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2009年11月14日 (土)

政権交代と医療(60)  乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2009 年 11 月 14 日 土曜日

来年度予算の概算要求が発表されて4週間が経ちました。

例年であれば水面下では省庁間の調整が進行し、来年度に向けての閣僚発言も活発化してくる頃です。

新政権でも閣僚発言は活発ですが、例年と異なるのは、閣僚によって発言内容が異なることが目立つことです。

横断的な調整がうまく行っておれば、閣内不一致は起きにくくなります。

行政機構では「縦割り」の弊害が起きやすいことから、従来は、省庁間で調整に調整を重ね、調整が済んだ段階で対外的に方針が発表されていました。

昨今の報道は、財務大臣はこう言っているが○○大臣はこう言っている、という類のものをはじめ、総理や副総理に至るまで、閣内の発言に統一性がない、究極の「縦割り」が放置されている状態になっています。

財務大臣は財務省の立場を主張し、総務大臣は総務省の立場を主張し、厚生労働大臣は厚生労働省の立場を主張し・・・と、概算要求提出直後のコメントであれば容認されるような縦割りの思考が、今になっても堂々と公言されている異常事態です。

「縦割り」弊害の時代に逆行しまいかと心配です。

医療に関しては、診療報酬の扱いが、縦割り体制の中でどう決着されるものかが気になります。

行政刷新会議の評決と政権政策との整合性もありません。

調整がないがしろにされ、結局は声が大きい(財布の紐を握っている)者の主張が問答無用に通ってしまうのではないかと懸念されます。

厚生労働大臣は13日、次期診療報酬改定率の上昇をできる限り抑えたい意向を示しました。

「コストが引き下げられる部分はできる限り引き下げていただいて、その差額を上げるべき部分に使う」と、改定率の上昇を抑え、財源の配分見直しで対応する意向で、行政刷新会議の評決に沿った発言です。

財務省との調整が済んだのかもしれませんが、診療報酬の大幅アップを信じて新政権に投票した多くの医療関係者を裏切る発言であることは否めません。

「学長のひとりごと」より転載しました。

▼昨日からの続き連句的コメント:

首相の立場にあらんとする人が「最低でも県外」と言明する場合、常識的には県外案がまったくの白紙ということはないはず。(財源がないのに金を配ると平気で言明するような非常識的な人であれば話は別ですが・・・)
過去、非公式に協議された県外案は佐賀空港案、苫小牧案のふたつだけみたいなので、佐賀空港移転はまったくのガセとも言い切れないかも。
いずれにせよ、本日来日の米大統領は、年内決着をピシッと要求して帰るでしょうから、政界は年末まで何かと慌ただしくなることでしょう。

さがくうこう。ひゃーびっくりした!
でも、いわれてみれば、たしかにうんと近いね、のーすこーりあに。でもだからってこっちにうつっちゃっては、北を意識しすぎていかにもってなかんじでギラギラなかんじ。
けっきょくやっぱりおきなわにおいたまんまになるようなきがする・・・。だって財源がないのに金を配ると平気で言明するような非常識的な人だから。

 佐賀空港への移転、これは真面目な話いいアイデアではないか、佐賀にたくさんお金が落ちるし。と思ったがまてよ、佐賀空港は貨物便の利用がそこそこ多くて、それ以上の赤字を抱えている空港、あるいは空港建設予定地がもっとあるらしい。しかし何を基準にしていいのかがわからん。いろいろ検索してみたら、佐賀空港はワースト3位という記事もあれば、福島空港が需要予測達成率ワースト4位というのがやたらいっぱいでてきたり、あと静岡空港とか、来年開港予定の茨城空港とか…
 こうなったら、その赤字空港を維持している団体で入札やったらどうでしょう。米軍基地引き受けます、その代わり、赤字分は国民の税金でまかなう。明治以来、いや江戸時代から沖縄にはたくさんの苦い思いをさせてきたのだから、それぐらいしてもいいでしょう。

いつもおもいますです、沖縄にたくさんのいたみをへいぜんとあたえてきてなにもかんじていないなわれらは、と。知識としてはわかってるけど、日々のくらしがいやでもやってくるから、それにおわれてわすれてしまう・・ってことなんだけど。じっさいにそこで暮らしたこともなく、基地のもんだいを肌でかんじることができない。想像でものをいうだけです。

