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2014年11月23日 (日)

歌仙『枯野に在れば』

歌仙「枯野に在れば」

冷蔵庫枯野に在れば口開けて  谷口慎也
  町騒(まちざい)つれてくる油売り 姫野恭子
玉砂利は踏まれて時を刻むらん   東妙寺らん
  国旗掲揚国歌斉唱        青翠えめ
月淡しサンゴの海を映しおり     八山呆夢
  群れる蜻蛉は三方に散る    中山宙虫


渋滞の飯田高原山紅葉      山下整子
  彗星めざし旅立つ朝(あした) 竹橋乙四郎
画廊にて君に似し絵を見つけたり 田中昭子
  靴ひも結ぶ指の細さよ         慎
あヽ、次もきっと女に生まれたし     整
  風に吹かれてふらりと海辺      虫
夏の月皿に盛るにはちょうどよし     慎
  居酒屋「兆治」で呷(あお)る冷酒   えめ
そこそこに不幸であって仕合わせで   整
  デングもエボラも余所事(よそごと)のよう 乙
花の昼車椅子押す坂の道     昭子
  おたまじゃくしがうじゃうじゃうじゃじゃ 虫

名残おもて

永き日のひとつでありぬ古本屋  慎
  傭兵志願の若者がいて     整
陳列の環頭の太刀忘れられ    乙
  ダムは優しい音をとどめる   虫
侘助の一輪咲いて恋始め     らん
  雪の重みにしなる竹垣     乙
眼光が濡れれば惑い濃くなりぬ 虫
  シグナルの先遠き山々    昭子
母いだく内蔵助とう猫の骨     らん
  観音講に集う嫁達      えめ
月仰ぐ七支の槍は鈍色に    乙
  だいがくいもとりんごがあるよ!内村昌達

ナウ

初収穫光ってゆれるオリーブの実 内村英理子
  小高い丘と磯の香りと        整
廃駅のあとは鉄道記念館        虫
  ビートルズばかり流すDJ      恭
花咲いて象はそろりと歩みおり    慎
  新入生はえみをうかべて    内村真豊(まとよ)

とき・平成26年11月22日(いいふうふの日)
9時半~2時半
ところ・みやま市保健医療経営大学第四講義室

客人

谷口慎也《大牟田市在住俳人》
田中昭子《福岡市在住俳人》
内村英理子(うちむら・えりこ)
内村昌達(うちむら・しょうたつ)
内村真豊(うちむら・まとよ)

連衆 亜の会

東妙寺らん(とうみょうじ・らん))
八山呆夢(はちやま・ぼん)
青翠えめ(せいすい・えめ)
山下整子(やましたせいこ)
竹橋乙四郎(たけばしおつしろう)
中山宙虫(なかやまそらん)

捌  かささぎの旗 姫野恭子

▽ことば抄

町騒(まちざゐ)、
街騒。潮騒の派生語と思われる。辞書にはなかろう。
数年前、歌人山下整子より教わり知った新しいことば。

油売り(あぶらうり)
ここでは灯油売り、車に乗って軽快な音楽を流しながら来る。
ロバのパン屋さんみたいな。広川町、久留米市内でみられる。
八女ではまだみない。(ふつうに配達してくれますが。)
これは全国展開しているのだろうか。しらべると、あった。
あまりにありすぎて、どれをとろうかまよった。http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RAzKwZzXBU_SEAxguJBtF7?p=%E6%B2%B9%E5%A3%B2%E3%82%8A&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=
油売り;

