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2014年10月 7日 (火)

親鸞聖人における宿縁の意義  その六前半

水月(森本光慈)・文

  六

 親鸞以後、宿善を積極的に取り入れたのは覚如(かくにょ・1271*-1351 、親鸞の曾孫。覚恵(かくえ)の長男。浄土 真宗本願寺3世)であった。若いころ宿善をめぐって叔父にあたる唯善と論争したが、そのとき『最須敬重絵詞(さいしゅきょうじゅうえことば)』によれば、宿善必要を主張する中に、

 いま聞法能行の身となるは善知識にあへる故なり、知識にあふことは宿善開発のゆへなり、されば聞て信行せん人は宿縁を悦べし・・・往生の因とは宿世の善もならず、今生の善もならず、教法にあふことは宿善の縁にこたへ、往生をうくることは本願の力による。聖人まさしく「遇獲信心遠慶宿縁」と釈し給うへは、余流をくみながら相論にをよびがたきかと云々。

とある。宿善と宿縁を同じに用い、宿善必要の証として遠慶宿縁の文をあげている。
 ただ、後年の著作である『改邪鈔』第八条では、

 そのときおほせにいはく、世間の妻子眷属もあひしたがふべき宿縁あるほどは、別離せんとすれども捨離するにあたはず。宿縁つきぬるときは、したひむつれんとすれどもかなはず。いはんや出世の同行等侶においては、凡夫のちからをもて、したしむべきにもあらず、あひともなへといふとも縁つきぬれば疎遠になる、したしまじとすれども縁つきざるほどはあひともなふにたれり。これみな過去の因縁によることなれば、今生一世のことにあらず。

とある。これは『歎異抄』第六条と同内容の法話であり、世間の妻子眷属、出世の同行等侶が親しんだり離れたりするのは宿世の因縁によるというのである。そして、宿善のある機は善知識に親しみ、宿善のない機は悪知識に近づくといって、「宿善の有無」という語を用いた後、「一旦の我執をさきとして宿縁の有無をわすれ、わが同行ひとの同行と相論すること愚鈍のいたり、仏祖の照覧をはばからざる條、至極つたなきものか、いかん、しるべし」と結んでいる。ここでは宿善と宿縁が区別されているようである。

つづく

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