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2017年2月 6日 (月)

お寺の行方

お寺の行方

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コメント

すいげつさん、ではなく、みづきさん。

こちらの水月さんはチクジョ創設者のお孫さんらしいです。
本願寺派、とあるところも、お年も、龍谷大へ進まれたことも、本家水月さんと同じに思えます。

ご無沙汰しております。
去年の夏に電話回線を他会社に移行したために、メアドも変更になってしまいました。

さて、その水月さんが本家ですよ。私はペンネームで用いているだけですから。

いまかかえている論文が2月15日締め切りなので、それが終わったら、高野堂について考えていきたいと思っております。去年の秋に福岡県立図書館まで行って調べたこともあり、また大分県立先哲史料館から届いた史料もありますので、ブログに書いていくつもりです。御教示いただければ幸いです。

おお、本家水月さん、
お久しぶりです。
お寺のことを本音で語り合いたいですね。
男女差のことなんですが。
ゴルフ場会員権にすこし似ているような。
休み時間終了!ざんねん

あと五分、かけるか。

報恩講、五年ぶりでした。
気になったのは、参拝者の半減。
おときのしたくで女性ばかりなんです、参拝者。
そのひとたちが、御茶碗洗って片付け済んだら、さっといられなくなりました。
五年前に200人ほどあった法話の聴衆、半分です。
よいおはなしだったのに!
なしおとこどもはでてこんのだろう。

男女差とは、お寺の参詣者が女性のほうが多いということですか。

どこのお寺も参詣者が激減しています。拙寺でも、あれやこれやと考えるのですが、どうもうまくいきません。時代の流れという安直な言葉ではすまされないと思っています。どれほど時代が変わっても、聞くべきものを聞かせていただき、遇うべきものに遇っていただいたいというのが私の思いなのですが……。

水月さん。

男がこないのは仕事があるからで、ずーっとむかしから報恩講は女たちの業務でしたよね。
ところが、いまや働き盛りの女たちは、外で働いています。男とおなじに。
だから、何日も休めない。
有給つきに一度とれたらラッキーで。
餅花つくったりはずしたり、仏具磨きも大切とは思うものの。この日だけ、という日を決めて、休んだ。
それでも何度かお寺を往復し、八軒の家を歩き回り。
なかなか大変。
いや、そんな物理的なことがいいたかったわけじゃなく。

きのう、携帯、工場に忘れて帰ってました。
ゆっくりと考えている間がありません。なさけないっす。

水月さんブログで、

憑む

という字が読めず、ウロウロしました。

憑く

ならわかります、つく、ですよね。

調べたら、

たのむ、でした。

この字、悪霊っぽい霊に支配されている感じがしませんか。
他力信仰の核をつく一字、もっとこだわりたい。

「憑む」は「たのむ」と読み、「信心」を日本語であらわしたものです。今日では一般的ではないかもしれませんが、法然聖人や親鸞聖人は必ずこの漢字を用いられています。たとえば「頼む」という漢字では、私たちのほうから阿弥陀さまに依頼するという意味が出てきます。しかし浄土真宗の「信心」は阿弥陀さまのお救いのおはたらきをいただく、おまかせするということですので、適当ではありません。そこで「憑む」という漢字を用いられるのです。「憑」は何かに「とりつかれる」というような語感がありますが、実は「憑」という字は「依也、托也」といわれています。おまかせするという「信心」をあらわすのに適切であったからです。

よく分かりました。説明、有難うございました。
法然聖人や親鸞さまの書かれた中にあるのですね。
なぜ今は使わなくなっているのでしょうね?

病気がうつる、という漢字、移るでいいのに、使われない。それはいったい何故かな?
と、考えているときと似た気分です。

樋口不可思師の報恩講説話、
こころにしみました。
ご先祖のころからずうっと受け継がれてきた信仰の不思議さ、ありがたさ。
途中で新興宗教にかわることもなく。
自分のちからではない、あちらからのはからいがある。

このブログ👇のファンの一人です

お寺にタンス預金のことが綴られてました
あ、そうそう、
かささぎに銀行から電話があった。
なななんだ、と思えば、昼休みに通帳から車検費用を送金、その振込領収証が出てたのに帰ってた、ということでした。
通帳からだとそんなんないかと。

