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2014年6月18日 (水)

龍の谷から 16   水月さん、もう一度高野山へのコメント集

コメント

これ(本覚院過去帳の辟、黒木物語から)をアップされているのはどういうおこころですか?

すいげつさん。おひさしぶりです。

わたしは毎日おわれるように暮らしていて、夜はとても疲れていて、ブログをあんまりひらけません。
黒木物語のほか、いくつかきちんと自分で入力しておきたいものがありますが、時間がとてもとれない。
この部分は、こうやさんの坊守さまがかかれたもののようで、独立していました。一部分を引用していた(行空の墓)のですが、全文を紹介したくて、写真にとってみました。拡大すればよめないこともなかろうかと。
しかし、著作権はどうなのか、わたしにはよくわかりませんが。一冊丸写しはだめだが、資料としての提示はよいのでは。とおもいました。
すいげつさんにおたずねしたいこと、あります。
ほけきょうの行者としての行空ですよね、ずっと。
黒木物語でも、それから佐渡島でも。つたわっているのは。

毎日お忙しい御様子、お身体には充分お気をつけください。

さて、「かささぎの旗」の中を拝見しておりますと、かささぎさんが高野堂と縁を結ばれ、いろいろ調べられていたのは2009年頃のことのようですね。いまは2014年ですから、5年ほど前になります。そんな前のことをほじくりかえすようなことをしていいのだろうかと思い、しばらく遠慮しておりました。ところが二日前、「本覚院は筑後国を~」の文章の写真をアップされているのを拝見し、まだこの話題を続けていいのかなと思いました。「それはお前のせいじゃ~」といわれそうですが(^_^;)

それはさておき、昨日のコメント中、「高野山の坊守さん(浄土真宗では住職の配偶者を坊守と呼びますが、他の宗派ではどうなのか存じません)が書かれたというのははじめて知りました。文章の最後に「第三十六世 尭運述」とあるから、てっきり御住職が書かれたものと思っておりました。やっぱりいろいろ人に聞いてみるものですねえ。それはどこで得た情報ですか?よければお教えください。

私はこの文章には少し問題があると思っています。しかしこの場では省略し、後に整理してみることにします。

お尋ねの件ですが、「黒木物語」に行空は登場するのでしょうか。正室の祟りは助能が剣を川に沈めたことによっておさまったのではないでしょうか。行空が出てくるのは「本覚院は筑後国を~」です。その開基の行空は本文中に「行空上人は元来天台宗の人なりしが、真言門に入り秘蔵の奥旨を極めらるるといえども尚法華行者にして」(このあと一宿上人のことが語られています)とあります。『法華験記』にはこのような記述はありませんから、本覚院開基の行空のことと見ていいでしょう。つまり法華の行者です。しかし佐渡島の行空は法然門下の行空ですので、念仏の行者です。両者は名前は同じですが、行状が異なります。

行空について細かく文類すると、
(1)『法華験記』に出る一宿上人としての行空
(2)法然門下の法本房としての行空
(3)本覚院開基の行空
(4)高野堂「行空上人の墓」の行空
となります。これをどう処理するかが問題です。

追伸

うっかり忘れていました。本覚院は行空が常に『法華経』を講じていたことから「講坊」と称せられ、のちの元禄年間に待宵小侍従の法号にちなんで「本覚院」と改称したということです。したがって本覚院開基の行空が法華の行者であったことは間違いないでしょう。

あわわ、言い方間違えました
坊守ていったのは住職の意味です
とっさに出なかった、あまり言わないのですよね
それに高野山はなんていうかさっぱりわからなかった

私もあれは問題があると思います

な~んだ、ケアレスミスでしたか。よくあることです。気にされることはありません。

ちかいうちにもう一度、高野山の本覚院を訪ねてみようかとおもっています。これで4度目です。

1度目は前の晩に酒の席になって盛り上がり、「よし、明日行こう!」と突然はなしがまとまり、何の用意もなく、うちの家族とたまたまそのとき来ていた知人の娘さんと、旅行気分で行ったのでした。しかし本覚院では何の話も聞けませんでした。ただ山門を入った右手に「本覚院累代記」という石碑を見つけ、漢文(返り点なし)で書かれていたのをその娘さんと前半部分を何とか読んだのでした。

2度目は翌年の1月でした。どうしても「本覚院累代記」が気になり、その石碑の文章をパソコンに入力しようとしました。しかしそれは明治に建てられた大きなもので、やはり全文を写すことはできませんでした。そのうち雪が降ってきて、私の姿を見た職員の女性が「何をしているのですか」といって、わけを話すと、傘を貸してくれました。ありがたかったです。あとでわかったことですが、その日は御住職がおかくれになった日か翌日かだったようです。えらいときに行ったものです。

