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2014年6月 5日 (木)

地域医療ビジョン(4) 「病床機能報告」制度法定化でどう変わるか

保健医療経営大学学長

橋爪章

2014 年 6 月 5 日 地域医療ビジョン(4)

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第六次医療法改正により「病床機能報告」制度が法定化されます。
法が成立すれば、さっそく本年度から施行されます。

地域医療ビジョンは、まずは地域の実態を恒常的に把握することから、というわけです。
病床機能報告制度の対象となるのは、一般病床あるいは療養病床を有する病院と診療所です。
報告を怠ったり、虚偽の報告をしたときは、報告命令や報告内容是正命令が下されます。
この命令に従わなかった医療機関は公表されます。
病院・診療所の管理者は、「基準日」と「一定期間経過後」の病床機能と、入院患者に提供する医療の内容等を都道府県知事に報告しなければなりません。
報告内容の確認のため、必要な情報の提供も求められます。
一定期間経過後の病床機能(基準日後病床機能)は、予定事項とはいえ、報告に変更が生じた場合は速やかに都道府県知事に報告しなければなりません。
基準日後病床機能を集計したものこそが、「地域医療ビジョン」において重要な意味をもつからです。
基準日病床機能と基準日後病床機能は公表されます。
この報告制度により、行政当局のみならず国民は、地域の医療機関の一般病床と療養病床の医療機能の実態をもれなく把握することができ、他地域との比較検証も可能となります。
病床過剰医療圏では、これまでは医療関係者の間でしか共有されていなかった地域の「病床過剰」の実態が、広く知られることになります。
特定の病床機能のアンバランスな「過剰」状態が保険料の高騰の主因であるということが知れ渡れば、過剰状態是正の世論が生まれます。

この世論が強まれば、医療機関が報告する「基準日後病床機能」に厳しい視線が注がれることになります。

(保健医療経営大学 学長ブログ転載)

▼鵲のひとりごと

あたしは気になる。
そもそも手一杯の仕事をしている。みなおなじ。
べつに官僚だけじゃない。
病院の事務職のひとたちも、時間ないでしょうよ。
診療報酬の点のちょっとのさじ加減で右往左往させられるわけだし。

基準日後病床機能報告、というワードで検索、二ページ目でひろった☟。
http://blogs.yahoo.co.jp/aka59mahi/folder/513272.html

▼電気代

仕事の合間、休憩が一度あります。三時から十五分。

電気きります。

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コメント

こんばんわ、かささぎさん。
いつも真面目な情報発信のところに自分のことばかりでごめんなさい。今日、毎日新聞紙上で正式に発表ガアッテ(ネットでは4月1日発表だったんだけど・・・きょうまで口止めでした)アヴェマリアのヴァイオリンは今年第60回青少年読書感想文全国コンクール課題図書、高校の部に選定されました!

うわ、よしこせんせい。
それはそれは。おめでとうございます。
先生にとって喜ばしい以上に、こどもたちにとって、すばらしいことだとおもいます。
アンネの日記よりずっと身近に思えるに違いありません。いまから、こどもたちの感想文、どんな声が寄せられるか、またれますね。
それと、これは読まれましたか。
えっと、どこだったっけ。乙四郎先生が、柳川図書館でも新刊図書として紹介されていたとコメントされていましたよ。

かささぎさん、ありがとうございます。そうですか!乙四郎先生が!読んでないですが柳川図書館で調べるといいですか?乙四郎先生には本当にお世話になってます。感謝に絶えません。TRCブックポータブルの紅葉雪さんというとこかの図書館の司書さんが、とてもありがたいコメントをくださいました。http://www.bookportal.jp/review/0000002458

よしこ先生、度々ありがとうございます。
きのう、先生のブログをウロウロしてたら、相当お忙しいはずなのに、悩み事相談までなさっているではございませんか、おどろきました。
つい、つられて、じつはおらも・・・と、なやみごとを語りたくなるのを、ぐっとこらえて、けえってきやした。
それと、かしこい子に育てる、漢字学習法についても、ちらっとみていただけだったので、メモりました。


