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2015年5月25日 (月)

鉄都の俳人・青木貞雄追悼

青木貞雄さんを悼む

    中村重義

 青木貞雄さんが亡くなった。永らく入院加
療中のところ、二月二日に永眠された。大正
十五年四月生まれの享年八十八歳であった。

 貞雄さんは、旧制の八幡中学校を卒業して
八幡製鉄(当時は日本製鉄)に入社。主に製
銑部や建設本部に技術者として勤務した。

 建本時代には、まだ国交のなかった中国に
社命で秘かに入国、向こうの担当者と接触し、
現場視察も行なっている。或いは将来の
製鉄所建設を予想しての下準備だったかも
知れぬ。

 また製銑部(溶鉱炉、コークス炉などを統括
する部)時代は、八幡コークス工場長として、
ベンゾピレン公害問題に直面し、対応に
苦慮した。

 溶鉱炉で鉄鉱石を溶かす際の主燃料である
コークスは、石炭を乾留して生成し、骸炭とも
呼び、火力が非常に強い。その生成過程で
出来る芳香族炭化水素で、黄色い結晶のベン
ゾピレンに強い発癌性があるというので、従業
員の一部やマスコミまで巻き込んで大問題に
なったことがある。青木さんは当該工場長と
して誠実に、真摯に対応し、処理した。

 昭和二十六年三月、製鉄所内の俳句団体が
大同団結して「製鉄俳句会」を結成した時、
青木さんも参加し、後に編集委員、選者に
なった。

 溶銑に灼けて明日からストに加はる人ら
 スト明日ベルト静かに秋陽ちらし

 昭和三十一年、三年間の出句の後、細谷源二
の「氷原帯」同人になった。源二の、工場生活に
素材を取った口語的発想の句に惹かれたものと
思われる。

 同じ頃「口語俳句協会」の会員になり、後に
第46回口語俳句協会賞を受賞している。俳句
の口語表現は、青木さんの生涯かけた命題
であった。

 昭和三十四年三月二十一日、同人誌「未来派」
の編集人であった益田清らが呼びかけた
「九州同人誌会議」が、八幡市の製鉄河内寮
で開かれた。長崎から金子兜太、大分から
田原千暉、熊本から窪田丈耳など二十数人が
参集し、席上「九州における現代俳句の推進」
を目標とする「九州俳句作家協会」の設立が
提議され、承認された。発足時会員四十名。

 九俳協の機関誌「九州俳句」が出る前は、
介抱としてB5版の「九州俳協」が出ていて、
その7号(昭36・1月発行)の新入会員の
中に青木貞雄の名がある。

 枯れて黍高し不況の砿山をよそに
    ※砿は一字だと「あらがね」
 雨も鉄色にぬかるんで煙突が見える露路

 その後の青木さんの活躍ぶりは周知の通り
で、「九州俳句」の編集も平成四年二月の
八十五号から、平成十二年八月の一一九号
まで担当している。その他、八幡東区俳句協会会長、
福岡県現代俳句協会副会長などをつとめた。

 平成十年秋、北九州で開催された第三十五回
現代俳句全国大会では、事務局長として運営全般を
つかさどり、堅実な仕事振りで大会を成功に導いた。

 以上、簡略に青木貞雄さんの足跡を辿って
みた。句集に「鉄づくり」「越境」がある。

弔句

 貞雄逝く闇に冬木の芽がひしひし  

         合掌

 (『九州俳句』誌178号より転載)

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