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2014年3月13日 (木)

「あゝ同期の桜」 をみる、すると雨の出陣式の画像が真っ先に出た!

)

リンク記事「生等もとより生還を期せず、一人称談議」
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-419a.html

不謹慎かもしれません。すみません。

2013年12月24日 (火)

澆季の時をかい潜り、『永遠の0』をみた。

昨日はとても寒かった。
新聞をとりに外に出たとき、中天には欠けた月がかかっていた。
今朝は半月に近い。

寒いと外に出るのがおっくうだねえ。
という83歳の母を、約束だからおばさんたち、楽しみにしているよ。
と、励まして準備をさせ、九時過ぎには車で出かけた。

八十と七十八歳の二人の叔母ものせ、久留米へ。
余りあるけない母をあんじていたが、最も入り口付近の車椅子用駐車スペースがちょうど一台分空いており、そこに停めさせてもらった。ありがたかった。

年齢はばらばら、整然と満員になった。

観て、母たちは口々に、よかったねえ!といった。
空の戦闘シーン、どうやって撮ったのだろうね。

わたしは、どうも、感想を書こうという気にはならない。

ただただ、ふしぎだった。

作者はわたしたちとさほど変わらない年令。
たくさんの資料を読み込んで物語を創ったと言われる。
うなるしかないが。

今朝、ここへ来て、開こう、開かねばと思っていたページに、どなたかのコメントが先に書かれておりました。

それを貼り付けておきます。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_7093.html#comment-103484543

新聞の記事に祖父の写真を見ました。祖父が特攻隊だったことは聞いていましたが、こんな事実があったとは思っていませんでした。私の母や私が生まれたのは戦争によって色々な人々の運命が変えられてしまった中での命だと思います。本当にありがとうございました。そして、戦争で亡くなられた方の御冥福をお祈りいたします。

さくらさんのブログにすこし書き込みをしてきました。
   (かささぎの旗)

2013年12月22日 (日)

「永遠の0(ゼロ) 」を観て~学長ブログ

保健医療経営大学学長

橋爪 章

2013 年 12 月 22 日 永遠の0(ゼロ)

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昨日公開の映画『永遠の0』を観ました。
冒頭クレジットに「永遠の0」製作委員会の構成が出ていましたが、その中に西日本新聞社の名前がありました。
西日本新聞社は『ペンを剣(つるぎ)に代えて 特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記』http://www.nishinippon.co.jp/nlp/book_shuppan/article/29541
という書籍を出版していますが、この映画でも、特攻学徒の「大石」氏が重要な役どころとして登場しています。
『ペンを剣(つるぎ)に代えて』には、大石機を部下の搭乗機と交換して出撃した大石少尉の実話があります。
大石機には「潤滑油が風防に一杯かかったので・・・涙を呑んで爆弾を海に落として引き返」さねばならないほどの整備不良があり、大石機と搭乗機を交換した部下は特攻死を免れることができます。
ネタバレになるので詳しくは紹介できませんが、映画では、上司の願いで交換した特攻機の潤滑油が風防に一杯かかり、涙を呑んで引き返した場面が重要なモチーフとして扱われています。
数年前、ある大手出版社による高校生向けイベントが開催され、各大学の学長が「高校生にぜひとも読んでもらいたい一冊」を紹介するコーナーがありました。
私は『ペンを剣に代えて』を紹介しました。

(保健医療経営大学 学長ブログ転載)

▼かささぎ日誌

約束していたので、あす、母と叔母たちを連れて観る予定。

きのう、見そびれていたドラマの最終回(半沢直樹、doctorX,)をB級動画でみたときに、永遠の0の作者のインタヴゅー動画も何本か見ました。

実話ではない作者のあたまが考えた小説であるにしても、ミステリーの部分の魅力については(ネタバレになるためちょっとしか語られていませんでしたが)、大石政則日記のことを連想してしまいました。

2013年12月17日 (火)

平成26年度診療報酬改定の動向(108) ハイケアユニット入院医療管理料と特定集中治療室管理料

保健医療経営大学学長

橋爪章

2013 年 12 月 17 日 平成26年度診療報酬改定の動向(108)

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中医協総会ではハイケアユニット入院医療管理料と特定集中治療室管理料の重症度・看護必要度の見直し方向性が示されています。
評価項目に一般病棟用の重症度、医療・看護必要度(仮称)の見直しの方向性を踏まえた修正を加え、評価方法を、ハイケアユニット入院医療管理料では現行のA項目3点以上「または」B項目7点以上からA項目3点以上「かつ」B項目7点以上へ、特定集中治療室管理料では現行のA項目3点以上「または」B項目3点以上からA項目3点以上「かつ」B項目3点以上へと変更する方針です。
一定期間の経過措置と基準該当患者割合の緩和等は配慮されます。
ハイケアユニット入院医療管理料の評価方法の見直しにより、重症度、医療・看護必要度(仮称)の施設基準を満たす医療機関の割合は、現行100%から63%となります。
さらに、重症度、医療・看護必要度(仮称)の見直し修正を加えると42%となります。
現行の過半数はハイケアユニット入院医療管理料が算定できなくなります。
特定集中治療室管理料の評価方法の見直しでは、重症度の施設基準を満たす医療機関の割合は、現行86%から26%となります。
多くの医療機関で特定集中治療室管理料の算定ができなくなります。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

▼かささぎ日誌

学長、

こちらに書かせてください。

22歳で戦死した特攻兵・大石政則さんの日記が大分県宇佐市の市民団体の方々に読み解かれて、無事、佐賀県基山町の弟さん(大石政隆氏)に届けられたという記事を昨日西日本新聞でよみました
鉛筆書きの文字がうすくなっていて、判読できなかった分があったのだそうです。
写真つきのその記事には大石政隆氏がいらっしゃいました。
また、一面のリードのところには、色あせた大石政則さんの日記が広げられた状態で写っている写真もありました。

これがブログなら、あるいはあいふぉんやアンドロイドなら、指で拡大できるのになあ。
と、それが残念であります。

肉筆は本人の息遣いを残しているから。

さくらさんが書かれています、大石政隆氏の記事です。☟

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/8885/masataka.htm

2013年9月28日 (土)

