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2014年11月29日 (土)

『枯野に在れば』名残おもての恋句

コメント

今フェニックス号の車中、周りはカーテン閉めて寝入ってる大学生やサラリーマンばかり。
読むのもないんで、昨日のことを。

発句の冷蔵庫は氷室と同じ扱いで夏の季語、だけどメインは枯野なんで構いません。どうも谷口先生はわざとそういうネタを詠まれてたみたいですね。
私は谷口先生へ九時半と案内してましたので、九時十分ころに着きました。最初にみえたのが、客人の先生で、ポスター貼りや机と椅子の移動を手伝ってもらう羽目に。
やがて乙四郎先生が、秋の月はサンゴでしょうと言いながら入ってみえました。
ぼんさんがこれないから、事前に出してもらったのに、取らなきゃダメでしょう、と。ほんまにね。
国歌国旗にビビるそらんさんも、サンゴだけで沖縄の基地問題を想起するかささぎも、同じ穴のむじなだった、
乙四郎も谷口慎也も、はるかに自由に徘徊しとる。

まず、そこを書いておかねばと思ったよ。
えめさん句は、だから、すごいリトマス試験紙だったわけ。

満尾、おめでとうございます。

外せない用事が出来て欠席いたしましたが、表に取っていただき、ありがとうございました。
道中、気になって仕方がありませんでした。
夜、携帯から検索して、つながったと思ったのに、自分の不注意で分からなくなってしまって、巻き終えた歌仙を見られませんでした。

やっと今見ることができました。
谷口先生にお会いできなくて、とても残念に思いましたが、またつぎのきかいがあることをしんじて・・・。
お疲れ様でした。

ぼん
お疲れ様です
サンゴの月は純然たる叙景句ですよね。
刺激的で試されるおもてロックでした。

(娘夫婦、披露宴をしていなかったのですが、晴れて本日、叶いました。とても嬉しいです。)

まあ!良かったね宮崎のご両親もお喜びの事でしょうね。23日大安吉日だったね、ばあちゃんも行けたのかしら話いろいろ聞かせて下さい

かささん

それはそれはおめでとうございます。お天気も良かったし、無事に親の務めも果たせましたね。

楽しいお話、聞かせてくださいね。

らんさんぼんちゃんありがとうございます。

母が楽なように高速バスにしてくれたのがよかった。ミヤザキ、遠い。
バスは一度階段をのぼるだけですみました。

あたたかい人情、ゆきとどいたおもてなし、それに都井岬の野生馬と灯台につれていってくださった。
あちらのおばあさんには自然とあたまがさがった。
また、一生分のえびをたべさせてもらいました。

田中昭子さんの所属誌だった「桃子集」主宰の中村祐子先生が師事しておられた今村俊三の俳句について書かれている記事をみつけました。

今村俊三ときいて、わたしは今村冬三を連想しました。また記事をかかれた吉野裕之から吉野裕を連想した。いやすみません。今村冬三先生から石橋秀野をつうじて、吉野裕の詩についての本をいただいたからです。

すみません。字をまちがえました。吉野弘でした。

ことしなくなったのですね。

吉野 弘(よしの ひろし、1926年(大正15年)1月16日 - 2014年(平成26年)1月15日)は、日本の詩人。

挙句を小学生のまとちゃんに奪われた還暦ものです。
それにしても、まとちゃんはコツをつかんでる。
いかにも、挙句らしい句だと思いませんか?
これならだれも文句は言えないなあ。

大切なことを書きそびれた。

学長、いつものことながらお世話になりました。
そらんさん、参加してくれて感謝。
エメさん、家族を誘ってくれてありがとう。
きょうこちゃん、なにからなにまで、あまえてごめん。

みなさん、ほんとに、ありがとうございました。

まとよちゃんはまとを得るなり。

今から弁当をつめます、おでんがにえるころだ。

まとよちゃんのあげく、ほっくとおなじとめかたで、とおりんね。
学長から、会費のほかに、せんえんうけとったけど、あれははて、なんの千円だったのだろう。
ことし出されてないでしょう。声かけなかったもの。
来年のおうぼ用にあずかっておきます。

とおりん
遠輪?

