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2015年4月26日 (日)

建て替え中の家を捨て夫の転勤命令に従った、わたしの分度器人生

中島すみ子・文

ブログ読ませてもらいました。ありがとう。載せるんだったらちゃんと書けばよかった。
還暦迎え、自分の人生を振り返ると どんなことでも私に必要あってのこと。
全て現在の私があるのは、そのお陰様だとおもいます。
せっかくそろばんのこと、書いてくれたんで、もうちょっとだけ伝えます。


小学校の卒業文集に将来の夢として3つ書いてたの。もちろんすっかりかいたことは当分の間忘れてたよ。1つがそろばんの先生、2つめが銀行員、3つめが宇宙服をつくる   笑ちゃうね  なぜか1つめと2つめが叶ったことになるね。

職場では本店の人事総務の仕事から始まって、すぐ、財務省の監査が入り、毎日毎日遅くなり全員の夜食の注文をしながらの仕事も、意外と楽しんでたような日々を思い出しました。そのあと合併に関する極秘の仕事。まだ公表前の一部の社員だけで携わる仕事の部所にいてすごくワクワクしてスリル感もあった思いを、覚えています。その後 新しい支店ができて こじんまりとした人数で業務をこなさなければいけないので全ての業務をさせていただきました。これが後々役にたちました。

結婚退職1年前、書道教室を開いていた人と珠算教室を始めたわけです。もちろんお休みの日のみ。上司に許可もらってね。久留米教室13年、大宮教室25年になり、のべ38年となりました。

平成2年両親を迎えて同居する為の二世帯住宅に建て替え中、突然の主人の東京本社転勤。しかも単身赴任禁止。私の頭は真っ白になりました。主人にとっては喜ばしいことなのに。主人には何も言えずただただ涙が溢れる毎日。この涙は、何処からくるのか。これは私の中にあるあらゆる執着心からくるのだと気づかせていただきました。執着心から解放された私は、今置かれた環境の中で、最善を尽くし前向きに考えて生きていこうと決心しました。様々な執着心をとっぱらった時に救われました私の人生における最大の分岐点です
いまにしてふりかえると、天にお任せして我をとることがよくできたと思うことです。

関東、埼玉には、親戚も何もない私に無形財産である素晴らしい人との出会いを、沢山頂きました。私流に分度器人生と言ってるんですが、自分の心しだいでその先がかなり変わってきます。全て自分のこころのめざす角度次第。自分が変われば全てが変わる。幸せも、不幸せも   自分次第。

また埼玉で教室に縁があったのは、神様、仏様、ご先祖様から与えて頂いた天職と思って 感謝せずにはいられません。
大宮教室は、最初 長女の友達にボランテイアで始まった教室。
気がついたら後ろに子供達がいた。頼りになるスタッフに支えられて中島珠算教場の塾長として生涯努力精進していきたいと思ってます。

平成13年に義父が亡くなり、義母1人になり、義母のいる福岡と自分たちのいる埼玉を、半年づつ過ごしてもらうというお試し体験コースを義母に4年体験してもらって5年目にやっと、義母との完全同居が実現しました。そして、義父だけ北野に残しては寂しいだろうと、数年後に、義母と嫁の私2人でお迎えに行きお墓を近くに移し、母がいつでも父にあいに行けるようにできました。ですから、もう大好きな福岡へ引越しして帰ることはなくなりました。寂しい気持ちもあり、ちょっと複雑です。

これからも、私を育ててくれた故郷に誇りを持って出来る限り頑張りますので、末長く見守り、応援願います。幼友達の恭子ちゃんとの縁でこんな機会を与えて頂いて感謝します。お互いに元気にこれからの人生を楽しみましょうね。      ありがとう                      感謝     

▼かささぎの独り言

すみちゃん、かきたしてくれたの、ありがとう。

おかげでとてもよくわかりました。

さすがに7人兄妹の末っ子で育ったひとはちがう。
独特の生きる知恵を持ったひとだと感心します。   

>   私流に分度器人生と言ってるんですが、自分の心しだいでその先がかなり変わってきます。全て自分のこころのめざす角度次第。自分が変われば全てが変わる。幸せも、不幸せも   自分次第。