呂伊利先生おめでと会コメント集成。

コメント

お疲れさまでした。歳のせいか、早朝5時半頃には目が覚めてしまいまして。
色紙や花束、その他いただいて恐縮です。皆様方に感謝!そして、なかなか楽しい集まりでしたね。八女パワーに負けないように?今日一日は仕事に専念します。

昨夜は楽しい時間を共有させてもらいました。
おつかれさま。
お世話になりました。

ろいりーさんはもちろん、連句仲間とも久しぶりの再会でほんと、うれしかったです。
それにしても、まもっちゃん、いけめんじゃったねえ。じーちゃんも、しぶくてよかったですよ。

エメさん、幹事役、おつかれさまでした。
らんちゃん、イタリア土産、ありがとう。

ろいりさん。せいこさん。コメントありがとう。
とっても楽しかったですね。
俳句を眺めていますと、こころ一つにまるくなる。
ろいりさんとであったのは、映画館絡みだったので、なにか映画の題名を読み込もうと思いました。
マラソンマンは、見たことないのですが、さっき調べてみたら、1970年代の映画で、ダスティンホフマン主演でした。
すみ先生の英語のコメントは、歌の題名だったのですね。どんな歌か動画で出してみようっと。

らんちゃんの新婚旅行のおみやげの、ベネチアングラスのペンダント、みんなが目の色をかえて、あたしはこれ、あたしはこっち。とやっているところを撮ったんだけど、アップしたらどやされると思って、がまんしました。ろいり先生の写真もアップしたいのですが、だめかな。ひとりきりのはなかった。せいちゃんとたからさんが一緒だったり、すみ先生と乙四郎先生が一緒に写りこんでいる。うーん。むずかしいね、人物写真って。そのわりには、バシャバシャいつもたくさん撮り、それっきり。わりいわりい。

みなさん、昨夜はお疲れ様でした。(夕方コメントを書いたけれど、送信していなかったようです。)

孫連れで、お騒がせしました。おいしいお料理も久しぶりのメンバーの顔も、どちらも嬉しかった。
エメさん、お世話かけました。追加料金、知らせてくださいね。
らんちゃん、いいものをありがとう。とっても素適。どの服に合うか、考えるのも楽しいです。

10月の連句会も楽しみにしています。が、日曜日は全て予定が入っています。どうやら欠席せざるを得ないようです。すみません。

それですが、十月はしなくて、十一月に大学の学園祭のときに座を持とうということになりました。
学長さんにお願いいたしておりますが、まだいつになるかは学生さんが決める事ですしわかりません、だそうです。そのおつもりで。

ろいりさん、みなさんお疲れ様でした。
楽しい一夜でしたね。 
また集まりましょう~beer
らんちゃん、すてきなお土産をありがとうございましたpresent

保健医療経営大学の大学祭は、本年は、みやま市の秋穫祭(11月16・17日)とは切り離して、単独で11月24日(日)に実施されることになりました。
連句興行の企画を実行委員会へ提出したく思います。

それはそれで静かで良いですね。
学長とりまきさん、どうぞよろしくお願い致します。
なにしろ久々です、楽しみですね。
発句は、晩秋。その日までに選んでおきたいが。
前田先生に連絡とらねばなりますまい。
不肖かささぎの不祥事以来、なにも連絡してないので、はて、何でご不興をかってしもたかさえ、忘れてしまいました。。。
そんな情けない奴なんですみません。

お祝い句で、たからさんのはろいり先生の気持ちを忖度して、おもいを重ねて詠まれています。何とも言えず、季語が合致、可愛らしい生徒たちの声が一句から弾けてきて
見事です。

重ね重ね、お礼申し上げます。ところで、いただいた花束に食べられそうな実がついてますが、あれは?無学ですみません。
明日は、草野の発心公園である野外ライブに行ってきます。こないだ彦さんと、明日のライブに出る加川良の話を少ししました。

へえそうなんだ!おらもいきてえなあ。でも仕事。
今週は二時間半、二時間半、三時間と残業が三日つづき、その三日目の日がきのうで、その夜、ごはんたべてまったりしていると、消防車が数台、近くでとまる。え!なに。どうしたん。とおもっていると、二階から長男が、燃えている!○○さんちがもえている!!と叫ぶ。すぐさま駆け上がって窓をあけると、ううわああ・・・火柱が立ち上り、火炎はまっすぐにメラメラと、音もすごくて、数軒隔てたうちまで延焼するのではと思うほど。
熱気が圧すように伝わってきます。外へ出てみると、消防の水が水滴となって降り注ぐ。
間近で火事を見たことは初めてだった、そうだ、こどものとき、こんなに真っ赤な火事ではなく、白い煙の火事と、火事の消えたあとの黒い跡を見た記憶があった。

ついでに、西東三鬼の
赤き火事哄笑せしが今日黒し
を思い出し、あれは赤い火事で思想犯と疑われたことが関連している句なのだなと。
長くなりますが、
少年Hでチラッと小栗旬が出、思想犯の役。
オペラ歌手の藤原義江の女心の歌(風のなかの羽のように)を少年Hに聞かせながら、日本人ではこの人だけなんや。赤盤のオペラ歌手は。と教えてくれる。
藤原義江、名前と顔だけは知っていたけれど、よく知らなかったので、ウィキでいまみたら☟、混血なんですね。
わたしはつい最近、あべしげさんの「有らざらん」の、「テロリストの高下駄」を読んだばかりで、それには、アーネストサトウとかパークスなどの外交官、それにミットフォードという貴族出身の、のちのチャーチルとも親戚にあたる外交官の日本での現地妻とこどもについてのことが書かれていて、それはかささぎが阿部重夫を知った1991年頃(新聞記事で)ちょうどあのころそういえば朝日の夕刊に連載されていたアーネストサトウ伝、遠い崖、という萩原延寿(はぎはらのぶとし)の小説についての疑問をとく形のもの。
斬首二時間前のパークス襲撃犯、三枝しげる(しげるは字が難しい、草冠に公、その下に羽の点点が下向きのやつ。濡れた羽みたいな)の写真が載っている。これは。。。
だんだん重くなるんで、このへんでやめます。

