無料ブログはココログ

2009年11月11日 (水)

きょうのこっかい

今日の国会とおもったあなた。ざーんねんでした。

主よ、ゆるしたまへ。
われは大むすこのふくらんでぱつぱつになったおさいふを
ついのぞきこみ ぎっしりのおさつから一枚を
ぬきさりました。しかも大むすこはこんどもきづきませんでした。
主よ、ゆるしたまへ。
われはこの大むすこがきづくまで、おなじ行為をなさんとぞおもふ。

主よ、ゆるしたまへ。
われは昨夕次なる小むすこが遅い晩飯をひとりとっているその横に父が、
あれま。なんたること!
六時半に夕食を食べて八時半には寝ていたはずの父が、九時に帰ってきて一人食事している子の隣にちょこりんと座って、おなじように再びごはんをたべているのを見て、「きゃーじっちゃんなんぼけよると!ごはんさっきたべたやん。いま何時とおもいよるん!」
と、ぎゃーぎゃー騒いで、まるでこの世のおわりがきたかのように大声でどなってしまいました。
が、小むすこは取り乱した母を制して、「おかあさん。さわぎすぎ。じっちゃんべつにふつうやん」と静かにいいました。
主よ、ゆるしたまへ。
愚かな母をゆるしたまへ。

2009年11月 3日 (火)

バックボーン

バックボーン

ヒトの背骨は恐竜の骨と似ていることに気づき、一枚撮りました。

そうか、「脊椎動物」のなかまってことなんだ!

2009年11月 2日 (月)

お下がりをもらう。

きのうの日曜は朝から雨でした。
せっかく八女福島の白壁ギャラリーを楽しみにしていた人たちは出端をくじかれ、無念だったろうとおもいます。

かささぎは家族とすごしました。

母たち三姉妹を毎週末に近場の温泉に連れて行ってくれる従姉のうちに母とその妹を連れていきました。たくさんの服を処分するけど、いるなら持っていって。とのこと。
母たち三人と私の四人でそれぞれ好みの服をもらってきました。
グレー系統の服がたくさんありました。
三味線のおっしょさんである従姉は衣裳道楽でおしゃれです。
さほど古くない細部に凝った服がたくさんありました。
最後に残った誰もとらない数点のうち、綿ニットの黒っぽい模様のTシャツにいとこが「あらこれは儀右ヱ門のなのに!」と一言、ぎえもん*て何?知らないけどかささぎがいただきました。よく見ると絣の絶滅危惧種、蚊絣模様の一枚でした。なるほど。
ひろこちゃん、ありがとう。

服もだけど、この家のキリスト教関連書物の珍しさに目が釘付けになる。
これまでに見たこともない珍しい本がたくさんあるんです、書架いっぱい。
英語の本もあり、信仰が縁で結婚した娘さんのカナダ人の夫が置いていったものかもしれない。
三婆がいない部屋で、ふと思いつき、気になる「レギオン」を調べてみた。
どの聖書だかの巻末に「レギオン」が出ていて、13Bとある。この数字は何?
巻末に聖書時代の地図がでています。その第13図のBを見ますと、ありました。
なんとレギオンは軍団ではなく、イタリヤ半島の先端の都市の名前のようです。
ん~地名のレギオン?!ひきつづきレギオンをあたまの小引き出しにいれておく。

ことしは人からよく服をもらいました。
私はサイズがあわないので、人からもらうことはなかった。

再々就職のとき、制服の下に黒ズボンがいるという話をしたら、それなら着ないのがあるからといって三本のスラックスとジーンズをくれたご近所の友達。ありがとう。

*調べました。ぎえもん。ここです。http://www.giemon.com/shopmap2.html

*絶滅危惧種の「蚊絣紋」http://www.giemon.com/osc/catalog/product_info.php?products_id=5237   

かささぎは、これがいい。http://www.geocities.jp/antares321025/129.html

2009年10月24日 (土)

小箱の折り紙

職場は私が午後の部、もう一人のベテランの方が午前担当です。
さいしょの一週間はその方がつきっきりで教えてくださいました。
待ち時間が長い患者さんにキャンディーとルイボスティーをお出しします。
そのお菓子入れ。
広告紙で折ってあります。
折り方を教えてくださいと置手紙していたら、翌朝これが。
六つのかたちがありました。経過ごとに番号がかかれてました。
ありがとうございます、なかむらさん!

でもまだ折れない。笑

さいごのとこがわからんのよ。

2009年10月18日 (日)

運転免許証の更新

運転免許証の更新
月に一回 日曜日の更新ができる日
今 目の検査の行列に並んでる
バサラか多かとです
車とめるとこ見つからないんで 練習場にまであふれてる

2009年10月 8日 (木)

立候補応援演説

昨日次男が帰宅するやにこにことうれしそうにこういった。

おれ、生徒会にはいるよ。
応援演説したともだちが会長になったっちゃん。
んでおれも、ついでに○○に立候補したらもう一人の子と接戦で、二回投票して、一点差でおれが勝った!

はあ~?

こいつ、こんなに積極的な子だったとは。
口あんぐりだ。

ちなみに会長になった友はリサイクル会社の息子でサッカー少年、小学生のころからの友だちです。応援演説草稿をちらっとみたら、「いつもマイ箸をもってくる彼は」という一節が入っていた。どんなんだったんだろ。みてみたかったなあ。

自分も中学三年ころに友達の生徒会会長立候補演説草稿を書いたことがある。
それでその人はトップ当選した。

いまもおぼえていますが、

なかしまって姓の男子でしたねえ。

なかなかいいおとこの中、しまったおとこの島、徳をするおとこの徳、ってふうな覚えやすいフレーズを入れ込んだ記憶があるんで。笑

2009年10月 3日 (土)

まだ最悪!

ある人に尋ねられた、福岡の就職事情。
最近ハローワークで職探しをした者としては、そんなん縁がありゃみつかるよって答えたいところだけど、主観はさておき第三者に聞いてみよう。
聞かれたのは若い人だったので、若い子にきいてみるか。

ってんで、博多に住む仕事が忙しい27歳の娘に聞いたら、24歳の男友達(パソコン技師)のメールをコメントなしでそのまんま転送してくれた。で、私もそのまんまコメントなしで転送。

以下がその答え。( )は絵文字。

 就職事情はまだ最悪(どくろ)
 福岡で仕事するなら来年まで待った方がいい。
 まっ全くないことはないけどな(どらねこ)
 でも、うちの会社もやけど中途募集は全くしてない。
 どこも今年は我慢の年やな(めだま)
 うちの会社は去年~今年、俺がいっぱい働いて稼いだからな(ぶた&ぴーす)

苦笑。

この年代のメール、はじめてのぞいた。絵文字が楽しい。
そういえばその友達、引越しの手伝いに来てくれてたっけなあ。
無愛想だからろくなあいさつもしなかった。あちらも無口だった。
へえそうなの。ありがとう!生き生きしてるね口コミ情報は。

2009年9月27日 (日)

結婚式の案内状

おとなりのおばさんが、書いて頂戴といってもって見えた。
住所名前、メッセージを書く欄がありますが、おしゃれにも英語。
横文字はわからないとおっしゃいます。おばさんは一人暮らし。
かささぎはしみじみとかんがえさせられました。
戸畑の一人暮らしの母のもとに夫が帰ってよかったな。とも思いました。

2009年9月25日 (金)

整骨院の助手のしごと。

かささぎが警備会社の経理事務のしごとを失職したのは先月末のことでしたが、その日の帰りにはハローワークで仕事をみつけ、翌日には面接をうけて、九月の二日からあたらしい職場で働きはじめました。あたらしい職場=整骨院です。

ちょうど一回りかささぎよりも若い先生、それで独身。
だからなのかどうかわかりませんが、お年寄りより若い患者さんが多い。
ことに高校生の男子、そして三、四十代の女性。競輪選手も数人。

かささぎの仕事はこれまで通り経理、それに受付とカルテのパソコン入力、先生の助手としての仕事。あとは掃除と毎日のたくさんのタオルの洗濯など。
これまでの仕事とくらべ、何かがずいぶん楽になったなあ。と感じます。
たとえばパソコン。これまではボスが私には触らせてくれなかったんで。
パソコンがすきなのでとってもうれしいです、毎日触れるのが。笑。

助手というのは、患者さん一人一人に機械を設定するってことなんですけど。
四種の電動機械の扱いをマスターするのに戸惑ったのですが、もう大丈夫。
機械のくせもわかった。
患者さんのきもちを考え、その人にあわせた会話をするように心がけます。
なるべく明るい楽しい話題を。にこにことしたきもちで帰ってほしいから。
これも相手のなかに楽しいきもちを引き出す糸口となるものを探せば大丈夫。
患者さんのなまえを覚えるのがたのしいんです。
若いころの経験が生きているのがわかります。
ノートに似顔絵と一人一人の特徴をメモして覚えていました。

整骨院の先生について、これまで考えたことがありませんでした。
外科のお医者さまとはどう違うのか、とかを。
じっと仕事ぶりを観察していまして、だんだんわかってきました。

外科の先生はからだのなかを診るのにレントゲンを必要とします。
かれら(私の勤めているところの先生は柔道整体師)は触診がすべて。
痛みのわいてくるところをつきとめ、ゆがみがあればととのえ、右と左のずれを直す。
柔道っていうのは、すごいものなんだな。とかんしんします。
患者さんがおっしゃることには、外科にいけば沢山お金がかかる、ここだと安い上にちゃんとからだを直してもらえる。それがとってもありがたい、と。

毎日、泣いて感動される人がいます。手をあわせる人もいる。
患者さんの話では先生はとてもじょうずみたいです。
感心するのは、捻挫などの治療でするテーピング。
まるで芸術的ともいえる細やかな愛情のこもったテーピングなんです。

(いちどカメラでさつえいしたいとおもうほど。)
脱臼したり寝違えたり捻挫したり筋をいためたりしたら、かささぎ整骨院へどうぞ。


2009年9月22日 (火)

山下家のバーベキュー

山下家のバーベキュー

昨夕、せいこさんちでのバーベキュー。

右が御主人、ヘヤードライヤーで火熾し中です。
かまどもベンチも御主人手ずから造られたもの。
ひだりは古賀の音彦さん。
母校の高校のミニ同窓会みたいな集まりでした。
おいしい佐賀牛を調達してくださったみやま市の獣医いけまつさん。
犬とねこにつく蚤の違いとか猫の去勢術とかあそうそう「あて馬」についてのレクチャーが真に迫っていてがばおもしろかった。高校時代まったく話したこともない人。
あと丸山消挙。せいことは幼稚園から墓場までの幼友達で互いにちゃんづけ。
奥さん孝行で平戸旅行の帰りとかで、高速がまるで動かなかったとぐったりして、さいしょは借りてきた猫のように死んでいましたが、だんだんとやっぱり酒飲みでした。
お湯割り焼酎をぐびぐびのんでいた。かわいい奥さんが迎えにくるころは、溶けたアイスのようにでんでれ状態になっていた。
らんちゃんものんでいた。ぐんぐんどんどんのんでいた、平常顔で。笑

一学年上の東京在住れいさんが八女弁にもどってにこにこと楽しそうにしておられたのが印象的でした。あかるい人です。
医者の奥さんのブン、あうたびいいおんなになっている。
息子さんが結婚したとかでとってもきれいな写真をみせてもらいました。
あと、高校のときからまったく変わらない山ちゃん(旧姓山科)、家はかささぎのところから近いのですよね。星野村出身。
ぼんは一人みんなより一時間半も早く帰りました。しっかり鮎三匹もって。

楽しかったです。おいしかったです。
せいこさんあーんどあきとっしゃん、それから山下家のおばあちゃんおじいちゃん。
お世話になりました。奈良漬がおいしかった、それと糯とうきびと冷凍干柿。



2009年9月 3日 (木)

モロヘイヤとブルーベリー

従姉(一回り年上)が選挙の当選御礼にと自家栽培のモロヘイヤを届けてくれた。
婚家がその政治家の妻の親の実家で、なおかつ政治家の妻の義妹が、この従姉の義弟と婚姻関係という複雑に重なるややこしい縁で、熱心に支援していた。
選挙支援運動そのものを心から楽しんでやっている、という風に。

このいとこから、先日はブルーベリーのジャムももらった。
どちらも新鮮でとってもおいしかった。ジャムはかささぎが独占してたべた。
自分で育てて収穫したのだそうです。

最近、母が草取りをしていた姿をよく思いだすんよ。

と従姉がいいます。

少女だったそのころ、遊びたいのに、ピアノだの習字だの母に習いに行かされてね。
でも友達からはうらやましがられていたってことに後で気づいた。
そのころはしんからいやだったけど、母のおかげで小学校教員になれたんだなってよく思うもの。(従姉のみちよちゃんの話)

この従姉の母は、やまなみ短歌会に所属していた。
従姉は色紙に母のうたの幾首かを清書して残している。

私も伯母の歌に好きな歌があるが、従姉の書いた中に見当たらない。
従姉にどこでよめるかきいてみた。

八女図書館の閉架にある所属当時の「やまなみ」を全部だしてもらって母の歌は全部よんだ。そこから好きな歌を選んだ。
・・・との返事。そうだったの。

引きたいのは「軒深き」一首。
それは従姉の母と私の父の生家を歌った叙景歌であった。

2009年9月 2日 (水)

失職その2-就職面接

十二時からの面接と一時からの面接を終えて帰ってきました。

ハローワークで希望職種にふと思いついて医療事務と入力しました。
54歳、時給800円、と打ち込み四件ヒット、全件印刷する。
五件までは印刷して閲覧できるようになっています。
いずれも個人経営の院で、一件は「急募」と打たれた所でした。
そこへまずいきました。場所は荒木、オフ会をした地の近くでした。
院長は荒木で二つの院を経営しておられるらしい。
縁を感じるところがいくつかありました。
わたしの通った小倉の短大へ姉上が通われていて、自分もいちど付いていったことがある、あの坂道を歩いて・・と言われたとき、お。シオンの丘。とおもったです。
師恩の丘。

んがそれよりもあっと驚く因縁で、かささぎはそこと繋がっていた。
どうして急募ですか、なぜ前の方はやめられたのですか。
との問いに、何気なく院長が話された前任者の災難話。
彼女はそのせいでパート勤めができなくなり、やめざるをえなくなったとのこと。
そして、その受難は、よりにもよって最近わたしの親戚がもたらした受難に違いない!と思い至ったとき、一本のロープみたいな太いえにしの糸がありありとみえてきました。

もう今からでもきてほしいような口ぶりでしたが、もう一件面接の予約があった。
三時頃にはっきりとお返事をいたします、と申し上げて、次に久留米市役所近くの医院へ向かいました。

個人経営の内科医院でした。
こちらは整骨院と違って医療報酬請求事務という専門知識が絶対必要です。
しかし三十年も前にやっていたことで、忘却しています。
それでも行ったのは、電話応対がすごく感じがよかったので、どんな医院か見たいという好奇心です。はい、ずうずうしいです。

目指す医院はすぐわかりました。新築工事の警備を請け負った所でした。
隊員を送ってそこまでいったことが何回かあります。
迎えてくださったのは、七十台のやさしい奥様と老院長先生でした。
さっそく試験をするとのこと。
えっ!なんにも予習をしていない。
一人のカルテをみせて、この七月分の医療行為をすべてレセプトに書き出して、請求書を作成してごらんなさい。うちはすべて手書きですから。
・・とおっしゃいます。大きな計算機も貸してくださいました。

一人にされて、わかりませんともいえず、レセプトとカルテをじっと睨んでいました。
それにしても、なつかしい!!

でも感傷に浸っている暇はない。請求書を作成しなければ。
一応、カルテに覚書みたいにあちこち数字がかかれていたので、点数の計算だけは768点と出すことができました。再診料とか注射とか検査とか投薬料です。
768点は今も昔と同じく一点が十円ならば7680円です。
これの三割負担ならば、計算すればすぐでます。しかし自信がありません。
それに余白には何がいくらと詳細を書いていたと思うのですが、どの検査がいくらなのかがさっぱり見当がつかず、よってこの果敢な挑戦は断念とあいなりました。

ネットで最近の診療報酬点数を予習して行けばよかった。
さほど複雑な医療行為ではありませんでしたので、くやしかった。

「すぐに使える人がほしいので。残念ですねえ!」と奥様はおっしゃいました。
すみません、やはり忘れています。と私は苦しい言い訳をしました。
野次馬根性からご迷惑をおかけして、すみませんでした。

結局、因縁が黒々と手招きする最初の整骨院にいきます。
今日のお昼から。もう一人の人と午前、午後の交代制みたい。



2009年9月 1日 (火)

われ、めでたく失職す。

きのう、仕事中にマイボスが厳しい顔でこういった。

「姫野さんと竹ちゃん、あしたからもう来なくていいから。」

えっ。(と驚くも、さっと冷静になり)わかりました。

事情はすぐ察知した。
この数ヶ月のかつてない赤字で給料日の度にぴりぴりしてたボス。
理由は手に取るようにわかる、私が経営者でもおなじことをする。
三年近くもパートとはいえ、この会社の経理をやってきたのだ。
交通誘導や施設警備などの一般隊員をある程度の数抱えるためには指導教官などの「職員」をそれに見合った人数確保していなければならず、かれらの固定給が経常利益を常に圧迫するのだった。だから普通の弱小警備会社には、事務要員はいないのである。隊員とか指導員とかと兼務で事務もこなすのが普通。ゆとりなどどこにもないのだ。

かなしいとかさびしいとかの感情は何もわかない。
これがパートのパートたるゆえんか。感傷がなにもない。
別れてつらい人も一人もいない。笑。
強いて言えば、すこし気がかりな隊員がひとりと犬が一匹。
よくボタンをつけてくださいともってきた気弱なこんちゃん。
医療保険もないのに体をこわして入院し、ある夜電話をかけてきた。
かささぎは出なかったよ。きっと一人ぼっちがさびしかったんだろうね。
みんなさみしいんだよ。こんちゃんだけじゃないよ。
そう言って励ましたかったけど、心の中でだけにした。
体をいたわりながら、借金に負けないで、どうか仕事頑張ってください。
それとさくらをいじめないでね。さくらというのは、社犬です。
今日は私の机の足元でお昼寝をしていました。あれがお別れだったのね。

いつも隣にいた竹ちゃん。お互い奉公の年季が明けたんだと思おうね。古。
もっと選んだほうがいい。きっと君に合う職業があるよ。

われながら貧乏性だと感心するのは、帰りにすぐさまハローワークに行き、職探しをしたこと。強迫神経症ぎみ。

なんだ、あるじゃん。しごと。前回みたいに一回で決めないようにしなきゃ。
だけどイキオイで、あした面接の約束をしてしまった。
そして、いま、うんと後悔している。

なんでもっとゆっくりできないかな。

すこし、やすもうか、じぶん。

2009年8月24日 (月)

博才とはなにか。

博才=ばくちに勝つ才能。

長男へ言い聞かせたことの一つに、自分の小遣いは自分で稼ぎなさい。
ということがあった。
これは最重要項目であることを何の苦労も知らない青年に解らせた。
結果、彼は週に二回、コンビニで深夜バイトをするようになる。

あたりまえのことだ。
父親が失職して、無収入なのだから。
学費はなんとか母が工面してあげるけど、生活費はあなたが稼ぎなさい。

むすこは二年前、派遣社員として岐阜に行っていた時期がある。
そのころパチンコをして、勝って、株をやっていたらしい。
いや、なにも話さない。でも、部屋を片付けていたら出てきたのだ。
通帳。すぐ撤退したようだったが。

本を買っている。

たとえばこんな。

「なぜ投資のプロはサルに負けるのか?」 藤沢数希

「マンガでわかる株式投資!ー女子高生株塾」 ホイチョイプロダクションズ

「他人を見下す若者たち」 速水敏彦

ライトノベル作家の上遠野浩平が好きな長男。誰よりロマンチストなんだよ。
兄ちゃんは何を考えてるのかわからない。
と弟に思われているけど、やはり兄は兄なんだな。と、さいきんおもう。
父の仕事をしてくれる。米のすりはぎ係、運ぶの重いんだよね。

博才とは何か。

それは負けを察知したときに、冷静にさっさと撤退する才能のこと。

むすこには、どうやらその博才があるような気がする。
(ばどさん、うらやましかろ)

あきれた母親だとじぶんでもおもうとります、はい。
どうか、ぶたないでください。

2009年8月20日 (木)

アフガンの選挙  日本の選挙

 竹橋乙四郎

今日(20日)は投票日。
といってもアフガニスタンの話。
大統領選挙ですがこんなことになってます。
14日、カブール市の空港地区にロケット弾が打ち込まれる。死傷者なし。
15日、カブール市の国際治安支援部隊(ISAF)本部前において、車両を用いた自爆テロが発生し、7人が死亡し、91人以上が負傷。
18日午前、カブール市の大統領官邸近くに迫撃弾2発が着弾。被害等は不明。
18日午後、カブール市の主要都市道路で車両を用いた自爆テロが発生し、7人が死亡し、50人以上が負傷。
ここに書いてある場所が報道映像で流れていますが、いずこも見覚えがあります。
あれから何年も経っているのに、一向に平和が訪れないのがもどかしい。
復興支援の仕事やってると、銃声が身近です。
パン、と短い乾いた音。

  かささぎの旗ひめの(わたし愚物です)

公示日の数日前、マイボスが、「もうじき告示日ね。」といわれた。
えっそれはなんですか。とあほかささぎが聞くと、
「事務所に並んで受付をしてもらうのよ、立候補できる資格があるかをみせて、それが終わったら、もう運動ができるってことよ。順番があってね。」
へーえ。そうだったんですか。なんにも知らなかった。
「父がなんども選挙を戦ったからね。いまも告示日が近づくともうそれだけでドキドキするとよ。」

(公示は告示といっしょみたいね。)

十八日お昼、近くの公園での出陣式の警備を請け負う。
「姫野さん、いきたいならいってきてもいいよ。わたしはいかない、暑いから。」
えっそうですか。竹ちゃんいこうか。あ!でもその分、時給から引きますか。
「そりゃあ引くわよ。当前、その間は仕事しないんだし。」
ここでみんなが、うわー!!
結局いかなかった。ちょっといきたかったな、写真撮りに。
(去年は行った、ボスもみんなも全員で。お給料もくれたし)

今そんだけきびしいってことなんだよ。まったく余裕なし。

連句的リンク:

ファクタあべしげさんのブログ記事。

「中国に抜かれる日本のGDP」http://facta.co.jp/blog/archives/20090803000885.html

その肝どころをコピペしときます。

文章:阿部重夫

日本は逆転を覚悟しなければならない。前に進んでいるようで実は後じさりする故マイケル・ジャクソンの「ムーン・ウォーク」のような経済では、追いつかれるのは当然だろう。なのに、悲憤慷慨はもとより起死回生策の揚言すらない。とうから諦めた顔である。

末端では、補助金漬けで崩壊に瀕した農村をどう立て直すのか、さっぱり知恵が働かない。政権の座につきそうな民主党は、前代表肝入りの戸別所得補償で「アメを与えて安楽死させる」だけ。片や自民党農水族も、落選を恐れて大盤振る舞い、減反見直しなど石破農水相の改革検討を封じこめて得々としている。

ラクイラのサミット(主要国首脳会議)では、世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンド(多角的貿易交渉)を来年妥結させることで合意したのに、日本の農水守旧派は「WTO脱退」と息まく。待ったなしの現実に目をつぶっているにすぎない。

もちろん、脱退などしたら、日本の輸出産業が立ちゆかなくなる。隣の韓国は欧州連合(EU)と自由貿易協定(FTA)を締結する交渉が妥結、サムスンや現代自動車など韓国の工業製品は世界第2の市場である欧州で、3年以内に9割以上の製品の関税が撤廃され、5年以内に全面撤廃となる。農水族の抵抗でEUとの貿易連携協定(EPA)交渉が進まない日本とは対照的だ。今後はパナソニックやソニー、さらにトヨタなど日本のメーカーが高率関税の障壁で不利になることを意味する。

経済大国は一場の幻だったのか。日本は「中国に負けたのではない、高齢化に負けたのだ」と負け惜しみで自分を納得させるのか。

『ディア・ドクター』の結末に観客はかすかな慰籍を与えられるが、沈みゆく日本にニセの処方箋を与えても息を吹き返すことなどありえない。

天は自ら助くる者を助く。

2009年8月19日 (水)

きのう、ガストでオフ会

かささぎはガスト上津店に十五分前についた。
テーブルを予約していた。係に頼んで二つをくっつける。
ファミレスだし、ざわついてもいるのですが、気のはらないところがいい。
なんにしろ、高校生気分で入れる。しかも安い。
でも、あんまりお酒好きには向かない。

まず、ぼんが到着。そうこうするうち、仕事帰りのぼんのご主人、彦山さんがオートバイで到着された。いま玄関で呂伊利さんにあったよ、といわれる。そして本当に呂伊利さんがひょうひょうと入って見える。初夏に会ったときより、さらに細いかんじ。
ちょっとしてセイコが着き、最後にみんなより三十分遅れてエメさんご到着。
(ここで、うわーきれいねえ!!の声があがる。)

さすがにじいばあなため(笑)、和食系を食べつつ、話があっちこっちへ。
うーん。なにをはなしたんだべな。
覚えているのは・・・彦山さんの趣味、謡曲のはなし。四つか五つだかの団体に所属しておられて、年に十回の公演があるそうです。では月に一回?と聞けば、そうではない、春と秋に偏っている。とのこと。へーえ。それはいつか見学にいかなきゃね。
で、呂伊利さんは筑後川マラソンに十月十一日(日曜日です)出て、フルマラソンの四十六キロ余りを走るんだって。ひえ~!!
「けさも十二㌔走ってきた」と何気なさげにおっしゃった。
だからこのひとは余分なお肉がないんだな。
体重をきくと、57キロって。わたしが今56㌔、ほぼおんなじ。げげ。
ちなみに呂伊利さんは背が高いよ。

せいこが畑を作るときにご主人とやり方でもめた話をしてくれた。
ご主人は苗か種かを植えるとき、きっちりと間隔をとるため、採寸をしてやる。
せいこは目分量でてえげまんげでやる。どうせ採れるのはおんなじではないか。
といって喧嘩した、という話。

それにエメさんやぼんや彦山さんが入って、「いや、畑が道のそばなら、それなりにきっちりと植えなければいかんよ。隣近所の目があるから」なんていうのです。

はーあ、そういうものなの。そこまで気をつかうの。

やっぱりあたしはぜったい農業はせんめ。と固く心に誓う。
(せんめ=すまい。打ち消しの意志をあらわす)

ほんとは、うらやましかったのかもしれんのやけどね。

ほかに呂伊利さんの欧州旅行のことや欧州へ初めていくならどこがいいかなど、盛り上がった。(ろいりさんおすすめはぽるとがるだったよ。カステラがたべれるからね。うそうそ)

えめさん得意の安くてお得な旅のしかた。ってのもレクチャーしてもらった。
壱岐の島のふつうのおうちの神棚は、こちらの家の床の間くらい大きいって話も。
ぼんが昇給試験に合格したはなしも。時給で五十円もあがるって。

十時になり、デザートのあんみつまでたべて解散しました。
また会いましょうね。

写真は今回ありません。撮る暇なかった。
おつかれさまでした!








