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2017年3月31日 (金)

小澤先生のリードでふるさとを聴きながら

小澤先生のリードでふるさとを聴きながら
小澤先生のリードでふるさとを聴きながら
小澤先生のリードでふるさとを聴きながら
小澤先生のリードでふるさとを聴きながら

小澤俊夫『昔話へのご招待』放送400回記念👇
http://fmfukuoka.co.jp/mukashi/

2017年3月13日 (月)

大滝詠一のfour times funを聴きますと。

https://m.youtube.com/watch?v=8_9bZcdlfPE


この人のカバーが一番似ている。

ラジオから流れてきたのです。

これ聴きますと、
音彦さんとらんちゃんのことをなぜか思い出します。
もう七年?経つのかしらねえ。

2017年3月 3日 (金)

はやぶさ二は竜宮を目指す


http://uchu2ch.blog.fc2.com/blog-entry-1480.html?sp&sp


亡き友のグローブのよな手を思い出す
うらうら春の野道を行けば

靴が鳴る
作詞 清水かつら
作曲 弘田龍太郎

2017年2月 9日 (木)

ラジオを聴きながら


FMふくおか、
なかじんの内緒の話、を聴きながら、車中食。

青春の胸騒ぎ、がかかる。
おー寒シティ倶楽部。
歌詞が素敵で、深追い。
ここ、開きなせえ。


さっきはエメさん、の歌がかかる。
売れとんしゃるとね。

今夜は雪が20センチも積むらしい。
工場のストーブにも、たんまり油を入れて、いざ。

2017年2月 5日 (日)

寒ゆるぶ 広瀬香美の指と唇

寒ゆるむ 広瀬香美の指と唇


西日本新聞日曜日版のGet欄。
福岡県出身ではないが小学生から福岡暮らしだって。
福岡女学院中高からくにたち音大作曲科卒。

「ジャスティン ビーバーでもブルーノ マーズでもいいんですけど、ある節の感情の出し方が新しいと、これは人類の進化じゃないかって気付くんです。どうやって出しているんだって。プロはプロなりにプロ同志が気付く進化ってものに敏感で。」

かささぎ、このことばに打たれた。
ジャスティンビーバーは下の息子が教えてくれたが、
ブルーノマーズはお初!

どれどれ。聞いてみましょうか。

https://m.youtube.com/watch?v=zUDplBndUOw

2016年12月28日 (水)

りょうそう先生からのおたより

りょうそう先生からのおたより

八女出身でいらっしゃるのに納楚をご存知ないとは。モグリだ!
だが、待てよ。かくいうわたしも八女にいながら、新庄を知らなかった。
ことし九月、竜巻被害に遭ったところです。
八女もひろいものですねえ

参照記事
熊谷弘指揮者 (wikiより)

経歴 編集

福岡県に生まれる。福岡県立八女高等学校卒業後、武蔵野音楽大学作曲学科に入学し、クラウス・プリングスハイムに作曲を師事する。1957年、日本フィルハーモニー交響楽団に打楽器奏者として入団する。1960年代はニューディレクション設立にあたり同人として現代音楽と積極的に拘わる。傍ら指揮を渡辺暁雄に師事し、室内合奏団(スペルーロ合奏団)を組織し、放送(NHK-FM)、演奏会などで指揮活動を行う。

1970年、日本フィルを退団と同時に打楽器奏者を引退、同年日本フィル特別演奏会において指揮者としてデビューする。1971年、自身の企画によるコンサート「クラシックスシリーズ」を主宰、在京オーケストラの協力を得て年間数回の公演を開催する。

1979年、「日本の音楽展」を開始する。1989年、開催10年の実績に対し、第6回中島健蔵音楽賞優秀賞を受賞する。1998年、開催20周年を機に、作曲家の松村禎三・廣瀬量平・三善晃・佐藤敏直に選考委員を依頼し、「日本の音楽展・作曲賞」を設立する。1981年より、「第九と皇帝」を企画プロデュースする。在京オーケストラの協力を得て客演指揮者を招きながら、年末恒例の演奏会として定着し、自身も指揮を担当する。1989年、オーケストラ在籍奏者やフリー奏者によるシンフォニーオーケストラ“グレイトアーティスツ”イン ジャパンを結成、以降、同オーケストラを指揮して「第九と皇帝」にレギュラー出演している。

