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2009年11月11日 (水)

山茶花

山茶花

国道三号沿い、上津にて。雨の撮影。
石橋秀野の墓前の白山茶花を写しにいきたいのですが。

2009年11月 3日 (火)

着物の人

着物の人

窓辺の花

窓辺の花

2009年10月30日 (金)

カワイイかも

カワイイかも

2009年10月23日 (金)

警備士のいる風景

観音さまの近くで

ぼんがいつか書いてた、遠足によく行った浦山公園の案内板!

2009年10月14日 (水)

国土交通省振動実験車  んー何?

国道三号線上津荒木付近。午前十時過ぎ。

2009年10月12日 (月)

筑後川マラソン大会  3

折り返し地点から四キロ、第二位の走者。

筑後川マラソン大会 1

筑後川マラソン大会

神津呂伊利さん(梶原ろいりーさん)出場のマラソン大会。

大会本部席は、ゆめタウンの北側の河川敷でした。
かささぎは「くるめウス」に車をとめ、ぼんはゆめタウンにとめました。
警備員さんから、ここに用のある人しかとめられませんと注意をうけました。
そこで、ちゃんとくるめウス見学もしました。
これは水神への接近。

参加者4000人はマラソン大会県下二位の参加者数だそうです。

2009年10月 8日 (木)

窓辺の花

午前中、母たちを院へつれていった。
とてもよろこんでくれた。
とうぶん、つづきそう。

2009年10月 1日 (木)

夜のコスモス

夜のコスモス

2009年9月25日 (金)

東合川

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c81c.html

ここの信号停止でよく写真をとりました。
でもこれが最後です。
以前つとめていた職場に挨拶かたがたお給料をうけとりにいきました。
こんどの職場の宣伝もしてきました。
帰宅後、顧問から電話、整骨院のあるじをよく御存知とおっしゃる。
私をよろしく頼むと先生に御挨拶してあげときましょう、とのこと、有難し。
さっすがじみんとういんのロビイスト、顔がひろくていらっしゃる。
かささぎはこのおかたに、政治の裏話を沢山聞かせてもらいました。
やめたのがちょうど選挙前、敗戦の話は聞きそびれたのが心残りです。

2009年9月18日 (金)

竹と椿  night green

竹と椿

整骨院で毎日二時から七時まで働いています。
写真は駐車場にある竹林と椿の大木。
夜のみどり。

ナイトグリーンっていう色を知っていますか。
わたしは娘が置いていった三菱ウオーターカラーの色鉛筆によって知りえました。
とても微妙な色。あおとみどりとくろとのあわい。http://wiki.livedoor.jp/yamashita_so/d/%BF%A7%B1%F4%C9%AE#content_2_2

色鉛筆以外で、ナイトグリーンに言及している文章をさがしました。

ありました。さすがの大島弓子先生です。
「night green」という詩歌集があるようです。
読んでみたいなあ。

大島弓子の「グーグーだって猫である」は見ました。

プラタナス夜も緑なる夏は来ぬ  石田波郷

脳性疾患の後遺症リハビリでマッサージにみえている方のなみだをみました。
先生のことばと施療がうれしかったんだそうです。ありがたかったんだそうです。
かささぎよりひとつわかいおんなのひとでした。

2009年9月14日 (月)

黒木2

黒木2

黒木の山では紅葉がはじまっていた。
スイッチョの蝉の声で目覚めた朝。

調うたまる(俳号)さんの句が胸にのこった。

課題「布」

いつの世も布に置きたるは心内   うたまる

ぬの、が課題で出て、こたえがこれ。こころうち。がひびくよね。

昼の句会では、歌丸さんはこんな印象深い景の句をだされた。

課題「箱」

星月夜積もりしままに朽ちる箱   うたまる
(原句:星月夜積もりてままに朽ちる箱)

積もるのは何。星月夜(月夜のように明るい星空)?あるいは箱?
もしかしたら、積まれしままに、のまちがい?

本人いわく。
古いダンボール箱の上にいろんな葉っぱやら何やらが積もっている、それがそのまま朽ちていっている上に、きれいな星空がひろがっている・・という景です。

これがはじめて俳句をつくった人の句って思える?

さすが後鳥羽院と待宵の小侍従を祖先にもつ人はちがう。

と、単純なかささぎはすっかり魅入られてしまった。

2009年9月11日 (金)

観音さまが左に

観音さまが左に

こないだは観音さまは右にみえていた。

それがパゴダと逆位置にいれかわっている。・・・うごく?まさかね。

選挙がおわったのに、ポスターがまだ撤収されていない。はとやまさーん。

あにじゃはそうりでありまするか。へえー。

かささぎは下品な鳥だからこんなことをおもった。

異母弟を兄とおなじ政治家に育てたはとやまけの家風というもの。
せけんいっぱんのながれですと、めかけの子にうまれた場合、たいがいどまぐれます。
それがそうはならなかった。いったいなにがどうはとやまけではちがっていたのでしょう。

(ちらりときいたはなしでは、せいさいのおくさまがすごかったのだそうです。
でも、たぶんそのおめかけさんもすごかったのでしょう。ははたちのちから。)

2009年9月10日 (木)

通勤路

藤山から祐誠高校の脇道へぬける。
まんなか左寄りに観音さまがマッチのあたまほど。

2009年9月 5日 (土)

希望が丘星人と遠く目が合う柿日和

いつもの景色も風呂掃除の窓から眺めると少し違う。

きょうは久しぶりのお休みでした。
母に頼まれ、午後から母の里の長老伯母(上津の山林に一人で住んでいる)と母を乗せて、母の末妹宅へ火事見舞いにでかける。
恐ろしかった火事の話、昨日ようやく後片付けが済んだ。
火事の廃材は市にすべて無料でひきとってもらえたらしい。
それはどうもエメさんが助言してくれたからみたいです。
(えめさんちは自営のリサイクル業)

叔母は青い顔でやつれたかんじでした。
自分ちのせいでよそさまのお宅を少し焼いてしまったのだから。
(むしろ被害は水を大量に浴びせたせいで家として機能しなくなったことらしい)。
すうじつは家にこもりきりで、あわせる顔がなかったとのこと。
おとといやっとお詫びを言ってまわった、と。
これから莫大な金額の損害賠償が回ってくるだろうと心配してました。

そんな話を母たちはくどくどとはなしている。
そこへわたしが、「みょうな話だけど」と、火事のおかげで就職した話をする。

いつもなんでこう罰当たりなことしか言わないかな。と思いつつ。

だけどもさ、おばさん。
火事のおかげでおばさんちはすっきりと跡形もなく小屋がなくなって広い庭ができたんだし、若夫婦は別に所帯を構えたことだし、老夫婦だけの家なら小屋より庭のほうが絶対いいって。畑にしてなにか野菜でも植えたら退屈しないよ、たのしいよ。・・・

そういう問題じゃないでしょう。   はい。わかっているって。

参照

因縁について:

 「最後のさくらさん」コメント
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-4bde.html

2009年9月 3日 (木)

和田重雄著 『貞享版 黒木物語』

井筒屋古書部ネット販売で入手いたしました。

手にとってわかる。これは借りる本ではなく、もっているべき本。

写真は扉。右の山の上に猫尾城跡、中央奥に高牟礼城跡。

流れる川は矢部川です。

こんどの連句興行は、ここを左にみて矢部川の橋を渡り、猫尾城とは川を挟んだ山上にあるグリーンピア八女でやります。お楽しみに。

郷土の史話(一) 貞享版 黒木物語
 昭和58年(1983)11月3日発行
 福岡県郷土資料調査員
 黒木町文化財専門委員会会長
 編著者 和田重雄

 (資)東兄弟印刷所

「まえがき」にかえて  より幾つか引用いたします。

1 「黒木物語」は貞享五年1692年黒木住人 北川藤左衛門尉作(編)を再起。
 9メートル10センチの巻物一巻である。糊はずれのため、はじめと中ほど二箇所が欠落、それを「調城古談」と「黒木軍記」で補い、原本に近いものへと復元、再編集した。

2 「黒木物語」などの物語本の起源は主として中世(鎌倉以降戦国時代まで、1190~1600)ころの編纂。大衆にとっては読む文芸ではなく、琵琶法師や山伏の唱導する語りを耳で聞く文芸であった。

3 筑後国の「一の宮」久留米の高良大社は、筑後国中の僧侶、神官の総元締であった。
同時に盲僧の元締でもあった。多いときは、二、三千人を数える盲僧を擁し養っていた。
生活費や大社の維持費をまかなうため、芸を仕込んでいた。物語台本を与え、琵琶を持たせ弾じ語らせていた。そして村から村へ娯楽に乏しい山村をまわらせ、町部を渡り歩かせた。そのお布施は高良大社に納め、不自由な身を養ってもらっていた。
二、三千人の盲僧は、高良大社の管理化にあり、盲人座を作ってその監督を受けていました。

4 北川藤左衛門尉の作といわれる黒木物語は、盲僧の弾じる台本だった。が又黒木物語の編集は、紀州国高野山で行われたものとも考えられる。まず高良大社の社僧を黒木地方へ遣わし、鎌倉初期からの素材=話のもとになるものを集めさせ、それを紀州にもっていったと考えられる。
  高野山には、高野比丘尼(女僧)や高野聖(学僧)という唱導文芸家がいて、教祖的文学を創作して広めていた。弘法大使の伝説がそうしてひろまったものだし、ほかにも多い。

通勤路からみえる観音

こんどの通勤は国道三号線がもっとも近い。
ラッシュに遭わねば十五分。これまでの半分の時間。
ちょうどこの聖母子観音像(っていう?キリスト教?笑。まさかね。左のパゴダはなんだろ。以前はなかったような記憶)が見えてくるあたりで車が渋滞し始める。

ごあいさつに一枚。

2009年9月 2日 (水)

少年

少年

2009年8月28日 (金)

佐世保市街

佐世保市街

いとこ運転のセドリック(二十年もの)に乗せてもらって、葬儀に参列する。
途中雨。

娘をなくした伯母は意外にもしっかりとしていた。気丈に耐えていた。

結婚以来ともに妻の病気と闘ってきた御主人が、号泣された。

再び、御船山

再び、御船山

「武雄競輪」出張したときに見えた独特のみふね山の形。

御船山の山頂には住吉の神を祭る祠があるらしい。

http://www.sairosha.com/yama/mifuneyama.htm

 後尾にて車掌は広き枯野に飽く 小川双々子*

▼ かささぎの連句的

 船尾にて水夫(かこ)は真広き海に飽く   姫野恭子

* 小川双々子句の引用

『円錐』42号(2009・autumn)所収『戦後派俳人の青春性』澤 好摩

参照記事:俳人・小川双々子について

「小川双々子を悼む」:http://www.geocities.jp/haikumomoka/sousousiwoitamu.html

朝の大豆畑

朝の大豆畑

一月でこんなに大きくなるなんて。母が植えたものです。

2009年8月27日 (木)

筑紫次郎

仕事帰り、三潴図書館でぼんと待ち合わせ。

それなのに一枚。

ずっとずっとここの写真が撮りたかった。

ぼんから、『わがふるさと 高三潴概説』を借り受ける。

2009年8月26日 (水)

丘の上の建物

丘の上の建物

たとえば、こんなこと。
ビルの最上階の角部屋に住んでいるのは過去からきた宇宙人で、アンドロメダ星人。
ときどきうちの窓をのぞきこんでいる。
わたしもときどきのぞきこんでいる。
目があう、と、すべてがみえる。

(そうだよ、くうそうだよ。)でも、そんな雰囲気しない?
こないだ、この裏側を通った、偶然。
おなじ建物を反対側から仰いだ。
写真を一枚撮ろうと思ったけど、信号が青になった。

農家の中庭

農家の中庭

我が家ではここを「中庭」と呼ぶ。
どこが中庭、って思うでしょう。
軽トラのむこうは大きな冷蔵庫、むかし、イチゴを冷蔵してた。
ここに馬がいたんです。
馬小屋だった処。ですから、中庭。

2009年8月19日 (水)

くるめウスって何?

▼「くるめウス」の名称

 「クルメウス」は、ニッポンバラタナゴ(学名:Rhodeus ocellatus kurumeus)の別名です。
久留米市周辺では「シビンタ」とも言っています。
 春になるとバラの花のような虹色に輝いてとてもきれいな魚です。
1900年代のはじめに久留米市の筑後川で採取され、基準の標本となったことから「クルメウス」という名前がつけられました。
 昭和28年の大水害から50年の節目につくられたこの筑後川発見館は、愛称募集により「くるめウス」と名付けられました。
(以上、どこかからのコピペ。)

昼はゆめタウンの筑後川に向いた駐車場でお弁当を食べた。
そこからこの建物がみえた。
ずうっと前からそこに何かがあるのは知っていたけど、今日まで、これが昭和二十八年の久留米大水害を記念してできたものであることをしりませんでした。

2009年8月18日 (火)

保健医療経営大学パンフレット

大学の宣伝入りのティッシュを、うちの事務所の竹ちゃんが柳川駅頭でもらった、といって、私にみせてくれました。

竹ちゃんはかささぎの隣の席のまじめな一休さん。

社長は、「おい、たけ!」と呼び捨てしてる。笑

2009年8月15日 (土)

八女~戸畑 5

15日(15:12:21)

車が雨の中で渋滞します。
坂をおりると道がちがっていることに気づきました。
ここで引き返します。

ふと上を見たら、工事途中らしき高架。

坂の上まで引き返し、200号線と三号線の交差点まで戻り、
そこから左へ折れたら、左に井筒屋のいつも通る三号線に出ました。
ということはここは黒崎?八幡?

八女~戸畑 4

15日(15:02:56)

国道200号線の終点(始発点)がみえています。
青い案内板をみれば、三号線ともうじき交わり、その交差点で右へ曲がれば戸畑へ行けると解るのに、かささぎあたまではこの案内板を見ても戸畑という字がないため漠然としすぎていて、右か左かがとっさにはわからず、まっすぐ行ってしまいました。
そしたら、斜め左へ上る道があって、次の写真。

八女~戸畑 3

15日(14:44:06)

どこか不明。信号の地名、離れすぎてわからない。

八女~戸畑 2 

15日(14:15:40)

冷水峠では大雨。前回200円とられた通行料が只でした。

嘉穂劇場:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E7%A9%82%E5%8A%87%E5%A0%B4

八女から戸畑まで  その1

15日(13:43:20)

国道200号線(八幡西区~筑紫野)の始まり近くのところです。(じゃなくて終点ちかく)
北九州までいつも高速道路ばかりで行っていたのをやめて一年。
三回目の今回は200号線の終点(始まり)がどこかはっきりわかった。
写真をとったし、迷いもしたから、もう次からは大丈夫。

200号線は旧長崎街道の一部だった、とあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93200%E5%8F%B7

2009年8月11日 (火)

八女の農道

納楚ー宅間田間の農道。
向こうが北東でしょうか。

2009年8月 9日 (日)

イチジク畑

イチジク畑

「しめごろしのいちぢく」どす。

(しめころしのいちぢく・・勢いがありすぎて、ほかを殺してしまう)

これは、先日ちょこっとたからさんのコメントに出てきた、山口の山本伽具耶さんから教わった。

ののさまと風のかたちで咲く菊と   山本伽具耶

いちごを三十年近く一人で(ほんとは一人じゃない)栽培してきた母は、すんなりと農業をやめることができず、つぎに手がけたのがこれでした。いちご、いちぢく、いちゐの実・・・なにか句がよめそう。

山本伽具耶さん近況:

「週に二日はパンやケーキを焼き、配達しています。
英会話も再開し、パン教室やお菓子教室にも通い・・・」

かぐやさん。また連句をしようよ。俳句、とってもセンスあるよ。
たからさんが覚えていてくれたものね。

どうぞ

どうぞ

除草剤かけてくれたる見舞あり     恭子

前掲のふうちゃんは叔父である私の父の入院に際し、この広い畑に除草剤をかけてくれました。手術の日、疲れた顔で病院の家族待合室に現れて、「おっちゃんな草取りの気になっておちおち寝てもいられらっしゃれんじゃろうち思うて、除草剤ばかけてきた」といいました。

