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2017年7月 4日 (火)

横山康夫句集 往還

横山康夫句集   往還


往還や夕かなかなのひとしきり


おーかんとは、作者には中津日田往還という歴史的な
道を指すのであろうかと思えます。
が、特定の道ではなくとも、古くて広さもある道は
往還と呼ばれていたようです。
今でもわが母などは、おーかんばたに◯◯があったはずが、
などということがありますから、まだ死語にはなりきっていないようです。

さて、
おなじ日に偶然目にした御説法のなかに、
似たことばが出ていて、だけど難解であまり分からないのですが、

水月さんの仏法ブログより引用します。


おそらく幼い子供一人残して、此の世を去らねばならなかったお母さんの心は、どんなにかつらく悲しかったかしれません。それを慰め、支えてくれたのは、阿弥陀仏の救いのみことばでした。この子と別れるのではなくて、この子の生涯を支え導き護ることのできる還相の菩薩とならせていただくとお聞かせにあずかったことでした。親鸞聖人が、
  南無阿弥陀仏の回向の
   恩徳広大不思議にて
   往相回向の利益には
   還相回向に回入せり
とたたえられたのもそのこころでした。

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コメント

一般での読みは存じませんが、真宗では「往還」を「おうげん」と読みます。往相回向(おうそう・えこう)と還相回向(げんそう・えこう)のことです。親鸞聖人は「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」といわれています。往相とは往生浄土の相状ということで、私たちがお浄土に生まれさせていただくことです。還相とは還来穢国(げんらい・えこく)の相状、あるいは従果還因(じゅうか・げんいん)の相状ともいわれます。私たちがお浄土から還(かえ)ってきて、人々を導いていくことです。この二つを阿弥陀さまは与えてくださっているのです。それを親鸞聖人は浄土真宗と名づけられたのでした。つまり、私たちはお浄土に往って、それでしまいというのでなく、お浄土に生まれれば、そこはさとりの領域ですから、その必然として、さとりの身となり、この土に還(かえ)ってきて、人々を導いていくのです。それを「往相回向の利益には 還相回向に回入せり」といわれたのです。この還相回向のはたらきがあるから、山本佛骨和上のお母さんは安心して、お浄土に往生されたのでした。浄土往生とはそういうことなのです。「極楽」といいますから、おいしいものを食べて酒呑んで、みたいなことを思いがちですが、そうではなく、ボールを壁に投げたら返ってくるように、往生と同時にまたこの土に還(かえ)ってきて、人々を導いていくことができるのです。それを親鸞聖人は喜ばれたのでした。

水月さま

ありがとうございます。
すこしはわかりました。

ばあちゃんの葬儀のとき、げんじょう、還浄とかいた提灯を下げた記憶が蘇りました。

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