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2014年6月29日 (日)

短歌誌『やまなみ』の昭和29年6月号を見てきました!

八女図書館には古い「やまなみ」が揃っていた。
柳原白蓮が黒木の藤を見に来た昭和29年。

黒木に菊池剣主宰の同人誌発行所があった短歌会は、そのニュースにどう対応したのかが気になり、食糧の買いだしに出たついでに、記事を探しに行ってきた。

一年分ずつまとめて保管されているやまなみの29年度分の括りを閉架より出してもらう。

おお、ひさしぶりだ、この感覚。
こころが震える。
二十年近く前。
俳人・石橋秀野の資料を探して東京の俳句文学館へ赴き、戦後すぐの『鶴』を何冊か出してもらい、たくさんコピーをとった。
上川井梨葉主宰の『愛吟』は昭和七年ころから九年にかけての号を。
同人誌にはその時代の空気が色濃く張り付いていて、強く訴えかける。

八女のブログ記事http://blog.townkurogi-ta.jp/article/99888805.htmlでは堀川バス社長の招きがあって、黒木婦人会が69歳の白蓮を接待したという。
それなら同じ黒木町に発行所がある短歌会だもの、きっとどなたかが耳にしてなにかのニュースが報じてあるかもしれない。

はたして、六月号をひらくと・・・・

「やまなみ」はやっていました、黒木観藤歌会を。三月四月と前もって宣伝もしています。
五月二日日曜日、黒木駅近くの菊池剣主宰宅、昼ご飯携行で十時集合。
福岡や長崎などからも歌人がみえています。
今年の藤は早かった、すでに散りかけている、とあります。

一方、図書館入り口に白蓮の黒木来訪の記事(上記)が置かれていて、それを読めば昭和29年5月とだけあり、日にちの記録はありません。
それでこう思った。
白蓮が黒木に藤を見に来たのは一週間前(4月25日)だったのではと。
招待したのは堀川バスの社長だし、実際の花のさかりに招いたであろう。
だが、記録は五月。
ならばやまなみより一日早い5月1日だったか。
同じ日であれば、かならずや記憶されただろう。
せまい境内の藤である、鉢合わせしたろうから。
そして藤の花時は二週間ほどだと思われるから。

せっかく覗いた古い、わたしの生まれた年の同人誌。
この昭和29年という年は、八女市制発足の年である。
いくつか心にとまった歌をご紹介したい。

日本の白きもちひをおもひつつ
捕はれ人ら年を越えしか   古賀明 (やまなみ昭和29年2月号)

このうたを3月号で軽いと批判し、先輩に対してもっとご健斗をとケチをつけた歌人がいた。
おお、すごいことをいう、そもそも「もちひ」って何?(調べるhttp://kotobank.jp/word/%E9%A4%85)餅のことか!
捕虜かなんかになってまだ外地にいたのだろう。
その人たちは日本の白い餅を食べたいと思いつつ、新年を迎えたのだろうという歌か。
いい歌ではないか。
その次の月、べつの第三者がさらに反論をして、この歌をかばい、論争はおわっていた。

おもしろい。

おなじ作者に、こんな時事詠があります。

レッドパージに追はれし君等見すぼらしく
又アジビラを配りてゐたり  古賀明

藤をみにきたときの一首。

日の光青葉に透り油桐の白き花咲けり川岸にして  〃 

油桐の木下に馬の足掻きたるあとあり
しやがの芽は堪へにけり   佐藤秀

花すぎし藤の大木によりゆきて社あれば素直に明日を願ひぬ
       草野源一郎

どの頁かに、やまなみ短歌会は、昭和十年に北九州で生まれたとありました。
菊池剣先生は本名を松尾というそうで、観藤歌会のときには黒木城伝説にも言及なさったようです。
今年還暦を迎えるわたしは、還暦で死んだ伯母が会に所属していたので、まんざら縁のないわけでもなく、白蓮の興味にも駆られて調べてみた次第です。

最後になりましたが、山下整子さん、やまなみの大きな賞がもらえてよかったですね。
母上の中島せつ子氏も立派な歌人でしたが、あなたがあとをついで歌い継ぐのを見届けてから、安心して往生されたことでしょう。
おめでとうございます。
http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-8855.html

