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2014年12月 4日 (木)

歌仙『枯野に在れば』 満尾

歌仙「枯野に在れば」

  (現代仮名表記)

冷蔵庫枯野に在れば口開けて  谷口慎也
  町騒(まちざい)つれてくる油売り 姫野恭子
玉砂利は踏まれて時を刻むらん   東妙寺らん
  国旗掲揚国歌斉唱        青翠えめ
月淡しサンゴの海を映しおり     八山呆夢
  群れる蜻蛉は三方に散る    中山宙虫


渋滞の飯田高原山紅葉      山下整子
  彗星めざし旅立つ朝(あした) 竹橋乙四郎
画廊にて君に似し絵を見つけたり 田中昭子
  靴ひも結ぶ指の細さよ         慎
あヽ、次もきっと女に生まれたし     整
  風に吹かれてふらりと海辺      虫
夏の月皿に盛るにはちょうどよし     慎
  居酒屋「兆治」で呷(あお)る冷酒   えめ
そこそこに不幸であって仕合わせで   整
  デングもエボラも余所事(よそごと)のよう 乙
花の昼車椅子押す坂の道     昭子
  おたまじゃくしがうじゃうじゃうじゃじゃ 虫

名残おもて

永き日のひとつでありぬ古本屋  慎
  傭兵志願の若者がいて     整
陳列の環頭の太刀忘れられ    乙
  ダムは優しい音をとどめる   虫
侘助が一輪咲いて恋始め     らん
  雪の重みにしなる竹垣     乙
私にいまだあなたが触れぬ処   虫
  シグナルの先遠き山々    昭子
母いだく内蔵助とう猫の骨     らん
  観音講に集う嫁達      えめ
月仰ぐ七支の槍は鈍色に    乙
  だいがくいもとりんごがあるよ!内村昌達

名残裏

初収穫光ってゆれるオリーブの実 内村英理子
  小高い丘と磯の香りと        整
廃駅のあとは鉄道記念館        虫
  ビートルズばかり流すDJ      恭
花万朶象はそろりと歩みおり    慎
  新入生はえみをうかべて    内村真豊

捌留書

座での句とまるまるさしかえたのは、そらんさんの名残の恋。
眼光が濡れればおんな濃くなりぬ(元句)
初折恋にやましたせいこの女句が強い調べででていた。
座では
眼光が濡れればまよい濃くなりぬ
としてとっていたが、元句のいわくいいがたい色気から遠ざかる。
どうするどうする。
当日これなかった八山呆夢の感想のなかに、恋が弱いとあった。
元句にもどすかまるごと差し替えるか。
というとき、ちょうどその時点で、おもて六句をあらかじめ文音でまくので参加しませんかと呼びかけていたにゅうよおくのぽぽなさんから、選句と第三のつけをもらった。
という運びです。
ぽぽなさんはツイッタ―の高速社会でも乗れる若さがあります。
そこで、渡りに船とばかり、そのとっても重要な恋の座をうめてくれませんか。とたのんでみたのですが、
すみません。もうおわっていたのですね。ごめんなさい。と、無礼をわびることばをのべられました。
そのことばに、とっても感心したかささぎ。
ぽぽなさんはきっちり自分の連句の「おもてぶり」への考えを作品をあげることによって、示していってくれたのですよね。そこがとってもありがたかった。
そして、中山宙虫は一心に付け直しをしてくれていた。
これにきめた。

私にいまだあなたが触れぬ場所

場所を「処」にかえて、いただく。

おりぐちしのぶになかったかしら。処女論。

漢語の「処女」の「処」は「居る」の意味であり、本来は「結婚前で実家に居る女性」という意味であった。当時の中国の社会通念として当然ながら処女は「性交の経験のない女性」という意味にもなるが、こちらは引伸義(転義)である。なお、英語: virgin ドイツ語: Jungfrau 等のヨーロッパ語は本来「若い女性」という意味合いを持つ。

  • 故事成語「始めは処女のごとく、後に脱兎のごとし」『孫子』より

白川静の説によれば、さらに古くは、処女は聖所を指す「処」に仕える年齢に達した女性の意という。

かささぎは今年、八女の星野・黒木にゆかりの僧、行空をしらべておられる水月さんにたくさんのことを学びました。その学びにおいて、失礼をしたと心苦しいのは、水月さんの論文の行間とか余白とか、まるで連句をよむように、自己中心的なよみをしていたことです。
しょうじきにいきれば、じぶんの手におえないものへはそういう姿勢になる。
夫婦でも恋人でもともだちでも、触れられぬところが必ずある。
口にしようがしまいが。
それは聖なる処だろう。

式目はだいじだが、かざりみたいなものでもある。
つねに本質は行間、ないところにある。

さいごに、谷口慎也の匂いの花、花咲いてを一直した。

花万朶、どの枝にも花が咲いていることです。
花の雲か、はなばんだか、まよったが、谷口慎也は万朶だ。

なぜか「て」が多い巻でしたね。

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コメント

やっと満尾。
恋句とはなんぞや。
ありとあらゆるミステリーやらハードボイルドやらSFやら思い浮かべながらの日々どした。
ドラマチックにはいかないが、どこかにラブロマンスや演歌やら。
みんなの頭は引きずられてゆく。
それが恋句。
まこと日本語を知らなければできないものなのかもしれない。
みなさん、おめでとう!
かささぎも立派どした。