そこで、加川良。(やっとでてきました)
以前ここで加川良のある歌(教訓1)があるおかたのご不興を買いました。しかたのないことだとおもう。
ストレートに感情を表出してくださったおかげで、ハッときづけたことがある。
ずうっとコメントを読んできた人じゃないと、わからないはなしでごめんなさい。
こないだの、特攻第一号のはずの久能中尉の記事についたコメントも、あれはあれでいいんだと思いました。じぶんは何も知らないけれど、だからこそ、それについて今も書く人がいてくれるってことはすごいんじゃなかろうか。八女老人会に、当時を知る大学の後輩がいて、それはきっと母校の先輩への尊敬の念から出たものであったのだろうか、書かざるを得ないような気持ちに駆られて書かれた。尊い。
どんなにいさましい人でも、死ぬのはとても恐ろしいことだったんだとわかると、ホッとする。
ええと。なにを書きたいんだったか、わからんごつなった。
ひこさんとは民謡のはなしがしたかったし、ろいりさんとは、久留米にすむ従姉の話をしたかった。
住んでたところが重なるとこがあるみたいで。
とりあえず。加川良さんによろしく。
草野の発心というの、記憶にありますよ。前にせいこさんのブログでみた。さくらさんが見えた折に案内されたところで、喫茶店の名前だった。
また、発心会というのは、かささぎと同姓の病院が経営する医療団体。たしかそう。ついでに慶仁会は近くの病院の医療団体、道仁会は久留米のやくざやさん。

※追伸

らんちゃんに聞いてみるけど、写真もとってませんし、さっぱりわからん。
花束、ちいさくてとってもかわいらしく。ブーケという感じのだった。

たべられそうでも、なんでもくってはなりません。

2013年9月 5日 (木)

平成26年度診療報酬改定の動向(41) 急性期患者に必要とされる重症度・看護必要度とは

保健医療経営大学学長

橋爪 章

2013 年 9 月 5 日 平成26年度診療報酬改定の動向(41)

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入院医療等の調査・評価分科会の中間とりまとめで打ち出された、データ分析に基づく方向性の続きです。
重症度・看護必要度に関する方向性です。
~~~(方向性)~~~
① 複雑な病態をもつ急性期の患者に必要とされる重症度・看護必要度とは何かという観点から、特に、療養病棟の患者において該当率の高い項目や、項目に該当する患者像が本来評価すべき患者像と乖離している項目については見直しを行うことが必要である。
具体的には、
ⅰ)時間尿測定及び血圧測定については、項目から削除すること、
ⅱ)創傷処置については、褥瘡の発生状況を把握するためにも、褥瘡の処置とそれ以外の手術等の縫合部等の処置を分けた項目とすること、
ⅲ)呼吸ケアについては
喀痰吸引を定義から外すこと、
ⅳ)追加項目については、7対1入院基本料を算定する病棟において該当割合の高い、計画に基づいた10分間以上の指導・意思決定支援、抗悪性腫瘍剤の内服、麻薬の内服・貼付、抗血栓塞栓薬の持続点滴をA項目に追加することが考えられるが、このうち10分間以上の指導・意思決定支援については、実施すべき内容等定義を明確にした上で、A項目に追加すること、等について見直すことが考えられる。
② こうした見直しの方向性のうち、呼吸ケアの喀痰吸引については、気道内吸引、口腔内吸引、体位ドレナージ等、内容が多岐にわたり、各病態の患者に必要なケアは異なることから、複雑な病態をもつ急性期の患者にふさわしい内容は、重症度・看護必要度の項目として残すべきとの意見もあった。

③ なお、これらの見直しに当たっては、中央社会保険医療協議会において、現場の看護師への負担も含め、どの程度の影響があるかを分析した上で検討する必要がある。
~~~~~~~~~~~
7対1入院基本料の届出病院の多くは、看護必要度基準を満たすのに苦労している実情があります。
看護必要度の項目の削除や追加が大打撃となる病院もあります。

(保健医療経営大学学長ブログ転載)

▼コメントまとめ(上とは関連ありませんが)

コメント

エメさんの特選句は他の選者でも入選句になっていましたね。
句に優劣が全くなければ、一般の部で誰かに特選か入選に選ばれる確率は823分の540なので、2句を投句すれば1句が選ばれる計算なのですが、実際は優れた句を複数の選者が同時に選ぶので、確率はぐっと低くなります。
複数の選者が選んでいる句は、確かに、私なんか足下にも及びません。

(訂正)
828分の540でした。
823はエメさんの特選句。
828のオオトリはうたまるさん。

乙四郎句はゆたりとしたよみぶりの句でした

この世界あの文月に生まれしを   乙四郎
入道や岩戸のように雲隠し       〃

優雅すぎたんじゃないですか
長崎忌は文月、広島忌は水無月で、あいだに立秋がはさまります、かね?
地獄絵をハイクには詠めないから、おのずと周辺を意識はさまよう。
かささぎは四つもボウズだったけど
来年度頑張る
チョウコク忌とはすごい発見だと思ったのになあ
肇国忌。造語ですが。
日本国の神話に国のはじめのお話がありますが、それを捨て去ることがいとも簡単にできた。
それは原爆のおかげだとかささぎは信じてる。
過去の全否定から始まったのが今の世界で。
それがまたまずいといってるけれども、こないだまではそうだった。

かささぎは宮崎駿監督の「風立ちぬ」では泣かなかった。
だけど鹿児島の詩人の岡田哲也さんは泣いたそうだ。
あのかたの感想文はとても印象に残った。
(はなしがあっちにとび、こっちにとびしていますが、根っこはつながっているのでお許しくださいね。)

いまはむかし。ということばがあるでしょう。
ふしぎなことばだ。今も昔もきっとおなじように、これ以上は謝るまい。
と思う時があって、それで歴史がターンしたに違いない。

原爆忌のころというのは、乙四郎句が認識させてくれたけども、あはひの頃です。
季節にとればそうなんだけど、農事でいえば、ことに稲の生育でいえば、青田が最も青いころ。もうすぐ穂を孕む稲に最後の水を与えなければならないころ。
あの年のコメの作況はどうだったんだろうか。

被爆かぼちゃも食したり、と句によんであったくらいだから。

あの夏は被爆カボチャも食べました  犬童ともよ(長崎)

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&ldtl=1&dtltbs=1&mcmd=25&st=update&asc=desc&pg=6&ndc1=611&ndc_lk=1&id=1000038384

ひとつ時代がおわりひとつ時代がはじまる記念日のつもり
って言わなきゃ分からんかいな

九州俳句の岩坪英子さんの樹が素晴らしかった

きのこ雲思考という帰路うしないて  英子
ひとめぐりすれば噴井のような樹よ   〃
彼女が今、面白い!

