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2009年11月14日 (土)

政権交代と医療(60)  乙四郎元官僚語録

保健医療経営大学学長

 橋爪 章

2009 年 11 月 14 日 土曜日

来年度予算の概算要求が発表されて4週間が経ちました。

例年であれば水面下では省庁間の調整が進行し、来年度に向けての閣僚発言も活発化してくる頃です。

新政権でも閣僚発言は活発ですが、例年と異なるのは、閣僚によって発言内容が異なることが目立つことです。

横断的な調整がうまく行っておれば、閣内不一致は起きにくくなります。

行政機構では「縦割り」の弊害が起きやすいことから、従来は、省庁間で調整に調整を重ね、調整が済んだ段階で対外的に方針が発表されていました。

昨今の報道は、財務大臣はこう言っているが○○大臣はこう言っている、という類のものをはじめ、総理や副総理に至るまで、閣内の発言に統一性がない、究極の「縦割り」が放置されている状態になっています。

財務大臣は財務省の立場を主張し、総務大臣は総務省の立場を主張し、厚生労働大臣は厚生労働省の立場を主張し・・・と、概算要求提出直後のコメントであれば容認されるような縦割りの思考が、今になっても堂々と公言されている異常事態です。

「縦割り」弊害の時代に逆行しまいかと心配です。

医療に関しては、診療報酬の扱いが、縦割り体制の中でどう決着されるものかが気になります。

行政刷新会議の評決と政権政策との整合性もありません。

調整がないがしろにされ、結局は声が大きい(財布の紐を握っている)者の主張が問答無用に通ってしまうのではないかと懸念されます。

厚生労働大臣は13日、次期診療報酬改定率の上昇をできる限り抑えたい意向を示しました。

「コストが引き下げられる部分はできる限り引き下げていただいて、その差額を上げるべき部分に使う」と、改定率の上昇を抑え、財源の配分見直しで対応する意向で、行政刷新会議の評決に沿った発言です。

財務省との調整が済んだのかもしれませんが、診療報酬の大幅アップを信じて新政権に投票した多くの医療関係者を裏切る発言であることは否めません。

「学長のひとりごと」より転載しました。

▼昨日からの続き連句的コメント:

首相の立場にあらんとする人が「最低でも県外」と言明する場合、常識的には県外案がまったくの白紙ということはないはず。(財源がないのに金を配ると平気で言明するような非常識的な人であれば話は別ですが・・・)
過去、非公式に協議された県外案は佐賀空港案、苫小牧案のふたつだけみたいなので、佐賀空港移転はまったくのガセとも言い切れないかも。
いずれにせよ、本日来日の米大統領は、年内決着をピシッと要求して帰るでしょうから、政界は年末まで何かと慌ただしくなることでしょう。

さがくうこう。ひゃーびっくりした!
でも、いわれてみれば、たしかにうんと近いね、のーすこーりあに。でもだからってこっちにうつっちゃっては、北を意識しすぎていかにもってなかんじでギラギラなかんじ。
けっきょくやっぱりおきなわにおいたまんまになるようなきがする・・・。だって財源がないのに金を配ると平気で言明するような非常識的な人だから。

 佐賀空港への移転、これは真面目な話いいアイデアではないか、佐賀にたくさんお金が落ちるし。と思ったがまてよ、佐賀空港は貨物便の利用がそこそこ多くて、それ以上の赤字を抱えている空港、あるいは空港建設予定地がもっとあるらしい。しかし何を基準にしていいのかがわからん。いろいろ検索してみたら、佐賀空港はワースト3位という記事もあれば、福島空港が需要予測達成率ワースト4位というのがやたらいっぱいでてきたり、あと静岡空港とか、来年開港予定の茨城空港とか…
 こうなったら、その赤字空港を維持している団体で入札やったらどうでしょう。米軍基地引き受けます、その代わり、赤字分は国民の税金でまかなう。明治以来、いや江戸時代から沖縄にはたくさんの苦い思いをさせてきたのだから、それぐらいしてもいいでしょう。

いつもおもいますです、沖縄にたくさんのいたみをへいぜんとあたえてきてなにもかんじていないなわれらは、と。知識としてはわかってるけど、日々のくらしがいやでもやってくるから、それにおわれてわすれてしまう・・ってことなんだけど。じっさいにそこで暮らしたこともなく、基地のもんだいを肌でかんじることができない。想像でものをいうだけです。

「世界中に出撃する海兵隊は、沖縄の基地から単独で行くのではなく、まず佐世保港(長崎県佐世保市)から強襲揚陸艦が沖縄に出発、沖縄で海兵隊を乗せて目的地に向かう。朝鮮半島で有事の場合、佐世保から沖縄まで約2日かかり、沖縄での搭乗に数日、そこからまた九州方面に戻ってから朝鮮半島に向かうので、航路で4日分ロスしてしまう。」

こういう実務的なことをずばり書かれると、どっひゃあ!!と腰をぬかさんばかりに驚き、まさに戦前にあることを実感します。もうそこまでいっていたの、ちょっとまって意識がついていけない。

でありまするので、最近のかささぎの旗がやけに政治的なものになりつつあるのを承知の上で、話題をころっと転じます。

九州俳句に沖縄がない。と以前かいてしまいましたが、その意味は、沖縄の俳人が参加されていないという意味ではなく、九州俳句大会は沖縄では開催されない。という意味でした。係りの人に前に尋ねた。誤解を与えてごめんなさい。ちなみにらんさんが入ってくれた。九州俳句。ありがとう。みなさん。九州俳句、はいってください。れぎおんみたいに季刊で年に四冊配本。九州の名ある俳人が数多く所属なさっています。そのかたがたの作品とへいきで肩をならべられるというところが、この俳句誌の魅力であり、かつまた、どうしようもなさであります。※
※これ、この意味ですが、歴史ある短歌誌同人のせいこさんとかにはわかってもらえるとおもうけど、たいがいの同人誌は年功序列でして、一定の修行をつまないと上にいけないんだ。裏をかえせば、年季さえつめば上にいけるってことだよ。

2009年11月 9日 (月)

『九州俳句』共鳴抄  野間口千賀・選

暇なのでひまはり奈落へと運ぶ     秦 夕美
さみだれの国に生まれて晴れ男     福本弘明
葉桜に健忘症の巣があるぞ      
  星永文夫
言の葉の羽化つぎつぎと青葉闇     堀川かずこ
花の雨ガス管に家つながれて       前川弘明
大たけのこ抱いて夕日の山下る      宮部鱒太
気紛れも短気もおりしはたた神       夢野はる香
夕暮れをふくらませている守宮の眸    足立 攝
星雲の初めと思う蝌蚪の紐         池田守一
赤いちゃんちゃんこ地球最期の日と思う  宇田蓋男
夏立ちぬ水は未来へ落ちてゆく      木村直子
羽抜鶏はげしく鳴いて西へ行く      佐藤恵美子
鬼灯を吹いてもう拗ねてない        寺尾敏子
手を打って海の底まで星降らす      藤後むつ子
徒食して日光黄管のなかに佇つ     野田遊三

野間口千賀

 この世は旅に例えられるが、詩や現代俳句に携わる者はまた、別の意味でもめまぐるしく旅を重ねている。常に。
 わが中への異界への旅、それは短く、影濃く頻繁に訪れる。
 そこには別のわれが居る。日常の飯も水も酒も、虫も犬も、貌色を変え、翔び、動き、且つうごかない。
 視力、嗅覚、聴覚するどく、いや時として、視えず、匂わず、聴えず、朦朧のわれであることを佳しともする。
 さまざまな作者のさまざまな日常、非日常を想いながら、自由に選ばせて頂きました。
 短詩型という短剣を以て、つるぎの舞いを舞わして頂くことの幸いを思います。

 いささか遅くなりましたが、桜島に於ける第五十回九州俳句大会には多数お越し下さり、どうもありがとうございました。桜島はあの後、淋しがって噴火を繰り返しております。  

『九州俳句』156号、平成21年11月15日発行
編集発行:福本弘明
発行所:九州俳句作家協会
印刷所:山福印刷


2009年8月31日 (月)

落日と旭日とにんげんの火と

にんげんの火がまだ八月の樹にのこる 

  大分  河野 泉

第56回長崎原爆忌平和祈念俳句大会大賞句。

大会長の柳原天風子師、実行委員長の前川弘明氏はじめ俳句大会事務局のみなさまへ深い敬意をささげます。
このような真心のこもった俳句大会が戦後56年間も続いてきたことに、被爆国日本のたましひの核にふれたような慄きさえも感じて、わたしはあやうく涙ぐみそうになります。りっぱな作品集を送付いただきまして、ありがとうございました。

まるで選挙の翌日の新聞のようなといいますか、わずかの時間にこれだけの数の(785)句を束ね、選者50名近くに送付し、集計し、それぞれの選評をつけて誤植なく掲載する。そして全投句者あてに八月半ばまでにまちがいなく送る。
それはなんと奇跡みたいな作業なのでしょう。

今年はオバマ大統領が米国大統領としては初めてプラハ演説で核廃絶を唱えた記念すべき年でした。
かささぎのようなひねくれ者でも、この時代の節目の大きなうねりに気づくことができたのは、ここを訪問してくれる小学校時代の友・竹橋乙四郎のおかげです。

「オバマ大統領のプラハ演説、乙四郎官僚篇」:
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-ac94.html

かれはこんな句を大会へ手向けてくれました。

散りぬれどプラハ便りに青葉吹く   竹橋乙四郎

オバマ大統領の演説がよほどうれしかったのでしょう。
わたしはこの年まで生きて、政治の裏側にあるものの醜悪さばかりをおもう癖がついておりましたので、オバマ大統領のかような演説をきいたとて、ああ、アメリカの戦略がかわるのだな。というかんじの感慨しかうけとりませんでした。ですから、元厚生官僚の同級生がこのような、まるで純朴な小学生のような反応をみせることに、却ってはげしく胸をうたれ、居ずまいを正した次第です。

居ずまいを正すといえば、かささぎはこんな句を奉納しました。

雪に焚く牡丹の如き業火かな     姫野恭子

もっとも美しい火はどんな火だろうか。
最も崇高で気高き火は、雪に焚く牡丹のような火であるかもしれない。
このような火があることをかささぎは、さる俳人の書かれた文章のなかのさりげない一節から知りました*。(澁谷道氏の『紫薇』での文章)

落日は旭日と似ています。
写真に撮ればどちらがどちらかまるでわからないほどに。
というより相は全くおなじ、このことがかささぎの目をみはらせます。
これはいったいなぜなんでありましょうか。
星野村でまだ燃えている醜悪なにんげんの宿業がおとしてしまった核の火も、もっとも美しい火とまるでかわらない貌をしている。*
これはいったいなぜなんでありましょうか。

長崎市長の田上富久氏の「長崎平和宣言」、長崎県知事金子原二郎氏の「慰霊の詞」、それにノーベル平和賞を受賞した17名の世界の有志が署名した、「ヒロシマ・ナガサキ宣言」が今回の作品集には採られています。これまでにない何かを感じさせる、あたらしい時代の原爆忌平和祈念俳句大会でありました。

ノーベル平和賞受賞者による「ヒロシマ・ナガサキ宣言」http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter_d/jp/hiroshima-nagasaki/index.html

新聞報道によれば、76年受賞のメイリード・マグアイア氏(北アイルランド)とともに田城明氏(中国新聞特別編集委員)が構想を練った。
ただ、賛同者には名簿をみればわかるように、米・ロの受賞者は少なかった。

*:ヒロシマ・ナガサキ両方の核の火を守り続けているのが八女郡星野村のひとたちであることに、ふしぎな感慨を覚える。http://plaza.rakuten.co.jp/rumesan55/diary/?ctgy=0

2009年8月14日 (金)

中山宙虫・第41回九州俳句賞受賞作品

第41回九州俳句賞(応募総数24)

包み

 中山宙虫(なかやま・そらん)

末黒野にあるという鬼の本籍地
ゆすらうめ咲いて小さな事故がある
うららかやみんなが落ちる街の穴
やわらかな風は田螺を眠くする
さえずりの山頂やがてくる沸点
あめんぼを散らして森の水を汲む
店の名はQではじまる驟雨かな
人間が呼び合うことのない水田
手をかざし邑の終わりを見る七月
炎昼の裏から街の循環バス
風尽きて村につぎつぎオクラ咲く
とうきびが刈られて青い封書くる
柿赫くひとは小さくなってゆく
栗売らる地下には地下の風溜まり
源流のそのまた源流木の実落つ
秋風や歩いて埋まる人類史
ラジオから罪状聞こえている冬田
少年の影がこぎだす冬のブランコ
風花の僕に都合のよい記憶
冬眠のものたち雨を聞いている

中山宙虫
略歴:1955年生まれ
1999年より俳句に関わる
俳句誌「麦」「霏霏」同人
現代俳句協会会員

【受賞のことば】  

        中山宙虫

 十年。俳句に出会っての月日。それまでの人生に文芸に関わることは全くなかったが、十年続けてきて、ひょんなことから「九州俳句賞」をいただくことになってしまった。
 振り返ってみれば、五里霧中とでもいうのか、何ひとつ思うように見えない日々が大半だった。光が差したかと思えば、あっという間に迷宮に。形がありながら形が見えない。
 自分の俳句の行く末に何を見たかったのか。こうしてこの場に立った自分の足跡は、趣味という整理をし、自己満足という整理をして結論づけてきたもの。この「九州俳句賞」はまさかの世界。明日からのプレッシャーだ。
 ここまで、つかみどころのない私の俳句をこつこつと指導してくださった成清先生。俳句の座の素晴らしさを与えてくださった星永先生。大分県現代俳句協会はじめ九州内の諸先輩。連句の仲間たち。インターネットで関わった方々・・・。私には礼を言わなければならないたくさんの人がいる。

  『九州俳句』誌 155号より引用
   2009・8・15発行

〔批評文〕

『中山宙虫 「包み」を読む』   西口裕美子

 涼しい。中山宙虫の俳句に触れた時の感覚である。どこかで水の音がし、どこからか風が吹いてくる。
 難しい言葉を使わず、俳句の型、正確に言えば、作者自身の俳句の型になじむ言葉を選び抜く。季語も然り。自分なりの“消化”をした上での季語を使う。つまり、自分の感情に根ざした表現を彼は自分の俳句に試みているのである。やわらかで、したたかな中山宙虫。彼の俳句の魅力をそこに見る。
 俳句は、作り手と読み手の共同作業で成り立つ。十七音の詩だからこそ、読み手をはぐらかすことは簡単である。しかし、それをしてしまえば、二者の関係は成立せず、俳句を味わうことを難しくしてしまうのだ。読者に自分の句を委ねる時には、作者は潔く“鍵”を渡さねばならない。
 中山は優しく微笑みながら、自分の鍵を我々読者に手渡してくれる。そして、私たちは彼の肉体から生まれた句を心地良く読むのだ。静かで優しいその調べは、まさに中山そのものだ。そう私たちに感じさせる。しかし、実はそれだけではない。

 
末黒野にあるという鬼の本籍地
 人間が呼び合うことのない水田
 手をかざし邑の終わりを見る七月

 これらは静かな〈不在〉を表した句だ。在るべき場所に〈不在〉なものを見詰める作者の目は笑っていない。〈今〉をじっと見詰めているだけだ。見えない、不在なものの中に今を感じ、表す。それが中山宙虫の句の真骨頂なのだ。末黒野のあの辺りに鬼の本籍地があるという。今ここに鬼がいるとは詠んでいない。水田に在るべき農民の姿。邑に在るべき人々の営み。作者はそういった〈不在の今〉を手をかざして見ている。ものとの距離感。これもまたこの作者の魅力だろう。対象にぐっと近づき、そのものを描く。そのことで自分を描く俳句。ところが、この作者は既に感じとっているのだ。ものと自分とが必ずしも一致するものではない、ということを。そこに一致を見出せない時には大概、その対象を創作のステージから下ろす。だが、中山は敢えて下ろさずに、今、目の前に在るもの、在るべきはずのものを距離を置きつつ見る。見えるまで待つ、という姿勢で。

 ゆすらうめ咲いて小さな事故がある
 風尽きて村につぎつぎオクラ咲く
 とうきびが刈られて青い封書くる

 俳句における「て」。この作者の上手さは例えばこういうところにある。激しい衝撃を避けて二つのものを柔らかくぶつけ合う。徹底して事を叙しながら、読者に情を持って読ませるように仕掛ける。小さな花をぎっしりとつけた山桜桃。その花が咲くことと小さな事故。この句の「て」はあるいは「~ので」と読ませるのかも知れない。風が凪ぐ時、次々と咲くオクラ。静かな村の時間が流れてゆく。安らぎの向こうに小さな狂気が見えるのは、「つぎつぎ」にやわらかな淡い黄の花が咲くからだろう。とうきびが刈られてから来る封書。夏が終わる頃にやって来る手紙の中にある小さな不吉。青い封書がいつか赤紙に変わる日が隠れているようで、うっすらと怖い。そうなのだ、言葉の中に小さな軋みを感じとり、そっとそれらを並べてその場から立ち去るのが、この作者だ。自分の体験をどのようにして言葉に託すか。そこに個性が出てくる。この小さな詩を、この作者はぎりぎりまで考え、作り上げてゆく。

 柿赫くひとは小さくなってゆく
 栗売らる地下には地下の水溜まり
 源流のそのまた源流木の実落つ

 

 赫く熟れた柿は実景。対照的に小さくなってゆく人はこころの目に見える内容。地下の風溜まりも心で見るもの。だから「柿赫く」「栗売らる」で切れる。そう読んでゆくと、三句目は「木の実落つ」もしくは「源流のそのまた源流」が実景。「源流のそのまた源流に木の実が落つ」とは詠んでいないのだ。源流にいて、どこかで落ちる木の実の音を感じるのか、木の実が落ちるのを見て、遠い源流の果てを想うのかのいずれであろう。みえるものを叙して見えない心を詠むというスタイルを敢えて選ばない、中山宙虫的スタイルなのだ。
 タイトルの「包み」をどう解釈するか。外からはわからないよう、見えないように包むもの。それは、例えば、「うららか」さ。「秋風」、「風花の記憶」、田螺を眠らせる「やわらかな風」、冬眠のものたちが聞く「雨」の音。見えないものを見えるまでじっと待ち続ける作者の孤独。その寂しさを癒してくれるものたちを、「包み」と呼んでいるのかもしれない。
 九州俳句大賞受賞を心からお祝いします。

俳句誌 『霏霏(ひひ)』 第六十一号 秋
2009年10月5日 星永文夫・編集発行

2009年7月17日 (金)

マラソンは神代橋を折り返す

(前回編集分と重なっている部分がございました。失礼しました)。 

 名無しは当然私、呂伊利です。エメさんの見たサーカスもの、私はTVで見た覚えがある。そしてアキラが歌う主題歌「サーカスの歌」は何と1933(S8)年のヒット曲のリメイク、ついでのうんちくで、ビックカメラのCMソングの元歌は、1937(S12)年のヒット曲「煙草屋の娘」の替え歌で、1961年に佐川ミツオ(満男)・渡辺マリ(ドドンパ娘)がリメイク、ついでに言うと、佐川ミツオは同じ1937年のヒット曲「無情の夢」もリメイク。1960年代初期は他にも、フランク永井の「君恋し」、井上ひろしの「雨に咲く花」など、戦前のヒット曲のリバイバル・ブーム時代だった。今で言うと、「亜麻色の髪の乙女」とか「明日がある」がリバイバル・ヒットしたようなもんか。
 話戻って、小林旭vs宍戸錠、いいでしょう!赤木圭一郎vs宍戸錠もよかったし。1970年代末の子供向け番組で「怪傑ズバット」というのがあり、主人公が1人で旭とジョーのパロディをやっていたカルト番組。いかん、昔の映画と歌謡曲を語っていたら、またうんちくが長くなり、ヨメの目が険しくなる。でも最後に神代という名字、九州人しか読みきらん。「かみよ」じゃろか「じんだい」じゃろかち思とる。神代辰巳は佐賀出身です。

赤木圭一郎、気づいた時はすでに亡くなっておられました。作品も1度も見ていませんが。
裕次郎さんは西部警察で、やたら煙草をふかす場面ばかり思い出されます。後は歌ですね。
黒木けんが出てきたとき、裕次郎と間違われたそうです。声が似てます。私は黒木けんのほうが上手いなあと思っていました。

 石原裕次郎は昔歌が下手だった、それは間違いない~小学校低学年の頃、素人物まねのようなTV番組で裕次郎のまねをした人が、審査員から「歌の下手なところがそっくりでした」と言われていたのを覚えてるし。
 赤木圭一郎は私も名前を知ってただけ(映画は東映チャンバラ専門だったので)。でも死んだというのを聞いてビックリしたのは記憶に残っている。「赤木圭一郎を偲ぶ会」というのが今でもあるようです。
 黒木憲も死んだね、彼が歌った「おもいやり」という歌は、もともと、「エイトマン」などを歌い後に殺人犯となった克美しげるの、幻の再起作だったらしい。

くましろばし。くましろたつみかんとく。
くましろばしはちかいうちに建て換わるそうですが、くましろかんとくは、連句仲間だった故貞永まことの口から何度か聞いたことがある映画監督の名前だったなとハッとしました。だけどわたしは注意深く聞いていなかったので、それをきちんと筋道立ててお伝えすることができません。ただその監督のお名前のクマシロというひびきだけが残っています。
7月末がまこと忌、ことし七年目。

cloudおはようございます
神代辰巳監督>>日活ロマンポルノ時代の作品はさすがに縁がなかったけど、テレビドラマではよく見聞きしましたね(脚本や監督に)
2時間ものとかたしか色々あったと記憶しています。
あとショーケンの「傷だらけの天使」とか。。
tvテレビドラマにはほかにもたくさん映画界からの監督さんの名前がありましたね。
神代監督の名前を見つけると「ラッキー」を見つけたようにうれしかったです^^♪

