無料ブログはココログ

« 平成26年度厚生統計要覧(19)人口10万対病床数 | トップページ | サイモン・シン、エツァート・エルンスト著 『代替医療解剖』のご紹介 »

2015年5月11日 (月)

大子おばあちゃんのエッセイ『たのしい老後』

たのしい老後

  木附大子

去年の秋、腰を痛めて一月程入院をしました。
退院をした後、市の福祉の方のお世話をいたゞき、
市内の老人介護施設に、デイサービスに通うこ
とになりました。
 初めて行った時、どんなところかと心配しず
い分気をつかいました。
 施設ではまず健康しらべがあります。次に入
浴、リハビリがあります。おひるにはいろいろ
手のこんだ昼食もいたゞきます。
 昼食の後、希望する人はひるねをされます。
きれいな寝具に介護する方がそれこそいたれり
つくせりの世話をしていらっしゃいます。
 午後一時半から体操組、クイズ組に分かれ活
動します。初めての人わあー、と楽しい時間を
過ごします。
 四時近くになると、それゞの車がむかえに来
ます。皆手をにぎりあって、又明日会いましょ
うと別れをおしみます。

  2015・八女市老連広報 第47号より転載

▼転載者あとがき

広報とおなじ改行で転載しました。
一か所、「初めての人わあー、」というところの「、」が、まんなかのたかさに打たれたものでした。これをどうして出せばいいのかわからず、ふつうの句読点にしてしまいました。

きっと意味があったのだろうとおもいます。

木附大子
きつきひろこ

http://article.wn.com/view/WNAT4e3d5a1498393e57ac831ec8263a1716/

毎日新聞のはがき随想で2009年三月月間賞を受賞されています。
それには90歳とありますので、現在は95歳くらいだと思います。

善知鳥吉左の八女夜話

の、夜話 千71 石橋和子の歌二首

この歌人が大子さんの実姉であったと知ったのは最近です。
大子さんの御主人は八女市山内の「童男山古墳」を郷土のたからとして祀ることに情熱を傾けられた木附光雄先生です。徐福研究にその名を遺しておられます。http://jofuku-net.com/modules/db0/index.php?t_m=ddcommon_view&id=346&t_dd=db0_data1

2009-07-12                           344       木附光雄江下淳             「巨石文化と徐福の伝説 童男山古墳」       __       山内町内会       詳細                        
2009-07-12                           345       木附光雄・江下淳             「中国のすぐれた学者 天間独立」       __       山内町内会       詳細

付録)

上記サイトにこんな記事もありました。

徐福の縁で韓国のこぜ市と八女市が姉妹都市に
福岡県八女市のAさんより
2012年5月3日、徐福の縁で韓国巨済市と八女市の姉妹都市の調印が
巨済市で行われましたとの報告をいただきました。

コゼ(巨済)タイムズの記事です。
http://www.geojetimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=64069

八女市では5月30日に調印式が行われるとのこと(※2012年)


今後も徐福の縁の日韓交流に注目していきたいと思います。(引用終り)

(こぜ、という地名に、佐賀の巨勢を連想した。)

« 平成26年度厚生統計要覧(19)人口10万対病床数 | トップページ | サイモン・シン、エツァート・エルンスト著 『代替医療解剖』のご紹介 »

コメント

徐福伝説のあるところは全国各地にたくさん点在している。
だからか、八女のことは関心がありませんでした。
ところが、さっきこれをうちこんで、徐福文献サイトをのぞいていると、おお!ちゃんときつき先生のご研究論文も掲載されている。(文献番号344・345)。
中国の学者、天間独立とは?とすぐさまぐぐると、↓がでます。
とたんに、興味がわいてきました。
それに、です。
石橋秀野研究でであった、故山田みづえ氏のお父上で国文学の権威、山田孝雄(よしお)先生の編による今昔物語(文献番号30)や、つい数日前に乙骨文書がらみで出てきた、新間進一氏のおなまえ(同36、37,38)とも、この徐福文献サイトででくわしたではありませんか。
なんともふしぎだ。しんましんいちの、『宴曲集』巻2、「不老不死」 巻4、「楽府」 巻4、「海辺」 、これらものぞいてみたいものです。

天間独立とは。

独立性易(どくりゅうしょうえき、万暦24年2月24日(1596年) - 寛文12年11月6日(1672年12月24日))は、中国明末に生まれ、清初に日本に渡来した臨済宗黄檗派の禅僧である。医術に長け、日本に書法や水墨画、篆刻を伝えた。

その書の識見は高く中国伝統の本流の書を日本に示し、のちの唐様流行の基となった。また禅僧でありながら文人気質に富み、日本文人画の先駆けとなる水墨画を残している。同じく帰化僧の化林性偀とともに長崎桑門の巨擘と称賛される。篆刻においても日本篆刻の祖として称揚される。

俗姓を戴、諱をはじめ観胤、ついで観辰のちに笠とした。字を子辰のちに曼公。日本で得度した後は独立性易(どくりゅうしょうえき)と僧名を名乗った。荷鉏人、天外一閒人(てんがいいっかんじん)、天間老人、就庵などを号とした。文人・書家などからは戴曼公と称されることも多い。 浙江省杭州仁和県の人。

どくりゅうについて↓

八女市山内の童男山古墳↓

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大子おばあちゃんのエッセイ『たのしい老後』:

« 平成26年度厚生統計要覧(19)人口10万対病床数 | トップページ | サイモン・シン、エツァート・エルンスト著 『代替医療解剖』のご紹介 »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31