ステンレススクラップ市況、関東地区5000円上伸

 関東地区のステンレススクラップ市況が上伸した。一部の国内ステンレスメーカーが3月契約の炉前建値をトン当たり5000円引き上げたことから、関東地区のSUS304(18クロム―8ニッケル)市況がトン5000円上がったもの。 ...
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あわわ、あっしは何も産業新聞の回し者じゃござんせん。
ただ、工場の偉い人の挨拶で、五月からだったかな、
ステンレス鋼キロ五円か五十円か値上げすると聞き、調べてみたのでした。本当に始まってますね。
毎日ステンレス鋼板を磨いては、嵌め込んだりするのが仕事である身、製品値上げせずとも、月間せんごひゃくまんものコストアップに耐えられるのかと、パートのおばちゃんながら、つい興味を惹かれてしまいます。

かささぎの仕事は、厨房機器製造業の梱包です。
梱包は組立係の最終工程、ながれ作業の最下流ですから、ここから工場全体が見はらせます。
おおげさにいえば、厨房機器製造業の梱包係から、日本が見えます。
食は日本の国の胃袋を満たす大元だから。

たとえば、
こないだ大都会の幼稚園へのスチコンを梱包したのです。
あとから思いついたのですが、
幼稚園で給食があるなんて、すごくないですか。
都会だからかな?

水月さんカテゴリー記事、順位が上がってたので、関係ないけど書き込みました。

お寺さんもスチコンを買って、たまにはハンバーグやきましょう、という日が、いつか来るかなあ。(来るかい!

おひるごはんどころか、三食つきの保育園を発見。
以下引用、
食事に関しては、東北・北関東で取れる食材を避け、西日本や北海道の食材を利用している業者と提携しております。
また、飲料水はウォーターサーバーを使用し、水道水を飲用することはございません。
👇

一月に不可思師の報恩講のお話を拝聴して思ったこと

トランプさんがアメリカ大統領になって、世界は分断されつつあります。入国する人の制限をするようになった。
イスラム七カ国の人たちは大変な状態になってますね。
いま世界で一番移民を積極的に受け入れているのは、カナダのようです。

親鸞聖人は、阿弥陀さまはどんな人も一人残らず受け入れますよ、助けますよ、と言っておられます。
ただし、仏法を謗る者、親兄弟を殺すような五逆の者は除いて。

以下はかささぎの思い。
わたしは、この、ただしの部分が腑に落ちない。

日本には死刑があり、到底許し難い極刑の罪を犯した者は殺される。改心の見込みなしと見放される。

では、悪人正機、とはどういうことなのか。
五逆の者が救われるには何回この世に生まれてきたらいいのだろう。
五逆の罪を知らずに犯すことは、おそろしいことだが、あるかもしれない。わかりやすく相手を殺すのではなく、自殺でも結局は同じことではないだろうか。

阿弥陀さまは仏像を見ますと光を背負っておられる。
わけへだてのない光。

それなのに、ただし、がつくのはぜったいにへんだ。

阿弥陀さまの「ただし」は、浄土真宗の本体である第十八願に「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚、唯除五逆、誹謗正法(たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く)」とあるなかの「唯除」以下をいいます。これは昔から問題になっているところで、善導大師のお示しもありますが、親鸞聖人は次のようにいわれています。

「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

つまり、「のぞく」ということで、五逆罪と謗法罪がいかに重い罪であるかを知らせようとするものであり、それを犯させないためです。抑止門(おくしもん)といいます。そしてもし犯したとしても、心をひるがえし、阿弥陀さまのお力におまかせすれば、すべての人が救われていきます。「十方一切の衆生みなもれず」というのがそれです。摂取門といいます。阿弥陀さまのお慈悲は広大ですから、単なる除外例としていっているわけではないのです。

ただし、阿弥陀さまはすべての人を救おうとはたらいてくださっておりますが、それを受け入れない、拒絶する人は救われないでしょう。阿弥陀さまの側に失があるのではなく、拒絶する人に失があります。それでも阿弥陀さまは何とかしてと、はたらいてくださいます。親鸞聖人は「ものの逃ぐるを追はへとるなり」といわれています。また明治時代に活躍された利井鮮妙という和上は「逃ぐるをば、逃がしたまはぬ、お慈悲なり、逃げなば逃げよ、逃がすものかは」と詠われました。拒絶する人は今は救われませんが、逃がさぬお慈悲がかかっているのです。そこまでのお慈悲であったのですね。

