の自伝を読まれてください。文庫本があります。あれを読むと、薩摩示現流の家に生まれたこと、海軍を率いた祖父を父方、母方と二人ももったこと、このふたりのじいさんのかっこいいこと。おとこじぇってかんじですな。それをうけた正子さんはハラのすわったおなごしだったんでしょうね。だけど、それよりも能をじぶんでも少女時代から演じたってことが何よりも大きな精神性を培ったような気がします。自伝を読みますと歌人でもあった母上が香道にのめりこんでいかれる様子が書かれていた。じっと暗い部屋にこもって一日中香りをきいている。それは何か幽玄というよりも鬼気迫る。なぜ、どうして。っておもってしまうし、香道ってなにを聴くのだろうかと考えてしまう。
ほかには、昭和天皇の幼いころの学びやを造ってさしあげたのは、川村純義(正子の母方の祖父)だったこととか、知らないなら知らないでもどうってことないけど、知ったら意味のあるエピソードがたくさんでてきます。骨董品との付き合い方とかも、かささぎみたいな貧乏人がよんでもそれなりに楽しいです。
それと「西行」と「お能」だったっけな。能関連の本、これはいいですよ。あと、「花にものおもう春」だったかなあ。そんなタイトルの新書。あれもよかったし、むかしのこどもむけに書かれた奈良路紹介の紀行文もとってもよかった。


冒頭、白洲正子役を演った女優さんについて。

その女優さんが「仁」で野風をやるようです。
「仁」、主役の大沢たかおがとってもいいし、坂本竜馬役の俳優さんもいいですね。彼が竹内結子と共演した「不機嫌なジーン」は毎週みていました、有明海が何度かでてきましたから。
・・・でも名前がどちらもでてきません。笑

tv龍馬役は内野聖陽さんです。奥様は元宝塚の・・え~っと・・んっと、そんなことより、、私も不機嫌なジーンは見てました(毎週)脚本もよかったですよね♪
彼はNHKの「蝉しぐれ」がだんとつによかった☆
でも何を演じてもすばらしい俳優さんですね。
仁>>うっかりして10時から見ました。2時間あったからよかったけど、来週は困った。。「イ・サン」が9時からなので。。ビデオ機壊れたままです★

きゃー、エメさんよ。

内野聖陽さん、「蝉しぐれ」 良かったですね。
涙があれほど流れる時代劇はなかったです。
内野さんは最近さまざまな作品に出ているけど「蝉しぐれ」がダントツです。

宝塚出身のお嫁さんが内野さんとの結婚をきめた理由が「立ち居振る舞いが美しかったから」
私もそういうかもしれない。
お呼びじゃない?こりゃまた失礼しました。

内野さんの作品でもうひとつ好きだったのが
薬師丸ひろ子との競演の「ミセスシンデレラ」

エメさん見てないですか?

 あっちこっち首突っ込んですんません。白洲次郎について一言。数年前から「マッカーサーを叱った男」とか言ってNHK番組で紹介された頃から、なぜかブームになっているけど、あまりに理想化されていそうな気もする。理想化して持ち上げて、何かあったら180度ひっくり返って貶されたり、あるいはブームが終わって忘れられたり…昔から良くある話です。田中角栄も小泉純一郎も?政権交代も官僚批判もそうかもしれん。善悪二元論ではなく、両方から冷静に評価することが必要だろうけど、現実は難しいですね、どこの世界を見渡しても。

tvさくらさん、ほんとに内野氏の「蝉しぐれ」は秀逸でしたね☆再放送は2回見ました。またあれば必ず見ると思います。
小説は読んでいました。小説でもはらはらして最後は泣きました。。
ミセスシンデレラは残念ながら見ていません。いつかチャンスがあれば見ることにします^^
グラビアで内野氏を見た時金髪ヘアでした。すごく似合ってましたよ。

大沢たかお氏>>ほんまにかっこいい~(生・たかお氏は見ましたshine目に焼き付けてきました^^☆)
彼のTVドラマ「輝ける瞬間」(戦場カメラマン沢田教一役)が強く印象に残っています。あのドラマも秀逸でした☆

えめさーん、さくらさーん。
蝉しぐれ、かささぎはみていません。親たちはみていたが。

金髪のうちのせいよう?せいようはなんてよむんですかい?よめん。
土方現場のおにいちゃんたちが金髪にしておられるの、なぜだかわかりますか。
夏の暑いひざしを反射して涼しいのだそうです。まじで。

<宝塚出身のお嫁さんが内野さんとの結婚をきめた理由が「立ち居振る舞いが美しかったから」
私もそういうかもしれない。(さくら)

これおかしい。むかしなら男がいうせりふです。

2009年10月13日 (火)

筑後川マラソン大会の歌

かささぎさん、ぼんさん、応援どうもありがとうございました。
おかげで35㎞あたりまでは絶好調だったけど、あと5㎞ぐらいのところで急に肉離れのような前兆が(肉離れの経験ないけど)して、ペース・ダウン、それでもゴール寸前また異変で、おまけにあの暑さ、もう足も頭もヘロヘロ。しかもゴール後、足が2回もつり、2回目は両足同時で思わず倒れ込んでしまうほど。年のせいか?いやいやまだまだ。
というわけで、稚拙なマラソン7首。
 
①ふるさとの千歳の清き流れ見て 号砲待つかマラソン人(ビト)よ
   ※スタートの号砲鳴ったかどうか?いつの間にか始まってた
②高牟礼の山中に見ゆ大社(オオヤシロ) 走り登らんと誓いしはいつ?
   ※ホントは高良大社は見えまへん
③幼き日疲れ歩きし放水路 いま軽々と走り過ぎゆく
④ふと空を見上げてみれば鰯雲 俺と一緒にどこまで続く
⑤筑後路を走りつ願ういつまでも 山よ田畑よ緑豊かに
⑥寛文の五庄屋伝説残る堰 この辺りかと見れどわからず
⑦若者を抜けば翁に追い越され 人はそれぞれ「keep my pace」

 高校1年以来、41年ぶりの真面目な短歌です。いや、お恥ずかしいがこれも愛嬌?もっとひどいのは後日紹介~いらんてか?
 

わお!ろいりーさん。相良さんに勝るとも劣らない短歌群ではないですか。なんだなんだ!能在る鷹は爪かくすって、これまで隠していたのか~!?
個人的にいいますと、7番がいっちゃーん好き。
過酷なマラソンへの挑戦。おつかれさまでしたぁ。

①と②は、諏訪中の校歌のパクリなんじゃねえの?いえ、参考になさったのですね。
私は暇な時、金丸小や広中や諏訪中の校歌なんぞを、時々思い出して風呂の中でうとうとります。1番は全て歌えます。ははは・・・
短歌、お上手だと思いますよ。これからも時々作ってください。

マラソン、完走できたのですね。よかった。
最後まで見ていたかったけど、勤務がありましたので見れませんでした。
朝も彦山を送っていかなくてはならず、スタートに間に合わなかった。
体、大丈夫ですか?お大事に。

マラソン、最後までみているべきでした。ほんとに薄情でした。
フルマラソンの一部をちょこっとみて、応援したなんていうのは恥ですね。
来年は最後までみます。

悠久の川の流れを溯るマラソン人は点描となり
橋毎に応援人が待ち受ける風爽やかな十月の原
梶原の呂伊利さんがあらはれて一瞥くれて去っていく間を
老若男女がろうにゃくなんにょ走るを見てゐるあちこち太き玉になりて
はるかなる黄の花叢に漱石の不濡山の句碑思はるる
サン津軽丸かぢりして大空の腹蔵なきよ雲ひとつなし

にくばなれでしたか。そんなら整骨院にくればよかった。
先生それが専門ってくらいに上手です。競輪選手や高校生がたくさんみえます。

はるかなる黄の花叢はなんてことはない、セイタカアワダチソウ。
ぬれせぬやまにそうせきのくひ、

菜の花のはるかに黄なり筑後川  夏目漱石

(くるめウスにも句碑の写真があった。五分でみた!)

2009年10月12日 (月)

水神への接近 5  

(あおいシャツの右側のランナーがろいりさんです)折り返して四キロ地点。

今朝は「どうらいご」で溝さらいがあったのです。長男は深夜バイトでいず、父が出るというので父にまかせたら、ちょうど私がマラソン応援にでかけようとしてるときに、下半身ずぶぬれで帰ってきました。
溝に入って大量の藻を揚げたという。
いくらなんでも手術をうけてまだ三ヶ月もたたない身でよくもそんなことをしたものだ。とかわいそうでかわいそうで、自分はなんと親不孝だろうとおもった。
みなさんも川に入らないでいいよ、とおっしゃってくださったみたいですが、これが性分というのでしょう、川に入らずにはおれなくなったようです。
それだけ元気だともいえる。以前ほどではありませんが、ふつうに食事はします。ちょこまかちょこまかと。でも、うちは来年はもう米作りはしません。

きょうは、結局、ぼんと約束したとおり、九時半にくるめウスに行き、車をとめて筑後川マラソン大会本部までおりて行ってコース表をもらいました。それから車で折り返し地点まで四キロの地点まで行き、川の土手に腰をかけて呂伊利さんが走って見えるのを待ちました。ぼんとりんごをまるかじりしながら。
とってもいいおてんきで、きもちのいい日でした。
千五百人の走者が目の前を通り過ぎていった。
ろいりさん、元気に走ってみえましたよ。少しも苦しそうではなかった。平常。ひょうひょうとした走り。
青いシャツに青い短パン。白い帽子。だったよね。
目の前を通り過ぎていかれ、折り返し点の朝羽大橋から四キロくだった地点でこんどは戻っていかれるのを見届けてから、帰りました。ぼんが声をかけたのに気づかれました。ゼッケンは901、ろいりさん、完走されたでしょうか。最後まで見届けられずごめんなさい。
十二時をすぎていたので、ぼんと丸星ラーメンをたべて帰りました。ろいりさんもいっしょにたべられたらよかったね。といいながら。
丸星はかつてないほど混んでいました。
列が店の外まであふれていました!

ろいりさん、かささぎさんお疲れ様でした。

1500人の中には70代と思われるような人も混じってました。その後に若者がてれんぱれんで走っているのを見ると、しっかり走れ!と喝を入れたくなります。
どなたも一生懸命走っておられました。自分は走れないからうらやましかったです。

spadeろいりさんお疲れ様でした。よいお天気でよかったですね。
run観戦、応援のお二人もお疲れ様でした。
今日はあちこちでスポーツ大会やイベントがあってたようでしたね☆

 

2009年10月11日 (日)

筑後川マラソン大会

天気は絶好のマラソン日和みたいです。

神津島に赴任されていたころに坂本繁二郎と丸星ラーメンのだるまの絵でコメントを下さった久留米出身の関東人ろいりさんが、筑後川マラソン大会に今日出場される予定です。

筑後川マラソン大会:コース紹介http://npoaiai.jp/

ろいりさんの最近のコメント抄:

オバマ大統領へ平和賞、まったくすごいね。

なにもわからないけど、オバマ大統領へのノーベル賞がきまったのが、ジョンレノンの命日だったことがかささぎは妙に気になる。アメリカでのオバマ神通力の失墜が懸念されているときに、こころなしか最近のオバマさんの表情には力がなくなっているような気がしていました。希望さんちでいろいろ読んだからかな。ふと、ばくぜんと、しんぱいなんだよ。(かささぎ)

ジョンレノンの命日?
命日は12月8日やろもん。

奥さんが日本人→太平洋戦争の開戦日→暗殺
私はこれに引っかかってるけど。

 さくらさん、日付変更線ちゅうもんがありまして、真珠湾攻撃は、日本人にとっては12/8未明だが、米国人にとっては12/7日曜日のアメリカ東部時間午後2時20分(ハワイ時間午前8時50分)、ということはハワイの人たちが教会に向かう時間?これも米国人の怒りをかき立てた要素の1つでしょう。どっちにしろ米国人にとっての対日開戦日は12/7、そしてジョン・レノン暗殺の日は、米国東部時間の午後10時50分頃なので、日本時間では12/9昼頃?~詳しい人は計算してください。
 というわけで、米国人は、両者の日付をあまり関連づけて考えていないでしょう、おそらく。あ、ほんでオバマのノーベル賞受賞とジョン・レノン暗殺は同一日になるのかな?これも誰か計算して。私は今日の午後便で久留米に帰ります。

 帰り支度も出来たので話題をもう1つ。
佐藤栄作が昔ノーベル平和賞を受賞したのは(40代後半以上の人は?)みんな知っとらっしゃるけど、どういう理由で受賞したか知ってる人は少ない。
10年ぐらい前に同年代の同僚に聞いたが、半分以上は知らないか、間違っていた。
予備校の先生も間違って教えていたらしい。それほどいい加減な受賞理由だったのですが、さて答はおわかりでしょうか~前述の通りなので、知らなくても恥ではない、なお間違ってる人は「沖縄返還」と答えています。

昨日から今日、その佐藤えいさく総理の受賞理由、何回か仕事先で話題になった。
沖縄返還かなとも思ったけど、もしや非核三原則?患者さんが言っていた、なんで核兵器いっぱいのアメリカ大統領が平和賞なんだ。と。日本の長崎市長とかのほうがよほど平和賞だ。って。笑

あれージョンレノンの命日は十二月なの。
じゃきのうは。あ、レノンと息子の誕生日だった。

投稿: ひめの
| 2009年10月10日 (土) 13時33分

ミュージシャン野田かつひこ氏について:

そのおっさん、ちょっとだけ知っとります、と言っても知り合いではない。
このブログに投稿し始めた頃、いろいろ久留米のこと調べていたら、たまたまこの人のブログで、次のような記事を見かけました。

 終戦後翁さんが文化で街を元気にしたいと「文化会堂」という映画街をオ―プン~ 現在は800軒が並ぶ繁華街。文化街の名前の由来は 「文化会堂」から来ていたんです。

 この人のブログは以下の通り。
1965年生まれ、ゲゲ!一回りも違う!!これがおっさんなら、わしゃもう、じっちゃんや。
なお上記の記事は2008年01月20日の分に載っています。
 話は変わって、私のゼッケン引換券、手違いがあってやっと今日送ってきました。番号は「901 L」です。フルマラソンは9:30スタート、甥が出るハーフマラソンは10:20スタート。先週風邪引いて、数日で治ったたと思ったら連日の雨、もう10日も練習しとらん、しかも明日は台風直撃の予報、福岡県は無事だったようで、良かったですね。
 ↓

2009年10月 2日 (金)

「ときにヘレナは元気でゐるかい?」 談義

コメント

こんばんは。
昨日から今日にかけての連句合宿お疲れ様でした。いろいろと前準備、お手数をかけました。ありがとう。
宗匠の手厳しいお言葉もありがたかった。
先生も帰りの車の中で、思った以上に、手ごたえのあった一座であったと感想をおっしゃってましたよ。いい作品になるといいですね。
らんちゃんにも、お世話をかけました。
よろしくおっしゃってください。

せいこ。ありがとう、こちらこそ。
よかったーぶじおわったー
本当にうれしかった。
横浜のしらべさんもえめさんも、それから午後から参加されたにたばるさんもつきあしさんも、はじめてなのにとっても上手でしたね。深いところから句をだしていただいて、むねがじいんときました。おつしろうも忙しいのに、昨日と今日のおわりがけと二度もきてくれて、うれしかった。それからたからさんも昨日夜のわずかな時間だけだったけど、参加していい句をだしてくれたのは、うれしかった。今回の作品にはそらんさんの句は一句も入ってないけど、俳句参加はありがとう。丸山消挙もありがとう。消挙さんの句は一句連句にとられましたよ。ペーパームーンの。

先生が歯に衣着せぬことばで批評してくださるのはとてもありがたかった。
おつかれさまでした。
会計をやってくれたらんちゃん、あとでお礼をつたえておきます。今朝早く、繁二郎展のために帰られた音彦さんへもありがとう。
又来月の日曜にやるよ、連句会。いつがいいかな。

sunおはようございます。
昨日は大変お世話になりました。
スピードになかなかついていけませんでしたが、とても楽しかったです^^pencil
では今日もお気をつけてcar

皆さん、お疲れ様でした。
男性人の参加が少ないと予想されていたにもかかわらず、3人の出席があり、本当に嬉しかった。男性ならではの発想が出来の良し悪しに、大きく作用するから。
先生がかなり一直されましたが、マイナスにとらえる事無く、これからにつなげたいと思います。
課題も明確になりました。次を楽しみにしています。
ありがとうございました。

本当にお疲れ様でした。色々ありがとう。行くまではびびってたんですけど(笑)先生が優しくてうれしかった。
皆さんにも会えてよかった。お世話になりました。
私方、13日の祖母の100歳のお祝いも無事終わりました。少しお化粧をして昨日は特にしゃきーんとしていて、「まだまだ生きるよ!」と言ってました。明治女は強い。祖母の生まれた年は、伊藤博文が暗殺された年です。すごいでしょ。
私たちもまだ折り返し地点。がんばろうね!

みなさんほんまにいそがしいのに、きてくれてありがとう。
たのしかったね。うれしかったね。
それから、黒木が思いのほかすばらしかった。
温泉、なんと畳よ、たたみ!畳敷きのおふろなんて入ったことなかった。めいどのみやげができてよかった・・・笑
たからさん。きけば、とってもめでたい話で、しかもそれを歌仙の一句におりこめて本当にぐっタイミング!おめでとうございます。よろしくおつたえください。お写真でいつぞや拝見した、おばあさまのかくしゃくとしたおかおがうかんでまいります。こちらまで何かすごい生命力にあやかれるかんじよ。

改めて見てみると、良いねえ、この歌仙。
黒木で巻いたことが刺激になったのかも。世俗を忘れて気持ちがまっすぐ連句に向いて。
合宿の話が出たとき、私は参加しないことにしていた。自分はへただから皆の足を引っ張るんじゃないかと思って。
連句は俳句と違って周りの人と作り上げるものだから、上手い下手は関係ないってことがよくわかった。平凡な句も前後の句に生かされ、また「て、に、を、は」を変えるだけで大きく変化する。
この面白さは参加してみないとわからない。
きつい言葉も受けるけど、「よーし」と気合も入る。

ひめのさん、貴方が言っていたのはこれだったんですね。参加してよかったと今は思っています。
「かささぎの旗」ごらんになっている方。
ぜひ一度参加してみませんか。
初めての方でもだいじょうぶですよ。

そうなんです。やってみればわかる。
前田圭衛子先生がいらしてくださる。それがどれほどありがたいことかとずっと思っています。
隣にいて師のさばきをみておりましたが、目配りとか気配りとかとはもうひとつ違う次元のものを常に働かせておられます。
師はこれは何に分類されるから使ったらだめ、なんていうような野暮なことはおっしゃいません。
それだけ核心をつく捌手であるということです。

ときにヘレナは誰のことかい?

