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2015年11月 2日 (月)

星野源流さんのブログ記事とコメントまとめ

日光の星野源流さんのブログから転載いたします。

文:星野源流

足尾郷、日光山の星野氏、まとめ
寄り道をしながらやっと確信を持てる星野氏の流れを掴みました。
以下に書きますが、机に向かうことがなかなか難しいので歴史的なことが書けません。
つい断片的になってしまいます。
申し分けありませんが別のブログを作り仲間の先生方とあかがね街道の歴史を追究したいと思います。それは大変な歴史が埋もれているからです。
どうか興味ある方ご参加ください。ありがとうございました。
星野氏の歴史遺物から追究し、星野氏のルーツを探るため、断片的でコマ切れなものとなり申し分けありませんでした。
それではまとめさせていただきます。
一、星野親忠、星野治部左衛門は
      九州筑後八女星野村の出身の1226年『征西将軍の宮懷良親王の南朝方として戦う』星野胤実から続く十一代胤泰の弟常陸の介親忠です。1586年代没落まで終始一貫南朝方として戦い抜いた星野一族です。星野家が伝える1610年代火縄銃田布施流秘伝書に登場人物で新井孫兵衛秀重がおります。
二、新井孫兵衛秀重は
     あの新田義貞、新田義房の弟荒井覚義、の系です。
新井義助、義貞、新井義基が懐良親王に従って戦う。その子義氏、孫義高その孫義通
九州菊地氏、ともに戦う。これがまさに星野親忠家臣なのです。そして新田源氏の地にカムバックしたのです。
三、深沢城主、桃井氏系阿久沢氏、黒川郷士
      豊前に新田氏に従った足利氏流桃井氏の一族が南朝方で戦い星野親忠と共に新田源氏の地に入郷したのです。『先に阿久沢氏がいるところに』
後醍醐天皇、南北朝、皇子、九州での戦い、
星野氏、新田氏 、菊地氏、桃井氏、懐良親王に従った一族が、あかがね街道、足尾郷、に入郷した意味は❓
新井白石氏が徳川氏ゆかりの長楽寺の古文書を調べたおり、自分の系も新田源氏、そして
近衛前久公が長楽寺を訪れております。何をかたったのか❔
大内氏、上杉氏、星野親忠氏
が知っている。
以上まとめてみました。   
火縄銃田布施流秘伝書の登場人物、三人のうち
新井孫兵衛秀重、、、『前回書き込み』
吉田太郎右衛門直次、、『時代が下がります、1612年から1640年代まで新井氏により伝授。
その父親である吉田太郎右衛門春安一族の墓より吉田太郎右衛門直次?が判明』この直次の父親である吉田太郎右衛門春安を次回に追究したい。『山先案内人とされております。』
久保内近助景次、、、足尾郷の祖
九州地方、中国地方、追究しました。どこにも出て来ません。ちょっと待って前回の失負を思いだして、
大石内藏助良雄、、内藏助は官名、大石良雄が、、。
久保内近助景次、、、、、、、、、久保景次が、、。
この久保氏、やっと見つけた。
筑前国守護、武藤流、藤原秀郷系の久保氏です。少弐氏の重臣におります。そして筑後星野村近郊に久保姓がおります。
1535年大内氏に攻められた。菊地氏、少弐氏、南朝軍が負け、和睦。この時点に星野氏は出て来ません。
もう九州脱出していたのです。
星野氏と久保氏と新井氏と一族が世紀の大脱出したのです。
以上田布施流秘伝書の登場人物3人が解明されました。が吉田太郎右衛門春安伝者の父親を追究したいと思います。
 
▽                                                                                                                                    

>この星野治部左衛門と云う名前は近衛氏にいただいたのです。そして朝廷に指名されたことになります。これにつながる歴史遺物があります。
この二代目は隼人親政が星野治部左衛門となります。そして星野久之じようの子供となります。これで一族一統です。

日光山御領地 足尾鉱山
朝廷、近衛氏、大内氏、上杉氏、星野氏
は日光山のたから物として守ってこられたのです。
これは後にすごい力になりました。
そしてこの地は特別なものとしてされておりました。
日光山輪王寺が皇室のものとなり代だい続いてゆくのです。 」

源流さんのブログより

カササギ様
丁寧な説明と提示ありがとうございます。
私も一とうり勉強させてもらいました。
(インターネット上)
星野氏、星野氏の歴史
(出販本、上)
越後相川城の歴史、新人物往来社、
あえて人名はだしません。(インターネット上に日光山星野氏で2へイジに出ます)
星野親忠氏の九州脱出劇が見られる。
私は歴史上の議論は歴史家にまかせます。
私の手もとにあるものを取り上げ、自分なりに勉強し表現し、納得し書くのです。
ウタマル様は?
また交信します。

ありがとうございます!
なるほど、たしかにそうですよね。

わたしは本を出版元にたのんで2週間たっても、うんともすんともいってこないので、アマゾンにたのみなおしたしだいです。

うたまるさん。そうだった。つい連絡をとりそこねました。源流様がメールアドレスをおしえてくださらなかったので。これ、かんがえなおしてみます。

台風がいってしまったら、またあつくなりました。
賢順コンクールの優勝者が演奏した曲目の作曲家、伊福部昭についてしらべていると、たちまち日光にひきもどされました。
日光、にっこう、にっこう。
ああ、まだなんにもしていません。ごめんなさい。