指揮活動は、レコード、CD、映画音楽のジャンルにも亘り、映画音楽では「砂の器」(野村芳太郎監督劇場映画)、「交響組曲 宇宙からのメッセージ」他、アニメーション音楽では「交響組曲宇宙海賊キャプテンハーロック」「交響組曲サイボーグ009」「交響詩銀河鉄道999」「もののけ姫」等を指揮している。合唱組曲「宇宙戦艦ヤマト」では日本コロムビアよりゴールデンディスク賞を受賞した。現在、指揮活動の他、コンサートのプロデュースやミュージックディレクター等も務めている。


なぜ日本人は暮れに第九を聴くのかについての考察
(タワレコのブログより)
1824年にウィーンで初演された「第九」が日本で初めて鳴り響いたのは1918年6月1日、徳島県鳴門市にある板東俘虜(ふりょ)収容所でのことでした。演奏を行ったのは第1次世界大戦で日本軍の捕虜となったドイツ兵たち。その背景には所長の松江豊寿による捕虜に対する人道的な処遇や、捕虜と地元民との心温まる交流がありました。ベートーヴェンが感銘を受けた詩人シラーによる、人間愛や世界平和を歌った『歓喜の歌』の詩に相応しい史実があったのです。
日本で年末の「第九」が定着した由来は諸説ありますが、有力なのは以下の2説です。
(1)1943年12月に上野奏楽堂で行われた学徒壮行音楽会で「第九」が演奏されたことに由来するとする説
学徒出陣で卒業を12月に繰り上げた学生たちの壮行会で「第九」の『歓喜の歌』が演奏されました。戦後、生還した学生たちが再び12月に「第九」を演奏し、帰らぬ仲間たちを追悼したといいます。
(2)戦後の貧しかったオーケストラが年末のボーナス獲得のために「第九」を演奏したことに由来するとする説
人気曲「第九」をやればお客が入る、アマチュア・コーラスならばコストを抑えられるし、チケットもメンバーがさばいてくれる、と良いことずくめ。
おそらくは(1)と(2)の両方の理由と、「第九」が醸し出す崇高にして華麗な雰囲気が師走に日本人が寄せる感情に合致したことで「年末=第九」の図式が定着したものと思われます。

2016年10月26日 (水)

口ずさまずに口ずさんでる歌


http://www.worldfolksong.com/sp/songbook/czech/kinoii-ahiru.html

むかしアヒルはからだが大きくて、

で始まるうた。

ある日ふと心に浮かんで、離れない。

とうとうしらべてみた。
民謡でしたね

2016年10月24日 (月)

ハワイアン観劇、久留米シティプラザ

ハワイアン観劇、久留米シティプラザ

久留米の小川千代さんから、買ってたチケットが無駄になるから行って欲しいと送られてきたものです。
お姑さんの法事で納骨をするから、行けなくなったそうです。
思いがけず、初めての久留米シティプラザ。
井筒屋あとに建ったハコものですが、立派でした。
駐車場も、すぐ左手にあります。
スムーズに地下二階にとめることができました。
支払い、乗り込む前に出来ますので、楽です。

ハワイアンは初めてみました。
有名な踊り手と歌い手さん、それにアコギ三人組おじさんず。プラス、シングルシンガーのおじさん。
うわー。
ぜんぜん名前覚えることができませんでした。
フラダンス、教えてもらいましたよ、せいちゃん。
ゆったり、ゆたかに、みちたりますね。

ん、これ、どっかで聴いたぞ。と思った曲は、
今井美樹さんが歌ってた、プライドでした。
そうか、あれもフラになれるんだね。
なんという唱法か知りませぬが、とびきりの美声の美女が、高い裏声を長く長く延ばして歌いました。
すこしヨーデルを連想しました。笑。

会場のとなりではフラワーデザイン展があっていて、自由に見ることができました。

空席はなかったんじゃないかな。
確か1600人くらいは入るのだ。
私の目に四人のダンサーのうち、もっともふっくらとした女性が一番うまくみえました。
日本縦断のドサ回り(失礼)ツアー中らしく、あと、佐賀市や大牟田やまだ幾つか残っていました。
ソロ歌手のおじさんが歌ってくださった、祈り、という曲、良かったです。

券をくれた友に、有難うございました。

2016年8月 5日 (金)

アゲハ蝶

2016年6月22日 (水)

あなたのように

ドリカムの歌。

http://sp.uta-net.com/search/kashi.php?TID=207278

申し訳ない、コピペでぐぐって、ひらきませう。
いやされるう。

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