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コメント

白蓮短歌

検索でみえていた。
自分も気になった、同ワードで調べると、ここは14ページに出てきます。そんな遠くまでたずねてくださって。
佐渡島テレビジョンから。
おお、水月さん、佐渡だよ。

ニュース記事は以下。

2014年8月9日土曜日


白蓮の短歌か 佐渡で発見


白蓮の短歌か 佐渡で発見

NHKの連続テレビ小説「花子とアン」の蓮子のモデルとなった歌人、柳原白蓮の直筆とみられる短歌が新潟県佐渡市で新たに見つかり、専門家は白蓮の晩年の思いを表す貴重な資料だと話しています。

柳原白蓮は、大正から昭和にかけて活躍した歌人で、連続テレビ小説「花子とアン」の蓮子のモデルとして知られています。

白蓮は、鎌倉時代に京都から佐渡に流された先祖の墓参りのため昭和29年に佐渡を訪れ、佐渡市の「ホテル万長」には、白蓮がホテルの主人に贈った短歌が掛け軸に残されています。

このホテルで新たに短歌が書かれた短冊2枚と、色紙1枚が見つかり、8日、新潟県文化財保護連盟の理事を務める郷土史研究家が訪れ、字体や作風から白蓮の直筆とみられると確認しました。

短歌の1つは、「なみのうへ(え)に夕日のさして佐渡の海や遠流(おんる)の人のなげきをぞ志(し)る」と詠まれ、夕暮れの佐渡から亡き人を思う心情が伝わってきます。

郷土史研究家の山本修巳さんは「当時、白蓮は68歳で、佐渡には、戦死した息子や処刑された先祖の魂があるという深い思いが表れている。晩年を知るうえで貴重な作品だ」と話しています。

ホテルでは今回見つかった短冊と色紙を一般に公開する予定で、「ホテル万長」の渡邉正芳副社長は、「歴史のロマンを感じます。ぜひ多くの人に見ていただきたい」と話しています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140809/k10013675651000.html

昭和29年、1954年5月に筑後にきた白蓮が佐渡島にもいったのですね。何月だろうか。

よみうりオンラインニュース、九月十六日付

以下転載します。
NHKの連続テレビ小説「花子とアン」の登場人物のモデルになった歌人・柳原白蓮びゃくれん(1885~1967年)の直筆の短歌1首が、福岡県筑後市の老舗ホテル「樋口軒」の関係者宅で見つかった。


 和紙にしたためており、歌集にも収録されていないという。

 短歌は縦55センチ、横60センチの和紙に「みゆる計ばかりは 湯ふねのうへに うこくなり 五月のそらと わかはのみとりと」としたため、「為 樋口軒」との記載もある。和紙に装丁を施し、長さ約1・3メートルの掛け軸にしてある。

 白蓮は大正天皇のいとこで、「大正三美人」の1人とされる。25歳で九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁いだ後、年下の恋人と駆け落ちした1921年(大正10年)の「白蓮事件」で知られる。

 白蓮に詳しい福岡国際大の井上洋子名誉教授(67)は「筆跡から白蓮の直筆で間違いない。白蓮が湯船から見える五月の空と若葉に心打たれたことがうかがえる」と指摘。初句が『みゆる計は』と7音なのは、短歌の技法上、感動表現だという。

 樋口軒5代目社長の樋口真大さん(51)によると、母・鈴子さん(74)の祖母で2代目女将おかみの雪枝さんが、当時木造の温泉旅館だった樋口軒に度々訪れていた白蓮から贈られ、保管していたという。現在は樋口軒のロビーに展示している。

 井上名誉教授は「断定はできないが、白蓮が『白蓮事件』後初めて、1953年に福岡入りした頃の作品ではないか。当時、白蓮は戦争で息子を亡くし、平和運動で全国を巡回していた」と話している。

懐かしい方、秦先生、美智子様との長崎グラバー園でのお写真、草野源一郎先生のお名前に遠い昔の記憶が甦り走馬灯のように浮かび上がりまた作品を書斎より引き出し貪るようにめくりました、数えきれないほどの大正、昭和の歌人の自費出版書物、やまなみの皆様にお返ししたく思います、有り難うございました。

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