医療と統計学 保険料滞納率と無保険高校生数との乖離の理由
保健医療経営大学学長
橋爪 章
2009 年 12 月 22 日 火曜日
福岡県の国保(3)
資格証明書世帯調査で無保険高校生数が多いとされた福岡県の市町村は、福岡市、北九州市、飯塚市、水巻町、太宰府市、宗像市でした。
国保の運営主体は市町村であり、滞納率も市町村ごとに異なります。
福岡県の滞納率ワースト10は次の通りでした。
世帯数 滞納世帯数 滞納率
嘉麻市 7,812 2,402 30.7%
香春町 2,154 602 27.9%
川崎町 3,290 863 26.2%
糸田町 1,680 437 26.0%
福岡市 216,408 53,536 24.7%
うきは市 5,114 1,260 24.6%
粕屋町 4,898 1,204 24.6%
行橋市 10,394 2,528 24.3%
新宮町 2,736 660 24.1%
久留米市 45,422 9,266 20.4%
無保険高校生数が多いとされた市町村は、必ずしも滞納率が高い市町村ではないようです。
水巻町も宗像市も10%未満です。
なお、滞納率が低い市町村は次の通りです。
久山町 1,119 54 4.8%
みやま市 6,408 304 4.7%
上毛町 1,249 50 4.0%
矢部村 324 12 3.7%
星野村 579 20 3.5%
ところで、滞納世帯への資格証明書の交付率が高い市町村は次の通りです。
世帯数 滞納世帯数 交付数 高校生数 滞納率 交付率
太宰府市 9,890 997 628 59 10.1% 63.0%
宗像市 13,029 908 565 55 7.0% 62.2%
直方市 9,312 894 487 25 9.6% 54.5%
水巻町 4,974 471 244 60 9.5% 51.8%
岡垣町 4,697 274 136 12 5.8% 49.6%
豊前市 4,374 329 130 3 7.5% 39.5%
中間市 8,049 683 238 11 8.5% 34.8%
広川町 2,839 226 76 0 8.0% 33.6%
飯塚市 20,428 3,627 1,137 62 17.8% 31.3%
北九州市161,666 22,315 6,830 249 13.8% 30.6%
宮若市 4,756 62 185 5 3.1% 9.7%
福岡市 216,408 53,536 4,334 439 24.7% 26.8%
資格証明書世帯を調査する手法ゆえに、結果として、資格証明書交付率が高い市町村で数多くの高校生がカウントされているようです。
福岡県は、人口が多い福岡市や北九州市での交付率が高かったため、全国調査の1割以上の高校生がカウントされてしまったものと思われます。
滞納率が高い市町村や他の都道府県には、資格証明書が交付されていない世帯に、相当数の高校生が無保険状態にあることが推定されます。
(保健医療経営大学『学長のひとりごと』を転載)
▼かささぎの独り言
なるほどそうでしたか!
