無料ブログはココログ

2009年12月14日 (月)

エリカの花ー西田佐知子とその時代談義(というほどでもないけど)

コメント

左の黄色のは十月末の連句会でせいこさんがもってきてたもの、まだご健在。で、右のサルビアレッドのすずらん型の花ですけども。花だけ見たら、ぜったいこれは「エリカ」なんです。でも、エリカを調べると、葉っぱが違うのですよね。これは針葉樹みたいな葉っぱではないのです。あとで、ぜんたいの立ち姿の写真もアップしてみます。どなたか、何の花かごぞんじでしたら教えてください。

ってことで、エリカから、西田佐知子を思い出してしまいました。勤務先の先生に西田佐知子を知っていますか。とたずねたら、一回り下の先生はやっぱりご存知ない。そりゃそうだわ、かささぎ九歳のときのヒット曲「エリカの花散るとき」。父が西田佐知子が大好きだったので、歌も完全におぼえていました。アカシアの雨がやむとき。と同じひとたちが作詞作曲してました。

nightこんばんわ
これはエリカの花のようですね。
西田さんの歌>>私も大好きでした。
一番好きだったのは「コーヒールンバ」・・歌のとおり、アラブ人が最初にこの世に広めたようですね☆
陽水さんのコーヒールンバも好きですよ♪
昔の歌謡曲の歌詞って楽しい~notes

エリカ>>旬の花コーナーにこの赤い花とそっくりのが載るんだけど、今よく見てみたら葉っぱが違うようです。
形はそっくり同じなんだけどね。 この花はいただき物?
黄色いのはなんていうのでしょうか? よく見かけます。 それにしても寿命が長いですね☆

えめさんへ

黄色の名前も右の赤いエリカ風の花の名もしりません。だれかおしえてください。

 昔々その昔、小さな川のほとりで、じゃなくて伊豆半島の、そうじゃのぅ、どこじゃったじゃろうか。フラワー・パークみたいなところにエリカの花が咲いとってのう。つい西田佐知子の歌を思い出したものじゃった。
 で、私が最初に西田佐知子の歌を聴いたのは「日曜はダメよ」という、映画の主題歌日本語バージョンだった。幼心に、この歌詞でなぜ日曜がダメなのか、その関連性がわからなかったことをおぼえている。その後が「コーヒールンバ」で、「コンガ マラカス 楽しいルンバのリズム…」という部分を「こんな笑かす…」かととんでもない方言的聞き取り間違い~どうでもいいことはよう覚えとる。最初はポップス系だったのが、「アカシアの雨がやむとき」で歌謡曲に転向(当時よくあったケース)、60年安保の挫折感を象徴する歌だったと当時の世代は語っておりますたい。で、70年安保の挫折感は青江三奈が歌うと予言した人とか、いや藤圭子だと言われたりも。
 「政権交代」の挫折感なんて誰も歌わないね。いや、「構造改革」も「行政改革」も。70年代以降は時代状況や社会的事象が、一見何の関係もなく幅広い世代に歌われる流行歌に託されて歌われることはなくなったのかも。

2009年12月10日 (木)

医療と統計学 全国患者調査 1       乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2009 年 12 月 10 日 木曜日

「平成20年患者調査」結果が発表されました。

患者調査というのは、10月の特定の調査日(平日)に病院や診療所を利用した患者の実態を調査するものです。

なお、退院患者の実態については、9月中に退院した患者を調査しています。

調査結果によると、調査日に全国の医療施設で受療した推計患者数は、入院139万人(病院133万人、診療所6万人)、外来687万人(病院173万人、診療所514万人)でした。

入院患者と入院患者数相当の外来患者を病院が受け持ち、そのほかの外来患者を診療所がしっかりと受け止めている日本の医療の姿が、全国統計を鳥瞰すると見えてきます。

ごく一部の病院だけを見て日本の医療を語ることの危うさがわかります。

75歳以上の患者は、入院65万人、外来159万人です。

入院患者の半数は後期高齢者であることがわかります。

後期高齢者の入院医療の診療報酬の抑制が全国の病院経営を直撃することが頷けます。

患者調査は3年おきに実施されています。

前回調査(平成17年)と比較すると、入院患者数も外来患者数も減少しています。

患者数が減少した理由は、国民全体が健康になったからなのか、受診が抑制されたからなのかはわかりません。

年齢別に見ると、75歳以上の患者数は増えていますが、他の年齢では減少しています。

(保健医療経営大学『学長のひとりごと』を転載)

これまでの「保健医療の地域経営」カテゴリーの文章を全部読む:

http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/category/health-m

▼かささぎのひとりごと

トイレになぜか「統計学」の本が数日おいてあった。ぱらぱらめくってみた。難しくてさっぱりわからんかった。経済の項目のなかに統計学があるのだろうか?そいったこと、なんも知らんのですが、上の乙四郎先生の一文をよめば、いかに統計学が大事かわかります。まず現場の正確なデータがなければ、なにを手がかりにどう方策を編み出したらいいかがわからないからです。
連句への下心から始めた乙四郎元官僚語録でありましたが、だんだんはまってきてしまいました。こういう勉強をプロの視点で解りやすく教えてくれるのは、保健医療経営大学だけです。そこな大学浪人さん。あるいは就職難民さん。ここに大穴のねらい目大学があります。みんなで保健医療経営大学へ入ろう。そして日本の医療を学び、問題点をみすえ、医療をかえよう。連句俳諧もやって、じんせいのなぞとこの宇宙の謎をときあかそう。

昨日からの続きコメント、温暖化とのど自慢。

コメント

cloudおはようございます。
昔、子供時代の冬はほんとに寒かったね。
しもやけ皸(あかぎれだって)は普通やったし、
暖房といえば炬燵か火鉢くらいで、しかも火鉢にでも手をかざしてたら年寄りからめっちゃ怒鳴られたものです。
子供は体を動かしていれば暖かいものだとか言われて^^
寒や夏の厳しさはある意味精神も鍛えられるかな?
子供時代の下着を覚えてる? 肌色で分厚いメリヤス製で前にボタンのあるやつ。
あれかっこ悪かったけどぬっかったね♪
寒対策>>今は薄くてぬっかヒートテックとかいいかも。まだ持ってないけど^^

やはり温暖化か、と思うのは、夏2階が暑くてたまらなくなったこと。主人の妹が7月に里帰りした時、2階で寝たら熱がこもって暑くて一睡もできなかったとか。クーラーもあるのに。昔は、その2階でクーラーも無く寝てたのにね。
逆に冬が暖かくて、我が家はこたつも出さなくなりました。ヒートテック下着でOKよ。

