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2015年6月18日 (木)

八女天文歌人 鑑述と鑑実について

新発見!美濃守鑑述と鑑実の関係

   竹橋乙四郎・文
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13世紀なかごろ、大友能直の六男の時景(大和守景直)が一萬田氏を興す。
一萬田氏は、景直-光景-宣景-宣政-真政-貞直-直政-直泰-常泰-親泰-親実-鑑実と続く。
戦国時代初期、一萬田常泰は、大友義長、義鑑、義鎮(宗麟)の加判衆をつとめた。
常泰の孫の親実も宗麟に仕える重臣であったが、天文22年(1553年)、宗隣は親実の妻を寝取り、宗麟の命により親実は切腹となる。
親実の嫡男の鑑実(あきざね)が一萬田家の家督を相続するが、鑑実は宗麟を恨むことなく仕え、鑑実の嫡男鎮実(しげざね)は宗麟の娘を妻とし、鎮実に一萬田家の家督を譲り、鳥ヶ鼻城主(橋爪)を継承して橋爪氏となり、鑑述(あきのぶ)に改名した。鑑実の官途は美濃守。
鑑実は城に住まず、山々を見下ろす景色のいい館に住み、色々な花木を植え育てた。中に「黒染めの桜」という珍しい桜があり、天正初年、宗麟を迎えて二夜三日の大観桜会を開いた。1571年には正月俳諧を興行している。

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八女百首は美濃守鑑述が取りまとめ、読み手のひとりに鑑実がいるが、同一人物くさい。
また、八女百首が詠まれた天文24年は、宗麟が父親を死に追いやった直後であり、その心中や如何に。

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コメント

うらまず、というのはどうなのかな。
かささぎなら恨むし、死んでたたる。

うえつふみ著者の血筋だったのか。
そおりや、たいへんだ。

いつぺんにたくさんの情報、です。
ところで、信仰はなんだつたのだろう。

文中の「鳥ヶ鼻城」を検索してみたら、住所は「大分県由布市庄内町高岡橋爪」でした。
橋爪姓の発祥地?
岩戸山古墳の周辺に局所的に橋爪姓が多いことと橋爪鑑実・鑑述が岩戸山古墳の今伊勢宮を訪れた史実があることも無関係ではあるまい。
おそらく、橋爪鑑実は私のご先祖様。
鑑実・鑑述の和歌が、偶然が重なって450年後の子孫の目に止まったのだとしたら、それは偶然ではなく運命的必然なのかも。

そういうことがあるとおもう。

庄内という地名は湯布院をすぎるころにあったような。
府内、というのもあります。まぎらわし。
二男が入学したときの式での新入生代表が、一万田くんで、さすが地元と思った。ついでに、れんそうげーむみたいですが、
二階崩れの変のほかに、もうひとつ、ながさきかどこかに○○崩れ、という歴史上の事件があったのは、なんだったかなあ。どうしてもおもいだせず、きになってしかたない。

それと、大友能直。このひとがとてもきになります。わたしにとって、このひとは、なんというかな、異能のひと。なぜさんかをたくさんころしたんだろう。。。
あと、橋爪姓できになるのは、日月神事を翻訳したひとです。

上文は現代文で紹介するブログができていた。でもまだよむひまがない。

けっきょく、12年のこよみのずれは、九州年号がべつにあったということなんですかねえ。たくさんの未知の資料がまだどこかにねむっていそうなきもします。
おつしろう先生が何度かかかれていた、俳諧興行って、「1571年には正月俳諧を興行している。
」・・・このことをさすのですか。
もしそれがよめるのであれば、よみたいものです。

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