近世、灯火用の油を売り歩いた商人。
怠け者。
派生語:油を売る
油を売るとは仕事の途中で無駄話をするという意味で江戸時代から使われた言葉である。これは江戸時代の油売りが客のところへ油を届けに行った際、客の枡に油が垂れ終わるまでの時間を客との雑談で繋いでいたためである。現代ではこれが転じ、仕事や頼まれたお使いの途中に喫茶店、パチンコへ行くなどの寄り道に対しても油を売るが使われる。
飯田高原(はんだこうげん)::阿蘇九重
映画「居酒屋兆次」1983年高倉健主演
http://movie.walkerplus.com/mv17194/
(つづく)後日かきたします。おつかれさまでした。
夏の月皿に盛るにはちょうどよし   慎也
空虚なのに、さっぱりとした諦念。強がりともとれる。
うちこしのそこそこの不幸が仕合わせでもあるという述懐句とみごとに観音開きであるのだが、さばきはそれもまたよしとした。というのも、どちらの句にもぐっときたからで。
前田先生の、「これこれ。一句に惚れるでない」という声がしますが。
彗星めざし旅立つ朝(あした) 竹橋乙四郎
飯田高原によく付いている。そんな高揚した気分をもたらす土地です。
八女学院は夏にここで合宿をしていました。
画廊にて君に似し絵を見つけたり 田中昭子
彗星をおっかけるように、あこがれの人をおもう。そのおもいの一句。
竹橋乙四郎、今回はさばき助手をつとめてくれました。
次回はさばいてもらいましょう。
その乙四郎付句、なごりのおもてで、二個の武器が出ています。
一個目、かんとうのたち。わっかがついた古い太刀。
八女の岩戸山古墳蔵。これについての資料、カラーで刷ったものをいただいたのですが、帰ってみるとありません。かえせーもどせー。まだ読んでいません。
二個目、七支の槍。元句は、荒木田守武の句の引用でした。
これもどうしてもここに出したかったのでしょう。
句もいま、でたかったのでしょう。
その資料、こないだ『時間学』研究会で発表されたものだそうですが、これも、読めていません。もらったはずが、ありませぬ。
学長ブログで詳しく書いてくださいませんか。
だってさ。みんながしらない歴史だもの。
あっとおどろくためごろうなはなしがまだたくさん眠っているに違いない。
永き日のひとつでありぬ古本屋  慎
この句、季語がいきているとおもった。
ゆったりとすぎていくとき。
古本屋ですごすひとときを愛おしむ。
永き日という季語が古本屋とおなじ価値で並ぶので、まるでその逆の短い青春のひかりを追憶しているかのような叙情がみえてきます。ふしぎですね。古さはあたらしさ。
これにつくに、傭兵志願。ニュース時事句ですが、若者がぴたっとついた。
連句、接着剤はそのとき背景にある風俗であることが多いですね。
そこがおもしろい。歴史がまなべるから。

陳列の環頭の太刀忘れられ    乙
  ダムは優しい音をとどめる   虫
中山そらんをうまいなあと感ずるのは、このような句が突然出るから。
前句との距離もふくめて、名句だとおもう。そらんさんにしかかけない。
内村おかあさんと幼い姉弟のだしてくれた三つの句、ぴかぴかです。
とくにまとよさんの句は、挙句になりました。
名誉なことなのです。
だいがくいもとりんごがあるよ!内村昌達

ナウ

初収穫光ってゆれるオリーブの実 内村英理子
  小高い丘と磯の香りと        整
廃駅のあとは鉄道記念館        虫
  ビートルズばかり流すDJ      恭
花咲いて象はそろりと歩みおり    慎
  新入生はえみをうかべて    内村真豊

花前句、鳥が出ていなかったので、カササギの子をだそうとしましたが、挙句が捨てがたく、ビートルズに差し替えました。
ビートルズを生んだリバプールは炭鉱の町、谷口慎也を生んだ大牟田に通じます。
その燃える石を燃やして機関車が走り、黒人奴隷がアメリカにうられていった。
労働者階級のこどもたちがそのアメリカ黒人のブルースに影響をうけて六句じゃなかったロックミュージックをうみだし。。。。という歴史を池上彰さんからまなんだばかりで。
谷口先生の匂いの花は、八女の幼稚園で春の遠足にいく、延命公園のことみたい。
新入生はみな、にこにこ。
そのなかに、たにぐちしんやくんやたなかあきこさんもいます。

