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2015年5月 8日 (金)

難病医療費助成制度(1)(2)「難病」とは~がんもぼけも「難病」ではないのはなぜ

        

難病医療費助成制度(1)

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難病の患者に対する医療等に関する法律が本年1月より施行され、新制度となっています。
医療費助成の対象疾病が56疾病から110疾病に、今夏には約300疾病に拡大し、受給者数も約78万人から約150万人へと倍増します。
受給者は、所得に応じて設定される自己負担上限額を超えない額での自己負担が必要となりますが、医療費の2割に相当する額が上限額より小さい場合は医療費の2割が自己負担額となります。
制度変更により昨年までより自己負担上限額が引き上げられる受給者がありますが、上限額と天秤にかけられる額は、医療費の3割額から2割額へと引き下げられています。
自己負担額は、一般所得以上の所得があり長期高額でない受給者の上限額が全体的に引き上げられていますが、高額かつ長期(自己負担が1万円を超える月が年間6回以上)の受給者の上限額については、重度障害者の自立支援医療の上限額とほぼ揃うような見直しがなされています。
重症難病患者が置かれている状態像と重度障害者が置かれている状態像とには、あえて自己負担上限額に差を設けなければならない理由がないからでしょう。
ただし、難病医療費助成と自立支援医療とに所得階層区分の設定方法の違いがあり、難病医療費助成の上限額が比較的低めとなっていますので、上限額と天秤にかけられる額は、自立支援医療(医療費の1割)に揃えず、医療費の2割となっています。
また、昨年までは、外来の限度額と入院の限度額に差が設けられていましたが、これも自立支援医療と揃え、外来・入院の区別を設定しないことになっています。
これらの変更により、低所得階層(昨年まで限度額ゼロ)と重症患者(昨年まで限度額ゼロ)と外来患者の多くの自己負担限度額は引き上げられます。
入院時の食費負担についても、昨年までは自己負担限度額内での負担となっていましたが、自立支援医療と揃え、全額患者負担となります。
自立支援医療と制度設計を揃える方針は平等の観点からリーズナブルではありますが、患者によっては自己負担額が大きく膨れ上がる場合もあるため、既認定者については3年間の経過措置が設けられています。

難病医療費助成制度(2)

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「難病」とは、①発病の機構が明らかでなく、②治療方法が確立していなく、③希少な疾病であって、④長期の療養を必要とするものだとされていますが、これらの条件を満たすにもかかわらず「難病」に指定されていない疾病があったり、「難病」に指定された疾病の中には発病の機構が明らかであったり、治療方法が確立していたり、希少ではなかったりするものがあります。
そのため、特に医療費助成の対象となる「難病」に指定されるか否かによる不公平感があります。
今年より「難病の患者に対する医療等に関する法律」に基づく法的措置として医療費助成制度が再構築されるにあたり、できる限り、同様の立場(状態像)の人々の間に法の下の平等が保たれるようにしなければなりません。
障害者自立支援医療制度と難病医療費助成制度との相違が縮小された所以です。
医療費助成の対象難病は、客観的な診断基準が確立していることが前提となりますが、特に、患者数が希少(人口の0.1%程度以下)であることが条件となっています。
希少疾病は、医療費助成制度によって患者を指定医療機関へ集約することが、治療方法の確立のために必要だからですが、患者数が多い場合には通常医療の中でも研究を推進することが可能です。
患者の状態像では、進行がんの患者と難病患者との違いはありませんが、がん患者には医療費助成制度はありません。
がんは、がん対策基本法のもとで治療研究体制が整えられており、患者数も多いので、あえて医療費助成制度によって治療研究体制を整える必要がないからです。
認知症も、発病機構が解明されているわけではなく、治療方法も確立しているとはいえず、長期の療養を必要とする疾病であるので状態像としては難病患者と同様ですが、患者数が多く、政策課題として対策がとられていますので医療費助成の対象とはなりません。
「難病」に指定されている疾病の中には人口の0.1%超の患者数の疾患がありますが、また、治療によって必ずしも長期療養生活を要しない疾患もあります。
患者間の平等、公平の観点からは、それらの疾患については医療費助成制度の対象から外すべきかもしれませんが、患者数が多いと、既得権を存続すべきとの声が強まりますので、そう簡単に指定を外すわけにもいかないようです。

(保健医療経営大学 学長ブログ転載)

▼かささぎ日誌

あけがた、こわいゆめをみた。
だざいふのゆめ。なんでだざいふなんだろ。しかも、けわしいやま。
断崖があった、やまのまんなかに。
ふみはずしそうで、はしって、よりもどった。

めざめて、ふと机周りをみると、下に一通の封書がおちていた。
だれからのだろうと手に取ると、永井菊枝先生からのです。
そうだった、きくえせんせいは昭和天皇の第一子照宮皇女の養育係のひとりだったひと(本に確認したいが探している時間がいまありませぬ)で、わたしが追いかけていた旧幕臣・乙骨太郎乙の直系子孫である。(数年前におなくなりになった。)
このところ遠ざかっていたが、どうしたんだろう。
と封をあけると、ぱっとめにつく、「敏と寛・晶子」の見出しの随想!
うわあ・・・さくらさん。さくらさんのブログによばれた。
これ、写さねばならないような気がします。
新間進一という人がかかれたものです。(定本上田敏全集、第六巻付録月報7)
菊枝先生の長い手紙とともにでてきました。

いま、ウィキでだしました。このお方です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%96%93%E9%80%B2%E4%B8%80

すみません。本文とまったく異なる内容のことを書いてしまいました。
あまりにもなまなましくて、つい。
どうか、おゆるしください。

それではきょうもがんばって工場にいってきます。
(かささぎ、皇女ではなく工女どすえ。)

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