 「傷だらけの天使」を見ていたというエメさん、昨年出版された矢作俊彦の「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」という小説、時間があったら読んでみて下さい。ショーケン演じた主人公が今はホームレスになり、でも事件に巻き込まれてというストーリーで、私はこのドラマ見てなかったけど面白かった。日活ロマンポルノも思い切って見て下さい。今時のAVに比べればH度はたいしたことはない、映画としては素晴らしい。
 神代橋~M高校マラソン大会の折り返し地点?だった。小学校1年の時の担任が神代先生だった。あ、10月にある筑後川マラソン大会に参加するかもしれません。もちろんその前、8月にも帰省するけど。

姪の一人が「神代」さんに嫁いでいます。

rainおはようございます。最後の梅雨の雨でしょうか~sprinkleひめさん元気ですか~?
ろいりさん、この小説は気になっていました。
さっそく読んでみます。ありがとうございますbook
映画界が斜陽になっていた頃、たくさんの監督さん、カメラマン、脚本家がテレビで活躍をされていました。
2時間ものやサスペンス、、ほんとにドラマチックで、とてもはまっていました。
最近は名所めぐりが主体だったりであまり関心がむきません。
神代橋は昔仕事でよく通りました。
マラソンに参加されるのですか!頑張ってくださいmotorsports

筑後川マラソン。マラソン大会の交通警備、よく請け負ってます。それ入ってなかったかな。あれは冬のだったかな。ろいりさんが走るならみんなで応援にいきますよ。
眼のまえをマラソンの列がぜんぶ通り過ぎた時点で警備の仕事はおわり。なんだそうです。

(きょうは、しごとやすんでる。)じぶんはげんきですが、おやが体調をくずして、検査中。そのつきそい要員。
おもいだした!九州俳句に熊本の翁がいらして、そのひとの俳句、すきなんですが、こんな句をこないだ出しておられました。

マラソンの最後はひょうひょういつもの彼  
          熊本   宮部 鱒太

わたしはこの句をよんで、なみだでそうになった。宮部氏はいくつになられるだろう。九十をこされたろうか。いつまでもお元気でとお声かけしたいような句です。

2009年7月11日 (土)

足立攝さんからのお便り

昨日、帰宅すると、大分の足立攝さん(あだち・せつさん。俳句誌『樹(たちき)』同人『九州俳句』所属)から、桜島での写真とお便りが届いていました。
ありがとうございました。
攝さんは会がおわったあと、花束を抱いた中山そらんさんを囲んで山下整子、東妙寺らんと姫野の四人を記念に写してくださったのです。

わたしは攝さんについてはあまり知らないのです(攝さんがご夫婦でたちきに入ってみえて間もなくして私はたちきを引いたから)が、父上の足立雅泉さんはよく存じ上げております。植物好きなやさしいお方で、たちきにも花や草や木のことを詳しく調べたエッセイを連載されていたし、本もだされています。独特のスピード感とリズム感ある写生句を得意とするベテラン俳人で、人のお世話の行き届くかたです。

自分が長らくいた俳句誌の同人からお便りをいただいたのは初めてでした。

読んでいましたら、なんだか切ないきもちになりました。
できればもう一度帰ってきてほしいと思っています。
と書かれていたからです。

たちきをひいたのは、物理的にできなくなったからです。
連句を残して俳句誌はやめようとおもいました。
いくつも入っている余裕はなくなったからです。
俳句に経済的な負担はないと思い勝ちですが、実際はちがいます。
交際費がかかります。礼を尽くさねばならぬ時がある。
それができないなら、やめるほかない。ときめたことです。

足立攝さんのお便りは真心のこもったあったかいものでした。
パソコン関連のお仕事をしておられるらしく、俳句も文章も一本すじの通った毅然としたものを出される人です。句歴が浅いのにそこらのベテランよりも「立った句」を書かれますのは、お父上の読者であられたからなのでしょうか。さすが雅泉さんのむすこさんだなと思って遠くから眺めておりました。

ところで、攝さんがお手紙でとりあげてくださった拙句(2008年2月号「樹」より)の解説を読んで、えっと思いました。
その部分をそのまま引きます。

● 熊本の義肢製作所はだかの木    恭子

 はだかの木は「裸木」で冬の季語。葉を落とした木々は寂しげであり、どこか滑稽であり、その滑稽さが人間のようでもある。虚飾を捨て、裸になった人間は哀しいほどに小さい存在なのだ。しかし、その小さな人間には血が流れ、心が通い、熱い魂が震えている。人間の尊厳などと安っぽく語りたくはないが、人間を小さな存在と知った時、本当の尊厳が見えてくるのかもしれない。
 熊本は愛知県などと並んで、義肢製作の先進県。義肢を作る仕事は、実は人間を作る仕事だと、裸木を見ながら思うのである。(足立攝)

攝さん。ありがとう。こんなに深く読んでくださって。
熊本の町を通過中、目に付いた看板をそのまま詠んだ句でした。
季語をとりあわせるのに何をもってくるか。それも実景でありました。
「義肢製作所」という看板のそっけなさとあったかさとリアル感。
それが虚飾をそぎおとした人間のぎりぎりで生きる実在感みたいなものを示唆してくれました。わたしは御手紙を読むまですっかり忘れていましたが、このような句を詠んでいたこと、そしてそれを読んで何か深いところで感じてくださっていたお方がいらっしゃったということを、とてもうれしく、幸せに思います。
(愛知県と並んで熊本は義肢製作の先進県。というのも、初めて知りました。)

まずはネットでお礼、申し上げます。

2009年7月 3日 (金)

俳句誌『麦』から

  地熱集探渉

      橋爪鶴麿・評

迎え火を焚けば見知らぬ佛来る  成清 正之

迎え火を焚きながら祖先の霊を思うのですが、自らが弔った身近なひと以外には、どうも霊としても馴染みが無く、この「見知らぬ」の語は、見事にその思いを詠っています。
しかし、この佛様をあたたかく迎えることが、お盆の門火の大事なことで、作者はやや戸惑いながらも祖先の霊の安らかな成佛を念じているのです。
この思いの奥の大らかさに共鳴しつつ、発想の特異さに驚くのです。

   俳誌『麦』平成二十年十二月号より引用

春に連句会を保健医療経営大学で興行したとき、中山宙虫さんから俳誌「麦」をいただいておりました。
机の上に積み上げておりますが、事務所での昼休みに目を通し始めました。
と、いきなり出遇った気になる一句、およびその読み。

かささぎはなぜこの句が、こうもきになるのかを自問してみる。
奥八女の六地蔵さんを尋ねお参りにいったとき、霊的なことがみえるおばあさんがいて、聞いた話がある。それとどこかでつながっている気がした。

(この文章のカテゴリー、『九州俳句』にいれておきたく。)

2009年6月28日 (日)

長谷川櫂の『俳句の宇宙』と無意識について

桜島であった俳句超結社誌『九州俳句』の大会に参加した日、東京での「やまなみ短歌会」全国大会から帰ってきたばかりの歌人・山下整子氏より、おみやげに本を一冊「古本だけど恭子ちゃんに買ってきた」 といってもらった。

長谷川櫂著、『俳句の宇宙』(1993サントリー学芸賞受賞)。

なつかしい本!
俳句を始めたばかりのころ、平成四年夏生まれの次男がおなかにいたころ、沖縄の詩人・岸本マチ子先生が送ってくださった。戸畑・天籟寺の俳人・穴井太師が主宰されていた俳句誌『天籟通信』誌。*
その中で、穴井太師が推薦されていた俳句評論である。
師の声にしたがい、わたしは買って読んでいたのである。
著者が自分と同年であることが目をひいた理由であった。
いまも探せば家のどこかにきっとあるはずだ。

私の印象に残っていたのは、忌日を詠む俳句の特殊性について書かれた文章であった。
このぶぶんの文章だけが、自分にはことにまばゆく強い光を放った。
正確に言うと、もう一箇所、いや数箇所、いいやほぼ全部、その後出合うことになる先学の俳句のよみについて教示を与えてくれたのだが、自分にはそれほどだいじな本ではあった。すっかり忘れていたけれども。

あらためて読み返しながら、わたしは様々なことをかんがえた。

この拙いブログを読んでくださっている読者のかたがたに、ヒメノはなんで先般俳人の中山宙虫に対してあのような理不尽ともいえる怒りをぶちまけたのだろう。と不審に思われていることと察する次第であるけれども、それにはこの本でも述べられている無意識が絡んでいる。今回読み返してみて、あらためて気づいた。

第六章『都市について』。このなかで述べられたことばの数々が、かささぎの旗での中山そらん事件をよみとく鍵となっている。

それを陽光のもとに晒して書ければと少し思うが、こういうことは書かないものなのだろう。
だがいつか、書いてみたい。

*

現在の天籟通信誌主宰は九州俳句誌代表も兼任なさっている福本弘明氏。
福本氏にも桜島ではじめてお目にかかる。ご挨拶が遅れて大変失礼しました。
ほぼ同世代であります。


2009年6月21日 (日)

そらんさん おめでとう

そらんさん おめでとう

そらんさん。おめでとう。
写真削除してほしい。と、またいわれそう。
んが、拒否。

歌人ヤマシタセイコがそらんさんへ用意してたお花、きれいだった。
九州俳句のみなさん。
お花を手渡したきれいな女人は、同人ではありませんからね。笑

花を添えるってこういうことなんだな。とおもうかささぎであった。

藤沢 周氏

藤沢 周氏

一番うしろにいましたので、自然に写真を写すことができました。
ほかに南九州新聞社の記者のかたが写しておられたからです。

おはなしを聞いて、七月に講談社から出るらしい

『キルリアン』

という小説がよみたいとおもいました。キルリアン写真の、あのキルリアン。

高岡 修氏と野間口千賀氏

高岡 修氏と野間口千賀氏

超結社俳句誌「九州俳句」誌に1998年秋ごろから所属しているような気がする。

中くらい古いのかもしれない。
ですが、大会へ参加したのは、これが二度目。
高岡修さんにはじめてお会いしました。

死者のための椅子ひとつ置く五月の野  高岡 修

この句(受賞句)に対して星永文夫氏の述べられた評が素晴らしかった。

俳句には俳句定型を死守する書き方、わたしは奴隷のリズムと申していますが、と定型をぎりぎりまでこわして書く書き方とがあります。
高岡氏の書き方はぎりぎり派で、この句、ためらいがちに「死者のための」と語り出し、定型をこわしてみせる。まるでおずおずと差し出された椅子のように。
もっとも緑のいのちの繁忙なる五月の野という語を出して、その明と対比させるかのように死者のための椅子を用意する。
これはいつも自己のなかにある死を陽光のもとへさらして確認してみせたかのような句である。

2009年6月 3日 (水)

前川さん、まっとってください。

ナガサキ原爆忌平和祈念俳句大会の締め切りがあした。

かささぎの旗ではみなさんからの投句をかきあつめて、ナガサキの前川弘明さんへまとめて送ります。

とどいております、数人分。

わくわく。

みーんなここに発表したいほどの力作ぞろいです。

句としてはまったくかたちをなさない丸山消挙の一群の句。

これはここに書いておきたいとおもいました。
これをよむと、わたしたちの育った精神風土が少なからずみえてくるとおもったからです。

ばどさん、たからさん、そして、さくらさん。
ぜひ、一句でも二句でも書いてください。

愚句    丸山消挙

あの夏は悲惨この夏平和ボケ
あの夏はもっともっと熱かった
近所では民を飢えさせ核実験
この夏も思い出すのは祭りの場
帰り際落としていった原子爆弾
無謀だよ仕掛けた奴も落とした奴も
核を持つ国が地球を破滅さす
戦争だ殺される方も殺す方も
嘘という南京も三光も中国の
三光って言葉が知られず消えていく
 三光は殺光・焼光・槍光をさし、それぞれ殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くす
家族のためなら銃も取るが国は守らん
俺の意志反核反戦反体制
俺の意志半獲半煽半退勢

2009年5月24日 (日)

風媒花3  中山宙虫

随想

風媒花 (3)

  時代の家族

     中山 宙虫

 夫婦ふたりの暮らしが始まって何年になるのだろう。子供たちはそれぞれ僕らの元を離れて暮らしている。その暮らしぶりは親の目で見る限り頼りないもので、いらいらとさせられるものだ。もちろん、この不況の時代。どんなかたちででも仕事があるのだから、それはそれでよしとしなければならないのだろう。
 確かに時代は生きてゆくには辛い時代になってきた。社会に大きなひずみが出てきて、何を信じていいのか見えにくいのだ。貯金ゼロの所帯がかなり増えているらしい。僕の息子たちもそれに当てはまる。小さい部屋を借りて、食べてゆくだけのぎりぎりの生活なのだ。
 この国に生きて、未来を見ていくことができるのか?息子たちの未来を考えると社会での生き方は僕らの時代とは様変わりしている。今の時代のめまぐるしい変わりように僕らは振り落とされそうだ。くるくると情勢は変わる。いろんなものが生まれて消えていくサイクルが短くなっている。息子たちはこの高速回転木馬のような時代を生きてゆくのだ。
  そして、僕らは振り落とされそうな時代に疲れてゆく。何にしても情報が溢れているが、その情報の判別ができない。缶詰に表記されている原材料や賞味期限などをじっくり読むだろうか?分厚くなる一方の電化製品の取扱い説明書を隅から隅まで目を通すだろうか?どんどん表示されている文字も小さくなってゆく。そして、そこには僕らが聞いたこともないようなカタカナや英語で表記された言葉が、ますます小さな文字になってゆくのだ。
  社会は、いろいろなものの判断を個人に転嫁させてきた。そのひとつひとつを僕らは理解できているのだろうか。とてもそのようには思えない。溢れ続ける情報整理も自分で整理しなくてはならないのだ。今のままで何も問題はないものはたくさんある。携帯電話の普及で消えていく公衆電話や固定電話。地上デジタル放送も多くの国民はその存在さえ知らなかっただろう。
  そして、僕らはその新しいものを手にして、次の時代を生きていくのだ。社会は少しも止まってくれない。僕らは子供たちの未来を思い、自分自身の未来のそのもろさを感じながら生きる。
  正月に家族写真を撮る機会があった。僕の長男がひさびさに帰ってくる。しかも、結婚して。僕ら親子を中心に僕の母・叔父夫婦・叔母・弟家族・従兄弟など、皆で写真館のカメラの前に並んだのだ。それぞれ自分たちの生き方をしながら、カメラの前で自分たちの今の表情を見せる。フラッシュが光った。
  出来上がった写真を見てみる。
それまで気づずにいたが、皆同じ顔の輪郭なのに驚く。そして、肩から足の先まで似ている。同じ血でつながった家族の姿の瞬間がそこにあった。
 この家族の今の姿がどこまで維持できるのだろうか?めまぐるしく変動する社会情勢に僕ら家族はその姿をどう変えていくのだろうか?同時に、こうやっていつでも受け入れてくれる家族が支える社会もあると感じたのだ。

 超結社俳句季刊誌『九州俳句』154号より引用
  平成21年5月15日発行
  北九州市 福本弘明 事務局長
  編集委員 堀川かずこ
         夢野はる香  

▼ エッセイ 『風媒花』
バックナンバー


河野輝暉: http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-e76e.html

足立攝: http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-3f5a.html

2009年5月18日 (月)

第五十回 九州俳句大会のご案内

「九州俳句」総会及び懇親会

日時  21年6月20日(土)午後五時より
ところ  国民宿舎 レインボー桜島
     鹿児島市桜島横山町1722-16

大会  6月21日(日)午前9時~12時 

記念講演 「言葉の見る夢」
講師    藤沢 周氏(芥川賞作家)

第五十回九州俳句賞授賞式
大会入賞作講評ほか

かささぎの旗では去年、俳人・東妙寺らんと会場になった宮崎市まで大会当日の早朝から、出かけました。宮崎まで高速道を走って二時間余でした。今年も行けたら行こうと思っています。
ただし大会当日四時おきでの参加になると思います。
まだ経路を調べておらず所用時間が不明ですが、連句仲間を誘って参加したいです。
同人以外の参加も大丈夫な大会なので。
去年の講演会がとても面白かったので、また行きたい。
乙四郎、ぼん、整子、らん、たからさん。
それぞれでいっしょに行きませんか。
ばどさんも行きませんか。一度会っておかねばと思うから。
また、これをお読み下さった方で興味を持たれた方はどうぞご参加下さい。

桜島。修学旅行で中学のとき行った。
この年になるとこういう機会は滅多にない。
行こうね。地域学のためとか何とか言い訳しながら。
参加の節は薄情ながら、現地集合でお願いします。
  

2009年5月 8日 (金)

小森清次句集『江戸菖蒲』に寄せて  

  青木 貞雄(元「九州俳句」編集長・北九州在住)

    『九州俳句』154号(平成21年5月15日発行)より

小森清次さんの第一句集「やまとたける」の跋文の冒頭で、わたしは小森清次さんを、「九重のみどりがよく似合う男の一人だと思う。一見無骨そうな体つきに似合わず、やさしい目で九重連山を見上げる姿は、凡そ雪国新潟の人とは思えない九州の男っぽさを感じる」 と書いた。

今年の天籟通信新年俳句大会の席上、清次さんは句集発刊に対するお祝いの謝辞として、昨年大事なご子息を亡くされ暫くの間、自失の渕に嵌り、仕事も俳句も手につかず、只々子息の牌に対峙する毎日であった、と今にも溢れそうな涙を抑えながら、発刊に至った経緯を述べられた。

句集の評に入るのだが、江戸菖蒲の欄の三頁に大学箱根駅伝十句と題して

 学ランの初駆けに沸く都かな
 はら痛のジンクス雪の権太坂
 一歩入れば箱根は雪の槍ぶすま
 あんちゃんの箱根力走佐渡は雪
 逆さ富士凍(しば)れて我等完走す


ほか五句があり、また数頁置いて、

 素振り千回厳冬ゆるむ気配なし
 補欠でいいさ大根の花まっさかり

に清次さんの隠れた一面に気がついた。俳句の世界は、企業の学歴社会と異なり、学歴や経歴などを滅多には喋らない。清次さんは学生時代を駅伝にまた剣道に、若きエネルギーを燃やしていたに違いない。そう言えば清次さんの発言には、未だに若き血が漲っている。
此処まで来て、あの律儀な清次さんが哀愁に充ちたピエロの姿に変貌する。

 納税のついでに風邪を置いて来る
 水道を出て若水になりすます
 ツケの利く酒屋の角を恵方とす
 字余りのおとこ踏ン張れ春の馬

これらの句を見ていると、哀愁というよりも、おかしみに充ちた滑稽さを感じる。滑稽のおかしみを宗とせざれば、俳諧にあらずと唱えたのは、芭蕉の門弟許六である。いま清次さんの句のおかしさを採るべく、第一句集『やまとたける』 から数句拾ってみた。

 万策の尽きて煮干になりにけり
 ジャンケンに負けて芒となりにけり
 ていねいに並べたんだねいわし雲
 デパートを引っ張ってゆく兜虫
 生涯をすすきのままでおわりけり

こう並べてみると、清次さんのおかしみの質の変遷を伺うことが出来る。

 小森清次句集『江戸菖蒲』三十句抄

ぼくが貰った大往生の冬帽子
尺蠖りのぴんこしゃんこと急ぎけり
切り火打つひとつ女増しの江戸菖蒲
納税のついでに風邪を置いて来る
つちふるやおろおろ昏れる鉄の町
たくあんとめしで御の字去年今年
雪卸し重ねし村を捨てかねる
どんど火のするめの踊る竿の先
白馬も槍も流れて来る雪解
へそくりの中も菜の花日和かな
ジューンブライド婿は越後の鬼ごろし
火遊びを知らない頃のななかまど
さんま焼くだけの七輪渋うちわ
絵に画いた餅の歯ごたえ去年今年
賀を述ぶる骨董品のような顔

雪女振り向かせたら君のもの
まっとうな百合根人生茶わん蒸し
無住寺の美男かずらに騙されて
水道を出て若水になりすます
啓蟄や開けっ放しの大金庫
万緑やひとくち大の塩むすび
秋風のするりと抜ける身八ツ口
ツケの利く酒屋の角を恵方とす
うしろからつつけばへこむ春の月
大佐渡に小佐渡寄り添う春の闇
一徹なカンカン帽でありしかな
寡黙なりし漢(おとこ)の墓標花野燃ゆ
雪掻いて押して人生駆けくらべ
新しき墓にもの言う寒さかな
字余りのおとこ踏ン張れ春の馬

  青木貞雄・抄出

かささぎの旗:姫野のざんげと感慨

小森さん。
新潟の豪雪地帯のひとなのに、長年九州俳句に付き合っておられる小森さん。
そのお名前を拝見するたび、胸の奥に火箸を当てられたような痛みが走ります。それはかささぎが若かりしころ、小森清次句集『やまとたける』 を、こてんぱんにこきおろしたからです

鹿児島の俳人・国武十六夜氏の全句手書きの書による句集は、きれいな和紙の箱に入っていて、とっても立派でした。それなのに、いや、だからこそなのかもしれない、十年前のわたしの目には、それがとてもスカスカのものにしか見えなかった。
採ったのは次の一句だけでした。

木造の郵便局のさくらかな   小森清次

これは今も空でいえます。大好きな句だからです。
なみだがでそうなほど、懐かしい。

九州俳句にこてんぱんを書いたあとの樹(たちき)の新年句会で、はじめて小森さんにお目にかかりました。
猛烈に怒ったおかおで、「あんたね・・・」と言って、わたしをにらみつけておられましたが、ただ頭をさげるだけの私に、諦めたようにフイっと、「もう・・ゆるしちゃる!」 と言って、手にしておられた花束をグイっと押し付けて、去ってゆかれました。
そのときの、清次さんのなんともいえない
お顔。
ガキ大将が喧嘩に負けて、抑えきれない怒りを収拾している時のような。

ほんとはぜったいおまえのことは許さん!!
と、その目が言っていました。
だけど、かささぎは、そのとき、はじめて、
確かな手ごたえを感じたのです。
ものをかくものとしての。
軽蔑されようが怒りまくられようが、書きたいように書くのだ、とおもった。