「世界中に出撃する海兵隊は、沖縄の基地から単独で行くのではなく、まず佐世保港(長崎県佐世保市)から強襲揚陸艦が沖縄に出発、沖縄で海兵隊を乗せて目的地に向かう。朝鮮半島で有事の場合、佐世保から沖縄まで約2日かかり、沖縄での搭乗に数日、そこからまた九州方面に戻ってから朝鮮半島に向かうので、航路で4日分ロスしてしまう。」

こういう実務的なことをずばり書かれると、どっひゃあ!!と腰をぬかさんばかりに驚き、まさに戦前にあることを実感します。もうそこまでいっていたの、ちょっとまって意識がついていけない。

でありまするので、最近のかささぎの旗がやけに政治的なものになりつつあるのを承知の上で、話題をころっと転じます。

九州俳句に沖縄がない。と以前かいてしまいましたが、その意味は、沖縄の俳人が参加されていないという意味ではなく、九州俳句大会は沖縄では開催されない。という意味でした。係りの人に前に尋ねた。誤解を与えてごめんなさい。ちなみにらんさんが入ってくれた。九州俳句。ありがとう。みなさん。九州俳句、はいってください。れぎおんみたいに季刊で年に四冊配本。九州の名ある俳人が数多く所属なさっています。そのかたがたの作品とへいきで肩をならべられるというところが、この俳句誌の魅力であり、かつまた、どうしようもなさであります。※
※これ、この意味ですが、歴史ある短歌誌同人のせいこさんとかにはわかってもらえるとおもうけど、たいがいの同人誌は年功序列でして、一定の修行をつまないと上にいけないんだ。裏をかえせば、年季さえつめば上にいけるってことだよ。

2009年9月17日 (木)

圭衛子師の大阪弁「いちびる」

前田圭衛子師から電話がありました。
俳号のことについてです。

「恭子さん、なんでこの調さんは“しらべ歌丸”なんていちびった名前にしはったん?」

「いちびる?うーん・・たしかにふざけた名前ですよね。半分お遊びが入っていますよね。でももしかしたら、いや、たぶん、自分の血の中には伝説の通り後鳥羽院と待宵の小侍従がいると思えば、歌を意識せざるを得ないし、それと星野調一族ってことで、星野に来たかもしれない柿本人麻呂も意識して人丸のむこうをはって歌丸にしたのかもしれません。」

「そうでっかー。あたしら歌丸いうたら、あの落語家のあたまつるんの歌丸しか思い浮かばんわ~。なんかもったいないわね。ぜんぜん歌丸ってかんじじゃない人なのにねえ。」

「そうですねえ。もう一度たしかめてみましょうか。」

「最初に俳号はよく考えてつけないとあとでたびたびは変えるものじゃないからね。ふつうは姓だけは自分の姓を残しておいて、名前だけを変える場合が俳人は多いです。ところで、この連衆のなかの乙四郎さんはどうして竹橋ですか?」

「ああそれは。うーん。もともと高校の先生だった高橋甲四郎先生の名前の向こうをはって乙四郎と名乗ったらしいですよ。で、竹橋はじぶんの本名に橋があるからなんじゃないですか」

「ははあ高橋をいちびったわけですか」

「先生さっきから、そのいちびるっていうのは何ですか」

「あら、知らんの。大阪と京都ではよおく使いますがな。いちびる。ひとりでうれしがるみたいな、おちょくるみたいな、そんなんですわ。これ、深いんですよ、語源。光田和伸先生がれぎおんに芭蕉の冬の日歌仙を連載されていたとき、書いてはったんですわ。ほら、昔は市で振り売りをして歩いたでしょう。天秤棒をもって。それから来たことばですねん。市で振る、いちふる、いちぶる、いちびる。ってなまってきたことばだということでっしゃ。

「へーえ。すごいもんですねえ。さっすが上方文化!でも、先生がいくら私たちを歯に衣着せず叱られても、あんまり応えないのはそのことばのおかしみのせいですよね。あとで考えたらかなりきついことをいっぱいいわれているのに、ちいとも腹がたたないっちゃん。これはみんなそう思っているんじゃないかなあ。

「そうですか。ちょっと言い過ぎたかなと反省してるとこですがな。でもあの山での二日間、まわりはみな特徴的な九州弁の嵐のなか、ほんまにおもろいなあ!と思うて過ごさせてもらいましたわ。」