2009年8月17日 (月)

おさななじみに会う

昨日は一日親戚のほとけさまめぐりをした。
午前中は市内、母をつれて。午後からは久留米方面に一人で。
これまで父がひとりで済ませてくれていたことがふしぎ。

夕刻、タッコが来た。来てくれた。父の見舞いに。

十五分ほど近況を聞いた。

親の介護話。いろんなはなしを聞かせてくれた。

すごく苦労している。たいへんなんだ。

仕事をこなしながら、嫁ぎ先の親の介護と自分の親の介護の両方をやっている。

そういう時代なのだな。それができるしくみになってもいるのだな。

とてもきついよ、といいながら、とっても明るい。

タッコ、あなたはすごいね。
そろばんすみちゃんもがんから再起したかずちゃんもえらいけど。

その元気をすこしもらった。
さあ、私もへこたれないで今日から仕事、がんばる。

2009年8月15日 (土)

帰路は三号線で

15日(17:39:49)

着いてすぐ夫の家に行き、亡父と亡祖母へお花をあげてくる。
ふたりとも、とてもかわいがってくださった。
土砂ぶりだったので、お墓参りは断念する。

それから、鍬塚さんの住む浅生三丁目へ。
これまで五回以上は行っているはずなのに、毎回わからない。
ふしぎなところなのだ。でも、番地まで覚えて行ったので、着けた。
どなたもいらっしゃらなかった。
もう斎場へいっておられるのだろうか。

斎場はすぐにわかった。大通りに面していた。
車は斎場の前に横付け、三階の控え室で鍬塚さんに会う。
話をきいた。

ここには書かない。

なぜか鍬塚さんとはふしぎな縁がある。
実のお父上と初めて会われる場面を思い出していた。
その父上は再婚して熊本におられたが、俳句をなさっていて、その俳句を通じて聰子さんに人生でふたたび出会われたのだった。そのころ八十をとうに過ぎておられたが、毅然としたりっぱな方だった。わたしにしばらく絵と俳句入りの賀状をくださった。律儀な方だと敬服していた。

鍬塚さん。
ご主人がなくなられる直前に信州までの長い長いドライブができてよかったですね。
ことばではできない会話がたくさんあったのでしょうね。

ご冥福をおいのりいたします。


2009年8月11日 (火)

子の成長、母の成長

先日娘が帰省したとき、すっかり落ち着いていたので安心しました。
初夏に天神で会ったときは、勤務先の病院の経営者がかわってからの愚痴がたくさんでましたが。

有給休暇がなくなったこと、給料が減ったこと(住宅手当)、一日の拘束時間が長くなったこと(娘は週に二回ほかでも働いているのでこれが一番困るらしい)。

でも、いまはそれに耐えるしかないよ。というような話を、母の職場話なども織り交ぜて現実的な助言をしたところ、転職は思いとどまったようです。

探せばもっと高いお給料でやとってくれるところはあるかもしれない。
でも、お金ばかりではない、世の中は。

こんなことを言ってました。
経営者がかわって全体の会議があって、あなたたちの待遇はこうなります、って説明があった。そのとき、じぶんたち調理師は下から二番目だった。お医者さんや看護婦さんやいろいろ上から順にずらずらっといて、下から二番目がわたしたちなのよ。

そうなん。一番下は?
掃除のひとたち。
そう。
下にいくほどお給料は安いけど、病院は上がないと下のない職場だからね。
お母さんたちの職種は建設業のなかで一番下だけど。
毎日とってもやりがいがあるよ。地道にやってる。たのしいよ。
ボスが厳しい人でいつも気がぴんとたっていてね。
一枚の紙も無駄にしないし、備品管理も徹底してる。
おとこたちをあごでこきつかってるしね。笑
ユニフォーム代、備品代、すべて隊員持ち。お給料引き。
私も五分でも遅刻しようものなら、三十分単位で時給カットされる。
お茶代(コーヒー代)も月五百円各自の給与から天引き。
ガソリン代は走行表書いて請求しないとくれないし、それも15リットル券支給の形。
人件費以外入ってこない職種だし、それに引き換え経費がかさむ。
一年を通じて帳簿をつけていると、いやでも見えてくるのよ。
マイボスがしまりやだから、隊員を飢えさせずしのいでいけてるってことが。

ことしは殊に仕事がなかった。どこもそうだったらしい。
三月までで忙しい時期がおわると、四、五、六月はかつてない赤字だった。
それでもボスはちゃんとみんなにお給料わたしてくれた。
隊員さんたちにはみえない部分のマイナスのお給料を貸し与えてくれた。
これができる人なんです、わたしはマイボスを信頼している。
安くてもいい、ちゃんときちんきちんと支払ってもらえること。有り難い。
ここにきて、甘えない生き方をはじめて学んだ。

むすめの成長とわたしの成長に感謝。

連句的:

保健医療経営大学学長ブログ「医療費の動向12」

http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/927


2009年8月 7日 (金)

昨日の家の月

昨日の月

きのう、博多から娘がもどり夕飯作って又帰りました。
三時間近くかけて作ってくれた。夏野菜のにもの、じっちゃんに。
ありがとう。母(私)の愚痴もきいてくれ、励ましてくれた。
おかあさん精神病院いったほうがいいよ。というのは余計だけど。
それで!夕観音さんをすっかり忘れていました。
おもいだしたとき(これを撮ったあと)にはもう終わっていた・・
(また西鉄久留米駅まで送り届けて、家の月を写す。
ほくろみたいな星、なんて星かな。しりうす?いやそれは冬)

2009年8月 6日 (木)

軍手とノンフィクション

夏は運転する手が日に焼けるので、軍手をします。

二の腕までの専用手袋があるのになぜかこれが気分的に合う。
夏は運転しながら、しろくまくんをたべたり行儀が悪いからね。

城島へ行った後、三潴まで足をのばしてみました。
ぼんの家までしか行ったことなかったのですが、うろうろしてたら、新茶屋みたいな地名の三叉路に出て、そこをあっちへまがって横道にしゃかっと入れば、あった!何の案内板も出ていなかったような気がします、公民館としか。それが図書館なんざます、ほんとにねえ。
ここにはビデオやDVDが割とそろっていました。
『東京物語』、貸し出し中でしたので予約をいれてきました。

2009年8月 2日 (日)

父、退院。

7月22日に胃がんの摘出手術を受けた父が今日退院します。
全摘ではなく、胃は五分の一残してくださいました。
最近の病院はすごいです。
以前の治療方式とはまるで違う。
手術は組織検査をしながらのもので長い時間かかったのですが、もう翌朝には父は歩かせられていました。そういう方針であるらしく、翌日朝からリハビリが始まりました。本当にびっくりしました。しかし、おかげでトイレもすべて自力ででき、介助は全くいりませんでした。

入院期間中、父がベッドにおとなしく寝ていた姿は一度みかけたきり、私が行くとたいがいベッドに座っていました。孫が差し入れてくれた藤沢周平の文庫本を二冊読んだらしい。

子が数年前まで毎年ぜんそくで入院していましたので入院慣れしてますが、今回のようなちゃんとした病気の入院は初めてでした。得がたい経験でした。

それに、乙四郎が今学長ブログに連載で書いている難しいことが実感としてわかるようになった。ことに高齢者医療の経費。
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/category/health-m
退院が近づき母は治療代がいくらだろうとそれを心配していました。
予想では数十万円かかるような気がした。
ところが、なんと十万円以下なんです。
入院期間は13日間、胃がん摘出術がなんと十万以下!

驚きました。なんでこんなに安いのでしょうか。

それは一割負担だからです。後期高齢者医療という制度のおかげです。
制度が始まったばかりのときは、保険料天引きで支払うことの不満のみに意識が集中していましたが、おかげさまということであります。
八万円が一割ということは丸々自費の十割だと八十万円てことです。
うわあ、保険というのはなんと有り難い制度でしょう。

ところで、はじめて父が入院して、いろんなことが見えました。
まず近くの親戚がずいぶんよくしてくれたこと。
うれしかった。
また、こどもたちがちゃんと育ってくれているのがみえて、うれしかった。
長女長男次男まるで性格がちがうので、やりかたは異なるのですが、それぞれに心配してくれた。次男のは目にみえるやさしさ。
いちども病室に入って来なかった長男は、へんなやさしさ。笑

長男と最近めったに顔をあわせませんが、学長ブログの用語がわからないのを尋ねると、ちゃんと教えてくれた(被用者保険=他人に雇われている人の保険)。
勉強しているふうではないけど、経済面ではふしぎと自立できている。
平行して自分の意見をはっきり言うようになった。
これも保健医療経営大学のおかげだと思っている。

以下、きのうの例。
私「今日etcをつけてもらった」
奴 「お金がないっていってたやん。その割りにすることが矛盾しとるね」
私「親戚のとこに言ってみたらたまたま一台あるっていうから。でも民主が政権とったらつけてなくても高速只にするっていうから無駄かもね」
奴「あーだけどいつになるかわからんやん。それにそんなこと言ったって財源はどうすん。あてにならんよ」

2009年7月20日 (月)

チチにがん

チチにがんがみつかった。

検査の結果、転移はみられない、初期の胃がん。
あさってが手術です。

はじめての大病で、本人よりハハがおたおたしている。
もともとハハの調子が悪かったので受診し、ついでに食欲がないチチも検査してもらったら、見つかった。

紹介されて公立病院にかかるのですけど、これ、どうなんでありましょうや。

博多の病院勤務のむすめがすぐいったことには、

「え。おかあさん、そこ、だいじょうぶなん。」

これは当然のことばです。
これまでさんざん事故があったところだし、去年息子が盲腸手術うけたときも一週間ではおさまらず、一月近く痛がって治療に通っていた記憶があたらしい。(そのときの医師は今回みたらいなくなっておられました。)

けれども、地域の病院に命を託さず託せず、どうやってその地域でお世話になることができるでしょう。

ですからそれは気にしません。

けれども、一つだけどうしても気になることがある。
それは事務。なんであんなに待たせるのでしょう。
会計にカルテを出してから二、三十分もかかる。誰も他に待っていなくても。
同じ仕事をしていたことがあるだけに、余りにも「ふうたぬるく」て我慢できない。
こういう何気ないことが、とてもとても大事なんです。
それ、わかっているだろうか。サービス業でもあるという自覚あるだろか。
いまは市役所でさえ、人を待たせなくなりつつある。

「競争に勝つか、競争を避けるか」(橋爪章)参照ブログ記事:
http://www.healthcare-m.ac.jp/app/gm/archives/844

2009年7月17日 (金)

父と母

父と母

父、昭和四年生まれ。
母、昭和五年生まれ。

待合室で父の診察をまっていたら、天野おとめ(連句人、これは俳号)さんとばったり会いました。
おとめさんは車椅子のお父上といっしょに診察を待っていました。
うちの父がちゃんと彼女を覚えていて、「おお、たかくらさん(おとめさんの本名)じゃなかね」と声をかけました。ひさしぶり、彼女は元気そうでした。お父上にもはじめてお会いしました。


このあと、検査の結果をみんなできいた。
若い先生が詳しく説明してくださった。

二日つづけて絶食の重い検査をやって、次の日は草刈をしてた父。

今日は、胃カメラ。
さすがにぐったりとして、三時過ぎ帰宅。
ごはんをたべたらすぐ父はねてしまいました。
それはそうです、三日間あまり食べていませんから。
検査とはものすごい過酷なものなのですね。



2009年7月14日 (火)

坂本画伯を久留米にとられそう。

坂本繁二郎画伯を久留米にもどそうという動きがある。
というのも、これまでは繁二郎といえば八女の専売特許っぽかったから。
くるめで文化財担当のしごとをなさっているやまなみ短歌会所属歌人で連句仲間*の古賀音彦さんが桜島へのみちみちおっしゃっていた。
そういえばわたしの勤める会社、繁二郎生家前で交通誘導してた。
最近、伝票の整理したので記憶がある。

「もしやそれは八女市が遺族に寄贈されていただいじな絵にカビをはやして回収されたからですか」

「いや、それはまったく関係ありません。
もう前もって去年八女にはあいさつをしている。」

ふうん。
石橋秀野のときも資料のあつかいは難儀をきわめた。
予算も時間も人員もまるでない「公」と、愛情深いファンである「民」との敷居。
思い出すのも気がめいる話で、だれが悪いわけでもないのに、おせこせする。
ああかんがえるだにほんなこてしぇからしかとです。

だけども。

資料自体にきっと明確な意思があるにちがいない。
それが、自分の納まるべき場所に導いてくれるだろうとおもっている。

* 連句を一度でもつきあって下さった人は、大事な連句仲間とみなされる。

2009年7月10日 (金)

狂いと信仰

五木寛之の『親鸞』、読んでいますが、少しもわくわくしない。
同郷人で母校がおなじひとだし、応援もしていますが、。

これまで、いくどかの「見せ場」がでてきました。

だけども、どうもいまひとつ迫力に欠ける。
予定調和の世界に安住している気がするのです。

かささぎとしては、お行儀がよすぎる気がして面白くない。
もっとあの時代は物狂おしい時代だったはずなんだ。
もっと野性的でもっと野蛮でもっと無常でもっと無情な。

ここぞというときに、主役の救援に奉仕する筆。
もっとよごせ。
きよらかなものはうそっぽい。
ぞくっぽいではないか。

・・・とそんなことをおもっていたら、足元に一冊の本が落ちていた。
手に取れば『〈狂い〉と信仰』町田宗鳳著(PHP新書、1999)。

ぱらぱらとめくれば、こんなことばが目にとまった。

「此道の、第一の面白尽くの芸能なり。物狂の品々多ければ、この一道に得たらん者達は、十方へ渡るべし。繰り返し公案の入るべき嗜みなり。仮令、憑き物の品々、神・仏・生霊・死霊の咎めなどは、その憑き物の体(てい)を学べば、易く、便りあるべし。親に別れ、子を尋ね、夫に捨てられ、妻に後るる、かやうの思ひに狂乱する物狂、一大事なり。」
 
 能の謡曲には、さまざまなストーリーがあるのだが、世阿弥は〈物狂い〉の舞いをマスターすれば、あらゆる能を演じることができるといっている。あの世からの怨霊にせよ、この世での深い執念に燃える人間にせよ、その人物の情念が凝縮し〈物狂い〉となるのだが、この世とあの世を貫く掛け橋となっている〈狂い〉の世界にこそ、能の「花」を見ていた世阿弥の眼は深い。

なんでこの本を買っていたのだろうねえ。

と尚もめくれば、おしまいのほうに聖アウグスチヌスの悟りにいたるまでの蛮行が書かれていた。

(これをよみたくてこの本を買ったんだった。わずか数行のために。)

聖なるものへの道へいたるには、ひとたび狂わねばならない。

では、。

親鸞は、なにに狂うのだろう。

まだまだつづく、五木寛之の『親鸞』。
「しんらんのくるひ」に、期待している。

連句的:

聖アウグスティヌスの生涯:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9

此れを読みますと、アウグスティヌスはアルジェリア生まれ。
(ところで、このなかにでてくる「マニ教」とは、こないだポタラ宮展にいったとき、チベット密教の祭祀備品の一つ、マニ車と関連するものだろうか?あのマニぐるまってやつは、なんともいえず、ものぐさでおもしろいものでありますよね。一回まわせば、経文を一回唱えたことになる。と決めたことがすでにかっとんでいる。おもしろいなあ。とおもいました。)

2009年6月 2日 (火)

中山宙虫への詫び状

そらんさん。

こういうふうにおもうことはできないでしょうか。
ここに引きつったひとがいます。
そのひとは荷物が重過ぎて疲れ果てている。
ここへくる。
あ、いまそういえば思い出した、北原志摩子の句、うろおぼえ。
秋灯窓から見える砂糖壷 
こんなふうな一句でした。記憶ですから間違っています。
秋ともしは秋羨し。
おとなりの窓からみえる砂糖壷がうらやましい作者がいます。

昨日、新聞でこういう文章をよみました。
「自ら社会変える意志を」西日本新聞朝刊、内山節(哲学者)
「失いはじめた持続性や継続性」。

内容は半分がそらんの随想にあらわれていた現代の問題。
あとの半分はどうしたら継続可能な社会ができるかの考察。
「信頼」の回復がまず必要で、それがなければ、この世のすべては砂漠にうもれる薔薇みないなものだ。というのです。

かささぎのもっとも痛い所におちた中山宙虫の随想。

それは裏を返せば、本当は今もっとも必要な、
「真っ当な人生の価値」
について書かれていたのかもしれない。

ごめんなさい。ここに正式にお詫びいたします。

かささぎの旗
2009/06/02 17:43

2009年6月 1日 (月)

サンダルとトランペット 3  鬼の救済

連句での仲間だった中山宙虫さんが本年度の九州俳句賞を受賞されるそうです。
かささぎの旗では真っ先に、熊本の俳人中山宙虫さんの新しい門出を祝って、心からのお祝いを申し上げたいと思います。

かささぎはつい最近そらんさんへとても失礼なことを書いて、やさしく誠実な人をひどく落胆させてしまいました。それどころか、ここに集ってくださるとても気持ちのいい仲間たちまで、ひどく混乱させ、失望の底までおとしてしまうということをやらかしてしまいました。二日間も眠れないで心配してくださった、前橋のばどさん。ぼん、乙四郎、せいこ。そのほか、なにもいわずに見守ってくださったみなさまへ、心からのお詫びを申し上げます。

その理由はかささぎのみょうにねじけたまっすぐな性格にあります。

と一筆書いて、はい、それではさようなら。
と断念できることではないから、ここにきちんとかささぎなりの理由を書いておきたいと誰よりも願いました、姫野は。

そらんさんへ。

あなたのブログへいくのは、ひめのはホントいうと、とても辛かった。
そこにはいつもとても仲むつまじいご夫婦の姿がありました。
中山宙虫ブログを訪問なさったかたなら、どなたでも真っ先に気づかれることが、それであろうと思います。

一方のひめのはどうかといえば、それはそれは悲惨の一言。
しかも、それをブログに書いて、配偶者への思いやりのかけらもありませんでした。(夫よ、ゆるせ。きみはしらないだろ、こんなことを妻がかいてるなんて。だけど、それも運命だと思ってあきらめてくれ。かささぎがほんとに書きたかったのは、「時代の家族」なのだから。)


中山宙虫、こういう人と知り合えたことを身に余る幸福だと思わず、「なんてめめしい男だろう、妻が妻がばっかりで。」と、そんなふうにずっと思っていたかささぎでした。

神様は、いつでもひめのに「救いの手」をさしのべて下さっていたのに、それに全く気づけないかささぎがいた。

中山宙虫の随想『時代の家族』は、とりたてていうべき新鮮さも何もない、ごく普通の平凡なおやじの感慨を、そのまんま述べたものでありました。
それには、俳句のことも連句のことも何一つ触れられず、それでも堂々と立っていた。

かささぎが鬼になってしまったのは、自分との対比においてだったのでしょう。

このような、本来のあるべき平静な自分に帰れたのは、心いためて泣いてくださった、ありがたい有縁のかたがたのおかげです。
そしてえめさん、きのうはありがとう。思いがけず「加川良コンサート」にいけました。
フォークソング、を聞いてるうちに、かささぎは忘れていたものを思い出しました。
加川良の歌は、最初に師事した俳句の師・穴井太をなぜか思い出させ、また、そのあとで聞いた沖縄は八重山と宮古島の出身という二人のシンガーの歌は、俳句への道へといざなってくださった、沖縄の詩人で俳人の岸本マチ子師を思い出させました。ずっと昨日は一日、それをおもっていた。

私の博多での子育て時代を支えてくれた懐かしい友と三人で、太宰府天満宮に真っ先に参拝し、プタラ宮の秘宝展を観覧し、さいごに菖蒲園よこの文書館でのコンサートをきいてる間中、ずうっと一日、かささぎは心の奥深くで反省していました。

中山宙虫さん、おめでとう。
かささぎは先をこされてしまいました。
けれども、これだけはいっておく。
俳句の賞をとったからってえばるなよ!
けっ。

2009年5月29日 (金)

そらんさん、ごめんなさい。みんな、ごめんね。

どこにかくれとるかとおもたら、ろいりさんのとこやった。
乙四郎さんがあれだけていねいにきょうこちゃんのことをフォローしてくれているんだから、あそこにきちんと反省文を書きなさい。そうせんと誰もが連句にこんごとなるよ。お願いやけん、書いて頂戴。私は呂入りさんのとこの貴方のコメント読んで、今泣きよると。
おかしかろ?皆恭子ちゃんのこれからを心配しよる。呂入りさんのとこのコメント消して、ひとこと「ごめんなさい」とうちこめばすむのに、したくないのよね。困ったね。私が恭子ちゃんの名前で書いちゃろうか?
せいこさんがややこの恋句をつけてくれている。秋扇はよくないと思う。
やや子仕上げるためにも恭子ちゃん、ここは連句のためと思って頭下げてね。私たちの友情は不滅です。6月13日(土)エメさん囲んでお茶しよう。(ぼん)
ぼんからメールがきてた。
なにも泣かなくても・・・・びっくりしました。
そんなに心配した?
ごめんね。ごめんね。ごめんごめん。
ちょっと、普通の人と、神経がちがうっちゃろね。
そらんさんがいつぞや、おもて五句目でだした、
鉄人の面子が返る風更けて
だったっけ。これ、きっとわたしみたいな鉄面皮な人が、風が吹いたら裏返った。
って意味だとおもいました。いまがそう、ひっくりかえったよ。びっくりして。
おっかしいなあ。
そらんさんの文章を必死でこけにしたのに、なんでみんなそうむきになってかばってくれるわけ。
よかじゃんね。文芸のことは。わたしだって生身の人間やけんね。
いたいところだってあるよ。そのいたいところにふれてくるから、よみたくないって、
かいたんだよ、かささぎ語で。ここまでかかせたいのね、あんたらは。
切ったら血が出る。それだけのこと。
だいたいばどさんも乙四郎もせいこさんもぼんも、たぶんロイリさんやえめさんまで、ああそうだ、さくらさんもね、あきれはてているだろうとは思いますが。
そういうことで、もういいよ。
ごめんなさい。
そらんさん。あなたは、かささぎとは「真逆」です。
だから時にものすごくいじめたくなる。
ごめんなさい。
みんながああいってますので、たまにはもどっておいでね。

2009年5月14日 (木)

朝、免許試験場で

連休中、免許を紛失した。
城島図書館に一冊だけある『砦に拠る』って本を借りにいこうとして、免許証入れを探したらなかった。(図書カード二枚、古い免許証一枚、と今のが一枚、あとは人の名刺)

やっと昨日交番で紛失届けを書いてもらって、今朝最寄の試験場に手続きに行く。

再発行も半日かかる。
申請書を係官に提出していたら、隣の窓口から若い女性の元気な声。

「メキシコから帰ったばかりで、あちらで紛失したのです。」

はっメキシコ・・(心の声)

「警察に届けて書類を書いてもらわないといけないんですが・・」(係官)

「メキシコのけいさつで書いてもらってきました。ほら、これです!」

えっメキシコで・・・(心の声)

思わず息をとめていたかささぎであった。(ごめんなさい)

そうか。
もはやどこにいてもメキシコがあちらからやってくる時代なんだね。

2009年4月23日 (木)

中高合同体育祭

中高合同体育祭を見に出かけた。
中学へ入った年にいったきりだから、四年ぶり。
上ふたりは「おかあさん絶対来ないでよ」と言ってたものだが、
末子はすこし違う。
「応援団出るから、見て」
上記写真は携帯でできるぎりぎりのズーム倍数。
中高あわせて千人余、それを三つのブロックに色分け。
どのブロックか聞いてなかった。遠目で必死で探した。
いた!
真っ赤な長法被の背中に、へたくそな殴り書きで
「仁」
と一文字。きっと、あれだ。
オットがもしみてたらさぞ喜んだことだろう。
一番前の紋の入ったのは先輩だそうです。

2009年4月 8日 (水)

かささぎ、はびこる。

かささぎがたくさん、あちこちで営巣。
ときに落下物。
たまにハンガーにまじって朝顔の支柱まで。
みなさん、頭上にはつねにお気をつけください。

2009年3月29日 (日)

ETC,etc

きのう二十年ぶりくらいで国道三号線を主に使って八女ー北九州間を往復した。
往路は三時間半、帰路は四時間近くもかかったが、いろんな新発見があり、楽しめた。
それもこれも、ETC搭載車のなんたら*で高速道路が平時の倍近くの通行量、それをさけたおかげ。

高速料金往復六千円近くがまったくゼロ。有難い。
時間は高速の二倍かかるけど、ゆっくり景色を見たり迷ったり、あたらしい福岡を発見できる。
帰路に迷ったフクツ。不撓不屈の福津の風景、よかった。
懐かしい景色に、こころ震えた。なぜかなみだぽろぽろでた。
http://fukutsukankou.com/index.html


おなじ県内なのに、知らないところがいっぱいだ。

夫は戸畑の一人暮らしのははのもとにかえった。
当初から、両方の親の老後をみる。という約束であった。
若い頃はなんとかなると考えていたが、いざ親が老いてくると、いっしょに住まなければ約束は果たせないことにいやでも気付かされる。
気にはかけつつも甘えて引き伸ばし引き伸ばししていた。
そこへ決意を迫られる出来事がおき、夫は帰っていった。
家族がわかれても、前を向いてすすむしかない。
そうおもいながら、かえってきた。

*「き坊の棲みか」日記:

補正予算に、「高速料金割引のための原資五千億円」が計上されていた。
しかし、それがどのように使われるのか、まるでわからない。
TVのニュースなどを見ていると、“遠くまで自分の自動車で遊びに来られて、嬉しい”というようなニコニコ家族の顔が出ている。まるで、高速道路の会社が、太っ腹にも、値下げをサービスしてくれて、得したというふうに誤解させるのを狙っているみたいだ。
国民が全員で税金で払ってるんだよ、割引分を。
ETC会社も税金で補填されて、大儲けだろう。
どういう道路族が画策し、どういう天下り族がほくそえんでいるのか。
五千億円だよ!!
(大江希望)

2009年3月27日 (金)

理に叶い法に叶い情に叶う公共事業

体調すぐれず、きのう仕事を初めて休んだ。

事務所では市の発注にからむ入札の最中。
一件、おとしてしまった。(あ、かささぎの使う「落す」は、入札したではなく、手放してしまった、の意味ですから。)
これまで数年にわたって受託していた体育館の常駐警備ポストを、小さな警備会社に奪われた。そこは利害を度外視した価格で入札した。

「値段が安ければ、とれるの?」
「そ。」

という世の中。
誇りが、もてない。
自分達(わがたち)はぬくぬくとお城のなかで全てが揃った暮らしをしていながら、なぜ人として最低レベルの暮らしを維持するだけの賃金を保証しないのだろう。アメリカ式がすべていいとは限らないではないか。
いまどき、健康保険も年金もなにもつかない職場なんて。と非難するのなら、それだけの賃金を公共機関は支払うべきではないでしょうか。
談合を禁じるなら、なにかべつのやりかたを編み出す必要があったのに、今の入札制度ではまったくはなしになりません。デフレスパイラルの元凶は色々あるでしょうが、これも一因だとおもいます。

エメさん呂伊利さん二人の投稿者の紹介で知った「蜂の巣城」で出合った、さる社会運動家のことばをはりつけておきます。

蜂の巣城紛争と共に公共事業を進める上で銘記されなければならない意識として、室原の次の言葉がある。

公共事業は理に叶い、法に叶い、情に叶わなければならない。
              室原知幸

資料:http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/All/All_2775.html

2009年3月24日 (火)

幸せって。片桐ユズルの幸福論、ってかこうづさん。

竹橋乙四郎が新明解の幸福論を出してくれたとき、ちょうど同じ頃に久留米人・神津呂伊利さん(神津兵六)が別件でコメントしござったなかに、(どこさんか行ってしもたコメントのなかに)詩人で翻訳者の片桐ユズルってひとが出てきました。ボブディランの歌詞の翻訳などで知られる人って。

興味があり検索しました。すると舶来の思想を翻訳しござってた。
「幸福論」片桐ユズル訳・バートランド・ラッセル著。
こっです。↓

http://russell.cool.ne.jp/28T-KATA.HTM

で、どこさんかいってしもたコメントば、みつけてきた。
ここんとこ、おせこせしよって、気がぼおーっとしよると。
あ。野球、今日けっしょうですね。
事務所では昨日、部長がケータイ開きっぱなしでみござったので、こちらも聞いておりました。棚からぼたもち。横からwbc。
仕事、もうシーズン終盤。今こんな仕事が多い。建設会社から、伝票を送って。と依頼。から伝票ならこっちは楽なのですが、こういう風に書いてくれ。という依頼がある。それ、困る。共犯依頼なのですよね。冗談じゃない。と思いつつ、逆らえない。ご協力します。だってあちらさんの懐具合と毎日の労働の大変さを肌で知ってる。むげにはできませんとも。なんだかなあ。こういう世の中、矛盾だらけだよね。おとなになりましょうね。

ついでのことに、みつけてきました。
はりつけておきまひょ。それにしても、このこうづ・ろいりって人、何者。
ちっごの方言で、こうづとはふくろうをさします。
ぴったりです。
時々その静謐な文章にひかれて覗いている希望さんのサイトで、こうづをみたっけ。あれはふくろうではなく、みみずく。だったような。まあ、似たようなもんだわね。素人には。

「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」~詩は苦手な私だが、寺山修司と片桐ユズルだけは詩集を読んだ(後者はフォークソングがらみで)。私はこのような思いを感じたことはなく、京都でも東京でも、筑後地区の友達としゃべるときはほとんど久留米弁、今でも年1回やっている高校の関東地区同窓会では、ほとんどの連中がそうです。あ、昔よく寺山修司の物真似やってました。
 大学時代「仁義なき戦い」の影響で、広島弁を喋るのが流行り、おかげで筑後弁(ほぼ久留米弁)・関西弁(京都・大阪・神戸も多少使い分け)・広島弁のバイリンガル、それなのに、英語・中国語・コリア語とそれなりに勉強してもなかなか身につかない。やはり10時間の勉強より1時間の実体験、英会話は中高大と8年やった後よりも、実際海外旅行に行くようになってからのほうがうまくなったし、後の2つも、勉強しただけでなく、今も数年に1回行ってることで何とかそれなりに現状維持している。習うより慣れろ、昔の格言どおりです。

片桐はいりさんとは違うのか。片桐ユズルさんを知りませんですみません。てか、ろいりさんのいわっしゃる人達、たとえば、岡林信康などのメジャーな歌手にしてからが、あまり得意なほうではありません。ほとんど吉田拓郎くらいしか知らない。したがって、あまり詳しくはわからないまま、ついていきますんで、よろしくおねがいいたします。

 片桐ユズル、詩に詳しい人にもあまり知られず、むしろボブ・ディランの歌詞の翻訳とかのほうが知られているかも。ちなみに片桐夕子は日活ロマンポルノで活躍?今もたまに映画・TVに出てます。
 岡林よりずっとメジャーな吉田拓郎、思うにこの2人の活躍する交代期(1970年代初期)が、一つの時代の変わり目のような気がする。「学生運動」が衰退し、三島由紀夫が自死し、米国の威信がガタ落ちし、「いったい日本はどこへ行くんだ」「モーレツからビューティフルへ」というCMがあった時代、久留米では一番街ができ、アマチュア・フォーク団体が生まれては消えていった時代。フォークも売れたもん勝ちとなり、チューリップも海援隊もプロになって売れ線を狙った時代。
 それでも木村屋の味パンはメロンパンなどという小じゃれた名前に変わっていないのでしょうか、うどん屋のメニューに関西や東京にはない「具うどん」は残っているのでしょうか。高校1年の時、大阪から引っ越してきて1年もたってないやつが、学食でこれを「貝うどん」と間違ったのがおかしかったけど、久留米でも今は具うどんというのを見かけない気がする。麺食いの人、教えて下さい。
 