ぱっとみて、滞納所帯は福岡県では筑豊地方に多い事に気づく。
筑豊はかつての産炭地です。
かささぎは以前の職場で政治にお詳しい方から、こういう話をきいてぶっとんだことがある。筑豊には福祉職員が二百名以上もいると。こういうことは普段なんの話題にもなりませんが、考えてみる必要のあることだと思います。知らないでいた自分が恥ずかしかった。
行政の保護に依存する体質を作ってしまってはいけない。
今、こころある人たちは、皆感じているはずです。
こども手当てを恐れるのも、それです。
偏見をもって物事を見、差別するのは悪です。
ですから、冷静に実態を調べ、それを分析する目がほしい。
ところで、きのうの西日本新聞朝刊のトップに、アフガンで地道なとりくみをされている福岡の中村哲医師の寄稿が載っていました。
アメリカが兵を増員しても、なにもよくならない。
外地からアフガンの内戦に介入しても悪くなるだけだ。
いずれ皆それに気づき、出て行くしかなくなる。
現地の人たちはもう十年を越す戦争につかれ、慣れっこになっている。
戦よりまず食うために、畠を。気づけば柳川のようなクリークが、あるいは筑後川にも見られるような水路の知恵が・・・というふうにいくつもできていて、今は麦の芽のそよぎが見られる。声高に論を主張せずとも、この国とわが国は水を通して結びついているのだ。
・・というようなことが、淡々と格高い文章でつづられていました。
感動します。
と同時に、きのう返却期限にせかされ読了した『鷺と雪』の時代性に、思いをいたさずにはおれなかった。
この小説には何が書かれていたか。
戦前の、(戦がおきる直前の)、時代性が書かれていた。
善悪を超えた時代性。なんの時代性か。戦の必然性。のようなものの。
北村薫、感じ取っている。考えている。
時代の跫(あしおと)。


八女市横町町屋交流館の企画展「上妻歳時記」に母と行ってきました。
企画された橋本長年(平田在住)氏が丁寧に解説くださいました。
たまたま松田久彦氏もおられたので、お話することができました。
高橋昇氏関連展示の前に長くいたのを観察しておられたらしく、松田氏曰く、
「高橋昇博士だけでも企画展を開く価値がある」
寺田天満宮の広田弘毅の揮毫の写真もありました。
橋本「いろんな人に訊ねたのですが、なぜ広田弘毅がここに揮毫しているのか謎なのです」
母「渡辺鉄工所の重役だった室園さんが口利きして依頼したんでしょ?」
橋本「ありがとうございます。調べてみます」
お礼にカレンダーをくださいました。
母は生き字引です。
投稿: 乙四郎 | 2009年12月20日 (日) 16時02分
上妻歳時記の企画展にさりげなく置いてあった文献ファイルをぱらぱら捲っていたら、福岡県の「庚申講」について書いてあるページが飛び込んできました。
琵琶法師を招いて庚申を通夜で過ごすような風習が福岡の各地にあったらしい。
室町時代頃から。
庚申塔、というのもあるらしい。「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることが多いとか。
いろんなものが連句的に繋がってきました。
企画展は24日までです。
投稿: 乙四郎 | 2009年12月20日 (日) 16時31分
さっきバイト先から大むすこがケーキを二個もって帰ってきました。四千円分も買わされて。雪のおうちみたいなケーキ、二切れできもちわるくなった。クリーム多すぎ。これでクリスマスには何もないぞ・・。ひ~
土曜のキャンドルナイトはいかがでしたか。
こちら、朝は母たちを院へ送迎し、昼は三者面談、院の忘年会が夕方からでした。大むすこはバイト、小も用事があり、とうとう参加できませんでした。
ぼんやせいこさんやえめさんまりさんたちと、来年こそは参加したいです。
ひるに乙四郎母上のお顔がふっと浮かびました。
去年は何度か姫野農園の野菜を届けましたが、今年はなんにも届けていません。乙四郎には連句会場を何回もただで使わせてもらうなど大変お世話になっており、心苦しい限りですが、すみません。よろしくお伝えください。そうですか、寺田村のむかしのこともご存知なのですね。長生きしてもらわないと。
甲四郎先生にもずいぶんご無沙汰してます。
ひとつ聞きたいこともあるのです農学博士高橋昇のことで。蝶の学者の話。
以前ブログで紹介した乙骨一族の江崎悌三博士のことで、さる方からお尋ねがあり、また聞きの又聞きみたいなお話でしたので、どうしたものかと気にかけながら、そのままにしていました。が、昨夜と今日と再び依頼の電話があり、お話をよく整理しますと、こういうことでございました。
戦時中、江崎悌三博士はシンガポールの植物園か博物館におられたことがあったらしい。そのとき、懇意になられたのがイギリス人のコーナーさんとおっしゃるかたで、その方は回想録をのこしておられる。その父上のことを伝記に書きたい息子さんがいらして、その方は、オーストラリア在住のイギリス人、ジョン・コーナーさんとおっしゃいます。
コーナーさんは名古屋の明石陽至とおっしゃる先生を通じて、悌三博士のご家族にお話をお聞きになりたいそうです。
かささぎはこのことをふせていようかとも思いましたが、ちょうど高橋昇博士と同じ時代のことだし、なにかつながっていそうでもあり、ここにも書きます。
かささぎにご連絡くださったのは、明石氏の教え子さんでございました。(かささぎは明石氏を全くぞんじあげませんし、ジョン・コーナーさんも知りません。しかし、君が代を国歌にした乙骨太郎乙の直系の子孫である、九大の昆虫学者・江崎悌三博士のことをもっと知りたいとおっしゃる方、それも外国の方がおられますなら、できるだけ力になりたいと思いました。あまりにも茫漠とした話でしたので、最初戸惑って、さくらさんへも相談しました。さくらさんは、このような返信をくださいました。ありがとうございました。
姫野様
こんばんは
メールありがとうございました。
下記の内容ですが、姫野さんの文章にしてはぜんぜん意味がわかりません。
誰が誰のことを知りたいのか理解できないのです。
昆虫学者江崎悌三博士の遺族のかたから
名古屋の方から
・・・・とおぼしき方の教え子さん(筑紫野在住)から
書きながら件名を見て、知りたいのは「明石陽至さん」のことだとわかりました。
軍人なのか学者なのか?