あれから十年。
この第二句集は、かささぎには、送られては来ませんでした。
かささぎがけなした「やまとたける」が、彼の第一句集であったことにいまさらのように思い至り、天をうち仰ぐのであります。

2009年3月26日 (木)

夕桜

夕桜

みやま市瀬高中学校のさくらを信号から写す。

昨日は保健医療経営大学の英語の公開講座の最終日。
たくさんの人達がみえて、盛況でした。
高校三年の時に英検二級に受かり、短大でも英語を学んだというのに。
単語も文法もきれいに忘れていた。
日常まったく英語は使わないものね。
月に二回の講座で十ヶ月、一応の中級英語を復習したことになるのですが、佐藤教授の教え方はかささぎにあっていたようで、最後まで投げ出さず、かといってがむしゃらにのめりこむこともなく(トシのせい)、自然体で、仕事がおわってからでもちゃんと通えたのはよかった。

新年度もいろいろなメニューで講座はあるようです。
シェイクスピアの古典英語を学ぶコースってのもあるのです。
かささぎはかつてボランティアでやった廃品回収でシェイクスピアのソネット集を拾って大事に持っている。(『円交五号』で乙骨五郎さんが、詩人としてはミルトンがシェイクスピアよりも上だ。なんていったことまでが蘇る。以前れぎおんにスティングの歌とシェイクスピアを絡めて書いたのも思い出します。)
興味はあるけど、俳句を英語に訳すという授業にも興味があるから、どっちか一つだけでしょう。ぼんはいろいろ言ってますが、今度は私が誘うつもりです。
詩のことばを選ぶ作業は、言語の闇に手をつっこむかたちになるから、とても役に立つような気がしています。せいこさんは来れないでしょうか。どうせなら、連句の仲間を誘いたい。

ところで、九州俳句誌153号を読んでいたら、みやま市の俳人を発見。
ご紹介します。

 みやま  森 さかえ

うろうろと過去世現世を凍豆腐
ペンギンをなるほどと思う日向ぼこ
花八手季節の言葉にぎりしめ
玄冬やまぼろしのごと人ゆけり
極月の水のかたさや飢餓草子

森さかえ(男性)の句は、諧謔的であははと笑える句が多い。
しかし、最後の二句にはっと立ち止まる。
ことに、極月の水と飢餓草子の一句は鬼気迫る。
誰かが、今という時代は平安時代の闇に通じるといってた。

かささぎは、大牟田の俳人、谷口慎也さんが開かれた句会で一度だけお会いしたことがあります。あれは何十年前だったかな。
かささぎ、四十台はじめ、若かった。
大牟田の学校のうら若き先生たちばかりの句会にたった一人で乗り込んでいきました。
句会は初めて、まるで道場破りみたいにドキドキ。
みなさまにはもうしわけないが、武装していった。
句風があちらさまの句会とは対極にあると思われる、高野素十のあまり人口に膾炙してない句を仕込んでいき、さりげに自分の句として出した。

結果は勿論というか何というか、一点も入らず。
だけどそれで妙に元気が出て、にこにこ顔で帰った。

そのときの句、まだ覚えているかな。

雪晴れの障子細目に慈眼かな

これはちがうな。これは日本画家川端龍子の義弟の茅舎の句。
これに似た句だった。中七はおんなじ。

なんとかの障子細めに花御堂  素十

(なんとかを思い出せん。或る寺の、かも。)
確認しました。

ある寺の障子細めに花御堂  高野素十

参照記事:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_174b.html

洛北の花背にある地蔵院:http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E6%B4%9B%E5%8C%97%E3%81%AE%E8%8A%B1%E8%83%8C%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E5%9C%B0%E8%94%B5%E9%99%A2&search_x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8&u=www.edita.jp/matsukaze2005/archive/category4-new.html&w=%E6%B4%9B+%E5%8C%97+%E3%81%AE+%E8%8A%B1+%E8%83%8C+%E3%81%AB+%E3%81%82%E3%82%8B+%E5%9C%B0%E8%94%B5+%E9%99%A2&d=DR8Ysp2uSfQy&icp=1&.intl=jp うわっ長!このなかの3月9日、地蔵院(別名椿寺)の五色八重散り椿ほかさまざまな椿。

http://www.arkys.net/hanaharu.html
案内:

地蔵院 じぞういん 京都市北区一条通西大路東入ル 075-461-1263 市バス「北野白梅町」下車徒歩2分

2009年2月27日 (金)

攝津幸彦と高岡修にみる伝統

高岡修句集『透死図法』30句を読む、を読む
   
(九州俳句誌 星永文夫抄出)   

今日、「おくりびと」をみてきたばかり。映画の中の「死」は美しかったけど、高岡修の「死」は目をそらしたくなる言葉に飾られている。
同じ「死」なのに。どちらも受け止めなければいけないのでしょうね。

参照:「糸の夢」ブログ
http://houyume1150-4.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-bcf7.html
ついでに「マリオットの盲点」あっさむさんのブログも
http://assam226.tea-nifty.com/mariotte/2009/02/post-b1fd.html

高岡さんの俳句を 好きではないと思っていた。
だが、 この星永文夫の解説は良く書けているなと思うし、編集部は評者の人選が的確だと思った。

あしびきの 山鳥(やまどり)の尾のしだり尾の
   長々し夜を ひとりかも寝む

          柿本人麿(3番) 『拾遺集』恋3・773
この和歌が本歌取りしているのは、

桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな
 
          後鳥羽院 『新古今和歌集』春歌下・巻頭

そこへと収斂してゆく歌の伝統を、 詩人も受け継いでいる。

死界までその尾を垂らす山ざくら  高岡修

アネモネが血を売りにくるこの夕べ  修

アネモネは「キリストの赤い血の滴」。
その由来は、十字軍の戦死者の埋葬地に聖地の土を撒いた翌春、その墓地が赤いアネモネで覆われたことから。アネモネは聖地パレスチナの自生花で、巡礼者が広げたらしい。
血を売りにくる、とは何ぞや。
ユダヤ教/キリスト教の価値観の押し付けで流血を招いている昨今の中東情勢がイメージとして重なる。

乙四郎
深い読みをしてくれて有難う。
アネモネとくれば、 我々はすぐ、 故・攝津幸彦の 「姉にアネモネ」 を思う癖がついてる。
攝津幸彦もすごく魅力的な俳句を書いた人でしたが、 高岡修はまたそれとは異なる。
俳句の書き方は異なっても、懸けておられるものの大きさは見えるから、 なんとか解りたいなあといつも思っていた。
白鳥の句とか自死情死はとてもきれいな句で印象的だった。

2009年2月25日 (水)

高岡修句集『透死図法』評  星永文夫

高岡修句集『透死図法』三十句

    星永文夫・抄出

しののめの鳥類図鑑にある羽音
きらきらと助詞を殺しているひとり
水の炎(ほ)となる白鳥の発火点
花舗のくらがり亡命の白鳥を犯し
春暁を横抱きにして殺意くる
死界までその尾を垂らす山ざくら
春水に顔ぬすまれて失踪す
蝶を噛みいのちのにがさ満たす午後
永劫の綳帯で巻く蜃気楼
昏睡のたまご一個を揺り起こす
野遊びの夕べの空の挽肉機
暮れ果てて痴情あらわな野のすみれ
春夕べ水立ちくらむ瓶のなか
アネモネが血を売りにくるこの夕べ
行く春の頭蓋の窪の水たまり
煉獄がさくらすみれに逢いにゆく
この遊星のにおいすみれをどうしよう
死せば空に泥の虹吐くかたつむり
生たまご飲み野牡丹になりすます
〈死は思想〉蟻灼熱の地を噛めり
永遠のおとろえが見え罌栗揺れる
蝉の木を地の記憶より抜いている
海に来て死は昼顔を欲情し
かげろうは骨となるまで立ちあそぶ
こうこうと夢接木せる爆死の木
火口湖が飼う秋雲の溺死体
自死情死秋の湖心へ透きとおる
死者たちの指紋荒らぶる秋のノブ
死者たちの饒舌に輝(て)る夜の葡萄
姦淫は月光に舌入れてより

  高岡修句集『透死図法』

〈奢る死〉への刺戟に充ちて

      星永 文夫

高岡修は俳壇の中でももっとも異彩を放つ作家であり、詩壇の中でも確固たる位置をもつ詩人である。その両者の詩域に墻はなく、詩想の細胞が分裂し、拡大したり連続したりするとき、〈詩〉が生まれ、分裂せず、核自体が異光を放つとき〈俳句〉となる。この句集と、昨年九月刊行の『高岡修詩集』(現代詩文庫)とを合わせて読むと、そのことが明確になる。
それでも彼が〈俳句〉にかかわるのは、自らいう。少し長いが引用する。

俳句を俳句作品として異化させている機能としてゆいいつ解答可能なのが、切字を含む〈切れ〉の構造なのである。それを私は俳句のみならず詩の根源的な構造であるとしたいのである。もっとも、現代の詩作品において〈切れ〉の構造は複雑である。(中略)作品がまぎれもなく詩であるとき、その作品はどこかで(あるいは作品全体で)散文脈からの切れ方が、つまりは作品の詩的個性なのである。
そうであってみれば俳句の〈切れ〉の構造を検証することこそが、根源的な詩学を検証することにおいても、もっとも重要な事項となる。

 (「死の詩論」ー『高岡修詩集』所収)

そうだからである。『透死図法』を読み取る角度が、ここに一つ示唆されている。

       ■

『透死図法』はさまざまな〈死〉の透視図を展開する。
といっても、その〈死〉は〈生〉と隔絶された〈死〉ではない。
〈生〉の中に胚胎し、孵化し、果ては〈生〉を呑みこんでしまう、その予感にふるえる〈象かたち〉である〈死〉の諸相である。

海に来て死は昼顔を欲情し
かげろうは骨となるまで立ちあそぶ

これらが醸す〈死〉のエロス。〈死〉を荘厳で処理する日常を断ち切って、なまめく肢体(死体)を塑像する。ここに彼のいう切れが効果的に生かされている。

死界までその尾を垂らす山ざくら
永劫の綳帯で巻く蜃気楼

俳句的情緒たっぷりに浸る「山ざくら」や「蜃気楼」を、ずるずると死界へ引き込んで、そのまま美意識を剥奪した〈死〉の冷えた爛熟。

火口湖が飼う秋雲の溺死体
自死情死秋の湖心へ透きとおる

さまざまな〈死〉の形態を鏡のごとき湖に写し、検死官のように屍を撫でる。
〈美〉に昇華させるまで。かくてま一枚の透死図ができる。
などなど、奢る死、熟れる死、透ける死、はたまた狂う死、沈む死、迷う死、黙る死など、透死図法は多様多彩。
内なる未生の〈死〉を言語で紡ぐ、その手法は儀式めく納棺師のそれに似て美しく、静謐である。切れの妙致。
その点で、今年度もっとも異光を放つ、刺激的な句集であった。

『九州俳句』153号より引用

2009年2月24日 (火)

福富健男句集『異郷』評  高岡修

福富健男句集『異郷』三十句抄

     ( 高岡 修・抄出 )

多穴の流域舌の赤さの秋を走り
渡りゆく密航の窓つきそう弦月光
故郷の堰切れて卓をいろどる妻の手紙
霧が隠した山小屋の窓馬のぞく
髪刈られ村のゆたかな鳥瞰図
鍬(ホー)をなげるボス麦の刈跡燃えろ燃えろ
紅葉林のさびしい受話器汗ばむ僕に
アラビアの歌が呪文となるぶどう祭
方位失うまぶしさ赤い花弁水溜りに
ぶどう詰めた手の麻痺で夕焼の湖
びろびろと
蓖麻に吹かれて砂質の俺
霧が明るくて石油ポンプたちの首振り
首曲げてつっこむ小鳥たち戸惑うベトナム
まといつく母国語ウランとなる諂の空地
鳥くるくると落日を告げ一枚の麦秋
肉親のくぼみもつオレンヂ手さぐりの異郷
厚みます掌丘にびしびし多肉植物
霊柩車紅葉吸いこむぼくらの休暇
山際の虹言葉で温め合う村人たち
庭にバラ突き出し留守の日の妊婦
口あける影絵ぬるぬると泳ぐ芭蕉
霧の深みに背骨たててわが礼拝堂
青銅色の草てる六月ケネディー死す
紅葉の色ねられゆく森ゆたかな臨終
濃い影つけて歩く真昼白いけやき林
なにげなく菜の花をさす杜のやみ
叫んでいるから夕焼けている草の中
たびにねてしろい円柱ながくのこる
あやめいけるあらゆる壷の夜のしぐれ
あかい萩の一束たれて河童の笑い

福富健男句集『異郷』に寄せて

     高岡 修

句集『異郷』を出したいという連絡を受けたとき、福富健男は二つの希望を述べた。
ひとつは作品の全てを第二期の「形象*」から選びたいということ、もうひとつはその選句を私にしてほしいということだった。
私が「形象」に投句を始めた1968年、私はまだ十九歳だったが、福富健男はすでに旺盛な作句力を同誌に展開していた。
私が眩しく見つめた形象作家群のひとりである。
私は福富健男のその志と希望をうれしく受け容れた。
作業は全作品のコピーから始まったのだが、これが案外時間がかかった。
作品を探す途中で読み始めてしまうのである。
その当時の思い出にふけってしまうのである。
それはまたうれしい寄り道の連続でもあった。

「形象」への投句初期、福富健男は「海程」でも新人として嘱望されていた。
それゆえ、私の三十句選でも了解されるように、その頃の作品には、有季定型から離れた場所で俳句形式を屹立させようとする強い志向が見られる。
そうして今、そんな作品の中から私があえて推奨したいのは次の五句である。

多穴の流域舌の赤さの秋を走り
方位失うまぶしさ赤い花弁水溜りに
厚みます掌丘にびしびし多肉植物
霊柩車紅葉吸いこむぼくらの休暇
紅葉の色ねられゆく森ゆたかな臨終

一句ごとに試行されては確立されてゆくリズム、そのイメージの豊饒。
こうして書き写しながら私は幾度も賛嘆の声をあげてしまう。〈舌の赤さを走る秋〉〈方位を失うことのまぶしさ〉〈霊柩車が紅葉を吸いこむのかぼくらの休暇が紅葉を吸いこむのかわからないそんなぼくらの休暇〉そうして告げられる〈ゆたかな森の臨終〉。
何という見事な詩界の現前であることだろう。
ここには見せかけだけの手垢に汚れた意味などはひとかけらもない。
在るのは喩に昇華したイメージだけである。
四十年ほど前の現代俳句はこんなにも詩情ゆたかな作品群を有していたのである。いま私たちが立っている現代俳句の地平は、それから進化しているのか、後退しているのか。そうして私はこの句集の整理中に立ち止まった「形象」掲載の次の文章を思い出す。

「新しい芸術の養分は、つねに非芸術の領域に存することは、歴史の法則である。美術の歴史をひもとくと、ある時期に支配的な絵画様式が、その前の時期には非芸術として非難されたことが、しばしばであることを見出す。このことは、印象主義、フォーヴィズム、キュービズム、シュルレアリズム、アブストラクト等々が起こった時どのような非難や嘲笑をあびたかを想起するだけで充分だろう。(略)芸術が単なる繰り返しではなく、新たな価値の創造である以上、非芸術のなかにこそ新しい芸術の栄養が存するのである」
    (木村重信『現代絵画の解剖』)
かつて「海程」や「俳句評論」や「渦」といった句誌を中核とした前衛俳句の富を私たちはいつ失ってしまったのだろう。
句集『異郷』は私にそんな思いを抱かせてくれた貴重な一冊であった。

  超結社俳句季刊誌『九州俳句』153号より引用
       2009・2・15      

蓖麻:

http://www.botanic.jp/plants-ta/tougom.htm

▼ かささぎ読み三つ。

びろびろと蓖麻に吹かれて砂質の俺

びろびろと。というオノマトペが俳諧としての抜けを獲得している。
ひまし油の原料となるヒマ、この句ではじめて知りました。
誰も使わなかった蓖麻は、さらさらと零れ落ちる砂粒の俺に拾い上げられ、印象的な句になり、さぞや嬉しく本望だったことだろう。
風に吹かれているのはヒマの葉っぱのほうなのに、いつしか主客入れ替わっている。映像がうかぶ。

首曲げてつっこむ小鳥たち戸惑うベトナム

これ。かささぎは連句的に、ノーベル賞?だったか何の賞だったか知らないが、さいきんテレビでチラッと見た、海外の文学賞みたいなのを受賞して、スピーチでガサ侵攻反対を唱えた現代作家の顔が浮かんだ。きっとりっぱなことなんだ。でも・・・。こんなに離れたとこの人間になんにもほんとのところなんてわかりゃしないんだよよそさまの事情なんて。とおもってしまう。
りっぱなことは、なんとこっぱずかしいことだろう。

まといつく母国語ウランとなる諂の空地

書き写すとき、諂は焔の誤植ではないか。と疑う。
なんども読む、まといつくぼこくご。うらんとなる、へつらいのあきち。
まといつく母国語と、へつらいの空地がウランを核に等価契約を結ぶ。
それはいったいどういうことなんだろう。
安保反対するにしろ、賛成するにしろ、まといつく母国語。
へつらっている母国語。ウランを核に。ウランを核に。
核に守られながら。核を憎み。それに守られる。へつらう。
まといつく母国語。まといつくへつらいの空地。
空虚な暗澹と空虚な母国の・・・ことば。

そのことばでわたしたちはたましいのうたをかく。

(やはりかささぎは、三無主義の時代の人間だ。)

諂: てん。( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%82 )

まといつく母国語ウランとなる諂(てん)の空地  健男


2009年2月23日 (月)

風媒花2  足立 攝

随想

風媒花(2)

  類句・類想問題とコンピュータ

     足立 攝

俳句は「世界最短の詩」であると形容されることが多い。
十七文字を基本として、その中に人生観や世界観を凝縮させるのだから、奇跡の文学といえるだろう。俳句を始めてその奥深さに驚かされている。

しかし俳句のこの短さは、同時に宿命的な問題を内包する。
その一つが「類句・類想問題」であろう。好むと好まざるとにかかわらず、俳句を愛好するものは、いつもこの問題と隣り合わせでいる。

類想を避けるため、表面的、類型的な捉え方をやめ、自分なりの突っ込んだ表現をするようにと説く選者もいるようだ。これは有益なことに違いないが、要するに「より良い俳句をつくりなさい」というのとほとんど同義であり、類句・類想問題の解決に迫っているとはあまり言えないのではないだろうか。

最近気になったものに、例えば今年の「原爆忌東京俳句大会」の作品がある。

原爆忌ことんことんと電車来る  河村 正浩

この作品は、本来大会の上位入賞句のはずであったが、大会実行委員会により取り消された。実行委員会の「ご報告」に次のような一文がある。
「(この句は)昨年第二位となった古川麦子さんの作品〈広島忌ごつんごつんと朝が来る〉との類似性を検討の結果入賞としませんでした」

ー 私は実行委員会の決定にケチをつけるつもりは毛頭ないが、「ことんことんと電車来る」と「ごつんごつんと朝が来る」に入賞を取り消すだけの類似性が認められるかどうか疑問が解けないでいる。河村氏の「電車」は、いわゆるチンチン電車のことだろう。広島も、長崎も、日本で数少なくなった路面電車の走っている都市である。かつて灼熱の光線と放射線に破壊された都市も、今では何事もなかったように電車が走っている。その路面電車ののんびり走る様子が的確に捉えられているではないか。
「ことんことん」はチンチン電車だから説得力を持つのであって、東京でいう電車、すなわち「列車」では単なる観念的な擬音になってしまう。その辺の感覚が東京の実行委員に伝わらなかったための入賞取り消しではあるまいか。どちらの作品もすばらしいので残念でならない。

さて、類句・類想問題に最終的な決着をつけるのは、コンピュータによるデータベース化以外にないと思っている。私自身がそれを生業としているから強くそう思う。なぜ類句・類想問題がしばしば人間性や道徳の問題となるのか不思議でならないのである。

コンピュータのもっとも得意とする分野が抽出、分類などを含む情報処理である。最近は曖昧な検索も自在にできるようになり、実用化の条件が整った。何を可とし、何を不可とするのかの基準を整え、実用新案の特許と同様に、全国レベルの申請主義で先行作品を保護すればいい。

その準備をする時期が、すでに到来しているのではなかろうか。

   足立 攝  大分在住

 超結社季刊俳句誌『九州俳句』153号より引用
      平成21年2月15日発行
   北九州市 福本弘明事務局長
   編集委員 堀川かずこ
     〃    夢野はる香 

2009年2月22日 (日)

風媒花1  河野輝暉

随想 風媒花 (1)

 「柩に未来」の不思議  

              河野輝暉

写俳、というのがある。
俳句と写真は相性がよいと言われる。
それは共に一瞬の心景を捕捉する表現方法が相似ているからだろう。
そんな俳句を理想として私も目指した。
そんな私の頭を一撃した文は高岡修氏によるものであった。
氏は現代俳句評論賞を取った論文の中で西東三鬼の名句に着目した。

広島や卵食ふとき口ひらく   

引用するとー 三時制の現前こそが詩の昇華への決定的要素だ。
爆死者に過去の広島、未来の卵、口をひらく現在、という三つ。
これ程に見事に三時制を形象化させた作品を他に知らない。ーと。
では、俳句は必ずしも瞬間湯沸かし器だけがいいのではないな、と暫くはおろおろする私であった。高岡氏が、先程「・・・作品を他に知らない」と豪語したが、その後、他にも知ることとなった。

今年*の九州俳句大会が宮崎市で催された。
大会選者として私も採った、下の佳作賞作品に瞠目した。

春光や柩(ひつぎ)に未来あるごとし   山下恵子

死は全ての終焉である。
なのに、死に未来がある様だ、とは何事かと訝った所にこの俳句の存立があるのだ。
人は死んだら最期、死体は単なる腐敗すべき物質だ、と思わされて来た。唯物史観偏重のこの思い込みは戦後六十余年、高齢者を含めて三世代にわたりインプットされた教育の歴史である。
「無神論難民」が量産されている。
その結果、社会的病理現象としてかつてのオーム真理教への狂信的逃避、自殺者年間
三万人以上、秋葉系誰でもよかった殺人、「千の風になって」への爆発的飢餓などが挙げられる。