「ありがとうございました。こんな山の中まできていただいて、手をとって教えていただいて」

2009年9月13日 (日)

黒木の旭  歌仙『ときにヘレナは』

黒木の旭

亜の会歌仙  『ときにヘレナは』

    捌・前田 圭衛子

満月や黒木に平家物語           姫野恭子
   紅葉且つ散る矢部のせゝらぎ    前田圭衛子
秋惜しむ歩道橋より手を振りて       山下整子
   手柄話と柚餅子みやげに       東妙寺らん
さりげなく百歳になるめでたさよ      澄 たから
   遠く近くに息寒々と           調 うたまる

いづこより跳ねて来しやら雪兎       竹橋乙四郎
   見える見えないそこが狙ひ目     八山呆夢
まったりと重く背を押し添ひ遂げな        呆夢
   恋しかるらんむかし翁も           乙四郎
釣忍・・・愛の終りを告げてゐた       古賀音彦
   軍艦島に降る夏の霜             たから
錫杖の影落したり峡の道              うたまる
   病も酒の肴ともなり               たから
急げども辿りつけない夢なりし           呆夢
   おほみたからと百姓を呼ぶ          恭子
いつの世も布に包みし花の魂           うたまる
  つちふるもよし雨降るもよし          整子


ままごとの皿に糸遊・わらべ唄        青翠えめ
   猫の品格天下とるなり             らん
哀しきを畳む新聞紙のゆがみ           整子
   ときにヘレナは元気でゐるかい?      整子
共寝して地平かなたの的を射る          乙四郎
   君のぬくもりこの腕の中            えめ
流れゆくものの速さと数へ日と           恭子
   初鶏出づる伊勢の玉垣            呆夢
しんしんとうすむらさきに山明けて         恭子
   孫に教はる鉄道模型              えめ
東京の映画館(シネマ)で知ったペーパームーン  
                              丸山消挙
   裂(きれ)縫ふ夜は鳥渡るころ         たから


新ちぢり落つる音する寓居なり          呆夢
  万屋で買ふマイルドセブン           恭子
いつみても二分遅れの水時計          整子
  潮騒聞くや砂のはまぐり            うたまる
花ふゞきお国の為に散りぬるを          えめ
   親展とどくてふてふの里            らん
   
      

平成21年9月12日~13日
於・八女郡黒木町・グリーンピア八女
   研修室「蹴洞(けほぎ)の間」

捌: 前田圭衛子師(神戸市在住)

連衆:

調 うたまる
丸山消挙(投句)
古賀音彦
竹橋乙四郎
青翠えめ
澄 たから
東妙寺らん
八山呆夢
山下整子
姫野恭子

「楽しくて充実した山の二日間、有り難うございました。満尾しました『ときにヘレナは』の巻、加筆はほんの少し、・・・皆様の御力のたまもので実に素晴らしい歌仙一巻となりました(「兵六玉」を超えたかも)。心からなる感謝を捧げます。また会いましょう!」
       前田圭衛子    

2009年8月 4日 (火)

山下整子の留め書きをアップしました。

れぎおん夏号掲載の亜の会歌仙『兵六玉』、留書をアップロードしました。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-2.html

2009年7月29日 (水)

歌集『チョコレート革命』と映画『TANNKA 短歌』とかささぎと

 DVD映画『TANNKA  短歌』(阿木燿子監督)をみた。

 原作は歌人・俵万智。
 映画のなかに効果的に散りばめられている、『チョコレート革命』の短歌作品。
 一人の女の、若い男と中年男性との色恋をえがく。
 恥ずかしながらかささぎはこの年まで成人映画をみたことがなく、女性監督作品なのに、!という場面が続くのでどぎまぎしたんですが、みているうちにだんだん監督の意図もわかってきました。以前ジュディ・オングが歌っていた『魅せられて』の詞を書いた阿木さんの「してやったり」って顔がうかんでくるような映画でした。
すきなおとこのうでのなかでも、ちがうおことのゆめをみる・・って歌詞を書いてた人ですし、おなじおんなとして、きもちはじゅうぶんわかります、かささぎも。
監督インタヴュー:http://www.hollywood-ch.com/report/interview_tannka.html