絵目さん。メリヤスってことば、なつかしいですね。
そんひーとてっく。整骨院の患者さんも着ている人が増えました。半そでのは売り切れてたと昨日の人はいってた。のど自慢にでたって人。こないだくるめであったでしょう。(なしか必ずそろばん歌やらせますよねえ)

まりさんちの屋根裏部屋にいつかあがりたい。
サンタのおじさんがどっちの煙突から入ろうかと迷うような煙突二つの家。かささぎの旗のごく初期の写真に雪の写真があります。(人気が高かったんだよねあの写真。)
「冬至」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_53f8_1.html
小公女せーらも詩人もみんな屋根裏べやにすんでいたよねえ。熱かろうがさむかろーがけなげに生きていた。だからあこがれる。
かささぎの古い家はゆがんでいて、隙間が寺田のお宮なみにもろみえ。暖房がんがんつけた上ストーブたいても、熱効率最低。無駄を絵にかいたようだ。むかしは辛抱した。いまはできん。

「大気中の二酸化炭素が熱の外部放出を妨げるという「説」の根拠データが捏造だというホットな話題(クライメートゲイト事件)が本当だとすれば、二酸化炭素を出さないエネルギーとして原子力発電や太陽光発電を推進している地球人たちは、とんでもない愚か者だということになります。」(元気象大学生のコメント)
とんでもない愚か者。ほんとうに。
根も葉もないうわさばなしを信じて(信頼できる情報であるとよく確かめもせず単なるエコファッションに踊らされて)、CO2・25%削減を国際公約してしまったわが国の首相。ほんとうにはずかしいです。

music愚か者つながり♪
昔はショーケン、その後はマッチさん。
いい歌だよね。
「・・失くした時間を男は振り向き 女は消し去る・・」ってとこ好きよ^^♪
のどじまん>>ぼんさんのご主人も出られたらよかったのにね~bellbellbellbellbell
では、今日もお気をつけてcar

 久留米であったのど自慢、当日朝刊のテレビ番組欄で知り、でも用事があったので録画しようと思いながらつい忘れて出かけてしまった。誰か、録画したという酔狂な人はいませんか?「そろばん歌」は私も得意です、母が昔そん踊りばしよったけんね。「久留米小唄」は歌い出ししかしらんけど。
 新宿ゴールデン街に久留米の、しかもM高校出身の人(もう65歳ぐらい?)がやってる店があって、筑後地方の人が来るとベラベラのちっご弁に早変わり。名物ママさん(ババさん)の1人らしい。数年前に息子も同じゴールデン街に店出したとかで、新聞に出てました。東京にお越しの節はご案内申し上げます。
 温暖化の問題、諸説あって何が正しいのか素人にはわからん、早計は禁物だが、とにかく海面上昇で領土がなくなる国にとっては大問題。その国の人たちは「環境テロ」と言ってるらしいが、その気持ちもよくわかる。これが「日本沈没」だったらみんなもそう思うでしょう?しかし、だから火力発電はダメで原子力発電賛成論というのも陰謀臭い。核廃棄物が、後の世代にどういう悪影響を残すのか、年金問題より難しいかも知れませんよ。

あら、のど自慢がくるめであったんですか?
主人はちゃっかり申し込んでましたよ。でも、落選でした。予選に出られるだけでも大変らしい。見に行くほうの抽選にも外れたといって悔しがっておりました。弓頭ぐらいでちょうどいいとよ。

のどじまん。ほんというと、院にみえてる人たち七人組さんは最終まで残ったのに出れなかったて。この方たちは皆老人ホームの介護の方でした。かささぎ整骨院には介護職の方が多くみえています。
だれか録画してあるとはおもいますが、それよりアーカイブ探したらありませんか。ありますよきっと。
ちょうどよかった。ろいりーさんへ。お正月のオフ会、またこりもせずガストでやりましょう。ほかにさつき庵もあるのですが、別においしいものとかたべんでいいでしょう。苦笑。高校生ののりでいいよね。ちょっとざわついてて、半分浮き足立っているがさつなガスト。かささぎは逆におちつく。四日の七時から。あるいは五日の九時から。(七時からの場合は夜、九時からの場合は昼。どちらがいいですか。このへんな時間はもう仕事が入っているからです。笑。ともかく早く仮ぎめしましょう。)えめさん、ぼん、せいこさん、まりさん。乙四郎。ぼんのおとう。ひまならきてね。親戚寄りがもう終わってるころではなかろーか?みんなでろいりーさんと音楽や映画や歴史やむかしのはなしをしましょう。かささぎは竹橋乙四郎が大好きだし、神津ろいりーさんも好きだし、俳人の中山宙虫もすきだし、函館の杉作先生も好きだし、ばどさんもすきだし、丸山しょうきょどんもすきだし、しらべさんもすきだしぼんのおとうもすきだよ。あ。せいちゃんのおとうもね。(笑)・・・。まことに気が多いよなあ。とは想うけど、夫がいない特殊な身の上なんで、許されよ。下心はありません。なーんもござんせん。どうか、ごあんしんください。(けっだれがしんぱいするかよって。むかっ。それもまたさびしーんだよー)
又、まじめな話にもどします。
反原発集会には一度いったことがあります。36歳のとき。

その方たち(最終まで残ったのに本番には出れなかった人たち)がいっていらしたのは、紅白で流す予定の歌があって、とっても高度な歌で(という意味は複雑なメロディラインの曲だったらしく)、それを日本各地のふつうの人たちがワンフレーズずつちょこちょこっと歌ってつないでいく・・・、むかしあった、ういあーざわーるどみたいな歌のパッチワークフィルムを作るため、カメラの前で歌わされたそうです。それもまたたのしみだっていってらした。でも高齢のかたはそれでへとへとになって帰ってみえましたよ。拘束時間がとても長かったくたびれたといって。

実はかささぎどんはおじ様キラーなのだ。英語の忘年会の時判明した。「べっぴんさんになったなあ。」とか「又会いたかった。」ってもてもてだったよーん。

のど自慢といえば私の知り合いも書類審査で落ちたよ。ものすごく上手なのに残念だった。

かささぎどん、下心、みえみえだよ。皆連句に誘いたいんでしょ?ははは・・・彦山は誘えばどこでも付いて来る。

おわわ・・まりさんそりゃかばいすぎ。笑
もてるのはぱんつのひもだけです。
ばあちゃんは百姓なのでいつも夜に縫い物をしますが、裁縫箱ががば古い。くつした我が家の場合男が三人もいて常に片方を探してる。穴があくスピードが新幹線なみ、穴かがりをしてくれる。子たちもいやがらずはいてく。父のぱんつのごむやぱじゃまのごむをいれかえてくれる。だけど昔とちがって布に縫いつけてあってだんだんできない。