いなかったので背景わからず。
原子力潜水艦ヘレナだったら元気にどこかの海底に潜んでいるみたいです。

おつしろう。
ヘレナは誰か。それは想像するっきゃない。いきのいい、ちょっと身持ちの悪い中年おんな。そんなかんじがします。「ジョニーへの伝言」を歌ったらはまり役のような女性をおもいうかべるなあ。
このヘレナ句をだしたせいこはへレンにしようと思ったけど、ありふれているかとヘレナにかえた由。
前田師に、この二句で恋でしょうか。とたずねたら、恋ですよ。とおっしゃいました。次をもうかんがえておられたってことです。物語をつくる才能。つぎつぎに素材をつなげる、でも前句とヘレナ句だけでは恋には弱い。そこで、なんで受けると恋の座としての骨格がしっかりと構築されるか。
もちろん、それは百首和歌でも学びましたように、恋とは共寝することでありました。(かのえさる、庚申の恋の歌)だから、連衆のなかでもっとも恋から遠い位置におられる(苦笑)おつしろう先生の弓張り月の句の中七以下のフレーズが前田師の目に留まったのは、なんとも皮肉な、悲壮なともいえる逆説ではございましたが、でも、「共寝して」という措辞の確かさには、すごいものがありました。
「恋句のマエダ」と連句界で喧伝されるゆえんです。

ところで、乙四郎にたずねたいことがある。
堅い話です。
日本は非核三原則をうたっていますが、最近そうではなかった、という話が外務省から出ています。私もそうだろうと思う。
原子力潜水艦へレナが日本にも来たかどうか知りませんが、だけれど日本は米国の核の傘の下で安眠をむさぼってきたのはたしかだと感じています。

学長の名誉を守るため(?)以下、前田捌の手で恋句にアレンジされたおつしろう先生の元の月句をかいておきます。

弓張りて地平はるかの的を射る  乙四郎

ときにヘレナは誰のことかい?

>原子力潜水艦ヘレナだったら元気にどこかの海底に潜んでいるみたいです

このヘレナにしてくださいっ。
ばり面白い!

沈没した原子力潜水艦の名前がヘレナだとはねえ。いまも、どこかの海底に潜んでるんだ。いやー、これ短歌にできんかなあ。

この乙さんのコメントを踏まえて、
この二句を逆に読んでみてん。

  共寝して地平かなたの的を射る
   ときにヘレナは元気でゐるかい?

どこかの深い深い、暗いくらい無音の海底に眠ってる潜水艦が浮かんできたよ、わたしには。知識ってすごいね。また句の読みを深めさせてくれた。ま、恋句には関係ないよみだけどね。

     

うん。たぶんそのためにヘレナがここにきたんだとわたしもおもう。
ずっときになっていることがある。
それはね、澁谷幽斎師を偲ぶ。って本から一部引用した部分に、いつになったら日本が普通の国になるのだろうか。というようなことが書かれていた。
その意味するところはよくわかります。
で、おつしろうがそれにふれたくない理由もわかる。
さくらさんへも、いつか聞いてみたいよ。かささぎはね。

>澁谷幽斎師を偲ぶ・・・・

この文字をはじめ読んだとき、かささぎさんの勘にびっくり仰天した。

その本、一年前からニューヨークに行っていましたが9月15日に東京に帰ってきました。
この投稿が15日だったから驚いたのです。

明日、うけとりに行ってきます。

さくらさん、ごめんなさい。また私は間違えていました。そらんさんのところでも間違えた。幽斎ではなく、幽哉なんです。細川幽斎もいまだに幽斎か幽斉のどっちが正しいかつきつめていないのですが。

で、そのゆうさいさんのお寺は熊本の葦北にある。その葦北に戦時中一時疎開してたのが、きのう調さんのところで連句的に出てきた鳥瞰画家の吉田初三郎でした。たしかそうでした。

たったいま、気づいたのですが、ポストに前田センセからの返信がとどいておりまして、この巻を大変褒めていただいておりました。

改めてこの歌仙を読み直しましたが、ここで再び気づいたこと。たからさんが付けた月の句の静かな存在感。これはおおきい。寡黙ながらしかし雄弁に多くを物語っていることに今さらながら、深く感動します。

軍艦島にふるこうこうとした月明かり。
鮮やかに光景がうかぶ。
寂寥感とともに。

うわっ、seikoさん、あんがと。照れますがな。(汗)

月、三題。

発句の月は原句では「残月や」。それを座で前田師は月代(つきしろ)という月の出のころの空の明るさに一直されたのですが、理由は残月と黒木に伝わる貴種流離伝説とがつきすぎているからでした。
しかし最終チェックでほかのふたつの月が「夏の霜」=夏の月光、ペーパームーン=虚の月である紙の月であったため、月代では月の座が心もとないと、満月にかえられた次第です。
軍艦島=端島。はりつけました。

幽哉さんの本日本に無事帰ってきました。
本を受け取りに行って一日ニューヨークさんと九段あたりで過ごしました。
金融関係の仕事をしてるニューヨークさん、アメリカの現状やアメリカから見た日本の姿など、17歳から一人でニューヨークに住み自立してる女性の話は面白くてたまりませんでした。
これに幽哉さんの本が介在してることを思うと感慨深いです。
かささぎさんの存在も、乙さんの存在も。

せいこさん、ぼん、まりさんへ。
この歌仙、とてもめりはりがあるよね。
さいしょ、私はにおいの花句、座五が少々きわどいのではと感じていた。

花ふぶきお国のために散りぬるを  えめ

けれども前後とあわせてよむと、それが少しも気にならないどころか、余情さえただよってくる。これぞ連句力といわずしてなんといおうか。
軍艦島の句も、うたまる句のさりげない錫杖の釈教句がしっかり前句を支えていて、このあたりのなんともいえない流れはすごい。
一巻のなかで、もっとも能天気にいきおいがあって、なおかつ生活のにおいを感じさせる「ときにヘレナは元気でいるかい?」、これはほんとうに名句だった。せいこさんのすべてがでている句。
前田さばきだからとれたのであって、じぶんならとり損ねていただろうな。と思わせられた付合でした。

さくらさん。さくらさんのお付き合いは多岐にわたりますね。
生き馬の目をぬくニューヨークに単身渡って十七歳から一人暮らし・・・ですか?
どういう夢をおいかけていた女性なんでしょうね。
さくらさんのブログにのったお写真でそのおすがたをちらりと垣間見ることができますが、じつに颯爽となさっていますね。わたしも横にいて、おはなしをお聞きしたかった・・・。そういう話、めったにきけないですし。よろしくお伝えください。

誤解を招くかき方をしましたが、軍事が大事というのは軍事力を強めることとは違います。
国を守るにはどうして守るかをきめておくことです。

でもどかんとなったらいやおうなくどうにかすると思います。
歴史を見ていくと、どかんと、あるいはじわじわとやられた時は、国が二分して隙が出来たときなのです。

そういう意味で今が当てはまるかも。

益田啓一郎の「美しき九州」って本(海鳥社)をみてたら、やっぱ、佐敷って書かれていました。芦北の。昭和17年から23年の4月に京都に戻るまで、熊本の芦北佐敷にいていろんなことをやっていたようです、鳥瞰地図画家の吉田初三郎。
なんかふしぎだなー

って意味は、澁谷ゆうさいさんのお寺があるところがその佐敷だったからです。なんというぐうぜんだろ。

あーはらへった。けさからなにもたべてない。
いやまじで。かささぎは原稿をかいていた。一円にもならない原稿であるが。でもおかげでわかったことがある。健吉が書いていた武田泰淳の司馬遷についての文章を読んでいて。

佐敷はのどかでいい所です。

ところでサモア島でマグニチュード8の地震と津波。
サモア島も仕事で訪問したことがあります。
知り合った人々が犠牲になっていないことを祈りつつ。

こんな島でした。
   ↓

あ、やっぱり。
夕方のニュースで、ジャイカのサモア局長というかたのコメントが出ていたので、ひょっとしたら、乙さん、ここにも行ったことがあるんじゃないのかなーと思ったところでした。

ここ、きれいな島ですが、
地震が多いらしいですね。
被害にあわれたかたのご冥福をいのりつつ。

うーねむい。なのにまだまだすることが残っている。朝、昼とくいっぱぐれ、夜は夜で月末の三十分残業、帰りついたら体力がのこっていない。バッテリー残量ゼロ。ぴこんぴこんってうるとらまんみたいな音。んーなんか げえのおじん なみじゃね~

サモアの島の地震被害のおみまいを、申し上げます。
そのうた、はめはめは、の歌と雰囲気にてますね。

サモアの薀蓄
(こういう時しか勉強しない・・・)
サモアは、西経171線の西側の「サモア独立国」と東側の「米領サモア」とがある。
サモア諸島は1899年のベルリン条約で東西に分割され、アメリカは東側を、ドイツは西側を占領。後年、西側が紆余曲折の末、独立。
独立国側は2944km²(鳥取県より少し小さい)で人口18万人。
国家元首は、大首長。4つの大首長家から選挙で選ばれる。
米領側は199km²で人口7万人。
国家元首は、バラク・オバマ
どちらも居住人口が少ないが、独立国人は、ニュージーランド、ハワイ、カリフォルニアに国内人口をはるかに上回る移民が居住し、国家経済は彼らからの送金が支えている。
米領も、第二次世界大戦中は、軍人数が人口をはるかに上回っていた。
文化は、東西で異なる。米領はアメリカナイズ。
独立国は、3週間前(9月7日)、車の通行が左側通行に変更された。
以下、Wiki引用の国民性。
「女性は多産で子供は家事を手伝いしつけは厳しく、母親となると絶大な権力を持つ。子は独立するまで家事を助け、長女が夫を迎え、同居する形が多くみられる。食事は、客や主人が先に食べ、その間、子供は蝿を追ったり飲み物を用意したりで、幼児を除き食物を口にすることはない。残された食事を子供や同居人が食べ、最後は豚や犬、鶏が食べ、残飯はなく合理的である。母系社会で、村落ではマタイ(村落の首長)を除けば父親の権限は強くない。夫婦の絆は一夫一婦制を堅持して、不倫は少ない。いやなら潔く夫を変えてしまう。近年、貨幣経済の浸透でモラルは欧化している。」

ときにヘレナは元気でいるかい?

地震と関係深い、海底のマグマのかたまり。
「ホットスポット」と呼ばれるマグマ上昇地点が地球上にいくつかあり、太平洋ではサモアがそのひとつ。
そして・・・大西洋では、セント「ヘレナ」島!
ヘレナはまだ静かです。

一・一七の無音アーチのように煮え 圭衛子

この句、阪神淡路大震災のときのものです。

 地の底ひからこみあげる雪  恭子

脇をつけて倉本朝世さんにも入ってもらって連句を巻いた記憶がまだあたらしい。
前田先生の句は非常に霊的で考えてもわからないすごさがある。わたしにとっては、この句の「アーチ」がおそろしくて、聖なるものと俗臭との止揚をぎりぎりでふんばったものとして認識される。おぼろ大橋のアーチなんぞもおもわれて。

地震でまだ生き埋めのうめき声がきこえるとき、のほほんとしていていいんだろうか、というか。そんな
宙吊り感もあるなあ。

乙四郎が解説してくれたサモア島のことや源泉間へレナのこと、これらの膨大なコメント郡を編集してアップしたいけど、ちょっと舞ってね。

大地震>>最近は多いですね★
阪神淡路震災をテレビで見て翌日、娘と二人で献血にいきました(アーケードの献血ルーム)
着いて驚きました!
ほとんどが高校生や20才前後の若い人たちで占められていて、部屋はいっぱいでした。
その風景にはほんとに感動しました☆
かなり順番を待ちました。
やっと血液を検査してもらいました。
ら、、残念ながら二人とも比重不足ではねられました。
4軒の叔父達家族の安否は大丈夫でしたが、、あの時何のお役にも立てなかったと、今でも思っています。

地震>>刻々と被害状況が写されていますね。
心配ですね。。

 サモアについては、小林信彦の小説「サモアンサマーの悪夢」ぐらいしか知らなかったが、舞台は米領サモアだったか、サモア独立国のほうだったかは忘れてしまった。最近読んだ本に、「軍隊のない国」の1つとして出てきた。
 国の安全や経済生活が脅かされたり…ようするに国家が非常事態の時は、国家元首が非常事態宣言を行い(30日間)、非常事態命令を出して、必要な措置をとるのだそうである。ということは、今それが実行されているのだろうか?
 ちなみに軍隊は保有していないがニュージーランドとの友好協約に基づき、有事の際はニュージーランドが支援してくれるのだそうです。まあ軍隊持たないといっても、他の国に守ってもらう国から、国土警備隊程度のものは持ってる国まで、いろいろあるそうだ。自衛隊は、ありゃどう見ても軍隊でしょう、いつから軍隊になったのかわからないが。この“あいまいな日本の私”に、「これでいいのか!」と思う人、「これでいいのだ!」と思う人と両方いるでしょうね。いや何も考えない人もいるか。それもいいのだ!?

ひー、自分の書いたコメント、誤字だらけやん。
舞っといてくれたとしたらさぞやおつかれさん。
赤い靴のおんなのこだ、休まず舞っていたら。

そうか、ひとのふりみてわがふりなおせ。
ってことばどおり、イランのやりかたみてると日本の国の原子力政策もはたからみればがば怪しい、いつでもげんしばくだんの100こや200こできそうな国として映るのだろうな。ということが客観的にみえるよね。
でも、射程距離をどこぞにあわせてミサイル発射実験なんてえげつないことだけはやらない国であろうというわが国民性への信頼だけはなぜかあります。それもこれも戦後民主主義で育ったから培われたこと。だがしかし、またこうもおもう。じぶんちがこうだからといって、どこのいえもそうかというとそれは違うってこと。日本国憲法にうたわれてることは理想であって、一軒一軒違うもの、立場も考え方もお財布事情も家庭内平和もね。いつかこのバランスが破られてしまうときがきたら、そのときはどうなるか。きれいごとなんていっていられなくなったら、そのときはどうするのか。ってのを、常にかんがえていなければならない、国としてあるためには。・・・とさくらさんはこないだ、いいたかったのではないでしょうか。それについてはだれもがしらないふりをきめこんでいることがはがゆかったのでは。

2009年9月16日 (水)

山ノ井用水路ー水神への接近3

山ノ井用水路

家の裏を流れる山の井用水路、こども時代はもっと広い川でした。

八女市の山の井用水路は広く農の水をまかない星野川の治水も兼ね、水神のこころをなだめ鎮めてくれるものでした。

そのおおもとには、江戸時代の中島くらのすけという名前の吉田(岩戸山古墳がある地)の庄屋さんがいます。人柱にたたれた方です。有名な伝説の人であり、今なお、地元の人たちから尊崇の念を抱かれて祀られている郷土の偉人です。下にご当地ブログからの一節を引用させていただきます。

▼吉田の庄屋「中島内藏助翁」

 山の井堰の構築に尊い人柱として殉ぜられた、吉田の庄屋「中島内藏助翁」の感謝祭が、村の田んぼが一望に見える墓前で毎年開催されております。三百四十五年前、星野川に河口を開き、八女・筑後・三潴の三千余町歩に亘る水田を潤し、筑後川にそそぐ山の井堰の構築干拓事業。現在でも、水利委員会で田植えの日取りを決定し、その日程を山の井用水関係の町内にお知らせしておりますが、関係町内の協力により、「下流の吉田に田植えの水がかかるのが最優先される慣例が続いてきた」ということからも、翁の功績の偉大さが想像されます。
 賛同者で顕彰会を結成して、墓と隣接する土俵周りの手入れ清掃を定期的に行い、毎年十月十七日には、遺族及び多くの来賓と地元関係者が参集して、翁の遺徳を偲び、墓前祭を執り行っているところです。今年は長峰小学校四年生による紙芝居「左結びの緒の草履」と、子ども育成会主催、長峰小学校男子全生徒による「顕彰相撲大会」が開催されました。農業を取り巻く環境は変わっておりますが、河川の汚染、農地の荒廃など、先代から伝えられてきた「内藏助翁の精神」が風化しているようで、この大切な郷土の遺産は、いかに時世代が変わろうとも、孫子の代まで受け継いでいかなければならないと、あらためて思っております。そのことが、郷土の自然環境と、私たちの命を守ることにも繋がるからです。

引用は、

「わがまち自慢」http://www.wing8.com/dcity-yame/kurashinojiyoho/200401/con02.html

ところで。

かささぎは、この顕彰会のことを、八女戦国百首和歌のところで最近ご連絡くださった、中島くらのすけ直系の子孫のかたのお便りでつい先日知ることができました。
なんと百首和歌はこのくらのすけ翁の直系子孫である中島道夫というおかたが所蔵しておられました。
吉田山の古墳の丘の上にある伊勢宮(大神宮)の神官が所蔵しているとばかり思っていたのですが、そうではなくて、ずうっとこの中島本家が護持してきたものだということです。

そこで、かささぎ的ひとりよがりの感慨にふけりますと、

人柱は庄屋さんの自分の意思ではなく、周囲のなんとなくのそそのかしに人柱に祭り上げられたのである、なんていう無礼な想像をやって申し訳なかった。こんなことを思うから寺田がいちばん遅く水がかかるのかもしれない。長嶺小学校にはその昔、父の姉(若くして結核死)が先生として奉職していたそうです。わが家からは上妻小学校とほぼ同じ距離に長嶺小学校があることも最近知ったことです。校区がちがうと全く関心がむかないものですね。