ご参加くださって、ありがとうございました。

刺激的でした。
根本から揺さぶられた気がします。

まだよくわからないことがあるのですが、それはそのままにしましょう。

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コメント

今フェニックス号の車中、周りはカーテン閉めて寝入ってる大学生やサラリーマンばかり。
読むのもないんで、昨日のことを。

発句の冷蔵庫は氷室と同じ扱いで夏の季語、だけどメインは枯野なんで構いません。どうも谷口先生はわざとそういうネタを詠まれてたみたいですね。
私は谷口先生へ九時半と案内してましたので、九時十分ころに着きました。最初にみえたのが、客人の先生で、ポスター貼りや机と椅子の移動を手伝ってもらう羽目に。
やがて乙四郎先生が、秋の月はサンゴでしょうと言いながら入ってみえました。
ぼんさんがこれないから、事前に出してもらったのに、取らなきゃダメでしょう、と。ほんまにね。
国歌国旗にビビるそらんさんも、サンゴだけで沖縄の基地問題を想起するかささぎも、同じ穴のむじなだった、
乙四郎も谷口慎也も、はるかに自由に徘徊しとる。

まず、そこを書いておかねばと思ったよ。
えめさん句は、だから、すごいリトマス試験紙だったわけ。

満尾、おめでとうございます。

外せない用事が出来て欠席いたしましたが、表に取っていただき、ありがとうございました。
道中、気になって仕方がありませんでした。
夜、携帯から検索して、つながったと思ったのに、自分の不注意で分からなくなってしまって、巻き終えた歌仙を見られませんでした。

やっと今見ることができました。
谷口先生にお会いできなくて、とても残念に思いましたが、またつぎのきかいがあることをしんじて・・・。
お疲れ様でした。

ぼん
お疲れ様です
サンゴの月は純然たる叙景句ですよね。
刺激的で試されるおもてロックでした。

(娘夫婦、披露宴をしていなかったのですが、晴れて本日、叶いました。とても嬉しいです。)

まあ!良かったね宮崎のご両親もお喜びの事でしょうね。23日大安吉日だったね、ばあちゃんも行けたのかしら話いろいろ聞かせて下さい

かささん

それはそれはおめでとうございます。お天気も良かったし、無事に親の務めも果たせましたね。

楽しいお話、聞かせてくださいね。

らんさんぼんちゃんありがとうございます。

母が楽なように高速バスにしてくれたのがよかった。ミヤザキ、遠い。
バスは一度階段をのぼるだけですみました。

あたたかい人情、ゆきとどいたおもてなし、それに都井岬の野生馬と灯台につれていってくださった。
あちらのおばあさんには自然とあたまがさがった。
また、一生分のえびをたべさせてもらいました。

田中昭子さんの所属誌だった「桃子集」主宰の中村祐子先生が師事しておられた今村俊三の俳句について書かれている記事をみつけました。

今村俊三ときいて、わたしは今村冬三を連想しました。また記事をかかれた吉野裕之から吉野裕を連想した。いやすみません。今村冬三先生から石橋秀野をつうじて、吉野裕の詩についての本をいただいたからです。

すみません。字をまちがえました。吉野弘でした。

ことしなくなったのですね。

吉野 弘(よしの ひろし、1926年(大正15年)1月16日 - 2014年(平成26年)1月15日)は、日本の詩人。

挙句を小学生のまとちゃんに奪われた還暦ものです。
それにしても、まとちゃんはコツをつかんでる。
いかにも、挙句らしい句だと思いませんか?
これならだれも文句は言えないなあ。

大切なことを書きそびれた。

学長、いつものことながらお世話になりました。
そらんさん、参加してくれて感謝。
エメさん、家族を誘ってくれてありがとう。
きょうこちゃん、なにからなにまで、あまえてごめん。

みなさん、ほんとに、ありがとうございました。

まとよちゃんはまとを得るなり。

今から弁当をつめます、おでんがにえるころだ。

まとよちゃんのあげく、ほっくとおなじとめかたで、とおりんね。
学長から、会費のほかに、せんえんうけとったけど、あれははて、なんの千円だったのだろう。
ことし出されてないでしょう。声かけなかったもの。
来年のおうぼ用にあずかっておきます。

とおりん
遠輪?

