政権交代と医療(61) 乙四郎元官僚語録
保健医療経営大学学長
橋爪 章
行政刷新会議ワーキンググループ(WG)の診療報酬に関する11日の事業仕分けの際、評決結果は中央社会保険医療協議会(中医協)へ伝えられることになっていました。
中医協が13日に開催され、そこで報告されたのですが、委員から激しい反応があったようです。
<診療報酬が伸びたから下げよう、という議論はあまりにも乱暴である>
<中医協は専門家が毎週2回、3時間以上、計数百時間にわたって膨大な資料を見ながら議論を重ねて結論を生み出そうとしているが、医療関係者なしで短時間、資料もほとんどない中で決められたものに拘束されるのはおかしい>
<政権公約の中に医療費のある程度の引き上げは必要だろうという考えがあったはずだが、事業仕分けの結果は政権公約と乖離しているのでは>
これらがちゃんと説明されない限り、診療報酬の行方は迷走することでしょう。
「学長のひとりごと」11月15日 日曜日
▼ かささぎのひとりごと
新聞が旧聞となる明暮に紅葉且つ散る高牟礼の宮
(かささぎの詠める)
新聞は新聞ではなく旧聞になりさがった。とは言いえて妙。
あべしげさんの最近のブログコメントであります。
日々乙四郎日記を読んでから新聞を読みますと、最近は既視感を感じるようになってきました。
では新聞の役割は。なんでありましょう。
広告をはさむ紙。てんぷらを揚げたときのあぶら切り紙。
雨ぶりのとき濡れた靴の下に敷く湿気とり。
ああそれで連句的に思い出した。「黒木物語」の扉に猫尾城山とその左後ろに高牟礼山城が描かれています。あれ?高牟礼山って高良山のことだけど、黒木の後ろだったとは!!と、あの絵をみて、とっても驚いてしまいました。つまり、かささぎのあたまは、今現在の道路地図風の方位感覚しかなかったわけです。久留米高良山へは三号線を通って・・と思い込んでいるため、実際の方位がまったくつかめていませんでした。山と山、谷と谷。県境も町境もなにもそんなよぶんなものはない。人の意識などという余分なものには一切しばられていない。まっすぐじぶんをみてほしい。と、やまによびかけられた気がしました。
ついでに仕入れた知識で、「不濡山」ぬれせぬやま=高良山、これは樹木が鬱蒼と茂っているので雨が降っても濡れないという意味だと勝手に思い込んでいましたが、そうではなくて、世の汚濁に濡れない染まないという高尚な意味があったそうです。
いやあ、そうだったのですね。さすが筑後一の宮です。
きのうのつづき欄外コメント:
沖縄にはずいぶんと痛みを、戦後の痛みを諾ってもらいました。基地を県外へ、という切実な声も良く理解できます。佐賀空港はひろびろとした平野の中にある赤字空港なので、候補地にあがったと聞いてもそう驚きません。が、現実のものとして考えると国内のどこにも移転できないだろうと思うのです。あの爆音がわたしたちの身近にひがな聞こえる状況を思い浮かべてごらんなさい。諾えますか?現実問題として。さりとて、基地をなくすこともできない。なぜなら、日本の平和はアメリカの軍事力に頼らねば自力では保持できないからです。言うまでも無いことですが。
アメリカよ、日本よ。さあ、力を結集して、人工島をつくりましょう。アクセス道路をこさえて、海の中に基地をつくるのです。移転費用は高くつきます。しかし、これしかないでしょう。
空港についてチョコッと調べていたら、国が管理する空港で、昨年一番赤字を出したのは福岡空港だとさ。こりゃ意外だった、と感じたついでに思い出したのが、そういや糸島あたりに新福岡空港を作るという話はどげんなったと?最近、全く話題にのぼらんし。seikoさんの意見を取り入れると、これを米軍・日本民間の共同空港にすれば万事解決ではないか。板付にはまだ米軍基地が残っているらしいから、それもふくめてそちらに移転し、板付にあり交通の便もいい現福岡空港は拡大によって更なる国際化を目指すのもいい。やがて九州独立国を目指す~後者は半分冗談だが。とにかく今回多少わかったことは、日本にいかに無駄な空港が多いかということ(関空と伊丹、羽田と成田の併存も無駄)と、ハブ空港は原則1ヵ国1つでいいということ。ただし中国や米国みたいに面積の広い国は別。


>抜けている視点が一つあります。それは実例です。
いえいえ、プロの物書きたるもの、さりげなく実例(経験例)を刷り込んでおります。
たとえば、
>国会質疑で自殺者が出たこともありました。
(「政権交代と医療(54)」の一節)
当時、病院指導の担当として、この質疑に関わりました。
いまだに腹が立つ事件です。
憲法51条に「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない。」とあり、議員は責任を逃れています。
↓
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/79-1.html
投稿: 乙四郎 | 2009年11月 6日 (金) 09時03分
ああ、。そうだったんだ。
自殺ということばには皆を黙らせる威力がありますよね。なにがあったんだ、いのちかけるほどのなにが!?という存問の思いがふつふつとわきおこる。
かささぎもそこへむけてかこうといつもおもっている。
ブロガーの名誉にかけて、物事の本質に迫りたいと。
ところで、上記のかささぎ文には下半身が抜けています。
次の部分があって完成するものでした。
生命保険とともにもう一つだいじな保険に加入していました。
それは自動車保険です。
これもまた月々一万近い保険料をおさめる大きなものでしたが、営業という仕事がら不可欠な出費でした。実際、事故頻発遭遇型のひとでしたので、たびたび補償をしてもらいました。なかでも一本500万円以上もするいたいけな柱=衛星放送受信回線など付属している特殊な電柱=とひとりずもうしたときには、まるまる補償していただいた上で、保険から石をもって追われました。はやいはなしがおいだされた。泣。
ひとごとのようにかいておりまするが、みうちである夫のことですので、とってもいたいです。車両保険でのこの経験をけっして忘れず、大いなる補償を受け取ったという恩義のゆえに、のちに生命保険でそれ以上のマイナスとなったことも、へいきなかおでいられたのでありました。「きょうでえ、あきらめな。これがほけんってもんだぜい」ってなかんじといいますか。
けっきょく、かささぎはなにがいいたいかといいますと、神様を信じている、ということだけ。自然を信じている、といいかえてもいいです。保険制度をうみだした人間の英知を信じているし、その背後の神を信じている、そのうしろの自然を信じている。
おわり。
投稿: かささぎ | 2009年11月 6日 (金) 12時30分