水神への接近。

神津呂伊利さんが書かれていた久留米の五庄屋さんの伝説もおなじ時代のことでしょうか。

久留米の五庄屋さんの伝説:http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/069goshouya.html

筑後川のほうは寛文年間、1660年ごろとありますね。
星野川の山の井用水のほうは、・・あれ。ほとんど同じ時代のようですよ。
うーん。なんでだろう。

2009年9月14日 (月)

政権交代と医療(15)  乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

  橋爪 章

旧政権が着手した新卒医師の臨床研修制度は、大学医局の医師引き揚げによる医療崩壊を招いたと、評判が良くありません。

それまでの制度では、狭い専門分野しか診療できない医師を大量生産していました。

その主因は、大学医局による新卒医師の囲い込みにありました。

もちろん、医師らしい医師(専門分野にとらわれない幅広い診療ができる医師)を育てようと懸命に努力していた医局もたくさんありましたが、とうとう主流にはなれませんでした。

そんな医局主導の新卒医師研修に見切りをつけ、「幅広い実務的研修を提供」できる病院で2年間、アルバイトもさせずに研修に専念できるシステムにしたのが新しい臨床研修制度でした。

荒療治でした。

新卒医師の多くが大学医局と切り離されました。

大学では「幅広い実務的研修を提供」できなかったのです。

また、新卒医師を大学に引き留めても、彼らを指導医なしで関連病院へ「アルバイト」派遣することもできなくなりました。

結果、多くの大学医局では医師の絶対数が不足する事態となり、医師の引き揚げによる「医師不足」が社会問題化しています。

選挙を控え、旧政権では、義務年限の短縮化の方向での見直しに着手しました。

朝令暮改の感が否めません。

民主党政策集では、医師臨床研修制度について、次のように述べています。

具体性には欠きますが、現行制度を廃止して医局主導に逆戻りさせるような着眼ではないので安心できます。

○一貫性のある学部教育、前期・後期臨床研修を通じて質の高い専門医を養成し、専門医が研修医の指導医となる臨床研修システムの構築

○質の高い臨床医を養成する臨床研修制度には、専門医制度の確立が不可欠であり、総合医も専門医と位置づけ

○これまでの卒後臨床研修の成果を客観的に評価し、前期臨床研修の全国均てん化

○後期卒後臨床研修については、総合臨床医研修、へき地医療研修、産科・救急・小児・外科医療研修などの分野を中心にインセンティブを付与することによって、偏在を解消

「学長のひとりごと」9月14日付記事

コメント:

最後の行に、「政党支持組織の影響力」とあります。
民主党は、今年4月に導入された教員免許更新制度を廃止する教育職員免許法改正案を提出するらしい。

テレビでは言わないマニフェストの一つですね。

びっくり仰天するマニフェストがまだまだあるようですが・・・・・。

きょうは、地域の小学校へおはなし読み聞かせの出前に行ってきました。

「高校の授業料免除の前に、義務教育の完全無料化をはかってほしい。そして、義務教育を充実させ、みんなが同等の学力をつけるためのてこ入れをしてほしい」
学校現場からのレポートでした。

 「教員免許更新制度」についての批判その1~それより(人の命に直接関わるのだから)医者の免許更新のほうが優先されなければ。
 その2~教員経験のないペーパー・ティーチャーは更新の必要がなく、実際に現場で経験積んでいる者に、現場をほったらかしてでも、自費で更新を義務づけるというのは、話が逆ではないか。
 その3~何で管理職は例外で更新しなくていいのjか。

 以上の私なりの答~医師会は自民党の支持基盤だが、労働組合員にしろ非組合員にしろ、一般教員は支持基盤ではないどころか、むしろ自民党の政策に批判的な人が多いから(そう言えば、薬剤師・歯科衛生士・技工士にも、裁判官・弁護士などの司法試験合格者にも、栄養士・調理師にも、理容・美容師にもそんな話はでませんね、なんで教員免許だけ?)。そして免許更新の講習を義務づければ、少子化による定員不足で困っている大学の収入源になるから。

 私はこのブログで、政治や思想に関する話題にはなるべくコメントを避けるようにしてきたし、これからもそうするが、これだけは主張しておきます。ついでに、何があっても、政権交代なき政治はいずれどこかでおかしくなるということも。あと古賀誠という政治家の評価はおいといても、新幹線船小屋駅は明らかに、なんじゃらほい!

おお、ろいりさんが真剣だ。

政権交代はよかったのか。混乱することに意義がある。これまでの政治の総括ができる。なにが悪かったのか、何がよかったのか。いま、おきていることの説明は、あとにならないとわからない。
現場感覚はもっともたいせつだとおもう。
官僚乙四郎のかいているのを読むと、あることの反省のもとに制度の改革は図られているのがわかる。けれども実際にやってみると狙いとはべつの弊害があらたに発生してしまう。
その逆もあるかもしれず、この世界はなんでもやってみなければわからない。予想もつかない。予測できないのですね正確には。

新幹線ふなごや駅。
いいんじゃないでしょうか。ふなごやは温泉としてどのくらいかをよく知りませんが、もっと知られていいかも。でも駅と駅の間隔が近すぎるのはねえ。

羽犬塚駅にあったギロチン台の牛のような羽犬の像がなくなっていることに前田先生がきづかれました。どこへいってしまったのでしょう。
グリーンピア黒木のある山は、なんという山ですか、と前田先生から尋ねられましたけど、答えることができませんでした。ええとこれは黒木の山です。なまえはしりません。とこたえてしまいました。

cloudおはようございます。
船小屋温泉の話にかたらせて♪
子供時代(再び古い話で・・(^_^;))は親戚が旅館をしていたのでよく遊びに行ってました。
桜の春は温泉祭り。
桜並木の土手をゆく、仮装行列がなんとも賑やかでおもしろかったです。
夏は川での水浴と花火大会
格子戸の内側にいると、うちわに浴衣姿の老若男女がひっきりなしに通りました。
狭い路地や坂道の路地には小さな旅館が軒をつらねていました(あのころの賑わいは今の黒川温泉に近いかも)
鉱泉は、水脈のあるところは普通に庭先に井戸がありました。
雀地獄と呼ばれる鉱泉の味はわりと好きです。
鉄の味がしますよね。
最近は、新船小屋のほうの鉱泉が人気です☆
知人は長いこと九重まで水汲みに行ってましたが、こちらを薦めてからは、ここの鉱泉に切り替えました。
コーヒーがめちゃ旨くなりますよ^^cafe
では今日も安全で~car

良きリーダーのたとえ

最良:判断力にすぐれ、部下を統率
良:判断力にすぐれているがが、部下に任せる(統率できない)
可:判断力に劣るが、部下に任せる
最悪:判断力に劣るが、部下を統率

部下に任せっきりだった社長が、部下を統率しようと意気込む社長に交代しました。
判断力にすぐれた社長でないと困りますね。

   ↓

えめさんへ。船小屋温泉のむかしの賑わいの活写、さすがです。ほんとうにえめさんは、記憶力がいいんんですね。
うちの99で死んだばあちゃんが健在なりしころ、ということは昭和の時代ってことですが、温泉といえば、蒲原温泉(八女福島)と船小屋と山鹿とあとちょっと遠いところでは原鶴温泉、ひなく温泉、天瀬温泉くらいしかありませんでした。
船小屋は硬水で有名なのですね。こーひー用にですか。なまでのむのはまずいってきいた。

おつしろうせんせい。先日はおつかれさまでした。
合宿、前の日の午前中は下津浦医院で医者をしてきて、つぎの日は早朝から聖マリアで検診医をつとめてこられたとのこと。きつそうでしたね。それなのに、ちゃんときてくださったこと、みんな忘れないからね。前田先生が、あの乙四郎ってひとをくれぐれもだいじにするように、っておっしゃいました。(笑)

nightこんばんわ
船小屋の鉱泉水>>仏様が祀ってあるからお参りしてから頂いてくださいね。
私は飲みなれてるから不思議な旨みを思うけど、初めてだときっと飲めないかも。
九大調査の成分表と、効能が書いてあります。
すごくたくさんの内臓疾病に効くのよ☆
胃腸病にはきっと抜群の効果です(昔から言われていました^^)
路地に並んでいたたくさんの旅館は、ほとんど明治、大正、昭和初期の建物でした。
今はもうほとんど残ってはいないかも~☆彡☆
ではおやすみなさいzzzmoon3

 船小屋は私にとっても、小学生の時の思い出の地で、夏休みに父母姉弟と夏休みに河原で遊んだけど、たぶん温泉には行っとらん。その後は24歳の頃に、瀬高の女山神籠石見学のため船小屋までバスで行ったような記憶が…ちなみに神籠石は高良山にもあり、たぶん朝鮮式山城跡だろうと言われているものです。
 そうですね、新幹線の駅として知られるようになるかも知れんけど、それなら二日市も温泉はあるし太宰府(大宰府跡)も近いからここにも駅を作ったらよかろ。ありゃりゃ新鳥栖駅ちゃ何と不便なところに作ったもんたい。え?新大牟田に新玉名ち、あ~た、不便なところに幾つ駅ば作る気ね。それでたぶん赤字路線になって地元住民が負担?佐賀空港みたいに。その後、在来線の本数は減らされて、鹿児島本線を利用する通勤・通学客は困るじゃろ。
 長崎新幹線は佐賀県の反対が多いらしい。あまり佐賀県民の利益にはならんもんね。山形や秋田のように在来線規格の、いわゆる「ミニ新幹線」にすれば、長崎だけではなく鹿児島新幹線ももっと早く、地元の人にも便利なものができただろうに。

新幹線の乗り換えのため、もし船小屋駅に在来線の特急が止まるようになるなら、隣の羽犬塚には止まらなくなるのかなあと、ちと心配。
船小屋と言えば、この前うれしいことがありました。うちが8月に開院10周年を迎えるにあたり、スタッフが船小屋のホテルでサプライズ企画のお祝い会を開いてくれたの。聞けば1年前から準備していたとかで、驚きと感動の連続だったんだけど、極めつけは最後の打上げ花火。矢部川添いの窓を開けると、カウントダウンの合図とともに、目の前にどどどーんと。ありがたくて涙涙でした。まるで夢のような一生忘れられない光景となりました。

ろいりさん。
船小屋で川遊びですか。新聞で読んだのは、地元のこどもたちが橋の上からはるか眼下の川へむかって肝試しみたいにとびこんで遊んだ、という思い出話。これなら上妻の子達も矢部川で、あるいは星野川でおんなじことをやっていました。温泉はばあちゃんたちは行っていましたが、私はまだ一回しかいっていない。樋口軒ってところでは父母の習っていた大正琴の発表会があってた。あそこは「山太郎蟹」の料理で有名でした。・・こないだの連句でせいこだったか、山太郎蟹を出そうとして季語だったんで没になってしまったね。
あたらしい道やあたらしい駅ができるとき、ぐるりの住民はくわしいルートや事情についてはあまりなにも知らないですよね。どっかでさっさときまっていつのまにか出来上がっている。

まりさん、
特急、羽犬塚にはとまってくれないと困りますよね。
そうでしたか、もう開院10周年!おめでとうございます。
ついこないだでした、開院のごあいさつにあなたたちが時計を配ってくれたのは。
最初の年、高額納税者に晴れて名をあげ、「やりかたがわかっていなくて、たくさん税金にもっていかれた。来年はこんな失敗はしないから」と笑っていたことも思い出します。
このばたばたと病院がつぶれてゆくひどい時代に、きっちりと堅実に患者さんを増やして、着実に業績を伸ばして行ってるたからさんちの医院。すばらしいです。そんで、そこまで社員に、じゃなかったスタッフに尽くしてもらえるってのも、ボスがいかに大事にスタッフを扱ってきたかのあらわれですよね。以前ちらりと聞いた、慰安旅行は東南アジアにみんなをつれていったって。すごいなあ。とおもったよ。あのときも奥さんだけはお留守番だったのね。笑
そんなこんなで、まりさん、また連句会するときには、ぜったいきてよね。
すばらしいです、付け句。

えめさんへ。
「水」ですが、なんでか今わたしの周りでも水をあちらこちらから汲んでくる人が多いです。有名どころでは白水村、熊本の。私も一度たちよってみたことがあるけど、さほどきれいとも思わなかったけどなあ。
でも、船小屋温泉の少し瀬高よりのところのは、とてもいいって誰かにききました。いちどもいったことありません。場所もよく知りません。いつか教えてください。ぜひ。

diamondmoon3おはようございます
さっき夫を送っていったら、明けの東の空に金☆と月がセットで輝いていましたよ。
水の場所>>いつでも。 遠くの水もおいしいけど、近くにも名水ありですscissors^^aquarius

どうも、エメさんと生活時間帯がいっしょみたいだ。今朝の三日月と明けの明星、見ましたよ。
童話の中みたいなすてきな光景でした。

2009年9月10日 (木)

水神への接近 談話 2

仕事から帰ってきて、ごはんの用意をしてたべて片付けて。・・・英語にはいけませんでした。当分言い出せない、月に二回早退させてくださいとは。整骨院って忙しい時間が午後五時から六時にかけてですものね。
佐藤哲三先生、すみません。ぺこぺこり。
欠席の連絡もついにとれませんでした。
ところでくるめでは、附設中と明善高は学校閉鎖になっているそうです。一週間くらいとおもうけど。
うらやましい。いやまちがった、可哀想ですね。

え?学校閉鎖って、新型インフルエンザ?
最近、連日のように呼吸がおかしくなるこのおばさん。季節の変わり目は喘息の頻度がたかい。新型インフル、喘息があるひとは要注意。お宅のむすこも、気をつけなきゃね。

 JRの前にも日吉神社があるというのは、うちの甥が城南中の時に修学旅行の集合場所がそこだったそうで、でも間違って日吉町の日吉神社に行ったのが多かったらしいというエピソードで知りました。
 で、小学校の時の遠足のことを篠山小出身の嫁に訊いたら、「鍛錬遠足」の名でやはり「放水路」に行ってきつかったらしいが、どこが放水路なのか今イチ不明。日吉小はどのあたりから筑後川の堤防に出たのだろうか?その記憶も「over the rainbow」、当時はまだ蓮根堀があったので、今のバイパスあたりの地形に全く覚えがない。調べたら筑後川の放水路は幾つかあって、そのうちの1つは1953年の大洪水の後に作られたらしい。そして、同じく大洪水対策としてその後に、反対運動を押し切って作られたのが『砦の拠る』の下筌ダム。姫野さん、話がつながりましたね。

英語に行って来ました。先生から、恭子さんに土曜日にぜひ来てくださいと伝言を頼まれました。尚9月19日、10月3日、24日はお休みだそうだです。
そしてかささぎの句の英訳

「かささぎの蒼き腕を想うべし」
Noisy poor magpies impress me
With their holy azure wings so much.

どういう気持ちを表しているのか、教えてほしかったそうです。

おはよう。
おとといの深夜、海軍の反省会で特攻隊を指示した上層部の軍人たちの戦後のおもいに迫った番組をたまたま見ました。かれらもずうっと苦しんでこられたんだな。とかんじた。ただいわないだけだ。とうぜんだろう。何十年もたってはじめてすこしいえることがあり、死のまぎわにいいのこすことばがあり、そのままあの世へもっていく人もいる。
ってことで昨夜は眠ってしまってました。
早く眠ったら早く目がさめた。りっぱなとしよりだわ。

せいこさん。新型インフルエンザ、ひそかにはやっているようですね。でもなんでエリート校だけだろう?せいこがぜんそくもちとは意外。都さんも持っていた。無理をしないように、かぜをひかないようにね。
子にはマスクの用意してはいるけど、あれはかかってしまった人用だよね?予防のためにつけるのは無意味なんだったよね。

まりさん。ありがとう。
かささぎの蒼き腕を想うべし。
そのままだよ。
黒と白とのうるさくて下品な鳥だと思っていた。カラスの一種だろうって。
ところがある日、間近におりてきたかささぎを観察していたら、羽のいろが黒ではないことをしる。night greenで、光線の具合では青にもなり藍色にもみどりいろにもなる。あれーおまいさんはそんなにきれいだったの。というおどろき。なにもしらなくてごめんね。ってそんなきもちの一句。

ろいりさん。
水神、あばれくるい手のつけられないものを、神と崇めて祀る。それは筑後川でも矢部川でもいっしょです。黒木物語をすこし引用したいなあ。とおもったのは、さいしょにその水神のまつりがかかれていたから。ちなみに、にごる。すいじん、ですね、水神は。
てづかおさむ、もにごったんだね。あたしはずうっとてつかおさむ。とよんでいた。

2009年9月 9日 (水)

水神への接近  談話(えーどこが?)

pencilこんにちは。
句会の件で質問があります。
当日の為に、いくつか作っていくものですか?
それとも即興でその場で作るのですか?
流れの様子で作るのですよね?
今まで作っているものを引用するために持っていってもかまいませんか?
国語辞書や漢和辞典も必要でしょうか?
歳時記は用意しました^^tulipyachtmaplebottle

エメさん。
本当は流れに沿ってその場でつくるのがベストなんでしょうが、わたしたちは素人の域を出得ませんので、前もっていくつか句をつくっていくことをオススメします。
これを「孕み句」といいます。
575の句や、77の句。あるいはキーワードでもけっこうです。歳時記は不可欠ですが、国語辞典は自由です。あるいはお気に入りの小説でもいいかな?ことばをチョイスするために。これはけっこう助け舟をだしてくれます。
恋の句、たくさんつくっていきましょう。
わたしも、これから孕み句をつくるつもりです。

pencilseikoさんありがとうございます。
なかなかすぐには浮かばなくて、当日が心配ですが、、なるほど~、、小説ですか。
book今は寺山修司氏を読んでいますので、それを持っていこうかな。。ただし、湯船読書なので、かなり膨らんでおりますがspasweat01

slate東京日和>>好きな映画です。
叙情的でゆったりとした時の流れで、、。
アラーキー氏の名作だと思います。
竹中氏はこんな感じが普段に近いのではないでしょうか。そんな気がします。
美穂さんもいいですね。 
彼女出演>>岩井俊二監督の「Love Letter」は見られましたか?
こちらもなかなかいいですよshine