こんな文章がのっています。↓

 ぼくには思い込むところがあって、「とにかくこういう先生につかなきゃ」と一途に思ったわけですよね、そのとき。それで二回目の授業のときに、先生につきたいから自宅へ行きたいといったら「私は日光に住んでます。日光まで来るのたいへんです」。
 ぼくは学校の総代とかいう世話役をやっていたんで、授業が終わってから学友会の仕事をして、夕方、浅草から東武電車に乗った。そのときは雪が降ってきて、当時の電車は電灯がつかなくて真っ暗なんですよ。窓という窓はガラスが一枚もない、板が張ってあったりして。それで日光へ着いたんですよね。着いたら真っ暗。大体、道を教わっていたんだけれども、山の中を手探りなんですよ。ポチッと光りが見えたんです。それ以外、光りがないから、そこだろうと思って・・・・・・。コンコンとドアをたたいたら、奥さんが出てきて先生が出てきて・・・・・・三日三晩泊り込んだんです。伊福部さんは自分の昔の「交響譚詩」だとかいろいろな作品のスコアを見せてピアノを弾いた。当時、食糧事情の非常に悪いときで、奥さんが苦労しておイモやなんかで今川焼みたいなのをつくって下さった。三日間も不意の来客で、さぞご迷惑だったろうと思うんですけれども。学校なんかすっぽらかしちゃって。

(「芥川也寸志 その芸術と行動」東京新聞出版局 収録“芥川也寸志、芥川也寸志を語る”より抜粋)

源流さんには申し訳ないのですが、わたしのなかではずらずらっとつながっているので、寄り道をおゆるしください。なにしろ、ふりかかってくるのです。あちらから。

伊福部昭の自伝、北の賦、ここで一気によみます。笑。
おもしろいことに、このいふくべ、という家は、鳥取の大黒天の代々続く名家の66代目で北海道へ渡っている家なんですね。それはなぜなのかが第一回目にかかれている。ふうん。
こないだの黒木瞳の父方の樋口家も金山で尾羽打ち枯らして北海道へわたった、というのがありました。なるほどです。

きのうからよみはじめました。
「足尾銅山発見の謎」
とてもおもしろいです。
わくわくします。
三分の一よみました。
とちゅう、やまもとけんきちがでてきたのにびっくり。
59頁末。
写真がたくさん掲載されていて、星の本家の、いかにも旧家という一枚は風格をかんじます。どくとくな庭木の刈り込み方、おだんごをかさねたような。
また、表紙写真の、かさとばとごりんのとうのでかいこと。こんなにおおきいのははじめてみました。
二メートル以上もあるなんて。

ことし一月末、国東のふきじ(富貴寺)でみたかさとばは、五輪塔と合体したようなかたちで、あれは、くにさき塔となづけられていたっけが。古い時代のものでした。(たしか室町期)
かささぎの名前をクリックしたら、写真が出ます。

カササギ様
ご無沙汰しております。
現在、田布施流秘伝書に登場する
新井孫兵衛秀重
吉田大郎右衛門直次
久保内近助景次を
追求しております。あかがね街道に隠密警備隊(鉄砲隊)として3か所に分かれ警備しておりました。この追求のため現地へ出向けるためなかなかブログ、の時間がとれませんでした。

源流さん
池野亮子さんの本をいっきによめたのは、こころに、ほしのじぶざえもんの血のふるさとは筑後の星野なんだろうか?それがかかれているだろうか?そしてそれは、やはり鉱山つながりだったのだろうか。
という思いが強く在ったからです。
本の内容は地味ながらもおもしろかったのですが、とうとうそれ以前の歴史まではたどれぬままでした。
源流さんのブログ記事は、どういえばいいか、断片的過ぎて、わたしにはさっぱり歯がたたないのです。
いちばんきになったのは、馬琴で、これ《↓》以前にどこかでよみながしてたきがする。おもしろいものね。(江戸時代の浮世絵にUFO?うつろ舟)

「九州南北朝争乱(A4版391頁)
懐良親王と九州征西府」

ができたそうです。

著者・近藤靖文

(このかたのおなまえは、山下整子さんの話の中でも星野大円寺ご住職のおはなしのなかでもでてきました。また、nhk黒木瞳ファミリーヒストリーにも出演されています。ひとみさんのご先祖の武将の墓に案内される郷土史家の先生として)

10年の歳月をかけ取材・新たな資料収集により

書き上げた歴史書「九州南北朝争乱」発売決定!

定価 3,000円
只今、送料無料にて販売中

電話 0944-72-0074

携帯 080-6416-5403

(まるごといんようしたものです)

かささぎ様
大変ご無沙汰してます。色々と御気使いありがとうございます。早速買おうと思います。
まずは今、御報告しておきたいことがあります。田布施流秘伝書に登場する三名の名、筑前地方におります。『北九州市、自然史、歴史博物館』に確認をお願いしたところです。出てきてくれるとありがたいのですが、、、。

                         

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コメント

源流さん、
コメントとブログ、引用させてもらいました。
きのうは、新田一族の話を書いてあるブログをうろうろしていました。なにしろ私は太平記もろくすっぽ知らんのです。
はなしがみえなくて当然てぇもんです。
昨日のブログにあった記事では、三島由紀夫と新田、太田市、中島飛行機がおもしろかった。

これです。
しばりょうたろうにみえた南北朝という時代

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