 1970年の久留米の出来事をもう1つ、ロイリーがなくなった年だった。

詳しい解説ありがとうございました。
具うどんはありません。全滅壊滅。
具うどんと素うどんが天下分け目の決戦をしていたのに、いつのまにか両方ともが消えていた。
ぐがおおきい。って言っていたレトルトカレーのシーエムをみたとき、ああそういえばぐうどんはどこへいってしまったの。っておもったくらいですから、もう相当長い不在です。
いまあるのは、ごぼう天うどんと二句うどんとわかめうどんといか天うどんとかぼちゃ天うどんと。そんなのはないか。
ごぼう天にしても、むかしのはほんとにその場でごぼうを裏庭からとってきて(まさか)それを千切りまたはささがきにしたのを目の前で揚げてくれ、その揚げたてをジュッとのっけてくれたものでしたが、いまは出来合いの、たいがいが薄い拍子木きりのばんびろごぼうのてんぷら。それはまさに、博多うどんのも久留米うどんのも筑後うどんのも八女うどんのもぜーんぶいっしょ。てぬきじゃろうが!とひそかにおもいつつも、かささぎはやっぱりごぼう天うどん。あと邪道ですが、カレーうどん。

片桐ユズル、名前が記憶のどこかに残っていました。翻訳でしたか。そうだったのか。名づけ方が、どこか「私のように黒い夜」の平井イサクに似てる気がする。

ごぼ天うどんファンから一言。

八女市役所前のつるやうどんは、注文した後でてんぷらを揚げてくれます。カウンターに座ったので、ほんとに目の前であげてました。
息子は鯛生金山にある、地元野菜を使ったうどん屋で食べたごぼ天うどんが、今までの中で一番おいしかったと言っております。ここも揚げたてでした。

つるやだったんだ。今もあるのね。
こんど行ってごぼ天うどんたべてみる。
目の前で揚げてくれたのは、むかーしむかしの記憶だったので、いまもあるとは知らなかった。
それと、そのたいおきんざんのうどんやさんにもいってみたいものです。いってみたくなるようにかいてあるから。

エメさんが書いていた、げっそうえん。月窓園。レストランだったみたいですが、どこらへんにあったか覚えてますか。私はさっぱり記憶にありません。
高校時代いつも福島に寄り道して帰っていたけど、それは岩田屋のフードセンター界隈だったように覚えています。
松延寛之の連載小説の欄外に広告があって、月窓園の名が載っているので、どこかにあったのでしょね。

鯛生金山へ行く途中、日向神社にお参りしてください。

へへい。ほんじゃ、そうします。
ちかくなんだね。星野とたいお。

月窓園はお菓子の菊屋の近くじゃなかったね?レストランは2つあって、2階建てのところと、信号の横と。どっちだったかよく覚えてない。

こんばんわ
月窓園>>たしか、清水町商店街の南側列の真ん中あたりだったと思いますが、、。
銀行に就職した友人とお昼に入ってオムライスを食べたのが最後です。
バス停四つ角にあったほうの岩田屋の2階でホットケーキを食べてました(高校生のころ)
つるやうどんは土橋の東側列にもあってよく入ってました。
そこは一間口くらいの幅で奥に長いうなぎの寝床タイプの店舗で長いカウンターにお客さんがびっしりでした。
7歳のころ、土橋にある細い路地にある喫茶店でデートする叔母のおまけに連れて行かれた私はコーヒーの香りの室内でココアを飲んだ思い出がありますcoldsweats01
清水町商店街で覚えていて今はないのは履物屋(青木)、帽子屋、桐明書店、薬屋(貴命堂?)とかでしょうかね~(*^_^*)

エメさん。清水町がどこらへんをさすのかさえ、よく知らないというなさけないやめりかんです。
よく覚えてあることに敬意を表します。
ぼんも、わたしよりずっと記憶力がいいんだなあ。
ショック。

九州帰ったら必ず食べるのが「ごぼうてんうどん」です。
昨秋帰った時、なんと実家のそばにおいしいうどんやさんができていて、すかさずごぼうてんうどん食べました。
何しろ田んぼしかない陸の孤島のような実家周辺に、田んぼが全部つぶされて広大な流通センターができて、それでうどんやさんができたというわけ。
ごぼうてんうどんはくるめか博多に行かないと食べられなかったのに。
人が作って人が食べるごく当たりまえの貴重な「おいしいたべもの」です。
東京じゃ、最近こそ少ないけど(おいしくないと売れない)、試食したんかい?と思うような食べ物多かった。

WBCジャパン勝って、超うれしいさくらでした。

 鯛生金山、20年ぐらい前(結婚前)ヨメに車で連れて行ってもらったことあるけど、今調べたら大分県日田市になるんですね。子どもの頃父に八女(たぶん広川)の鉱山発掘跡のようなところに連れて行かれ、「ここは昔だいかが金ば掘りだして一山当ちゅうち思たばってん、金は出らんで大損したとこぞ」と言われたのを思い出しました。いったいどの辺やったのやら。 
 ゴボウ天、私も好きです。前に紹介した、櫛原町1丁目の交差点にある「桃屋うどん」は、いつでも揚げたての天ぷら出してくれまっせ。でも具うどんはやはりない。具うどんって、昔はうどん専門店ではなく、普通の食堂にあったような気がする。それから久留米の素うどんはトロロ昆布が入っていたけど、今は入ってないようですね。それに、昔の食堂でただ「天ぷらうどん」と言えば丸天うどんのことだったけど、こっちではあれを薩摩揚げと言います。やはり文化が違えば言葉も違う?

こんばんわ
鯛生金山や杖たて温泉に行くのに矢部から中津江村に抜けて行きますが、昔から七曲り(車酔いの名所)と言われていた県境に竹原トンネルができてからは早くて便利になりましたね。
この矢部地区の知人の庭近くに大分県にむけて金鉱を掘ったという大きな縦の深い穴がありました(中学時代)
やはり金を掘っていたようです。
星野村も、昔、矢部か大分のほうに金を掘っていたと聞いたことがあります(たぶん事実)
金>>広川の山も上陽黒木星野矢部とつながっているのでありえない話かもですね^^夢は多いほうが楽しいですshine
うどん>>子供時代に自宅で一時期 祖母がうどん屋をしていました。
種類は素うどん、具うどん、肉(牛)うどんの3種でした。
素うどんはネギととろろ昆布。 具うどんはネギ、かまぼこ2枚、カク天をななめにスライスしたもの2枚、ちくわのスライス2枚。 肉うどんはネギと甘辛に煮込んだコマ肉。 ・・・だったと思います。
母は岡持ちを持たされて「出前に行かされるのがすごくいやだった」と後年に言ってました(20代だったから?)・・余談ですけど^^

2009年2月27日 (金)

無線機を届けに

無線機を届けに

昨日、現場に立っている者に無線を届けました。
片側通行の現場で双方の距離が隔たっている時には不可欠です。
ところで。

201号線と322号線を間違えてしまいました。
道を号数で覚えていないかささぎは、大刀洗へ行くのに田主丸へ行ってしまい、無駄なエネルギーと時間を費やしてしまいました。引き返す時、なきたかった。しかも車検だったので、代車だし、とほほな日でした。いや、そんなことより、無線を待っていた隊員さんを長く待たせて申し訳ないことでした。このアホ事務員が。とおもったろうね。

2009年2月23日 (月)

給料明細、手書き!

毎月の交通誘導隊員さんたちの給料計算。
人数が増えてきて、たいへん。
100名近くの給与明細を毎月ひとりで手で書いてる。

計算機で計算し、明細書を書く。

多分旧石器時代のやり方。
パソコンは導入されている、三台も。
んが、なぜか手の方が早い。
信じられないけど、こういう世界が現にある。

ではきみに給料計算のやりかたをせつめいしよう。
まず、編成表と個人の出勤表とをにらみ合わせる。
ここに現物の写真をいれたいところだ。

編成表とは毎日どの現場に誰が何時から何時までどの車両でまたは自転車で徒歩で出動したかの記録ね。
出勤表とは隊員別の一目で見晴らせる一ヶ月の出勤表。でづら表ともいう。
毎日克明に記録してゆくものなんだ。
だから朝一番にするのは黒板の編成をそのまま編成表に書き写すって仕事。

翌日になると、予定の時間と実際の警備時間とのずれもわかる。
警備報告書が警備先の監督のサインをもらって帰ってくるから。

毎日どこへ誰が何時から何時まで出、残業がどのくらいあったか。
事務の仕事にとってこのチェックが、最も大事な作業。
多忙な今みなとてもきついので、交代していても伝票に記載されてなかったりする。
それをなくすのがチェックということになります。

ダブルチェックトリプルチェックをします。
わたしが見てセイネンがみて。ボスもみる。
この三つの眼で確認後ようやく計算に入ります。

一人の明細書かくのに、昼勤の一日がいくら、半日がいくら、夜勤の一日がいくら、半日がいくら。あと、上番後中止がいくら、、、、隊員の二級手当て。日曜手当て。・・ってふうに、びっしり書き込まないといけないんです。残業も一人一人異なっているし、間違えないようにやるのがたいへん、やはりまちがう。気付いたときは、翌月清算します。
こういうこともありました。
ちゃんと自分でメモしてる隊員さんなら間違いありませんが、繁忙期はみなそんな悠長なことやってられない。
こないだ、半年前の編成表と受託表と報告書の三点セットを確認する作業中、ある隊員と別の隊員を取り違えていることが判明。では今月の給料で調整しようとして、さらにまた同じ隊員の組み合わせで別の月、その真逆の取り違えが判明。だから調整しなくてもよくなった。わがミスながら見事だなあとかんしんした。

単純な仕事、しかし奥が深い。
味わい深い職場である。
いろんなことを隊員さんたちから日々教わる。

2009年2月20日 (金)

むすめの誕生日

むすめの勤務している博多の中くらい大きな病院の経営がずっと思わしくなく、とうとう熊本の病院の傘下に入った、という。
その熊本の病院を経営しているのはどこかと調べてみたら、消費者心理と女性心理をたくみに衝いてくるテレビCMで有名な、熊本のさる化粧品会社であった。
そこまで手をのばしていたとは・・・。しかし、おかげで安定してきたらしい。

むすめは病院給食を作る仕事をしている。
正月にも帰らなかった。
一人が病欠していたので、その分も働いていたとのこと。
わがむすめながら、よく働く。
振り返れば、不登校でとても心配した時期が小学六年生から中学にかけて一年半ほどあった。弟が生れて間もないころである。一人、博多から八女のおばちゃんち(いま、わたしとむすこたちがいる、ここ)へ帰り、博多の家族とは別々の暮らしをした。
黒木の山へ竹を伐りにいくのに付いて行ったり、それを細かく切り出す作業をしていた姿を今も思い出す。いちごを作っていたじいばあの農業のてつだいをしているうちに、だんだんときもちがいえて、やがてまったくだいじょうぶになっていった。高校は農業高校へ行った。女だけのクラスで、コミケに熱中していた。
料理専門学校へ通った二年間をふくめ、高校時代からバイトをして自分のお小遣いを得ていた。とてもきつかっただろう。
子育てに追われ、そんなむすめの苦労を見てみないふりをした。
それしかなかったからだが、それでよかったと今思う。

きょう、27歳。
おめでとう。
17歳の子にくどかれたよ。年寄りなのにね。と笑ってる。
朗報をきくのは、さて、いつのことだろう。

2009年2月 4日 (水)

夜勤

やっと長男がバイトをするようになった。

それがね。コンビニの夜勤。

週に二回くらいだからいまのところ大丈夫みたい。
天然記念物みたいにのんびりしたやつだったんで、安心した。
せっかくおやが失職してくれたのに何も自主自立の気概もないんじゃ困りますもの。
まともまとも。

わたしが気にしたのは、深夜強盗対策のみ。
どう指導された?ときくと、
さっさと金を渡しなさい。といわれた。って。笑
いいご指導です。

私の勤務先(交通誘導警備業)は、目下とてもいそがしい。
夜勤がフツウに週にニ三回ある。
昼勤務の上に、ということです。
労働基準局がどういおうとこういう職場は現にある。
とてもきびしい。そんでみんなやさしい。
ふたつ上くらいのおじさんが夜勤から戻ってポツリ。

ああやっぱり週に二日はきついなあ。

きょうもちきゅうはまわってる。

2009年1月29日 (木)

おつしろうのピンチ

「保健医療経営大学にペナルティ」。

テレビニュースは残念ながら見ませんでした。
でも今朝の新聞にのっていたのは。
こういう性質の違う違反を二件いっしょくたにして論じる書き方はとても印象が悪い。
幹部ぐるみの悪事って書いてあったけど、それは言い過ぎだ。
そういう性質の違反ではない。
単にそうしなければ開学に間に合わなかったってことなんだ。
かささぎはそういうふうにみています。
詳細なウラを知りませんが、そのようなことで他の悪質な学校同様のペナルティを課すのは、風評被害のダメージを伴う手厳しい制裁だと感じます。なぜこの時期にそういうことをするのでしょうか。
もっとも、生徒も先生方も、まったく気にしている風ではありませんが。

連句的にかいてしまおう。今しかないからね。
かささぎの夫は去年道路交通法違反で捕まった。
最近、何気なく立ち寄ったあるサイトで、さも極悪人みたいな書き方をされているのを偶然読み、なんともいえないきもちになりました。去年の新聞記事(かささぎは知らなかった、報道されていたことを)から実名を拾ってです。一滴も酒を飲めないのに、飲酒運転で捕まったかのような書き方でした。無責任な。
そうじゃないんだ!!とかささぎは声をあげたかった。
うちのおとうちゃんの免許の点数がなくなったのは小さな違反をこつこつとつみあげた結果なんだぞ。ばーろー。免許がなくなったのはそんだけ一所懸命会社のために家族のために営業をやっていたからなんだ。くるめとやめの山の中を一日何往復していたか知りもしないで。なにも知らんで人をわるくいうな!なにも罪をおかしてないとはいわないけども、でも、事故をおこしたわけじゃない。一旦停止義務違反とか信号が黄色で発進したとか小さな違反のたびに高い反則切符の罰金払ってきたんだし、もう、免許もなくなった今、鞭打つのはやめて。日本の警察は金儲け至上主義で血も涙もないのか。もうじゅうぶんな制裁を受けてる。仕事も失ったし、家族も失いかけた。もうこれ以上、ささいなことで悪くいうのはやめて。

ああ気分がわるくなった。
はなしをころっと連句的にとばします。

おなじ思いの人、みつけた。

この人。やった!わが同士よ。ううう・・

ttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080920

続きを読む "おつしろうのピンチ" »

2009年1月23日 (金)

あと、なんが残ってる。

あと、何人残ってる。

調べようとし、これまでの記録をカテゴリー検索。
うわぐじゃぐじゃ。縦一列のカエルの卵紐状にだんだらりんと出てくる、どこまでもはてしなく。
うわあああ・・もうそれだけでどっとつかれた。やめたやめた。もうかえる。かささぎどんは巣にもどる。

おおっと、ここは自分の家だった。
おっとは帰る家がとばたにあるが、あたしゃカエル家、ここしかない。
いやでもここにいるしかない。ゆえーにかささぎ一家は一家離散。
こうなることはすくせのさだめ。いよっぺぺぺんぺんぺーんん。(三味の音)

いまどき、どちらさんも似たような光景であろうとは思いあげます次第でございますが、かささぎの家では早い話が三人の親をそれぞれ見ないといけないんであります。
そろそろ80になる一人暮らしの母を一人放ってはおけず、おっとはかえってゆきました。

ようしにはやれない。ようしじゃないとこまる。

果てしない平行線のいさかいをしてくださった双方のおやごさまも年をめされた。
どっちもちゃんとみるから。というのは約束でした。
ごっちゃらごっちゃらした糸、ほぐせばさーっとほどけてゆく。
もといた場所にかえるだけのこと。それだけのこと。

2008年12月22日 (月)

面接にくる人が増えた

にわかに増えてきました。

事務所に面接に来る人たち。

交通誘導でもなんでもしますといわれます。
毎日二人はいらっしゃいます。
これまで二週間~ひと月に一~ニ人だったのに。

賞与も各種保険もないというのに、冬場は昼も夜も連続して勤務しなければならないというのに。

先月事務に入った高学歴のまじめな青年も、がんばっています。
柳川駅まで自転車で出て、駅に自転車を預け、電車で久留米駅まで、そこからはまた駅の駐輪場に預けている自転車で来るのです。時間もお金も労力もかかるけど、どこか泰然としている。現代の修行僧。

やっと受託先にこちらの思いが通じました。
現場が四箇所もある建築会社、それぞれの箇所ごとに長い請求書を二種類書き提出します。これまではこちらに有無をいわせず百円以下の端数は切り捨てられていた。一箇所ならともかく四箇所あわせて数千円にもなり、その上に協賛金だ手数料だと引かれるので、さすがにむっときて、立場もわきまえず、「そういうことはやめてください」と伝えたのが先月のことです。
それが効いたのか、今月は聞いてくれました。
端数を切り捨ててもいいかと。端数は七百円でした。
「申しわけございませんが、引かないで下さい。一円も。」
こちらは全く余裕がないのです、と。
向うは、はいはい。では引かないでおきましょう。
とおっしゃった。
我慢せず、言うべきはきっちり言おうときめた。

連句的:

き坊の棲みか:http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo.htm#saisin

2008年12月17日 (水)

坊主頭

末子の三者面談がありました。
先生は開口一番、この子はよくわたしやみんなを喜ばせてくれるんですよ。とおっしゃいました。

担任の先生はとても元気のよい先生で、叱るべき時は火のように叱り、ほめるべきはニコニコとほめてくださいます。
剣道部の顧問をなさってますが、うちのむすこともうひとりの男子を特別に剣道部付きの学習部員として入部させ、部員の皆がきつい稽古に耐えているとき、二人には勉強をさせて監督してくださいました。家でまったく勉強をしない子に学校で七時半まで面倒をみてくださるのです。何とありがたいことではございませんか。
そのおかげで今日戴いた成績は見違えるようです。
いつつあった赤点が古文ひとつだけになっていた。
それも以前は12点だったのが24点。倍増です。笑

剣道部員はとても稽古が長くてきついのです。
土日は試合が入り遠征もありますが、ついていき、応援したりしていたようです。
クラスで一番か二番をとれば土日は休んでいいぞといわれて発奮しました。
結果、数学と世界史でとれた。本人が一番うれしそう。

親が嬉しいのは子の表情にひたむきさと明るさが戻ったこと。
この寒いのに坊主頭で夢にむかってがんばっています。
中学時代、よく悪さをして反省文を書かされては坊主頭にされていましたが、いまや自ら進んでの坊主頭。おちゃわん洗いも、おかあさんがきついならと気遣ってくれるようになりました。

人の気持ちが分かる様になるって、何より嬉しいことです。

2008年12月10日 (水)

交渉術

さて、交渉術。苦手な人が多いのが日本人です。

かささぎも例外ではありません。

ところが!

隊員さんで、こんな超ド級の小心者のかたにであいました。

その人は、おなじ世代、ひとりもの。
とても無口で、とても優しい。
人につくす奉仕型。
たとえば、かわいそうな○○さんにかばんを買って上げたりする。
じぶんも安い給料で働いているのに。返さない人にお金を貸す。
この人、自家用車で毎日遠方に仕事に行くのに、まだ一回もガソリン代を会社に請求できないのです。
いいえ、ちゃんとメーター表は提出されています。
けれど、わが社の場合、ガソリンチケットをボスに切ってもらわないと、スタンドで給油できない仕組み。だからどうしても、ボスにそれをお願いしなければ、いつまでもガソリンは給油できないわけ。

それができないのですよねえ、この控えめすぎるお方は。
わかるようなわからないような。毎月二万円も自腹。
彼はガソリン券を下さいとどうしていえないんだろうね?

みてたら、だんだん可哀想を通り越して、腹が立ってきます。
いいかげんにおしよ。いいたいことはちゃんといいいなよ。
必要なものは必要と言えないで、人を恨みに思っちゃいけない。

かささぎは部下の子ができた時点で、社長にいいました。
これからは、この子もわたしも、交通費をください。と。

じぶんがいわなきゃ、この子はかわいそうだとおもった。

それで晴れてようやく、ガソリンチケットを切ってもらえる身分になりました。
二年もかかった。
もっと早くいえばよかったのかな。

2008年12月 8日 (月)

柳川国道橋付近

柳川国道橋付近

この信号、かささぎただ一人の部下の青年(柳川出身)にみせ、なんという橋か聞いたら教えてくれた。「県道橋」。
あまりにそっけない名じゃござんせんか。

橋の下の川の名は二ツ川。川くだりや川のぼり(婚礼のとき)で有名な川。

この道を右へ五十メートル行くと古文書館。
左へ行くと川くだりの舟の駅。
道をまっすぐいけば左に三柱神社。
数回夫がつれていってくれた。柳川時代。
そういえば夫はおにぎえに出させてもらっていた。
どろつくどん。祭り装束、その藍の匂い。
懐かしい。

車で走っていると柳川には鬼のつく地名が多いことに気づく。
ずばり鬼のつくところ以外にも、御仁橋。これで、おにばし。

2008年12月 3日 (水)

黒字倒産って知ってる?

わが社の営業、人呼んでロビイストの宣さんから、黒字倒産って言葉を教えてもらいました。いま、建設会社に多いらしい。

黒字なのになんで倒産するんだろうね?
それは、お金が回らなくなるからだそう。

入る予定のお金が入るべきときに入らなかったら、あちこちの支払いに支障をきたし、会社は立ち行かなくなる。それを黒字倒産という。

あたまで考えると、担保があるんだから、なにも倒産にまで追い込まれることはないんじゃないかと思うのですが。世の中はわかりません。

ただ、きびしさだけはわかる。

いろんな人が履歴書もって面接にみえます。
それを見ていて、ため息がでます。
学歴はまったく関係ないこともないのですけど、あまり関係ない。
要はガッツ、辛抱する力、謙虚さ、努力、誠実さ。

これだけあれば、少々不器用でも、なんとか世の中渡っていけます。
たとえ、勤務先が没落しても倒産しても。

2008年11月27日 (木)

社長の偉さ

交通誘導の警備士にとって、もっとも忙しい時期を迎えました。
どの隊員をどこの現場へやるかと配置を考える編成係は、毎日とても大変そうです。忙しくなるにつれクレームも増えますから、詫び役もたいへんです。
夏場には半分の仕事量に減る分、いま夜も昼も立たなければ、生活が成り立たないという、厳しい特殊な職場なのです。


先日、社長が一人の若者を拾ってきました。
ホームレスの青年です。
汚れてくさいしまっくろだし、見るからにやせこけています。
まるで野良犬のようです。

「ほら。風呂にいれてあげて!服を用意してあげなさい。」

社長はこういうことをよくなさいます。
これまで数人の若者が、社長に拾われて、りっぱに警備士としてたましいを蘇生させてきました。寮に入れて、みんなで集団生活を送り、まいにち早朝から警備現場へ連れてゆくうち、次第に仕事のできる、責任感ある人になってゆくのです。社長はとてもよくめんどうを見られます。動物にも人にも掛けられる愛情の量がわたしたち凡人とは違っているように感じます。

数日前こうしてやってきたホームレスの児嶋くんは、おふろにはいり、服をきがえると、あらららら。藤井フミヤ似のイケメンおにいちゃんに変身しました!きけば、親から勘当されてこうなったとか。ボスいわく、「目が死んでなかったものね」。四日の研修を受け、元気で現場へ出動するようになりました。

わが裏紙警備保障は、こうしてバイタリティーあふれる仲間を少しずつ獲得しつつ、ばったばったと倒れる建築会社の悲鳴を遠く近くに聞きながら、なんとかしぶとくこの不況の年を越せそうな気配です。

2008年11月 9日 (日)

恵蘇宿橋

今年もはや交通誘導警備のシーズンとなりました。
連日とても多忙で、じゃんじゃか入ってくる警備依頼、新しい所はほぼ断わっている状態。
そんな中、給与計算のため伝票整理をしておりますと、警備報告書の現場名の欄に、恵蘇宿橋という変わった地名を見つけました。
えそのしゅくばし。おお...なんと強い原初のことだまのひびき。

えそ・・くちにだせば壊疽という字をまずはおもいますよね?
みょうに気になり、とうとう家に帰って検索してみました。

http://homepage2.nifty.com/isibasi/hasi/40fukuoka/01fuku/1016_eso.htm

景色としてのきれいな写真はこちら。

http://homepage1.nifty.com/naomii/b/brg51.htm

俯瞰したものはこちら。

http://www.qsr.mlit.go.jp/chikugo/html/hana/chikugo3-2_07.html

古代天皇に因む古い地名を冠した橋のなまえ。
こらたまがりました。
かささぎはほんとうに無知であります。

http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/asakura/konomaru2.html

しゅく、っていうから、宿場町を連想しましたが、やはり。
地名が呼び起こす土地のスピリット。
なんともすげえざんす・・。
すこしずつ断片的な知識が繋がってきます。

参照記事:

斉明天皇(クリックするとき身構えるべし。鳴り物入り)

http://inoues.net/tenno/saimei_tenno.html

2008年11月 8日 (土)

わたしの仕事  2

運命って信じる。

職場は運命。

そうおもう。

お給料はこれまで勤めたなかで一番安い。時給千五百円もらってたこども英語教師の二十台(何十年前よ)の半分にも満たないし、ガソリン代も出ないんだよ。なのになんで二年も続いてるかといえば、小さな職場がまるで家族のように暖かくて居心地がいいから。社長(還暦すぎ)もマイボス(ひとつ年下独身女性)も、二人とも真っ正直で短気で激しくて、じぶんの性格にふしぎと合う。

事務所のみんながだいすきだ。
隊員さんたちもユニークな人ばかりで毎日楽しい。

こんなひとがいる(らしい)。
寮の人。ねるときに、ふとんもしかないでごろ寝って。
えーっ寒くないの!?
でしょうね。だっていつもなにも着ないから。

おおおお。そんなら戦地でもどこでもやってけるよね。
だから昼夜働いて風邪一つひかず頑張れるんだ。

警備業界は出入りが超激しいのですが、わが社の特徴として、出て行った人がまたなぜか舞い戻ってきます。

先月やめた京大卒の隊員(変わりもの)が、また戻ってくるんだって。別の警備会社に入って、そこ、一人部屋だったらしいのですが、うちのほうがよかったらしく、ごちゃごちゃした五人部屋の寮にもどってくるって。

なんだかわかる。
おかねじゃないんだな。あたまではない。
ひとのけはいひとのやさしさあったかさ。
ひとを支えるものは、これに尽きます。

2008年11月 3日 (月)

縫いつけに

冬物スタジャンの左胸と上腕に警備のワッペンを縫い付けにゆきます。50着ほど残ってるそうで。これはびみょうにむずかしい。にがてなのだ。ボスはとても早くてうまいけどね。
月末〆の請求書書きもまだ終わってないし。では。

2008年10月30日 (木)

三十分の攻防

最底辺部からみえる世の中の動き。

株価暴落のゆえか不景気のゆえか、おそらくその両方、このところ請求書を出したあと、得意先からかような電話を受ける。

「日額、警備員一人あたり九千円を八千八百円にしてください。」
あるいは、「どうか八千五百円にまけてください。」

きょうは、こんな電話。

「○○建設です。
報告書では八時から十ニ時半までの勤務なのに、なぜ一日分の金額を請求するのですか。半日勤務でしょう?」

「ああ、それは・・うちのほうでは四時間以上はたとえ三十分しか経過していなくても、一日分戴くようになっております。それはどちら様からもずっとそうしてまいりました。まことに申しわけないのでございますけれども、経理としましては、一応、報告書通りの請求書を作成いたすしかございません。ですから、うちの隊員が四時間三十分しか勤務していなくても、決まりでは一日分の日当をいただくようになっております。」

「でも、実際の勤務は九時からなんですけどねえ。」

「そうでございましたか。では、次回からは報告書にそのように時間を記入されれば、こちらもその通りに判断いたしますので、ぜひそうなさってくださいませ。今回は、この報告書通りということで、どうかご承知くださいませんでしょうか。」

・・・ということで、半ば強引に納得してもらいました。
一日分の料金の八割が半日料金です。
ガソリン代や事務代や事故を起こした時の保険代等いろんな経費がかかるわけですから、高くなく、もうけは微々たる仕事です。ことに夜間仕事では、事故に出遭う確率が高く、安い料金で請け負うことは割に合わない。

先日の公共工事労務報告書の説明会で感じた漠然とした怒りは、実はこういうところから来ています。国はわかっているのだろうか。
国民からの税金をたっぷり使って高いお給料をもらい、休み時間や有給休暇は当然のものとしてじゃんじゃか行使できる公務員には分からない。ちいさな民間会社の、今月のお給料をどうやって支払おうかと苦心してるようなところでは、歌われているような週四十時間労働なんて守ってたら干上がる。実際の現場をなにもわからんお役人が、上からなにを偉そうに、とかささぎは思うのです。もし本気で現状を理解しているのなら、公示単価を引き上げよ。それと一番忙しい時期にややこしい報告書を提出させる仕事を押し付けるべきではない。このような仕事は何も仕事がない暇な五月に設定すべきなのだ。思いやりのかけらもないこのばかめが。・・おおっと失礼、つい筆が滑ってしまいました。ですが、あまりにもだれもなにもいわないからかささぎははらたつのり。(そんな暇人はおらんっちゃろね忙しくってそれどころじゃなかけんね。

参照

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081016/105215/?P=5

ファクタあべしげさんのこの一本。むずかしーようわからん。

http://facta.co.jp/blog/archives/20081027000771.html

2008年10月23日 (木)

dedicated  その1

きのう、ぎりぎりだった。六時六分ごろに家を出たのに、みやま市の保健医療経営大学に到着したのは、七時前七分ころ。毎回道をまちがえてます。暗いのもあるし、同じ道を忘れるから。

ぼんとおつしろうがまっていてくれた。
なんだか、この二人をみるとそれだけでほっとする。
ようやく、れぎおん秋号を渡した。
連句作品への参加、ありがとうございました。
おかげさまで、りっぱな作品ができあがりました。

さてその大学の公開講座で、月に二回英語を学んでいます。
きのうのさいごの分から、ご紹介。どっか間違ってたらごめん。必ず間違えてるから。

Four score and seven years ago,  our fathers brought forth on this continent , a new nation, concieved in liberty, and dedicated to the proposition that all man are created equal.
 