月の句を、と課題をだすときに、月そのものを詠んでくださいという一言を書き忘れてしまいました。
音彦さんの月の句をみていて、しまった!と思いました。
月々の引かれもの多し。という月句だったから。笑

これはこれですごい俳諧。
でも、月の座の句にはなれない。

えめさん。
ろいりさんもきてくださるとよかったんですが。
映画の話をもっとしたかったでしょう。こないだのオフ会のときに。そんな気がした。
マラソン大会が来月あるので、そうそう帰省もできないでしょうしね。
そのうち縁があれば連句へもきて下さるでしょう。

詩をかくとき、歌詞をかくとき、なにかひとつのことば、核になるもの、起爆剤としての、たくさんのイメージをわかせる、をみつけてきて、それを中心にふくらませていく。という書き方。普段からなにかを読んでいるときなどに、気になったことばを蔵っておく癖をつけるといいですよね。歌詞をかいたことはありませんが。むかし、杏子さんがなにかにそう書いていたのを立ち読みしたことがある。

sunおはようございます。
ろいりさんはお元気でしょうか。 マラソン頑張ってくださいmotorsports
今度は映画のお話をしていただきましょうね☆

bookなるほど、気になった言葉ですか。。
いいなと思ってもその場かぎりな場合が多かったです。反省。。
杏子さん>>土曜日のベストヒットサタデーはお気に入りです。 ヒロシ君もなかなかいい♪
10年ほど前に、杏子さん、山崎まさよしさん出演のFM公開ライブが当たって、見に行きました(ZEPP)
スガさんがいれば福耳だ~とか思いながら楽しみました。
杏子さんは、バリ!素敵なお姉さんでしたheart
ZEEPは舞台真下から並ぶので(立ち見)5列目だともうまん前です。
パワーがあってほんとにかっこよかったdiamondもち山崎さんも^^
先月の放送で、清志郎氏のことにふれてありましたが、聞いていて涙がでましたclover・・朝から関係ない話になってしまった・・すみません・・。

club↑ZEEPじゃなくてZEPPです。訂正sweat01

音彦句。傑作です。
笑っちゃいかんち思うばってん、爆笑した。

 ご無沙汰してますのでたまにはコメントを。
日曜朝刊の図書広告欄に帚木蓬生氏の『水神』という作品が出ていました。
江戸時代前期、筑後川の水利工事に貢献した五庄屋の物語とか。
この話は小学生の時に学校で何回か聞かされ、うろ覚えしていたものだと思うけど、御存じでしょうか。筑後川は日吉校の(そして篠山校や、たぶん金丸校でも)遠足の定番コースだったので、その時聞いたような気もするし。そして遠足の目的地だった「放水路」とはどの辺だったのか?郷土史には弱いけど、何となく気になっていた「五庄屋物語」について、以下のようなことだけ読んでみました。

ろいりさん、久しぶりですね。
仰せの通り金丸小でも、歓迎とお別れの遠足は必ず放水路でした。
うろおぼえですが、神社の横を通った記憶がありますので、JRの前の日吉神社かとおもいます。だから医大を過ぎたあたりの河川敷ではなかったかと思うのですが、小一年生でも歩けるでしょうか。かなりの距離なので、違っている可能性が高い。12回も行っているのに覚えていませんね。不思議です。

よみました。
高邁な精神です。
高邁な精神が庄屋さんに宿っていたというお話。
こういうはなしがあるのなら、やはり八女の吉田の中島庄屋さんの人柱伝説も実際にあったことなんだろうか?うたぐってもうしわけない。同郷人なのに。
今日連句の付け句で、こんなんだしました。

遠賀川から海までの距離  (雑・裏六句目)

前句は、
お隣の午後のピアノが鳴り始め

すると、句はすきだけど、意味がわからない。といわれました。わたしもなにがいいたいのかわからなかった。川から海までったって、川のどこらへんから?河口からとしたらすぐそこが海じゃろうが。
まあ、だけども、おんががわということばのひびきがとてもきれいで、その川の名をいれたかったわけで、意味はどうでもよかった。
山頭火が浮かんでいた。山頭火が遠賀川を通っていった日の天気とか季節とか。

その句は結局取ってもらえませんでしたが、ここに連句的に書くことができたので、いいか。
以上、ろいりーさん、投稿さんきゅ。
わすれてた。『砦に拠る』は借りてきて冒頭と巻末だけ目をとおして返却期限がきて返しました。方言がそのまんまに採録されていて、それがとても新鮮だった。じぶんたちが使っていることばとさほど変わらぬことばがそのまんま。ああ、堂々としたことばだなあ!と、感動した。

2009年8月12日 (水)

入江たか子林泰文テゴマス佐藤春夫荒井由実。談義。

ここ数日のはなしを編集しました。(かささぎの旗姫野)

 かささぎさんが間違えて見ようとした「東京物語」が、尾道→大林宣彦→柳川→「東京日和」&「柳川堀割物語」とつながっているとは、さすが!
 入江たか子の娘入江若葉は、「転校生」以来、大林映画の常連だけど、「時をかける少女」や「廃市」に母親も出ているというのは忘れてた。戦前は華族の娘として映画デビューし、三代美人女優と言われたらしいが、戦後の一時期は「化け猫女優」と呼ばれたらしい。ところで、なぜ化け猫といえば佐賀藩が有名なのだろう。小城羊羹でも食いながら調べてみるか。

ろいりさん。
入江若葉はどんな顔。しらん。でてた?さあ。
むすめなのか。へえ。入江若葉って山田五十鈴の娘かと思っていた。じゃだれ。山田五十鈴の娘。

文化学院はお金持ちの子弟のための先進的な学校で、もともとは西村伊作がじぶんの子たちのために造った。先生たちがすごい。高浜虚子与謝野晶子与謝野寛石井柏亭。石井はくていの弟は坂本繁二郎の親友だった石井鶴三。石井つるぞうは吉川英治の『宮本武蔵』の挿絵を描いた東京パック時代以来の繁二郎の友人。
藪秀野(山本健吉の最初の妻、のちの石橋秀野)は中学部から入江たか子と同級だった。秀野は奈良天理の庄屋の娘で父がロビイストみたいなことをしていて、たんぼを全部売り払って東京へ出てきたのです。姉あぐりは茶道家、妹恒子は歌人で恒子の夫が漫画家清水昆。健吉も清水こんもどっちも若き日左翼活動をしています。とことん突っ走ってる。健吉は逮捕され拘置所に三十日近く拘束された。

秀野のことをしらべていたときが幸せだったなあ。
すべてを忘れられた。おっともこどももなにもかも。まだこどもは五つだったにもかかわらず。→末子はすみたからさんちのよしくんとよく遊んでいた、たからさんちへ毎日のように御世話になってましたね、たからさんありがとう。いつもお礼もいわないでごめんなさい。ついでにかきこみました。
化け猫は根子岳にもありますね。

投稿: ひめの | 2009年8月 9日 (日) 22時48分

こんばんわ
尾見としのり氏と大林監督>>次女が中高生から大ファンで、
出演作は全部いっしょに見ました(見させられた?)
で、尾道は娘の憧れの地で、大学生の時「受験のときの恩返し」といってたまったバイト代で旅に連れて行ってくれました。
二日間ガイドブックを片手に隅々まで歩き通しました。坂という坂、たくさんの階段、、路地裏、瀬渡し船で向島へ、、。
映画に撮られたシーンでは必ず記念撮影☆
旅館は大正時代か昭和初期の建物で(偶然この場所を)時代の作家が慰留してあったとか。
林芙美子関係の記念館も見てきました。
こちらぜひぜひおすすめの地です。
やっぱり桜の季節が最高でしょうかcherryblossomcherryblossomcherryblossom

sunおはようございます
↑訂正>>娘が好きな俳優さんは尾見さんじゃなくて、「林泰文さん」でした(^_^;)
では今日もお気をつけて~car

えめさん

大丈夫ですか。
電話でも咳がきつそうでした。
さっき行ってみましたが お留守だったので もしやまだ病院にいらっしゃるのではと心配になりました。ご無理なさいませぬように またたずねますね

heartイチジク>>さきほどはありがとうございました。
5、6回もお尋ねいただいてほんとに何度もすみませんでした。
さっそくみんなで冷えたものを頂きました。
完熟でほんとに甘いですね。
夜はサラダに使おうと思います♪
今夜のメインはマーボー豆腐です。
昨日から韓国の男の子が遊びにきているので、久々にお料理の作りがいがあります。

えめさん、思ったより元気そうでよかった。
ぼんやせいこさんとこへもそのうちもっていくから。おつしろんちも、きらいじゃなかったらね。ていうのも、うちはみんないちじくがきらいだけん。たいがいからだにいいのがきらいで、からだにわるそうなんをこのみます。まあ、あてにしないでまっとって。
わたしは、干しいちじくってのに興味があるけど、すぐ虫がつくし、干すなんてこと考えられんよ。だれかやってみたことがあったら、おしえてください。
干したの、とてもからだにいいってきいたから。

我が家もいちじくが大豊作で、実は、連日食傷気味でござる。

 あの~、昨日の入江たか子や入江若葉や、かささぎさんが疑問に抱いた山田五十鈴のコメントはどこに消えたのでしょうか?取りあえず質問への回答、山田五十鈴の娘は嵯峨三智子、容貌と演技力に恵まれながら、いわゆるスキャンダル女優として数々のトラブルを起こし、母親より早く死んでしまった人です。入江若葉は『転校生』以来、主人公のなどの母親役をやることが多かった。
 林泰文は「野ゆき山ゆき海べゆき」に子役でデビュー、「青春デンデケデケデケ」で初の主役だったのかな?
 それにしても不思議なコメント消失、まさか私の頭がボケてるのではおまへんな。

ぼけ。

ここです。
嵯峨美智子、ああ。
エメさんのおじょうさんのお好きな役者さん、見たら知ってるのでしょうけど。
わが娘は27にもなって、ジャニーズのテゴマスって二人組が大好きでよくコンサートにいきます。あやうくつれていかれそうになった。

テゴマス、かわいいじゃん。歌も上手いよ。変な題名の歌を歌っていて、フランスで人気があるんだよ。ようしっとろうが。隠れジャニーズファンです。

「野ゆき山ゆき海べゆき」

この言葉は昔、雑誌の付録についていたソノシートで聞いたことがある。
「真昼の丘べ花を敷き・・・」が続いたような気がするけれど後は忘れた。読み手も石坂浩二だったと思う。女学生の友か中3コースか中3時代か、赤いシートで何回も聞いていたから覚えていた。誰も知らないだろうね。へんなことばっかり覚えてる。映画のことは何も知らない。

ソノシート。なつかしいです。女学生の友!少女フレンド、マーガレット、セブンティーン。夢中になって読んでいました。

(さっき、はるふみとやすふみをまちがえました。
すると山下奉文大将が連句的にでてきました。)

長崎忌のきのう、九州俳句八月号が届きました。
長崎忌の作品集はまだですが、いずれ届きますので、おまちください。
ご参加ありがとうございました。

 おのれ、こしゃくな!ここかと思えばまたまたあちら、という分身の術を使いおったな。いや、私が場所間違えただけか。
 「野ゆき山ゆき海べゆき」が佐藤春夫原作というのは何となく覚えていたけど、調べてみたら、「少年の日」という題の詩だった。
             ※「殉情詩集」(大正10)所収
  1 ・
野ゆき山ゆき海辺ゆき 真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに うれひは青し空よりも。
  2 ・
影おほき林をたどり 夢ふかきみ瞳を恋ひ
あたたかき真昼の丘べ 花を敷き、あはれ若き日。

  3 ・
君が瞳はつぶらにて 君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり 月夜の海に石を投ぐ。

  4 ・
君は夜(よ)な夜(よ)な毛糸編む  銀の編み棒に編む糸は
かぐろなる糸あかき糸  そのラムプ敷き誰(た)がものぞ。

 ぼんさんがよく使う言葉だけど、こちらが逆に「よう覚えとらっしゃるね」と感心。確かM高校の校歌も佐藤春夫の作詩じゃなかったろうか、これは凡作だと思うが。ソノシートと言えば、私は数カ月前、神田の古レコード屋で赤木圭一郎のソノシート・ブック3冊を買って帰り、ヨメからあきれられた。
 明日、新幹線で久留米に帰ってきます(今日でなくて良かった、いやもう明日は今日か、ややこし)。それから親族会議ならぬ姉弟甥会議が待ち受けておる。

佐藤春夫が明善の校歌さくし。へえー

ぼんもようおぼえているね。
すごいね。
はじめてしりました。
校歌といえば、わたしは中山そらんさんブログの芦北ってとこの写真があるサイトで、もうすぐ廃校になるらしい海のなかの小学校をみました。それをみてたら、荒井由実の「瞳を閉じて」が自然に口からわいてきました。http://musinandanikki.at.webry.info/200901/article_9.html

風がやんだら 沖まで船をだそう
手紙をいれた ガラスびんを持って
遠いところへ行った友達に
潮騒の音がもう一度とどくように
今 海へ流そう

2009年8月 9日 (日)

東京日和と東京物語をまちがえた。談義。

sunおはようございます。
「れぎおん」届きました。どうもありがとうございます。
さっそく目をとおしました(一部)
またゆっくり読ませていただきます。
映画>>
「東京物語」はまた別の映画よ。
柳川のは「東京日和」です☆

は。
うっわーはずかしいーーーたちあがれん。どのくらいちがう映画だろ。

えめさん、ウエザーマンみた?にこらすけいじの。
あのなかの風景シカゴの、さむそう。
十月でも十度。冬は氷点下。

ではいってきます。

slate小津安二郎の東京物語なら、これは必見!!ぜひ☆
古い映画なんだけど、現代にも通じる親子間、兄弟間、嫁間、、色々でてきます。
今の時代だと両親はこんなに年寄りではないと思うんだけどね。
では、今日もお気をつけて~memocar

slateウエザーマン見てません。
ニコラス氏>>なんか不思議な方ですよね。。
本日から公開の「GIジョー」が見たいです^^thunder

えめさんただいま
とめてる車の中何度くらいあるんだろ。

今日は市役所駐車場に駐車してた業者の車から発火、警備士は消化活動もしたみたいです。ライターをたくさん積んでいたんだって。自然発火するんだね、ライターって。なに積んでるかわからないってことがこわいです。

ウエザーマンはとてもしょぼい映画です。にがい。

sunおかえりなさい。おつかれさまでした。
ライター>>知人は胸ポケに入れていたライターが自然発火して大火傷をしました(皮膚移植まで・・★)
smoking愛煙家のみなさん、胸ポケライターは危険ですよimpact
今日もバリ暑かったね!!!

 「ウエザーマン」か、やはり見てない。この3年以上映画から離れていたもんな、と言いつつ月3本以上は見たが。
 小津安二郎を最初に見たのは20歳の時で、何と4本立て、しかも全部で8時間以上だったと思う。しかし、若気の至りで溝口健二や成瀬巳喜男の良さはピンと来なかったのに、なぜか小津安二郎の世界には、退屈も疲労感もなくとけ込めた。
 「東京物語」について、朝日新聞の土曜特別版「be」の「うたの旅人」7/31版に記事が載っていました。原節子はもちろんいいけど、個人的には香川京子にひかれた。尾道が舞台で、尾道といえば文学好きには林芙美子でしょうが、映画ファンにとっては大林宣彦、尾道を舞台にした傑作がたくさんあります。大林監督は、福永武彦が柳川を描いた小説『廃市』も映画化してますが、これはムチャクチャ暗い、柳川市民が怒りそうな映画だった。これについて面白いブログ?があったので一応ご紹介。

ろいりさん、
ありがとう。ご紹介の文章、よみました。
連句的ってことと時間論について書かれていますね。
映画や小説が時代をこえて人のこころを介して韻をふんでゆく。時の水をきる小石のように、しゅっしゅっとすべってゆく。
福永武彦の「六の宮の姫君」を以前よみました。
赤木かん子のリトルセレクションシリーズがこどもむけに出ていて、その中の一つです。このシリーズはほぼよみました。面白い。
六の宮の姫君は、今昔物語の原作から、芥川龍之介、山岸涼子の漫画、そして福永武彦のものと四つあつめて編集され、赤木さんの解説をつけたものです。これに、北村薫の同名の推理小説を読めば、より万全。芥川と菊池寛の確執、張り合いが描かれる。北村薫は「読み」型の人ですね。
おめでとうございます、菊池賞。審査員になかよしの宮部みゆきがいたからというより、六の宮の姫君を書いた時点で賞はとれていた、とかささぎは思ったよ。
あれ。なんばかきよったっちゃろ。
こんな夜更けにおきだして。
きのうは慣れない畑仕事をしたら疲れてしまいばたんと眠ってしまいました。
草むしりといちじくちぎり。想像以上に畑が広くて、。
 
話が拡散したので、まとめます。
『廃市』の役者さんのなかにみつけた、
入江たか子、尾見としのり。どちらも、この中に。

2009年8月 5日 (水)

ジャズとかフレンチポップスとか映画とか

30年以上前、由紀さおりの「アズナブール流しながら、この手紙を書いてます…」という唄がヒットした(タイトルは失念)。それをアホな友人が「あずなぶる」という枕詞があるのだと勘違い。おいおい、枕詞は名詞の前に来るものだろう、と笑いつつも、こりゃネタに使えると、「あずなぶる 流るるセーヌの 川岸に 一人たたずむ 伊達男」というのを披露したら結構ウケて図に乗り、セロニアス・モンク、こつの名も枕詞っぽいな、そういやマイルス・デイビスと仲が悪かったとかいう、半可通なジャズの知識で作ったのが昨日の戯れ歌。おっとセルジュ・ゲンズブール(ゲンスブール?)、こいつで3匹目のドジョウ狙い、こんなのはいかがでしょう。
   げんずぶる 娘のなまいき シャルロット
   今や三十路も 超えてアラフォー
 すいません、ジャズやフレンチポップス&シネマファンにしかわからないようなマニア・ネタで。でも歌の意味はちっともえっちっぽくありません。ゲンズブールは父母・娘ともえっちっぽいけど。
 また話ワープして「柳川堀割物語」、そういや20年以上前の夏帰省した時、たまたま久留米図書館で上映会があり見に行った。池町川も昔は魚が泳いでるほどだったのに、高度経済成長期にドブ川になり、暗渠化して駐車場にという提案もあったようです。それがいつの間にかきれいに整備されている。市役所も、やればできるじゃないかいな。
  