のどじまん、選出するための基準があるみたいね。じょうずへたとはちがう構成の型があるっちゃろね。地方の独自性と世代や職業の多様性それに個性と生き生き感。・・連句の構成ににてるかもね。どうも本番当日までだれが採用されるかわからないらしかった。ゆとりをもって局側は多いめにえらび、その人たちを応援人も含めて招待するみたい。なにしろライブやし、ふたをあけるまで何があるかわからんもんね。あるばあちゃんは一キロやせたっていいよんなさった。当日の予選映像はみせてくれるらしく、携帯にとった写真をみせてもらいました。のど自慢って目にみえる以外にもいろいろある大掛かりな興行なんですねえ。

さむいってとこで、えめさんが(ろいりさんオフ会の返信メール中で)書いてくれた、昔のおとなは決して寒い暑いをいわせなかった。それは季節のあたりまえだったから。ということば、私もおもいだしました。火鉢に手をかざすのも年寄りだけで、こどもは風の子だって外においやられた。それは美学だったと思う。先日、太宰府の観世音寺でみた、石の水紋のみごとな造形とびしっと重なる日本人独自の美学です。

石の水紋:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-16.html

2009年11月19日 (木)

大浦みずきさんとりかさん

『二人日和』をもう一度みたいとずっと思っていたのですが、三潴図書館の棚にあるのをこの5日に偶然発見、かりてきていました。その数日後にとった写真に映画をみてから記事をつけるつもりでした、ところがその後突然大浦みずきさん肺がんで死亡というニュース。ええっとおどろきました。

りかさんともみずきさんとも全く面識ないというのにとても親しみを覚えるのは、りかさんところで京都三条ラジオカフェのみずきさんとの共演の回をきいていたからだとおもいます。
一期一聴とでもいうべきご縁。
だけどりかさんのブログにいっても、なにも書かれておらず、沈黙しっぱなし。
これはどうしたことだろう・・と心配になり、つい関係のないところで連句的に書いてしまいました。こういうことは、連句的についでにかくことでは決してありません。故人に対して礼を失します。

チャオリカブログから京都三条ラジオカフェのさっきご紹介分を探し出してきてもう一度聞けるならと思いますが、できないものでしょうか。

りかさんがかささぎの旗によせてくださったコメントを紹介して、それをもちまして追悼のことばといたしたいとおもいます。

お久しぶりです。
お気遣いをありがとうございます。何か仕事しているときは、凹んでいられないので精神を別物にしています。が、ふとした時や就寝の時など、勝手に脳みそで大浦さんのいろいろな場面をプレイバックしてしまいます。
彼女は本物のサムライだったのと同時に、本物の女性でした。
彼女は、しなだれたりしないし、弱々しくもありません。でも本物の女性でした。
だからこそ、私が男性だったら抱きしめたくなったと思います、畏れながらm(__)m

9月は呉海軍墓地、10月は全国ソロモン会の慰霊祭に参加し、旧帝国海軍、陸軍の戦友会の方々にお会いし、11月には現在の戦友を亡くしてしまいました。
海軍の戦友会会長さん(92歳)が言っておられました。

人間、死ぬるときは平和の世でも死ぬる。死闘の中でも生きるときは生き残る。

って。
私のこと、覚えていてくださりありがとうございます。頑張ってます。

大浦みずきさまのご冥福をお祈り申し上げます。

        合掌

※タンゴバイオリニスト麻場利華さんのブログ

哀悼大浦みずきさんhttp://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-180.html

哀悼大浦みずきさん2http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-181.html

哀悼大浦みずきさん3http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-182.html

哀悼大浦みずきさん4と5http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-183.html

2009年10月23日 (金)

追悼 加藤和彦 6 フォークソングとロマンポルノと

sunさとえりじゃなくてさりえりね^^(さとえりファン♪)
アマデウス>>よい映画でした。
この映画はサリエリがいたからこその映画だと思いました。 ぴったりの役者さんでした☆

サトエリなら知ってますが、サリエリってなにもの?とうきぺでぃあ君にたずねたら、教えてもらいましたが、知りませんでした。笑

坂崎さんが骨董収集家であって骨董市でカメラを売ってたのに遭遇したさくらさんといい、渡邉けんさんが、新聞に投稿していたのを見たかささぎどんといいい、へえ~っと感心させられるばかりです。

坂崎さんのすごいところは若い世代のアーティストと往年のフォーク時代のスターの架け橋になってくれているところ。坂崎さんがいなかったら、吉田拓郎がキンキキッズとタッグを組む番組なんて実現しなかったんじゃないかと思います。

坂崎さんの骨董品の本出てるよ。
明治大正時代のガラスのお皿とか素敵なものばかり。

歴史の道具ということで、靖国神社のミュージアムでも売っています。

子供のころから回りに音楽やものづくりなどが好きな兄弟や親戚のおじさんとかいっぱいいたから・・・・と言ってましたよね。

 高田恭子が加藤和彦の恋人だったかどうかは、単なる噂話ですよ、関西フォーク関係者の。どっちみち「恋は短い夢のようなものだから…」。

で、「ど」がつくという意味はわからんけど、「竹田の子守唄」がフォークソング化したのはちっとも変ではありませぬ(この歌はアマチュア時代の高田恭子らの自主製作LPにも入ってた)。

そもそもFolk songのルーツは米国白人の民謡で、だから日本にもこんないいFolk song=民謡がありまっせ、というわけで、フォークルも「ソーラン節」や「こきりこ節」をフォークソング風にアレンジして歌ってたし、五つの赤い風船は「貝殻節」を、山田パンダやイルカの夫らがメンバーだったシュリークスは「からめ節」を(ちなみに森繁節の「知床旅情」を最初にレコード化したのもこのグループ)…と、数え上げれば結構ある。

で、拓郎・陽水・かぐや姫あたりから、日本のフォークソング・シーンは売れ線狙いが増えて、こんなのフォークじゃないという反発もあって、ユーミンの別にフォークソングじゃなくてもいいよなんて発言もあり、いつしかニュー・ミュージックなる言葉がそれに替わっていって、というのが1970年代の流れ。(かささぎのことば:きゃーなつかし!ニューミュージック、なんて古いことばなんだ)

 神代辰巳が、そして日活ロマンポルノが初めてキネマ旬報ベストテンに現れたのが「一条さゆり 濡れた欲情」、その後、「四畳半襖の裏張り」(かの谷崎潤一郎が書いたのではないかと言われている「…下張り」が原作)など続々と傑作・佳作が出てきたが、ちょっとタイトルがね。(かささぎの声:うんうん。題名きいただけで、ひきますもんね。でも巨乳なんとか爆乳かんとかという類の題名よりは救いがあるよ)。
「青春の蹉跌」も良かったけどこれは一般映画だし。

私が個人的に好きなのは「赫い髪の女」、これがいいのでは?

