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2014年8月31日 (日)

親鸞聖人における宿縁の意義  その2の全文

森本光慈 (水月) ・文

   二

宿縁という語は仏典の中に多く見られる。七祖の上では善導(613~681)の「序分義」が初見である。すなわち、

 但だ宿縁を以てたまたま慈尊に会ふことを得ること有り。

とある。もと外道であった優楼頻蠃迦葉たちは宿世の縁あって釈尊と値遇できたというのである。また、

 又た、夫人は身是れ女人なり、心に異計無し。王と宿縁業重くして久しく近づきて夫妻なり。

ともある。韋提希は頻婆娑羅王と宿世から縁が深く、久しくそばにいた夫婦であるというのである。

 また、法照(八世紀頃)の『五会法事讃』には、

 自ら往昔の宿縁の深きことを慶び 弥陀の浄教の音に遇ふを得て

とあり、先哲は遠慶宿縁の出拠と見ている。しかしいま、宿縁の語はないけれども、道綽(562~645)の『安楽集』第六大門・十方西方比挍を取り上げたいと思う。そこに『随願往生経』の引文があるが、その一節に、

 但だ阿弥陀仏、観音・大勢至と先に発心したまひし時、此の界より去りたまひ、此の衆生に於て偏へに是れ縁有り。

とあるのである。ただし、このような文は『随願往生経』の中に見当たらず、『大経』と『悲華経』の説によって『随願往生経』の意を補ったものであろうといわれている。『大経』の説というのは、「往覲偈」の直後に、

 阿難、仏に白さく。彼の二菩薩、其の号云何。仏言はく。一を観世音と名け、二を大勢至と名く。是の二菩薩は、此の国土に於て、菩薩の行を修し、命終し転化して、彼の仏国に生ぜり。

とあるものである。観音・勢至の二菩薩は、此土で菩薩の行を修したというのである。
『悲華経』とは、諸教諸讃多在弥陀といわれる大乗経典の中にあって特異な存在で、浄土に成仏した阿弥陀仏でなく、五濁悪世の娑婆世界に成仏した釈尊の大悲を讃える経典であるが、そこに『大経』には見られない弥陀因位の相が説かれている。その概要をいえば、阿弥陀仏はもと無諍念王という転輪聖王であって、千人の子供があり、その第一太子が後の観音菩薩、第二王子が勢至菩薩である。そのとき宝海梵志という大臣があって、彼が後に釈尊となるのであるが、その子の一人が成道して宝蔵如来となった。無諍念王(阿弥陀仏)や後の観音菩薩・勢至菩薩らは、宝海梵志の勧めによって、発心発願し、みな宝蔵如来より授記されたと説かれている。

『安楽集』は、この『悲華経』と『大経』の所説を合わせることによって、弥陀・観音・勢至の三尊はもともとこの娑婆世界で発心修行したのであるから、娑婆の衆生と縁が深いといっているのである。
 三尊については、「定善義」にも、

 正しく弥陀・観音・勢至・等しく宿願の縁重く、・・・

とある。『悲華経』に説かれる、三尊がともに発願し授記されたことを宿願の縁といっているのであろう。
 また、懐感(7世紀頃)の『群疑論』を見てみると、

 阿弥陀仏、曠遠劫より已来、衆生と共に結縁極めて重し。供養・見聞・随喜・同行等の縁有り。此の宿因に乗じて一心に称念すれば、声を尋ねて則ち救ふて永く五焼を絶つ也。

とある。ここは宿因の語であるが、阿弥陀仏が曠遠劫より衆生と縁を結んできたというのである。
 そして、中国天台宗・湛然(711~782)の『法華文句記』には、『法華経』薬王本の釈下に問答を設けて、

 問ふ。同居の類多し。何ぞ必ず極楽のみならん。答ふ。教説多きが故に。物機に由るが故に。是れ生を摂するが故に。専ら注ならしむが故に。宿縁厚きが故に。多分に約するが故に。

とあり、ここに『宿縁厚きが故に』といわれていることに注目されるのであるが、内容については触れられていない。そこで、はるか後の江戸時代になるが、霊空光謙(1652~1739)の『講録』を見ると、「昔、輪王と為りて結縁厚きが故に」とある。この解釈に従えば、転輪聖王である無諍念王が観音・勢至とともに此土で発願修行し、さまざまに衆生と縁を結んできたことを宿縁が厚いといっているのであろう。

つづく

▼欄外1

かささぎの旗が久生十蘭の小説から拾った言葉メモ;

「肉体のなかに、魂が宿っている。ひとが死ぬと、魂は肉体からぬけだして、次の世界へ行く。
 魂がいまの肉体に宿る前は、前世にいたので、この世、つぎの世、その先の世と、四世にわたって活動するが、方法によっては、死後の世界から現世へ連れ戻すことができる。」