この部分。

むすこが今読んでる本で、去年のベストセラー『嫌われる勇気』をちょっとだけのぞいたのですが、まさにおんなじことをいっています。アドラー心理学というそうで、過去のユングやフロイトなどのような因果論とは一線を画した考え方。
わたしは仏教をまなぶたび、過去のいんががこにうつり・・・みたいなかんじがいやでねえ。ほんとはそんなこと、いってないのでしょうけどね。でも、おもくておもくて、どうも、なむあみだーぶとか、なんみょうほうれんげーきょとか、どっちにしても、あんまりとなえるきになれず、あちこちのおぼうさんにはもうしわけないのですが、また、ごせんぞさまにもたいへんもうしわけないのでありますが、こんなふうなのは、きっとあのよでの修業がたりなかったからだろうか、とか、あれこれおもうこともなく、もう、そんなことは思いあきてしまい。

まよい、きわめれば、すかっとして、たといほとけさんやかみさんにきらわれたとて、これでいく!と、覚悟ができた。

すみちゃんありがとう。

じぶんのなかには、だれにおそわらなくても、もとから自然と言う名のガイドさんがいてくれてる、そんな気がしています。
うつくしいものをみて、うつくしいとかんどうするこころ。
かなしいときにはなみだがこぼれること。
だいじょうぶだ。だいじょうぶだ。

2015年4月24日 (金)

すみ子さんの人生の転機

文:      中島すみ子

Re:
読ませてもらったよ。ありがとう。載せるんだったらちゃんと漢字変換もして送れば良かったけど。ごめんね。

還暦迎え、自分の人生を振り返ると どんなことでも私に必要あってのこと。全て現在の私があるのは、そのお陰様だとおもいます。せっかくそろばんのこと書いてくれたんで、もうちょっとだけ伝えるね。

小学校の卒業文集に将来の夢として3つ書いてたの。もちろんすっかりかいたことは当分の間忘れてたよ。1つがそろばんの先生、2つめが銀行員、3つめが宇宙服をつくる   笑ちゃうね  なぜか1つめと2つめが叶ったことになるね。職場では本店の人事総務の仕事から始まって、すぐ、財務省の監査が入り、毎日毎日遅くなり全員の夜食の注文をしながらの仕事も、意外と楽しんでたような日々を思い出しました。そのあと合併に関する極秘の仕事。まだ公表前の一部の社員だけで携わる仕事の部所にいてすごくワクワクしてスリル感もあった思いを、覚えています。その後 新しい支店ができて こじんまりとした人数で業務をこなさなければいけないので全ての業務をさせていただきました。これが後々役に立ちました。

18歳〜24歳まで6年勤めたわけだけど、退職まえ1年前に書道教室を開いていた人と珠算教室を始めたわけです。もちろん上司に許可もらってね。

久留米教室13年、大宮教室25年になり、のべ38年となりました。

九州から埼玉に来るとき久留米の教室、二世帯住宅建築中の家、両親、全ての執着心を捨ててきたのが、私の人生の分岐点となりました。また埼玉で教室に縁があったのは、神様、ご先祖様から与えて頂いた天職と思って 感謝の気持ちでいっぱいです。大宮教室は、最初 長女の弘湖の友達にボランテイアで始まった教室。気がついたら後ろに子供達がいた。頼りになるスタッフに支えられて中島珠算教場の塾長として生涯努力精進していきたいと思ってます。もう大好きな福岡へ引越しして帰ることはないとおもいます。故郷に誇りを持って出来る限り頑張りますので、末長く見守り、応援願います。

(ありがとう                      感謝

▼かささぎのおわび:

きのう、仕事の休み時間に携帯で記事にして送信。
今年、工場全体の仕事量が増えていて、ほぼ連日残業中。

携帯記事は文字化けしていた!すみませんでした。

中島夫妻は、北野(久留米東部の町の名前。北野天満宮がある町)のご主人のおうちを建築中だったのにもかかわらず、御主人の仕事のために急遽上京。それからずっと関東ずまいです。
今回は、旧姓の佐野という苗字(八女には天福寺とすみこさんの一族とふたつしかないのよ、とすみはいった)についてすこししることができて、よかった。そういえばすみが中島一族であることもなにかありそう。せいこさんもかささぎも中島一族だしねえ。(というときのなかしまとは、なかしまくらのすけさんにつらなる系譜をさす。橋爪氏もつらなるらしい。)
宇宙服をつくる夢!
これがまだのこってるね。かなうといいですね。

