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2015年4月 5日 (日)

こんなところで、とうみょうじにたぐふとは!

むねなが親王の李花集が読みたい。

岩波文庫、1941年。

手に入らない。

ここで少し読めます。

http://sumus2013.exblog.jp/pg/blog.asp?dif=m&acv=2014-03-01&nid=sumus2013&p=4

写真の頁のなかから一つひろう、

50 梅が香の嵐にたぐふたびごとに人をも花やまたさそふらむ   宗良親王

これをよんで、西行(1118-1190)をおもわずにはおれない。

春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさはぐなりけり  西行

いや、正確に言うと、西行をおもう芭蕉をおもうところの、山本健吉を思わずにはおれない。

八女に無量寿院があること、そこに石橋貞吉(山本健吉)が眠っていること。
健吉秀野夫妻の資料館に「夢中落花文庫」とついているのはそれによる。

そして、石橋貞吉の父祖の地だった奥八女には、むねなが親王(尊澄法親王、1311-1385?) - 天台座主征夷大将軍 の異母弟、かねなが親王(鎮西宮・筑紫宮、1329-1383) - 征西将軍が眠っておられ、親王が兄へおくられた歌二首が李花集には収録されている(という)。

懐良親王を手厚く祀っておられる星野村の大圓寺境内にその碑がある。

日にそへて   遁れむとのみ思ふ身に     いとどうき世のことしげきかな  懐良親王

 

日にそへて・・  段々と日が経つにつれ、この世から逃れたいとばかり思う身に、なぜこうもわずらわしいうき世のことどもがふりかかってくるのでしょうか。

(境内のみごとな筆さばきのいしぶみには、うき世は「浮き世」と、また、「いとど」は「いとゞ」となっています。)

かささぎはここからコピペさせてもらいました。http://kurumenmon.com/tatiarai/takemitu_tatiarai/kikutitakemitu.html

そして、読み進むうちに、思わず「あっ!」と声をあげてしまった。
以下全文引用を許されよ。

また、親王は仏教に対する信仰が篤く、父母に対する孝心を示すものとして残る史料として以下のものが残されている

  • 正平3年(1348)4月、法華経普門品を書写して筑後高良玉垂宮に納めた   
  • 正平24年(1369)8月16日、(父、後醍醐天皇の忌日)法華経を書写して石清水八幡宮に奉納した   
  • 正平24年(1369)5月3日、法華経を書写して阿蘇社に納めた   
  • 正平24年(1369)6月18、豊前大楽寺の般若心経に奥書を加え、これを重宝として門外不出を命じた   
  • <<文中元年(1372)8月、太宰府陥落後、高良山に本営を移したが、2年後の文中3年(1374)8月、菊池武朝、武安らは筑後川を渡って福童原で北朝方と交戦。敗退して、9月17日再び高良山に退く。
    9月には、菊池一族とともに菊池に退却。菊池武光は文中2年に没したと考えられている>>
       
  • 天授4年(1378)3月29日、懐良の母とみなされている「霊照院禅尼」の遠忌に梵網経を書写し、肥前東妙寺に奉納したとみられる  
  • 文中3年10月以降、懐良親王は、下向してきた良成親王に征西将軍の職を譲った。

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コメント

星野へいったのが、調うたまるさん、えめさん(本名は樋口豊子さん)、東妙寺らんさん(旧姓東妙子さん)だったこと。これにもきっと深い意味があったのだね。

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