日活ロマンポルノと言わずに、映画通のふりして神代辰巳監督の、と言えばいいし。
私が好きだった憂歌団が音楽やってるし。
おっと、今調べたら、原作は中上健次だったのか。
ま、レンタルとかで見つかるかどうかがまず問題ですね。
こないだ書いた元文部官僚もたぶん推薦すると思います。

おお。そうだったんですか。
いろいろと知らなかったことを教えて下さって、ろいりさんかたじけないです。
さすが底意地の人ろいりーさん。

映画の題名を教えてくださったのは有難いのですが、八女にはなかろう。
ドヌーヴのインドシナやシェルブールの雨傘さえなかったし、そんなマニアックなのが置いてあるとは思えません。
題名、赤い髪の女、赤赤ですね。中上健次原作。はいわかりました。
意識のすみにおいておきます。

ほかに長男に頼む、という手も考え付きました。
でも断られました。
「張形としての俳句」を書いていたころ、江戸の春画の本をどうしても読む必要に駆られ、買ってきてと長男に頼みましたときは、いやな顔もせず買ってきてくれましたが。
おんなが思うエロスと、おとこの思うエロスとはまるで違っている。よね?
かささぎは独身ですので、女である自意識を保つ必要性をかんじます。
このいいかたはとっても変かもしれませんが、意識しないと女になれない。
そのうえ、おんなでいることは、かささぎにとってはとっても苦しい。

先日むすめが帰省したとき、あのね、子供のころ、おかあさんが化粧をしていなかったのが私はとってもいやだった。と言うのを聞いて、へえそうだったの。と反省させられました。
だいたい、三人も子育てしているときに、化粧なんてしてた?
していなかったよね。
しょうこ。あんたも母親になったらわかるよ。(kasasagi)


2009年10月22日 (木)

追悼 加藤和彦 4

コメント

 しつこくてすんまへん。昨日忘れたこと、加藤和彦の最初の奥さんは、アマチュア時代の京都のフォーク・サークル仲間にいたミカさんという人、「帰ってきたヨッパライ」以前から交際してたんですね。ところがゴシップ的に言うと、「みんな夢の中」でプロデビューし唯一のヒット曲を出した高田恭子という歌手も、京都時代はそのフォーク・サークル仲間の1人で、加藤氏のその前の交際相手とか。そして高田恭子はその他の仲間たちと一緒に、フォークルよりも一足早く自主製作LPを発表していた。その中に「竹田の子守歌」も入っていました。私は大学時代に先輩が持っていたその実物LPを見たことがある。でも加藤和彦が一番愛した女性は、やはり安井かずみだったんでしょうね。
 松岡正剛については、いろんなことやってるような人なので私もよく知らんけど、初代六文銭が歌った「それから」という詩は好きだった。谷川俊太郎はみなさん御存じでしょうが、高石友也ファーストLPに入っている、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」は、さっきの「それから」とともに私の大事な弾き語りナンバー。
 昨日の夕刊で吉田拓郎が仕事に復帰と書いてあった。そういや彼も数年前肺ガンが見つかったんでしたね。いや、もっとやれるだけやってほしい。そして今彼に一番歌って欲しいのが「青春の詩」をパロディ化した「老人の詩」の2009年バージョン。昨日「吉田拓郎 老人の詩」で検索したら、こんな面白いのが出てきました。坂崎幸之助がやりそうな感じ。
 ↓

 あ、しつこいついでにもう1つ。日活ロマンポルノは1970年代日本映画に咲いた大輪の1つ、ここから多くの映画監督、桃井かおりなどの女優はもちろん、風間杜夫・奥田瑛二などの男優も成長していきました。「日活ロマンポルノ」ち言わんで、作品名を言うたらよかでしょうが。あ、それでも女性には言いにくいタイトルがちとあるけど。
 みなさんたぶんおきらいな元文部官僚寺脇研も、私にとっては同世代の、日活ロマンポルノをはじめとする当時の「青春映画」を愛したアマチュア投稿者から、プロ級になった映画評論家なのです。

night私、坂崎さんの大ファンです♪ 彼がいなかったら往年のフォークスター達の今はありません^^☆

冥福・加藤和彦氏>>今夜の夕刊に、北山修氏の追悼文が載っていました・・☆

カメラや骨董品収集家の坂崎さん、近くの阿佐ヶ谷の神社の骨董市でオールドカメラを売っているのに出会いました。
買っているんじゃなくて売っているんです。
確かひとことふたこと話したと思います。
自慢です。
彼の骨董品収集、半端じゃないですね。

へえー。へえー。へえー。笑
みんなよくいろんなことをごぞんじですね。
私はとし上のともだちを持てなかったので、同年代の話題しか知りません。年代が少しあがったりさがったりするだけで、だいぶ印象が違ってきます。
昨日、歌番組があっていて、昭和のヒット平成のヒット曲というのをやっていた。なんだったと思います平成一位。巣マップの世界に一つだけの花。だーれがえらんだよと思った。
選ぶ年代で違ってくるにちがいない。

ろいりさん。
高田恭子は加藤さんの恋人でしたか。へーえ。そんなことよりじぶんがへんだとおもうのは、フォークソングになぜ「ど」がつく「竹田の子守唄」が入り込んできたんでありましょうか。ってことです。
当時もね、なんかへんだなあ。と感じたのを覚えている。ちゃらちゃらした歌ばかり(あいだのこいだのの)の中でとっても異色でした。
「死んだ男の残したものは」「それから」がろいりさんのおはこ、では、機会がありましたらみんなにおきかせくださいませ。