八十七年前、我らの父祖はこの大陸にもたらしたー自由のうちに孕まされ(佐藤先生のことば)、すべての人は平等に創造されているという命題に捧げられた、新しい国家を。(訳すの難儀)・・・

ここでまず最初の「dedicated」。

単語の整理①

でけいてど=捧げられた。ぷろぽしょん=命題。ーくおお=平等。

正解は、all men are created equal.

今だにわかってない、複数単数。やっぱり間違えてた!(下線部。)

冒頭のスコー(score)に複数のsがつかないのはへんだと思う私がいるし、allやeveryがきたら単数形の名詞がくると記憶してた。でも、すべての人という場合は、複数形のmen。
あれー?ということで、辞書を引いてみれば、all man では、人のすべてというあやしい意味になるみたい。米国では性差別の撤廃からこういう文脈ではmanではなくpersonやhuman などに置き換えられることも多くなっているそうです。

この文章はリンカーンによって1863年に演説された英語。・・・と、ここで私のこころはぐっと言葉に詰まってしまいます。1863年といえば、江戸時代ではありますまいか。文久年間。がーん・・・
われらはこの時代の文章がすらすらと読めるでしょうか。(ぜってえよめない)
戦前の文章すら、ろくすっぽ読めない。それなのに、英語は!
なんでだろう。

2008年10月16日 (木)

公共事業労務費調査説明会

急にとってもとってもいそがしい。

ああ、若くない。気はあせるが身がついてかない。
女ボスがやめる。
どうなる、会社。

せからしか。考えまい。
与えられた仕事をさばくのみ。
今日は午後から公共事業労務費調査報告書の書き方説明会
いう長たらしい名の集会に出る。石橋文化センター共同ホール。
賢明で懸命な事務兼隊員の男の子を1人連れ。

昔は福岡市であっていたらしい。今は地域ごとに分散する。
ホールは建設業の服を着た人と事務員であふれていた。
受託先の国道維持会社のきれいな事務員さんに出会う。
初対面だったのに彼女はすぐ気づいて手招きしてくれた。
なぜならうちの制服は派手でぱっと目立つからだそう。
じつは彼女とはこの半年電話でなんども話した。
わたしの手書きの請求書に間違いがいつも1つあり、それを彼女がみつけてくれるので、ぺこりぺこりとわび、すぐ書き直して、また送る。そんな関係。すっかり覚えてくれた。なさけないというかなんというか。

でもさ。腑におちない。

多忙な時期に一月で書いて出す、ややこしい報告書。
長々とお役人さんがレジメ片手に説明されたから必要なことなんだろうけど、会の冒頭、ある建設業のおかたが手を挙げて、「このようなことをお上は毎年させてるにもかかわらず、なぜ十年で二割も請負単価が下落するのか。おかしいじゃないか」とやわらかい言い方で核心をついたことを聞いておられたのが、圧倒的な共感を呼んだ。

2008年10月 7日 (火)

むかでのたましい

弟の命日にむかでにさされた。
以来むかでの魂がじょじょになだれこんでくる。

ねむれない。

体じゅうから足が生えてくる。ぞわぞわぞわ。

八万足のこの古靴を脱がされし魂らアウシュビッツから何処へ
               やまなみ短歌会     平井 さなえ

ふとおもう。

保健所につれていかれる犬のこと。
毒ガスのスイッチを入れ命果てるまで見守る役の人のきもちを

ね。

ねむれない。

ぞわぞわぞわぞわ・・・・

2008年10月 2日 (木)

きのう隊員さんが現場で怪我をされた。
親指の爪がはがれる大怪我。
タオルを指にまき、青い顔で会社へ帰ってきた。

すぐ社長がおっしゃった。

常務、すぐ病院へ連れて行って。
(建築)現場で手伝いよったんじゃないと。
自分の仕事だけをしとけばよかったといね。

そうだったようです。
優しい彼は現場仕事を手伝っていたらしい。

労災は「自分の」仕事中の事故にしか適用されません。
仕事以外をやって出遭った事故に適用はされない。

失くした爪は、また生えてくるものでしょうか。

治療費、会社が持ってくれますように・・とかささぎは祈るのみ。

2008年9月24日 (水)

横のものを縦にする。

きのう帰宅後、ひさしぶりで甲四郎先生のお宅へ伺った。

朝一番で会社に先生から電話があり、何事かと思えば、高校の創立百周年記念の思い出文集に、〆切過ぎてあわてて提出したものが規格外だったため、書き直してください。というものであった。

なにを書いてたかといえばね。
ちょうどの分量でおさまる連句を一巻書いてた。笑

だめならしようがありませんね。

先生からいろいろとパソコンのことを教わり、ついでのことに、ワードとエクセルのソフトもお借りして帰りました。

ありがたいことでござった。なにしろ、入ってたワードもエクセルもきえてしまってたもので、横のものをたてにすることができなかったのでありまする。

先生はお元気でした。

八女高校百周年記念同窓会写真、黒木瞳写真も見せてくださいました。

2008年9月12日 (金)

a gift

(前略中略、そして最後の段)

Friends, you and me... 友達。あなたとわたし。
 
You brought another friend ...あなたが一人連れてくる。

And then there were 3  すると三人になり

We started our group...わたしたちは仲間になる。

Our circle of friends...ともだちの輪ができる。

And like that circle...そうしてこの輪っかみたいに

There is no beginning or end...始まりも終わりもない。

Yesterday is history. きのうは過去。

Tomorrow is mystery. あしたはなぞ。

Today is a  gift. 今日の日は神様からの贈り物。

  Ereanor Roosevelt エレノア・ルーズヴェルト

http://www005.upp.so-net.ne.jp/babylove/gift.htm

この最後の三行に注目!!

息子の先生が暑中お伺いを下さっていたのを、馬鹿母のわたしは読んでしまいました。この三行の末尾に添えられた一行。

That is why it is called the present. 
だから今日はプレゼント(いま)って呼ばれるんだ。

これ、映画『カンフーパンダ』に出てくるせりふなのだって。
ほら。だんだん映画を見に行きたくなる。まだ上映されているかな。

時事ニュースhttp://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20080911/20080911-00000048-jnn-int.html
かの国の政治は活気があるなあ。

2008年9月11日 (木)

ことばとこころ

自己紹介、英語で。
見事に失敗。

途中から英語がもどかしくて、日本語になってしまいました。
それは趣味のことについて話そうとしたとき。
きっと以前から思ってきたことなんだろう。
越えられない壁。

自分で自分のへたな俳句を紹介しようと思った。
でも英訳がわからないのですよね。考えても。

 青鷺やかくも小さき洲を守りて      恭子

A gray heron

She remains keeping 

Water of the pond

こんなのはへんだろうか。remainとkeep、おなじようなことば、ならべて。

かくも。ちいさな。そんな言葉は消える。
洲はなんというのだろう。うちの裏の川なんですが。
雨が少ないと干上がってあちこち川底がみえ。

アオサギの言い方。色が違う。
青という色とグレイは感覚的に異なる。
どういうふうに異なるかというと、グレイだと見たそのまんま。鳥の本質をわかってあげてない。
でも青になるとグレイに潜む一点の気高さみたいなものをとらまえ、風切羽に薄墨のような色の蒼をじっさいに浮かび上がらせる。観察の行き届いた目。

俳句を作る。作らされる。
自分の頭で思うことが5あるとすると、定型という強制力の作用が4くらいある。容器のかたち。それにいれるために捨てざるをえないものはばっさばさ捨てる。あとの1のぶぶんに、目に見えないちからが潜む。十のうちの一だから大きいし、だれだって気づく。私のようながさつなものでさえ。

この句ができたのは、石橋秀野の夫の山本健吉の書いた本を読んでいたときだった。
『夏の俳句』という題の写真入りの俳句逍遥の随想。八女図書館にある本です。そのなかに水原秋桜子の一句があった。あおさぎと洲で完成された一幅の絵。ありありとイメージが浮かんだ。そして響き付けのようにこの句ができた。

 

  

2008年9月10日 (水)

自己紹介、英語で。

きょうは英語で自己紹介をしなきゃいけない。

どうすべなあ。やったことなかったな一度も。

と思ったら、朝から気になってそわそわそわそわ。

my name is kyoko himeno  

i'm very happy to see you

i'm from yame city   i've grown up there

first of all i would like to thank mr hashizume  who is the president of this college

he recommended us mr sato's english class

ここから、ことばがみつからない。

息子にどうするあんたなら。と聞いたら、趣味のことをいえば。

という。

i love haiku  i need haiku  i  want haiku  でいんじゃないなんてね。

俳句より連句がすきだが、連句だと説明がややこしくて手に余る。てか口に余る。てか脳に余る。おてあげ状態。連句仲間を増やそうという下心はうんとあるのだがな。道は遠い。てくてくあるこう。きのう、勤め先のボスが英語ドラマをそのまま見ていたので、社長、これ字幕なしでわかられるのですか!?とたずねたら(失礼なやつだ)、おうよという返事。ははは・・・わすれてた。社長は外地に十数年いたんだった。履歴書に英検二級なんてかかなきゃよかったな。でもそろばん五級はかけんでしょうが。もうすっかり忘れてしまってる。今うけたら三級さえ危うい。笑

英語連句で検索したら、あんまりヒットしませんでした。
でも、れぎおんで存じ上げている横浜のやちもとえいこさんがヒット。
彼女は当時はどこかの大学か短大の英語の先生をなさってらしたように記憶する。
へえ。いまは英会話学校の先生をなさってるのですね。
とても連句のじょうずなかたです。十年まえくらい一度、前田師のみなづき座興行でごいっしょしたことがありました。英語連句についてれぎおん誌上で熱くあつく語られてました。いつか教えてもらおうと思いつつ。。。

2008年9月 4日 (木)

ブロガーの仁義

会社から帰ってきて、ひゃーてえへんだてえへんだっとばかり、ブログを開き、会社のことなに書いてたろうってあたふたあたふた確認した。結果、いくつもいくつも書いてる書いてる!!・・・うひゃ~どうすればいいんだー 死んでおわびを。いやいやなんもそこまでするほどのことは書いてない。でもしかしばっとはうえヴぁ。ああどうしよう。

なにとぞ、気づいても気づかないふりしてください。
それがブロガーとしての仁義ってもんでござんす。
なさけってもんでござんす。

かささぎの生息地はここしかないから。

2008年9月 2日 (火)

あーあ。

起動が重くなったパソコンを助けようと、先月ウイルス除去ソフトを入れた。
それまでも入っていたのですが、期限がきれたようでした。
で、劇的に早く立ち上がるようになったかわり、初期化された。

アドレス帳や通信記録が消えた。
消えてもらったら困ります。とほほ。
プロバイダのおねいさんに尋ねました。
昔の設定に戻せば機械の記憶が戻りますか?

もとの状態にしたところで失くした記録は返りません。
それはパソコン内部の記憶装置だから。
・・・と、冷たいお返事。あーあ。

あ。八朔さんの花火、揚がってる。

 間断の音なき空に星花火    夏目雅子

一昨日が〆切の福島高校百周年記念文集の原稿。
ついに一字も書けず。
きのう澄たからさんに息子の簿記のテキスト持って行ったら、ご主人(同級生)はちゃんと書いたんだそうです。ぼんもせいこさんも書いたってとっくの昔に。あーあ。

2008年8月31日 (日)

理想と現実と政治と

きのう、しごとで政治家の後援会の催す語ろう会に参加しました。
政治家はさる硬派の若手県議(かささぎ注*・自分53より年下は若手)であります。
代々の政治家の家の人らしく、父上も、また兄弟も政治家というお人で、久留米の地方政治を語る声は力強く澄んでました。
はじめに代議士の鳩山さんが「きみはザイルパートナーだ」というような熱いエールを贈られた。じっと伺っていましたら、鳩山さんってあの久留米の石橋正二郎のお孫さんだったのですね。むかしからの父祖の時代からの付き合いがあったらしい。それさえ知らなかったかささぎであります。鳩山さんはなぜ久留米から選挙に出るの。しらんけど、たくさんBSの株もってるらしいよ。・・と、そんな程度の知識しかなかったのですよね。

鳩山さん。たくさん死刑執行した法務大臣。
そのことについて、一市民として思うことは、えらいことだな。だれもしたがらないことなのに。夜、うなされないかな。というようなことです。

だれかがやらなければならないことなのでしょう。粛々と。

ビデオに録画して見た終戦記念日特集の国民放送。
残留放射線、入市被爆者認定問題。入市被爆者というのは投下後に爆心地に入った人たち。
乙四郎が当時の厚生省の認定窓口の責任者としていたことを、初めて知りました。

「なにかものさしが要った。そして当時は(アメリカが編み出した)あのスケールしかなかった」 というようなことを番組の中で、乙四郎は淡々と語った。それがくせの笑い顔で。

だれかがやらなければならないことなのでしょう。粛々と。

竹橋乙四郎とは違う、はじめて橋爪章と出会った気がした。
かなしかった。そのこころをおもうとかなしかった。

 一眸の荒野を隠す君の肩  恭子*

この句は、今おもえば橋爪章への存問の句でした。

いつもにこにこ笑っている人が隠したもう一つの顔。

   * 所収   月と花と恋と―平成連句抄

 石橋正二郎

参照: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%AD%A3%E4%BA%8C%E9%83%8E

かささぎの旗で、石橋正二郎: http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_6c3e.html

 竹橋乙四郎

参照:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_4c85_1.html

2008年8月28日 (木)

一片の月

新しいケイタイに古いケイタイのデータを移してもらう。

移してもらったのは電話番号とメルアド。

なのに写真のデータ保存ポケットに、古いケイタイの写真が一葉、紛れ込んでいた。写真類は一切転送しなかったのに・・・。

その日付、その写真。

思わず声をあげた。
05 1115 2226
2005年11月15日22時26分撮影。

ゆっくりと記憶がもどる。
まだブログ、始めていなかったんだな。
写っていたのは、蒼く輝くちいさな満月。

それは隣のおじさんの命日。
そして父の兄と、母の母と夫の祖母(新潟出身)三人の命日。

サイバー携帯月をたばさむ   恭子

きのう習った単語まめ知識

携帯電話:せるふぉん。せるらーふぉん。さいばーふぉん。あとなんだっけ。わすれた。このさいごらへん、ぱそこんのいいかたとごっちゃになってるかもしんないね。

きのう、英語教室で

月に二回、水曜日夕方、みやま市の保健医療経営大学まで出かける。
英語の市民公開講座、とても楽しい。やさしい先生がいて、おもしろいクラスメイトがいて。
まだ二回目です。こないだ初めて受講したときは冷房が効いてたのに、きのうは涼しいというより少し肌寒いくらいでした。

ぼんは一番前の席にいます。私は一番うしろ。
英語は学校で習ったっきり、生活では一度も使いません。
なのに生活のために二年前まで近所の小学生に中学生の英語を教えていたことはあります。そのおかげで、中学英語だけは忘れずにこれました。でも使い物にはならない。自分が一番よく知ってます。

クラスメイトに一人、小学校の先生がいらっしゃいます。
小学校、一年生から英語を学ぶようにかわるんですって。
苦手とのことで、切羽詰っておられます。
だけどもさ。苦手でも、いいんじゃない。ってかささぎはおもう。
たぶん、はじめることが肝心なことで。
通じ合おうとするこころがだいじだよね。

2008年8月19日 (火)

四年ぶり、ケイタイを買ふ。

家族の中で、私のケイタイは一番お古だった。
バッテリーのふたは外れ、まったく色気がなかった。
昨日なくしたのを幸い、新しいのに機種変更してもらう。
カメラが少しよくなって、色はショッキングピンクです。
うれしい。可愛い女の子になった気分。
電話番号もメールアドレスも、前と同じなんだそうです。
便利なものですね。
紛失したケイタイも無事出てきたと連絡がありました。

2008年8月18日 (月)

ケイタイなくした。

その日は朝から夜だったーってきっとこんな日のことだ。

けさ、まだお盆休みとばっかり思ってのんびりパソコン開いてたら、ななななんと月曜だった。しかも昨夜ケイタイメールがきていたのに気づかず(ケイタイはケイタイしない、机やかばんにいれておく年代である)、今朝開いてばたばた。

でもよかった、朝のうちにともかくも斧田さんの付句打ち込んで行って。

おひる休み、ゆめタウンでおとしました・・・ケイタイ。
いっしょけんめいさがしても、でてきません。届けましたが・・・

三年越しのふるーいものだった。(後で確認すると四年ものでした!)

電池のふたが取れてて、ちょっとかわいそうな感じのするケイタイでした。
新しいのに換えたいとずっと思っていたのですが、めんどうでめんどうで。新しいのに換えるときは、手続きが三十分以上かかるでしょう。あの時間がもったいなくて、どうしても行きたくなくて。
・・・こうなったら仕方ない。いやでも行かなきゃならないのだね。

でも、せっかく入力していたともだちのアドレス、全部消えた。
これはどうしようもありません。ひたすら平伏するのみ。

へえ。すんまへん。かんにんしておくれやっしゃ。夏ボケどす。
のちほどまた教えてください。懲りずに大目にみてください。
写真はあらましここへ送信してきたので心残りなくてよかった。

2008年8月12日 (火)

みどりのなかで

まよこに目を転じると、窓からみどりのたんぼ。

いまが一番みどりみどりしている。葉月。

終わらなかった給料計算を、又きょうもしにいく。

だれがどこへ何時から何時まで出てて、残業は。

体調が悪くて、途中から交代。その時間は。

道路サービスは公道メンテナンスの会社、土日は休み。

ここの報告書だけ、場所じゃなく仕事内容を書いてくる。

はじめて知ったな。除草と削草とあること。

削草・・どうよむ?かつを削り節掘削錯綜さくそう。

道路陥没補修。反射板取替え。巡回。

報告書、すこし泥に汚れ、すこし誤字。

7月○日21時~05時35分。

隊員2名。帰省車2台。

は。帰省車。

規制車!

夜間1つと0・5時間の残業。

報告書がねむいきついねむいといった。

2008年8月10日 (日)

ボーリング大会

ときどき、ぼて とボールをおとしてしまいました。

重くて硬い石のようなボールですよね。

ボーリング、三十年ぶりにしました。

スコア、72と70。 トホホ・・・

若いときは二回目のほうがいい点を出せたのに。

2008年7月24日 (木)

下りの景色

火曜日に近くの銀行で偶然読んだ日本経済新聞の上野千鶴子エッセイがよかった。さいごのところで、こんなことを言ってた。(人生の)下りの道から見える景色もなかなかいいものだ、と。

これまで上野千鶴子って学者さん、あまり好きだと思えなかったのに、この一文を読んでがらりと印象がかわった。

ぎとぎとしたものが取れてる。
いいな。枯れるって。

これからは、よぶんなものを一つ一つ棄ててく。
下りの景色がよくみえるように。

2008年7月16日 (水)

おっさんの励まし方

梅雨があけた。蝉が鳴いている。
事務所で伝票整理をしていると、電話がなる。
受話器をとると、いきなり隊員が名乗りもせず訴える。

だれか事務所におらん。
すぐ来て代わってほしいんやが。

いえだれもいません。

おれは足が痛いと!立っておれんのよ。

そうですか・・・でも、あいにくみんな出払っています。

あんた、わからんやろ。外はどげん暑かね!

そうでしょうね。こっちも暑いですよ。
みんな暑い外に立ってるから事務所でクーラーつけたら申し訳ないと、こっちにはクーラーもありませんからね。

そうねー?

そうです。
足が痛いの我慢できないですか。

我慢できんから電話しよるっちゃろ。

でも大丈夫ですよ。おまじないすれば。
いたいのいたいのとんでけー!!

あんたいくつね。こどもじゃなかろが。

はあ、三十です。

ほおう。・・ま、そんならしゃあなかたい。だーれもおらんなら。

はい、すみません。もちょっとがんばってくださいね。

・・・・翌朝(って今朝だけど)、伝票をみる。
おっさんは十七時まで無事勤めていた。

よかった。
おまじないの効果いちじるし。
本当に効果あったのはハッタリかもしれぬが。
おっさんあほかって思ったものの、身につまされた。

みんな、さびしいだけなのだなあ。
ただぐちを聞いてほしいだけなのだな。

追伸:

本日、夜七時、夫、博多より生還す。
やれやれ。


2008年7月 9日 (水)

夫、帰る

今日仕事からもどると、夫がいた。
二階からギターの音と歌声がして、やがて
ドスドスドスと重たげな足音をさせて階段を下りてくる。

ありゃ。かえってきたん。

おう。そりゃかえってくるよ。

家出したのかとおもった。

ばーか。五十もすぎて家出やらするか。

そう。なんの連絡もとれんから、博多湾に沈んでるんじゃないかと思った。

死ぬか。ひとをころしてもおれはしなん。

だよね。やまかさは。

まーだこれから。

十日あまりも、どこにとまっていたのかと聞く気ははなからうせる。
パンツ一丁でギターを弾き、「こんな小春日和の~」と声をつまらせながら歌う夫のうしろ姿をみて、あーあ。平和だ。とおもった。

2008年7月 2日 (水)

わたしのしごと

九時から四時まで警備会社で事務をしてます。
職場は理想的、人も環境もすごくきもちがいい。

雑居ビルで、ぐるりに草の原があります。
以前にやくざやさんが住んでいて銃をぶっぱなす事件があったらしく、住民が出て行ってしまい空室が目立ちますが、今は物騒なひとはいないです。犬は飼い放題、静かでとても快適です。
まったく、なにが幸いするかわかりませんね。
通勤のガソリンはとても高くなったけれど。

私の仕事は毎月のお給料計算と受託先への請求書作成。それと隊員さんが遠いところから出てきてる孤独な人が多いので、はげますことも大切なしごとです。事務は手仕事です。パソコンはまちがえても直しが楽な分記憶が薄いのですが、手で書くと人の名前や契約先の名前を忘れません。

間違えないようにやってても、時にまちがえます。先月、なぜか書きかけの未完成品だったのにそれと気付かず、長い長い四枚つづりの請求書を大きな得意先にお出ししてしまいました。
私が見直し、さらにボスが見直してもわからなかったミスなんです。こちらがうんと損をするいたーい請求漏れ。あーあ。(ちゃんとあとで気付いたから、こうして書いているんですが)。あちらからは、ここの経理はアホじゃて思われてしまったようです・・。

だから、年金で記載ミスうんぬんの話、ぜったい笑いません。人が入力するんだもの、間違うよ。

隊員さんがどんなにいっしょけんめい働いても、請求しなければお金は入ってきません。多忙で事務が間に合わず、お給料支払いができず潰れた会社が実際にあります。そのおかげでうちが仕事がいただけましたが・・。

なにが幸いするかわかりませんよね。

追伸:

こんどの六日、久留米六角堂広場で「湘南の風」のメンバー1人ほかレゲエ、ヒップホップミュージシャンたちのジョイントコンサートがあるんですが、その警備をやります。あんな狭いとこに2000人も入るん。むすこにきけば、とても人気が高いバンドだそう。しらべると、私も聞いたことあった、かれらの純恋歌。これまでボクシングとかマラソンとか野球とか競輪とか闘牛など体育会系のイベント警備しかやったことなくて、こんな若者向けレゲエバンドの警備は初めてなので、隊長は目下群集心理と空間との関係を研究中。え。そんなヒマじゃないか。当日の晴れと無事を祈る。(雨天決行とのこと)

湘南の風、わたしもみにいきたい。

2008年6月23日 (月)

田植えまぢか

土曜、夫が帰らなかった。
虫コナーズ、おもいだした。

どこにいってたの。どことまったの。

「おれをほたっといてくれ」

やまかさがちかづきました。

けさ五時半。
田まわりから帰った父がとうまるごえで電話してる。

「おたくから側溝工事ばしてもろてから、田に水がかからんごとなっとりますと。すぐなんとかしてくれんとどうもこうも田植えのできまっせんばい」

たうえがちかづきました。

* とうまるごえとは

唐丸聲。ひろーいたんぼのあっちがわからでもじゅうぶんよくとおるような聲。やかましい。

2008年6月14日 (土)

八女人

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080604-00000001-maip-soci

このニュース笑った。

どこのどいつだ。と思ってよめば、なんと近くじゃありませんか。
ははは。さすがまつろはぬ民。なんだかうれしい。

2008年6月13日 (金)

光のかささぎ

ってつい書いてみたかっただけ。

昨夜おそく無事シャバにけえってきやした。うう・・(感涙にむせびなく)

けっきょく、二週間ちかくネット不通でした。なにやってんだか。

おわっ。もうこんな時間。

ではいってきまっす!