その後、きれいにトラクターで鋤いて、整地してくれた。

はい、どうぞ。なんでも植えてください。

ふうちゃん

ふうちゃん

遠景のふうちゃん。中央に一輪車をおしてゆく姿。

2009年8月 6日 (木)

久留米図書館城島分館

酒蔵かとおもった。

とてもすてきな図書館でした。
『砦に拠る』松下竜一著(ちくま文庫)が閉架にあった。

筑後平野の夏木立

城島のきれいな体育館で、久留米図書館の城島分館はどこですか。
と尋ねたら、そこにいた人が「わたしのあとについてきてください」と車で先導して、親切に教えてくださいました。

2009年8月 2日 (日)

道路案内の看板

2009年7月31日 (金)

お浄土の花

お浄土の花

百合

百合

2009年7月30日 (木)

雲のクロール

2009年7月29日 (水)

病院玄関前

病院玄関前

(『回帰』椎窓猛先生の詩碑があります。)

父、術後一週間。
傷跡がきれいになっていました。
お風呂に今日は入れたそうですし、食事も今日から普通食になりました。
研修生がずいぶんよくしてくださるそうで、介護の母も助かっています。
病院のちかくの学校に通う次男がまめに父を見舞ってくれます。
これは意外なことでした。
とにかく、よかった。
この調子ですと予定より早く退院できそうです。

2009年7月23日 (木)

父 腹切り翌日

父 腹切り翌日

父、胃がん摘出術後一日目

2009年7月22日 (水)

遠足じやないのに

遠足じやないのに

2009年7月21日 (火)

星の文化館にやまぼうしがさいてた頃

星の文化館にやまぼうしがさいてた頃

2009年7月20日 (月)

新聞バッグ

新聞バッグ

鍬塚さんが作ってくださいました。ありがとうございます。大事にします。

2009年7月18日 (土)

蝉の庭

蝉の庭

鳴いていたのは油蝉でした。ジジー・・・

少年

少年

高校生の次男の友人のです。
子も何度か原付を取らせて、と哀願しましたが、父親が説得しました。

2009年7月17日 (金)

八女にすむということ

  写真撮影:青翠えめ

えめさんのとこからかっさらってきた。

この風景、たぶんあそこらへん。

天と地のみづ響きあふゆふぐれは
雲を踏みふみ何処へかへる   恭子

(巨泉のはっぱふみふみをひさしぶりに思い出した。)

引用元:http://hatue62.seesaa.net/article/123457393.html?reload=2009-07-17T08:03:04

2009年7月14日 (火)

高校の北窓から見える八女丘陵

三者面談。(三階の窓から)

2009年7月13日 (月)

日本農業新聞

があったので、なつかしくて一枚。ぴんぼけですが。

写真は田門くんという名の田んぼ用の小さな水門、一定の水量になったら、電動で感知して調整してくれるらしい。いそがしい二枚舌、じゃなかった、ほれ、なんていう?兼業農家!その兼業のサラリーマン農民に、わざわざ会社を休んでまで田まわりしなくてもいいようにと、開発されたものらしい。んで、最大の欠点は無線ではないので、草刈のとき、ひっかかる。
なんてこったい。

2009年7月 9日 (木)

梅雨明け間近

梅雨明け間近

クリックして150パーセントの倍率でご覧ください。
中央右よりの空間にとんぼ宙吊り。
そのおなかの下を白い点三つとなって自転車の少年が帰る。

2009年7月 3日 (金)

朝から土砂降りの日

朝から土砂降りの日

久留米市旗崎の踏切

2009年6月21日 (日)

寺にて

寺にて

桜島パーキングエリア

桜島パーキングエリア

朝の七時半。

2009年6月 2日 (火)

かるらがいた。

かるらがいた睢

下段の左から二番目が「かるら」です。
博物館でもらったビラ。

(らくがき:カンリンという楽器は高僧の大腿骨をつかって作る。

びっくりしたから、ついメモってきた。
博物館に展示されていたのはホネではないようでした。)

2009年6月 1日 (月)

国立博物館

国立博物館

2009年5月29日 (金)

星野村役場のアンテナ

星野村役場のアンテナ

行空の碑 下部

行空の碑 下部

行空の碑

行空の碑

 行空上人廟所法会記念

 高野山別格本山本覚院は行空上人が黒木大蔵太夫と待宵小
侍従の請により 建久年間に建立された名刹である その縁
により上人この地方に行化すること屡々 終に文永年中星野
村に於て九十才を以て遷化せられた 因って廟所を構えて祀
り爾来篤信の有志これを護持し今日に至っている 昭和五十
九年三月十一日本覚院第三十八世住職稲葉義猛大和尚を導師
として 九州在住の本覚院法縁の住持諸徳この碑前に参じ
また村民挙げて此処に参詣し上人の第七百五十二回忌法会を
修し 上人の遺徳を追慕し菩提を祈念する 茲にその勝業を
記念して永く留むるものである

行空上人の墓

行空上人の墓

星野村指定文化財
高野堂「行空上人」の墓(史跡)

 行空上人は天台宗を学び、さらに真言宗門下に修業した後、源空(法然上人)の弟子となって浄土思想・専修念仏の普及に努めた僧で、一宿上人とも称されます。
 『元享釈書』には、年九十にして鎮西に没すとは記されていますが、念仏一念義を唱えた罪により追放されて後の、行状や没年については不詳とされています。
 『郷土史物語』(江頭享)には、天福元年(1233)七月六日、星野村と黒木町を境する高牟礼峠を越して星野谷へ下る途中、縫尾久保という所で亡くなったとあります。
行空上人の旧墓塔にかく記されていたように書いてありますが、今日ではそれを確認することができないのは残念です。
 『高野山本覚院因由並ニ筑後国檀縁之由来』には、最終の行化(ぎょうげ)文永年中(1264~1273)、星野村にて年九十、口中より光明を放ち仏舎利を吐いて掩化(えんげ)せらる、とあります。
 いずれにせよ星野谷の人達は、遍歴の途中この地で亡くなったと信じて一堂を建て、遺徳をしのんできました。五十年ごとに高野山本覚院講坊から使僧が来訪して、供養が営まれてきました。現在の墓塔は、宝暦十年(1760)に改修されたもの*で、次のように刻まれています。

 高野山講坊先師行空上人

  時宝暦十天三月 日**
   講坊法印弟子
    戒浄 建之

 また玉垣には、嘉永三庚戌(1850)正月、講坊之建、とあります。
 ところで、行空上人の話は、黒木氏や待宵小侍従との関わり中で説かれます。
また高野山本覚院は、待宵小侍従によって建立された講坊(元禄年間に待宵小侍従の法号に因んで、本覚院と改称された)を起源とします。
 そのいきさつについて学び『高野山本覚院因由並ニ筑後国檀縁之由来』から引用しますと、

(前略)小侍従一子を生むに牛(うし)たり。哀(かなしみ)殺して葬る。媱逸(いんいつ)の難縷陳(るちん)して済度(さいど)を願ふ。上人応請(おうしょう)して、宿世の因縁輪廻し現世の業報(ごうほう、極善極悪ハ中有ナキ理由)遁れ難きを説示(ときしめ)す。大蔵太夫並に侍従等大に懺悔し厚く帰依す。此(ここ)に於て業障消滅家運長久の為、資財を擲(なげう)ち上人に依願して、高野山に講坊を建立し、次いで十二坊を建てて諸(もろもろ)の修業者を供養し聴講に資するを、待宵の十二坊と云。(後略)

このような縁(えにし)によって、筑後と高野山本覚院とは深い関係を持つようになり、今日なお続いているのです。

  引用「星野村史」 星野村教育委員会編より

*その後、数度の改修が施されてきたようです。
かささぎの旗が尋ねて行ったお堂には、平成十三年の印が入っていました。
また、お堂へ登る村道ももうじき舗装されると伺っています。
**
現在の墓塔には天文年号が彫られています。
このずれがなぜなのか。ふたたび混沌としてきました。
(墓塔の側面の文字をうっかり読み損ないました。)

  

2009年5月27日 (水)

板子一枚下

板子一枚下

前世も宿世も今生も板子一枚下は地獄。

少女

少女

歩道橋の中へ少女達が弾むように自転車を押して入っていく。

2009年5月26日 (火)

星野 こうやんどう

星野 こうやんどう

写真は4月23日ころのものです。
まだ取材にいっていません。
きのう、星野から再び原口さんがおみえになり、新茶を戴きました。
おいしい星野の黒木谷のお茶です。
そろそろ行って確かめたくなってきました。
この墓は行空の墓というけど、それではなぜ年号は天文年間のものなのか。
いま、五木寛之の『親鸞』に行空が出てきますので、注意して読んでいます。

一連の高野堂関連の写真資料:
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/cat549968/index.html

2009年5月25日 (月)

金 美齢先生

金 美齢先生

講演がおわって、帰られる先生を見送って。

非礼も省みずこの一葉を撮らせていただいたのには理由がある。
手前の深々とお辞儀をされているかたが気になっていた。
らんちゃんと私は二時間近く前から会場の前にて待っていた。
一番乗りだろうと思っていたが、とうに先客がいらして、それがこの方でした。
始まるまでの長い間、途中で別の場所に並んでくださいとの指示があった。
おばあちゃんはゆっくりと移動され、せっかく一番にお見えだったのに後方の列に入られた。
講演中もどこの席できいておられるだろうと妙に気になった。
最初はこの下段の写真のようにお偉いさん用に席が設えられていた。
ところが空席ができ、直前に四列目のわたしたちは最前列へ移動した。
それでも後ろを見渡せば、いつのまにか満員。

金美齢先生はまことにあざやかな登場をなさった。
うすいピンクのジャケットに黒のスリット入りのロングスカート、大きく胸のあいた所にショッキングピンクのロングスカーフを垂らしておられた。そして黒のハイヒール。
とってもおしゃれで、ほんとうにかっこいいのである。

壇上にあがられ、まず国旗に対して深々と一礼なさった。
(おりられるときにも、日本の国旗に対して深々と礼をなさるのである。)
おそらく、金美齢先生はお着きになられたばかりだったのではなかろうか。
上られるや、水をあけて飲もうとなさった。
ところが、そのミネラルウオーターのキャップが開かないのだ。
困った先生、どなたかあけてくださいませんか。
とおっしゃったけど、広い会場のだれも進み出ない。
最前列のまんまえに座っていたわたしは、はずかしさも忘れ体が動いていた。

それで講演がおわったあと、「さっきはありがとう」といって握手をしてもらえたのでした。

講演会会場

講演会会場

らんちゃん

らんちゃん

2009年5月19日 (火)

暁

マイボスの作品

マイボスの作品

2009年5月17日 (日)

麦の雨

麦の雨

変化:

麦が黄色く熟れました。
窓の下は階段です。
さがっている紐は
火災報知器の紐。
知らないうちに、義務付けられてた。

2009年5月 8日 (金)

柿の木のてっぺん

柿の木のてっぺん

飽きない。

飽きない。

2009年5月 5日 (火)

森林公園久留米

森林公園久留米

花はおわりがけでした。

白つつじ雪崩れてつづく霧の坂

5・4かささぎの旗オフ会。
霧雨ふる寒い一日でした。

真ん中が神津呂伊利さん両脇はぼん夫妻。
ぼんのご主人にも初めてお会いできました。
この写真、よく撮れていましたね。
それぞれの花がよく撮れている。

ぼんのご主人とろいりーさんは共通のキーを持っておられました。
三時間近くかけて新門司から70のバイクでたどり着かれたろいりさん。
ほんとうはくたびれていらしたと思うのですよ。
休む間もなく(与えず!かも。)付き合って下さってありがとうございました。
しまった!とあとで気づいたのですが。笑

ひめのが行ったことなかった森林公園と、ぼん、ろいりさんが行ったことがない八女上陽のおぼろ大橋まで、運転のベテランぼんのご主人が連れて行ってくださる。
知らない道を知ることができました。ありがとうございました。
やはり、山に咲くつつじが、別格で非常にうつくしかった。
天気がよかったら。とはおもわなかったほど、霧も美しかった。

▼ルートメモ

1 ガスト集合。(エメさん紹介店なくなっていた。)
2 たべながらはなしながら二時間半余。
3 一台で森林公園、おぼろ大橋へ行く。
  森林公園へは自衛隊の幹部候補生寮がある道を通った。
  耳納スカイラインから上陽へ抜ける道がある。
4 帰りは上広川へ出る道を通って帰る。
5 サンカクヤ駐車場で解散。四時近く。

リンク引用:

1ぼんさん
http://houyume1150-4.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-f4aa.html
2せいこさん
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-7043.html

2009年5月 4日 (月)

せいこガーデン

せいこガーデン

オレンジ色のガーベラ、とってもきれい。
うしろの物干しに下がっている網のなかには、なんの葉っぱが入っているだろう。
せいこさんちに初めていきました。
昼から高校時代の友がもうひとり(病院スタッフ)来て、世間話をしました。
いいなあ。せけんばなしって。

せいこガーデンのナス畑の一角

せいこガーデンのナス畑の一角

there are six eggplants around the flower

あ。六角堂。ふとおもいだした。

2009年5月 1日 (金)

けむりのある風景

けむりのある風景

2009年4月23日 (木)

星野村高野堂(こうやんどう) 5

お堂の背後から一枚。
寄進者のなまえが書かれていました。
ところが、年号がすこし前です。
ということは、改築になったという意味であると思います。

星野村高野堂(こうやんどう) 4

玉露の覆いには、天然もの(藁でできたもの)とこのように工業系のものと、二種類あるようです。
お堂がまさに玉露園の真っ只中にあるため、周囲を撮ればそういうことの勉強になる。
「黒木谷」という地で、谷の底を県道が走る。

関係ないばってん、どっかから拾うてきました。
連句的モノローグ:http://inaginanzan.k-server.org/gyoroputi.html
黒木谷に向かい合うむこうの山肌があちこち剥き出しです。

星野村高野堂(こうやんどう) 3

高野堂の小さな祠の下に祀ってあるものです。
手をあわせ、戒名をよんで、あれっとおもいました。
次のようによめます。

  天文十六年
高野山講坊先師行空上人
  七月六日 

以下、コメントより引用いたします。

この2年後に荒木田守武没。
接点はなかったろうか。

ちょっとまってくれ。
この、天文十六年という年号は、一体なに。
今日思いついてここを尋ねていったけど、そしてすぐここだとわかったけど、まだ舗装がおわっていなくて、お堂まで本来なら車でも行ける(すぐ横には車どめの空きスペースあり)のにふもとで車をとめてから歩いていきました。日本一の玉露にはこもおおいがかぶさっていて、幌付き玉露畑の真ん中の参道には板が敷いてあった。まだ行ってはいけません。というサインだったようです。先日尋ねてみえた原口さんも、六月が落慶式だって。

最後の案内板の説明をクリックで大きくして読んでください。
謎がいっぱいでてきたね。
天文年間はじっさいの行空上人の死亡年より300年近くあと。そんな過去のぼうさんを、なんでまた墓石に名を刻んで祀ろうとしたのだろうか。
それがまず第一の謎。
つぎに、行空上人自身のなぞ。
なにが悪くて高野山追放の身となったのだろう。
また、なにがよくてそんなに筑後ではもてたのだろう。
ともかく、文献。なにかないかな。

1206年、念仏を唱え他宗を誹謗したと、法本坊行空と安楽坊遵西が流刑されています。さらに、1207年、行空と遵西は、女犯の罪で羅切の刑に処せられています(皇帝紀抄(巻7))。
、です。酔っ払って素っ裸で騒いで公然わいせつ罪で現行犯逮捕され、尿から覚醒剤反応がないのになぜか家宅捜索されてしまうより恐ろしい刑。
行空上人が星野村へ来られた時には、はるな愛さんと同じ改造がほどこされていたというわけです。なるほどモテたかもしれない。
ところで、天文16年の謎。
山鹿に光専寺という寺があり、天文2年(1533)3月に行空が創立したとあります。
もう一人、天文年間に、行空を名乗る高僧がここら辺にいた可能性があります。

広川町にも「高野寺」という名前の寺があるようです。関連あるでしょうか。
また、らせつのけいとはなんだ。としらべたら、ありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%88%91

 

星野村高野堂(こうやんどう) 2

星野村の玉露は日本一です。
そのかげに、このほろに見られるような生産者たちの労を惜しまぬ
愛情がある。
この覆いを掛けるときは、人の手を数人分借りてこられるとのことです。

以下、コメントより引用します。

星野の茶畑風景ですね。
玉露になるのです。
被いのしたにはひそやかにこぶしを掲げる準備をしているお茶の新芽が息づいているはず。

例年、この星野の玉露をいただくために観月会に通う。生産者のおじさんたちが朴訥な口調でお茶の入れ方をご指南くださる。

来週は霜が降りる予報がでていた。お茶生産者のみなさん、気が気じゃないことだろう。

帰路気づく俎板工場星野村

昔詠んだ句のその俎板工場(星野村へ入ってすぐ)のあたりから右へ入ってゆくと、ありました、わかりました。
行空上人の墓だったとは、行ってびっくり。ということは、待宵小侍従の信任篤かったお坊さん。だけど今日ネットで調べた限りでは、なにかが当時の権力にひっかかって捕まっているし、追放されてる。
だけどだけど。源空=法然とおなじ時代の、おなじ空気を吸った人であるわけで。
なんだか、五木寛之が連載している親鸞といい、この突然の行空上人の墓との邂逅といい、ふしぎといえばふしぎです。
ひきよせられてしまうさだめみたいなものが、ある。

星野村「高野堂(こうやんどう)」1

星野村は今、玉露を大切に大切に育んでいる最後の段階。
まだ行ってはいけなかったのかもしれない。
だけど、どうしても気になり、だれの墓なのかを確かめに、
かささぎは取材にでかけました。

はじまり:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-7ed0.html

2009年4月22日 (水)

朝の道

朝八時五十分ころ。国道210号(久留米ー大分)。
マイボスにいわれてしまった。
もう十分早く着くように。
それと・・・

スカートで来るように!

