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2009年11月19日 (木)

政権交代と医療(64) 乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2009 年 11 月 19 日 木曜日

社会保障審議会医療保険部会(厚生労働大臣の諮問機関)が16日に開かれました。

政権交代後初の開催です。

この部会では政権交代前の8月に意見を整理しており、政権交代が影響して議論の流れが大きく変わるわけでもなかったようです。

部会に厚生労働省が示した診療報酬改定の基本方針の骨子案では、重点課題として、

○救急、産科、小児、外科等の医療の再建

有床診療所も含め地域連携による救急受け入れ推進

急性期後の患者を受け入れる後方病床や、在宅療養の機能強化

手術の適正評価

○病院勤務医の負担軽減策の充実

看護師や薬剤師など医師以外の医療従事者だけでなく、看護補助者といった医療以外のスタッフの役割も評価

を挙げ、重点課題以外でも次のような課題を列挙しています。

○充実が求められる領域(精神科入院医療、歯科医療、イノベーション)を適切に評価する

○患者からみて分かりやすく納得でき、安心・安全で、生活の質にも配慮した医療(医療の透明化の推進、重症化予防)を実現する

○医療と介護の機能分化と連携の推進(回復期リハビリテーションの機能強化、歯科を含む在宅医療、医療・介護職種間の連携推進)等を通じて、質が高く効率的な医療を実現する

○効率化の余地があると思われる領域(急性期入院医療)を適正化する

このほか、後発医薬品の使用促進、医薬品、医療材料、検査に関する市場実勢価格の反映、がんや認知症医療、新型インフルエンザなど感染症と肝炎対策の診療報酬上の位置付けについても議論が求められています。

次回は25日に開かれ、基本方針の策定を目指すということになっていますが、政務三役の検討チームも、中医協も、行政刷新会議も、同時並行で診療報酬改定の基本方針を議論しており、国民から見て意志決定プロセスが非常にわかりにくくなってきています。

これまでのところ、いずれにも共通して言えることは、選挙戦中に何度も耳にした「診療報酬総額の大幅アップ」の掛け声が消えかけていることです。

診療報酬の総枠が従来通りであれば、結果的には従前からの議論の延長線上の議論で診療報酬の改定がなされることになるでしょう。

政権交代の影響はあまりないということになります。

国家戦略室が本格始動するのだそうです。

国家戦略室は、10年度予算編成の基本方針の原案や、民主党の政権公約に関する予算項目の論点整理を行います。

診療報酬の大幅アップが政権公約にありますので、診療報酬はここでも扱われることになるのでしょう。

政務三役の検討チームも、行政刷新会議も、中医協も、社会保障審議会も、政府へ判断材料を提供する役割でしかありませんが、国家戦略室は政府そのものの意志決定機構に思えます。

国家戦略室が政権公約を守って診療報酬総額を拡大するのか、それとも他の検討組織の議論に従って診療報酬の拡大を抑制するのか、着目したいところです。

「学長のひとりごと」より転載

▼ミーハーかささぎのひとりごと

かささぎの印象では、農民がらみのあまり文句はいわんだろうというところから、さっささっさと削られていきました。医療の面はどこをどう削ったのか、あまりにも早業だったのでなにもみえませんでした。笑。あとでじわり結果としてあらわれてくるのでありましょう。

ところで、酒井法子被告は福岡出身なのですよね。
かささぎの記憶では福岡は薬物使用ワースト県じゃなかったかな。

酒井被告は更生のため福祉のお勉強をなさるそうで、その大学の話題が世間をにぎわしています。時代は福祉、高齢者介護。それにぴたり照準をあわせた見事な社会復帰法であるなあ!と、かささぎは感心してしまいました。たとえのりpさんは最終的には芸能界復帰されるとしても、ほとぼりのさめるまで、(おおっとつい口がすべりました)、まじめに介護士として働いている方々のこころざしを無にしないためにも、どのようなことを学ぶのかを広く宣伝してくださることでしょう。

かささぎ整骨院に酒井被告くらいの年のわかいお父さん介護士が治療に見えます。みずからのからだをいためながらも、毎日がんばっておられるかたがたがたくさんいます。そのかたがたは労働に比しておどろくほど低賃金です。
ただ感謝してくださる人の笑顔のために。それができる人ではないとおもいますが、けれども間違いなく、宣伝はできる人です。
なによりのりぴーには
華がある。がんばれ、酒井法子!!

