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2014年9月22日 (月)

親鸞聖人における宿縁の意義  四の全文

水月(森本光慈)・文

     四

 『往生拾因』はよく読まれた書物であった。三善為康(1049~1139)の『拾遺往生伝』には『阿弥陀経略記』『往生拾因』の著作があったことを述べた後、「念仏の輩、皆もて競ひ写して」とある。また法然も講説・法語類に永観や『往生拾因』への言及、引用があるし、聖覚(せいかく・1167~1235)の『唯信鈔』の後半には宿善に関する釈義があるが、それも先に述べた『往生拾因』の大一因に依るものである。そして親鸞も、「信文類」逆謗摂取釈における五逆の釈を引用や、つねに賀古(かこ)の教信沙弥(きょうしんしゃみ・?~866)を慕っていたことから見て、『往生拾因』を読んでいたことは明らかである。

その宿縁について見てみると、法然は『西方指南抄』「要義問答」に、対十方・対兜卒の問いに対して、

極楽この土に縁ふかし、弥陀は有縁の教主なり、宿因のゆへ、本願のゆへ。

と答えている。極楽・弥陀は此土(しど・この世)と縁が深いといい、その理由として宿因・本願といっているのは、阿弥陀仏の此土における発願を指しているのであろう。また『三部経大意』には、

過去の諸仏も、現在の如来も、みなこれ宿世の父母なり、多生の朋友なり。

とあり、『西方指南抄』「念仏大意」には、

 三世の諸仏、十方の菩薩、おもへばみなこれ、むかしのともなり。釈迦も五百塵点のさき、弥陀も十劫のさきは、かたじけなく父母師弟とも、たがひになりたまひけむ。

とある。釈尊と同じく、阿弥陀仏もまた因位のときに、われわれと父母師弟となっていたというのであるから、『往生拾因』の祝宴を受容しているように見られる。

 そして、建久五年(1194)頃、安楽房遵西の父、外記入道師房が逆修(預修)を営み、七七日の結願の説法は法然に代わって真観房感西が行ったが、その中に、

 凡そ此土の衆生は弥陀如来に於て惣別の二の宿縁有り。先づ惣じての宿縁は、弥陀如来昔此界に於て発心修行し給しが故、此界の衆生に於て宿縁深き事一に非ず。云云 次に別して宿縁は、此界に於て宿縁浅からざるの上へに、過去前々の前凡夫、因位の昔、みなも此界に御す。我等も此土の衆生なるが故、往昔の故旧惟れ多し。生々の値遇一に非ず。或は父母親族とも為し、或は妻子眷属と為りき。世々所生の値遇結願いくばくばかりか。

とある。ここでは宿縁を総別に分け、総の宿縁は阿弥陀仏がこの世で発心修行したことであり、別の宿縁は生々世々に父母・親族等となってきたことといっているから、まさに『往生拾因』の宿縁を整理したものである。

 こうして法然やその門下の間で『往生拾因』が読まれ、その宿縁が受容されていたとすると、親鸞が宿縁の語を用いたとき、阿弥陀仏の此世における発心発願と、その修業中の結願が当然のこととして予想される内容ではなかったであろうか。

それを親鸞の著述の上に求めてみると、「行文類」に憬興の『述文賛』が十文引かれている。先哲はその第四文に「久遠の因に籍りて、仏に値ひ、法を聞きて慶喜すべきが故と」とあるのを遠慶宿縁の依りどころと注意しているが、それよりも第二文は『述文賛』からの引用の形を取りながら、実は『悲華経』からの抄出である。無諍念王が五十一の誓願を述べ終わって、宝蔵如来が無諍念王を讃えた言葉である。そして第九文には、

 既に此土にして菩薩の行を修すと言へり。即ち知んぬ、無諍王が此の方に在ますことを。宝海も亦た然なりと。

とある。これは『大経』観音・勢至の文を釈するもので、先に述べたように、観音・勢至は無諍念王の第一、第二王子であって、彼らが娑婆で修行したということは、無諍念王も宝海梵志も娑婆で修行したことになる。ただ弘誓の相違によって阿弥陀仏は浄土で成仏し、釈迦は穢土で成仏したのである。また、専修寺に所蔵される親鸞の真蹟断簡である「曇摩伽菩薩文」にも、