老夫婦

老夫婦

これは四月十日に撮って送信していたものです。
十一日後にかささぎの旗着地。
二週間近くもどこをさまよっていたのでしょう。
この時期、畑の様子、十日でもうぜんぜん違います。

2009年4月17日 (金)

緩衝帯のツツジ咲いたね

2009年4月15日 (水)

考える思う想像する

考える思う想像する

左、中山宙虫。右、竹橋乙四郎。

真剣に句を考えているときのおとこたちはきれいだ。

2009年4月14日 (火)

藤ひとふさ

藤ひとふさ

こでまりと釣鐘水仙

こでまりと

2009年4月10日 (金)

つつじ園(お隣)

つつじ園(お隣)

おとなりの見事な庭を我が家のトイレの廊下から。
ぼたんのピンクと紫、色とりどりのつつじ(わたしはオレンジがいちばん好きです)、マーガレット、ばら、諸葛菜などが次々に咲いて、ほんとうにきれいです。まるで、この庭はかささぎ一家の目の保養のためにあるみたい。

柿若葉

柿若葉

2009年4月 8日 (水)

武雄にて3

武雄にて3

関係者以外立ち入り禁止です。

武雄競輪選手道場にて

武雄へ挨拶回りに同行する。

2009年4月 7日 (火)

目にはりつけてたね

目にはりつけてたね

ベージュ色の細長いコーン状の穂がついた草。
一輪挿しにクターっとしたかんじで入ってますが。
母達三姉妹が星野へ行って、懐かしがって摘んできてくれました。
穂先をとって、まぶたの上と下にブリッジして遊んでいました。
それだけのことなんですが、あまりにもなつかしくって、うれしくて。
ほかに私にとっては、竜の玉もこのたぐい。
一種のたからものみたいに尊いものだった。笑

2009年4月 5日 (日)

お花見

お花見

花を踏む

花を踏む

何の脱け殻?

何の脱け殻?

へれんけらー

へれんけらー

何のさなぎかな

何のさなぎかな

2009年4月 4日 (土)

雲雀はどこでないている

雲雀はどこでないている

攀ぢ登る空の青さや揚雲雀     恭子

http://ja.wikiquote.org/wiki/%E9%9B%B2%E9%9B%80

2009年4月 3日 (金)

百年公園

百年公園

2009年4月 2日 (木)

草

高良さんのさくら

高良さんのさくら

高良さんの御神域の御井町。右へ曲がると御井小学校。
かささぎはいつもこの道を通って帰ります。

2009年3月28日 (土)

戸畑から  帰路4

ふしぎなのは、35号線と思って走ってたのが、いつしか53号線になってたこと。
八女着、十九時五十分。
お疲れさん!!

戸畑から  帰路3

あああ。段々暗くなってきました。休憩無しです。
まだまだ筑前の手前あたり。よくはわかりませんが、35号線の案内が。
案内標識の尖端には久留米の文字が出るようになりました。

戸畑から  帰路2

帰路は完全に道に迷ってしまいました。
こんな海に出るような光景、往路にはなかった。
どうも、海沿いの道を福津方面へむいて走ってたようです。
さっぱりわかりません。ここがどこか。・・・恋の浦?勝浦浜?のにき。

戸畑から  帰路1

はら。はらら。・・・ほれ。ちゃんと正面むきなさい。

帰路、遠賀川を過ぎたあとの風景。

戸畑まで   3

おお。交通誘導員発見。ついシンパシーを感じて写してしまう。
ここまで来るとじき戸畑です。左側に新日鉄のシンボルがみえる。

戸畑まで  2

国道三号線は新と旧道と二つあって、途中でわからなくなります。
昔はたった一つだけだったので、迷うことはなかったのに、今や似たような道路がたくさん並行して走っている。ということがよーくわかりました。ここは八幡近く、桜並木が満開です。それにしても、すごく時間かかってる。笑。ただただハンドル握ってた。きらいじゃないのですよね、運転が。

戸畑まで  1

土日、高速料金がetc搭載車のみ千円というので、混雑を嫌い、はじめて下の道路を通って北九州まで出かけてみました。本当に久々の国道三号線。
これはどこかな。右へ曲がれば、月隈(以前いたところ)あたり。

2009年3月26日 (木)

夕桜

夕桜

みやま市瀬高中学校のさくらを信号から写す。

昨日は保健医療経営大学の英語の公開講座の最終日。
たくさんの人達がみえて、盛況でした。
高校三年の時に英検二級に受かり、短大でも英語を学んだというのに。
単語も文法もきれいに忘れていた。
日常まったく英語は使わないものね。
月に二回の講座で十ヶ月、一応の中級英語を復習したことになるのですが、佐藤教授の教え方はかささぎにあっていたようで、最後まで投げ出さず、かといってがむしゃらにのめりこむこともなく(トシのせい)、自然体で、仕事がおわってからでもちゃんと通えたのはよかった。

新年度もいろいろなメニューで講座はあるようです。
シェイクスピアの古典英語を学ぶコースってのもあるのです。
かささぎはかつてボランティアでやった廃品回収でシェイクスピアのソネット集を拾って大事に持っている。(『円交五号』で乙骨五郎さんが、詩人としてはミルトンがシェイクスピアよりも上だ。なんていったことまでが蘇る。以前れぎおんにスティングの歌とシェイクスピアを絡めて書いたのも思い出します。)
興味はあるけど、俳句を英語に訳すという授業にも興味があるから、どっちか一つだけでしょう。ぼんはいろいろ言ってますが、今度は私が誘うつもりです。
詩のことばを選ぶ作業は、言語の闇に手をつっこむかたちになるから、とても役に立つような気がしています。せいこさんは来れないでしょうか。どうせなら、連句の仲間を誘いたい。

ところで、九州俳句誌153号を読んでいたら、みやま市の俳人を発見。
ご紹介します。

 みやま  森 さかえ

うろうろと過去世現世を凍豆腐
ペンギンをなるほどと思う日向ぼこ
花八手季節の言葉にぎりしめ
玄冬やまぼろしのごと人ゆけり
極月の水のかたさや飢餓草子

森さかえ(男性)の句は、諧謔的であははと笑える句が多い。
しかし、最後の二句にはっと立ち止まる。
ことに、極月の水と飢餓草子の一句は鬼気迫る。
誰かが、今という時代は平安時代の闇に通じるといってた。

かささぎは、大牟田の俳人、谷口慎也さんが開かれた句会で一度だけお会いしたことがあります。あれは何十年前だったかな。
かささぎ、四十台はじめ、若かった。
大牟田の学校のうら若き先生たちばかりの句会にたった一人で乗り込んでいきました。
句会は初めて、まるで道場破りみたいにドキドキ。
みなさまにはもうしわけないが、武装していった。
句風があちらさまの句会とは対極にあると思われる、高野素十のあまり人口に膾炙してない句を仕込んでいき、さりげに自分の句として出した。

結果は勿論というか何というか、一点も入らず。
だけどそれで妙に元気が出て、にこにこ顔で帰った。

そのときの句、まだ覚えているかな。

雪晴れの障子細目に慈眼かな

これはちがうな。これは日本画家川端龍子の義弟の茅舎の句。
これに似た句だった。中七はおんなじ。

なんとかの障子細めに花御堂  素十

(なんとかを思い出せん。或る寺の、かも。)
確認しました。

ある寺の障子細めに花御堂  高野素十

参照記事:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_174b.html

洛北の花背にある地蔵院:http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E6%B4%9B%E5%8C%97%E3%81%AE%E8%8A%B1%E8%83%8C%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E5%9C%B0%E8%94%B5%E9%99%A2&search_x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8&u=www.edita.jp/matsukaze2005/archive/category4-new.html&w=%E6%B4%9B+%E5%8C%97+%E3%81%AE+%E8%8A%B1+%E8%83%8C+%E3%81%AB+%E3%81%82%E3%82%8B+%E5%9C%B0%E8%94%B5+%E9%99%A2&d=DR8Ysp2uSfQy&icp=1&.intl=jp うわっ長!このなかの3月9日、地蔵院(別名椿寺)の五色八重散り椿ほかさまざまな椿。

http://www.arkys.net/hanaharu.html
案内:

地蔵院 じぞういん 京都市北区一条通西大路東入ル 075-461-1263 市バス「北野白梅町」下車徒歩2分

2009年3月22日 (日)

芽木の雨

芽木の雨

芽木の雨一所懸命やさしくて    恭子

きのうまで柿の枝には何も見えなかった
なのに
春雨がやさしくそっと呼びかけると
柿のかぐろい幹がかかげた無数の指先から
いっせいにわっと声をあげて応える
黄みどり色の
葉っぱの赤ん坊たち

2009年3月19日 (木)

カーネーション

カーネーション

むらさき色のカーネーションがきれいで、つい写しました。
去年バラをくれた隊員さんが、贈ってくれたものです。
上の壁にはマイボスのかな書道の作品が無造作に押しピンで貼り付けてあります。
このとても神経のこまやかな、勝気にみえてその実弱いところのある人と、おおざっぱでのうてんきな私とは、ふしぎと気があう。うそがない。という一点で結びついている。

2009年3月17日 (火)

もうちょい

もうちょい

「霧の朝」の写真とおなじ場所。

まだまだ

まだまだ

2009年3月15日 (日)

じっちゃん

じっちゃん

年に一度の村人総出の溝浚い。
じっちゃんが出てくれた。
水路の草を刈ったり、空き缶を片付けたりします。

薄氷

薄氷

人参を洗ひし水の薄氷    恭子

2009年3月 8日 (日)

弥生連句興行於保健医療経営大学

弥生連句興行於保健医療経営大学

歌仙 『海へ拓ける』

      捌  姫野恭子

有明の海へ拓ける春意かな       姫野恭子
  青きカンバス跨ぐ燕(つばくろ)   竹橋乙四郎
雨近し樹々に辛夷のふくらみて     山下整子
  土筆のはかま取りし爪なる      中山宙虫
えんぴつを包丁で研ぐ母のあり     八山呆夢
  色なき風に揺れる電線        東妙寺らん
 
意地張りて遊ぶふりする螽蟖(きりぎりす)  乙
  二人にされてはじかみを噛み      恭
好きすきと月をまはって来るメール     虫
  穴を覗けばみえる魚籠底        夢
この不況侍ジャパン救へるか        らん
  カンパリソーダはいつも饒舌      整
石炭を拾って帰る野川守          恭
  雑巾しぼるしもやけのゆび       乙
八幡の古き鳥居にゐる鳥よ        整
  新幹線の固い槌音           虫
紅白の配置見事に花の庭         夢
  余る寒さも隠国(こもりく)の里    らん


名残表

代々の手を借り吊るす雛飾り     夢
  ぶらんこ漕いだ長ぐつ脱げた   恭
イ短調横一列の四分音符      らん
  小石ころがり山がこはれる    虫
沸点をたやすくこえし罵詈雑言   整
  夕立となる魂ごひの果て       恭
くちづけは長し緑陰深くなる      宙
  猫のぬくもり膝枕にし       乙
藍瓶を守る老爺の庵あり       夢
  何だか自由になれた気がした   整
洋灯宿(ランプやど)余白を埋める二日月  らん
  夜長に閉ぢる読みかけの書(ふみ) 乙

名残裏

小売店皮茸(こうたけ)もある舞茸も   整
  朽ちたるものを潮が引き去る     恭
初御空北に向かひて祈りをり       夢
  これからの季(とき)それぞれの時  らん
あまたある花の蕾のほころびて     乙
  学び舎がある陽炎のさき       宙  

平成二十一年三月七日(土) 10時~4時
於・保健医療経営大学連句の部屋

資料:

キリギリス http://www.insects.jp/kon-kirigikirikirisu.htm

はじかみ http://www.recipe.nestle.co.jp/from1/cook/word/ha/hajikami.htm

魂ごひ  http://protophilosophy.noblog.net/blog/r/10573488.writeback

魚籠  http://www.kousyu.net/dougu-biku.html

石炭拾い  http://www.justmystage.com/home/yagisan/semro.html

イ短調の名曲  http://niseaibon.at.infoseek.co.jp/am-1.htm

皮茸  http://www.ztv.ne.jp/grdymvo1/kinoko/kotake.htm

舞茸  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E%E8%8C%B8


   

2009年3月 2日 (月)

きのうの月

きのうの月

夜の顔を撮ると

写真ってものの正体がわかる

このときわたしの肉眼に映っていたものは

拡幅されたばかりの真新しいたんぼの横道と

道にはりつくようにしてたっている家並み

その眼をすこし上に上げたら

上弦だろうか下弦だろうか三日月と一番星が光っていた

少し先にお墓があるばかりで家も何もなかった昔とおなじ顔で

隣組の花見の話し合い

いつどこでお花見をしようかって話し合いをする宵のこと

2009年3月 1日 (日)

箒木のホーキ

箒木のホーキ

ホーキ草を束ねて作ったほんもの、母手製です。
かどの砂利の上に散らばる枯葉を掃くのに最適です。
パソコンのキーの上を刷毛で払うような感じ。

2009年2月27日 (金)

春の兵六万

春の兵六万

宮の陣・八丁島(はっちょうじま)の信号から見える景色。

兵六万 端間遠望(はたまえんぼう)と同じ信号からの景色です。
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-1dae.html

兵六万 
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-e2f8.html

昨日ここを通りかかったので、以前撮ったのを思い出し、写す。
青いのは麦畑のいろです。

2009年2月25日 (水)

車検切れの車に乗って

気付いたときには車検切れで一日過ぎていた。
でもどうしても今日中に病院に行かなければいけない。
さんざん迷った揚句、その車ででかけることにし、ひやひやしながら
久留米駅近くのクリニックに行き、薬をもらってくる。
その帰り道。
ここを右に曲がると青果市場のある通り、背後は西鉄久留米駅通り。
赤信号になっても直進車が絶えず、とても怖い。
前を堀川おばばバスが通っていたから、くっついていった。
このバスが昔から藤山線を通っていたバスでしょうか。
としたら、なつかしーい。八女から天神まで朝五時半起きで通勤していた頃、利用してた。
西鉄バスにもお世話になったけど、地元堀川バスにもお世話になりました。
高校時代はスクールバスにも乗っていましたし。
軟弱だったので、自転車通学はしませんでした。
息子は自転車であの胸つきはっちょうの坂を漕いで通学しました。
ところで。藤山線、いつになったらもっと道が広くなるのだろう。
と思っていましたが、だいぶ今工事が進んできました。
完成まであとちょっとみたい。
狭い通りを、バスの車体を樹木で擦りながら走っていました。