ロマンポルノ、えめさん借りれる。よう借りれん。
では、題名を教えてください。これだけは見といた方がいいというの、くましろかんとくのがいいです。
いつか借りてみれるときがあるかもしれないから。

sunおはようございます。
ろまんぽるの>>私みたことはありませんslateそれに私もきっと借りれないと思う^^
神代監督はテレビ時代のドラマで気に入ってました。

さくらさん、坂崎さんとお話されたのですか! いいですね~☆ 
あの方は色んな才能をお持ちですね。
彼は私達より年下ですが、フォーク界の生き字引きですよね。
すべての方の歌が弾けて歌えて、、またそれがそっくりに真似できるという才能は天才的でほんとにすばらしいです^^☆ 

えめさん。そのことば、さりえりを連想。子がおととい横であまでうすみてた。
さくらさん。都会はそういうことがひんぱんにあるんでしょね。すがおのすたあにでくわす。

ところで坂崎さんとお花作家の人と混同してしまいませんか。

2009年10月21日 (水)

追悼 加藤和彦 3

思い出しました。
あるきつかれてしまいました。で始まるものでしたね。
ばいばい、ばいばい、きょうのすべて、ばいばい。

 う~ん、聴いたことあるようなないような。「結婚しようよ」後の拓郎の歌で私が好きだったのは、「生きていくのは、あーみっともないさ、あいつが死んだ時も、おいらは飲んだくれてた…」というので、タイトルは忘れました。その頃既に坂口安吾の洗礼を受けていた私は、みっともなくとも「生きよ!堕ち延びよ!」(だったかな?)と思い、結局あまり堕落もできず、中途半端に生き延びている。
 あ、「落陽」も好きです。

あ、はい。落陽、わたしも大好きです。
この曲は吉田拓郎さんの数多い楽曲のなかでも、名曲の部類に入ると思ってます。

幸か不幸か、坂口安吾さんの堕落論に影響されなかったわたしは、このあと、健全な精神のまま、井上陽水にまっしぐらに傾倒していくのでした。笑

映画『イマジン』(ジョンレノン)をつい最近みたんです。三潴図書館から借りて。薬をやっていた時期があったんだね。かおみたらすぐわかる。それでしんだスターたち、おおいし。
ろいりさん、せいこさん。加藤和彦追悼なのに時代の追悼みたいになりますよね。
吉田拓郎、いつのまにかポップスターになってしまって。という呂いりーさん。ほんにほんにのう。そげなかんじ。「これこそはと信じれるものが、この世にあるだろか」ってころがいっちゃんよかった。からだもやせっぽちだったころ。
三回も結婚したー最初の妻、おけいさん。だったっけ。つぎがみよちゃんで、いまのひと。いまの人、かんじいい。なまえでてこなくてごめんなさい。おとといドラマにでていらした。
加藤和彦、最初の奥さんをよくしりません。安井かずみは知ってる。肺がんで55でなくなった。最近わかれた妻がオペラ歌手だった人ですか。オペラってなんであんなに高いの。ぼったくり。あら。またはなしがそれてゆく。ごめーん。

ひとつ呂いりさんに賛成。結婚は一回で十分っす。

 「自殺の詩」を調べたら、アルバム「人間なんて」に入ってる曲なんですね。拓郎でもう1曲好きな、マイ・カラオケ・レパートリーがあった~ただしモップス版の「たどりついたらいつも雨降り」、転勤するたびにこの心境になります、今年もそうだった。陽水って健全かな?あ、seikoさんが健全なのか。
 かささぎさん、「イメージの詩」知っとらしゃったね、そりゃうれしか。拓郎の最初の妻おけいさんは、第2次六文銭の2代目ボーカリストで、第2次六文銭の初代女性ボーカルは小室等の奥さんだったけど、子どもができて替わったのだったと覚えてます。初代六文銭は男性4人グループで、URC時代のLPを今でも持ってます。谷川俊太郎や松岡正剛の詩に曲をつけて歌ってました。拓郎の今の奥さんは元女優の森下愛子、「サード」「もっとしなやかに、もっとしたたかに」などに出演、後者には無名時代の奥田瑛二が主演しています。一応日活ロマンポルノ系作品じゃなかったかな?

2009年10月19日 (月)

追悼 加藤和彦 その2

コメント

diamond
十数年前、奥様の安井かずみさんを亡くされたときのとても憔悴されていたお顔が、今でも印象的に残っています。
お仕事も順調で忙しく、賑やかなまわりといらしていても、どこか孤独だったのでしょうか。。
偶然ですが、夫がここ1週間ほどやたらと[イムジン河]をyoutubeで聞いていました。
なので、この訃報を聞いた時不思議な感じがしました。
加藤氏のご冥福をお祈り致します☆

青春時代をフォークと過ごしたといっても過言ではない世代のわたしたちです。
同世代のだれもが多かれ少なかれ、加藤和彦さんの楽曲を口ずさんだ経験があるのではないでしょうか。

吉田拓郎をこの世にだした「結婚しようよ」だって、加藤さんの作曲だったと記憶しています。

早すぎる死ですね。
マイケルの死よりも、清志郎さんの死よりも、わたしにとってはショックです。こころからご冥福をお祈りいたします。

 こんな時に何ですが、「結婚しようよ」は吉田拓郎の自作です。
私はそれ以前の「イメージの詩」「青春の詩」「今日までそして明日から」「ともだち」が好きだった~特に「イメージの詩」は、歌詞の1節1節が当時の私の胸にしみ入る思いだった。
その後はポップ路線に走ってしまったようで…拓郎ファンの人ごめんなさい。
そう言えば2人とも3回結婚している、結婚って1回で懲りないのか、せめて2回までだよなと思っていたが、加藤和彦の3回目の結婚が妻からの別れ話で終わったというのをニュースで知って、彼らは誰かと暮らしをともにしないとやっていけない、(友達・恋人という関係だけでは物足りない)「寂しがり屋」なのかなと思いました。
 「あの素晴らしい愛をもう一度」は、加藤氏の最初の結婚の時、北山氏が贈った歌詞だったと記憶している。考えてみりゃ皮肉な歌だった。加藤和彦は常に「素晴らしい愛をもう一度」と求め続けたのでしょうか。

コンナトキニナンデスガ。笑
ろいりーさん。
吉田拓郎さんの「結婚しようよ」は確かに吉田拓郎さんの作曲でした。が、時期的にはデビュー当時ではなかったかも知れませんが、編曲という形で加藤和彦さんがバックアップしておられたのではなかったでしょうか。そんな話をテレビで聴いた記憶があるのですが。
それと、吉田拓郎さんの詩シリーズで、自殺の詩というのがなかったですか?「ばいばい、ばいばい」という歌詞のヤツ。唄いだしの歌詞が思い出せないのですが、わたしが17歳くらいのころに聴いた記憶があるのです。