 この俵万智の歌集が話題になっていた頃、『連句誌れぎおん』に歌集評を書かせてもらっていたのをひょっこり思い出しました。(れぎおん20号、1998・1月号『俗の細道(八)』)
 れぎおんの前田圭衛子編集長には一種独特のやまっけみたいな気があり、その強力なそそのかしによってつい書かされてしまいました。
久々に読み返すと、自分のつっぱりが透けて見えるし、正直な苦悩もどこかにみえます。
妻にとっての愛人というみえざる「敵」の歌集と正面から切り結んだ、もう二度とは書けない文章であります。

かささぎのライフワーク「張形としての俳句」とまっすぐつながるテーマ。
自己嫌悪の情をこめ引用する。(私はなんとうそつきだったのだろう。)
この文章をかいたころの自分と、今の自分ではかなり意識が変わっている。
育児をしていた、家庭をまもるのに必死だったこのころの私は、自分の性をやっきになって否定しようとしていた。べつのことばでいえば、抑圧しようとしていた。いまはそれがよく見えます。映画は、そういった抑圧のいやらしさを自然に解放してくれる。ありのままでいいんだと、すべてを肯定してくれる。それはとってもやさしいことに思えてきた。
自分のこれまでの人生って、いったいなんだったのだろう。
もうすこし、女性性をだいじにしたいし、女であることに誇りを持って生きていこう。

俗の細道(8)
ー 『チョコレート革命』 優等生の幸福な不幸ー

      姫野恭子

 俵万智の『チョコレート革命』批評を試みてみたい。普通批評のためには、なにか確固とした比較の対象が必要なのであるが、そんな大層な“短歌の地平”を所有するだけの知識もない、短歌初学のミーハーであれば、思い切り過激ないちゃもんをつけるのが積の山である。初夏だったか、西日本新聞の文化欄で伊藤一彦氏の同歌集批評文を読み、全く同感であると紙面に相槌を打ったことを覚えている。それで、批評の勉強のために、千五十円支払って歌集を買い求めてきて読んでみた。

 なんと今年五月八日の初版なのに、私が八女の積文館書店で買ったものは「六月十日十八刷」である。誰が買って行くんだろ。私みたいにいちゃもん付けるために読むという心貧しい者たちは、わざわざ買ってまでは読まないだろうから、やはり万智さんのファンの方々が大勢いらして、その方々が購読されたのだろう。

 優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる

 歌集をひもといて最初の章の五首目に置かれた歌である。この「チョコレート革命」は後記によれば作者二十八歳から三十四歳までの作品を、制作年順ではなく内容によって並べ替え、編集したものとある。万智さんは連句もなさるようだから、この作業は序破急その他自然な意識の流れを考慮して編まれたものと思う。

 上記一首はなんとよくこの歌集の出自を語り得ていることか。
アイドルが脱いだ、というだけのことだ。ブリッコするのも苦しい年になった歌手とおなじね。なんていったら、あんまりだろうか。
 それにしても、抱かれた抱いたという語の頻出する恋愛歌集を読み通すのは、ツライ。つらい、かったるい、てれくさい、気が重い、よだきい、しからしか。
そ、せからしか。
三人の子持ちで恋愛やフリン等から最も遠い距離にいる主婦にとって、それが偽らざる感想である。

 抱きあわず語りあかせる夜ありてこれもやさしき情事と思う
 水仙をふるさとの花と思うとき暗き海色の花瓶を選ぶ
 骨の髄味わうためのフォークありぐっと突き刺してみたき満月
 「恋」は「孤悲」だから返事はいらないと思う夜更けのバーボンソーダ