最近新聞の論壇批評でだったか被爆についての世論と被爆者の感情の流れをまとめたのがありました。
あれは考えさせられる内容でした。

日本人自身が敗戦直後には原爆のおかげで戦争がおわったと言っていたのですね。

統計をとってみました。
828の投句のうち、
選者に拾っていただけた句は39.4%
2人以上の選者が選んだ句は14.0%
3人以上の選者が選んだ句は6.6%
4人以上の選者が選んだ句は3.0%
5人以上の選者が選んだ句は1.3%(11句)
6人の選者が選んだ句が1句(52番)
これは、現代俳句協会長賞に入賞しています。
5人の選者が選んだ句は、
695番(特選3人、入選2人)大会大賞
186番(特選2人、入選3人)九州俳句作家協会賞
345番(〃)西九州現代俳句協会賞
148番(特選1人、入選4人)実行委員会賞
182番(〃)実行委員会賞
218番(〃)実行委員会賞
489番(〃)実行委員会賞
629番(〃)実行委員会賞
539番(入選5人)空がまた揺れだす気配八月忌
741番(入選5人)長崎の夜景よ通夜の灯もあろう
4人の選者が選んだ句は、
115番(特選3人、入選1人)長崎県議会議長賞
392番(〃)長崎県教育委員長賞
777番(〃)長崎新聞社賞
63番(特選2人、入選2人)長崎平和推進協会賞
418番(〃)優良賞
526番(〃)優良賞
748番(〃)八月の大きな石に腰おろす
29番(特選1人、入選3人)八月九日朝垂直に切る豆腐
503番(〃)被曝図のかげろえるまで沖を見る
28番(入選4人)噴水にゆがむ日輪ナガサキ忌
415番(〃)八十路一団よろよろとゆく爆心地
515番(〃)八月の水の底にも消えない火
712番(〃)いくさあるな昼寝の園児足伸ばす
727番(〃)闇を抱く母に添寝の八月忌

うわ。どうもありがとう。
これをはりつけるだけですぐ食べられます。
ありがたいなあ。
えめさん。この大会は今年第六十回だとあります。すごいシンクロだわ。
やはりあの句はいい線いきましたねえ。

ぱっと読んだときにイメージが二重に浮かびました。

噴水が砕く青空原爆忌   えめ

噴水が真っ黒のきのこぐもに暗転する怖さ。
さらっとこんな句がでてくるえめさんはすごい。

原爆忌語ることなく人逝けり  一ノ瀬 凛(孝子ちゃん)

たっこちゃんは無心の構えでいたいとこを衝く。苦労人。

頼りしは一本の杖原爆忌     田中恵美子(たかみやのえみちゃん)

これはもともと、パーキンソンになったご主人のまあちゃんのことを詠んでいた句なのですが、原爆忌とあわせると、まるで原爆忌自体が、人を支える杖の役目をしているかのように思えるのでした。ひさびさに俳句に誘ってよかった。また書いてね。

山王の鳥居に響くクスのせみ   調 うたまる
広島へ想い受け継ぎ長崎へ     〃

うたまるさんの二句、独特ですよね。
そのまんまの手を入れていない原石の輝きみたいな光。
調一族の有名な医師が長崎にはいらして、ご親戚だとか。
ということも加わっている?とりにとってもらっていた。

澄たからさん。旅仕舞の句が出ました。
ご主人のお父上を詠んだ句とか。

特攻の笑顔や若葉ざわめけり  たから
杖つきぬ同期の桜旅じまい   

特攻から、久能中尉の第一号特攻の記事へついたコメントを思い出す。
けれども、大石政則日記を転載していたわたしは、たとえそれが敵艦にとどかなかったとしても、どれほどの重圧にたえて敵陣へ向かったことかと思われてならない。
立派な特攻だったと称えてあげたい。

樋の口へ青葉若葉のダイビング  かささぎ

穂孕みの水引く青田肇国忌      〃

澤田都紀子    殻負うてでで虫自由に這う命

この句、地味だけども味わいのあるいい句だなあ。

さわださんは連句の沢都。文章に、「赤とんぼ」という名作あり。

どこかに引用していなかったっけ。沢田のおじいさんが零戦を作っていた話。
緊密な文章で、町工場の青春が香るような。もう一つの風立ちぬ。

八山呆夢      街中の川に蛍の夢を見む

古賀音彦       雨三日トマトの根元草繁る

東妙寺らん     石段に青いホオズキ座ってる 

おがわ千代    魔を滅す使命ありけり原爆忌

どちらさまも参加いただきありがとうございました。
やはりこれは特別な大会だなあと感じます。
毎回学ばせてもらっている。

※山下整子さんと中山宙虫さんが出ませんでした。ざんねん。
この二人がいちばん上手なのにな。

(せいちゃん、うたは応募してくれた?わたしは何もできなかった。暇ないもん。 )


 

投稿: 傘 | 2013年9月 4日 (水) 23時34分

2010年9月24日 (金)

神崎さくらさんのお便りから

このところ生活に翻弄されて父のことを書くにはエネルギーがなかったんですが、先日もまたニューヨークさんが帰国し、一緒に神社に行きその後、カフェでハンバーガー食べながら、原爆の話とか、そんなんばっかり2時間も3時間も話して英気をもらいました。もう少し丁寧に生きようって。(どんなん?)