2009年2月20日 (金)

警備士のいる風景3

警備士のいる風景3

「霧の朝」と同じ場所、ほぼ同じ位置からの撮影です。
信号待ちのあいだに写しました。
去年までブリヂストン関連の何かがあったような記憶。
「霧の朝」のときは更地になっていました。

「霧の朝」:

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-c81c.html

2009年2月 6日 (金)

ロウバイ

ロウバイ

2009年2月 4日 (水)

立春

立春

春帽子つかの間の幸深くかぶる  恭子

2009年1月25日 (日)

雪の山茶花

雪の山茶花

雪の鶯

雪の鶯

2009年1月13日 (火)

黒木田代の神籠石を尋ねて

黒木田代の神籠石を尋ねて

きのう黒木で同窓会の母を送った帰路、田代神籠石を探した。
しかし、わからず。神露淵(じろぶち)まで行った。
どこにあるのだろう。

これ、なんでしょう。なんじょうってなんでしょう。

2009年1月 8日 (木)

高良山から

高良山から

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1674.html

参道石段の下から写した写真↑と比べると、ずっと見晴らしがいいです。
雲をみてると、なぜか坂本繁二郎の放牧三馬が想われました。

2009年1月 4日 (日)

高良玉垂宮参道石段

高良山より千年川を望む

こうらさん

黙契の師ある如し初山河    恭子

2009年1月 1日 (木)

賀正

賀正

かささぎの氏神さんであらせられる寺田天満宮
   (かささぎ重文指定)

みどころ:鳥居(昭和12年の刻印あり)
      「天満宮」の文字は廣田弘毅。
      廣田弘毅は石屋のせがれであった。         

2008年12月16日 (火)

冬の日

冬の日

午後四時十分ごろ久留米市

2008年12月 9日 (火)

大根の月

大根の月

あおいまないたのうえに
きりそこなった
うすい大根の月

2008年12月 7日 (日)

先月の裏表紙

先月の裏表紙

十一月の受託表に誤って落書きメモをしてしまいました。
それを消すため、カレンダーをはんぶん貼り付けた。

2008年12月 2日 (火)

どうだんつつじ 山中渓谷もみじ谷

どうだんつつじ 山中渓谷もみじ谷

2008年11月30日 (日)

奥八女山中渓谷その四

奥八女山中渓谷その四

もみじ谷で一際真っ赤だったのは、岩の向うに少し見えてる低木の生垣。
なんだろうと思って調べてみたのですが、これかな。
http://www.jugemusha.com/jumoku-zz-doudantutuji.htm

(春の季節にまた訪ねると分かりますね。)

窟のお地蔵さん

窟のお地蔵さん

お地蔵さんに顔がない。
藁で編んだ明かりみたいな飾りものが、あたたまります。

あ。よくよくみたら、みあかしではなく、酒徳利かな。
ほんとうはなんでしょうね?右側の藁の。

重箱岩

重箱岩

写真をクリックすると大きくなり、きれいに文字が読めます。

奥八女山中渓谷

奥八女山中渓谷

料理教室が終わって、らんちゃんともみじ谷といわれる山中渓谷へドライブ。
黒木のグリーンピア八女まで車で上り、ゲート近くに駐車。そこから左回りで十八分。
てくてく坂をくだりますと、もみじに挟まれた巨岩があらわれます。これかな?うん、たぶんそう。おじぞうさんまつってあるね。

写真を数枚。
この俯瞰の構図は、山の折り重なる稜線がきれいなんですが、たぶん、最近話題になった女岳と男岳、それと姫御前岳がはじっこにちょこっとみえてるのではないかと思われます。じっさいはこの上のほうにもう一段色が薄くなった山が見えていましたが、写真には出てくれませんでした、なんど撮っても。

2008年11月26日 (水)

多分これが城山

多分これが城山

八女市には山と呼べるほどの山ってありません。
ほとんどの山は郡部にあって、この農道の真正面に見えているとても低い小さなお山(背後の飛形山のこどもみたいな感じの)城山(じょうやま)も八女郡立花町にあります。山下城があったから城山なのですが、地元の者でもそこまでしっかりと把握できている人はあまりいないのではないかと思います。
ただ、漠然とむかしから、「じょうやま」と呼び慣わしてきました。そしてゆっくりとその名前の由来について思うこともなく、あまりの低さ地味さに人々の意識にも上らず、むなしく日を送ってきたのです。(とは、かささぎが城山のきもちになりかわって口上申し上げた次第です。笑)
しかし、戦国の世だった天文二十四年、ここの殿様だったに違いない豊饒美濃守源鑑述(ほうじょうみののかみみなもとのあきのぶ)は部下の侍(ではない農民も混じっていたかもしれない。名前が侍っぽくない者もいるから)23人と、自分の計24人で「夏日侍」(きれいな楷書で題はこう書かれている。読みは、「なつひまち」だと、国文学者で俳諧学者の東明雅先生はかささぎに教えてくださった、亡くなる前の年にです)という百首和歌を巻きました。その作品は99首で終わっています。このかたちは、「いきついてしまえば崩壊が始まる、ゆえに一歩手前で宙ぶらりんのまま、とめる」という文化を意識したもので、ほかには日光東照宮の門などにその思想が見られます。この百首和歌は岩戸山古墳の上にあった神社(今伊勢宮と書かれている)に長い間奉納されたままだったようで、持ち主はいま福岡市内にお住まいであるとお聞きしました。かささぎが持っているのは、役場の学芸員さんから戴いた複写です。とてもきれいでりっぱな書です。この和歌を「九州俳句」誌上で読み解きましたが、いつか本にして世に出したいと思いつつ、もう何年も過ぎてしまいました。読む人が読めば、とても興味深い和歌であろうとかささぎは思うのですが。民俗学的にも歴史的史料としても。原稿、海鳥社に預けっぱなしのまま、もう二年が過ぎました・・・

2008年11月16日 (日)

寺田天満宮注連縄作り

寺田天満宮注連縄作り

はや今年も立冬を過ぎ、注連縄つくりの時期を迎えました。
毎年、父が出ていましたが、今年は長男が出てゆきました。
出かける前、不器用な長男に父が「いいか、こうするんだぞ」と、我が家の農作業小屋で藁のすぐりかたを伝授してから、軍手を持たせ、送り出しました。

写真はうちからケイタイの望遠で距離をつづめて撮ったもの。
落ち葉を焼くけむりが写っていますね。

2008年11月13日 (木)

現場

現場

現場

現場

現場

現場

浮羽郡吉井町。
みのう連山のふもと(ですよね?)

だれもこないし車も数台しか通らない。
そこでじっと立ってました。
社長が交代にみえるまでの二時間半。
いろいろ考えてることがあほらしくなる上天気。
しかも空気がおいしいんです。八女とも違う澄み切った匂い。
するとなにやら石碑があります。
上ニ葉はその接近写真。よめますでしょうか。
(うきはの地名の由来がかかれてありました。)

2008年11月10日 (月)

入り日サンド

入り日サンド

2008年11月 4日 (火)

霧の朝

霧の朝

          久留米市東合川

2008年10月31日 (金)

博多・天神落語まつり

東妙寺らんが「券を二枚もらったから、天神、行かない?」と誘ってくれた。
母がおでんを作ると言ってくれたし、夫は福岡のアジトへ行っていない。気がかりな息子の病状も一段落・・で、出かけることにした。

仕事、三時で切り上げ(明日も出ますからと断わりを言って)、車はエンナンホテル近くの駐車場に入れ、西鉄電車特急で天神へ。三時半ころので四時頃天神着。

電車をおりて、岩田屋ビル(えーと、今もそう?)の南側を西へまっすぐ歩けば、福銀本店ビルがそびえている。若者が沢山歩いている街。歩けば、むかし富士ビルのなかのクリニックに勤めていたころがわーっと激流のように押し寄せ、思わず泣きそうになる。ビルの名前がかわってる。あちこちつぎつぎ変わって来たのだ・・この街は。

受付を済ませ、席次を書いてある入場券を手に、地下街をぶらぶらする。
らんちゃんは動物柄の絵をプリントした服で人気のお店を覗く。わたしはちっとも興味はないけど(笑)、つきあう。そのすぐ傍の店で蕎麦を食べた。そして、落語を聴きに又福銀のホールへ戻る。

落語を聴くの、これが二度目。最初は二年前、博多座で聴いた鹿児島出身の、失礼ながら名前を忘れた、パワーあふれる面白い落語。あんまりおかしかったので、おなかが筋肉痛になった。その人に比べれば、今回の四人の芸は落ち着いていた。でも一人で三十分近くしゃべり続けるのだからすごいよね!私は、林家きくぞうあらため、きくおうさんが面白かった。字はどう書くのかな。おうは、扇の字。

ひさしぶりで笑えた。誘ってくれたらんちゃんありがとう。

もうじき博多の街は秋場所が始まる。

林家木久扇(きくおう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%AE%B6%E6%9C%A8%E4%B9%85%E6%89%87

2008年10月28日 (火)

ひつじ雲

打ち直し打ち直しして秋の雲   恭子

2008年10月24日 (金)

一人

一人

ほんとうは一人じゃない。
みにだっくすふんとのいぬと、きんぎょとこい、いんこのつがい。これだけのいきものがじむしょにはいつもいます。

2008年10月20日 (月)

お見舞い

お見舞い

学校帰りに友達がくれたお見舞いは、おもちゃつきのお菓子。
いろいろ。
これは昔なつかしポケモン指人形のおまけ。
ブラックサンダーという有名なおかしも、おかげで食べることができた。
子が食欲ないから親がたべちゃったのである。みんな、ありがとう。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC

2008年10月19日 (日)

退院の日

退院の日

土曜日、先生の回診が十時から。最後の診察を待っているところ。
執刀なさった先生は若いハンサムな先生でした。(手術のあとで切除した盲腸の実物を見せて、詳しく説明してくださる。あれはあんまり・・)

わたしは仕事があり、今回、あまりついてあげられませんでした。
(この日もこのあと、溜まった仕事をやっつけに行った。)
夫がそのかわり、毎日行ってくれたし、学校帰りに先生も友達もたくさん来てくれました。

退院の日。
教えなくても、息子はちゃんと隣のベッドの人や向いのベッドの人、斜め向いの人(つまり四人部屋だった)たちのところへいって、お世話になりました。早くよくなってください。という挨拶ができていたのは、日ごろの先生がたのご指導のたまものと、うれしくなりました。年配の人に、「おお。しっかり勉強せやんたい」と声をかけてもらってた。

2008年10月17日 (金)

花野2

花野2

                 久留米市東合川町

2008年10月12日 (日)

工事中の月

工事中の月

        2008/10/11 19:45 の 「後の月」

                      (JR久留米駅前にて撮影)

母の軒下

母の軒下

2008年10月 8日 (水)

荒籠のある川

荒籠のある川

八女市津江、矢部川。
矢部川城を挟んで川は分岐しますが、裏にあたる小さい流れのです。
主流にある荒籠が有名みたい。(知る人ぞ知る、川の流れの文化)
高橋甲四郎先生宅を訪問した日、約束の時間に間があり、そのとき写す。

あら、これもあらこだ!とブログにアップしてみて、気づく。

http://www.pacific.co.jp/div/tsukuba/05/200609_01.pdf#search='荒籠'
 http://homepage2.nifty.com/amanokuni/takekago.htm
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/b-064-osen.arako.htm

2008年9月28日 (日)

花野

花野

2008年9月20日 (土)

私の机

ペンケースは、ヤマハのリコーダーケースの再利用。
長いので定規がきっちりと納まります。

2008年9月18日 (木)

社犬

社犬

きららはいくつだろうか。
人間でいえば四十歳くらいかな。
出産したのはことしのことだったのに。
すっかり中年太りの貫禄犬。
いつもは子犬といっしょにベランダの犬小屋にいます。
日に一回室内に放たれると、机の下に来て甘える。
なでてあげると、おなかをみせてふにゃふにゃ。
足の肉球のぽやぽやと爪のかさかさとが触っててきもちいい。
なんかとってもあんしんできる。
自分では飼えないけどもね。(めんどうやし。

2008年9月16日 (火)

朝顔

朝顔

2008年9月13日 (土)

一列だけの芋畑

一列だけの芋畑

田んぼの中の一枚の畑。

なぜここばかり写真にとってしまうのだろう。

十年前までうちの苗代があったところ。

深緑の広い植え込みは茄子、
その左端の広い葉っぱのが里芋。

2008年9月 6日 (土)

蝸牛

昏(く)れんとし幹の途中の蝸牛  桂 信子

2008年9月 3日 (水)

おかえり

おかえり

クレヨンしんちゃんは「おかえりー」と言って帰ってくる。
かささぎには飛びかた山がおかえりーといってくれる。

2008年8月25日 (月)

手押し車とは。

手押し車とは。

久留米の実戦空手道場にて

汗をしたたらせながら、先輩(足を持って下さっている高3生)後輩(高1)一組になり手押し車という名の稽古をしてる写真です。足をもつ先輩は早い速度で小走りに前に進みます。手をついている子は駆け足(駆け腕)、時にえびぞりになって顔をうんとあげ空中で両手をパンと鳴らします。見てるほうもきつくなる。無念無想、必死で手を動かさねば怪我します。
おかげさまで、体ができてきました。ぜんそくもでません。この子は中二まで毎年入院していたのです。

2008年8月23日 (土)

はじめての雲

はじめての雲と訣るる村の辻    恭子

あたらしいケイタイに最初に写りにきてくれた雲
ありがとうありがとう

2008年8月17日 (日)

教科書に

教科書に

A boy standing at a cremation ground
Photograph: (copyright)Joe O'Donnell,1945

“I saw a boy about ten years old walking by.  He was carrying a baby on his back.  In those days in Japan,  we often saw children playing with their little brothers or sisters on their backs, but this boy was clearly different.  I could see that he had come to this place for a serious reason. He was wearing no shoes. His face was hard. The little head was tipped back as if the baby were fast asleep.

“The  boy stood there for five or ten munites. The men in white masks walked over to him and quietly began to take off the rope that was holding the baby. That is when I saw that baby was already dead.  The men held the body by the hands and feet and placed it on the fire.

“The boy stood there straight without moving, watching the flame.   He was biting his lower lip so hard that it shone with blood.  The flame burned low like the sun going down. The boy turned around and walked silently away.”