わたしはきのう没にしただいすきな畠山みどりさんとの神社そうじのはなしをアップしたかった。とっても新鮮でした。
ちょうど福井県の学校での「沈黙清掃」がクローズアップされてるときだし。

また、ときどき何か投稿してください。

でも、けっして須磨保族にはなってはいけない。
ご主人はいつもどおりおみおくりしてください。

※むすめさん弘湖=ひろみさんは東京青山だったかでスタジオをひらいてある、仏陀みたいな偉大な女性。そろばんではありませぬ。えーと。なんだっけな。えあろびくす?よが?りんぱまっさーじ?
アメリカでまなんで、資格を取得したとうかがってます。
こんどきちんと文字で伝えます。すみません、いいかげんで。

追記 ここできちんと自筆の履歴書が読めます。 感じ入ります。👇 http://sakura-yoga.net/information.html

2015年4月22日 (水)

すみちゃんの若き日の思い出話

以下は天福寺の前住職の佐野先生、南中で英語を教えておられた先生と、幼馴染の旧姓佐野さんは、本当に親戚なん?というのに答えてくれました。

Re:
こんばんは  〜  佐野先生の件だけど たぶん親戚ではないと思うよ。でも結構親しい関係かもしれない。次兄も担任だったし先生と兄達はかなり長い間のつきあいかな?  私も1年の担任だったけど佐野先生がすごくおもいでに残っているよ。それに高校卒業して県外に働きながら学校行こうと思った事あったの。そのときわざわざ家まできて  すみ子さーんいかさんナー一人暮らしはいかんばい 地元で就職せんのー    この一言で決めたよ 結婚式にも来て頂いてうれしかったばい〓  親戚ではないけど結構家族と仲良くしていただいたとおもいます。
そのくらいでよかねー

姫野より、
ありがとう!初めて聞いた話です。
高校の先生でもないのに、よく訪ねて下さいましたね。人生の転機の恩人でしょう。今にして思えば、やはりすみちゃんのそろばんは天才的だったから、大事に目をかけていて下さったのでしょうね。そのおかげで信用金庫に勤められたのですね。これでよく分かりました。ありがとう。おもいがけない天福寺のご縁でした。

2011年1月11日 (火)

ともだち

埼玉の大宮で二つのそろばん教室を主宰している幼馴染、ナカシマ。

彼女は三十年以上も子供たちに情熱を傾け堂々たる成果をあげている。

すみちゃん、写真ありがとう!(よこのものをたてにできませんでした。)

ともだち

2009年3月26日 (木)

夕桜

夕桜

みやま市瀬高中学校のさくらを信号から写す。

昨日は保健医療経営大学の英語の公開講座の最終日。
たくさんの人達がみえて、盛況でした。
高校三年の時に英検二級に受かり、短大でも英語を学んだというのに。
単語も文法もきれいに忘れていた。
日常まったく英語は使わないものね。
月に二回の講座で十ヶ月、一応の中級英語を復習したことになるのですが、佐藤教授の教え方はかささぎにあっていたようで、最後まで投げ出さず、かといってがむしゃらにのめりこむこともなく(トシのせい)、自然体で、仕事がおわってからでもちゃんと通えたのはよかった。

新年度もいろいろなメニューで講座はあるようです。
シェイクスピアの古典英語を学ぶコースってのもあるのです。
かささぎはかつてボランティアでやった廃品回収でシェイクスピアのソネット集を拾って大事に持っている。(『円交五号』で乙骨五郎さんが、詩人としてはミルトンがシェイクスピアよりも上だ。なんていったことまでが蘇る。以前れぎおんにスティングの歌とシェイクスピアを絡めて書いたのも思い出します。)
興味はあるけど、俳句を英語に訳すという授業にも興味があるから、どっちか一つだけでしょう。ぼんはいろいろ言ってますが、今度は私が誘うつもりです。
詩のことばを選ぶ作業は、言語の闇に手をつっこむかたちになるから、とても役に立つような気がしています。せいこさんは来れないでしょうか。どうせなら、連句の仲間を誘いたい。

