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2015年11月 7日 (土)

水月さんのおこたえ

水月様
 
朝晩はすこしひえるようになりましたが、いかがおすごしでしょうか。
 
とうとつにすみません。
 
ぼだいをとむらう、という、その菩提とはなんのことでしょう。
おしえてくださいませんか。
かささぎブログででました。
 
おからだ、おいといください。
 
     ひめの拝
かささぎさま
 
「菩提を弔う」の「菩提」ですか。やっかいな御質問ですねえ。
「菩提」の本来の意味は、サンスクリット語で「ボーディ」という音写語であって、さとりの智慧のことです。
それを得ようと心を発すことを菩提心といい、そこから修行がはじまって、最高は仏陀となります。
したがって「菩提」とは仏陀、あるいは仏陀のさとりといってもいいでしょう。
ところが日本に仏教が伝わって約1500年。言葉が変化するんですよね。
たとえば、浄土真宗にとっては最も大切な言葉である「他力」もしくは「他力本願」、
いまでも国会議員などのお偉い先生が堂々と「他力本願ではいかん」などと発言するでしょう?
大きな間違いです。「他力」をそのように言うのは「他の力」と思っているからです。違うんです。
「他力」とは「利他力」の略で、阿弥陀仏の力のことなのです。
「他の力」と言っているときの「自」は自分です。そして他人の力というので「他力」と言っているんです。
それに対して「利他力」と言うときの「自」は阿弥陀仏です。阿弥陀仏は自他一如ですから、自も他もないけれども、
いちおう阿弥陀仏を「自」として「他」なる私たちを利する、すなわち救う力を「他力」というわけです。
これが本来の意味なのですが、「他力」が「他の力」として、まかりとおっています。
いまも同じように、「菩提」とは仏陀のことなのですが、その仏陀が仏と略され、
どういう経緯かよくわかりませんが、ホトケと訓まれるようになり、
時代劇や刑事ドラマなどで耳にするように死人を指すようになりました。
しかしホトケと死人は違います。ホトケすなわち仏陀とは真理に目覚めた方という意味ですから。
それがいつのころからか、ホトケ=死人となりました。
「菩提を弔う」の「菩提」もそれと同じではないでしょうか。
亡くなった方を弔う。あるいは亡くなった方が迷いの世界からさとりの世界へ行けるように弔う。
つまりこの場合の「菩提」は大雑把に亡くなった方を指すものと思われます。
あるいは鎮魂の意味もあるかもしれません。荒ぶる神となって祟りをおこさないように、
さとりの世界へ行ってくれよという意味で「菩提」といっているとも思われます。
ちなみに「成仏」と簡単に言うでしょう?あれも本来おかしなことです。これこそ鎮魂の意味で言っているのでしょうが、
死んで成仏できるのは浄土真宗だけです。浄土真宗は往生即成仏の教えですから、
命が終わると同時にお浄土に生まれさせていただき、阿弥陀仏と同じさとりを得させていただくのです。
真言宗は即身成仏といいますが、それは理想論にすぎません。こんなことを言ったら叱られますが……。
言葉が過ぎました。やめておきます。
ともかくいまの「菩提」とは本来の意味から変化して、お亡くなりになられた方、
あるいはその方がさとりの世界へ行けるようにということを言っていると思います。

Message body

水月様
おはようございます。
きちんとおこたえくださり、ありがとうございました。
これ、転載してもよろしいでしょうか。
だめったってするのだけど。
ひとつおもうことは、死者の供養、というとき、それは
すべて、供養する人のこころのなかのものがたり。
客観はおそらくありえない。
どうやってじぶんのなかのまよいをおさえしずめるか。
いっしんぎ、たしんぎというのがありました。
いっかいこっきりとなえただけでもいけるのか。
それとも、ずうっとずっととなえつづけなければいけないのか。
これまた、いってかえってきたひとがい ませんから、わかりません。
そういうりくつのせかいではないのでしょう。
ありがとうございました。   ひめの拝
バンプオブチキンの歌詞をおもいだした。
きおくをうたがうまえに、きおくにうたがわれている
ぶっきょうのさいだいむじゅん。
なむあみだぶつをとなえればじょうぶつできるやくそく。
それなのに、あちらがわのひとがまよわないようにいのる。
まよっているのはほかならぬこっちがわのにんげんなのに。
さいごに。
こうやってかいてるあいだにも、こないだの、中島みゆきの
「一期一会」がバックで流れる。
あのうた、とても難解。
といかけのように。

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コメント

司馬遼太郎が南北朝時代を書かなかった理由、

太平記をかくと、いのちをもっていかれるから。

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