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2015年3月10日 (火)

水無瀬三吟 百韻のおもて八句を写す

水無瀬三吟「賦何人連歌」~
     後鳥羽院二百五十回忌を修して

発句  雪ながら山本霞む夕べかな  宗祇

 脇      行く水遠く梅匂ふ里    肖柏

第三  川風に一群(ひとむら)柳春見えて  宗長

 四      舟差す音もしるき明け方   宗祇

 五  月は猶(なほ)霧り渡る夜に残るらん 肖

 六      霜置く野原秋は暮れけり    宗長

 七  鳴く虫の心ともなく草枯れて   宗祇

 八      垣根を訪へば露(あら)はなる道 肖

長享ニ 年 (1488)正月二十二日
於・京都

宗祇(応永21年、1421)はこのころ六十八歳。
肖柏は嘉吉三年生まれ(1443)夢庵肖柏ともよばれる。46歳。
(夢庵。。。筑紫広門とおなじだ、広門のは法名だけど)
宗長1448年文安5年) - 1532年4月11日天文元年3月6日))は室町時代後期の連歌師。41歳。

どこでまいたのかな。みなせ宮?
しらべると、「応仁の乱の後の荒廃した京の都で作られた」。↓。
とてもくわしい。http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/minase2.html#a

かささぎの写した作品は『次世代の俳句と連句』大畑健治著(おうふう)所収のものです。

まいあさ写していた学長ブログ、お休みです。
心配です。

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コメント

この連歌がよまれたところがかささぎにはまだよくつかめていません。単に京都とかいたけれど。
ばくぜんと、水無瀬宮でよまれたんではとおもっていた。で、その水無瀬宮とは調べたら大阪にあるんだよね。うーん。わからん。
後鳥羽院の離宮としかわからず。
しかして、離宮とは天皇の別荘。
と書くのは簡単だけど、後鳥羽院は隠岐でなくなったんだし、水無瀬宮はもと法華院だったところをどうのというし、きちんと調べなきゃわからないな。
なんかしらんけど、ウイスキーの山崎ブログにでてきたりして。↓

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