クレヨンしんちゃん、サヨナラはいうまい。
クレヨンしんちゃんの作者がなくなりました。
とてもこどもがしんちゃんを大好きでしたので、作者のことはほとんど知らないにもかかわらず、お悔やみ申し上げます。
今朝、き坊の棲みかの大江希望ブログにいきました。
以前チラッとよんだアメリカでは今オバマ大統領への抗議デモがすごい規模でおきているっていう件をもう少し詳しく知りたいと思って。そしたら、おもいがけずここで臼井さん追悼文をよみ、しみじみとした気分になり記事をいただいて帰りました。以下、引用文です。
「クレヨンしんちゃん」の臼井儀人の遭難のニュースで、わたしが最初に注目したのは、つぎのフランスのブログを紹介する「サーチナ」で、フランスで人気だったというもの。ただしこの「サーチナ」は、遭難者がまだ臼井儀人であると確認される前の段階。
19日朝、群馬・長野県境の荒船山で男性の遺体が発見された。この遺体は、11日から行方不明となっている『クレヨンしんちゃん』の作者、臼井儀人さんの可能性もあり、警察で調査が進められている。フランスでも『クレヨンしんちゃん』はフランス語版で約20巻が出版されており、人気となっている。
漫画に関するフランスのウェブサイトTAITEI NO KENでもこのニュースが取り上げられ「遺体の身元は明らかでないが、臼井さんである可能性がある」と報じられた。この記事のコメント欄には「最初に読んだ漫画の一冊が『クレヨンしんちゃん』だった。もし臼井さんが亡くなっていたとしたら大変悲しい」といったコメントが寄せられており、フランスの漫画ファンの間でも臼井さんの知名度が高いことがうかがえる。
また、遺体の身元がまだ判明されていないことから、「孤独に亡くなり、誰にも発見されなかったかもしれないことを思うと胸が痛む。もし遺体が臼井さんでなかったとしても、悲しい出来事だ」とこの事件自体を悲しむ声も挙がっている。(サーチナ9/20)
類似の臼井遭難を惜しむファンの声は、いまは中国や韓国からの報道にもある。
わたしは「クレヨンしんちゃん」は好きで、単行本を20冊近く持っていたと思う。06年春の転居の際、放棄した。わたしはアニメを見る習慣はなく、「クレヨンしんちゃん」のアニメはほとんど見たことがない。面白そうなマンガを知ると、古本屋に出かけていって一気に10冊程度買ってきて、それを繰り返し読む、という“何周遅れかのランナー”のようなファンである。
臼井儀人と確定したとき、“しんちゃんが丸い目に涙一杯溜めて泣いてるだろう”と、倒錯したイメージが湧いた。合掌。 (大江希望・文)http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo0909.htm#saisin
▼ かささぎの追悼文
しんちゃんのどこが好きかといえば、下品なところでした。
おしりを出してはもちあげて、フリフリってしたり、おちんちんを出してはぞうさんをやったり。まことに男の子らしいやんちゃなところがかわいくて楽しかった。
とうちゃん、かあちゃん(ミサエと呼び捨て)もいっしょけんめい生きてるかんじがすきだった。みさえさんの九州弁がたまにでてくるのも親近感もてた。
春日部に住んでたしんちゃん。
二年前夏に東京の昭和館でアナウンスが春日部小学校のみなさん、お集まりの時間ですって聞こえてきたとき、あっしんちゃんがきているかもしれない!とかささぎはすぐに思ったくらい身近なアニメヒーローでした。
しんちゃんをエッチなこどもに仕立てた臼井さん。
どんな素顔の人だったのでしょう。
かささぎはクレヨンしんちゃんを読むと、欲は聖なるもの、ほとばしるものである。
というような密教の思想を思い、はればれと解放されるのでした。


『冒険者たち』はけっこうファンが多い。これをパクった日本映画もいくつかあって、1981年の『冒険者カミカゼ』は軍艦島(端島)でロケしてます。そして偶然ながら、最近近くの図書館から『軍艦島1975 模型の国』というドキュメントDVDを借りてきたばかり。
『ゲッタ・ウェイ』もよかったですね、サム・ペキンパー監督作品は好きなのが多かった。大学に下駄履きで行った時、友達が言った「下駄・ウェイ」という下らないダジャレまで思い出してしまった。
好きな日本の女優さん、書き忘れてました。八千草薫や小津安二郎作品に出てくる若い頃の香川京子~でも決してマザコンではありません、為念。そして60年代末から70年代前半にかけての梶芽衣子が最高の好みかも。クエンティン・タランティーノにまで影響を与え、「キル・ビル」シリーズではクライマックスで「怨み節」が流れるし。あ、「キル・ビル」って御存じでしょうか、千葉真一や栗山千明などが出ているバイオレンス映画だけど、日本人が馬鹿にしやすい日本映画が、映画の本場ハリウッドなどでいかに評価されているか、日本人よ、もっとわが国の文化を見直せ!と、またこんな時だけ民族主義者になる私であった。