思い出しました。
あるきつかれてしまいました。で始まるものでしたね。
ばいばい、ばいばい、きょうのすべて、ばいばい。

2009年10月18日 (日)

追悼 加藤和彦

コメント

なぜ諏訪中の校歌を覚えているかと言うと・・・
歌詞に中学校の名前が含まれていないからです。珍しいでしょ。
調べたら、
作詞  石井 孝
作曲  森脇憲三   でした。

雄大な筑後平野と高良山を直ぐ思い出せて、良いなあと思っていたからでもあります。

 さすがぼんさん、学校名が出てこないというところによく目をつけなさった。前にもこのブログに書いた気がするけど、昔、学校名を連呼したり、校名の前に「嗚呼」という詠嘆詞が入ってる校歌はあまりに平凡すぎるというのを読んだことがあります。その点から言うと諏訪中校歌はなかなかイケてたのか!しかし、諏訪中というと、よく長野県と間違えられるし、実際同名の中学校がある。東京都立久留米高校は数年前になくなり、四国のどこかにある明善高も名前が変わったらしい。福島高校というのも福島県にありそうな感じですね。
 ところで今ごろ気づいたが、わずかの間とはいえ、私が中3の時にぼんさんは1年生として同じ中学に通ってたんですね。すれ違いぐらいしとるかもしれん。姉同士は同い年のようだからもっとその可能性がある。

私は1年の1学期しか諏訪中には行ってませんから、すれ違ったかどうかは確率低いです。
それより陸上部でいつも走っていたからそっちの方を見るともなく見ていらしたかもしれませんね。
なにせ、152cm42kgという今では想像もできない体型でしたからね。3年生の走り高跳びの先輩(女性)の姿がかっこよくて、憧れていました。

すわ。すわ。すわ。諏訪大明神。
周防。すおう。すわ。
丸山豊先生の医院があった地、諏訪野町とはちがうのかな。
中一のころ。
161くらいあったかも。40キロになったのがうれしかった。ソフトボール部に入っていました。スポーツはさっぱりできませんが、いちおう。

 んん!私と同学年に走り高跳びのかっこいい女性?誰じゃろか?12クラスもあったからたぶん同じクラスにはなっとらん人じゃろ。そしてその時男子長距離部のスター選手だったのが、全市内陸上大会でほとんどいつも優勝していたO君。勉強もできて、あたしゃ中2の時担任から、「Oさんの爪の垢でも煎じて飲みなさい」と説教されたことを今でも執念深く覚えている。そのO君は同じ高校に進学したがなぜか陸上を止め、1浪して某国立大の哲学科に。そして25歳の頃お互い浪々の身で、彼は酒と女の世界に生きていた。その後年に1回ぐらい会って飲みに行く仲が続いているが、「良かったよ、お前の爪の垢飲んどかんで」「今じゃおいのほうが速かばい」などと言って笑い合ってます。ちなみについこないだまで、30年近く久留米図書館に勤めていたので、行ったことある方は顔知ってるかも。今でも割とイケ面だし。いやはや、人生わからん。
 丸山豊先生は日吉小の校歌の作詞者として知りました。東京の中高生の合唱祭とかでも、よく「筑後川」が歌われます。作曲の團伊玖磨は、血盟団事件で殺された團琢磨の孫です~日本史的トリビア。
 O君の話に戻って、彼に1度陸上止めた理由を訊いたら、円谷幸吉選手の自死の影響を受けたと冗談っぽく言ってたが、意外と本音だったのかも。確かに当時のスポーツ少年らがショックを受けた事件だったし、彼の遺書は三島由紀夫も野坂昭如も感銘受けたらしい。マイナーなフォークソングですが、次のような歌も15歳の頃深夜放送で聞きました。
 ↓

ろいりーさん。
この歌、わたしも覚えています。
円谷選手がなくなったのは、わたしが中学生のころではなかったでしょうか
この歌は、フォークギターを抱えた先輩がうたって聞かせてくれた曲のひとつです。高校一年生のときでした。そうそう、ピンクピクルスの曲でしたね。なつかしくて、涙が出そうになった。

runろいりさん完走おめでとうございます。 そしてお疲れ様でした。 よい記念になられましたね。
↑この歌印象が深いです。 
なぜかというと、当時友人達から私の歌う時の声と似ていると言われたからです。
自分でもそうかもと思ったことがありました^^☆彡
丸山豊先生は近隣の学校にすばらしい校歌を作られていますね☆

ろいりーさんが15歳のころといいますと、うちらは13~14歳のころになるのでしょうか。中学生のころです。くらい歌詞ですがちゃんとおぼえています。メロディも。
円谷選手の遺書、母上あてに、なになにがおいしゅうございました。とづらりとならぶ露のしずくのように、書き連ねてありましたね。まるで正岡子規の病床六尺日記みたいに。
わすれられないもののひとつです。
(とここで検索してみましたら、母上あてというものではなく、父上、母上あてであることを発見。あれ~なんで父をむいしきに排除してたんだろ。)

 へ~、この「一人の道」という歌はそうヒットしたわけじゃないし、フォークソング・マニアしか知らないと思っていたら、意外と皆さん御存じなんですね。私は首を振り振り苦しそうに走る君原選手のファンだったけど、彼がメキシコ五輪で銀メダル取った時、インタビューで「円谷さんのために頑張った」というようなことを言い、また数年前に読んだ君原氏の本にも、故円谷幸吉に対する思いが込められた部分があって、ジーンときた。その君原氏の言葉、「人生はマラソンというよりも駅伝だと思います」

ぼんが応援しているときに言ってたっけ。
お正月は家で箱根駅伝を毎年見ている。って。

人のしあわせと不幸と、どっちがより人様に影響をあたえるのだろうか。

加藤和彦さんが亡くなられました。
62歳。
マイケルよりショックです。

ひろーい荒野にぽつんといるよで
なみだが知らずにあふれてくるのさ
あのとき風が流れても変わらないといった二人の
こころとこころが今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度