▼拉致と防衛についての昨日からの連句的コメント

コメント

拉致と解放といえば、イエメンのサヌア近郊で拉致されたJICA関係者がまだ解放されていません。
サヌアへは行った事があります(どこにでも出没する乙)ので気がかりです。
サヌアの旧市街は世界遺産です。男たちは腰ベルトの鞘に半月刀 (ジャンビーア) を納めて闊歩し、路地裏には浮浪者がごろごろ。何世紀も前にタイムスリップした感じ。
半月刀は空港の免税エリアでも売っていますが、機内持ち込み可?
ちなみにイエメンは鬢螺鈿氏の生まれ故郷。

大浦みずきさんとりかさん

『二人日和』をもう一度みたいとずっと思っていたのですが、三潴図書館の棚にあるのをこの5日に偶然発見、かりてきていました。その数日後にとった写真に映画をみてから記事をつけるつもりでした、ところがその後突然大浦みずきさん肺がんで死亡というニュース。ええっとおどろきました。

りかさんともみずきさんとも全く面識ないというのにとても親しみを覚えるのは、りかさんところで京都三条ラジオカフェのみずきさんとの共演の回をきいていたからだとおもいます。
一期一聴とでもいうべきご縁。
だけどりかさんのブログにいっても、なにも書かれておらず、沈黙しっぱなし。
これはどうしたことだろう・・と心配になり、つい関係のないところで連句的に書いてしまいました。こういうことは、連句的についでにかくことでは決してありません。故人に対して礼を失します。

チャオリカブログから京都三条ラジオカフェのさっきご紹介分を探し出してきてもう一度聞けるならと思いますが、できないものでしょうか。

りかさんがかささぎの旗によせてくださったコメントを紹介して、それをもちまして追悼のことばといたしたいとおもいます。

お久しぶりです。
お気遣いをありがとうございます。何か仕事しているときは、凹んでいられないので精神を別物にしています。が、ふとした時や就寝の時など、勝手に脳みそで大浦さんのいろいろな場面をプレイバックしてしまいます。
彼女は本物のサムライだったのと同時に、本物の女性でした。
彼女は、しなだれたりしないし、弱々しくもありません。でも本物の女性でした。
だからこそ、私が男性だったら抱きしめたくなったと思います、畏れながらm(__)m

9月は呉海軍墓地、10月は全国ソロモン会の慰霊祭に参加し、旧帝国海軍、陸軍の戦友会の方々にお会いし、11月には現在の戦友を亡くしてしまいました。
海軍の戦友会会長さん(92歳)が言っておられました。

人間、死ぬるときは平和の世でも死ぬる。死闘の中でも生きるときは生き残る。

って。
私のこと、覚えていてくださりありがとうございます。頑張ってます。

大浦みずきさまのご冥福をお祈り申し上げます。

        合掌

※タンゴバイオリニスト麻場利華さんのブログ

哀悼大浦みずきさんhttp://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-180.html

哀悼大浦みずきさん2http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-181.html

哀悼大浦みずきさん3http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-182.html

哀悼大浦みずきさん4と5http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-183.html

2009年8月24日 (月)

テゴマスのコンサート

金曜日娘と行くはずだったサンパレスでのテゴマスのコンサート、母は仕事で行けず。

とっても楽しかったらしい。キャー!!っていって発散したんだろうね。

テゴマス、Miso Soup: http://www.youtube.com/watch?v=mOrZX2858e8

きっとマスダって子が好きなんだろな。

2009年4月30日 (木)