ところで、九州俳句誌153号を読んでいたら、みやま市の俳人を発見。
ご紹介します。

 みやま  森 さかえ

うろうろと過去世現世を凍豆腐
ペンギンをなるほどと思う日向ぼこ
花八手季節の言葉にぎりしめ
玄冬やまぼろしのごと人ゆけり
極月の水のかたさや飢餓草子

森さかえ(男性)の句は、諧謔的であははと笑える句が多い。
しかし、最後の二句にはっと立ち止まる。
ことに、極月の水と飢餓草子の一句は鬼気迫る。
誰かが、今という時代は平安時代の闇に通じるといってた。

かささぎは、大牟田の俳人、谷口慎也さんが開かれた句会で一度だけお会いしたことがあります。あれは何十年前だったかな。
かささぎ、四十台はじめ、若かった。
大牟田の学校のうら若き先生たちばかりの句会にたった一人で乗り込んでいきました。
句会は初めて、まるで道場破りみたいにドキドキ。
みなさまにはもうしわけないが、武装していった。
句風があちらさまの句会とは対極にあると思われる、高野素十のあまり人口に膾炙してない句を仕込んでいき、さりげに自分の句として出した。

結果は勿論というか何というか、一点も入らず。
だけどそれで妙に元気が出て、にこにこ顔で帰った。

そのときの句、まだ覚えているかな。

雪晴れの障子細目に慈眼かな

これはちがうな。これは日本画家川端龍子の義弟の茅舎の句。
これに似た句だった。中七はおんなじ。

なんとかの障子細めに花御堂  素十

(なんとかを思い出せん。或る寺の、かも。)
確認しました。

ある寺の障子細めに花御堂  高野素十

参照記事:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_174b.html

洛北の花背にある地蔵院:http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E6%B4%9B%E5%8C%97%E3%81%AE%E8%8A%B1%E8%83%8C%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E5%9C%B0%E8%94%B5%E9%99%A2&search_x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8&u=www.edita.jp/matsukaze2005/archive/category4-new.html&w=%E6%B4%9B+%E5%8C%97+%E3%81%AE+%E8%8A%B1+%E8%83%8C+%E3%81%AB+%E3%81%82%E3%82%8B+%E5%9C%B0%E8%94%B5+%E9%99%A2&d=DR8Ysp2uSfQy&icp=1&.intl=jp うわっ長!このなかの3月9日、地蔵院(別名椿寺)の五色八重散り椿ほかさまざまな椿。

http://www.arkys.net/hanaharu.html
案内:

地蔵院 じぞういん 京都市北区一条通西大路東入ル 075-461-1263 市バス「北野白梅町」下車徒歩2分

2009年2月27日 (金)

今からでも間に合う。大学とすいぜんじ海苔。

こないだ息子が新聞をみながらこんなことをボソッとつぶやいた。

「あー保健医療経営大学がのっとらん!!」

「今からでも間に合う大学一覧」の中に入ってなかったらしい。
なんでじゃろう。ひどいね。いくら「下流大学」でも、そんな継子いじめはひどかね。
こないだの報道のしかたといい、この仕打ちといい、なんでじゃろう。
大学の背後にある政治家がついてると思われているからだろか。
かささぎも最初そう思っていたから人のことはいえないが。

子は、去年の今頃、ばたばたとここの受験を決めた。
のほほんとして、核がさだまっていなかった。
中流大学の環境学科に入って二年目。突然やめるという。
ここらのことばでいうところの「ふーたぬるい」生活を中断し、半年派遣社員として岐阜へも行き、世の厳しさを知ったばかりのころ。
なにか芸ができねば世の中は渡れぬことを身をもって知り、岐阜から戻ってきた。
一年たち、やはりここ有明の下流大学に入学してよかった、と子を見ていて、思う。
本人が落ち着いた。
大学について何一つ知らず親のカンだけで受験させたけど、本当に良かったと思う。
生き方の問題。これからの世の中を渡る学問だと思う。
だから、なにか応援の文章を書いてあげたいけれど、悲しいかな、おばさんは書き方がわからないのよね。
親御さんや先生がたで、こどもや生徒の進路について、とくに就職難の今、迷われていらっしゃるのであれば、考えて見られたらいかがでしょう。
その際、大学へ請求なさるものは、「保健医療経営大学紀要」がよろしいかと存じます。

ところで関係ないけど、昨日から今朝の西日本新聞一面に大きく水前寺海苔の件が出ていた。
どこか黄金川あたりを開発する?のに伴い、絶滅のおそれがある。
そこで開発をやめる。とか、そういうことなのかな。(ちらっとしかみてない)

書いたことがあったから気になって。↓

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_ad72.html

検索したら、http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA/

これ。なにか腑に落ちなくない?

