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2014年8月17日 (日)

エボラ出血熱の予防と治療~エボラ出血熱その4

エボラ出血熱の予防と治療

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14日、シンガポールへナイジェリアから入国した女性を、エボラ出血熱に感染した疑いがあるとして、病院の隔離棟に搬送したとのニュースが配信されました。
結果としてエボラ出血熱の感染が確認されようとされまいと、今後は、世界中で同様のニュースが配信されることでしょう。
「水際対策」が本格化したことの証で、日本でも水際対策が強化されていますので、いずれ類似のニュースが配信されるかもしれません。
成田空港では注意を促すパネルを設置し、サーモグラフィーを使って入国者が発熱していないかのチェックをしています。
8日以降は、自覚症状の有無にかかわらず、流行国に滞在していた人は自己申告するように呼び掛けが行われており、日に数件の自己申告があるそうです。
エボラ出血熱は、患者の体液に接触しない限りは感染しませんので、患者と接触しないことが予防法となります。
しかし、医療従事者は治療のために患者と接触せざるを得ず、犠牲者の多くは医療従事者となっています。
医療従事者も、ゴム手袋やマスクの着用の徹底で体液との接触を予防することができますが、ゴム手袋やマスクすら欠乏しているのが流行地の実情です。
流行国の病院では、医療従事者の勤務拒否により、患者が放置される事態が生じています。
12日、カナダ政府は、カナダ国立微生物学研究所が開発中のエボラ出血熱ワクチン「VSV-EBOV」の最大1000回分を提供する方針を示しました。
まだ人間に投与した場合の評価が行われていない段階の治験薬です。
効果が実証されていないだけでなく、リスクもわかっていません。
最前線の医療従事者は、臨床治験を兼ねて、証明されていない効果を期待し、安全性も保障されないことを覚悟の上で、このワクチンを接種することになります。
エボラ出血熱の治療薬については、マップ・バイオファーマシューティカルが開発中の治験薬「ジーマップ」が実験的に使用されました。
リベリアでエボラ熱に感染した米国人2人に投与され、症状が改善しましたが、効果なく死亡に至ったスペイン人神父の例もあります。
エボラウイルスが発見されたのは40年前で、数年ごとに流行がありますが、ワクチンや治療薬の適用者数が限定的で採算性がないためか、新薬開発の動きが鈍かったことは否めません。
開発中のエボラ出血熱の治療薬のうち人間への安全性試験に着手できているのは、カナダの医薬品メーカー、テクミラ・ファーマシューティカルズ社の治験薬のみで、それ以外はサルでの試験にとどまっています。

▼かささぎの旗

きょう、母たち三姉妹を上津にいる笠原のおばの家に運ぶ。
おばはまったく元気がなかったが、お盆のお勤めを果たさねばと迎えてくれる。
しばらくおしゃべりをしたいだろうと、私はそれから一人でエフコープに米や味噌を買いに行き、そのあと、くるめ図書館で調べ物をする。

コメは滅多に買わないので、買うとなるとワクワクする。
博多にいたころに食べたことがある北海道のキララと、東北のひとめぼれを買う。
ひとめぼれは無洗米だ。
どんな味かなあ。たのしみ。
いつもひのひかりばかりたべているから。

図書館、人が多かった。子連れがね。
パソコンで検索後、あるだけの関連本を出してもらう。
四冊あったが、すべて閉架、出してもらう。

以前はむすこが久留米の塾にいってたので、図書カードを所持していたが、今はない。
であるから、本はメモしたり、コピーしたりしてきた。
作品は著作権があるので、コピーできず。(こういうところ、fusiginee!)

句集巻末の草田男の年譜を興味深く読む。
こどものころ腸チフスに罹患したり(6歳)大腸カタルを患ったり(八歳)している。
明治三十四年支那の福建省厦門(あもい)日本領事館生まれ。
父28歳母19歳の子。
父親の仕事の関係で頻繁に引越しをしている。
大正三年十四歳、松山中学入学。
翌年母の叔母の座敷で「虚子先生の仕舞姿に初めて接する。」(とかいてある)
大正六年十七歳,。町の図書館で折々ホトトギスをよむ。
試みに雑詠欄に投句するも全没。
大正七年、二年間仲良しだった級友の一団とある事情で相離反。
激しい神経衰弱をきたし、学校を休学。
大正八年19歳、倉田百三をよむ。
大正九年ツアラツストラ、戦争と平和、よむ。のち原文でもよむ。
大正十年松山高校受験失敗
大正十一年松山高校文科甲類入学、祖母逝去、秋、修学旅行後そのまま長崎へ。着く直前、天地の幔幕が両断さるるような異常な心理的体験をする。
大正十四年25歳帝大独逸文学部入学
ヘルダーリンを好む,チエホフ耽読
杉並区西高井戸の新居
大正十五年父急逝、53歳
昭和二年第二回の神経衰弱、改造社文庫で斎藤茂吉の『朝の螢』を読む。
異常な世界ながら、よく心情が理解できた。
昭和三年休学 ホトトギスを参考に一年間自己流俳句生活
昭和四年29歳 母の叔母は虚子の幼馴染であったので、そのおばの紹介で丸ビルに虚子を訪ねる。東大俳句会に入会し、ホトトギス雑詠欄に投稿。大学復学。毎月水原秋桜子の指導を受ける。
昭和六年三十一歳、国文科に移る。
昭和七年松本たかし、川端茅舎をしる。
昭和八年33歳、卒業す。

未だ続くのですが、ここまでにします。

こないだの戦時中の一句は、昭和十九年の作品だった。
たしかに『来し方行方(こしかたゆくえ)』に入っているが、例のまえがきはない。
ただし、こんなことばを記している。

嘗ての教児等次々と応召
又はすすんで飛行隊に入る
高等学校生徒、工場勤務となる
現場へ出張して講義をする

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コメント

句集名は『銀河依然』。以前ではなく依然。
依はやすらかなり、やすらかならしむ、の意味。第五句集にあたる。
中村草田男自身の長いあとがきを複写してきたが、年譜は手書きであちこちを抜き書きしてきただけ。
いま、よみかえすと、きちんとコピーしてくればよかったな。
とてもまっすぐ。
ごまかしは、ない。
大学卒業して先生になって最初にうけもった子達30人をそのまま卒業までみる、とあった。中学生。
であれば、

嘗ての教児等次々と応召
又はすすんで飛行隊に入る
高等学校生徒、工場勤務となる
現場へ出張して講義をする

上はそのこたちのことか。

現場へ出張して講義をする

このことばのおもさ。
わたしもその現場にいたかった。

もうひとつ。
昭和四年丸ビルに虚子を尋ねる、というところ。
そのころ、山本健吉(まだ石橋貞きち)と秀野は学生結婚をしている。秀野は文化学院で虚子から俳句を学んでいたので、その延長で結婚前のある時期丸ビルに虚子をたずね、投句したり指導をうけている。
おなじころだ。年は秀野が草田男より下。

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