アストロリコの利華さん

オルケスタ・アストロリコのタンゴコンサートの案内状が届きました。
なんと五月十七日です!(金美齢が八女学院で講演会の日・・ではなかった。それは次の週の日曜らしいです、)

会場は、山陽小野田市文化会館。山口ではありますが・・
13時30分開場14時開演。
かささぎはいけそうにありません。
どうぞタンゴ音楽がお好きなかたは足をお運びくださいませ。

華麗なるバイオリニストの麻場利華さんとかささぎはなぜに知り合ったのか。
といいますと。
さくらさんとの出会いとほぼ一緒でした。
戦友としての出会いです。

http://chaorica.blog92.fc2.com/blog-entry-144.html#comment591

りかさん。
いつの日か、生のバイオリンで「海ゆかば」を聞かせてくださいね。

2009年4月15日 (水)

竹橋乙四郎と橋爪章のあいだ 4

この題で書く文章もこれで四回目、カテゴリーは芸能・アイドル。
(三回目がないと思ったら二回目の前にある。笑)

連句の座のとき、乙四郎は中座してしばらく帰りませんでした。
どこへいっていたのでしょう。それは、この開校式です。

初の病院職員向けセミナー開催

今日は、病院職員向けのセミナーを保健医療経営大学で開催しました。

http://www.healthcare-m.ac.jp/university/information/newsgrp/090310-seminar.pdf

90分×3コマの長丁場のセミナーであるにかかわらず、28人の参加がありました。

医療の世界に初めて飛び込んできた事務職が対象です。

今日のテーマは、医療に関する法規制、診療報酬の仕組み、業界用語など。

100km以遠からの参加もあり、現場ニーズの強さを実感します。

来週も開催しますが、既に申し込み数は本日を上回っています。

福岡県はとりわけ、医療費が高い、健診の受診率が低い、と個々の医療機関の経営努力だけでは地域医療を健全に維持することが困難な危険水域にあります。

地域全体の保健医療の経営改善への貢献のため、本学の知的資源の活用を図ってゆきたく思います。

橋爪章学長は日本で一校しかない医療経営学という今の日本が最も必要とする学問の長として、保健医療経営大学をひきいていかねばならない。だけどまだ宣伝不足で周知がはかれないことに悩んでいる。・・・

ということは、かささぎの旗も知っていました。
この日、連句の部屋から受講を終えて下校する若い人たちを見ていてすぐ感じました。

大丈夫。もっともっとこの学校は発展する。

かれらは、交通の便が不自由な場所であるにもかかわらず、タクシーを使って下校していた。それほどまでして医療現場で必要とされる知識を習得しようとしている。ひたむきだ。すごいことだ。自分が勤めている医院という限定的な視点での知識だけでなく、もっと地域にひらかれたより大きな視点で医療をとらえてゆく。その視点をまなぶ。考え方を学ぶ。一万円は高くない。その証拠にかれらの顔には充実感があったもの。

かささぎが学長橋爪章を高く評価するのは、こちこちの堅物であるにもかかわらず、連句という衆の文芸にまじめに付き合ってくれる柔軟さを持ちあわせているからです。

ふつう、このような開講式がある場合、スケジュールのなかに連句をいれるものでしょうか?
もしかささぎが乙四郎であった場合、「いやその日はとても忙しい、つきあえない」と、こういって断わるでしょう。それを「途中たつかもしれないが、大丈夫。日曜は休みたいから土曜がいい」といって連句をこの日に入れた竹橋乙四郎。
あとで、このことを学長ブログで知ったかささぎは、ほへえ!と驚いてしまいました。ずぶといやつだ。あきれた。

連句は文芸。文芸は早い話があそびです。
それほどまじめにあそびを考えてくれる乙四郎にかささぎは座布団を十枚なげちゃりたい(なげてやりたい)。これでこそ健康を第一の価値におく大学の長というものでありましょう。