芭蕉の連句にすでに出ている。すいぜんじ。という名前で。
なのに、それ以降の食用決定では、はなしがおかしかろうもん。
って風に、情報は錯綜する。

膨大な情報の中から、何が真実で何が誤りであるのかを判断するのは至難のわざ。
だが、縁があれば、真実への道は常に用意されている。

2008年11月21日 (金)

英作文。

きのう書き損なった、水曜日の英作文。

これが分からなかった。

足りない語を一語加えて、あるものは並べ替え、まっとうな英文にせよ。

「部屋を出る前に必ず電気を消してください。」

{ sure, turn, you, off } the light before you leave the room.

これがわからなくて、うーん。うーん。

これじゃいかんのかな。と、まず思う。

You  be sure turn off the light before you leave the room.

意味と文法。
まず、ゆー、(あんたちょいと)、で呼びかけ、びーしゅあ、忘れんなよと命令形。ざらいとの前にはざっとが省略されている。

んで、正解はこちら。

Make sure you turn off the light before you leave the room.

おわわもうじかんがないぞきょうも朝倉だ!お上とたいけつ。

2008年11月18日 (火)

保健医療経営大学への道  その2

保健医療経営大学への道。
理念や骨子は乙四郎学長の大学案内にまかせ、かささぎは一生徒のおやとして、もっぱら正直なところを、はらのたしになる次元の話をします。

まず親が考えたこと。

チチは医療関連の仕事従事者でありました。大学の商学部を出てすぐ、医薬品卸の地場大手に入り、営業ひとすじに三十年も勤めた人間です。(その会社、ウイキペディアにのってますが、誰が原稿をかいたのか最も肝腎な最初の前身の膏薬みたいな名前の時代が抜けている。それほど古いときから丁稚奉公していた。朝は七時に家を出て、帰りは連日真夜中だった)。ということは、病院経営の裏の事情もおもての事情も熟知している。「病院」というすばらしく清潔で慈善事業みたいな響きの職場、その実、人のいのちを扱う因果な商売の「企業実態」をきちんと把握している、プロ中のプロでした。最後の単身赴任していた数年は外資系の世界的に大きな医薬品メーカーに出向させられていた。そのチチがここを長男に薦めた。なぜかというに、聖マリアが営むところなら、食いはぐれることはないだろう。というのが大きな理由なんですね。と、これはかささぎが勝手に想像したことで、チチは無口で肚の中を何もいいません。ちょうど依願退職した直後でしたから、運命的なものを感じたのかもしれません。


一方ハハが考えたことは、単純です。
能天気なブログを書いてきて、たまたま竹橋乙四郎という俳人に今年出会ったが、かれは小学校の同級生で同じ上妻の育ちであった。歴史的に「虐殺の民の子孫」の住む呪われた土地であり、「こらー、喧嘩はやめんか!」という強い禁忌のことだまがかけられた土地のぎぎゅたん気質のなか育った。で、長男が迷いのさなかにいることに心痛めていたとき、ふっと目に飛び込んできたのが、乙四郎大学の一期生募集、まだ間に合います。という文字であったのでした。

表面は単純です。
しかし深層はもっと複雑かもしれない。
三人の子たちは幼少のころから全員ぜんそくもちで病院通いの常連でした。ことに末子は聖マリアにひとしおお世話になっており、十年近く通いつめた。その間、よく夜の小児科待合室で順番を待ちましたが、近年患者が増えて、なかなか順番が回ってきません。それはなぜなのか。ー 
ことし、たまたまつけたテレビの特集番組で、むすこの主治医を中心に聖マリアの小児科医の一日を追いかけたドキュメンタリーを見たんです。
理由はこうでした。働く母親が増えて、ふだんの午前中に子どもをつれてこれる親が減った。子どもは急患や重病でもないのに、大病院の夜間外来へ連れてこられる。夜もやっているという理由で。(大病院はコンビニか)結果、ほんとうの重病や急患の子が後回しになることもあるようになった。・・・また、医師はとびきり多忙になり、睡眠時間もあまり取れないし昼食の時間も休憩の時間もないときもままあるという。

