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2015年12月23日 (水)

一念義・多念義~水月坊様からのおたより

[おはようございます。
 
菩提を弔う」という言い方は浄土真宗ではしないので、
私の考えが正しいか間違っているか自信はありません。
転載なさって、どなたか正しい答えを書いて下さればいいと思います。
 
なお、貴女の文章のなかに「いっしんぎ、たしんぎ」とありますが、
それは一念義・多念義のことではないでしょうか。
もしそうなら、一念義・多念義について申しておかねばなりません。
ただし、一念義・多念義といっても種々あって、一概にはいえませんが、
極論すれば、一念義は一声の念仏で平生に往生が定まる。

 

だからそれ以上の念仏は必要ないと主張するものです。

 

逆に多念義はできるかぎり数多く念仏を称えて、

 

臨終に往生できるかどうか決まると主張するものです。

 

法然聖人の在世中から滅後にかけて、

 

この一念義と多念義が水火のごとく諍ったといわれています
しかしこれはいずれも法然聖人の教えを誤解したものです。
法然聖人は「信をば一念にむまるととりて、行おば一形はげむべし」といわれています。
これが法然聖人の常教です。
一声で往生が定まると信じ、それを一生涯相続するのだというのです。
だから、一念義も多念義も間違いです。
間違い同志の諍論であるから、
親鸞聖人はそのような不毛の論争はすべきではないと誡められています。
ちなみに私の研究テーマである法本房行空は一念義の代表的人物です。
ただし私は行空が多念相続の念仏を否定したとは考えていません。
一声の念仏で往生できると信ずるということを、とくに強調したものと思っております。]
以上、水月さんからのおたよりが先月末に届いていました。
多忙でずっとこの追伸に気づかぬままでした。
一信義・多信義、となぜか間違っておぼえていた。
おしえてくださっていつもありがとうございます。
このところ、『遠慶宿縁』検索がかささぎの旗アクセス5番目に入っています。
そして、「量深学場」というききなれぬことばも15番目にあります。
仏教関連のことばだろうかと、しらべますと、これでした。
http://www.bukkyo-seikatsu.jp/kouza/184/

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コメント

「量深学場」でぱっと思い出した坊さんのお名前。
曽我量深。
くわしいことはまったくしらぬながら、六田のお寺浄徳寺にそのおかたの書がいくつか掲げてあります。
ここ↓おもしろい。

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