発句と同じて止めでしたね。
遠く響き合う。

谷口慎也さんへの想いは、やはりかささぎのからまわりのような。
俳句と連句、分かれて久しい。
慎也さんは別に発句の形式で俳句を作ったことないのかもしれないよ。
そんなの慎也俳句には必要ないし。

と思いながら聞いていた。

まあ、次があれば次の機会に聞いてみましょう。

はつ雪のことしも袴きてかへる
  霜にまだ見るあさがほの食(めし)

述懐の発句で始まっている冬の日第二歌仙。
まったくかまえていません。日常のくらしぶりをよんでいる。
第三歌仙になるともっと卑俗、
炭売りのおのがつまこそ黒からめ  
  ひとの粧ひを鏡磨寒(かがみとぎ・さむ)
この脇句のいみは、ひとのよそほひのために鏡砥ぎはきょうも寒いのにはたらくことよ。だって。

谷口慎也の発句も、この線上にあるんだと確信。
そしてかささぎが漠然ともとめているのは、ひょっとしたら連歌の発句みたいなものかもしれない。
ことばにできない。

せいちゃん、遠輪廻です。
発句と挙句がとおくひびきあうこと。
人によってはそうでなきゃいけないという連句人もあるらしい。(大畑健治の連句の本)

芭蕉の七部集、こんなにリアルに感じたことはありません。
荒木田守武が切り拓いた。

本文とめがき、かきたしました。
みやざきいきがはいっておそくなり、もうしわけない。これでねむれます。

濡れタオルふいに男が濃くなりぬ
導かれ鳴き声濡れる夜のしじま

濡れゆけば男くすぐる声で鳴く

濡れゆけば籠に飼われる鳥になる

濡れゆけば籠に飼われる鳥となる

影濃ゆき貴方の胸でたたむ羽根

まぐわひのしづかなるあめ居とりまく
花の夜や異国の兵と指睦び

鈴木しづ子のこれらの名句。
それを唐突におもいだした。

まぐわひのしづかなるあめ居とりまく

は、乙四郎のしづかな景の短句に通じている。

侘助の一輪咲いて恋始め     らん
  雪の重みにしなる竹垣     乙
眼光が濡れればおんな濃くなりぬ 虫

これが元句だった。
ところが、「おんな」という強いことばは前のほうに漢字表記で一度でている。そこでその部分をさしかえようと「痛み」あるいは「まよい」という言葉をさがしてきたのでしたね。
さて、濡れるということば。
さんずいがなかったら、需要のじゅ、求めるという意味のことばです。本(もと)をもとめる。
そぼつ、というのが本来の濡れるのよみらしい。
濡れるという言葉自体にエロスがあり、重たい。
こないだ、前田圭衛子師の恋句、

逢いみてののちの心はルンルンルン

というのを紹介しましたが、本歌取りでありつつ、あっけらかんと身軽で爽快です。

逢ひ見ての後の心に比ぶれば 昔は物も思はざりけり

和泉式部ではなくて権中納言敦忠でした。

この血続きの和歌に、まつよいのこじじゅうのエピソードがあります。それをそのまま引用しますと、

さて大宮に仕えている女房に、待宵の小侍従(まつよいの こじじゅう)という者がいました。
この女房が待宵の小侍従と呼ばれるようになったいきさつは、ある時、御所で「恋人の訪れを待っている夕べと、逢瀬を終えた恋人が帰っていく朝と、 どちらが趣深いでしょうか」というお題に、女房は答えました
待つ宵の ふけゆく鐘の声きけば かへるあしたの 鳥はものかは
(恋人を待って次第に夜が更けていく中に鐘の音がしみじみと響く切なさに比べると、 朝聞く鳥の声などたいした悲しさではないと思えます)

これによって、「待宵の小侍従」と呼ばれることになったのです。

引用終り。

ということで、。
そらんさん、たくさんだしてくださった句のうち、恋の濃さはいずれにありや。みなさんのお考えもおきかせください。
さしかえるとき、あとにつづく句も考慮にいれなければなりません。

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コメント

羽衣も野良着も絡む洗濯機
私にいまだあなたが触れぬ場所

そらんさん

追加ありがとう。
はごろもとのらぎ、聖と俗。
いい句だが、、前句がたんなる叙景となりそうだ。

わたくしにいまだ~これは前句をきちんとうけつつ、ふみこめない孤独を提示、こころと肉との双方を時間的な厚みの中で表現した。
おとなの句で、名句だとおもう。
さて、ぽぽなさんはいかに。
まちましょう。

ことしの賀状に又誘って下さいとあったのを思い出しました。なかなかぶんいんができないので、思いついたときに声をかけてみたのでした。

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