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2009年3月26日 (木)

夕桜

夕桜

みやま市瀬高中学校のさくらを信号から写す。

昨日は保健医療経営大学の英語の公開講座の最終日。
たくさんの人達がみえて、盛況でした。
高校三年の時に英検二級に受かり、短大でも英語を学んだというのに。
単語も文法もきれいに忘れていた。
日常まったく英語は使わないものね。
月に二回の講座で十ヶ月、一応の中級英語を復習したことになるのですが、佐藤教授の教え方はかささぎにあっていたようで、最後まで投げ出さず、かといってがむしゃらにのめりこむこともなく(トシのせい)、自然体で、仕事がおわってからでもちゃんと通えたのはよかった。

新年度もいろいろなメニューで講座はあるようです。
シェイクスピアの古典英語を学ぶコースってのもあるのです。
かささぎはかつてボランティアでやった廃品回収でシェイクスピアのソネット集を拾って大事に持っている。(『円交五号』で乙骨五郎さんが、詩人としてはミルトンがシェイクスピアよりも上だ。なんていったことまでが蘇る。以前れぎおんにスティングの歌とシェイクスピアを絡めて書いたのも思い出します。)
興味はあるけど、俳句を英語に訳すという授業にも興味があるから、どっちか一つだけでしょう。ぼんはいろいろ言ってますが、今度は私が誘うつもりです。
詩のことばを選ぶ作業は、言語の闇に手をつっこむかたちになるから、とても役に立つような気がしています。せいこさんは来れないでしょうか。どうせなら、連句の仲間を誘いたい。

ところで、九州俳句誌153号を読んでいたら、みやま市の俳人を発見。
ご紹介します。

 みやま  森 さかえ

うろうろと過去世現世を凍豆腐
ペンギンをなるほどと思う日向ぼこ
花八手季節の言葉にぎりしめ
玄冬やまぼろしのごと人ゆけり
極月の水のかたさや飢餓草子

森さかえ(男性)の句は、諧謔的であははと笑える句が多い。
しかし、最後の二句にはっと立ち止まる。
ことに、極月の水と飢餓草子の一句は鬼気迫る。
誰かが、今という時代は平安時代の闇に通じるといってた。

かささぎは、大牟田の俳人、谷口慎也さんが開かれた句会で一度だけお会いしたことがあります。あれは何十年前だったかな。
かささぎ、四十台はじめ、若かった。
大牟田の学校のうら若き先生たちばかりの句会にたった一人で乗り込んでいきました。
句会は初めて、まるで道場破りみたいにドキドキ。
みなさまにはもうしわけないが、武装していった。
句風があちらさまの句会とは対極にあると思われる、高野素十のあまり人口に膾炙してない句を仕込んでいき、さりげに自分の句として出した。

結果は勿論というか何というか、一点も入らず。
だけどそれで妙に元気が出て、にこにこ顔で帰った。

そのときの句、まだ覚えているかな。

雪晴れの障子細目に慈眼かな

これはちがうな。これは日本画家川端龍子の義弟の茅舎の句。
これに似た句だった。中七はおんなじ。

なんとかの障子細めに花御堂  素十

(なんとかを思い出せん。或る寺の、かも。)
確認しました。

ある寺の障子細めに花御堂  高野素十

参照記事:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_174b.html

洛北の花背にある地蔵院:http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E6%B4%9B%E5%8C%97%E3%81%AE%E8%8A%B1%E8%83%8C%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E5%9C%B0%E8%94%B5%E9%99%A2&search_x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8&u=www.edita.jp/matsukaze2005/archive/category4-new.html&w=%E6%B4%9B+%E5%8C%97+%E3%81%AE+%E8%8A%B1+%E8%83%8C+%E3%81%AB+%E3%81%82%E3%82%8B+%E5%9C%B0%E8%94%B5+%E9%99%A2&d=DR8Ysp2uSfQy&icp=1&.intl=jp うわっ長!このなかの3月9日、地蔵院(別名椿寺)の五色八重散り椿ほかさまざまな椿。

http://www.arkys.net/hanaharu.html
案内:

地蔵院 じぞういん 京都市北区一条通西大路東入ル 075-461-1263 市バス「北野白梅町」下車徒歩2分

2009年2月27日 (金)

