東京 4
九日朝に三鷹の永井菊枝氏を訪ねようと思っていた。前もって訪問を断るのが礼儀なんだが、それをするのがいやで、勝手に訪ねていこうと決めていたのだが、松本さんにそれじゃいけない、先方の都合を聞きなさいとたしなめられた。そこで前夜、お電話でご都合を伺うと、歌会で留守というお返事。ほらね。
じゃ、どこへ行きたい?今日はあいているからどこでもつれていってあげるよーと松本さんに聞かれて思いついたのが、調布の深大寺である。そこには十年来、気になっている仏像があった。「ほんとうは浅草の鬼灯市が今日から始まるから、そこへ行こうかと思ってたんだけど」と松本さんはおっしゃったが、私が見たがっている深大寺の白鳳佛は御存知ないそうで、希望をかなえて下さることになった。
人が蟻並みにうじゃっといる新宿駅で待ち合わせたが、奇跡的に間違わず落ち合って、○○方面行きの電車にのる。(失念)。調布駅で降り、駅前から深大寺行きのバスに乗り換える。電車のなかで、ふっと調布にお住まいの連句人、川野蓼艸(かわの・りょうそう)先生を思い出し、連絡すると、「山門の前で待ってなさい。すぐ行くから」とおっしゃる。お言葉通り、ものの十分もしないうちに川野先生が見えた。写真をご覧下さい。ベレー帽に群青色の綿シャツ、オフホワイトのパンツに見えないけど白い靴でした。(これでうちのチチとおないどしかよ、とひそかにつぶやく。誕生日までほとんどいっしょなんですよね、言わないけど。)
深大寺は古い武蔵野のおもかげを今に遺しているといわれる通り、とっても森深い地にあった。鬱蒼と繁った樹木のあおが滴るように目にしみた。医院の仕事を息子さんに譲られ晴れて隠居となられた川野りょうそう氏は、この日、昼まで時間が空いているとのことで、一度しか深大寺にきたことがないという松本さんにとっても、初めての私にとっても、へえっと驚くような案内をしてくださった。
私と松本さんだけでは決して気づかなかったと思う、境内には驚くほど沢山の句碑や歌碑が樹木の陰に埋もれるようにして、ひっそりと建っていた。それをひとつずつ紹介して下さって、説明も行き届いたものをしてくださる。たとえば、中村草田男の有名な「万緑の中や吾子の歯生え初むる」自筆句碑を指しながら、「もしこれが孫の歯だったら孫俳句に堕してしまってつまらなかったろう」とか講釈をつけられるので、分りやすかった。そのすぐ傍らには高浜虚子の句碑と胸像が鎮座している。虚子の草書みたいな行書は読みづらいが「遠山に日の當りたる枯野かな」とよめる。えーっと、なんでここに虚子の句碑があるっておっしゃったのかな。メモしとけばよかった。確か、一時的にここに虚子は住んでいたというんじゃなかったっけ。すみません、記憶があやふやで。
そのむかいに、目指す白鳳佛のお堂があった。ガラス戸越しに拝顔できるようにしてある。椅子にすわった珍しい「倚像いぞう」というタイプの仏像である。石橋秀野の句を読み解いているころに、たまたまこの像を詠んだ句をみつけ、それを秀野ノートに書いた以上、ずっと確かめなくては・・と思い続けてきた。
やっと、あえたね。おや、きみは中宮寺のみろくにどこかそっくりじゃないか。
こころでそんな言葉をかけながら、じっと顔をみる。大きさといい、黒くひかるからだといい、似ている。勿論、中宮寺の弥勒はエレガントでなよやかであり、一方こちらはなんとも素朴で、いかにも性格がいいという感じの仏像である。にもかかわらず、似ているモノを感受したということは、同じ時代の空気をまとっているということなのだろうか。


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