 昼飯食って一眠りしようと思ってた時に、1時のニュースで聞いた加藤和彦の死、しかも自死とは何と悲しい、それこそ悲しくてやりきれない。私はフォークルでフォークソングに目覚めたが、とりわけ加藤氏のファンだった。フォークル解散後にできた「クラブ・ジョン」というファン・クラブにも入った。ちょうど10年前に『プカプカ』という歌や矢沢永吉の歌の作詞者として知られる西岡恭蔵が、奥さんの後を追うように自死~その数日後、私と同い年で同じ1970年前後の日本のフォーク&ロックファンだった同僚が突然死したのを思い出したり、そういや、ブルーコメッツの井上大輔(忠夫)が自死したのはその後ぐらいだったか。
 みんなそれぞれ事情があろうし、月並みな言い方しかできないが、「死んで花実が咲くものか」、生きていたかったのに事故や病気で死んで人もいっぱいいる、私の義兄、その息子=私のもう1人の甥、そういえばかささぎさんの弟さんも若くして亡くなられたんでしたね。子どもを自殺で亡くした高史明、20年ぐらい前に私が親しくしていた同僚はこの人に師事して『歎異抄』の勉強会に参加していたが、1993年、たまたま帰省時に鹿児島竜ヶ水駅での大洪水で、3人目の子と水に流され亡くなってしまった。その死の直前に親鸞の教えが浮かんできたのだろうか。
 加藤和彦の死から、いろんなことを思い出してしまった。加藤氏の死を一番気にしている、悔やんでいるのは、精神科のドクター北山修でしょうか。

2009年10月 7日 (水)

このオッサンしっとる?

このオッサンしっとる?

勤め先においてありましたので一枚失敬してきました。
何このお地蔵さんみたいなおっさん!しあわせそうなお顔ねえ。
まっ三千五百円だって・・・ちょっと生意気、強気よね。高くない。
有名な人なの。あたしはしらないけど。
(有名だよ、人たくさん入ってるよ!)・・・外野の声。


太宰府文書館花菖蒲コンサートでの加川良のもつ雰囲気と重なるもんがあったんで、アップしてみました。

すみませんが以下の記事とはまるで関係ございません。
野田かつひこファンの皆様ごめんなまし。

『イマジン』(ジョン・レノン)1988年アンドリュー・ソルト監督

作品内容:http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD807/comment.html

ほぼ忠実にジョン・レノンの生涯がたどられている。
昔同時代でながめていたレノンは、ずいぶん大人のイメージで、というよりは「じいさん」ってかんじで、いやそれも違うか、偉大なる長老、そんな雰囲気のロックスターでありミュージシャンだった。だけどあれで40歳でしかなかったなんて。
小野ヨーコとのあいだに生まれた男の子とは父子の強い絆があった。
その仕事から一切離れていたときのしんから楽しげな顔だけが唯一見せる年相応の顔で、あとは八十の老人よりもふけて見える。

あんまり幸せではなかったのね、ジョン。

オノヨーコ、彼女はすごくレノンには魅力的で神秘的だった。
新聞社にレノンがなぜヨーコをぶすと書いたと責め立てる場面、とてもおかしい。
ヨーコ、映画ではレノンを完全に支配して、ひとりじめして、結婚はまだゆるせるとして、仕事場にまで出没する。なおかつ倦怠期に入ったら愛人の指定までやってしまう。
それに比べたら前妻のシンシアのなんとつつましげで運命論者めいて思えることか。

だけどそれも含めて総てが芸術家の魂の求めた縁だったんだろう。
昔はげてものにしか思えなかったベッドインの意味も初めてわかった。
映画自体にイマジンってタイトルが冠されていることとも通じる。
月光の夏をみたあとこちらを見たからだろうか、ジョンレノンの「イマジン」はベートーヴェンの「月光」にどこか似ている。
おなじピアノ曲だからそう感じるのだろうか。

『月光の夏』1993年毛利恒之監督

作品内容:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%85%89%E3%81%AE%E5%A4%8F

ベートーベンの月光の曲が何度も流れる。
先にこちらを父と母とざりがにおっちゃん(従兄)とで見たのだ。
なつかしや、花沢徳衛が特攻隊員の遺族役でちょっとだけ出てくる。
そのときだけはみな「おおーっ!」と受けた。
父の父の顔にそっくりで身内みたいだったから。笑
花沢徳衛もいないし、田村高廣(元特攻隊員役)も今はいないんだな。
役者さんは映画のなかでいつまでも生きていけるからいいよね。

大石政則日記を読んで感じた疑問がとけるところがいくつもあった。

2009年8月12日 (水)

入江たか子林泰文テゴマス佐藤春夫荒井由実。談義。

ここ数日のはなしを編集しました。(かささぎの旗姫野)

 かささぎさんが間違えて見ようとした「東京物語」が、尾道→大林宣彦→柳川→「東京日和」&「柳川堀割物語」とつながっているとは、さすが!
 入江たか子の娘入江若葉は、「転校生」以来、大林映画の常連だけど、「時をかける少女」や「廃市」に母親も出ているというのは忘れてた。戦前は華族の娘として映画デビューし、三代美人女優と言われたらしいが、戦後の一時期は「化け猫女優」と呼ばれたらしい。ところで、なぜ化け猫といえば佐賀藩が有名なのだろう。小城羊羹でも食いながら調べてみるか。

ろいりさん。
入江若葉はどんな顔。しらん。でてた?さあ。
むすめなのか。へえ。入江若葉って山田五十鈴の娘かと思っていた。じゃだれ。山田五十鈴の娘。

文化学院はお金持ちの子弟のための先進的な学校で、もともとは西村伊作がじぶんの子たちのために造った。先生たちがすごい。高浜虚子与謝野晶子与謝野寛石井柏亭。石井はくていの弟は坂本繁二郎の親友だった石井鶴三。石井つるぞうは吉川英治の『宮本武蔵』の挿絵を描いた東京パック時代以来の繁二郎の友人。
藪秀野(山本健吉の最初の妻、のちの石橋秀野)は中学部から入江たか子と同級だった。秀野は奈良天理の庄屋の娘で父がロビイストみたいなことをしていて、たんぼを全部売り払って東京へ出てきたのです。姉あぐりは茶道家、妹恒子は歌人で恒子の夫が漫画家清水昆。健吉も清水こんもどっちも若き日左翼活動をしています。とことん突っ走ってる。健吉は逮捕され拘置所に三十日近く拘束された。

秀野のことをしらべていたときが幸せだったなあ。
すべてを忘れられた。おっともこどももなにもかも。まだこどもは五つだったにもかかわらず。→末子はすみたからさんちのよしくんとよく遊んでいた、たからさんちへ毎日のように御世話になってましたね、たからさんありがとう。いつもお礼もいわないでごめんなさい。ついでにかきこみました。
化け猫は根子岳にもありますね。

