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2015年11月 2日 (月)

葬儀の司会業

きのう近しい従妹の姑のお通夜に母の代理ででる。
従妹のひとりが荒木までのせていってくれた。
その帰りの車内で、意外な事実をしる。
いとこは看護師だがいまは葬祭の司会業がメイン。
葬儀の話から、連句的にはなしがクリスマスイブになくなった人の話になり、かささぎの旗で過去最高アクセスとなった交通事故のはなしをした。

すると、いとこは、こういった。
そのはなし、その葬儀の司会はわたしがやったよ。
たくさんの高校生のともだちがみえてねえ。
わすれられないよ。

(ええっ!!)

なにかのうちあわせで福岡まで三号線でいったとき、知人から、「ここがあの事故でなくなった現場の池よ」と教えられたそうだ。

彼女は信心深い。
叔母をつれてへいたてじんぐうや高千穂まで水をくみにいく。

ななさいでびょうきでなくなったこどものそうぎのしかいをしたとき、ついないてしまって、あとで、じょうしから、ぷろならなくな。としかられたけど、やはり、どうしようもない、いつもかんじょうがはいってしまう。

ともいっていた。

しかし、このはなしをきいて、わたしはふしぎな安堵感をおぼえた。
わからないけれど、なにかがあるんだよね。
えにしのいとの。

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コメント

あのこたち、生きていれば、22歳よ。うちの姪っ子と同じ年です。
姪っ子に縁談の話があった。
そんな年頃。

そうでしたね
うちの次男と同い年だった。
縁談が、そうですか。

縁談。養子を取れとおっしゃるわけで。
本家筋のおじさんがうるさい。
今時、見合いで養子を迎えるなんて、アリエナイ。姪っ子にた自分の好きな人と結婚していいと伝えた。中島を名乗る必要も要らん。時代錯誤もいいとこ。
まあ、ありがたい話しではあるのですが。
男親がいないから、心配してくださってるみたい。

ようしをとれ。

おおお、
そう、たしかにむかしはまわりからそういう声がすぐあがった。いまもいうんだ、とちょっとあんしんした。
時代錯誤だろうか。
いちばんくろうしているぶぶんは文字化できないもので、かいてこなかったばってん。おもういじょうにねぶかい。めにみえないぶぶんがうんとある。
りこんしないともとのせいにはもどれないし。
という点で、けっこんするとき、いえどうしのやくそくだった両方のせいをまもる、ができていないものとしては、なんともいえない。
まあ、わかいときだったら、せいこさんとおなじことを言っただろう。
さいきん、ショックだったのが、こないだ介護認定に役場からみえたとき、まちがって隣にいかれたのです。そのかたのやいてこられた地図をなにげなくみたら、となりがひめの、うちは夫の姓になっていました。はははひめのだし、だからまちがえられたのですね。
いや、たしかに父が亡くなったから、そうなるのだが、夫はとばたに自分の母といえがあるし、それもまもらなければならない。
(と、こんな例がふえてくるにちがいありません。)

それとおどろいたことのもうひとつ、新道が442で、ふるいほうのみちは、べつの呼称になってた。
なんか、じだいについてけないかんじ。笑。


ひめ。そうだった。そちらも同じような経験があったのね。
時代錯誤だと決めつけることは出来ないのかも知れん。誰かが仏さんを守って行かんといかん。でもさ、氏ってそんなに大事かねえ?

平成生まれの姪っ子を家の犠牲には出来んと思う。
つきあってる男の子かおるって。
長男だって、彼は。でも、姉と弟がいるって。
マスオさんになってくれないだろうか、と思わんでもないが、このおババからはよう言えん。

蝶なんですか。いや、長男ですか。
そこがうちの場合は問題だった。
姑はきっちりとした信仰をもち、長男はいえのあととり、と夫がまだちいさいときから諭してそだててきたようです。
うちのほうではそのころはまだ元気だった伯父が、えっとあれはなんといいますか、「ききづくろい」か、結婚する前に勤務先の上司にまであって、夫にはおとうとがいることをきいてきてくれた。(いもうと、おとうとがひとりづついた。)
それに自分たちはいえのことなんて、これっぽちも考えてなかったし、さきのことはさきになって考えよう、と楽観的なおもいでいっしょになった。
ところが、じょじょにイエがのしかかってくるようになりました。
せつめいするのもきがおもい。

きょう、ニュースで夫婦別姓を国はみとめよ、と裁判で争うというのをみました。
賛成反対おなじくらいでしたね。
じぶんがこうなるまでは同じ姓がいい、とおもっていた。
しかし、代々養子のいえに縁があって生まれ、どちらもまったくおなじ境遇の、長男長女同士だったら、どうしたらいいのでしょうか。
うじかばねはどうでもいい、というけれど、けっきょく、なにがきになるのかといえば、菩提の行方です。
家の犠牲、といういいかたは、してはいけないとおもいます。
そういういえにうまれたものの責任だとおもったほうがいいようにおもう。
むかしのひと、あるいは、おやのいけんは、傾聴すべきでありました。
ありましたねえ、ことわざが。
おやのいけんとなすびのはなは。まんにひとつのアダもない。

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