三省堂 CROWN  English Series [1]

高1の次男のテキストで、先日の国民放送で見たオドネルさんの写真にばったり会いました。高1の英語ですから、読めます。

cremation ground クリイション・グウンド

クリメイトは火葬するという意味の他動詞、火葬場という言葉は別にある(crematory, or crematorium)、 ということは大地に死体を積んで焼いた。日本語では「焼き場に立つ少年」が写真の名前であろうと思われる。

くつをはいてない、はだしの少年の姿は、崇高ですらある。

(オドネルさんは兵士ではなく従軍カメラマンだったようです。)

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/08/joe_odonnell_6972.html

2008年8月 8日 (金)

久留米水天宮近く

久留米水天宮近く

久留米水天宮近く

久留米水天宮近く

八月五日の第二回筑後川花火大会会場である水天宮へ隊員さんたちを送った帰りに写す。四時半。信号機は「水天宮入り口」、水天宮はうしろ、まだ露店は二軒しかでてません。翌日花火大会警備の隊員さんたちにどうだったのか聞くと、迷子騒動で終わりが三十分遅くなったとのことでした。

花火大会の模様は、さくらさんご推薦のこのブログで。
http://tth53photo.exblog.jp/

なお、花火大会自体は水天宮でもうずうっと348年?の歴史あるもので、名称と主体を筑後川花火大会と変えて二回目。

2008年8月 1日 (金)

今年のうちわ

今年のうちわ

去年のうちわ:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_ddb6.html

2008年7月27日 (日)

夏の寺

夏の寺

夏の寺

夏の寺

八女・浄徳寺にて

仏具磨き

仏具磨き

お寺へ、去年は八月に行ってます。
たてもののなかにも、辻があるような。
仏具磨き

肖像権に配慮し、ブレております。
歯ブラシでワックスを塗り、白布で磨き、
新聞紙で磨き、その後上等の和紙で磨いた。

仏具磨き

・・暑くてくたびれ果ててぶれました。

2008年7月16日 (水)

訂正印

訂正印

ずっと訂正印がほしかった。
やっと作った、三文判つくってもらったはんこやさんで。
シャチハタのゾロ。(ぞろってにせもの)
色がかわいい、口紅みたいで。
うれしくておしたくてまちがえてる。

2008年7月 8日 (火)

堺屋点景

堺屋点景

堺屋点景

http://www.c-able.ne.jp/~takosan/d-kusudoige-05.html
堺屋点景

このたくさんの鉢は萱だと想います。
思草(おもひぐさ、ナンバンキセル)のための鉢です。

2008年7月 6日 (日)

八女福島堺屋

八女福島堺屋

(2008・1・13・09・50撮影)

本日の連句興行参加者   敬称略 俳号

古賀音彦(やまなみ短歌会所属歌人)
中川ワタル(ぼんぼり連句以来二度目の参加)
堺 舟美(堺屋管理人) 
東妙寺らん(俳句誌『樹』所属俳人)
八山呆夢(同上)
山下整子(同上、やまなみ短歌会所属歌人)
沢 都 (連句誌「れぎおん」所属連句人)
姫野恭子

 胡蝶 『神さまのかかと』  
                 捌・ 姫野 恭子

オモテ       

風鈴がなってる一人いる       古賀音彦
  ねこがみているががんぼの肢  姫野恭子
遠き潮砂にまみれし道ありて    沢  都
  四輪駆動のシートなめらか    山下整子
月明かり娘と語らう日の続く     八山呆夢
  背伸びして吊る柿の簾よ     東妙寺らん

ナカ

古里の重箱岩の櫨もみじ      堺 舟美
   堰の水音くらやみに落つ     都
神さまのかかとくるぶし脇の下    整
   留守に済ませることの多さに   夢
君と会い君と別れる日をおそれ    彦
   一斑にして全豹を知る      恭
真も偽もチャイナウナギも札束で   らん
   返信はがき同封します      都
親心知らず知らせず冬の朝      夢
   八甲田山根雪抱きて       夢
残月のほのかに透ける大旦     整
   床に転がる鉄のダンベル    らん

ウラ

誕生日ろうそくなん本たてようか  中川ワタル
   鶏を追いたて老婆かしまし   音彦
朝霞石静かなる坂の塚        都
   往還端には焙炉場があり    恭
花ざかり身も心にもまんかいだ   舟
   夢ふわふわと白き初虹    らん

*

http://www16.ocn.ne.jp/~greenpal/kankou_02.htm
(黒木・山中渓谷の重箱岩)
http://www.flipclip.net/clips/akamikey/0020a05c2936964171cadf3e0d42e9df
(あっねこがががんぼをとった。)

捌メモ:

ゲストの古賀音彦さんは整子さんが連れて見えたやまなみ短歌会の歌人です。現代表記の口語表現をひさびさに新鮮に感じることが出来た。それを感じさせることができる魅力を、音彦さんはもっていた。みてください。この発句、こどものような、山頭火のような。とてもいいでしょう。ひきこまれます。
また、恋句も、とてもきよらでういういしい。そして逃げてない。
わたしはちょっと感動してしまいました。

発句にはつぎのような句がでました。

(しんどいので、この部分全略しますごめんなさい)

「往還端には焙炉場があり」
むかし「おーかん」という名の大通りがありました。
そのおうかんという名は、仏教の生き死にから来ている、
というはなしを管理人の堺さんがなさいました。
すぐ付句に仕立てました。
ほいろば=焙炉場=は、八女にはたくさんあります。
上妻小学校への道のそばにも二つくらいありました。
時季になると、すごいにおいがしたものです。
みどりそのものの強烈なかおりです。

※ 中川ワタル氏は音彦氏に用があって立ち寄ったところを無理やり連句に誘ったというか、そんな感じでした。ですので、一句のみの参加です。ありがとうございました。またおねがいしますね!

2008年7月 5日 (土)

八女福島

八女福島
八女福島

二枚とも2007年12月26日17時ごろ撮影
於 八女市本村

2008年6月27日 (金)

旗崎の踏切で

旗先の踏切で

八時四十分すぎ、電車が通過します。んで、この時間帯、この道は一方通行になるのです。ところが、あちら側から知らずにこっちへ進入してくる車があり、対面したところで、↓の写真のバイクのおじさんがなにやらすごい剣幕で「おらび」まくりまして、それで初めてハッと失態にきづいた車が方向転換してるという写真です。はい、わたしも過去におなじ失態をしたことあり。
旗先の踏切で

旗先の踏切で

2008年6月21日 (土)

保健医療経営大学のたてもの

保健医療経営大学のたてもの

お祝いのお花が陰になってしまいました
建物が輪になってましてストーンサークルを連想します

保健医療経営大学のたてもの

樋の口は地下へ潜っています

なぜ六月に開学記念式。と疑問に思ったのですが、一年前に起工式の杭がこの広大な地に打たれたからとのことでした。
じつはあまり開学にまつわる苦労話をぞんじません。
昨日この式典に父兄として参加しまして、話しやすそうなかたとお話をしてましたら、そのおかたはなんと聖マリアの学校の学長さんだったみたい。おおお。おそれおおし。でもほんとにマザーテレサみたいなかんじのおばさんでした・・。おおお。すみませぬ。うちのむすこを他の大学からここへ移したのは、学長が同窓生でこの人なら安心と思ったからです。というような話をそのおかたとしました。子はおかげでだいぶ安定してきました、と。

グランドの鳥の巣をみたかったのですが、懇親会ころに時間切れ、ざんねんでした。

保健医療経営大学

保健医療経営大学

みやま市と大学との連携調印式
保健医療経営大学

手前の建物はジム、奥は学食
保健医療経営大学

校庭の全貌は撮れません
川にみえますが校庭の一部です
30万坪とかかいてありましたなあ

2008年6月19日 (木)

あぢさゐ

ほんとはあおかったあぢさゐ。御井町。

最近「水前寺海苔」でこのブログにたどり着いてくださるかたが多いです。すいぜんじのりから新物質が発見されたみたい。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_ad72.html

水前寺海苔から新物質:http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080613-OYT1T00680.htm

雨

八女市矢原町、仏壇やさん近く。
雨

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_8728.html

↑この場所、ひさしぶりだったので、記念に一枚。
雨

ここはどこだろう。・・・わからん。笑

2008年6月 8日 (日)

福岡市東区原田

福岡市東区原田

印鑑証明書、土曜日の役場にて

印鑑証明書、土曜日の役場にて

市役所の広い窓から見える景色。
広場のその先は西鉄天神駅。

印鑑証明書、土曜日の役場にて

土曜もちゃんとあいていたので、助かりました。

ちなみに佐賀市には市民用自動発券機がありました。時間外でも各種証明書を発行してくれます。その機械、韓国製の非常に安価(500万円ほど、日本製の三分の一)で性能も優れて評判がいいので、佐賀市はその会社を佐賀に誘致、いま日本全国に売り出しているというニュースを西日本新聞でよみました。

印鑑証明書、土曜日の役場にて

市役所の筋向いにあるアクロス福岡。
地下三階駐車場にとめました。以前、福岡連句会がここであったとき、使用したことがあったので、それだけの理由でここにとめました。が、二十分駐車しただけで400円とは。このぼったくり。http://www.takenaka.co.jp/enviro/env_pro/09_across/02.htm

2008年6月 7日 (土)

とび職人のいる風景

とび職人のいる風景

1月15日14時7分、靖国通り。
とび職人のいる風景

6月5日8時48分、勤務先事務所窓から。

警備士のいる風景 2

警備士のいる風景 2
警備士のいる風景 2
警備士のいる風景 2

ハローワークへ隊員さんの書類を届けた帰りに写す。
ここはとてもせまい割りに車の出入りの激しい所です。
しかも出入口のすぐ近くに国道三号があって。
こういうところにたつのは神経つかうだろうなあ。

2008年6月 5日 (木)

草思社

草思社
1月15日15時23分撮影
ネット不通なため 携帯写真整理してましたら こんな写真ありました 昨夜ニュースでやってましたね つぶれたって しらなかった 憧れの出版社だったなあ 日本青年館ホテルから千駄ヶ谷駅の途中にありました

http://www.soshisha.com/book_wadai/39kasuga/02.html

2008年6月 4日 (水)

宮崎

宮崎

サボテン公園ではなく県庁です。この花のつきかた!http://www4.ocn.ne.jp/~wakacha/kenntyou.htm

宮崎

一本の樹に大量の養生用土。これが、宮崎。
宮崎

次に向かった宮崎神宮で土砂振りの雨に遭いました。

九州俳句大会

九州俳句大会

九州俳句誌中村重義編集長(北九州市)

「愛という不確かなもの霜柱 中村重義」

九州俳句大会

『九州の脊梁と椎葉の四季-唄・芸能・食文化』
 講師・永松 敦 宮崎公立大学教授

講演中に一枚撮りたかった。音がしますから・・
九州俳句大会

中山宙虫さん(熊本)

「うららかやみんなが落ちる街の穴  中山宙虫 」

宮崎

宮崎

宮崎県庁。銅像の人物は・・。岸部一徳。なわけない。
宮崎
宮崎

目抜き通りの新駐車場ビルからの景。

2008年5月28日 (水)

朴の花

朴の花
朴の花
朴の花

午後から医大病院近くのモデルハウス展示場へ請求書の書き方を教えてもらいに行きました。○○工務店の事務所がモデルハウスなかの一つにあります。三度目ですが人が住んでない家というのは、生活臭など邪魔なものがなにもなく、とてもいいきもち。ひろさてきにはうちとおなじくらいだなあと思いつつ、いろいろ想像してみました。
んが、ちらかし屋のわたしがいる一週間後に思いが至った時点で、××・・やーめた。値段きいてもひるまなかったけどもね。笑

朴の花が窓からみえたので、業者の建築士が携帯電話に出ている隙に写しました。でもこれ、朴じゃなくて、タイサンボクかも。

なんど聞いてもよくわからないのです、ここの請求書の書き方。
一件ごとの発注書と請求用紙が郵送で予め早くに送付されてくるのですが、事務局はフィリピンにあるそうで、そこから送られてくるのだそうです。それがむづかしくて、ああわかんない。金額は少ないのに何度も書き方を習いに来る羽目になる。

そういえばこの工務店、昨夏岐阜に行ったときも、目につきました。
長男がちょっとだけ岐阜にしゅうしょくしてたんです。

※この日、やっと査察が入る。無事終了です。ほっ。

2008年5月26日 (月)

ボクシングジム

ボクシングジム
ボクシングジム
ボクシングジム

ひさしぶり。メンバーが以前とかわってます。
曜日が違うからみたい。
小学生はいなくて、高校生や大学生や社会人。
去年の写真:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_a704.html(勇真会、久留米市)
なんの防具もつけず次男にボディブロー打たせてくれました。
きがえをみたら、おなかのあたりがまっかでした。
打つ力、耐える力。
両方が同時に徐々についていくものと思われます。

普通のボクシングとはちがい、キックボクシングや空手に近い。
ただひたすらきついいたい練習を黙々とやってる子達をみてると、とても感動します。

2008年5月19日 (月)

福島高校下の池

福島高校下の池
福島高校下の池

朝八時、同窓会世話人は体育館集合。
写真は駐車場から見下す池の様子です。
耳を澄ませば、牛蛙が鳴いていました。
一足先をちなみ校長先生(旧姓・八田さん)が南沙織ヘアーでささっとよぎっていかれました。んで、つい写してしまった。ごめんなさい。
ちなみにちなみ先生はこの日司会をなさいましたが、よく気配り目配りの行き届いた司会でした。

同窓会スタッフには教師や公務員が多かった。それだけ掴まえやすかったってことなのかな。木下利玄さんというかたが世話人代表でありました。見た目、ぜったいこのひとは土建屋さんだ。と思っていたのですが、おわって、うちあげにいって話をきけば、このかたはナント小学校の先生であられたのでありました。いま巻いてる連句でおなじみ「ぼん」こと樋口伸子(旧姓)さん、山下整子さん、ばしんちゃんこと馬場しんいちさん。・・たった四回しか会議にいけなかったのですが、ほんとにお世話さまでした。きもちのよいきれいな同窓会でした。おわって、達成感がありましたものね。

講演の天野周一さんの亭主関白論はとても可笑しかったし、げらげら笑いながら圧倒的な共感を抱いた。でもそれよりおかしかったのは、見た目ごついスポーツマンの○○くん(学校の先生)が、それを聴いた感想(夫婦論)をあとでぼそぼそっと話してくれたことです。同級生の男達がどんなことを考えているのかを知ることは、ふしぎで、とてもたのしい。なんというか、おとめみたいな、異星人みたいなことをかれはいってた。しつれいながら、人はみためじゃないなあと笑いをかみころしつつおもった。・・最後に、がっこうの先生ってのは、たいへんな公職であり、ほんとうに聖職なんだなあと実感したしだいです。甲四郎先生にも会えました。願わくば、服部先生にもお会いしたかった。高校一、二年(もちあがりクラスでした)のときの担任の先生です。振り返れば、服部先生のおかげでいまのじぶんがある。小倉の短大を勧めてくださったのは服部先生でしたから。関東におすまいらしいけど、お元気なんでしょうか。いつか会えたらいいですね。

2008年5月18日 (日)

会場設営

会場設営
会場設営
会場設営

夜をま青き藺むしろに、
ひとびとの影さゆらげば、
遠き山ばた谷のはた、
たばこのうねの想ひあり。

夏のうたげにはべる身の、
声をちゞれの髪をはぢ、
南かたぶく天の川、
ひとりたよりとすかし見る。

 宮沢賢治
〈夜をま青き藺むしろに〉

 新潮社 新編『宮沢賢治詩集』
       天沢退二郎編より引用

体育館にはあおい敷物がしかれ、その上にまた透明のビニールをみんなで敷いているところです。空気が入るので、一列に並んでモップで空気出しをしてます。この上にテーブルと椅子を並べ、四十くらいの卓。予備もいくつか。ひとつの卓に椅子が八脚くらい。料理、お花、ぜんぶぜんぶ、何回もの打ち合わせで世話役のかたがたが準備されました。すばらしかった。会費三千円の低予算でしたし。

参照:当日の写真を友のブログに発見!
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_8d4a.html

2008年5月13日 (火)

テラビシアにかける橋

小郡端間(はたま)辺りのカントリーエレベーター。

小郡の麦畑。八丁島から端間へ向かう。

見たいと思った映画の検索をしたら、九州では一件だけソラリアプラザがヒットしました。しかも今日が最終日。博多にすむ娘の顔が浮かび、昼休みに連絡をしますと、午後からあいていると元気な声。四時で仕事を終え、ささっと小郡に向かい、駅近くの○○薬局の駐車場に車をとめると天神行きの西鉄電車に乗りました。

映画が始まる一時間半前に着きました。娘と夕食を一緒に食べるの、久し振りでした。ずいぶんきれいになっていた。しかも驚き、ブログを始めたって。携帯ブログ。(タイトルも教えてはくれませんでしたが、日に1千ものアクセスがあるんだって。ウキーッ。)

ところで、映画はなみだぽろぽろでした。おさないいもうとのなんとあいらしかったこと。娘と二人、おおなきして帰りました。でも、さわやかな涙でした。

映画を紹介してくださった、バービーボーイズの杏子さんに感謝。
映画冒頭、いもうとがバービーと遊ぶ場面がありますし、何度もバービー人形が出てきました。

だいすきなバービーボーイズが、再結成されますように。

2008年5月 2日 (金)

八女風景

八女風景

定点観測。むこうにわずかに見える山というか丘は吉田山。福島高校や磐井の墓がある。
八女風景

上の写真の対岸、下吉田。八女市今福へ行った帰り道写す。
八女風景
今福へ抜ける途中のお茶畑。

2008年4月29日 (火)

生後3ヶ月

生後3ヶ月

きょうも仕事。連休あけまでに「ことを終わらせておく」ことを合言葉に、事務所の全員が一丸となって書類整理をしてます。
別にあやしい事はしておりませんので、ご安心ください。ただ書類に記載があると違法になるものを消したり隠したりしているだけです。

1月30日に生まれた犬の子、社犬です。
手前右の白がラッキー、左のこでぶがハッピー、背後でがさこそしてるやせぎすはさくらです。さくらはメスですが、一番うごきが荒くて、根性がわるいです。笑(さくらさんごめんなさい。)

帰るとき、ボスに「途中やろ。持ってって」と八女市今福の造園業者のとこへ、警備契約書を持参する役をおおせつかる。地図を焼いてくれたけど、はじめてのところで、さっぱりわからない。迷った。だいたい福島高校の西。茶畑のさみどりが延々と続く中。遠回りもいいところ。がおー!!