なぜ、こういう状態になっているのだろうか。という疑問。

若いころ三年勤めた病院は、昭和五十年代当時始まったばかりの医薬分業制(いまはどこもそうですが)を実践していた。福岡で最も活気のある街の大ビルの中のクリニック。時代の先端をいく心療内科で患者さんすべてが新鮮だった。(罰当りですが)。その小さいながら心身の医療のためのすべてのスタッフがそろった医院で、受付兼医療事務のわたしも、薬剤師さんや医師や心理療法士や看護婦やレントゲン技師や検査技師と一体となって日々患者さんを治すためにつとめた。ヒステリー患者の罵詈雑言に泣き、うつの患者さんがなくなるのもみた。かささぎはここでこの時期に弟をなくす。

医師はお医師であると同時に、医院と調剤薬局の経営者である。法的にはそうじゃなくてもどこもたいがいそうです。
わたしたち従業員を路頭に迷わせないために、院長は事務局長とともに経営のコスト削減と、利益増大をはかっていた。具体的には、どこの病院もやっていたことですが、ぞろといわれる薬を使って薬価を浮かせるとか(近年の薬価改正につぐ薬価改正で不可能になった)、患者に胃がんが疑われたりした場合、毎月胃透視レントゲンを撮ったり(心配になるほどに)。毎月必要とも思えぬ血液検査を実施したり。いまにしておもえば、それらは医院経営のための涙ぐましい営業努力だった面も否めないと強く思う。

そんな思い出が「保健医療経営大学」という名前をはじめてみたとき、どっと一どきにかささぎの胸にあふれた。
きわめて個人的で現実的な感慨なのですが、これは意外に奥が深くて大変なことなのだとも思うのです。

だから、どういうことを学ぶ大学なのかは(いまだに)存じ上げぬまま、わたしたちの長男をここに行かせたい!と心が動きました。近年ひどくなる医療事故のこと一つをとっても、こういう学校が地域にあることの意義は大きいのではないか。と思えました。

身ほとりに進学先に迷っている子がいれば、みやま市の保健医療経営大学をすすめてください。性格的にまじめで、粘り強いたちの人、やさしくすなおで温厚な人に、ことにお勧めの学校です。

じっさいに通っている長男に聞いた学校のセールスポイント。

1 生徒数が少なく設備が充実しているので快適である。
2 先生に分からないことはどしどし遠慮なく聞きにゆける。
3 宣伝をしないので、人が押し寄せてこないよさがある。*
4 ちゃらちゃらしていない。落ち着いた先生、生徒が多い。
5 学食は安くておいしい。スポーツも自由にできる。
6 八女と違ってみやま市は橋一つとってもきれいで新しい。
7 政治的な事、世界の話題、ニュースの見方が解る。
8 どっと人がおしよせるものは、ひくのもはやい。
  この広大な「なーんもない」ぐるりの土地よ永遠に。
(これで、やめ。)
* この発言は、以前通っていた大学への批評だろうか。
テレビCM放映に年間1,300万円もかけていた。

2008年11月17日 (月)

青年はおとなになる

私の仕事に部下が一人できました。
むすめと同じ26歳。弘学館中学高校から久留米大学を出た無口でまじめな青年です。一人っ子らしい育ちのよさを感じるとてもすなおな子。
金銭面ではまったく不遇な職場ですから、その点について折々にまず説明しました。しかし、一番言いたいのは、学ぶことの大きさです。ここにいたら、社会の底辺が見える。そこでどんな人たちがどうがんばって暮らしているかがわかる。支えあって生きる大切さも見えるし、お金の有難さもわかる。取引先のさまざまな状況から世の中全体の景気も見えるし、政治との絡みもうすうすみえる。