だが、殆どの人が見落としている原因に、精神の不安時にその治療を精神病院や安定剤のみに依存していて、宗教的情操に無頓着であることが考えられる。
「千の風」の歌詞は宗教的である。
歌は一神教圏からの輸入品なのに、内容は多神教的である。
だから野球や仏教の如く輸出先の方で流行している。
日本人の宗教観は八百万神で一木一草に神を認識するアニミズムであり、土着の神社神道に具現している。かつ仏教的でもある。
「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりける
」とは道元禅師の詠みし和歌。
この和歌と「千の風」に使われている語彙は何と酷似していることか。
輪廻転生は「生きかはり死にかはりして打つ田かな  鬼城」として古来日本民族の死生観でもあった。
こう見て来ると、祖先から子孫へ命のリレーが営まれ、死は決して終焉ではなく「柩」は未来への代替新生への出発地点だ。

俳句教室で本句を示したら、私がまだ気付かぬ事を発言してくれた。
「この一句に現在過去未来が揃っている」と。
ハッとして三鬼の句に重ねた。
柩の過去、春光の現在、未来ある如し、と成程。
「柩」の字は、木箱に居る死者のために悠久な転生への祈りを語っている。

* 平成二十年

  超結社季刊俳句誌『九州俳句』152号より引用
     平成20・11・20

    編集発行 北九州市 福本弘明事務局長

2008年12月23日 (火)

張形としての俳句

きのう書き上げ速達で送った原稿が届いたと、超結社誌『九州俳句』誌、新編集部の夢野はる香さんから今朝電話がありました。

長く書かせていただいているので、中村重義編集長が退かれる時は自分もいっしょにやめようと思っていました。しかし、新編集部から原稿依頼を受けると(断わることもできたかもしれないのに)、引き受けてしまいました。

題、「現代俳句と女たちー張形としての俳句」 です。
これを夢野さんは、新編集部になったので、あたらしくほかの題にかえませんか。といわれました。
はあ・・・そうですね。考えてみます。とかささぎは答えました。

八女人の性格をご存知ないようです。

いやなこったい!!っておもうのだ、こんなときは。
ところが、穏やかに話される同年齢の夢野さんとやりとりしてるうち、すこしひく。
年取って、段々丸くなるじぶんがかなしいよ。

はりかたって、すごい意味があるんですってね。
とおっしゃいました。
そうなのですか。
かささぎはよく知りません。(と、すっとぼけた。)笑
嫌悪感でも忌避感でもなんでもいいから、目にとめてもらって、なにかをつよく感じてもらうことが目的でした。
それには成功した、と思うのです。
だって第一回目、年配の女性俳人がたから総スカンくらいましたもの。
あれはじつにきもちよかった。
かけども書けども何の手ごたえもないのは、哀しいじゃないですか。

連載をはじめたころ浮世絵にこっていて、江戸学者の田中優子さんの本を読んでいるうちに、思いついた題です。深夜にひらめき、これしかないっておもった。
頭韻を踏んでいるし、きれいだし、インパクトがあります。
どうだ!って感じの一球入魂の文章を書くのだ。誰が何と言おうと。
と、かささぎはそう決意して、連載を始めたのでした。

きづけば14回も書いていて、だから昨日ので15回。
ってことは、四年ものです。長い!

さて。題をどうする。
むこうの押しがかつか。かささぎの反逆がかつか。

どっち。(クリスマスまでに結論を出す。)

p/s  来年は、ジェンダー学を学びたい。
   

2008年11月 4日 (火)

肥後飢餓講ーいたむから、撃ちに行く

  星永文夫句集『肥後飢餓講』

       - いたむから、撃ちに行く -

           前川 弘明

このB五版箱入り一巻は、たとえば黒い紋章を彫り刻んだ一個の壮麗な棺である。あるいは、とめどがたき血潮で満たされた月夜の暗い甕である。
星永文夫が叩く棺の音が聴こえるようだ。
渾身で揺さぶる甕の中のどよめきが聴こえるような気がする。
それらの作品は、濃い霧に覆われた土着の因習の哀しさを引き連れ、生死の蒼い灯をゆらめかせて、うごめくようにぼくの内耳を這いまわる。

本集は、初期句集「狼祭」(昭48)「肥後飢餓講」(昭50)に、戯曲「聴耳荒神黨(一幕一場)」を加えたものである。
星永は「あとがき」に「私の原点は〈飢餓〉であった。国敗れて〈神国〉が滅んだとき、信ずべき何ものをも亡って、その種子が播かれたのだ」と書き、別の付文でも「私は知っているのだ。私の飢えの盆地に、冷たくたぎる火のあることを。それは決して連帯しないことを。」と告げている。

 悪魔(ばけもん)が舟漕ぐ おしろいばなとなる白昼(ひるま)
 情死めらめら 水甕みそしる三日月村
 昼は鏡に 胎児ながーいローソク持つ
 突堤に傘さし 七人子を産む悪い女
 鷺は田に 狂った母が紙切るよ

この抜き差しならぬようなせつなさは、生き抜くことの怨念を思わせ、あおい狐火がそこらあたりに漂っているような気配である。
死はつねに生の裏側にあって、その絡み合いこそが生きることの証であると言うのであろうか。句の半ばを一字分脱落させることによって、句に一個分の飢えを与え、審問の息継ぎを期待するのであろう。

土着の精霊は土着の方言によって、呼び起こされる。
方言の言霊が親しく地霊を呼び起こさせるのである。

 

 誰(だる)か新地に精霊つれてほおずきの欲しか
 蛇ぬれて 白塗り村ン衆(し)が消えていくで
 蟹(がね)食うてよごとよごるるおなごの家

土地に育った素っ気ない言葉が、まるで地霊を呼ぶようにざわざわと葉ずれの音をたてる。

かぞえ唄の句がある。
「ひふみよいむなやと」のそれぞれの一字を冠にした句である。

 ふ・えの音の今夜おそろし銀のめし
 む・ぎの針折れておんなのはじめの日
 な・のはなに襲われる日は女郎買いに

かぞえ唄は、おおよそ悲しみと恨みの唄であって、子守唄や労働の唄にまぎれて低く人から人へと繋がれていく。

 水の村から万歳が来る 犬盗(と)るため
 倒れるから 爺よ 猪(しし)撃て  唄うように
 三時に遠い蓑虫ゆれる 厠の父よ
 乞食(キリスト)が火を焚く みごとな村民(なかま)の死
 この谷の飢えの何処かの彼岸花
 くれないに人はながれて橋づくし

若き日々の星永の心は飢えて、飢えの血潮のエネルギーを愛していたのであろう。

 ひたすらひかるざらざらかなしい日のしっぽ

この飢えの痛みよ。その親しき痛みよ。

 いたむから雪へ廃馬を撃ちに行く

 『九州俳句』 151号(中村重義編集発行)より引用
    平成二十年八月十五日発行

2008年8月30日 (土)

中山宙虫の俳句世界

沖がまだ遠くなりゆくむつごろう   中山宙虫

この句の「まだ」がわからず、気になるあまり、あいまいさを拒否する英語ではなんといえばいいのかを考えた。
さいしょ、つぎのような文が浮かんだ。

Mutsugoro’s thought  is becoming  further and further from the shore.

英作文でまず悩むのが、冠詞をどうしよう。

むつごろうは魚だし、一応定冠詞でもつけとこか。ううわっかんね。ざでもつけときゃそれが無難だろかなっていうよな発想なんだけどもさ。冠詞、考えてもわからない。それと複数形にする名詞とそうじゃない名詞、わかんない。こないだのリンカーンの演説の冒頭、よっつのスコアと七つの年の以前ってとこ、スコアになぜsがつかないの。それにさ。ひつじにもえすはつかないんだよ。いったいどういうわけ。ひつじは数えられるじゃろうがよ。
って悩みだしたらきりないから、考えないことにして、少々のミスはかまわんことにしまひょ。(そしないと先にすすまんから)

さて。
沖ってなんだ?

日本語のイメージでは、沖ってのは、浜辺や岸辺からちょい離れた海上のこと。そこからは陸が見えてる気がする。ということは、沖が遠くなるということは、岸から遠くなるってこと。でもこれは日本人の作る英文かもね。どうもいまいちわっかんない。

become は、こういうときには使わないんだ。

たとえば、だんだん暗くなる。というとき、

いっつ げりん だ~かんだ~か。
It's getting darker and darker.

といった。そんなら、むつごろうも

The mutsugoro-fish is getting further and further from the shore.

こうするほうが自然。

春先のむつごろうのこころ。
そもそもなぜむつごろうは春の季語なのだろうね。
それすら考えたこともなかった。
俳人・中山宙虫のこころ。
ふしぎなり。

http://ww71.tiki.ne.jp/~nanaura/ariake-sea/ariake-sea.htm

http://archive.mag2.com/0000235819/20080517060000000.html

うららかやみんなが落ちる街の穴  中山宙虫

    (平成20年九州俳句大会大会賞受賞作)

2008年8月25日 (月)

九州俳句151号ーその3

第四十回九州俳句賞受賞作

紅葉山 

       木村直子

瞳孔や死は一片の紅葉山

かささぎ評

死んだら瞳孔がひらくそうだ。
瞳孔がひらいた顔を一度も見たことがない。
いつも死者たちは行儀よく目を瞑っていてくれるから。

この句の「瞳孔や」とは、まさにその死者のものだ。
死者の目のなかをしげしげと覗き込み、何も映さぬ焦点も結ばぬ穴としての瞳に、一片の紅葉山だけを映させた作者の想い。
「一片の」、これは「いっぺんの」と音読したい。
「ひとひらの」では迷いが生じ叙情が邪魔する。
伝統的な季語を用いながら、科学のように冷徹で、なまなかな叙情を拒否する厳しさをもつ句。
受賞の言葉に心捉えた句として作者が挙げておられた、

後の世に逢はば二本の氷柱か   大木あまり

この句のもつ世界に、どこか通じているように感じた。

芋の露

       堀川かずこ

離れても寄りても家族芋の露

かささぎ評

なにも説明はいらない。
こころ和むあたたかな一句。
こどものころの七夕風景を思い出させる。
墨の匂いや牽牛、織姫のきれいな色の掛け軸までも連れてきてくれる。

(今回は二人受賞とのこと。おめでとうございます。)

2008年8月23日 (土)

九州俳句151号ーその2

季刊誌「九州俳句」(昭和40年創刊)は、体調を崩されながらも懸命に編集長の任を果たされた北九州市の中村重義氏より、同市の俳句誌「天籟通信」編集長でもある福本弘明氏にバトンが渡された。激務である編集長の引き受け手がなく、このまま廃刊かと危ぶまれたが、福本氏に堀川かずこ氏、夢野はる香氏の二人の事務スタッフが名乗りを挙げられ、存続が可能になった。

中村氏が宮崎での退任挨拶のとき感無量でおっしゃった。
「どうなることかとはらはらしましたが、本当によかった。北九州は創刊の地でもあり、福本さんに引き継いでもらえれば、こんなうれしいことはありません。」

きっと泉下の代々の編集長もおなじ思いで見守っておられたことだろう。

私は98号くらいから九州俳句誌に参加したように記憶する。
振り返れば、句を詠むより句を読んでいつも何か書いていた。
中村重義編集長のときに連載を筆の走るまま(「俗の細道」とか「暦論」とか「現代俳句と女たち」の題で)持たせて頂いた。そのことをありがたい縁だったと感謝している。

新編集長:福本弘明

略歴 昭和三十年 小倉生まれ
松下雅静氏に指導を受け俳句入門
昭和六十三年「天籟通信」同人
穴井太師亡き後、同誌編集長を務める

         

2008年8月21日 (木)

九州俳句151号ーその1

きのう帰ると届いていた。

中村重義編集長最後の編集のです。

表紙裏、河野輝暉(大分)選の一五句。

朧夜をペットボトルが遡る  青木貞雄
豆撒きの本音を入れた一升瓶  姉川勝子
風格のこの山国の冷奴     有村王志
冬籠り虹色のくすりばかり呑む  池迫敬子
ものの芽の二寸の力暮れ残る  伊藤久見子
二の腕を出して天下の秋を知る  宇田蓋男
花筵戦後の長さはしたなさ   小倉斑女
電柱にしがみつきたる大試験  木附紀子
梅の花抱き品川のあたりかな  瀧 春樹
蟇 死ぬる日までの辛抱だ   寺尾敏子
米五キロ買い啓蟄の野を帰る  中村重義
朧夜の階段一段殖えており   日高匡子
関節のところどころに遠初音  舛田傜子
あんぱんのへそが恋しい春の風邪 松永俊昭
ペコちゃんの舌に残りし寒さかな  山本悦子

小倉斑女の花筵の一句、すばらしいです。
じっさい、ほんとうにそう感じます。
花を直接は謳わず、花見の筵と間接的にやったところが憎い。
はしたなさ。
この俗語こそが俳句のいのちだと思った。
一句が優れた戦後論すべてに勝る。(つづく)

2008年7月14日 (月)

行間をよむ

愛という不確かなもの霜柱   中村重義(三冬)

一昨日この句について書いていたら次の句が浮かんだ。

夏みかん酸っぱしいまさら純潔など  鈴木しづ子(初夏)

そうして、ああしまった!とるべきだったと激しく悔いた句がある。

指百ぺん洗えば青春がもどろうか  野間口千賀(雑)

『九州俳句』誌に三年ほど連載させていただいている「現代俳句と女たちー張形としての俳句」の原稿です。

鹿児島の野間口千賀という俳人に九州俳句誌で出会いました。

聲あげて山河を赤くしてしまう   千賀

季語はないのに紅葉の写った水面が現前する。
これはすごいことじゃないのでしょうか。

2008年6月 9日 (月)

「肥後飢餓講」星永文夫初期作品集Ⅱ

「肥後飢餓講」星永文夫初期作品集Ⅱ

がたみずのんだこんからだ
もいちどうみばみろごたる

      星永文夫

 この飢えはどこから来るのか。魚のように群れてひろがる。と、急に向きかえて尖る、このしたたかな不在。
 かつて馬に乗って来たはじめての父たち。彼等はいつか不知火の塩くみとなり、なりわいはふつふつと塩釜にたぎる、はなやかな喪失。
 私は知っているのだ。私の飢えの盆地に、冷たくたぎる火のあることを。それは決して連帯しないことを。

 今。街に出て、立てるべき幟(はた)を持たない。潮のようにながれる、自らの速さを知らない。黙ってよるべなく、壁に影する黄金(きん)のこおろぎ。こおろぎたち。
 私は見ていた。変容のとき。僥倖を得たのだ。自らの黄金のこおろぎ。
 
 飢えが武装する。飢えない昼に飢えて。ねずみ花火に火をつける。海が常にまるくひろがるから。

   本多企画 平成20年4月1日発行 

2007年11月21日 (水)

張形としての俳句 (10)

  現代俳句と女たち

   張形としての俳句  その十

                  姫野 恭子

 第39回九州俳句賞が選定された。吉賀三徳氏の作品は、情感ゆたかでふしぎと懐かしい。ことに次の二句は批評家魂を刺激してやまない。

  おぼろの夜妻のメールをみてしまう
  生きているものの向こうに干大根

 この二句は暗記させる力をもっている。意識しなくてもいつのまにか記憶に棲みつく。妻のメール句は、古い世代の俳人には受容れ難いかもしれない。しかし、ある世代以降の俳人にはすっと了解できる。夫婦としての男女の心理の機微をさりげなく描写して見事だ。吉賀三徳氏をあらためて見直すとともに、この人に受賞させた九俳協の選者のたしかな選句眼に敬意を表する。確実に時代はかわった。

 私たちはいま、文明の大きな転換点にいる。機会がコンピュータ制御され、人もまたパソコンに統率される。市場には多彩な自由が溢れているが、買えないものが厳としてある。それは女性の女性性という魂の尊厳である。私は今回のこの性とこの生において、それをずっと考えてきた。

 女の性は俳句性とどこか通じている。

 をんならの紐の貸し借り桜鯛
 竹筏るやひとつ猥歌のくりかえし
    
第五回九俳賞 布施伊夜子

 九州で俳句を書くことの意味を考えてみた。『現代俳句女流百人』片山由美子編と『女流俳句集成全一巻』宇多喜代子・黒田杏子編を読む。さがせばもっと資料があるのかもしれないが、現在の私が入手できたのはこの二冊と『九州俳句』100号記念号のみである。

 二冊の大著に紹介されていた九州の女流は、竹下しづの女(福岡)、杉田久女(鹿児島)、中村汀女(熊本)、下村梅子(福岡)、中尾寿美子(佐賀)、横山房子(福岡)、北原志満子(佐賀)、野見山ひふみ(福岡)、橋本美代子(福岡)、津沢マサ子(宮崎)、寺井谷子(福岡)、正木ゆう子(熊本)、松本恭子(長崎)以上『女流俳句集成』。神尾久美子(福岡)、柴田佐知子(福岡)、下村梅子、寺井谷子、野見山ひふみ、橋本美代子、秦夕美(福岡)、邊見京子(鹿児島)、横山房子 以上『現代俳句女流百人』。
  ※(いずれも出生地を参照)。
 
     ◇

 ここでおや、という疑問が湧く。沖縄(群馬出身)の岸本マチ子氏が採録されていないからだ。マチ子氏は九州俳句の選者でもあり、賞も取られた。なのになぜ。
私はその理由が知りたい。
ネット上にあふれる中傷記事に、真っ向から反論なさるべきだと考える。本誌はその受け皿になってくれるはずだから。

    ◇

  うりずんのたてがみ青く青く梳く  マチ子

    ◇

  夏潮のうねりぞ遠き日のうねり   房子
  陣痛に霜の閂真一文字       〃

 先般亡くなられた横山房子氏の句である。
 格調高き響きの女性の句だと感じる。合掌。
  
   超結社俳句誌『九州俳句』第148号 
  編集発行・中村重義(北九州市八幡西区)
  平成19年11月15日発行より引用

2007年11月20日 (火)

九州俳句148号

  共鳴抄 (前号作品より)

       大分・ 吉賀 三徳・ 選

死も生も遊びの続き赤のまま  波多江敦子

風紋へなびいていたる蛇の衣  星 水彦

青鮫をかくまう風の開襟シャツ  松井康子

蛇あなを出るには齢をとりすぎし 松下雅静

夕顔と話した友を亡くしけり    村上雅子

鯖売りを首長くして待ちにけり   赤星文明

房総五月ぐいと男の腕かな    有村王志

春月の毀れゆくまで母といる    泉 尚子

桜桃忌人にことばが届かぬ日   上野一子

還らざる父の春田に杭打たれる  角谷憲武

十薬をまたぐやわらかな猫の足   竹原とき江

春落葉秘かに落とす実年齢     王城幸子

まだ少しあるときめきや鮎の香や  寺井すみえ

手をあげて桜咲いたかと戦中派   暉峻康瑞

蜘蛛の囲の向こうは何もない真昼  成清正之

 一眼・二足・三胆・四力  

 剣道の教えのなかに”一眼、二足、三胆、四力”というのがある。「眼は心の窓」ともいわれ、相手の眼を見ながら、その奥にある心を察知するように努める。次に足は、足さばきである。足の動きがなければ、相手に打ってゆくことはできない。三番目の胆は積極果敢に攻める決断力と実行力。また、忍耐力や持久力といった気力のことである。そして、最後の力とは技のことである。技とは眼足胆と修練していくなかで、自然に達するものとされている。
これらのことは俳句にも当てはまる気がする。詠むべき対象をよく見ることは、俳句でも一番大事である。次に、足はフットワークであり、まず調べたり現地に足を運ぶことも必要な時がある。胆は自分の感情であろう。そして、表現技法は経験と共に身につく筈だ。
ただ、道はまだまだ険しい。(吉賀三徳・文)

      九州俳句誌148号より引用
      平成19年11月15日
      北九州市・中村重義編集発行

還らざる父の春田に杭打たれる  角谷憲武

この句をよみ、すぐ浮かぶ景があります。
春でした。晩春です。
減反の調査員に父の代理で立会ったことがあります。
句のように、杭が打たれます。ここまでは耕作してよい。という境界の杭です。たんぼのうんと向こうの端にはスケールのはじっこを持った調査員、こっちの端にはもう一方の先端をもって計測している調査員。長いながいスケールが風にところどころ裏返ってひらひらと照り輝き、それをあおるように紋白蝶がひらひらと舞っていました。余白のたっぷりある余情ゆたかな句であります。(姫野)

追記)

吉賀三徳句が引用されていました。
『乾燥大根の話』
http://www.randdmanagement.com/c_food/fo_062.htm

  専門的な内容のおはなしに見出しとしてご紹介していただき、ありがとうございました。 

 

2007年10月30日 (火)

句集 『樹の下の時間』

『九州俳句』に拠る長崎の俳人・前川弘明の第三句集『樹の下の時間』(平成十九年十月八日発行、表紙カバー版画・小崎侃)を読む。

序文に師の金子兜太が賛を贈っている。

        前川の〈体〉 
                 金子兜太 

 前川弘明は長崎育ちだが、その俳句に沁み込んでいる長崎の風土と言えるものが格段に色濃く独特で、魅力的なのだ。この人の句作りは人並みで、日常に即し、心象風景をまとめる。ところがどの句にも普通の感じがないのは、前川の〈体からだ〉になっている風土のおかげである。東支那海の照り返しとともにある古い港町。その肉付、情感の色合い。

   平成十九(2007)年 長崎原爆の日
        熊谷・熊猫荘にて

「この人の句作りは人並みで」とおとしめながら、重ねて「普通の感じがない」とひきあげる、それはひとえにナガサキの風土が身に染み付いているからだと妙な理屈をくっつけて。この言い方に金子兜太の第二の故郷と言ってもいい長崎への郷愁、身内意識を嗅ぎ付ける。金子兜太は若き銀行員時代、長崎で日を送り、九州俳句から大きなものを受けたし、またそれに大きな影響を与えた。だから、このカリスマの現代俳句の大家が「前川の体」と書くとき、それは同時に、金子自らの青春時代のにおいをどこかに帯びている「兜太の体」でもあるのだろう。

