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2016年3月 6日 (日)

なにがうたわれたのか 「早春賦」と「菊花の約」と「水洟や」

コメント

このうた!
早春賦は、いまこちらにおいでいただいている、さきやまことよさんのかかれているおかたではありませんか!!
ということに、きのうきづいた、まことにとんまなかささぎであった。
ことよさ~ん。
かいせつおねがいします。どうかよろしくたのみます。おおいたのひとだったのか。

吉丸一昌 検索しますと、フンドーキン醤油がきになる

たのまれたらことわれないですね。ちょっと疲れぎみなんでしばらくお休みしようかと思ってたんです。大せんぱいにたいして解説なんてちょっとおこがましい気もしますが…。ちょっと迷ってる……でも、書きますね。早春賦については拙ブログ最新作「ブログ界は曇り空3」にもかきました。ぜひご笑覧ください。吉丸先生の声を紹介しています。http://blogs.yahoo.co.jp/kotoyo_sakiyama第80話 ブログ界は曇り空3
そうですね、「早春賦」についていうなら、11月2日つまり晩秋に作詞された謎ですね。これをどうみるか。深いテーマですね。それと、谷の鶯はなぜ、山の鶯や岡の鶯ではだめなのか、という問いですね。http://blogs.yahoo.co.jp/kotoyo_sakiyama/62990687.html
あのう、フンドーキン醤油が気になる? 気にならない? よく分かりませんでした。どのページ? 「賦」と 「譜」を間違えているページならろんがいですよ。「譜」ってキャンディーズ?海援隊? 領域が違ってきますからね。

谷のうぐいす
うたはおもえど
ときにあらずと
声もたてず
時にあらずと
声もたてず

一番のこの歌詞になにか時代の暗喩めいたものはないのですか?
いや、しかし。
昨日までとても寒くて、実感としてこの歌の詞がひたひたと身に迫りました

フンドーキン醤油のサイトに記事があるみたいだのに、出ないから、気になって。
このごろ、おいしい醤油が見つからないで寂しい。
以前食べてた醤油、飲んでた醤油とはいわぬ、使用してたという意味だが、店がなくなり、買えなくなりまして。
一升瓶入の醤油を五本まとめて配達してもらったものでした
いま、スーパーで買いますが、全くなじめないで困っています
だから、関係あるのかないのか、フンドーキン醤油が気になるわけさ。チャンチャン。

お達者で

ことよさん、
まだご紹介の、読んでないけん。
ゴメンね。
まだ帰ったばかり。
今からごはん、ひとりで、では。

暗喩はなかなか見つかりません。みなさん漠然とそう思って書いているだけで、私はいまだ納得できる説明を読んだことがありません。原歌詞にはリフレインがありません。難しいのは3番の最後のフレーズです。いかにせよとこのごろか。どういう意味なのか。…でも、あまり分解しすぎるとこの歌は面白くなくなるような気がしています。フンドーキンは、臼杵人物伝とか臼杵人脈から来ているのではないですか。ならば、それはたぶん吉田稔『望郷の歌』です。吉丸先生の短歌といえば、いろいろありますが、私はやはり「むかし見し かの初恋の 初日の出 いまなき人の おくつきにさす」が好きですね。亡き人とは先妻ゆきさん、「故郷を離るる歌」とつながる短歌です。先生は、恋歌は扱わないと意地を張った一方で、こんな歌を詠む人なんです。とらえどころのない不思議な人です。乙骨さんとは正反対かもしれませんね。

やっとよめた。
第一回は去年の1月10日、『出会い』です。↓

第1話 出会い
ブログ紹介
崎山言世 …… 大町青雲高校2年生。文芸部所属。曽祖母が東京音楽学校出身。1998-
吉丸一昌 …… 東京音楽学校教授。<早春賦>作詞。『尋常小学唱歌』編纂委員会歌詞主任。1873-1916。

