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2015年9月20日 (日)

「思考の部屋」と金子兜太先生と東妙寺らん

「かわる」という言葉から刻まれるもの

           思考の部屋

2015年09月19日 | ことば

 「かわる」ということはどういうことなのか。古語の世界では「かはる」と書くこの言葉、「かわる」という音韻に接しそこに現れてくる漢字はどういう感じになるだろうか。

 他者との対話の中で他者が発する「かわる」という言葉は、会話の内容により自ずからその漢字が現われてきます。いつもの楽しみで古語辞典を紐解きますが、ベネッセ古語辞典では「かは・る」【変はる・代はる・替はる】で解説されていますが、岩波の古語辞典では「かは・る」はなく、「かはり」【代り・替わり・変り】が解説されています。

 ベネッセの「かはり」は、【代はり】の漢字表記の言葉だけが解説され、「①交代。後任。②身代わり。代理。③つぐない。代償。④代価。代金。」の四つが掲載されています。

 参議議員で新安保法案が可決されNHKニュースでは「大きく時代が転換することになります。」という言葉を耳にしましたが、古語の世界ではどうもこの「転換」という言葉に使用されている「換」を使った「換わる」はありませんが、

 大きく時代は「かわる」ことになる。

 現代の「かわる」は、【変はる・代はる・替はる・換わる】と国語辞典を引くまでもなく常識感覚で理解できます。

 どうしてこのように国会前は静かなのか、「60年安保」やその後の時代には「安保阻止闘争」は火炎瓶が飛び、ゲバ棒が振り回され、催涙ガスが漂う流血の時代がありましたが、時代は大きく「かわり」前時代に比べるととても静かなのです。

 流血や死者をともなう闘争からの教訓から「何か」を学んだのだろうか。

 今回の「絶対平和を主張する」国会広場の人々や国会内で同じように「絶対平和を主張する」野党議員さんの中には「替わりない」人もいるようですが、「何か」が人を変えたのでしょう。

 一方国会内で「絶対平和を主張する」与党側の議員さんの中にも若かりし頃に国会前側に居た人もいるのではないか、今は黙して語らない人が・・・・。

 ここで私は与党側を「絶対平和を主張する人々」であるとして書いていますが、ここに矛盾を書き綴っているわけでもなく、「戦争をしないための新法案」という言葉に「肯定・否定」を加えないで聴くならばどうしても双方の共同無意識が働く「絶対平和主義」の世界があるように思うのです。

 精神的無意識を語るV・E・フランクルならば「良心」「愛」の集合的、普遍的、共同的な無意識があると思うのです。

 仏教の世界ならば「誰もが仏になる可能性」という「仏性」のようなものがあると思うのです。

 「絶対平和な時代」

があったのだろうか。

 「見知らぬ外国人が突然訪れて強行に及ぶ」・・・この場合の強行とは強行犯のことで殺人・強盗罪に該当する犯罪を敢行する事態を意味します・・・こういうことは稀なことですが、「絶対平和な時」というものがあります。過去にこんな記事を書いたことがあります。

ほんとうの幸い[2011年12月29日]

私は、ここで語られる(松竹KK「男はつらいよ 寅次郎恋歌第8作」)の寅さんの妹さくらの夫博の父親(志村喬)が寅さんに語る、

【志村喬】
 「いや、そんな話じゃないんだ。ポツンと一軒の農家が立っているんだ。りんどうの花が庭いっぱいに咲いていてね。開けっ放した縁側から、灯りがたくさんついた茶の間で家族が食事をしているのが見える。わたしゃね、いまでも、その情景をありありと思い出すことができる。庭一面に咲いたりんどうの花、あかあかと灯りのついた茶の間、にぎやかに食事をする家族たち、わたしは、その時、それが、それが、本当の人間の生活ってもんじゃないかと、ふと、そう思ったら、急に涙が出てきちゃってね。・・・・・・人間は絶対に一人じゃあ生きて行けない」