当時その方面に行っていた日本人は無数にいますので、その名前は知りません。
今中国にどんどん支店や工場を移して、中国駐在員としてたくさんの日本人が行ってるのと
同じ状況だと思います。
今中国に行っている誰々さんを知っていますか?と聞くのと同じよなもの。
>当時日本の委託統治領であった南洋諸島にも・・・・・
占領政策というとよっぽど悪いことのように教育されていますが国際条約です。
第一次世界大戦では日本は戦勝国ですから、そのときの国際条約で
日本が統治するように決まったのです。
第二次大戦でに日本は負けたので、条約によりアメリカ軍がいるのと同じなんですよ。
またそれらの国(南方の)の人たちは日本人をとても尊敬して好きでいてくれる人が多いのですよ。
今も日本を占領してる(ようなもの)アメリカを、日本人はみな嫌いかというとそうじゃないのと同じです。
嫌いな人も好きな人もいるのに嫌いな人ばかりのように教育・報道するのを偏向教育・報道といいます。
この前長崎カステラの話をちょっとしましたが、おじいさんの戦死について調べ、それを題材にして
小説を書いた青年に今日会ってきました。
小説フリマーというのがあるんですね。
http://bunfree.net/
なかなか奥が深く今日の私はちょっと感傷的になっています。
日本中からたくさんの表現者が集まって盛況でした。
訴えたい、聞いてほしい、自己表現したい・・・・生きていくのは大変だ。
かける人はまだ幸せかも知れないが。
その青年の小説は帰りの駅のカフェで一気に読んでしまいました。
おじいさんが海軍で、1年に1回船が佐世保に入港すると、南洋からバナナをいっぱい持ってくるの
が子供にとってものすごく楽しみだった場面が生き生きと書かれていました。
バナナと一緒にデパートからカステラも買ってきた。
バナナとカステラを楽しみに待っていた女の子は、今日会った青年のお母さんなわけです。
病床のお母さんにその思い出を忘れないために、姉妹から今も定期的にカステラが届けられる
ことに疑問を持ったことから、この青年は「知ろう」と思ったそうです。
姫野さんのこのメールがそのバナナが豊富な南洋の島に関係してるのがとても不思議です。
では、 神崎さくら
投稿: かささぎ | 2009年12月20日 (日) 19時47分
蝶といえば、上妻小学校の小川先生を思い出します。
ご存命でしたら、何か手掛かりをご存知だったかも。
投稿: 乙四郎 | 2009年12月20日 (日) 20時20分
おっとっと、ここで2度読んでやっと人脈がわかりました。
小さな(これから大きくなるかもしれない)国際交流のひとつとして尽力するのもいいことですね。
上の理由ならば、永井菊枝さんにお尋ねするのは大いに理由がありますね。
ところで最近利華さんは永井先生に三鷹で会われたようですね。
そのコンサートのことは見逃して知りませんでした。
知ってれば私も永井先生に会えたのに。
高橋博士のことといい、いろいろとつながりますね。
投稿: さくら | 2009年12月20日 (日) 21時43分