今からでも間に合う。大学とすいぜんじ海苔。

こないだ息子が新聞をみながらこんなことをボソッとつぶやいた。

「あー保健医療経営大学がのっとらん!!」

「今からでも間に合う大学一覧」の中に入ってなかったらしい。
なんでじゃろう。ひどいね。いくら「下流大学」でも、そんな継子いじめはひどかね。
こないだの報道のしかたといい、この仕打ちといい、なんでじゃろう。
大学の背後にある政治家がついてると思われているからだろか。
かささぎも最初そう思っていたから人のことはいえないが。

子は、去年の今頃、ばたばたとここの受験を決めた。
のほほんとして、核がさだまっていなかった。
中流大学の環境学科に入って二年目。突然やめるという。
ここらのことばでいうところの「ふーたぬるい」生活を中断し、半年派遣社員として岐阜へも行き、世の厳しさを知ったばかりのころ。
なにか芸ができねば世の中は渡れぬことを身をもって知り、岐阜から戻ってきた。
一年たち、やはりここ有明の下流大学に入学してよかった、と子を見ていて、思う。
本人が落ち着いた。
大学について何一つ知らず親のカンだけで受験させたけど、本当に良かったと思う。
生き方の問題。これからの世の中を渡る学問だと思う。
だから、なにか応援の文章を書いてあげたいけれど、悲しいかな、おばさんは書き方がわからないのよね。
親御さんや先生がたで、こどもや生徒の進路について、とくに就職難の今、迷われていらっしゃるのであれば、考えて見られたらいかがでしょう。
その際、大学へ請求なさるものは、「保健医療経営大学紀要」がよろしいかと存じます。

ところで関係ないけど、昨日から今朝の西日本新聞一面に大きく水前寺海苔の件が出ていた。
どこか黄金川あたりを開発する?のに伴い、絶滅のおそれがある。
そこで開発をやめる。とか、そういうことなのかな。(ちらっとしかみてない)

書いたことがあったから気になって。↓

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_ad72.html

検索したら、http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA/

これ。なにか腑に落ちなくない?

芭蕉の連句にすでに出ている。すいぜんじ。という名前で。
なのに、それ以降の食用決定では、はなしがおかしかろうもん。
って風に、情報は錯綜する。

膨大な情報の中から、何が真実で何が誤りであるのかを判断するのは至難のわざ。
だが、縁があれば、真実への道は常に用意されている。

2008年11月21日 (金)

英作文。

きのう書き損なった、水曜日の英作文。

これが分からなかった。

足りない語を一語加えて、あるものは並べ替え、まっとうな英文にせよ。

「部屋を出る前に必ず電気を消してください。」

{ sure, turn, you, off } the light before you leave the room.

これがわからなくて、うーん。うーん。

これじゃいかんのかな。と、まず思う。

You  be sure turn off the light before you leave the room.

意味と文法。
まず、ゆー、(あんたちょいと)、で呼びかけ、びーしゅあ、忘れんなよと命令形。ざらいとの前にはざっとが省略されている。

んで、正解はこちら。

Make sure you turn off the light before you leave the room.

おわわもうじかんがないぞきょうも朝倉だ!お上とたいけつ。

2008年11月18日 (火)

保健医療経営大学への道  その2

保健医療経営大学への道。
理念や骨子は乙四郎学長の大学案内にまかせ、かささぎは一生徒のおやとして、もっぱら正直なところを、はらのたしになる次元の話をします。

まず親が考えたこと。

チチは医療関連の仕事従事者でありました。大学の商学部を出てすぐ、医薬品卸の地場大手に入り、営業ひとすじに三十年も勤めた人間です。(その会社、ウイキペディアにのってますが、誰が原稿をかいたのか最も肝腎な最初の前身の膏薬みたいな名前の時代が抜けている。それほど古いときから丁稚奉公していた。朝は七時に家を出て、帰りは連日真夜中だった)。ということは、病院経営の裏の事情もおもての事情も熟知している。「病院」というすばらしく清潔で慈善事業みたいな響きの職場、その実、人のいのちを扱う因果な商売の「企業実態」をきちんと把握している、プロ中のプロでした。最後の単身赴任していた数年は外資系の世界的に大きな医薬品メーカーに出向させられていた。そのチチがここを長男に薦めた。なぜかというに、聖マリアが営むところなら、食いはぐれることはないだろう。というのが大きな理由なんですね。と、これはかささぎが勝手に想像したことで、チチは無口で肚の中を何もいいません。ちょうど依願退職した直後でしたから、運命的なものを感じたのかもしれません。