政則さんが特攻隊の宿舎で熱を出したとき看病してくれたのは渋谷幽哉さんよ・・・・と、遠くニューヨークに長く住み続ける他人のニューヨークさんが私にこう言う。
なんであなたが???と思わずにいられない。

それにしても9月生まれ多いですね。この仲間。

原爆の俳句誌ありがとうございました。
選者の中に金子兜太さんがいらっしゃるのが目につきました。

「僕は二十年夏兵士だった」の本に登場されています。

まえがきから
金子兜太
賭博・男色、殺人・・・。
南の島でわたしの部下は何でもありの荒くれ男たち。でも私は彼らが好きだった。

南方でとても豪放磊落で人間味あふれる包容力のある上官だったようです。
日ごろ俳句界で見かける金子さんのイメージがぜんぜん変わりました。

でも私たち戦場というと毎日毎日爆弾に追いまくられ打ち合いや逃げ回ってる風景しか思い浮かばないけど、年がら年中交戦しているわけではないので
和気藹々とした職場のような日もありいい上司もいて険しい思い出ばかりじゃなかったってことでしょう。

橋爪一郎戦記読んでもそう思います。

さくらさん、コメントありがとうございます。

そのニューヨークさんのこと、おりにふれて書いてくださいますが、さくらさんともふしぎなえにしの方なのですね。

さて、長崎忌平和祈念俳句大会へのご参加ありがとうございました。

余り句会へ参加したことがない私は、募吟への投句もこれ以外はやったことがありません。しかし、全作品を掲載されて、選者の選考も透明なので、それぞれの選者の声、作品の数々、それから原爆をとりまく社会意識の勉強になるなあと思っています。せいじがらみで語られがちな句材ですが、だからこそ、というかなあ。

詳しくは存じませんが、金子とうた先生は若い頃日銀の長崎支店で銀行員をされていて、九州俳句誌にもかかわっておられたと聞いてます。

そのころの代表句

銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく  金子兜太

また、原爆を詠んで優れた抽象世界を構築したとされる句に

湾曲し火傷し爆心地のマラソン      金子兜太

があります。(この二つはかささぎ頭にも収納可。)

兜太先生が選者にいらっしゃるのは、その縁であろうと思います。
長崎忌平和祈念俳句大会の案内は九州俳句誌からいただきました。(たちきでも、てんらいつうしんでもあるようですし、九州の現代俳句系、伝統俳句系限らず多くの俳誌で案内はあるのでしょうけども)。
でも、ふしぎですよね。長崎忌平和祈念の俳句大会はあっても短歌大会はないようです。

かささぎがひそかに思うに、俳句のとてつもない短さのほうが、長崎忌の闇のふかさには合うのではないだろうか。
言葉は短かければ短いほど、抱える闇はふかい。

金子兜太;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E5%85%9C%E5%A4%AA

2009年5月16日 (土)

霊峰高野山にある慰霊塔

  神崎さくら

高野山には「大石政則少尉」も眠っています。
海軍第十四期飛行予備学生戦没者慰霊塔  

ああ同期の桜の慰霊碑に名前が刻まれています。

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-2kouya2.htm

2009年5月 7日 (木)

乙四郎、宇佐で蓑虫に会う。の巻き。

帰りました。
明日から通常勤務です。
今日は時間的にも心情的にも余裕があったので、
USAに立ち寄ってきました。
宇佐神宮。
広い。
数十年ぶりに蓑虫と再会しました。
通り道だったので、鯛生金山にも立ち寄り。
山菜うどん、おいしかった!
その昔、矢部村のさらに向こう側に、3000人もの人々の暮らしがあった。映画館もあった。
なんとイギリス人(技術指導)も住んでいたと。

その他、発見事項。
北九州空港は北九州市にはない。

訂正

北九州空港の北半分は北九州市でした。

え?北九州にあるんでしょ?
小倉にあるんじゃなかったですか?
ま、まさか、苅田町?

あ、半分が苅田町ってことですか。

そう、かんだ。たしかそうだよ。
おつしろう、おかえりなさい。
何時間かかるものなんだろう、関東から。
ところで。
おつしろう先生。
あした、たからさんと申し込みにいくことになりました。英語。ううう。わすれたふりしていたが・・・
佐藤先生、また不出来な生徒ですが、よろしくお願いいたします。たからさんは優秀でありますからね。
今日きいたはなしでは、すみ先生(ご主人ね)も独学で英語を学んでらして、それがもう二年目、今やドイツ語まで手をひろげておられるそうですよ。

みのむしの音をききにこよ草の庵 (芭蕉)

蓑虫が消えてしまった。
九州では絶滅かと思ってたら宇佐神宮の古木にぶら下がってた。
小ぶりだったので種が違うのかもしれない。

およ。ここで芭蕉をだしてくれるなんて、。
じゃやっぱ、あれです。
脇をつけてください。
おつしろうがつけてください。
かささぎは、芭蕉祭に半歌仙を奉納しようと長らくおもいながら、一回やっただけでした。今年は今からやれば間に合いそう。一つは、昨日杉浦けんぼうさんに脇を頼んで、今みたら付けてくださっています。
さまざまのこと思ひ出すさくらかな。これ。春です。
蓑虫は冬かな。
同時期、同場所の句をつけてみてください。三句。

あさがお忌のもりたけ忌のはやっているのかな。
芭蕉祭の応募要項は毎年おくられてきます。
連歌にしろ連句にしろ、法楽であるということは。

  貞享四年秋
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵

  貞享五年春
さまざまの事おもひ出す櫻かな

ぐうぜん、ほぼおなじころの句です。
芭蕉44~45歳。
岩波の「芭蕉俳句集」(中村俊定校注)で確認。

半歌仙は、文字通り歌仙の半分です。名残の折がついてないもの、ほかは歌仙と同じ。
付句はべつに芭蕉の生涯に寄り添わなくても、自分なりのよみで自分なりの脇をつければいいと思います。
なお、蓑虫については、かささぎも忘れがたい詩がある。
さぐりあてたその位置は正しい。
で始まる詩です。有名な人でなく無名の詩人の。
いわれてみて気づく。蓑虫、ながらくみてない。

みのむし:http://puh.web.infoseek.co.jp/aboutminomushi.htm

2009年3月 4日 (水)

生等もとより生還を期せず。一人称談義

こんばんわ
箒草ってほんとにホーキになるんですね^^♪
手作りのあったかみがありますねheart04

おもてんくち。
あるいは、おもてんかど。
うらんくち。
でも、うらんかど、とは言ってなかった。

ばあちゃんのことば。
「かどんくちにほってとかんの」
まじないみたいな、まかふしぎさよ。

「かどんくちにほってとかんの」

最後に・・・・「の」がつくのは福岡弁です。
2,3軒さきの家が福岡県、こっちは佐賀県の県境にあるわたしんち、見分けるのは「・・・・の」の違いでした。

福岡県 来んの、行かんの、しとったの?
佐賀県 来んね、行かんね、しとったね?