色気だけはまったくないところだけど、地図も読めるようになるし、警備のいろいろを学ぶことができる。教官は厳しく優しい。だからしばらく辛抱して社会をまなぶ学習塾に入ったとおもって、がんばってください。ことに今の時期、じゃんじゃか仕事が入ってきて、編成室の電話は鳴りっぱなし、火事場みたいでボスも社長も事務も全員現場に立たねばならないときだってある。そんなとき、事務室に残っていると、隊員さんからも電話が入る。「きつい。だれかかわってくれないか。」あるいは、「ばあさんがたおれた。かわってくれ。」(これはおなじみ、天使のじじい*。18番の手ですから、余裕のないときは一切受け付けません)。こんなときの対処のしかたを学ぶこともとても大切なことで、ひとのきもちとことば、その裏側までをまなぶことになります。きっとほかでは体験できないすごい職場であろうと思います。わたしが入ったとき、四十人ほどだった隊員数が今、倍です。ほとんど独り者ですから、寮の食事の買い物(事務の役目)だってとてつもなくたいへんです。しかし、生活全般を預かり、大きな家庭を営むようなかんじの管理のしごと、やりがいがあります。みんなとても人としてりっぱな人ばかりで、勉強になります。
・・ということを伝えたのですが、さて、どうなりますことか。

*天使のじじい(アイドルと化しつつある?笑)
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_5da1.html

2008年11月16日 (日)

保健医療経営大学への道 乙四郎語録1

乙四郎の大学のことを書いてみよう。

勝手に乙四郎大学と名づけてしまったかささぎであるが、別名はありあけ国際学園といい、正式な呼称は、「保健医療経営大学」である。経営は雪の聖母会、(つまり聖マリア病院)の経営になるのかな?
ひょんなえにしで、長男がこの大学の一期生になった。
福岡の新宮にある大きな大学へ通学していたのだが、二年生にあがるとき迷いがおこり、一年休学。その間に遠い地で働いてもみた。すると、自分は何も専門知識のない人間であると身にしみてわかり、そこへ保健医療経営大学開学を
知る。いつも意見のそろわぬ両親がこのときばかりはそろって賛成してくれた。ふしぎな縁であった。(つづく)

    『赤紙』 

 役所勤めの宿命として数年ごとに勤務場所を転じている。突然の内示を受けた時には不安に胸が潰れそうになる。突然の召集令状に呆然と立ち尽くす戦時下の青年の心境か。
 戦時体験もないのに召集令状を手にする者の気持ちなど、軽々しく論じてはいけないことは百も承知。しかし、数ある赴任地のひとつで経験したある事件については、是非、紹介しておきたいと思う。
 タイ王国の地方都市へ赴任した当初のことである。任地の言葉を覚え、その地の人になりきるのが私の信条であるのだが、さすがにタイ語は難解であった。ある日のこと、郵便受けに、権威漂う葉書が一葉。隙間なくワラビやゼンマイが踊るこの文字にはお手上げである。翌日、職場でタイ人スタッフに読んでもらったところ、軍へ指定日時までに出頭しなければ罰を科す、と書いてあるとのこと。召集令状である。宛名書きを読んでもらって、数件先の家の者へ宛てた郵便物の誤配であることがわかったが、しばらくの間、召集令状をいただく気持ちを味わうという貴重な経験をさせていただいた。
 自分と関係ないとわかって、押し寄せる安堵感。その余韻に浸りつつ、帰路、例の葉書を手に、本来の宛先の家の戸をノックした。現れたのは母親らしき人。初対面だが、タイ人は、合掌を会釈代わりに、特有の微笑みで応対する。こちらも微笑みを返しながら、合掌の手から葉書を手渡し、カタコトのタイ語で、それが間違って配達されてきたので・・・と言いかけたところで微笑みが消えた。
 相手は呆然と立ち尽くすのみ。そいつは召集令状だった。微笑みながら渡してはいけない代物だったのだ。戦時、役人たちはどんな思いで赤紙を配達していたのだろうか、それまで考えたこともないことを否応なしに想起してしまうひとときであった。
 あれから十年。相変わらず、突然の異動内示に胸を潰しているが、部下に異動の内示を告げる立場にもなってきた。その場は無表情を装うが、内心は複雑である。ようやくわかってきた。そして、わかってほしい。(おつしろう)

          

                  

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