追伸:

復帰した日が13日の金曜日だったとは。

2008年5月29日 (木)

服部豊治先生

  

思いがけなくおハガキに接してなつかしさ限りなくー
卒業以来ですから 35年ばかり、はやいものですね。
小生 三井高に移って7年、S55年に退職してすぐ逗子に越して来て今日
に至ります。逗子ではすぐ横浜高校で1年使って頂いて(この年も高校野球
優勝) 翌年茅ヶ崎高校に移り、1年経って気管支を損なって、結局教員を
やめ、今日まで無職の連続。 「共生95」 という爺さんだけのボランティア
に入れてもらい、庭仕事や車イスの手入れetc  ぼちぼちたのしんでいます
が、当年83才、 ガクッと体力が落ち、役立たずになるのも遠からず です
が、 まずまず元気に仲間と日々を楽しんでます。 体力がないので九州に
帰ることもなくなりました。
なにとぞ御自愛のほどを。 不一

         逗子市沼間
                             服部豊治

帰ると、高校時代の恩師・服部豊治先生から返信が届いてました。
なぜか涙がこぼれました、文面からお声が聞えてくるようで。
入学後に抜き打ちであった因数分解のテストで零点を取って以来、数学が大嫌いになりいつも赤点だった私ですが、思いだすと先生がひどくなつかしかった。二年続けて担任だったこと、家庭訪問に来て頂いたこと。朝の三分間スピーチのとき、深くうなづきながらみんなの話をきいておられたお姿など、忘れられません。先生が小倉の学校を熱心に勧めて下さらなければ、夫とも出会えていませんでした。それを思いますと、縁を感じます。

お身体がお丈夫ではなく、もう九州にはお帰りになれないのだと思うと、はらはらとなみだがこぼれてなりません。

どうか、お大事になさってください。
みんな先生のことがだいすきでした。

              

2008年5月24日 (土)

子犬をわける

先週の月曜日。
専務がでかけていたほんのちょっとの間に、さる業者のかた(管工事屋さん)が社犬の子犬を一匹譲り受けていかれました。いちばんまるい、安定している子犬のハッピーです。あっという間の離別劇。わかれをおしむ間もなかった・・・。三匹の子犬はとても仲良しで毎日じゃれあって育っていたので、大きな空隙ができました。じぶんのこどもみたいに可愛がっていた専務は、ハッピーとの別れがつらくて泣かれました。わたしはつい、東妙寺らんを思い出してしまいました。ねこを十匹も飼っているんです。

ひとりものが多い会社の隊員さんたちは、子犬をとても可愛がります。小鳥も金魚も鯉も飼われていて、ちっともさびしくはありません。年中無休の会社だからこそできる、唯一のぜいたくです。

2008年5月23日 (金)

チェリーボーイのように

同窓会の講演(講師・天野周一師)はとても楽しいものでした。ざっと講師の主張を紹介いたします。

「こどものしあわせは家庭の幸福から。いま、それを守るためには絶対的に妻の機嫌をとる必要がある。

夫たる者、夫婦喧嘩にけして勝とうとしてはならない。勝ってはならない。勝たない。これを非勝ひかつ三原則として日々つとめるべし。妻の話を聞こう。このくそばばあ、うざい。とおもっても、けして顔に出してはならない。声にだしてはならない。日々どりょくしよう。聞いてなくても聞いたふりをすべし。あいづちの、まじ、てか、だよね、の三点セットで、なんとかしのごう。」

というおもいがけずも濃い内容でした。
主義主張に一本しんが通っている。と感心して聞いてました。
おわらいみたいなその軽さも効果的でした。

同窓会のうちあげのときに、元サッカー部の山田くんがそばにきたので、この講演の感想を思いついて尋ねてみたところ、彼はこういいました。
「講演会のとき、あそこまで言ったら、おんなのひとはいやじゃない。いくらなんでも、ひどいんじゃないかなと思った。」

私が大笑いして打ち消すと、真面目な顔でこんな話をしてくれました。

「いまね、おくさんがあいてしてくれんちゃん。」

えーっなんで。

「学校でしょ。それからサッカーでしょ。またサッカーで遅くなるわけ。であしたがきて、また学校。サッカーまたサッカーに学校」

なるほどのう。じゃいつ息抜きするの。

「こどもがすきなん。かわいいよね。」

そりゃま、そうだけどさ。どっかであそばないと、身がもつまいが。

「おくさんにきらわれてるっちゃん。」

そうだろね。そりゃうわきもされるかもね。

とらんちゃんと二人で両脇からうんとおどしたんですが(笑)、なんだか、この人の言ってることが他人事とは思えず、じわっと身にしみて、あとからあとからかわいそうになってきて、家に帰って思い出しては、まじやばい。余計なことをいってしまったなあ。いくらなんでもな。と悔いているのであります。おもえば、どなたにもこころあたりのある話ではないでしょうか。それをよりによって笑うなんて、ひどいよね。いま、チェリーボーイのようにはずかしい。

チェリーボーイ。

童貞をバージンというなんてこと、じつは大石政則日記を読むまで知りませんでした。海軍俗語辞典にその略語の「バー」があり、意味は童貞。男ばかりの世界で、どんなふうにバーが扱われていたのかと考えています。うちの下の子はサッカー部でしたが、サッカー部というのは、野球部と違って野暮じゃないんですよね。あかぬけている。まるで日本陸軍に対する海軍のようなかんじといいますか。次男はおそろしくおませだった。まいにちどんなはなしを仲間とはなしているかしら。と思う間もなく、さっさと少年から青年に脱皮しました。でも、みながみな、そうとは限りません。ちょうなんはまた、ちがう。とても内向的だし、そうじゅくではない。ふと思いついて、ばかはははききました。あんた、どうてい。すると、意外にもまともなこたえ。うん。はあ~21で。とおもうばかははであったが、いっぽうさもありなん。と妙な安堵感もある。

俳句評論で有名な山本健吉のさいしょの妻だった石橋秀野のことを調べていたとき、親友だった田中澄江の本を読みました。この人の夫だった人は健吉と同じ慶応の同級生だったのですが、まじめで、すんごくかたい劇の脚本を書く人でした。それで、澄江さんは、この人もまたまじめな働き者で、三十過ぎまで童貞だった夫と結婚して、夫の収入のすくなさを責めず、必死で働きおかねをかせぎ、夫こどもを食べさせたと書いてました。とても立派ないなかの家のむすこなわけです、田中ちかおさんは。澄江さんもまたそうです。たしか聖心の先生をしてました。おとこのうわきはきたないとおもう妻。けしてうらぎらない夫。そういうひとたちもなかにはいるんです。すべてのおとこがひといろってわけでもないのだなあ。いろいろあるなあ。それはそのちがいはどこからくるんだろうかなあ。

とばくぜんと考えている、きょうこのごろであります。おわり。

2008年5月 7日 (水)

どかたづけ。

先日警備契約書の記入を依頼に行った今福の造園業者のところに、きょうは回収にゆく。お茶つみでとても忙しそうだったけれど、書いて下さった。

帰路マルキョウで味噌ラーメンが二つ88円だった。
六個を三回買って帰った。
太もやし入りみそラーメンがスキなのです。
麺類はここが一番安いかな。食糧はくるめの明治屋で買って帰ることが多いです。以前は八女のエーコープでばかり買っていました。勤め先に寮が三部屋あって、その三部屋分の食糧を週に二度明治屋で買出しします。3DK一部屋に六人から七人いるので、約二十人分の食糧をいちどきに買います。それがとっても大変です。米からなにから買うのです。みな出払っていてだれもいないときは、私もくるまごと駆り出されます。買うのも運ぶのもたいへん。でも、いきることって、シンプルなことなんだって気付かされる。余分なものはなにもいらない。身一つと、あとはその日食べるものがあればなんとかなる。

ここにきていなければ、もっとおっとのしつぎょうについてふくざつななやみかたをしただろう。おかげさまでまったく気にならない。

『ショーケン』って本を二回も読んだって夫。昭和二十年代最後のうまれのおとこは、非情に非常に古風です。むすこたちに絶対家事を手伝わせないもの。でも、それはきついです。男もしなきゃ。この先なにもしないで済むとは思えないもの。

とはいえ、夫が押入れそうじをしてくれた。
あまりのわたしの詰め込み主義にあたまにきて。
年に二回はこんなふうに怒片付けをしてくれる。
どかたづけ。(いかりのちからってすごいなあ。)

2008年4月26日 (土)

筍の

いつもなら、もう今時分は、くるめのおばが甥とともに笠原の竹林にのぼって、たくさんたけのこを掘り出し、うちあたりにも、とうまいぶくろ二つぶんほども分けてくれてた。でも、ことしはそれがまだ。

星野の山に母の父の名前で猫のひたいよりも狭い土地がまだ残っていたらしく、こんど道がはしるので、その土地を公道にするには、一族の承認がいるというので、去年の暮れからずううっと何度もなんども星野村のお役人さまが、わがやにいらして(なにしろ、母が子孫の最長老になっていたので右代表のかたち)は、手続きをなさろうとしますが、二十数人の子孫、そのうちの若い一人からどうしてもまだ印鑑証明がもらえずに、往生しているようです。

母の父は、山口朝次といったようです。笠原のまえは星野にいたようです。見た目、笠置衆みたいでした。炭焼き小屋のまえでいとこと写っている写真をみたことがあります。私が五つの四月八日、くるめの娘のうちでご馳走をたべて、厠にいき、脳溢血で大往生したそうです。
こんどのことで、ながながしい系図をみることができました。星野だったとは知らなかったなあ。

2008年4月13日 (日)

甲四郎先生

昨夜、五月十八日の福島高校大同窓会のための準備会議へ出た。クラス写真をみていると、五組の担任だった高橋甲四郎先生のことがしきりに思い出された。(私は四組でした)。みな、先生の偉業をまったく知らないのが不満なのだ。親不孝というのがあるなら、師不幸ってのもあるだろう。そこで会議のおわりがけに、総会で先生の偉業を紹介すべきではありませんか。とおそるおそる提案してみる。随筆集『バルビゾンの道』は日本随筆家協会の賞を受賞しているし、父上の仕事の集大成である『朝鮮半島の農法と農民』は共同編集作業から大著を世に出すという仕事をなさった。せめて一言だけでも、紹介すべきではないだろうか。というのがかささぎのきもちです。

「ほかの先生達とのかねあいもありますからねえ。」

といわれる。そういうことなのか。
先日友とふたりで回った広告とりも、ご協力頂いた二十軒の広告主をブログでていねいに紹介しようと思っていたのですが、ほかのところとのかねあいを考えると、二の足を踏まざるをえませんでした。

なんだかなあ。と一人ごちているところへ、ひさしぶりで先生からメールがとどく。上陽町の春の山公園でのお花見の集合写真つきのお便りです。

二分咲きの桜仰ぎて土筆摘む
    肌寒きかなはるやまの春
  
               甲四郎

こんな歌が一首添えられています。
師の毅然とした風格のにじみ出た、見事なうただと思います。

    
                        

2008年4月 9日 (水)

ましん対策

乙四郎の一本勝ち。

勝負する前からのび太くんの勝ちだった。
えへらえへらしてたら勝負する気にはならないもの。
乙四郎の大學の入学式、西日本新聞報道、最初の記事とはトーンが明らかに違っていました。好意的になってた。すごいもんだなあっておもった。

いまだに大學のなまえをおぼえきれません。うちのよかむすこ(ばかむすこあらため)がいうには、入学式でえむしんぶんの記者から、どうしてこの学校を知ったのかを聞かれたそうな。(で、あんたなんて答えた。)親からすすめられたてゆうた。そりゃそうだけど、自分なら恥ずかしくてそんなことはいわない。子は新宮の大學に復学することを決めてたのですが、どうも今一気がのらなかった親は、ふと目にとまった乙四郎の大學の何次目かの追加募集にぎりぎりで応募、間に合ったというわけです。うざい母のいうことには絶対従わない子が、父までもがここへ行ったほうがよくないかといったので、素直に聞きました。うちの子はみな、父に従順です。笑

大學への提出書類のなかに、抗体検査結果調べみたいなのがありました。各種伝染病についてこどものときに受けた予防接種の記録を書くのです。ましんとかいろいろ。母子手帳を出してみると、受けてましたね、ほとんど。注射ひとつ受けさせるのもたいへんな苦労でしたよね、世のお母様がた。

連句に付き合ってくださってる「連句誌れぎおん」同人で北海道教育大学副学長の杉浦教授のブログを今朝のぞいたら、麻しん患者が入学生にいて、新学期早々大わらわになったことがかかれています。知りませんでしたが、ほんとにはやってるのです。

2008年4月 2日 (水)

新聞記事

おお。乙四郎の大學が槍玉にあがっとる。

朝日新聞。きのうの。

定員150人に対し、20人しか集まらなかったらしい。
うーん。よかなあ!!わても行きたい。
こげんか大學がほかにあろうか。
生徒ひとりにつき先生がひとりの計算になる。
敷地は広いし、まわりはたんぼだし、あっちらへんには、きれいな菜の花ばたけがえんえんと続く。。。。
まるで見てきたように書いておりますが、はい、みてきましたとも。
みなさん一度は行くべきだ。
交通の便は悪いが、天国のようなところです。

くるしい立場にいたのか、乙四郎。

だが、めげるな。
まだひとりも卒業しとらんじゃないか。(ってかまだ入学式もあってないんだけど。)
大學のなまえもよく知らないまま、わたしたちはわたしたちの大事な大事な馬鹿息子を、あなたに預けました。それは何より、竹橋乙四郎に絶大な信頼を寄せているからであります。

2008年3月28日 (金)

決戦の金曜日

今日は大事なだいじな市の仕事の入札日です。
かけもちでいくつかあるようです。

きのう第一陣がありましたが、惨敗におわりました。
話をききますと、獲ったとこは利益度外視の超安値で勝負をかけてきてたって。うちもぜんぜん安い値段で入れていたのに、あっちはさらにきいてあきれるほど安かったって。口あんぐりしたそうです。

「はなしにならへんわ」

こういうときの大阪弁は妙にきまります。(うちの入札係は、大阪のゼネコン出身)。

こういうなまぐさい話を全くしらずに生きてきたんですが、実況で体験でき、わくわくします。いやもうほんま、おもろい会社でっせ。

ほなら、いっちょう気合入れて、いきまっか。

「とるぞ、おーっ!」

〈結果発表〉

いつつの仕事のうち、三つとれました。気合だ。
入札に臨んでいた営業から結果の電話を私がもらったのですが、「○○、落ちました」と言われ、「えーっ。○○が落ちたそうです。残念でしたよねえ。取りたかったですよねえ!」とボスに伝えると、ちゃうちゃう。落ちたいうんは、入札がうちに落ちたってことやないの?との返事。あらためて確認すると、ほんとにそうでした。(落ちた、なんてことば、この時期、縁起がよくないです。次男は行きたかった高専に落ちてしまったのですけど、そのとき真っ先に脳裏にうかんだのは、なんで靖国神社で合格お守りもらってきたかいなってことでした。なんとなく、さくらちるイメージです。まあ単に実力がなかったってことなんですけど、逆恨みのばか母でありました)。

2008年3月26日 (水)

夫へ

きのうはお給料日でした。

夫はどうやら依願退職扱いされるらしく、お給料ももらえないとおもっていたのですが、お情けで、ちゃんと普通どおりに一月ぶんいただけました。会社の方々、ありがとうございました。おわびもなにも申してはおりませんが、夫は勤続30年を棒に振ったわけでもなかったのです。しかし、これが最後のお給料だと思うと、感慨深く、泣きそうになりました。互いに26歳で結婚をして、ずうっとずっと毎月振り込まれてきたお給料。10万ちょっとのときから、私が管理してきました。たくさんの通帳はそのまま家の27年間の家計簿です。

ところで、なぜ、夫の無免許運転を知っていながらとめなかったのか、説明するのは複雑です。そんなの、とてもわるいことに決まってる。一つはっきりしている命題があって、車にのれないなら、営業はできない。死ねというに等しい。夫はなんどもトップセールスをとったほど、営業の仕事がすきでした。同期のひとたちが次々にやめていっても、どんなに苦しいことがあっても、決して愚痴をこぼさず自分ひとりの胸におさめて、乗り越えてきたおとこです。私とは正反対の強い性格が、結婚の理由でもありました。だから、その苦衷をおもうと、わたしごとき世間知らずは、なにもいえませんでした。今年、好きだったたばこをやめたのも、そのことがあったからだとおもいます。

まあ、でも、いまは凪ぎの海のようにおだやかです。
いっしょに車でどこかへでかけるなんてこと、これまで絶対なかった。
いっしょに夕食をたべるなんてことも、絶対なかった。
それができるだけでも、うれしいのです。
毎朝きっかり七時に出てゆき、帰宅は遅かった。
もう若くない体にそれは、きつかったことでしょう。
ひとりでずっと生活を支えてくれましたね。
社名は合併で三回もかわったけど、ずっとおなじ会社で辛抱して、私たちを養ってくれました。
お疲れ様でした。そして、ありがとう!!
夫の会社へも、深い感謝の意を捧げます。
これまで、長いあいだ、本当にお世話になりました。

薔薇をもらふ。

まっちゃんが薔薇をくれた。
薔薇の赤い花束。

きれいだ。

まっちゃんはまっちゃん。
現場でも親切にしてくれた。
その現場がきのう、おわったらしい。

いろんな隊員さんがいる。
ひとりものばかり。
京大卒の人がいる。
ワインを日に二本あける。
依頼すれば、どんなきつい仕事でも出る。
私に「軽車両を除く」の意味を教えてくれた。
タクシー運転手あがりの人がいる。
愛想がよく如才ない。人のこころの先をよむ。
対馬から来た青年がいる。
たこべやでよく辛抱している。
長崎の小さな名も知らぬ村から自転車で来た
親も家族も離散してしまったという
そんな青年もいる。
かれは人がよく
頼まれれば自分も貧しいのに金を貸す。
どの人もどの人も
菩薩の顔をしていて
どの人もどの人もとても優しい。
また今日も石は
ダックスフントのキララをつれてお散歩にでるだろう。
そして山さんは
常務と決して負けない碁を打つだろう。
そんな会社で
わたしは壁際にはりついて
今日も事務を執る。



2008年3月19日 (水)

春の嵐

今日は珍しく朝から吹き降りの雨でした。木の芽起しという言葉にぴったりの天気。こういうとき警備会社に勤めていますと、さすが○○建設は大会社だけあって、読みがはずれることはまずないなあと感心します。なんのことかというと、現場仕事はお天気勝負ですので、きっちり天気予報を調べて、明日はあるいは今夜の夜勤は、仕事をやるかやめるか、白黒はっきりさせるということです。そうしないと、やると決めていて途中で雨に遭って中止となった場合(専門用語で上番後中止といいます)、一日料金の半額を支払わねばならないですからね。天気即死活問題ということになると、現場監督は早目はやめの決断を迫られるわけです。大きな工事現場ですと、一つの決断で動く人員はそりゃあ大変な人数です。決断ミスで被る損をできるだけ少なくすることも、監督の手腕なのです。

きょうはココログフリーのメンテナンスで、ずっと繋がらなかったようで、ごめいわくをおかけしました。当方は別段なにも変わりはございませんです。ただ春の風邪なのか花粉症なのか、わからない症状になっちまいました。ああ、そうだ。ふっと今、みょうな記憶がよみがえりました。高校受験の日のことです。私のすぐ前の席に、先日柳川に尋ねた友が座って受験してました。彼女はとても大胆なところととても神経質なところがあって、その日、びっくりするような行為に出ました。洟をすするのがよほどいやだったんだと思います、試験中、ずっと洟をかみかみ、かんだちり紙を窓からポイポイ捨てるんです。笑
そこは二階の窓際の席でした。わたしは、ほんとにびっくりして、ふしぎな感動を覚えて、友のその手際のよさというか、大胆さに感じ入ったものです。窓の下ではちり紙の山だったんじゃないかしら。でも、どうでもいいことにかぎってよく覚えていますよね。

2008年3月11日 (火)

今日、三時二十八分。

ともだちがエンデバー号で宇宙へ発つ。

土井隆雄。

ともだち。

しらないけど、ともだち。

八女ではおないどしのことを、「ともだち」といいます。

真幸くあれ
無事で帰れよ
けふ三時友が
エンデバーにて空へ旅発つ   恭子

打ち上げを待つ米スペースシャトル「エンデバー」。国際宇宙ステーション(ISS)に建設される日本実験棟「きぼう」の第1便となる船内保管室などを搭載。土井隆雄さんが搭乗する(10日、ケネディ宇宙センター)

土井隆雄:http://iss.jaxa.jp/astro/doi/

エンデバー:

エンデバー” (Endeavour) の名前は、キャプテン・クック南太平洋探検の第一回航海の帆船エンデバー号に由来している。意味は「努力」。なお endeavour は英英語式のつづりで、米英語式のつづりでは endeavor となるが、本船は固有名詞であるクックの船名に由来するので英英語式になっている。(ウィキペディアから引用しました。)

2008年3月 8日 (土)

罪とは

書けなかった。

でも、もういい。

書くことにする。
もののみえたる光、いまだ消えざるうちに言い留むべし。

はっきりいって、どう考えても、なにも悪いことをしていない。
人を殺したり傷つけたりしたわけではない。
ただ交通ルールをはみだして、点数がなくなっただけのことだ。
罰金はこれまで、気が遠くなるくらいに払ってきた。
警察員のお給金が数人分それで足りるくらいに。
ずいぶん遠いところまで毎日送迎もした。
免許取り消しになった夫のために。

事故を予防するための制度だ。
とかれらはいう。
しかし、わたしはおもう。
あれは警察がもうかるための制度だと。

夫が免許がない期間なのにもかかわらず、仕事で乗り、その途中、交通違反(信号が黄色でとびだした)の現行犯で逮捕された。
三日拘留された。
その間夫には厳しい取調べが行われ、妻である私にも詳細な供述調書が一日がかりでとられた。

なにをやったというのだ。

せいぜい、信号無視(たいがいどうでもいいとこの信号じゃないか。女郎蜘蛛みたいにまちぶせしやがって。やりかたが姑息だ!!ものすごくはらたつわ)とか、一時停止をきっちりとやらなかったとか、ちょっとスピード違反したとかのたわいないことじゃないか。だんだん腹がたってきた。そうだ。私は反社会的といわれてもいい。夫をかばうぞ。

なにもわるいことはしていない。罪の意識におびえながら、それでも生活のためにあえて犯した罪。それを裁くのですか。裁判長。

なぜ、会社をくびにならねばならないのですか。

三十年も勤続した会社を。

むすこたちにはきっちり話しました。おとうさんはわるくない。せいいっぱいおまえたちのためにたたかった。わかるね。

こどもは泣いていった。

おれ、とうちゃんしんじる。
かっこわるいとかぜってえおもわないから。

2008年3月 4日 (火)

橋爪章、

「同窓会」にコメントしてくれた元官僚の同級生、橋爪章の写真を発見。

http://www.healthcare-m.ac.jp/university/guide/president.html#new

これなら新聞記事とちがって、参照につけても消えることはなかろう。
それにしても、おとうさんとおなじ顔なのには笑った。当然といえば当然にしても。えらそうなかんじがあまりしなくて、ほっとする。でも、やっぱあれですね。底にある、橋爪章独特のふしぎなあったかい笑みは、かわりませんね。
経歴をみて、へえと思った。知りたかった出身高校。
真和学園高校卒、とあったから。浅学菲才のかささぎが不覚にも知らない学校である。調べた。すると、宗祖法然上人の像がましますのでありました!しかも、正岡子規や高濱虚子の出身地、愛媛。

かんけいないけど、かんけいあるかもね。

追伸)

今日は3月11日です。上記記載には間違いがありました。コメント欄でご本人が訂正をしてくださいました。ほかに、いろいろと興味深い体験談を書いて下さったのですが、ことに今日書いてもらった外地でのご心痛を読んでいて、ふと蘇った記憶があります。それをすぐ読めるよう、さがしてきました。もっと詳しく知りたい方は、カテゴリーで一番上にある『円交五号』を開いてみてください。君が代を国歌とした人の孫がオオムラサキを国の蝶とした昆虫学者だったことなど、おもしろいことに気づきます。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_2cdf.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_a355.html

2008年2月27日 (水)

井筒屋

ふと気づいた。
デパートの井筒屋に対して他とは違う特別な思いがあることに。

はじめて故郷から都会へ出て行ったときの記憶。
いっしょに受験した友のおじさんが井筒屋のえらい人で、その人からお昼をご馳走になった。それまでデパートに行ったことがなかった。その当時の北九州はまだ空気も汚くて、一種独特の空のにごり色、大気にはいなかにない臭気があった。七階だったと思うが、高いビルの食堂で、ナイフとフォークを使ってエビフライ定食みたいなものを食べた。初めてだったので、どういう食べ方をしたらいいのか分からず、そのおじさんを見ながら、まねしてフォークにごはんを載せる食べ方をした。今思えばとてもおかしいのだが。

短大に通うようになって、次第に小倉でのくらしにもなれたころ、はじめてのバイトをしたのも、小倉井筒屋だった。まわされたのは一階の宝石売り場であった。とてもとても緊張した。宝石にはまったく興味がなかったしね。先輩の本職の売り子さんがとてもセクシーなひとで、なんともいえないギャップを感じた。ちょっとの間だったが、空気を教えてもらった。

井筒屋は、まるで初恋にも似た想いが沸き起こる、わたしにとっての特別な場所である。

この文章をかいて、よく振り返ったら、バイトのほうは井筒屋ではなく、東映会館でした。すみません。いまもあるのでしょうか。でも食事は井筒屋でした。

2008年2月23日 (土)

山さんのこと

このところ、現場に出ていない。
現場はずっと忙しいのですけど、飛び入りの仕事は断っている。いまの時期は夜勤の仕事がとても多く、(道路工事が多いということ)、無理な編成を組めば隊員全体に無理がいくので、いっぱいいっぱいにならぬように編成役(うらまれ役)の常務が努めている。それと母が、うちは一人しかこどもがいない(私のことです)ので、現場には立たせないで下さい・・・と伝えたひとことがきいたのでしょうね、たぶん。笑。

隊員さんのなかに、面白い人がおられる。
仮に山さんとします。
山さんは普通じゃない。
常にじっとしてないし、失礼ながら貧相だし、現にあやしいように見えるので、みんなからばかにされている。でも社長はそんな山さんを独特のやりかたでかわいがる。正月には下着を買ってやり、おまえはくさいぞ、ちゃんと風呂に入れ、きれいな服に着替えろ、と怒鳴る。山さんはおとなしく社長の言葉に従う。着替えるとき、不器用な山さんはぼーっと突っ立っている。社長が脱がせてあげ、着せてあげ。山さんは鼻水をたらしてたりもする。まるで大きなこどものように。

では彼はばかなのか?
断じて違う。
山さんは時に社長や常務の碁の相手をする。
いつも負かされているのは社長や常務だ。
山さんはほんとはあたまがいい。
泰然としてこのバカめというようにニコリともしない顔で相手を見ている。

事務を執っている私のところにやってきて、山さんが必ずするはなしがあって、それは家族の遺産訴訟のことです。私は内心「山さんのおはこ」と名付けて、それが始まったら耳にシャッターを下ろすことにしてます。うっかり話しにのると、きりがないからです。笑

2008年2月22日 (金)

同窓会

日曜日に上妻小学校の同窓会があった。
案内状、参加にまるをつけてたのに、出しそびれ行かなかった。首都圏に住む、そう度々は帰省できぬおさななじみから、恭子ちゃん、行ってはしづめあきらさんがどんな仕事するのか、みんながどんなふうになってるか、みてきて教えてねって頼まれていた。さっそくどうだった?って電話がかかってきたけど、ひたすらわびるのみ。ごめん、ごめんね。

ナカシマは以前も、町内の幼なじみが週刊誌にのってるよ!と教えてくれたっけ。ええっなんで?と聞くと、どうも厚生省の血液製剤薬害事件で矢面に立ち、国民にわびるお役人役?だったようだ。テレビにも出てたから、きっとそうだよといってた。でも私はとうとう記事も内容もまったく知らない。ただ目にうかぶ懐かしい子ども時代の橋爪章くんに、がんばってくれよとナカシマとともに心で声援を送った。たぶん、どんなことがあっても、おさななじみは、彼を信頼し支持するだろうとおもう。その橋爪章さんが、こんどみやま市瀬高町に新しくできる医院経営の珍しい大学の学長として帰郷、その壮行会もかねる同窓会だったのだ。それにいかなかった。なんてともだちがいのないやつだろう。・・せめてブログでご紹介いたします。

橋爪章のむかしのイメージとは、こんなだ。
ひとりみんなとは離れ、あたまがよくて、浮世離れしていた。このいいかたはへんだけど、ロージンの雰囲気。うん、かれは「老」だね。この表現、われながら気に入った。ちょっと見、ニタニタ顔のへんな子。おそまつくんのイヤミさんのシェーのまねをよくやってたな。ひじは九十度にまげることと誰もたのまない解説つきで、かかしみたいにぐらぐら立ちながら。お父上は折り紙名人だった。お元気でしょうか。同町内でもなかなか遠いですね。

名前検索したら、あった。

これです。↓ 
がんばってください。会は出席できなかったけど、スミもタッコもカズも、かげながら応援してるよ。
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20071223ddlk40070130000c.html

2008年2月 4日 (月)

再び、朧大橋

数日前に『朧大橋』 についての感慨を書いた。

その後参照記事を検索してるうちに、次の一文に出会う。

http://www.dokokyo.or.jp/ce/ce0606/essay.html

これを読んで、わたしは自分の不覚を恥じた。
毎日毎日仕事場でなにを見てきたというのだろう。
みな、寝食も時にそこそこにしてまで現場に立っている、焼けるように暑いときも、凍るように寒いときも。全ては建築現場での安全のためにです。

わたしは交通誘導を主とした警備業の小さな会社に勤めていますが、そこで働く人たちのことを心底すごいなあと思っています。一人ひとり詳しく紹介したいほどに。見聞きするすべてのことを文章でスケッチしたい思いは本能的なものだから、こらえるのに大変苦労します。ということは、それだけすごい現場であるということなんですよね。毎日が発見の日々。現場感覚のすごさ。彼らはそろって、あまり多くを語らないから、なにかを発信してあげたい。

朧大橋の価値はこれから決まってゆくのだろう。
いろんな批判はあろうが、橋をかけるために、多くの人たちが心血を注いだのだということだけは、身をもって信じることができる。

2008年1月31日 (木)

朧大橋

財務相をつとめた谷垣禎一・自民政調会長は、財政通といっても法学部出身だから、ケインズの弟子カーンの乗数理論をまともに勉強したことがないのではないか。乗数効果の低下を主張して、道路予算を削ろうとしたのは財務省ではないか。堂々と「私はケインジアン」と胸を張っていた師匠の故宮沢喜一と比べてあまりにお粗末と思えた。小泉政権下で右往左往した古賀誠・元幹事長も、およそ乗数理論とは縁がなさそうな面構えである。これだから宏池会は駄目になったのだ。

いい機会だから、新訳「一般理論」を読み直し(?)てみたら。ケインズを金科玉条にするつもりはないけれど、第三篇「消費性向」8~10章は古びていない。古代エジプトが暮らしの役に立たない貴金属探しとピラミッド建設に血道をあげ、その巨富を築いたというケインズの皮肉(?)のきいた文章を味読するがいい。里山を蹂躙するあの醜い道路こそ、日本のピラミッドなのだ。   
以上、阿部重夫ブログhttp://facta.co.jp/blog/(1・27permanent link)から無断引用。

さてと、おぼろ大橋、出ました。
八女郡上陽町です。じょうよう。

二年前だったか、私も「まことばし」とはどんなものか、見に行きました。八女も山の中となるとまだまだ行ったこともないところがたくさんあり、ここもその一つでした。谷が折り重なる地にある虚空蔵菩薩まで一人ででかけた(縁を頼みに)ときに、ついでに見学してきました。感想?「は~。こげなとこにこげんか橋ば造って、いったい誰が通ると。たぬきしか通らんめえが」 でした。笑。一日二百台通るという話ですが、ほんとうかな。少なくとも私が訪ねたときには、二台しかすれ違わなかった。驚くべきことに黒木方面へは行き止まりでしたから。(まだ建設途中なのですか?)