 肉欲的なうたからは離れたものを選んでしまった。一応、この四首をだしにして、何かを語り得たらとおもう。
 まず「やさしき情事」の歌。わたしはこのうたの「これも」という語が気に食わない。「これぞ」でなければいけないと思うのだ。三十代の俵万智の考える情事が、性愛的な戯れであるとしたら、四十代の私の考えるそれは肉の交わりのない霊的交歓であり、たとえばアガサ・クリスティーがメアリ・ウエストマコット名で書いた小説「春にして君を離れ」に描かれたヒロインの夫とヒロインの友人との、おなじ痛みを分かち合うだけの関係などはとても印象深く残る「やさしき情事」である。
 二首目、水仙の歌。俵万智の故郷はどこだろう。大阪生まれ、とあるから、与謝野晶子と同じ関西人だったのだ。このうた、暗き海色の花瓶がとても効いている。蒼い海色ではなく、暗き海色の花瓶に活けられて、凛とした香気を立たせる水仙は、この歌を詠んだ日の俵万智そのひとに違いない。私はこの歌の香りを信じたいし、煩悩の穢れを無意識の裡に祓っているものとしたい。
 三首目の満月の歌。なんて痛々しい。癇癪を起こした女の自虐の歌。骨の髄を味わうフォークというのがどんなものか知らないが、歌のコワサは理解できる。満月にフォークを突き刺したいとの願望。
 ここに引きたいのは「元始女性は太陽であった」で始まる有名な平塚らいてうのことばであり、その思想への反感である。青鞜の時代には輝いていたスローガンであろうが、時代を経た今、とても使える代物ではない。なんとかこのことばの桎梏を解けないだろうか。これからの女性の理想像の提示。
 これしかない。と思えるものが、実はある。
 「nothing like the sun」である。英国の歌手、スティングのアルバムタイトルにある「太陽の比ではない」存在の月になること。女は月でいい。いやむしろ月こそ太陽もしのぐものとして輝くことができるのである。スティングは霊的なすごい力をもった詩人だ。このナッシング ライク ザ サン と言うことばは、シェイクスピアのソネット130番の冒頭にある、「わたしの恋人の目は少しも太陽のようではないし、」と始まる恋歌である。それをスティングは「シスタームーン」で月の賛辞として復活させた。もうわたしたちは太陽になんかなりたくはない。月のようににびいろのやさしさで傷ついたたましいをいやす、そんな存在の女性が今後は求められるはずだ。
 最後のバーボンの歌。恋は孤悲、という言い回しを最近私は何かで見た。
そうだ。おそらく俵万智と同世代とおぼしき歌人、松山の俊成圭の処女歌集『風を聴く耳』(青葉図書)にあったものだ。

 つれづれに歌えば孤悲は濃く淡く流れる時の空を彩る   圭

 時代の不幸とは何なのだろうか。自由が不自由な檻であることに気づかないふりをしなくちゃいけないこと。ああ、振り返れば、現在中一の長女が小4の少女だったころ、保護者参観で性教育があったときのことが忘れられない。赤ちゃんは愛し合った男女二人のセックスによって生まれてくるのだ、と先生はおしえた。これはうそである。愛情がなくても人は性交できるし、愛情があっても赤ん坊が生まれてくれないこともある。『新世紀エヴァンゲリオン』という本音むき出しの、過激な少女漫画が異常なほど娘たちのこころを捉えたのは、こんなおとなの欺瞞に虫唾が走る魂の自然な要求であった。これにでてくるヒロインヒーローたちの家庭は最初から崩壊している機能不全家族である、というのも圧倒的な共感を呼んだ理由だ。
 俵万智の不幸は、野性を認めぬ時代の代償行為のごとく、唯一残された身のうちの野性=性愛を愛情と錯覚したことだった。おっとにふりんをされたつまのがわからものをいわせてもらえば、そうだ。優等生ほどでっかいフォークで月を抉っているように思えて、不憫でならぬ。

 (連句誌れぎおん20号、1998年1月号掲載)

2009年4月12日 (日)

前田圭衛子捌・歌仙 『兵六玉』  

 歌仙 『 兵六玉 』  
             前田圭衛子・捌
             於・保健医療経営大学

 
  有明の母の匂ひや涅槃西風     東妙寺らん
    あす来るひとを待つ望潮      姫野 恭子
  なだらかな稜線走る野火ありて    中山 宙虫
    散歩する道立ち止まる道     八山 呆夢 
  わが街の靴屋に靴の売られをり   山下 整子
    縁側に掛けはったい粉食む   竹橋乙四郎

 
  梅雨激し姉と妹のひらく傘         恭子
    ペットボトルは大河下れり        虫
  風さへも偲ぶふりして樟の森       整子
    兵六玉といふは哀しき         恭子
  河童橋果実のやうに落ちる恋     らん
    栞はさみて細目閉ぢつゝ        乙
  月寒し一滴に泣く角砂糖          夢
    切り裂きジャックのやうな流感     整
  けもの等よ土足でここに棲まないか   虫
    砦を築くロックガーデン         らん
  花の字は人立ち座る枝の下        乙
    年金通知と小鳥来るなり        恭