一方ハハが考えたことは、単純です。
能天気なブログを書いてきて、たまたま竹橋乙四郎という俳人に今年出会ったが、かれは小学校の同級生で同じ上妻の育ちであった。歴史的に「虐殺の民の子孫」の住む呪われた土地であり、「こらー、喧嘩はやめんか!」という強い禁忌のことだまがかけられた土地のぎぎゅたん気質のなか育った。で、長男が迷いのさなかにいることに心痛めていたとき、ふっと目に飛び込んできたのが、乙四郎大学の一期生募集、まだ間に合います。という文字であったのでした。

表面は単純です。
しかし深層はもっと複雑かもしれない。
三人の子たちは幼少のころから全員ぜんそくもちで病院通いの常連でした。ことに末子は聖マリアにひとしおお世話になっており、十年近く通いつめた。その間、よく夜の小児科待合室で順番を待ちましたが、近年患者が増えて、なかなか順番が回ってきません。それはなぜなのか。ー 
ことし、たまたまつけたテレビの特集番組で、むすこの主治医を中心に聖マリアの小児科医の一日を追いかけたドキュメンタリーを見たんです。
理由はこうでした。働く母親が増えて、ふだんの午前中に子どもをつれてこれる親が減った。子どもは急患や重病でもないのに、大病院の夜間外来へ連れてこられる。夜もやっているという理由で。(大病院はコンビニか)結果、ほんとうの重病や急患の子が後回しになることもあるようになった。・・・また、医師はとびきり多忙になり、睡眠時間もあまり取れないし昼食の時間も休憩の時間もないときもままあるという。

なぜ、こういう状態になっているのだろうか。という疑問。

若いころ三年勤めた病院は、昭和五十年代当時始まったばかりの医薬分業制(いまはどこもそうですが)を実践していた。福岡で最も活気のある街の大ビルの中のクリニック。時代の先端をいく心療内科で患者さんすべてが新鮮だった。(罰当りですが)。その小さいながら心身の医療のためのすべてのスタッフがそろった医院で、受付兼医療事務のわたしも、薬剤師さんや医師や心理療法士や看護婦やレントゲン技師や検査技師と一体となって日々患者さんを治すためにつとめた。ヒステリー患者の罵詈雑言に泣き、うつの患者さんがなくなるのもみた。かささぎはここでこの時期に弟をなくす。

医師はお医師であると同時に、医院と調剤薬局の経営者である。法的にはそうじゃなくてもどこもたいがいそうです。
わたしたち従業員を路頭に迷わせないために、院長は事務局長とともに経営のコスト削減と、利益増大をはかっていた。具体的には、どこの病院もやっていたことですが、ぞろといわれる薬を使って薬価を浮かせるとか(近年の薬価改正につぐ薬価改正で不可能になった)、患者に胃がんが疑われたりした場合、毎月胃透視レントゲンを撮ったり(心配になるほどに)。毎月必要とも思えぬ血液検査を実施したり。いまにしておもえば、それらは医院経営のための涙ぐましい営業努力だった面も否めないと強く思う。

そんな思い出が「保健医療経営大学」という名前をはじめてみたとき、どっと一どきにかささぎの胸にあふれた。
きわめて個人的で現実的な感慨なのですが、これは意外に奥が深くて大変なことなのだとも思うのです。

だから、どういうことを学ぶ大学なのかは(いまだに)存じ上げぬまま、わたしたちの長男をここに行かせたい!と心が動きました。近年ひどくなる医療事故のこと一つをとっても、こういう学校が地域にあることの意義は大きいのではないか。と思えました。

身ほとりに進学先に迷っている子がいれば、みやま市の保健医療経営大学をすすめてください。性格的にまじめで、粘り強いたちの人、やさしくすなおで温厚な人に、ことにお勧めの学校です。

じっさいに通っている長男に聞いた学校のセールスポイント。

1 生徒数が少なく設備が充実しているので快適である。
2 先生に分からないことはどしどし遠慮なく聞きにゆける。
3 宣伝をしないので、人が押し寄せてこないよさがある。*
4 ちゃらちゃらしていない。落ち着いた先生、生徒が多い。
5 学食は安くておいしい。スポーツも自由にできる。
6 八女と違ってみやま市は橋一つとってもきれいで新しい。
7 政治的な事、世界の話題、ニュースの見方が解る。
8 どっと人がおしよせるものは、ひくのもはやい。
  この広大な「なーんもない」ぐるりの土地よ永遠に。
(これで、やめ。)
* この発言は、以前通っていた大学への批評だろうか。
テレビCM放映に年間1,300万円もかけていた。