ところで。閑話休題。

乙四郎も乙四郎なら、この日の座のため神戸から駆けつけてくださった、俳諧師前田圭衛子師もすごい。詳しくは書きませんが、とても多忙で責任のある仕事をなさっているかたで、いらっしゃれるかどうか寸前までわかりませんでした。前夜いらして、羽犬塚駅前のビジネスにお泊りいただき、お迎えに行って大学へきていただいたのです。

その師が、東京方面の連句の座で、当日のこの連句の座のことを書かれていました。

「昨日の九州の座は・・・筑豊の田園に建つ保健医療経営大学の理事長室という、だいそれた部屋でした。窓の外はまさに麦の海!風を感じながら歌仙を巻き終えて・・・山陽新幹線の風景は山が笑って笑いっぱなしで・・・そして月光降る神戸の海に対面しました。」

前田師は筑豊と筑後を混同されていますね。
なーんもない垢抜けぬ田舎という点では、まあ確かに似たようなものですけど。
笑。

ね。わかるでしょう。

このカテゴリーが芸能・アイドルでいいということが。

2009年2月19日 (木)

橋爪章、その2

昨日はみやま市の保健医療経営大学の英語教室に行く。
いつもろくな前準備もせず、間違ってばかりいるけど、それでもとても楽しい。
きのうは久々に私の前の席の、小学校のベテラン教師のかたがいらしてた。
もう小学校では英語の授業は始まっているのかしら。聞くの忘れた。
この公開講座では、さまざまな年代および職種のかたがいらしてる。
福島高校時代にあこがれていた定時制の生徒になったみたいで、それもうれしい。

さて、大学に乙四郎がいました。
いそがしい人ですから、大学に行っても滅多にいない。
授業の前に3月に催す連句興行の場所をちょっと見せてもらった。
その上、「保健医療経営大学紀要」を一冊戴きました。
創刊号、とあります。こういうのにも創刊号ってあるんだな。
でもかささぎはたぶん読まない。時間がないもの。
もんのすごく力の入った、学者さまの論文がずらずらーっと並んでるのを、軟弱おばばが読めるわけがない。なめたらあかんのじゃ。かささぎはおのれを知っておる。でも、そんなこたいえんし、ありがとうと受け取った。
しかし、反動で良心が少しいたむ。

竹橋乙四郎と出会って、ちょうど一年になる。
最初のころ、大学の名前をちゃんといえなくて、かっこ悪かった。
いまはちゃんといえる。おつしろう大学。いやいや、違います。
保健医療経営大学です。
今朝、なにかその設立趣旨をきちんと説明してくれるものはないか。
と探した。
あった。
これです。

http://www.healthcare-m.ac.jp/university/guide/resources/president_1.pdf

この文章を読めば、橋爪章の緻密なあたまがよく分かる。
と同時に、今なぜかささぎの旗と遭遇したのか、その理由も分かる。

全体を視野におさめつつ、細部を大事にする。
それはまさに、時代が求める、「連句の思想」なのであった。

参照記事:かささぎの旗「橋爪章、」2008・3月4日
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_9311.html

2009年2月 5日 (木)

竹橋乙四郎と橋爪章のあいだ 3

以下の文書がおつしろう大学から届いたのは先月末の事だった。
つまりニュースが世に出た翌朝には届いた。間髪を入れずの処置。
文章は理事長のものだが、じつに簡潔にして何の無駄もない。
見事であった。
そのことにいたく感動し、ここに文面を丸写しする。

                       平成21年1月28日

保護者各位 

                      学校法人ありあけ国際学園
                          理事長   橋爪 章
                           (右端に学園の押印)

         文部科学省からの処分について   

謹啓

時下ますます御清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、このたび、誠に遺憾なことではございますが、本法人は、文部科学省から1月27日付けにて「5年の間、大学・学部の新増設等に係る認可をしない」という処分を受けました。
これは、次の理由によるものです。