古賀誠議員、彼は遺族会長だし、魔王的というか、イメージは阿部しげさんも書かれている通り、田中角栄や北海道でぽしゃった人と同じ土建屋肌の政治家です。政治家は裸一貫からのし上がるためには、映画監督とおんなじようにお金をかき集め再配分する能力がないとだめみたいで、裏にドスがきかないと務まりませんものね。その能力がこの人はすごいんじゃないかしら。・・勝手に想像するだけです。

橋の現世的な存在価値は目下、皆無です。
でも、あの地、あの場所、あそこからしか見えないモノがあるに違いない。
それは朧月夜に見えるのではなかろうか。
見にいらっしゃいませんか。
何もない里山に、何のためでもない大橋が架かる。
それはこの世のものではない。

凍雲のやゝ焼けて来し遠い橋  柴田白葉女

虚空蔵菩薩を尋ねて

穀雨の虚空蔵の黒闇闇たる暮色     恭子

朧大橋:

http://nobuyoshitaka.com/report/oboro.htm

http://www.dokokyo.or.jp/ce/ce0606/essay.html

http://homepage2.nifty.com/isibasi/hasi/40fukuoka/04tikugo/4013_7_oboro.htm

2008年1月10日 (木)

児童相談室長・天野おとめ

連句会予定日が近づいてきた。
暮れに勤め先から電話で場所の仮押さえはしていたが、事務手続きが必要なので、昨日、会社帰りに役場に立ち寄る。

すると係りの人が朝倉出張とかで不在、窓口の人に「連句会で堺屋をお借りしたいのですが、かくかくしかじかで・・」と説明をしていたら、「れんくですか・・そういえば・・うちにもいましたね・・連句をやってるって人が・・」とおっしゃる。「ああ、それ!あまのおとめじゃないですか。あ、俳号ですけどね。名前は・・」「そう、なまえは・・」「タカクラさん、児童相談室長の!」と話がぴたっと合った。

聞けばまだおとめさんはいるみたいだったので、事務棟のはずれにある相談室へ、どんな様子かのぞきに行く。

いた。あまのおとめ。
中学生の女子がひとり、椅子にかけて話をしていて、それを聞いている様子。

おとめさんは元気だった。忙しいらしく、13日も地区の事例研究発表会があるので、連句には出られないんだって。残念だなあ。まあ仕方ないか。そのうち、参加できる日も来よう。

とびきりおいしい八女茶をごちそうになった。堺屋を借りる事務手続きをおとめさんに頼み、早々に帰る。すると南国風の植え込みとブロンズ像がある役場の駐車場で、高橋甲四郎先生にばったりお会いする。うわあ、おどろいた。風邪をめされたのか、大きなマスクをされていた。「これから赤崎さんに会いにゆきます」とおっしゃる。え。あかさきさん。時間があれば私も会いたい。赤崎さんに。ずいぶんあっていない。俳号、赤崎源さん。思い返せばこの俳号、ぼんぼり連句大会のとき勝手につけさせていただいたものなんですが、風貌をご存じであれば、「げんさん」っていう名のほうがほんとうの名前だって思うでしょう。本名はなんておっしゃるのでしたかしら。八女市出身の小説家・中薗英助の最後の作品『南蛮仏』に本名で登場されている赤崎さんは学芸員で、とても歴史にお詳しい。しかもしかも、連句がうまい。これはやってみてわかった。独特のセンスがおありです。また、やりましょう。もう一人、中川ワタルと名付けた、かわいい女性学芸員さんもごいっしょに。

高橋甲四郎先生は、関東の作家によるお父上の伝記が出版されたそうで、お忙しそうです。詳しいことがわかれば、お知らせします。

いま検索したら出てきました。この本、このライターみたいです。

『朝鮮全土を歩いた日本人 農学者・高橋昇の生涯』 
河田宏著 日本評論社 2007・12
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/249-1840461-8008368?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E6%B2%B3%E7%94%B0%20%E5%AE%8F

2008年1月 9日 (水)

逆効果

ことし、元旦より、ブログトップ頁の記事の前に、コマーシャルが入るようになりました。それがショックで、もうやめようかなあと思い始めている。

2008年1月 8日 (火)

年賀状

あさってはやっと全部の賀状を投函し終わった。←この文章かなり変。あさって、と未来形なのに、過去形にしてしまってる。年々あたまがこわれてゆく。たのしいですね。笑

ことしは喪中欠礼がやけに多かったなあ。なかには猫の喪中欠礼もあったりして。

毎年とどく夫の後輩からの賀状に、こどもの写真を必ず添えたものがあります。それを見てると、たのしい。三人のおとこのこばっかりの兄弟だったの。大中小ときちんと正座してかしこまってたやんちゃな時代。で、三人目おんなのこと思いたかったのか、3人目の子にはレースのハイソックスをはかせてた。それがいまや、見上げるような青年になってる。あっという間だよね。ほんと、「無常は迅速」って実感よね。こどもってあっという間に通過してゆく。

さみしいなあ。年の初めは。

2007年12月21日 (金)

自分を生きる

先日の続きです。

「吾亦紅」の歌詞。

おれはじめて自分を生きる

ってでてきますよね。とても印象的です。

ことし、いろいろと読んだ俳句作品のなかで、それも現代俳句のなかでですが、連作風に書かれた「草の男」(瀬川泰之)が深く残っています。このブログでもとりあげていますので、興味がおありのかたは探してみてください。

団塊の人たちはとても苦労して今の日本を築いた人たちです。自分を生きることがなかった、のでしょうか。そもそも自分を生きるってどういうことでしょう。自由に生きる、ってこと?

これ、ずっとかんがえてます。

2007年12月17日 (月)

方言を音楽的に響かせる

いえ、これは西日本新聞の文化面連載「劇的九州人」の14回、田中ちかお(千と禾と夫)の戯曲についての見出しのことばです。なるほどーと思って。

田中ちかおは田中せんかという俳号で(すんません、なにしろ五分しかない、あとで字をだします)俳句も書いていた。山本健吉(石橋貞吉)とこの人とあとひとり、原民喜との三人は、三田の三黙人と呼ばれたほどのだんまり人間で、おなじ慶応大学の同級生だった。秀野を調べていたころ、資料として田中ちかおの戯曲の本も古本屋から買ったのに、どうも写真をみているとむづかしくおもえて、とっつきにくそうで、しりごみして敬遠して・・。だから、この文章を読めてよかった。ありがとさん!

方言を音楽的に響かせるのは北原白秋がうまかったなあ。

あ。

もう時間だ。いってきます。

今日はたたなくていいんです。給与計算。時間がない!

2007年12月11日 (火)

手形、ヒャッホウ!

師走の集金。
この時期、どこも手許にお金をおいておきたいらしく、支払いが滞る。あおりをうけぬよう、心配な取引先には現金で支払ってくださるよう懇願する。が・・じっさい、やはり、でます、手形、ヒャッホウ!
たとえばですよ。請求額が百万円として、そのうちの五十万は小切手ではらいましょう。残金は四ヶ月後決済の手形で払います・・と、土建屋さんがかうのたまひぬ。これがわが有限会社の大口の契約先。義理と人情をみちづれに、地の果てまでも御一緒に。・・この世は、こんなことがままある。小口
の契約先はかうだ。請求が10988円ならば、有無を言わさず勝手に988円を切り捨て、1万だけ小切手で支払う。

あのねー。
いくらなんでもひどすぎる!大阪商人でもそんなえげつないことはせんて。人件費なのに。千円という金額は、こちらの隊員さんの夜間残業代1時間分なんだよ。この鬼。只働きさせる気。・・と怒っていたら、集金にいかれた人がいわれた。「あちらさんも、雇用している人たちに支払わねばならんから・・せいいっぱいなんでしょう。」

夫の会社は昨日、賞与が支給された。毎年きまった日にいただけるって、とてもありがたいことだ。こんなに感謝のきもちをもったことは、これまでなかった。当然だとばかり思い込んでいたから。

いつもどこかでわが勤務先と比べてる。隊員さんたちがとても気の毒だ。賞与もなく、保険もなく、なにもなく、多忙なときは毎日のように昼も夜も立ちつづける彼ら。でも別段苦にしているふうでもない、けなげなけなげなかれら。

こういう世界もある。
それを知っただけでも、ここに来てよかった。(この六日で再就職満一年になりました。自祝。ひゃっほう!)

2007年12月 6日 (木)

愛人

一昨日、ボスのあいじんがきた。
わが娘と同年のフィリピーナなり。

かわいらしい。
しかもだ。なにやらめちゃくちゃ純粋で、圧倒的によく気がつき、とてもやさしいのであるのであるのであーる。

ボスの趣味はわるくない。

瞬間的に、そうおもった。

しかし、つぎの日。

中国人の彼女がきた。
ロングブーツが玄関にしなだれかかっている。
が、こちとら鬼の形相でひっしに請求書書きしていたから、その姿をみることあたわず。
無念なり。見たかったなあ!(笑)

60はふつう定年じゃん。定年って諦念のことかとおもってたよ。
いくらわかいころ十数年もムスリム圏で暮らしてたからって、一夫多妻をこんな国で堂々とやっちゃうとはねえ。

ボス、そんなにがんばんないでよ。
という親心みたいなきもちと、
ボス、うらやましいぞ。このはげおやじめ。
というげせんなきもちがふくざつにいりまじる。
なんなんだろね・・。
とりあえず、ははは・・。

(つい男の視線でかいてみました。)

2007年12月 4日 (火)

修学旅行

けさ、子は三泊四日の修学旅行へ旅立った。広島、京都旅行。

おもい荷物は前もって宿泊先へ送っている。だから身一つだ。

「ほんじゃ、いってきまっす!」

と元気に言って、自転車ままちゃり号で出かけていった。ほくほくと・・

出端、じいちゃんが「ほれ。こづかいばやろう。」と言って、大枚いちまんえんもくれていたから。ばあちゃんからとじいちゃんからともらって、こげなときはほんなこつよかねえ。おみやげ、ちゃんとかってこやんよ。というと、ああそげんとはいらんいらん。と父がすぐいう。それがいかんちゃ。そのひとことが。笑

2007年12月 3日 (月)

喪中欠礼

喪中欠礼のたよりが届き始めた。

東京にいる短大のころのルームメイトから、父親の死を知らせる葉書がとどく。82歳だったそうだ。

豊後高田の彼女の実家にはとうとう一度もおじゃまする機会はなかったが、彼女の母上は、みかんやお米をどっさりしょって、二回ほど小倉のわたしたちの下宿を訪ねて見えた。その母上も、当時一人で作っていたイチゴをたくさん下宿のおばさんやお世話になる人たちに持たせてくれたうちの母も、八十近いいま。・・お元気だろうか。この、胸がしめつけられるようなものはなんなのだろう。

なつかしい友の顔が、二十歳のころのままでこころをよぎる。
短大生活、ペギー葉山さんの『学生時代』って歌の歌詞どおりのくらしを私たちはおくった。あのころのわたしは、ものすごいロマンティストで偽善者でわがままで、苦労をしらないいなかむすめだった。友はあとで打ち明けてくれたが、一つ年上であったし、中学時代から一人暮らしをしていたそうで、はるかに大人びていた。バイトも途中ですぐ音を上げた私より、うんと長く続けていたし、就職も、なんの計画性も志向性もない流され型の私とくらべ、現実的で堅実な自己実現型であった。大企業の地方事務になり、やがて東京へ転勤した。ちっとも望まぬ空港警備という仕事につき私が四苦八苦していたころ、彼女からは東京の男と結婚したとのしらせをうける。

ゆみちゃん。東京の人になってからのあなたには、一度しかあっていない。でも、あのころのわたしたちのくらし、とても大事な、いとおしいものにおもえる。質素だった。じぶんたちで交互に料理をして食べ、朝日新聞を読み、月刊ジュリストっていう硬い司法の本もあなたのおかげでわたしもよんだ。あなたがギターを弾き出してからは私もちょっとだけ弾けるようになったし、あなたがタバコをおぼえてからはわたしもすってみたりした。あなたはいろんなことをおしえてくれた。お礼をいったこともなかったけど、ありがとう。おっとりぼんやりしている私と、きびきびしっかりもののあなたが、異質ながらもひびきあって暮らした一年半。たのしかった。

おもいでが、たからものです。

父上のご逝去を、慎んでお悔やみ申し上げます。

2007年12月 2日 (日)

ファクタ

ことしは・・。

もうそんな総括の時期になってしまいました。

日経記者だった阿部重夫さんのブログを読んでますが、先日はかようなことを書いてあり、理解できないながらも、こういう言辞を書けるということこそがほんものの知性なんだろうな。とおもいました。以下、引用。

恥かしながら私には歯が立たない。そういう経験をしたのはこれで2冊目、フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンスタインの「ゲームの理論と経済行動」以来である。相当高度な数学の素養がないと、延々と続く数式に耐えがたくなる。両著とも英語の原書を買ってみたが、途中で投げ出してツンドク状態である。

幸い、私は専門のエコノミストではないからさぼっているが、一知半解のエコノミストたちは明らかにてあてずっぽうを並べ立てている。冗談で高橋氏に「どうせなら、ウッドフォードを訳したら」と言ったら。出版社が首を縦に振らないそうだ。なんとなれば、まず売れない(難解すぎて)、そして数式が理解できる人は日本語を必要としない、からだそうだ。日本の経済学とはその程度らしい。

おーい、アベシゲさま。おらも歯が立たないよ。さっぱり話題についてけないざます。笑

でも、この一個前の記事を読んだときには、お。新聞よりテレビよりずっと早く、政界スキャンダルを嗅ぎつける能力をこのおかたは持ってんだと、わかった。これはすげえことなんじゃないかなあ。ほんとに、あたらしいメディアの時代が始まっていると、実感させてもらったことです。

でも、おらは月刊ファクタは取らないよ。だってお金がないんだもん。たちよみするよに、彼のブログのこみだしをひろうのさ。ぜんぶはみせてくれないけど、においだけは嗅がせてくれますからね。笑

参照:http://facta.co.jp/blog/

かささぎの旗、八月十八日付「編集者の目」
         八月十九日「いりひ」
(無理をもうしてすみませぬ。↑は右横のバックナンバーから、八月の項をひらき、たどり着いてくださいまし。)

2007年11月28日 (水)

嫉妬と憧憬

けさ、オヤは長崎旅行でいない。新聞受けの新聞を開きながら、お、やっぱり報復戦に突入しているなと久留米と大牟田のやくざの抗争をよむ。

いつものように、bs2にいれ、ちりとてちんを流す。私は見ないのだが、オヤがいつもきっちり見てるものだから。夫を七時に送り出し、こどもに食べさせようとしてる時間帯。

なにげなく見ていたら、ヒロインが怒り心頭に発したってかんじで、きれいな女友達に「あなたはいつもそうやって私から全部奪う」とかなんとか本音丸出し、座をしらけさせるわ、彼女に席を立たせるわ、していた。

ううーん。リアルだな。まあ、ここまではいかずとも、だれしもこういう気持をいだいたことはあるだろう。

私も思い出した。先日の同窓会で東妙寺らんに男たちの視線がわっと釘付けになるのを見て。

高校時代はいつもいっしょにいたんだけど、そういう嫉妬は感じなかったんだよね。このみのタイプが違ってたし。ただ一度、すごく彼女に嫉妬したときがある。それ、今からおもうと、ちりとてちんみたいにおかしいが、当時は真剣だったんで、書いておく。

修学旅行のころだった。
彼女の父親がなくなった。がん、だったとおもう。クラスのみんなでおくやみをつつんだのに、お返しをするでしょう。そのとき、らんは鉛筆か何かの香典返しの風呂敷包みを壇上でひらいて、ふしめがちに一言いった。おれいのことばを。と同時になみだがきれいな目からこぼれた。かわいそうで、でも、うつくしくて、何と言ったらいいか・・記憶に強く刻まれている。
同時期、片思いだったけど大好きだった人の父親もおなじ病でなくなった。同じ時期に同じやまいで、おなじ肉親を。らんちゃんとニシダ。

あのとき、わたしはおもったのだ。
とうちゃん、しんでくれ。って。いや、すくなくとも、おやのしにあこがれた。
ばかみたいなんですが、あってはいけないことなんですが、そんなことをちらりとでも思った自分をわすれない。青春だったなあ。

じゃ、いまからちょっくら会社にいってくる。きのうもおとといも現場だったよ。例の現場2ね。昨夜の事件現場ちかくでもあるが、こっちがはってるほうとはべつだったみたいね。

2007年11月20日 (火)

たまご

たまご1パック98円。

それを二つ抱えてレジに並んだ。お一人様1パック限りって書いてあったのに。さあ、レジのパートさんはなんて反応するだろう。だめっていうかな。それともなにもいわないで二つ売ってくれるかな。

だめっていわれてしまった。それもきわめて優しく、お連れさまがいらっしゃいますか?と。

こんなとき、嘘がさらりとつけたらどんなにいいだろう。ぜったい嘘がいえないたちのあほとしては、「い、いえだれも。二回並びます。」とこたえるしかなかった。苦笑。

そうしたらね。彼女は、こういってくれたの。じゃ、後ろのレジで打ってあげますからね。

なんてやさしいひとでしょう!(それよか、おらはなんてせこいんだ!!)

2007年11月18日 (日)

現場2

土曜なのに「現場2」でした。現場1の下水工事のほうは景色のよいところで、土地柄が私の近所とにています。お百姓さんが多いし、露地なので静かで人通りも少ないんです。現場2のほうは、下水工事に加えて、鉄道高架工事も、ついでに遺跡の発掘作業もあっていて、それはそれは混雑します。むかしは広い畠だったところだそうですが、いまや新興住宅地で立派な家とアパートが混在してます。で、そのなかに、ミスター・ヤのおすまいもあるんです。

ミスター・ヤとは・・大きな声ではいえません。ちいさなこえでいいます。やくざやさんのことです。へい。あっしはなんにもしらないんですぜ。どうかお見逃しを。いえいえ。とんでもございやせん。だんな。ちがいますがな。あっしはただ、だんなの車があまりにも早いスピードで進入してきたもんですから、制止する間もなかった、と、こういうようなあんばいで・・。決してわざとじゃござんせん。

はあ~こわかったよ。
工事中につき通行止め、の看板を二つも進入口に立てていたのに、入ってきた車があります。とても早い速度でヒューッと来たものだから、工事をしている車両にぶつかるかと思ったほどです。

はっと吾に返り、ゆく手をさえぎりながらいいました。

吾:「どちらへいかれるんですか?」

ヤ:「まっすぐいく。」

吾:「えっ、穴が開いてますよ!」

ヤ「そんなら、なんでもっと早くとめてくれない。」

吾:「す、すいませんでした(ぺこりぺこりぺこり)。こっちへどうぞ!」

ミスター・ヤさまは、そこで車を急転換させると、やはりかなりなスピードでもと来た道を戻っていかれました。あれま。なぜか敬語になっている。(だってほんとにこわかったんだもん。)

工事の人にきけば、ここらへんはミスター・ヤの幹部の家があったり高利貸しの家があったりしてかなりやばい、いえいえそういう言い方はなんざます。とにかく、何かことが有るとかなり盛り上がるので、警備員をよそより多く投入しているとのことです。

なんでこんなとこに何人も立ってなきゃいけんの、と思ってたけど、なるほどな理由でございました。ああ、どっと疲れたよ~。どうかこの記事、おみのがしを。(なんか鳩山由起夫議員の発言に親近感わく。アルカイダと遠いともだちっていいたいそのきもちが、よくわかるよっ。・・人間だもの。あいだみつを。)

2007年11月11日 (日)

十露盤、算盤。

きのう出社。帰宅後、今夜は同窓会打ち合せがあった!とハタと思い出す。が、からだが動かない、きつくて。いいかな行かなくても。みんな来てるだろうしな。・・友にメールで断りをいれる。晩御飯の支度をしてると、そこへ突然の電話。誰からだったと思う。なつかしの幼なじみ、埼玉の大宮にいる算盤教師のナカシマ。

母の十七回忌で八女に帰郷している。久し振りだしイチノセと出てこない?という。その声。

ウン、いく!とこたえていた。からだがしゃきっとなった。いいかな。これも同窓会だよ。夫はまた北九州へいってしまったし。

懐かしいこども時代の友達にあう。
途切れていた過去とつながる。
話をしているうちに、自分が知らないでいたことも飛び出して、へえ、そうだったのかとおしえられる。

ナカシマはけんけんぱたをしてあそぶとき
いつもせなかに石のように重い子をおぶってた。
あかんぼうじゃなく二才くらいの大きな子。
そしてじぶんが跳ぶ番になると
てのなかの小石をぎゅっと握り締めて
せなかの子にむかって

ちょっと歯をくいしばらんね!

と声をかけ
おおきなつけもの石ごと
ケンケンぱっと地べたに描いた串団子を
とんだ。

授業さんかんがナカシマはきらいで
そのわけは
いじわるな男子が
おい、おまえんとこ、ばあさんのきとらすじぇ
と かあちゃんのこと言ったからって 
目になみだいっぱいためて
ピンクの溝蕎麦の咲く小道でうちあけてくれた。

そろばんが天才的にうまいナカシマは
仕事で上京するだんなさんについていき
いまたくさんの弟子がいるという。

あの当時とおんなじ熱い目をきらきらさせて
きょうこちゃん しあわせになろうよね。


むかしの修身の先生みたいなおはなしを
それとはきづかず
たくさんたくさんしてくれた。

あのころ遊びの中でやってくれたのとおなじように。







2007年11月 6日 (火)

下請け、かこく。

また昨日、電話で失敗した。

請求書を必死で書いていた。そしたら電話。こういう場合一番したっぱの私がまずとる。

まるまる組ですが。今日支払い日なんだけど、もらえなかったんで、来月はらいますから。

と、電話の向こうでおっさん風のひとが言った。

私は、何気なく、

はい、わかりました。来月のいつですか。

とたずね、

来月の今日です。

と聞くと、それで安心して電話を切ってしまった。

そこからが問題。あとでマイボスに告げると、

えっまるまる組は払わないって。八月分なのよ!こっちも給料支払いがあるんだからね。もう冗談じゃないわよ。電話しなおして、半分だけでも支払ってもらうように頼んで。

ははっと又掛けなおす。でも、出ない。笑

笑いごとではないんですよね。生活がかかっているもの。隊員さんたちの。

人の値段だけは下がることはあっても、上がらない。警備業や土方仕事などの人件費はとても安い。知ってる?なぜこうなったか。談合禁止になってからだってさ。公共事業で入札を競わせると、みな取りたいからつい原価を無視して安くしがち。じっさい、警備業での入札をかいまみたけど、一番安いとこが勝っている。やってられないくらいの安さ。しかも、仕事はどこよりきついんだよ。ばかみたいでしょ。

最低賃金が人並みの暮らしを保証するものでないなら、それは「悪」です。あちこちで橋が途中までかかったまま放られているのは、仕事を請けても、お金になる別の仕事から先にやっちゃうんで後回しされてるからだと聞きました。

さて、もとに話をもどします。

まるまるぐみさんは、ランクわけでいくと、Eでした。あぶないんです。この先、どうなるでしょう。つづく。

2007年10月21日 (日)

ごみの分別

夫は金曜夕方からゴルフ旅行にでかけた。どこへ行ったのか聞きもしなかった。私たち夫婦はひややっこみたいな関係である。金属製のひえではなく、掬いようがあるひえ。(笑)これが適温なんだとおもう。

もう十年たつが、博多をひきあげ八女市の私の実家に父母同居するかたちで暮らしはじめたころ、父が粗大ゴミにだしたことがあった。夫が人様からもらったゴルフバッグに入ったセット一式を。農作業小屋においてたそれを、邪魔になるからといって断ることなくさっさと粗大ゴミにだすなんて、いくらなんでもねえ。はあ~?というか、わが親ながら、よくやってくれるじゃないの。とあいた口がふさがらなかった。

後で知った夫はあきれてはいたが、何もいわず、事なきを得た。

このことをよく晴れたこんな日にはおもいだす。そして、なんだか知らんが、とても豊かな気持になって、ひとり、ニタリと笑いがこみあげてくるのだ。父と夫、このふたりのおとこのはらのうちを想像したら、たのしいではないか。きっと、はらわたが煮えくり返るみたいだったんじゃないかな。当時父は六十八歳、夫は四十二歳。ずいぶんと若かったなあとおもう。

2007年10月19日 (金)

井戸と水道

現場づいている。

面白い現場ばかりだ。もともと現場向きなのかもしれない。日焼をおそれないなら、この仕事は楽しい。

市の委託水道工事現場に立ちあった。古い水道管が破損して道路上に漏水していた。二メートル近い地下にある水道管を新しいものと交換する作業を管工事専門業者が行ったので、その業者の委託で片側交通の警備をしたわけ。地面のなかがどうなっているのか、ちゃんとこの目で見ることができた。

管工事人が仕事しながら言ってた。地域によっては水道管を適当に掘って埋めてある。昔はそうだった。だからそれが今あちこちで漏水を起こして大変だ。

この工事には市の水道ガス部の職員がちゃんと見張り員として立ち会う。工事の過程ごとに写真をとり、作業の工程をミニ黒板に書いていく。(以前写真で紹介したアレ)。絶対気を抜けないようになっている。公共工事はすばらしい。いや、いやみじゃなくいろんないみで。

その市の水道部のおじさんがつぶやいた。今は荒木に人がとられていてね。

ああそういえば、荒木の井戸水にダイオキシンが出て、今、市はそれらの民家に給水をしているとニュースでいってたっけ。

「それら被害を受けた家で、どれだけの家が新たに市の水道をひきましたか」と興味があってつい聞いてみた。

「たった一軒だけ。」

えっ。たった一軒。

うーん。

「これまで長いあいだ飲んできたのに、いまさら・・ってきもちもあるんだろうなあ。井戸水に比べたら確かに水道水はカルキくさいし」

そんな・・。でも、すごくよくわかる。

井戸の水。うちの飲料水も井戸水だ。市水とわが家では呼んでいる水道水は洗濯や風呂用で、飲み水としては使っていない。一度くらいは分析してもらう必要があるだろうと思うが、調べたことはない。きっと昔と比べ物にならないくらい汚染されているかもしれない。そうじゃないかもしれない。農薬は昔よりずっと安全になっているとはいえ、農薬はつかうわけで。虫を無視できないのだから。それを汚染とよぶのなら、汚染のなかでしか生きられないだろう。虫もわたしたちも。すべて。

2007年10月 8日 (月)

農魂

さくらさんのカントリーエレベーターの写真への昨日のかきこみ、無断引用します。

私が九州にいるころはこうでした。
今は農業もずいぶん機械化されてると思います。

籾摺りが終わると籾が山のように残る、その籾は燃やして灰をつくり火鉢の灰に、またサツマイモやジャガイモを突っ込んで蓄える。米ぬかは草と混ぜて牛や馬のえさに、藁は馬小屋の布団代わりに敷き、糞や小便にまみれたらかき出して干し、再度田畑に撒き散らす・・・
男の人の朝の仕事はまず草刈に行く、義父は公務員だったのでこれが出勤前の仕事、都会のサラリーマンとぜんぜん違うと東京へ来てまず思った。

これらの仕事を一家で一年中やるんだから、年寄りだからと引きこもっている人なんか一人もいなかったです。孫のお守りは当然、出来ることは何でもやりますよね。農家は年に関係なく。
himenoさんのお父さんお母さんも当然のごとく。

一人で山歩きの出来る独居老人の所へ介護の人がきて、買い物や掃除をしてくれる・・・・の見てるとへーん!!日本はおっかしいー!と思います。(さくら)

同感です。

さいごの一節はたぶん、孤独を埋める手助けと、孤独死予防のために様子をみにゆくとことをやっているんだろうとおもいます。(これ、おなじように私も以前博多でヘルパーを数ヶ月やったとき、感じた疑問です。とっても裕福でお元気なご老人にも無償で、というかものすごい安価な値段で市は介護サービスを提供していました。三十代半ばだった私には、不公平な気がして許せなかったんですが、だんだんと今では腑におちるようになりました。)

さくらさんの書かれた文章を読み、自分と同じ農魂がながれていると感じます。朝は早くからたくさんある仕事を黙々とこなすのが当然の暮らし、そんな家族の一員として自分の仕事をこなしてきたものには、都会のサラリーマンのくらしは、ものすごくゆるいものに思えた。今なら信じられないのだけど、結婚当初の自分は、とても罪悪感にとらわれていた。こんな楽な暮らしをしていて、いいのだろうかと。都会に出ていても、常に仕事が山のようにある農家の自分のイエのことばかり、考えていた。夫のことよりなにより、まずイエにきもちが縛られた。なぜかといえば、そんなふうに育てられてきたから。農家の家に生まれたものは、根がとても太くて長い。切ろうと思っても、きれない。良くも悪くもこれは運命だとおもう。で、わたしもさくらさんとおなじように、ふつうのおうちがとてもうらやましかった!ほんっとに手伝えっていわれたくなかった。

2007年10月 7日 (日)

火入れ式

今日から塾は本格的な受験体制に突入。
その火入れ式(奮起式)が久留米のさる大学であった。午前中はこどもに平成17年度の公立高校の入試問題を解かせ、午後からは親に映像で、どのように受験に立ち向かうかの講義。小学校の五年の夏休みから六年生にかけての一年半と、中三の夏から今また通塾しているが、親も子も相当くたびれてきた。しんどい。暇もおかねもからだもね。それなのに、塾側は、高校生になったあかつきには、わが塾の高校部が自信をもって大学までの勉強をサポートします・・などとのたまうわけよ。もう、むかむかしてきてねえ。はたらけどはたらけど、すべてこどもの教育費にきえていくさだめ・・か。受験生のおやごさん。しょんなかですとたい。がんばりまっしょい。こどもががんばっているのをみると、親もがんばらんば、と思うとですもんねえ。

