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2014年9月29日 (月)

親鸞聖人における宿縁の意義  その五の前半

水月(森本光慈)・文

   五

 しかし、B説の宿善については仏教一般に説かれるところであり、浄土教においても小論冒頭に触れた『大経』の「往覲偈」に「若し人善本なければ此の経を聞くことを得ず」等とあり、「定善義」にも、「過去に已に曾て此の法を修習して、今重ねて聞くことを得て」等と示され、真宗における宿善論の出拠とされる。

 また、『安楽集』第一大門・発心久近には『涅槃経』三恒値仏の文が引用されている。これは前に述べた第二大門・料簡別時意にも引かれているが、過去において諸仏に遇い菩提心を発した多少によって、大乗経典への対応に相違のあることを説くものである。すなわち、煕連半恒河沙の諸仏の場合は、悪世の中で大乗経典を聞いて誹謗しないが、一恒河沙の場合はさらに愛楽が生じる。二恒河沙の場合は誹謗しないだけでなく、正解、信楽、受受、読誦する。三恒河沙の場合はさらに経巻を書写し、深義は触れないが、人のために説くことができる、というのである。そして、これを引いたのは「今日坐下にして経を聴く者、曾(むかし)已に発心して多仏を供養せることを彰せんがためなり」といい、過去に発心し多仏を供養したからこそ、今日の聞経がありえているというのである。
 親鸞はこの『涅槃経』の文を二通りに依用している。まず『唯信鈔文意』には、

  過去久遠に三恒河沙の諸仏のよにいでたまひしみもとにして自力の大菩提心をおこしき、恒沙の善根を修せしめしによりて、いま大願業力にまにあふことを得たり、他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖をいやしうすることなかれとなり。

とある。過去久遠に自力の大菩提心を発し、恒沙の善根を修したことによって、いま大願業力に遇うことができたというのであるから、明らかに宿善の功を示している。

つづく

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