名残の折

 春昼の眩しき中を労働歌        夢
   あみだを引いて当るロボット    虫
 乳母車押してノンノを買ひにゆく   神崎さくら 
   ふるさとの山ただ青くあり     整子
 筆洗ふ濁り水なりそしてまた    乙 
   茨いりくむ先は短夜       整子
 感じてる感じてゐない丘と指     恭
   天然酵母を寝かせてみたし    整
 何事も運命(さだめ)のままにバス逃す 乙
   ええとこどりで星の占ひ       乙
 極東の空に放てり望の月       整
    羽が破れし精霊とんぼよ     恭

名残裏
  
  
秋高し背伸びしてゐる狛の獅子    らん
   技を磨きて余生に向かふ      虫 
 同窓の酒は過去へのタイムマシン  乙
   黄のくちばしが籾をつっつく    恭
 外科室を閉ぢてうしろは花万朶    虫
    希望の粒が渡る初虹      らん 

 捌  前田圭衛子
     兵庫県神戸市在住俳諧師
     連句連歌誌『れぎおん』編集発行人

 連衆
    神崎さくら (一句のみ)
    竹橋乙四郎
    中山宙虫
    山下整子
    八山呆夢
    東妙寺らん
    姫野恭子

資料

涅槃西風(ねはんにし):http://haiku.blog.livedoor.com/ichiran.php?kg=2361
望潮(しおまねき):http://ariakekai.ddo.jp/
野火:http://sendan.kaisya.co.jp/kensaku/ikku060302.html
はったい粉:八女人かささぎは「こうばし」といっていた。
季語、夏。
河童橋:http://shinshu-online.ne.jp/livecam/kamikochi/
切り裂きジャック:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E3%82%8A%E8%A3%82%E3%81%8D%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF
ロックガーデン:http://www.hiroshima-bot.jp/ennai/rock/index.htm
労働歌:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%AD%8C
ノンノ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%83%B3%E6%97%8F
極東:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1
精霊とんぼ:http://map.edb.miyakyo-u.ac.jp/akatombo/p07.html
狛の獅子:http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-ytpprn&p=%E7%8B%9B%E3%81%AE%E7%8D%85%E5%AD%90&ei=UTF-8
籾(もみ):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%BE(春)
外科室:http://homepage2.nifty.com/hituji/new_page_22.htm

希望の粒=希望は数えられる名詞。一粒二粒と数える。
     (新明解)

  

留書

  牧歌的な風景のなかで

        山下整子

 風の姿を直截的に見ることはできないが、風にあおられるものを媒体にして、風は姿を見せる。
 草原。木々。雲。そして、麦畑。

 麦畑がひろびろと広がる牧歌的な風景の中に、今回の連句会場となった保健医療経営大学の学び舎は建っていた。理事長室の大きなガラス窓から、その牧歌的な風景を眺めていると、一面の麦畑にさざなみのように走る風のカタチがあざやかに見えた。

 牧歌的な風景の中で暮すものが牧歌的な生活をおくっているかというと、決してそうとは限らない。農業はことさら厳しい環境にあり、また、昨春オープンしたばかりのこの学び舎も二年連続して定員割れを余儀なくされるという緊迫した状況でもあるのだが、緊張の日々を強いられているはずの学長は、そんな気配は微塵も見せず、小うるさい連衆をノビタ君のような笑顔で、こころよくお迎えくださった。

  風が第三者の力を借りてその姿を見せるように、学び舎というものも、誰かの力を借りてしか、その本来の価値を見せられない。そう、実績、あるいは成果という名の「学生が身につけたもの」こそが学び舎の価値として世間に受け入れられるものなのであろう。

 頑張れ、学長。いや、頑張れ、日本にたったひとつしかない保健医療経営大学に学ぶ一期生の学生たちよ。
 

    

2009年1月31日 (土)

連句誌れぎおん冬64号に答えがあった!