何故「四世にわたって」なのだろう。

・・・考えてもわからない。久生十蘭の読書範囲にそれがたしかにあったのか。
仏教でもそういうだろうか?
前世のことを、さきの世とも呼ぶ。
いぜん、ルビ俳句でか短歌でか、前世にさきのよ、のルビつきを見たと思う。

▼欄外2、水月師コメントまとめ(かささぎの先日の問いに答えてくださったもの)

コメント

 

時間が少し空きましたので、ざっくりですが、書いておきます。

「七祖」というのは、「七高僧」ともいい、浄土真宗の伝統の祖師です。仏教では一宗を開くとき、かならず伝統を明示しなければならないとされています。そうでなければ、その教えは独断と批判されます。親鸞聖人の場合は、インドの龍樹菩薩(一五○~二五○頃)・天親菩薩(四○○~四八○頃)、中国の曇鸞大師(四七六~五四二)・道綽禅師(どうしゃくぜんじ、五六二~六四五)・善導大師(六一三~六八二)、日本の源信僧都(九四二~一○一七)・法然聖人(一一三三~一二一二)の七人を立てました。これを七祖相承(しちそ・そうじょう)といいます。ほかに善導大師・法然聖人の二祖相承、ひとり法然聖人のみの一祖相承もありますが、広くいえば七祖相承です。これがお釈迦さまから親鸞聖人に至る伝統です。もっとも、親鸞聖人には自分が一宗を開くというような意志はまったくありませんでした。自分は法然聖人の弟子であるというのが一貫した信条であったのです。ただ師の法然聖人は自分が浄土宗を開くという意志を明確にもっていらっしゃいました。それで「偏依善導一師」といって、善導大師一人に依るといったのが、奈良や京都の既成教断から批判され、五祖相承というのを立てましたが、それを整理、拡大して親鸞聖人は七祖相承を立てたのです。「ぜんどうどくみょうぶっしょうい」というのは「正信偈」といいますが、親鸞聖人がお造りになったもので、その後半部分は「依釈段(えしゃくだん)」と呼ばれ、この七祖のお徳をたたえられたものです。

さてお釈迦さまは、日本では紀元前四七六~三八三年といわれていますが、三十五歳のとき、おさとりを開かれ、もと一緒に修行していた五人の修行者を弟子にし、教団が成立しました。その当時、インドは十六の国に分かれていたそうですが、そのなかで、もっとも強力な国がマガダ国でした。その国の王が頻婆沙羅(びんばしゃらき)であり、お妃が韋提希(いだいけ)です。そして首都が王舍城(おうしゃじょう)でした。そこでは思想や宗教に、いたって自由で、さまざまな思想家や宗教家がいました。そこでお釈迦さまは王舍城におもむき、布教につとめられました。そこに優楼頻蠃迦葉(うるびんらかしょう)・那提迦葉(なだいかしょう)・伽耶迦葉(がやかしょう)という三人兄弟のすぐれた宗教家がおり、三人あわせて千人の弟子をかかえていました。それが、こぞってお釈迦さまの弟子となり、お釈迦さまの教団は一気に拡大しました。これでお釈迦さまの教団が一躍注目を集めるようになったのです。なお彼らを外道と呼ぶのは、仏教を内道と呼ぶのに対して、他の宗教のことをいいます。価値的にいっているのではなく、あくまで分類用語です。

