無料ブログはココログ

« 和傘で送ってくれた赤いノウゼン花 | トップページ | 健康寿命について(3) みやま市は健康寿命日本一をめざす »

2014年7月 7日 (月)

梅雨ながし蕗きえ俳壇抄もきえ

えっ、そんな句、あったっけ。

連衆誌を読んでいたら、、去年の長崎原爆忌平和祈念俳句で田中陽選者の寸評がついた句、として次の一句が紹介されていた。

有馬朗人先生再稼働そそのかし   篠原信久(天籟通信所属)

くそう。パワーある句だなあ。ねたましい。
なんか自分の窓の狭さ、つくづくなさけない。

こないだ九州俳句誌の編集部から、俳壇抄〈マルホ株式会社謹製)を頂く。
もうこれで俳壇抄という全国の俳誌が一堂に会す場は消える由。
久留米図書館に行くと、俳句の棚に数冊の俳壇抄が置かれている。
貴重な時代の記憶として手に取って読まれる人があることをいのる。

てのひらをやさしく合せ明易し   倉田紘文(蕗主宰)

さいごの俳壇抄を読んでいたら、編集者のことばに目がとまる。
そのかたは、かささぎの旗と同い年で、蕗所属と書かれていた。
蕗といえば、一つしかしりません。
最近まで西日本新聞の俳壇の選者を務めておられた倉田紘文先生の俳誌です。
探せど俳壇抄に蕗の作品は見当たりません。
ご病気、大丈夫だろうかと気になり、蕗のページをネットに探しました。

なくなっていました。
命日は六月十一日。(かささぎの夫の六十回目の誕生日!)

倉田先生。
一度もお会いしたことはありません。
しかし、石橋秀野ノートを出版したとき、御電話をくださいました。
蕗は一冊持っています。故貞永まこと氏からいただいたものだ。

きっちりとした定型のリズムのなかにどこか一片の叙情のにじむ句を書かれていた。
古風ともいえる、どこにも甘えのない写生句であった。

ご冥福をお祈りいたします。

倉田 紘文氏(くらた・こうぶん、本名=ひろふみ、俳人)11日、大腸がんのため大分県別府市中須賀元町8組の自宅で死去、74歳。告別式は14日午後1時から別府市竹の内6組の3のJAべっぷ日出プリエール天寿の杜。喪主は妻、房子さん。

 俳句誌「蕗(ふき)」を1972年に創刊し、俳壇を代表する俳誌に育てた。句集に「慈父悲母」など  (ネットで拾えた日経記事)

« 和傘で送ってくれた赤いノウゼン花 | トップページ | 健康寿命について(3) みやま市は健康寿命日本一をめざす »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 梅雨ながし蕗きえ俳壇抄もきえ:

« 和傘で送ってくれた赤いノウゼン花 | トップページ | 健康寿命について(3) みやま市は健康寿命日本一をめざす »

最近のトラックバック

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31