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2016年5月31日 (火)

原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律

 

  橋爪 章

この法律(略称「被爆者援護法」)が成立した平成6年12月16日当時、私は厚生省の被爆者援護行政担当課の課長補佐として、国会議事堂や衆参両院の議員会館に通い詰めでした。
法案形成の過程においては、坪井氏はじめ被爆者を代表する方々との会談を重ねました。
被爆者団体それぞれの政治的・思想的背景にかかわらず、被爆者代表の方々の共通した思いとして、「国としての死没被爆者への追悼」、「日本国による戦争責任の表明」と「核兵器の廃絶」がありました。
法律は生存者を対象に施行されるので、死没者を対象とした援護施策は組み立てにくいのですが、死没者の遺族への給付金の支給と国立の追悼平和祈念館の設置という形で被爆者援護法に盛り込むことができました。
戦争責任の表明については、被爆者に限らず戦争被害者は空襲被害者など数多く、戦争責任表明がすべての戦争被害者の国家賠償に短絡することを警戒する政府の思惑があり、被爆者援護法の条文に盛り込むことはできませんでした。
核兵器の廃絶についても、核の傘で日本を守ってくれている米国への配慮が必要で、当時、我が国の公式文書において、非核三原則を謳うことはできても核兵器の廃絶まで踏み込んで記載することは困難でした。
原爆被爆者を法的に他の戦争被害者と区別して特別の救済を行う論理としては、終戦後も後障害が出現し得る放射能被害に着目するしかありませんでした。
放射能による健康被害の真実を知るため、日本国政府とアメリカ合衆国政府により設立・運営されている放射線影響研究所に何度も足を運び、研究論文を読み漁りました。
放射線影響研究所による研究活動の支援のため、米国エネルギー省との交渉も行いました。
当時の内閣総理大臣は村山富市氏で、被爆者援護法は自民党と社会党の接着の象徴として位置づけられていました。
村山氏は社会党の党首であり、被爆者と共通した思いを胸に秘めておられる方でした。
被爆者援護法が議員立法として提案されたこともあり、法の条文に盛り込めなかったことを、当時としては例外的な「前文」を設け、次のような文章を法律の一部として成立させることで、被爆者の思いに半歩だけ近づくことができました。
この前文には「核兵器の究極的廃絶」「国の責任において」という表現が盛り込まれています。
核兵器の即時廃絶や原爆投下責任に言及できない情勢下におけるオバマ大統領のスピーチに、その苦心を共感します。
<前文の全文>
 昭和二十年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。
 このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し、医療の給付、医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。また、我らは、再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
 ここに、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する。


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