お釈迦さまは一代にたくさんなお経を説かれました。お経というのはお釈迦さまのお説法です。そのなかに『観無量寿経』というのがあります。仏教が中国に伝わって、『観無量寿経』がもたらされますと、仏教学者はこぞって注目し、多くの註釈書(解説書)が著されました。しかし善導大師はそれらに対して、その解釈は間違っている、正しくはこうだと著されたのが『観経四帖疏(かんぎょう・しじょうしょ)』といわれるものです。それは「玄義分(げんぎぶん)」「序分義(じょぶんぎ)」「定善義(じょうぜんぎ)」「散善義(さんぜんぎ)」の四帖から成るので『四帖疏』と呼ばれるわけです。その「序分義」です。それは、お経というのは大きく序分(じょぶん)・正宗分(しょうしゅうぶん)・流通分(るづうぶん)に分かれるのですが、序分というのは序分です。証信序(しょうしんじょ)と発起序(ほっきじょ)に分かれるのが通常です。証信序はそのお経が信頼するに足ることを証明する序ということで、発起序というのはそのお経が説かれるようになった因縁、由来が説かれます。『観無量寿経』の場合はこの発起序が重要で、ドラマチックです。というのは、先ほどいったマガダ国の頻婆沙羅と韋提希のあいだに阿闍世(あじゃせ)という王子がいました。彼もすぐれた政治家であったと思われますが、お釈迦さまのお弟子で従兄弟でもあった提婆達多(だいばだった)、この人はお釈迦さまが出家する前からのライバルで、お釈迦さまがおさとりを開かれて弟子にはなりましたが、非常な野心家であったといわれています(事実かどうかはわかりませんが)。仏教教団を自分のものにしようと阿闍世に企みをもちこみ、父の頻婆沙羅を殺すよう謀ったのです。阿闍世はまんまとそれに乗せられてクーデターをおこし、父を殺して、自分が王になりました。そして母の韋提希までも牢獄に幽閉してしまったのです。韋提希は嘆き悲しみ、牢獄から、心の中でかねてより教えを聞いていたお釈迦さまに救済を願い、説法を懇願しました。お釈迦さまは、ここぞとばかり、あるお経の説法していましたが、それを中断し、韋提希のいる牢獄の中へ神通力(じんづうりき、超能力のようなもの)でやって来て、韋提希に法を説いたというのが『観無量寿経』です。この序分のところを註釈したのが善導大師の「序分義」です。「夫人は身是れ女人なり」というのは当たり前のことですが、丁寧に解説しただけともいえますし、『観無量寿経』が、わが子が夫を殺し、自分まで牢獄に入れられるという悲劇の主人公・韋提希の救済を説くということを強調するためとも考えられます。また一人、韋提希だけでなく、広く女人救済、さらに広くは苦しみ悩みをかかえずには生きていけない人間を救済するお経であることの強調ともいえましょう。

なお、値遇と知遇は、「遇」というのは「会う」ですが、約束して会うのではなく、自分の意志と関係なく、はからずも会うということを意味します。それで「遇」を「たまたま」と訓む場合があります。

む。むむう。

ななそ、じゃなくて、しちそ、ね。
ななみ、とはいわんけんねえ、七味。
は。こうそとこしょうを一緒くたにしてはいかん。

まことにありがとうございます。
やはり、プロはちがいますねえ。
よくわかる。
ところで、アクセスが今日はいつもよりがば多い。

コメント中、「親鸞聖人には自分が一宗を開くというような意志はまったくありませんでした」は、その通りで、のちの人が親鸞聖人を浄土真宗の開祖と仰いだのです。

法然聖人が開いたのは浄土宗で、親鸞聖人が開いたのは浄土真宗というのが一般教養ですが、その二つは別のものではなく、①法然聖人の弟子、孫弟子くらいになると、いろいろと異義(間違った見解)が出てきて、親鸞聖人は法然聖人の真実義を示そうとし、②既成の諸宗からまたいろいろと論難を受けたので(法然の教えは悪魔の教えだともいわれました)、浄土宗こそ真実の仏法であるというので、親鸞聖人は浄土真宗という宗名を立てたのでした。

「奈良や京都の既成教断から批判され」は「既成教団」の誤りです。とくに比叡山や奈良の興福寺を指します。

頻婆沙羅(びんばしゃらき)は、(びんばしゃら)の誤りです。「き」は必要ありません。

韋提希(いだいけ)の悲劇は一般に「王舍城の悲劇」と呼ばれています。

もっと詳しく書きたいですが、時間がありません。

ありがとうございました。

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コメント

水月さんを困らせてしまいましたね。

宿縁は宿世の
複数の渡る世間のあいだにうまれるのかなと思って

うまれかわることとか前世の記憶とかも

.>何故「四世にわたって」なのだろう。
→私にもわかりません。初耳です。

>仏教でもそういうだろうか?
→教義の上ではそういうことはないと思います。

人名と生没年をメールして送っておきました。

親鸞聖人が「遠慶宿縁(遠く宿縁を慶べ)」といわれたのは、拙論では学術的に考察しておりますが、簡単にいってしまえば、「私」がいま、ご信心をいただき、お念仏申す身にならせていただいたのは、わが力ではなく、阿弥陀さまのはかりしれない過去世からの「お育て」があったからだと慶んでいらっしゃるのです。

はい。

ごそとしちそとあるんですね。
朝、懐感をしらべていた。
よみがわからなくて、かいかんだろうかと調べたら、えかん、ででました。えかんは慧感というお坊さんもいらっしゃいますが、おなじ音なんですね。

▼懐感
7世紀頃の唐代の僧。長安千福寺に住した。感禅師とも呼ぶ。

 初め唯識を学び、のち善導に師事して浄土教の要義を学び、念仏三昧を証得したという。

 著書に『釈浄土群疑論』七巻(懐惲補筆)がある。法然は『類聚浄土五祖伝』等で、浄土五祖の一人とした。

2の全文をうちこんだだけで、まだ自分は読んだとはいえません。
少なくとも人名の生没年の前に、よみをつけねば。それをするには、調べなければならない。
それなのに、宿世の「世」に囚われています。
世界のセ。
しょうしんげの一節おわりちかくに、

せのもうみょうをてらすなり。

というのがありますが、あれはなぜ、よのもうみょうとよまないのか。

といつもおもってしまうのでした。
考えてもわからないので、お経は常のよみと違うものねえ。とかたづけてきた。
そのおなじノリで、
宿世を思う。


すく‐せ【▽宿世】.