その他はほぼ共通語です。
裏んくちも。

うおおお。
ここまでこまかくなってくると、さすがのかささぎもそうじゃったろか?状態です。
せいこさん、かどんくち、ってきいたようなわすれたようなことばねえ。
さくらさんちは県境でしたか。
八女もどっちかといえば熊本のほうが近い。
むかし、ガキだったころ、山の母の里へ泊りがけで行くのが楽しみでした。ディーゼルカーに乗って。
私たちは、じぶんのことを「うち」って言ってた。でも、黒木の山の子は、じぶんのことを女の子なのに「おどん」って言ってたので、内心、うわあいなかもんやんねえって思っていました。笑
黒木瞳さんはどういってただろうね。「うち」だろか。
おどんなんてそんな熊本のおてもやんみたいな呼び方だけはしてほしくなかとです。はい。

おどん、爆笑!!!!!!!

知っとるよ、もちろん、今90歳の親戚のばぁちゃんは言うもん。

私たちも「うち」でした。

相手のこと「自分」ちゅう大阪弁にもまいるけど。
やくざ風に「知っとーか、じぶーん」

訛りが全然抜けない佐世保出身の友人がいた。田舎くさかったが、その人間性と言葉の力で自治会長に推された。
佐世保うまれのワルツ。さっき、テレビで流れてた。

美 し き 天 然
1 空にさえずる鳥の声 峰より落つる滝の音 大波小波とうとうと 響き絶えせぬ海の音 聞けや人々面白き この天然の音楽を 調べ自在に弾きたもう 神の御手の尊しや
2 春は桜のあや衣 秋はもみじのから錦 夏は涼しき月の絹 冬は真白き雪の布 見よや人々美しき この天然の織物を 手際見事に織りたもう 神のたくみの尊しや
3 うす墨ひける四方の山 くれない匂う横かすみ 海辺はるかにうち続く 青松白砂の美しさ 見よや人々たぐいなき この天然のうつしえを 筆も及ばずかきたもう 神の力の尊しや
4 あしたおこる雲の殿 夕べにかかる虹の橋 晴たる空を見渡せば 青天井に似たるかな 仰げ人々珍しき この天然の建築を かく広大に建てたもう 神のみ業の尊しや

   ↓

   ↑
この「美しき天然」のページの下のほう、「私の愛唱歌」をクリックすると、懐かしい歌がぞくぞくと出てきました。そのページの「謹告」を読んでから味わってください。
勇敢なる水兵だって、精霊流しだって、帰ってきたヨッパライだって、ケメ子の歌だって、受験生ブルースだって、レナウンの歌だって、エメロン(ふりむかないで)だって、狼少年ケンだって、まぼろし探偵だって・・・なんでんかんでんあります。
さらに、上のほうの「放送禁止曲」をクリックすると、実録三億円事件だとか、これまたいろいろ出てきます。フォークルのイムジン川もここで聴けます。「謹告」を読んでから味わってください。ヨイトマケの歌、山谷ブルース、五木の子守唄ほか、SOS、プレィバックpartⅡ、ウェディングベルもここで聴けます。

自分~>>久留米の男もそういいますよね^^
イムジン川>>高校生のころ、ラジオで放送禁止になる直前まで、、流れるとほんとにかじりついて聞いていました。 いい曲ですね~。
イムジン河>映画「パッチギ」で全編にゆるやかに流れますね。
この時の音楽担当は加藤和彦氏ですね。
シーンの中で、坂崎役のオダギリ氏がギターでしみじみと歌う「イムジン河」は秀逸ですね☆
ここだけ、CDで買いたいくらいすばらしいです^^slate

↑すみません(^_^;)訂正です。
オダギリ氏が歌ったのは「悲しくてやりきれない」でした。ちょっとごっちゃになってました。
slate最近また見たいモードです^^☆
あのやんちゃな井筒監督も同世代ですね♪
私らも含めて、このへん前後はスポット世代って言うんですよね。
団塊世代と共通一時世代のはざまにある・・・わりと自由で、欲がなく、のんびりしてるってゆうか・・・denim

イムジン河が発売自粛となり、イムジン河の曲を逆回転させた曲調をベースに作られたのが「悲しくてやりきれない」だから、その2曲は表裏一体。

さくらさん。少林寺拳法を教えている「うち」の中学時代の男ともだちは、平成のこの時代にも、自分のことを「じぶん」と呼んで、通常的会話をいたします。最初は違和感があったものの、いまは聴きなれた。

エメさん。スポット世代は、のんぽり世代でもあるよねえ。自分でもノンポリやなあって思うもん。

乙さん。うつくしきてんねん。サーカスの薄暗いテントの下のものがなしさを彷彿とさせるのはなぜ。わたしの愛唱歌には、ホント、わたしの愛唱歌が、ばさらかうまっとる。

乙さんが書かれている歌、知ってます。ほとんど歌えます。イムジン川はときどき口をついて出てきます。主人は高校へ、ギター片手に通っていたような人なので、かなりの曲を今でも弾けます。坂崎さんには負けるけど。
岡林やかがわ良のことなどよくしっています。友部正人にいたっては今でもファンクラブにはいっているほどです。
小郡で行われたコンサートに一度付いていきました。農家の納屋をステージに改造してあるところでした。ピアノがおいてあって黒い幕も備えてあり、
ちょっとしたステージでした。知っている曲は1曲もなく、私にとっては長い時間でしたが、前の席の佐賀から来たという女性はのりのりで、そう体をゆすらなくても良いじゃないといいたくなるほどでした。
私が気になったのは、幕の下から出てきた一匹のごきぶり。左端から右端までゆっくり移動して・・・
前の席なら靴で落としてやろうかと思っていたのですが、件の女性は気がついてなかったらしく(主人も)それだけのめりこんでいたんですね。アットホームなステージでした!?
乙さんがこういう歌を知ってあることにも驚きます。俗に言う頭のいい人は歌なんて聞いていない。馬鹿にしている・・・と思い込んでる私です。そうじゃないんですね。父が「歌番組ばかり見ると頭が悪くなる」とすりこんでいたので、そんなふうにおもったんでしょう。父は大正元年生まれでした。