あ。それでおもいだした。

俳句をもう十五年もやっているけど、まわりのひとも自分も、句集を出すことはないんですよね。これ(句集出版)、確実にむかしより減っている気がします。それだけ余裕がなくなっているんじゃないでしょうか。つまり、景気はよくなっているんじゃなく、わるくなっているっていうのが、庶民の正直な実感です。為政者のみなさん。そこんとこ、夜露死苦。

2007年10月 4日 (木)

求人広告

最近、仕事がばんばん入ってくるが、残念ながら、隊員が足りなくてせっかくの警備依頼を断っている状態である。もっとも仕事量の少なかった五月がうそのように、師走なみの忙しさだ。社長も営業も専務も事務員の私も全員で実務に出払う非常事態に突入している。求人広告を何度も出したが、まるで人は集まらない。なんでだろう。

一つは、社会保険完備じゃないこと。低賃金でありながら、ハードな労働であること。単身者の寮は完備しているが、一つの3DKアパートに最高6人という集団生活であるため、わがままな暮らしに慣れた現代人にはかなりの負担になるらしいこと。さいごは、これが一番考えられるのだけど、ほかにもたくさん条件のいい職場が求人をしているため、うちのような弱小警備会社まで食指を動かさなくても済むんじゃないかな。

真剣に考えた。自由にわが社の求人コピーを出していいというのであれば、こんなのはどうだろう。

「愛する妻子にあいそをつかされ、ひとりっぽちになってしまったあなた。なんの生きがいもなく、たまるのは借金のみというしょぼいあなた。わが社へきたれ!どこよりも低賃金で、朝も夜も昼も連日休む間もなくこき使って差し上げます。禁欲的な寮生活は、あなたを規則正しい仙人生活へと導いてくれるでしょう。どこよりも安い生活費で、こつこつと毎日を確実に積み重ねていけば、火宅から抜け出すコツのようなものがみえてきます。そのとき、あなたのすさんだ精神は、むだな贅肉をすべてこそぎおとして復活し、健全な人生の指針ともいうべきものが、キラリと少女マンガの大きな少女の瞳に灯る星のように、きっと必ずみつかります。わが社には、そのための大切ななにかが、原石のままあります。さあ!みつけるのは、あなたです。わたしたちは全員一丸となってあなたの決心を応援します。身一つで、さあ、飛翔しましょう。かぎりない未来へ。」

うーん。笑うしかないか。
でも、ほんとうに、そういうかんじの会社なんだよね。これは胸をはれる。

2007年9月29日 (土)

わからない。

きのうは現場仕事があり、隊員の格好で早朝出社した。が編成の組み換えで外にでなくてもよくなる。あーあざんねん。久し振りの現場仕事を楽しみにしていたのにな。

七月から電話の応対と伝票整理がとてもいそがしい。交通誘導警備現場が忙しいためだ。ということはですよ、建築現場が多忙という意味なのだよね。九州新幹線のほうに隊員を取られるから忙しくなっているのだろうとのはなしです。でも、どうもよくわからないな。

年に一度の割で取引先の倒産に遭い請求が回収不能に陥る。私が勤めだして十ヶ月になるが、その間にも一件倒産した。老舗とよばれる地方の大きな土建屋だったが。最近は情報会社に取引先を調べてもらってから仕事を引き受ける。それがね、これまで五十近い会社を調べてもらったが、そのどれもABCランクのC評価以下ばかりで、まだそれ以上をみたことがないんです。

警備会社という世間の最下段にいると、世の中の動きが敏感に伝わる。建築業界は政治とじかに連動しているんだということがよくわかる。地方の建築業界はさっぱりうるおってない。

http://www.kuniomi.gr.jp/chikudo/forum/kb.cgi?b=iwai&c=e&id=2904

2007年9月27日 (木)

うううれしい

うううれしい

はじめてあたった。
苦節五十二年。(と十一ヶ月)。
人間、くじけちゃだめだ。いつかいいこともある。

あれはいつだったっけ。十年ほど前、納豆の丸美屋さんの懸賞で宝くじにあたったのが最初でさいごです。(というと、えーっすごいやん!って思うやろ。それがなんてこたない。たからくじ十枚をゲットしただけで、肝腎のくじにははずれたんだよー

2007年9月25日 (火)

満月までもうちょっと

満月
満月
満月
久留米市六ツ門。

きょう、会社でかなしいことがあった。隊員・営業募集の広告をみて応募してきた人が、研修二日目の今日、社会保険がないと聞いてやめてゆかれた。少々お給料が安くったって保険があると思って応募したのに、と恨めしい顔をなさった。気の毒でなんと慰めてよいかわからない。教官とふたり、はやく気づかれてよかったと言い合う。経営者ではないから、待遇面に口をはさめない。しかし、いろんな人が実にたくさん、素通りしていかれる職場にいて、なんともいえない無常をかんじる。いいわるいではない。そんなちゃちな正義感を振り回すほどガキではないし格差社会がどうだと一席ぶつ気概もない。ただこれが現実だとおもうだけ。

四時で仕事を終え、帰りに合川町の明治屋で魚肉類を買い、五時前には帰宅する。と次男が疲れた顔で、おかあさん、今日は送ってくれない。という。

りんごをかじりながら、ふたたびクルメへ。写真は夕方六時ちょっとの六つ門、福銀の地下駐車場に車をとめて、向こう側へ渡ろうとするときれいな月にきづき、またよりもどって携帯カメラで撮影。あおい空からくろい空になるまでのきわどさ。道路をわたりきったら暗くなっていた。ふしぎよねえ。時間のそくど。銀行街のまえにはもう屋台がでていた。

2007年9月 5日 (水)

軽トラで

昨夜九時半ころから次男を久留米まで軽トラで迎えに行った。
自転車で塾に行ってた。

帰宅まぎわに土砂降りの雨が降り出し止まなかった。自転車で八女ー久留米間は一時間近くかかる。重い荷物を前とうしろにもって(うしろのはスポーツバッグ)、カッコつけのため紐がけせず微妙に手で押さえて走る。ときにアイスを手にもつ、携帯も鳴る。おそろしい。あんたは千手かんのんか。

五時半すぎに出て行ったのに、塾からむすこさんがまだ来てない・・と電話がある。さてはと思ってたら、七時半を過ぎ今つきましたと連絡がある。やはり最初にジムに行きサンドバッグをぶんなぐってから塾に行ったんだな。これは血だ。ドアをこわされるよりはましだと思うことにしよう。

軽トラに自転車を積み、ご要望にこたえ、桐の家うどんやで夜食をたべて帰る。カレーうどん海老天のせを、豪快に、かつ麺の身のふりかたにも気をはらって食べていた。けっ。

(私のひと月のお給料は、次男の教育費に全部飛んでいくのであった。)

2007年9月 4日 (火)

チャリ、かえる。

数日前に盗られた次男の自転車がみつかった。親切な方が学校名が入っている放置自転車を学校に通報して下さったのだ。先生からもらってきた地図を見て息子と受けとりにいく。我家産いちじくと蹴洞饅頭を持って。たすかりました。あれで筑後や久留米までも往復しています。

博多にいたころにも、二度盗まれた。ママチャリと小学生だった長男のマウンテンバイク。どっちも偶然私が見つけ出した。気にかけていると必ず戻ってくる。

博多から八女へ引っ越してきたときにも、祖父母に買ってもらったばかりの五段切り替えつき自転車をカギをかけたまま盗まれ、放置されているのを、長男がべそをかきながら抱くようにひきずってきたことがあった。あのころいじめられていたようだ。そういうこととは知らず、近所の人に聞かされ心配したものだけど、ひとりぽっちでよく耐え、彼は彼なりの人生哲学を学んだと信じる。・・じつは、岐阜から帰ってきた。大学へ復学するという。自分が何のとりえもないことが、半年実社会へ出てよくわかったらしい。祖父母がだんだん弱ってきてるから、いちじくの出荷手伝いかれこれ、運転免許を持った長男がいてくれるとほんとにうんと助かります。ありがとう。

息子達よ。
じっくりゆっくり、自転車並みのスピードでいいから、信頼できる大人の男になって下さい。

2007年8月13日 (月)

流れ星

昨日は高校の同窓会だった。
夕方の六時に始まり、きっちり九時に終わる。
みな、ふけてた。ことにおとこ。(笑。ひとことでおわり)
あ。ひとり若いのがいた。13才下の嫁さんもらって、もうすぐ子ができるって。彼はその昔、久留米から天神までの電車通勤仲間だった。あのころよりずっと若くなってた。おめでとう。今が旬なんだね。

久し振りに会ったなつかしき友数人と喫茶店で二次会しようとコレクター(店の名前)に行ったら、閉まっていた。次に、しにせの志摩に行ったら、ちょうど閉まるところ。それならとファミレスに行く。すると、先に帰った友二人がすでにいて、おなじコースで此処にたどり着いたのがわかる。

なーんだ。主婦がおもうことは同じね。

そこで5人(独身一人しゅふ四人)、いろんな話、他愛ない思い出話をして、また車をとめていた場所にもどる。でも別れがたくて、駐車場でも三十分ほど話した。いちばん最後にしたのは、来年の全校同窓会に呼ぶ講師、五木寛之だといいのにね、ということ。講演謝礼、120万円が相場らしいけど、高くても、彼なら券が売れるだろうね・・と。

そんな話をしてると駐車場のライトがさっと落ちた、帰れといわんばかりに。
空をみあげると、すぅーっと斜めに流れ星。

あー流れ星!

どこどこ。(たえちゃんさっちゃんは見ていない。バーカ)

ちゃんと空みてなきゃ・と言ってるそばから又流れる。

ほら!

えーどこ?

間がわるいんだから。
そう、これは運だし、シンクロの問題。

あのころ好きだった人をすこし思う。来てなかったから。三年間片思いだった人。最後に会ったのは十五年ほど前のクラス会。何を話したのかを覚えている。いま、あの歌が好きっちゃん。って彼は言った。なに。と聞くと、歌ってくれた。サンプラザ中野の『大きな玉ねぎの下で』。

どうしてあんなにひかれたんだろう。背は低いし男前でもない。ただ最近わかったことがあって、彼の母とうちの母は同窓生だった。八女郡の山奥の小学校の。(でもこれ、関係ないよね。)
縁ってふしぎだ。

もうひとつ。三年生のとき興味で一回デートした人は来ていて、うんと離れたところから視線があった。お元気そうでなによりです。

同窓会。十年に一回っていい。世話人さま、お世話さまでした。

さいごにこの歌を。サビしか歌えませんが。 
『流れ星』 HOME MADE 家族 。http://jp.youtube.com/watch?v=pjig3beCAFs

2007年8月 8日 (水)

指輪

6月の旅行直前、郵便局で指輪をなくしてしまいました。

切手を貼ったり書き物をしているときに抜け落ちたものと思われます。ふだん装身具をつけないのに、そのときはなぜかしてました。家業の苺栽培を手伝っていたころ母がかってくれたもので、シンプルなデザインが気に入ってました。薬指がきつくて小指にしてたのがいけなかった。

無意識のうちに抜け落ちて、あれっと気づいたときには見当たりません。どこで・・・?
その小さな郵便局しか思いつかず、会社帰りに立ち寄り、指輪が落ちてませんでしたか。とても大事なものですから、もしでてきたら、とっておいてくださいませんか。・・と、頼んで帰りました。

しかし、出てきません。すっかりあきらめていました。
ところが二ヶ月近くたとうかという昨日、郵便物を出しにゆきますと、局員さんが一丸となって私を呼ばれます。なにかと思えば、「指輪が出てきました!!」 。
滅多に掃除しない場所を掃除していて、出てきたそうです。笑

うれしかった。振り返れば、夫からの結婚指輪は、新婚時代の育児生活で紛失してます。二人目までは布おむつでした。水洗トイレでウンチを流していたとき、ゆるかった指輪がするっと流れてしまったのです。うわあ、なんてなつかしき思い出!!

指輪、意外と重たい。まるで枷のように。
なくしたのに気づいたのも、いやに指が軽いなと想ったからです。
神隠しみたいな出来事でした。

2007年7月24日 (火)

現場、暑し。

まひるに現場に出ました。

朝七時半、ボスから電話があり、みんな出はらって自分もこれから現場に立つから、事務所に来たら、掃除をして伝票整理と二十日締めの請求書書きをしたら、お昼からちょっとだけ替わってくれない。とのこと。

ままままさかこんなに早くから現場仕事が入るとは思ってもいなかった。とりあえず、制服用のベルトとスニーカー、必需品です。それと日焼け止め。

代わったのは真昼の一時です。モデルハウス展示場に建築途中の物件があり、クレーン車の横に立たなきゃいけない仕事でした。でも、またまたぜんぜんひまで、というのは、暑いから、大工仕事をするひとたちが一時半まで休憩されていたからです。笑。もちろんクレーンも動きません。

しんしんと肺碧きまで海のたび

あまりのしーんとした暑さにこんな句が浮かびました。字がおおきくてびっくりしますが篠原鳳作です。はい。ぜんぜん関係ないです。じっとしていても汗がぽとぽとこぼれます。日焼け止めを乗り超えて溢れ出る汗って、ろ過されたきれいな汗だなあ。と感心して足元におちるのをみてましたが、「日陰にいていいよ」 と、やさしい○○工務店のおじさんは言ってくれました。そういえば、以前、鳥栖の現場で死ぬほどたいくつな警備をしたときも、おなじ工務店で、とてもやさしかった。(あのときは冬で、肉まんにお茶というおやつまで出して下さった。しごとは何もせずきょろきょろ散歩してまわったのにもかかわらずもうしわけないことでした。一流の工務店はさすがであります。)

夏の現場と冬の現場、さて、どっちがましかなあと比較しているうち、うちの会社の隊員さんが交代に来てくださいました。たったの三十分あっと言う間のたちんぼうでしたが、現場のつらさを知るには充分でした。冬がいいと思いましたね。逃げ場がないんです暑さは。

会社の事務所は冷房を入れていません。それもむべなるかな。現場仕事をしている隊員さんたちに申し訳ないですものね。窓をドアを開け放ち、風を入れれば、さほど暑くはありません。(風のある日は、ですけどね。)おかげでやせました。これが自然なバイオリズムだとおもいます。

2007年7月19日 (木)

実踏

久留米祭りの準備委員会の人が、事務所にヘルメットを借りにみえました。きれいに洗ってしまっていたヘルメットから十二個ほどお貸ししました。なんに使うのですかと聞いたところ、「警察も来て、ジットウするんで、ちゃんとヘルメットもつけていないといけないんです」とのお答えでした。

じっとう?

じっとうというのはね。
漢字で書くと、実行の実に踏むという字。警察用語です。

と言われます。業界用語は難しいです。

(これ、なんのことかわかりますか。イベント警備の打ち合わせです。実際に現場でやってみることを「実踏」というそうです。)

今月から仕事が忙しくなってきました。それにつれてみな、真剣になりました。もはや以前ののんびりだらりんとした隊員さんたちじゃありません。きりりとひきしまってきました。資格試験の合格をめざして、本気が出てきたのを感じます。やればできるやん!!ってかんじです。いつか書いた、長崎出身のおじぞうさんは、すごいです。いつも模擬試験は百点。無口で年に一度か二度しかしゃべらないのですが、とてもあたまがいい。ただ、実技がまだへたです。笑

梅雨も終わったし(きのうは蝉が鳴いてた)、さあ、熱いあつい夏がはじまるぞ。私もがんばる。なんか、だんだん二級の交通誘導員の免許ほしくなってきた。電車見張りの免許とか指導員の免許とかいろいろあって、警備の世界はおもしろい。弱小警備会社がうようよで、なかにとても傑作な人たちがいる。ああ、いつかくわしく書きたいなあ!!

今日会った62歳の別の警備会社の女性ボス。柔よく剛を制すのお手本みたいなひとでした。おとこどもをやわらかくあごでこきつかって、じぶんでも人手が足りないときは夜間の警備にも立ち、ほぼすべての資格を持っておられ。パソコンもワープロもできる。この仕事が大好きって生き生きとしておられます。とてもかわいくてきれいな62歳、見た目、50くらいにしかみえません。マイボスの目のまえで、彼女からくどかれた。保険のあるウチにきませんか、と。(おそろしいひとだなとおもいました。)

2007年7月16日 (月)

針仕事

子が制服ズボンに大きなカギ裂きをこさえてきました。自転車通学中、なにかにひっかけたんでしょう。針と糸と余り布でなおしてみることにしました。

職場ではひんぱんに針仕事をします。ユニフォームの破れを繕ったり、ワッペンつけかえ(胸と上腕)など。針に糸を通してぽちぽちと一目ずつ縫っていると、自然とこころがなごみます。ふしぎです。

※「カギ裂きの直しかた」検索で出あったブログです。

http://www17.ocn.ne.jp/~ps2005/sub038.html

このなかの五月だったかな。手作りのギャザースカート見てたら、中学生のころの夏休み、近くのホリシタさんって若いおばさんとこに行っては、子守をしてあげながら、洋裁を教えてもらったことを一気におもいだしました。夏休み、大好きでした。

もうひとつ、出会ったです。でも、カギ裂き、どこにあるの?http://www.geocities.jp/echigo_gifu/nikki.htm
かぎざきのなおしかた。
かささぎのなおしかた もしりたい。笑

2007年7月15日 (日)

祖母の命日に

一昨日は祖母の十三回忌でした。お坊様にお経をあげていただいて、そのあとは、矢部川城というところでみんなで食事をいただきました。

梅雨さなか、矢部川べりのそこは、とうとうとした黒い水明かりのなか、ゆらいでいるようにみえました。すぐ近くには、高橋甲四郎先生の御宅が見えます。先生はお元気だろうか。ふと心を去来するものがあり、先生のお父上の高橋昇博士の御命日も、たしか七月十日だったなあとおもいました。http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_01af.html

わがやのハルエばあちゃん(明治29年生れ)は高橋昇博士とおなじ上妻尋常小学校に通っていたのです。先日、高橋先生のところに記念アルバムを持っていったとき、おなじ見開き頁にそれぞれの名前があり、写真もあるのを発見し、たいそう驚きました。明治三十年代のことですから、百年も昔の話です。もっとも、集合写真のなかのどれが昇博士でハルエばあちゃんかは、さっぱりわかりませんが。

そういえば、先月「虹の足」の題の記事に先生が下さったコメントが忘れがたく、それを無断ではございますが、ここに引用したいとおもいます。縁の微妙さというか、シンクロニシティの絶妙さにうなるほかありません。

息子さんの「図書だより」の、二番目の『評伝 ウイットフォーゲル』の名前と、翻訳者の「堤静雄」先生の名前に目を奪われました。
 なぜなら、堤先生が大学の先生たちと、「ウイットフォーゲル」の本を翻訳されているころ、私は同じように大学の先生(飯沼二郎、宮島博史)たちと「朝鮮半島の農法と農民」を出版していたのですから。
 そして、堤先生が拙宅にやってきて、「貴方が出版された『朝鮮半島の農法と農民』と、私が翻訳した『評伝 ウイットフォーゲル』とを交換しませんか」
という申し出でがありましたので、交換したことがあります。
 どちらも同じ厚さの本でした。
 そういうわけで、堤先生は時々拙宅に遊びに来て、私の父の記録を見ておられました。その記録のなかに、今から70年ぐらい前、ウイットフォーゲル氏と、私の父とが中国で会って、いろいろと研究上の会話をしている記録があるのを発見されて、堤先生は思わずうめきました。
「ああ、寒くなった。背筋が冷たくなってきた」
                    (高橋甲四郎)

※ 注記:私の次男の通う学校に堤先生は数学の先生としてまだいらっしゃるようです。(もっとも、むすこは知らないといいます。高校の先生かもしれませんね)。

2007年7月14日 (土)

山笠に、こんな台風の夜に

夫。

長法被を着て、雪駄を履いて、祭装束一式を風呂敷に包み、夜八時、まだ台風のかぜも収まらぬ中を、一路博多へ。

いかないのかとおもっていた。だって今朝は六時起きでもうすでに、中州川端の蕎麦屋さんに蕎麦を買いにいき、それをお得意さまに届けてまわる仕事をすませていたから。

そうだった。
あすは追い山だった。・・・徹夜だろうな。単身赴任中もずっと山笠には参加しているとは聞いてたけど、長く別居していたから、忘れていました。

2007年7月 4日 (水)

目のやり場

東京で移動するとき、電車に乗った。ときに間違え、逆方向のにも乗った。前田圭衛子先生と上野から四谷まで、途中秋葉原かなんかで乗り換えながら、ともかく大久保風子さんのご親切な案内図どおりに乗ったとき、およよ。目の前方ななめ四十五度の角度のあたりに、うわあー抱き合っている!おとこのことおんなのこ。はずかしい。公衆の面前でかくも堂々と真昼間から。前田先生と、目のやり場に困りますね、といいながら、ちゃんと見るべきは見てたというかな。笑

そのとき、先生の前に立っていた初老のおじさんがぽつりと言った。まったくちかごろのわかいもんは。みせつけてやがるもんなあ・・。

先生は、ほーう。さすが東京だわね。大阪じゃまだ見ません。こんなはずかしい国になってしまって。兵隊さんに行って精神を鍛えてもらってた昔のほうがよかったですわ。・・と独り言をおっしゃっていた。

きのう辞任した防衛相のひとのよさそうなお顔が、いま、なぜかぽっと脈絡なく浮かびました。

2007年6月28日 (木)

父の田まわり

父は(私もだけど)五時起きします。田植え後の日課として、まず、田まわりをします。

今朝はなかなか帰ってきませんでした。用水路の堰に藻が大量に絡んでいて水が流れなくなっていたそうです。それで、おなじ村のお百姓仲間に声かけして、二人で藻を三十分もかけて揚げたそうです。四人いるのですが、一人は会社に行って留守、一人はまだ寝ていた。(この人は私もじっさいみたことあるけど、みんなで溝さらいをやってるときも、一人だけ川のなかに入らないで横着する。しかりとばしてもそう。しかたない。頭のなかを村八分ってことばがマジでかすめるのはこんなときです。笑)

この藻は、田植え前の米作りお百姓専用「溝さらひ」のとき、たくさん掻いたけれども大儀でまともに揚げなかったのが、結局は雨のちからで流されてきたものだったそうです。川の横っちょに揚げていたらしい。二度手間になりました。

どんなしごとも、自然と立ち向かうときには、本気が要求されます。

と、ここまで書いて、ひとごとみたいだなあと反省しました。ほんとは父はとっくに隠居していて、私がしなきゃいけないことだから。

2007年6月22日 (金)

あすは闘牛フェスタへ行こう!

闘牛フェスタってのが、八女であります。

正確には、あそこは八女じゃなくて筑後かな。境界。(八女インタからまっすぐ南へ三分。アスタラビスタ近くです。)

http://homepage2.nifty.com/sagyousyo/

↑このなかに、この闘牛フェスタの意義とか徳之島での闘牛の歴史とか詳しく説明されております。出場選手の牛たちも紹介されてて、そのなかでも、

まだら狼赤とんぼ号
福岡県星野村出身 870kg カケ・速攻・マキ割り
4歳8ヶ月
牛主
という牛と、ソフトバンクホークス号という羊のあたまの牛が私の目をひきました。・・でもよわそう。(名前にとんぼやらソフトやらが入ってるからかも)

徳之島から牛を二十頭ちかく連れてきて、やるんだって。駐車場も四千台オッケイとか言ってたなあ。もちろん、テレビカメラが入る。

なんでこの梅雨時のしめっぽいときに牛なのさ。ってみんな思うよね。ことに筑後地方では田植えの真っ最中なんです。そういうときって興行的にどうなんでありましょうかしら。雨が降っても降らなくても、決行らしいですよ。

勤め先がイベント警備も請け負ってまして、あすとあさって、15人ずつ送ります。いわゆる雑踏警備です。無線をもって要所要所に立ち、巡回したり、保安と安全のために(っておんなじか。笑)働きます。駐車場の誘導もやります。いくつもの警備会社で合同警備します。きょうは、その気合入れ式がありました。見ててきもちいいものです。よっしゃあ、いくぞー!!って気になりますもん。討ち入り間際の新撰組とか赤穂浪士とかの隊員のきもち。え。ぜんぜんちがう。

おひまなかたは、いえ、お暇じゃなくても、みなさま、ぜひ行かれてくださいませ。徳之島関連の出店がたくさんあるそうです。私も行こうかな。隊長と隊員たち(紅一点がおられますです)の働き振りと、ゴツイ牛(すごく大きい)を見に。

関連:http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4724/

2007年6月18日 (月)

年金のことで

仕事中、先週おもしろい電話がありました。

三年前の一月、そちらに勤めていた。給与明細が一枚ある。それによれば、厚生年金も健保も雇用保険もみな引かれている。じぶんの記憶では、その前年の暮れ、11月、12月と三ヶ月ほどおたくに勤めたようにおもう。そちらにも記録が残っていると思うから、確かめてはもらえまいか。

というような内容です。きちんと名前を名乗られましたので、あとでボスに尋ねますと、そんなひとは記憶にない。それにうちは社会保険は一切、引いていない。なにかどこかの間違いだろう。と言われます。

そこで、次にかかってきたときに、その旨伝えますと、おかしいな。そちらでもらった明細書だと思うが。といわれる。

こちらの明細書はいまだに手書きの昔なつかしカーボンコピーのです。社印も二重に押してます。その社印がありますか?と問うと、おや、そんなものはない。といわれる。

じゃあ、ほかの会社のですね。いま、年金のことで問題になってますが、社会保険庁に行けば、すぐに点検してくれると思いますよ。こちらに聞くよりも。・・と言って、おしまいにしました。

いま、どこの会社でも、こんな問い合わせの電話がかかっているのでしょうね。(社会保険完備ということが、いかにすごいサービスなのか、を、つくづくかんがえるこのごろであります。)

2007年6月16日 (土)

宇宙少年ソラン

数日前の「九州俳句賞」に、おなじ九州俳句同人の熊本の中山宙虫さんがコメントをくださいました。

宙虫と書き「そらん」と読むのです。たちまち心に歌が流れました。

丘を越えて、ららら星の彼方

あちゃー。これは「鉄腕アトム」です。谷川俊太郎の詞。

ソランは、冒頭だけしか覚えてないけど、こんな歌でした。

そらんそらんそらん

はるかな彼方から

そらんそらんそらん

虹をこえてやってきた

・・・どうもちがうような気がします。

遊星少年パピイとアトムとソランは似ていたと思うのです、歌が。

それで三つ巴になって出てきます。困ったことだ。って単なる老化ですが。

ところで、宇宙少年ソランを回想してましたら、ちゃんと資料があり、それをみてたら、竹宮恵子の「地球へ」に出てくる宇宙リスが、こんなとこにいるじゃあーりませんか。http://members.at.infoseek.co.jp/sonosheet/soran.htm

こんな絵だったの。シェーショックー!!記憶ではもっとカッコよかった。でも歌詞は合ってる。安井かずみだってさ。ほえータイガースの作詞をいっぱい書いてたあのひと。

これがすきだった。

振り返るには まだ早すぎる

あおい風のものがたり

一人のときに 書いた日記は

いつの日か ないて読み返す

限りない夢見て 

夢としらない青春

(これ、なんだすやろか。歌詞と曲は出てくるすらすらと。でも題がわからん。私っておセンチだったのか、こげなんがすいとったとですね。)

もうお亡くなりになりましたが、安井かずみの詞はわたしたちの青春そのものであった、とおもうのであります。

さいごにソランさん。コメントとトラックバックありがとうございました。私もそちらにコメント、トラックバックをしようとしたのですけど、うまくいきませんでした。すみません。(どうもIDナンバーがどうのと出てきたら、即、さじをなげる癖があります。)

これにこりずにまたおいで下さい。笑

中山宙虫さん、おじさん日記:http://musinandanikki.at.webry.info/200706/article_4.html

※ 安井かずみさんのことを調べてたら、石橋秀野や眞鍋呉夫先生とおなじ文化学院を出ておられたことに気づきました。

2007年6月15日 (金)

久留米を走る

市内荘島の現場に報告書を届けにいったのですが、小雨が降ってました。

仕事量が少ない日にぽつぽつ多い日がまじりはじめました。暇な日は、教育係の教官が隊員さんを集めて、交通誘導技能資格試験の講義をなさいます。その様子を仕事しながら見てました。おかげでこんどの試験では久し振りの合格者が出ました。みんな泣いて喜びました。笑

世間的には苦労されている人が多いのですが、気持のまっすぐな人ばかりで、感じがいいです。どのひともそれぞれ個性的で素直で大好きです。こころのきれいなひとばかりです。本当にここへ来てよかったなあ幸せだなあと思います。ただ、事務としては、前借という名の給与がたびたび出まして、帳簿付けがこまごまとたいへんです。

梅雨入り

おとといの夕方からようやく雨がぼそぼそと落ちだして、ともかく、無事に入梅したようです。

雲が薄くて、心配しました。

先週の日曜、年二回の村総出の溝浚いとは別の、米作り農家だけの田植え前の溝浚いに出てきた父が、この調子だと水が少なくて、田が植えられんと言ってましたから、気にかけてました。まずは、めでたい。

お宮の前を流れる小川べりの「苗代グミ」の木に今年もぐみは実をつけたことでしょう。数年前父の代理で溝浚いに出、川に入ったとき、それを見つけました。そのとき、こどものころの野生的なじぶんとじかにつながった気が、たしかにしたのです。