 さっきの「あずなぶる…」は、最下の句が7・7になってない、ということは記憶違い~なんせ二十歳の頃、まだ長髪なびかせていた頃のことだからうろ覚え。

 再度訂正、「最下の句」ではなく「下の句」です。ではこうしておきましょう。
   あずなぶる 流るるセーヌの 川岸に 
   一人たたずむ 粋なパリジャン

ほお。
ちゃんとかっこがついてますね、きのうよりも。

ろいりさん、わたしはぺっとときくとどうもそのあのこころここにあらず。ですみません。
いま、ずっとあれをみてました。
人生はくそだ!とおやじがいった。
かっこいい台詞、心がひりひりする映画だった。
また寒いシカゴがでてきた。さあ、この映画はなんでしょう。

ぼん。今日れぎおんが着いた。
あしたもっていけたらもっていきます。
ついでに三潴分館の場所おしえて。城島のもね。
作品(今回は「兵六玉」のみ)に参加してくださった方々にはお送りしますが、ろいりさんとか、えめさんとかさくらさんやばどさんや丸山消挙とかにも、おくりたい。よんでほしい。とばしよみでいいから、あちこち読んで好きなとこから。そしたら、だんだんみえてくる。連句に参加できる。
ろいりさん、住所と名前を教えてください。しらん。

 「人生はくそだ!」、どっかで聞いたセリフだけど、何の映画かわかりまっしぇん、よかったら教えてください。 
 考えたら「せろにあす…」も下の句が字足らずだった。ジャズ通の知り合いによると、この2人のセッションは、後世に喧嘩セッションと呼ばれるほど敵愾心むき出しのものだったらしいので、次のように訂正しておきます。
   せろにあす もんくあるかと ピアノ弾きゃ
   ペットでまいるす 喧嘩セッション
 これで呂伊利のエセ枕詞風戯れ歌3部作打ち止め、蛇足ながら用語注を。セロニアス・モンクとマイルス・デイビスは省略。
*シャルル・アズナブール…シャンソン歌手・俳優、「アイドルを探せ」を作詞、エディット・ピアフの若いツバメの時代も。私の高校時代には深夜放送で「イザベル」という曲がよくかかっていた。
*セルジュ・ゲンズブール…音楽家・映画監督・俳優、「夢見るシャンソン人形」など作曲。ジェーン・バーキンとの間に生まれた子がシャルロット・ゲンズブールで、14歳?の時に主演した映画が「なまいきシャルロット」

 投稿: 呂伊利 | 2009年8月 4日 (火) 22時18分

ああそうか。つばめってその意味があったね。
解説ありがとうございました。
しるびいばるたんのアイドルをさがせって歌は知ってますが、題があんまりぴんとこないなっていつもおもってた子供心に。いや少女心に。
ちなみに。つばめからの連想。
『きみはペット』ってドラマがあるのを全巻みました。
小雪さんと松本潤の。
あの関係っていいなあ。年下のきれいな子を愛人にして自由にめしつかうっての。笑

映画の題名、おしえんどこう。
にこらすけいじが主役の映画でした。

ぼん。きのうは丁度帰ろうとしてるとき電話してくれてありがとう。
やはり行かなくてよかった。
ものすごく混雑してたらしい。
隊員さん全部投入してたもの。
明治通り完全封鎖。パレードがあったみたいで。
みずまいくには、あのなかを通りぬけていかんといかんけん。
東合川のセブンでメール便おくりました。

2009年8月 3日 (月)

「針は真っ直ぐ正直に」、映画のはなし。

広報やめを見てたら、福島高校が松山で開催される「俳句甲子園」に出るらしいよ。8月7日に。

へえ。
高校生の俳句と批評か、たのしみだね。
その映画、おととしだったかな見ましたが、おもしろかった。「恋は五七五!」いつもトップをきそうのは東京の進学校だったような。
ながさきげんばくきへ毎年句をだされる長崎工業高校でしたか、あそこもとても上手です。
まりさん、きのうはどうもありがとう。
あのまんまブログアップしました。
文責、すみたから。

私も福島高校の記事、読みました。
後輩たちも頑張ってますね。
八女は文武両道の教育が行き届いているんではないかと思います。
文化的地盤がすでにできている。
良いところに住んでますね。

松山には一度いってみたい。函館にも。
うどんがだいすきだから。
それと先日まりさんにいただいた俳菓のタルトが上品でおいしくて、その上へんてこなコピーが忘れられません。
時計の針はきっかりまっすぐ。てなの。
それはどういう意味やねん!ってどつきたくなる。腹時計のことやろか。

六時屋タルトなので、六時きっかりにコマーシャルがあったような覚えがある。
六時は長い針と短い針が真っ直ぐになるから、「針は真っ直ぐ正直に」のコピーになったんじゃないかな。
後から出来たライバル社の一六タルトがチェーン店を展開してきて、老舗の六時屋は一時期針が傾きそうになったけど、道後温泉の人気復活によってまたしゃきーんとなったようです。
道後温泉にも入ってきたけど、、若い人もいっぱい来ていて驚いた。入湯切符を買うのに並ばないといけないくらいの盛況ぶり。千と千尋のお陰かなあ。昔のようにのんびりとはいかなかったけど、故郷の賑わいはやっぱりうれしい。
福島高校の面々もきっと道後温泉に入ってくるだろうし、松山城もいくのかな。
恋は五七五みたいに。

その道後温泉、行きましたよ~。
もう随分昔ですが、レトロな雰囲気の大きな温泉旅館がありました。
駅前のにぎやかな音楽の鳴るからくり時計。あら、なつかしい。
mariさんのふるさとはそちらですか?

seikoさん、そうです。松山はわたしのふるさとです。
道後温泉本館は子供の時からよく行きましたよ。
2階の畳の大広間で子供用の浴衣を出してもらえるのがうれしかった。
湯上りにお茶とお菓子を頂いて、汗が引くまでゆっくり涼んでから帰っていましたが、今は盛況のため時間制限が出来てました。まあしかたないかな。
道後温泉のどこかの旅館で、あのお笑いの友近さんが仲居さんをしてたそうです。
あの人のイントネーションがまさしく松山のものです。
ほうなんよー。

ほうなんよー。ですか。
ことば、北九州とおんなじところもあるよね。
きれいかったってことを、きれいなかったよ。って打ち消していいませんか。あれにはびっくりします。意味がつうじなくて。
ところで、まりさん。
「センセイの鞄」小泉今日子主演映画は、レンタルにはありません。
それと柳川掘割物語は柳川図書館にビデオがあるみたいです。
市民じゃないと貸してくれないみたいだけど、そこでみることはできる。

nightこんばんわ
お父様は順調な退院でおめでとうございます。
長引かなくてよかったですね。 でもしばらくはお大事に☆

柳川の風景がとても美しい「東京日和」はお気に入りの映画です。
アラーキー氏がご自身の奥様との日々をつづられた内容だと聞いています。
後半の柳川の川くだりや沖の端の舟だまりなどすばらしく叙情があります。 
中山美穂さんが奥様の役です・・☆

えめさん、ありがと、その映画の題名がわからなかった。
事務所のとなりの席の子が教えてくれてたのですが、こんど借りてみます。
柳川掘割物語も見たい、宮崎駿さんと高畑勲監督のドキュメンタリー。
となりの席の子のチチが川くだりの船頭見習い中で、そういう話をくわしく教えてくれるもので。

 お久しぶりでございます。
オーストリアのザルツブルク近郊で「サウンド・オブ・ミュージック」の世界に浸ったりして、ボケーッとしとったら、ウィーンの地下鉄でスリにあってさあ大変。
失意とともに「第三の男」に出てきた観覧車に乗って、落ち込んだ気分を紛らわし、テーマ音楽を口ずさめばヨメはそれをヱビス・ビールのコマーシャル・ミュージックとしか思とらんし。 
 そういうわけで、何とか映画と関連づけてここにコメント書き込みます。
「柳川堀割物語」も「東京日和」も図書館にVTRやDVDがあるじゃんね、と思ってよく考えたらそれは八王子図書館だった。やはりボケとる。
今日は早朝から仕事行って、しかもその後10日間休みなし。
でもこんだけ休んだからしょんなかね。
久留米図書館調べたら、三潴館に「東京日和」のVTRはあるようです。
私は封切りの半年後ぐらいに見たけど、いい映画です。でももう12年も前の映画か、年とった。髪の毛だけ竹中直人のごつなってしもた。ありゃ、それはその頃からか。
 映画についてもう1つ、松山の話題でなぜか田中麗奈の顔が思い浮かんでたけど、そうそう「がんばっていきまっしょい」が、松山東高校をモデルにしたものだった。私の元同僚がその高校出身、ありゃりゃ、この映画も11年前。
 そういうわけで、脳天壊了状態、久留米には8/11頃帰ってきて、10日間ほどいます。
今は年休ちゃんと取れるのだけが取り柄の仕事かも。
筑後川マラソンは10/11、なんでわざわざ久留米に帰ってまでの出場かというと、その理由はまたの機会に。
  全く無関係ながら、昔作った戯れ歌を一首
  「せろにあす もんくあるかと ピアノ弾きゃ
   ペットでまいるす ジャム・セッション」

まいりました、うたぴあのととらんぺっとのじゃむせっしょん。
ろいりさんはやっぱり二上がりもんだね。

欧州旅行おかえりなさい。すりにあっても、ちゃんと帰ってこれるものなのですね。
ろいりさんが奥さんのことを、うちのよめが。というのはなかなかいいですね。
だれもそんなふうに妻のことを呼ぶ人はいないから。
これが逆のパターンだとどうなる。うちの宿六が。かな?
嫁の対語は婿だけど、ふつううちの婿が、とは妻はいわない、それだと養子のしゅうとになってしまうから。

柳川掘割物語、じつはおととし八女図書館にいれてくださいとリクエストしました。
でも没だった。
久留米図書館の貸し出しカードを作ってもらったので、行ってみよう。
小説『砦に拠る』松下竜一は城島分館、DVD『東京物語』は三潴分館、DVD『柳川掘割物語』は柳川図書館。
以上、整理してみました。

マラソンは十月十一日、その日は日曜ですか。

2009年7月17日 (金)

マラソンは神代橋を折り返す

(前回編集分と重なっている部分がございました。失礼しました)。 

 名無しは当然私、呂伊利です。エメさんの見たサーカスもの、私はTVで見た覚えがある。そしてアキラが歌う主題歌「サーカスの歌」は何と1933(S8)年のヒット曲のリメイク、ついでのうんちくで、ビックカメラのCMソングの元歌は、1937(S12)年のヒット曲「煙草屋の娘」の替え歌で、1961年に佐川ミツオ(満男)・渡辺マリ(ドドンパ娘)がリメイク、ついでに言うと、佐川ミツオは同じ1937年のヒット曲「無情の夢」もリメイク。1960年代初期は他にも、フランク永井の「君恋し」、井上ひろしの「雨に咲く花」など、戦前のヒット曲のリバイバル・ブーム時代だった。今で言うと、「亜麻色の髪の乙女」とか「明日がある」がリバイバル・ヒットしたようなもんか。
 話戻って、小林旭vs宍戸錠、いいでしょう!赤木圭一郎vs宍戸錠もよかったし。1970年代末の子供向け番組で「怪傑ズバット」というのがあり、主人公が1人で旭とジョーのパロディをやっていたカルト番組。いかん、昔の映画と歌謡曲を語っていたら、またうんちくが長くなり、ヨメの目が険しくなる。でも最後に神代という名字、九州人しか読みきらん。「かみよ」じゃろか「じんだい」じゃろかち思とる。神代辰巳は佐賀出身です。

赤木圭一郎、気づいた時はすでに亡くなっておられました。作品も1度も見ていませんが。
裕次郎さんは西部警察で、やたら煙草をふかす場面ばかり思い出されます。後は歌ですね。
黒木けんが出てきたとき、裕次郎と間違われたそうです。声が似てます。私は黒木けんのほうが上手いなあと思っていました。

 石原裕次郎は昔歌が下手だった、それは間違いない~小学校低学年の頃、素人物まねのようなTV番組で裕次郎のまねをした人が、審査員から「歌の下手なところがそっくりでした」と言われていたのを覚えてるし。
 赤木圭一郎は私も名前を知ってただけ(映画は東映チャンバラ専門だったので)。でも死んだというのを聞いてビックリしたのは記憶に残っている。「赤木圭一郎を偲ぶ会」というのが今でもあるようです。
 黒木憲も死んだね、彼が歌った「おもいやり」という歌は、もともと、「エイトマン」などを歌い後に殺人犯となった克美しげるの、幻の再起作だったらしい。

くましろばし。くましろたつみかんとく。
くましろばしはちかいうちに建て換わるそうですが、くましろかんとくは、連句仲間だった故貞永まことの口から何度か聞いたことがある映画監督の名前だったなとハッとしました。だけどわたしは注意深く聞いていなかったので、それをきちんと筋道立ててお伝えすることができません。ただその監督のお名前のクマシロというひびきだけが残っています。
7月末がまこと忌、ことし七年目。

cloudおはようございます
神代辰巳監督>>日活ロマンポルノ時代の作品はさすがに縁がなかったけど、テレビドラマではよく見聞きしましたね(脚本や監督に)
2時間ものとかたしか色々あったと記憶しています。
あとショーケンの「傷だらけの天使」とか。。
tvテレビドラマにはほかにもたくさん映画界からの監督さんの名前がありましたね。
神代監督の名前を見つけると「ラッキー」を見つけたようにうれしかったです^^♪

 「傷だらけの天使」を見ていたというエメさん、昨年出版された矢作俊彦の「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」という小説、時間があったら読んでみて下さい。ショーケン演じた主人公が今はホームレスになり、でも事件に巻き込まれてというストーリーで、私はこのドラマ見てなかったけど面白かった。日活ロマンポルノも思い切って見て下さい。今時のAVに比べればH度はたいしたことはない、映画としては素晴らしい。
 神代橋~M高校マラソン大会の折り返し地点?だった。小学校1年の時の担任が神代先生だった。あ、10月にある筑後川マラソン大会に参加するかもしれません。もちろんその前、8月にも帰省するけど。

姪の一人が「神代」さんに嫁いでいます。

rainおはようございます。最後の梅雨の雨でしょうか~sprinkleひめさん元気ですか~?
ろいりさん、この小説は気になっていました。
さっそく読んでみます。ありがとうございますbook
映画界が斜陽になっていた頃、たくさんの監督さん、カメラマン、脚本家がテレビで活躍をされていました。
2時間ものやサスペンス、、ほんとにドラマチックで、とてもはまっていました。
最近は名所めぐりが主体だったりであまり関心がむきません。
神代橋は昔仕事でよく通りました。
マラソンに参加されるのですか!頑張ってくださいmotorsports

筑後川マラソン。マラソン大会の交通警備、よく請け負ってます。それ入ってなかったかな。あれは冬のだったかな。ろいりさんが走るならみんなで応援にいきますよ。
眼のまえをマラソンの列がぜんぶ通り過ぎた時点で警備の仕事はおわり。なんだそうです。

(きょうは、しごとやすんでる。)じぶんはげんきですが、おやが体調をくずして、検査中。そのつきそい要員。
おもいだした!九州俳句に熊本の翁がいらして、そのひとの俳句、すきなんですが、こんな句をこないだ出しておられました。

マラソンの最後はひょうひょういつもの彼  
          熊本   宮部 鱒太

わたしはこの句をよんで、なみだでそうになった。宮部氏はいくつになられるだろう。九十をこされたろうか。いつまでもお元気でとお声かけしたいような句です。

2009年7月15日 (水)

坂本画伯の話をしようよ。

昔の人の謎。

坂本繁二郎は1882年久留米生まれ。
父・金三郎は坂本が4歳の時に死去。
金三郎の長男・麟太郎が京都の第三高等学校に進学したため、二男の繁二郎は進学をあきらめる。
1900年、坂本は母校の図画代用教員となった。
経済的にゆとりがあるとは思えない。

1902年、上京して小山正太郎の「不同舎」に入る。
20歳の坂本、職を捨てて上京。
生活費は?

1921年、渡仏しシャルル・ゲランに師事する。
39歳の坂本、欧州へ。
渡航費は?生活費は?

1924年、久留米に戻る。
42歳の坂本、もう遠くへは行かない。(行けない?)