青僧侶露を踏みつつ蛍光す  弘明

銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとくに 兜太

前川は1935年3月長崎生れである。三年ほど前に主宰誌「拓」を創刊、いま九州でもっとも油ののった俳人の一人である。
次の句の捨て身の風格。簡単にできた句にみえて、ここまでたどり着くには長い時間と曲りくねった空間が必要だったろう。この句を得たことが、彼にとってのひとつの到達点であった、とわたしはおもった。

月光や破船のように父坐る  弘明

ボクシングの亀田兄弟の父のような男が、傷をいっぱい負いながら、それでも負けを認めずに坐している。月光はそのなまみのからだへふかぶかととどく。どんな理屈もいらない。この句集のなかで一番の句だと思う。

ほかに私の好きな句は、

毛虫焼く彼方に青き五島灘 
天金に触れて愛しよ秋の指*
ロビー転がる蜜柑を皆で見ておりぬ
唐寺の赤き柱やつばくらめ
深く拝す戦争見たる夏の月
足垂れて蜂くる桃のような児に
花束で枯木を殴るおとうとよ
小春かな品川駅も踊り子も
ビル街の隅の死蜂のこがね色
紅梅紅梅生鮮保冷車が走る
山椒魚泣かねばならぬときもある
地球回るぽつんと被爆の叔母住んで
まなじりに紅剃く宮日(くんち)踊りかな
あねいもと髪切りそろえ星祭
蜂来たる路面電車の顔面に
花粉はこぶ蜂いて朝のオランダ坂
秋の蜂義士の墓群を渡るなり

西坂の丘 より八句

旭が昇る殉教の丘われらに蜂
蜂あるくキリシタン刑址の白い砂利
色鳥くる殉教の足垂れならび
どれも瞳を上げし磔像木の葉降る
曼珠沙華磔刑の空美しき
聖ルドビコ小手毬の雨聴いただろうか
美塔ふたつ秋天に立ち疾風(はやて)の鳥
暗し聖壁実りの葡萄一房彫り

西坂の丘とは、戦国時代に殉教した二十六聖人像がある地。この有名な彫刻家・舟越保武による像には、詩人の高橋睦郎の「日本二十六聖人殉教者への連禱」という印象的な長い詩作品がある。だから、「どれも瞳を上げし磔像」とよまれると、「それはちがいます」と、声をあげたくなる。(一人ひとりの写真をみるとわかるが、二十六人のうち、ふたりほどは目をあげていない。水平に視線をとっている。じっとわたしたちをみている。これは彫刻家が空間を大きくとらえるためのはからいであり、横一列という難しい構図にあたえる変化への意図だ。そしてそれはそのまま宗教的な神のはからいとなる。連句の視点に似ている。) だが、そんな事実、もちろん前川はしっているのだろうし、ここは詩作品の勢いとして、こうよまざるをえない。この句にはちからといきおいがある。
聖ルドビコ。この殉教者は最年少で12歳、あかるい無邪気な少年だったという。こでまりの花のやさしさ、はずむような花のあかるさ。どこかさびしい、かなしい、純潔の花。この取り合わせを見ただけで、前川弘明のセンスのするどさはみえる。
それにしても、前川の句はどれもごつごつしていて、記憶に刻み込むには滑らかさに欠ける。たとえば、西坂の丘十一句の第一句、

旭が昇る殉教の丘われらに蜂

これなど、


日がのぼる殉教の丘われに蜂

でいいとわたしはおもう。きっちりと五七五にまとめたいのだ、わたしは。でも、森進一が曲に遅れ遅れして歌うのに似て、かれのリズムはぎこちなく硬直し、師の金子兜太を体のどこかにくっつけては、字あまりを堅持する。なんて海程風なんだとわたしは慄然とする。師の影ふみをしているような。だが、冒頭にかかげた破船の一句を見ていると、こう思えてくる。父思いの亀田三兄弟はあのやさしさと泪を抱いたまま、親離れしていくのだろうが、前川も師への熱い想いを抱いたまま、親離れしていくに違いない。

日本二十六聖人殉教者の連祷:http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/byb0002.htm

日本二十六聖人像:
http://www1.odn.ne.jp/tomas/nihonseijin.htm

水平に視線をとっているのは、聖パウロ・三木と聖ペトロ・バウチスタですね。高橋睦郎の詩作品もですが、この彫刻のすばらしさは、なんにも具体的な手がかりはない無のなかから具象を鮮明に呼び起こしているところです。彫刻ってもののかたちそのものですし。ものすごいアプローチがあったんだろうなとおもいます。26名のうち、此岸をみつめる人物の選択をこの二名にしたのには、確信的な理由があったんでしょうか。

*
これは本句集のなかでは、
「天金に触れてかなしや秋の指」と推敲されている。でも、初出(ほんとはどっちが初出かを知りません。私は「愛しよ」の形のほうを最初に「拓」誌で読んだ記憶があります。)のかたちのほうが余情がある。それはなぜかと考えてみた。「や」だと正統派の切字だし、ぱっと解放される明るい風情があり、「よ」のほうは、くぐもった響きから内向的な味わいがのこる(別のいいかたをすれば、完全な切れを獲得しない魅力がある)。表記も漢字がいい。ルビはつけないで。

↑こんな自分勝手なごたくをこねながら、ひとはみな、ひとさまの句集をよむのですよね。前川弘明先生、いつものことながら、たいへん失礼を申しました。どうぞ、一度、八女にもおいでください。そしてみんなで連句を巻きましょう。(笑)

2007年9月30日 (日)

竹ひじり

竹伐るやひとつ猥歌のくりかえし   布施伊夜子

  (「第五回九州俳句賞」受賞作より)

竹伐るは秋の季語、歳時記には次のような解説がある。

木六、竹八といつて、竹の性のよいのは陰暦八月即ち陽暦九月頃で、その頃から一月にかけて竹を伐るのである。伐り出してある青竹の束を見るのも一寸いいが、又篠竹山の古竹は悉く伐られて新しい皮を著た新竹ばかりになつた山も気持のよいものである。箱根の足柄山辺の小竹は大量輸出するので竹伐が盛んである。
  (高浜虚子の歳時記、昭和9年旧仮名旧漢字)

仲秋のころは、いわゆる竹の春で、竹の性がいちばんよくなる時とされ、このころ竹を伐ることが多い。
   露浴びて竹伐る人や藪の中 虚子
   一日や竹伐る響竹山に    たかし
   (山本健吉の季寄せ、昭和48年)

竹は農具としても使われる。家ではいちごの球出しに使っていた。三十センチほどに切りそろえた竹を苺株の根を傷つけぬように立てて、結球に覆いかぶさる葉っぱよけとした。のちには専用の樹脂製の商品を買ったが、二十年ほどは山にのぼって竹を伐り、軽トラで運んで庭で細工したものを使っていた。豆畑の支柱にもなるし、七夕の短冊をむすんだりもした。

そういえば、竹の物干しが田舎のわが家からも消えたのは、いつごろだったろう。竿竹売りの声がたまに聞える。

  竹伐るやひとつ猥歌のくりかえし 布施伊夜子

竹伐りの翁が竹を伐っている。翁はひじりだが猥歌をよくうたう。景気づけのために歌う。こわれたレコードみたいにおなじところを何度も。作業に没頭しているので気づいてない。ある程度伐ったら背中にしょって地べたを引きずりながら運ぶ。そのときも、
うたっている。

ひとつでたほいのよさほいのほーい
ひとりむすめとするときにゃ
養子覚悟でせにゃならぬー

※ かささぎの独り言:
猥歌、歌詞が少し違います。http://www.ni.bekkoame.ne.jp/uenonorio/fwaika.htm

2007年9月29日 (土)

虫  5

essay  虫  その5

 「あまおう」と名告る苺やクリスマス  恭子

ここ数年苺生産高の王位の座を栃木県に奪われていた福岡県だが、ついに新品種の大粒苺「あまおう」をブランド開発し、この冬(※2002年当時)市場に並んだ。この愛称は一年前に公募で決まったもので、最初に耳にしたときは、「・・ダサいな」 と思った。しかし実際に実物を手に取り食べてみると、なるほどと納得する。大きくて艶があり、中まで紅いし、とよのかよりも甘い。福岡県農業総合試験場で七年もかけて開発されただけのことはある。我が家も来期から甘王苗を植えるが、作ってみなければ欠点はみえない。ちゃんと最後まであの姿の苺がなり続けるのだろうか。これは一種の賭けみたいなものだ。農業は天気や政治や風評などに大きく左右される。そして常に本気が試される。「土」(※「虫」の前に連載していた随想)で以前紹介したことがあるサラリーマンから苺農民に転職した若い夫婦は、今期防虫に失敗し、四つのハウス全ての苺をウドンコ病菌にやられた。原因は何だったのか。菌は眼に見えないけれども、経験の浅い人のわずかな隙をついて忍び込み,繁殖したのだろう。

  菫程な小さき人に生れたし  漱石
  アブラムシ程な小さき人に生れたし 

夏目漱石の俳句でこれが一番好きだ。その虫版。ごきぶりではなく、あの微小な、害虫だがいろんな虫の餌にもなる虫である。真っ先に食べられてしまうという事は、食物連鎖の中での悪人正機説みたいで、いじらしい。

      ◇

「九州俳句」誌の百四十名ほどの俳人の作品に表れている虫を分析してみた。すると意外にもたくさんの虫がいた。多い順に記すと、

蝉33(うち、空蝉12、かなかな2、法師蝉2)、蝶(揚羽)4、蟻6(羽蟻3)、蜻蛉8(赤とんぼ4、秋茜1、糸蜻蛉1、薄羽かげろう1、蜻蛉1)、虫6、螢5、蝸牛3、斑猫2、蜘蛛2、芋虫2、なめくじ2、鉦叩、火取虫、みの虫、根切虫、クワガタ、かぶと虫、ハエ、ミズスマシ、蟋蟀、馬追、ちちろ、虻、ごきぶり。

  斑猫や其処から先は明治の父  清美
  炎昼にいもむし落ちて丸まらず  能定

現代俳句のなかで詠まれる虫は、空蝉と螢と蝶だけだと思い込んでいた。確かに空蝉は圧倒的に多い。しかし思っていたほど貧困でもなかった。戦前の俳句に比べれば、種の多様性は損なわれつつあるけれど、まだまだ俳人の目は多様な生き物を活写しようと懸命なのがわかる。よかった。なんだか幸福なきぶんになってきた。俳句がほかの文芸ともっとも異なるところが、この写生眼だとおもうからだ。見て、触れて、そして感応してうまれるものは、文字に書きとめられることで永遠を生きる。こころやさしい文芸である。

     ◇

この二年単身赴任中の夫を佐賀県に訪ねるときは、かの地のすばらしい図書館から鳥や虫のビデオを借りてくる。同定眼を養いたいから。今年一月末、アトリの一種であるイカルの大群がわが家の裏の柿の木に飛来する。数えたらちょうど50羽いた。五分ほど休んで虫や硬い木の芽を食べ、また飛び去っていく。斑鳩へ帰ったのだろうか。

  伸び縮みして田渡りの群れ花鶏(あとり) 六弥太
    虫地獄・鳥地獄とや冬紅葉         やす子

連句誌「れぎおん」2003年春、41号より引用

  * rokuyata   okabe: 岡部六弥太
  * yasuko   ikeda: 池田 やす子(連句人)

 

2007年9月19日 (水)

馬は立ったまま眠るの?

秋岬ごろんと馬を三四五頭    広重 静澄

鍬塚聰子さんのブログから一句、失敬してきました。みょうに数字が気になり、さんしごとうがごつごつしてるなあと感じました。どんな景色が浮かぶかといえば、馬が疾走しているのではなく、ごろんところがっている。それが遠目には三頭に見え、やがて四頭にも五頭にも見える。だいたいそんなかんじなんでしょう。牛の群れは阿蘇などでよく見ますが、馬が群れているのをあまり見たことがありません。しかも、ごろんと転がっている格好は一度も見たことがない。

立ち眠る馬のたてがみ濡れる明け  福富健男

これです。徳永義子さん(俳句誌「樹」のベテラン俳人です)が『九州俳句』誌に宮崎のベテラン俳人福富健男さんの特別作品集『登攀記』の感想を書かれていまして、そのなかでことに目を引きました。徳永さんの文章をそのまま引用しますね。

「寒立馬を思った。馬は立ったまま眠るんだと今更気づく。たてがみが濡れている夜明け、朝日にきらめくことだろう。」

ちょうど、いまごろの季感の句だと思います。若いころ農耕馬をじっさい飼っていたわが父に尋ねましたら、馬はほんとに立ったまま眠ることが多いらしく、たまに馬がいねむりしてるのを叱りつけながら農耕していたそうです。

けさ、自転車のサドルが露にぬれていました。お昼ははげしく暑いのですが、あさすず、ゆうすずです。

もうじき、お彼岸です。

2007年8月17日 (金)

39円俳句

あつくてあつくて死にそう。
そのうえ今日は『九州俳句』 誌が届き、例の辛口の九州俳句賞応募作品選評が、グサッとうすい胸に刺さって痛くてたまらない。
選評子ってさ、じぶんたちの句もそんなにたいしてかわりばえしないくせに、なんであんなにえらそうに、人の句をくさすっちゃろ。一度どの句もいっぺんうんとほめてみぃよ。そしたら応募者はへらなくなるから。応募者より選ぶ先生の数のほうが多いなんて世界はどこかがおかしい。
応募者全員には、先生方に句を出させて先生がたの句を選句する権利を与える・・なんていう特典を与えたら、一気に応募者が増えるかもしれない。批評の言葉で、つまり、句のヨミで一位を決めるという競争もあっていい。むしろ、いまの俳句界がやせ細って不作なのは、ヨミの狭量さにこそ原因があるからだと思える。連句をやる俳人も見当たらないし。・・ぶつくさぶつくさ。(ただの負け犬の遠吠えです。みのがしてやっておくんなせえ)

気を取り直して、近くのマルキョウに買い物に行った。腰がまがり、杖とおなじ高さの母をつれて。
すると、みそラーメンが一つ39円!!(お一人様5袋まで)
では!と迷わず10袋かごに入れる。母がいてくれてよかった。

次男がみそラーメンに太もやしをいっぱいいれたのが好きです。これだけは自分でつくれるんですよね。今日はラッキーだったなあ。

うーむ。
ラーメンが安かったくらいでちゃらになるイタサでよいのだろうか。(よいのだーともぞう、こころの声)

2007年8月 3日 (金)

台風のさなかに

今年二度目の昨夜の台風、強い風がふきました。

いつも遅くかえる夫も早く帰宅してきました。
中三の次男は昨日まで課外授業があってましたが、これもレンタルビデオ屋さんからいくつかDVDとCD借りて彼にしては早めに帰宅しました。数日前から私が頼んでいた「時をかける少女」(最近のアニメ版のやつです)  もわすれずに、ちゃんと借りてきてくれてた。いい子だ。それにしてもビデオ屋さん、70円、90円までダンピングしないと競争に勝てないなんてかわいそすぎる。いえ、熊本のいとこが長くこの商売をしてまして、その苦衷をおもうと一言いいたいわけで。

雨戸を閉めても鍵をかけていなかったせいで、風がすごい音をたてます。それに負けない最大の音量にして時かけ少女をみました。夫といっしょに。

こんなこと、二回目だなあ。

とおもいました。博多の月隈に住んでいた三十代後半から四十代初めのころ、一回だけ真夜中に夫と二人でビデオを見た。喧嘩しかしてないしせっくすれすどころか16年間手もにぎらないさいあく夫婦なので、こういうことがあることがふしぎだとおもう。(月隈でのそれは「小さな恋のメロディ」 だった。感動して、こんな映画、もう二度と作れないだろうね。って夫は言ったなあ。そういえばあんとき)

さいごのちかくで、感動屋の夫がないていた。けっとかささぎはおもった。その瞬間、かえるの声が唐突にどこからか聞えた。え。もう。

もう台風が行ってしまったんだ。まだ強いうなり声がしていたけど確実に力は弱まっていた。蛙っていじらしい。うれしいんだろう。

 颱風の暗き家鳴りに帰り来る  飯田 孤石

 (飯田孤石は阿蘇の飯田高原の人だった)。

帰って見えた家霊団のみなさまがた、わたくしどもはなんとか離婚もせず辛抱をし、まいにち、なんとかやっておりますです。どうかご安心なさって帰ってくださいまし。

参照)

『時をかける少女』http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/

この映画でことにこころひかれるのは背景の風景画。雲とか家の草や木とかが綿密に愛情深く描かれていてすばらしい。

それともう一つ、宣伝をいたします。

『台風』 という曲、オルケスタ・アストロリコ が先月出した珠玉のタンゴ名曲集『SALUD, TANGO y AMOR  (ソルーナ音楽事務所取り扱い、京都下鴨) のなかに収録されております。これもまた、ほんとに台風のかんじがしてすばらしい曲です。みなさま、ぜひ一度きいてみてください。

2007年7月22日 (日)

現代俳句と女たち 8

 ― 現代俳句と女たち ―

 張形としての俳句  その八

           姫野 恭子

個人的な事を書く。昨年末に再就職した。
顧みれば私は専業主婦として四半世紀もの日を送ってきた。結婚後十年余の間に三人の子を授かり、家庭を守ることに必死であった。思えば偶然とは恐ろしいもので、三人目を授かったころに出合った俳句の力で、何とか今日まで生きのびて来られた気がする。
この四半世紀の変貌ぶりは、季語の「冷まじ」以上に凄まじく、魂を危うく持っていかれそうであった。気がつけばおもての繁栄ぶりとは裏腹に、内部はスカスカで何もない。見事なくらい何もないのである。

張形とは内部が空洞の陽物を指すが、女性俳句は”台所俳句”から解き放たれたのち、自ら”張形としての俳句”への道を歩んでいるように思えてならない。それがいい事か悪い事か、私は知らない。ただ虚子は一人静かに首を振るのであろう。

今回は、その台所俳句というものを学ぶ。
中村汀女の句をひもとくことにしたい。

 幼き日江津湖の塘にて盆踊りしぬ 五句
盆踊りやむとき塘は藻の匂ふ 汀女 

汀女の俳号は熊本の江津湖畔で育った清(すず)しい俳人にふさわしい。本名の破魔(はま)にしろ、浜に通ずるゆえ、中村汀女は水の匂いが濃い。この句の塘(とも)の字に注目してほしい。辞書にはない字である。堤のことをそう呼んだ。イメージ的に堤といえば池のようなものを、塘といえば艫(とも=船尾)を繋ぐ土手が浮かぶ。戦前の教育にあって今の私たちには喪れた豊饒な語彙を、例えようもなく惜しいと思う。

 今は熊本市だけれど、江津湖はやはり私にはもとの
 江津村がふさわしい。湖畔の人たちは、東遥かに
 阿蘇の山々を仰ぎつつ、田植、麦刈にいそしみ、その
 間に藻刈舟を浮かべ、夏に入る日は川祭の御神酒を
 湖に捧げる。私も朝夕湖を見て育った。走る魚の影も、
 水底の石の色も皆そらんじている。
 父母尚在ます江津湖畔に私の句想はいつも馳せてゆく

        (『汀女句集』 序)

   女一人を守りて春の舟行けり  汀女 

汀女は豊かな家で育ち、幸福な主婦としての一生を全うした女性俳人である。ホトトギスの高浜虚子からは星野立子と共に目をかけられ、いかにも良妻賢母型の雰囲気をまとう華やかな人であったようだ。時代的に石橋秀野より一回り上の世代に属する。この女流俳人のあけぼの期の女たちは、みな、社会的に裕福で(乳母に育てられた人が多い)、しかしながら世間的には苦労の多い生涯を送った人が多いのだが、汀女は、順境を順境として渡り切った類まれなる俳人であった。この事は決してたやすいことではなかったはずだ。

 なでしこや人をたのまぬ世すごしに  汀女
 初富士にかくすべき身もなかりけり
 外にも出よふるるばかりに春の月
 秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな

 (これは、星野石雀、浅沼璞の両氏が偶然「ガスの生活史」の中で揃って挙げられた名句である。)
 
霜柱愛でゐることは踏めること
 夫と子をふつつり忘れ懐手

中村汀女は懐手の似合うハンサムな婦人だった。 

超結社俳句誌「九州俳句」146号より引用
  平成19年5月15日発行
   (北九州市八幡西区・中村重義編集発行)

※「ガスの生活史」・・・「連句誌れぎおん」(神戸市、前田圭衛子編集発行俳諧誌)でのアンケート特集記事。おおざっぱに日本の歴史をくくると、火をつかう生活は、ガスを得ることで近代を獲得した。その端境期を生きた証人である私たちは、記憶のなかから抜け落ちたがる貴重な前近代をしっかりと刻んでおかねばならない・・という意図のもと、れぎおんに集う俳諧人にアンケートを実施。それを前田編集長はていねいにまとめ、きっちりと誌面に記録された。だれも評価しないが、時の神様がおられ、俯瞰する目をもっておられるなら、これはすごい仕事であったとおもうだろう(笑)。ガス、厠、と二度もアンケート特集をさせていただいたことは、れぎおんとのつきあいにおいて、とても得がたい収穫だったと感謝しています。(ガスもトイレも昔の記憶は決して色褪せないものですね。)
 

2007年7月20日 (金)

俗のほそみち  2

  俗のほそみち  2

        姫野 恭子

        熊本  松本 照子

 いわれなき胸の氷を滾らせる
 冬晴れのひとりが恐し影を見る
 早春や野に佇つ母の手は硬し
 癌焼いて椿の山は花ざかり
 はらからを棄てうすばかげろうの町にいる

この五句を読み、咄嗟に思い出したのは石橋秀野の晩年の句と、本誌の故野田田美子の花三椏の絶唱であった。あわてて手持ちの九州俳句誌の97号から129号までを出してきて、この俳人がどんな作品を書かれる人なのか調べる。すると次の句にであう。