をグー辞書でぐぐると、

《「すく」は「しゅく」の直音表記》

1 過去の世。前世。

2 前世からの因縁。宿縁。宿命。「―によって結ばれる」

とかかれている。
前世と来世とこのいまのセと三つしか、ふつうは思わない。それを四つとさらっとかいてのけた、あの小説家は、裏に深い勉強があったのだろうか。

というのが、香川宜子先生の小説が日の目を見る過程を観察する機会を与えられてひとさまの感想文もさまざま読ませていただいているうちに、連句的に、わかる。


今日の朝、遅くなりましたが、國武先生の8頁にわたるお手紙をお送りしました。ところが昼に帰ってくると、また先生から今度は13頁に及ぶお手紙が届いていました。もう一日待つんだった(>_<)

「世」は、よくわかりませんが、「世界」と書けば「せかい」ですよね。「正」という字も「正月」と書けば「しょうがつ」、「正当」と書けば「せいとう」。

これは漢字の音(おん)によるものと思います。仏教では基本的に呉音(ごおん)で読みます。一般には漢音(かんおん)です。それで仏教の漢字が読みづらい、読めないという現象がおこるのでしょう。ただ一般にも呉音と漢音が入り乱れている場合もあります。たとえば今いった「正月」と「正当」がそれです。

「世」を「せ」、「正」を「しょう」と訓むのが呉音か漢音か、辞典で調べてみなければなりませんが、仏教では必ず「せ」「しょう」ですから、おそらく呉音なのではないかと思います。

前世・今世・来世の三世のほかに四つというのは、これもわかりませんが、中有(ちゅう・う)を入れているのかもしれません。前世があり、今世があり、それが終わると、来世にどこへ行くか、きわめて善人は天、きわめて悪人は地獄に行くとすぐ決まりま
す。けれども、そのあいだの人は、まあ簡単にいえば7日ごとに裁判をうけます。それで少しでも良い所に行けるように、残された家族などの人たちは、お経などをあげ、その功徳を亡くなった人の善根(ぜんこん)に加えるわけです。ただし七分獲一(しちぶん・ぎゃくいち)といって、7分の1しか届きませんが。そして最終の裁判が77、49日です。その49日までのあいだを中有(ちゅう・う)というのです。これを加えて四つといっているのかもしれませんね。

ただし、いまいったことは浄土真宗ではいいません。浄土真宗では命終わると同時に浄土に生まれ、即座に無上涅槃を得ると説きます。

「宿世」は「しゅくせ」と訓み、「宿」は「宿昔(しゅくしゃく)」の意で、過去世のことです。もっとも宿善(しゅくぜん、過去世における善根)を論ずる場合は、単に過去世だけのことでなく、今世における信心獲得(しんじん・ぎゃくとく)の前までと意味を広げます。

余計なことと思いつつ、漢字の訓みを第3章までメールしておきました。引用している文献の漢字もと思いましたが、あまりにも数が多いので気力がありません。

ムカっ。

こんな字まで、、、ふん、よめるわい!
と思ったり、
おや、これはこんなよみなんだ。
と驚いたり。
まことに漢字にルビを振るのは至難の技ですな。

しかし、なにはともあれありがとうございます。
たすかります。それをいつ反映さすかが問題。ねむい。

うわっ、怒らせてしまったようですね。そんなつもりはなかったのですが……。ただ仏教では通常の訓みと違う訓みをしますから、それがしみこんでいますので、日常生活の中で、どれが仏教訓みなのか、通常の訓みなのか、わからなくなっています。そこで失礼に及んだことになりました。どうぞ御海容ください。それでも、「修した」を「しゅうした」でなく「しゅした」とか、「引文」を「いんぶん」でなく「いんもん」とか、「法華文句記」を「ほっけもんくき」でなく「ほっけもんぐき」とか、「出拠」を「しゅっこ」と訓むとか、独特の訓みがありますので、記したまでです。

>「修した」を「しゅうした」でなく「しゅした」

忌を修すは、きをしゅうす、じゃなきゃ。

わたしの知っている修をシュとよむ例は

修二会だけかなあ。

さだまさしに歌があります。ほら、これ。☟

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