2008年4月26日 (土)

棋譜

棋譜

四月から競輪場の警備がまわってきました。
まさに、まわってくる・・としかいえない状況での入札、ウンがそうなっていた。棋譜のようなこのスケジュール表が編成室に張り出されています。
地名はみな、競輪場のある地です。
これを見ますと、ほぼ連日どこかで開催されていますね。競輪場警備隊長にいろいろ説明をしていただきましたが、サテライトとか何度聞いても何のことかわかりません。行ったことないし。そのうちわかるでしょうか。とりあえずは、営業の人たちが挨拶回りに行った感想で印象にのこったひとことを。「武雄(競輪場)はとても手入れが行き届いていて、きれいかった。」はい、そんだけ。

それと、最近入社した若い子が競輪場にまわされて、数日出てから事務所に帰ってきた日にぼそりと言ってたことば。「今日は朝すくなかったのに昼になると倍になり、八百人くらい入ってた。でも昔は多いと四千人くらい来てたらしいですね」。へえ。へえー。常務にきけば、いまも二千人くらいは来場しているとの話です。ただ、車券は一枚百円?の低価格だから、かける金額は少なくて、収益はあまりあがっていないとのこと。

2008年4月20日 (日)

本
本

夫が買って読んでた本。

下の写真は八女市役所前庭のものです。

2008年4月16日 (水)

水仙

水仙

事務室の机です。
さる隊員が親切にしてあげた現場近くの人からもらってきた水仙です。
ふすまのむこうは研修室です。教官がDVDやテキストを使って新人教育をなさいます。

今月の給料計算、とても困ったことがあります。
隊員全員の編成表(どこの現場にだれが何時から何時までいったかの一覧表)、出勤表(一人ひとりの出勤状況を表にしたもの)、受託表(請負先ごとにまとめた出勤表の一種)を毎朝確認しながら、手書きで記入するのですが、その集計をしていると、同一隊員が別々の場所に二時間ほど出現していることに気づきました。ということは、どちらかが間違っているわけで、それを確認しようとしても、時間がたちすぎて、確認のしようがないのでした。

うーん。どうしよう。
ボスにたずねました。
しかたないよ。いそがしかったんだもんね。顧みるひまもないくらい。こんなときは、給料支払いが済んで、あちらから一日分たりないと言って来るまで待つしかない。

なるほど。

そういうところで、私は真剣にしごとをしておりますです。

ではいってきます。

2008年4月10日 (木)

広告とり

広告とり

2005/7/8久留米聖マリア病院裏のマリア像。
広告とり

2008/4/9八女蒲原近松いわきち仏壇店。

きのう会社をやすみ、元行員のともだちと二人で、同窓会パンフの広告とりに八女市内を終日ぐるぐる回った。前回とあわせ回った数は19件、ご協力いただいた金額は十万円ほどになる。みなさま、いろいろと事多い中のご寄付、まことにありがとうございました。営業はたいへんな仕事ですね。

参照:八女市の仏壇店http://www.yamep.net/town_com/tradition001.html

写真、全部を撮るつもりだったのですが、最初に行ったいわきちさんとこで観音さまを撮っただけで、携帯の電池切れとなりました。(上のマリア様はデータの一番古いものです。連句的なので、ここにおきます。)

寄付をいただいたご芳名をここに挙げたほうがいいんじゃないかと思うのですが・・。いずれのちほど。

2008年4月 8日 (火)

春の寺田村

弥生の寺田村

寺田天満宮遠景。桜が満開です。
藪秀野の実家があった辺りを四年前に訪れたことがあります。天理市西井戸堂(にしいどんど)。記憶では、近鉄二階堂駅*で下りて、そこから地図をみながらせっせと小一時間も歩き、とうとう位置が分らずに天理市街まで出てしまって、そこからタクシーで西井戸堂まで行ってもらいました。藪姓の近縁のかたがお住いで、おうちに上げてくださって、いろんな話をしてくださいましたっけ。そこからわずかに離れた墓地へもまいりました。

(* 前栽駅で下りると近くだった。)

その記憶を、じぶんの村のお宮をこの位置から見ながら、ふっと思い出しました。なぜかといいますと、似ていたからです。村の雰囲気、お宮が家の近くにあったこと(そこのお宮には万葉歌碑がありましたけど)、道をたづねた農家の人が農小屋で米を精白している途中を休んで、連れて行ってくださったことなど。いっぺんに蘇りました。よい土地でした。懐かしい土地でした。
弥生の寺田村

この写真は光が明るすぎて暗い写真になりました。家のうらのほうから写したものですが、二人の男の子が土筆をたくさんつんで、ぽっちらぽっちら歩いてくるのに出会いました。私達のこどものころは、暖かくなると、家人におべんとをつめてもらって、「おべんともっだし」っていうピクニックを遊び仲間とよくやりました。野原のなかでお弁当をたべるだけなんですが、これがとても楽しかった。思い出せば、自然はいつも身近で、意識するまでもなくそこにあり、こころは満ち足りていて、とっても幸せな少女時代を送っていたんだなあって、敬虔なきもちになります。

2008年4月 3日 (木)

母子手帳

母子手帳

なつかしき母子手帳。箪笥に三人の子の記念品をいれていました。卒業証書とか賞状とかアルバムとか。母子手帳も桐箱入りのへその緒もありました。長女は八女市で、長男は久留米市の御井町で、次男は博多の宇美町で生れました。
母子手帳

会社所有のミニダックスフントの兄弟。こんなに大きくなりました。仕事中、ひづめの音も高らかに子犬たちがじゃれあいます。室内で飼うのがだんだん大変になってきて、ついに社長が三匹とも人にあげようと。それを聴いた専務(マイボスで女性)が、しくしく泣きました。自分の子どもみたいに可愛がってますから。今日は一日、新ユニフォームにワッペンを縫いつける仕事を二人でやりました。

2008年3月31日 (月)

おめでと☆

おめでと☆

福留ハムの冷凍コロッケ。
四個入りで120円くらい。
なんでこんなに安いのかな。
一個の値段で四個も入ってる。
んで、きづかなかった。上のほうに
「2007年ドイツ食品コンクール銅賞受賞」!

2008年3月29日 (土)

はたらく車

はたらく車

国道3号線納楚信号付近

青森ナンバー「澁谷運送」と読めます

2008年3月25日 (火)

在りし日の

在りし日の

雄鶏二羽。いつのまにか檻の外へ出ていた日。
月曜日に出社すると、もう彼らの姿はなかった。
その行方をきかないでください。
きのうもきょうも、はと・すずめたちが来ません。
さびしいことです。
いきものを飼うのは。

2008年3月23日 (日)

春のとびかた

春のとびかた

福島高校より八女市街を見晴るかす。
正面には裾広き飛形山がみえる。

2008年3月17日 (月)

柳川の雛祭り

柳川の雛祭り

おきあげ人形 羽子板のお人形には綿が入ってます 
柳川の雛祭り

女のあかちゃんの初節句です 盛大に飾り付けて人を招きます
この日は近所のおばちゃんたちもちょっと見せてくださいとやってきました
さげもんがばさらか  ごんたさん人形(絶滅寸前の人形だと聞いた)や
↓のうつ伏せのさだこ人形(がばりえすか)やいろいろ いろいろ

柳川の雛祭り

2008年3月13日 (木)

はたらく車

電車通過で遮断機がおりて混み合っている旗崎近く。
くるま、プレオじゃなく夫が乗っていたホンダのフィット。
自分的にはすばる車のほうががいいかんじ。
スバルは昔むかし、父がはじめて乗った車だった。
スバル360!

2008年3月10日 (月)

地下鉄九段下駅付近

地下鉄九段下駅付近

無意識にすごいことしてた自分に驚かされます。

これもその一つ。昨日書いた文章に入れた歌、松平盟子の竹橋駅の歌。1月15日午後2時15分撮影のこの写真にわずかに写っているような気がして、アップしてみました。地理、分かりませんが、公文書館が見えたことは記憶にあるんで。

竹橋・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%A9%8B

2008年3月 9日 (日)

眠るラッキー

眠るラッキー

しあわせなかおでねむるラッキー。

三匹の子犬になまえがつきました。
おでぶさんの茶色がハッピー。
やせっぽちの茶色はさくら。
一番かわいがられる白のオス犬はラッキー。

2008年3月 6日 (木)

無量壽院

無量壽院

料峭や北向きにたつ閻魔堂

連句会連衆のひとり、天野おとめの思い出。共同風呂へ通うときや学校の帰り道、この横を通るのがとてもこわかった。
無量壽院

石橋氏の墓がある無量壽院境内(臨済宗)裏をくるりと左回りに一周。樹木の古さ、大きさに圧倒される。
無量壽院

無量壽とは限りなくめでたい命ってことだろうか。
お寺は西向きにはるか有明海をむいて、たつ。
(石橋氏の墓は東を向いており、以前も書いたが、真正面には樹齢百年くらいのさざんかの樹がある。冬には白い花がさく。)

2008年3月 1日 (土)

ちびすけ

ちびすけ

やっとひと月たちました。
おとなしくてよちよちしてかわいい。
とりわけしっぽとなきがおにみえるまゆがかわいい。

切手と消印

切手と消印

山口の山本伽具耶提供。
かぐやさんにきたかぐやひめの切手です。ブログにアップしますと、左肩上の三種の小物が凝っていて、とてもかわいい。

そういえば今年の年賀状に「お年玉くじつき切手」がありました。
ふつうの絵葉書などにはりつけ、お年玉付き年賀状とおなじに使えます。民営化して出てきたものかな、以前からあったものかな。

2008年2月23日 (土)

子犬

子犬
子犬
子犬

生後三週間。
赤ちゃん子犬は日がな一日ねているのですよね。二ヶ月ほどしたら、走り回れるのだろうか。二週間で目があきました。ずいぶんゆっくりです。はじめてなので、すべてが珍しい。

小鳥来る

小鳥来る
小鳥来る
小鳥来る

目白捕り大の男が集まつて    恭子

http://www.geocities.jp/km_vmax/12masa.html

(そうは問屋がおろしません。鳥は賢いです。一度かかるも逃げてしまいました。これがほんとのとりにがすというんでしょうかね。)

2008年2月14日 (木)

未来電力地中線課様宛

未来電力地中線課様宛
未来電力地中線課様宛

請求書、さる電力会社直属の電気工事屋さんところにチチュウセンカという課があり、そこ宛に一枚書きました。電話であて先を確かめたとき、「ちちゅうせんか?どんな字を書くのですか」と思わず聞いてしまいました。

地下に電線を埋め込む課だと思います。

写真は八女市納楚の信号あたりです。笑
ローカルですみません。ちょうど赤でしたので、二枚撮りました。
ここらもいつかずうっと未来には電線が地下に潜る日が来るのだろうかなあ・・と思いつつ。

2008年2月11日 (月)

職場の机辺

職場の机辺

私の机に誰かの大阪みやげのペンたてがある。
他の机にずらしても、翌朝になるとまたある。
なんなんだろうね。

と思って、杏子サンのブログに行ったら・・わわわ、連句的。

http://kyoko.weblogs.jp/blog/2008/02/post-e21f.html

先週くるめのno music, no life のタワーレコードで
ついに買ってしまいました。バービーボーイズのcd。

ヴィジュアルもついてきた。実は初めて歌っているところを見た。
声でしか知らなかった。二人のハスキーな声が大好きだった。

私のお気に入り。

ノーマジーン:http://jp.youtube.com/watch?v=sDgkQl4KyRw&feature=related

惑星タイマー:http://jp.youtube.com/watch?v=Vpe8iFYM_no&feature=related

いまにして思えば、あの頃の自分は、一人社会に取り残されていると感じていて、夫は深夜にしか帰ってきませんし、こどもの母親ばかりの役目で家にこもっているのはストレスの塊でした。まだ若かったですし。そんなときに、バービーボーイズを聞くと、こころのもやもやが晴れるのでした。分析したことはありませんが、きっと主婦という仕事の、性を押し殺すような部分が、解放されてゆくからだったんだという気がします。そんなわけで、杏子サンは大げさに言えば、命の恩人であります。つらいときを、乗り切れたもの。

2008年2月 5日 (火)

お七夜の子犬

お七夜の子犬
お七夜の子犬

黒い子犬が先に生まれた(自力で)二匹の元気のよいほうで、ボスの手がかばっているのがあとで帝王切開でうまれ看護婦さんのマウストゥマウスの人工呼吸により息を吹き返した二匹のうちの一匹です。もう一匹は死にました。ミルクをのむことができなかった。犬は凄いなと感じたのは、その一匹がまだあたたかく、息があるうちからもう、すでに母犬は見捨てていた。にんげんはハラハラと見守っていたのにもかかわらず、こいつはもうだめだ。育たない。と、正確に知っていた。

むかし、豚の出産と子育てを見たことがありますが、あれと似てる。がりゅうはそだたないと父母が言います。(がりゅうっていうのは弱いたちのこどもです。方言でしょうかしらね。なんだろ。ほりゅうなら蒲柳ですけど。)

2008年1月30日 (水)

キララ おめでとう

キララ おめでとう

2008年1月27日 (日)

「し」その2

「し」その2
「し」その2
「し」その2

ね、この「し」、すごい細さでしょう。

あんまりきれいな「し」だったから、どんぐらいちからを矯めれば、あるいは抜けば、あるいは、・・れば、こんな「し」が書けるか、自分でもやってみました。しかし、なんど挑戦してもとうとうできませんでした。二十年以上の研鑽がいるものと思われます。それと、ある種のいきおいが。

上二葉

柴田白葉女「凍雲のやや焼けて来し遠い橋」

宮部鱒太先生の筆跡です。(家宝にしている。)

2008年1月24日 (木)

高専

高専
高専
高専

高専というのは国立の学校なんですね。へえーなにも知らなかったなあ。筑後川のすぐそばにあります。裸木がとてもきれいな学校でした。なんだか北海道ってかんじ。このいいかたは幼稚ですけど、昔からここの横を通るたび、ああほっかいどうみたい。とかんじていた。なぜかな。笑

ごみ

ごみ

きれいでしょ。
生垣が笹なのもとても珍しい(笹や竹は無闇にはびこるから管理が難しいんじゃないかと思うよ)し、なんだかきもちいい。二時ごろごみ収集車がきます。それがものすごい速さ。風とともに去りぬ。

久留米市のごみ袋は透明みたいですが、内容が見えないようにどちらさまも工夫されてるようです。ちなみに佐賀市のごみ袋はみどり、八女市はきいろです。

現場 2

現場
現場
現場

ひさしぶりの現場です。
だいぶ景色がかわっています。
コンクリートの箱物がすっぽり入って、輪郭がついてきましたね。
ここの写真をずっと撮ってますが、このすぐ横に展開していた市の発掘隊は、もう仕事を終えて、いなくなってました。さびしいですね。ドサ回りの芸人さんたちを見送ったこどものようなきぶん。ここに二時過ぎまでいました。代わりの隊員さんがきてくれるまで。めちゃくちゃ寒かった。

2008年1月22日 (火)

「し」

「し」

かな書道歴ン十年のマイボスの作品を昼休みに写す。
「し」って字の細いこと。ま、どの文字もみなすんごく細いんですが、しは格別ですよね。ほかに、有名俳人の肉筆の「し」を、つくづくすばらしい細さだと感動して打ち眺めたのがありまして、それを写真にとって、アップしたいです。

自分でもやってみるとわかりますが、細い線を毛筆で書こうとするとき、気の使いかたは繊細を極めます。一朝一夕にはぜってえできねえ。いえいえ、滅相もござんせん。

芭蕉のいったほそみって、このことじゃないかとすらおもう。気のつかう部分が、。脳天のてっぺんらへんからちからをだすかんじ。

2008年1月18日 (金)