もう一つ興味深いのは、五逆罪は父を殺し、母を殺し、というものですが、一番重いのは和合僧を破ることとされています。和合僧(仏教教団、仏法者の集まり)を分断、分裂させることです。ここに仏教がいかに「和」を一番にしているかが知られます。聖徳太子の十七条憲法に「和をもって貴しとなす」というのはここからきています。

梱包作業お疲れ様です。
幼稚園や保育園で給食が出るところもあるのですね。
娘たちの通った幼稚園は冬はストーブの上で温めるので金属の容器でとのことでした。
ある日カレーを載せただけの弁当を持たせました。温めるのならと思って・・
でも長女の感想は「ふたをあけたらびっくりでかなしかった・・」って。今でもよく覚えているんですって@@

韓国のM君の会社は昼ごはんと夕ご飯が出ます。
夕ご飯のあとしばらく残業して帰るとか。
8時くらいまでは働いてるみたいです。
日本語を活かせる仕事で頑張っていますが中国出張が多いので中国語も必要になってくるかもとの事でした。

水月さん
詳しいお教え、ありがとうございました。
今拝読いたしました。
日本の死刑が抑止力であるのと重なりますね。

なぜそこがまるでご飯の中の砂みたいにジャリっと歯に当たり、咀嚼できなかったのか、その話の前に、親鸞聖人の生涯をあらまし語られたからです。ことに、法然の発心の始めについて。
法然の父は武士だったが、ある夜、寝込みを襲われ深手を負った。法然は、おのれ許さぬ、と敵討に行こうとするのを、瀕死の父に止められる。
敵を殺してはならぬ、敵を許せ、と言って父はしぬ。
それが法然聖人の発心の契機だと不可思師は仰いました。極論すれば、いまの私たちの信心の大元はそこに行き着くと言っても過言ではない、と、不可思師は仰いました。
だから、あれれ、なんか矛盾してないか、と
気になってしまったのでしょうね。
法然の父の話は初めて聞きました。

ところで。
こないだから気にしている、憑くとかいて、憑む(たのむ)ですが、
今の時代は、ダウンロードという言葉に表象されるように
どこか遠い異次元から届く主体からのモノを受け取り、動く、という概念にはよく馴染みます。
幸福の科学の主宰者の霊言も同じかは判断できませんが、 昔からたくさんありますよね。
だからこそ、あの漢字、使われなくなったのではと
おもいました。ばくぜんとですが。

また教えて下さい。

エメさんの娘さん、
ふたをあけたら、カレーが出てきて
悲しかったというの、わかります。
大事な思い出ですね。
私もいつだったか忙しいので、カレーを持っていった。
レンジで温めて食べようと。
でも実際ふたを開けた時のなんと物悲しいこと。
冷たいカレーほどさみしいものはないです。
ひとり匂うし。
息子は汁が零れるようなのをとても嫌がります。
だから、おでんはご法度になる。
作る人になれば、母のきもちは分かるのだが。

産院の料理がとても贅沢になってゆくように、幼稚園もかわるのでしょうね。ある種人気商売みたいな。

👇
新宗教からいつか連れ戻す、と、父上は仰ったそうです。
お坊さまから聞いたことで、意味がよくわからぬながら。

しかしながら、水は下から上には流れない。
死んでしまえば、残された人が死を弔う。
どんなに伝統的な葬儀を望んでいたとしても、主催者が新宗教者なら、お寺の行方は揺らぐ。
じっさい、身の周りでは、幸福の科学ではありませんが、創価学会の葬儀に行き当たることが最近増えてきました。
南無妙法蓮華経、と唱えて下さい、と隣席の人から促されたこともあります。
死者はどう思っているだろう。と考えながら、手を合わせた。

記事自体はちゃんとありました。
しかし、ベストテンから外されている。
一昨日まであつたのになくなるはずがないもの。
かささぎ能力をはるかに超える仕業だ。


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