2008年11月17日 (月)

青年はおとなになる

私の仕事に部下が一人できました。
むすめと同じ26歳。弘学館中学高校から久留米大学を出た無口でまじめな青年です。一人っ子らしい育ちのよさを感じるとてもすなおな子。
金銭面ではまったく不遇な職場ですから、その点について折々にまず説明しました。しかし、一番言いたいのは、学ぶことの大きさです。ここにいたら、社会の底辺が見える。そこでどんな人たちがどうがんばって暮らしているかがわかる。支えあって生きる大切さも見えるし、お金の有難さもわかる。取引先のさまざまな状況から世の中全体の景気も見えるし、政治との絡みもうすうすみえる。

色気だけはまったくないところだけど、地図も読めるようになるし、警備のいろいろを学ぶことができる。教官は厳しく優しい。だからしばらく辛抱して社会をまなぶ学習塾に入ったとおもって、がんばってください。ことに今の時期、じゃんじゃか仕事が入ってきて、編成室の電話は鳴りっぱなし、火事場みたいでボスも社長も事務も全員現場に立たねばならないときだってある。そんなとき、事務室に残っていると、隊員さんからも電話が入る。「きつい。だれかかわってくれないか。」あるいは、「ばあさんがたおれた。かわってくれ。」(これはおなじみ、天使のじじい*。18番の手ですから、余裕のないときは一切受け付けません)。こんなときの対処のしかたを学ぶこともとても大切なことで、ひとのきもちとことば、その裏側までをまなぶことになります。きっとほかでは体験できないすごい職場であろうと思います。わたしが入ったとき、四十人ほどだった隊員数が今、倍です。ほとんど独り者ですから、寮の食事の買い物(事務の役目)だってとてつもなくたいへんです。しかし、生活全般を預かり、大きな家庭を営むようなかんじの管理のしごと、やりがいがあります。みんなとても人としてりっぱな人ばかりで、勉強になります。
・・ということを伝えたのですが、さて、どうなりますことか。

*天使のじじい(アイドルと化しつつある?笑)
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_5da1.html

2008年11月16日 (日)

保健医療経営大学への道 乙四郎語録1

乙四郎の大学のことを書いてみよう。

勝手に乙四郎大学と名づけてしまったかささぎであるが、別名はありあけ国際学園といい、正式な呼称は、「保健医療経営大学」である。経営は雪の聖母会、(つまり聖マリア病院)の経営になるのかな?
ひょんなえにしで、長男がこの大学の一期生になった。
福岡の新宮にある大きな大学へ通学していたのだが、二年生にあがるとき迷いがおこり、一年休学。その間に遠い地で働いてもみた。すると、自分は何も専門知識のない人間であると身にしみてわかり、そこへ保健医療経営大学開学を
知る。いつも意見のそろわぬ両親がこのときばかりはそろって賛成してくれた。ふしぎな縁であった。(つづく)

    『赤紙』 

 役所勤めの宿命として数年ごとに勤務場所を転じている。突然の内示を受けた時には不安に胸が潰れそうになる。突然の召集令状に呆然と立ち尽くす戦時下の青年の心境か。
 戦時体験もないのに召集令状を手にする者の気持ちなど、軽々しく論じてはいけないことは百も承知。しかし、数ある赴任地のひとつで経験したある事件については、是非、紹介しておきたいと思う。
 タイ王国の地方都市へ赴任した当初のことである。任地の言葉を覚え、その地の人になりきるのが私の信条であるのだが、さすがにタイ語は難解であった。ある日のこと、郵便受けに、権威漂う葉書が一葉。隙間なくワラビやゼンマイが踊るこの文字にはお手上げである。翌日、職場でタイ人スタッフに読んでもらったところ、軍へ指定日時までに出頭しなければ罰を科す、と書いてあるとのこと。召集令状である。宛名書きを読んでもらって、数件先の家の者へ宛てた郵便物の誤配であることがわかったが、しばらくの間、召集令状をいただく気持ちを味わうという貴重な経験をさせていただいた。
 自分と関係ないとわかって、押し寄せる安堵感。その余韻に浸りつつ、帰路、例の葉書を手に、本来の宛先の家の戸をノックした。現れたのは母親らしき人。初対面だが、タイ人は、合掌を会釈代わりに、特有の微笑みで応対する。こちらも微笑みを返しながら、合掌の手から葉書を手渡し、カタコトのタイ語で、それが間違って配達されてきたので・・・と言いかけたところで微笑みが消えた。
 相手は呆然と立ち尽くすのみ。そいつは召集令状だった。微笑みながら渡してはいけない代物だったのだ。戦時、役人たちはどんな思いで赤紙を配達していたのだろうか、それまで考えたこともないことを否応なしに想起してしまうひとときであった。
 あれから十年。相変わらず、突然の異動内示に胸を潰しているが、部下に異動の内示を告げる立場にもなってきた。その場は無表情を装うが、内心は複雑である。ようやくわかってきた。そして、わかってほしい。(おつしろう)