1931年、高校教師梅野満雄の援助で、八女の梅野宅の隣地にアトリエを建立。
49歳の坂本、八女の田舎にアトリエを建立するのにも援助を必要としている。

大富豪の子息でもない坂本が、20歳以降、職らしい職にもつかず、どうやって欧州留学できたのだろう。
坂本の代表作は八女のアトリエで生まれているので、それ以前の作品がそんなに高く売れたかどうかも疑問。

年譜の補強。

1908年、東京パックに入社し、紙上掲載の漫画を描く。
1911年、東京パック退社。

久留米市梅満町(かな?)にある坂本繁二郎さんの生家が修復保存されて資料館っぽい扱いになるみたいですね。どことなく洋風の面影をのこす質素なちいさな家です。209号線沿いにあって、「坂本繁二郎の生家をのこそう」みたいな看板がかかってたようながする。

あそうか。じゃ荘島町は青木繁の生家跡があるんだ。(その隣にわがいとこ田中恵の夫一家はこどものころ住んでいた。)
おつしろう。
質問に答えられるとおもう。
繁二郎がいくつのとき。はたちね。1900年、ただ一人の兄がなくなって二年。
母ひとり子ひとりになっていた。(青木繁も繁二郎もともに明善中学。)
兵役を免れたのは、背がたりなかったからだそうです。基準の153センチに3ミリ足らなかった。青木繁は乱視その他でおなじく兵役を免れる。
このチャンスに上京しなければ、一生代用教員でおわってしまう。とおもった繁二郎は、一大決心をして上京するのですが、母歌子もそれを望んだそうです。一人で広い久留米の家に住むのはもったいないと、一間だけを自分用にして、ほかは間借りに出して、学費を送金してあげた。えらい母親ですよね。
兵隊にとられたとおもって、送りだすのです。
(ほかに権藤家の支援もあったかもしれない。と書かれているのは、おかねもちの親戚のこと。)その年の八月青木といっしょに上京しています。
これが第一の疑問への回答。

坂本繁二郎の洋行費用について。
当時の繁二郎は二科展で活躍、別途に版画もやっていた。その版画にふしぎと買い手がついた。素材がポピュラーな役者絵だったこともあるだろう。俳優版画、あそびごころがよかったのか売れた。
でも当時の渡欧は三年計画で三ー五千円。現在の貨幣では三~五千万円。洋画は売れなかったが、日本画が売れた。(と書いてある)。ある有力者の仲介で依頼絵がつぎつぎと予価で売れ、インド洋上でもその注文に応えるためせっせと絵筆をはしらせた、という。
それでも、一つ20円の絵をいくつ売ったところで数千円は遠く及ばず、結局は友達の山本鼎(かなえ)や森田などの奔走によって東京湾汽船社長のパトロンにあい、資金援助にめどがたったとあります。

坂本繁二郎のその洋行時のことば。

「インドではスケッチしていると人が寄ってきて金品をねだります。道端にはおびただしい人の群れがなにもせずにごろごろとねそべっています。こういう南方の国では自然のちからが強すぎて、人のこころや生活を押しつぶしているかんじがありました。ですが日本は自然と人とのバランスがよく、ともどもにそのよさを発揮できますので、じつに恵まれているとおもいます。」

このひとはパリにいっても、自然ばかりがきになっていたようです。
「夏があまりにもちからが弱くて、ほかの季節へもそれが影響をおよぼし、いま一つ四季のめりはりがない。わたしの絵の目標は自然にあり、町よりもいなかを歩き回りました。家もふるびるほど自然とマッチして美しい。しかしただ美しいだけ、日本のように自然が語りかけてくることはありませんでした。」
とさいごにはいっている。着いた当初はパリのみせかけの美しさに打たれて、日本のわるくちをいっていたのに、です。

上記はみな谷口治達のふくおか人物誌『青木繁 坂本繁二郎』西日本新聞社刊から引用。
『無冠の男』の小島直記の書いた伝記も持っているので、それからもいくつか引きたいのですが、探すちからが今日はのこっていません。
また機会があればご紹介いたしたいとおもいます。

高等学校へ行かなかった坂本。
フランス語は喋れなかったのでは。
どうやって意思疎通していたのだろうか。
言葉が通じなければ人間へ関心が向かず、自然へ関心が向かう。

 「東京パック」ちゃ、岡本一平(岡本太郎の父親)と並ぶ漫画家、北沢楽天が関係した雑誌でっしょ。後に「楽天パック」ちゅう、漫画雑誌もできて、このへんが日本の漫画雑誌第一期黄金時代~かどうかは自信がないが、へ~、坂本繁二郎はそげな漫画雑誌にも描きよったとか。いや、実は近代漫画の歴史にも興味があるとです。

たまたま今日の夕刊に画家の古賀耕児さんという久留米市の方の死亡記事が。享年78歳。
45年前、33歳の頃、渡仏されてます。
「父は画家坂本繁二郎に師事し・・・」とありました。
音楽家も画家も、なぜ、外国へ行くのだろう。

人間は49歳から住み始めた土地にふるさと意識を持つものだろうか。
坂本画伯の意識の上では、自身は久留米人と思っていたのでは。
八女はアトリエの所在地でしかなく、そのアトリエさえも久留米へ移築された昭和55年の時点で、坂本画伯は久留米へとられてしまっています。
   ↓

あ、その建物。去年みた。そばの建物で説明会があるのに行ったから。
お上に出さんといかん書類の書き方説明会。公共工事なんとかいう。

そんな早くから移転していたとは知らなかった。
さすが石橋美術館。石橋正二郎は繁二郎にこどものころ絵をならった。それが動機となって繁二郎の意をくみ、青木繁の散逸した絵も集めたし、フランス語に堪能な小島直記を伴ってフランスへも渡った。すべては絵のために。これはいくらお金もちだからってできることではない。美術への愛情と造詣と熱意がなければ。

とはいえ、八女人にとってはいまだに繁二郎は八女の画家であるのでして。
いまのこどもたちはそこまでの思いはないかもしれません。
でも、少なくとも、かささぎにとっては、坂本繁二郎は耳にたこができるくらいにどんなに偉い人だったかと聞かされてきた郷土の画家なんです。
繁二郎の絵をはじめて見出したのが俳人でもあった夏目漱石であったことも含めて、じっくりとつきあってゆきたい画家です。青春性のきらびやかな天才画家青木繁とともに。

2009年7月14日 (火)

時間をおいて又みるということ

ろいりさん、情報ありがとうございます。
絶唱>>モノクロだったような・・☆・・また見たいものです。
慕情>>こっちも見たいです。 最近はワンコイン(¥500)で昔の映画DVDが並んでいるので、ちょっと探してきます。
映画や書籍は不思議なもので、年齢が変わってみるとまた感想が違いますね。
お姉さんは思春期のど真ん中だったのですね^^slate

映画や書籍は不思議なもので、年齢が変わってみるとまた感想が違いますね。(えめ)

そうですよね。
ときに無性によみたくなる「春にして君を離れ」(これを栗本薫は「春にして君を離れ病」と名づけていた)。ひさびさに読んで、やっと今日さいごまでいきついて、はじめて栗本薫の解説をよみました。恐ろしい、哀しい話である、じぶんはこの話にのめりこんでいた時代があった、せりふまできっちり暗記してたほどに・・と書かれていました。おおあんたもか!とついいいたくなった。(今年なくなったのでしたよね。)
だけども、しかし。
さめた視点もでてきました。
これまでは主人公の主婦の自省に加担して、夫や子供たちが(妻に母に管理されるという意味で)気の毒でたまらなく思えたものですが(それはそう思えるようにクリスティが書いているからなのですが)、今回は、待てよ。っていうか、そうは浜名の焼き蛤的心境。
ことに今回はじめてきづいた、最後ちかく、列車のなかで同室になるロシア貴族のサーシャって女性とのやりとり。ここに丸ごと引用したいほど魅力的な会話です。イギリス人を日本人とおきかえてもいいような。
人の見方が多層的であり、個に執着してない。
やっと読めたのかもしれない。
それにしてもよ、すごいタイミングで栗本薫だったんでぎょっ。
以前買って持っていた文庫は旧版のだったから。
翻訳の中村妙子はおんなじですが。

 「そうは浜名の焼き蛤」ちゃ、「その手は桑名の焼き蛤」じゃなかと?それとも何か一ひねりしたギャグ?だとしたら、恐れ入谷の鬼子母神!
 エメさん同様、私もアメリカン・ニューシネマ衰退後の70年代洋画では、フランス映画のユーモア感覚ととイタリア映画の猥雑さが好きだった。それから小林旭の映画をほとんど(リアルタイムで)見ているとはうらやましい。
 数日前の新聞に、「ドヌーヴ×ドゥミ×ルグラン」DVD4作品セットが紹介されていて、「シェルブールの雨傘」がそのうちの1枚に入ってます~買おうとは思わんけど。

うわ、まちがえてた。なんかへんとはおもったんだけど。↑ろりりーさん?
こばやしあきら。石原ゆうじろ。そのた。そのた。
一回もみたことない。やくざ映画もとらさんも成人映画もとうとう一回もみなかった。映画の広告で、なんとかの顔役、ってのがあって、なんだろうか、この顔役というのは。とずいぶんかんがえたものです。聞く人もいないし、あとで考えようと思ってるうちに大人になった。顔の役。すんげおもそ。親分かいな。

nightこんばんわ
当方の子供時代に、叔父叔母達は青春の真っ只中で、映画はその中でもゆいいつの娯楽だったのでしょう。 
叔父叔母が面倒をみてくれていたので、私はいつもオマケで連れて行ってくれてました。
小林旭氏の映画は本当におもしろかったです。
あの渡り鳥シリーズです。
宍戸錠が拳銃をくるくる回す場面、荒野に立つ旭さん、今思うと、荒唐無稽なお話だったのでしょうね。
今調べてみましたら、監督=斉藤武市、助監督=神代辰巳の両巨匠でした。
裕次郎氏のも同時期に見ていたはずですが、旭氏の映画のほうに強く印象を残しています。
シリーズとは別かもだけど、サーカスの場面で球体の中でオートバイが縦横してハラハラするものがありました☆slate

2009年7月12日 (日)

『絶唱』その他、呂伊利さんの映画うんちく話

  元久留米人  梶原呂伊利(神津呂伊利)

ぼんさんが若大将シリーズ3本立て見たというのは、今の文化街の地名の由来となった、「文化会堂」ではないでしょうか?ちなみに、封切り後ちょっと間をおいて安い値段で上映するのが2番館、ぼんさんが小6の頃なら、「文化会堂」は更にそれより後に上映する邦画の3番館で、3本立てだった。これと同じ場所にあった「名画座」(だったかな?)が2番館、わが「ロイリー」が洋画の2番館だった(時々試行錯誤して邦画や成人映画を上映した時期もある)けど、どちらも通常は2本立てでした。
 若大将シリーズは封切りの時、怪獣映画と2本立てのこともあり、私が最初に見たのは小5の時の「ハワイの若大将」で、お目当ては怪獣映画「マタンゴ」だったが、普通の怪獣映画と違ってあまりに気色悪く、悪夢を見るほど。大学生の頃に、星新一らSF作家が原案を書いており、今で言うカルト映画化してると知りました。で、この時は姉弟3人で見に行ったけど、帰ってきた私が「若大将のほうが面白かったね」というと、姉が「いやらしか」と言って笑ったのを覚えてます。青大将がスミちゃんを襲うシーンがあったからでしょう。子供が素直に楽しんでるのに~姉はその頃中2だったから、あーいうシーンの意味がわかったつか。

 「ある愛の詩」や小椋佳のごつふーたらぬるかつは好かん、という点では奇しくも3人意見が一致、でも「さらば青春」は例外という点ではかささぎさんと意見が一致、高校卒業した頃流行ったので、よくギター弾いて歌ってました、自分の家で一人、聴く者もいないのに。あ~、暗い青春の1ページじゃった。
 恥ずかしながら舟木一夫もファンでした。それも紅白で「絶唱」を聴いてから(作詞は西条八十、この人もいろいろやっとるのお↓)。映画は文化会堂で見逃し(数年前、名画座最後の砦、池袋文芸坐でやっと見た)、高1の時、古本屋で原作見つけて読んだら、何か印象が違う。寄生地主制度に疑問を持ち、「アカ」の思想にかぶれたと勘当される息子、アプレゲール(戦後派)なんて言葉もこれで覚えたし。ここで正しい日本語について、戦後生まれは戦後派ではないのに、最近は間違って使われてることが多いようですね。あ、それで原作者大江賢次とは、かささぎさんとそういうところで縁があるのか。私が買ったのは初版本のようで、今は希少価値あり?しかし当時の高校生で、大江健三郎より先に大江賢次を読んだとは、イヤハヤ何とも言えん。
 エメさんが勘違いしたのも無理はない、「絶唱」では和泉雅子が相手役だったのに、悲恋もの第2弾の「夕笛」では松原智恵子に変わったからでしょう。「絶唱」の最初の映画化は、マイトガイ・渡り鳥以前の小林旭・浅丘ルリ子が主演で、モノクロ映画です。これも20年以上前に文芸坐で見ました。百恵ちゃんのは見とらん。テレビドラマ化も何回かされてます。「慕情」は、手元にあるキネマ旬報社刊の「アメリカ映画作品全集」によると1955年に初公開、その10年後ぐらいに再公開しています。これも東京のどっかの名画座で見た。そして香港行った時、慕情のシーンに出てくる海辺にも行きました。映画公開後にナット・キング・コールが主題歌を歌いヒット、私も1度カラオケで歌ったことあり。
 あ~、またなごなった、

     以上、投稿。

西條八十:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%A2%9D%E5%85%AB%E5%8D%81

「蘇州夜曲」も、このひとの書いたものだったんだね。作曲は服部良一。
誕生日にむすこが中古のcdシングル『ジュピター』平原綾香のをくれた。
そのなかにあった。ゆったりと川をくだるときのような、たゆたひの。
ジュピターと蘇州夜曲は「みむねに」ということばでつながれていた。

服部良一は「夜のプラットホーム」、アストロリコのcdアルバムで知った。

2009年7月11日 (土)

雨籠りに昔の映画ばなしをしよう。

 『冒険者たち』はけっこうファンが多い。これをパクった日本映画もいくつかあって、1981年の『冒険者カミカゼ』は軍艦島(端島)でロケしてます。そして偶然ながら、最近近くの図書館から『軍艦島1975 模型の国』というドキュメントDVDを借りてきたばかり。
 『ゲッタ・ウェイ』もよかったですね、サム・ペキンパー監督作品は好きなのが多かった。大学に下駄履きで行った時、友達が言った「下駄・ウェイ」という下らないダジャレまで思い出してしまった。
 好きな日本の女優さん、書き忘れてました。八千草薫や小津安二郎作品に出てくる若い頃の香川京子~でも決してマザコンではありません、為念。そして60年代末から70年代前半にかけての梶芽衣子が最高の好みかも。クエンティン・タランティーノにまで影響を与え、「キル・ビル」シリーズではクライマックスで「怨み節」が流れるし。あ、「キル・ビル」って御存じでしょうか、千葉真一や栗山千明などが出ているバイオレンス映画だけど、日本人が馬鹿にしやすい日本映画が、映画の本場ハリウッドなどでいかに評価されているか、日本人よ、もっとわが国の文化を見直せ!と、またこんな時だけ民族主義者になる私であった。

ででで。ではろいりさん。こんど「冒険者たち」と「下駄ウェイ」と「きる・びる」かりてみる。おどろくほどなにもみとらん。おれたちにあすはない。もしらんし、あれもこれもなんもみとらん。ああそういや、「ある愛の詩(うた)」ってのは唯一みにいった気がするが、たいくつなえいがだったよね。

恥ずかしながら、中学生の頃松原智恵子のファンでした。。。。。なーるほど。以下、連句的。
隊員さんに舟木一夫の大ファンがいて、千曲ちかく歌えるといばっていた。そんなに曲があるのかな。
小学六年のころ?五年?バスのなかで、くにこちゃんが舟木一夫の歌「絶唱」をながながと歌っていたのをわすれない。かなしいうたですからしんみりとして、ああいうときにうたううたではないなあとおもった。(→絶唱は、かささぎの旗がときにリンクする大江希望さんのお父上の作品みたいです。よく存じ上げませんが。)
いま、いくらなんでも失礼だと思って、ちゃんと調べてみました。ウィキにあります。はりつけました。
それをよんでいましたら、大江賢次は、ナップに所属してたことがあるようです。はっとしました。石橋貞吉も入っていたからです。(若かりしころの山本健吉のことですが。)
縁というのはほんとに円になっていますねえ。

>「ある愛の詩(うた)」ってのは唯一みにいった気>がするが、たいくつなえいがだったよね

あたしも美しい映画、美しい歌、これはすきくないよ。以外やろ?