 水底へつづく径あり秋桜
 水の里花の無情を流している
 河骨の片濁りして咲く日暮れ
 うす霜や山は歯ぎしりして曇る
 馬の目の寒き深さに近づけり

どの句も幽冥境を異にするぎりぎりのところにたって書かれている。ことに今回の五句はどの句も一点の弛みもない或る境地に到達している。

 冬晴れのひとりが恐し影を見る  照子

冬晴れや、ではなく、「の」で繋いだことで逆に句が切れを獲得してしまう不思議。うすぼんやり読んでいる頭に、冬晴れの精たちがぴょこぴょこ跳ねて、そのうちのひとりが「あら。ないわ。あたし影がない」と途方に暮れている図が浮かぶのだ。もちろん、そんな景ではなく、一人でひなたぼっこしているときの影のゆらぎにふと感ずるこわさなのだろうが。

 母と子に影冷えて来し風車  石橋 秀野
         
昭和21年 於・松江  五月

この句も似たこわさをもつ。何の影が冷えてきたのだろう。母と子の影がぐらつき、現し世は掻き消えて、そこにあるのは巨大な風車だけというようなイメージを払拭することができない。母と子にの「に」、冷えて来しの「きし」、この三つの「 i 音」が漠然とした緊張をしいる。

 早春や野に佇つ母の手は硬し  照子

ものの芽みながまだ固きなか、年老いて手の指が適わなくなった母が佇む。これは早春のと繋がず、字面に切字を投げ入れて、対照的な生の輝き ―芽ぐみの活力と、枯渇の衰退の美、とを慈しんでいる。一字たりとも揺るがない完璧な俳句である。
かように叙景句みたいにひそやかでありつつ奥深い人情を孕んだ句こそ、山本健吉のいう「純粋俳句」なのだろう。

 陽炎や日本の土に殯(かりもがり) 正岡子規

悼蘇山人の前書をもつ句で、昭和17年刊の「聖戦俳句選」で高浜虚子が採り上げている一句である。蘇山人は支那公使館書記官の息子で俳句仲間だったが、若くして病没したので、日本に埋葬したとある。事実なのだろうが、私には蘇山人の名から子規が創作した話に思えてならない。これもまた純粋俳句である。

 「九州俳句」131号より引用
   平成15年8月15日

※ 先日来気にかけていた正岡子規のかりもがりの一句がこれです。わらびなどどこにもありませんでした。かげろうのほうが、ずっといいです。

  

2007年7月18日 (水)

現代俳句と女たち  4

― 現代俳句と女たち ―

   張形としての俳句   その4

            姫野 恭子

 雪こんこ手足ひろげて落ちるなり 
                中村 マサコ

根性ある浪速の川柳人・倉本朝世が賛を書いた(「どこまでがマサコ、どこからがマサコ」)中村マサコの百句が収められたアンソロジー『俳句百景4』(東京四季出版)を読む。作風も年齢層も多様な俳人が縁あって四十人、一堂に会したものである。東雲を洩れる燭光のいろのひかりの帯が、黒い大地に巻かれている表紙写真がとても印象深い。そして収録されている四千句(!)もの作品も、選びぬかれた句ばかりである。

略歴によると中村マサコは昭和七年福岡県生れ。五十七年、「天籟通信」入会。現在は「國」「豈」「九州俳句」に所属。筑後は久留米の俳人で、私も過日八女市の堺屋で半歌仙をご一緒に巻いたことがある。おっとりゆったり、美しいひとであった。作品も俳諧味よりは詩的情緒のにじむ繊細なものが多い。

冒頭に引用した一句は、百句中一番の句である。深く心にしみるリリカルな句だ。

故・折笠美秋の

 雨だれは目を瞠いて落つるなり  美秋

を連想させるものの、句の味わいはずっと南国的で開放的な屈託のなさがある。

 あざみ剪る玄界灘に膝をつき   マサコ
 風の骨ときどきささりあちこちささり
 産道につづくは青き麦畑
 キャベツの結球はじまる頭廢(しい)たるよ
 かたつむり折檻の音ふるさとは
 青いより他なし青い虫つぶす
 チャイナマーブル転げし畳を荒野とす
 桜前線さて私のいずこより

好みの八句を挙げてみた。どれも感覚的な句柄で抒情的な一本の詩として立つ。それは俳句の場合、きらびやかな衣裳、意匠をまとっている体であるかのようにも思えるが、にもかかわらず、「きゃべつの結球」の瞬間など、これまで誰も詠まなかった事を「頭廢たる」と捉えてみせたのは、やはり俳人の目以外の何物でもない。中村マサコは俳人である。

 かたつむり折檻の音ふるさとは  マサコ

      

 曼珠沙華また折檻の隣りかな  杉田久女

立風書房『杉田久女全句集』 第二巻より「秋雨日記」大正七年一月の「ホトトギス」に載ったもの。マサコの蝸牛に対するに、久女は曼珠沙華という強く毒々しい季語を取り合わせている。日記であり写生句であるとはいえ、久女の句はどこまでも強く、迷いがない。近代女流俳人で九州でのパイオニアは久女である。石橋秀野も久女に傾倒していた。(が、生前まみえたのは久女の弟子分の橋本多佳子であった。当時十歳ほど年長でまだ五十前の多佳子を「別れ蚊帳老うつくしきあしたかな」 と秀野は詠み、言い訳のように「老のうつくしき」という随想も書いている)。
杉田久女を想うとき、私は「張形としての俳句」 の鋳型にぴたりと填まる火のような魂を感ずる。さまざまの詩型のうち、俳句こそが最も大きな張形を要する。それを直感し、もっとも遠くまで意識を飛ばし、きっちり自分の気で充たしたその乾坤一擲のわざは、比類ない。

 谺して山ほととぎすほしいまヽ   久女

「九州俳句」(北九州市、中村重義編集発行)
    
143号 平成18年8月15日刊行より引用

※文中の折笠美秋の一句であるが、まったくの記憶からの抽出であることを断っておきたい。最初九州俳句に引用したときの記憶では、「雨だれは目を見ひらいて落ちるなり」だった。しかし、どうも漢字が違うような気がしてきて、みひらくを瞠目の瞠の字にかえてみたら、お、これだ。と思えてきた。こんないいかげんなことではだめなんだろうが、いつか出あうほんとの正解をたのしみにしていたいのだ。ちなみにこの句に最初にであったのは、谷口慎也先生の「連衆」(福岡県大牟田市)誌であったとおもいます。

※ 杉田久女ですが、『女流俳句集成』(宇多喜代子・黒田杏子編、立風書房全一巻)のなかにある作品を読んでいたら、ちゃんと看護婦をののしる句が採られていた。なんか、知己に会ったようで、うれしかった。こんな句ですが。

 芋の如肥えて血うすき汝かな  久女
  (看護婦をのヽしる句)

句を選んだひとは、正木ゆう子さんです。
   

2007年7月17日 (火)

現代俳句と女たち   3

 ― 現代俳句と女たち ―

   張形としての俳句 (3)

              姫野 恭子

 麨や兵隊後家と母呼ばれ   和泉 光栄

八月二十七日の第五十二回原爆忌俳句大会へ初めて参加した。十年近く九州俳句誌に在籍していながら、各種の大会へは一度も出たことがなかった。参加してみて、はじめて見えた。ことばの向こう側に生身の人がいることが・・・。私には当日聴いた語り部の人の生々しい体験より何より、会場に充ちていた独特の雰囲気や、階上の図書館で会った静かなたたずまいの被爆者のことが、強く印象にきざまれた。

この連載を書き始めていたからだと思う。入賞作品集の中から掲句が飛び出してきた。旧字の麦に少で「はったい」と読む、麦こがし。何となつかしい夏の季語であろう。まるでむせ返るような香ばしい匂い。口に入れるもの全てを自家製造していた昭和四十年代までの輝かしい原初の味が、ふいに私の身に蘇る。

「これ、とってもいい句ですねえ」

と、隣の席にいた女性に声をかけると、そのかたが作者の和泉さんであった。和泉さんは「私の母のことです」 とおっしゃった。美しい姿の女性だった。こういう偶然があるのだ。食物や生活に何ら混ざり物がなかったころ、後家差別もまたストレートなものだったろう。

     ◇

  私は一切の新しきものの味方である。
  否、新しきものそれ自身でありたい。
  何故なら、新しきものの中には常に必ず
  生命の核が宿ってゐるから。

     平塚らいてう 『円窓より』、大正二年

引用はしたが、私は平塚らいてうが苦手である。この精いっぱい肩に力の入った文章の「新しきもの」のところに「古きもの」をたとえ代入したとしても、全然差し支えないとさえ思う。同じく有名な「元始、女性は太陽であった」にしろ、元始女性は月であったと変えたとて何の不都合もない。そんな時代に今、私たちは生かされている。論はじゅうぶんだ。時代が進もうが退こうが、女性の生き方がどうかわろうが、肝腎要のものはなにひとつかわらない。

       ◇

 もしかしてみんな淋しいラムネ振る 山元志津香
 香水一滴けふ母でなし妻でなし    〃
 柊の闇をひろげて匂いくる       穴井 君子
 年毎に雪重ねゆく胸の奥        〃

山元志津香は岩手県生れ。連句俳諧誌「八千草」主宰で、実力のある書き手である。長い句歴がありながら処女句集『ピアノの塵』を出されたのは去年のことだ。肩肘はらぬ句柄は人柄そのもの、ありきたりな言葉で心にしみる句を幾つも書かれている。ラムネの句は、一見無邪気な詠みぶりながら、内包するものは底のない孤独だ。だが、だからこそ暗闇で目をみひらき、周りの人影に気づき勇気づけられ、みずからを奮い立たせているかのようだ。

穴井君子は天籟通信主宰だった故穴井太師の妻で、穴井太師より一回りほども年長だったことを、没後に師が編まれた穴井君子遺句集『絵本』で知る。太師に出会ったころの君子は戦争未亡人だった。激動の青春時代を生きた人のそのうちなる張形は、澄明でつつましやかである。

  「九州俳句」141号

        平成18年2月15日発行   

※ 参照 はったい粉: http://www9.plala.or.jp/vintage/hattaiko.html 

              柊:ヒイラギの花。文字通り冬に咲き、
        かそけき芳香をたてる。木のそばを
        通りすぎ、おもわずなんのにおいかと
        あたりをふりかえってしまうような。
                 http://www.hana300.com/hiirag.html

2007年7月15日 (日)

張形としての俳句  2

 ー現代俳句と女たちー

     張形としての俳句  その2

                  姫野 恭子

 大花火何といつてもこの世佳し 桂 信子
                    (俳書カレンダー八月)

昨年末九十歳で亡くなられた偉大な俳人が最後に辿り着いたのは、大肯定の述懐句だった。大正三年大阪に生れ、結婚後二年で夫と死別。それからは自分で生計をたて、一人で生きてこられた。山本健吉の書いた簡潔な紹介文によると、昭和十三年に日野草城に師事して俳句の道に入る、とある。健吉の妻の石橋秀野の唯一の句文集『櫻濃く』 の作品も、同年に始まるので、その点でも注目した。

 ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ  信子
 クリスマス妻のかなしみいつしか持ち
 山を視る山に陽あたり夫あらず
 ともしびのひとつは我が家雁わたる
 誰がために生くる月日ぞ鉦叩(かねたたき)
 ゆるやかに着て人と逢ふ螢の夜 
 ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
 中天に雁生きものの聲を出す
 子がなくて白きもの干す鵙の下
 臥(ね)るときのてのひら白く春逝けり

初期のころの作品であるが、静かな諦念が基底にあって、一句一句がそれぞれのドラマ性によって立っている。物悲しい放心の裡にも、俳句のかんどころをきっちりと掴み、心を捉えて離さない大衆性がある。殊に、有名な螢の夜の句とか、乳房ある憂さの句は、当時にあって最先端のエロス性にみち、俳壇ばかりではなく世間の注目をあつめたことだろう。しかし、ここで採り上げたいのは次の二句である。

 中天に雁生きものの聲を出す
 臥るときのてのひら白く春逝けり

この二句に、おんなとしての「身体性」を早々と断念せねばならなかったひとの悲鳴をまぼろしのように聞くのである。

      ◇

柳田國男や折口信夫の用いる民俗学用語の「美弓具良(みてぐら)」。それを子宮と捉え、古代人の「もどき」の文化の中で「扇」を論じた吉野裕子ー。吉野裕子に二十数年前に出会って以来、それまで欠けていた、陰暦に生きていた時代の人々の、言葉には出さぬ無意識界という下着が、少しずつ身に備わってくるのを感ずる。
美弓具良にしろ張形にしろ、弓が使われていることに注目したい。みてぐらは子宮のメタファーである。古代の人々の連想の中に、矢的(やまと)としての性交があり、生命を司る北斗の弧があったのではないだろうか。

      ◇

去年読んだ本で、思わず泣いてしまった本がある。三砂ちづる著『オニババ化する女たち』(光文社新書)である。そのなかにブラジルでの「授かった命は愛するという発想」 がある。望まない妊娠をした十代の娘を、一族郎党で励まし、一族中で新しい生命を待ち受ける社会の包容力が、ブラジルにはあるというのだ。偏見かもしれないが、身もこころも冷えびえとした日本の金持ちの結婚せぬ女たちに、ぜひこの本を読んで欲しいと思う。
とまれ、桂信子こそは、張形としての俳句の功徳で大往生を遂げられた。

 もの言はぬまま温みくる良夜かな   信子
 蝉の穴冥(よみ)へつづくはどの穴か  〃

 『九州俳句』140号より引用
        平成17年11月15日発行

2007年7月14日 (土)

俗のほそみち(7)

  俗のほそみち(7)

                  姫野恭子

「あちゃー。冬と夏では畝の立て方も違うち。知らんじゃったばい」と、『農耕と園藝』誌を読んでいた母がつぶやく。作物は日畝(ひうね)に育つ。その当然すぎることをハウス園芸ひとすじに三十年の母が忘れていた。ずっと苺を作ってきたが、腰もまがり、重労働に耐えられなくなり、足をあらった。現在は近くのスーパーの産直コーナー用野菜作りに父と二人で精を出している。楽しそうだ。

  野良じまい一言妻にありがとう 
           北九州   疋田 芳一

      

連句協会より会費の督促状が届く。今年は浪人生と受験生を抱えて、塾の送迎に追われている。ゆとり教育とは「こどもの教育は各家庭がお金も時間も使ってやるべし」ということであったのだと身にしみてわかった。昔はエンゲル係数、いまやエデュケーション係数が目の飛び出るほど高い。農民では食べて行けないので、いよいよパートに就くしかないだろう。学校は人間関係を学びに行く場、塾は勉強を習う場。学校の先生はお父さんお母さんの延長線上に存在し、塾の先生は教師として君臨する。子のなかで育つ、戦後日本の政治みたいなダブルスタンダード。なにかの過渡期だろうということだけはわかる。

  しあわせに見える石ころ蹴りにけり
             荒尾  萩  瑞枝

          

  聲あげて山河を朱くしてしまう
                    鹿児島  野間口 千佳

正字と現代仮名同居の句だが「聲」が全体の印象と響き合って、読み手は因果という時の法則を超える。そして朱色の残像、あるいは残響が山と河を往復し、作者と読者を往復する。季語はないのに、「もみいづる」とはまさにこういう作業をさすのだろうと思わせるちからがある。

  こゑあげてしまへばとめどなくて雪 
                福岡   伊藤 通明

馥郁としたエロスが、この句とも通じる。

          ◇

  妣からの歳時記使う千代女の忌 
                 北九州 松本 隆吉

妣(はは)という字の古典性。山本健吉におそわったことばである。亡母のことは「亡き母の」でこと足りる現代人にとって、まぶしい輝きを放つ言葉である。加賀の千代女は各務支考門下の十八世紀の俳人で、その忌日は九月八日。

        ◇

 落鮎の日に日に水のおそろしき  千代女

 朧夜の底を行くなり雁の聲     諸九

二句目の下腹にずんと来る有井諸九の句は凄いとしか言い様がない。千代女と同時代人で、九州から大坂へ不倫の恋の逃避行をした女性として有名である。
次の一句は、このふたつの古典に対峙させても怯まぬつよさをもつ。

 昼顔やはらわた熱き日は黙る
                          福岡    松尾久美子

   

『九州俳句』(中村重義編集発行)137号

   平成17年2月15日発行より引用

参照:http://homepage2.nifty.com/onibi/antho.html

2007年7月12日 (木)

宮部鱒太と北原志満子

宮部鱒太と北原志満子を読む

  ー 入れるより抜くこと難し ー

人に気を遣うのがいやだ。意地でもおべんちゃらなど言うまい、こと文芸に関しては。たとえ相手がどんな大家であろうとも・・・。
「宮部鱒太自選句集」と北原志満子「つくし野抄」を読み、感じたことを話したい。たまたまお二人とも大正六年生れとあり、学生時代から俳句に親しまれているという共通項を有しておられる。優に私の生きてきた時間を超える句歴の持主であれば、若輩者がどんな乱暴を言ったとて、ふふんと聞き流してもらえるに違いない。

       ◇

宮部鱒太を師と仰ぐ俳人から、聴いた。
「これまでに出会った誰より立派な先生です」と。人格高潔にして志高く、ふところの深い先生らしい。しかし、そんなことはどうでもよい。人格が怪しい人でも、作品は別格だからだ。どこまでも根性の卑しい私はそんな独り言を言いつつ頁を繰る。と、野田遊三氏の句集賛がはらりと落ちた。それをつい、読んでしまったのが運のつきである。高位の人の句は、高い視野に立つ読者を得て、初めて本懐を遂げるものらしい。私などの俗人の入り込む隙はないのだろうか。・・・・それでも、読む。

 雪の火山にまむかい男ばかりの墓  鱒太

集中最も鮮烈だった。前書が欲しい一句である。景が歴史の霧の中からくきやかに立ち上がる。明治維新の頃の賊軍と呼ばれた者たちの墓だろうか。雪の火山が絶妙だ。地位も名誉も求めず、自らの信ずるもののために命を捨てた男たちの墓。その地に立ち、足下からつき上げてくるような力を感じている宮部鱒太。「どうして、武士の身体と心を格好いいと思ってしまうのだろう」。私はミーハーらしく、この語(若者向けに書かれた日本古来の武道家とバガボンドの漫画家との対談本の帯です。なんてはだかのことばだろうと単純に感動した。「武」宝島刊)をつぶやくことにする。

 じゅうたんを走るお通夜のにぎりめし 鱒太

すごい!軽快なフットワークから繰り出される、生き生きとした無常句。私も絨毯(冬)で一句詠んだ事があるが、こんな面白い句は初めて見た。立派である。座五の熊本らしい質実剛健ぶりが光る。都会だと下手すれば「握り寿司」だったりする。

 朱夏の湯に古きふぐりを沈むるよ  鱒太

古きふぐりには古き摩羅が付いているのだろう。朱夏の湯との鮮やかな対比、哀感と無常感をたたえた男にしかよめない句。

 戦友は別のさくらをみていたり  鱒太

随筆「戦場の句会」を読み、やはり戦場を体験した人には適わないと思った。これは、山下淳の「流域雑記」にも感じたことであるが、胎のすわった自在な精神がもつ品格なのだ。

 戛 戛 戛 赭い正月さんの来らす 鱒太

一巻に方言の句が数句、そのうちの一つ。熊本弁の「来(こ)らす」は筑後弁の「来らっしゃる」同様、尊敬語である。正月さんは赤だとは、陰陽五行の思想、一陽来復のおまじないだ。かつ、の文字、あかの文字。教養がまるきり私たちとはちがう。漢文を知っている世代の語彙の豊富さ。

 百歳の祝いの餅はおそろしか  鱒太 

数え百で没した私の祖母が晩年口癖のように言ってた。「手取らんで往かやんばってん。」

 花大根帰るところがあるような   鱒太 

     

ところで今年の春は熊本の有名な一心行の桜を見にゆくはずだった。それが行けず、京都と奈良の桜を見る羽目になる。石橋秀野生誕の地(天理市)と晩年の地(下京)を尋ねたからだ。一度も訪ねた事もない土地の事を想像で書いていた引け目が、発作的な旅へと駆り立てたのである。お金がなくて、東本願寺横の寺の宿坊に泊る。一泊四千円弱。京のどまんなかなのに、夜はタヌキが出るような所だ。浴槽の栓が壊れていて、湯が漏れてゆくため、常時湯を継ぎ足していた。自然循環式のその風呂に寝釈迦の格好で横たわりつつ、人の一生もこんなものかなと哲学的なことを考えた。柳川のウナギ屋の秘伝のタレみたいに、減った分を常時継ぎ足し継ぎ足しして。

宮部鱒太翁の作品集を読んだのちに、北原志満子「つくし野抄」を読んだのだが、余りにも手法が違っている。それなのに、読後感には共通の意思の真澄みみたいなものを感じ、俳句は手法ではないなあと思ったことだ。

  ひとり来て万朶の花に顔さらす 志満子 

万朶の花の視線を老い一身に蒐め、何も恥じることなき一生(ひとよ)の顔を上げる。「顔さらす」とサラリと書かれたが、まるで真剣の相手に木刀で応じているような気の「抜け」を感じる。入れるより抜くことかたし何事も。この余裕、宮部鱒太とおなじ精神世界である。

 僧の暮らしに水木幼く花つけて 志満子

佐賀の町を歩くと、独特の気風を感ずる。駅の近くの通りを晩春に通るとぎょっとする。紅白の餅のような花水木が交互に灯っているのだ。慣れるまで、そのセンスを疑った。まるで花笠音頭みたいな町だ、と。次に夜出歩く。するとまだ早いのにシャッターが下りている。欲のない街だ。葉隠れの里のあるところだし、物よりも精神力重視の町なのだと実感する。