このセリフが大好きです。

「絶対平和な時」

精神的無意識にあるとされる「愛」の世界です。

「時・時・時・時・・・・・」

 時は刻まれて代(だい)が代(かわ)って行くことから「時代」があるのでしょうか、そうなると「替わらない人々」は何が「かわった」のだろうか。

「絶対平和な時代」

は思考の彼岸においているのではないだろうか。一方

「絶対平和の時」

は、個人的に思うのですが思考の此岸にあります。

世の中はどうしても時の流れです。突然の災害や突然の強行はおとずれるのが常です。

常ではないが常であるという矛盾。

矛盾的自己同一の世界は現れる。

 事実「絶対平和な時代」の主張は双方の常識なのです。正しさの主張は常に矛盾をもつものであり、常識の衝突が現象として現われます。

「人間は絶対に一人じゃあ生きて行けない」

 まるで俳人金子兜太さんの万葉の「情(こころ)」の「ふたりごころ」で語る相手に開かれた「こころ」です。

 金子さんは「アベ政治を許さない」という文字を書きました。

しかし世の中は国技館では相撲が開催され、球場に人々が集い幸せそうに観戦し、災害の爪あとの復旧にまい進しています。時は同時に刻まれてゆきます。

▽コメント

雨の中の一家総出の田植え (かささぎの旗)
2015-09-19 09:24:19
志村さんのせりふ、よくわかる美しいことばですね。
おなじような場面をいくつも記憶している世代です。
自分でさらにつけくわえたい場面もあります。
あれは一昨年のこと、雨の中いとこの若い一家が田植えをしているのに通りかかり、遠くからみていました。
まだちいさな娘二人にはおそろいの雨合羽をきせ、二十代の父親は田植え機をうごかし、可愛い嫁は苗配りをしていました。
ゆめのようにうつくしい光景でしたが、それが最後でした。
その年まででした、外に仕事をもつ身のひとが、うちの水田をかわって作ってくれたのは。
本業が忙しくなると手間暇のかかる稲作はやめるしかなくなります。
そんな家ばかり増え、いまはみわたすたんぼじゅう、耕作依頼をしているたんぼばかりです。
わたしはブログをはじめて今年の冬至で満十年になりますが、そのころには、まだわが家でちゃんと田をつくっていたのだ、とおもうと、感極まります。

もはや郷愁の中にしかありえない世界。

きのう成立した戦争法案も、いのりとして永遠であると皆が思う憲法九条も、根はおなじなのだろうとおもいました。
そんなふうにして、戦前も時代がつくられていってたのですね。そのときどきで、最善を尽くすというやり方で。
きっと思考の部屋さんもそう思われたのではなかろうか。

折鶴の吹き込む息にある九条    東妙寺らん
 第62回長崎原爆忌平和祈念俳句大会
 金子兜太特選句

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コメント

折鶴の吹き込む息にある九条    東妙寺らん
 第62回長崎原爆忌平和祈念俳句大会
 金子兜太特選句


この句はよくみると妙なおもむきのある句である。
ふつうの文章であれば、折鶴「に」吹き込む息であるべきなのだ。そこを韻文特有の「の」としたために、吹き込む中七とは微妙に切れ、空気の逆流がおきたような錯覚におそわれる。
そのことを金子兜太師は気づかれたかどうか。
「少し変化のほしいところだが、「九条」の結びが効果的。」
ということばで評価されている。

おりづるの、は、おりづるが、ではない。
折鶴の中へ息を吹き込むのは祈る人のこころ。
それはだれでもわかる。
しかし、俳句でこういう風に書かれると、具象が抽象になり、意味が空中分解をおこし、あれれ、息を吹き込むのは実は折鶴のほうだったんだ、おりづるのおなかにたまった祈りの念が九条となって人に逆噴射されているんだ、、、と、そんな読みをしたくなる。
ふしぎな句。
ともあれ、東妙寺らん、金子兜太先生の特選、おめでとう。

金子兜太先生に特選にとっていただいて、とても嬉しくて嬉しくてありがたいです。読み手の所感を聴くと勉強になりますね。俳句に誘ってくれたかささぎさんありがとう!

うん、うん。
俳句ってふしぎだなあと思います。
あの鹿児島のお寺で兜太先生の講演があっていたのを知ったときも、なるほど、と、おもいました。

わたしもらんさんのこの句を見つけて、嬉しかったです。

さとこさん
作品集工場においてきたみたいですが、
高木一恵さんも参加されていましたね。
草相撲の句、さすがだとおもいました。
ジュニアの部がねんねんぶあつくなります。
わたしはピースで写真が撮れない、の、印象深かった。
らんさんはかんがえない、そのままのところから、おくふかくぞうしたものから、かぜがふくようにして句が出来るのだろう。

らんさんは受賞して長崎に行けると思ってたんだって。
来年は行けるよ。

祈念像私はピースで写真を撮れない
荒木諒太 長崎南山高三年

校庭に列の解かるる原爆忌
光藤多恵 愛媛県立松山東高三年

眼裏の海乾きたる敗戦忌
石丸響子 愛媛県立松山東高三年

純白に落ちて広がる黒い影
上野幹生 長崎南山高三年

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