崎山言世は、文芸を学ぶ高校生。夢の中で、吉丸一昌という人物と会話している。崎山は、吉丸の教え子、崎山輝のひ孫だった。

吉丸一昌はかつて、「故郷」「朧月夜」など尋常小学唱歌を編纂する委員会で、歌詞主任をつとめていた。

言世は現代では著名な唱歌が「高野辰之作詞/岡野貞一作曲」で、顕彰の歌碑まで建っているという。そう聞かされても最初は相手にしなかった吉丸だが、唱歌100年にちなむ新聞記事や公共施設のイベントを知り、あまりの歪みに驚き、憤りを隠せない。そしてついに尋常小学唱歌の不幸な歴史の深部にある盗用・代筆疑惑を語りだす。

ことよさせまつりて。ことよさしたまひて。
どっちだったっけ。祝詞にあるこのぶぶんを連想してしまう、ことよさんのそのなまえ。
ちなみにのりとのそのぶぶんは、ことよさす、言依す、委任するということだから、ことよさんがこころみたこのフィクションの形そのものをいっているのですね。さりげにふかい。

ノーベル賞の大村智氏「敬神崇祖」と言依さし

ことよさん。
わたしは乙骨太郎乙一族のことを調べているうちに、からたちのや乙骨三郎という音楽家を偶然にしったので、だれがどのうたをつくったのか、追いかける情熱はまったくありませんでした。
興味はありますが、名誉に恬淡、という世にも珍しいひとをむりにおこそうとはおもいません。
でも、せっかく菊枝さんが昭和女子大の全集本からコピーをとって送ってくださったご文章を記録としてのこすことはやっておきました。
言代さんの眼にかささぎの旗のなにがとまったのかわかりませんが。

わたしが乙骨太郎乙を調べてみたいとおもった、その原点の理由は、いまも、ずっと健在です。
歴史の不思議さ、という司馬遼太郎の一文。
国歌君が代の起源についての。

やはり、ことたまはそんざいする。
こんどもたろうおつ、みごとにけされている。↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3

ことよさん、さがしたら、フンドー金サイトにhttp://www.fundokin.co.jp/yaeko/episode/21/vol21.html
のがみやえこのおいであるかたのエッセイを発見しました。やはり、フンドー金醤油はなにかを蔵していると思えてきた、吉丸一昌についてかかれたものも、よみたい。
野上弥生子の「砂糖」は必読ですよ、ことよさん。
北村薫宮部みゆきのあんだ名短篇集でであった。

コピペの頁、よみづらいので、もじだけを写して採録します。転載許可を得ぬままに、失礼いたします。

芥川竜之介の辞世の句


「水涕や鼻の先だけ暮れのこる」
私の父、小手川金次郎は学生時代、姉、弥生子(6才上)の家に下宿していましたが、弥生子の家と芥川竜之介の家は近くにあり、父は字が好きで、竜之介の家で字について何度か二人きりで長時間話しています。

父の臼杵小、中学校の同級生の金田剛平(俳人)から竜之介の俳句をもらってくれと短冊を頼まれた父は、芥川に向い自分は俳句をやらないし解らないが友人から頼まれたから頼みますといったら、快く引き受けてくれました。その時、何枚か短冊は持参して行きました。その後、杳として書いてくれませんでした。ところが芥川さんの宅の近くで向うから歩いて来る芥川さんに偶然出会ったのです。長髪を半で分けてふわふわさせて和服でした。

会うなり父は、ああ芥川さん俳句をちっとも書いてくれませんなあと催促をしますと「ええ」といってその日はそのまま別れました。それからしばらくして、短冊が来ました。しかも五枚も書いてきたので驚きました。

早速金田さんに一枚好きなのを取ってもらい、その中で一枚妙な句と思われるのがあったので、これは私が取っておくといって取りました。あと三枚は後日、知人にやりました。父の取った句は「水涕や鼻の先だけ暮れのこる」というのでした。

すぐ短冊のお礼と共に、かまぼこを送りました。ところが折返し6月21日日付の礼状がきました。その中に旭川と題書して「雪解の中にしだるヽ柳かな」という一句が記してありました。

それから一ヶ月も経たぬうちに芥川さんは自殺しました。その時、朝日新聞に芥川さんの辞世の句として発表されたのがさきに父の取った水涕の句であした。あれが辞世の句であったのかと父はひとしお感慨を深くしました。