連句誌れぎおん。

初めて読んだのはいつだったろう。一目でひきつけられた。
まったく他の俳句誌とは違っていた。わたしは夢中になった。
その頃はまだ甲子園にいらした前田編集長に文章を送り、初めて載せて貰った時のことを鮮明に覚えている。
13号で『俗の細道』という連載随想を持たせてもらった時の晴れがましさも。

今、かささぎの旗では天文24年の八女戦国百首和歌『夏日侍』をよむことに集中しておりますが、主たる読み手である竹橋乙四郎がやむをえぬ窮状のため休場となり、かささぎは一人で光りものを集める作業を続けます。そのうち事情は好転すると信じて。かささぎは竹橋乙四郎を信じている。

れぎおん冬号が届き、やっと時間がとれたので読む。
今朝まで引用をさせていただいた『連歌師』の鶴崎裕雄先生の連歌の留書!
疑問だった「百首和歌」というジャンルへの答えが載っていました。
あっと思いました。これは引用しなければいけない。
氏への断わりもなくこんなことをしていいのだろうかと躊躇しつつ。
無礼の段は、おゆるしください。

『直江兼続と寄合の文芸』

      鶴崎裕雄  

今年(平成二十一年)もNHKの大河ドラマが新しく始まった。主人公は直江兼続、原作は火坂雅志(ひさかまさし)の小説『天地人』である。

直江兼続は越後の戦国大名上杉謙信に仕え、謙信没後、上杉景勝を助けて活躍し、名宰相と呼ばれた人物である。時は織田信長から豊臣秀吉・徳川家康と天下人がめまぐるしく交代する動乱の時代であった。上杉景勝は信長と相争ったが、秀吉とは友好関係にあった。秀吉が命じた無謀な朝鮮出兵にも参加した。
しかし慶長三年1598秀吉は上杉氏に会津百二十万石への国替えを命じた。
会津に移った後、まもなく秀吉が病死。
上杉景勝は、秀吉に代わって天下に睨みを効かす徳川家康とは対立する。
家康が会津の上杉氏を攻めんと出陣すると、京・大坂では石田三成が家康討伐の兵を挙げた。関が原の合戦である。結果は徳川方の勝利。三成と手を組んだ上杉氏は米沢三十万石に減封、百二十万石から三十万石、四分の三のリストラである。

連歌や俳諧・連句は複数の作者、いわゆる連衆で創作する文芸である。
この他、中世には継歌(つぎうた)が流行した。継歌は、複数の作者が歌題に従って百首とか五十首とかの歌を短冊に記し、読み上げ役の講師(こうじ)が題の順序で歌を披露する。
この歌の順序は、おおよそ春夏秋冬の四季・恋・雑である。
雑というのは、四季や恋以外の、海や山・松や芝・馬や鶏・旅や名所・神社仏閣など季節を表さない様々な物である。
参加した詠者は題に従って歌を詠み、講師が読み上げる参加者全員の歌を聞く。自分の感情や意志を捨てて歌の世界に没頭する。
それは前句に従って付句を詠み、創作と鑑賞を楽しむ連歌や俳諧・連句の世界と同じである。寄合の文芸である。

戦国時代、連歌や継歌を愛好する武将たちが多かった。
三好長慶や細川幽斎たちは連歌の名手であった。
『天地人』に登場する上杉景勝も直江兼続も連歌を詠んだ。
特に直江兼続は漢詩文の教養が深く、和句と漢句を交えた和漢聯句または漢和聯句の作品が多い。

昨年平成二十年十一月の下旬、誘われて山形県東置賜郡高畠町・川西町を訪ねた。高畠町では亀岡の文殊堂に奉納された『亀岡文殊堂奉納詩歌百首』を拝見した。これは関ヶ原合戦の結果、会津より米沢に減封されて移転した翌年慶長七年、米沢藩領にある亀岡の文殊堂に直江兼続ら二十一人の主立った上杉家家臣や有力寺院の僧侶たちが催した継歌百首である。歌題は兼続の実弟大国実頼が選んだとある。兼続主導の歌会であろう。四分の一のリストラという上杉家一大事の時、この続歌奉納は家臣の心を一つにし、揆を一にする精神を高めたことであろう。
寄合の文芸の一つの特徴である。

  鶴崎裕雄:帝塚山学院大学名誉教授。連歌師。

(連句誌『れぎおん』2009・冬・64号より引用しました。)

参照記事:

細川幽斎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%B9%BD%E6%96%8E

三好長慶http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A5%BD%E9%95%B7%E6%85%B6

直江兼続http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E5%85%BC%E7%B6%9A

上杉景勝http://tikugo.cool.ne.jp/osaka/busho/uesugi/b-uesugi.html

2008年7月23日 (水)