先生ご紹介のサイトにあったのを、全文引用します。


コメント・書評
.
子どもに本を手渡す人間の一人として、これは世代、時代を越えて読み継がれるべきものだと思いました。子ども達とコミュニケーションをとりながら、手渡していきたいと思います。
紅葉雪
2014/06/01 14:24:52
評価 ( ★マーク )
★★★★★


さっそくだが、この本の内容について、ブックポータルの「内容説明」を使わせていただく。

「板東俘虜収容所、アウシュヴィッツ、そして21世紀の日本。時を超え、ふたりの少女を音楽が結びつけた…。戦火をくぐり、数奇な運命に翻弄された一丁のヴァイオリンが生み出す感動の物語。〔「ザ・ヴァイオリン」(東京図書出版会 2008年刊)の改題,大幅に加筆修正再構成〕」

さらに本書の帯にはこうある。
「あなたは涙を流さずに、最後までこの物語を読めますか?」

 
司書として本の内容との距離の取り方をある程度心得ている自分も、迂闊にも(?)、何度か涙したシーンがあった。

本書の感想を一言でいうならば、以前bk1時代に「ヒトラーのはじめたゲーム」でも書いた言葉が一番しっくりとくる。


「とにかく読み進めるのが辛い本だった。それが正直な感想だ。/人間はどこまで残酷かつ冷酷になるのだろうか。/人間は極限にどこまで耐えられるのだろうか。/それを容赦なく、目の前に叩きつけられたのだから」

さて本書。

主人公の一人は、あすか。中学二年生。徳島に住んでおり、少しばかり自分の進路に悩んでいる、ごく普通の中学生。彼女はヴァイオリンを習っているが、「プロのソリストを目指すのではなく、もう少し自由に楽しく弾きたいと思っているだけだ」。(p12より)
また母親からは医者になるよう進められており、だがそれも自分にはどうかと感じていて、進路について母親と揉める事も。

そんなあすかが、ある一つのヴァイオリンと出会う事で、物語が動いていく。

楽器店で一つのオールド・ヴァイオリンと出会ったあすかは、どうしてもそのヴァイオリンが欲しくなり、「大きくなって働いたら、私が払うから」と親を説き伏せ、手に入れる。

さらに後日、あすかはそのヴァイオリンが『アヴェ・マリア・ヴァイオリン』と呼ばれ、アウシュヴィッツで、あすかと同じ年の女の子が弾いていた事を聞かされ、ヴァイオリンの由来を知りたくなる。同じく由来を調べていた楽器店の清原と一緒に、ヴァイオリンの事をしっているカルザスというポーランドの男性に会う事になる。

あすかがカルザスから話を聞く、という形をとって、話は一気に第二次世界大戦前、悲劇の時代へとうつっていく。

そこでの主人公がハンナ・ヨハンセン。ユダヤ人の少女だ。あすかと同じ14歳。ヴァイオリンを習っていた。

だが時はユダヤ人には厳しいものだった。ハンナ一家も、言葉では言い表せない苦痛をうけ、またユダヤ人狩りから逃れるために身を隠すようになる。そこに至るまでに、そこに至る途中でも、とてつもない悲しみ……家族を殺される事も経験する。

だがとうとう、隠れ家がみつかり、ハンナ一家はアウシュヴィッツへ送られる……。

ハンナは、ヴァイオリンが弾けることが幸いし、アウシュヴィッツで「音楽隊」に組み込まれる。
音楽隊、というと優雅に聞こえるだろうか。だが決してそうではない。この「音楽隊」に入る事は、命がけで音楽を行っていくことに他ならなかった。まさに生き抜くために。そしてハンナは、自分が弾いているヴァイオリンが、かつて日本の板東俘虜収容所と関わっていたことを知る。


14歳の女の子が、収容所で目にするもの、耳にするもの、……さらに同じユダヤ人たちに「ナチスの犬」と罵られる苦しみ。そこをハンナがどう生きていったのかが描かれている。
……とにかく辛い本だった。

最後に。
実はこの本を読了したのは1か月以上も前。今年度の、青少年読書感想文全国コンクールの、高等学校の部の1冊ということで手に取った。ただ、この書評を書くか否か、自分でもおかしいのだが1か月以上迷ったのだ。

まずこの本と出会った経緯だが。
大体、中学校では、高校の部の課題図書も学校図書館に入れる。この本に関しては、不勉強で恥ずかしいことながら、今まで読んでいなかったため、目を通した。