 曇摩伽菩薩申也

 娑婆世界王也

 無諍念王出家後、宝蔵比丘と名、法処比丘とも申。世自在王仏は御師也。世饒王とも申、宝蔵如来とも申。

とある。娑婆世界の王である無諍念王が出家して宝蔵比丘になったというのであるから、親鸞も無諍念王が此土で発願したことに着目しているのである。そして「行文類」は『述文賛』の引文の後、元照の『弥陀経義』を引き、

芥子の地も捨身の処に非ざること無し。

とある。阿弥陀仏が衆生のために芥子ばかりも捨身しなかった場所はないというのである。それは、弥陀因位の修業中における様子をいおうとしたものであろう。
こうして阿弥陀仏はわれわれとさまざまに縁を結んでいたのであり、従来それを宿縁といわれてきたのであるから、親鸞にもその意をうかがうことができると思われる。

つづく。(全七章)

参照:

因位(いんい)・・・まだ修業中で、成仏していない菩薩などの位。対語は果位(かい)。

とそつてん・・・宮沢賢治の『永訣の朝』にも使われている。

http://www.chukai.ne.jp/~mechinko/kenji03.htm

最後の連:

おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率(とそつ)の天の食に変って
やがておまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわひをかけてねがふ

対十方、対兜卒http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86%E4%B8%8A%E5%B7%BB_(%E4%B8%83%E7%A5%96)#.E5.AF.BE.E5.85.9C.E7.8E.87

元照→がんじょう(にごる)・・・阿弥陀経義疏

http://www5e.biglobe.ne.jp/~ym7m4ovz/ganjoumidakyogisho.htm

ぎしょ(義疏)とは。
経典の意味・内容を解説した書。ぎそ。「法華―」「三経―」

デジタル大辞泉
▼すいげつさんへの質問
>建久五年(1194)頃、安楽房遵西の父、外記入道師房が逆修(預修)を営み、七七日の結願の説法は法然に代わって真観房感西が行ったが
これは安楽房じゅんさいの法事を父が執り行ったときのことですよね?
と、書いて、待てよ。
安楽房はいつ死刑になったんだっけ。と調べると、1207年没。
これは建永2年2月9日です。
ではちがうなあ。そもそも「逆修」ってなんだったっけ?
それも調べますと、
1、ぎゃくしゅ【逆修】とは。意味や解説。仏語。1 煩悩に身を任せ、真理から遠ざかること。 ⇔順修。2 生前に、自分の死後の冥福(めいふく)のために仏事をすること。予修(よしゅ) 。逆善。逆修善。3 年老いた者が、年若くして死んだ者の冥福を祈ること。... -
2、自分より先に亡くなった年長者に対して冥福を祈る法要を追善(供養)というのに対し、 生きている間に自分の死後に対してまたは自分より若くして亡くなった者(子や孫など)に 対して冥福を祈る法要を逆修(ぎゃくしゅ、逆修善・逆修法会)と称される。
。。。
それにしても、このウィキ☟にも、羅刹の上、処刑された。と書かれている。
あんらくぼうじゅんさい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B5%E8%A5%BF

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コメント

>これは安楽房じゅんさいの法事を父が執り行ったときのことですよね?

これは勘違いですよ。建久五年(1194)頃、安楽房遵西の父である外記入道師房が自身の逆修を営んだということです。逆修は「げきしゅう」とも訓み、自分の死後の法事を生前に営むことです。初七日から二七日、三七日……というようにです。それを師房が営んだというのです。当時はそういうことがよくあったそうです。そして師房の逆修の時の法然聖人の説法が『漢語灯録』巻七・八に「逆修説法」として収められ、『西方指南抄』巻上本には「法然聖人御説法事」と題されて収められています。前者は漢文であり、後者は和文です。また後者は前者と比べると多くの省略があります。

なお師房は、師秀の間違いかもしれません。あとで調べてみます。

今の生前葬より、より整然としたものなのですね。
逆がつけば、逆縁を真っ先に連想してしまいますが、自分の生前に自分でやってしまうから、逆なわけですか。

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