無題

無題

久し振りに飛行機にのった。時間がかかるから乗りたくない。乗っている時間は1時間半くらいでも、ね。ネット予約で特割の切符を前日にばたばたと買う。新幹線よりずいぶん安かった。あんまり急だったので、通勤バッグのまま行ってしまい、筆箱にカッターナイフが入っているのをすっかり忘れていた。過去の自分に糾弾された。かれらはよく仕事をしていますねえ。右ポケットに入れていた携帯でもベルが鳴った。行きも帰りも無駄な時間と手間をおかけし、情けないことでした。

ところで、機内もちこみ制限品として取り上げられるとき、かいてもらうチェックシートをみたら、いろんなナイフの一覧表があって、その最初に「アーミーナイフ」ってあるので、ぎょっとしました。そういうのを持って乗り込むお方もあるんでしょうかねえ・・・。(カッターナイフはふだん赤青鉛筆をとぐときに使っています。必需品なので。)

やすくに

やすくに
やすくに
やすくに

靖国神社の靖国通りに面した側の門を守る狛犬。ほかに、写しそびれたもう一対があります。その写しそびれた最後の一対は、同じく靖国通りに面してありますが、西牟田靖著『写真で読む 僕の見た大日本帝国』の冒頭にある、ユジノサハリンスクで西牟田が見た狛犬と同様の、建築家・伊東忠太がデザインしたものです。西牟田靖のこの本は、とてもよく調べて書かれた労作であります。さまざまな事実を教えてくれます。

過去に撮影した狛犬

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_638c.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_177b.html

2008年1月16日 (水)

昭和館

昭和館
昭和館
昭和館

今朝は五時前に起きて日本青年館8階から見える朝焼けを写そうと思っていたのに、パソコンに熱中して旭のことを忘れた。ざんねんだった。

きのう東京についてまっすぐ九段の靖国神社に参拝し、二年前に見ることができなかった遊就館を見て回る。ある展示室に入ったとき、まっさきに眼に飛び込んできたのは、母親が出陣して戦死してしまった息子のために、花嫁人形を作って奉納しているものでした。近づいてみると、ただ一文字のかわった姓の下の名前が「正義」だったことにぎくりとしました。うちの「兵隊おっちゃん」と呼びならしてきた亡き伯父と同じ名前だったからです。まるであちらのほうから呼びかけられたような気がしました。

母親なればこそ、およめさんももらわず死んでいった息子のことを不憫に思ってそういう人形を奉納してもくれるのだなあ。そうなら、死んでもきっと寂しくはないだろう。でも、うちの兵隊おっちゃんは、さびしいだろうな。と思った。養母は十年前になくなったし、・・。

さくらさんの戦死されたお父上と伯父の大石政則さんの遺影はすぐ分りました。お父上、とてもきれいなお顔で、豊かな愛情を感じ取れるのでした。見てたらとても生き生きとした表情に、こちらがつらくなるほどに。何か語りかけておられるようでした。・・・

今日も九段に行き、靖国神社の前の「昭和館」を訪ねました。入場料300円です。修学旅行の小学生が何校も来ていて、館の先生のお話を熱心に聞いていました。門司の小学校や、かすかべ小学校とかアナウンスがあっていたっけ。館の先生のお話も、とても心に訴えかけるものでしたので、つい生徒たちの後ろからいっしょに聞いてしまいました。この子達があすの日本をささえてゆくのだと胸があつくなりました。

2008年1月15日 (火)

とび

とび

靖国通り 二時半頃

2008年1月 5日 (土)

かんながらのみち

かんながらのみち
かんながらのみち

祭の絵は大善寺の鬼夜(あっ、今夜だっ。正月七日の夜あります。日本三大火祭りの一つ)の絵だと思います。去年と同様、高良山へ初詣でをして、そのあと、大善寺の玉垂宮前の傘橋(からかさばし)をわたって右へ少し入ったところにある、みずほ庵という料亭(うなぎ料理がおいしいんだって)で新年会がありました。そこの玄関に飾られていた絵です。元気があれば見に行ってこようと思ったんですが、夕方、元気は使い果たしていました。ていうか、することが山のようにあるから行けないんでした。とほほ。一度でいいから見てみたい祭であります。

http://wadaphoto.jp/maturi/oniyo.htm 鬼夜のフォトレポート(音楽付き)

高良大社

高良大社
高良大社
高良大社

2008年1月 1日 (火)

恭賀新年

恭賀新年
恭賀新年
恭賀新年

電線の果てはありけり大旦  恭子

2007年12月22日 (土)

進捗

進捗
進捗
進捗

現場2

現場2

クレーンで人孔のなかに道具を吊り下げたり吊り上げるとき、電線が邪魔になります。触らぬように見張るのも誘導員の仕事の一つです。

この写真はまさにぎりぎりです。ずっとむこうのほう、水平にオレンジ色の三角形の旗みたいなものがいくつか電線に下がっているでしょう。あれは電線のあることを目立たせるためのしるしです。こういう場合に役立ちます。

現場2

二週間ほど前の現場で。ひまでひまでじぶんのかげをうつした。
制服はドゴール帽にスタジャン(ダークグリーン)、その下はなぜか、私だけまだ夏の服。右肩に無線機。(格好だけはそこそこかっこいいんだわ。)
現場2

これはマンホールの蓋です。散らばる道具がおもしろかったので、知らない顔して写させてもらいました。

2007年12月18日 (火)

久留米夜景

久留米夜景

2007年12月14日 (金)

このさかを

このさかを

現場2は範囲がひろいのです。
この坂をのぼりつめれば、道は二つに分かれ、左にいけば久留米大学御井キャンパスや南筑高校、右には久留米大学前駅があります。

参照:http://www.nishinippon.co.jp/nbl/station/2006/04/post_6.shtml

この記事は読ませますよね。泣きそうです。
(わたしもここにはりつくまで、知らなかった、この駅の存在。それほど新しい駅です。2000年の創業。笑)

現場2

現場2
現場2
現場2

高架橋工事。地下にビルを建てているように見えますが、基礎工事をしているのでしょう。写真では立体的に見えませんが、とても深い地下です。とびのおにいさん(おじさんも)たちが、平気でしゃばしゃばと細く高い鉄骨の上を歩き回っているのを感動のおももちで見てました。

いちばん下にちょこっと見えるショッキングピンク色の鳶パンツ、すごい鮮やかな色で、目を引きます。紫のはみたことあったけど、ピンクはお初です。目立つって危険防止上、大事なことなのね。

2007年12月13日 (木)

現場2

現場2

シリーズものです。
前回撮ったときからずいぶん日がたちました。ご覧のとおり、ピラミッド築造かと眼を疑った土の山は三分の一の高さになり、その手前にひろがる地下の鉄筋の骨組みには、次第に肉体(コンクリート)がまとわれ始めています。
現場2

これ、なんだとおもいますか。
失礼ながら、すぐ隣で展開しておられる発掘隊の写真を撮ったつもりでしたが、あれれ。車しか写ってない。公務員なみに昼に一時間、十時と三時に三十分、休憩をとられます。その横でまったく休みやらなく防人のごとく立ち続けるのであります。笑。あわれんで、黒砂糖ニッキ玉という妙な大粒の飴を妙齢のおじさんがくださいました。とても寒くて、ホカロンを背中にいれてても震えてました。
現場2

もう一箇所、対岸の現場。警備しているところは高架橋工事の所ですが、じっさいはそこの露地の下水道工事業者さんのために誘導をしているんですよね。だから、このあたりは今、土建屋さん、建築業者、警備員が幾社も乗り入れてやっているジャム状態。ついでのことに、ミスター・やのかんぶのおすまいもあり、こっちもジャム状態。・・どちらさまも、ごあんぜんに。

2007年11月27日 (火)

豆ごんの

豆ごんの

働く男

働く男

2007年11月26日 (月)

柊の花

柊の花

2007年11月24日 (土)

紅葉狩り

紅葉狩り

八女郡矢部村杣(そま)の里にある吊橋です。御側吊橋。

紅葉狩り

一期一会の通行人夫妻が写ってました。
むこうはしの細いのは東妙寺らん。同級生だけど、娘みたいだな。
私はこわくて橋の手前端にいます。渡れなかったよ。
紅葉狩り

矢部村には日向神ダムがあります。水位が低下してた。
雨が降りません。紅葉の色はまだまだ、でもきれいな景色でした。(じつはここまできたのははじめてです。道、ほそかった。ちょっとこわかった。)

御側(おそば)という地名は御征西将軍、懐良親王の墓のそばという意味です。時間がなくて、今回は墓をみてくる暇はありませんでした。八女津媛の墓も、またこんど。(八女人なのに、知らないことばっかりだ。)

参照:http://snkcda.cool.ne.jp/yabemurasi/2rekisi/tyuusei.html

ありゃりゃ。どうもどうも。陵墓は熊本県八代にあるって書いてありますね。

杣の里の参照記事:http://www.somanosato.or.jp/index2.html

2007年11月20日 (火)

人孔を覗く

人孔を覗く

この現場は、昼休みがありません。ずっと八時間から九時間、工事のため狭く危ない道を通行人を守って隊員は立ちつくします。昼ごはんは食べます。十五分!隊員さんはそこに座って。わたしは、いくらなんでもそれ、できないので、車に乗って失礼します。現場仕事に付き合うと、いろいろ教わります。現場ごとに個性があるし、下請けと元請けの雰囲気の違いを肌で感じもする。監督さんの人柄もある。ここの作業員さんたちは、ジンコウのすぐそばにトラックを停めて、そのなかでお弁当をたべ、仮眠しておられました。(私はその穴の前で交通誘導をしてます。ついでになかをのぞかせてもらいました)。

原始的な鉄の塊に、つい、村の鍛冶屋を口ずさみました。さいきん、この歌がよく出てきます。現場1に小さな鉄工所があったし、博多にもお向かいに小さな鉄工所があったし、なかよしのくんちゃんも小さな鉄工所に嫁いだし・・笑。http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/murakaji.html

おさんぽ

おさんぽ

保育園のベビーカーをはじめて見ました。
向かい合わせにふたりずつ、計四名のあかちゃん(2、3歳までの子)が一台の車に乗せられています。午前十時半頃。

山川招魂社を仰ぐ

山川招魂社を仰ぐ

山川招魂社:http://www.kourataisya.or.jp/kinrin/index.html

久留米城の防禦態勢:http://snkcda.cool.ne.jp/kurumezyou/

きのう、現場2に立っていたとき、近くのおばあさんと立ち話をしました。シュウメイ菊のおばあさんです。山川招魂社って何を祀ってあるのですか。と尋ねましたら、戦争の英霊。という答えとともに、ほら、肉弾三勇士の・・もたしかあったような。あれは試験場のほうに昔はあったんだけど・・と言われました。試験場というのは、農業試験場で、久留米附設中高のすぐそば、かつ久留米大学御井校舎の前にあります。

(写真はちょうど招魂社の斜め前の御宅が写っています。私もまだ参拝に行ったことはありません。)

2007年11月16日 (金)

通信

通信

最初、にじとおもった。でもちがう。シルバーグレイの雲がずっしりと塊としてあって、それをもれるかんじで虹のようなひかりがでていた(なぜか写真には写らなかった)。それを撮ろうとしたのがこれです。花は偶然写っていた。ブロッケン現象というものみたい。・・じゃなく、どうも霧虹というのに近い気がする。寒い日で、とてもきれいな虹でした。でも、だれも気づかなかった。みな仕事中だったから。(あんたは?と聞かないでくださいまし)。http://www.geocities.jp/kockspages/kouzan/phenomena.html

花

現場1

現場1

下水管埋設(見てきた処ではこうしてました)。

1 マンホールをぼんぼんと掘る。
2 それを結ぶ線上に深さ二メートル程の溝を
  掘ってゆく。写真はカッター切りしたもの。
  洋裁でいえば、しるしつけ(ルーラーでの)。
  点(人孔)と点(人孔)を線で結べば、出来上がり。
 口でいうのは簡単だけど、一つ人孔掘るのに一日。
 長さ十メートルの下水管埋めるのに二日。
 なにも問題がない場合でその程度。
 掘ってみたら、何の水脈か不明なところから漏水して
 たり、いろいろあるみたい。 

現場1
現場1

2007年11月 8日 (木)

にわのにわとり

にわのにわとり

勤務先ベランダ。
しっぽはキララ。(ミニダックスフント・メス)。
にわとり(祭の夜店出身。ゆえにどっちもオス)のえさを嗅ぎにゆき、嘴で威嚇されてはすごすごとひきさがる。

柿
柿

ことしは柿の当たり年でした。柿の収穫道具、御地では何と呼ばれます?うちでは、「はさみがっちょ」と申しますですよ。先を二つに割り一本の小枝を挟んだだけの竹竿であります。便利ざますよ。
さて、だんだんと頂き物の俳句誌や川柳誌や連句誌がたまってきました。いつもありがとうございます。私はみな、ちゃんと読んでおります。書きたいのですが、なかなかで、ご紹介が遅れています。すみません。ちょっとずつでもってんで、今朝は樹の今月号ポスト欄から数句。

太田一明

第54回長崎原爆忌平和祈念俳句大会で「長崎新聞社賞」を受賞しました。
ちちははを捜し続ける扇風機 一明
 

椎窓 猛

名月に涼味少なしこの世紀ーといった感が去来します。樹10月号、ありがたく拝受いたしました。

朝涼の腕の淋しさ天の風 東妙寺らん

秋気澄み日ざし黄ばみて寂しかり 澄たから

八女の方の句に眼をとめてみました。

脱藩をして来る会津の赤とんぼ 渡辺知子

おもしろい赤とんぼですね。

「飛行雲」(駿河岳水主宰)、第44号の「受贈誌作品より」に、主宰抽出作品として紹介されました。

妻の座に時効などなし寒卵 堀井芙佐子

花冷えの灯に浮き妻の車椅子 瀧 春樹

えつ漁も解禁となりにごり川  呆 夢

北川 邦暢

わが家、百日紅、芙蓉、紫式部、曼珠沙華、旺んです。

山下るものら夕菅は弓なり  瀧 春樹
やわらかく浴衣着て螢指籠に 竹内 卓二
無花果の中で女が一杯さわいでいる 竹原ときえ
かなかなへ投げて戻らぬ糸切歯 林 照代
画用紙の裏側にいて晩夏かな 堀井芙佐子
新涼の風と手紙とふんわりと 依田しず子
いつまでも富国強猫秋近し  尾上美鈴
ひまわり百本敵か味方か分からない 鮫島康子
ありったけの無花果並ぶ無人市  澄たから
風鈴や露地に頑固な顔がある 神無月代

以下省略します。ごめんなさいましね。

2007年11月 2日 (金)

空間図形

空間図形
空間図形
空間図形

空間図形 

      姫野恭子

このピラミッドの土は掘ったん
埋めるために持ってきたん

出来上がったら 下を道路が走るったい
だけん今いるこの道は
ほんとの道ができたらのうなってしまう

へえ 知らんかった
じゃ このロープで巻いた保護柵は
どこの会社が造ったん

これはあ 
建築会社のここの人たちが作るとたい
べつに特別なものじゃなか
ほら このロープ 黒と黄で編んだもんたい
だいぶ色落ちのしとるとばってんね
ガムテープも夜光塗料入りたい

ほへえ そうかー!!

