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2016年6月20日 (月)

角博喜先生追悼

角博喜先生追悼


遅ればせながら、昨日お悔やみにいきまして、お別れのビデオを見せていただいた。

角博喜先生がご自分の生涯を簡潔にまとめられたものです。

幾つか印象に強く刻まれたものがあり、ご紹介します。

先生は大正時代の終わり近くに八女の川犬という地の庄屋さんの家に生を享け、八女中学から大分経済専門学校、いまのブンダイの前身、にすすまれ、さらに、滋賀海軍航空学校へ入隊されています。

同期に安倍晋太郎氏がいらしたそうです。
これ、初耳です。

滋賀に特攻基地があったことすら存知ませんでした。
大勢の学徒兵たちが散華してゆく中、幸いにも実戦は経ずに敗戦となったそうですが、当時の若者たちはみな、お国のために一命を捧げる覚悟であったことが伝わります。
ちゃんと当時の映像での記録が織り込まれていて、わたしたち世代には懐かしい安倍晋太郎氏の姿も登場しました。あとで確認しますと安部総理のお父上は67歳で亡くなられたのですねえ。特攻基地で訓練を受けた経験がおありだったとは。

角博喜先生は、戦後、中学教諭としての道を歩まれたのですが、
カメラを趣味とされていて、たくさんのビデオ作品を遺されました。
なかでも、旧矢部線四十年の記憶と廃線となった日の記録は、ピカッと光る作品で、表彰されました。

一年の四季を折り込み、入念に撮影してありました。
こうづま駅、今古賀駅、などの駅の名前のなつかしさ。
乗客へのインタビューもあります。
なんと、さくらの角先生の奥さん。つまり、たからさんのご主人のお母さんでした。
こうおっしゃいました。
師範学校へ毎日これで通いました、と。
えっ。師範学校というと福岡市。では羽犬塚で乗り換えて?
それもすごいはなしです。

鉄男くんへのインタビューもあります。
矢部線が廃線になるって知ったのは数日前でした。ぜひ乗りたいとやってきました。

すべてに角先生のていねいな取材が生きています。
黒木駅から羽犬塚駅までのディーゼル車輌に乗った記憶のある人は、きっと懐かしさに涙が流れるはずです。

この映像も先生の旅の記録もついて、さいごのさいごに、
わたしが逝ったあとも、のこる家族をよろしく、と、
笑顔でご挨拶される先生。ここでホロリときます。

編集が途中であったのを完成させたのは息子嫁のたからさんでした。

ほんとうに貴重なものを見せていただきました。
ありがとうございました。

角先生のご冥福をお祈りもうしあげます。

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コメント

見たあとで、しまった、あの会のみんなでくるべきだったなあ、と後悔した。きっとみんな強いインパクトを受けとったはずだ。
角フィルムの蔵で永久保存されるべき。
ぜひもう一度、見たい。
みなさん、ぜひ、みにいきましょう。

何度考えても、すみ先生と特攻は結びつきません。
やはり唐突に思え、あの飛行訓練時代のフィルムが、まるでドラマみたいにおもえます。
文字化したものを読みたい

と、特攻!?
それはないと思うよー。
ビデオを見直してみたら、学徒動員で海軍予備学生として滋賀海軍航空隊に入隊とあったけど。最近まで航空隊の同窓会が毎年あってたから、悲惨な経験はみんなしてないんじゃないかな?
義父は自分の話を全然しなくて、子供たちさえ父が何をしていたかをよく知らないみたい。
そんな父だからビデオで自分の生涯を伝えたかったのでしょうね。
恭子さんはビデオを一度見ただけでよく詳しく覚えてるねえ。

まりさん

きっと大石政則日記『ペンを剣に代えて』と映画『永遠の零』の影響だろうとおもう。
あのすみせんせいのビデオ、戦闘機がでてきて、かけよる学徒兵たちがいて、その兵隊さんが映画でみたようなきれいなロングコートをおそろいで着ていた、それが強く心に訴えかけてきて。
へんなはなし、もうしわけないけど、わたしたちの青春時代に流行したグループサウンズのファッションも、それから繰り返しはやっているジャニーズ系のポップス、それについている制服(笑)も、なんかおなじところを衝いているかんじ。

それから海軍の紋章の美しさも。

それとこれとはべつの話題かもしれませんが、連句的におなじポケット。

実はすみせんせいが、ひろき、というお名前であられたことをずっと知らなくて、あのビデオではじめてしりました。大正13年うまれでいらしたこともね。
面識さえないと思っていた。
ところが、まりさんと俳句や連句を通じてつきあううち、何かの折に写真をみて、あら、このひとは。
自分が短大生だったころ、教育実習で行った先の写真にいっしょにうつっている先生だ。ときづく。
数学か理科の先生とばかり思っていたのに、なんとこれが英語の先生だったのですね。笑。
ひょうひょうとしたかんじの、目立たなくしておられる先生でした。

ですから、あの見事になんの説明もない滋賀海軍航空学校での訓練のくだりをみて、内心えっとのけぞったのは当然のことでした。

ぐぐったら、当時は「牧場」とよばれるひみつのとっこうきちが全国各地にあって、どうのこうの、と書かれているサイトが目に留まる。もしかしたら、そういうのだったのかも。とおもってしまいました。

戦争があまりにも広大すぎて、ちっとも全体像がみえてきません。ほんのすこしをしって、こうだろう、ああだろうと、想像するだけです。

スミ先生が4月11日、熊本地震前震が4月14日、本震16日、たかはしこうしろう先生が4月24日、でした。

あらためてご冥福をおいのりもうしあげます。

もうひとつ。

ビデオの中で、先生の旅行がいくつかでてきましたが、それは同窓会(戦友会の。趣味の会のもあったかな)からの、そのなかに北海道旅行もありました。函館がうつりました。
すると横でまりさんが、
あら、やっぱりおとうさん、北海道もいってらした。北海道はいけなかった、といってたけど、忘れていたのでしょうね、と。
まりさん、ご自分で編集をおえたというのに、よくみることができてなかったのですね。それほど切羽詰っていたのですね。
まいにち、仕事がどっさりあって、体調もよくないなか、よく葬儀の算段とビデオを完成させることができたものです。

ほんとうにえらいです。

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