たとえば「シクラメンの香り」みたいな歌がきらいでねぇ、退屈でふうたらぬるかつがすかん。

びじゅある的に美しかとは好き。
先日のドヌーブのあの場面すっかりはまっとる。

映画はあまり見たことがなほう。でも、ゲットアウェイやひまわり、ゴッドファザー、ダラスの暑い日、戦場のピアニストは見に行った。

小6の頃かな、兄に無理を行って、若大将シリーズの3本立てを見に連れて行ってもらった。今は1回の入場で1本しか見られないから損したような気分だよね。

2009年7月10日 (金)

むかしの映画談義をしようよ!の巻き。

映画談義>>昔の女優さんたちはほんとにきれいで個性的でしたねshinekissmarkshine
当時、ドミニク・サンダ、フェイ・ダナウエイが好きであこがれました。
最近ではレニー・ゼルウィガーさん♪
男優はダニエルクレイグ氏、ケビンスペイシー氏。
みなさんたちはどんな俳優さんが好きですか~drama

 フェイ・ダナウェイ、そういやそういうエロっぽい女優さんもいましたね、で、同じ頃活躍した外国人女優として、キャサリン・ロスとかキャンディス・バーゲンとかを連想し、カトリーヌ・ドヌーブのほうがもっと年上かと思ってたら、そうでもなかった。ちなみに、カトリーヌの英語読みがキャサリンなんですね。あと意外と好きなのがジェーン・バーキン~シャルロット・ゲンズブールの母親。いや、映画ってホントにいいですね。
 男優はどげんでんよか?でも、アラン・ドロンよりジャン・ポール・ベルモント、もちょっと年上のマルチェロ・マストロヤンニ、これじゃ古すぎる?もっと古いぞジャン・ギャバン。最近ではケビン・スペイシーやニコラス・ケイジもいいですね。
 日本では、これまた古くて若い皆さんにはピンとこないでしょうが、宍戸錠・赤木圭一郎といった日活アクション系、その残り香的な原田芳雄に藤竜也。女優は恥ずかしながら、中学生の頃松原智恵子のファンでした。今は風吹ジュンとキョンキョンがいい!若い頃はただのアイドルに過ぎなかったけど、女優としては今が旬という感じ。桃井かおりは無名時代からのファンです。う~ん、若い世代にもいいのはいるが、今イチ決め手に欠ける。これも年のせいじゃろか。おっと田中麗奈がいた。久留米出身だからというわけではなく、映画中心に活動しているところが好感持てる。
 話変わって磐井氏について。九州の王と言いたい八女の人たちの気持ちはわかるけど、クマソ・ハヤト族まで支配していたとは思えんし、せいぜい北九州の大王ということで妥協してください。

 帚木蓬生のペンネームの由来について忘れてました、本人曰く、『源氏物語』の五十四帖を見ていて、雨夜の品定めの「帚木」の巻と、末摘花が出てくる「蓬生」の巻から取ったとのこと、本名は森山成アキラ(外字なので変換できん)と言わっしゃるとですね。

nightこんばんわ
70年代前後はフランス映画やイタリア映画などヨーロッパ映画がすてきでした。
アラン・ドロンやジャン・ギャバン全盛の頃私は彼らと共演していたリノ・ヴァンチュラの大ファンでした(渋~☆)
彼らのシシリアン、冒険者たち、、すてきな大人の映画でした。
アメリカ映画ではやっぱりスティーブ・マックイーンが印象的でした。
アリ・マックグロウと共演のゲッタウエイはかなり良かったです☆

蓬生。よもぎふ。うつくしいことばです。

えめさんもろいりさんもいっぱい俳優さんのおなまえをごぞんじであります。ちゃんとそれで一家言的文章がかけるのもすごいです。
じぶんは人さまがみている映画を見ていなかったことに気づき、いま、むかしの映画を拾って学習中。
きのうはとても大変だ状態であったのにもかかわらず、ひとり深夜に「昼顔」をみました。
いちばん印象にのこるのは、ドヌーヴ演ずる不感症の昼顔ではなく、夫やチンピラでした。夫はさいごに昼顔に夢中になったチンピラに撃たれて車椅子に座るのですが、ドラマの中盤、車椅子が気になる、なぜだろう。と予兆のような独り言をいう場面がさりげなくはさまれています。
そういう伏線は確実に印象にのこります。
んで、これと似た味わいのを去年みました。
「グッド・ガール」という映画。
昼顔とおなじく女の性のこわさを描いて出色。
わたしはスパイダーマンがとっても大好きで、その主役とこの映画の主役をまちがえておりました。
雰囲気がにています。
ジェイク・ギレンホールとトビー・マクガイヤー。

ところで。
西日本新聞朝刊のデスク日記。
ある夏、新製品のビールを社に宣伝にきたキャンペーンガール。新聞社というおとこ所帯にうら若き女性が単身のりこみ一通りの宣伝をおえたあと、さいごに立ち上がりぱっと服をぬいで、水着一枚になった。おとこたちは絶句し気おされた、女性の覚悟を感じ取って。その女性とはデヴュー当時の藤原紀香。・・てな記事。
(物を書くとはこういうことだよね。ウッとうなった。)

こんなことをなんで書いたかといいますと。
連句を公衆の面前でまくことの難しさと恥ずかしさについて書きたかった。
覚悟がたりないといつもかんじているから。
上記のむすめさんのような覚悟です。
つまり、
人前ではだかになる覚悟。

2009年7月 9日 (木)

ちくしとつくしの無意識の使い分け

すいませんが話がワープします。
今『朝日新聞』夕刊、「人生の贈りもの」というコーナーに帚木蓬生氏の連載があり、それによると、一度就職したTBSをやめた後、九大医学部に入り直すため、M高校付属?時習館予備校に模試を受けにきてたんだそうな。で、今のペンネームもこの時に、昔習った教員に気づかれないよう、『源氏物語』にあやかって考え出したとか、そんなことが書いてあります。それがちょうど私の浪人生時代、ということは、どっかですれ違っているのだろうか、当時相手は24歳、当時の6歳違いはええおっちゃんに見えたはずだが。で、そのころ弟の光章氏はどうしていたのだろう?
 ここで、話を「筑紫」の読み方に戻すと、私の祖母がファンだった、佐賀にわかの筑紫美主子の名字は「ちくし」と読むらしい(これを調べるため昔読んだ本を探して時間食った、ネットで調べりゃ早かったのに)。でもどの地図帳見ても「つくし平野」「つくし山地」と書いてある。更にまた日本史関係で調べたら、これにも「筑紫(ツクシ)国造磐井の乱」とルビがふってあるし、これはチクシ族に対するヤマト族の陰謀だ!だから私はヤマト(大和)=日本という考え方は好かん。日本民族という表現なら許せるが大和民族と言うのも好かん。大和魂もまやかしじゃ(本居宣長の「やまと心」にはまだ共鳴できるところがあるが)。私見だが、磐井(八女のみなさんは誰でも御存じですよね)は国造などではなく、大和国の大王に敵対していた筑紫国の大王ではなかろうか、根拠薄弱だが~そう考える歴史家も実際にいる。

夢ごころいかなるものぞ夕暮れは
藻伏し丘伏し獅子狂ひゆく  山中智恵子

(うた、きおくです、ちがってるかもしれません)

あ。それと。ちくしのいわいは、くにのみやつこではなく、九州の王だったと思っているのが八女人です。

昔から、色んな戦いがあってきて、負けたほうは反逆者としてあつかわれ、歴史の年表には1行で終わりますね。
たとえば「528年・磐井の反乱」とだけ★
九州の王の墓がなぜ「八女」にあるのか☆☆☆ 
それはこの地でなければならない「必然性diamond」があったから?
さあみんなで空想してみましょう~(^_-)-☆

             えめ

連句的:「筑紫哲也さんありがとう」
http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-119.html#comment
『チャオ、Ricaです!タンゴバイオリニスト麻場利華の日記』

2009年7月 7日 (火)

ドヌーヴ映画と六つ門とつくしの地名とハイカイ談義

sunこんにちは
ろいりさんこんにちは。
sprinkleシェルブールの雨傘と昼顔は見たことがあります。
映画談義をこれからもちょくちょくお願いします^^slate

筑波・筑紫・筑豊・筑後・・・ルン♪

下記でちょっと見てきた。
ドヌーブの美しさ、ヘヤーリボンにシンプルな赤いセーターに部屋の赤い壁紙、おっかさんの服も赤いスーツスタイル、おお、これがパリって風景がふんだん。
ちょうどビビットな色に挽かれる今日この頃なので、タイミングよくこの映画を話題にしてくだすった。

http://www.youtube.com/watch?v=LH2s0Uur0nM&feature=related

割と最近、深夜番組で見ました。
何度目かでした。
こんな調子だからファッション本位でしか見れなかったけど、やっぱり印象に残っているシーンは、好き同士で結婚できないでお互い子供持って再会する最後の大雪の場面だけだった。
何度見てもジンとくるわ。

 「連歌」「連句」「俳諧」「俳句」の違い、私的には一応わかっとるつもりです~この中で「連句」という言葉だけがこのブログで初めて知った、何しろ学校で習っとらんし、日本史用語でもないけんね。連歌とヤマトタケル(古事記では倭建命、『日本書紀』では日本武尊と書くが後者はいかにも後世の当て字っぽい)の関係も日本史用語辞典に載っていて、だから連歌集には『莵玖波集』新撰莵玖波集』『犬筑波集』と、やたら「つくば」がついているのだそうです。ちなみに「筑紫」を九州では普通「ちくし」と読むが、関東人は「つくし」と読み、地図帳でも「筑紫平野」のルビを「つくしへいや」と書いてある。こら、ほんなら筑後川は「つくごがわ」か!筑前煮は「つくぜんに」か!と、急に筑後国・筑紫国ナショナリストになってしまう。
 日本史と映画のこつになったら、これまたきりがないけど、カトリーヌ・ドヌーブについて、そうそう巨匠ルイス・ブニュエルの『昼顔』も忘れちゃいかん、あとロマン・ポランスキー監督の『反撥』も。どっちも女の恐さを描いた…と言ったら女性陣に怒られるだろうか。あと中年時代?の『終電車』、初老期の『インドシナ』、アラ還時代の『8人の女たち』『輝ける女たち』も良かったし。男も女も、50代はまだまだこれから、若いもんに負けちゃおられん。

笑。

えめさん、筑前ばわすれとる。
と書こうとしたら、ろいりさんが筑前煮(がめ煮)をだしてくれらしゃった。

ちくしへいやはちくしへいや。ろいりさん。六つ門の名の由来。
久留米の文化財担当のおかたにたずねてみたら、六つ門には門があったからだそうです。むつの鐘が鳴るとしまる門。六角堂とは関係ないそうです。(桜島へいったとき、古賀音彦さんにどさくさまぎれにたずねたらそうこたえてくださりました)

 「六ツ門」の由来については、なぜか1年ぐらい前にうちの父親がそう言ってました。
久留米藩領内の中心部に入るための門だったのでしょうか、ちなみに池町川は久留米城(これが篠山城の正式名)の外堀の名残というのも昔誰からか聞いた覚えがある。
「六角堂」はあけぼの通りと明治通りの間に、まさに六角形の広場(放射状に広がる小路の中心)に御堂があったからだけど、いつ頃どういう事情で作られたものか、その由来は調べたことありません。一帯はアーケードのようになっていて天井があり、夜の電気も暗かった記憶がある。
 筑紫平野は「ちくしへいや」私もそう主張したい、しかし現に地図帳では「つくしへいや」となっている=共通語になっている。
私はたぶん、「筑紫」「筑後」と「筑波」はもともと無関係だと思います。
たまたまヤマト言葉、ならぬチクシ言葉に「チクシ」という地名があり、ケヌ(毛野)言葉に「ツクバ」という地名がもともとあり、後からこれにヤマト人が、それぞれ「筑紫」「筑波」という漢字を当て字したのではないだろうか、なお前者の当て字はチクシ人自らがやったのかもしれない~漢字文化はかなり早く入ってきてるはずだから。以上が私の推量で、学問的裏付けは全くありません。
 確認ですが、連句=俳諧連歌と思っていいのでしょうか(辞書にはそう書いてある)?あと、数日前に病身の野坂昭如が一人連句を巻き上げたという新聞記事を見たけど、そういうのもあり?それと、井原西鶴は一昼夜に2万3500句の「矢数俳諧」を詠んだと言われるが、この場合の俳諧は今で言う俳句のことなんでしょうね。

ろいりさん。ありがとうございます。
連句は、「俳諧の連歌」です。連歌と連句は雰囲気も使われることばもうんとちがいます。
それはたとえはあんまり適切ではありませんが、伝統俳句と現代俳句くらいの違いがあります。

その前に、さくらさん。きのう書き込みで「シェルブールの雨傘」の一場面を出してくださって、ありがとうございました。お礼をいってなかった。あれをみて、どうして女は男をまたずに結婚したのかが少し予想がつきました。それにしても、どぴんくとあか。どひゃーな色彩。一番ピンクがにあわなさげな女優さんなので驚きます。母親役の人より雰囲気がずっとオトナに感じられますので、むりくりピンク着せたってかんじです。ドヌーヴさん。

野坂昭如、連句、独吟。
井原西鶴は、れぎおんでも研究者が何人かいらっしゃいました。あさぬま・はくさんとか、まえだ・あやさんとか。私は前田亜弥さんが調べて書かれていた妻の命日に詠んだ作品群というものに心うたれたことがある。さがせばどこかにある。いくつか句をひきたいくらい、まことのこころのこもった句たちでした。
あと、矢数俳諧については大野鵠士さんの研究書がかなりへんでおもしろい。へんといういいかたはへんなんですが霊的というのかな。33間堂。
かささぎはきになっていてですね。
33間堂棟木の由来。松延かんらん。いつきひろゆきの祖先の一人かもしれない人物ですが。八女福島の灯篭人形の祖。
あれ。話が別方向へいってしまう。
ぜんぶつながっている。わたしのなかでは。

俳諧と普通にいったら、俳句もふくめた連句のことですけど、矢数俳諧は即興の数でかぶく句のことなんだとおもう、きっと連句的な句だったんじゃなかろうか。

安西均の詩につくし恋しやつくつくほうし。みたいなんがあったなあ。このひとのふるさとは、筑紫字筑紫。

2009年7月 6日 (月)

カトリーヌ・ドヌーヴと連句、連歌、俳諧、和歌。

  元久留米人・梶原呂伊利(神津呂伊利)

 はい、また1週間のご無沙汰でした。「シェルブールの雨傘」とカトリーヌ・ドヌーブについてですね。
 
 最初に見たのは大学生時代、京都の祇園会館という3本立ての名画座で~作られて10年後ぐらい。当時はまだ人生経験も恋愛経験も浅かったので、何で女は男を待てなかったのだろうか?と思ったけど、1964年という時代背景を考えず、ついでにいうとアルジェ独立戦争についてもよく知らなかった。 
 
 2回目見たのが10年以上前、最初のシーンから感銘を受け、なぜ1回目見た時たいして良い映画と思わなかったのかと、自分の鑑賞力のなさをしみじみと感じました。実は私、大学時代は月に30本前後見ていたほどの映画ファン(を通り越してマニア、今ならおたくと呼ばれるところ)で、ここ数年は月に4本ぐらいしか見ていないけど、神津島に行く前は最低10本以上(しかもほとんど映画館で)見ていたぐらいです。だから映画関係の仕事につきたいと思ったこともあり、でも、この名画を見抜く才能のなさを考えたら、仕事にしないで良かったのかも。カトリーヌ・ドヌーブは若い時もいいけど、中年以降の、いや60過ぎてからの映画もいいですね。特に大ファンというほどではないけど。
 
 最近見た映画で良かったものね~、映画ファンと言うと、よく聞かれて困る質問です。なんせあれもこれもと浮かんでくるので。でもこの1年間ぐらいに見たもので、みんなが知っていそうなものを除くと、次のような映画かな。
 
  「闇の子供たち」…今話題になってる臓器移植問題もふくむ、梁石日(ヤン・ソギル)の原作に迫る力作。梁石日作品の映画化にはなぜか傑作ばかり。
 「ミリキタニの猫」…路上(ホームレス)画家だった、強制収容所体験もある日系人を主人公とするドキュメンタリー。
  

 とりあえずこの2本だけにしときます。映画について語り出したらきりがないのでこのへんで。
 ここで余計なおせっかいかもしれないし、素人判断になるけど、連句と俳句(俳諧)の違いとは、駅伝とマラソンの違いみたいなもんではないでしょうか。私はマラソンやるけど、マラソン仲間に駅伝に誘われてもあまり乗り気にはなれない、そういう人もいる、それは性格・個性の問題です。

 さっき「俳句(俳諧)」と表現したけど、正しくは「俳句(俳諧の発句の独立化したもの)」ですね。「俳句」とは明治以降に出来た言葉だから、日本史用語では江戸時代の俳句を「俳諧」と表現するので、つい先ほどのような書き方をしたけど、紛らわしい。個人的にはある程度理解しているつもりだけど、「連歌」「連句」「俳諧」「俳句」という用語を誰か一度整理していただけるといいのではと思います~たぶん誤解している人もいるだろうから。

2009年6月29日 (月)

呂伊利さんの駆け足投稿から

お久しぶりでござんす、季語の問題が出てきたので一言と思って。

旧暦(それも時代によって微妙に違い、江戸時代の暦は、正確には太陰太陽暦)と新暦(太陽暦)の違いによる季節感のズレ、現実を取るか過去の形式を取るか、このややこしさや矛盾、これこそ私が定型「句」の世界になじめない大きな理由の1つです。

新暦にしろ旧暦にしろ、どっちみち盆はクソ暑い時期、それなのになぜ秋の季語でなければならないのか。七夕も同じ。
旧暦では9月以降になるというならまだ話はわかるが。
さっきパソコンで調べたら、葵は、単独では季語にならないと書いてあったけどどうなんだろう?歳時記によって違うのか??あー、ややこし、ややこしで「ややこし生まる」になってしもた。
ついでに、「ケニヤ」と「ケニア」も、「ギリシア」と「ギリシャ」も、「ルーズベルト」「ローズベルト」「ローズヴェルト」も、どっちでもいいんです。
中学の歴史教科書には「リャオトン半島」と書いてあるが高校の日本史教科書には「遼東半島」と書いてある。
地図帳には中国の地名を全部カタカナで書いてあるが、シャンハイなどほとんどの地名は共通語読みなのに、ペキン・ナンキンは(おそらく)広東語読み、ホンコンは広東語読みが更に英語化した読み方と、バラバラ。
私見だが中国語の地名・人名は原則的に漢字で表記して欲しい(できれば韓国・朝鮮についても)、特に中国語については、漢字でないとイメージつかめないし、カタカナ読みで言っても、発音やアクセントが違うからどうせ中国人には理解してもらえない。
更に蛇足だが、元・明・清の日本での読み方、これも全く無原則的~これは慣習として定着してるから今さら仕方ないが。
ま、「あいまいな日本の私」たちだから、これでいいのか。
 

ありゃりゃ、一言が十言ぐらいになった、「少年ケニヤ」のこともいろいろ言いたかったのに。そもそもは新聞小説から始まって、その後漫画化、しかし私ら(同じ世代にかたせとってください)が知ってるのはテレビドラマでしょう。
「ナショナル・キッド」の後番組で、谷隼人が少しだけ出演していたらしい。
「アッサムのおじさん」というのも出てきて、小5か中1の時に地理で「アッサム地方」というのが出てきた時すぐ覚えてしまった。もっともこれはインドの地名なのでケニヤとは何の関係もなかったが。
 以上、長々グダグダと、どーもすいません。

2009年5月28日 (木)

中島梓追悼、談義

昨夜、栗本薫(中島梓)さんが亡くなられたとか。56歳。
この方の作品はひとつも読んだことがないのですが、かつてメール交換を頻繁にしたことがある方なので、自分にとっては特別な方の死です。
20年ほど前、まだネット上の情報交換が「パソコン通信」といわれていた頃のこと。
ネット上の書き込みで、これから自殺するぞ宣言をした人がいて、なんとかせねばと立ち上がったおせっかい屋がふたり。それが、乙と栗本さんだったという次第。
メールで綿密に情報交換しながら、自殺企図者が立ち寄る様々なサイトの書き込みを見つけては心理分析をして、ふたりの筆力で何とかその方をこの世にとどめた、共闘関係の方です。
お互いにペンネームで身分は明かさずにメール交換してたのですが、メールの返事が、数分後には乱れのない文章で原稿用紙にして数枚分もの分量で届き、ただものではないことはすぐにわかりました。後になってお互いの身分を明かし、びっくらこいたというわけです。
自殺したがってた人は、いまだに、介入したのが栗本薫さんと厚生省の官僚だったということを知りません。