①大学設置認可申請書に記載した投資計画を上回る変更を事前協議なしに行ったこと
②その結果、当初財源を上回る設置経費となったこと

これらにつきましては、開学前のごく少数の体制の時に認可申請及び開学準備等の膨大な業務をこなさないといけない中で、行うべき変更手続きを失念・看過してしまい、結果として手続き違反という過失が生じてしまったものです。
このことは決して申し開きのできることではありませんし、業務上の重大な過失として真摯に受け止めなければならないと考えております。
なお、財源の点につきましては、現在、本年度中に設立母体より追加の寄附をいただくべく
調整をしております。
開学後におきましては、整った組織体制の下で適切な業務運営を図ってきておりますが、今後決してこのような事態が生じないよう、さらに組織体制や法人運営のあり方の見直しに努めてまいります。
また、学生に対する教育や生活指導は、本件にかかわらず引き続き万全を期して進めてまいりますので、その点につきましては御心配の無きようお願い申し上げます。
御心配をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。
今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。

                謹白

(余白には本件のお問い合わせ先として、事務局と事務局長の連絡先。)

以上である。

かささぎはここの開学間際に見学にきたことがあるのですが、そのときはまだ工事が全部済んではいませんでした。案内の看板すら出てはいない状態でした。だからこの文面に書かれていることがよく分かります。

では、けふも元気でいってきます。

2009年1月28日 (水)

竹橋乙四郎と橋爪章のあいだ 2   

橋爪章の仕事が紹介されています。

http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000000901270003

いずれ消えてしまう記事です。

写真みてたらおかあさんそっくりなのですね。
お父上に似てると思っていたので、あれっと思いました。

橋爪章は小学校の同窓生、それ以外に接点はありません。
公立中学一年のとき事情があって熊本の仏教系私立中に転校していった彼は、それきりわたしたちの視界から消えました。成人式にも、来てなかったと思います。

で、ふたたび目の前にあらわれたのは、同窓会。

記事:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c941.html

文章でならなんでもへいきで聞けてしまうかささぎは、この友達を質問攻めにしてその後の消息を知りました。

東大に受かったのに気象大学を選んだ。
それなのに、その気象大学を中退してる。

おやの視点で考えると相当な辛抱を要したろう。

ものを書く人としての竹橋乙四郎。

これは運命でありましょう。
ちょうどのときにかささぎの旗が目に入った。
旗を振っていたのはかささぎであり、その背後のなにかですが、彼にはそれが見えたのです。八女戦国百首和歌をまだ世に出していないと思うかささぎは、それにのってくれた竹橋乙四郎に大きな希望を感じます。

いぜん戦国百首は与えられたしごととして目の前にあります。
ひとりではとけません。
みなさまのご協力をお仰ぎたてまつる次第です。

2008年12月 6日 (土)

竹橋乙四郎と橋爪章のあいだ

早朝、携帯端末でかささぎの旗を開き、おつしろうの書き込みを読んで一気に目が覚める。

すごい展開になってきた。
われわれのすぐそばで、なぞのこたえ虫がぬくぬくとねむっている。
その虫をつまようじでつんつんとつついたのはかささぎだけど、叩き起こしたのは竹箸乙四郎!折々に適切なヒントを出してくれるのはさくらさん。

この竹橋乙四郎について、みなさんとごいっしょに考えてみたい。
なぞだから。
もと官僚。それも厚生官僚。その天下り。
と済ませばそれでおわりのはなしではない気がする。

その人の初登場は、ここでした。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c941.html

ここからかささぎの旗との付け合いが始まるのですが、。

おととい、こんなブログをみつけました。

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%95%E3%81%8E%E3%81%AE%E6%97%97&search_x=1&tid=top_ga1&ei=UTF-8&qrw=0&fr=top_ga1&u=www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo0808.htm&w=%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%95%E3%81%8E+%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B5%E3%82%AE+%E3%81%AE+%E6%97%97&d=Ie6Oj0fiR3vz&icp=1&.intl=jp