発句と同じて止めでしたね。
遠く響き合う。

谷口慎也さんへの想いは、やはりかささぎのからまわりのような。
俳句と連句、分かれて久しい。
慎也さんは別に発句の形式で俳句を作ったことないのかもしれないよ。
そんなの慎也俳句には必要ないし。

と思いながら聞いていた。

まあ、次があれば次の機会に聞いてみましょう。

はつ雪のことしも袴きてかへる
  霜にまだ見るあさがほの食(めし)

述懐の発句で始まっている冬の日第二歌仙。
まったくかまえていません。日常のくらしぶりをよんでいる。
第三歌仙になるともっと卑俗、
炭売りのおのがつまこそ黒からめ  
  ひとの粧ひを鏡磨寒(かがみとぎ・さむ)
この脇句のいみは、ひとのけはひのために鏡砥ぎはきょうも寒いのにはたらくことよ。だって。

谷口慎也の発句も、この線上にあるんだと確信。
そしてかささぎが漠然ともとめているのは、ひょっとしたら連歌の発句みたいなものかもしれない。
ことばにできない。

せいちゃん、遠輪廻です。
発句と挙句がとおくひびきあうこと。
人によってはそうでなきゃいけないという連句人もあるらしい。(大畑健治の連句の本)

芭蕉の七部集、こんなにリアルに感じたことはありません。
荒木田守武が切り拓いた。

本文とめがき、かきたしました。
みやざきいきがはいっておそくなり、もうしわけない。これでねむれます。

濡れタオルふいに男が濃くなりぬ
導かれ鳴き声濡れる夜のしじま

濡れゆけば男くすぐる声で鳴く

濡れゆけば籠に飼われる鳥になる

濡れゆけば籠に飼われる鳥となる

影濃ゆき貴方の胸でたたむ羽根

まぐわひのしづかなるあめ居とりまく
花の夜や異国の兵と指睦び

鈴木しづ子のこれらの名句。
それを唐突におもいだした。

まぐわひのしづかなるあめ居とりまく

は、乙四郎のしづかな景の短句に通じている。


侘助の一輪咲いて恋始め     らん
  雪の重みにしなる竹垣     乙
眼光が濡れればおんな濃くなりぬ 虫

これが元句だった。
ところが、「おんな」という強いことばは前のほうに漢字表記で一度でている。そこでその部分をさしかえようと「痛み」あるいは「まよい」という言葉をさがしてきたのでしたね。
さて、濡れるということば。
さんずいがなかったら、需要のじゅ、求めるという意味のことばです。本(もと)をもとめる。
そぼつ、というのが本来の濡れるのよみらしい。
濡れるという言葉自体にエロスがあり、重たい。
こないだ、前田圭衛子師の恋句、

逢いみてののちの心はルンルンルン

というのを紹介しましたが、本歌取りでありつつ、あっけらかんと身軽で爽快です。

逢ひ見ての後の心に比ぶれば 昔は物も思はざりけり

和泉式部ではなくて権中納言敦忠でした。

この血続きの和歌に、まつよいのこじじゅうのエピソードがあります。それをそのまま引用しますと、

さて大宮に仕えている女房に、待宵の小侍従(まつよいの こじじゅう)という者がいました。
この女房が待宵の小侍従と呼ばれるようになったいきさつは、ある時、御所で「恋人の訪れを待っている夕べと、逢瀬を終えた恋人が帰っていく朝と、 どちらが趣深いでしょうか」というお題に、女房は答えました
待つ宵の ふけゆく鐘の声きけば かへるあしたの 鳥はものかは
(恋人を待って次第に夜が更けていく中に鐘の音がしみじみと響く切なさに比べると、 朝聞く鳥の声などたいした悲しさではないと思えます)

これによって、「待宵の小侍従」と呼ばれることになったのです。

引用終り。

ということで、。
そらんさん、たくさんだしてくださった句のうち、恋の濃さはいずれにありや。みなさんのお考えもおきかせください。
さしかえるとき、あとにつづく句も考慮にいれなければなりません。

まぐわひのしづかなるあめ居とりまく

これが覚えようとしなくてもこころに刺さってのこるのは、なぜだろう。
マグワイという俗語、それをおおう雨。
なにより「居(きょ)」ただ一文字の漢語が一句を梁のように支える。きょは虚でもあるか。
熱情というより虚心坦懐というような。

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