3度目はまたその翌年で、前もって電話し、開基の行空について研究していると伝えてから行きました。新しい御住職には拝謁できませんでしたが、事務員のような方が応接間に通して下さり、『当国過去帳』と行空の位牌を見せていただきました。おそらく御住職の御配慮だったのでしょう。ただそれは新しいもののようで、和田重雄氏『貞享版黒木物語』に出ているものではありませんでした。でも、新しい収穫がありました。ただそこに書かれているものをパソコンに入力しただけで、携帯をもっていながら写真を撮るのを忘れていました。それがいま悔やまれてなりません。そこでもう1度行って、写真を撮らせていただきたいのです。それと、國武久義氏の論稿に「天正16年(1588)」に本覚院が罹災したと書かれています。その出典は『聖方紀州風土記』という本だそうですが、それがどこにあるのかネットをいくら探しても出てきません。そこで、その事件は「本覚院累代記」の後半部分に出ていたのかもしれない、またそれを記す他の文献はないか、尋ねてみたいのです。

ついで、といったら御無礼ですが、かささぎさんも何か質問したいことがあったらいってください。聞いてまいります。

そんなに何度も行かれていたとは。

わたしはこないだテレビのたびばんぐみではじめてちょっとだけ見ました。ちらっと。
なんだか想像していたような聖地ではぜんぜんなくて、俗っぽかったよ。こんなこというたら、ばちがあたるかもしれんね。でも、ほんとにそんなかんじ。賑やかそうなところでした。
いろいろあるのでしょうね。

では、せっかくだから、なにかかんがえてみます。

過去、星野に見えていたのはどの時代までさかのぼれるものか、記録はないのだろうか。
しらべ一党と草野氏の4氏(イコール奥八女ぜんぶと草野地域)がパトロンだったのですよね。その金づる、おおっと、それをいったら石原さんになっちゃう。非難轟々。檀那寺としての高野山は、久留米の高良山の盲人座みたいに、こうやんどうだけでなく、ほかにも巡っておられたのか、過去のちくごとの関係がもうすこし知りたいものです。
水月さんところはどうかしりませんが、わたしたちのところでは、いまもずっと、おいせさんの御札(天照皇大神)が歳末に届けられますが、そのお代に千円上納します。その関係みたいなのではなかったろうか、と思われるから。
それと、石清水八幡と、宇佐八幡とのかんけいもついでに。なんかさ、あんまり関係なさげなこともきいてくださると、ひょっとして思いもしない成果があがるということもあるやもしれず。お寺とお宮のどっちなの、こうやさんは!というところがありまして、あたまをひねりますからね。素人の聞くことですけん、というて、いいわけをしてからきいてください。なんでも都合のわるいことは、かささぎのアホのせいにしてくださって構いませんので。どんどん聞いてみてください。
では、そういうことで。
なにしろ、あんまり勉強していないというのがバレバレでありますなあ。

ちょっと関西弁で。
何か「私は何々です」なんていう文章を書くんは時間もかかるし、けっこう肩が凝る。

「勉強してないのがバレバレや」なんて卑下する必要はないと思うで。毎日追われるように暮らしているというかささぎさんと、毎日仕事のとき以外は行空のことばかり考えている僕とを比べたら、違うのは当然や。それは何ちゅうたらええんやろ。パッと思いついた言葉でいえば、「専門外」と「専門」かな。それが適切かどうかわかんけど、もしその分類でいえば、行空のことは僕が専門やから、知識がかささぎさんより豊富にあるのは当然や。そやからというて怒らんといてや。専門外のことはさっぱりやねん。家事のことはもちろん、ATMなんか使うたこともあらへんし、いまだに車のボンネットの開け方も知らへん。開けてもうたって、どこをどう見たらええんか、さっぱりや。ほんま、専門バカやね。そやから、気にすることあらへんで。さっきのコメントで聞いたこと、尋ねてみるわ。どんな答えがかえってくるか、楽しみやね。ただし、本覚院でちゃんとした知識をもっている人が応対してくれたらの話やけど……。

ちょっと目上の人にいう言葉使いではなかったですね。ごめんあそばせ。(それが目上の人にいう言葉か!という突っ込みがほしいところです)

ひや~~

水月さんって関西弁だったんだ。
ふうん。
そや、前田圭衞子先生(れんく)も兵庫でした。
関西弁だと何言われてもはらたたんです。

あれからかんがえたんだけども。
星野の黒木谷のこうやんどうを守る人たちの宗派はなんじゃろう?それ、しらなんだ。そういうことは話をきかずじまいでした。
でも。なんとなくおもう、どんな宗派だとしても、こうやさんになると、別格ってかんじで、なんでもよかよ。って入れてくれそう。なにしろ、煩悩即涅槃。
ものみゆさん、物見遊山という言葉がぴったりです。レジャーとしての信仰もあるけんね。日本人。

けさの西日本新聞のしんらん。
悪夢が正夢になり、やけた、嵯峨野の遵念寺。

それと、これは現実のニュース記事。
柳原白蓮さんが黒木の藤をみにきてた。
60年前、1954年の5月。
歌が残っていて、
ひとをのみし渕かやここは上臈の都恋しとなきにけむかも   白蓮
歌碑がたっているらしい。かささぎ、まだ見ておらず。あの公園かなあ。
白蓮さんはくろきすけよしが連れてきた小侍従の立場で詠んでいます。そこが白蓮さんらしいですねえ。
黒木にはやまなみ短歌会という今に続く古い結社の元締めがいたので、菊池剣という名前の。
だから、きっとやまなみ誌のどこかの号にその話題、のっているとおもう。ほかにも歌はよまれているらしいから。
しらべてみたいですね。

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