長い歴史のあるネット歴をお持ちの方に、まだニ年ちょっとのかささぎは圧倒されるのみです。そのお方に取り上げていただけて、光栄でございますが、同時におなじ月の七日付の日記で筆者は「にゅうしひばくしゃ」問題を取り上げ、橋爪章およびその背後のやみを暗に批判している。これは今年のお盆近くに日本国民放送で放映された番組でした。かささぎも再放映でみました。筆者の心配と関心はそのままかささぎの思いでもある。橋爪章に尋ねたいことのひとつでもある。ただ、これまでの付け合いで、あるひとつのイメージがうかんでくるようにもなった。まだ漠然としていますが。

かささぎはのうてんきで、まったく気が行きまわらないため、こんな記事を書いてもいいんだろうか。とハラハラしているおかたもいらっしゃるでしょう。あのような事件もございましたから、・・・ね。

しかし、焚けば塩津四郎いいやちがったこんちくしょうこの変換能無し機械め竹橋乙四郎が、いてくれるので、まあ、なんとかしのげるのではないかな。と天を信じる次第。

2008年11月21日 (金)

利華さんの話から

アストロリコの利華さん。
なぜかかならず、「ふんだりけ」という経典のことばを思い出す。
語感は踏んだり蹴ったりみたいでちっともよろしくない。
でも調べると、ことのほかすばらしいことだまなのである。
以下、引用いたしまする。どこのどなたか、ありがとうございまする

白い蓮の花をサンスクリット語(梵語)でプンダリーカといい、
分陀利華(ふんだりけ)と音訳されます。

りかさん。はすの花のようなりかさん。うーん。印象はどっちかといえば、
まっかなグラジオラスみたいなんですけど。ここは白い蓮の花のようなとしておきまひょ。

昼から朝倉へ行ってまいりました。例の公共工事労務費調査。
きのうも今日も二日連続で久留米から田んぼのほか、なんにもない筑後平野をひたすら一時間近く走る。初めて知った。朝倉と甘木はおんなじとこやん!はあ~探してもないはずだ。おなじとこだったなんて。

大刀洗とか陣内とかの地名に古戦場の跡を嗅ぎながら。
ふっとりかさんの筑紫哲也に対して書かれたメッセージを思い出しました。
この人は東京の人じゃなかったのですね。
日田の出身。ということは。
りかさんのコメントに、大叔父は滝廉太郎。へえ。
以前天文年間の百首和歌を調べていたとき、いくつかの資料を読みました。
大分と筑後とは関連が深く、というのも大友氏が制圧していたからです。
そのあとを治めたのが、筑紫氏でした。
いま、帰ってきてすぐいろいろ検索したのですが、出ません。

なにがかといえばね。筑紫広門がクリスチャンだったこと。
これは、私も知らなくて、なんで知ったかといえば、小説でです。
八女市忠見出身の小説家が書いた『南蛮仏』に広門の信仰が出てきます。
夢庵と晩年名乗ったことも。
近くの人ですし、とても親近感がわき、その問題のほとけさまも見に行ったよ、かささぎは。いろいろと調べると面白い。この人の小説のおかげで「往還道」という名の馬車道も知った。(ことし堺屋でまいた連句にちゃんといれました、このことば。ちょうど管理人の堺屋舟美さんが話してくださったのもあります)
話が拡散していきますが、
そういうことで、筑紫哲也と古い時代の八女を治めた筑紫一族を重ね、ふんだりけの利華さんから、八女特産の新製品キウイの紹介もしていだだきまして、なんだかとってもすごいシンクロをもらったな。と驚いています。ありがとう。りかさん。

きょうは、ずっと聴いて帰ってきたよ。アストロリコメドレー。田んぼの景色にも合った。

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