          

                  

2008年7月12日 (土)

いしを拾う。

ふるさとの川で  いしを拾おう

ひらべったい石や

三角にそげた石

あかんぼうの目のようにまるく

すみきった石を

 

源心『たまご石』よりナオ三~五

手を洗い仏を洗い嬰(やや)洗い  伽具耶
  三万年のたまご石積む      恭子
蕭蕭と麗谷(うつくしだに)のほととぎす 繁代

(平成15年4月11日 於・広川町民センター)

麗谷:http://www.oitatravel.com/usa/utukusidani.html

2008年3月30日 (日)

いしをなげる。

九大法学部を途中でやめて、長崎の大学の医学部へ入りなおしたいとこの子がいました。かれはなぜそれほどまでして医師になりたかったのか。母(私の一つ上のいとこ)が原因不明の難病であったからではないかと思います。

では、竹橋乙四郎は、せっかくいろんな迷いの果てにたどりついた山口大学医学部を出ても、なぜ医師にならなかったのでしょうか。知りたいですね。

とおくで、石投げをしているかみさまがいます。石は水面をぴゅっぴゅっと切って辷(すべ)ります。

2007年4月27日 (金)

シスアド入門  1

キャノンのプリンター(2台目。2003年11月購入)が動かなくなりました。ベスト電器に修理を依頼したら、窓口の人とパソコン談義で盛り上がり、気づけば一時間近くも話を聞いていました。

「動かなくなったんで、修理に出したいんですが」

「修理、最低でも七千円以上かかりますよ。一応出す前に、どの程度の不具合か見てみましょう。壊れていると思い込んでるだけかもしれませんからね。それとか、パソコンの入力ミスで、恐ろしく仕事が溜まっているとかでも動かなくなりますから。接続してみましょう。」

(接続する)

「・・ちゃんとつながりますね。でもスイッチが入らないな。どこかが悪いんでしょう。買いだめのインクがあるんだったら、修理に出したほうがいいけれど、今プリンター本体は一万円も出せば新しいのが買えるし、修理より買うほうが安いんですよ。プリンターのメーカーは本体で利益を出してるんじゃなくて、インクリボンで儲けているから。」

「そうなんですか。ところで、あなたは何でパソコンを習得されました?」

いろいろ連句的に話しているうち、この永田さんという店員さんに俄然興味がわき、修理はそっちのけ、インタビュアーに変身してしまう。笑

それほど、このひとの話と経歴はおもしろいものだった。なんというか、パソコンというおもちゃばこの概念から変えてしまう魅力的なお話を実体験に即して、生き生きとなさった。パソコンを学ぶことで、人生が変わった、とおっしゃる人に初めて出会った。私はただワープロの変わりにパソコンを学んできたに過ぎないのだが、この永田さんという人の話を聴いていたら、もう一度、自分で独学で、「シスアド」(それが何か、はっきり言ってまだぜんぜんワカラナイ!でも、なあんかかっこいいじゃない)を勉強してみようという気分になる。

単純だが即、「よくわかるマスター初級シスアド」テキストを買う。こんなときの自分は、ほんっとにおめでたい。(いいのだ。だれに迷惑かけるわけでもないし。)

んで、肝腎の修理。

けっきょくプリンターを買ったとき、五年間保証をつけていたことに気づき、あと一年ほど有効ということで、修理に出してみることにしました。

どうか、治りますように。パソコンの神様、お慈悲を。できるだけ無料で済みますように、そこんとこ、4649!