最初、主人公のあすかが中学生という設定や、あすかの日常がかかれているあたりでは、『中学校の課題図書でもよかったのでは?』とすら思ったが、読み進める内に、「高等学校の部」の課題図書になった理由が判ってきた。

ハンナの目にする形として描写されていることなどが、あまりにも凄絶すぎて(もちろんそれらの描写は、実際にその時代、そしてアウシュヴィッツであったことばかりらしいのだが)、中学生相手では、本を渡せる生徒を選んでしまう、と咄嗟に学校司書として思った。


だが。課題図書においては、逆に「課題図書に選ばれた本だから薦めても大丈夫だ」、と簡単に思われがちである。
今の公共図書館、および学校図書館の司書で、課題図書を全冊読破し中身を頭に叩き込んでいる司書は数少なくなっている。

書評タイトルでも述べたとおり、これは「ガラスのうさぎ」などと同じで、時代を越えて読み継がれていく本になるだろう、と予感しているし、そうなってほしいとも思う。

ただ、中学生に渡す時は、注意が必要になる。特に学校という環境では、中身的に厳しい子がいるかもしれない、と司書や教師が常に頭にとどめておく必要があるだけのところ。だからこそ逆に、本を渡す立場にある人は、子どもたちが手を伸ばす前に本書を読破してほしいと思うのだ。

『ちょっと中身が厳しいかもしれないけど……』と言いながら、『読めないと思ったらやめてね。時間が経って、読めるようになったら読んでくれればいいから』と言いながら手渡していける司書が、司書でなくとも、本と子どもを介在する大人が必要だと思う。

本当に残念なことに。
今は、簡単にパソコンでデータを調べられるようになっている事も多いからだろう。学校司書、公共図書館司書、そのどちらも、本について造詣の深い、『あの人に聞けば何でも本の事を知ってる』という、『本物の』司書がいなくなっている。もちろんその『本物』をめざし、自分は悪戦苦闘しているのだが、残念ながら道はまだまだ果てしなく遠い。それに周囲を見回すと、必ずしも本物を目指そうは思っていないようだ。

『本物の司書がいなくなる』事を寂しいと思う自分が時代遅れなだけなのだろうと思って、だがこの職人気質は簡単に変えられないし、まあ仕方がないと諦めてもきたが(笑)、案外インターネットやスマートフォン全盛の、誰もが溢れる情報に溺れそうになるこの時代には、そういった昔ながらの司書が再度必要となってきているのかもしれないと思う今日この頃でもある。

中学校図書館では扱いの難しいところがある本ではあるが、だがそれを常に頭においていれば、必ずや読み継がれていくだろう。この先名作になるだろうと思われる1冊に出会う事が出来て、司書としてうれしい限りである。



すごいなあ。この司書のかたは。
ほんとうのプロですね。

ひとつ、それでも、いいたい。
わたしは、中学生、高校生とわける必要はないのでは。と不遜なことをおもう。
というのは、書かれている内容がいくら残酷なものでも、主人公は14歳。それなら、おなじ年の子たちに真っ先に読まれたい。おなじ年という現象は、圧倒的に共感の度合いがちがうのではと思われてならない。

こないだ、新聞記者だった人の小学生の娘を同級生の友人が殺した事件のその後をおって、記者の後輩記者だった人がていねいに取材を重ねてまとめたニュース記事を読みました。
法では守られてる、犯人が守られている。
まだこどもだったからという理由で。
それでは殺された子とその家族はどう耐えたらいいのか。一度もその子と対面すらさせず、真実に向き合わせないで、更正できるとお思いか。やったことをすべて忘れてべつの生を行きさせることに意味があるのだろうか。
それと似た感慨を、この高校生向けの課題としたことに、わたしはいだいた。
もっとこどもを信頼していいんじゃないか。
幼いならおさないなりに、こころの真芯でとらえるとおもう。トラウマにはならない。なぜなら、構成が配慮されたものだからだ。

それよりも、わたしがどうしてもいまだに気になっていることがある。これが実話に基づくものとして、じっさいに地下室で猫を飼ってたのだろうか。
動物はひとみたいに嘘が付けない、とても心配だ。

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