 田に曳かれし馬たちの道栗の花 志満子

畦道の倍の広さの農道は、個人所有ではなく、公道であった。そこを馬たちが田へ曳かれていった。公道であるから、ふつうの畦のように豆や菜種は植えられなかった。栗が一本。

 苗代ぐみの三粒を花のごと手折る  志満子

「苗代ぐみ」が分らぬ。夏ぐみのことと思う。志満子氏の過去に百姓をなさったことがおありか聞いてみたい。戦中派ならおありであろう。私は最近初めて「溝さらひ」をした。百姓の父母の不在でやるほかなかった。長靴のまま水の流れる水路に入り、草刈をしたり、底のゴミを上げるのだ。米つくり農家だけに課された毎年田植え前の行事である。膝上まで濡れつつ水草や土手の草を刈っていると、グミの実に気づいた。棘のある低木だ。懐かしくって、花のように手折り、お尻のポケットに挿して持ち帰り、子どもにも食べさせた。・・これが「苗代ぐみ」か。

総じて淡くて軽い日常詠ばかりで、かつて穴井太先生を唸らせた一句、

 米一俵ほどの満月老婆の旅  志満子

と並ぶような力ある句は見当たらぬ。しかし、老いるとはかくのごときものかもしれない。

 背振峯の秋むらさきに町果てる 志満子

※ 参照「俳句往還」 206頁、 穴井太著1995年。

「九州俳句」135号、平成16年八月十五日発行より引用。

追記)

ひとり来て万朶の花に顔さらす

この句のよみですが、いまは上記のよみとは全くちがう感慨で読んでいる自分に気づきました。読み返せば、この文章はなんと偉そうで横着で傲慢で高飛車なのだろう。。読むに耐えません。それが一番あらわれているのが、この句への読みでした。はづかしいです。北原志満子先生、お許しください。そうです。この句は、まさに、こういうときこういう想いから出る一句なのではないかと思います。

2007年7月10日 (火)

俗のほそみち(4)

超結社の俳句季刊誌「九州俳句」誌(北九州市八幡区・中村重義編集発行)に連載させていただいた文章から、幾編かをお盆にかけてご紹介したいとおもいます。

じつは、岡井隆の『赤光の生誕』に、蕨とその寓意が述べられているくだりがあって、それを読んでいたら、以前「俗のほそみち」に自分が引用した正岡子規の句、「早蕨や異国の土に殯(かりもがり)」(この句の記憶もあいまいになってきました。日本の土に、だったかもしれない。というのは、外交官の中国人の友を悼む句なんですよね、これは)についての読みを訂正しなければならないんじゃないかと気に掛りだし、確認しようと、その句の引用がある号を探していたら、とうとう見つからず、そのかわり、懐かしい内容の文章に出会え、これも縁だと思い直して引用する次第です。倉本朝世さんの句が出てきたり、長崎が出てきたりします。では。

  俗のほそみち(4) 

 空母ゆく億の水母をしたがえて  朝世

     「 NO  MARK」2号より

 やられた。やはり倉本朝世は一流の川柳書きである。しばらく休筆するといいながら、、競輪の予想紙記者の傍ら、ちゃんと句も書いていた。この句は川柳でありつつ現代俳句最先端ともクロスする。空母は巨大な体をもてあます軍事大国アメリカであり、そばに浮遊する数多のくらげは、一蓮托生の英国であり、日本であり韓国であり・・・というイメージが沸き起こる。しかし、それはむしろ二次的な解説でしかない。真の魅力は、空母と水母のシンクロにあるからだ。EVIL=悪がLIVE=生の逆文字であるかのように。そんな力を、この一見能天気な句は秘めている。

       ◇

栗提げて先生あたいを買いにくる 恭子
  電気ポットの夢ばかり見て   朝世

       ◇

 長崎原爆忌平和祈念俳句大会は私の生まれた昭和29年に始まったのか。丁度50回の年に初めて賞を戴いた。嬉しかった。しかし、

 原爆忌もつとも遠き黒鍵鳴る 恭子

もっとも遠き黒鍵とは何なのだろう。選句にけちをつけるのは横着なことだが、次の

 ヒトに生(あ)れ溢れし母乳原爆忌  
           福岡市 松尾久美子

なぜこんないい句に一点も入らぬのだ。選者には母親たちの号泣が聞えなかったのか。蛍になって帰る兵士だけが優遇されている。私は、死んだ赤ん坊を抱いたまま裸で仁王立ちし長い髪を逆立てた、この世のものとも思えぬ母親の姿を連想した。あるいは沖縄戦末期に、自決するより術なしと見た母たちがわが子に手をかけざるを得なかった悲劇を。

       ◇

 シベリアも戦もはるか星光る  
        佐世保  木原不二夫

       ◇

 ×月×日。朝。親類へあいさつに行く。長男がシベリアからかへつたのである。泊つてしまふ。秋蚕(蚕は正字)のそだつ音がしぐれのやうである。

 秋蚕はや繭に入るべき夜の星屑 

 繭の中もつめたき秋の夜あらむ

(詩誌「母音」8号、木下夕爾「日記抄」より)

      ◇

 戦争にがっしと襟首を摑まれてしまった。先日わが赴任夫に呼ばれ、熊本の菊池神社を訪ねる。資料館で見たいものがあるという。菊人形の菊池一族を横目で見つつ入館した。夫は何が見たかったのか、私は大変なものを見てしまう。秀野ノートを書いている時、心を寄せすぎたのかもしれぬ。出口で見たもの、それは松尾敬宇中佐の遺品であり、母刀自の歌であった。人間魚雷としてシドニー軍港で散華された、「軍神」の一人である。あれを見て、平気でいられる人があろうか。 

         (「九州俳句」133号より)

    平成16年2月15日発行

2007年7月 9日 (月)

灰桜

 灰桜てふ色ありぬ風の盆   秦 夕美

灰桜。うっすらと桃色ががった灰色なのだろうか。
すこし胸がいたくなるような、せつない美意識。
さきほどまでここに慥かにあったのに、いまはないものへのいたいほどの憧憬。
この句はなにもそんなことは言ってはいない。が、そんな想いをせつせつと感受する、かそけき気配の句である。

2007年6月10日 (日)

九州俳句賞

第三十九回九州俳句賞作品集が送られてきました。何度目の応募でしょう。選者20人による選考結果が記名の点数表で返されるので、ショックがおおきい反面公平です。おととし零点をいただいた私は、きょねんは心がめげてしまって応募しませんでした。(子どもを点数では叱るまいと固くこころに誓いました。)

ことしも出さないつもりだったのですが、応募がとても少ないと協力を頼まれ、しぶしぶ歴史ある賞に応募しました。が、たった14人の応募者でした!!記憶にある最低応募者数より10人も少ない。

また落選です。でも、うれしかった。かつておなじ同人誌で句を出し合った大分の吉賀三徳さんが受賞されていたから。

三徳さん。おめでとう。

むかし原しょう子さん宅であった新年句会。名古屋の町で酔いつぶれた故貞永まこと氏を抱えるようにして大分行きの高速バスで帰っていかれた三徳さんをなつかしく思い出しています。若かったなあ。あの日、私も熊本行き高速バスで帰りました。大雪で渋滞し、丸一日乗っていました。乾パンを運転手さんが配られ毛布もわたされて、まるで遭難者。あんなに長時間バスに乗ったことは、後にも先にもありません。思い返せば、あの日名古屋で初めて句会を経験しました。10年前です。

かつての仲間であり兄貴分だった貞永さんのかわりに、祝辞として、全作品を引用します。結果が載った九州俳句誌はまだできていないから、初公開です。だれの許しも得ていませんが、貞永さんがいいよって言ってます。弟分の受賞をとても喜ばれているような気がします。

  落葉踏む

           吉賀 三徳

腑に落ちぬ暖冬の樹にふれてみる

岬に佇てば芯から冷えてくる祖国

落ち葉踏む父を越えたといえようか

片耳は寒念仏を聞いている

手袋をぬぐとき人間くさくなる

焚火の輪抜けてまわりが見えてくる

蛇穴を出るわたくしも変わらねば

父の忌にははが立ち寄る種物屋

おぼろの夜妻のメールを見てしまう

梅雨に来る手紙は狂気おびており

船酔いの男が先に夕焼ける

水底にいま育ちおり祭笛

夕蝉のまだ鳴きやまぬ原爆忌

手の内をあかせばみんな秋が好き

バイクごと刈田に落ちて悟空に会う

麦笛の一揆われらの声やわし

生きているものの向こうに干大根

どこからが冬のはじめか海鳴りか

海鼠食うもう後もどりできぬ年

松手入なんとこの世の去りがたき

※ 三徳さんの句の特徴として、余韻をたたえた叙情があります。句歴が長い。生活に即した詩情深い世界を描いています。驚いたのが妻のメール句。夫が妻のメールを見ている図は、その逆とちがって哀感がある。そんな自分を遠いところから見下している作者がいる。妙なものです。こういうことがあると、夫婦は一心同体ではなく、九鬼周造が韻の構造で述べたように、異体字みたいな関係なんだなあと気づかされます。でも三徳さんは自分で句にしてしまう。これは思ったよりすごいことではないでしょうか。やってくれます。さりげなく現代的な機微を描いて見事です。ほかには、干し大根の句。悟空の句。松手入れの句。三徳さんも着実に年を重ねてこられたんだと感慨深い。あのころはまだ独身でいらした。いま、五十歳くらいか。これからの人です。心からおめでとう。

私の作も残しておきます。

  来るべきもの 

            姫野 恭子

影ふみあそびの影にふまるるそぞろ寒

淋しさも仕事の一つ鳥巣立つ

ゐの年の夜空の星が鳴り始む

紺屋町遠いむかしの雪降れり

むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞

君が代を国歌としたり太郎乙 (旧幕臣 乙骨太郎乙)

身の喞ち焚きつけにして北の旅

町に「22才の別れ」流れ波郷の忌

滴りや懐ふかき深大寺

垂直に攀ぢ下りる蟻波郷句碑

薬袋に仕舞ふ真冬の星一顆

宇宙風即興の風花の種子

横たはる身のいづくより麦埃

ありがたし師の渾身の焚き落し

スキップの鵲のあと行くスキップで

穀雨の虚空蔵の黒暗暗たる暮色

底冷の川を挟みて妹背山

狛犬に君がマフラー巻き置かれ

足萎えの魚匿ふ蚊帳吊草

来るべきもの疾く来れ雪は魔性

今日、大分は別府のつるみ荘で授賞式を兼ねた九州俳句大会が開催されていて、「張方としての俳句」を連載させていただいている者としては、参加すべき義理があるのですが、行けませんでした。かわりに文章を書かせていただきました。記念講演は無着成恭氏です。

連句的参照) 映画「22才の別れ」
http://www.22saino-wakare.com/cast.html

2007年4月 2日 (月)

ただ一字のこと

  ただ一字のこと

            姫野恭子

 九州俳句賞の応募作品集を読んだ。以前、本誌で目にした野田田美子氏の句が、ただ一字の助詞の差し替えで、印象がかなり違ってくることに驚き、なぜだろうかと考えてみた。

 A 薄ら陽の花三椏よ母に癌(元句)

  b 薄ら陽の花三椏よ母の癌(応募句)

 AとBとは、ただ一字しか違わない。しかし、読み下した時に受ける緊迫感がまるきり違っている。Aの句では、あたかも自分の意識を花三椏にずらす事で、母の病を意識の外に置こうとする健気な意志が感じられるし、それ故、読み手も不安定な揺れを共有する。

 が、Bでは、母の病に対し気持の整理がついているかの様な安定感を持ってしまう。そこには、読者の不安の介入など要らないほどの、安定した心配がある。すると不思議なことに、句としての魅力が薄らぐ。

 Aの魅力は、ぐらぐらに揺れる作者の思いを花三椏が一身に支えて存在する、その実在感緊迫感にこそあったと、Bと対比してみてわかった。

 A 啄木忌いくたび職を替へても貧  安住 敦

 B 啄木忌いくたび職を替へてもや  推敲句

 この句は、久保田万太郎の助言でこうなった、ということを「白桃」主宰・伊藤通明氏の講演会で知った。(九月二十一日八女市堺屋での第一回秀野祭にて)。

 ただ一字の事で、Aの句が語りすぎなのに対し、Bには読み手に参加させる余白があり、余韻がある。脚本家の指摘はさすがだ、と唸らされる。

     『九州俳句』誌108号
           平成9年11月20日発行より引用。

注)このなかの安住敦句であるが、原句を確認しておらず、表記にミスがあるやもしれぬ。どなたかご存知のかたはご一報願います。

注)このあと、野田田美子さんご本人から葉書をいただき、応募作の句は誤植であること、そして、作品中の母は自分であること、をサラリとおしえてくださった。

いろんな意味で、私にはわすれられない句である。

花三椏:http://blog.so-net.ne.jp/ysuzuki/2007-02-07

     http://satokono.littlestar.jp/

  

2007年2月 2日 (金)

魚藍観音 『拓』16号評の五

花大根愚痴なき母に逢う怖さ  野田 信章

魚藍観音春の葉っぱの無尽蔵  〃

軀に余るがじゅまるの黙五月旅  〃

雨に舞う青すじあげは君の忌ぞ  〃

秋情(あきごころ)白鯉がいる跨ぎます 〃

火星はいずこみずなら落葉堆し  〃

わたくしは、このひとの奥様を確かに知っているとおもいました。一度も会ったことはありません。ただ、一度だけ、生前の野田田美子の句にまっすぐ感応したことがありました。そのことを今も忘れずにいます。忘れられずにいます。

薄ら陽の花三椏よ母に癌  野田田美子「九州俳句」誌より

坂本繁二郎の絵が世に出るきっかけとなる、夏目漱石がその言霊で絶賛した牛の絵が、たしか「薄れ日」といいました。わたくしはおもいます、きっと夏目漱石は、絵そのものよりも、その絵に流れる空気の色と、題名(言霊)との織り成すものに打たれたんだなあと。同じくわたくしは、この句を読んだとき、句に流れる緊張感、切迫感、非情感、そういった瀬戸際のぎりぎりの思いを一身に受け止める花三椏のその花の、すがた、字面、ことに亞の字の切なさ刹那さ、が胸にせまり、いてもたってもおれないようなきもちになりました。それを書いた記憶があります。そうしたら、あとになって作者本人からおはがきを頂きまして、あの句の母とは自分のことです、とさらりとかかれていました。えっとおどろきました。ただ一度だけ、そういうようなこころの行き来がありました。九州俳句誌の一読者としての。

それから、一年ほどして、田美子さんは亡くなられました。

俳人としての歴史は、田美子さんのほうがご主人の信章さんより短いのでしょうが、ただ一句の持つ命をかけた輝きは色あせることはありません。そして、一人になられた信章さんは、なぜか句に凄味が加わりました。わたくしは海程調というか匂いというか、が、とてもいやでした。所属誌の主宰も、有力俳人も、それから九州俳句によるあまたの俳人たちも、そのにおいを付着させていることがいやでした。だから、野田信章氏から金子兜太先生の講演録を戴いたときも、さすがにカリスマ性のある俳人はすごいなあとは思いながら、読む気がしなかった。尊敬する俳人である高木一惠氏からも、兜太先生のあの著とあの著はすごくいいから、読みなさいよ、といわれたのですが、それもまた。これはわたくしの了見の狭さだと思います。生理的に受け付けないのですよねえ。しかたない。笑

空に舞う青すじあげは君の忌ぞ

魚藍観音(ぎょらんかんのん)の句、上の一句、はたまた花大根の一句、どれもきっぱりと切れていて、しかも断層がふかくて、印象にのこる。死者は断層に棲む。

魚藍観音: http://homepage2.nifty.com/isso/ikituki/ikituki.html
青すじあげは:http://www.education.ne.jp/mitaka/sansho-es/kyoshitu/99/41/aosujiageha.htm 

なお、この野田氏の身は、身に区の正字(品性の品の字にある口みっつ:永末恵子)、鍬塚聰子氏の身は、身に本です。秀野や横光利一時代の身は、骨が豊かと書く字、現代はただの身です。

2007年1月11日 (木)

ふけるー和歌と俳諧

北村薫が大好きです。去年からこっち『詩歌の待ち伏せ』 を上下巻よみました。窓拭きも大掃除もさぼって、でも本をよむことだけは怠らなかったわがままな正月でした。

このひとの読みには教えられること、示唆されることが多いのです。そんななか、下巻のあたまにあった、「ふける」 という日本語の用法の変遷を追跡したはなしが印象に残りました。ふけるとは、あんたもふけたねえ。よけいなおせわよふん。という時のふけるじゃなくて、秋更けて、というような場合の上品なかそけき、抽象性の高い更けるです。そのさいしょの歌の使用例は秋更けて、小夜ふけて、でした。それをあの藤原定家が「風更けて」 と、最初のひねりをいれた表現をしてから、段々とヴァリエーションを深めます。(と北村薫先生はかかれています)。

さ筵(むしろ)や待つ夜の秋の風更けて
                      月を片敷く宇治の橋姫  藤原定家

これを受けて、「音更けて」 とか「かげふけて」 という歌も登場するようになります。で、すぐに連想したのは、芭蕉七部集「冬の日」第二歌仙の 「床ふけて語ればいとこなる男」 荷兮(かけい) です。恋句です。芭蕉の付句が「縁さまたげの恨みのこりし」 と続きます。「床ふけて」。 この表現はとても違和感があったのですけど、北村薫の追跡をよんでいると、おなじ延長線上にある表現であることに気づきます。ではありますが、和歌と違って、ずいぶん大胆で俗っぽい「ふけて」 の用法です。まさに、俳諧の真骨頂とでもいうべき、一本の強靭な背骨を見せつけられたような気がする 「ふけて」 に、あらためて俗のすごさを感じます

2007年1月 2日 (火)

橋本多佳子句集『紅絲』

大晦日、鼻づまりで頭が重いのをこらえ何とか一冊の本を読み上げ、文章を書いた。「九州俳句」誌に連載させていただいている「張形としての俳句」七回目の原稿。だれを取り上げるかは決めていた。ー橋本多佳子である。

十一月の終わり、八女図書館に資料を探しに行く。が、なにもない。有名な俳人なのになんでないんだ。久留米で探す。一冊、閉架にあった。『橋本多佳子全集第一巻』。借りた。

この一冊しかなかったことは幸いであった。重圧を感じなくて済んだ。

風邪のひどさに打ち克ち、びゅんびゅん読む。28歳から41歳までの作品をあつめた処女句集『海燕』、師の山口誓子の序文に注目する。「女流作家には二つの道がある。女の道と男の道である。」で始まり、女の道は甘えという天引が最初から用意されている道だが、男の道は仮借ない峻厳な道だと説き、橋本多佳子は男の道を行く稀な女流の一人だとする。心中に微塵も甘えがなく覚悟をすえて歩んでいるからだ、と。出発にあたり、かような有難いことばを師から頂戴できる女流俳人は、やはり天引のある女の道を行っているんじゃないかという読者のあらぬ疑いはおきざりにされる仕掛けだ。

作品を読む。私は知らなかった。このひとは俳句をはじめてから夫を亡くしたのであった。逆ではない。夫を亡くしたから俳句を始めたのではない。それでも、夫の葬儀の句を読んでいると、なにかしらじらしいものを感受する自分がいる。きれいにことばをととのえて、詩として人様の目に供する配偶者の死。いつぞや書いた山下淳の「流域雑記」の香月泰男のシベリアシリーズへの想いと重なるような気さえした。しかし、表現者はいつもだれもがおなじことをやっているではないか。と自分を無理に納得させて先へ進む。

「海燕」の俳句は下手ではないが、上手に書こうとしている。だからあまりこころに食い入らない。ただ、おなじ素材を何度も連作で詠んでいるものは、視点を変えるたび、だんだん素材が本性をあらわすようなかんじが出ている。そこは迫力だと感じた。曼珠沙華など、しつこいくらいによんでいる。それがいい。

第二句集「信濃」。昭和二十二年七月(石橋秀野の死亡した年である)刊行。これもパス。

第三句集「紅絲」。文字通り、これは橋本多佳子の嚆矢である。一読し、打たれた。最初の句から全編、緊張感にあふれ、たましいをゆるがすふるえに満ち満ちている。わたしのしっている多佳子の句のほとんどは、この句集から生れたことがわかった。山口誓子の序文が、これにもついているが、こころのこもったいい文章であるにもかかわらず、多佳子の句にあきらかに負けている。退いている。

 「紅絲」は、多佳子俳句を貫く一筋の何かもの悲しいものである。(誓子)

よくもまあ、そんななまぬるいことばがいえたものだ。何か物悲しいもの、なんかではない。そんなゆるいものでは断じてない。もっとはげしい、大地をはいずりまわるようなのたうちまわるようなおんなの性のさびしさをたたきつけているのに、なにが「何かもの悲しいもの」だろうか。誓子は、正視しえていないのである。あの時代の男達は、おんなの性を、生を、正視する勇気がなかったのである。

時代はかわった。しかし、その点に関して、なにが変わったろうか。なんにも変らない。かわりようがないのだ。おんなにうまれるとは、けっきょく、そういうことだ。

ここで作品を引用したいところだが、きりなく引いてしまいそうでこわいので、いっさいやめておく。興味のあるひとは句集をお求めの上、ごらんください。第四句集「海彦」、第五句集「命終」とつづきますが、迫力という点からは、この『紅絲』が最高だと感じます。年齢的に48から52というのはおんなとしてのさいごの峠の時期なのでしょうね。なお、かささぎの旗で去年とりあげた、大善寺の俳人、中村マサコの『左手の約束』の句は、この多佳子句集から多くの血をうけていることに読んでいて気づきました。血を受けるとは、それは語彙の継承を指しているのですが、かようにして豊かなる語彙を後世につないでゆくというのは、いのちの継承であり、とてもたいせつな文化であるとあらためて思いました。

橋本多佳子全集から

雪の日の浴身一指一趾愛し(句集『命終』)

いなびかり北よりすれば北を見る(句集『紅絲』)

あぢさゐや昨日の手紙はや古ぶ(句集『紅絲』)

梅雨の藻よ恋しきものの如く寄る(句集『紅絲』)