改めて、満尾おめでとうございます。
恋句のそらんさん、お見事です。
かささぎさんも、忙しい中、きちんと巻き上げてくださって、ほんとうにお疲れ様でした。

ぽぽなさんの参加がもう少し早ければ、また違ったものになっていたでしょうね。
豪華なメンバーに、身ぶるいがする思いです。

そらんさん、ぼんさん、どうもありがとうございました。ぼんの恋句も、だしてもらえばよかった。
また、谷口慎也(えらいひとはよびすて)にも何かだしてくださいというべきだった。つつましやかな指の一句がでただけでした。

れぎおんが在れば、掲載してもらえたでしょうが、。
前田先生にべったりとくっついていた日々。
連句の一からおしえてもらったんだなあと有難い思いでいっぱいです。
谷口先生の殴られ強さをおそるおそる確かめながら、さいごのさいごで、ちょこっと花の句に、きれめをいれました。すみませんでした。
してみると、連衆の暗黙の了解ぶぶんはずいぶんでかかったんだなあ。

やっぱ紙にして、連衆には配布すべきだよ。次にもつながるでしょ。
ネットで横書きはやはり気分ではない。
れぎおんがなけられば自分で形に。
最低、初参加の二人にはとめがきつけて送ったら?

そらんさん

そうしますね。ご心配おかけします。

同じ隣り組の同じ姓の一人暮らしのお婆さんが亡くなりました。かつて、寺田村には姫野と古園井の一族しかいなかったことを覚えている者としては、お通夜と葬儀にでました、親戚ではないが、昔は一族だったのかも。身寄りの少ないかたでした。
そこで久々にたからさんに会い、また、浄徳寺のお坊さまにもあう。浄徳寺の、わかいころにお世話になったご院家さんが亡くなったそうで、お悔やみにも行かねば。
それはそれとして、今からいとこの娘の結婚式にでます。
久留米朝妻の式場。多忙なんだけど、みたかった寄生獣、一人で今観てきたところ、これから式場にむかいます。
コメントに気付かず、おくれてすみません。

追伸、
寄生獣、観るべし。
二十年前のがなぜ今なんだろうに答えてくれる。

永き日のひとつでありぬ古本屋  慎

これ。いい句でしたね。しみじみ。

隅々まで夕陽差しこむカステラ屋 橋本七尾子

この句と同じ配電図の句だと思いました

ところで、竹はしなるが竹垣はどうかと疑問をだく。
八女しに竹の専用レーンあるんで、びっくりしました。

編み込んだ竹垣はしなりませんね。
竹の生け垣だとしなるかも。

雪の重みにしなる青竹

青竹は伐採した竹のことらしい。しならない。
唐竹(からたけ)ならしなりそう。
生け垣には唐竹も好まれるらしいので、竹垣でいいかも。

あれ?また迷ってる?

しなる竹垣は、あの時、微妙に感じた。
恋だからしなるでつなぐ。
ってことかな?と思った。

恋句としては抑えがきつい。恋始めから続くには淡さから抑圧と流れて解放されない不満が残ってる。
あとで恋句付け替えたときの僕の感覚だけど。

雪の重みにしなる竹林

としたほうが竹に艶を感じると思うけど。

青竹、いいですね
徳島の豪雪で竹のトンネルができていた、すごいなあ、あの渾身のしなり。
竹は春と秋が逆だから、青竹もあるだろうと

詩として立つかどうかが大事、理屈やらかましまへん。
と、けえこ師ならおっしゃるでしょう。
青竹だと若さがでますね、あおはるみたいに

恋句と理屈で一句なしたひとがいます
私の句が理屈っぽかったのでしょう、それを受けて、

恋人の屁理屈ねこで埋めよう さとこ

う。
さすが鍬塚さんでした。
鮮やかなまま、いまも残っている。

そらんさんのコメント、今よみました。なるほど。
きのうは私の作業班のなかで私だけが残業で、その前の休憩jにここを開いた。

なげこみの月、という月のあげかたがあります。
一句のなかではとりたてて月があがる必用もないのに、全体の構成(式目)上、月をいれること。
それと似ていたんだなあ、とおもった、乙四郎コメント、そらんコメント、そしてさばきコメントをよんで、つらつら感じたこと。
元の句の竹垣、理屈ではへんなんだけど、らんさんの前句の詩情世界にはぴたりとついていたんですね。なぜかというと、侘助が茶道でよくつかわれる花だからだし、そんな世界をいろどる和のすまいの背景に生垣があるから。だから、しなるのは竹なのですが、字数をおぎなうため垣をなげこんだ。なげこみのかき、みたいにです。

あおたけだとあおたけふみみたいに、健康でつよく(少年みたい)だし、竹林だとたおやかできれいで女性的、しかし、どちらも前句のわびすけと並ぶ、植物。となりどうしであるので構わないのですが、あのとき咄嗟についた句をそのまま残そうとおもいました。意外と咄嗟ってのはすごいんだなとかんじる。

以下、八女市のほーむぺーじです。つけておきます。しらべてかかれている。↓

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