投稿: ひめの | 2009年8月 9日 (日) 22時48分

こんばんわ
尾見としのり氏と大林監督>>次女が中高生から大ファンで、
出演作は全部いっしょに見ました(見させられた?)
で、尾道は娘の憧れの地で、大学生の時「受験のときの恩返し」といってたまったバイト代で旅に連れて行ってくれました。
二日間ガイドブックを片手に隅々まで歩き通しました。坂という坂、たくさんの階段、、路地裏、瀬渡し船で向島へ、、。
映画に撮られたシーンでは必ず記念撮影☆
旅館は大正時代か昭和初期の建物で(偶然この場所を)時代の作家が慰留してあったとか。
林芙美子関係の記念館も見てきました。
こちらぜひぜひおすすめの地です。
やっぱり桜の季節が最高でしょうかcherryblossomcherryblossomcherryblossom

sunおはようございます
↑訂正>>娘が好きな俳優さんは尾見さんじゃなくて、「林泰文さん」でした(^_^;)
では今日もお気をつけて~car

えめさん

大丈夫ですか。
電話でも咳がきつそうでした。
さっき行ってみましたが お留守だったので もしやまだ病院にいらっしゃるのではと心配になりました。ご無理なさいませぬように またたずねますね

heartイチジク>>さきほどはありがとうございました。
5、6回もお尋ねいただいてほんとに何度もすみませんでした。
さっそくみんなで冷えたものを頂きました。
完熟でほんとに甘いですね。
夜はサラダに使おうと思います♪
今夜のメインはマーボー豆腐です。
昨日から韓国の男の子が遊びにきているので、久々にお料理の作りがいがあります。

えめさん、思ったより元気そうでよかった。
ぼんやせいこさんとこへもそのうちもっていくから。おつしろんちも、きらいじゃなかったらね。ていうのも、うちはみんないちじくがきらいだけん。たいがいからだにいいのがきらいで、からだにわるそうなんをこのみます。まあ、あてにしないでまっとって。
わたしは、干しいちじくってのに興味があるけど、すぐ虫がつくし、干すなんてこと考えられんよ。だれかやってみたことがあったら、おしえてください。
干したの、とてもからだにいいってきいたから。

我が家もいちじくが大豊作で、実は、連日食傷気味でござる。

 あの~、昨日の入江たか子や入江若葉や、かささぎさんが疑問に抱いた山田五十鈴のコメントはどこに消えたのでしょうか?取りあえず質問への回答、山田五十鈴の娘は嵯峨三智子、容貌と演技力に恵まれながら、いわゆるスキャンダル女優として数々のトラブルを起こし、母親より早く死んでしまった人です。入江若葉は『転校生』以来、主人公のなどの母親役をやることが多かった。
 林泰文は「野ゆき山ゆき海べゆき」に子役でデビュー、「青春デンデケデケデケ」で初の主役だったのかな?
 それにしても不思議なコメント消失、まさか私の頭がボケてるのではおまへんな。

ぼけ。

ここです。
嵯峨美智子、ああ。
エメさんのおじょうさんのお好きな役者さん、見たら知ってるのでしょうけど。
わが娘は27にもなって、ジャニーズのテゴマスって二人組が大好きでよくコンサートにいきます。あやうくつれていかれそうになった。

テゴマス、かわいいじゃん。歌も上手いよ。変な題名の歌を歌っていて、フランスで人気があるんだよ。ようしっとろうが。隠れジャニーズファンです。

「野ゆき山ゆき海べゆき」

この言葉は昔、雑誌の付録についていたソノシートで聞いたことがある。
「真昼の丘べ花を敷き・・・」が続いたような気がするけれど後は忘れた。読み手も石坂浩二だったと思う。女学生の友か中3コースか中3時代か、赤いシートで何回も聞いていたから覚えていた。誰も知らないだろうね。へんなことばっかり覚えてる。映画のことは何も知らない。

ソノシート。なつかしいです。女学生の友!少女フレンド、マーガレット、セブンティーン。夢中になって読んでいました。

(さっき、はるふみとやすふみをまちがえました。
すると山下奉文大将が連句的にでてきました。)

長崎忌のきのう、九州俳句八月号が届きました。
長崎忌の作品集はまだですが、いずれ届きますので、おまちください。
ご参加ありがとうございました。

 おのれ、こしゃくな!ここかと思えばまたまたあちら、という分身の術を使いおったな。いや、私が場所間違えただけか。
 「野ゆき山ゆき海べゆき」が佐藤春夫原作というのは何となく覚えていたけど、調べてみたら、「少年の日」という題の詩だった。
             ※「殉情詩集」(大正10)所収
  1 ・
野ゆき山ゆき海辺ゆき 真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに うれひは青し空よりも。
  2 ・
影おほき林をたどり 夢ふかきみ瞳を恋ひ
あたたかき真昼の丘べ 花を敷き、あはれ若き日。

  3 ・
君が瞳はつぶらにて 君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり 月夜の海に石を投ぐ。

  4 ・
君は夜(よ)な夜(よ)な毛糸編む  銀の編み棒に編む糸は
かぐろなる糸あかき糸  そのラムプ敷き誰(た)がものぞ。

 ぼんさんがよく使う言葉だけど、こちらが逆に「よう覚えとらっしゃるね」と感心。確かM高校の校歌も佐藤春夫の作詩じゃなかったろうか、これは凡作だと思うが。ソノシートと言えば、私は数カ月前、神田の古レコード屋で赤木圭一郎のソノシート・ブック3冊を買って帰り、ヨメからあきれられた。
 明日、新幹線で久留米に帰ってきます(今日でなくて良かった、いやもう明日は今日か、ややこし)。それから親族会議ならぬ姉弟甥会議が待ち受けておる。

佐藤春夫が明善の校歌さくし。へえー

ぼんもようおぼえているね。
すごいね。
はじめてしりました。
校歌といえば、わたしは中山そらんさんブログの芦北ってとこの写真があるサイトで、もうすぐ廃校になるらしい海のなかの小学校をみました。それをみてたら、荒井由実の「瞳を閉じて」が自然に口からわいてきました。http://musinandanikki.at.webry.info/200901/article_9.html

風がやんだら 沖まで船をだそう
手紙をいれた ガラスびんを持って
遠いところへ行った友達に
潮騒の音がもう一度とどくように
今 海へ流そう

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2009年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31