生いつまで桜をもつて日を裹(つつ)む(句集『海彦』)

後記(一つの問いとして)

筆頭にあげた雪の日の浴身の句ですが、これは最期の句です。(遺句集の最後から二番目に置かれている句です。)安西均の最期の詩『指を洗ふ』のあたまにもこの句が引用されていて、ていねいにるびがふられている。そのよみは、「ゆきのひのよくしんいっしいっしかなし」です。しかし、今回読みましたところ、句にルビはなかった。ということは、九州俳句の本田幸信氏が言われた「いとし」もありうるということです。さて、そこであらためてこの「愛し」をどう読むのかが問われます。安西均はなぜ原典にはないルビまでふったのか。それは、この句はこう響かせねばならないとする明確な黙契を句のなかに読み、あきらかにそれを守ろうとしたのです、いとしと読んでしまうものたちから。

2006年12月20日 (水)

横光利一の評文

「張形としての俳句」を書くため借りていた本の中で、ぐうぜん横光利一に出会いました。石塚友二句集『方寸虚実』への序文です。石塚は横光が戦前やっていた運座「十日会」の連衆の一人、横光利一は川端康成をしのぐ力のある文学者でした。とても文章の立った人です。そのまま引きます。

         序 

 一つの俳句として読むものと、詩として読むものとの批評は自ら違ふであらう。私は石塚氏の俳句を句として読まない習慣を持つてゐる。過去の生活の労苦に善く打ち勝ちて感性を衰へさせず、多彩な内面の火華を打ち上がるままにうち放ち、悲しみのよすがとしてこれを眺める諦念のおもむく所、石塚氏にとつては詩境ならざるはない豊かな人生の森林を展いてゆく。これに制限を加へることも人には出来ず、選定を示すことも今は何人も不可能な一時期である。言語は前後左右に爆け、幻惑を誘つてさらに怪乱しつつ進む周囲の光圏の中には、青黴も婦女の皮膚に咲き照り、男臭の穢の積りもひと声の嘆声とともに香りと化す。人々の美と認めるところに今は美はない。心の悲しさの中にもつとも美しい風景の点在することを知つたもののみが、次代の俳境の扉を押し展いて進むことは、あながち今の時代ばかりとは限らないだらう。しかし、俳句もそこにすがる人々の念力の集まるところに生じる歌声であつてみれば、風声おのづから形を整へて泛び来るものの姿は、これを一二の人力の善く左右するところではない。

 このやうに伝統の重みが沈み溜り、天然の俳色を堪へてゐるところに、不思議な近代色をもつて顕れたのがこの石塚氏の俳句とすべきであらうか。これを明澄ともいへず、高雅ともいへず、古樸ともいひ難ければ閑雅ともいひ難い。また寂寞といふには幾らかの騒ぎあり、清新といふには渣滓が溜つてゐる。しかし、このやうに俳句の持つべき殆ど何ものもなくしてよく俳句となし得てゐる所以は、偽りもなく本能的な生の悲しさがその精神の中に底流し、高雅明澄に対して、いささか自我を風解してここに飄逸な嘆きを加へてゐる淡白さにあるかと思はれる。も早や氏の前では高雅清澄はむかしの威力を持続すること不可能となるかもしれぬ。ある旺盛な新風を孕んで逆巻いてゐるさまが氏の境地の中に伺はれる。伝統といふものは常に一定の形の中にとどまるものではなく、まつたく相反した形相の中に移り動き、人々の知らざる間に真の伝統の芽を噴き延ばすことしばしばあるのみならず、むしろこれが自然でさへある場合には、もつとも悲しみに満ちたものが笑顔をする風流の真諦は、今も昔も変りなくよく労苦を忍従するものの淋しさと賢さの上に、鶴のごとく白く鮮やかに舞ひ降りて来るものと思はれる。

 石塚氏の作品はこれすべて忍苦、人に勝つことを目的としてゐる俗情がない。惨酷無残に人に負けることを願ふ。この非凡な心境こそ何ものよりも氏の恐るべき資質である。

                     横光 利一

     石塚友二句集『方寸虚實』 
     昭和十六年刊行の序文を全文引用。

             

2006年8月14日 (月)

張形としての俳句(その五)

 現代俳句と女たちー張形としての俳句(その五)

      九州俳句誌143号(平成18年夏号)掲載

                  姫野 恭子

 昭和三十年六月、滋賀県琵琶湖北、今津町にて夫二児と別る。―

 山田みづえ第一句集『忘』の書き出しだ。はや十年近く前にもなろうか。石橋秀野顕彰俳句大会が八女で興行された折、八人の選者の一人として東京からおいでになり、講演をなさったのを昨日の事のように思い出す。

 山田孝雄(よしお)という国文学の泰斗を父に持つこの俳人は、小柄ながらも背すじをしゃんと伸ばし、まず御自分の俳句の出発点から隠す事なく語り出された。強い響きの声であった。

 私は子ども二人を婚家にのこして夫と離縁しました。そのことが自分を俳句へと向かわせました。師石田波郷から「秀野を書けるのはあんたしかいない」と言われ、秀野の句に横っ面を張られるような衝撃を受けて、書いたんです、石橋秀野論。―

  生きて秀野に逢ひたし風の吾亦紅   みづえ

 死を前にした秀野の二十句余りの作品が放つ一分の隙もない生の輝き。それに魅せられた者は、なまなかな覚悟では句に対(むか)えなくなる。

  ふくろふの眼ひらく音や雪の檻   みづえ

  底冷となる憎しみや火を落す    〃

  雪卍うたてや子らを置き去るか   〃

  荒梅雨や抱きて噎ぶ膝頭     〃

  夏袴父をいたはる母羨(とも)し     〃

  野分すや鏡中に放つ泪顔     〃

 『忘』の序文は波郷が寄せている。

  「よく表現が大切か内容が大切かといふことが論じられる。本来不可分で、いづれをより大切とすることはできないが、俳句は強いて何れをといへば、私は表現と答へたい。」

      (序  昭和四十年  石田波郷)

 そうして、次の二句を採り、俳句表現の面白さは散文訳できるものではないとも説く。

  麦こがし煩ことごとく噎せかへる  みづえ

  「雨(あめかんむり)」のごと時雨来るなり坂の上 

 山田みづえの句は、石橋秀野の毅然とした韻律を更に厳しく調律した印象で、女らしい華やぎや色を放つ事を自らに固く禁じているのが見える。「煩ことごとく」の煩(はん)など漢語を遣ったり、初めて目にするような語が混じっている句を読むと、辞書を編むのを生業とする家に生い立った作者の負っているものの大きさ重さが実感され、胸が塞ぐ

  白桃や弱音を吐かば寧(やす)からむ  みづえ

  時雨大路かたまり渡る修道尼    〃

  爽やかに乳房の創を二つ持つ   〃

  愛慾に似し句歴なれ花八つ手   〃

  おのれ賺(すか)すに梅雨の蘖もてあそぶ   〃

  女の中の女疲れや日向ぼこ     〃

  荒鵙をよろこぶ血汐かくし得ず    〃

 梅雨の蘖(ひこばえ)の句、意図せぬエロチシズムがあるのは、「賺(すか)す」という俗語のせいであろう。

 昭和四十年の句集に表現された女性の生。離縁による不幸が、俳句という魂の張形を求める。それを著者はあとがきにこう記す。

 「この短く美しく、不思議な魅惑に満ちた十七字の詩、俳句。早さ、重たさ、勁さを持ち、ひるがえるような調べを醸し出す魔もの、伝統と言霊のしろしめす俳句に、心を澄ませ、熱を出し、緻(こま)やかにつき合ってゆく。」    

  

2006年5月11日 (木)

俳人山下淳の目ー「香月泰男」

もう一度読もうと思っていた本が、今朝、押入れの奥からひょいと見つかった。信じられない。以前何度も探して見つけ出せなかったのに。こういうとき、あなたならどうします?そうです、なくならないように、まるごと引きます。あたまに直に入力すればなくならないからです。引用本、『流域雑記』は平成五年五月末に宮崎の鉱脈社より出された宮崎の俳人・山下淳(故人)の随想集で毎月の俳誌連載をまとめたものです。三年前同じ「九州俳句」につながるご縁で山下氏の奥様にこの本をいただき拝読し、とてもこころ動かされ、なにかせねばおれないようなきもちになってました。大きな疑問を投げかけられたような気持ちといいましょうか。今朝ここで再び出合ったのも何かの啓示、御付合いください。

 「香月泰男と黒田辰秋」 ー 『流域雑記』26

         山下 淳

一 香月泰男のシベリアシリーズのこと

 私はテレビをよく観るほうである。そして時間をつぶして後悔することが多い。テレビを見て、あとで時間が惜しかったと思ったことのないのがNHKの「日曜美術館」である。極言すると、テレビ番組で、いざとなれば他の番組は無くなってもよいが、「日曜美術館」だけは残って欲しいと思うくらいである。

 私は美術に関する専門家でもなく、実作者でもないが、とにかく絵画や陶器などの文字通りの愛好家である。正直のところ、俳句よりも、これらのものの方が好きだと言ってもよい。私は記憶力が乏しく、記録性も弱い人間で、「日曜美術館」の・・・(と番組のよさを手放しで絶賛する文章を省略します。)

 ところで、去る二月六日放映の「日曜美術館」で香月泰男画伯がとりあげられた。香月泰男については、私は大分前から深い関心を持って来た。特に「シベリア・シリーズ」がブームを呼んだ頃から関心を強めた。あれ以来、画壇や絵画について関心のある多くの人々は「シベリア・シリーズ」を中心として彼の作品に心を寄せ、香月泰男ファンが多くなったと思う。そして、それから人々は彼の作品を全面的に肯定しているように思う。

 しかし、私は、どうしてか、香月泰男の「シベリア・シリーズ」を全面的には肯定出来ないのである。あれだけ多くの方々から高く評価されている香月泰男の作品について、素人が、云々することは、とんでもないことだと思うが、私には私なりの根拠があるのである。香月泰男の作品についても「シベリア・シリーズ」がブームを呼んだ頃、その画集を数度見る機会があり、その他の作品も数点ぐらいは見る機会があったが「シベリア・シリーズ」によって、少しずつ疑問を抱きはじめた。そして、出来得れば香月泰男画伯に御会いして、直接に、いろいろ話をお聞きしたいと思っていたが、亡くなられたので、永遠にその機会を失ってしまった。

 私は、香月さんと同じようにシベリアで捕虜生活を四ヶ年間過ごしたが、その経験だけから「シベリア・シリーズ」を肯定出来ないということではない。香月泰男の生い立ち、あるいは画歴、それにシベリアの生活などについては、いろいろの資料や文献があると思うが、まだそういうものをほとんど読んでいない。ずばり言えば、私の勘から「シベリア・シリーズ」に疑問を持っているのである。

 私は香月泰男画伯が亡くなられて後、山口県立美術館にある香月泰男の特別展示室で、「シベリア・シリーズ」などを生で見せてもらった。その時、ちょうど徳山在住で、美術についても詳しく、見識を持っている俳人のOさんにも御逢い出来たので、ちょっとそのことを話すと、Oさんは香月泰男を批判することは、とんでもないことだと言う。しかし、そのOさんも私の意見を全面的には否定されなかった。これはOさんの本音ではなく、私への儀礼的な発言であったかもしれない。山口県立美術館で、学芸員の方に案内してもらって「シベリア・シリーズ」をたんねんに観ているとき、その学芸員の方が、ふと、「あなたのようにシベリアの生活をして来られた方は、この『シベリア・シリーズ』については、少し、異論があるのではないでしょうか」という意味の言葉を洩らしたことが、強く心に残っている。私はロシア語、いや、ロシア文字は少しはわかるので「シベリア・シリーズ」の画面に絵画的に書かれてあるロシア文字の「トウキョウ・ダモイ」の文字も読んだが、あの日本人捕虜たちが黒い長い蛇列を作って、ソ連のコンボーイ(警戒兵)に監視されながら足を曳きずるように歩む姿、シベリアに曳っぱって行かれるときと、帰還のためにナホトカへ向う長蛇の列のちがいがあると言われるあの絵画の構成は、ほんとうにシベリアで、重労働に苦しんだ人間だったら、あのような客観的の絵画が描けるものだろうかという疑問である。私は絵画の表現技術のことを言っているのではない。作家の内面と作品とのかかわり合いの問題である。私は絵画を描かないし、価値評価もわからないが、少しは文学にも縁のある人間であるから、作家と作品ということには深い関心を持つのである。

 あの「シベリア・シリーズ」は、その他の作品と共に、日本に帰ってから、しかも十数年後の一九六○年代の作品である。他の油彩は別にして、「シベリア・シリーズ」が彼の内面的な純粋な作家の良心としての欲求によって生まれたものかどうかという疑問がある。彼は、ある意味で、あの時期の出版界やジャーナリズムによって、あのような作品を描くように追い込まれたのではなかろうか。香月泰男の本心は、あれとは少しちがうところにあったのではなかろうか、つまり、心ならずも描いたのではないかという疑問である。

 これは私の主観というか、独断、あるいは単なる憶測に過ぎなくて、何の根拠もない私の勘であるのかも知れない。

 香月泰男のシベリア抑留生活についての記憶や文章は、いろいろあると思うが、シベリアでも絵筆を捨てなかった生活、いや時間が多かったということを聞いているーこれは思いちがいかも知れないが。

 彼の「シベリア・シリーズ」を中心とする作品は、戦争やシベリアで亡くなった日本人への「鎮魂」の作品だと言われているが、ある意味では「シベリア・シリーズ」は香月泰男の「贖罪」の作品ではないかと思う。

 ところで、去る二月六日の「日曜美術館」で「私と香月泰男」というテーマで、沢地久枝が語った。私は大いに期待して、午前九時の時間に、全神経を集中して観、聴きしたが、正直のところ、がっかりした。そして夜八時の再放送を改めて見たが、やはり、おなじ思いであった。前述のように私の「日曜美術館」そのものへの期待、しかも、対象作家が香月泰男で、それについて語る人が沢地久枝ということで、沢地が香月泰男を作家としてどうとらえるかということに強い関心を持っていたのであった。しかし、沢地の話は実に浅く、従来の「日曜美術館」に登場した人々と比較して、いかにも浅薄というか、ひとりよがりのおしゃべりに終始して、画家香月泰男ならびに作品に対し見据えているものはほとんど無かった。

 特に「シベリア・シリーズ」についての沢地の話は全く借りものに過ぎないと思った。香月泰男へ対する傾斜はよいが、それが単なるムード的鑑賞で、香月泰男の本質にはほとんど迫っていなかった。特に奇異に思ったのは、沢地は香月泰男さんにも逢っていないようだし、作品も、どれだけ観ているかどうか、しかも、正直に、自分はまだ行っていないが、山口県立美術館には香月泰男画伯の「シベリア・シリーズ」が展示されているから、是非、皆さんが観に行くようにという話などした。私は沢地久枝が女流作家として、しかもノンフィクション作家として、社会や人間を深く、自ら探求して書く作家として信頼していたが、いささか興醒めの思いがした。少なくとも作家である以上、香月泰男が晩年、玩具を作ってたのしんだことなどについて触れないと香月泰男という画家、そしてその作品の本質をとらえ得ないのではないかと思う。

 NHKの「日曜美術館」で、もっとも期待して待った沢地久枝の「私と香月泰男」は私の期待が大き過ぎたのかも知れない。

 山口県立美術館には山口県の生んだ二人の偉大なる画家、香月泰男と小林和作の特別室が設けられているが、この二人の画家の人間と作品は、いろいろの意味で、対照的であることも私にとっては深い意味があるものである。―1982・2・10

 ※文章を丸写しして、ようやく見えてきました。

 山下淳は、香月泰男を批判しているとばかり(以前読んだ時は)思ったのですが、実はぜんぜんそうじゃありませんね。香月泰男の本質を、だれよりも深い共感と理解のまなざしをもって、観たのです。だからこそ、軽佻浮薄なジャーナリズムにのせられ、消費されるだけの芸術、およびそのおたいこもち、に対して、無性に腹が立ち、かくも痛烈な批判をやっているのでした。この文章から発される気は、前回「水上源蔵という名の言霊」(5・7)で引用した久留米の詩人丸山豊の『月白の道』の一節ー戦争については、書けぬことと書かぬことがある。―という重いことばとみごとに重なっていきます。山下淳は香月泰男の絵を「贖罪」としてとらえることで、はじめて自分のはげしく揺れるこころをなだめることができたのです。 (なお、みだしの黒田辰秋についての文章が二で語られるのですが、ここでは引用をひかえます)

参考:http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/~kazukiyasuo/

   :http://www.geocities.jp/ing9702/kazuki.htm

   :http://www.art-museum.pref.yamaguchi.lg.jp/artmuseum/cgi-bin/author

ホロンバイル:http://www.china-embassy.or.jp/jpn/xwdt/t202158.htm

        :http://www.h6.dion.ne.jp/~yskasai/C/nomonhan1.html

        :http://www.art-museum.pref.yamaguchi.lg.jp/artmuseum/cgi-bin/detail?attrul=AA&id=00000018

2006年5月 8日 (月)

虹の橋

所属誌『九州俳句』編集長の中村重義氏が、大腸がんの手術と闘病の記録を句・歌集の私家版という形で上梓された。名付けて『虹の橋』、ちいさな美しい本である。(写真)

 ガン宣告 供花は野牡丹だけでよい  

 もしかしてもしかして死ぬ葛の花

 大腸ガンといふ鬼女がゐる紅葉山

 死に急ぐほどの名は無し凧(いかのぼり)

 麻酔は薔薇の香り頭蓋の真暗闇

 手術後の寒き身体の螺子ゆるむ

 白露や零るるはわが生命とも

 夕時雨肩を濡らして介護妻

 人工肛門(ストーマ)の朱き露頭に冬日染む

 三月や波のゆらぎは身のゆらぎ

 黄泉へ行く夢の続きの山ざくら

 血液を小瓶に三つ採られをり何の検査か知らされぬまま

 ガン告知遂にされたり覚悟してゐし妻あはれ声の震へて

 死刑執行待つ囚人の心もて大腸ガン手術の日を数へをり

 全身麻酔はすべての臓器眠るとふ臓器の睡り思へば愉し

 吻合の針残りたるわが腹部月光享けて輝く夜あらむ

 眠られぬ夜の幻に乱舞するWordsworthの黄金(きん)の水仙

 蛸の如き烏賊の如き雲流れをりおやおや今度は越前水母

 歳月は雲の形をとりながら西へ東へさだめもあらず

 何気なきバスの案内(あない)の声なども病み伏す耳に懐かしきもの

 注射痕、点滴洩れの残る腕ちりめん皺など刻めるあはれ

 臍の横にストーマ袋ぶら下げて大腸ガン手術後半年を過ぐ

 生と死の挟間を渡す虹の橋 If Winter comes,can Spring be far behind?

 

50句、50首のなかから、ことに印象深い作品を抽いた。

中村重義は1931年生まれ、北九州八幡在住の俳人であり歌人である。これはこの世界では異色であるといっていい。短詩型のなかでもっとも短い詩形をやってる俳人たちは往々にして短歌もたしなむ人を侮蔑的な表情で遇する傾向があるからだ。七七以下を切り捨てる覚悟を持たぬものに何が詠めるか、というのだ。いまだに連句が超マイナーな文芸であるのも同じ理由であろう。だが、すべての詩形で輝きを放つ仕事を残した寺山修司みたいな文学者もいる。私自身もすべての詩形それぞれのよさがあるから、いずれもすてがたいと思う者のひとりだ。

「虹の橋」という題は、だから、生と死に架け渡す橋であると同時に、俳句と短歌という二つの伝統詩形に渡す橋でもある。引用して改めて感じることだが、さすがに長年研鑽をつまれた方だけあって、ことばに無理がなく、とても自然なリズムでいのちが刻まれている。ことばあそびの余裕さえ感じられるほどだ。ワーズワースの一首などは昔学生だったころ、その名通りに言葉の値打ちをとことん敲いた詩人なんだなと思ったことまで思い出した。普通に平凡に見える歌であっても、ちょっとした言葉の処理に永いうたびととしてのキャリアがのぞく。一番すきな句と歌を引き筆をおく。(やはり作品として眺める自分がいる、おそろしいことだ。これは作者自身もその覚悟で出されたものだとおもう。)

  三月や波のゆらぎは身のゆらぎ 

  吻合の針残りたるわが腹部月光享けて輝く夜あらむ

 ワーズワース:http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/book-daffodils.htm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006年4月19日 (水)

恋の語彙 2

うき人を枳殻垣よりくヾらせん  芭蕉

  いまや別の刀さし出す    去来

せはしげに櫛でかしらをかきちらし 凡兆

    (「猿蓑集」 はつしぐれの巻)

いまごろの季節になると、芭蕉のこの恋の句を必ずといっていいほど思い出す。枳殻垣キコクカキというコチンコチンのことばが恋の甘さと苦さを醸して情景が見えるようだ。恋人をからたちの棘で刺されるに任せる女は残酷な表情を浮かべているに違いない。

 からたち:http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/karatachi.html

      :http://www.hana300.com/karata.html

      :http://www.jttk.zaq.ne.jp/babpa300/aa2sengo/karatatinikki.html

連句的にさらに現代俳句をくっつけます。この方は熊本のお医者様らしいです。(九州俳句誌より引用)

 まだ熱い単車を夕顔に寄せる    寺尾敏子

最後は上掲句から導かれる飯島晴子句でキマリです。恋句ではないけれど、荒々しい青春の香りを放つ名句です。お茶の木の持つ烈しい生命力を、そうとは感じさせずに沈潜した詠み振りで間接的によんでいる。ジェームス・ディーンのようなあんちゃんがそこらのお茶垣にバイクをチッゴ弁でいうところの「ようら」ぶちこんでいる情景。茶の木はひるまないでグッと受け止める。その若さを、荒々しさを。すんげえ句だな、と感動します。

 茶の花に押し付けてあるオートバイ  飯島晴子

季語的には「夕顔」は晩夏、「茶の花」は初冬です。

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