そおらぁにいぃさええずるう・・・・を見て、サーカス小屋は思いつかなかったわ!
そういやそうね。
歌ってるのが小沢昭一というのもおかしか。

あまりに聴きたい曲が多かったので、とうとうお気に入りに入れちゃった。時間があるときにじっくり聴きたい。それにしても、ここの管理人の執念、おそろし!脱帽!すごいねえ、このバラエティにとんだ選曲は。

恋人もいないのに、悲しみは駆け足でやってくる、五番街のマリーなどなど、なつかしい曲がいっぱい。

でも、ここまでで一番わたしに受けたのは、これ。守屋ヒロシさんの「僕は泣いちっち」
14歳違いの叔父が持ってたレコード。
聴いた聴いた。まだわけもわからんチビのときに。思わず吹き出しながら、なつかしくてなつかしくて、涙が出たわ。

「私の愛唱歌」の歌詞入りの軍歌の数々には目頭が熱くなります。「麦と兵隊」にはラヂオ実況入り。中に、米国軍歌だが、自分の記憶に残る最古のSP曲があった。多分、ステレオ購入時にオマケで付いてきたやつ。
「史上最大の作戦」
The Longest Day MARCH(1962) - Mitch Miller
Many men came here as soldiers many men will pass this way
Many men will count the hours as they live the longest day
Many men are tired and weary, many men are here to stay
Many men won’t see the sunset when it ends the longest day
(乙訳)
男たちは兵士としてここに来た 男たちはこの道を通ってゆく
男たちは時を数えながら 長い一日を生きる
男たちは疲れてここにとどまる
長い一日が終わるとき、男たちは日暮れを見ないかもしれない

当時、まったく意味もわからずに何百回も聴いていた。こんな深い歌詞だったとは。
外国語は「音」でしかなかった。(シルビーバルタンのフランス語の「音」は心地よかった。彼女が日本語で歌ったレナウン娘は意味が認識できた)

それにしても(乙訳)は下手っぴ。「私の愛唱歌」にカチューシャの原詩(ロシア語の訳)と日本語詩とが対比してあります。原詩は、ロシアの軍歌だった。
(原詩)
リンゴとナシが花咲いていた
霧が川面を漂いだした
カチューシャは岸へと出かけていた
高くけわしい岸へと
歌いながら出かけていた
ステップの青灰色の鷲の歌を
愛していた人の歌を
手紙を大切にしまっておいていた人の歌を
ああ、歌よ、娘の歌よ
輝く太陽の後を飛べ
そして遠い国境地帯の兵士に
カチューシャからよろしく伝えよ
純朴な娘を思い出させよ
彼女が歌っているように聞こえさせよ
故郷の大地を守らせよ
カチューシャは愛を守るだろう
(訳詩)
りんごの花ほころび
川面(かわも)にかすみたち
君なき里にも
春はしのびよりぬ
岸辺に立ちてうたう
カチューシャの歌
春風やさしく吹き
夢が湧くみ空よ
カチューシャの歌声
はるかに丘を越え
今なお君をたずねて
やさしその歌声

日本語訳の何と豊かな響き!
でも、最近の日本の歌も負けちゃぁいない。日本語が乱れているとはいわせない豊かさがある、病院で戦う看護師たちのための軍歌。
「みんな元気!」
きみの元気は僕の元気さ ファイト!
いのちのよろこびに Yes it's goo-d goo-d Mor-nin'
だってこんなに Fine Day~
笑顔が輝けば Yes it's goo-d goo-d Fee-lin'
みんな元気に Say Hello~
僕のハッピーはきみのハッピーさ トライ!
こころがつながれば そう it's goo-d goo-d Talk-in'
はじめましてと How do you do~
あの子も笑っている Yes it's goo-d goo-d Smi-lin'
みんないい顔 Say Com'-on

出勤前にちょいと読もうと思ったら、読めない濃さであります。帰ってからじっくり読ませていただきやす。

一人称代名詞
このブログに初投稿したのは3月2日の夜だったので、1年が経過した。このブログ上では、よく一人称として「乙」を使った。時に「私」。書き物の場合、一人称はよく用いる。しかし、口語では事情が違う。
小さい頃から「僕」は使っていない。自分のことを「僕」と称する同級生が気障っぽかったので、そう思われるのが嫌で使わなかった。作文の宿題の時に嫌々使っただけ。男の子は「僕は・・・」、女の子は「私は・・・」。日常生活で「僕」は生涯一度も使っていない。
「私」を使うことはできない。女、女といじめられる。「おどん」は田舎っぽくて絶対に嫌。「俺」は、ひ弱系の人間は使わない。
かくして、一人称を全く用いずに、幼年期、少年期、青年期を通過した人間が生まれた。ごくごく小さい頃、周囲の影響で「ウチ」を用い、それが間違いだと知らされ恥ずかしい思いをして以来、一人称を避ける癖が身に付いていたので、比較的楽だった。
成人し、面接試験など一人称の使用が必要な場面が訪れた頃からは「私」。作文の時の「僕」みたいなもので、割り切れる。日常生活は一人称なしで過ごした。「私がやります」→「こちらでやります」みたいな翻訳リストが脳内にぎっしり蓄積されている。公務員は自分を前面に出してならない滅私奉公の職域。一人称なしで困る場面はほとんどなかった。子どもに対しては一人称で強い親を演じなければならないこともあったが、そういう時は「お父さんにまかせなさい」。
最近は、「私」の使用場面が増えてきた。大衆を前に「私」と称することに抵抗がない年齢となってきたため。使ってみると、以外と楽。翻訳リストも少しずつ消えつつある。でも、いまだ家族は「私」が一人称代名詞を口にするのを聞いたことがない。