※最近、よく読まれているパソコンがらみの「かささぎの旗」の記事:

「ブラインド・タッチ」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_72db.html

5月12日の追記:

これは結局、修理に出したつぎのつぎの日には修理完了の連絡を受けました。部品を二箇所新しいのと交換して、ぜんぶで一万二千円近くかかったようですが、購入したときに五年保証というのをつけていたため、無償ですませることができました。パソコンやその周辺機械は割りと故障が多いので、五年保証をつけると便利だなとあらためておもいました。たしか、千円くらいです。

できたコールをうけて引取りにいったとき、永田さんがいませんでした。係りのひとに聞くと、一昨日辞められたとおっしゃいました。ということは、私は永田さんの最後の客だったのかもしれません。一期一会、すごいことばです。かれのあの日のはなしは、パソコンを社会全体のなかでとらえるということをおしえてくれました。全体性のなかでパソコンをいかすということをです。あらたないり口を教えてもらった気がしました。

2007年1月 3日 (水)

ブラインド・タッチ

高橋甲四郎先生のところへパソコンワードのタイピングのやりかたが載っているテキストを持っていく約束でしたが、まだ行けておりません。

二年前、次男が久留米の塾に通っていたとき、私は時間がもったいなかったので、ゆめたうんにあったパソコン教室に通いました。むすこを塾に送り届けて、自分はパソコンを習いにゆきました。授業料はけっこう高かったのですが、(まだ支払っています。いつまで払うのでしょうね。まるで重税に喘ぐお百姓。笑)自分の好きな時間帯に通えて、優しい若いおねえさんやおにいさんが教えてくれるので、きもちがよかったのです。考えてみたら、なぜあのころはあんなにぜいたくなくらしができてたんだろ。塾に行く日は、次男と二人、晩御飯は好きなものを食べて帰ってたものね。あ、そうか。長男の学資保険のお金があったのでした。二つ入っていたから、余裕でしたが、気づけばそれがもうなくなっています。ほんとにお金は足、限りある資源だね。と、ひとごとみたいに書いてるところがいよいよあほです。借金しないでよくこれまでこれたと、自分でもふしぎなきがします。

主人は単身赴任でいないし、ぽっかりとさみしいので、買い物依存とかアルコール依存とか不倫とかに走らなかったかわりに、子どもの塾通いに熱中したものとおもわれます。よくぞごぶじで、と、むすこと自分をほめてやりたい。やっとわかってきたのですが、主人も偉いなあとおもいました。職業柄、ひとさまの履歴書を目にすることがあります。(小さい会社ですから、人事も兼ねるのです)。ひとところにじっとしておれず、職業を変える人が多いです。わが夫は結婚したときから、ずっと同じです。同期の人たちが次々にやめていっても、やめませんでした。それが何を意味するか、あまり考えたこともなかったのです。しかし、給与台帳を記していると、いやでもそのことに想いが行きます。有難かったなあって。夫の収入が安定していることはとても幸せなことでした。だから三人も子を授かり育てることができたのです。その点では親にも夫にも感謝しています。

パソコンを習うまでは、ワープロを使いこなしてました。趣味で十年ほど毎月なにか長文を打ち込む暮らしをしていたから、ひらがな入力が身についてしまってました。それも完全な自己流でした。ところが、教室の先生がおっしゃるには、ローマ字入力で、ブラインドタッチの練習をしなさいと。理由は分らなかったのですが、長男もローマ字入力がいいよっていうし、また一からやり直しました。三ヶ月くらいその練習ばかりやりましたね。さいしょはとても遅かったのですが、だんだん早くなっていきました。ミスも少なくなっていきます。いまは、かなりできるほうじゃないかなと感じています。試験を受けたわけじゃないですが。

甲四郎先生がおっしゃったのは、ローマ字だとたった二十六文字を覚えるだけですむが、かな入力だとその倍は覚えなければいけない。だからローマ字が優れているんだろうって。さすが算数の先生の考えられることは違いますね。理屈がきちんと通っています。

あす、いければ、行って届けてこよう。テキスト、もったいないですもんね、四千円くらいしたのに、二度とは見る気がしないしろものです。ワードのぶんとエクセルのぶんと二つある。二年近くのあいだに二つの講座を受けていたからです。

無料のタイピング講座のついているサイトを今日、発見しました。勉強されたいかたはどうぞ。でも、やっぱりただのものはそれだけのものでしかないのよね。お金と暇を注ぎ込むことがけっこう大事だ。のぼせぐあいがそれに比例するから。

 1 http://web.e-typing.ne.jp/

 2 http://www.geocities.jp/blindtouch_master/

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