水涕の句は辞世の句として何枚も書いて友人知己に送っていたものと思って父は余り重きを置いていませんでした。所がその後侍医の島村勲の著書が出ました。その中に芥川臨終の記事がありました。

それによると、芥川家から急に使が来たので島村侍医はすぐかけつけたましたが、すでにこときれていたので家族の方にそれをつげました。その時芥川の母が言うには、竜之介が昨日、「明日先生が来られたらこれをあげてくれといったものがある」と島村さんに渡されました。島村さんは、その場でそれをあけて見たら、水涕の短冊が一葉あったというのです。

(この文章は、私の父小手川金次郎が生前に毛筆で書き残した中から引用したものです。)

フンドーキン醤油株式会社
会長小手川力一郎


芥川竜之介

「水涕や鼻の先だけ暮れのこる」

コメント

 

広川町のボランティアセンターを広めるために発足した「よかよかコーラス隊」のレパートリーの一つに早春賦があります。
二部合唱で歌います。
歌うのもブレスが難しく、歌詞も古語風で難解な楽曲であると思います。
今なお意味がわからないのは、三番の歌詞の最後ですね。時代性の何か隠された意味があるのだとしたら、ここかなと思いました。
山崎さまが寄せられたコメントを読んで、とても興味が湧きました。

この早春賦が作られたのが、大正二年。
よかよかコーラス隊のレパートリーの一つにある夏は来ぬが明治29年。作詞者は佐々木信綱さん。
いい歌って、ほんとに長く歌いつがれるのね。
改めて痛感。

せいこさん。
いつもこめんとありがとう。
やまさきさんじゃなくて、さきやまさんだよ。
って、自分も、言よ、の世の文字を代とかいてたのですが。ごめんなさいまし。ことよさん。
本名なの?
ひいおばあちゃんの崎山照さんは女学生だったころ、このうたをかいた先生に色々と学んでおられたのですね。
卒業後ふるさとのいなかにかえられたところへ、せんせいからてがみがとどく・・・

どうよんでも、三番の歌詞にある「むねのおもひ」は恋でありましょう。
そして一番の歌詞「うたはおもへど」声をたてられない、せつないうぐひすに収斂していく。。。

昨夜なぜか読んだほこりまみれの本『「菊花の約」を読む~その構成についての愚見』~佐藤春夫の「上田秋成」のかきだしをおもいだします。似た趣向だから。このひとは四十年ほどの間にニ、三十回は雨月物語の「菊花の約」をよみかえしたという。なんどもかんがえてよみをふかめていった過程がわかるので、自分のような無学独学のものは教えられるしはげまされる。

青々たる春の柳、家園(みその)に種(うう)ることながれ、交は軽薄の人と結ぶことなかれ。

これがでだしの句、
むすびが、

咨(ああ)軽薄の人と交は結ぶべからずとなん。

一度春風一回首、でぐぐりますと、(以下ネット引用)

「菊花の約」

首「交はりは~」

尾「咨々~」=同じフレーズ

青々たる春の柳=原典白話結交行

 種樹莫種楊柳枝

 結交莫結軽薄児

 楊柳不耐秋吹

 軽薄易結還易離

 君不見昨日書来両相憶

 今日相逢不相識

 不如楊柳猶可久

 一度春風一回首

 =ほとんど翻訳

 →結交行に無い点

 青々たる春(春)

 家園に

 楊柳茂りやすくとも(夏)

 初風

 「結交行」=春と秋の対比

 「菊花の約」=季節の循環
 

引用終り

せいこさんが佐々木信綱をあげたので、おなじようななまえ近江の佐々木氏綱(というひとがちょっとだけでてくる)も連想した。実在の武士の名前だろうか?

いつもはなしをひっくりかえしたり、あらぬかたへもっていって、ごめんね。
連句人のさがだね、これは。せいかく、わるい。こんじょうもすなおすぎてわるい。
あと、クリスティーの「春にして君を離れ」もおもいださせました。
早春賦のふは、連歌のふしもののふ、ですからね。

あさっぱらから、べんきょうさせられました。
ではごはんたいてこよう。

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