無料ブログはココログ

« 難聴について | トップページ | 医療保険の行方(1) (2) 社会保障審議会医療保険部会での主な意見(案) »

2014年7月27日 (日)

龍の谷から 17~西方指南抄の記名がわたしを行空に向かわせる

水月・文

前々から私が行空に興味をもったのは何故かという質問を受けながら、お答えしていませんでした。
それは自分のなかでも少し混沌としていて、明確に申すことができなかったからです。
いま改めて頭を整理してみますと、以前お送りし、サイト上にアップしてくださった拙論に書いておりますが、親鸞聖人が『西方指南抄』所収の「七箇条制誡」連署名に、190名全体を省略し(『西方指南抄』では200余名といっています)、22名だけ記しています。そのうち最後の3名は原本の順番とは異なっています。「蓮生(れんせい)、善信(親鸞聖人のこと)、行空、已上」です。ここに親鸞聖人の意図があると考えられます。
蓮生はもと源氏の武士で熊谷次郎直実です。『平家物語』に出ているんだったかな、一の谷の合戦で平敦盛を殺した人物です。源平の戦いのなかとはいえ、敦盛を殺してしまったことを悔い、武士をやめて法然聖人の弟子となりました。おそらく親鸞聖人はこの蓮生と親交をもっていたと思われます。それで連署名に「蓮生」と記したのでしょう。そして自分の名「善信」を記し、次に「行空」の名を挙げ、「已上(以上)」と結んでいます。これです。この2文字です。
これに注目したのです。行空は当時から今日にいたるまで、法然門下の異端として見られてきました。そうではないのではないかという先学もいますが(松野純孝氏や梯實圓氏)、何せ行空については資料が乏しいため、その詳しい事蹟や学説はわかりません。それで先学も正面きって行空を取り上げることはほとんどといっていいくらいありません。せいぜい触れる程度です。でもそれは今いったように資料が乏しいから仕方のないことです。それゆえ法然門下の異端というレッテルを貼られたままです。ところが親鸞聖人は「行空」と記名しています。もし本当に行空が異端であるなら、親鸞聖人の記名はなかったのではないか、それがあるということは親鸞聖人が行空を法然門下として認めていることではないか、もっといえば「行空」という記名は決して異端であったのではないという親鸞聖人のメッセージではないか、と思ったのです。
これを私は仮りに「西方指南抄の記名」と呼びます。この前提をもとに、行空が造悪無碍者(阿弥陀仏はどんな悪いことをしても救ってくださるのだから、どんどん悪いことをすればいいという誤った言動をする人)といわれることを否定し、少なくとも真宗に流れをくむものは行空観を改めねばならないと主張しました。それが拙論「法本房行空上人と造悪無碍」です。そしていま、その「西方指南抄の記名」から行空の学説について試考しているところです(何度も申すように資料が乏しいから「試考」といわざるをえません)。そうすると、きわめて親鸞聖人的な行空像になる危険性がありますが、それはそれでよしとし、学会に一石を投じてみたいのです。そして、あわよくば行空の名誉回復ができればと思っています。そこで行空自身に興味が生まれたわけですが、その発端は親鸞聖人の「西方指南抄の記名」というメッセージを受け取り、その意味を探ってみようとしたところにあります。もともと行空に惹かれていたというのではありません。
 
そこで、私は高野山本覚院開基の行空や、福岡県八女市にある高野堂「行空上人の墓」に直接興味があるわけではありません。ただそれらが、今いう法然門下の行空と同一視されているから、問題にしているだけです。もしそれらが同一人であるとすれば、法然門下になる前の行空、佐渡島流罪以後の行空になるからです。けれども、それらは法然門下の行空と年代がピタリと合うのですが、同名異人と思われます。なぜなら本覚院の行空は法華の行者とされているからであり、高野堂は墓標の正面に「高野山講坊先師行空上人」とあるからです。そうすると、同時代に同名の行空がいたということになって、偶然と片付けてしまうには一抹の不安があります。それで本覚院や高野堂の行空を調べているわけです。
 
なお、行空と同じく法然門下の異端とされた人物に成覚房幸西がいます。親鸞聖人はこの幸西と非常に思想的境位が近いです。おそらく交渉をもっていたと思われます。鎮西派からは、行空とこの幸西と、そして親鸞聖人の三人が法然門下の異端と見なされてきました。ただ親鸞聖人に関しては後に真宗教団が強大になったことから真宗学者がこぞって反論がなしてきました。しかし幸西の系統は室町時代くらいかな、途絶えてしまったので、反論する人がありませんでした。それが大正年間、幸西自身の著書である『玄義分抄』が発見されたことから、幾多の学者が研究が進め、幸西の教学が正確に知られることになり、異端でないことが明らかになりました。それは『玄義分抄』の発見ということが大きな転機になっています。ところが行空にはそうした著書がないのです。それゆえ行空は異端のレッテルが貼られたままです。そこで私は、行空自身の著書にかわるものとして、「西方指南抄の記名」に注目したのです。この親鸞聖人のメッセージからどこまで行空の実像を引き出せるか、私の力量ではおぼつかないかぎりですが、取り組んでいるところです。

« 難聴について | トップページ | 医療保険の行方(1) (2) 社会保障審議会医療保険部会での主な意見(案) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 難聴について | トップページ | 医療保険の行方(1) (2) 社会保障審議会医療保険部会での主な意見(案) »

最近のトラックバック

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31