 私も仕事中にふと覗いたら、その濃さに驚いて、思わず仕事サボってコメントします。
 「美しき天然」はそのワルツのジンタッタというリズムから「ジンタ」という通称がつき、サーカスやチンドン屋の曲として有名になったようです。イムジン河を初めとするフォークル関係・パッチギ関係については語りたいことが多すぎて省略。ロカビリー「3人ひろし」の1人だった守屋浩、その友達なのに全く女性に人気のなかったかまやつひろしのことも、いろいろコメントしたいけど省略。
 「史上最大の作戦」の作曲は「ダイアナ」のポールアンカで、「ザ・ヒットパレード」では誰かが日本語で「いつも 戦いはつらい ものだぜ…」と歌っていた。ちなみに「北京の55日」の日本語バージョンを歌ったのはあの克美しげる、そして映画には伊丹十三が出演している。
 一人称を「自分」と言うのはもともと軍隊用語らしく、そこから体育会系的用語になったのが、一般にも広まったのではないだろうか。関西では二人称で「お前」みたいなニュアンスだから、使い間違えると誤解されてさあ大変、ヤーさん出てきて何やわれ、おっちゃん一緒にケンカしよ、となる。
 

 職場のパソコンで送信したら名前が出なかった。ついでに追加のコメント、「史上最大の作戦」の原題は「The longest day」で、これをもじった日本の終戦記念日映画が「日本の一番長い日」、怪獣映画が、キングギドラ初登場の「三大怪獣 地上最大の決戦」です。ところで、「史上最大の作戦」を日本語で歌ったCDは出てないのだろうか?

のっとられた、完全にブログを。笑

美しき天然とは縁があります。ちんどんやの歌とおもっていましたが、ジンタはこの曲をさすんですね。
櫻濃くジンタかするゝ夜空あり  秀野
墨堤での句。
ぼんの父上は大正元年生まれ。これには驚きを禁じえませんでした。何歳のときのこども?かささぎは計算ができん。えーと昭和29年生まれだから29に大正年間の14年を足すと、43か44だよ。考えたらちがうはずよね。うちはどっちの親とも24しか離れていない。生れたとき親は24だったからだけど。環境におやの年齢は関係するよね。そういうのすべてひっくるめて、いまの愛情深いぼんがある。

おつしろうを小学校のときから知ってるけど、といっても遠くから知ってるって意味だけど、昔からきみの印象はどことなく浮世離れしてたよ。最初の文で書いてるけど、「老」ってことば、がぴたっとはまる気がした。そんなこどもってほかにはいない。なんでかしらんが、きみには「公」ということばがにあった。
んで、この「私」をさす呼称についてのこだわりかたを読んで、深くおもったのは、なんでやねん。ってことだよ。
ひとはそんなにはやい時期から自分の運命に従順であるわけ。なんで。わからん。

ろいりさん。きっとがっこの先生か公務員でしょう。そんなかんじです。勝手にそう思っている。

ではさようなら。ねむいのでねます。
一日こきつかわれたので、許容限度量をこした。

わたしはまだいいほうだ。弟は34年生まれだから父が48の時の子。熊本君にはまけたね。
母は大正8年、9人兄弟のただ一人の女。(たぶん)呉服屋のお姫様だったらしい。なにせ、八女津高女を出ていなさる。八郎叔父さんだけが存命。私ももう寝よう。明日も5時45分起き。おやすみ。

 山本五十六はもっとすごい、父親が五十六歳の時の子だからね。うちの父は昭和2年生まれで若いと思っていたが、早生まれなので学校では大正末年と同じクラス、というか、そっちが主流派だったらしい。
 ところで、私も実は乙四郎さんと同じく、姉の影響で小さい頃、恥ずかしながら「うち」と言っていた。その後は「僕」と「おい(俺)」の使い分け、今でも家族や筑後地区の友達には「おい」(これに格助詞の「は」が付くと「おや」か「おりゃ」に変化)、ちょっと皮肉ったりすねた感じの時は「あたし」「あたしゃ」、それ以外で親しい人には「僕」、ちょっと公的には「私」(文章は親しい人にも)、大学時代の関西系友達には「わし」「わしゃ」を使うことも。同人誌的なものには「おいら」を使ってたこともあるが、これはビートたけし登場以前。昔何かに、一人称をいろいろ使い分ける人は信用できんと書いてあり反省しようとしたが、やはりこうなるのは多重人格のせい?ところで神津島では老若男女問わず、自分のことを「おい」というので、最初はびっくりした。自分の家のことを「おいんげ」というのは、久留米の男言葉と一緒。
 二人称の使い方は、ボランティアで外国人に日本語教える時難しい。「あなた」なんて、丁寧語のようで却って相手に失礼に当たることも多いし、「あなた♡」ってな場合もあるし。コリアン語も似ていて、同じ言葉が「あなた♡」になるかと思えば、「貴様」のようなニュアンスにもなる。あ、でも三人称も難しいか。

呂伊利さん、このごろかささぎの毒にやられてませんか?(笑)

異動or移動と言っておられたようですが、いずこへ?言えない?時を待ちましょ。

三潴は自分ちは「おりげ」です。かあちゃんは「かか」落ちたは「ひっちゃげた」わかめは「めのは」茸類は「なば」・・・ほかにもいっぱい。

「おりげ」は、叔父たちも使っていました。
「おどん」「おまん」複数形になると「おりどん」「おまんどん」に転じます。叔父に至ってはいまでも使う。彼らは方言の宝庫。貴重な存在。

一人称、わたしも使い分けるほう。多重人格ではないが、職業意識がそうさせたものだと。しごとでは、「わたくし」、あるいは「わたくしども」。個人的には「わたし」幼いころは「うち」と呼んでました、もちろん。高校時代か中学生のころの一時期「ぼく」を使ってましたっけ。赤面ものです。

箒草のほうきから、一人称の話題で盛り上がる、連句的転じ方。かささぎの旗。おもしろくて、日に3度も4度も覗いて、自分のブログより長く滞在しておりますが・・・、これってsweat02

山本いそろくの数字の意味はそういう意味か。しらなかったな。

自分のことを自分というのは生硬なかんじがする。
しかし、東条英機の雨の昭和18年の学徒出陣壮行会にて、代表が挨拶したのに、せいら。ってじぶんらのことをよんだのにだけは、ほんとうになんともいえない悲壮感が、あった。
せいら、です。生等もとより生還を期せず

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