 中島梓の名と文章を初めて知ったのは1976年頃、いかにも才女という言葉がピッタリの感じでした。文壇デビューの頃のキャッチフレーズが「花のニッパチ、水瓶座」で、同じ年月生まれなのに、それに比べて俺はいったい何をしてるんだ、と劣等感抱いたことも~ちなみに花のニッパチとは、その数年前に流行った言葉、相撲界で昭和28年生まれの有望若手力士、北の湖・2代目若乃花・麒麟児・大錦等々(小錦や寺尾などはそれをもじって花のサンパチと言われた)。
 その後、栗本薫の名で江戸川乱歩賞を受賞、でもグイン・サーガ・シリーズは、タイトルがいかにも欧米SFっぽく過ぎて、読まず嫌いで終わった。そしてSFファンの間で話題になった、SFマガジン編集長との不倫騒動といったゴシップも今は昔のこと。乙四郎さんと繋がりがあるとは知りませんでした。

nightこんばんわ
中島氏は辛口で痛快でした。
栗本氏の本は1度だけ読んだことがあります。
乙四郎さんとお知り合いとは驚きです。

花のニッパチ>>流やりましたね。
相撲ニッパチ組の20歳頃は最高に盛り上がってましたね。
なにをかくそう・・私もニッパチの水瓶座ですが・・・aquariuscoldsweats01
それにしても最近は50代の早世が続きますね☆彡

花のニッパチではありませんが、
わたしも水瓶座でございます。
水瓶座は感性ゆたかなものが多い(笑)と、水瓶座同盟(以前働いていた職場で、水瓶座生まれの同盟をつくっておりました。会員6名。自称ゲージュツ家きどりの勘違いヤローばっかり)では、そのような評判だったのですが・・・。

2009年5月 7日 (木)

オフ会始末談義

気のせいでしょうか?
ぼんのご主人とろいりーさんって、
お顔の雰囲気まで似てらっしゃいません?
体つきまで。

まるで、兄弟みたいですね。

似ているというよりそっくりでした。波長。笑
すがたかたちは背のたかさが違うけど、やせているところとかおなじでした。
うしろから二人を写したのがありましたが、よくにています。どことなく。
ろいりさんは高校の歴史の先生だそうです。

nightこんばんわ
オフ会>>おつかれさまでした。 今回は欠席で失礼しました。
それと、「MK」は終わっとったですか。。ごめんなさい。。未確認情報やったですね★失礼しました。(これは中華料理やさんの件です、かささぎ脚注・でもひょっとしたら探せなかっただけで、あるのかもしれないです。)
ろいりさんは無事に合流できてよかったですね。
歴史のプロやったとですね☆ひめさん心強いですね^^☆☆☆
久留米から上陽へ>>深い森があったでしょう。
それと深い谷にかかる大きな橋も。
おぼろと逆の右のほうへ行くと「是善社」があります。
道真さんのお父様の。
こちらは必ずご利益があるとですよ(^_-)-☆
http://yamep.sblo.jp/article/9935605.html(是善社、八女)

エメさん、おかえりなさい。
どうでしたか、岩国は。
十八歳のエメさんの記録ノートの断片、ちゃんとろいりさんへ渡しましたので、ご安心ください。
ろいりさんから当日きいたことであっとおもったのは、六角堂。くるめの広場のある。ほんとうに昔お堂があったんだって。
そこまで言われてやっと結びついた。
六角堂、聖徳太子、法然、親鸞、そして行空上人のその1その2!

sunおはようございます
ノート>>へた字で恥ずかしいですが、女子高生のいきおいということで・・(^^ゞ・・その頃はまだ17よ♪)
六角堂>>あ~、、そうですか・・お堂が~☆
熊本県の某所の神社に六角の聖徳太子廟があります。
そんなに古くはないんだけど、すてきな廟ですdiamond
広川の某に私の好きな六面のお地蔵様があります。
六根清浄って言葉があるけど、神仏には大事な数字ね。きっと☆

 一昨日は、ありがとうございました。で、いろいろありすぎて何から言っていいのやら。まずこのようなオフ会が持てたのも、ぼんさんのお連れ合いとまでお会いできたのも、何よりもかささぎさんのおかげ。以前ぼんさんのコメントで「夫は無口で何もしゃべりきらんかも」と言われていた割にはとてもおもしろい方(もちろんこれは褒め言葉)で、本当にまたお会いしたいです。それにしても、どっかこっかでつながりがあるもんたい。ぼんさんのお姉さんの中学・高校の卒業アルバムがもし見られたら、そこにうちの姉も写っているはず。

 あの夜、父親から聞きだした情報を幾つか。まずぼんさんの金丸校時代の同級生のおうち、「平井理髪店」は弥永外科のすぐ近くにあったけど、後継ぎがいなくて廃業したそうです。しかも何と「平井君」のお父さんは、昔日吉町にあったうちの店(おそらく祖父の代)で職人さんしてらしたとか。
 それから、釣りができる池のある豪邸、やはりラッキーパチンコ店の経営者の家のようで、日吉校で私と同学年だったのが後を継いでいるらしい。
 広川町にお住まいの方、父の出身地は梯という所みたいです。S15年3月上広川小学校卒業で、5年前に行われた同窓会の名簿でわかりました。まともに小学校行ってない割には、今も地元に残ってる人たちと付き合いがあるようです。おっと、ここで検索して数ヶ月前のseikoさんのコメント探し当てたら、梯区という地名も、広川ダムの近くに大森姓の友人がいるとも書いとらっしゃった。父の時代(約70年前!)は、当時の校長が、生徒は1000人以上いて税金の滞納者も一番少ない校区ち言うて自慢しよったらしい。
 エメさん、ノートありがとう。ホント、当時の女子高生っぽい文で、胸キュンものですね。福岡系の深夜放送では「ユー・アンド・ミー」を聞いてました。確か番組最初のフレーズが「あなたと私、you & me!」とか言ったんですよね。でもこれは事前録音番組だったようで、やはり生のほうがおもしろいと、当時はまだ福岡に中継局がなく、東京から直接流れてくる電波を拾ってました。ちなみに大阪では、当時無名の笑福亭仁鶴のエッチなトークが思春期の少年心をくすぐり、これも時々聞いてました。
 オフ会でも話題になったダンス場の件、ぼんさんの夫さんの話を参考にすれば、さくらさんが行っていた社交ダンス場というのは「ダイアナ」ではなく「ダイナ」ではないでしょうか、というわけでさっそく「ダイナ」のホームページhttp://www.dinah1947.com/見つけたら「社交ダンスと共に半世紀」という宣伝文句が載ってました。で、Go!Go!系というか前ディスコ系のダンス場は「クインビー」ちいう名前じゃなかったろかとも言ったけど、こんどそこでバンドやっていた同級生に会ったら確認してみます。
 ふ~、なごなった。後は他の記事にコメントするか、後日にと思たけど最後に1つ、これまた父から聞いた話で、数日前に満州屋(屋台店舗)の元祖が50代の息子を刺し殺したという事件が、数日前にあったとか。でも検索してもほとんど出てこない。詳しい記事がどこかに出とらんやか。

ろいりさん、そう、、クインビーかも☆彡
そんな気がしてきました☆彡
私の記憶力は全然だめですね~(^_^;)
ノート>>久しぶりに眺めましたら懐かしい気分です。 字ヘタはごかんべんを。。 あの頃はサンデーVSマガジンの激烈な頃でしたので(タイミングよくNHKでドキュメンタリーがあっていました)、チョイスしながら読んでいたマンガもキラ星のごとく名作がありましたね。
それと、当時のラジオでは米軍(?)の板付けから(?)の音楽だけのチャンネルがありましたでしょう。
英語のMCで、あちらのヒットチャートの音楽がバンバンかかっていました。
家のラジオでは受信できなくて、カーラジオだとなんとか聞こえたたのでよく車庫の中で聞いていました^^♪

ろいりさん。
今日ろいりさんちの前を二回通りましたよ。笑
ちゃんと出世したバイクがあった。みた。
朝九時過ぎ、広川町のせいこさんちへ豌豆をとどけて、それからぐにゅぐにゅ道をまっすぐ相川経由で209号線へ出、福岡方面へ出ました。のはずが、梶原理容店の前の道をまた引き返したのは、五号線を通ろうと思ったので、旧かささぎロードの。ところが長く通らないので、どの橋をわたった道がそうだったのかを思い出せず、これだろうと思っていったら、200号線でした。すいていてびゅんびゅん飛ばせた。が、しかし、途中有料!!200円とられた。ああ、そういえば言ってましたね、ひやみず峠の道。長いトンネル。なーんだ。っていうか。遠回りだね。きっと。
かささぎは戸畑の夫へおかみの給付金を届けにいった。ひとりぶん。今回は速かった。とくに帰路は三号線を遵守して帰ったので二時間しかかからなかった。前回行って帰るのに七時間もかかったのが嘘みたい。九時に出て二時だから、二時間短縮。

オフ会の話題について、書こうとしたんだよね。
ところが、笑、かささぎは聞いていなかったんだろうね。なーんもおぼえていませんでした。だから、書いてくださったの、ありがとう!!
じぶんの知らない話って聞いているようで残らないものですね。今回のオフ会はある種、ろいりさんとぼんの同窓会でしたからね。
だけど、ふしぎだね。
架け橋、梯って書く、その地ですが。
私は高橋甲四郎先生に聞いたことがあって。
去年。先生の母方の里だったかな。父方の里だったような気がします。たしか梯というのがこうしろう先生のおとうさんの旧姓で、黒木の高橋家の養子になられたのでした。
なんとなく、そういうことを連句的に思い出しております。関係ないのかあるのか知らないけどね。
せいこさん、今日はのこの島にいってたそうで。
いつかまたの機会に、みんなで会いたいです。
そうしたら、縁がよりはっきりしそうな気がします。
とにかく、ありがとうございました。どちらさまも。

追伸、こうしろう先生の先祖は青木牛之助です。

呂伊利さん

お疲れ様でした。夫は「彦さん」というハンドルネームにします。いつまでも「ぼんさんのだんなさん」では時間がかかりますから。
で、彦さんを連れて行ったのは正解だったようですね。遊ぶ事やバイクの事などはよく知っています。車を買い替えるときなど展示場を何件も回り、パンフレットを何冊も集めて吟味し、どの車種にどんな機能がついているかを暗記しているのですから、たいしたものです。ここのところだけはやっぱ男だなあと思います。
息子も「お父さんがパンク修理をするのは当たり前(自転車、バイクの)だとおもっていたけど、ちがうとやね」と言っておりました。他所の家ではしないんですね。わたしも知りませんでした。ふだんばかにばかりしてますけど、かなわない面を持っているから、今までもてているんだと思う。
かささぎさん、旦那さんは元気でしたか?だんなさんもギターが上手いって言っていたから、今度は一緒に会おうね。

ぼんさん。彦さんは面白い人でしたなあ。
そしてたよりになるドライバーでしたなあ。

 昨晩、父が上広川小学校創立百周年記念誌というのを出して見せてくれた。この小学校は昔から現代に至るまで、1組・2組…でもA組・B組…でもなく、い組・ろ組…なんですね。まるで江戸の火消し衆みたい。そして各年度の卒業写真が、古いのでは大正10年頃のものから載っており、でも戦前~戦後直後までは、写真のない年度も。空襲で焼けるなどして散逸したのか、載っているのはたまたま誰か保存していた人から提供があったのか。S14~20年あたりだけ奉安殿をバックに、S50年頃だけ?日の丸をバックに写真撮っているというのも、何か時代的意図を感じる。S23年ぐらいのからは全部載ってるようです。ということは、このブログに投稿している上広川小出身の人の写真も載っているということですよ。
 上広川小出身で、この記念誌を持っておらず見たい方はご一報ください。ただし夏まで待っていただかなければいけないけど。
 おっと、もう1つ別の話題、もはや壊滅状態と言われていた「具うどん」のメニュー、古賀久近くの「三潴屋」食堂で発見!
        プラネット西鉄久留米リベール店にて

「ダイナ」のホームページ見ました。
住所から言うと私の思ってる場所の住所ですが、経営陣の顔ぶれと経歴がぜんぜん違う。
ただし、昭和22年ごろからやってたという「ダイナ」は別の場所にあったそうで、その当時の「ダイナ」にも一度行ったことがある。
そのご、今の東町にあったダンスホールを買い取って移ったんじゃないかと想像しました。
昭和40年ごろの東町のホール経営者の山田先生と、今の「ダイナ」の経営者の先生は、昔のダンス教師のタイプ(細身で色白)なところがそっくりです。

ろいりさん、ホームページ紹介していただいてありがとうございました。
必死で検索かけたよ。

昭和50年から51年にかけて、このダイナにも何度か行きました。職場の12月のダンスパーティに向けて、社交ダンスを習いに行ったのでした。同僚達と。若かったなあ。
ダンスパーティのことをダンパと呼んでいました。今は死語ですね。笑

2009年4月 9日 (木)

本の見出しがそそのかす。

隣組(まだあります)のお花見で写した一枚の写真から、ヘレンケラーが思われ、ヘレンケラーからアメリカの思想をはぐくむ教育の話へと話が移ってきました。神津呂伊利ご推薦の一冊。固い話は苦手、だけど、ちょっと見出しだけのぞいてみませんか。

紹介

アメリカの若者たちが歴史を学んでいる教科書では,自分たちの歴史がどのように書かれているのか。先住民や白人以外の移民の歴史・社会・文化の無視,白人西洋文明中心の嘘を,代表的な教科書の記述を取り上げながらえぐり出す。

目次

本書で検討された一二冊のアメリカ史教科書一覧
謝 辞

序 文 なにかがひどく間違ってしまった 富田虎男訳

第1章 歴史にハンディキャップを負わされて 富田虎男訳
    ——英雄づくりの過程
英雄化/社会主義者ヘレン・ケラー/対外侵略の急先鋒ウィルソン/人種主義者ウィルソン/英雄はつくられる/われわれの英雄はだれか

第2章 一四九三年 佐藤 円訳
    ——コロンブスの二回目の航海の重要性
コロンブスの目的/コロンブス以前のアメリカ探検/コロンブスの実像/コロンブスによる収奪と奴隷貿易/「ヨーロッパ」の誕生/自己陶酔の歴史

第3章 最初の感謝祭の虚実 佐藤 円訳
疫病の影響/ヨーロッパ人到来以前のアメリカの人口/「民主的で道徳的な」ピルグリムズ/ピルグリムズの協力者たち/起源神話としての感謝祭

第4章 赤人の目線から 鵜月裕典訳
歴史教科書のなかのインディアン像/文化接触とインディアン文化の変容/インディアンになったヨーロッパ人/インディアン文化の貢献/インディアン戦争は戦争でないのか/植民地争奪戦争とインディアン/一八一二年戦争とインディアン/戦争に代わる選択肢/インディアン文化は生き残れるのか

第5章 『風と共に去りぬ』 竹本友子訳
    ——アメリカ史教科書の目につかない人種差別主義
奴隷制をめぐって/人種差別主義の原因/建国の父祖と奴隷制/奴隷制と対外政策/ダグラスとリンカン/南部連合の再建神話/「どん底」の時代の人種差別主義/その後の人種差別主義

第6章 ジョン・ブラウンとエイブラハム・リンカン 竹本友子訳
    ——アメリカ史教科書の目につかない反人種差別主義
ジョン・ブラウン——狂信者か殉教者か/リンカン——奴隷制の告発者/南部連合内部の矛盾/再建期の理想主義

第7章 機会の国 鵜月裕典訳
貧富の格差と学校教育/階級的成層化と社会的流動性

第8章 ビッグ・ブラザーを監視して 近藤淳子訳
    ——教科書は連邦政府についてなにを教えているか
「国際的にいい奴」アプローチ/多国籍企業と合衆国の対外政策/アメリカの六つの謀略/公民権運動とFBI

第9章 記憶の奈落の底へ 白井洋子訳
    ——消された少し前の過去
歴史教科書のなかのヴェトナム戦争/無視されるサシャ

第10章 「進歩はわが社の最も重要な製品である」 篠田靖子訳
    ——ジェネラル・エレクトリックス社のモットー
進歩の理念/進歩の代償/魔女が歌う「進歩」の歌

第11章 歴史はなぜこのように教えられているのか 富田虎男訳
「現在を支配するものが過去を支配する」/教科書の採択過程/執筆者の責任か/教師の怠慢か/検閲は必要か

第12章 このように歴史を教えるとどういう結果になるか 富田虎男訳
生活に根づいた歴史教育/「ヴェトナム練習問題」/忠誠と社会化

結 び これからの嘘——どう対処すべきか 富田虎男訳
歴史教育の改善に向けて/新しいアメリカ史像の探求

引用:http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7503-1831-8.html

本の題名:『 アメリカの歴史教科書問題 先生が教えた嘘       
       LIES MY TEACHER TOLD ME』
本の著者:ジェームス・W・ローウェン
監訳:富田虎男
出版:明石ライブラリー60(明石書店)
出版日:2004・1      

一枚の写真:「へれんけらー」
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-1d1b.html

そりゃそうと、かささぎはこないだ、昔のテレビ映像をだらだら~とみていたのですが、お茶の間、卓袱台が健在だったあの懐かしい昭和の御世に、加藤茶「ちょっとだけよ~」って言っては、にゅ~っと画面に突き出された一本のむくつけき足は、いったいなんであったのでありましょうや。

すぐ話をそっちへもっていく。笑
なんでも共有していたあのころ、全てが暗黙の了解の上に成り立っていた。
知らず知らずに教育されてきた。
これはおもてにだしていい、これはだめ。
ってふうに教えられていたのだと今になって思い至る。

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