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2015年1月31日 (土)

国東塔と天沼俊一

鎌倉時代後期の弘安6年(1283年)の銘がある岩戸寺の国東塔が在銘最古のものであり、以降、南北朝時代室町時代を経て、江戸時代に至るまでの様々な時代の国東塔が確認されている。国東塔が造られた目的は、納経、家門の繁栄祈願、墓標、逆修(死後の冥福を祈って仏事を行うこと)などのためとされる。

国東塔の総数は約500基といわれ、その分布は大分県内北部から西部にも及ぶが、約9割が国東半島に集中している[1]

国東塔という名は、京都帝国大学天沼俊一が1912年(明治45年)に富貴寺大堂の修理に国東半島を訪れた際に、一帯に特異な形式の宝塔が分布していることを知り、地名に因んで名づけたものである。 地元古老には『いぐりんさん』と呼ばれている。

以上、国東塔の説明ウィキから。

富貴寺の国東塔がいつのものかを知りたい。
どこにもかいてありません。(室町時代、だって。)

国東塔の名付け親、あまぬましゅんいち。
しらべました。えらいひとでした。

明治大正時代に活躍した建築家。
ほかにも本能寺を再建している。
本能寺、何度か焼けたのですね。
そのことを紹介した記事がとっても素晴らしい。

ここです。http://flattravel.blog.fc2.com/blog-entry-149.html

蟇股、ひきまた、ってよむのかな。
寺院建築の細部の意匠のひとつで、こんなのだそう。

本能寺本堂

(引用はさっきのブログ記事です)

たしかに、かえるの股。

そうか、こういう細部をみてこなきゃいけませんね、寺院や神社をみるとき。

国東塔、ふきじのものはいつのものか、写真はとってきたけど、塔に近づいて、字が刻印されてるか確かめませんでした。

ところで、湯布院のみやげものやさんに、カエルの体育座りをしているちいさな人形がありました。

かわいくて、なごみました。

 

ウィキ体育座りhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E8%82%B2%E5%BA%A7%E3%82%8A

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