偶然の必然性

きのう帰るとれぎおん夏号が届いていた。

みんなに届けなきゃ。

でもその前に自分がまずよむ。

わたしの初学時代 の題の文章で、ひさびさに淺沼璞(浅沼姓は浅沼委員長とも関連あるそうで、はくはあらたま)に出会う。

そう、そうなんだ。

「偶然が必然にかわる、その面白さこそが連句である。」
いまなら冬樹蛉のうっぷんに反撃できそう。

2008年7月 1日 (火)

草の原

れぎおんの「連句的」がかけなくて悶々とした。

夫は帰らない。文章は書けない。

ぎりぎりまで自分の心を追い詰めておいつめて。

それでも書けないんで、無心に本をよむ。

塚本邦雄にはほんとうに感謝のほかない。

この人はなんてすごい人だ。

ある歌の解説に、唐突に景が浮かぶ。

草むすお墓、たぶん今ごろはあちこちぬかるんでいるかもしれない。海を眺める丘にある貞永まことのお墓。
生石という港町、鼻先からはフェリーが出た。近くには「かんたん」という名の色町が地名だけにその名残をとどめて・・・貞永さんが話してくれた通りの町だった。邯鄲の夢、一睡の夢。

生涯の夏ひっさげて眠る墓    前田圭衛子

まことさんはそこに眠っているだろうか。
草の原のお墓に。

2008年4月26日 (土)

俗の細道 17

山本健吉は、秀野が昭和二十二年に亡くなって、二十四年に再婚するまでの期間、なにをしていたのだろうか。彼本人は、親友だった遠藤周作との対談で、当時をこう振り返っている。

山本「戦後は、左翼運動をやったということは、自慢の種になるんです。僕は全然そういうことを自慢する気はありませんでした。もう思い出すのも嫌だという感じがしていたわけです。政治と文学、民主主義文学ですね、非常に何か、ほとんどそれでないとね。」
遠藤「人にあらず。」
山本「人じゃない。あの後しばらく、数年は私の出る場というのがなかったですよ。」
遠藤「そう、あの頃しばらく筆を折っておられましたね。昭和二十年の終戦から、二十三年ぐらいまで山本さん、ほとんど何も書いておられない。」

          ◇

私が遠藤周作に出会ったのは、短大生だった十八のころだ。当時の遠藤周作は狐狸庵先生として髄分若い人達に人気があった。『沈黙』になぜあんなにも感動したのだろう。いま思えば、あの転びキリシタンの話は、日本的情緒の極めて濃い、たとえていえば、親鸞聖人の悪人正機説と軌を一にするような、ゆるい思想の物語だったようにしか思えない。日本だから受けたのだ。

          ◇

自分の不幸な体験を告白する趣味は、私にはない。健吉は、そう言っている。その最も痛い時期が、秀野と二人でマルキシズムにかぶれ、非合法活動をして特高に捕まり、ひとつき近い拘留を強いられた昭和七年から九年にかけてと、秀野が結核死する前後の昭和二十年から二十三年にかけてである。

          ◇

健吉が遠藤周作に出会ったのは、その二度目の思い出したくない体験直後のことである。妻秀野を亡くした健吉は、京都の新聞社の職も辞めて、秀野の忘れ形見のまだ幼い娘とともに東京の姉の家に転がり込む。それが経堂のころだ。健吉という人は学生時代に折口信夫に心酔したのち、若気の至りのような(と本人は書く)結婚をして、そしてすぐ左翼思想にかぶれてとことんまで突っ走り、その後見るべきは見つというかんじでまた折口学に戻っている。その人のいたところが、古典の世界であり、理知とはまったく異なることばで示される信仰じみた世界だった。

         ◇

秀野の随筆にも「恋愛結婚するひとを軽蔑する」という激しい言葉が出てくる。自分たちは学生結婚をしたくせに、これから恋愛結婚しようという人たちを前にしてのこの台詞であるから、随分と自分の結婚生活についても、葛藤や苦悩があったのだろうと思わせる。だが、だからこそ逆に、健吉との暮らしが彼女にもたらしたものの大きさ、あるいは健吉に秀野の死がもたらしたものの深さを思わずにはいられない。書かれざるからこその真理というものが、ここには見えないかたちで横たわっている。

連句誌『れぎおん』2000年春・29号より部分引用。

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