2007年6月11日 (月)

おっと、誕生日おめでとう。

きょうはおっとの53才の誕生日です。おめでとう。

これまで何にもあげてなかった。給料を搾取するだけで。笑

それで、キャサリン・ハムネットというロンドンのデザイナーのタイピンとカフスのセットを贈りました。私にはすごく高かった。

http://www.katharinehamnett.jp/catalogue/mens/tiep.html

↑これです。とてもきれいです。

単身赴任中に仕立券付きシャツ生地をもらっていたようですが、それさえ仕立てにゆく暇がなかったらしく、見れば、期限を二年過ぎてます。もったいないので、井筒屋の人に尋ねてみたら、期限をすぎても、生きているって。ただ生地の交換ができないだけですって。福岡三越の券。わざわざ行くのは億劫な年だし、博多にいる娘にあげよう。

おっとは、朝七時には家を出、毎日帰宅が遅いです。単身赴任のときと違うのはお昼に家に帰って朝つめたお弁当を食べて又出て行くことです。営業の仕事はとても大変と知ってましたが、自分が働くようになって、身にしむようになりました。感謝のきもち、足りなかったよね。ありがとう。これからもがんばってください。お互いの老いをいたわりながら、たがいの親の老いをいっしょけんめいみていこうよね。さいごに、妻をちょっとあそばせてください。(もうじゅうぶん遊んでいるやん!という声)

法事の案内状

七月の祖母の命日に、この家で五十年近く前に亡くなった祖父と三十年ほど前に逝った私の弟の三人ぶんの法事をいっしょに営むことになり、親類縁者に案内状をお出しした。

原文は父が書いた。
ワードで打ち込みプリンターで葉書に印刷すれば、ものの二十分とかからない。でも、父の無骨な文字を見ていたら、手書きにしなければいけないと思えてきた。二十人ぶん(博多に住む長女と岐阜に住む長男にも出すから)書いて、投函した。

茂平じっちゃんの五十回忌と、ハルヱばあちゃんの十三回忌、義章の三十三回忌が、待っています。もうすぐ、なつかしいみんなにあえます。

2007年6月 8日 (金)

血が出てます

きのう家近くのスーパーのさかなやさんで、こぶりのアマダイ一尾98円というのを五つ買うか四尾にするか迷った末、四つ買った。自分でふくろづめする式の買い方。レジでバイトの娘さんが言った。

「これ、なんてなまえのさかなですか。」(あまだいというと、価格の一覧表をみて、打ち込み)

「血が出てますが、いいんですか。」

思わず笑いがこぼれて、いいんですいいんです。

2007年6月 5日 (火)

がさいれとぬりかべ

昨日、勤め先はたいへんでした。

査察があったからです。何の事前予告もなく、けいさつの人がふたりもきて、帳簿や日勤簿を不正がないか、ちゃんと書類や届出は済んでいるか、二時間もかけて調べてゆかれました。

お弁当をひとり事務所で食べて本を読んでいると、玄関ベルが鳴り、入ってみえたのは刑事さんが二人でした。独特の空気をまとっておられますから、セールスや営業の人とは異質です。応接室に招きいれ、誰もいないことにあわてふためきました。社長と専務を携帯電話で呼びますと、社長は駆けつけましたが、直接の上司である専務とは連絡がとれません。私の仕事は、彼女に与えられたものをこなすのみでしたので、全体像がつかめておらず、質問があったとき資料を正確に出すことができないのです。はらはらしました。六月になったら査察が入るということは皆承知していたので、そのための用意を整えてはいたのですが、いきなり来るとは。

途中しまった!と思ったことが一つありましたが、なんとか無事査察をクリアー、刑事さんたちは帰っていかれました。

ホッ。

でも、帰って見えた専務は、肝腎なときに連絡がつかなかったことを社長に責められ、その上、私の不注意ミスに気づかなかったことまで責められて、げんこつされていました。ほんとにごめんね専務。

いつもより一時間もおそく帰宅しますと、なんと部屋の壁が壊されています。左官さんが古い壁を新しく塗り替えるらしいのです。でも、いきなりはないでしょう。

査察といい、壁を壊すことといい、事前に言ってくれたら、こころづもりができていたのに・・・。(壁塗りは、親が言うには、来月の法事に備えて、知人の左官さんに頼んでみたら、今からすぐ始めようとはなしがまとまったからだとのこと。

それにしても昨日、ダニに好かれる夫が一人で二階の部屋の掃除とバルサン焚きをしたのは、なんだったんでしょう(私は虫にも嫌われるタイプなので、噛まれないから平気なんですよね。これ、鈍感力っていうんじゃなかろうか)。せっかくきもちのいい部屋になったのに、今日はもうとんでもなくすごいことになってしまった。今週いっぱいはかかりそう。

※ 上記の用語で、一つ間違った使い方をしているかもしれないのは、「査察」です。これは会計用語か税務署用語かも。ほんとは、「立ち入り検査」がただしいようです。(気になって、今日、ボスに確認しました。ささいなことだけどもね)

2007年4月27日 (金)

シスアド入門  1

キャノンのプリンター(2台目。2003年11月購入)が動かなくなりました。ベスト電器に修理を依頼したら、窓口の人とパソコン談義で盛り上がり、気づけば一時間近くも話を聞いていました。

「動かなくなったんで、修理に出したいんですが」

「修理、最低でも七千円以上かかりますよ。一応出す前に、どの程度の不具合か見てみましょう。壊れていると思い込んでるだけかもしれませんからね。それとか、パソコンの入力ミスで、恐ろしく仕事が溜まっているとかでも動かなくなりますから。接続してみましょう。」

(接続する)

「・・ちゃんとつながりますね。でもスイッチが入らないな。どこかが悪いんでしょう。買いだめのインクがあるんだったら、修理に出したほうがいいけれど、今プリンター本体は一万円も出せば新しいのが買えるし、修理より買うほうが安いんですよ。プリンターのメーカーは本体で利益を出してるんじゃなくて、インクリボンで儲けているから。」

「そうなんですか。ところで、あなたは何でパソコンを習得されました?」

いろいろ連句的に話しているうち、この永田さんという店員さんに俄然興味がわき、修理はそっちのけ、インタビュアーに変身してしまう。笑

それほど、このひとの話と経歴はおもしろいものだった。なんというか、パソコンというおもちゃばこの概念から変えてしまう魅力的なお話を実体験に即して、生き生きとなさった。パソコンを学ぶことで、人生が変わった、とおっしゃる人に初めて出会った。私はただワープロの変わりにパソコンを学んできたに過ぎないのだが、この永田さんという人の話を聴いていたら、もう一度、自分で独学で、「シスアド」(それが何か、はっきり言ってまだぜんぜんワカラナイ!でも、なあんかかっこいいじゃない)を勉強してみようという気分になる。

単純だが即、「よくわかるマスター初級シスアド」テキストを買う。こんなときの自分は、ほんっとにおめでたい。(いいのだ。だれに迷惑かけるわけでもないし。)

んで、肝腎の修理。

けっきょくプリンターを買ったとき、五年間保証をつけていたことに気づき、あと一年ほど有効ということで、修理に出してみることにしました。

どうか、治りますように。パソコンの神様、お慈悲を。できるだけ無料で済みますように、そこんとこ、4649!

※最近、よく読まれているパソコンがらみの「かささぎの旗」の記事:

「ブラインド・タッチ」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_72db.html

5月12日の追記:

これは結局、修理に出したつぎのつぎの日には修理完了の連絡を受けました。部品を二箇所新しいのと交換して、ぜんぶで一万二千円近くかかったようですが、購入したときに五年保証というのをつけていたため、無償ですませることができました。パソコンやその周辺機械は割りと故障が多いので、五年保証をつけると便利だなとあらためておもいました。たしか、千円くらいです。

できたコールをうけて引取りにいったとき、永田さんがいませんでした。係りのひとに聞くと、一昨日辞められたとおっしゃいました。ということは、私は永田さんの最後の客だったのかもしれません。一期一会、すごいことばです。かれのあの日のはなしは、パソコンを社会全体のなかでとらえるということをおしえてくれました。全体性のなかでパソコンをいかすということをです。あらたないり口を教えてもらった気がしました。

2007年4月26日 (木)

なんのために

土曜、高橋先生と四時間ちかく話していたなかで、先生がふと聞かれたことば、

「姫野さんはなんのためにブログにあんなに大量に書き写しをしているのです」

がこころのなかでゆれている。

そうだ。私も知りたい。何のために。かんがえたこともなかった。http://homepage2.nifty.com/buntama/kashu/146.txt

2007年4月19日 (木)

荷造り

きのう、れぎおん春号が届く。前回、前田編集長のアクシデントで二ヶ月近く遅れたことを思うと、今回もずいぶんご無理なさったろう。きれいな荷造りにいつものことながら感動をおぼえる。

さて、きのうはもう一つ本が届いた。はじめて利用したアマゾンの漫画三冊。無料配送、その荷造りもまたきれいだった。微動だにしないよう、厚紙の上に並べられた本をラップでピンとパック。

それを見て、すぐ連想したのが、いちごの集荷場での五段重ねの紐がけである。いちごってデリケートだし、生産者は摘むのもパック詰めもとても気を遣う。プラ容器に二段重ねでつめたのを四パックずつ一箱につめ、それをさらに五段にして出荷するのだが、集荷場ではその五段重ねの箱に紙の蓋をして、機械でビニール(かなプラかなポリかななんにしろそういったたぐい)バンドをシュシュシュシュぐわしゃん!と掛けて、一丁あがりの姿になる。ちなみに、しゅしゅしゅしゅは機械が紐を箱の四方にはりめぐらす音、ぐわしゃんは、アイロンで紐を切断する音と思ってください。これらの五段重をいくつもいくつも重ね、クール便の大型トラックで高速配送されるのが、みなさまのおくちへとどくのです。

なかのいちごのきもちになってみると、ぎうぎうのそのままのすがたで東京や大阪などの大都会までおくられるわけで、傷つきやすい不安なきもちだろう。それをやわらげるための、ひもがけ。ゆれないように、うごかぬように、きづつかぬように。

紐ってすごいな。
ぎうぎうのそのぎうぎう感のもつ余裕なさげな余裕、スペース感ってのは、すごいな。
すべては傷つけぬために。

2007年4月18日 (水)

上人閑居

いま、職場はとても暇です。三月二十日をすぎたころより、いっきに仕事量が十分の一以下に減りました。隊員さんたちは、なにもすることがなくて、かなしいくらいにひまそうです。ほれ。あの箴言がこころをかすめます。
 
上人閑居してふぜんを為す

昔の人はエライもんだす。みんなとはいいませんが、あさっぱらからオハラショースケさん。お酒かっくらうわ朝寝するわ。将棋をさす姿はかっこいいんですが、ぱちんこ、ふうぞくがよいとかはみたくないです。ほんまに・・。

ところが、このところ大いなる変化がありました。お勉強をなさる隊員さんの姿があちこちで見受けられるのです。

ひと月後、交通誘導員資格試験があります。そのお勉強です。試験問題集をのぞきますと、難しいことばがいっぱい!漢字は旧字なのにびっくりします。凶器もいまだに足のある兇器ですし、贓物なんてことば、生まれてはじめて見ましたよ。なんて読むのかわからん。・・・ゾウブツ。スリのことらしい。法律用語は正字を堅持してるのですかね。硬い堅い固いいしあたまの世界でありまするからなあ。
なんどやってもおなじところをまちがえる人には、先輩格の人が懇切ていねいに教えてあげてます。先月まであんなに忙しく時にはケンカもみられたのに、この余裕。今はとってもやさしいみんな。後光がさしてみえます。お金はなくとも時間がたっぷりとあることのしあわせは、かくも人をかえます。そうそう、先日テレビ放映された『海猿』も熱心にみていたようですわ。なにしろ海上保安官の制服のことまで出たりして、みょうにむずかしいんですじゃ。

2007年4月13日 (金)

一人減り、一人増え

長男が岐阜へ就職していったのが先月の六日だった。見送りもしなかったけど、前の日の夜、こんな話をした。

あんたの亡くなったおじさん、おかあさんの弟はね。いくつも高校受験に失敗して、いくつも高校を転々として、さいごは東京の警備会社に就職したのよ。おかあさんが勤めていたところとおんなじ会社。等々力というところに寮があってね。そこから来た手紙には、秋田のやつとともだちになったけど、なんていってるのかようわからん、て書いてあった。おかあさんは弟がかわいくてね。そんな遠くへ行ったのがかわいそうで、毎日のように手紙を出したら、それがよくなくてね。里心をつけてしまって、ある日、無断で仕事休んで、帰ってきてしまったん。あの日のことは生涯わすれない。会社の得意先に穴をあけてしまったから、首になってしまったわけ。アイビーエムの常駐警備で、本人は、また東京にもどるつもりでいたんだよね。でも、仕事はそんなにあまいもんじゃないから。それからだった。弟がぐれはじめたのは。ぐれるというより、うつになっていったんだけど。21で死んでしまったよ。

わかるよね。おかあさんは、あんたが遠くに行っても、元気でやっていけるなら、なんも心配せんけんね。あまえず、つよくやさしい人になって、いつか元気でかえってきてください。

長男は、黙って聞いてくれた。それがうれしかった。

息子が発った日、偶然、二人の若者が私の勤務先に入社してきた。不思議と長男とおなじ名前で同じ年であった。ところが、ひとりの太郎はその日のうちに無断でいなくなり、もう一人のナガサキから来た太郎は、二十日でギブアップ、故郷へ帰ってしまった。

うちのは、とりあえず、ひとつきは大丈夫だったわけで。勝負はこれからだよね。

それにしても手紙どころか、メール一つよこさないとは、たいしたやつだ。お金も、送ろうかといえば、まだいい。とそっけない。二十日が給料日だって。「借りた金、もどすからね。」てなことを言ってくれた。きのう、あんたの父親、単身赴任から帰ってきたよって報告の電話をしたとき。おとなになってたんだなあ。いつのまにか。胸がじいん。

これが八起のアイスだ!

これが八起のアイスだ!

えーっと、これはきのうです。(今日は春の嵐のようなひどいお天気でしたが、昨日はいいお天気でした。)勤め先でちょっとした移動があり、向き合って知らないおじさんとおひるをたべるのがくつうで外食しました。久し振りのゆめタウンでありまする。食べながら外を見ていると、若いママたちがおしゃべりに夢中でした。そのかたわらであかんぼうがいっときもじっとしてなくて、もぞもぞ動き回ってました。これはテーブルの上に乗っておかしを叩いているところ。このあと、かれはじべたに降りて、ちらばっていたおかしをつまんでは食べていましたが、ママは気付いてないだろうな。ともだちとお話中だったから。わんぱくでもいい。たくましくそだってほしい。笑
これが八起のアイスだ!

筑後川をはさんで、あちらが、宮ノ陣です。

これが八起のアイスだ!

いつか、さくらさんのデジカメ日記でご紹介の八起のアイスキャンデーをたまたま営業のえむさんがパチンコで勝ったと言って、みんなに買ってきてくれました。「おお!」これがそうなの!!という感激で、ついかぶりつく前に記念写真をとらせていただきました。本望であります。あずき味。妙にさっぱりとしたなつかしい味でした。↓さくらさんの紹介記事。http://blog.goo.ne.jp/ssj19430903/e/e5a856daaff9e69fba0c7049b233dab5

2007年4月12日 (木)

まとふはおのがひかりのみ

○○のまとふはおのがひかりのみ  水原秋櫻子

おとといの夕方のシャクナゲがあまりにきれいで、それをみてたら、上の句が浮かんで、○○に何が入っていたのかを思い出せず、いろいろと首を挿げ替えてはああでもない、こうでもないとやっていた。

白菊の、寒菊の、などのような菊の気がした。菊だ。ぜったいそれは間違いない。でも、なんの菊だったのだろう。

東京都知事選に、むかし夢中になった男が出ていた。笑わないで聞いてくれ。そのころ少年だった。たぶん17くらい。手書きのアジビラをまいていた。あじのひらきではない、アジテーションのビラ。じぶんは34くらいだったかもしれない。ぽっかりとこころは空疎だった。これは今にいたるまでそうであるが。朝日新聞投稿族だった私は、あまりのそのビラのおもしろさに、紹介した。ヤング雑記長ってあったやん。いまもあるかもしれん。そしたら、大きくとりあげてくれてね。ちょうど、彼が初めての本をだすのにぴたっと一致してたんだね。

若い子は政治的なものからできるだけ遠くいたほうがいい。そういう風潮が全共闘世代以後、かたちづくられている。にもかかわらず、九州の自然はたまにとんでもなく強烈なはみだしもんをうみだす。それにたまがったんだとおもう、いまにしておもえば。

かれの一冊目はうれた。堂々のベストセラーになった。局地的ではあるが。しかしそれっきり。二冊目だかに私の文章を勝手に引用していた。新聞に投稿したぶんだし、でも、たちよみしたとき、おやっとおもった。「ときどきハッとさせられて」という題の文章である。

なぜか気になるのである。それは弟への思いにつながっているのかもしれない。

それじゃ、仕事、行ってきます。

2007年4月11日 (水)

石楠花

石楠花

きのう、夫の単身赴任がおわった。五年、だったかな。これ以上続いていたら、完全にふうふだったことを忘れ果てていたとおもう。

これは昨日の夕方、ご飯の支度中に外をみていたら、あまりにも石楠花がきれいに咲き初めていて、おもわず外に出てカシャ。樫の木がいつのまにか針金を呑みこんで育っていました。十五年前くらいにシイタケをこの下で育てようとしたことがあり、針金はその名残です。とても忙しくて誰も針金をはずすのを忘れていたのです。樫の表情が、ものがなしく感じられるのは気のせいか。もんもんとしたかおしている。

石楠花
石楠花

2007年4月 1日 (日)

ビッグバンとビッグクランチの間

一週間お休みしたあいだに、文章を三本書き上げ、ただいま復帰いたしました。

文章をただ書くだけならわざわざ休まずともよかったのですが、数冊の本をじっくり読まねば書けないたぐいの仕事でしたので、時間をとられました。三本の文章それぞれが有機的に関連していて(このブログを開いてここにこうして書いていることも含めてです)、なんだかとてつもないインスピレーションを戴いた気がしてます。読者のみなさまに、心からの感謝をささげます。ことに二週間ほど前、「中村貞女の句が知りたい」(ほんとは汀女。でもこの貞女の誤字のおかげで私のブログへつながってくださったのですよね。島貞女という八女句会の俳人の名にヒットしたようです。誤字の功徳ありがたし)という検索キーワードでここへたどり着かれたかたには、お礼のことばをふかぶかともうしあげます。ありがとうございました。おかげで「張形としての俳句」、今回だれをとりあげるべきか悩まずにすみ、その上、中村汀女の句集や評伝、それに俳句の作り方指導書などを読むうち、おおいなる指南を得ることができました。

冬樹蛉さんからはきついお叱りのことばを頂戴しましたが、むしろその件をふくめて、いっさいが「ゐの年の夜空の星が鳴り始む」のなかにおかれているとおもいます。

ビッグバンとビッグクランチの間を一周期として・・・

いま、げんざい、どの位置にいるのか、やじるしで示せといわれたら。

ビッグバン:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%B3

ビッグクランチ:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81

むむむ。やはりなあ・・!やいこらウイキペディア。せっかく人が必死で書いた資料をはずすなよな。そりゃたぶんどっかで小さな、あるいは大きなミスがあるだろうさ。でも、それはそれとして、置いておいてよ。わたしはあれを見るとなさけなくてなきたくなる。現在この項目はありません。現在現在現在。いいんだよ、現在じゃない時間、もとあった時間までもどってくれたら。ミスはたいしたことじゃない。むしろ、ありがたいんだから。

2007年3月23日 (金)

お休みのご案内

前田夕暮の歌の引用の途中ですが。(他にも引用の途中で休憩している項目がいくつかありますよね。)月末までに仕上げなければならない仕事がいくつかあり、十日ほどお休みいたします。批評でお金をもらっているプロでもなんでもありませんが、アマチュアにはアマ道というものが厳然とある。身銭をきり、時間をけずり、義理を欠きして、決して売りとばさない精神です。・・と、いちおうカッコつけてみたものの、自転車操業でありまするなあ!

ところで、中公文庫の「日本の詩歌」って絶版なの。・・そうか。かなしいよのなかですね。

この7の表紙の写真が、すごいです。蓮田の写真なのですが。かきたてられる。いきたくなる。いいえ、そうではない。はなから接近をこばまれている。この世の景色ではない。写したひとにあってみたくなる。いいえ、そうではない。写したひとに会った記憶がよみがえってくる。

※ 気になったので、ちょっと検索してみました。そうしたら、すごい人でした。資料を添付します。私が持っているのは詩集が一冊と歌集が一冊のみですが、この浜谷浩という人の写真には、なにかがある。http://www.wako.ac.jp/souken/touzai99/tz9906.htm

おや。このサイト、ひょっとして、和光大学のかな。和光大学といえば、私のブログ名とも関連する漫画家岩明均のお父上の勤務なさる大学ですね。城山三郎さんが昨日なくなったことを報じる新聞を見て、その遺影が、あまりにも『七夕の国』の長老とそっくりだったことに打たれました。城山さんは広田弘毅の「落日燃ゆ」を書かれた人でしたね。

じつは、岩明均さんに尋ねたいことがありまして、あの漫画のなかの七夕、といっても今の七夕ではなくて夏至に七晩つづく火祭りは実際にどこかでほんとうにあっていたのでしょうか。それ、だれか教えてくれないでしょうか。私は気になる。(ムーミン谷の夏祭り、って本に、北欧の夏至の火祭りが出てきますが)

2007年3月21日 (水)

お宮掃除

お宮掃除

となりぐみ一班でのお宮掃除。とてもきれいです。月に二回は組長さんがなさっているし、先日は溝浚いもあって、そのときにも除草をされたみたいですね。今日は「お弘法さん」と言って、春のお彼岸参りに信者のかたがめぐってみえるので、お接待があるのでした。夕方、といっても四時半ころでしたか、あがりの村の一つ前の係りでした。って、意味わかるでしょうかしらん。昼食にあたる村と、あがりの村では食事をふるまいますが、今日はそうじゃなく、お茶だけの接待でした。年々参拝者が減り、今日は十人でした。昔は徒歩だったのに、いまは車でみえます。

お宮掃除

上記の鳥居の年号、昭和十二年。いたい年です。鳥居にある天満宮の石の扁額は、当時の首相だった広田弘毅の文字です。鳥居と本殿のあいだにある左右一対の狛犬は、弘化二年の年号が入ってまして、左が姫野一族、右が古園井一族の寄進によるものでした。

お宮掃除

すうっとまっすぐに立つ樹は、銀杏の雄株です。

お宮掃除

お宮掃除

早咲きの桜が満開でした。まるで桃の花みたい。名はたしか「陽光」でした。

お宮掃除

お宮掃除

赤ん坊のころから知っている樹。樟です。

2007年3月17日 (土)

泉のほとり

突然ですが。

今朝から気になっていた歌の歌詞を検索しましたら、わかりました。むかしむかし福島高校時代によくクラス対抗の合唱コンクールというのがあってまして、それの課題曲で、あまりにも何回も歌わされたものだから、印象につよく残ってはなれないんです。

これです!

http://www.geocities.jp/kobatoru1jp/Z35.htm

よく歌詞を読んで、わかったのは、これは兵隊さんのむすめたちとの掛け合いの歌でもあり、ぼさぼさの髪や鬚をあたってあげる理髪屋の兵士の歌でもありました。ロシアの軍歌だったそうで、それはいま、調べてわかりました。民謡のようにのどらかな歌です。

アストロリコの麻場利華さんの大叔父さんがたしか、理髪屋の兵隊さんだったのです。それで重巡洋艦・鈴谷に乗っておられたそうです。

http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/review/rv0402.htm

2007年3月16日 (金)

刈干切唄と五右衛門風呂

今日は雨がふって寒い一日だった。雨が降ると警備士は暇である。室内にいつもは私しかいないのに、今日は三人も四人もいた。寮に寝泊りしている若い隊員がいて、彼の部屋ではガス代がとても高い。七人の隊員全員がそれぞれに水をかえて風呂をたてるからだって。なんとまあ、もったいない。ビンボウ人のくせにぜいたくよね!

え。差別用語ですって。ちがうちがう。ほんとのことであるからして、いいのだ。職場ではびんびん飛び交ってますよ差別用語。ここに書けないようなこともね。でもだれも怒らない。そんなやわな人は一人もいない。きもちいいよ。それにやさしいし。

一人ずつお湯を換えるのはぜいたくだって話をしているうち、つい昭和っ子の私や社長や営業のえむさんが「自分達のこどものころは」という話をしだす。村の共同風呂の話題で盛り上がるのであった。社長の村では、五右衛門風呂だったそうで、こどもが載ったくらいじゃ板が沈まず、父親が載ってきれいに板をしずめ、それから子供が順に入ってたという話をされた。みんなで並んでからだをこすりっこした話とかも。いいなあ、こんな記憶。ふぃりぴんでは今も水道じゃなく井戸水をポンプで汲み上げているってことも、ついでに聞かせてもらった。こどものしごとだそうだ。水を汲むこと。昔の日本のこどももたくさん手伝いがあったものね。いまはなにもさせないけれど。

きのう、前田圭衛子先生捌きの歌仙があがったのだが、挙句は私がだした。その際、歌か音楽の句で軽くどうぞ、と助言があったから、いろいろと歌を考えあぐねるうち、ひょいと浮かんだ歌があった。

ここのーやまのーかりぼしゃあああすんだえー
あすはたんぼでいねかろかよー

というよな歌詞と、哀調あるメロディーも浮かんで、そうだこれは刈干切唄だったなあと思う。ところで、刈干し切り唄って、大根の切干でも作るんだろうか。父に尋ねてみた。すると、「いんや、ありゃあ馬の食べる草を刈って干すったい。夏はいいばってん、冬は草がないけん、そのためにたいがい草ば刈って干して、ほめかせておくったい。」とのお答え。そうだったのか。きりぼしだいこんじゃないんだな。

ということで、歌詞をくわしく検索してみましたら、こういうサイトがありました。宮崎の民謡でしたね。歌詞にあちこち意味のわからない部分があります。http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/nihon-minyou/sound/karibo_k.htm

追記)

挙句案として出した句:

 卒業生へ出発の歌(たびだちのうた)

 うららかに鳴る千の古壺(ふるつぼ)

 つちふるたびに鳴るよピアソラ

 出まかせ歌のうららのどけし

 センチが丘にハルジオン摘む

 小田のかはづの歌ののどけし

 炭坑節をうたふ警備士(っておい季語がないじゃん。)

へたな鉄砲も数うちゃあたる式ですな。で、どれが治定されたかというと・・蛙の歌でした。

budさん

ばどさんのばどってなんじゃろと思ってた。倉本朝世ブログで初めてみたとき、聞いたことがあります。そしたら、ジャズピアニストのバドバーエルから取った名前だって返事をもらった記憶があります。(まだピアニストについては調べてないです。)

調べると英語で花びらのことみたいです。これ、意外な発見でしたねえ。petal と全くおんなじなのかどうか、知らないんですが。まあ、戦争のwar とbattle の違いも知らない人間ですからね。笑

検索したとき、こんな可憐な繁簍の写真をみつけましたよ。貼り付けます。http://search.goo.ne.jp/blogreader.jsp?url=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fhisamtrois_e%2Fe%2Fdb5e06f1dbf57263706c3a3c637f6926&MT=Bud+Small&snum=1&DC=10

2007年3月15日 (木)

警備士のいる風景

警備士のいる風景

きのうの朝、通勤途上にて写す。ちょうどストップがかけられたので。

こういう警備は片側通行でありますよね。二人警備士があっちとこっちに立っていて、交互に車を通すのです。二人の息があってないと困ります。この誘導法のコツは・・・こんど聞いておきます。笑。すいません。場所は八女郡広川町かな。それともまだ八女市に入るとこかしら。

2007年3月13日 (火)

鳥類センター裏

鳥類センター裏

今日も十時半から一時ころまで現場仕事でした。鳥類センターはどこかと言うとですね。えーと、あそこらへんです。競技場があって遊園地があって、青少年科学館だったっけ、ほらプラネタリウムがみれるところ。そこらへんにありまする。町の名は櫛原だったかも。

少し坂になった三叉路にたって、坂下の川のうえに架かる橋が壊されてなくなっているので、通行止めだということを進入してくる人や車に教えるしごとでした。が、しかし。またまた暇でした。だあれも来てくれないの。たいくつ。下を見ていたら、こういう金目のものが目にはいりました。笑(まんなかの十字は、久留米の米の文字です。)とってったらいけません。

鳥類センター裏

これはちいさな止水栓。そのまたちいさい隙間にちいさな草がびっちり生えておった。ぐっときた。手前の行儀のいいつま先はわがはいのバスシュー。息子のを借りた。

鳥類センター裏

鳥類センターでは今日、幼稚園のよいこたちが遠足にきていました。それが坂の上からみえましたが、写真にはうつりませんでした。かすかに遠方に観覧車がみえます。川の上の橋梁工事、今月いっぱいはかかりそうでした。

2007年3月12日 (月)

鳥栖の現場で

鳥栖の現場で

今朝、事務所に着くや