みながばかにするその人は
まよなかのぞうきんみたいにまっくろで
前歯のないきれいな笑顔で快活に笑い
知らなかったことを沢山教えてくれる
まるで新しい道が出来上がったかのように
完璧な空間図形を
ありありと目の前に描いてみせる

路地裏のきれいなもの

路地裏のきれいなもの

人孔掘削現場で。おばあちゃんお手植えの秋明菊。私が立っているとき、花鋏をもって一輪だけ取りにみえました。仏さん花にするんだなと感じた。
シュウメイ菊をみれば、私は必ず、澤田ツタさんを思い出します。連句人・沢都の今は亡きお姑さまで、生前俳句をつきあってくださったのです。ハイカラな元気のいいかたで、戦前のお若いころは大陸でタイプライター、じゃなかったタイピスト(笑)をなさっていたと聞きました。句を忘れてしまいましたが、でもシュウメイ菊を詠まれたことがあるんですよね。あと、薔薇アーチの句が印象深い。たしか、発句にいただいて、連句をまいたんだっけ。八女のみんなと。
路地裏のきれいなもの

これも現場。小さな祠シリーズができそう。何の神様か、雰囲気的にはお恵比寿さん。
路地裏のきれいなもの

例によって例のものです。笑
下を向いて歩こう。

2007年10月25日 (木)

ピラミッド築造

ピラミッド築造

これ、だれが作っているのでしょう。見事な工芸品です。黒と黄色の生地は、触ってみましたら、ガムテープみたいでした。ロープの巻き方、杭の立て方、美しくてほれぼれしました。
ピラミッド築造

近くに踏切があるんです。そこはいつも通勤時間に車の行列ができます。私などはぼけっとしてるので、三回ほど踏切ぎりぎりのところで立ち往生したことがあります。うしろにさがれない、前にもすすめない。ラッシュにはさまれて。それで遮断機が落ちる。うわわ悪夢!一度、死ぬかとおもったほどです。高架になるんだそうです。道路は下を走るわけ。その工事中。ピラミッド築造

2007年10月24日 (水)

これは何。

これは何。

先日の仕事現場で庭の塀ごしに落ちていたもの。
上には椿の木みたいな樹木がありました。
三つの花弁にみえる茶色のは下の丸い種子数個をくるんでいたシェルターですが、弾けてこのような美しい形になるのがふしぎです。

(このときの現場は直径二メートル半の大型人孔を深部に設置する工事でした。邪魔にならぬようにちょっと下をのぞかせてもらうと、孔の下で人が二人、それぞれの仕事をなさってた。上からクレーンが大きな金属の部品を、孔の下へ吊り下げます。クレーン車には誰も乗ってないのに、どうして動くのだろう。きょろきょろ見回すと、孔のすぐそばでリモコン操縦している作業員がいた。へえ・・・。下で作業している人と上から部品をおろす人との息がちょっとでも合っていなければ命をおとす、とても危険な作業でした。)

2007年10月18日 (木)

かささぎと鶏

かささぎと鶏

鵲の巣の取り払はるるを見てをりぬ
かささぎと鶏

鶏の子にも思春期あるのかな

トランシッド

トランシッド

どかたのおじさんのたからばこ。
トランシッド

ガテン系ファッション。和てぬぐいがイカしてます。

トランシッド

トランシッドは、高さを見るのに使われてました。

2007年10月13日 (土)

かささぎ

かささぎ

なぜかダックスフント。

かささぎ

真っ白な鵲(かち)のおなかの下へ干す 

掘って埋めて

掘って埋めて
掘って埋めて
掘って埋めて

2007年10月10日 (水)

人孔

人孔
人孔

あさ一番で現場につく、すると真正面に酔芙蓉の木がいっぽん。背がたかく、おおきな花をつけている。何本もの枝が低い位置からのびていて、花のつぼみと、ひらいたばかりの純白の花と、一日たったピンクのしおれ花が、まるで女の一生の展示でもやってるかのように、風にゆれている。すごい。わたしは、これをみて、純白っていう色は、一瞬なのかもしれないとおもった。はっとするほどの衝撃をあたえる白。関係ないが、芥川龍之介の「白」って絵本をおもいだした。じしちょくぜんのころの。いぬのしろだけども。
人孔

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post.html

上記の十月二日の現場(おなじ建設会社のほぼ同じ現場)で、人孔という言葉をはじめてみました。なんだなんだ。これは入孔の誤記じゃないだろか。と最初はおもいました。ところが、また、きょう、おなじ字が工事のネームプレート(かならず、書かねばならないし、写真に収めなければいけないものらしいです)のなかにありました。それで監督さんにきいてみると、「専門用語。マンホールをジンコウというんです」とのこと。

まん=man=人。
hole=あな。孔。

ってことやろか?

つづりをまちがえていました。

holly=聖なる。hall=ホール、会館。h は総てを包む。

また現場

また現場

この酔芙蓉の花の下に立ってました。八時半から三時まで。きょうは涼しかった、風があって。車も人も滅多に通らないので、退屈と戦う。写真をかなり撮った。携帯だからとれた。くまんばち?か、すずめばちがたかっています。
また現場

くの字に折れ曲がったあたりで下水のマンホール掘削中。車が入り込まないようにたっています。はっきりいって、人じゃなくても立て看板だけでいいんじゃないの。人件費の無駄。でも、工事報告書にちゃんと警備員まで記載しないといけないらしい。そのわりには、安すぎる警備員の日当。一度たってみたらどなたもわかるとおもいます。ただ立つということの、あてどなき苦痛!二宮金次郎になりたい。本を立ってよみたかった。ひまでひまで。
また現場

近くの家で飼われているにわとり。きのう、立ったところにも居たけど、それは白いレグホンだった。これはあきらかにちがいます。お昼ねをするかと、一時ごろにそっと見に行くと、首を胸の毛につっこんで寝ていた。ところが、じっと見られてると察し、きょきょきょと起きてあるきだした。

還暦をむかえた会社の社長が最近、動物をやたら会社にもちこむ。まず金魚。次に小鳥。ダックスフントのいぬ。さいごが、きわめつけ、にわのにわとり。なんでやー!!いくらなんでも、にわとりまでは世話せんけ。と専務が怒り、あわれ二羽のにわとりはどっかへ貰われていくか、ひとさまに食べられるかの運命。とそこへ、私が立った現場ににわとりを飼っている農家が二軒もあるので、どちらかへ養子にだそうということになった。きょうはばたばたしたからまだ話をしてもいない。でも明日あたり、農家をたずね、うかがってみよう。

(祭りのひよこつりでつったひよこを大きくなるまで育てたのは、社長の娘さん。中一。すごい才能だよね。)

大河を前に

大河を前に

電線にいるのはかささぎの群れ
大河を前に

筑後川の土手のちいさな水天宮
大河を前に

2007年10月 9日 (火)

耶馬渓のまんじゆしやげ

耶馬渓のまんじゆしやげ
耶馬渓のまんじゆしやげ

逆光になってしまいました。

きのう朝十時から、夏に俳句をはじめたばかりの東妙寺らん(俳号)をつれて、あちこちすってる愛車で大分の瀧春樹先生をお見舞いにでかけた。先生は右足、奥様の堀井芙佐子氏は左足がおわるい。おふたりは杖を左右対称につかれて、お迎えくださった。ひょっとしたら、入院なさってるかも・・と案じていたが、思ったよりお元気で、安心しました。神経ブロック注射をなさって、すわれるようになったそうです。「樹」誌には、尿瓶を枕もとにおいてどうのと書かれていたので、心配していた。安静にしていなければならないとのこと。買い物は近所のかたに電話で頼んでおられるらしい。はやくもとのからだに回復されますように。いつお会いしても、とても仲のよい「句夫婦」です。

写真はお昼ごはんに立ち寄った、耶馬溪の蕎麦をたべさせるお店です。彼岸花がまだ群れ咲いてまして、「わずか十日ほどを咲くために一年間土の中で息をためています。どうか踏まないでください」と立て札がありました。公園の向こうには、白い蕎麦の花が真っ盛りでした。写真を撮りたかったけど、時間がありませんでした。(そうそう。お店で隣にすわったのは、連句人の水谷純一郎さんでしたよ。三宅繁代さんもいらっして。うっわ、なつかしいーっておもったのですが、声をかけるのを躊躇してしまいました。三宅さんとは、四年前に来たときにも、耶馬溪附近の道で、ばったりであったのだ。あちらはごぞんじあるまいが。・・これ、つくづくすごい縁だとおもいます。

2007年10月 6日 (土)

rice station

rice station
rice station
rice station
the
southwest country elevator

ライス・ステーション。(じぶんならこうだと名付けてみました。コメの駅です。)正式な名前は、カントリー(グレイン)エレベーター。金曜朝にここへ交通誘導の隊員さんを送りました。収穫のときだけの季節モノだし、記念に写して帰りました。自分が立つのであれば詳しく内部の人に聞けたとおもいますが。

カントリーエレベーターとは・・・地区のコメや麦を一手に集め、脱穀するところ。米は銘柄ごとにわけられ、エレベーターでサイロに運ばれることから、この名がある。

カントリーエレベーターの歴史を知らないのですが、利用するふつうの農家もんの意識として記録のために記しますと、うちがここへ米を預け脱穀してもらうようになって、まだ五年くらいです。

それまでは、自宅で収穫後の籾を「もみすり屋さん」に来てもらい、もみすりやさんといっしょになって籾摺りしてました。肌にくっついたらちかちかする籾殻のこなのけむりのなかをかいくぐりながら。目のまえでモミが玄米にかわり、剥き出しの籾が米袋に入った新米になりました。じぶんちのたんぼで獲れたこめを一年ずっと食べました。それが、カントリーエレベーターですと、みんなのこめといっしょになり、まざります。(むかし学校でならった、ソホーズ、コルホーズ・・なんてことばがひょいと心をよぎりました)。

じぶんちでとれた大事な米をここに預けて、しばらくして、通知があります。うけとりに行ってもいいとの通知があったら、一年間食べるぶんだけの米を、あるいは小出しに食べるぶんのみを、それは自由にきめることができますが、受け取りにゆく、または配達してもらいます。

参照:ソフオーズ・コルフォーズ

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/4888/wuz_klhz.html

「ソ連が崩壊したわけを教えてください」:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1483480.html

2007年10月 3日 (水)

仕事中

仕事中

コンクリートを切るカッターです。細長い水が出ます。どうも水は切る前につける、お裁縫でいえばチャコみたいでした。
仕事中

この若い人もブロック切り中。きりおえるまで時間がかかります。つい写真をとり、はっとして、カラーコーンを道路に並べ守りました。身半分が道路(通りが多いので)にでてます。私も真剣に仕事中。
仕事中

小さなことながら、建物の駐車場ができるとき、車の入り込みぐちって道路の地続きでブロックも低くないといけませんよね。それをこさえている作業です。実にこまかな作業でした。おどろきました。こわしては均し、きれいに箒で掃いてはセメントをこね、つめこみ、高さを測り、調節し、ブロックを長さにあわせて入れ込む。足りない分は石を切り出す。・・ふたりでもくもくと無駄のない動きでした。いやあそれにしてもとても暑かったです!

河向こうの現場へ

河向こうの現場へ

クレーンの下に見える大きな荷物は米じゃなくて、セメントだそうです。まっさきに現場監督に尋ねてしまった。昼休み撮影。なお、現場のひとたちは、昨日もでしたが、みなさんお弁当派で、食べたら、思い思いの格好で思い思いの場所をみつけてお昼ねされるんです。いいなあ。ある人はお宮の床下で顔に布をのせ胸で手をくんで。まるで死体のように。笑
河向こうの現場へ

帰路写しました。行くときは依頼主の軽トラのあとを付いて行ったので、うわーきれいな景色だって思いながらも、写真なんて撮る余裕はありません。なみだがでるほどきれいな景色だった。
河向こうの現場へ

2007年10月 2日 (火)

現場だゎ

現場だゎ

写真の左上のほうにポコと見える人影みたいなものは、祠です。以前から河の傍の道を通るたび、その祠がきになってしかたなかった。今日確かめたら、「水天宮」の文字あり。とてもきれいに祀られていた。山は耳納連山。

現場だゎ

石段をのぼると筑後川が眼前にひろがる。
現場だゎ

朝七時半、四個の弁当を包んでいると、社長に呼び出される。隊員のコウさんを田主丸まで迎えにいき、そのあと柳川までちょっと送ってやって、と。頭の中のイメージでは柳川と田主丸は隣。が、じっさい運転してみると、ちゃうちゃう!大善寺と善導寺がちがうように、まったく逆方向。筑後地方の最南端である八女からまず北の久留米へ行き、次に東の田主丸へ、そして眠たげなコウさんを無理にのっけて、時に急ブレーキをかけ、うしろで寝ているおっさんを床におっことしながら、うんと遠い柳川に下ろす。そして又久留米へ。移動総距離100キロ、移動時間三時間。やっと着いた・・と思えば、現場へ出ているボスから、替わって、と懇願される。

ひさびさの現場は筑後川の傍でした。うろうろして写真をとる。車は二時間中、一台、米屋さんが来ただけ。だいぶ涼しくなったけど、ひなたはとても暑いです。は~おつかれさん。現場にたつと、みなさまの日ごろのご苦労がよくわかります。夕方、家に帰宅すると、また次男が、おかあさん今日は送って。うんいいよ。ということで今日の総移動距離150キロ。ねむい。

2007年9月23日 (日)

お彼岸

お彼岸

 彼岸の歌  

この岸に背高きかぼす実をつけて生まれながらの僧ひとり通す

宙に浮かびて吾は聴きゐたり葉擦れの音も衣擦れの音も

戦にて指を失くせし父ゆゑにかぼすの青は今生のあを

小流れに藻の花ながれ咲き群るる流れの下の杳き風穴

お彼岸の寺五百年つづく寺吾を貫き死者の時ゆく

2007年9月20日 (木)

ゑのころ草

ゑのころ草
ゑのころ草
ゑのころ草

2007年9月18日 (火)

8月11日の稲

8月11日の稲

このジャンボタニシは害虫です。

2007年9月14日 (金)

稲の根

稲の根

無縁仏の墓がぽつんとあります。むかしばあちゃんに聞いたことがありました。とてもおどろおどろしいはなしだったような。でもどんなかわいそうなはなしでも、わすれてしまえるんですから、記憶ってべんりですよね。
稲の根
稲の根

たんぼ、まだ水がはいってるとは。数ヶ月前に撮った稲のあしもとの写真があります。さがして、機会があればアップします。それにはジャンボタニシがくっきり写ってました。

福岡三越

福岡三越

日曜、西鉄電車で福岡まで。何十年ぶりかで西鉄電車にのりました。特急で30分、往復1200円。特急も普通もおなじねだんというのがすごいですよね。
福岡三越

三越、そういえば初めてです。向いは大丸デパートで、下に西鉄バスが走ってました。
福岡三越

なにしに来たかというと、二年も期限を過ぎてた仕立て券つきシャツを仕立てに。娘はいらんというしもったいないので、夫の首周りと袖丈のみ伝えて、レギュラーで作ってもらうことにしました。それでも大丈夫だった。できたら送ってもらうようにして、送料のみ払いました。

9階の展覧会を見て帰りました。キスリングは一枚だけありましたよ。影がくっきりと付された人物画で、なめらかな肌の後ろ向きの裸婦でした。坂本繁二郎をおもわせるモネの「テームズ川のチャリング・クロス橋」と、ドガの「ピンクと緑」の衣裳のきびきびした筋肉の踊り子と、線の太いブラマンクがセザンヌとおなじ構図で書いた山の絵、それと、岸田劉生の麗子像そっくりなルノワールの「幼年期」1891年、が印象に刻まれました。ほかには、シャガールがたくさんありました。ヴァイオリンを抱いて宙に浮く構図の絵とかです。ユダヤ人だったのかシャガールは。たしかキスリングもそうだったなあ。ポーランド出身のユダヤ人だったと記憶する。でもパリにいたので、戦争が始まってからは仏兵として従軍した。

2007年9月 6日 (木)

『ペンを剣に代えて』

『ペンを剣に代えて』 大石政則日記

(三日前の夜、ネットで初めて注文した西日本新聞社の本です。きのう帰宅するともう着いていました。むすこを塾まで送らねばならず、もってでかけました。車中でとって送信したのでやや暗い。)さくらさんのブログをごらんください。

http://blog.goo.ne.jp/ssj19430903/e/f4c28e076ab1cebbeba0d1d1f148e596

久留米図書館駐車場の夕空。

2007年9月 5日 (水)

水天宮 2

水天宮 2
水天宮 2
水天宮 2

2007年9月 4日 (火)

水天宮

水天宮

下方の数人は写真撮影をしているのです。
水天宮

ここの狛犬、厳格だが可愛い+おとぼけ味もあるというリッチテイスト。水天宮2 に後ろ姿もあります。ヘアスタイルがスフィンクスです。
水天宮

境内のまんなかにある招霊(オガタマ)の樹。いやでも目につきます。2 に、アップ撮影があります。